澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

高率消費税は憲法適合性を欠く

あと10日で消費税8%の時代に突入することになりそうだ。
消費生活は萎縮せざるを得ない。そのため確実に経済は打撃を受ける。短期的には駆け込み需要の前倒し反動も無視しえない。歓迎すべきことではないが、アベノミクスの終焉が始まる。そして、アベノミクスの終焉は、歓迎すべき安倍政権の終焉をもたらす。

ところで、消費税こそ逆進性を本質とする弱者いじめの典型的悪税。「薄く広く」というのが、悪税の本質なのだ。すべての消費者と、転嫁できる力をもたない弱小業者の窮乏化を推し進める。貧しい者ほど、力の弱い者ほど、その影響は大きい。これは、違憲ではないか。少なくとも、福祉国家時代の日本国憲法の理念に反する立法ではないか。

租税は、累進的に富める者からの負担によるべきとするのが応能負担主義。一定の水準以下の貧困者には税の負担をさせるべきではないとするのが生存権思想の論理必然的な帰結。応能負担主義と生存権思想に基づいて、所得の再分配をなすべきことが、福祉国家時代の税制の在り方ではないか。

朝日新聞社発行の現代用語事典「知恵蔵」の「応能負担原則」欄を、浦野広明さんが執筆している。その全文を引用する。

「租税は各人の能力に応じて平等に負担されるべき、という租税立法上の原則。この考えは憲法13条、14条、25条、29条から導かれる負担公平原則である。例えば、所得課税では、高所得者には高い負担、低所得者には低い負担を課す。また、同じ所得でも、給与所得などの勤労所得と利子・配当・不動産などの資産所得とでは、質的に税負担能力が違うので、前者には低負担を、後者には高負担を課す。さらに、憲法が意図する最低生活水準維持額を侵す課税も許さない。しかし、近年の税制は法人税率の引き下げ、所得税・住民税、相続税・贈与税の最高税率の引き下げ、消費税率アップなど、負担公平原則とは逆方向に進んでいる。(浦野広明 立正大学教授・税理士)」

普通の憲法教科書には、租税法律主義(憲法84条)の内容として、課税要件法定主義や課税要件明確主義には触れていても、応能負担を「憲法から導かれる租税立法上の原則」と明記はしていない。このような立ち場を明確にするものは、北野弘久さんの「北野税法学」である。北野さんは、「学者は実務を知らない。実務家は理念を語らない」と嘆いておられた。大蔵官僚から出発して研究者となった北野さん。「我こそは」という自負の下に、「現代立憲主義」を縦横に駆使して、「北野税法学体系」を作りあげた。私の手許にも、「税法学原論(第5版)」がある。浦野さんは、北野税法学の衣鉢を継ぐ人である。

北野税法学を紐解くと、特別なことは何も書いていない。ただ、福祉・平和のための租税という視点が徹底されている。その視点から、13条(個人の尊厳)、14条(平等)、あるいは29条(財産権)が理解されている。社会権思想活用の徹底と言ってよい。

平等は形式的平等ではなく、生存権が明記された時代には生存権全うの観点からの実質的平等でなくてはならない。財産権のうち、生存に必要な最低限度の財産保障は社会権としての基本的人権である。個人の尊厳も現実的に生存を全うする条件を整えることによって保持される。

北野さんは、租税徴収の側面に着目して、以上の観点から納税者基本権を提唱している。消費税の創設は、納税者基本権と抵触することになる。消費増税は、さらに、納税者基本権を侵害することなる。資本主義経済は構造的に貧困層の存在を必然化する。福祉国家思想とは、憲法に基づく国家の制度において、経済の矛盾を緩和しようとするものである。社会権的基本権とは、そのための用具だ。

にもかかわらず、直接税の課税においては累進性を緩和し、消費増税で弱者を痛めつける。これは、現代憲法としての日本国憲法の理念に反するものである。北野さん世にあらば、大喝するとこだろう。

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         イザベラ・バードの「中国奥地紀行」
「町はずれの美しい峡谷と壮大な二王廟が霧の中に消え、そこからはクチナシの強い香りが漂ってきた。適度の温度と湿度のおかげで、あらゆる植物が見事に育っており、道の両側は一面のシュウメイギクの花で縁取られていた。満開のツルバラは、露を含み、その重みで我々の頭の辺りで首を垂れんばかりだった。岩はコケシノブに羊の毛のように厚く覆われ、シノブ属のシダとよく見かけるオオエゾデンタが見え始めた。」

この美しい植生の記述はイギリスの女性探検家イザベラ・バードの「中国奥地紀行」(平凡社・金坂清則訳)からのもの。四川省成都を100キロほど西行した灌県郊外の120年前の光景である。

イザベラは19世紀後半、日本、朝鮮、中国の辺境を探検し、旅行記を出版し、欧米で絶賛された。「中国奥地紀行」は1895年?96年にかけて上海から揚子江を舟でさかのぼり、四川省の万県から4000メートルの山を越えてチベットのスウオモまでの徒歩旅行の記録である。中国側からチベットに入った最初のヨーロッパ人でもあった。彼女は日本旅行で蝦夷を訪ねたように、中国旅行でもチベットをめざした。まさに、辺境、奥地の探検家。このとき、イザベラ65歳。しかも身長150?ほどの小柄で、病弱でもあったというから驚く。

好奇心から押し寄せる友好的な日本人と違って、中国・清国人の敵意は激しく、旅はまさに命がけであった。19世紀の清国はアヘン戦争、アロー戦争を経て不平等条約を押しつけられ、ヨーロッパ諸国の餌食になる瀬戸際にあった。新しく列強入りを狙った日本にも日清戦争をしかけられ、三国干渉に翻弄されている最中の激動の「清国」をイザベラは旅したのだ。

冒頭の美しい夢のような自然の中の旅の2週間ぐらい前に、彼女は彭県の近くで「卑怯な襲撃」に遭っている。「私たちには石が次々と飛んできた。飛び道具は手近にいくらでもあった。石の一部は轎(かご)や轎かきに当たったし、私の笠にも当たって笠が飛ばされてしまった。『外国の悪魔』とか『外国の犬』という叫び声のすさまじさといったらなかった。石が轎めがけて雨霰のように投げつけられた。そして一つの大きな石が私の耳の後ろに命中した。このひどい一撃によって、私は前に倒れ込み、気を失ってしまった。」「『暴徒と化した』群衆は、私の乗った轎を棒でたたいたり、『外国の悪魔』『外国の犬』『子供食い』と言って野次ったり、もっとひどい言葉を耳に突き刺すように浴びせたり、轎を蹴ったり、つばを吐きかけたりした。このため、先へ進むのは困難を極めた。だが、やっとのことで我々の轎は、非常に立派な宿に運び込まれた。」地方役人が来るが、一応の謝罪を述べるだけでらちが明かない。イザベラはこの傷の後遺症で、旅の間はもちろん、その後一年間にわたって悩むことになる。

不平等条約に守られて、清末期にはキリスト教の布教宣伝活動が活発になっている。地方役人や官僚の遠慮に我慢がならない民衆の不満や反抗がこのような形で爆発するのである。だから、イザベラはひと言も、清国人の悪口を言っていない。当時の民衆のおかれた状況をよく分かっていたからだろう。

イザベルも各地で、英国国教会の宣教師を訪問し、「ヘンリエッタ・バード(イザベルの亡き妹の名前)病院」を寄贈したりしている。これらの宣教活動に対して、中国住民は迷信や風説の流布で応えた。孤児院を建てれば、「子供を食う」とか、カギをかけたがる宣教師は家の下に英国まで穴を掘って、英国兵士を導いて中国を征服するなどといったうわさが飛び交っていたのである。

こんな侮辱と危害を乗り越え、それでもめげない勇敢な彼女は四川省を抜けて、4000メートルの「しゃこ山」山脈に至り、ここでは凍えて遭難寸前の目にあいながら、チベットへと旅を続ける。中国とは異なり、蛮族の地といわれるチベットでは穏やかな人々に囲まれ、平穏である。

「蕃子の生活の注目すべき特徴の一つに女性の地位がある。女性は男性と対等であるにとどまらず、男性からかなり丁重に扱われるし、男性の興味の対象や楽しみをどこであれ共有する。女性はラバ追いから『土司』まで何にでもなれるのである。また男性と女性の間の交際には何の足かせもない。恋愛結婚が原則である。」「彼らの視野は狭く考えは保守的である。中国やチベットという地名は知っているし、ロシアという地名は聞いたことがあるが、英国という地名は聞いたことがない。日清戦争や倭人についてもまったく何も知らない。私の知ることのできた彼らは、客を温かく迎えてくれ、友好的で礼儀正しく、好奇心をあらわにせず、道徳に寛大で、一緒になって目一杯陽気に浮かれ騒ぎ、並外れて愛情の細やかな人々である。現世を気楽に受け入れて楽しみ、来世はラマ僧を信じて託す人々である。」

こうしたイザベラの記述を読むとき、現代の中国で焼身自殺を繰り返すチベットの人々の痛ましさが胸に迫ってくる。他に例のない当時の6カ月にわたる中国奥地の旅行記は今読んでこそ貴重である。

「水は目も覚めるように透き通った緑色をしていた。エメラルド色というとちょっと違うといった緑色だった。シダやランや蔓植物で覆われ、折れ曲がり、枝分かれする木の幹や大枝からは、赤と白の花をつけたツルバラの長い小枝が川面に垂れていた。そして、冷たいしぶきのかかる所には薄葉のシダや美しいハイホラゴケが生い茂り、木漏れ日をうけて透き通らんばかりだった。川は折れ曲がった木々や、クレマチスやバラのつるの下を滝のようになったり急流をなして、また、泡だったりきらきらひかりながら流れ下っていた。またところどころで一息つくように深緑色の淵をなし、その水面にはバラやクレマチスそして雪をかぶった峰が映っていた。」

こんな光景に会えることを夢見て、イザベラは困難な旅を思い立ったのだろう。そして、こんな素晴らしい光景に出会えたからこそ困難な旅を続けられたのだろう。

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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い。

3月25日の経営委員会に署名を提出予定で、3月23日が第2次集約日となります。

下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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    NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
    http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月21日)

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Published in 金曜日, 3月 21st, 2014, at 23:50, and filed under 未分類.

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