橋下徹の対岩上安身(IWJ代表)提訴はスラップである。
東本高志さんが主宰するBlog「みずき」は、私の目につく範囲では、ブログ文化のひとつの到達点を示すものといえよう。掲載される写真は美しい。引用される記事の浩瀚さには驚くばかり。論説の姿勢の一貫性も立派なものだ。気付かなかった視点の指摘に膝を打つことも多々ある。よくぞ一人で、ここまでできるものと感心せざるを得ない。
しかし、ものごとの断定に過ぎるところがあって、それが一面では歯切れ良さの魅力にもなり、他方危うさを禁じえない。共産党や沖縄県政への批判には、耳を傾けるべきところがあろうとは思うが、過ぎたる辟易感を否めない。
もとより、バランスに気を使った発言などは面白くない。味方の批判は控えろと言論を封じ込めてはならない。そのとおりだとは思うのだが、ときに一言したくなることがある。
同ブログには、「憲法日記」の記事を取り上げていただいたことが何度かある。多くは肯定的に引用していただきありがたく思っている。そしてもちろん、幾たびかは厳しい批判もいただいている。それが必ずしも的はずれではないから、反論など考えもしなかった。
しかし、一昨日(1月28日)付の記事【山中人間話】欄に、「岩上安身(IWJ代表)のツイッターのリツイートが元維新の会代表で元大阪府知事の橋下徹から提訴されたのはスラップ訴訟ではありません。岩上安身のリツイートがデマだったからです――澤藤統一郎の憲法日記『スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける』」が掲載されている。これは見過ごせない。
Blog「みずき」の断定に過ぎた側面が出てしまったと思うのだが、岩上さんと私の言論の信頼性(名誉というほど大袈裟なものではないが)にも関わることであり、橋下徹免責の内容でもあるので、一言せざるを得ない。
最初に関係する記事のURLを上げておく。
Blog「みずき」:2018.01.28 今日の言葉
http://mizukith.blog91.fc2.com/page-0.html
東本高志フェイスブック1月26日 4:15
https://www.facebook.com/takashi.higashimoto.1/posts/1247612708702487
橋下徹氏に訴えられた岩上安身氏が会見?弁護士ドットコム 2018年01月22日
https://www.bengo4.com/internet/n_7312/
スラップ被害者に「同憂相救う」の連帯を呼びかける。― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第117弾「憲法日記」
https://article9.jp/wordpress/?p=9812
「みずき」の当該ブログ記事は、1月26日付フェイスブックの引用である。その主要な点は下記のとおり。
「岩上安身(IWJ代表)のツイッターのリツイートが元維新の会代表で元大阪府知事の橋下徹から提訴されたのはスラップ訴訟ではありません。岩上安身のリツイートがデマだったからです。自身に対するデマを名誉毀損として訴えるのは橋下であろうと誰であろうと当然のことです。それとも橋下のような右翼集団のボスにはデマを名誉毀損として訴える権利などないとでも言いたいのでしょうか? 澤藤統一郎弁護士の今回の岩上安身擁護の弁論は筋違いも甚だしいと私は思います。
『デマゴーグやヘイトスピーチに言論という同じ土俵でやり取りすべきではないので、今回橋下は正しい』(常岡浩介Twitter 2018年1月22日)
『自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も「ノーコメント」。そりゃ、デマだからだよ。RTがそれだけで名誉毀損に当たる可能性があることは判例で明言。弁護士ドットコムがこんなに突き放した記事書いてるのは初めてみた』(同上)
私は常岡さんの見解に同意し、澤藤さんの見解には反対するものです。」
キモは以下の2行だ。
「自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も『ノーコメント』。そりゃ、デマだからだよ。」
ジャーナリスト常岡浩介は、このように岩上RTの内容をデマと断定し、ブロガー東本もこれに賛同した。「デマへの訴訟。これをスラップとは言わない」との結論となった。
岩上側の1月22日記者会見が、RT内容をデマとする世人の思い込みを誘発し、その名誉毀損性肯定見解蔓延となったことが残念でならない。その直後に、原告橋下自身が提訴の対象としたRTの内容を、「僕が府の幹部を自殺に追い込んだという虚偽事実」と明らかにしている。実は、「僕が府の幹部を自殺に追い込んだ」という表現が果たしてデマといえるのか、ここが真の問題なのだ。
被告岩上側には大阪中心に弁護団ができると聞いている。いずれ、その弁護団の方針が明らかにされるだろうが、「知事である橋下が、大阪府の幹部職員を自殺に追い込んだ」というRTが表現の自由の保障を受けるべきものであることに関して、攻勢的に徹底して争われることになるに違いない。
すべての情報伝達命題は、「事実摘示」部分と、その事実を基礎とした「意見・論評」の部分とから構成されている。「橋下が府の幹部を自殺に追い込んだ」という命題においては、
(1) 「橋下の府幹部に対するハラスメント行為があった」
(2) 「その幹部が自殺した」
(3) 「自殺は橋下のハラスメントよって、追い込まれたものである」
という3構成要素から成り立っており、(1)と(2)とは、直接間接の証拠によって挙証の対象となる「事実の摘示」である。これに対して、(3)は、(1)と(2)を結ぶ因果関係の存在という推論的判断で、それ自体が直接の立証対象となるものではない。
この因果関係推論は、「意見・論評」の範疇として表現の自由が高度に保障されなければならない。とりわけ、府知事という権力者における部下に対する加害という批判の言論においては、最高度の尊重が要求される。
「自ら会見しておきながら、RTした元ツイートの内容も、RTを取り消した理由も『ノーコメント』。そりゃ、デマだからだよ。」は、前記(1)と(2)を否定して初めて口にすることができることになる。
この訴訟では、あらためて橋下の在職中のパワハラについての事実や、職員の受難の事実が総点検され挙証されることになるだろう。せっかく橋下自身が作った舞台だ。和解したり、取り下げに同意したりせず、徹底して有効に活用しない手はない。そのうえで、「公的立場にある(あった)人物の、自己への批判の言論に対する不寛容」という問題として裁判所だけでなく、世論にも強く訴えるべきだろう。
そのような構造を持つこの訴訟は、自分への批判嫌忌を動機とするスラップなのだ。この訴訟が原告橋下の敗訴で終わるとき、そのことが証明されることになるだろう。
(2018年1月30日)