澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

天皇制教育を清算して確立した現行教育法体系

東京都(教育委員会)を被告とする、一連の「日の丸・君が代」強制拒否訴訟は、一定の歯止めとなる判決を得ながらも所期の成果をあげるまでには至っていない。最高裁での違憲判決を求めて、法廷闘争はまだまだ先が長い。

弁護団は知恵を絞って、新しい主張を開拓して裁判所を説得したいものと努力をしているが、一方、これまで積み上げてきた基本となる教育の本質論や、憲法を頂点とする教育法体系の理念や、その立法事実の主張にも手を抜いてはならないと思う。天皇制教育を清算して戦後に確立した現行教育法体系は、「戦後レジーム」(戦後民主主義体制)の象徴というべき存在として、訴訟を離れても、今その確認と評価とは、ことのほか重要なテーマとなっている。

具体的には、教育の本質とは何か。教育条理は法にどう反映しているか、法の解釈にどう活かされるべきか。また、戦前のレジームを象徴する天皇制教育とはいかなる考え方で、いかなる実態をもち、国の命運にいかなる結果をもたらしたのか。戦後教育改革とは、戦前教育のどこをどう反省し、どのように根本転換して、戦後教育法システムを作り上げたのか。さらにそのことが、新憲法の理念とどう関わっているのか。

本日(5月22日)が、東京「君が代」裁判第4次(処分取消)訴訟の第5回口頭弁論期日である。ここで陳述される原告準備書面(4)が、以上の問題意識に触れる主張を盛り込んだものとなっている。この訴訟を担当している限り、歴史修正主義に毒されることはありえない。

準備書面は目次だけで6ページに及ぶ大部なものだが、そのごく一部を紹介しておきたい。以下、教育基本法制定の経過と基本理念、そして完成した教育基本法の普遍性、真理性についての要約である。

※戦前教育への反省と戦後教育改革の基本理念
 教育基本法は、戦後教育改革の結実点である。その立案にあたったのが、「教育刷新委員会(南原繁委員長)」であった。同委員会は内閣に直接建議を行う機関として位置づけられ、重要な役割を果たした。その委員会審議の冒頭に、吉田茂首相の代理として、幣原喜重郎国務大臣(前首相)が次のように挨拶している。
 「今回の敗戦を招いた原因は、煎じつめますならば、要するに教育の誤りに因るものと申さなければなりませぬ。従来の形式的な教育、帝国主義、極端な愛国主義の形式というものは、将来の日本を負担する若い人、これを養成する所以ではありませぬ・・・・我々は、過去の誤った理念を一擲し、真理と人格と平和とを尊重すべき教育を、教育本来の面目を、発揮しなければならぬと考えます。」
 ここには、戦前の教育に対する深い反省が表れている。戦前教育の誤りをもって戦争の原因と認め、天皇制教育を一擲して「真理と人格と平和とを尊重すべき教育」を教育本来の面目としている。この短い言葉に、戦後教育改革の理念が凝縮されている。

※憲法改正論議における「教育根本法」構想
 憲法改正審議の中で、憲法中に教育関係の一章を設けて、教育の自主性・教育の自由・教育の独立性など、新しい民主主義教育の理念を明らかにすべきことが、大島多蔵(新光倶楽部)らの議員から提案された。
 これに対し、田中耕太郎文相(後の最高裁長官)は、「教育根本法というべきものの構想をねっている」ことを明らかにし、さらに次のように発言している。
「教育権の独立と云うようなこと、詰り教育が或は行政なり、詰り官僚的の干渉なり或は政党政府の干渉と云うものから独立しなければならないと云う精神は、これは法令の何処かに現したいと云うことは、当局と致しまして念願して居る所でありまして、これは計画致して居りまする教育根本法に、若し法律的のテクニックとして許しますならば、考慮してみたい」
と述べ、教育にかかる憲法的条項を、新たに制定する「教育根本法」にゆずる方針を明らかにした。

※教育刷新委員会における教育基本法構想
 1946年9月20日、教育刷新委員会の第3回総会にて、田中耕太郎文相は、教育基本法の全体構想を掲げ、同委員会の審議を求めた。
 この中で、田中文相は、
 「文部省なり地方の行政官庁なりが終戦まで執って居った態度は我々の考から言ってはなはだ遠いものでありまして、文部省にしろ、あるいは地方の行政官庁にしろ、教育界に対して外部から加えられるべき障碍を排除するという点に意味があるのであります」
と、教育の独立を主張し、さらに、
 「要するに学校行政はどういう風にしてやって行かなければならないものであるかということ、あるいは学問の自由、教育の自主性を強調しなければならないということ、・・・・・・そういう建前をもって教育の目的遂行に必要な色々の条件の整備確立をやって行かなければならぬ」
と、47年教育基本法10条の「条件整備」の考え方、すなわち、教育行政の主眼は教育に関する施設・設備・予算等の確保に置かれるべきであり、教育内容についての官僚的な統制は排除され、学問の自由・教育の自主性が尊重されなければならないといった考え方を既に明らかにしていた。

※高橋誠一郎文相の教育基本法案上程理由説明
 「民主的で平和的な国家再建の基礎を確立いたしまするがために、さきに憲法の画期的な改正が行われたのでありまして、これによりまして、ひとまず民主主義、平和主義の政治的、法律的な基礎が作られたのであります。しかしながらこの基礎の上に立って、真に民主的で文化的な国家の建設を完成いたしまするとともに、世界の平和に寄与いたしますこと、すなわち立派な内容を充実させますることは、国民の今後の不断の努力にまたねばなりません。そしてこのことは、一にかかって教育の力にあると申しましても、あえて過言ではないと考えるのであります。かくの如き目的の達成のためには、この際教育の根本的刷新を断行いたしまするとともにその普及徹底を期することが何より肝要であります。
 …さらに新憲法に定められておりまする諸条文の精神を一層敷衍具体化いたしまして、教育上の諸原則を明示いたす必要を認めたのであります。」
「この法案は、教育の理念を宣言する意味で、教育宣言であるとも見られましょうし、また今後制定せらるべき各種の教育上の諸法令の準則を規定するという意味におきまして、実質的には、教育に関する根本法たる性格をもつものであると申し上げ得るかと存じます。従って本法案には、普通の法律には異例でありますところの前文を附した次第であります。」
 教育基本法は、教育勅語に代わる教育理念を示すいわば教育宣言であると同時に、その他の教育法を導く、「教育法の中の根本法即ち、教育憲法」(田中二郎)だといってよい。前文の文言が、そして文相の提案理由が示しているように、教育基本法は、なによりも教育が日本国憲法の精神に則り、その理想の実現を担うものであるべきこと、そのために教育の目的をさらに具体的に明示して、新しい日本の教育の基本を定め、教育実践と教育行政のあり方を方向づけるためのものであった。

※教育行政の理念
 以上のような教育の目的を実現するためには、教育行政は、時の政治的権力から自律し、教育独自の価値と論理を尊重する教育行政の仕組みがつくられることがとりわけ重要であった。その理念は「教権の独立」として表現された。
 文部省(田中二郎・辻田力)の『教育基本法の解説』(1947年)も、戦前の中央集権的教育行政制度をつぎのようにとらえていた。同解説は、
「(戦前の)精神及び制度は、教育行政が教育内容の面にまで立ち入った干渉をなすことを可能にし、遂には時代の政治力に服して、極端な国家主義的又は軍事的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行われるに至らしめた制度であった。更に、地方教育行政は、一般内務行政の一部として、教育に関して十分な経験と理解のない内務系統の官吏によって指導せられてきた」
「このような教育行政が行われるところに、はつらつたる生命をもつ、自由自主的な教育が生れることは極めて困難であった」
 と述べて、教育基本法10条を根幹とする教育行政の新たな転換の意味が、教育の自主性・自律性の尊重にあることを強調した。戦後教育行政の理念は、戦前の中央集権的官僚統制主義の反省に立って、教育行政の任務を条件整備に限定し、教育内容への介入をさけて、政治に対する教育の自律性を確保し、さらに地方の実情に応じた個性的教育を創り出すことを援助することにおかれたのである。

※教育基本法理念の普遍性
 新憲法と教育基本法は、教育のあり方についての戦前的思惟への反省に立って、教育を国民の義務ではなく権利として規定するとともに、平和と民主主義を根本に据え、真理と正義を希求する人間の育成を新しい教育の目標とし、人間の尊厳に基づく個性の発現をめざすものとなった。
 また、国家と教育の関係も大きく変わり、教育においても学問の自由が尊重され、真理と真実こそが教えられねばならないこと、そして、このような教育の目的を実現させるためには、教育は「不当な支配」に服することなく、「国民に対して直接に責任を負う」べきものとしてとらえられ、教育の自主性と自律性が尊重されて、教師は不断の研修を通して子どもの学習権の充足につとめ、国民の信頼に応えるために努力すること、そして、教育行政は、教育の目的が達せられるための条件を整備することにその任務を限定すべきことが定められた。
 こうして、戦後教育改革は、教育勅語を中軸とする教育のあり方(帝国憲法・教育勅語体制)から、憲法・教育基本法を中心とする教育のあり方(憲法・教育基本法体制)へと大きく転換した。
 教育の依拠すべき根本のものが教育勅語から教育基本法に代わったということは、教育目的が天皇制イデオロギーの注入による国民形成から、真理と正義を希求する人間の育成へと変わったということにとどまらず、それまで勅語が占めていた次元そのものを否定して、いわば教育の全構造をかえるということを意味した。
 教育刷新委員会の委員長として教育基本法制定作業の中心に位置していた南原繁は、成立した教育基本法についてこう語っている。
「新しく定められた教育理念に、いささかの誤りもない。今後、いかなる反動の嵐の時代が訪れようとも、何人も教育基本法の精神を根本的に書き換えることはできないであろう。なぜならば、それは真理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めようとするに等しい」
 この南原の言のとおり、憲法26条(教育を受ける権利)、同13条(それを支える生徒の人間としての尊厳)、そして23条(学問の自由→生徒の権利を十全に発揮させるための教員の独立)という、高次の規範に揺るぎがない以上、2006年教育基本法改正を経てなお、教育基本法の基本理念に変更はないと見るべきである。
(2015年5月22日)

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