議会制民主々義下の人権としての選挙権ー成年後見選挙権判決
本日は、日本民主法律家協会・憲法委員会の例会。「成年被後見人の選挙権訴訟」の主任代理人である杉浦ひとみさんをお招きしての学習会だった。
「法の実現における私人の役割」の大きさと貴重さが、具体的な判決において、改めて認識されることがある。本年3月14日東京地裁民事38部(城塚誠裁判長)が言い渡した「成年被後見人の選挙権訴訟・違憲判決」がその典型。
公職選挙法11条1項1号は、「成年被後見人は選挙権を有しない」と定めている。この規定によって選挙権を剥奪された原告が、「投票をすることができる地位にあることを確認する」との判決を求めた訴訟において、裁判所はその確認請求を認容した。しかも、判決は公職選挙法11条1項1号を違憲で無効と断じた。ひとり原告のみならず、全成年被後見人の選挙権回復に道を開く判決となって、国会はこの判決に実に素早く反応し、全会一致で公職選挙法11条1項1号を削除する法改正を行った。
学説において指摘されていた権利について判決が追認し実現した事例ではない。成年被後見人とその家族が制度の欠陥を指摘して、弁護士に権利救済の援助を求めての提訴実現だったという。関与した学者が異口同音に、「どうして今までこの不合理に気付かなかったのだろう」と言ったそうだ。このような判決の獲得こそ、弁護士冥利に尽きるというもの。
判決は、「さまざまな境遇にある国民がその意見を、自らを統治する主権者として、選挙を通じて国政に届けることこそが、国民主権の原理に基づく議会制民主々義の根幹」として、議会制民主々義の根本理念から、「国民」のひとりである成年被後見人の選挙権を憲法上の権利としてその重要性を認める。そして、国民の選挙権またはその行使の制限が許されるのは「そのような制限をすることなしには選挙の公正を確保することが事実上不能、ないし著しく困難という『やむを得ない事由』がある極めて例外的な場合に限られる」とする。
判決は、その「やむを得ない事由」があるか否かを検討するが、選挙権を行使する者には一定の知的な能力が必要、という一般論は認めながらも、財産管理のための保護規定である成年後見制における被後見人の能力判断を選挙権の有無に連動させる不合理を指摘する。
議会制民主々義の理念から説き起こして、人権としての選挙権の重要性を確認し、これを軽々に制限し得ないとする判断の枠組みに異論はない。ときどき、このような「憲法良識を体現する判決」があるから、司法への信頼を断ち切れない。この判決は、国民の司法への信頼をつなぐ貴重な判決と評しなければならない。
これに比して、一昨日の「夫婦別姓・国賠訴訟」の一審判決は、対極の内容となった。婚姻による同姓(氏)の強制を違憲違法とする主張を排斥し、そのことから生じた精神的損害の賠償請求を棄却した。寛容な社会をつくるにふさわしい、ステキな判決を期待したが、そうはならなかった。
両判決を分けるものは、原告の主張の根拠が、憲法上の権利と認められるか否かである。選挙権訴訟で請求の根拠とされた原告の選挙権が、その位置づけはともかく、憲法上の権利であることに疑問の余地はない。これに対して、同姓(氏)の強制を拒否する人格権が、憲法13条から紡ぎ出される権利と言えるかが問題とされ、ノーと結論された。ここでイエスと判断されれば、判決の全体象が変わってくる。
日民協・憲法委員会の次の例会は、別姓訴訟の弁護団をお招きして、選挙権訴訟判決と比較しながら5月29日東京地裁別姓訴訟判決を学ぶこととした。
(2013年5月30日)