靖国神社A級戦犯分祀論の危険な側面
たまたま内田雅敏さんと弁護士会で出会った。待っていましたというがごとくに、刷り上がったばかりという自著を手渡された。「第一級の靖国論だから読め」とのたまう。サラリとこう言えるところが、いかにも内田さんらしい。
「天皇を戴く国家」という主書名に「歴史認識の欠如した改憲はアジアの緊張を高める」という長い副題がついている。内田雅敏著・株式会社スペース伽耶発行、初版第1刷の発行日が2013年6月15日。この日付は特に選んでの設定なのだろう。定価は800円+消費税。奥平康弘さんの推薦文という折紙付きである。
頷くところがほとんど。達者な文章だし、個性的な切り口に感心するところも少なくない。が、見解を異にする一点がある。
「無断合祀による戦死者の独占という虚構こそが靖国神社の生命線」という内田さんの論述にはまったく同感だ。だから、靖国神社はいったんした合祀の取り下げには絶対に応じない。取り下げを認めると、戦死者の独占という虚構が崩れてしまうから。これも指摘のとおりだろう。
内田さんは、さらに進んで「だから、東條英機らA級戦犯を合祀した以上は、靖国神社はA級戦犯の合祀取り下げはできない」という。「靖国神社の歴史認識からすれば、A級戦犯こそ靖国神社にふさわしいのであって、同神社はA級戦犯の分祀をなすことはできない」と結論する。ここにいささかの異議がある。
今のところ、靖国神社は「教義のうえから分祀はできない」という。しかし、靖国神社に格別の拠るべき教義がある訳ではない。信教の自由を盾にし、教義を口実にして分祀論の圧力に抵抗しているだけのことである。
陸・海軍省の共管であった宗教的軍事施設・靖国神社は、敗戦時、宗教法人となるか、国立メモリアルとなるかの選択肢があった。後者であれば、全面的に宗教色を払拭しなければならない。で、前者の道を選んだ。
こうして靖国神社は一宗教法人にはなったが、国との関係を断ち切ることはしなかった。国と靖国神社と両者の思惑の一致があったからである。共犯関係となったと表現してもよい。厚生省援護局が戦没者名簿を調製して靖国神社に渡し、神社がこれに基づいて「祭神名票」をつくって合祀の対象とする。この関係が続いた。
A級戦犯についても、同様に厚生省が調製して靖国神社に渡された名簿に記載されているのだ。当初は東條英機元首相ら12人、後に松岡洋右と白鳥敏夫が追加されて14人となっている。これについて、神社の総代会では合祀が了承されたものの、当時の筑波藤麿宮司の在職中は実施されなかった。
筑波に代わって松平永芳が宮司となってA級戦犯合祀が強行された。1978年の10月とされている。しかし、神社はこれを秘密とした。人の知るところとなったのは翌79年4月の新聞報道においてである。同神社はこれを「昭和殉難者」と呼んでいる。なお、後に明らかにされた「富田メモ」では、この合祀を知って天皇に不快の発言があったという。
A級戦犯の合祀を問題視し、これを祭神から分祀して合祀を取り下げるべしとの意見は一貫して存在した。水面下では、具体的な動きもあった。板垣正元参院議員は、その著書『靖国公式参拝の総括』(展転社2000年6月刊)において、同氏が官邸からの要請で水面下でA級戦犯の合祀取り下げについて遺族や靖国神社との折衝にあたった経過を明らかにしている。これによると、「白菊遺族会(戦犯者遺族の会)」の会長の同意をえることまではできたが、東條英機元首相の長男(東條英隆氏)の反対で頓挫したという。
「A級戦犯」分祀論は、主として国外からの靖国神社公式参拝批判をかわす目的から出てきている。国外だけでなく、国内世論としても、「戦争の加害者と被害者の同列合祀には釈然としないものが残る」という趣旨の批判の声が高い。そして、「天皇の靖国神社親拜を実現するには、なによりもA級戦犯の合祀取り下げが必要だ」という論調まである。
この問題の本質は戦争責任観にあると思う。「一般の戦没将兵は戦争の被害者で、14名のA級戦犯が加害者」という観点からは、分祀あってしかるべきとなる。しかし、一億総懺悔の立ち場からも、一億総加害者論の立ち場からも、分祀は些細な問題でしかないこととなる。
私は、戦争責任はなによりも天皇にあると考えている。天皇の戦争責任追求をタブーとし国民自身で明確にできなかったことが、戦後国民精神史の諸悪の根源と思っている。分祀問題においても、A級戦犯の戦争責任は論じられるが、天皇の責任は看過される。「A級戦犯を分祀すれば、国外からの批判もなく、天皇の親拜も可能となる」では本末転倒も甚だしい。
「靖国神社の歴史認識からすれば、A級戦犯こそ靖国神社にふさわしい」という内田さんの指摘には、全面的に賛意を表する。しかし、「同神社はA級戦犯の分祀をなすことはできない」との結論には異議を述べざるを得ない。靖国神社が教義や信念を持っていて、それに忠実であろうとしているというのは、買いかぶりではないだろうか。
突然、あるときにA級戦犯14名について、「分祀と遷座が完了した」と発表される日が来るのではないか。そして、多くの閣僚や議員が堂々と「A級戦犯合祀のない靖国神社」を参拝し、この輩が「外国の批判もなくなった。天皇の参拝を要請する」と言い出すことになるのではないか。その確率は、次の原発事故が起こるよりも遙かに高い。
A級戦犯合祀批判は、重要ではあるが靖国神社批判の一部にしか過ぎない。靖国神社批判の本質は、A級戦犯を祀っていることにあるのではない。むしろ、庶民出身の兵士の戦没者を祭神として祀り顕彰しているところにある。その戦死の意味づけを通じて戦争を肯定していることにある。その視点を明確にしておかなければならない。
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『グミ(茱萸)とザクロ(石榴)』
グミというと今の子どもは、多分、ゼラチンで出来たお菓子のグミを思い浮かべるだろう。あのグニュグニュしたガムのようなお菓子ではなくて、木に成るグミ(茱萸)という実がある。梅雨が始まる今頃、種が透き通って真っ赤に実る。年配の人は、庭や近所に赤い実のなる木のあったことを懐かしく思い出すだろう。お菓子などなかつた子どもの頃は、グミが赤く色づくのを待ちかねて食べたものだ。
2年ほど前に値落ちの鉢植えを買って庭におろしておいたグミの木に、たわわに実がなった。大きな実のなる「ビックリグミ」という種類だと説明がついていた。とても成長の早い木だ。スラリと伸びた枝にプランプランと重いほどの実を付けている。実を結んだ順に、赤、オレンジ、黄色、グリーンと実の色が違っているのが美しい。透き通るように赤く熟れて、触るとポロリと落ちそうなのを選んで口に入れてみる。ああこんなものだったのかと納得する。トロリと甘いけれど、舌の上に苔でも生えたように渋みが拡がる。試しにオレンジ色が残った堅めの実を食べてみると、口中がシブシブに麻痺したようになる。グミは葉っぱにも白い花にも赤い実の表面にもザラザラした細胞がついている。青柿と同じく、タンニンという渋みで全身武装している。これでは今の子どもは食べないだろうと思う。今の私も、昔のように、たくさんは食べられない。やっぱり観賞用だ。茂った緑のなかのルビーのような実の美しさを楽しめばいい。しばらくすれば小鳥が訪れて、渋みなんか何のその、喜んで食べてくれる。
万緑叢中紅一点のザクロの赤い花もいま盛りの季節。秋になると丸い手投げ弾のような形をした実がなる。硬い皮の中に透き通ったルビーのような小さな実がギッシリつまっている。こちらは甘くて渋みはないけれど、種がいっぱいで食べるのに苦労する。グレナディンジュースを作ったり、果実酒を作る人もいる。形が面白いので、机の上にでも転がしておいて楽しんだり、絵を描く人には良い画材になる。木にそのまま冬まで残しておけば、メジロやヒヨドリがご執心で通ってくる。
両方ともかなり原始的な植物で、実がよく成る。種の多いザクロなどは多産の象徴になっている。しかし、日本では品種改良はあまり取り組まれていない。商品価値がないのだろうか。渋みのないグミや種のないザクロを作ったところで、正体不明として退けられ、人気が出そうにない。美味しいものが身の回りにあふれている時代には、歓迎されそうにもない。贅沢なことだけれど、少し寂しい。
(2013年6月6日)