(2021年10月18日)
最高裁裁判官国民審査に当たって訴えます
10月31日第49回総選挙投票の際に、「もう一つの総選挙」である最高裁裁判官の国民審査が行われます。主権者である国民が、最高裁のありかたの適不適を判断する大切な機会です。確かな判断材料に基づいて、曇りのない確かな目で、審査対象の各裁判官と最高裁のあり方を判断されるよう、法律家の立場から訴えます。
日本国憲法には、美しい理想が掲げられています。その理想を実現する役割を担うのが裁判所であり裁判官です。その頂点に位置する最高裁の裁判官に限って国民審査の対象になります。主権者である私たち国民は、国民審査の機会に最高裁のあり方を可とするか不可とするかの審判を行うことで、最高裁だけでなく、全国の裁判所をより良い方向に変えていくことができます。
今回審査対象となるのは、安倍晋三内閣任命の裁判官が6名、菅義偉内閣任命が5名の計11名。この裁判官たちは憲法の理想を実現する役割を果たしたと言えるでしょうか。政府広報だけでは分からないこの問題について、的確な情報を提供する「パンフレット」を作りました。ぜひ、ご参照され活用していただくよう希望いたします。その結論を申し上げれば、以下のとおりです。
選択的夫婦別姓に反対した裁判官(林道晴、深山拓也、三浦守、岡村知美、長嶺安政の各裁判官)に?を!
正規・非正規の格差是正に反対した裁判官(林道晴裁判官)に?を!
冤罪の救済に背を向けた裁判官(深山拓也裁判官)に?を!
一票の格差を放置した裁判官(林道晴、深山拓也、三浦守、草野耕一岡村知美各裁判官)に?を!
なお、すべての裁判官にとって、その独立こそが生命です。政治権力にも、いかなる社会的な権力や権威にも揺らぐことなく、自らの良心と法にのみに従った裁判をすることによってこそ、法の正義を貫き国民の人権を擁護することが可能となります。
ところが最高裁で司法行政を司る「司法官僚」はその人事権を梃子に、全国の裁判官を内部的に統制し、この50年にわたって裁判官の独立をないがしろにしてきたと指摘せざるを得ません。判決内容だけでなく、この点についての国民的批判も重大だと考え、その観点から訴えます。
裁判と裁判官を統制してきた司法官僚(林道晴、安浪亮介各裁判官)に、?を!
なお、国民投票運動は、公職選挙法の縛りを受けません。このパンフは、どこでも、いつでも、自由に配布することができます。
(2021年10月16日)
江戸の狂歌師・蜀山人の作が、
『世の中に 人の来るこそ うるさけれ とは云ふものの お前ではなし』
内田百?がそのパロディをつくって、両作とも人口に膾炙するところとなった。
『世の中に 人の来るこそ うれしけれ とは云ふものの お前ではなし』
ともに人情の機微に触れて、実によくできている。いずれも総論と各論の対比ではあるが、目の前の「お前」にとっては、本歌では婉曲に、パロディでは直接に、否定の評価をされて辛いところ。
総選挙を目前にした巷では、安倍菅路線からの脱却こそが天の声であり、民の声でもある。その実現のためには、野党共闘が必要で、選挙協力が望ましいことは誰にも分かる理屈。しかし、大所高所からの総論だけでは選挙はできない。現場は動かない。
総論は正論で反対しがたいが、現場の活動家も選挙民も将棋の駒ではない。自分の支持政党とは異なる候補者への投票を依頼するのだ。簡単にできることではない。選挙活動の担い手を納得させる手続や具体策が不可欠ではないか。
ちなみに、私の地元の「有力野党共闘候補者」(現職)のビラが甚だしく無内容。これまでの安倍菅政権への批判の気迫が感じられない。念のためにホームページを覗いてもみた。
9月8日に合意した「衆議院総選挙における野党共通政策」についての言及はまったくない。むしろ、憲法については、こんな具合だ。
「憲法を尊重し、21世紀の日本にふさわしい憲法について広く議論を進めます。従前の司法手続きで解決できない憲法上の問題(自衛権、解散権、1票の格差等)について、国民とともに積極的に議論します。」
これは、明らかに改憲派の言い回しである。共通政策は、この点を次のように言っており、懸隔は大きい。
「安保法制、特定秘密保護法、共謀罪法などの法律の違憲部分を廃止し、コロナ禍に乗じた憲法改悪に反対する」「核兵器禁止条約の批准をめざし、まずは締約国会議へのオブザーバー参加に向け努力する」「地元合意もなく、環境を破壊する沖縄辺野古での新基地建設を中止する」
外にも、共通政策にあって、この予定候補者の政策にない主なものは、「原発のない脱炭素社会」「最低賃金の引き上げ」「富裕層の負担強化」「日本学術会議の会員を同会議の推薦通りに任命する」などなど。
野党の共通政策は、とてもよくできている。よくできているという意味はいろいろあるが、何よりも安倍菅政権9年の負の実績への対抗軸を設定するものであり、自公政権の継続を断ち切りたいとする選挙民の期待を集約するものである。野党共闘の候補者は、これこそが選挙民からの付託された基本政策と厳粛に受けとめていただきたい。
その上で、各選挙区ごとに、共闘候補者と各政党や選挙母体が、この共通政策を有権者に訴えることを再確認する手続ないしはセレモニーが欲しい。そうでなければ、野党共闘は現場を盛り上げる力をもちえない。絵に描いた餅におわる恐れさえある。
(2021年10月15日)
小三治が亡くなった。10月7日のことだったという。
私は、小さん(5代目)を面白いと思ったことはなかったが、小三治の噺は誰よりも面白いと思って聴いてきた。私は、談志は嫌いだったが、小三治は大好きだった。
盛岡に居たころ小朝が県民会館のホールを満席に埋めて何席かやった。演し物は「たらちね」と「紀州」だけは覚えている。少し際どい皇室ネタで笑いを誘っていた。最後は大きなネタをやったはずだが記憶にない。さすがに巧みな語り口で感心はしたが印象に深くはない。
そのあと、小三治を聞いた。場所は、街中のそば屋の二階座敷だった。即席の高座を囲んで座布団を並べた客席。オートバイで東京から乗り付けた小三治ともう一人の噺家が熱演した。なんとも贅沢な一晩。
小三治のマクラの長いのは有名だが、この日もたっぷり。聴衆が聞き上手だった。マクラへの聴衆の反応に、小三治が乗ってくる手応えを感じた。だんだんと、江戸の火事の話から、当時の商家のこと、ゼニとカネとは違うという話。ああ今日のネタは「鼠穴」か。
端折るところのない完璧な「鼠穴」。この噺、こんなに濃厚で、こんなに長編だったか。改めてそう思わせられた、満腹感たっぷりの熱演。人の運命の有為転変、兄弟の愛憎の微妙。そして親子の情愛、さらに人生への絶望の描写…。終了予定時間をはるかに超えた至福のひとときだった。当時小学生の息子も、小朝よりは小三治のファンになった。
その後、「赤旗祭」で小三治を聞いた。これも贅沢な話。そば屋の二階の感動はなかったが、やはり楽しかった。「私は何党であろうが呼んでいただけたら、そこに落語を聞いてくれる人がいるんだったら喜んで行きますよ。こんなに面白くていいものはないんですから。ええ。」と、妙に力んでしゃべったことが耳に残っている。何かあったのかと思わせた語り口。
飄々とした独特の語り口は、「名人」とか「人間国宝」などという肩書には不釣り合いだった。ともかく、聴いていると楽しいし、面白い。この人が出るというので何度か鈴本にも足を運んだが、結局は行列に並ぶのがイヤだし、満席だしで、しばらく聞く機会がなく、そのうちにと思っているうちの訃報となった。亡くなる前の最後の公演は10月2日、府中の森芸術劇場での『猫の皿』だったそうだ。マクラもしっかり振り、声も大きく出ていたという。ああ、それを聞けた人がうらやましい。
手許にある、講談社文庫の「ま・く・ら」「もひとつ ま・く・ら」を読み直してみる。やはり、無性に面白い。その中の一節をご紹介する。長い長い「ま・く・ら」のごく一部の切り取りである。
あたくしの親父がね、終戦のとき小学校の校長をしてまして、むかしは『教育勅語』なんてのを読まされたんですよ、校長先生は。
毎朝、朝礼のときにね、紫の袱紗(ふくさ)からうやうやしく『教育勅語』ってのを、紙を取り出してね。「朕思うに、わがコーソコーソー(皇祖皇宗)」なんてね。なんかまじないの文句かしらと思うようなことを言うんですよ。つまり教育ってのはこういうふうでなくちゃいけないってぇんですね。大まかの内容はとてもよいものなんですよ。
で、あたしの親父はね、朝起きるとね、宮城遙拝なんて懐かしい言葉がありましてね、宮城遥拝。どういうのかっていうと、宮城のほうに向かって手を合わせるんです。
キュウジョウっつったって後楽園球場じゃありませんよ(笑)。皇居のある宮城へ向ってね、朝、柏手打って、パンパンッ、はーっ、なんて拝んでンですよ、庭へ出て。
何してンの? っつったら、天皇陛下を拝んでるっていうんです。
なんで拝むんだってったら、天皇陛下は神様だって言うんですよね。
正直言って、子供心に納得いきません。天皇陛下が神さん? だって写真で見ると人の形してますからね。神様ってなんか形があるような、ないような、もし人間の形してとしたら、腰から下は幽霊のようにフワァ〜と何だかわかんなくなってる、そうぃうよなもんじやないかというような頭を持ってましたからね。
神様だったんですよ。毎日毎日やってるから不思議でしたね。
ある日、親父がこうやって目ぇつぶってこうやって拝んでるとこへ行って、
「ねえ、おとうちやん、天皇陛下はウンコするの?」
っつったら、いきなりバッカーンと殴られた(笑)。
(2021年10月13日)
一昨日(10月11日)の立憲民主党・枝野幸男、辻元清美両議院の衆議院本会議における代表質問は、いずれも立派な聞かせる内容であった。論点を明確にし、よく練られた質問は、心ある国民の胸に響く内容であった。これに対する首相答弁は、逃げとはぐらかしに終始して、確実に政権与党の票を減らしたと思う。なるほど、総選挙の実施を急いだわけだ。予算委員会開催も拒否したわけだ。議論をすればするほど、議論が深まれば深まるほど、ボロが出て来る。化けの皮が剥がれてくるからだ。
とりわけ、辻本議員の、森友事件再調査を求める質問は胸を打つものだった。総記録から、抜粋して採録し、若干のコメントを付しておきたい。
《辻本議員質問》 さて、先週、私は、森友公文書改ざん問題で自殺に追い込まれた赤木俊夫さんの妻、雅子さんにお目にかかりました。岸田総理にお手紙を出されたと報道され、直接お話をお聞きしたいと人づてに申し出て、お受けいただいたのです。どんな思いでお手紙を出したのですかとお聞きすると、岸田総理は人の話を聞くのが得意とおっしゃっていたので、私の話も聞いてくれるかと思い、お手紙を出しましたとおっしゃっておりました。
総理、このお手紙、お読みになりましたか。お返事はされるのでしょうか。お答えいただきたいと思います。そのときに手紙の複写をいただきました。ちょっと読ませていただきます。皆さん、お聞きください。
「内閣総理大臣岸田文雄様。私の話を聞いてください。
私の夫は、3年半前に、自宅で首をつり、亡くなりました。亡くなる1年前、公文書の改ざんをしたときから、体調を崩し、体も心も崩れ、最後は、自ら命を絶ってしまいました。夫の死は、公務労災が認められたので、職場に原因があることは、間違いありません。財務省の調査は行われましたが、夫が改ざんを苦に亡くなったことは、書かれていません。なぜ、書かれていないのですか。赤木ファイルの中で夫は、改ざんや書換えをやるべきではないと本省に訴えています。それに、どのような返事があったのか、まだ分かっておりません。夫が正しいことをし、それに対して、財務省がどのように対応したのか、調査してください。そして、新たな調査報告書には、夫が亡くなったいきさつをきちんと書いてください。
正しいことが正しいと言えない社会は、おかしいと思います。
岸田総理大臣なら、分かってくださると思います。第三者による再調査で真相を明らかにしてください。
赤木雅子。」
総理は、このお手紙、どのように受け止められたんでしょう。赤木さんの死も、赤木さんが改ざんに異議を唱えたことも、そして、どんなプロセスだったのか、一切、財務省の報告にはありません。これで正当な報告書と言えるんでしょうか。皆さん、いかがですか。皆さんも、御家族がこのような目に遭わされたら、はい、そうですかと納得はできないんじゃないですか。総理、このお手紙で求めていらっしゃる第三者による再調査、実行されますか。
赤木雅子さんは、この代表質問を見ますと私におっしゃっておりました。先ほどはちょっと冷たい答弁でした。雅子さんに語りかけるおつもりで、御自分の言葉で誠実にお答えください。
臭い物に蓋をして、その上に新しい家を建てようとしても、すぐに柱が腐ってしまいます。長期政権でたまったうみを岸田政権で出すことができないのであれば、国民の皆さんの手で政権を替えていただいて、私たちが大掃除するしかありません。
《総理答弁》森友学園問題の再調査についてお尋ねがありました。
近畿財務局の職員の方がお亡くなりになったことは、誠に悲しいことであり、残された家族の皆様方のお気持ちを思うと言葉もなく、静かに、そして慎んで御冥福をお祈り申し上げたいと思います。
御指摘の手紙は拝読いたしました。その内容につきましては、しっかりと受け止めさせていただきたいと思います。
そして、本件については、現在、民事訴訟において法的プロセスに委ねられております。今現在、原告と被告の立場にありますので、このお返事等については慎重に対応したいと思っています。この裁判の過程において、まずは裁判所の訴訟指揮に従いつつ丁寧に対応するよう、財務省に対して指示を行ったところであります。
いずれにせよ、森友学園問題に係る決裁文書の改ざんについては、財務省において、捜査当局の協力も得て、事実を徹底的に調査し、そして、自らの非をしっかり認めた調査報告書、これを取りまとめております。
さらには、第三者である検察の捜査も行われ、結論が出ております。会計検査院においても、2度のこの調査を行っている、こうしたことです。
その上で、本件については、これまでも国会などにおいて、様々なお尋ねに対し説明を行ってきたところであると承知をしており、今後も必要に応じてしっかり説明をしてまいります。
大事なことは、今後、行政において、こうした国民の疑惑を招くような事態を2度と起こさないということであり、今後も国民の信頼に応えるために、公文書管理法に基づいて、文書管理を徹底してまいりたいと存じます
《澤藤コメント》岸田さん、そりゃオカシイ。もっと真面目に答弁しなければダメだ。アベ・スガ政治に対する国民の批判が高じた原因の一つが、トップの国会答弁の姿勢にあった。野党を敵とみる。「あんな人たち」とみて、その意見を国民の声とはみない。だから、野党議員の質疑をはぐらかし、真面目な答弁をしない。その姿勢に、野党支持者だけでなく、与党の支持者もこれは危うい、これではやっていけない、こんなトップは取り替えなきゃダメだと考えたのだ。取り替えられた新トップのあなたが、国民の大きな関心事での答弁においてこの姿勢では、岸田政権のお先は真っ暗だ。
赤木雅子さんからの手紙を、「どのように受け止められたんでしょう」「お返事はされるのでしょうか」と聞かれている。「しっかりと受け止めさせていただきたい」では回答になっていない。「どのように受けとめたか」を真面目に答えなければダメなんだ。「しっかりと受け止め」は、はぐらかしているだけ。そして返事は書くのか書かないのか。はっきりしなければ、聞かされている国民には、イライラが募るばかり。
「本件については、現在、民事訴訟において法的プロセスに委ねられております。今現在、原告と被告の立場にありますので、このお返事等については慎重に対応したいと思っています。」が、一番ひどい。これは、安倍晋三なら「向こうから裁判をかけられたんですから、徹底して争うしかないじゃないですか」と言うところ。岸田流に言葉を丁寧にしても結局は同じことだ。改めての政権の法廷闘争宣告でしかない。
「この裁判の過程において、まずは裁判所の訴訟指揮に従いつつ丁寧に対応するよう、財務省に対して指示を行ったところであります」がおかしい。民事訴訟とは、当事者の合意次第で、いつでも和解もできるし、終結もできる。雅子さんと国と、争いが続く限り、裁判所の訴訟指揮に従わざるを得ないのだ。「訴訟指揮に従う」のは当たり前。「丁寧に対応する」とは、「しっかりと争って、原告の請求を排斥する勝訴を目指す」というだけのことだ。
「森友学園問題に係る決裁文書の改ざんについては、財務省において、捜査当局の協力も得て、事実を徹底的に調査し、そして、自らの非をしっかり認めた調査報告書、これを取りまとめております」だと? 何を言っているんだ。はぐらかしも好い加減にしろ。
雅子さんはこう言っているじゃないか。「財務省の調査は行われましたが、夫が改ざんを苦に亡くなったことは、書かれていません。なぜ、書かれていないのですか」「赤木ファイルの中で夫は、改ざんや書換えをやるべきではないと本省に訴えています。それにどのような返事があったのか、まだ分かっておりません」「夫がした正しいことに対して、財務省がどのように対応したのか、調査してください」
これまでの調査は、このことにまったく答えていない。検察の捜査も会計検査院の調査も、それぞれの目的で行われる。雅子さんの関心に応えるものであるはずはない。
「大事なことは、今後、行政において、こうした国民の疑惑を招くような事態を2度と起こさないということ」ではない。「最も大事なことは、現実に行政において行われた国民の疑惑を招く重大な不祥事を徹底して明確にすること」「とりわけ不祥事に携わった人物の、意図、動機を把握すること」「そして、トップに責任をとられること」だ。それがなければ、今後とも、同様なことが繰り返されることになるのだから。
(2021年10月7日)
「非核市民宣言運動・ヨコスカ」という運動体がある。その月刊の機関誌が「たより」という。堂々20ページの立派なもの。最近号が、「たより323」である。ほぼ30年続いているということだ。
その「あとがき」にこう書いてある。「求む!定期購読」「『たより』を定期購読しませんか?」「格調高い論文はありませんが、運動する人の息づかいを伝えようとするニュースです。」「年間購読は郵送料込みで2000円。毎月発行の24頁。ぜひお読みください。」
非核市民宣言運動・ヨコスカ
横須賀市本町3?14 山本ビル2F
046-825?0157 FAXも同じです。
ホームページは以下のとおり。
http://itsuharu-world.la.coocan.jp/
なお、この「たより」の巻末に、主宰者の新倉裕史さんが、逗子の『無言のデモ』への参加の記事を書いている。このデモの雰囲気が、文句なく素晴らしいと思う。なお、21年8月8日のことだそうだ。添えられた写真には『米軍基地撤去・池子の森全面返還を』の横断幕が写っている。
「30数年ぶりに参加した逗子『無言のデモ』は
なんと574回目だった」
篠田健三さんから、「今月のデモは2人だった」と聞いたとき、反射的に「来月必ず行きます」と言ってしまった。その時の篠田さんの返事が、今も忘れられない。
「いいよ、来なくて(笑)。2人だから目立つんだから…」。
当時横須賀の月例デモはひと桁が続いていて、「2人」は人ごとではなかった。だからの「必ず行きます」。篠田さんの「来なくていいよ」に、うなった。
その逗子の「無言のデモ」に、30年ぶり(いや35年ぶりか)に参加した。玉栄さんのインタビューで、「無言のデモ」が今も続いていることを知り、台風の大雨の中、JR逗子駅に向かった。
11時集合。駅前にそれらしき人。近づくと「逗子定例デモ574回」のプラカード。やがて玉栄さんも加わり総勢6名。
11時15分、出発直前に警官2名が駆けつけて、「無言のデモ」は県道42号を東逗子まで南下する。
2人の警官は「無言のデモ」の前と後についた。
県道24号線は一車線だから、6人を追い抜く車は、上り車線に膨らんで追い抜く。6人の後に複数の車が並ぶと、後方の警官が、20mほど前を行く警官に、通過させる台数と車のナンバーを無線で伝える。前方の警官が上りの車を止めると、後方の警官は「規制解除」と言いながら、後ろに並んだ車に、6人を追い越すように指示する。 たった2人で、上下線の車をさばきながら、車道のデモを確保する手際の良さから、デモヘの「敬意」が伝わってくる。
「たいへんですね」
6人のすぐ後方についた警官に声をかける。
「ええ、雨の日はとくに気を使います」
春からデモ警備の担当になったという警官は、話しながらも警棒を振り、後続の車に指示を出し続ける。
デモコースの途中に京急逗子線の踏切があって、赤い列車が6人の前を走る。
京急は毎年沿線写真を募集している。応募作品はどれも独自のアングルを探し出し、京急線の魅力を表現する。
「デモと京急」
は、まだ誰も作品化していないぞ、と思いながらシャッターを切る 「無言のデモ」は随分早足だった。途中で1人が合流して7人どなり、ほぽ30分で東逗子駅に到着した。
「今日は雨だから、ちょっと早足になりました。いつもはもっとゆっくりです」と聞いて安心する(笑)。
デモが終了すると、双方から「ありがとうございました」。
いつものことらしい。一緒に歩いた私も同じ気持ちだ。
解敵地でお話を聞く。
「ひとり、という時はありましたが、中止したことは一度もありません」 「コロナでも逗子署と相談して、無言だし、参加者も少ないから、まあいいでしょうということで、休みなしでずっと続けています」
スタート時から参加されている方はいらっしやいますか。
「いません」
デモ申請を担当されている方は、「僕は中学生でした」。
コロナ禍でも、「無言」と「少人数」が思わぬ力を発揮した。
スタート時のひとが「いない」と伺って、考えた。それって、スタート時のひとがいなくてもデモは続く、ということだよね。ずぶ濡れになったが、心は充分に温まる、「無言のデモ」だった。
(2021年10月5日)
本日から、「ノーベル賞週間」だとか。ノーベル賞とオリンピック、なんとなくよく似ている。「ノーベル賞」の権威を認めるべきだろうか。受賞者に敬意を払うべきだろうか。オリンピックの権威や、メダリストへの敬意とよく似た設問。当然のことだが、すべて、「NO!」である。
私には、特に傾倒する人物もないし、座右の書もない。しかし、なんとなく身近にゴロゴロして何度となく手にする書物がないわけではない。そのうちの一冊が、山田風太郎の「人間臨終図鑑」。これが面白い。多くの人の死を描くことで、その人の生きかたを浮かび上がらせようという、相当にねじれた人物論の集積。
その中に、63歳で亡くなったアルフレッド・ノーベルの有名な逸話が載っている。彼の死の数年前、兄リュドビックが急死したとき、新聞は兄弟を取り違えて、アルフレッドの死亡記事を出す。「死の商人、死す。可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物」
毎日新聞の記事によれば、「石油業を営んだ兄ルドビグとノーベル本人を取り違えた訃報記事が、フランスの国立図書館に残っている。フィガロ紙は88年4月15日付で『人類に貢献した人だとは伝えにくい人物が(仏南部)カンヌで死亡した。ダイナマイトの発明者、スウェーデン人のノーベル氏』と報じた。同紙は翌日、『パリ在住のノーベル氏は健在』との訂正記事も掲載した。」という。
細部のことはともかく、彼は、生前に自分の死亡記事を読むという稀有な経験をし、しかも『死の商人』と自分の人生を総括されたことにショックを受けた。死後の汚名を嫌ったノーベルが、平和に貢献したと評価されたい思いから、ノーベル賞を創設する。これが定説となっている。
「死の商人」という記事にショックを受けたのが本当かどうかは知らない。ノーベルは父の代からの根っからの武器製造業者であった。ノーベルの父は、爆発物、機雷の製造で大成功し、クリミア戦争で兵器を増産して大儲けをした人物。戦争終結後にはかたむいた兵器工場を兄が再建し、さらにアルフレッドが若くしてダイナマイトを発明して巨万の富を手にする。果たして、ノーベルに、死の商人と呼ばれることに後ろめたさを感じるだけの感性があっただろうか。
ダイナマイトは鉱物採掘や建設・土木工事にも多用されるようになるが、元はと言えば兵器工場で開発され生産を始められたもの。ノーベル賞の財源は、まぎれもなく「死の商人」による「死の商売」が築いた財産によるものなのだ。
ノーベル賞基金の由来だけでなく、あの授賞式に象徴されるスノビッシュな雰囲気が気に入らない。スェーデンの王室が、したり顔でしゃしゃり出てくるのも面白くない。何よりも、ノーベル賞が科学や科学者の業績をランク付け権威付けしているそのこと自体が受け容れがたい。
本日(5日)、岸田文雄首相は、真鍋淑郎・米プリンストン大上席気象研究員のノーベル物理学賞の受賞決定に関し「日本国民として誇りに思う」とする談話を発表した。「受賞を心からお喜び申し上げるとともに、真鍋氏の業績に心から敬意を表する」と祝意を示したという。政権の権威付けやら人気取りにも、愛国心の高揚にも、ノーベル賞は利用されているのだ。
泉下のノーベルは、きっとこう呟いているに違いない。
「私なんぞ、とてもとても『死の商人』と呼ばれるほどの者ではございません。核爆弾の発明や、ICBMの開発、AI戦闘ロボットや戦闘ドローンの大量製造、コンピューター技術の兵器化、化学兵器の増産化など、各国の総力を挙げての大量殺戮兵器開発競争を見せつけられては、まことにお恥ずかしい限り」と。
(2021年10月4日)
新政権が発足しましたね。甘利明新内閣。先ほど総理代行の岸田文雄が、記者会見をやっていましたよ。けどね、代行が主役を気取ってはいけない。やはり、代行は代行でしかないね。アマリに格が違う。アキラかに存在感の差。
なんたって、甘利明こそは、生まれ変わることのできない自民党の象徴ですものね。安倍政権の数々の不祥事を断ち切れない腐れ縁グループの代表格のお一人。利権にまみれた薄汚い保守政治の残りかす。本来、政治家として生き残っていられるはずのない御仁。何を間違って、また、表舞台に出てきたのでしょうかね。
甘利明と言えば、「政治とカネ」疑惑の最右翼。そして、丁寧に説明しますと言ってせず、そのことを追及されると、「もう、しました」とウソをつく。このやり方が、安倍晋三にそっくり。安倍亜流の甘利。類は友を呼ぶとも、邪は悪を呼ぶ、ともいうのは本当なのですね。
今日、甘利明が岸田文雄について言ってたそうですね。「心優しい思いやりのある人」だって。そうでしょう。あっせん利得罪のあの甘利をですよ、説明するするでスルリと逃げた人物をですよ、説明責任は果たしたなんてウソをつく政治家をですよ、よくも思いきって登用したのですから、心優しいのですよ。岸田は安倍や麻生・甘利の言うことは耳を傾けてよく聞くんですよ。そして、甘利や萩生田や高市らに心優しい思いやりを見せてポストに就ける人。どっちを向いているんでしょうね。誰のために何をしようというのでしょうかね。
岸田によると総選挙は前倒し、化けの皮の剥がれない内、身体検査の不備が見えないうちにやってしまおうということですね。当然のことながら、ボロを見せざるを得ない予算委員会などやらないで、逃げるが勝ちという作戦。甘利の参考人招致なんかやられたらたいへん。ボロ隠し解散ですよ。野党との論戦から逃げたということ。
それにしても驚きましたね、毎日の記事。見出しが、「『事実上の甘利内閣』 歓喜する電力業界」というものですからね。電力業界は、「エネルギー政策に通じた人が多く登用されている。やりやすい」と歓迎の声が上がっているんだとか。
業界の歓迎は、まずは甘利明の復権だとか。何しろ、甘利といえば、「原子力ムラのドン」なのだそうですね。この4月に結成された、「原発の建て替えや新増設を訴える自民党の議員連盟」でも最高顧問に就いているんですね。そして、「甘利氏の一番弟子」と言われる山際大志も経済再生担当相で入閣。さらに、政調会長に就任の高市早苗ですよ。これも原発推進派として知られるひと。だから、
ながらへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき
だと言いますね。こと原発、エネルギー政策では、菅政権の方がまだマシだった、グリーン重視の菅政権が懐かしい。ということだそうですよ。
この歌のように、もしかしたら、「甘利・岸田の時代はまだマシだった、あの頃が懐かしい」なんてことにならないように、しっかりと政治を見つめ直そうではありませんか。
(2021年10月3日)
真贋の判断は難しい。「偽版画事件」の摘発が話題となっている。逮捕された容疑者は「プロ中のプロ」で、出回った贋作は真作と遜色のない精巧な作りという報道が関心を呼んでいる。そもそも版画の真贋とは何だろうか。
9月28日に逮捕され送検されたのは、業界で信頼が厚い「次世代のエース」とまで言われる画商(大阪)と、40年を超えるキャリアを持つ腕利きの作家(奈良)であるという。2人は2017年1月から19年1月の間、東山魁夷の偽の版画を計7点作って親族らが持つ著作権者の権利を侵害した疑いがあるとされる。被疑事実は詐欺ではないのだ。これは意味深。
警視庁は、東山魁夷のほか、平山郁夫、片岡球子らの版画を約80点押収し、このうち約30点を贋作と確認したという。業界団体も専門機関に鑑定を依頼し、2人が流通させたとみられる日本画家3人の贋作を約130点確認したと報じられている。
逮捕された作家は有能で知られ、画家や遺族からの依頼を受けて版画を制作してきたという。業界団体の幹部は「真作と同じやり方で作るのだから、画商でも判別は難しい」と言ってるそうだ。実は、この作家がつくった10枚の作品の内、6枚は真作として捌かれ、残りの4枚は摘発されれば贋作となる運命におかれる。真作と贋作、作品の出来具合に差異はないようなのだ。
昔、松本清張の「真贋の森」を興味深く読んだ。古美術の鑑定という営みが権威主義の上に成り立っている愚劣がテーマだと理解した。美術品だけではなく、この世には権威主義の上に成り立っている偽物が横溢しているのだという寓話とも読める。今回の版画の真贋判定も、権威の判定に委ねられてのこと。
真作であることは、「お墨付き」や「折り紙」「箱書き」で担保されるタテマエだが、「お墨付き」や「折り紙」の真贋の判定がさらに難しい。昨今は、美術品にICタグを付け、デジタル証明書を作ったりスマートフォンで内容を確認したりすることが始まっているそうだが、ICタグの偽物も、デジタル証明書の偽造も必ず出回る。それ以上の難問として、いま、真贋とはなんぞやという根本的な定義が問われている。
岸田新政権が、明日に発足する。その真贋も話題となっている。一皮めくれば、実は「第3次安倍政権」だというわけだ。新しい岸田の顔で国民の関心を引いてはいるが、経済政策も、外交・安保も、政治姿勢も、何のことはない、安倍政権の旧態に変わらない。あの悪夢の安倍政権時代の度重なる不祥事を検証しようともせず、むしろ隠蔽し温存しようというのが岸田新政権である。
主権者国民は、政権の真贋を見抜く目をもたねばならない。いつまでも政治家に欺されていてはならない。また、政治の真贋を判定するという鑑定人の権威に欺されてもならない。愚劣な権威主義を捨てて、政権の偽物ぶりを見据えよう。
(2021年10月1日)
短命であった菅政権がやってのけた愚行の最たるものが、学術会議の推薦者6名に対する「任命拒否」である。あの衝撃からちょうど1年が経過した。事態は基本的に動いていない。
この国の政治の土壌には、少しはマシな民主主義が根付いていたと思ったのが、甘い幻想に過ぎなかった。それを思い知らされたことが、1年前の「衝撃」だった。この国の国民は、権力というものを制御しえていない。この国の権力は、国民の意思とは無関係に、自らの意思を強権的に問答無用で貫徹しているのだ。
憲法の理念を無視し、行政の透明性も説明責任もどこ吹く風。まったく別の論理で、権力の専断が行われている。これに対する司法的手続による対抗はなかなかに困難である。本来は、国民こぞって政権に対する批判の嵐がなくてはならないが、菅の首をすげ替えるだけで、権力の連続性は保持されようとしている。
菅に代わる新政権の評価における試金石が、宙に浮いたままになっている学術会議の推薦者6名を任命できるかにかかっている。岸田政権でも良い、連立野党による新政権ならなおさら良い。不透明で恣意的な任命差別をやめ、直ちに学術会議による推薦者を任命して欠員のない学術会議の構成を実現すべきである。
学術会議は、昨年の10月2日には、形式上の任命権者である内閣総理大臣宛に、簡潔な下記要望書を提出している。
第25期新規会員任命に関する要望書
令和2年10月2日
内閣総理大臣 菅 義偉 殿
日本学術会議第181回総会第25期新規会員任命に関して、次の2点を要望する。
1.2020年9月30日付で山極壽一前会長がお願いしたとおり、推薦した会員候補者が任命されない理由を説明いただきたい。
2.2020年8月31日付で推薦した会員候補者のうち、任命されていない方について、速やかに任命していただきたい。
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この学術会議の立場は、現在もまったく揺るぎがない。
昨日(9月30日)、日本学術会議の梶田隆章会長は、25期の活動開始から1年にあたっての談話を発表し、このことを確認した。
同日、オンラインで開いた記者会見で、梶田会長は「文字通り試練の1年だった」「一刻も早く解決したい」と振り返った上、改めて、同会議が一貫して6人の即時任命と拒否した理由の説明を求めると同時に、首相には任命の責務があると指摘してきたことを強調した。
さらに感染症や気候変動の危機に触れ、「科学的知見を尊重した政策的意思決定がこれまでにも増して求められる現状にあって、日本の科学者の代表機関としての本会議が科学者としての専門性に基づいて推薦した会員候補者が任命されず、その理由さえ説明されない状態が長期化していることは、残念ながら、科学と政治との信頼醸成と対話を困難にする」と指摘し、「相互の信頼にもとづく対話の深化を通じて現在の危機を乗り越える努力が重ねられることを強く希求」すると結んだ。
まったく異議のあろうはずはない。この事件は、国民の菅政権に対する呪詛となって短命に終わらせた。菅に代わる新政権を誰が担うことになろうとも、この問題を解決せずに、国民からの信頼を獲得することはできない。
(2021年9月30日)
類は友を呼ぶ。安倍晋三のお友達は、どうしてこうも汚い連中ばかりなのだろうか。汚い連中を外すと、組閣はできなくなるということなのだろうか。アベ・スガ政権のダーティーブランドを、クリーンに衣替えのための岸田の登場のはずだった。が、どうもそうはならない様子だ。情けなや、岸田新総裁。
本日の夕刊各紙には、「岸田新総裁、幹事長に甘利明氏で最終調整」「甘利明氏を幹事長起用へ最終調整」という。よりによって、注目人事の幹事長職に甘利明を起用とは。そりゃ、あまりにもひどい、あんまりだ。自民党は、国民を舐めている。もう、甘利の謹慎など国民は忘れちまっているに違いないとの思い込み。
下記は、2016年6月3日の当ブログの再掲。《甘利不起訴ー検察審査員諸君、今君たちに正義の実現が委ねられている》というタイトル。
上脇博之政治資金オンブズマン共同代表(神戸学院大学教授)らが、被疑者甘利明らを告発したのが本(16年)年4月8日。同告発に対して東京地検特捜部は、5月31日付けで不起訴処分とした。その処分通知は下記のとおりまことに素っ気ないもの。
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処 分 通 知 書
平成28年5月31日
上脇博之 殿
東京地方検察庁 検察官検事 井上一朗 職
貴殿から平成28年4月8日付けで告発のあった次の被疑事件は,下記のとおり処分したので通知します。
記
1 被疑者 甘利明,清島健一,鈴木陵允
2 罪 名 公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反,政治資金規正法違反,公職選挙法違反
3 事件番号 平成28年検第14913? 14915号
4 処分年月日 平成28年5月31日
5 処分区分不起訴
これに対して、本日(6月3日)付で東京検察審査会宛に、下記のとおりの審査申立がなされ、甘利の起訴の有無は、検察審会の判断に委ねられた。
この申立の代理人弁護士は49名。その代表者が大阪弁護士の阪口徳雄君。私も、その49人の内の一人。
審 査 申 立 書
2016年6月3日
東京検察審査会 御中
別紙代理人目録記載の弁護士49名
被疑者 甘 利 明
被疑者 清 島 健 一
被疑者 鈴 木 陵 允
申 立 の 趣 旨
被疑者甘利明、清島健一および鈴木陵允らの下記被疑事実の要旨記載の各行為についてのあっせん利得処罰法および政治資金規正法に違反する告発事件について、「起訴相当」の議決を求める。
申 立 の 理 由
第1 審査申立人及び申立代理人
審査申立人:上脇博之(別紙審査申立人目録記載の通り)
申立代理人:別紙代理人目録記載のとおり
第2 罪名
あっせん利得処罰法違反及び政治資金規正法違反
第3 被疑者
甘利明、清島健一および鈴木陵允
第4 処分年月日
2016(平成28)年5月31日
第5 不起訴処分をした検察官
東京地方検察庁 検事 井上一朗
第6 被疑事実の要旨
別紙告発状記載の通り
第7 検察官の処分
不起訴処分。理由は嫌疑不十分。なお理由は処分した検察官からの電話で、代理人代表弁護士が「嫌疑不十分」と聞いただけであり、どの事実についてどのように証拠がなく、嫌疑不十分となったかの質問をしたが、それは答えられないと拒否された。従って、報道されているように「権限に基づく影響力の行使」を『いうことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をした結果不起訴になったか否かは不明である。
第8 不起訴処分の不当性
1 本件は政権の有力政治家の介入事件である
本件告発事件は、閣僚として政権の中枢にある有力政治家(被疑者甘利明)事務所が、民間建設会社の担当者からURへの口利きを依頼されて、URとのトラブルに介入して、その報酬を受領したという、あっせん利得処罰法が典型的に想定したとおりの犯罪である。同時に、口利きによる報酬であることを隠蔽するために、政治資金規正法にも違反し、不記載罪を犯した事件である。
2 あっせん利得処罰法の保護法益
あっせん利得処罰法の保護法益は、「公職にある者(衆議院議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に姑する国民の信頼」とされている。政治の廉潔性に対する国民の信頼と言い換えてもよい。本件の被疑者甘利明の行為は、政治の廉潔性に対する国民の信頼を著しく毀損したことは明白である。
しかも、通例共犯者間の秘密の掟に隠されて表面化することのない犯罪が、対抗犯側から覚悟の「メディアヘの告発」がなされ、しかも告発者側が克明に経過を記録し証拠を保存しているという稀有の事案である。世上に多くの論者が指摘しているとおり、この事件を立件できなければ、あっせん利得処罰法の適用例は永遠になく、立法が無意味だったことになろう。
被疑者らが、請託を受けたこと、したこと、URの職員にその職務上の行為をさせるようにあっせんをしたこと、さらにその報酬として財産上の利益を収受に疑問の余地はないと思われる。
3 検察の不起訴処分は政権政党の有力大臣であった者への「恣意的」で「政治的」な不起訴処分である
検察は国民の常識から見て起訴すべき事案を、もし報道されているように検察官が「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をしたというのであれば、その解釈は被疑者が政権政党の有力大臣であったことによる『恣意的』で『政治的』な限定解釈であると断じざるを得ない。
第1に「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などのような一般的な制限的解釈は正しくはない。条文に「その権限に基づき不当に影響力を行使」したとか言う「行為態様」に関して一切の制限をしていない。
権限に基づくという影響力の行使とは、行為態様が強いとか弱いとかいうのではなく、国会議員が有する客観的地位、権限に基づき影響力の行使を言うのであって、その影響力の行使の「態様」を制限していないのである。それをあたかも「影響力の行使」の「態様」について『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという制限的な態様を解釈で補充することは検察の極めて恣意的な解釈であると同時に検察の「立法」に該当する。あっせん利得処罰法の保護法益は前記に述べたように政治家はカネを貰って斡旋行為をすることを禁じた法律であり、政治家などの政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼が毀損された場合は処罰する法律であって、その権限の行使態様には一切の制限がないのである。確かに一般の国会議員等が関係機関に要請した場合または口利きのみの行為を罰することは正しくない。しかし、国会議員等の要求、口利きであつてもその「行為」の報酬としてカネを貰うという「議員等とのカネでの癒着による権限に基づく影響力の行使」行為を罰するのであつて、通常の政治家の要請行為を罰するものではない。
第2に本件の場合は安倍政権の有力大臣であり政治家の「要請」行為であったからこそ、UR側は当初は補償の意思がなかったのに2億2000万円まで大幅に補償額を上乗せして支払っているのである。この結果=社会的事実は甘利大臣側がどのような言葉で要請したかではなく、安倍政権の有力政治家が有する「権限に基づく影響力の行使」という客観的な地位、権限があったからこそ、UR側は飛躍的に補償額を上乗せしたのである。『言うことを聞かないと国会で取り上げる』と言ったとか、言わなかったかの問題でなく、当時の甘利大臣の飛ぶ鳥を落とす「地位」「威力」「権限」があったからこそ、UR側も要求に応じたのである。例えが悪いが巨大な指定暴力団の有力幹部が横に座つているだけで一言も発しなくてもその「威力」に負けて要求に応じるのと同一の構造である。
第3に、本件は決して軽微な事案ではない。「週刊文春」などの報道によれば、被疑者甘利らが、本件補償交渉に介入する以前には、UR側は「補償の意思はなかった」(週刊文春)、あるいは「1600万円に過ぎなかった」とされている。ところが、被疑者らが介入して以来、その金額は1億8000万円となり、さらに2億円となり、最終的には2億2000万円となつた巨額の事件であり、甘利側が貰った金額も巨額である。今回の事件は、有力政治家の口利きが有効であることを如実に示すものであり、これを放置すると多くの業者などが、政権政党の有力大臣や有力政治家に多額のカネを払い、関係機関に「口利き」を要請する事態が跋扈することになろう。これを払拭するために、本件については厳正な捜査と処罰が必要とされている。
4 告発事実の事実関係、政治資金規正法違反について
別紙告発状記載の通り
5 結語
本件のような、政権政党の有力大臣や有力政治家による口利きがあったことが明白な事件においてあっせん利得処罰法の適用ができないということになれば、「公職にある者(国会議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼」を保護することなど到底できないことになる。そして、今後政治家による「適法な口利き」が野放しとなり、国民は政治活動の廉潔性を信頼することがなくなり、政治不信が増大することとなる。
口利きによる利益誘導型の政治が政治不信を招き、それを防止するために制定されたあっせん利得処罰法の趣旨を十分理解したうえで、検察官の不起訴処分に対して法と市民の目線の立場で「起訴相当」決議をしていただきたく審査請求をする次第である。ちなみにあっせん利得処罰法違反で500万円を受領した事件の時効は本年8月20日に満了する。早急に審査の上、起訴相当の議決をして頂きたい。
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不起訴処分と同時に、甘利の政治活動への復帰が報じられている。甘利本人にとっても、起訴は覚悟のこと、不起訴は望外の僥倖と検察に感謝しているのではないか。不起訴処分は、限りなくブラックな政治家を甦らせ、元気を与えるカンフル剤となる。それだけではない。政治家の口利きは利用するに値するもので、しかも立件されるリスクがほぼゼロに近いと世間に周知することにもなる。
これでは、あっせん利得処罰法はザル法というにとどまらない。あっせん利得容認法、ないしはあっせん利得奨励法というべきものになる。
こんなことを許してはならない。巨額のカネが動いたのは事実だ。甘利自身、薩摩興業の総務担当者から、大臣室で現金50万円、地元神奈川県大和市の甘利事務所で50万円を直接受けとっている。この金が口利き料としてはたらいたことも明らかではないか。薩摩興業は、最終的にはURから2億2000万円の補償金を得ている。この現金授受と口利きの事実、口利きの効果が立証困難ということはありえない。「知らぬ存ぜぬ」は通らない。「秘書が」の抗弁もあり得ない。
有罪判決のハードルが、もっぱら構成要件の解釈にあるのなら、当然に起訴して裁判所の判断を仰ぐべきである。有罪判決となれば、立法の趣旨が生かされる。仮に法の不備から無罪となれば、そのときには法の不備を修正する改正が必要になる。いずれにせよ、検察審査会は単に不起訴不当というだけではなく、国民目線で、起訴相当の議決をすべきである。そうでなければ、政治とカネにまつわる不祥事が永久に絶えることはないだろう。
検察審査員諸君、あなたの活躍の舞台ができた。せっかくの機会だ。このたびは、あなたが法であり、正義となる。政治の浄化のために、民主主義のために、勇躍して主権者の任務を果たしていただきたい。
(以上・2016年6月3日)
ご存じのとおり、最終結論は、秘書は起訴されたが甘利は逃げおおせた。
同年7月29日、東京第四検察審査会から連絡があって足を運び、被疑者甘利明外2名に対するあっせん利得処罰法違反告発事件の審査申立に対する議決書を受領した。
被疑者甘利明は「不起訴相当」となった。この結果、甘利に対する訴追の道は断ちきられたことになる。到底納得できない。
清島と鈴木の秘書2名は、「不起訴不当」。検察は捜査をやり直すことになるが、強制起訴の道は断たれている。
政治家秘書は「トカゲの尻尾」。これを切り離すことで政治家は生き延びることができる。そのような見本となった検察審査会議決であった。