澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

賢治の一票 ― 総選挙の争点(その7)

私は宮沢賢治。1896年明治三陸大津波の年に生まれて、1933年昭和大津波の年に往生を遂げました。私の生涯は岩手の農民の苦難を背負って、おろおろと歩き回る一生でしたが、今は極楽浄土の蓮の台で、イツモシヅカニワラッテヰます。

思い起こせば、私の人生は「本当の幸せ」を求めての旅路でした。私は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と固く信じていましたから、我が身一人の富貴や名声の追求はまったく眼中にありませんでした。ましてや、人を搾取し収奪することは、心の底から恥ずべきことと考えていました。

ところが、花巻の宮澤家といえば地元では知られた富裕な名家。そこに生まれ落ちたことは、私にとって生涯後ろめたさのつきまとう宿業以外の何ものでもなかったのです。自分だけの特権としての幸せではなく、世界をぜんたい幸福にするためにはどうすれば良いのでしょうか。どうすれば、現実の困苦に悩む岩手や稗貫を理想のイーハトーブにできるのでしょうか。それを考え抜き、仲間を得てともに実践すること、それこそが私に与えられた使命と自覚しました。このことを私は、精神歌のなかの一節で「我等ハ黒キ土ニ伏シ マコトノ草ノ種マケリ」と表現したのです。

私ができることと言えば、病気ノコドモヲ看病シ、ツカレタ母ノ稲ノ朿ヲ負う程度のこと。もっと世界をぜんたい幸福にする方法はないのか。その問に応える道がいくつかありました。まず学問です。農民自身が新しい学問とそれを応用した技術を身につけて、農業生産力を飛躍的に向上させることを夢見たのです。

その願いが、「これからの本当の勉強はねえ テニスをしながら商売の先生から 義理で教わることでないんだ」「吹雪やわずかの仕事のひまで 泣きながらからだに刻んで行く勉強が これからのあたらしい学問のはじまりなんだ」という私の農民に対するメッセージとなりました。私は農民とともに、実用の学問を身につけようと奮闘しました。乞われるままに、現地を訪れて土壌の質に合わせた肥料設計図3000枚も書いています。

また、私は農民が芸術に親しむことを考えました。人生を豊かにする「農民の芸術」です。農民芸術概論綱要の序論に、私はこう書いています。
「われらの美をば創らねばならぬ 芸術をもてあの灰色の労働を燃せ ここにはわれら不断の潔く楽しい創造がある」「誰人もみな芸術家たる感受をなせ 個性の優れる方面に於て各々止むなき表現をなせ」
農民の人生を美しく充実したものにしたいと願ったのです。

しかし、学問も芸術も農民の本当の幸せを実現するには至りませんでした。結局私が生涯をかけて追い求めたのは宗教です。とりわけ法華経こそがすべての衆生を救う唯一の道であることが私の深い信念でした。真宗の信仰者である父親に強く改宗を勧め、法華経信仰を広めるために童話も書いたのです。もっとも、後世私の童話は私の意図とは違ったように理解され流布されていますが、それはそれでけっこうなことと思っています。

私の信仰の内容を忠実に童話化したものとして「ひかりの素足」があります。今、赤旗日曜版に、ますむらひろしがマンガにして掲載中。今週号が連載第21回目です。延々と息苦しく見るのも辛い地獄の描写が続いたあとに、救いのみほとけが現れ、極楽の描写に移ります。私は現世でもできることは精一杯したつもりですが、現実には「本当の幸せ」をつかみきれずに、現世とは違うところに救いを見出そうとしたのです。

とはいえ、信仰とは別の道として、現世において「世界をぜんたい幸福にしようとする」思想と実践には、心惹かれるものがありました。私は、「中等学校 生徒諸君」に寄せた詩のなかで、「諸君はこの颯爽たる未来圏から吹いて来る透明な清潔な風を感じないのか」「新たな時代のマルクスよ 盲目な衝動から動く世界を 素晴らしく美しい構成に変へよ」と呼びかけています。

詩を書いただけでなく、私は労農党稗和(稗貫・和賀)支部と親交をもち、資金の援助も惜しみませんでした。当時は珍しかった孔版印刷機のセットを寄付もしています。

しかし、合法政党だった労農党も弾圧を受け間もなく解散してしまいます。私が、現世で「みんなの幸せを実現する道」と希望した労農党の理想は潰えました。以後、私はもっぱら信仰による救いや自己犠牲を尊しとする道を歩まざるを得なかったのです。

それに比較して、今の世は何と様変わりしたことでしょうか。かつては治安維持法で非合法政党とされ、地下での逼塞を余儀なくされていた共産党が、堂々と選挙にうって出ているではありませんか。選挙を通じて、「颯爽たる未来圏から吹いて来る透明な清潔な風」を実現することができるというのですからなんと素晴らしい。

私は、私の生き方に照らして、日本国憲法には大いに関心をもち評価もしてきたところです。とりわけ、憲法の基底にある平和や人権の思想には、魂を揺さぶる共鳴を覚えます。これを変えてしまえという現首相のやり口は何と乱暴なことでしょうか。

日本国憲法の平和主義が蹂躙されようとしている今、集団的自衛権や特定秘密保護法の制定は私の目からも見過ごすことができません。農民をいじめるTPP交渉も止めさせなければなりませんし、人が人を搾取し収奪する自由に歯止めは不必要とする規制緩和の考え方には義憤を覚えます。

今回の総選挙は、私が一票持っていれば、当然に日本共産党に期待の投票をしたところです。現世の皆様、極楽往生を遂げる前に、精一杯穢土を楽土にする努力をお願いいたします。それこそが功徳。そして、私がなしえなかった「この世での本当の幸せを求める道」。現世の理想を実現し、理想郷としてのイーハトーブを打ち立てる道だと思うのです。たとえ、今回の選挙だけでの実現が困難としてもくじけてはなりません。次の言葉を贈ります。

「われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である」
(2014年12月9日)

12月8日午前7時NHKラジオにスイッチを入れた―総選挙の争点(その6)

幸いに、軍艦マーチも大本営発表もない。トップのニュースは徳島の積雪被害、次いでTPPについての各党の選挙政策、そしてアメリカの大陪審黒人差別問題。開戦のニュースはなかった。

NHKラジオのニュースに総選挙の政見放送が続いた。共産党の小池副委員長が、流暢にアベノミクスの失敗と消費税問題から説き起こし、重点政策を語った。

73年前の今日。1941年の12月8日も月曜日だった。今日と同じく、この日も寒気厳しく東京の空は抜けるように高く澄んでいたという。その日、午前7時NHK臨時ニュースの大本営陸海軍部発表で国民は「帝国陸海軍が本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」と初めて知らされた。日中戦争膠着状態の中での新たな戦線の拡大である。これを、多くの国民が熱狂的に支持した。

この日国民はラジオに釘付けになった。正午に天皇(裕仁)の「宣戦の詔書」と東條首相の「大詔を拝し奉りて」という談話が発表され、午後9時のニュースでの真珠湾攻撃の大戦果(戦艦2隻轟沈、戦艦4隻・大型巡洋艦4隻大破)報道に全国が湧きかえった。そうして、この日から灯火管制が始まった。

戦争は、すべてに優先しすべてを犠牲にする。73年前には気象も災害も、軍機保護法によって秘密とされた。治安維持法が共産党の活動を非合法とし徹底して弾圧した。大本営発表だけに情報統制し、宣戦布告を「大詔渙発」として天皇を国民精神動員に最大限利用した。こんな歴史の繰りかえしは、金輪際ごめんだ。

今朝は7時のラジオニュースを聞きながら、布団のなかでぬくぬくと「平和」を満喫した。今のところ戦争はなさそう。軍機保護法も治安維持法もない。共産党も公然と政見放送ができる。これが安倍晋三が脱却を目指すとしている「戦後レジーム」なのだ。安倍晋三が取り戻そうとしている日本とは、「大本営発表の世界」ではないか。この日の宣戦の詔書は、早朝の閣議で確認されたもの。その閣議には、安倍が尊敬するという祖父・岸信介が商工大臣(在任期間1941年10月18日?43年10月8日)として加わっている。そんな日本の取り戻しなど許してはならない。

戦争は教育から始まる。戦争は秘密から始まる。戦争は言論の弾圧から始まる。戦争は排外主義から始まる。新しい戦争は、過去の戦争の教訓を忘れたところから始まる。「日の丸・君が代」を強制する教育、特定秘密保護法による外交・防衛の秘密保護法制、そしてヘイトスピーチの横行、歴史修正者の跋扈は、新たな戦争への準備と重なる。集団的自衛権行使容認は、平和憲法に風穴を開ける蛮行なのだ。

こんな安倍自民に300議席など与えてはならない。12月8日の今日、強くそう思う。
(2014年12月8日)

今の世に啄木あらば勇躍し共産党に投票するならん―総選挙の争点(その5)

本日は、村岡到さんからのお誘いで、討論会と忘年会に出席させていただきました。

討論会は、村岡さんの近著「貧者の一答?どうしたら政治は良くなるか」のタイトルをそのままテーマにするものでしたが、これがたいへん充実して面白かった。結論が決まっている予定調和討論はまことに味気ないもの。肩書による権威をもつ者がいない場での、誰もが正解をもたない自由な意見交換なればこその面白さでした。

村岡さんご自身の発言にもあったように、「予想外の盛会」。多くの人が、憲法の危機、平和の危機、日本経済の危機を語って、今回の総選挙の重要性を強調しました。何としても安倍政権を倒さねばならない。その熱気が今日の盛会となったと思います。

ところで、この著書のなかで、村岡さんは書名の解説に触れて「私は『貧者の味方』ではなく、貧者の一員であり、その立場から生きる意味を考え、主張する」と述べています。これは力強い宣言。存在が意識を規定する以上、この世の矛盾の根源を撞く発言と行動は「貧者の味方」ではなく、「貧者」自身から発せられることになるのは理の当然。

思い起こすのは、私と同郷の歌人・石川啄木のこと。没後10年(1922年)にして彼の故郷渋民に「柳青める」の歌碑が初めて建立されたとき寄進者の刻名はなく、ただ「無名青年の徒之を建つ」と刻まれていました。これは彼が「主義者」として知られていたからです。

「主義者」としての彼は、自らを「貧者」ととらえていました。そのような歌のいくつかがあります。

  わが抱く思想はすべて 金なきに因するごとし 秋の風吹く
  はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る
  友よさは 乞食の卑しさ厭ふなかれ 餓ゑたる時は我も爾りき

以下は、そのような彼であればこその歌のいくつか。
  平手もて吹雪にぬれし顔を拭く 友共産を主義とせりけり
  赤紙の表紙手擦れし国禁の書を 行李の底にさがす日
  「労働者」「革命」などといふ言葉を 聞きおぼえたる五歳の子かな
  友も妻もかなしと思ふらし 病みても猶革命のこと口に絶たねば
  地図の上朝鮮国に黒々と墨を塗りつつ 秋風を聴く
  時代閉塞の現状をいかにせむ 秋に入りてことにかく思ふかな

青年啄木が自らを貧者の一員としそれ故に社会の矛盾に憤っていたことが、いたいほど伝わってきます。決して高みから「貧者の味方」を気取る目線ではなく、自らがもがき苦しんでいることを率直に表現しているところが啄木の魅力なのでしょう。

この世の矛盾とは、結局は貧困の存在に行き着くのではないでしょうか。富の分配における不平等をいかに克服するかが究極の政治の使命。現在の社会が、富の偏在を産み出しその不平等を肯定する基本構造をもっているとき、まさしく「貧者の一答」はこの不平等をいかに克服するかの視点をもたざるを得ません。

それこそが、「わが抱く思想はすべて金なきに因する」必然だと思うのです。青年石川啄木が長生きをしていたら、村岡さんより先に「貧者の一答」を著したかも知れません。

今回の総選挙でも、貧者が「金なきに因し」て、「はたらけどはたらけど猶楽にならない生活」を変えるために、貧者の味方を標榜している革新政党に投票すべきが当然の理。その「貧者の一票」が政治を動かすことにならねばなりません。

投票者がこの社会の基本構造のどこに位置するかによって、合理的な政治的選択は決まって来るのではないでしょうか。今の世に啄木がありせば、躊躇なく共産党に投票することでしょう。

もちろん、その対極にある大企業経営者・大金持ち・大資産家は、自民党に投票するのが「正解」。しかし、圧倒的多数の「サラリーマン・工場労働者・公務員・自由業者・自営業者・農漁民・中小企業者」は、貧者の側と利害をともにするはず。

問われているのは、貧困・格差を産み出し拡大再生産する自公政権の経済政策にアクセルを踏むのかブレーキをかけるのか。税制、雇用、賃金、医療、教育、社会福祉等々の各課題で、不平等をなくす方向を目指すのか否か。

きっと、「主義者」啄木も、「ヒューマニスト」賢治も、強く「安倍ノー」というでしょう。そして、貧者として、あるいは貧者に寄り添おうとする姿勢から、共産党への投票を選択するに違いない。村岡さんの著書と発言からも、本日はそんなことを考えました。
(2014年12月7日)

「憲法を闇に押し込んだ壊憲記念日」 ― 総選挙の争点(その4)

今日は、特定秘密保護法成立からちょうど1年。7月1日と並ぶ壊憲記念日である。

 「憲法の輝く理念は闇の中 だから12月6日も壊憲記念日」

安倍内閣が存続すれば壊憲記念日が増え続けることになる。なんとかこれを阻止しなければならないと思う。

昨年の今日付の私のブログを読み直してみた。さすがにボルテージが高い。一節だけ引用しておきたい。
「今日も道行く人々にマイクで語りかけた。反応は様々。街宣活動参加者の怒りのボルテージと、道行く人の醒めた日常の心境とには明らかに隔たりがある。その温度差は当然といえば当然なのだが、昨日の特別委員会強行採決への怒りが治まらない。自ずからマイクの声にもトゲが混じる。
ご通行中の皆様、私たちは今参議院で審議中の特定秘密保護法案の廃案を求める宣伝活動を行っています。昨日の特別委員会強行採決には怒りを禁じ得ません。ぜひ、ビラをお読みください。皆さん、『自分には関係ない』とおっしゃっても、この法案の方は、あなたは無関係と放っておいてはくれません。この法案が通れば、必ず、あなたの権利や自由に影響が及ぶことになります。少なくとも、確実にジャーナリズムは萎縮する。私たちは知る権利を害される。それだけではありません。昔、軍機保護法という法律がありました。陸海軍大臣が思いのとおりに、軍事秘密を指定します。すると、飛行場も、港湾も、気象も、地震も、空襲の被害も一切秘密になる。写真も禁止、スケッチも禁止、喋ってもならない。うっかり喋るとスパイにされたのです。気象が軍事秘密でしたから、天気予報はなくなります。台風の予報もされなくなる。戦時中は、そのような時代でした。特定秘密保護法はこれと同じ構造の法律です。『大本営発表の時代』が到来しかねません。
今日は平和なようですが、この平和がいったいいつまで続くことになるか。私たちが、大事なことを他人任せ、安倍晋三任せにしてしまうと、『こんなはずではなかった。あのとききちんと反対しておけばよかった』となりかねません。今ならまだ、声を出せます。反対の声をあげられる。皆さん、ぜひ、特定秘密保護法に反対を…」

ところで、昨年の今ごろは1年先に解散総選挙があるなどとはつゆほども思わなかった。仮に総選挙間近という状況であれば、さすがの安倍内閣もこれほどの悪評を招く法律を、これほどのゴリ押しはできなかったろう。その選挙が、今眼前にある。選挙でリベンジしたい。痛切にそう思う。

当然のことながら、特定秘密保護法も大きな選挙の争点である。しかし、これも当然のことながら政権は選挙の争点にはしたくない。

複数の報道では、菅義偉官房長官が解散直前の11月19日の記者会見で、「集団的自衛権の行使を容認するために憲法解釈を変更した7月の閣議決定や、2012年衆院選の自民党公約になかった特定秘密保護法の制定は衆院選の争点にならないとの考えを示した」という。また、「国民の知る権利を損なう恐れのある特定秘密保護法の制定は『いちいち、一つ一つについて信を問うことではない』と述べた」ともいう。何を争点にするかは国民が決めること、国民の審判を仰ごうとする政権の態度ではない。安倍政権の傲りがよく表れている。

昨年の今ころ、「国民の知る権利を奪う特定秘密保護法」「ジャーナリズムを萎縮させ、国民の目、耳、口をふさぐ秘密保護法」というキャッチフレーズは、広範な国民の共感を得るところとなった。私は、この法律を、「国民は政府が許容した範囲の情報だけに接しておればよいとするコンセプトでできたもの」「それは、政権を信頼せよ。外交や防衛の問題は政府を信頼して任せておけば良い、という思想に基づくもの」と批判した。このまま推移すれば「国民の目、耳、口をふさぐ秘密保護法」今月10日に施行日を迎える。特定秘密の件数は政府全体で46万件前後となる見通し(共同)で、平和の維持や表現の自由という憲法の理念が、秘密の闇に沈み込むことになる。

憲法の輝く理念を特定秘密保護法の闇の中から救出しよう。それこそが、壊憲記念日の決意。その具体的手段は12月14日総選挙の各自の一票で、安倍自民党に大きな打撃を与えることである。一年前を思い起こして主権者としての心意気を示そうではないか。
(2014年12月6日)

パロディ「与党党首の原発再稼働願望」 ― 総選挙の争点(その3)

有権者の皆様に、政権与党の党首として心から訴えます。東京新聞を読まないようにお願いしたいのです。

東京新聞の看板記事である「こちら特報部」などは、権力批判の色濃く「この道しかない」わが国の国益を侵害するもので、お読みになっておためにならない。ですから、お読みならぬように。とりわけ、本日(12月5日)の東京新聞朝刊は読んではいけません。仮に、どうしてもお読みにならねばならない事情があるとしても、一面トップの記事だけは、意識的に避けていただきたい。残念ながら、大きな活字が向こうからパッと目に飛び込んできてしまいますがね。

なにゆえ本日の東京新聞トップを読んではならないかといえば、それが「誤解与える海水簡易分析」「『不検出』実際は汚染」という福島第一原発の海洋汚染の報道だからです。今日の記事に限らず、原発の放射線汚染報道は、いたずらに世を惑わすこと甚だしい。情報が正確であればあるほど、社会の不安を招くことになります。そんな「不都合な真実」を、いったい誰が知りたいと思うでしょうか。少なくとも、私は知らせたくない。

人それぞれに「知られたくない真実」というものがあります。そこには踏み込まないのが、人としての情でもあり信義でもあるのではないでしょうか。それこそが、和をもって貴しとなすという我が国伝統の美学。漢籍には「惻隠の情」という言葉もあるとおりです。分けても私のような一国の権力者に「不都合な真実」と思わせる情報を「本紙の調査の結果」として、得々と目立つ記事にするのは、お国のためにならない。今後は、特定秘密保護法の活用をよく考えなければならない。

その記事は、こんなけしからんことを言っています。
「東京電力福島第一原発から海洋への放射性セシウム汚染問題で、東電は測定時間が極めて短い簡易の分析で『検出せず』と公表してきた。ところが、詳細分析の結果では、その7、8割でセシウムが含まれていることが分かった。虚偽の公表とは言えないが、汚染は続いていないかのような誤解を与えかねない。」

あまり知られていないことですが、東電による福島第一放水口近くの海洋放射線量測定は、3カ所で行われており、測定方法は2通りあるのです。ひとつは高精度の詳細分析で、もう一つが低精度の簡易分析。詳細分析は10時間もかかる面倒な作業、その公表は行われてはいるものの1か月ほど後に目立たないようにされています。これに対して、簡易分析は40分の1の短時間で行いすぐに発表できるものです。精度は低いものの簡便ですから、東電も政府も記者会見資料としてこちらを使っています。そして、「一定の線量より低値の場合は線量が分からない」などと回りくどく言うよりは、きっぱりと「不検出」と言われた方が国民の皆様もご安心でしょう。もちろん、これが国益に適ったやり方。

ところが、国益と真実とは調和しないもの。簡易分析資料に基づいて記者会見では、「検出なし(ND)」と発表されていたものが、実は同じサンプルの詳細分析では汚染ありとなっていたということを東京新聞が調査で資料を見つけたのです。しかも、簡易分析で「放射線不検出」とされたものの7割から8割が、実は詳細分析では放射線汚染されていた、という報道となっている。そんな資料なぞひっそり眠らせておけばよいものを、なんと余計なことをしてくれたもの。

「その結果、簡易分析では『セシウムを検出せず』だったのに、詳細分析では検出されたケースが、南放水口で96件、北放水口では89件あった。それぞれ80%、73%の確率で、汚染はあるのに、ないかのような情報を発信していたことになる。」
「東電も政府も、記者会見で提供する説明資料では低精度の分析結果を用いることがほとんど。専門的には『検出せず』はゼロではなく、『ある濃度より低い場合は分からない』を意味する。うその説明にはならないものの、詳細分析のデータがあるのに、信頼性の低い値を使い続けているのが現状だ。」
というのが東京新聞の記事の内容。捏造だと文句の付けようがないから、始末が悪い。

しかも、私にとって実にいやな具体例が紹介されている。
「2013年8月26日 福島第一原発南放水口付近で採取した海水の簡易分析結果は不検出(ND)」。しかし、「同じサンプルの詳細分析結果は、2.06ベクレル/リットル」だったという。

皆様もうお忘れになったことでしょうが、2013年9月7日がブェノスアイレスで開催されたIOC総会で、2020年夏季オリンピックの開催地を決定する投票が行われた日。その日までに私が8月26日精密調査の結果を知らなかったと言っても、信用してはもらえないことでしょう。また、福島第一原発南放水口付近とは、外洋につながる場所でブロックするものは何もないのです。

にもかかわらず、私は「状況はコントロールされている」「汚染水による影響は福島第一原発の港湾内の0・3平方キロメートル範囲内で完全にブロックされている」と世界に向かって大見得を切ったのです。今日の東京新聞による限り、港湾内ではなく、外洋の海水から放射線汚染が検出されたことを知っていて嘘を言ったろうと言われてもやむを得ないところです。また、すくなともこれだけの大見得を切って断言する前に精密調査の結果を正確に調べるべきだったろうとの指摘には一言もありません。

でも、あの嘘があったからこその東京オリンピック招致成功じゃないですか。今更、あれは嘘だったと言ってどうなるものでもない。私は、人の嘘には厳しい。20年前の朝日の記事の引用に間違いがあったことは、徹底して追求する。でも、自分の嘘には寛容だ。政治家たる者の性として、当たり前の話でしょうが。

問題は、この記事が選挙に大きく関わってくる可能性があるということ。誰もが知ってのとおり、私は原発再稼働推進の立場。そのためには、福島の事故の影響はできるだけ小さいものだったと見ていただきたい。真実かどうかは問題じゃない。国益に適うかどうかだけが問題なのですから。

政府の方針でも、検査の精度は「1ベクレル以上の汚染を検知するよう」指示しています。これは、海水1リットル当たり1ベクレルが、海洋魚の食用安全性を考える目安となっているから。東京電力は、海洋廃棄許容基準として「セシウム(134と137)は1リットルあたり1ベクレル以下」としていますが、これは、廃棄され希釈される以前の汚染水そのものについての放射線量。希釈されたあとの外洋の海水が「1リットルあたり1ベクレル以上」となれば、さすがの私でもちょっとひるみますよ。

IOC総会直前8月26日の海水の放射線値が、2ベクレル/リットルであったように、安全の基準値を超える実例が現実にたくさんあったんですね。東京新聞の調査結果では、これ(1リットルあたり1ベクレル以上の検知)を守れずに見逃していたことを確認できるケースが南放水口で10件、北放水口で25件あったと報道されています。

このことは、2013年8月当時の福島原発の海洋汚染度が魚の安全の目安となっていた基準を超した危険値となっていたことを示しています。この事実が広く知られれば、原発の再稼働を許さないとする世論の声がさらに大きくなり、選挙での再稼働派の得票減をもたらしかねないことになります。それは国益を損なうこと。

だから、有権者の皆様、東京新聞を読んではいけないのです。くさいものにはフタ。火だねがあっても煙を消して、不都合な真実を見ないようにしましょう。そうして、みんなで「この一本道」をまっすぐにつき進むのです。そうすれば、この選挙は乗り切れる。この選挙さえ乗り切れば、規制委のお墨付きをもらって原発再稼働に持ち込める。そこまで持ち込めたらもうこっちのもの。その先何が起ころうとも私の責任ではない。なにしろ、主権者である皆様の選択の結果なのですから。
(2014年12月5日)

パロディ「公明党の悩み」 ― 総選挙の争点(その2)

私は公明党。1964年の結党からはや50年。私も年をとったものだ。前身の公明政治連盟も同様だが、産みの親も育ての親も宗教法人創価学会。これは天下周知の隠れもない事実。ホームページでは「政党と支持団体の関係です。各政党を労働組合や各種団体などが支持する関係と同類です」などと言ってみてはいるが、そんなことを信じる人もないだろう。

母体の創価学会は、元は日蓮正宗の在家信徒団体としての法華講の一つだった。いまは、日蓮正宗とは喧嘩別れをして、僧侶のいないまま独自に宗教法人となっている。

その創価学会。戦前創価教育学会といった当時に、天皇制からの過酷な宗教弾圧の対象となっている。国家神道にへつらわない姿勢が不当な弾圧の原因だった。これは信仰者として誇ってよいこと。だから、親から受け継いだ私の出自自体に、反権力・親民衆の血は色濃く流れているわけだ。

しかしだ。最近その血が騒ぐことはない。むしろ、その反権力の血を押さえ、人からも見られないように心掛けているうちに、親権力・反民衆の体質になってしまったという批判の声が高い。反論はしたいんだが、何しろ自民党と組んで連立与党の一員になっているんだから、どうも反論も意気はあがらない。

創価学会は日蓮が唱導した法華経を信仰する。ここには、法華経の理念が国家の指導原理となることによって、この世に寂光浄土が実現するという固い信念がある。これが王仏冥合。すなわち王(政治)と仏(信仰)の一体化によってこそ、国家と民衆の真の幸福がもたらされるのだ。王仏冥合の理念のもと、その象徴として国家事業として国立戒壇を設けて、権力者を帰依せしめることこそ広宣流布実現の王道とされていた。そのためには必然的に政界に進出しなければならなくなる。私は、そのような使命を帯びてこの世に産み落とされ、そして育てられたのだ。

その出自ゆえ、若い頃は私も血気盛んだった。創価学会という組織が折伏という手段で勢力を拡大してきたように、その子の私も心意気も手法も同じだった。使命に燃えて、大恩ある親の期待に応えようと必死になって熱く行動をしたものだ。

ところが、大きな壁として立ちはだかったのが日本国憲法の政教分離原則だ。「王仏冥合が現実のものとなれば、まさしく政教一体の極み。憲法違反も甚だしい」と言い出す奴が現れた。とりわけ国立戒壇を設けるという私の方針が政教分離に反するとやり玉に上げられた。最も声高に、うるさく指摘したのは共産党だった。そのおかげで、私は転進を余儀なくされ、王仏冥合も国立戒壇も口にすることはできなくなった。だから、私は共産党が大嫌いなのだ。

以来、産み落とされた使命を掲げることはできぬまま、「平和の党」「福祉の党」を看板にしてきた。なんと言っても、創価学会の信者層は庶民そのものなのだから、民衆の党として生き延びるほかはない。その民衆の願いは、平和であり福祉なのだから、自ずと看板の文字は決まったのだ。しかし、かえすがえすもバックボーンを失ったことは哀しい。あれ以来、ふわふわと憲法や外交、安全保障に関わる基本姿勢は定まらない。

私も、基本的な立場が定まらないまま、護憲と言い、安保廃棄と言ってもみたこともあった。あれは若気の至りでのことで、今はすっかり大人になった。そして、自民党との連立を組んで与党に納まっている。自民党に恩を売りつつ、与党としての情報の取得や影響力の行使がたまらなく居心地のよい状態。この立場を手放すことはできそうもない。

しかし、この居心地の良さは、同時に悩みの根源でもある。ときどき溜息をつくこともあるのだ。若い頃の私の理想や使命はどこに行ってしまったのだろう。そして、「平和の党」や「福祉の党」の看板を掛け続けていることの面はゆさに、忸怩たるものを感じざるを得ない。およそ平和や福祉とは正反対の立場にある自民党との連立を組んでいることの負の側面だから、仕方ないと言えば仕方がない。

私だって苦労しているのだ。憲法20条を改正して、天皇や閣僚による靖国神社への参拝を可能にしようという自民党との連立なのだから。もちろん、自民の言いなりにはなれない。さりとて、反自民の立場はとれない。

今回総選挙の公約だって苦心の末の産物だ。その辺をよく分かっていただきたい。
メインスローガンは「景気回復の実感を家計へー今こそ軽減税率の実現へ。」と言うのだ。重点5政策の第1が「地方創生で、力強く伸びる日本経済へ」とするもので、そのトップが、「軽減税率の導入」なのだ。これが今回選挙の私の目玉。タスキの文字であり金看板ではある。だが、残念ながら、その具体的な中身はない。メッキだけで本体はないと言われてもやむを得ない空っぽのスローガンであることは認めざるを得ない。

「福祉の党」としては、「逆進性顕著な消費税は撤廃」あるいは「消費増税阻止」と言いたいところだが、連立与党として言えるところではない。とは言え、主張の独自性を出さなければ、存在感のないまま埋没してしまう。だから、「消費増税は認めつつも、軽減税率導入」が金看板となったのだが、公約として書かせていただいた内容としては、「2017年度からの導入に向け、対象品目、区分経理、安定財源等について、早急に具体的な検討を始めます」というのが精一杯。すべてはこれからなのだ。一党だけなら努力目標としての政策発表は可能だが、自民党との摺り合わせなく勝手に具体的なことは言えない。「具体性のない公約」としてお恥ずかしい限りだが、これが連立ゆえの私の悩みなのだ。

改憲問題においても、集団的自衛権や特定秘密保護法の制定においても、あるいは露骨な労働法制改悪や福祉の切り捨てにおいても、今は自民党に追随するしかない。だから今回の公約においては、労働者優遇の法制提案は一切できなかった。私なりに自民党を牽制しているつもりではあるが、下駄の雪との批判は覚悟の上のことだ。

たとえば憲法問題。自民党が強固な改憲志向政党であることは周知の事実。私は、今回の公約発表では、正直に「憲法については、2012年の自民党との連立政権の発足に当たって『(衆参各院の)憲法審査会の審議を促進し、憲法改正に向けた国民的な議論を深める』ことで合意されています」と明記している。私は、「憲法審査会の審議を促進し、憲法改正に向けた国民的な議論を深める」という枠に縛られているわけだ。

縛りは合意だけによるものではない。連立与党にいること自体が縛りになっている。だから、自民党の特定秘密保護法制定にも集団的自衛権行使容認の閣議決定にも逆らえない。「もっと頑張れ」などという無責任な外野の声は、無い物ねだりなのだ。あるいは私に対する買い被りと言わざるを得ない。

今回の公約集にも、「集団的自衛権」という言葉は出て来ない。
「安全保障法制の整備に当たっては、2014年7月1日の閣議決定を適確(ママ)に反映した内容となるよう、政府与党で調整しつつ、国民の命と平和な暮らしを守る法制の検討を進めます」と意味不明なことを述べている。私自身にも良く分からないのだから、他の方にはチンプンカンプンだろう。

また、特定秘密保護法については、公約集に言葉が出て来ないだけでなく、その内容についても一言も載せなかった。民主主義の重要な課題であることはよく分かっているし、与党の一員として無責任ではないかという批判もあろうが、有権者に納得してもらえるような説明が難しい。載せない方が我がためと判断せざるを得ないのだ。

私の愚痴に耳を傾けていただいたことに感謝する。愚痴を言っても解決しない悩みを理解していただきたい。おそらくは、この悩みは自民党との連立を解消するまでは解決しないだろう。とは言え、連立の旨味も捨てがたい。いやはや、悩ましい次第。
(2014年12月4日)

パロディ与党党首第一声 ― 総選挙の争点(その1)

政権政党の党首として、第47回総選挙の公示日に国民の皆様に心から訴えます。

皆様、進むべき道はこの道しかありません。これまで安倍政権が推し進めてきたこの道。これ以外の選択肢はないのです。もう後戻りなどはできません。後戻りは私の政治生命に関わります。だから、私と国民の皆様とは一蓮托生の間柄。無理心中の腐れ縁とあきらめていただきましょう。

この道の先には平和があります。国家の繁栄があります。そして民族の誇りが花開いています。でも、それはかなり先のこと。目標に到達するまでには、暗く険しい道のりを辛抱強く歩み続けなければなりません。国民の皆様には、その覚悟をお願いしたいのです。

平和に到達するには、仮想敵国とした近隣諸国に侮られないだけの軍備の増強が必要です。予算も計上しなければなりません。もちろん、波風も立ちます。一触即発の緊張を通り抜けなければなりません。相手の出方次第では戦争の一つや二つは、覚悟もしなければなりません。それが、積極的平和主義ということなのです。

繁栄に到達するには、さほど時間のかかることではありません。いま、その入り口まで来ました。せっかくのアベノミクスの成果です。これを手放してはなりません。もう半分くらいは、大企業の業績回復を達成しています。これからさらに、法人税を下げます。労働者の残業代踏み倒しや、首切り自由の法律も断固として実行してまいります。労働者の皆様が多様な労働のあり方を望んでおられるのですから、お望みのとおりに非正規雇用増大の政策を実行してまいります。

現在、大企業の繁栄は道半ばでありますが手の届くところに来ています。もちろん、国民の皆様の繁栄は、別のこと。もう少し我慢を続けていただかなけれなりません。いつとは申し上げられませんが、いつかは、きっと、いや多分、国民の皆様にも若干のおこぼれがまわってくるはずなのです。

何としても今は資本主義の世の中、冷徹に現実を見つめていただかなくてはなりません。企業あっての労働者であり、大企業あっての国民経済ではありませんか。何よりも真っ先に、大企業に儲けていただかなくてはなりません。まずは、大企業には内部留保もたっぷりとため込んだ健全な財務状態を作り上げていただかなくてはなりません。また、株価も上げてお金持ちの皆様にご満足いただいてこその投資意欲ではありませんか。私たち政治家の使命は、真っ先にこのような大企業・お金持ちの皆様にご満足いただくような政治をすること。それこそがアベノミクスの神髄であります。政治献金だって、たっぷりいただいているのですから人の道としてもお返しは当然のこと。

大企業の業績が回復し、株価があがれば、だんだんと中規模企業にも経済効果が波及します。大企業労働者には比較的早期におこぼれを頂戴できる時期がやって来るでしょう。そしていつの日にかは、中小企業にも、地方にも、一般労働者にも、農民漁民にも、好循環のしずくがしたたることになるのです。

ですから、皆様が「アベノミクスの恩恵を受けている実感はない」というのは、言わば当然のことで、今は、皆様の犠牲で大企業が儲けを独占すべき時期なのです。皆さんの雇用の不安定、賃金格差、低福祉等々のご不満は、いつかは来るはずのおこぼれの源泉を養うための不可避の試練なのです。

おこぼれの順番が回ってくるまで、辛抱強く安倍政権を支持しながら、耐え抜いていただくよう、心からお願いをいたします。何ごとも辛抱、そして諦めが肝心です。金持ちをうらやんだり妬んだり、憎んだりしてはなりません。社会の秩序を不合理だなどと不穏なことを言わずに、じっと耐えることを学んでください。教育再生とか、道徳教育の教科化とは、そのようなじっと耐えることを美徳する、賢い従順な国民を育てることを眼目にするものなのです。

そして、私の指し示すこの道の先には、民族の誇りがあります。アベノミクスの副作用としての貧困と格差にご不満の向きには、大いに民族の誇りを語り、優越感に浸っていただきたい。何しろわが国は、奇跡ともいうべき千年の家系を誇る天皇を戴く国なのです。戦時中には、民族の大義に殉じた特攻という誇るべき歴史もあります。もちろん、皇軍に従軍慰安婦の強制連行などあったはずはありません。侵略だって、定義は曖昧ではありませんか。侵略戦争や植民地支配を貶めたり、ことさらに従軍慰安婦を問題化するごとき言論には、言論をもってする対抗が必要です。

政治権力は言論の自由に寛容でなくてはなりません。ましてや、不満の捌け口としての民族優越の言論にはなおさら寛容が必要でしょう。私は、そのような立場の民族の優越に関する表現の自由を断固擁護します。

経済的な格差貧困に不満をもつ人々が、近隣諸国から侮られてはならなないというナショナリストとしての私を支持してくれています。近隣友好ではなく、近隣諸国との緊張を煽って成立する緊張外交は、私にとって好もしい好循環を生み出す政策なのです。靖国参拝がまさしくそうでした。今後ともすきあれば、靖国とのご縁を深め、ますます民族の誇りを輝かせる政策に勤しみます。

「この道はいつかきた道」などと言ってはなりません。あの「いつか」の際には、戦争に突入して敗戦の憂き目をみてしまったではありませんか。私は、できるだけ戦争は避けます。しかし、いざというときには負けない戦争を辞さない。その覚悟がなければ、平和は達成できないし、民族の誇りも花咲かないのです。集団的自衛権の行使とはそういう国の大方針についての選択肢を新しく備えると言うこととご理解ください。

ぜひ、私、安倍晋三とご一緒に、窮乏に耐えて大企業に奉仕し、いざというときには民族の大義のために戦争も辞さないという覚悟を固めていただき、わが党に、そのような覚悟の清き一票を是非ともお願いいたします。
(2014年12月2日)

安倍政権の「戦争する国づくり」にノーの審判をー法律家6団体共同声明

月が変わって今日から師走。いよいよ明日(12月2日)が、師走総選挙の公示日となった。大日本帝国憲法時代の衆議院議員選挙から回数を数えて、今回が第47回の総選挙。12月14日投票日までの一大政治戦が始まる。国政選挙が重大でないことはあり得ないが、今回総選挙はいつにもまして国民の命運に大きな影響をもたらすものとなりそう。

最大の争点は、安倍政権への国民の審判。「安倍政権延命を許すのか阻止するのか」にある。安倍晋三は、自ら「私を右翼の軍国主義者と呼びたいなら呼んでいただきたい」と言う危険人物。安倍政権は、これまでの保守政権とは明らかに次元を異にする。国家主義、軍国主義、非民主、反福祉、そしてあからさまな歴史修正主義、改憲・壊憲派なのだ。

昨日の毎日に保阪正康が、「政治の劣化止めよ」とタイトルして、こう述べている。
「数年前から事実を都合いいようにつなぎ合わせて日本の侵略行為を否定する歴史修正主義者が現れ、実証的に歴史を研究してきた人々を批判している。今は空気、雰囲気、感性が社会を動かしている。その時代に合っているからこそ、安倍晋三首相は高い支持率を得ている。」
「個々の議員が、危うい空気を是としない覚悟を持つべきなのに、実態は逆になっている。これでは政治家の質が劣化していくばかりだ。政治の劣化は、国民の劣化を意味している。ファシズムとは社会が劣化して加速する現象だ。日本は危うい道を歩み始めていると感じている。」

傾聴に値すると思う。安倍政権の存在そのものが政治の劣化を意味する。また、それは国民の劣化でもあり、さらにはその延命はファシズムへの危険の道でもある。

私は、安倍政権と対決する今回の選挙の論争テーマを4分野に整理している。
 政治(集団的自衛権、秘密保護法、靖国、近隣外交、沖縄、改憲…)
 経済(格差貧困、消費税、雇用、福祉、年金、地方、中小企業…)
 原発(原発ゼロ・再稼働阻止・被災地復興支援・エネルギー政策…)
 首相の個性(無責任、虚言、歴史修正主義、反知性、右翼的感性…)

「政治」とは、憲法への姿勢と安保・防衛問題、「経済」とはアベノミクス問題、「原発」は特別の緊急課題、そして一国のリーダーとしての安倍晋三の資質を問題にしなければならない。

論争の軸は、かつての保守か革新かではない。旧来の保守も含めた戦後民主主義の擁護か、国家主義・軍国主義・新自由主義の路線かの争いである。

本日、法律家6団体が総選挙に当たって「戦争する国づくりにノーの審判を下すことを呼びかける共同声明」を発表し、共同記者会見の後、この声明を持参して各党に要請行動を行った。私の問題意識とほとんど齟齬がない。容易には実現しない、せっかくの共同声明である。その全文を披露しておきたい。

性格も歴史も違う各法律家団体が、共通の理念としているのは、特定秘密保護法や、集団的自衛権行使容認、そして明文改憲の動きについての反対の立場。経済政策や原発問題への言及はないが、憲法の平和主義に関わる安全保障政策については法律家の常識として明確に反対の立場で一致した。その意味は小さくないと思う。

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衆議院の解散・総選挙にあたって, 安倍政権の「戦争する国づくり」に  ノーの審判を下すことを呼びかける法律家6団体共同声明

1  大義なき,政権延命策解散
安倍政権は、11月21日、衆議院を解散し、その後の臨時閣議で12月2日公示、12月14日投票の日程で総選挙を実施することを決定した。
  今回の衆議院解散は、アベノミクスの失敗や「政治とカネ」の問題から国民の目をそらし、野党の選挙準備が整わないうちに選挙を行って過半数を獲得しようという意図のもとになされたものであり、政権の延命を図るという私利私欲・党利党略のために行われた大義なき解散である。
 同時に、安倍政権がこの時期に解散・総選挙に踏み切らざるを得なかったのは、特定秘密保護法の強行や集団的自衛権行使容認の閣議決定、原発再稼働、TPP交渉への参加、消費増税など、民意を無視し、憲法を破壊し、国民の命と暮らしを蔑ろにする安倍政権の暴走に対する国民の強い怒りと批判が広がったからにほかならない。これに追い打ちをかけたのが沖縄県知事選挙である。11月16日に実施された沖縄県知事選挙では、現職の仲井真弘多氏が名護市辺野古への新基地建設に反対する翁長雄志氏に歴史的大敗を喫し、新基地建設を強引に押し進めようとする安倍政権への抗議の県民意思が明確に示されたのである。その意味では世論と運動とによって安倍政権の側が追い込まれた解散・総選挙である。

2  秘密保護法の強行採決・集団的自衛権行使容認閣議決定  問われる「戦争する国づくり」
  今回の総選挙によって問われるべきは安倍政権の「戦争する国づくり」である。  
  安倍政権は、2012年12月の第二次政権の発足以来、「戦争する国づくり」に邁進している。安倍政権は、7月1日に立憲主義を踏みにじって「集団的自衛権」の行使を容認するよう憲法解釈を変える閣議決定を行った。集団的自衛権は、日本が武力攻撃をされてないにもかかわらず、アメリカなどの他国のために戦争することを意味するものである。集団的自衛権の行使を認める閣議決定が、戦争を放棄し、陸海空軍を持たないとした憲法9条に違反することは明らかである。まさに違憲の閣議決定というほかない。
  日本は、アジア諸国民2000万人、日本人310万人の尊い命を失った侵略戦争の悲惨な経験から、二度と同じ過ちを犯さないと決意し、不戦の誓いをもって戦後の国際社会に復帰したのである。この不戦の誓いに立つ憲法9条の下、日本は、戦後70年近くにわたって、海外での武力行使を許さない立場を堅持してきた。集団的自衛権の行使を容認する閣議決定は、こうした70年の年月をかけて培ってきた平和国家としての日本の国のあり方を根本から変える暴挙である。
 安倍政権は、本閣議決定に先立ち、権力が情報を独占し、国民から知る権利を奪う稀代の悪法である特定秘密保護法を強行採決し、日本の安全保障政策を一部の権力者で秘密裏に決定しうる「日本版NSC」を設置し、武器輸出三原則の破棄等を行い、さらには、初めて国家安全保障戦略を策定し、新防衛大綱や中期防衛計画において軍拡路線をあからさまにしている。 
 安倍政権の一連の政策は、まさに平和主義を投げ捨て、憲法9条を空文化し、日本をアメリカと一緒に戦争する国にしようとするものにほかならない。

3  岐路に立つ日本  平和と自由と民主主義を堅持する国民の意思を示すとき今回の総選挙は、安倍政権の改憲・壊憲政策による戦争への道を突き進むのか、それとも、戦後70年近くをかけて積み上げてきた日本国憲法が示す平和国家の道を堅持し、深化させるのか、国民の選択が迫られている。今、日本は岐路に立たされている。今こそ、日本と世界の未来のために平和国家としての道を歩み続けることを願う国民の意思を示す時である。
私たち法律家6団体は、安倍政権による憲法破壊の「戦争する国づくり」が日本と世界の未来にとって重大な禍根を残すものであること強く訴え、日本の進路が問われる今回の総選挙で、国民が選挙権を行使し、安倍政権の「戦争する国づくり」にノーの審判を下すことを呼びかけるとともに、集団的自衛権の行使容認の動きと、憲法9条の意義を掘り崩すあらゆる動きに対して反対していくこと、とりわけ集団的自衛権行使容認を閣議決定で強行したことに強く抗議し、平和・自由・民主主義の擁護のために全力を尽くすことを、ここに表明するものである。
                          2014年12月1日
   社会文化法律センター        代表理事 宮 里 邦 雄
   自 由 法 曹 団              団  長  荒 井  新 二
   青年法律家協会弁護士学者合同部会  議 長  原  和 良
   日本国際法律家協会         会  長  大 熊  政 一
   日本反核法律家協会         会  長   佐 々 木 猛 也
   日本民主法律家協会        理事長   森  英  樹
(2014年12月1日)

原発再稼働を撃つ「歌」15首と大津地裁仮処分決定の意義

 廃棄物処理のすべも知らぬまま 垂れ流し覚悟で進む再稼働の愚
 直ちには とりあえずは 目に見えず じわじわと忘れたころの被曝の恐怖
 汚染水ブロックしてます スタップ細胞はあります ハテ似たような
 舌の根もかわかぬうちのダダ漏れは バレバレの嘘 総理大臣の嘘
 御嶽も阿蘇の噴火も知らんふり 度胸は満点再稼働推進派
 炉心融け ふるえあがったはずなのに 想定外はまたも考慮外
 子々孫々迷惑かける廃炉処理 あとは野となれ山となれ
 「今」だけ「おれ」だけ「金」だけと とりつく亡者 原発へ
 究極のもったいないを引き起こす 老朽原発再稼働の論外

 規制委の胸三寸でどうにでも
 規制委は踊る政権のたなごころ
 政権が規制委を操る猿回し
 責任をたらいまわして再稼働

 あろうこと 安全神話の復活だ そんな政権 選挙で縁切り
 あろうこと 原子力村の再建だ そんな政権 選挙で縁切り
 あろうこと 住民避難にほおかむり そんな政権 選挙で縁切り

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昨日(11月27日)、大津地裁が、原発再稼働の差し止めを求めた仮処分申立事件でこれを却下する決定を出した。

事案は、いずれも停止中の大飯原発3、4号機と高浜原発3、4号機についてのもの。近隣住民178人が関西電力を相手取って再稼働の差し止めを求めた、人格権に基づく民事上の請求権にもとづく仮処分申立。大津地裁(山本善彦裁判長)は27日、「早急に再稼働が容認されるとは考えにくいとして、申請を却下する決定を出した」と報じられている。この報道は、一般にはやや分かりにくいのではないか。

同日、関電は「妥当な判断をいただいた。安全が確認された原子力プラントは一日も早い再稼働を目指したい」とのコメントを発表している。しかし、「早急に再稼働が容認されるとは考えにくいとして、申請を却下する決定」が、関電にとって「妥当な判断」とは言い難い。ましてや「安全が確認された」とは無縁である。
一方、同日の弁護団声明は、「本決定は、却下決定ではあるが、実質的には、勝訴決定に等しい」と言っている。この点について、世論に説明が必要であろう。

仮処分と仮差し押さえを併せて「保全命令」という。判決確定までの間、とりあえず現状の維持を命じるもの。その発令には、「被保全権利の存在」と「保全の必要性」の2要件が必要である。今回の却下決定は被保全権利については言及せず、保全の必要のみを問題として、その疎明(証明と同義だが、その程度は証明ほどの厳格さを要求しない)がないとした。問題は、必要性の存在を否定した理由である。

その理由を弁護団声明から引用すれば、「原子力規制委員会が高浜原子力発電所3、4号機及び大飯原子力発電所3、4号機について新規制基準に適合して再稼動を容認するとは到底考えられない」からなのである。有り体に言えば、「今停止中の原発4基が、原子力規制委員会の新規制基準に適合することは考えられない」「だから再稼動容認の事態はないものと考えるしかない」「それなら、放っておいても再稼働による危険はなく、仮処分を発令する必要もないじゃないか」と言ったのである。関電の「妥当な判断をいただいた。一日も早い再稼働を目指したい」とのコメントに適合する内容ではない。

しかも、同決定は、規制委が再稼動を容認することは考えられないという根拠として、「基準地振動の策定問題について、我々(弁護団)が根本的な欠陥があると主張したことに対して、関西電力が全く反論できなかったことを正当に認定し」、「田中原子力規制委員会委員長が規制基準に適合しても安全であるとは言わないと述べたことを規制基準の合理性に対する疑問の表れであると評価し」、さらに「合理的な避難計画が策定されていないこと等を指摘」したとある。

原発再稼働の是非は、総選挙の主要争点のひとつである。「司法も再稼働推進派を支持する判断をした」「電力会社に妥当な判断をいただいた」「この決定を梃子に一日も早い再稼働を」などという悪宣伝に乗じられることのないよう、注意が肝要だ。
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                         平成26年11月27日
            原告団、弁護団声明
 本日、大津地方裁判所は、我々の申立を却下するという不当な決定を下した。我々はこれに強く抗議するものである。
 却下の理由は、保全の必要性がないというものであるが、高浜原子力発電所も大飯原子力発電所も規制委員会の審理が進行し、近く設置変更許可がなされうると見込まれている今日において、保全の必要性がないという判断は、社会の一般的な認識に反するものである。さらに、本件決定は、最終的な判断を規別委員会に丸投げするものであり、裁判所は、市民の司法に対する期待を裏切った。

 他方で裁判所は、基準地振動の策定問題について、我々が根本的な欠陥があると主張したことに対して、関西電力が全く反論できなかったことを正当に認定し、さらに田中原子力規制委員会委員長が規刑基準に適合しても安全であるとは言わないと述べたことを規制基準の合理性に対する疑問の表れであると評価し、さらに合理的な避難計画が策定されていないこと等を指摘し、原子力規制委員会が高浜原子力発電所3、4号機及び大飯原子力発電所3、4号機について新規制基準に適合して再稼動を容認するとは到底考えられないと述べた。これは裁判所による現行規制基準や、規制委員会の審理の在り方、あるいは、再稼動に邁進しようとしている政府・電力会社の姿勢に対する根底的な不信と批判を述べたものということができる。

本決定は、却下決定ではあるが、実質的には、勝訴決定に等しい。関西電力及び原子力規制員会は、この決定の趣旨を厳粛に受け止め、再稼動に向けての手続きをいったん停止し、規制基準の在り方から、根底的に見直すべぎである。関西電力は、裁判所が認定したとおり、我々の主張に対する反論もすることができなかった。このような状態のまま、再稼動の準備手続きを進めるべきではない。ましてや、老朽化した高浜原子力発電所1、2号機の再稼働など論外と言わざるを得ない。

 我々は、本年5月21目の福井地裁判決に示された新しい流れが本流となるよう、原発ゼロ社会の実現に向けて、現在争っでいる福井原発群運転差し止め訴訟勝利に向けて、引き続き全力をあげることを決意するものである。
(2014年11月28日)

アベノミクスを撃つ「歌」11首

したたり落ちるしずく無し とほうにくれてじっと手を見る
待てど暮らせどこぬしずく がまんがまんと 未来永劫
富む者でブロック万全アベノミクス 一滴たりともしずく落さじ
アベノミクス 成果はほんとにあるのやら しんぼう足りぬとしかる晋三
失政のそしりに対し大声で株価あげたと叫ぶ晋三
あろうこと 金持ち優遇庶民に増税 そんな政権 選挙で縁切り
あろうこと 貧困格差は見えぬ振り そんな政権 選挙で縁切り
あろうこと 非正規雇用は本人希望 そんな政権 選挙で縁切り
もってのほか 年金運営株でやれ アベノリスクは選挙で縁切り
うまく行くはずない政治 アホノミクスは選挙で縁切り
株高の今のうちなら勝てそうだ? その判断はアベノミス

(「アホノミクス」は浜矩子氏、「アベノミス」は鎌田慧氏からの借用)
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昨日(11月25日)、自民党が「重点政策2014」を発表した。
https://www.jimin.jp/news/policy/126585.html
「衆院選で訴える政権公約」という位置づけ。「政調会設置の各部会から寄せられた個別の政策を約300項目にわたって、幅広く掲載したもの」だという。それゆえであろう、体系性が見えてこない。脈絡に乏しい300項目の政策の断片を読ませられるのは苦痛。それでも、自民党が選挙に勝てば、「この公約に盛り込まれている以上は民意の支持を得た」として、独断政治の大義名分とするつもりなのだ。

その典型が公約の最後第6節に位置する憲法改正についての2項目である。
「? 憲法改正<時代が求める憲法を>
○憲法改正国民投票法一部改正法が施行されたことに伴い、国民の理解を得つつ憲法改正原案を国会に提出し、憲法改正のための国民投票を実施、憲法改正を目指します。
○憲法改正のための投票権年齢が4年経過後に18歳になることを踏まえ、選挙権年齢を前倒しして18歳以上に引き下げます。」

要約ではない。これが全文なのだ。これを読んだ有権者は、まさか今回選挙が改憲選択選挙だとは思わない。しかし、「憲法改正原案を国会に提出し、憲法改正を目指します」とはしっかり書き込まれている。その原案の内容は、「天皇をいただく国」をつくり、「自衛隊を国防軍にして、自衛の範囲を超えた海外での戦争もできる」ようにし、「公序・公益によってあらゆる権利の制限を可能とする」自民党改憲草案ということになる。安倍自民への投票は、あとから改憲容認票と主張されかねないのだ。

大義なき解散に関して、「アベノズルサ」「アベノコソク」を指摘する声は高い。目立たぬよう、公約に「憲法改正」をもぐり込ませた「アベノテグチ」についても大いに批判をしなければならない。
(2014年11月26日)

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