澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

皇族諸君、お濠を飛び越せ。自由な外界に脱出せよ。

(2021年12月18日)
 「AERA dot.」が、週刊朝日の記事として、「皇室の今後はどうなる? 原武史、石川健治、河西秀哉、八木秀次の各氏が語るあるべき姿とは」を掲載している。
 https://dot.asahi.com/wa/2021120900077.html?page=1

 この4人が語る内容がそれぞれに興味深い。とりわけ原武史の語るところは傾聴に値する。そして、八木秀次の言が臆面もなく右翼の考え方をさらけ出して、たいへんに有意義である。

 原は、大要こう言っている。

 「西洋列強から開国を迫られた日本は、植民地化を免れるため急いで軍事国家をつくる必要があり、天皇を軍事的なシンボルにしたのです。京都にいたときは中性的な姿をしていた天皇が、ひげを生やし、軍服を着て馬や軍艦に乗るなど、男性化していった。

 敗戦によってこの路線は破綻した。陸海軍を解体し、憲法を改正し、女性参政権を認めるなど、男女平等が進められました。

 ところが、皇室については、根本の部分はまったく変えなかった。戦後の皇室典範でも依然として皇位継承者を男系男子のみに限っているのは、軍事国家の名残のようなものです。このため、時間が経つにつれ、お濠の内側と外側の「ズレ」が拡大していきました。」

 的確で分かり易い指摘ではないか。近代天皇制は、軍国主義日本における支配の道具として新造されたものである。だから、京都では中性的な「お公家さん」だった天皇が、東京では大元帥となり、ひげを生やした軍服姿で白馬に乗って、臣民の前に姿を現したのだ。

 明治維新とともに作られた天皇像は、敗戦によって瓦解を余儀なくされる。世は、軍国主義を捨て自由と平等が謳歌する時代となった。本来天皇という支配の道具を必要とした社会ではなくなった。にもかかわらず、天皇制は生き延びた。しかも、皇室制度の基本はまったく変えずにである。こうして、「お濠の内側と外側のズレ」が拡大して矛盾が露呈している。その矛盾が、「お濠の内側」の女性に集中して表れている。

 「今回の眞子さんの件で、特に女性にとって、お濠の内側がいかに窮屈で生きづらいかがわかってしまった。眞子さんだけでなく、現上皇后も現皇后も、失声症になったり適応障害に苦しんだりしました。」

 さて、どうするか。「今は存続が大前提になっていて、結婚後も女性皇族を皇室に残して女性・女系への道を開くのか、男系男子に固執して旧皇族の男子を養子に迎えるのかといった二者択一のような議論になっている」が、原は明快にこう言う。

 「皇室制度自体を続けるのかという考え方が抜けています。憲法1条には「天皇の地位は主権の存する国民の総意に基づく」とあります。国民の総意がもう皇室はいらないと考えるのであれば、なくていいという話になる。こうした選択肢は考慮されていません。それだけでいいのでしょうか。」

 原自身が、「皇室はいらない」と意見を述べているわけではない。が、国民の議論として、象徴天皇制そのものの存廃を視野に議論を呼びかけている姿勢は、立派なものだと思う。

 これに比して立派とは言いようもないが、それなりに有益な発言をしているのが八木秀次である。天皇や皇族の振る舞いについて、右翼は右翼なりの不満を持ち、天皇制の存続に危機感をいだいているのだ。八木は、秋篠宮の長女が皇族から脱出したことについて、ぼやいてみせる。そして、その原因を作った前天皇(明仁)に遠慮のない批判をする。右翼がそんな不敬を言ってよいの? と揶揄したくもなる事態。

 八木の語りの中で、最も興味深いのは天皇家の「特別な存在」の根拠をこう言っているところ。

 「代々続いてきた男系の継承は守るべきです。歴史の連続性の重みは無視できない。継承者が男系から外れると正統性がなくなるからです。天皇や皇族と国民との違いは、歴代天皇の男系の血統に連なるか、それ以外かです。女系は一般国民となる血筋であり、女系継承を認めれば、国民との間に質的な違いはなくなります。血統によって区別され、代わりがいないからこそ特別な存在として、敬愛の念を抱くのです。」

 これは野蛮極まる血への信仰である。しかも、男系の血のみ貴しとする倒錯した信仰。かつて天理教の分派である「ほんみち」は、「生きとし生けるものにして、万世一系にあらざるはなし」と血統に対する信仰の愚かさを喝破して不敬罪に問われた。この事件は、いびつな国家が、特殊な血統を大事とした時代の特殊な出来事であったはず。ところが、今の世に、男系の血に対する特殊な信仰が生き延びているのだ。現在のお濠の内側は、こういう倒錯した信仰によって成り立っている世界。原は、女性皇族の穢れの問題にも言及している。

 結局、目の前の選択肢は3本のように見える。
(1) 現行の男系男子の皇統維持に固執する
(2) 女性・女系天皇を認める。
(3) 天皇制を廃止する

現行の(1)を選択すれば立法作業は不必要である。(2)は国会で皇室典範を改正しなければならない。そして、(3)は憲法の改正を必要とする。

 実は、もう一つの選択肢もあるのではないか。天皇予備軍である皇族諸君が、次々と皇族から脱出をはかるのだ。お濠の内側は、こんなにも窮屈で暗く悲惨だ。人権を侵害されている皇族諸君が次々とお濠を飛び越して、自由な外界への脱出に成功すれば、世襲の天皇制は就位者を失って「自然死」することになる。

 これは、単なる夢想だろうか。

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