「死の商人」アルフレッド・ノーベル泉下のつぶやき
(2021年10月5日)
本日から、「ノーベル賞週間」だとか。ノーベル賞とオリンピック、なんとなくよく似ている。「ノーベル賞」の権威を認めるべきだろうか。受賞者に敬意を払うべきだろうか。オリンピックの権威や、メダリストへの敬意とよく似た設問。当然のことだが、すべて、「NO!」である。
私には、特に傾倒する人物もないし、座右の書もない。しかし、なんとなく身近にゴロゴロして何度となく手にする書物がないわけではない。そのうちの一冊が、山田風太郎の「人間臨終図鑑」。これが面白い。多くの人の死を描くことで、その人の生きかたを浮かび上がらせようという、相当にねじれた人物論の集積。
その中に、63歳で亡くなったアルフレッド・ノーベルの有名な逸話が載っている。彼の死の数年前、兄リュドビックが急死したとき、新聞は兄弟を取り違えて、アルフレッドの死亡記事を出す。「死の商人、死す。可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物」
毎日新聞の記事によれば、「石油業を営んだ兄ルドビグとノーベル本人を取り違えた訃報記事が、フランスの国立図書館に残っている。フィガロ紙は88年4月15日付で『人類に貢献した人だとは伝えにくい人物が(仏南部)カンヌで死亡した。ダイナマイトの発明者、スウェーデン人のノーベル氏』と報じた。同紙は翌日、『パリ在住のノーベル氏は健在』との訂正記事も掲載した。」という。
細部のことはともかく、彼は、生前に自分の死亡記事を読むという稀有な経験をし、しかも『死の商人』と自分の人生を総括されたことにショックを受けた。死後の汚名を嫌ったノーベルが、平和に貢献したと評価されたい思いから、ノーベル賞を創設する。これが定説となっている。
「死の商人」という記事にショックを受けたのが本当かどうかは知らない。ノーベルは父の代からの根っからの武器製造業者であった。ノーベルの父は、爆発物、機雷の製造で大成功し、クリミア戦争で兵器を増産して大儲けをした人物。戦争終結後にはかたむいた兵器工場を兄が再建し、さらにアルフレッドが若くしてダイナマイトを発明して巨万の富を手にする。果たして、ノーベルに、死の商人と呼ばれることに後ろめたさを感じるだけの感性があっただろうか。
ダイナマイトは鉱物採掘や建設・土木工事にも多用されるようになるが、元はと言えば兵器工場で開発され生産を始められたもの。ノーベル賞の財源は、まぎれもなく「死の商人」による「死の商売」が築いた財産によるものなのだ。
ノーベル賞基金の由来だけでなく、あの授賞式に象徴されるスノビッシュな雰囲気が気に入らない。スェーデンの王室が、したり顔でしゃしゃり出てくるのも面白くない。何よりも、ノーベル賞が科学や科学者の業績をランク付け権威付けしているそのこと自体が受け容れがたい。
本日(5日)、岸田文雄首相は、真鍋淑郎・米プリンストン大上席気象研究員のノーベル物理学賞の受賞決定に関し「日本国民として誇りに思う」とする談話を発表した。「受賞を心からお喜び申し上げるとともに、真鍋氏の業績に心から敬意を表する」と祝意を示したという。政権の権威付けやら人気取りにも、愛国心の高揚にも、ノーベル賞は利用されているのだ。
泉下のノーベルは、きっとこう呟いているに違いない。
「私なんぞ、とてもとても『死の商人』と呼ばれるほどの者ではございません。核爆弾の発明や、ICBMの開発、AI戦闘ロボットや戦闘ドローンの大量製造、コンピューター技術の兵器化、化学兵器の増産化など、各国の総力を挙げての大量殺戮兵器開発競争を見せつけられては、まことにお恥ずかしい限り」と。