澤藤統一郎の憲法日記

改憲への危機感から毎日書き続けています

プーチン・ロシア政権の強権体質に見えてきたほころび

(2022年5月31日)
 一昨日(5月29日)の東京新聞第4面に「ロシア地方議員 侵攻批判」「極東の沿岸『孤児増え、若者死ぬ』」という囲み記事。また、昨日(5月30日)の毎日に、内容をふくらませた続報。いずれも、現地紙の報道をニュースソースとしている。

 小さな記事だが、これは注目に値するニュース。プーチン政権のウクライナ侵攻に、議会で公然たる批判の声が上がっているのだ。この批判の声には支持者のグループがある。当然に、氷山の一角と見なければならない。表面化せずに水面下に沈潜した批判のマグマは巨大なものでありうる。このただならぬ事態を政権は封じ込めることができるだろうか。

 記事の大要は以下のとおりである。

 「ロシア極東の沿海地方議会で27日、プーチン政権の『体制内野党』とやゆされてきた共産党のワシュケービッチ議員が、特別軍事作戦と称するウクライナ侵攻を批判する一幕があった。政界から非戦の訴えが上がるのは異例だが、議員らはその場で議場から退場させられた。独立系メディア『メドゥーザ』などが伝えた。
 ワシュケービッチ氏は、議案審議中に突然、プーチン大統領に宛てたという声明を読み上げ『作戦をやめなければ、孤児が増える。国に貢献できたはずの若者たちが死んだり、障害を負ったりした。軍の即時撤退を要求する』と述べた。
 同地方のコジェミャコ知事はこの発言に怒り、議会側との申し合わせの上、ワシュケービッチ氏と賛同の拍手をしたとみられる議員を退場させた。」

 「沿海地方州(の議会)」が、固有名詞なのか普通名詞なのかよく分からない。しかし、とある地方議会で、「体制内野党と揶揄されてきた野党・共産党」の議員が公然と反戦・反プーチン演説をしたことだけはよく分かる。しかも、議員1人の行為ではない。「ANNニュース」は、「共産党の議員ら3人が連名で」と報道している。

 毎日新聞は、「野党・共産党のワシュケービッチ議員は軍の即時撤収を呼びかけるプーチン大統領宛ての声明文を読み上げ、これに対し、政権与党『統一ロシア』に所属するコジェミャコ知事は『ナチズムと戦うロシア軍の名誉を傷つける。裏切り者だ』と非難。知事の要求に応じ、議会はワシュケービッチ氏と賛同した議員の発言権を奪う議案を可決した」と報じている。

 プーチン政権を支える与党は、「統一ロシア」で、ロシア共産党はプーチン政権の『体制内野党』と揶揄されてきた少数野党なのだ。

 ロシアは複数政党制で多数の政党があるというが、ロシア連邦議会ロシア連邦議会の国家院(下院)に議席をもつ主要政党は6党だという。
 2021年9月、5年に一度の選挙の結果、定数450のうち、与党「統一ロシア」が324、野党「ロシア連邦共産党」57、「公正ロシア」27、「ロシア自由民主党」21という議席配分、これに「市民プラットフォーム」「政党エル・デー・ペー・エル」が続いている。イデオロギー的には、極左から極右まで、ロシア連邦共産党公正ロシア祖国統一ロシア市民プラットフォーム政党エル・デー・ペー・エルの順に並ぶとされるが、何が右で何が左か、さっぱり分からない。

 いずれにせよ、ロシアにも議会があり、野党があるのだ。ロシア共産党はけっして取るに足りない存在ではない。2021年ロシア下院選挙では得票率21.7%だったという。地方議会の共産党3議員の反乱は、もしかしたら燎原の火となるかも知れない。

 なお、このニュースを報じる毎日が、併せて「ロシア南部の軍事裁判所は従軍を拒否して除隊処分となった兵士らによる異議申し立てを棄却した。ロシア国内で軍事侵攻に賛同しない声や動きが相次いで露呈している」と記事にしている。 〈ウクライナへの従軍を拒否して除隊処分となる兵士ら〉がいるのだ。しかも、果敢に異議申し立てまでしている。それが、ニュースになって民衆の耳目を集めてもいるのだ。 ロシアのあちこちに、少しずつだが、破綻が見えてきているといえるだろう。

歌壇に見る非戦の訴え

(2022年5月30日)
 ロシアのウクライナ侵攻以来、各紙の歌壇に戦争を詠う歌が取りあげられている。戦争の悲惨さや理不尽を、我が国の戦争を思い起こす形で詠うものが多い。いかなる戦争も他人事ではないのだ。昨日(5月29日)の「朝日歌壇」。永田和宏選の冒頭3首が、そのような歌として胸に響く。

 軍隊は軍隊をしか守らない交戦国のどちら側でも
 (東京都)十亀弘史

 軍隊は何を守ために存在するのか。国民を守ることがタテマエだが、実はそうではない。いざというときには、住民を見捨てる。のみならず、住民を殺害さえする。誰のために? 結局は軍隊を守るために。そして、「大の虫を生かすためには、小の虫を殺すのもやむを得ない」とうそぶくのだ。我々は、これを沖縄戦での32軍の蛮行として、また終戦時の関東軍の卑劣な逃避行として記憶してきた。あたかも、皇軍だけの特殊事情のごとくに。しかし、この歌は「交戦国のどちら側でも」と、戦争と軍隊の本質を言い当てている。
 ウクライナへの侵略戦争で、負傷して歩けないと口にしたロシア兵が、足手まといとして上官から射殺されたという。「軍隊は軍隊をしか守らない」とは、闘う能力を喪失した味方の兵士をも守らないのだ。この非情さが戦争の本質なのだ。戦争をしてはならない。軍隊を肥大化させてはならない。

 戦争で兵の生死は数値だけ戦死になるか戦果になるか
 (筑紫野市)二宮正博

 あらためて言うまでもなく、兵とてかけがえのない「人」である。その人の生死が数だけに置き換えられる。そして、その数は「戦死になるか戦果になるか」なのだ。自軍には「戦死者数」として報告されるが、相手国では「戦果」とされてその死が喜ばれる。決して悼まれることはない。
 殺人は忌むべき人非人の行為である。通常殺人者は唾棄すべき人物として糾弾される。殺人の被害者は、その非業の死を悼まれる。ところが、戦争ではそうではない。相手国の戦死は「戦果」となり、「戦果」を挙げた自国の殺人者は殊勲者となる。こんな人倫に反する戦争をしてはならない。軍隊を肥大化させてはならない。

 顔も無く名も無くきょうの数となるコロナ禍の死者ウクライナの死者
 (所沢市)風谷螢

 コロナ禍の死者については措く。「ウクライナの死者」についての無意味さと、それ故の哀惜の情が伝わってくる。戦争では、兵士も民間人も「顔も無く名も無」いままに死者となる。その多様であつた生は切り捨てられ、与えられた無機質な死が数として数えられるのみ。戦争の大義も兵や市民の勇敢も語られず、敵と味方の区別さえない「数となった死」のむなしさ。こんな悲劇をもたらす戦争をしてはならない。軍隊を肥大化させてはならない。

馬場あき子選の歌5首は以下のとおり。

 はなっから話し合う気は無いみたいプーチンの卓あのディスタンス
 (岡山市)曽根ゆうこ

 追放の大使館員ら発ちて行く一人一人に罪は無けれど
 (一宮市)園部洋子

 ハエ一匹通さぬやうに封鎖せよと地下には母子あまた集ふを
 (小松市)沢野唯志

 ロシアとの漁業協定成りし夕銀鮭ふた切れこんがり焼ける
 (久慈市)三船武子

 朝日歌壇に反戦詠みし女性たち皆「子」が付く名戦争を知る子
 (春日部市)酒井紀久子

佐々木幸綱選3首。

 「高齢者、地方在住、低所得」プーチン支持層嗤えぬ私
 (中津市)瀬口美子

 軍隊は軍隊をしか守らない交戦国のどちら側でも
 (東京都)十亀弘史

 荒廃の街に天指す教会の十字架かなし戦車横切る
 (春日井市)吉田恵津子

高野公彦選4首。

 ゼレンスキー大統領がネクタイを締める日の来よ 良きことのあれ
 (鳥取県)表いさお

 地下鉄のエスカレーターくだりつつ深さ確かむシェルターとして
 (名古屋市)植田和子

 青と黄に塗り替えられた琴電が讃岐平野の麦畑行く
 
(高松市)伊藤実優

 パーキンソンに悩むプーチンか振顫をかくさむとして机をつかむ
 
(西之表市)島田紘一

 なるほど、歌には言霊が宿っている。人の心に訴える力をもっている。

「習総書記を安心させろ」は、「大御心を安んじ奉れ」に瓜二つではないか。

(2022年5月29日)
 注目の毎日新聞「新疆公安ファイル」報道。連載好調である。流出されたファイルの紹介だけでなく充実した関連取材にも期待したい。

 連日の報道に目を離せないが、私が最も興味深く読んだのは、「習氏の命令に忠実」「『全面的な安定』実現に発破」と表題された以下の記事。抜粋して、引用する。

「(敵対勢力やテロ分子には)断固として対応し、壊滅的な打撃を与えよ。情け容赦は無用だ」
 2017年5月28日。ラマダンの3日目だった。新疆ウイグル自治区トップの陳全国党書記(当時)は、自治区の「安定維持司令部」の会議でイスラム教徒の信仰心が高まるラマダン中の国内外の動静に警戒を求めた。

 習近平指導部はテロ対策の名目で、ウイグル族らへの抑圧を強めてきた。特に14年に区都ウルムチの鉄道駅で発生した爆発事件を切っ掛けに、強力な抑え込みにかじを切り、新疆を中心に暴力テロ活動を取り締まり、特別行動を始めた。

 「捕らえるべきものを全て捕らえるのだ」。演説で陳氏は当局が疑わしいと見る全員を拘束するよう要求。特に外国からの帰国者は手錠や覆面などをかけて「片っ端から捕らえるのだ」と指示している。

 国営新華社通信によると、共産党は同年末、党委書記を陳氏から元広東省長徴の馬興瑞氏に交代させた。馬氏が陳氏の路線を引き継ぐかは不明だ。ただ、陳氏は18年の演説でこう話している。「(分裂勢力は締め付けがしばらくすれば弛むと考えているが)『黃梁の夢』(はかない夢)だ。5年で基本的な安定を達成したとしても、次の5年も厳しい取り締まりを続ける」。そして演説をこう締めくくっていた。「(習)総書記を安心させろ」

 この最後の「総書記を安心させろ」という言葉が、私の心の中に異物として突き刺さるのだ。どうして、「人民の安全のために」ではなく、「総書記を安心させろ」なのだろうか。どうして、こんな言葉で人が動くのだろうか。そして、この言葉はどこかで聞いたことがある、暗い記憶を呼び起こす。

 この記事、戦前の内務大臣の暴支膺懲訓示に大差ない。「敵対勢力」や「テロ分子」は、「不逞鮮人」「支那人」そして「非国民」に置き換えて読むことができる。むろん、「総書記を安心させろ」は、もったいぶった「陛下の大御心を安んじ奉れ」ということになる。

 近代以後の日本の権威主義は、天皇の権威を源泉とする。天皇の権威は、天皇を頂点とするヒエラルヒーを下位に向かって順次降下する。上位は天皇の権威を背負うことで下位に絶対の服従を求めた。かくして、この社会には小さな権力を振るう小天皇が乱立した。だからこそ、「上官の命令は天皇の命令と心得よ」が成立し得たのだ。

 だから、為政者にとっての天皇の権威というものは、この上なく使い勝手のよい便利な統治の道具なのだ。この権威主義は、自立した個人が権力を形成し監視する民主主義とは相容れない。日本の民主主義の成熟は、我が国にはびこる「天皇制=権威主義」の残滓を払拭せずにはあり得ない。

 今、中国は天皇制の代わりに共産党を、天皇に換えて習近平を据えたという感を否めない。ウイグルトップの陳全国は、習近平の権威を笠に着て、その部下に「習総書記を安心させろ」と言ったのだ。かつて、天皇制権力が臣民の徹底統治に成功したように、習近平中国も14億人民を、その権威をもって統治しようとしている如くである。社会主義とはまったく無縁で、野蛮な権威主義統治体制というほかはない。 

細田博之・セクハラ疑惑報道に対するスラップの構造 ー 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第200弾

(2022年5月28日)
一昨日(5月26日)発売の「週刊文春」の広告に、「『うちに来て』 細田衆院議長の嘘を暴く 『セクハラ記録』」なる記事。

 続けて、▶女性記者たちの告発「2人きりで会いたい」「愛してる」▶党女性職員が周囲に嘆いた「お尻を触られた」▶最も狙われた女性記者が漏らした「文春はほぼ正しい」▶カードゲーム仲間人妻の告白「抱きしめたいと言われ…」と、衆議院議長を務める78歳氏に関わる報道としては穏やかではない。

 文春オンラインによれば、「『全く事実と違います』。先週号の“セクハラ報道”に対し、議運の場でそう述べた細田博之議長。だが、小誌に届いたのは、三権の長に対する女性記者たちからの相次ぐ告発だった。そして、細田氏の発言を覆す物証が―。」

 さて、注目の細田博之衆院議長、準備よろしく週刊文春発売当日の26日午前中に、抗議文を発表した。「セクハラ」報道を改めて否定し「すでに事実無根として強く抗議したところだが、同趣旨の記事が掲載されていることに強く抗議する」というもの。それだけでなく、「通常国会の閉会後、弁護士と協議し、訴訟も視野に検討する」という。「提訴するぞ」ではなく、「訴訟も視野に検討する」という、いささか腰の引けた表現だが、訴訟の検討を口にした。

 細田に真実提訴の意向があるか否かは判断しがたい。取りあえずは、「事実無根」のポーズを取りつつ、逃げの時間を稼ぐための「訴訟も検討」は、この種事案での常套手段なのだから。

 とは言え、細田が事実無根報道の被害者であることを否定はできず、提訴発言はブラフだと決めつけることもできない。

 仮に、細田が文藝春秋社を被告とする名誉毀損損害賠償請求訴訟を提起したとすれば、最も単純で基本的な構造の名誉毀損訴訟になる。その訴訟は、以下のように進行する。

 まずは、原告(細田)が週刊文春記事のうちの名誉毀損記述を特定する。この典型的な事実摘示型の名誉毀損記述が、原告(細田)の社会的評価を低下させるものであることは自明と言ってよい。つまりは、疑いなく名誉毀損言論に当たるのだ。

 次に、被告(文春)において、違法性阻却要件を主張することになる。よく知られたとおり、公共性・公益性・真実性である。政治家の不行跡報道が、公共性・公益性に欠けることはあり得ない。残る問題は「真実性」立証の成否のみとなる。「女性記者たちの各告発事実が真実であるか」をめぐる証拠調べが審理の焦点となる。

 なお、「真実性」は「相当性」(文春側で各名誉毀損事実を真実と信じたことについての相当な事情)でもよい。そのばあいは、損害賠償請求の要件である、故意または過失がないとして、不法行為は成立せず、原告の請求は棄却される。

 問題はそれに終わらない。この細田の対文春提訴はそれ自体が、不当なスラップとして違法となり得る。その理由は以下のとおりである。

 民事訴訟とは、正当な自分の権利や利益を救済するための制度である。ところが、そのような民事訴訟法本来の趣旨からは明らかに逸脱した提訴がある。被告に応訴の負担をかけることで言論を妨害しようとするものが典型で、このような場合は、提訴自体が違法行為となり、提訴者において損害賠償の責めを負わねばならない。

  どのような場合に、提訴が違法になるか。1988(昭和63)年1月26日 最高裁判所第三小法廷判決は、このように定式化している。

 「訴えの提起は、提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法な行為となる」

 これを本件に当て嵌めてみれば、次のとおりである。

「細田博之の文春に対する訴えの提起は、
(A)提訴者である細田が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、
(B1)細田がそのことを知りながら、又は
(B2)通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、
裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合は、文春に対する違法な行為となる。」

 この(A+B(1or2))の充足が、スラップ違法の方程式。本件では、客観的要件である(A)も、 主観的要件である (B1)も、事前に細田にはよく分かっていること。

 結局のところ、「2人きりで会いたい」「愛してる」「お尻を触られた」「文春はほぼ正しい」「抱きしめたいと言われ…」云々の記事が真実であれば、原告細田の名誉毀損損害賠償請求訴訟が敗訴となるだけでなく、その提訴自体が違法となって反対に損害賠償債務を負担することになる。

 ちょうど、DHC・吉田嘉明が私を名誉毀損で訴えて6000万円を請求してゼロ敗しただけでなく、その提訴が違法なスラップとして165万円の損害賠償を命じられたように、である。 

「昭和天皇の肖像燃やすシーン」は、公権力介入の根拠とならない。

(2022年5月27日)
 一昨日(5月25日)、名古屋地裁での「『あいトレ』未払い費用請求訴訟」の判決言い渡し。その報道の見出しを、産経は「昭和天皇の肖像燃やすシーン『憎悪や侮辱の表明ではない』 名古屋地裁」とした。『昭和天皇の肖像燃やす』にこだわり続けているのだ。

 わが国における「表現の自由」の現状を雄弁に物語ったのが「あいちトリエンナーレ2019」事件である。公権力と右翼暴力とのコラボが、「表現の自由」を極端なまでに抑圧している構造を曝け出した。そして、その基底には、「表現の自由」の抑圧に加担する権威主義の蔓延がある。この社会は権威を批判する表現に非寛容なのだ。

 日本の「世界報道自由度ランキング」は71位だという。いわゆる先進国陣営ではダントツの最下位。もちろん、台湾(38位)・韓国(43位)にははるかに及ばない。69位ケニア、70位ハイチ、72位キルギス、73位セネガル、76位ネパールなどに挟まれた位置。あいトレ問題の経緯を見ていると、71位はさもありなんと納得せざるを得ない。

 報道にしても、芸術にしても、その自由とは権力や権威の嫌う内容のものを発表できることにある。今回の「昭和天皇の肖像燃やすシーン」こそは芸術の多様性を象徴する表現行為である。これは、特定の人々の人権侵害や差別の表現行為ではない。社会の権威に挑戦するこのような表現こそが自由でなければならない。

 ポピュリズム政治家と右翼政治勢力にとっては、「とんでもない」表現なのだろうが、表現の自由とは「とんでもない」表現への権力的介入を許さないということなのだ。

 河村たかし名古屋市長は、「市民らに嫌悪を催させ、違法性が明らかな作品の展示を公金で援助することは許されない」と主張したが、判決は「芸術は鑑賞者に不快感や嫌悪を生じさせるのもやむを得ない」と判断。作品の違法性を否定して市の主張を退けた(朝日)、と報じられている。

 この判決については、毎日新聞の報道が詳細で行き届いている。

 「愛知県で2019年に開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」を巡り、同県の大村秀章知事が会長を務める実行委員会が、名古屋市に未払いの負担金支払いを求めた訴訟の判決が25日、名古屋地裁であり、岩井直幸裁判長は請求通り約3380万円の支払いを命じた。

 同芸術祭の企画展「表現の不自由展・その後」で、昭和天皇の肖像を燃やすシーンがある映像作品や従軍慰安婦を象徴する少女像を展示したことを、名古屋市の河村たかし市長が、「政治的中立性を著しく害する作品を含む内容・詳細が全く(市側に)告知されていなかった」などと問題視。一部負担金の不払いを決めたため、実行委員会が支払いを求めて20年5月に提訴していた。

 判決で岩井裁判長は、作品の政治的中立性について、「芸術活動は多様な解釈が可能で、時には斬新な手法を用いる。違法であると軽々しく断定できない」と指摘。映像作品については、「天皇に対する憎悪や侮辱の念を表明することのみを目的とした作品とは言いがたい」とし、少女像も含めて、「作品内容に鑑みれば、ハラスメントとも言うべき作品であるとか、違法なものであるとかまで断定できない」と判断した。

 訴訟では、河村市長自身が証人として出廷。「政治的に偏った作品の展示が公共事業として適正なのか。問題は公金の使い道であり、表現の自由ではない」などと意見陳述していた。」

 判決後、河村市長は「とんでもない判決で司法への信頼が著しく揺らいだ。控訴しないことはあり得ない」と言っているそうだ。この人の辞書には、反省の2文字がないのだ。

 河村のホンネとして、「天皇バッシングは怪しからん」と騒げば票につながるだろうとの思惑が透けて見える。この河村の姿勢は、果たして名古屋市民を舐め切っているのだろうか。それとも彼の読みは当たっているのだろうか。

 いずれにせよ、河村の判断ミスによって、払わずに済むはずの遅延損害金や応訴費用が、名古屋市民の負担となっている。控訴すれば、更に無駄な出費は加算されることになる。潔く一審判決に従うべきが名古屋市民の利益であり、民主主義の利益にもなる。

衝撃!ー ウイグルでの赤裸々な人権弾圧の実態

(2022年5月26日)
 昨日の毎日新聞朝刊のトップに、「逃げる者は射殺せよ」というおどろおどろしい横見出し。そして、主見出しは「ウイグル公安文書流出」。これは、衝撃的な記事だ。野蛮な中国共産党専制支配によるウイグルでの赤裸々な人権弾圧の実態。全世界の人々が、この記事を読むべきであり、権力と人権との緊張関係についての教訓を汲み取らねばならない。

 そして「内政干渉だ」「フェイクだ」「反中勢力の謀略だ」などという弁明を容れることなく、「人権擁護は人類共通の課題だ」との姿勢を貫いて中国批判の声を上げ続けなければならない。
 https://mainichi.jp/xinjiangpolicefiles/

 この記事のリードは以下のとおり、中国のウイグル族「再教育施設」内部資料が流出したというもの。その流出資料の量と内容が半端なものではない。そして、内容の信憑性は限りなく高い。このリードはけっして誇張ではなく、この記事の全体を真実と前提しての議論に憚るところはない。

 「中国新疆ウイグル自治区で少数民族のウイグル族らが「再教育施設」などに多数収容されている問題で、中国共産党幹部の発言記録や、収容施設の内部写真、2万人分以上の収容者リストなど、数万件の内部資料が流出した。「(当局に)挑む者がいればまず射殺せよ」などと指示する2018年当時の幹部の発言や資料からは、イスラム教を信仰するウイグル族らを広く脅威とみなし、習近平総書記(国家主席)の下、徹底して国家の安定維持を図る共産党の姿が浮かぶ。」

 毎日の記事では、まずこの資料の信憑性が語られている。

 「今回の資料は、過去にも流出資料の検証をしている在米ドイツ人研究者、エイドリアン・ゼンツ博士が入手した。毎日新聞を含む世界の14のメディアがゼンツ氏から「新疆公安ファイル」として事前に入手し、内容を検証。取材も合わせ、同時公開することになった。」

 世界の14のメディアとは、以下のとおり、信頼に足りる世界のビッグネームである。およそ、フェイクとも、偏向とも無縁と言ってよい。
 BBC News(英)▽ICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)▽USA TODAY(米)▽Finnish Broadcasting Company YLE(フィンランド)▽DER SPIEGEL(独)▽Le Monde(仏)▽EL PAIS(スペイン)▽Politiken(デンマーク)▽Bayerischer Rundfunk/ARD(独)▽NHK WORLD-JAPAN(日本)▽Dagens Nyheter(スウェーデン)▽Aftenposten(ノルウェー)▽L’Espresso(イタリア)▽毎日新聞

 「14のメディアは、収容者リストに載っている人の家族への取材や流出写真の撮影情報の確認、衛星写真との比較、専門家への鑑定依頼などを行った。毎日新聞は検証で確認された情報の信ぴょう性と社会的意義から報道する価値があると判断した」「流出文書を検証した14のメディアは、事前に内容について共同で中国外務省にコメントを求めたが、直接回答はなかった」

 本文の内容は厖大で、とうてい全体を紹介しきれない。そのごく一部を引用する。

 「流出した内部文書は、ウイグル族など少数民族の収容政策を厳しく推進した新疆ウイグル自治区トップの陳全国・中国共産党委員会書記(当時)ら発言記録や、収容施設の管理マニュアル、不審人物がいないか調べた報告書など多岐にわたる。」

 幹部の発言記録は、公安部門トップの趙克志・国務委員兼公安相や自治区トップの陳全国・党委書記(当時)らが会議で行った演説。
 収容政策で重要な役割を果たした陳氏は17年5月28日の演説で、国内外の「敵対勢力」や「テロ分子」に警戒するよう求め、海外からの帰国者は片っ端から拘束しろと指示していた。「数歩でも逃げれば射殺せよ」とも命じた。

 また、18年6月18日の演説では、逃走など収容施設での不測の事態を「絶対に」防げと指示し、少しでも不審な動きをすれば「発砲しろ」と命令。習氏を引用する形で「わずかな領土でも中国から分裂させることは絶対に許さない」と述べ、「習総書記を核心とする党中央を安心させよ」と発破を掛けていた。

 内部の写真が流出したのは、自治区西部イリ・カザフ自治州テケス県の「テケス看守所(拘置所)」とされる収容施設。手錠や足かせ、覆面をつけられ連れ出された収容者が、「虎の椅子」と呼ばれる身動きができなくなる椅子で尋問を受けている。また、銃を持つ武装警察らが制圧訓練をしているとみられる写真や、収容者が注射のようなものを受けている写真もある。
 これらは、中国当局が過激思想を取り除くためなどとして運用した「再教育施設」の元収容者が証言した内容とも一致した。

 収容者のリストには、身分証番号や収容の理由、施設名などが記されている。主に自治区南部カシュガル地区シュフ県在住のウイグル族など少数民族のもので、ゼンツ氏は、数千人分を含む452枚のリストを検証。17〜18年の時点で、シュフ県の少数民族の成人のうち12・1%(2万2376人)以上が「再教育施設」、刑務所、拘置所に何らかの形で収容されていると推計した。別に警察署などで撮影された収容者約2800人の顔写真も流出した。驚くべきは、「新疆南部では過激な宗教思想の浸透が深刻なグループが200万人以上いる」といった趙克志・国務委員兼公安相の発言。 これまで、「再教育施設」の規模は「100万人を超える」と言われてきたが、この推測に根拠を与えるものとなった。

 2017年5月28日、陳全国(新疆ウイグル自治区トップ)党委書記の「安定維持司令部」会議での演説の中で、下記のとおり発言しているという。

 「苦難を恐れず、疲労を恐れず、犠牲を恐れぬ精神でそれぞれの責任を果たせ。特に神経をとがらせているのは海外からの帰国者の動向だ。片っ端から捕らえ、手錠や覆面をつけ、必要なら足かせもしろ」と指示。「逃げるものは射殺しろ」とまで言い切っている。

 ウィグル人権弾圧問題をめぐっては、国連のバチェレ人権高等弁務官(元チリ大統領)が今月23日から6日間の日程で中国を訪問中である。この国連の代表に対して、習近平は、「教師面して偉そうに説教するな」と述べたという。本日の東京新聞が「ウイグル訪問中の国連人権高等弁務官にクギ刺す」と報道している。

 「中国の習近平国家主席は25日、新疆ウイグル自治区の視察のため訪中しているバチェレ国連人権高等弁務官とオンライン会談した。習氏は「人権を口実に内政干渉するべきではない」と訴え、中国が少数民族ウイグル族の人権を弾圧しているとして批判を強める欧米をけん制した。
 中国外務省によると、習氏は「国ごとに異なる歴史文化や社会制度を尊重するべきだ」と主張した上で、「教師面して偉そうに他国を説教するべきでなく、人権問題を政治化してはならない」と国際社会の非難に反論した」

 世界の良識を代表する国連人権高等弁務官に対しての「教師面して偉そうに説教するな」である。恐るべき野蛮、唾棄すべき夜郎自大。今、世界はプーチン・ロシアを非難の的としているが、習近平・中国も、兄たり難く弟たり難し、と言わねばならない。

今こそ、防衛費増額論に「NO!」の世論を。

(2022年5月25日)
 バイデンが駆け足で韓・日と訪問し、一昨日(5月23日)帰米した。日本に残していったのが防衛費増額の宿題。同日の両首脳共同会見で、岸田は「日本の防衛費の増額を確保する決意」を表明してこの宿題を抱え込んだ。

 「聞き耳」自慢の岸田ではなかったか。まずは国民の声を聞き、国民に提案して、国民から政府方針転換と負担増の了承を得るべきが当然だろう。それを他国の首脳に「決意表明する」など、完全に順序が間違っている。この人の耳は、アメリカの腹の中や、右翼のつぶやきを聞き取るようにできているのだ。

 「わたしからは、日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する決意を表明し、バイデン大統領からは、これに対する強い支持をいただいた」って? 主権を持つ国の首脳としては、なんとも情けなく、みっともない記者会見での発言。

 ところが、右翼陣営や自民党・維新からは、批判の声は聞かれない。むしろ、歓迎して「防衛費の相当な増額」とは倍増だという威勢のよい声が上がっている。

 2月24日のウクライナショックは、大きかった。一時は、「ウクライナよ正義のために果敢に闘え」「ウクライナに軍事的・非軍事的支援を」という声一色となった。「不正な侵略には戦わざるを得ない」「それ見たことか、非軍事での防衛など絵空事だ」「独立国家に自衛力は不可欠だ」「強国との強力な軍事同盟あっての平和ではないか」と護憲派が矢面に立たされた。これに乗じて、「敵基地攻撃能力」(反撃能力)だの、攻撃対象を拡大せよだのという火事場泥棒的防衛力増強論が大手を振る事態。

 3か月経って、世論は少し落ち着きを取り戻しつつある。が、この岸田の「防衛費の相当な増額」決意に、野党もきちんと批判し得ていない。これで、大丈夫だろうか。

 既に事実上の与党となっている国民民主は「防衛費の相当な増額」に事実上容認の立場。自民よりも右のポーズをとることで世論の受けを狙っているポピュリスト維新は、今や改憲・軍拡路線の尖兵。「積極防衛能力」の整備を唱い、具体策として防衛費の国内総生産(GDP)比2%への増額を主張している。

 問題は、立憲民主党である。これまでの経緯からは当然に「防衛費増額に反対」と声を上げるのかと思ったら、どうもそうではない。泉健太党首は、24日、「『昨今の安保環境で言えば(防衛費は)増えることになる』と首相の方針に理解を示し、『参院選の争点にならない』との見解まで示した」「立憲民主党は必要な防衛費は整備すべきだと考えている」と強調。「防衛費がその結果として前年を上回ることは十分あり得る」とし、防衛費増額は「必要だ」とも明言した、と報じられている。

 どうなっちゃんだ、立憲民主党。ウクライナショックの深い傷が未だ癒えていないごとくである。

 元来が、平和主義(パシフィズム)という言葉には軟弱な印象がつきまとう。とりわけ今は、プーチン・ロシアの非道が際だって、「不正な侵略には、断固戦うべし」という論調が優勢である。この論調に後押しされる形での防衛費増強論が大手を振っている。「我が国だって、凶悪な隣国から、いつ不正な侵略を受けないとも限らない。これに備えた軍備増強なければ、枕を高くして眠れないではないか」。立憲民主党も、威勢のよいこの論調に抗しがたいと考えているのだろうか。

 平和主義者は、今こそ敢然と非戦論を掲げなければならない。軍事的な抑止力論や、軍事的均衡による平和論が、際限のない軍拡競争の負のスパイラルに陥るという歴史的教訓の到達点が「9条」に結実している。「9条の精神」は、「軍備で平和は生まれない」「軍拡は戦争を招く」ことを教えている。

 軍備増強・防衛費増額論には、「断固NO!」の世論を形成したいものと思う。
 

スウェーデンのNATO加盟に反対の野党見解もある。

(2022年5月24日)
 これまで軍事的中立を国是としてきたフィンランドとスウェーデンが、相次いで NATO 加盟申請に踏み切った。ロシアのウクライナ侵略を脅威と感じた世論が大きく動いた結果だが、残念でならない。

 とりわけスウェーデンは、200年も続けてきた軍事同盟非加盟の外交方針を転換することになる。もっと熟慮あってしかるべきとも思うが、如何ともしがたい。

 とは言え、国内がNATO加盟支持一色ということではないという。3月の世論調査では加盟支持が51%と初めて過半数に達してはいるが、市民の間には中立政策を捨てることへの懸念が広がっているとも報じられている。

  NATO加盟をめぐる議会審議では、「左翼党」と「緑の党」が明確な反対意見を表明した。スウェーデン政府は、5月13日に安全保障政策の見直しに関する報告書「安全保障環境の悪化-スウェーデンへの影響」を発表したが、これには「左翼党」と「緑の党」の見解が収録されている。赤旗が、これを掲載しているので、その一部を抜粋して転載する。なお、議会の全349議席中、左翼党は27議席、緑の党は16議席を占めているという。

「安全保障状況を悪化させる」 左翼党

 「スウェーデンの軍事同盟不参加は、スウェーデンが何世代も平和に暮らすことを保障するのに役立ってきた。我々が支持できない戦争や紛争に関与してきた国家グループと永続的な軍事同盟を構築することは、リスクを増大させる。各同盟への加盟は我々の安全保障状況を著しく悪化させるだろう。NATOの戦争や紛争にスウェーデンを関与させることになる。
 NATOに加盟申請をすれば、我が国の安全保障政策の大部分を米国に委ねることになる。米国はNATOの行動に拒否権を持っており、NATO内で他国を自国の利益に沿って行動させることができる。
 NATOはアフガニスタン・イラク・リビアという大失敗した三つの戦争を遂行した。それは欧州連合(EU)の難民危機に繋がり、ISの出現に繋がった。
 NATO加盟は、NATOの各ドクトリンを信奉することを意味する。ロシア-NATO間の緊張関係は、核兵器の抑止効果に対する信仰を増大させることになる。
 大国や軍事同盟が、核抑止をその安全保障政策の基礎としている限り人類は全面的破壊破滅の脅威にさらされたままである。」

 このような明確な軍事同盟拒否・中立政策擁護の野党勢力が健在であることが頼もしい。「ロシアの野蛮な侵略的姿勢を見よ、あのような国と外交することも、あれに譲歩を迫る交渉をすることも、非現実的な選択肢ではないか」 というのが当世の風潮。要するに果敢に闘うしかないという圧倒的な世論の中での、落ちついた意見にホッとする。我が国でもこうありたい。

「仲裁者の役割疑問視される」 緑の党

 「緑の党はスウェーデンが核兵器のない世界を目指して取り組む上で推進力となる。我々は、それがNATOに加盟しないことで最もよく行われると考える。NATO に加盟することは、核兵器を脅迫として使用することにスウェーデンが同意することを意味する。
 NATO加盟は、民主主義や人権などの基本的価値を推進するスウェーデンの外交能力に影響を与えかねない。
 スウェーデンの仲裁者としての役割は、一定の文脈で疑問視されることになるだろう。」

 一つは、核兵器廃絶の立場から、NATO 加盟は核兵器を脅迫として使用することへの加担だとしての反対論。そしてもう一つが、これまでスウェーデンが果たしてきた国際紛争解決の仲介者としての役割への否定的影響に言及しての反対理由。これは、我が国の外交のあり方について、示唆に富む見解ではないか。

 1952年日本が独立したときの全面講和論を採用していたら…、あるいはその後に日米安保条約を廃棄していたらてん、さらには憲法9条を遵守していたら…。日本こそが、世界の各国からの信頼を得て、国際紛争の仲裁者としての権威を確立し得ていたのではないだろうか、などと夢想してみるのだが。

侵略を許さない「正義」派と、「命どぅ宝」派との停戦の可否をめぐる葛藤。

(2022年5月23日)
 琉球新報の昨日(5月22日)付社説が、波紋を呼んでいる。遠慮なくいえば、評判がよくない。右からも左からも叩かれている。
 https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1521022.html

 私は、よくぞ問題提起をしてくれたと思う。しかし、全面的に賛成とは言いにくい。さりとて、反論する気持にもなれない。自分のことながら、煮え切らないのだ。ただ、この社説を叩く側にまわりたくないとは思う。

 社説の表題は、「マリウポリ『制圧』 今こそ停戦交渉の好機だ」というもの。今なら、双方が和解交渉のテーブルに着ける。今を逃せば、戦闘は長引き、痛ましい犠牲が際限なく重なることになる。今こそ、国際社会は両国に停戦をうながすべきだ、という。何よりも人命尊重という立場からの、説得力をもつ提言だと思う。

 この社説は、主としてロシア側の事情を述べる。「ロシア軍はウクライナ南東部のマリウポリを完全制圧した。…今ならロシアは戦果を強調できる」「製鉄所で抵抗したアゾフ連隊はロシアが「ネオナチ集団」と呼ぶ部隊。その拠点を制圧したことで国内に戦果をアピールできる」というだけでなく、「ロシア兵の戦死者は約1万5千人に上り、部隊は疲弊しているという。西側諸国の経済制裁でロシア国民の生活も苦しいとみられる」ともいう。タテマエもホンネも、ここがプーチン政権にとっての拳の下ろしどころだというのだ。

 一方、「ウクライナ側も激しい反撃で『負けていない』とアピールできる」「マリウポリは制圧されたが、黒海に面し穀物の主要積み出し港があるオデッサは制圧されておらず経済的な致命傷には至っていないもよう」「しかし、民間人の死者は数万人に上り壊滅状態の街も多いという」。ウクライナにとっても、戦争の継続はとてつもなく苦しい。お互いに「まだ負けていない」と言える状況にある今だからこそ、停戦へのテーブルに着くリアリティがある。「残された課題についての交渉やロシアの戦争犯罪への追及は停戦した上で、時間をかけて話し合い、解決を模索すればよい」というのがこの社説の説くところ。

 最後は、こう結ばれている。「ウクライナ侵攻は住民の4人に1人が亡くなった沖縄戦と重なる面が多い。『命どぅ宝』の観点からも一日も早い停戦こそが最善の道だ」

 「正義」を第一義と考える立場からは、「マリウポリをロシアに譲っての停戦は、侵略によって獲得した利益の享受を認めることになり、とうてい容認できない」ことになろう。「少なくとも、2月24日開戦以前の原状に復すことがなければ、侵略という不正義に成功を許すこととなる。この不正義を認めてはならない」という立論。これが、間違った見解であるはずはない。

 しかし、「命どぅ宝」を第一義とすれば、琉球新報社説のごとき別の意見となる。「市民であれ兵士であれ、またウクライナ・ロシアの国籍を問わず、人の命は、全てかけがえのないものではないか」「停戦の条件があれば、まずは停戦を第一選択とし、その余のことは停戦後に、粘り強く交渉で解決すべきではないか」。この見解も、非難さるべきところはない。

 「正義」を重んじて不正義の停戦を拒絶する立場には、「停戦を先延ばしにしての国民の犠牲を厭わないのか」「この世に、生命以上に大切がものがあるのか」「領土や国境にいかほどの意味があるのか」「大きな譲歩には屈辱が伴うだろうが、プライドより命がずっと大切だろう」「祖国や民族のために死ねと言うのか」などという反論が予想される。

 それには再反論があり得る。「いや、停戦を拒否して戦うのは、大切な自分と身近な人の命を守るためなのだ」「一人では戦えない。自分の命を守るためには強大な軍事力を作って、自分もその任務の一部を担って戦うしかないのだ」と。もちろん、「命どぅ宝」派がそれで納得はしない。「結局、為政者が国民を戦争に動員する理屈と同じではないか」

 ゼレンスキー大統領は、ウクライナからの成人男性の出国を認めることを求める請願書について、「この請願書は誰に向けたものなのか。地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか。署名者の多くは、生まれ故郷を守ろうとしていない」と不快感を示したと報道されている。この姿勢に、右派は喝采するだろうが、リベラルは鼻白む。「靖国の英霊」を利用して、戦争を拡大した皇軍と同じ論法なのだから。

 結局、戦争が始まってしまえば、停戦は難しい。個人が戦争から逃げることも難しい。容易に抜け出す出口は見えて来ない。教訓は、絶対に戦争は避けなければならないということ。そのための努力を惜しまず、知恵も働かせたい。

皆様、東京都立第五福竜丸展示館にご来館ください。

(2022年5月22日)
「白山通りを神保町越えて、学士会館までお願いします」
「学士会館までね。…お客さん、日曜日にお仕事ですか」

「いや、そうじゃない。これから、第五福竜丸展示館の運営についての会合があるんですよ」
「第五福竜丸ってなんですか」

「江東区の夢の島に、都立の第五福竜丸展示館があるでしょう」
「いや、知りません」

「南太平洋のビキニ環礁で、アメリカが水爆実験をして、大量の死の灰を降らせた。そのとき、マグロ船『第五福竜丸』の乗組員23人の全員が、死の灰を浴びて急性放射線障害となり、久保山愛吉という方が亡くなった」
「ちょっと、聞いたことがあるような気がします」

「水爆実験は1954年3月1日のこと。ふざけた話しだが、アメリカはこの水爆を『ブラボー』と名付けた。その威力は、広島の原爆のちょうど1000倍というもの。世界にばらまいた放射能も、半端じゃない」
「私なんかが生まれる前の話だね」

「第五福竜丸が焼津に帰港してから、日本中が大騒ぎになった。大量の『原爆マグロ』が廃棄され、日本中が『放射能の雨』に怯えた」

「船はどうなったんですか」
「マグロ船としては再び使われることはなく、文部省が買い上げて水産大学の練習船となった。名も『はやぶさ丸』と変えた」

「それがどうして夢の島に?」
「木造船の寿命は短い。廃船になって、ゴミとして夢の島に捨てられた」

「そのゴミが展示館にはいったんですか」
「そう。この船は核の危険を語る貴重な生き証人。ゴミのまま、朽ちさせてはならない。そういう船体保存の市民運動が起き、美濃部都政がこれに応えた」

「その船を展示して、たくさんの人が見に来るんですか」
「たくさんの人が見に来るだけではない。この船は、原水爆禁止運動のシンボルとなっている。展示し保存するだけでなく、多くの人に原水爆を止めさせよう、世界を平和にしょうと訴え続けている」

「なるほどね。お客さん、学士会館に着きましたよ」

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 本日、学士会館で、公益財団法人第五福竜丸平和協会の評議員会。昨年度の事業報告と決算を承認し、今年度の事業計画を了承した。

 専務理事からの報告では、ようやくコロナ禍の影響から脱出の萌しが見え、来館者数が昨年よりは大幅に増えつつあるが、コロナ禍以前の水準にはまだほど遠い。

 出席評議員から、「ウクライナ戦争以来、核が威嚇の手段となり、我が国でも核共有の議論が持ち上がる事態。第五福竜丸が訴えるものは大きくなっている」「第五福竜丸は、東京周辺の人には知られていても、関東以遠の人には存在感が薄いのではないか」「それを補うためのオンライン展示のさらなる活用を」「今や、小学生にもオンライン授業の環境が調っている時代」「パネル展示貸し出しについての宣伝の強化を」などの意見が出された。

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 皆様。江東区夢の島にある、
  東京都立第五福竜丸展示館にご来館ください。

  存在感ある、木造船第五福竜丸がお迎えします。
  これが、被爆の歴史の生き証人です。
  ボランテイアの解説員がご説明いたします。
  船を囲む壁面の解説パネルは、年に2回は模様替えしています。
  貴重な映像も観ることができます。
  解説書籍類も充実しています。
  (なお、入館料は無料です。)
 学校やサークル単位での見学をご計画ください。
 東京方面への修学旅行には、ぜひ見学先に組み入れてください。
 展示パネル(セット)を貸し出します。全国でご活用ください。
  パネルセットは、12枚組、20枚組、50枚組などあります。

 まずは、下記の公益財団法人第五福竜丸平和協会のホームページをご覧ください。ご相談先も明示してあります。
 どうぞ、よろしくお願いします。
 http://d5f.org/

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