三好達や石田和外が教える、「最高裁とはこんな程度のもの」
(2023年3月16日)
三好達が亡くなった。3月6日のことという。95歳だった。元最高裁長官であり、元日本会議会長であった人。最高裁と日本会議、両組織の相性の良さを身をもって証明した人物である。
最高裁とは、本来は政治勢力から独立した憲法の砦であり人権の番人なのだが、その現実は長期保守政権の番犬と言われる存在。日本会議とは、日本の右翼勢力の総元締め。保守政権を支える岩盤支持層の実働部隊である。この両者、それぞれが保守政権を支えることに、協力し合っている。だから、元最高裁長官が日本会議会長とは、少しも意外なことではない。日本会議と最高裁との関係の緊密さを物語っているだけのこと。
三好は、東京都出身、東京高裁長官などを経て1992年3月から最高裁判事。95年11月に第13代長官となって、97年10月に定年退官した。その後、2001年から15年までの長きにわたって、日本会議の会長を務めた。さらに、退任後は亡くなるまで名誉会長に就いていた。
三好の会長時代に、日本会議は活発に動いた。その「成果」の筆頭は、教育基本法改悪(2006年)と言われる。安倍第一次内閣の時代。三好は、安倍晋三ともすこぶる相性が良かったわけだ。
そのほかにも、改憲推進運動、夫婦別姓反対運動、靖国に代わる国立追悼施設反対運動、自衛隊イラク派遣激励活動、人権擁護法案反対運動、靖国神社20万参拝運動、女系天皇・女性宮家創設反対運動、天皇即位20年奉祝行事、外国人参政権反対運動などを行ってきた。
彼はその著書『国民の覚醒を希う』(明成社、2017年)でこう言っているという。「私が日本会議会長となってまず直面したのが「夫婦別姓」問題でした」(初出:『正論』2007年11月号)。「この法律が成立し、施行された場合、夫婦の一体感が喪失され、ひいては家庭の破壊を招き、家庭の最も大切な役目であります子女の育成機能まで低下させる」「多くの国民は、『私は別姓にしたいとは思わない、しかし、この法律が出来て、別姓にしたい人がそうするというのなら、その人の自由にさせたら、いいのじゃないの』というような考え、つまり「私には関わりのないことだけど」といった気持ちの方が多いように見受けられるのです」(以上、塚田穂高・上越教育大学大学院准教授による)
こういう人物が、最高裁長官だった。最高裁やその判例を盲信してはならない。こういう人物が司法のトップにいることを許すこの社会の力関係を見抜かなければならない。
なお、よく似た先輩がいる。5代目の最高裁長官、それも「ミスター最高裁長官」と言われた石田和外である。戦前は思想判事、生涯を通じての天皇主義者だったから知性には欠ける人物だった。長官時代に裁判所の中の青年法律家協会への弾圧で名を上げた。その際には「裁判官には現実に中立・公正であるだけでなく、公正らしさが必要だ」と言いながら、退職後には「英霊にこたえる会」の初代会長となって、世人に最高裁の体質をアピールした。「最高裁というのは、そんなものであり、その程度のもの」なのだ。三好達や石田和外がそう教えている。