澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「ナンチャッテ大統領」(so-called President)の裁判官攻撃

権力は有用なものだが、同時にこの上なく危険なものでもある。権力の暴走を許さぬために、法の支配の大原則があり、権力の分立がある。

「法の支配」確立の歴史ににおいては、イングランドの法律家エドワード・コーク(コークは、クックとも表記される)の名が語られる。

暴政で名高い国王ジェームズ1世が王権神授説をもって国王主権の絶対を主張したのに対して、コークは「王権も法の下にある。王の判断が法律家の判断に優先することはない」と説いた。これを快しとしない王が「王である余が法の下にあるとの発言は反逆罪にあたる」と詰問したのに対し、コークは、次の法諺を引用して王を諫めたという。

「国王は、何人の下にもあるべきではない。しかし、国王といえども神と法の下にあるべきである。なぜなら、法が王を作るからである」

これが1606年のできこと。国王の権力と言えども法の下にあり、法律家の判断に従わざるを得ないとされたのは、400年も昔からのことなのだ。

なお、コークが引用した法諺は13世紀のローマ法学者ヘンリー・ブラクトンの言とのことである。つまり、国王も法に従うべきとする思想は、800年も前に遡ることになるのだ。

さて、問題は21世紀の「so-called President」ドナルド・トランプである。「so-called President」の適訳は、「ナンチャッテ大統領」あるいは「大統領もどき」ということになろう。その彼に権力を与えたのはアメリカ合衆国憲法なのだから、これに逆らうのは背理である。その憲法の解釈の権限は裁判所が担っている。コークの言葉を借りれば、「大統領も法の下にある。大統領の判断が裁判官の判断に優先することはない」のだ。

アメリカ合衆国憲法に限らず、近代憲法は法の支配という大原則のもと、立法府と、法の執行機関と、法のチェック機構である司法との三権が分立している。大統領は、連邦議会がつくった法に縛られ、司法のチェックには服さなければならない。当然のことだ。

トランプなる「ナンチャッテ大統領」は、このことがお分かりでないようだ。もしかしたら、分からないふりをしているのかも知れないし、分かりたくないのかも知れない。中東・アフリカ7カ国の国民の入国を一時禁止した米大統領令をめぐる裁判の仮処分事件で、敗訴となるやワシントン連邦地裁の裁判官に毒づいた。

曰く、「法の執行をこの国から根本的に取り上げる、いわゆる裁判官のこの意見はばかげている。覆されるだろう!」。あるいは、「入国禁止令は裁判官によって解除されたので、多くの非常に悪い危険な人々が私たちの国に押し寄せるかもしれない。ひどい決定だ」。

さらに、昨日(2月9日)には、連邦第9控訴裁判所(カリフォルニア州・サンフランシスコ)で敗訴を重ねると、往生際悪く「法廷で会おう。我が国の安全保障が危機にひんしている!」とツィートで発信した。米メディアによると、「政治的な決定だ。我々はこの法廷案件に勝利する」とも語っている。

もとより、裁判所も権力の一部である。その判決を批判することは、国民の権利でもあり責務と言ってもよい。しかし、権力の他の機構、とりわけ行政府がこのようなかたちで、司法に圧力をかけてはならない。飽くまでも、裁判官は他の権力機構から独立して、法と良心に従っての判断が保障されなければならない。「ナンチャッテ大統領」が裁判所に圧力をかけることは許されないのだ。

こんな人物をそのまま大統領職におくことは、米国民の恥ではないか。また、こんな人物に、喜々として参勤交替する日本の首相も情けない。ジェームズ1世は自らの王権の正統性を神から授けられたものと主張した。さすがに、「ナンチャッテ大統領」も400年前の言葉を繰りかえしはしない。代わっての説明が選挙の勝利である。人民の意思にもとづく権力の万能を信じている如くである。

彼は、こう言いたいのだ。「選挙に勝利を収めた以上は、私の言こそ人民の意思」「大統領である私が、法の下にあるとは民主主義に反する」「私に逆らう裁判官は人民の意思に逆らっているのだ」。

これこそ、法の支配の大原則を枉げ、権力を集中し、独裁者として権力の暴走をたくらむ権力者の許されぬたわごとである。こういう、専制君主並みの暴君で、無知蒙昧な人物を「ナンチャッテ大統領」あるいは「大統領もどき」というのだ。

一方、大統領令の無効を求める訴えの原告となったワシントン州のファーガソン司法長官は意気軒昂。9日の記者会見で「この国は法律の国で、大統領を含めてみな法律に従わなければならない」と語ったと報じられている。このたびは、彼が立憲主義を代表する栄えある立役者になった。

愚かでお騒がせな「ナンチャッテ大統領」を選んだのもアメリカ。三権分立と司法の独立を貫徹したのもアメリカ。日本の司法もアメリカ並みに政権に毅然としてもらいたいもの。いずれにせよ、アメリカは奥が深い。
(2017年2月10日)

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Published in 金曜日, 2月 10th, 2017, at 23:47, and filed under アメリカ, 立憲主義.

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