忖度派3候補と一線を画した、野田聖子の発言。
(2021年9月17日)
本日、自民党総裁選の告示、4人が立候補した。この総裁選、アベスガ政権を見限った国民の批判をどう受け止め、自民党をどう立て直すかがテーマのはず。本来は、アベスガ政権の政治姿勢、政治理念、各分野の政策の不備を徹底して洗い出し、その反省を今後にどう生かすべきかという議論の場でなければならない。
党外の人間にとって党内の権力闘争などには何の関心もない。来たるべき総選挙に与党として望む自民党が、アベ・スガ路線から変わるのか変わらないのか。変わるとしたら、何がどのようにどの程度変わるのか。その点を国民に示すものでなくてはならない。
9年に及ぶアベ・スガ政権とは何であったか。何よりも、「モリ・カケ・桜・クロカワイ・卵にカジノ」に表れた、ウソとゴマカシ、国政私物化の政権であった。また、アベノミクスで富裕層を富ませる一方、大量の非正規労働者を創出して格差貧困を拡大した「自助・自己責任」政策の政権でもあった。そして、改憲に血道を上げ、人種や民族の差別を煽った政権でもあった。
岸田・河野・高市の3候補は、どれもこれも似たり寄ったり。アベ・スガ政権を批判するのではなく、アベ・スガ政権に擦り寄りおもねってばかり。アべ・アソウ・ニカイなどに睨まれような発言はできない。後世、アベ・スガ・キシダ政権時代とか、アベ・スガ・コーノ路線と評されることになるしかない。まさしく、コップの中の嵐の総裁選の模様、…と思われた。
ところが、ギリギリで野田聖子が4人目の候補者として名乗りを上げ、少し様相が変った。野田の立候補支援は河野追い落とし派の策謀という見方もあるようだが、そんなことはどうでもよい。この4人の中で、他の3人とは一線を画した野田発言の真っ当さに、どれだけ世論の注目が集まるか。そのことを見守りたい。
本日の4候補共同記者会見では、アベ・スガ政権に対する世論の批判を象徴する問題として、森友学園をめぐる公文書改ざん問題について「再調査をするかどうか」が問われた。この質問はこれまでも話題となってきた。どの候補も予想していた質問で、想定問答の回答を練ってきたはず。
アベ・アソウ忖度派3候補は、再調査の実行を否定した。
河野太郎は「すでに様々な司法まであがっているものですから、再調査の必要はない」と明確に述べた。「安倍さん、よく聞いてね」と言わんばかり。
高市早苗は「現在、ご遺族が国などを相手取って提訴しているので、この点についてはコメントができない、するべきではない」と回答を避けた。
岸田文雄はやや微妙な言い回しだった。「行政、司法において様々な調査、報告が行われている。その上で国民の納得感で足りないことがあれば、政治の立場から丁寧に説明をしていきたい」。これは、誰に、どのような場で、どのような手続で「説明」するというのかよく分からないが、世論がイメージする再調査はしないことの弁明を述べたと解すべきだろう。
野田聖子は違った。「反省し、アプリオリに調査をする必要がある」と答えたのだ。
「公文書の隠蔽、偽造、改ざん、廃棄。これは絶対にあってはならないこと」「多くの国民が納得していない」「起き得ないことが起きたことは、しっかりと知るべきだ」に続けての調査必要発言である。これは、アベやその取り巻きに忖度しない、という宣言ではないか。
アプリオリを「自明に」「先天的に」などと注をつけている報道が多いが、「理屈抜きで」「無条件で」という意味ととらえるべきだろう。
この点の論争はこれからも続くことになる。野田は、もっと具体的に、再調査の構想を打ち出すべきだろう。財務省内の身内の調査では国民が納得していない。偶然のことから存在が明らかとなり、民事訴訟でようやく開示された赤木ファイルには、財務省調査はまったく言及していない。信頼できる外部の第三者による再調査チームを作ることを具体的に発言するべきだろう。
「民事訴訟中だからコメントできない」「言うべきでない」というのは、まったくおかしい。再調査をしない理由にはならない。
AとBとが訴訟をしているとき、第三者であるCが「どちらの言い分が正しいのかよく分からないので、AB間の訴訟の決着がつくまで見守ろう」ということはあり得る。しかし、問われている局面はまったく異なる。
今、A(自死した赤木さんの遺族)がB(国)に提訴をした。候補者4名は、第三者としての意見を聞かれているわけではない。B(国)のトップになったら、どうするのかの意見を聞かれているのだ。
この訴訟は形の上では国家賠償だが、原告が望んでいるのは「徹底した真相の究明」である。被告国の立場としては、これまで通り責任を否定して真相の究明に背を向けるのか、「徹底した真相の究明」に協力するのか、二つに一つである。それについての、国のトップの意思と責任が問われている。
忖度派3候補は、結局今までの通り財務省の内部調査以上の事実はなく、赤木さんの自死に国は責任はないという立場を貫けという意見。野田聖子だけが、再調査して「徹底した真相の究明」に協力しようというのだ。この姿勢は、アベ・スガ政権の腐敗を反省して再出発するための第一歩として貴重なものと言えよう。