澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

熊本地震後に、悪質きわまる「ヘイト・ツィート」

熊本地震には驚いた。古語の「なゐ」は、「なゐ(大地)震る」が原義だそうだが、大地だけでなく人も震る。身も心も震える。被災地の方々は、さぞかし怖かったことだろう。心からお見舞いを申しあげたい。

5年前東北に起こったことも、昨日熊本に起こったことも、明日は日本中のどこにでも起こりうることだ。私は小心なので心底怖い。原発などを作ろうという人たちの神経が理解しかねる。再稼働を容認する社会の空気も恐ろしい。

地震に続いて、さらに怖いことが起こっているという。岩上安身さんから、こんなメールがはいった。

「今回の熊本での地震を受け、一部のネット上で関東大震災の虐殺事件を彷彿とさせるようなヘイトスピーチやデマが流されています。十分にご注意ください。警察は対応を。以下、ご参照ください。
  https://twitter.com/IWJ_sokuhou/status/720607857314402306
このような行為はとても看過できないと思うのですが、ご意見を…」

検索すると次のような「ヘイトツィート」が、いくつも目にはいった。

熊本の朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだぞ
在日朝鮮人 が 熊本中の井戸 に 毒を入れて回っている というのは本当なのですか?
こいつらいつも井戸に毒流してんな
熊本で不逞朝鮮人が暴動を起こそうとしてるってマジ!?
朝鮮人が井戸に毒を投げ入れ回ってるようです!!!
熊本県民の皆さんは自警団を組織して自己防衛に努めてください!!!
朝鮮人かの区別には「がぎぐげご」と言わせてみればわかります!!! 
騒ぎに乗じるのはこっちの趣味ではないのだけど鮮人どもが騒ぎに乗じて悪事を行うからしょうがないよねぇ…、と私は思うのですよ。
こういう時に暴言はもちろん盗みとか嘘募金とかやる中国朝鮮人にご注意。

まさしく、現代の流言飛語はツイートが媒体となる見本。「軽いいたずら」と見過ごすことはできない。この愚かな差別表現を芽のうちに摘まなければならない。このような複数のつぶやきが繰り返されて累積するうちに、尾ひれがつきリアリティを獲得するものとなりかねない。罪の深いことこの上ない。

このようなネット上のヘイトスピーチは、人種差別撤廃条約第4条の「人種的優越又は憎悪に基づく思想の流布、人種差別の扇動」にあたるものというべきであろう。国際社会は、日本にもこれを処罰できる法制を整えるよう求めているのだ。このような差別的言論の蔓延は、厳格なヘイトスピーチ処罰法制定の立法事実となるだろう。

現在、このツィートの「犯人」を警察が強制捜査し、処罰する権限はない。しかし、明らかに社会の安全に反する「ヘイトデマ」に惑わされることのないよう「対応」すべきは行政警察の職務である。公共の安全と秩序を維持するために、警察は、悪質な「ヘイトデマ」を否定しその影響を解消すべく広報活動を徹底しなければならない。

朝日(デジタル)にも、「熊本地震のデマ、ネットで出回る 安易な拡散には注意を」という記事が出た。こちらは、「ツイッター上には熊本地震を巡り、『イオンモールが火事』といったデマも出回った。中には画像付きで『熊本の動物園からライオンが逃げ出した』という内容も。」という中身。

ところで、熊本地震後のヘイトツィートの恐ろしさは、関東大震災後の混乱の中で、流言飛語が多数の在日朝鮮人(中国人も含まれている)殺害の要因のひとつとなった事件を思い起こさせるからだ。1923年9月1日震災から始まる軍と警察と民衆とによる朝鮮人・中国人虐殺である。日本の民衆の多くが暴虐な加害者となった恥辱の記憶。

資料は夥しくあるが、吉村昭の「関東大震災」(文春文庫)と、姜徳相の「関東大震災」(中公新書)の両書がコンパクトで信頼できる。前者が客観性にすぐれ、後者が在日の立ち場から「死者の怨念が燃え立つような」情念を感じさせる。そして、2003年8月に日弁連が、「関東大震災人権救済申し立て事件調査報告書」を下記のとおりまとめている。
  http://www.azusawa.jp/shiryou/kantou-200309.html

私のブログも、やや長文の下記「震災時の朝鮮人虐殺から90年」を書いている。以下はその抜粋である。
  https://article9.jp/wordpress/?p=1102

朝鮮人虐殺の主体は、日本刀・木刀・竹槍・斧などで武装した自警団であった。仕込み杖、匕首、金棒、猟銃、拳銃の所持も報告されている。自警団とは日本の民衆そのものである。「彼ら」と客観視はしがたい。自警団をつくったのは「私たち」なのだ。その自警団は、朝鮮人を捜索し誰何して容赦なく暴力を加え殺害した。「武勇」を誇りさえした。その具体的な残虐行為の数々は判決にも残され、各書籍にも生々しい。姜徳相の書は、「単なる夜警ではなく、積極果敢な人殺し集団であったことまた争う余地がない」「天下晴れての人殺し」と言いきっている。さらに、「死体に対する名状しがたい陵辱も、忘れてはならない。特に女性に対する冒涜は筆舌に尽くしがたい」「『日本人であることをあのときほど恥辱に感じたことはない』との感想を残した目撃者がいる」と紹介している。

事後の内務省調査によれば、自警団は東京で1593、神奈川603、千葉366、群馬469など、関東一円では3689に達した。ひとつの自警団が数十人単位だが、中には数百人単位のものもあった。全体として、恐るべき規模と言わねばならない。

在日朝鮮人の被害者数はよく分からない。公的機関が調査を怠ったというだけでなく、調査の妨害までしたからである。一般に、その死者数は6000余と言いならわされている。上海在住の朝鮮独立運動家・金承学の、事件直後における決死的な各地調査の累計数が6415人に達しているからである。

当時、東京・神奈川だけで、ほぼ2万人の朝鮮人がいた。事件のあと、当局は、朝鮮人保護のためとして徹底した朝鮮人の「全員検束」を行った。この粗暴な検束の対象として確認された人数が関東一円で11000人である。少なくとも、9000人が姿を消している。これが、殺害された人数である可能性があるという。

一部犯罪者傾向のある少数者の偶発的犯罪ではない。恐るべき、一民族から他民族への集団虐殺というほかはない。なにゆえ3世代前の日本人(私たち)が、かくも朝鮮人に対して、残虐になり得たのだろうか。当時、「混乱に紛れて、朝鮮人が社会主義者と一緒に日本人を襲撃しに来る」「朝鮮人が井戸に毒を入れてまわっている」「爆弾を持ち歩き、放火を重ねている」などの、事実無根の流言飛語が伝播し、これを信じて逆上した自警団が、朝鮮人狩りに及んだとされている。ではなぜ、そのような流言が多くの人の心をとらえたのだろうか。

歴史的には、朝鮮併合が1910年、最大の独立運動である3・1事件が1919年である。3・1事件には、200万人を超える民衆が参加し、7500人の死者を出す大弾圧が行われた。関東大震災が発生した1923年は、多くの日本人にとって、朝鮮独立運動の記憶生々しい時期に当たる。「不逞鮮人の蜂起」「日本人への報復的加害」の流言飛語は、それなりのリアリティをもつものであった。

自警団の犯罪は、形ばかりにせよ検挙の対象となり、起訴され有罪判決となっている。各地で裁判を受けた被告人の職業別統計を見ると、ほとんどが「下層細民」に属する人々であるという。「おのれ自身搾取され、収奪された人々が、自分たちの受けた差別への鬱積した怒りの刃をよそ者に向けた」「これは、日本帝国主義が植民地を獲得したことの盲点であり、植民地制度によってさずけられた特権であった」「朝鮮人は、軽蔑し圧迫するに適当な集団と見られたのである」という同氏の指摘は重い。

いま、「朝鮮人は殺せ」などと、ヘイトスピーチを繰り返して恥じない集団がいる。おそらくは、彼らは90年前の「都市下層細民」にあたるのだろう。「おのれ自身搾取され、収奪された人々が、自分たちの受けた差別への鬱積した怒りの刃をよそ者に向けたい」「自分たちよりも、もう少し圧迫されている存在を見下して安心したい」心情なのだ。しかし、今やそんなことが許される時代ではない。もともと、「在日コリアンは、軽蔑し圧迫するに適当な集団」ではあり得ない。平等の人格をもつ人権主体であることを知らねばならない。

90年前の日本人(私たち)がした民族差別に基づく集団虐殺を、けっして忘れてはならない。日本人自身の震災被害の甚大さに埋没させ、隠してはならない。その事実を見つめ、そこから教訓を酌まなければ類似の事件が起きかねない。日韓・日朝の友好関係を築くことも困難になる。熊本地震後の混乱のヘイトスピーチ。今こそ、歴史の教訓に学んだ対応をしなければならない。
(2016年4月15日)

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