澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

潮目は変わってきたー「読売世論調査」と「谷垣帰れコール」と「大集会」と

微動だにしないようで、地球だって動いている。憲法をめぐる状勢が不動なわけがない。潮目は見る見るうちに変わる。今、目の前で、変わり始めたのではないだろうか。爽やかなよい風が吹いてきた。

マグマのたまりがなければ噴火は起こらない。これまで沈潜していた国民の憲法意識、憲法と平和を擁護しようという心意気のマグマが噴出を始めた。大爆発ではない。しかし、力強く着実に。今日は、そのことを実感させる三題噺。三題とは、「読売世論調査」「谷垣帰れコール」、そして「各地の大集会」である。

お題の第一は、読売の最新世論調査。これまでは、5月末時点の調査結果しかなかった。今朝、読売が6月5?7日の全国調査の結果を発表した。これによると、「安倍内閣が最優先で取り組んでいる安全保障関連法案の今国会での成立については、『反対』が59%(前月48%から11%増)に上昇し、『賛成』の30%(前月34%から4%の減)を上回っている」という。1か月で反対が11%増は、大きな事件ではないか。

前回調査では、戦争法反対48%、賛成34%。その差は14ポイント。反対が賛成の1.4倍であった。これが今回調査では、反対59%、賛成30%。その差は29ポイント。反対が賛成の2.0倍となった。明らかな状況の変化、世論が動いたのだ。

このことを読売自身は「政府・与党が法案の内容を十分に説明していないと思う人は80%に達し、与党が合意した安保法制について聞いた今年4月調査(3?5日)の81%と、ほぼ変化はない。『十分に説明している』は14%(4月は12%)にとどまっており、政府・与党には今後の国会審議などを通じて、より丁寧な説明が求められる」と解説している。

この解説には、「丁寧に十分に説明していないから、反対回答が多くなった。丁寧に十分に説明すれば結果は違ってくる」というニュアンスが感じられるが、それは違う。政府提案のまやかしに戸惑っていた国民が、政府説明の進展に従って態度を明確にしつつあるのだ。内閣が「丁寧に十分に正確に」説明すればするほど、民意は反対を明確にすることになるだろう。

もう少し、立ち入って読売世論調査を見ておきたい。問の発し方が、相当に誘導的なものとなっていることにご留意いただきたい。たとえば、次のような設問がある。
現在、国会で審議されている、集団的自衛権の限定的な行使を含む、安全保障関連法案についてお聞きします。
◇安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。こうした法律の整備に、賛成ですか、反対ですか。

この問の文章中に、「安全」「平和」「国際貢献」などの語がちりばめられており、「安全保障関連法案は、日本の平和と安全を確保し、国際社会への貢献を強化するために、自衛隊の活動を拡大するものです。」と断定した上で、賛否を問うているのだ。典型的な誤導質問の手法。さすがは読売、ここまでやるか、と感心するほかはない。

そのような設問に対して、「反対 48%」(賛成40%)は、自覚的意識的な反対論である。この数字の意味するところは重い。
 
読売のコメントはないが、次の問と答がきわめて興味深いところ。
安全保障関連法案が成立すれば、日本が外国から武力攻撃を受けることを防ぐ力、いわゆる抑止力が高まると思いますか、そうは思いませんか。
  抑止力が高まる  35%
  そうは思わない   54%

読売の調査において、抑止力論否定派が過半数。安倍政権の国民説得は完全に破綻している。

はからずも、読売の世論調査が潮目変化の第一報となった。次の世論調査報告が待たれるところ。

さて、2番目のお題は、谷垣禎一自民党幹事長への「カエレコール」の話題。
自民党の若手議員らでつくる青年局が7日、「安全保障関連法」の必要性や拉致問題の解決を訴える街頭行動を全国約80カ所で行ったという。これに、「戦争法案」に反対する市民らも集まり憲法改正反対などを訴え、谷垣帰れコールが巻きおこったことが報じられている。

朝日の記事は以下のとおり。
「東京・JR新宿駅西口では、谷垣禎一・党幹事長が『隙間のない抑止の体制をつくることで日本の平和と安全を保とうとしている』と安保法制に理解を求めた。一部の聴衆から拍手が上がった。青年局は2004年から毎年6月、拉致問題をテーマに一斉街頭行動を繰り広げている。これに対し、プラカードやのぼりを掲げた市民らが『戦争反対』『9条を壊すな』と声をあげた。」(朝日)
「安全保障関連法案に反対する市民が多数詰めかけ、プラカードを掲げて抗議した。谷垣禎一幹事長の演説中には「帰れコール」が発生。JR新宿駅前での演説は、事実上打ち切られた。政府与党は今月24日の会期末までに、法案の衆院通過を目指すが、困難な状況だ。与党が推薦した憲法の専門家までもが法案を「違憲」と断じた経緯もあり、世論の反発はさらに強まる可能性がある。自民党が、JR新宿、吉祥寺両駅前で開いた演説は終始、騒然とした雰囲気に包まれた。「戦争法案反対」「戦争させない」などのプラカードを手にした人が詰めかけ、「法案は撤回だ」と声をあげた。弁士の訴えはかき消され、聴衆の最後方まで届かなかった。谷垣禎一幹事長がマイクを握ると、「(自民党ハト派の)宏池会(の出身)だろう」とやじが飛んだ」(「日刊スポーツ」)

この谷垣受難の一幕、状況の変化をよく示しているのではないか。

そして、3題目はマグマのたまり具合である。
「5・31オール埼玉総行動」が、1万人の集会を成功させた。6月1日付東京新聞が、次のように報道している。
「休日の公園に、参加者たちの『九条を壊すな』との平和を求める声が響き渡った」「公園には午前九時から参加者が続々と集まり、主催団体が用意した約一万一千部のチラシはほぼ配布しきった。集会を企画した農業神部勝秀さん(71)=さいたま市緑区=は「県内での一万人規模の集会は、メーデーでも例がない。県民の危機感の強さを感じさせられる」と驚いた様子で話した」

そして本日の赤旗の報道である。
NO!「戦争する国」 生かそう!平和憲法6・7長野県民大集会が長野市で開催され、2800人が参加しました。「戦争法案をストップさせる」一点で、立場や組織の違いを超えての開催です。県内の26人が呼びかけ人となり、「憲法9条を守る県民過半数署名をすすめる会」「戦争をさせない1000人委員会・信州」など6団体が事務局として準備してきました。

「立憲主義 壊さんといて 大阪弁護士会が集会・パレード」
「集団的自衛権に反対!」「立憲主義を壊さんといて!」。解釈改憲による集団的自衛権行使容認反対、戦争法案の成立を許さないと、大阪弁護士会が野外集会・パレード「日本はどこに向かうのかパート3 なし崩しの海外派兵許すな」を7日、大阪市内で開き、4000人が参加しました。
パレードでは、「集団的自衛権はアカン」「アカン」とコールしながら大阪市内を3コースに分かれて行進。「アカン」のプラカードを掲げるコールに沿道の人たちが注目していました。

このパレードは、朝日も報じている。その見出しがふるっている。「見渡す限り『アカン!』 安保法制『ノー』訴える集会」というのだ。

憲法9条の解釈を変え、集団的自衛権を使えるようにする安全保障法制の関連法案の成立を急ぐ安倍政権に対し、「憲法改正の手続きをとらない『なし崩しの法制化』はノー」と訴える大規模集会が7日、大阪市内で開かれた。主催した大阪弁護士会によると、約4千人が参加。集会後は繁華街に繰り出し、抗議の声を上げながら練り歩いた。
弁護士会の憲法問題特別委員長が「反対の声を上げよう」と呼びかけると、女性や若者らが「アカン!」と書かれた黄色い紙を一斉に掲げた。

マグマの変化をメディアも伝え始めた。手応えは十分。潮目は変わりつつある。
(2015年6月8日)

憲法学者「9条違反」ー「違憲ショック」「論戦 潮目変わる」「審議大きな転換点」

私は、昨日(6月6日)「那須南九条の会」で戦争法案の違憲性について講演。本日(6月7日)は、川口で少人数の「憲法カフェ」に出席して質疑に応じた。多くの人が、憲法の平和主義が壊れるのではないかと危機感を募らせていることを痛感するとともに、戦争法案の違憲性の確信や反撃への手応えも感じている。

とりわけ、6月4日(木)衆院憲法審査会に参考人として出席した憲法学者3人が、口を揃えて「戦争法案は違憲」と言った「事件」の波紋は大きい。この話題が巷に満ちている。朝日川柳に次の句が掲載されている。
  呼んどいて「異見」はいらぬというシンゾウ(林武治)

世の衝撃は大きく、政権の評判はがた落ちだ。法案審議について議論の潮目が変わる予感がする。法案審議についての潮目の変化は、当然に安倍内閣支持の世論の潮目の変化ともなる。

本日の東京新聞朝刊には「論戦 潮目変わる」の大きな見出し。そして、「違憲ショック」「各論から『違憲立法』へ」である。朝日も、昨日の「憲法解釈変更 再び焦点」「安保法制『違憲』、攻める野党」に引き続いて、第2面に「参考人の指摘 重みは」とする大きな解説記事を掲載し「審議大きな転換点」と締めくくっている。毎日も、「学者批判続々」「安保法制 政権に不信感」だ。

とりわけ、東京新聞のボルテージが高い。
「衆院憲法審査会に参考人として出席した憲法学者三人全員が安全保障関連法案を『違憲』と言明したのを受け、衆院特別委員会の審議の最大の焦点が、法案の中身から法案の違憲性に移った。『違憲ショック』で法案の正当性が根幹から揺らいだことで、政府・与党は防戦を強いられた」というリード。

「長谷部恭男早大教授は、他国を武力で守る集団的自衛権の行使を解禁した憲法解釈変更に基づく安保法案について『従来の政府見解の論理の枠内では説明できず、法的安定性を揺るがす』と指摘。小林節慶応大名誉教授(民主党推薦)と笹田栄司早大教授(維新の党推薦)も『違憲』と言い切った」と経過を要約のうえ、
「五日の特別委は、専門家三人の『違憲』発言を受けて審議の潮目が変わった。それまでは、どういう状況なら集団的自衛権の行使が許されるのかの基準に議論が集中していたが、法案の違憲性が中心になった」と解説している。

「政府側は『憲法解釈は行政府の裁量の範囲内』(中谷元・防衛相)と反論。だが、この説明は『政府が合憲と判断したから合憲だ』と主張するのに等しい」「安倍政権は憲法解釈変更の閣議決定に際し、一内閣の判断で憲法解釈を変え、憲法が国家権力を縛る「立憲主義」をないがしろにしたと批判された経緯もあるのに、今回の学者や野党側の「違憲」との指摘も、正面から受け止めようとはしなかった」と手厳しい。

衆院憲法審査会の与党推薦参考人は、当初佐藤幸治(京大名誉教授)が予定されていたとされている。佐藤の日程の都合がつかなくて、与党は内閣法制局に適任者の人選を依頼し、内閣法制局から長谷部の推薦を受けたと経過が報じられている。もし、当初予定の佐藤幸治の日程に差し支えなく佐藤が審査会に出席していればどうなっただろうか。おそらくは、長谷部以上に辛辣に断固として法案の違憲を論じたにちがいないのだ。

その、話題の佐藤幸治が昨日(6月6日)1400人の聴衆に語っている。毎日の報道が大きい。「憲法改正:『いつまでぐだぐだ言い続けるのか』 佐藤幸治・京大名誉教授が強く批判」というタイトル。

「日本国憲法に関するシンポジウム『立憲主義の危機』が6日、東京都文京区の東京大学で開かれ、佐藤幸治・京大名誉教授の基調講演や憲法学者らによるパネルディスカッションが行われた。出席した3人の憲法学者全員が審議中の安全保障関連法案を「憲法違反」と断じた4日の衆院憲法審査会への出席を、自民党などは当初、佐藤氏に要請したが、断られており、その発言が注目されていた。

基調講演で佐藤氏は、憲法の個別的な修正は否定しないとしつつ、『(憲法の)本体、根幹を安易に揺るがすことはしないという賢慮が大切。土台がどうなるかわからないところでは、政治も司法も立派な建物を建てられるはずはない』と強調。さらにイギリスやドイツ、米国でも憲法の根幹が変わったことはないとした上で『いつまで日本はそんなことをぐだぐだ言い続けるんですか』と強い調子で、日本国憲法の根幹にある立憲主義を脅かすような改憲の動きを批判した」

注目されるのは、毎日が紹介するパネルディスカッションでの議論の内容。
「違憲とは言えないかもしれないが、憲法の精神には反していることを示す『非立憲』という言葉が話題になった。これまで、特に政治家の行動を戒めるために使われてきた言葉という。樋口陽一・東大名誉教授は、憲法改正の要件を定める憲法96条を改正し、国会発議のハードルを下げる『96条改正論』や、政府・与党による安保法制の提案の仕方そのものが『非立憲の典型』と批判した。」

これは面白い。2013年の憲法記念日を中心に、メディアに「立憲主義」の用語があふれた。安倍内閣の96条先行改憲論が立憲主義に反すると批判の文脈でだ。立憲主義の普及が、96条改憲論に本質的なとどめを刺した。今度は、「非立憲」。7・1閣議決定が「非立憲」。戦争法の提案自体が「非立憲」。必ずしも、明確に立憲主義違反とは言えない場合にも「非立憲」。気軽に、手軽に「非立憲」。安倍政権の非立憲を大いにあげつらおう。

東京新聞2面に、「安保国会 論点進行表」が掲載されている。10項目の各論点について、先週の「第1週の議論」に続いて、「第2集(1?5日)の議論」がまとめられている。ここには安保特別委員会だけでなく、憲法審査会の参考人発言も要領よく書き込まれている。これは優れものだ。来週の進行が楽しみになってきた。
(2015年6月7日)

これは最近にない痛快事ー「安保法制は憲法違反」自公推薦を含む参考人全員が批判

国会の委員会審議では「参考人質疑」が行われる。各党の委員が、自党の見解を支持する識者を参考人として推薦する。だから、各党の見解の分布がそのまま、参考人の意見の分布に重なる。私も過去に2度、参考人として招かれた経験があるが、事前に予定されたとおりの意見の陳述があって波乱なく終わった。これが通例なのだろう。波風の立つことのない安全パイのパフォーマンス。ところが、今日は違った。与党側にしてみれば、トンデモナイ事態の出来であったろう。

報道によれば、衆院憲法審査会は4日、与野党が推薦した憲法学者3人を招いて参考人質疑を行った。その質疑において、集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案に関する質問では、全員が「憲法9条違反」と明言したという。これは、近時まれなる痛快事ではないか。

参考人は、自民・公明・次世代の3党が推薦した長谷部恭男、民主党が推薦した小林節、維新の党推薦の笹田栄司の3氏。樋口陽一・杉原泰雄・浦部法穂・山内敏弘などの違憲論を述べると予想される大御所連ではない。安全パイと思われての出番であったろう。とりわけ、長谷部恭男がその役割であったと思われる。

周知のとおり、長谷部恭男とは、特定秘密保護法の原型を形つくった、「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」5人のひとりである。2011年1月から6月にかけて、6回の会合を開き、同年8月8日に「秘密保全のための法制の在り方について」と題する報告書をまとめた。秘密保全法制検討の会議にふさわしく、会議の経過はヒ・ミ・ツ。議事録の作成はなかったという。その会議の中枢にあって、特定秘密保護法案が国会提出となってからも、積極的な推進論者であった。当然のごとく、衆議院の特別委員会で自民党推薦の参考人として特定秘密保護法に賛成の意見を述べている。

また、小林節とは、長く改憲論を唱える憲法学者として孤塁を守った人物。この人の著書のタイトルが、「憲法守って国滅ぶ」(1992年)、「そろそろ憲法を変えてみようか」(小林節・渡部昇一共著、2001年)、「憲法、危篤!」(小林節・平沢勝栄共著、200年)と言うのだから、推して知るべし。もっとも、最近の安倍政権の解釈改憲路線に対する批判は鋭い。護憲的改憲論者なのか、改憲的護憲論者なのかよくわからないが。

そして、笹田栄司。司法制度の研究者として知られる人だというが、この人が、憲法9条や安保法制についてどのような発言をしているかはほとんど知られていないだろう。推薦者が維新というのも、どんな見解を述べるのかまったく推測不可能。その意味では、最も適格な参考人であったかも知れない。

長谷部は、集団的自衛権の行使容認について「憲法違反だ。従来の政府見解の基本的枠組みでは説明がつかず、法的安定性を大きく揺るがす」と指摘。「外国軍隊の武力行使と一体化する恐れが極めて強い」と述べた、という。(この部分産経による)

これは事件だ。与党(自・公、おまけに次世代まで含めた3党)が招いた憲法学者が、政府提出の法案を違憲と明言したのだ。安全パイが、「ロン!」と当たってしまったのだ。前代未聞のことであろう。痛快きわまりない。

法案作りに関わった公明党の北側一雄は「憲法9条の下でどこまで自衛措置が許されるのか突き詰めて議論した」と理解を求めた。だが、長谷部氏は「どこまで武力行使が新たに許容されるのかはっきりしていない」と批判を続けた、と報道されている。長谷部という人、御用学者と思っていたが、研究者としての信念を持っていると見直さざるを得ない。

小林も、「憲法9条は海外で軍事活動する法的資格を与えていない。仲間の国を助けるために海外に戦争に行くのは憲法違反だ」と批判した。明快この上ない。また、政府が集団的自衛権の行使例として想定するホルムズ海峡での機雷掃海や、朝鮮半島争乱の場合に日本人を輸送する米艦船への援護も「個別的自衛権で説明がつく」との見解を示した、という。護憲論でも改憲論でもなく、解釈論ならこうなる以外にない、ということなのであろう。

そして、笹田。従来の安保法制を「内閣法制局と自民党が、(憲法との整合性を)ガラス細工のようにぎりぎりで保ってきた」と説明し、「今回、踏み越えてしまった」と述べた、という。推薦した維新はどう思ったのだろうか。想定のとおりの発言と受け止めたのか、それとも予想外のこととして驚いたろうか。

いずれにしても、専門研究者からの「法案は違憲」の指摘である。今後の審議への影響がないはずはない。まったく影響ないのなら、参考人質疑という制度自体が無意味ということになる。

さっそく官房長官が会見でフォローを試みた。
「憲法解釈として法的安定性や論理的整合性が確保されている」としたうえで、「まったく違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と述べた、とのこと。これは、ハッタリというしかなかろう。こんなことを言うから、なおのこと政府の狼狽が見えてしまうのだ。

おそらくは、「違憲でないという憲法学者もいる」だけなら、おそらくウソではないだろう。しかし、「まったく」を付ければもうウソだ。「著名な」も「たくさんいる」もみんな根拠がない。どんな憲法学者が、政府与党のチョウチンを持とうというのか。明確にして欲しいものだ。

一方、法案が憲法に違反し、重大な問題をはらんでいるとする憲法学者は、上記の3人以外に、少なくも171人はいる。明治大学の浦田一郎教授ら6人が3日、国会内で会見して明らかにした憲法学者声明の賛同者数である。法案を合憲と主張する憲法学者が存在したとしても絶対少数。無視してよい程度。どの世論調査においても、法案反対派が多数を占める。どうやら、内閣と国会だけが、世論とねじれた存在になっているのだ。

安倍クン、無理押しは、安倍内閣の存立危機事態を招くことになるぞ。
(2015年6月4日)

平和憲法の原点は「非武装平和」

毎日新聞「オピニオン欄・社説を読み解く」は、月初めの火曜日に「前月の社説の主なテーマを取り上げ、他紙とも比較しながらより深く解説します」という論説委員長の署名記事。本日は、「国会審議のあり方」を取り上げて、安保法案審議に関しての自社の社説を解説している。切れ味の鋭さはないが、落ちついた姿勢で、内閣とメディアをたしなめ批判する内容となっている。

記事での言及はないが、各紙の関連社説の標題が掲記されているのが目を引く。
◇安保法案審議に対する社説の見出し
毎日 「大転換問う徹底議論を」(5月15日)
    「決めつけ議論をやめよ」(5月26日)
朝日 「この一線を越えさせるな」
    「合意なき歴史的転換」(5月15日)
読売 「的確で迅速な危機対処が肝要」
    「日米同盟強化へ早期成立を図れ」(5月15日)
日経 「具体例に基づく安保法制の議論を」(5月14日)
    「自衛隊の活動域さらに詰めよ」(5月21日)
産経 「国守れぬ欠陥正すときだ」
    「日米同盟の抑止力強化を急げ」(5月15日)
東京 「専守防衛の原点に返れ」
    「平和安全法制の欺(ぎ)瞞(まん)」(5月15日)

この見出しで、大まかに各紙のスタンスがつかめる。一方に、東京・朝日があり、対極に産経・読売がある。その間に、毎日・日経が位置するという構造。但し、この序列は当該の社説に限ってのこと。毎日の「リベラル度」は朝日と変わるまい。

東京新聞5月15日の社説にあらためて目を通した。熱のこもった、素晴らしい内容だ。読者の気持を動かす筆の力を感じる。

タイトルが「専守防衛の原点に返れ」で、三つの小見出しがついている。「平和安全法制の欺瞞」「憲法、条約の枠超える」「岐路に立つ自覚持ち」というもの。

まずは「平和安全法制」との政府のネーミングを欺瞞と断じている。
「呼び方をいかに変えようとも、法案が持つ本質は変わりようがない」「その本質は、自衛隊の活動内容や範囲が大幅に広げられ、戦闘に巻き込まれて犠牲を出したり、海外で武力の行使をする可能性が飛躍的に高くなる、ということだ」

社説子は熱く訴えている。
「思い起こしてほしい。なぜ戦後の日本が戦争放棄の「平和憲法」をつくり、それを守り抜いてきたのか。思い起こしてほしい。なぜ戦後の日本が「専守防衛」に徹してきたのか。
それは誤った政策判断により戦争に突入し、日本人だけで約三百十万人という犠牲を出した、先の大戦に対する痛切な反省からにほかならない。」

この社説の骨子は、戦後貫いてきた「専守防衛」の原点に返って、「海外での武力の行使に道を開く危うい法案」を批判するもの。「平和憲法を守り、専守防衛を貫いてきた先人たちの思いを胸に刻みたい」「二度と侵略戦争はしない、自国防衛以外には武力の行使や威嚇はしないという戦後日本の原点」に立ち返れ、とも言っている。

この社説の立場には賛意を表する。が、やや違和感を拭えない。我が憲法の平和主義の「原点」は何かという点についてである。

憲法9条を字義のとおりに読み、公開されている制憲議会の審議経過を通覧する限り、「非武装平和」が原点であったことに疑いはない。けっして「専守防衛」ではなかった。

東西冷戦構造の中で、警察予備隊から保安隊、そして自衛隊創設が「押しつけられた」。そのとき、国民世論のせめぎ合いの中で、設立された実力装置は、国防軍ではなく、「自衛のための実力」との位置づけにとどめられた。こうすることで憲法との折り合いをつけたのだ。これが、「専守防衛」路線の出自である。

原点の非武装平和の理念は大きく傷ついたが、専守防衛としてしぶとく生き残ったとも評価し得よう。今、現実的な論争テーマは、「専守防衛路線からの危険な逸脱を許してはならない」というものである。これが、許容ぎりぎりの憲法解釈の限界線を擁護する実践的議論でもあることを自覚しなければならない。
(2015年6月2日)

戦争法案の危険性を見極めようー政権の悪徳商法に欺されてはならない

名は体を表すという。もちろん、「多くの場合には」ということであって、「常に」ではない。狗肉を売るに羊頭を掲げるのは、この「多くの場合には」という常識に付け込んでのこと。不用意に名を軽信すると、あとで悔やむことになる。

狗肉を狗の肉と正直に表示したのでは買い手がつかない。そこで、羊頭の看板を掲げ、偽装表示を施すことが必要となってくる。狗の肉を、あたかも羊の肉と思い込ませるセールストークで売り込もうという悪徳商法。ここでは、羊の肉と名付けられて、実は狗肉が売られることになる。

「他のどんな名前で呼んでもバラはバラ」であるごとく、「他のどんな名前で呼んでも狗肉は狗肉」なのだ。看板ではなく、包装ではなく、名前ではなく、欺罔のセールストークではなく、商品の中身の実体を見極めなければならない。うっかり買ってからでは、取り返しのつかないことになる。

うまい話には裏がある。甘い話には毒が潜んでいる。ゴテゴテと看板を飾り立てるセールストークは、それだけで眉唾物と警戒しなければならない。今まさに、政権が危険な商品を国民に売り付けようとしている。

このブログでは一貫して「戦争法案」と呼称してきた5月16日国会提出の閣法2法案。その正式名称は「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律案」と、「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律案」である。「平和」「安全」「国際」「共同」などの好もしいイメージの語でデコレーションされた法案の名称。これが羊頭である。美しいラッピングでもある。端的に言えば、偽装表示にほかならない。

メディアでは、「平和安全法制整備一括法案」「国際平和支援恒久法案」などと呼んでいるが、これは体を表した名ではない。狗肉の実体を隠すことに手を貸しているというべきではないか。トリカブトをバラと呼んではならない。狗を羊と見誤ってはならない。

前者の提案理由に、「国際連携平和安全活動のために実施する国際平和協力業務その他の我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するために我が国が実施する措置について定める必要」が謳われている。後者についても、「国際社会の平和及び安全の確保に資する」という。「国際」「連携」「平和」「安全」「協力」の大安売りである。

私(たち)がその実体から戦争法案と名付けた法案は、他のどんな名前で呼ぼうとも、「平和」や「安全」の名で飾りたてようとも、戦争の腐臭が消えないのだ。眉に唾を付けよう。この法案の売り手は、これまでも平気で嘘をついている男なのだから。

さらに問題は、「専守防衛」にある。
安倍首相は昨日(5月27日)午後の衆院平和安全法制特別委員会で、集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法案について、先制攻撃を排除した「専守防衛」の原則を変更するものではないとの見解を示した。民主党長妻昭代表代行が「専守防衛の定義が変わったのではないか」と問い質したのに対し、「専守防衛の考え方は全く変わりない」と否定した。

専守防衛とは、自衛力の行使を、自国の領土が武力攻撃を受けた場合に限るということだ。しかも、自国民の安全を守るために最小限の実力の行使に限定する。これが、自衛隊の存在を許容する9条解釈の限界とされてきた。自衛隊は、専守防衛に徹するものとして誕生したのだ。1954年自衛隊法成立に際しては、参議院が「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」を成立させている。全会一致でのことだ。

専守防衛は、自衛力の行使の場所は自国領内に限定することを想定している。時間的には、相手国からの攻撃のあとのものとの想定である。遠く、自国を離れた戦地での防衛的な武力行使や、先制攻撃をもっての武力行使をまったく想定していない。海外での武力行使、自国を攻撃していない国に対する武力行使は、専守防衛ではない。

集団的自衛権の行使とは、自国が攻撃されていないときに、同盟国への攻撃に反撃する武力行使なのだから、専守防衛から逸脱することになるのは自明のことである。専守防衛では、つまりは個別的自衛権の行使では不十分だとしての法改正なのだから、あまりに当然のこと。

しかし、専守防衛から逸脱するとあからさまに認めれば、国民に不安の種を植えつけることになる。ここは、集団的自衛権という危険な狗肉に、専守防衛というラッピングをしてしまおう。憲法9条遵守という羊頭の看板も掲げておこう、というわけだ。

着目すべきは、看板でも、ラッピングでもない。商品実体なのだ。戦争法案が想定する集団的自衛権行使を選択肢として許せば、自衛隊は国防軍化することになる。いざというときのために、装備も編成も作戦も、すべては一人前の軍隊として歩き出すことになる。これだけでたいへんに危険なこととなる。

さらに、この上なく危険な同盟国アメリカの先制攻撃で始った戦争のある局面で、アメリカの一部隊が攻撃されたからということから自衛隊が一緒に闘うことになりかねない。これを「巻き込まれた戦争」というか、「日本主導の戦争」というかは問題ではない。日本が戦争当事国となり、全土が攻撃目標となり得るのだ。

くれぐれも用心しよう。暗い夜道と安倍話法。
(2015年5月28日)

安倍晋三の憂鬱ー「政権の存立危機事態」が目前だ

日曜日、ゴルフコースの坂道を登りながらこう考えた。説明責任を果たさなければ叩かれる。さりとて、丁寧に説明すれば世論は離れていく。ほんに、政治家も楽ではない。人をたぶらかすのは難しい。

そんな沈んだ気持の週明け。各紙の朝刊に碌な記事が出ていない。とりわけ不愉快なのが、日経だ。1面に「本社世論調査」の結果として「安保法案『今国会で』25%」という大見出し。
「日本経済新聞社とテレビ東京による22?24日の世論調査で、集団的自衛権の行使を可能にする関連法案の今国会成立に『賛成』が25%と4月の前回調査から4ポイント低下し、『反対』が55%と3ポイント上昇した。政府・与党は今国会での法案成立を目指すが、慎重論の強さが改めて浮き彫りになった。」
見出しの付け方も、記事の書き方も、もっと別の言い方があるだろう。産経や読売を見習うように、よく言って聞かせなければならない。

日経記事が癪に障るのはむしろ2面の世論調査詳報だ。見出しが、「安保法案『説明不十分』8割」というもの。「成立への懸念強く」「内閣支持層でも7割」というのだ。
「日本経済新聞社の世論調査で、26日に衆院で審議入りする安全保障関連法案への懸念の強さが改めて浮き彫りになった。8割が政府の説明は不十分だと回答。安倍晋三首相の『米国の戦争に巻き込まれることはない』との発言に『納得しない』も7割を超えた。政府・与党は今国会成立をめざすが、必要性はまだ浸透していない。」

何より頭にきたのは、今年1月から5月までの世論変化のグラフを掲載していること。わざわざ「集団的自衛権行使に関する法案成立には反対が増えつつある」というコメント付きでだ。反対世論は順調に増加して、「49%→55%」となっており、私の愛する賛成派国民は「31%→25%」と着実に減っている。

また、わざわざ目立つように表を拵えて、次のように報じている。
◇集団的自衛権行使に関する法案成立に
  賛成   25%    反対  55%
◇首相の『米国の戦争に巻き込まれることはない』との説明に
  納得する 15%   納得しない73%
◇政府の安全保障関連法案に関する説明
  十分だ   8%   不十分だ 80%

こんな数字は、細かいポイントで目立たないようにすべきが常識ではないか。たかが民間新聞の分際で、政府に楯突こうというのか。

日経だけではない。毎日の世論調査結果もその報道姿勢も不愉快極まる。政権批判が新聞の使命だといわんばかりではないか。父の晋太郎が在籍していた社ではあるが、最近偏っているのではないか。いや、いつまでも昔のままで時代の風を読めていないのではないか。

「毎日」1面の見出しは、「安保法案『反対』53%」というもの。活字が大きすぎる。太すぎる。続いて、「今国会成立『反対』54%」「本社世論調査」というもの。

記事の内容は以下のとおり。
「毎日新聞は23、24両日、全国世論調査を実施した。集団的自衛権の行使など自衛隊の海外での活動を広げる安全保障関連法案については『反対』との回答が53%で、「賛成」は34%だった。安保法案を今国会で成立させる政府・与党の方針に関しても『反対』が54%を占め、「賛成」は32%。公明支持層ではいずれも『反対』が『賛成』を上回った。」

「質問が異なるため単純に比較できないが、3月と4月の調査でも安保法案の今国会成立には過半数が反対している。政府・与党は26日から始まる国会審議で法案の内容を丁寧に議論する姿勢をみせているが、説明が不十分なまま日程消化を優先させれば、世論の批判が高まる可能性がある。」

これが最新の調査結果。これが、昨年7月1日集団的自衛権行使容認の閣議決定後の国民的議論の暫定結果だ。今や、政府が閣議を経て国会に上程した法案に、国民世論の過半が反対しているのだ。賛成派は、4分の1か、3分の1。しかも、説明すればするほど、国民は「分からない」と言い「説明不足だ」という。そして「反対だ」という世論が増えていくのだ。なんとものわかりの悪い国民だろうか。

ここでの国会戦術はよく考えなければならない。強行突破か、一歩後退しての迂回か、いずれの戦術をとるべきか。

我が手には、小選挙区制のマジックで掠めとった圧倒的な国会の議席がある。幸いに、官製相場と悪口を言われながらも株価を維持しているおかげで、まだ安倍政権支持の世論は不支持を上回っている。今のうちなら、強行突破は可能だ。どうせ「丁寧な説明」を重ねたところで、国民が納得するはずはない。むしろ、世論は集団的自衛権反対、戦争法案反対などに固まりつつある。ならば、ジリ貧を避けるのが上策だろう。公明と次世代を語らって、強行に審議入りし、強行採決を重ねても法案成立に漕ぎつけるのが得策ではなかろうか。

とは言うものの、これは大きな賭けだ。リスクはこの上なく大きい。60年安保の教訓を思い起こそう。あの騒ぎは、新安保条約の危険性に国民が反対しただけではない。衆議院の強行採決が民主主義の危機という世論を喚起して、あの盛り上がりとなったのだ。結局は、新安保条約は自然成立となったが、祖父岸信介は政権を投げ出さざるを得なかった。こんな事態の再来は十分に考えられる。まさしく私の政権の「存立危機事態」の到来だ。いや既に、「重要影響事態」の水域には到達していると考えざるをえない。

憂鬱だ。ほんに、政治家も楽ではない。人をたぶらかすのは難しい。
(2015年5月25日)

ポツダム宣言もカイロ宣言も、つまびらかにしない総理

アベ君。私は恥ずかしい。高校生のキミに歴史を教えたのは私だ。キミの歴史への無知は私にも責任がある。なんともお恥ずかしい限りだ。

これまでもハラハラし通しだった。キミの歴史や社会に関する知識が乏しいこと、ものの見方の底の浅いことは私がよく知っている。それでも、今までは周りが上手に支えてくれて、たいしたボロを出さず乗り切ってきた。私は感心していた。周囲のフォローの努力と力量にだ。しかし、やっぱり浅い底が割れた。

キミは、ポツダム宣言もカイロ宣言も読んだことがないと国会で言っちゃった。もっとも、「そんなもの知らないよ」「読んだことないんだ」と率直には言わなかった。「私はまだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりません」と、ちょっとヘンな日本語で格好をつけてはみたが同じことだ。

今にして思う。高校生の時に、キチンとキミの歴史と社会の成績に落第点をつけて、留年させておくべきだった。そのうえで、まっとうに勉強させておくべきだったのだ。それがキミのためでもあったし、日本の国民のためにもなったのだ。不勉強なキミを及第させ、卒業させてしまったことがまちがいだった。まことに残念だ。

どういうわけか、キミは憲法と言えば、大日本帝国憲法のことしか頭になかった。古い憲法と、五ヶ条のご誓文だけはよく覚えていたようだ。それから、お祖父さんが活躍した満州には関心があったようだ。しかし、ポツダム宣言受諾と敗戦、それに続く戦後の諸改革、日本国憲法の制定、そして戦後民主主義に関しては、ちっとも勉強をせなんだ。キミの頭の中では、日本の歴史は1941年12月8日あたりで止まっているようだった。ポツダム宣言やカイロ宣言など、そのあとの出来事はキミの気に入らないこととして知る気にも読む気にもなれないのだろうな。

昨日(5月20日)の党首討論での志位和夫の質問は、次の通りだ。
志位 戦後の日本は、1945年8月、「ポツダム宣言」を受諾して始まりました。「ポツダム宣言」では、日本の戦争についての認識を二つの項目で明らかにしております。
一つは、第6項で、「日本国国民ヲ欺瞞(ぎまん)シ之ヲシテ世界征服ノ挙(きょ)ニ出ヅルノ過誤」を犯した勢力を永久に取り除くと述べております。日本の戦争について、「世界征服」のための戦争だったと、明瞭に判定しております。日本がドイツと組んで、アジアとヨーロッパで「世界征服」の戦争に乗り出したことへの厳しい批判であります。
いま一つ、「ポツダム宣言」は第8項で、「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行(りこう)セラルベク」と述べています。
「カイロ宣言」とは、1943年、米英中3国によって発せられた対日戦争の目的を述べた宣言でありますが、そこでは「三大同盟国は、日本国の侵略を制止し罰するため、今次の戦争を行っている」と、日本の戦争について「侵略」と明瞭に規定するとともに、日本が「暴力と強欲」によって奪った地域の返還を求めています。
こうして「ポツダム宣言」は、日本の戦争について、第6項と第8項の二つの項で、「間違った戦争」だという認識を明確に示しております。
総理におたずねします。総理は、「ポツダム宣言」のこの認識をお認めにならないのですか。端的にお答えください。

こりゃ、答えは簡単だ。「当然、認めます」「当たり前の話ですよ」で済む問題だ。しかし、キミは「ポツダム宣言の認識をその通りに認める」ことはできないのだ。しかも、その理由を説明し反論するだけの知識も能力もない。だから、キミの返答は次のような、ちぐはぐなものになってしまった。

アベ この「ポツダム宣言」をですね、われわれは受諾をし、そして敗戦となったわけでございます。そしていま、えー、私もつまびらかに承知をしているわけでございませんが、「ポツダム宣言」のなかにあった連合国側の理解、たとえば日本が世界征服をたくらんでいたということ等も、いまご紹介になられました。私はまだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから(議場がざわめく)、いまここで直ちにそれに対して論評することは差し控えたいと思いますが、いずれにせよですね、いずれにせよ、まさにさきの大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけでありまして、われわれはそのことは忘れてはならないと、このように思っております。

聞かれたのは、「間違った戦争だというポツダム宣言の認識を肯定するのか否定するのか」ということだ。結局キミは認めるとは言わなかった。歴史的経過として、日本が同宣言を受諾をして敗戦となった事実は認めるとは言ったが、そんなことは聞かれていない。問題は、戦争の評価だ。私は、教師として口を酸っぱくして、キミに教えたはずだ。あの戦争は侵略戦争であり、植民地拡大のための戦争だった。これを誤りとして反省するところから戦後日本は再出発し、近隣諸国にも迎え入れられたのだ。キミはどうして、「あの戦争は間違いだった」と言えないのか。「カイロ宣言やポツダム宣言に書いてあるとおりだ」と言おうとしないのか。ヘンな教え子をもってしまった私は不幸せだ。

キミの昨日のこの答弁のニュースは、アメリカにも届いていることだろう。キミは先日、アメリカの上下両院合同会議で演説したそうだ。その席で、「カイロ宣言やポツダム宣言に書いてあるところはつまびらかにしませんので、その評価は差し控えます」と口走ったらどうなっていただろう。おそらくは、議会の空気が凍り付いたろう。そして、その瞬間に日米関係に亀裂が走ったことだろう。昨日の発言が「日本の国会でのことだったから、どうせたいしたことではない」と、キミは言うのだろうか。

私の周囲では、これが今年の流行語大賞の有力候補と騒ぐ者が多い。「つまびらかに読んでおりません」あるいは「つまびらかに承知はしておりません」というフレーズだ。首相の無知あるいは不誠実が物笑いのタネになっている。一部では、これで大賞は決まりも同然とまことしやかにささやく者さえある。もっとも、私もその部分についてはつまびらかにしないのだが。
(2015年5月21日)

追記
上記の記事に思いがけない反応を得た。最初に、「もちろんパロディである」と注記しての引用ブログが目についた。「わざわざパロディと断りが必要なのかな」といぶかしんでいたところ、「澤藤さんは弁護士になる前に高校の教員をしていた経験があるのですか」「まさかとは思いますが、本当に安倍さんを教えたことがあるのですか」という問合せを受けて唖然とした。大方に誤解はないと思うが、この読者サービスの趣向を真実の体験と読み違えることにないように追記しておきたい。

私に安倍晋三首相の教師としての実体験があったとしたら、それこそ慚愧に堪えない。とても恥ずかしくて、公表できるようなことではない。フィクションだからこそ、軽く書けるのだ。

私が語らせた高校教師像は、戦後民主主義の体現者の象徴である。その理念の承継に必ずしも成功せず、その内側から民主主義の攪乱者を生みだしたことに呻吟する存在なのだ。そのような寓意を汲み取っていただきたい。
(2015年5月25日)

「戦争法案」への反対は、次の世代への責務だ。

確認しておこう。5月15日政府が国会に提出した新法「国際平和支援法案」と、下記10法の一括改正を内容とする「平和安全法制整備法案」について、当ブログは「戦争法案」と呼ぶ。
・武力攻撃事態法改正案
・重要影響事態法案(周辺事態法を改正)
・PKO協力法改正案
・自衛隊法改正案
・船舶検査法改正案
・米軍等行動円滑化法案
・海上輸送規制法改正案
・捕虜取り扱い法改正案
・特定公共施設利用法改正案
・国家安全保障会議(NSC)設置法改正案

「国際平和」や「平和安全」はまやかしであって、「戦争法案」という呼び名こそがこの法案の本質を表している、そう考える理由を述べておきたい。

私の認識では、憲法9条は1954年自衛隊創設によって「半殺し」の目に遭った。「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」はずの日本が、常識的には治安警察力を遙かに超える軍事力をもったのだ。違憲の状態が生じたことは誰の目にも明らかだった。しかし、このとき憲法9条は死ななかった。しぶとく生き延びた。

このときから、自衛隊は、「国に固有の自衛権を行使する実力部隊であって、憲法にいう戦力には当たらない」とされた。自衛隊の発足と当時に、参議院では全会一致で、「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」が成立してもいる。自衛隊の任務は、専守防衛に徹することとされ、その限度を超えた装備も編成ももたないことが確認されたのだ。

このとき、非武装に徹することによって平和を維持しようとした憲法9条の理念は大きく傷ついたが、「専守防衛」というかたちでは生き残ったと評価することができよう。

その後、「自衛隊を一人前の軍隊にせよ」「そのためには9条改憲を」という外圧は強かった。この「押しつけ改憲」と闘い、せめぎ合って、日本の国民世論は9条を守ってきた。そのため、自衛隊が防衛出動に踏み出せるのは、国土が侵略を受け蹂躙されたときに限られた。だから、自衛隊は、外征や侵略に必要な武器の装備はもてなかった。外国に派遣されたことはあっても、海外での戦闘行為はできなかった。満身創痍の憲法を活用し、9条の旗を押し立てた国民運動とそれを支えた国民世論の成果であったと言えよう。

歴代の保守政権も9条をないがしろにはしてこなかった。「右翼の軍国主義者」が首相に納まるまでは…、のことである。

今までは、自衛隊が武力を行使する局面は、「我が国土における防衛行為」としてのものに限られていた。飽くまでも、必要な限りでの自衛・防衛行為であって、これを戦争とはいわない。しかし、集団的自衛権の行使となれば、まったく話しは違ってくる。他国の戦争の一方当事者に加担して、自らも戦争当事国となるべく買って出て、武力を行使することになる。これは明らかな戦争加担行為にほかならない。

「戦争をしないから9条違反の存在ではない」とされてきた自衛隊に、戦争をさせようという法案だから「戦争法案」。この呼び方が、体を表す名としてふさわしいのだ。かくて、戦争法が成立すれば、これまでしぶとく生き残ってきた「半殺し」状態の9条に、トドメが刺されることになる。

5月14日閣議決定、15日国会に法案を提出。本日(19日)は、衆議院本会議で戦争法案審議のための特別委員会設置が可決された。自民・公明の与党のほかに賛成にまわったのは次世代の党。これで法案の集中審議が可能となった。小さいながらも次世代の党は、与党単独採決と言わせないための「貴重な」役割を演じている。委員は45名。自民28、民主7、維新4、公明4、共産2。委員長に浜田靖一元防衛相、筆頭理事には江渡聡徳前防衛相や長妻昭・民主党代表代行らが就任した、と報じられている。民主と共産に期待するしかない。

子どもの頃を思い出す。父が戦地の苦労を語り、母が銃後の辛酸を口にする。幼い私は、父母の心情をよくは分からないままに、「そんな戦争には反対すれば良かったのに」と言う。母が、「そんなことはとても言えなかった」「言えるような時代ではなかったんだよ」と呟く。父も母も、積極的に戦争に賛成した人ではない。しかし、戦争反対と言った人でもなく、反対と言える時代を作る努力をした人でもなかった。平均的庶民の一人として、応分の責任を持たねばならない世代に属していた。

いま時代は、あの戦争における戦前のターニングポイントあたりにあるのではなかろうか。戦争に反対と今なら言える。が、この言論の自由はいつまでもつか、見通せない。

戦争に反対、戦争を選択肢となし得る国とすることに反対。戦争のための教育に反対、防衛秘密法制に反対。戦争に反対する言論への封殺に反対。声を上げ続けなければならない、と思う。

何よりも、今は「戦争準備の法案に反対」と声を大きくしなければならない。新たな戦後を作らないために。また、次の世代から、「そんな戦争には反対すれば良かったのに」と言われることのないように。
(2015年5月19日)

「自衛隊員の戦闘死者は靖国神社に祀りたい」ー総理のホンネ

(内閣広報官)本日は、皆さまからのご要望で、御質問にお答えするかたちで特別に総理がホンネを語ります。オフレコのお約束は厳格にお守りいただくよう、特にご注意ください。違約の社には、官邸から調査がはいることもありますことを事前に警告申し上げます。では、ご質問をどうぞ。

(記者)幹事社から質問いたします。
閣議決定された安全保障関連法案ですが、報道各社の世論調査では、賛否が分かれて、慎重論は根強くあると思います。また、野党からは、集団的自衛権の行使の反対に加えて、先の訪米で総理が議会で演説された「夏までに実現する」という表明についても、反発の声が出ております。総理はこうした声にどうお答えしていく考えでしょうか。

(総理)国民の命と平和な暮らしを守ることが、政府の最も重要な責務であります。我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、あらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行う「平和安全法制」の整備は不可欠である、そう確信しています。ですから、国民のために法案の成立を早期に実現するよう努力いたします。
 あらゆる世論調査で、国民が集団的自衛権の行使容認に反対ないしは慎重の結果となっていることはよく心得ています。しかし、国民の命と幸せな暮らしを守るために、この法整備を断固としてやり遂げなければならない。それが政権を預かるものの使命と考えています。

 もちろん、国民の皆さまに、しっかりとわかりやすく丁寧に審議を通じて説明をしていきたいとは思います。しかし、いつまでもグズグスしているわけにはまいりません。民主主義のルールに従って、予め予定された期間の議論が終了すれば、粛々と多数決で決着をつけねばなりません。

 先般の米国の上下両院の合同会議の演説において、「平和安全法制の成立をこの夏までに」ということを申し上げました。これは、国際公約ですから、国民の納得よりも優先させねばなりません。「夏」とは、常識的に8月末までにということですから、それまでに衆参両院の審議と議決を済ませる覚悟です。国民への説明を丁寧にする、委員会や本会議での審議を尽くすというのも、時間を区切ってのこととならざるを得ません。国民の納得は望ましいことですが、仮にそれが得られなくても、早期にこの法案を成立させることの方が、遙かに重要なことなのです。

 こうした私の方針は国民の皆さまよくご存じのはず。私を、改憲論者で、平和は武力によってこそ守られるというイデオロギーの信奉者だと知ってなお、国民の皆さまに支持いただいています。2012年暮れの総選挙以来、私は総裁として、また我が党として、この戦争法制を整備していくことを一貫して公約として掲げています。特に、先の総選挙においては、昨年7月1日の閣議決定に基づいて、「平和安全法制」を速やかに整備することを明確に公約として掲げ、国民の審判を受けました。

 皆さまご記憶のとおり、2014年総選挙は、私自身が「アベノミクス選挙」と命名し、「景気回復、この道しかない」とのキャッチフレーズを掲げた選挙でした。確かに、安全保障政策の転換を争点とした選挙ではなかった。しかし、よく読めば公約には安全保障問題も掲げていたのです。これを「争点ずらし」などというのは、負け犬の遠吠え。勝てばこっちのものですから、総選挙の結果を受けて発足した第3次安倍内閣の組閣に当たっての記者会見において、戦争法案は通常国会において成立を図る旨、はっきりと申し上げたはずであります。

 国民の皆さまが望んでおられるのは、ものごとをテキパキと決めて前に進む政治であろうと心得ています。決められない前政権の政治に批判があって、安倍政権になったのではありませんか。ですから、私は、特定秘密保護法も、沖縄辺野古基地建設も、NSC設置法も、日米ガイドラインも、テキパキと決めてきました。7月1日閣議決定もその流れです。選挙で信任を得た以上は当然のことと考えています。世論調査の結果を無視するとはいいませんが、その結果で決断を躊躇することはいたしません。もちろん、国民の審判によって弱体化した野党の反対は覚悟の上で、粛々と採決の所存です。

(記者)国民の不安、懸念などについて説明を伺いたいと思います。自衛隊発足後今日まで、紛争に巻き込まれて自衛隊の方が亡くなることはなく、また、戦闘で実弾を使ったりすることもありませんでした。このことが国内では支持されていましたし、国際的な支持でもあったかと思います。今回の法改正で、自衛隊の活動がすごく危険になるとか、リスクな方に振れるのではないかと懸念されますが、この点に関する総理の御説明をお願いいたします。

(総理)まさに自衛隊員の皆さんは、日ごろから日本人の命、幸せな暮らしを守る、この任務のために苦しい訓練を積んで危険な任務に就いているわけであります。これからも同じようにその任務を果たしていくということが基本であります。
 自衛隊発足以来、今までに1800名の方々が、様々な任務で殉職をしておられます。こうした殉職者が出ないよう努力はしたいと思いますが、これまでも危険な任務であったことはご理解いただきたいと思います。

 自衛隊員は自ら志願し、危険を顧みず、職務を完遂することを宣誓したプロフェッショナルとして誇りを持って仕事に当たっています。その誇りのよってきたる根源は、死をも厭わずにお国のために尽すところにあります。当然のことですが、この法案が成立すれば、海外の戦闘で自衛隊員の死者が出ることは予想されるところですから、その戦闘死の顕彰を考えなければならないことになるでしょう。

 私が、靖国神社参拝にこだわっているのは、過去の歴史をどう捉えるかというだけではありません。これからの戦争や武力行使における自衛隊員の犠牲者の顕彰につながるものと考えているからです。国が、戦闘員の死に無関心で、その死に感謝や尊崇の念をもたなければ、いったいだれが命がけの任務に当たることになるでしょうか。

 危険な戦闘任務のための特別手当や、遺族に対する特別の補償の用意も必要でしょうが、何よりも全国民に戦闘死を名誉とする国民意識の涵養が不可欠だと思います。その死を誉れあるものとして子どもたちには教えなくてはなりませんし、公共への奉仕としてこれに勝るものはない立派な行為として、道徳の教科書にも是非載せなければならないと思います。

 そして、できることなら、靖国神社に戦死した自衛隊員を合祀したい。その合祀の臨時大祭には、戦前の例に倣って、余人ならぬ天皇陛下自らのご臨席を賜ることが望ましいと考えています。

 一方、怯懦から敵前において逃亡するなどの卑劣な行為には、旧陸軍刑法や海軍刑法に倣って厳罰を科する法制度を整えなければなりません。軍法会議の新設も必要になりましょう。そのためにも、憲法改正が必要なのです。

 ここまで来れば、「非武装」や「専守防衛」という憲法9条を中核にした戦後レジームを放擲し、たるみきったその精神的呪縛からもようやくにして脱却できたことになります。そのとき、念願の精強な我が軍の軍事力によって平和と安全を確立する「あるべき日本の姿を取り戻した」と言えるのではないでしょうか。

(内閣広報官)時間も経過しましたので、記者の皆様からの御質問を打ち切ります。この席での総理発言はホンネのところですから、くれぐれもご内密にお願いいたします。
(2015年5月16日)

「戦争の準備と覚悟こそが平和を守る」?戦争法案総理記者会見のホンネ

 70年前、私たち日本人は一つの誓いを立てました。もう二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。この不戦の誓いを将来にわたって守り続けていく。そして、国民の命と平和な暮らしを守り抜く。
 このような腑抜けた誓いにもとづく国の在り方を、私は予てから「戦後レジーム」と呼んで、このような考え方の呪縛から脱却すべきことを訴えてまいりました。そして、ついに本日、日本と世界の新たな秩序を確かなものとするための戦争法案を閣議決定いたしました。

 もはや武力によらずして、どの国も自国の安全を守ることはできない時代であります。私たちはその厳しい現実から目を背けることはできません。私は、近隣諸国との対話を通じた外交努力を重視していますが、有利な外交を推し進めるためには、どうしても武力が必要になります。口先の外交だけの国とナメられたのでは、一方的な妥協を余儀なくされるばかりです。

 総理就任以来、私を歴史修正主義者と騒ぎ立てる中国と韓国は無視し、それ以外の地球儀を俯瞰する視点で積極的な外交を展開してまいりました。その結論は、丸腰外交の限界ということでございます。外交には軍事力の支えが不可欠なのです。しかも、いざというときには、口先の威嚇だけではなく本気になって断固総力戦に踏み切る気概がなくては外交の成功はありえず、平和を守ることもできません。戦前のごとくに、国民すべてが一億一心となって滅私奉公の覚悟を確認し合う、そのような日本を取り戻さねばなりません。

 もっとも、本気で戦端を開いた場合、我が国の軍事力はいささか心もとないことは、皆さまご存じのとおりです。そのため、我が国の安全保障の基軸である日米同盟の強化に努めてまいりました。先般のアメリカ訪問によって日米のきずなはかつてないほどに強くなっています。日本が攻撃を受ければ、米軍は日本を防衛するために力を尽くしてくれる…はずです。そうでなくては困るのです。ですから、下駄の雪といわれようと、ポチと蔑まれようと、目上の同盟者アメリカにおもねるしか、我が国には選択の余地はないのです。

 安保条約に基づいて、私たちのためその任務に当たる米軍が攻撃を受けても、私たちは日本自身への攻撃がなければ何もできない、何もしない。これがこれまでの日本の立場でありました。本当にこれでよいのでしょうか。もちろん、日本ができることはたいしたことではありません。それでも、ポチとしては、いや目下の同盟者としては、ご主人であるアメリカのためにお役に立てるよう心掛けていますよ、と殊勝なところを見せなければならないのです。

 この辺の機微を国民の皆さまにはよくご理解いただきたいのです。もはや、これまでのように、「憲法の制約がありますから」「日本の憲法9条では…」などという弁解が通じる時代ではないのです。端的に申しあげれば、憲法を守ることよりも、アメリカにゴマを摺ることの方がはるかに大切なことなのです。そのようにしてでも、アメリカに擦り寄り、いざというときには拝み倒してもアメリカの軍事力に縋って我が国の平和と安全を守らなければならないのです。集団的自衛権というのは、そのような受益に見合ったリスクの負担なのです。ここをよくご理解ください。

 日本近海において米軍が攻撃されるとします。世界の警察をもって任じるアメリカですから、これまでも頻繁にいろんな国と紛争を起こしてきました。もちろんこれからも、ドンパチがあるでしょう。そのとき、日本に対する攻撃はないからと言って、黙って見ているのでは友だち甲斐のない奴と見限られてしまいます。大して役には立たないでしょうが、及ばずながらの一太刀の加勢をしておくこと、一声でも吠えておくことが、後々のために大切なのです。このときが、汗のかきどき、血の流しどきなのです。自衛隊員に貴い犠牲が出たとすれば、それこそアメリカへは高く恩を売ったことになります。おそらくは犠牲になった隊員やご家族にも、お国のための戦死として本望なことでしょう。

 もっとも、こうあからさまに本音を申しあげると不快、あるいは不都合とおっしゃる向きもありますので、ここは「集団的自衛権行使の要件をしっかりと定めました」と言っておくことにいたします。「同盟国アメリカが攻撃される状況は、私たち自身の存立にかかわる危機」という強調を前提として、「その危機を排除するために他に適当な手段がない」「なおかつ必要最小限の範囲を超えてはならない」という3つの要件による厳格な歯止めがある、としておきましょう。
 集団的自衛権の行使が厳格に過ぎたのでは、アメリカに恩を売ることはできません。当然のことながら、そのあたりは、適宜、以心伝心、魚心あれば水心という腹芸で運用宜しきを得なければ役には立ちません。

 それでもなお、アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか。漠然とした不安をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。「ここからは、抑揚をつけてゆっくり、はっきりと断言する」。あれっ、カンニングペーパーのト書きを間違って声を出して読んでしまいました。撤回して続けます。
 その不安をお持ちの方にここではっきりと申し上げます。そのようなことは絶対にあり得ません。新たな日米合意の中にもはっきりと書き込んでいます。日本が武力を行使するのは日本国民を守るため。これは日本とアメリカの共通認識であります。
 あれっ? これだけの説明で、国民の不安を解消することはできないだろうと私も思いますが、原稿にはこれ以上の理由の書き込みはありません。

 誰が考えても、本当は危ないことをするんです。日本が攻撃されていないのに、アメリカが攻撃されたら助っ人を買って出ようというのです。その途端に日本は中立国ではなく、戦争当事国になります。ですから、アメリカとの交戦相手国から、日本が攻撃を受けても文句は言えません。とりわけ、日本の軍事施設や原発の近くにいる方には覚悟が必要です。
 しかし皆さん、リスクなくしてメリットだけというムシのよい話はありません。このような危険を敢えて冒してこそ、もし日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力は更に高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考えます。正確に言えば、戦争と戦争による被害を覚悟し、敢えて戦争を辞さないとする決意と準備があって初めて、近隣諸国は日本と米国の本気を恐れて、うっかり手を出すことをためらうのです。
 ですから、戦争法案という呼称はきわめて正確なのです。集団的自衛権の行使を認めることは、戦争を準備しその覚悟をすることなのですから。ただ、そう言ってしまっては、法案が通りにくいことになりますから、「戦争法案などといった無責任なレッテル貼りは全くの誤りであります。あくまで日本人の命と平和な暮らしを守るため、そのためにあらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行うのが今回の法案です」と言っておくことにします。そして、法案の名称は、正確に「戦争法」とすることは避けて、「平和」や「安全」で飾っておきましょう。

 戦後日本は、平和国家としての道を真っすぐに歩んでまいりました。世界でも高く評価されています。その平和は、自衛隊の創設、日米安保条約の改定、度重なる改憲の試みなどの戦争への動きに抗した、国民的な平和運動の努力の結果であると一般には理解されています。しかし、もうこれからは違います。
 武力を背景に強い日本を作ること、日本の武力で足りないところは、アメリカの武力を頼ること、集団的自衛権の行使容認を立法化して、日米同盟を現実に戦争のできる実効的な同盟に作り替えること、このことを通じてしか我が国の平和と安全の確立はありません。
 私はそのように確信いたします。一見矛盾するレトリックのようですが、戦争の準備と覚悟が、抑止力にもとづく平和を生むのです。時代の変化から目を背けて立ち止まるのはやめましょう。そうして前に進もうではありませんか。

 日本と世界の平和のために、精強な軍事力を育てようではありませんか。いざというときには戦争を厭わない強い国民精神を養おうではありませんか。
子供たちに平和な日本を引き継ぐため、自信を持って、声を大にして言いましょう。
 「君たち、お国のために海外で戦う気概をもちなさい」「いざというときは、自分を犠牲にしてでも戦う勇気と公共心を持ちなさい」「そうすることで、我が国の平和と安全を守ることができるのですよ」と。

 私はその先頭に立って、国民の皆様と共に新たな時代を切り拓いて、今は失われた、本来の強い日本を取り戻す覚悟であります。
(2015年5月15日)

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