(2022年10月11日)
「安倍国葬」は戦争への導火線
「本郷湯島九条の会」石井 彰
定例の「本郷湯島九条の会」の昼街宣をおこないました。
参集した8人は「国葬」反対、軍事費倍増するななどのプラスターを持ち街ゆく人々に訴えました。秋快晴のもとプラスターをゆっくり見入る人たちが多くいました。何人かの若い方々も弁士の訴えに聞き入っていました。弁士の訴えも溌剌としていて赤信号で待っている方々のじっと聴いている姿が印象的でした。
弁士は、物価高の中での生活の苦しさを訴え、そのさなかに戦争準備をする岸田文雄政権を糾弾しました。
「安倍国葬」によって、安倍晋三元首相の統一協会との癒着の深さが暴露され、その安倍晋三元首相の政治を引き継ぐと公言して憚らない岸田文雄政権が国民から見放されつつあることを報道の世論調査での政権の凋落振りを披瀝しながら語りかけました。政権の安泰振りを誇示していた政権の崩壊の近いこと、それを促進することを訴えました。
憲法9条は、他国を攻撃してはならないための条項で、戦争準備をしてはならないことを強調し、戦争準備は戦争を引き込む事になることを訴えました。
9条の放擲を画策している岸田文雄政権は「国葬」を強行しました。戦前回帰を狙ったシナリオ通りの「国葬」が武道館でおこなわれたことを語り、大規模に自衛隊を動員し、「儀仗隊」、軍歌「国の鎮め」を陸自中央音楽隊が演奏し、空砲で弔意を表す「弔砲」を撃ちました。この風景は1943年におこなわれた連合艦隊司令長官山本五十六の「国葬」と重なります。「国葬」が戦争遂行の儀式であることの反省から戦後日本国憲法施行によって「国葬令」は失効し、ふたたび日の目を見ないようにしたのです。岸田文雄政権は「国葬」の法制化を狙っています。決して許してなりません。
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[プラスター]★「国葬」でフタを許さない、安倍元首相と統一協会との癒着の徹底調査。★ダメダメ敵基地攻撃能力、戦争になる。★人類の理想・戦争放棄の9条。★消費税下げろ、給料上げろ。★軍事費2倍12兆円、アメリカの盾・アメリカの捨て石ごめんです。★9条の会、迷わず平和路線。
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最後に、近所の弁護士から一言。
昨日の新聞に最新の世論調査の結果が報じられています。共同通信の調査によれば、岸田内閣の支持率は35.0%です。前月比、5.2ポイントの下落。不支持率は48.3%。先日の毎日新聞の調査では内閣支持率29%でした。危険水域に達しています。いま、あらゆる調査結果において岸田内閣支持率は続落、止まるところがありません。
岸田内閣は安倍・菅政権に飽き飽きしたという思いの、少なからぬ国民からの期待を得て、発足当時は高い支持率を誇っていました。だから、昨年の総選挙も、今年7月の参院選も、岸田与党の大きな勝利となりました。ところが、選挙後明らかになったのは、安倍晋三を中核とする自民党と統一教会との醜い癒着です。そして、強引な安倍国葬の強行。これで、あっという間に、支持率は落ちました。内閣だけでなく、自民党の支持率も落ちてきました。
それでも内閣は、国葬が終われば支持率が回復するだろうという甘い見通しを持っていたのでしょう。ところがそうはなりません。共同通信の調査では、国葬に否定的な評価をする人が61.9%という数字が躍っています。国葬での持ち直しはなかった。そして、今後も内閣支持率が上がる要素はない。むしろ、これからの物価高そして軍事費の増大です。むしろ、もっと下がることになるだろうと予想されています。
なぜこんなに岸田内閣の支持率は低迷しているのでしょうか。
理由は二つあると思います。一つは長く続いた安倍政権の正体が、今露見しているいるからです。8年8ヶ月の長期政権が崩れて、その後に何が残されたか。明らかになったものは、アベノミクスの失敗を筆頭に、内政外交の失政と、それに加えての統一協会との醜い癒着の関係の露呈。
国民は、「安倍政権の正体見たり」「自民党政治とはこんなものだったのか」と驚き、呆れてしまったのです。言わば、岸田政権は安倍晋三のとばっちりを受けて、支持率を減らしたのです。アベの因果が岸田に報いたという一面です。
もう一つあります、アベのせいにはできない、岸田自身の自業自得の側面。それは、安倍派に毅然とした態度を取れないということです。麻生派にもです。だから、山際大志郎に毅然たる対応ができない。岸田は自分の意思で安倍・麻生のとばっちりを拭うことができないのです。
今の岸田の立ち位置は、安倍派あるいは麻生派の意向に耳を傾けずしては成り立たない状況です。国民の声を聴こうと思えば安倍と麻生に逆らうことになる。安倍麻生の言うことを聞けば国民の声を聞くことができない。こういうジレンマの中で右往左往しているのが岸田政権なのです。いま、国民はこんな岸田を見限りつつあるのだと言わざるを得ません。
参院選後の岸田政権は、国政選挙のない3年間を得たことになります。これを、「黄金の3年間」として、自由度の高い政治が可能だ。憲法改正も進展するだろう。などとささやかれていました。しかし、実のところ、もう泥沼の3年に足をすくわれ始めています。
唐突な国葬の発案もおかしかったし、原発再稼働容認も、老朽化原発容認もおかしい。そして、軍事費倍増だという。安倍派、麻生派の声にだけ聞く力を発揮しないで、国民の声に耳を傾けていただきたい。でなくては、いつまでも支持率低迷が続くことになりますぞ。岸田さん。
(2022年10月10日)
天候は忖度しない。爽やかな秋空がひろがる今日ではなく、雨模様のどんよりした、「体育の日」改め「スポーツの日」。この祝日の起源は、1964年の東京オリンピック。当時私は大学2年生でアルバイトに明け暮れていた。オリンピック当日に雨が降ろうと雪が降ろうと、何の関心もなかった。
私は典型的な苦学生だった。高校卒業以後、親から仕送りを受けたことはない。奨学金と学費免除制度と学寮があったから進学を決意し、生活費は全てアルバイトで稼いだ。贅沢とは無縁の生活。私の貧乏性は、当時の暮らしで身についたもの。
若さとは大したもの。その当時に、辛いとも苦しいとも惨めとも思ったことはない。が、啄木の、「わが抱く思想はすべて金なきに因するごとし 秋の風吹く」という思いはまさしく、私のものでもある。
本日、たまたま久しぶりの同窓会幹事会で当時の大学に足を運んだ。駒場寮のなくなったことはさびしい限りだが、キャンパス全体の風景はさして昔と変わらない。往時を思い出させるに十分である。
あの東京オリンピック前には、土木工事のアルバイトに恵まれた。技術のない学生の日当も結構高かった。駒場構内の作業もあったことを記憶している。級友と一緒に、酒癖の悪い土方の親方の指示で働いたことなどを懐かしく思い出す。家庭教師と土方仕事。そして不定期な雑誌原稿のリライト。私にとっての割のよいアルバイトだった。
今の学生の生活はどのようなものだろうか。親の経済力にかかわりなく、教育を受けることができるよう制度は進展しているのだろうか。機能しているのだろうか。
ところで、長く10月10日は、「体育の日」だった。「国民の祝日に関する法律」では、その意義を「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」としていた。「東京オリンピック2020」以来、「体育の日」は「スポーツの日」となった。その意義も、若干変わった。「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う。」というのだ。なんとなく、そらぞらしい。
「体育」には、軍国教育の臭いがつきまとう。「スポーツ」には商業主義と勝利至上主義が。社会に、スホーツ文化の成熟は未だしなのだ。だれもが、学びつつ、働きつつ、また老後にも、余裕をもって自分なりにスポーツを楽しむことができる文化の定着を願う。
もう、私の人生には間に合いそうもないのだが。
(2022年10月9日)
昨日の赤旗に、「ヘイト告発二審も勝訴」「福岡高裁 共産市議『大きな意味』」という記事。この訴訟もスラップ。しかも、ヘイトが絡んだスラップ。スラップを棄却した裁判例に、また一つが付け加えられた。
このスラップ訴訟、原告は小坪慎也というヘイト発言の常習者、福岡県行橋市の市議である。注目すべきは、その代理人が江頭節子。最近、この種ヘイト事件を専らにする弁護士。被告は行橋市と日本共産党の徳永克子市議の2者。請求は各被告それぞれに220万円の支払と謝罪広告掲載の要求。2019年12月の提訴で、一審・福岡地裁小倉支部判決が請求を棄却し、一昨日(10月7日)福岡高裁が控訴を棄却する判決を言い渡した。
赤旗の報道は、「ヘイトスピーチを批判する市議会決議と議会報告で名誉を損なわれたとして福岡県行橋市議会の小坪慎也氏が日本共産党の徳永克子氏に220万円の損害賠償を求めている裁判の控訴審判決が7日福岡高裁でありました。梅本圭一郎裁判長は徳永市議が勝訴した一審判決を支持し、控訴を棄却しました」として、被告行橋市については何も言っていない。マッ、それでもいいか。間違いというわけではないし、読者の関心も徳永市議の勝敗にのみにある。
赤旗の短い記事が、要領よく事実経過を整理している。
「小坪市議は2016年の熊本地震の際インターネット記事で「『朝鮮人が井戸に毒を入れた』というデマが飛び交うことは仕方がない」などと発言。市には団体や個人からの多数の抗議が寄せられたほか、爆破予告の脅迫事件が起きました。市議会は、小坪市議に謝罪などを求める決議を可決し、徳永市議はその全文をインターネットの議会報告に掲載したものです。」
そして、控訴審判決の内容を、これも短く、こう解説している。
「二審判決は、徳永市議の議会報告は、『専ら公益を図るもの』で、その意見表明には『信じるにつき相当の理由がある』と改めて認定。小坪市議の反論を全て退けました。」
名誉毀損言論の真実性を証明できれば違法性が阻却される。真実性を証明できなくても、相当性(真実と信じるについての相当の理由)があれば、過失を欠くものとして責任が阻却されることになる。どちらにせよ、請求は棄却となる。
このスラップを起こした小坪慎也(行橋市議)は、レイシストとして著名な人物である。2016年4月の熊本地震直後に、産経の右翼オピニオンサイト「iRONNA」に、「『朝鮮人が井戸に毒』大騒ぎするネトウヨとブサヨどもに言いたい!」という表題の記事を掲載した。表題が品位を欠くだけでなく、記事もひどい。これによって、彼はヘイトスピーカーとして一躍有名人となったが、良識ある市民からは顰蹙を買い、批判の的となった。のみならず、行橋市に対する爆破予告の脅迫事件まで起こしたのだ。
その記事の中で、彼は大要こう述べている。「『朝鮮人が井戸に毒を入れた』というデマが飛び交うことに対しては仕方がないという立場である。」「私は、災害時において外の人を恐れるのは仕方ないし、当然のことだと受け入れている。極限状況になればそうなることが自然だと考えるためだ。疑われるのは『外の人』である。もっとも身近な外の人が朝鮮人というだけだろう」。「治安に不安がある場合は、自警団も組むべきだろう。」「しかし、疑心暗鬼から罪なき者を処断する・リンチしてしまうリスクも存在する。そうはなって欲しくないが、災害発生時の極限状況ゆえ、どう転ぶかはわからない。」
恐るべき人物の恐るべきヘイトスピーチ。こんなものを掲載した産経にも、大きな問題ありと言わねばならない。
同年9月12日、行橋市議会は、「小坪慎也議員に対する決議」を採択した。評決は16対8、内容は以下のとおりである。
「9月8日に、行橋市役所に脅迫の電話があった。この事により、市民に対し、また、市当局や議会においても多大な迷惑を及ぼした。この「脅迫事件」は決して許されるべきものではない。
これは、小坪慎也議員が、平成28年4月に熊本地震が発生した際、差別的にとらえられるSNSでの意見発表を行った事を発端としている。
公人である市議会議員は、住民を代表する立場にあり、議会外の活動であっても良識ある言動が求められるのは当然である。
市民・国民に迷惑を及ぼすような意見の表明は、行橋市議会の信用が傷つけられたものといわざるを得ない。
行橋市議会は、小坪慎也議員が品位を汚すことの無いよう、公人としての立場をわきまえる事を求めると共に、謝罪及び必要な行動を自ら行うことを求めるものである。
以上、決議する。」
小坪は、この決議に反発した。「本件爆破予告事件の原因は、原告の「SNSでの意見表明」ではなかった。にもかかわらず、本件決議案等は、本件爆破予告事件が起こるや否や、犯人が逮捕されもしないうちから、『小坪慎也議員が、平成28年4月に熊本地震が発生した際、差別的にとらえられるSNSでの意見発表を行った事を発端としている。』と事実を適示し、それを前提に、原告が市民・国民に迷惑を及ぼし行橋市議会の信用を傷つけたと決め付け、良識が無い、品位を汚すなどと非難したものである。」との言い分である。
この決議の事実摘示が間違っている。徳永市議は、この間違った決議を提案し、成立させ、事後にはこれをインターネットサイトに掲載し、拡散もした、ことを違法として提訴した。2019年12月のこと。2022年3月17日、福岡地裁小倉支部は行橋市議ヘイト・スピーチ事件裁判について原告の請求を棄却する判決を言い渡している。「本件爆破予告事件の原因が、原告の「SNSでの意見表明」ではなかったにせよ、それが真実であると信じるについての相当な理由が認められるということである。
小坪は、もう一度真摯に市議会決議を読み直さなくてはならない。「公人である市議会議員は、住民を代表する立場にあり、議会外の活動であっても良識ある言動が求められるのは当然である」。にもかかわらず小坪は、ヘイトに重ねて、スラップにまで及んで良識を放擲したのである。「品位を汚すことの無いよう、公人としての立場をわきまえるべきこと」が求められている。
(2022年10月8日)
毎日新聞「記者の目」が、いつも読み応え十分である。地方支局の記者が、それぞれの目による取材で、渾身の執筆をしている。ローカルな出来事が普遍的な問題を指摘していることがよく分かる。
一昨日(10月6日)朝刊に、「聖カタリナ学園高野球部集団暴行 根本解決へ調査・説明尽くせ」という、松山支局斉藤朋恵記者の記事。伝えられた事実に驚きもし、さもありなんとも思う。そして、考えさせられる。
記者はこう伝えている。
「2021年春の選抜高校野球大会に出場した聖カタリナ学園高(松山市)の野球部の寮で、部員間の集団暴行が繰り返されていたことが今年7月、判明した。「指導」という名で行われた暴力の解決には、学校側が問題を直視して説明を尽くすことが不可欠だが、今の対応では改善に向かう兆しは見えない。
発覚したのは、21年11月18日夜、1年の部員が部のルールで禁じられているスマートフォンの学校への持ち込みを理由に、寮の自室で複数の1、2年部員から馬乗りになって殴られるなどした事案(学年は当時)▽22年5月18日夕、1年の部員が寮内で1、2年部員計9人から呼び出され、バットやスパイクで殴られた事案――の2件。被害者はいずれも転校した。
『痛すぎて抵抗もできなかった』。自宅で取材に応じた5月事案の被害者はこう絞り出した。殴る回数はスマートフォンのルーレットアプリで決められたという。延々と続く暴力は『サーキット』と称され、命の危険を感じた。すねには傷痕が残り、今も夜に突然目が覚めることがある。」
「他の元部員らにも取材を重ねる度、暴行が常態化していた実態を突きつけられ、言葉を失った。ある元部員は、寮内で殴られた痕が残る部員を日常的に目にしたと話した。5月事案では「やらないとお前もやる」と先輩から言われた1年生や、暴行を指導者に報告しようとしたことがばれて殴られた元部員もいた。」
記者は、こう驚いている。
「私は『高校生がすることか』と驚いた。わずか1年半前、私は甲子園初出場が決まった同部に取材で通い、当時の部員たちのはつらつとした姿が印象に残っていただけに、信じがたい思いだった。」
記者の驚きは、高校生の暴力行為の酷さだけにについてのものではない。表舞台での礼儀正しくはつらつとした球児たちの印象と、人目につかないところでの陰湿な傷害事件との落差への驚きである。だがこれは、甲子園出場水準の高校球児についての稀有な事例ではない。おそらくは野球に限らず、高校スホーツに蔓延する病弊である。
彼らは、表舞台での「高校生らしさ」「爽やかなスポーツマンのあり方」の作法を教えられる。それは、メディアに向かっての演技であって、ホンモノではない。部活の中では新入生としていじめられ、上級生になれば新入生をいじめる文化のなかにどっぷり浸かっている。若くして、ダブルスタンダードの振る舞いを身につけるのだ。
昔軍隊、今体育部である。旧軍に、新兵イジメの伝統があり、陸海軍共に独特のイジメの文化も発達した。これは、上意下達の規律の維持のためとして半ば公然と行われた。兵の人権が顧みられることはなく、兵には「上官の命令は天皇の命令」と思い込むことが強要され、命令一つで死地にも飛び込むことが求められた。その上官の命令の絶対性は暴力による恐怖をもって叩き込まれたのだ。
軍事的合目的性からは、兵の自発性は不要、上官の意のままに手足となって動く兵が求められ、そのための訓練が積み重ねられ、見えないところでは暴力も重要な役割を担わされた。軍隊ほど、表と裏の落差激しい社会はない。
日本の学校教育における体育は、兵士の育成を意識して導入され、軍隊のあり方を模したものとなった。その伝統は今なお脈々と生き続けている。教育の場に人権教育がなく、とりわけ体育関係に人権意識が希薄なのだ。
記者は問題の背景を識者の指摘を引用して、こう考えている。
「スポーツ倫理に詳しい友添秀則・日本学校体育研究連合会会長は『少子化で生徒募集に苦労する中、高校野球の宣伝効果は大きく、甲子園出場による学校の増収は億単位とも言われる。短期間で成果を求められる指導者側のプレッシャーも大きい。スポーツを学校の経営に生かす手段とすることを常態化させると、今回のような問題が起きかねない』と指摘する。」
かつて強い軍隊を作るためには、上官の意のままに動く兵が必要と考えられた。いま、強いスポーツチームを作るには、監督の意のままに動く選手が必要と考えられているの。そのためには、体罰も必要、チーム内秩序の維持のためのイジメも黙認とされているのではないか。実は、企業もこの原理で動いている。
そして記者は、こう怒っている。
「学校の過度な期待を背負う野球部員たちは被害、加害の立場に関わらず被害者と言えるだろう。夢を抱いて親元を離れた高校生が身の危険にさらされ、問題発覚後も大人の都合で根本的な解決が図られていない現実に、強い憤りを感じる。学校は第三者委の委員を明らかにせず、調査結果の公表方針も明言していない。適切に調査し、批判を覚悟で結果を公表できなければ、野球部の再建はない。」
この人権侵害の不正義に記者の批判は鋭い。ペンは剣よりも強い。がんばれ、毎日新聞松山支局・斉藤記者。
(2022年10月7日)
弁護士の澤藤です。「障害者権利条約・第1回日本審査の報告集会」に発言の機会を与えていただき、ありがとうございます。
私の報告は、公立学校での「国旗国歌(日の丸君が代)強制問題」についてのものです。障害者権利条約や性教育に関するものではありません。本日のメインテーマから外れた付録の発言。ですが、教育問題として、また国連の勧告を現場に生かそうという運動として密接に関連しています。
この件についての国連から勧告は、ILOとユネスコが合同で作った専門家委員会・セアートの勧告を、ILOとユネスコがそれぞれ正式に採択したものです。1919年に最初の勧告が出ましたが、日本政府(文科省)に誠実に履行する態度がありません。このことをセアートに報告して、今年になって再勧告が出ています。
実は、この再勧告の実施を求める2度目の対文科省交渉を先ほど終えたばかりです。障害者権利条約に関するこの報告集会が15時始まりですが、同じ参議院議員会館の別室で13時から、「『日の丸・君が代』ILO/ユネスコ勧告実施市民会議」と「アイム89東京教育労組」の合同申し入れでの交渉が行われました。
一言でいえば、文科省の消極姿勢には失望せざるを得ません。本日の文科省交渉を通じての実感は、国連からの勧告をもらっただけでは、絵に描いた餅に過ぎないということ。本当に腹の足しになる食える餅にするためには、当事者を中心に、市民運動が起きなければならないということです。メディアや政治家の皆様にも汗をかいていただかなくてはなりません。
石原都政下の都教委が悪名高き「10・23通達」を発出して以来、もうすぐ19年です。以来、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」という職務命令と闘い続けてきました。最初にこの問題を法的に考えたときに、こう思いました。
あの旗と歌を、「国旗・国歌」とみれば、日本という国家の象徴であり、権力機構の象徴でもあります。主権在民の原則を掲げる今の時代に、主権者である国民に対して、国家の象徴である国旗国歌への敬意表明を強制できるはずはありません。
憲法上なによりも大切なものは、個人の尊厳です。国家は、個人の人権擁護のために、主権者によって便宜作られたものに過ぎません。その国家が、主権者に対して、「国家を愛せよ」「国家に敬意を表明せよ」などと言えるはずはない。それは、倒錯であり、法の下克上でもあります。
また、あの旗と歌を、「日の丸・君が代」とみれば、日本国憲法が意識的に排斥した大日本帝国憲法体制の象徴というほかはありません。天皇主権・国家主義・軍国主義・侵略主義・排外主義の歴史にまみれた旗と歌。侵略戦争と植民地支配のシンボルとしてあまりに深く馴染んでしまった旗と歌。これを受け入れがたいとすべきが真っ当な精神というべきで、日の丸・君が代への敬意表明を強制できるはずはありません。明らかに、憲法19条の思想・良心を蹂躙する暴挙ではないか。
この件については、不起立に対する懲戒処分の取消を求めるかたちで多くの訴訟が重ねられ、多くの判決が出ています。結論を申しあげれば、残念ながら日の丸・君が代強制を違憲とする最高裁判決を勝ち取ることはできていません。しかし、何度不起立を重ねても、戒告はとかく、戒告を超える減給・停職は、重きに失する処分として違法で取り消されています。教員側も都教委側も勝ちきれていない状況が続いているのです。そのような膠着状態の中で、セアート勧告が出たのです。
国連という世界の良識による、「教員の国旗国歌強制の拒否も、市民的不服従として許されるべきだ」「現場に混乱をもたらさない態様での思想・良心の自由は保護されなければならない」という勧告は、大いに私たちの闘いを励ますものとなっています。
ご承知のとおり、安保理だけが国連ではありません。国連はいくつもの専門機関を擁して、多様な人権課題に精力的に取り組んでいます。労働分野では、ILO(国際労働機関)が世界標準の労働者の権利を確認し、その実現に大きな実績を上げてきました。また、おなじみのユネスコ(国際教育科学文化機関)が、教育分野で旺盛な活動を展開しています。
その両機関の活動領域の重なるところ、労働問題でもあり教育問題でもある分野、あるいは教育労働者(教職員)に固有の問題については、ILOとユネスコの合同委員会が作られて、その権利擁護を担当しています。この合同委員会が「セアート(CEART)」です。日本語に置き換えると「ILO・ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会」だそうです。名前が長ったらしく面倒なので、「セアート」と呼んでいます。
2019年3月セアートは、その第13回会期で日本の教職員に対する「日の丸・君が代強制」問題を取りあげました。その最終報告書の結論として次の内容があります。
110.合同委員会(セアート)は、ILO理事会とユネスコ執行委員会が日本政府に対して次のことを促すよう勧告する。
(a) 愛国的な式典に関する規則に関して教員団体と対話する機会を設けること。このような対話は、そのような式典に関する教員の義務について合意することを目的とし、また国旗掲揚および国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるようなものとする。
(b) 消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒手続について教員団体と対話する機会を設けること。
「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける」べきだとするのが、最も重要な勧告のキモだと思います。その目的実現のために、「関係者は誠実に話し合え」と勧告しているのです。
この勧告は、形式的には文科省に対して、実質的には都教委に対して発出されたものですが、文科省も都教委もほぼこれを無視しました。この国は、国連から人権後進国であることを指摘され是正の勧告を受けながら、これに誠実な対応をしようとしません。居直りと言おうか、開き直りというべきか。不誠実極まりないのです。人権を無視し国連を軽視すること、中国やロシア、北朝鮮並みではありませんか。実に情けない。
日本の政府や都教委は、できることならこの勧告・再勧告を、「勧告に過ぎない。法的拘束力がない」として、無視しようとしてます。明らかに、自分たちの立場を弾劾する不都合な内容だからです。しかし、これが、世界標準なのです。誠実に対応しないことは、日本政府の恥の上塗りをすることになります。
教職員側は、この日本政府の怠慢をセアートに報告。2021年10月第14期セアートは、あらためての再勧告案を採択。2022年6月、ILOとユネスコはこれを正式に承認しました。そのセアート再勧告の結論となる重要部分は次のようなものです。
173. 合同委員会は、ILO理事会とユネスコ執行委員会に対し、日本政府が以下のことを行うよう促すことを勧告する。
(a) 本申立に関して、意見の相違と1966年勧告の理解の相違を乗り越える目的で、必要に応じ政府および地方レベルで、教員団体との労使対話に資する環境を作る。
(b) 教員団体と協力し、本申立に関連する合同委員会の見解や勧告の日本語版を作成する。
(c) 本申立に関して1966年勧告の原則がどうしたら最大限に適用され促進されるか、この日本語版と併せ、適切な指導を地方当局と共有する。
(d) 懲戒のしくみや方針、および愛国的式典に関する規則に関する勧告を含め、本申立に関して合同委員会が行ったこれまでの勧告に十分に配慮する。
(e) 上に挙げたこれまでの勧告に関する努力を合同委員会に逐次知らせる。
13期と14期の2期にわたる勧告となりました。日本の政府には誠実に対応する責務があります。
どうやら私たちは、人権後進国に住んでいるのだと考えなければならない様子です。一人ひとりの思想・良心の自由よりは、愛国が大切だという、国家優先主義でもあるこの国。せめて、開き直らずに、誠実に国連機関が言う「国際基準」に耳を傾けていただきたいと思うのです。
(2022年10月6日)
昨日の毎日新聞朝刊のこんな見出しに目を惹かれた。「国葬反対投稿 8割が大陸から」「三重県議『根拠は高市早苗氏』」。右翼にとっても、アベ国葬問題は尾を引いている。「国民の過半数がアベ国葬反対」という事実は、どうしても受け容れがたいのだ。なんとか、「アベ様・バンザイ」としなければならない。
「安倍晋三元首相の国葬への是非を巡り、三重県の小林貴虎県議(48)=自民=が2日、ツイッターに「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸からだったという分析が出ているという」と投稿した。」(毎日)
「隣の大陸」と言えば中国以外にない。世論調査にも顕著となった「アベ国葬反対」という国民の声は、中国の仕掛けによるものだというのだ。日本の世論を撹乱し、アベ国葬の権威を貶めようという中国の企みが功を奏しての「嘘の世論」だというのが、この自民党議員の言いたいことである。
もっとも、これだけなら、地方版限りの小さなニュースでしかない。ところが、この自民党県議。うかつにも、いわでもがなのことを言ってこのニュースを全国版のものにした。
「4日に小林氏が報道陣の取材に応じ、ツイートの根拠について「誰が話したかって話ですよね。高市早苗さんです」と述べた。」「小林氏によると、2日に名古屋市内で日本会議の会合が開かれ、高市早苗・経済安全保障担当相が安全保障問題について講演した。高市氏がその際「政府の調査結果」として話した内容を基にツイートしたという。」(毎日)
高市は毎日新聞の取材に「日本政府が情報操作に関して調査した旨の発言は、私からはありません」とだけ回答したという。「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸から」との発言については、肯定も否定もしていない。
小林は投稿内容の根拠について2日のツィッターでは、「今日の講演で伺った話。ソースは以前三重の政治大学院でもご講演いただいた事のある現職」とし、3日には「政府の調査のデータだと講演者から聞いた」と語ったが、講演者の名前を高市と明かしたのは、4日のツイッターでのこと。小林は、こう言っている。
「さて皆さん非常に関心が高い様なのでお答えすることにしました。私が総理大臣になって頂きたいと強く願っている高市早苗先生が、政府の調査結果としてお伝えいただいた内容です」というのだ。
昨日(5日)、小林が委員長を務める県議会・戦略企画雇用経済常任委員会が開かれ、出席した委員からツイートの説明や辞任が求められたという。そして、彼は、委員長辞任を表明した。
そして本日(6日)、事態は一転する。小林は津市内で記者会見を行い、一連のツィッターの投稿内容は誤りだったとして、撤回を撤回を表明し謝罪した。ツィッターは削除済みであるという。
ただ、釈然としないのだ。自分の発言の誤りを認めて謝罪の会見をするのなら、どの発言がどのように誤っていたのか、なぜ誤ったのか。どうしてこれまで誤りに気付かなかったのか、何をきっかけに誤りに気付いたのか。そのくらいのことは、明らかにしなければならない。
ところが、6日の会見では「内容に誤りがあった。撤回したい」「(高市の)講演では自らメモを取っていたものの、同席した複数の参加者からの指摘で誤りに気づいた」「高市事務所にもおわびの連絡を入れた」というだけだったようだ。
具体的に何が誤りだったかは、講演会が非公開だったとして説明を拒んだ。「圧力はない。本心からだ」とも述べ、自身の進退については「深く反省している。議員として努力を積み重ねたい」と、来春の県議選で有権者の審判を仰ぐとした。
一方、当初の投稿に差別や偏見を助長するとの批判が出ていたことについては、「講演の中身に言及せざるを得ない」などとして、評価を避けた。なお、小林のツイッターは5日夜以降、非公開となっているという。
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記者会見の一問一答を、朝日が詳報している。その一部を抜粋するが、これはたいへんに興味深い内容。
――誤りとは高市氏の発言ということではなく、調査の主体、政府が間違っていたということでいいか。
詳細はそもそもクローズド(非公開)な会だということで具体的なお話はできないのだが、同じ講演を聞いていた複数の方々の記録と突き合わしたところ、異なっている部分があるということが分かったので、訂正する。
――政府の調査という言葉はなかったということか。
その内容については発言を控えたい。
――政府の調査が誤りだったという認識には間違いないか。
どこがということに関しては講演の内容になるので控えたい。
――政府がどうだったかということも、言えないということか。
繰り返しになるが、何点か記録と異なっていることが分かったので、訂正をしたい。
――メモにそもそも誤りがあったということか。
そういうことだ。
――高市氏が何を「調査」と言ったのか、言えないという話か。
差し控えたいと思う。
――訂正をしたいということだが、何をどう誤ってどう訂正したいのか。
繰り返しになるが、講演の内容に関わることなので、ここでの発言は差し控えたい。
――どこを訂正したのか、なぜ説明できない。
そもそもクローズドな会だったからだ。
――訂正の内容が分からないと何のための説明か分からない。責任を持って答えているようにはとらえられない。
申し訳ない。深く反省しているが、具体的な講演の内容に関しては差し控えたい。
――会見を開いたのだから、明かすべきだ。
申し訳ない。すべてに対して撤回をしたい。
――撤回するのか。
はい。
――訂正ではなく。
撤回する。
――その理由はクローズドな会だったから言えないと。
はい。
――小林県議自身が本当にそう考えているか、わからない。本当にそう思っているならば当然明かすべきだ。
はい。
――撤回するのは2日に投稿した「国葬反対のSNSは8割が隣の大陸から」という投稿と、4日の「発言のソースは高市早苗さんです」という、この2点についてということか。
双方ともに撤回する。
――どこが誤りだったか、クローズドだからという一点張りで説明されていない。十分伝わらないと思うが。
会の性質がそもそもクローズドだったとしか言いようがない。
――内容が違ったというのは、誰から言われたのか。
同じく同席した私の知人に確認した。
――そもそもクローズドな会合で出た内容をツイッターで発信するというのはどういう意図があったのか。
具体的な意図を話してしまうと(会の)内容になるので差し控える。
――高市氏は政府の調査はないと否定した。意見が食い違っている状況をどう考えるか。
講演の内容に言及せざるを得なくなるので、そこに関しては発言を差し控えたいと思う。
――高市氏の事務所から説明を求められたとか、何かやりとりはあったか。
ありません。私から電話をかけた。高市氏の秘書と話し、謝罪をさせていただいた。
――小林県議自身が本心から撤回しているのか、それとも誰かからの圧力で撤回することになったのか。
圧力ではない。本心だ。
――「8割が大陸」という内容については今も事実だと思っているのか。
内容について私がどう考えるかということも、会の全体的な内容に触れざるをえないので、差し控えたい。
―― 信憑性(しんぴょうせい)が高いと感じたのはどうしてか。
それも、誰が話したかということになるので控える。
――発言した人のことを考えて信憑性が高いと判断したのか。
差し控える。
――自身の責任はどのように考えているのか。現職大臣の名前を出して投稿した以上、県議としての投稿なので責任を伴うと思うが。
ことの重要性は認識しているので、党からの指示を待ちたいと思う。
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以上の一問一答の結果から、常識的に何が推認できるだろうか。小林がメモに基づいたとして、自信をもって投稿したツィッターの内容がおおきく間違っていたとは考えにくい。記者の質問にもあるように、だれかからの圧力で、小林の「問題ツィッター」は削除を余儀なくされたと考えざるを得ない。その「だれか」の中に高市が含まれていることは当然というべきである。
問題の会合は、日本会議の会合である。統一教会ばかりではない。日本会議も、自民党右派にベッタリとくっついているのだ。そして、その「日本会議+自民党」の会合は、かくもクローズドで秘密裡に行われている。だから、高市は安心していい加減なことを喋ったのだろう。
その掟になじんでいない小林が、秘密裡の会合の内容を外部にばらした。高市は自らは、表に出ることなく小林に詰め腹を切らせたのだ。ああ自民党、ああ高市。
岸田の方がまだマシだ。低支持率に喘ぎながら、がんばれ岸田。
(2022年10月5日)
「法と民主主義」10月号【572号】が、9月30日に発刊になった。特集は2本。特集?が「2022年参院選と改憲発議阻止の展望」、そして特集?「緊急特集・国葬と統一教会問題」である。両特集とも、読み応えは十分である。とりわけ、特集2が、時宜に適したもの。石村修(憲法学)・宮間純一(政治学)・郷路征記(弁護団)・有田芳生(ジャーナリスト)とならんだ執筆陣は圧巻。なお、この特集は来月号も続くことになる。
特集?●2022年参院選と改憲発議阻止の展望
◆特集にあたって … 編集委員会・南 典男
◆参院選後の改憲をめぐる状況と市民と野党の共同の展望 … 中野晃一
◆参院選結果が投げかけるもの … 田中 隆
◆実質改憲としての安保3文書改訂 … 永山茂樹
◆核戦争の危険性と私たちの任務 ── 核兵器廃絶と9条の世界化を … 大久保賢一
◆安全保障の名のもとに監視と治安強化がすすむ
戦争のできる国づくりの最終段階を画す土地規制法と経済安保法 … 海渡雄一
◆市民運動・野党共闘と法律家の役割について … 平井哲史
◆改憲問題対策法律家6団体連絡会の活動総括と今後の方針 … 大江京子
特集?●緊急特集・「国葬」と「統一教会問題」
◆特集にあたって … 編集委員会・南 典男
◆「安倍国葬」は日本国憲法上で許されない … 石村 修
◆日本史のなかの「国葬」問題 … 宮間純一
◆統一協会の伝道手法とその破壊力 … 郷路征記
◆インタビュー●統一教会とは何か ─ 自民党との極まった癒着を問う … 有田芳生
https://www.jdla.jp/houmin/index.html
お申し込みは下記URLから。
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なお、「法と民主主義」(略称「法民」)は、日民協の活動の基幹となる月刊の法律雑誌です(2/3月号と8/9月号は合併号なので発行は年10回)。毎月、編集委員会を開き、全て会員の手で作っています。憲法、司法、教育、原発、国際情勢、天皇制、地方自治、沖縄問題、ジャーナリズムなど、情勢に即応したテーマで、法理論と法律家運動の実践を結合した内容を発信し、法律家だけでなく、広くジャーナリストや市民の方々からもご好評をいただいています。定期購読も、1冊からのご購入も可能です(1冊1000円)。よろしくお願いします。
(2022年10月4日)
安倍国葬が終わって、臨時国会が始まった。明日からは、3日間の各党代表質問が行われる。この頃には、内閣支持率も回復しているだろうという岸田首相の読みは大外れとなった。あらゆる世論調査に岸田批判が鮮明である。真偽定かならざる、「岸田狼狽」「岸田切れた」「側近離れた」の類いの記事が溢れている。
昨日(10月3日)の岸田首相所信表明演説は、はなはだ評判がよくない。今は、何をやっても、何を言っても、岸田叩きの材料とされる。演説の内容もさることながら、覇気がない、投げやり、国民の声を聞く耳がない、などという評価は、ややお気の毒でもある。
岸田経済政策の目玉と言うべき「新しい資本主義」の評判がすこぶる悪い。「アベノミクスとどこが違うのか」という叩かれ方である。岸田の苦しい立場がよく表われている。安倍に批判の立場をとれば党内主流に叩かれる。安倍に擦り寄れば、国民の支持を失う。右するも、左するも、叩かれるのだ。どうすりゃいいのさこのワタシ、という心境とお察する。
安倍の怨霊に取り憑かれている岸田である。ここは乾坤一擲、この背後霊を切り捨てなければならない。まずは山際大志郎を切って、返す刀で安倍派を成敗である。それができなければ、ジリジリと怨霊の生け贄にならざるを得ない。
ところで、私は保守政権に「良・可・不可」の成績をつける。保守政権である以上は「優」はやれない。しかし、「良」はある。宮沢喜一政権にも福田康夫政権にも「良」をやってよい。一方、中曽根康弘こそ「不可」の最たるものと思っていたら、下には下がある。安倍晋三という最低・最悪の「不可」政権が現れた。これに較べれば、岸田政権はずっとマシ。悪法成立のリーダーシップのないことだけで、「可」の評価をやってよい。「可」の政権を倒したとたんに、「不可」政権が成立したのでは面白くない。
防衛費倍増やら原発再稼働発言は怪しからんと岸田を引きずりおろすことができたとして、さて次はどうなるだろう。今、菅義偉の復権がささやかれているが、この人、安倍とどこまでも一緒に駆けて駆けて駆けぬいてきた、安倍の分身である。安倍亜流、安倍コピーと言っても、安倍の使い回しと言ってもよい。実証済みの「不可」政権である。
今、目くそ岸田を取るか、鼻くそ菅を取るかと聞かれたら、どう答えるか。「鼻くそはご勘弁。目くそで我慢をしておこう」とは言いたくないが、絶対に鼻くそだけは御免こうむると言わざるを得ない。「目くそも鼻くそも、まっぴらご免」と威勢よく言うためには、野党の自力の増大と、共闘の進展を展望するしかない。
目くそ・岸田の葬儀委員長挨拶は不評甚だしく、鼻くそ・菅義偉の弔辞には拍手が湧いた。「感動した」などという、おべんちゃらが垂れ流されている。しかし、先のリテラの記事が菅の愚かさを暴き、昨日の日刊ゲンダイがこれに続いている。「菅前首相の“絶賛弔辞”コピペ疑惑で赤っ恥 『前提すっ飛ばしなら一種の剽窃』と識者バッサリ」という見出し。記事の中に、「まさかお悔やみまでコピペ…?」とも。なるほど、使い回しというよりは、コピペ弔辞の方が分かり易いのかも知れない。そして、『剽窃』とは辛辣極まる。
日刊ゲンダイはこう言う。
「安倍元首相の「国葬」強行から1週間。友人代表として参列した菅前首相の弔辞がいまだに話題を集めている。なぜか? 流用疑惑が浮上し、大炎上しているからだ。元ネタは、あろうことか故人が指南役の逝去にあたって寄せた追悼メッセージ。第2次安倍政権以降、広島・長崎の平和祈念式などであいさつの使い回しが常態化しているが、お悔やみまでコピペとは……。
菅前首相の弔辞をめぐる疑惑を報じたのは、ニュースサイト「リテラ」。〈菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを〉(1日配信)と題した記事で、流用の可能性を指摘した。
高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言う。
「ア然としています。菅前首相は遺影に向かって『歩みをともにした者として』と語りかけていましたよね。いわば盟友の安倍元首相が恩人を偲んで引用した句だと知らなかったのでしょうか? 前提をすっ飛ばして、あたかもオリジナルであるかのように振る舞っていたのだとしたら、一種の剽窃です」
「8年8カ月のアベ政治は嘘にまみれたハリボテだった。この国のレベル、儀礼にふさわしい弔辞だったかもしれません」
この言葉を噛みしめたい。「8年8カ月のアベ政治は嘘にまみれたハリボテだった」というのは、まことにそのとおり。徹底してアベを持ち上げた菅弔辞は、嘘にまみれたアベ政治の葬送にふさわしいものだったという。目には目、嘘には嘘、ゴマカシにはゴマカシである。
そして、鼻くそ・菅への大絶賛は一転する。「菅前首相は赤っ恥だ」とゲンダイ記事は締めくくっている。相対的に、目くその地位は上がった。しっかりせよ岸田。菅や安倍派や麻生派に負けるな。超低支持率でその地位を3年死守せよ。そうすれば、自ずから「可」の評価を得ることができよう。しかも、限りなく「良」に近い「可」だ。
(2022年10月3日)
私と、澤藤大河とで担当している医療過誤損害賠償請求事件が、本日結審となった。東京地裁医療集中部の一つに係属している術後脳梗塞発症事案である。この手術の執刀者は、「神の手」とメディアからもてはやされた心臓外科医。原告は、チーム医療の不備を問題としてきた。被害者となった患者は開業医で、被告は都内の大学病院である。
本日、最終準備書面を陳述し、原告訴訟代理人澤藤大河が10分余の、「主張の要点」を口頭で陳述した。最終準備書面の冒頭部分と、意見陳述要旨の冒頭をご紹介しておきたい。医療事故や医療過誤訴訟の一端をご理解いただきたい。
最終準備書面冒頭
第1 事案の概要と主たる争点
1 人は病を得て診療を受ける。疾病を治療するために通院し入院し治療を受け、疾病を治癒しあるいは寛解を得て、日常に復帰する。病人として入院し、健康を回復して退院するのである。少なくとも、当初の疾患における症状を軽減して診療を終える。これが、患者の期待であり、通常の診療の推移である。そのために、医療はある。
ところが本件においては、原告は開業医としての稼働に支障のない健康状態で、不要不急の入院治療を受け、労働能力を完全に喪失する医原性の疾患を得て退院した。健康体として入院し、重篤な障害者として退院した。障害は、被告の過失による医原性の事故によるものである。
2 原告の施術は、無症候性心筋虚血を原疾患とするものであった。原告に心疾患の自覚症状はなく、開業医としての原告の職業生活にまったく支障のないものであった。原告が敢えて不要不急の手術を受けたのは、被告病院の心臓外科に、「神の手」ともてはやされる練達の医師を迎えたという惹句によるものである。
被告は、原告とその家族に対して、「神の手」による執刀の手術成績を誇大に喧伝し、術前になすべき手術の正確な危険性(リスク)についての説明を懈怠した。
3 原告は、被告病院心臓外科において不要不急の冠動脈バイパス(5枝)手術(以下、本件手術という)を受け、術直後に施術に起因する術後脳梗塞を発症し、間もなく症状固定して、後遺障害等級1級に相当する後遺障害が残存して今日に至っている。
入院直前まで開業医として稼働していた原告が、術直後から労働能力を完全に喪失して今日に至り回復の見込みはない。
4 本件術後脳梗塞は、術中低血圧の継続に起因する低還流型と呼ばれる典型症状である。
心臓外科手術中における患者の適正血圧維持は極めて重要な術者の義務であるところ、被告は臨床医学の知見において許容される術中患者の血圧の下限値を超えた血圧管理における明らかな過誤によって、原告に低還流型術後脳梗塞を発症させたものである。血圧管理過誤の存在が原告の低還流型術後脳梗塞発症を推認させるものであり、また、低還流型術後脳梗塞発症が被告の血圧管理の過誤、すなわち適正血圧維持の注意義務懈怠を物語るものでもある。
5 以上の事案の概要に即して、下記の各点が本件の争点となっている。
(1) 術中における患者の適正な血圧管理の懈怠
(2) 術前における手術リスクについての説明義務違反
(3) 各過失と損害との因果関係
(以下略)
原告主張の要約を陳述する。
1.術中血圧管理における過失について
被告には、適切な術中血圧管理によって十分な脳血流を維持し、患者の安全を確保すべき注意義務がある。
脳は、生存に不可欠な重要臓器として極めて多量の酸素と栄養分を必要とし、これを脳血流から得ているが、その欠乏には脆弱である。必要で十分な脳血流を維持するために、人体には自動調整能が備わっている。
通常、血圧に応じて血流量が決まる。しかし、様々な要因で変動する血圧に応じて脳血流量が変化するのでは、脳機能の維持に障害が生じ脳細胞の生存にも危険が生じる。一定の範囲では、血圧の変化にかかわらず、過不足ない脳血流を確保するための仕組みが自動調整能である。
しかし、自動調整能の働く血圧範囲にも限界がある。血圧が低くなりすぎて自動調整能が作動する範囲を逸脱した場合、直ちに血流が途絶えることにはならないが、必要な脳血流量を維持することはできず、脳虚血が生じる。
その血圧の下限には個体差もあり、個々のケースで脳虚血が生じる血圧下限を明確に知ることはできない。だからこそ、患者の安全のために、長年の経験の蓄積によって、間違いなく安全であると確認されている成書の記載に従うほかない。
最も権威ある麻酔科の教科書『ミラー麻酔科学』には、端的にMAP(平均血圧)70mmHgとされている。被告提出の成書『神経麻酔』によっても、同65mmHgである。これを下回ることのないよう術中血圧を維持すべきが医療水準として求められ、術中血圧管理における被告の注意義務の根拠となる。
本件手術中の血圧記録によれば、主位的な主張であるMAP70mmHg維持義務違反で3時間16分間、全手術時間に対して65.8%に及ぶ。また、予備的な主張であるMAP65mmHg維持義務違反で2時間44分間、全手術時間に対して55%である。
被告の過失は明白で、術中長時間にわたり脳に深刻な虚血が生じたことも明らかというべきである。
被告の血圧管理についての反論は、結局のところ、術中血圧管理の基準はないという驚くべきものであった。実際、術前に血圧管理の目標値を定めた事実はなく、術終了まで、基準を意識した形跡もない。
被告は、オフポンプのバイパス手術であることを低血圧が許容される理由としているが、明らかな誤りである。自動調整能は、人間の生体としての機能であって、その作動の範囲が手術の目的や態様で左右されることはありえない。人間の体は、オンポンプであれば脳血流を維持しえないが、オフポンプであれば脳血流を頑張って供給するという便利な仕組みにはなっていない。
医療水準を無視した危険なオフポンプ手術の例をいくら並べても、本件手術における被告の過失がなくなるわけではない。そのような例においては、安全のために見込まれたマージンをギリギリまで使っただけであって、本件で脳虚血が生じていない証拠にはならない。被告がこの点の根拠として引用する文献や医師意見書については、甲B6落合亮一医師の厳密な医学的見地からの反駁をご理解いただきたい。
なお被告は、繰り返し術中のセンサーにより脳虚血を検知できる態勢をとっていたと述べているが、全く無意味な主張である。現実に本件脳梗塞を生じさせた脳虚血は検知できていないし、本件術中の検査態勢はそもそも患者の脳梗塞を検知するためのものではない。(中略)
3.説明義務違反について
手術適応の有無に関する術前検査が終了した時点で、医師は患者に対して、最終的な術前説明の義務を負う。具体的な検査結果を一般的な医学的知見に照らして、予定された当該手術のリスクとメリットを正確に患者に伝達し、手術を受けるか否かの最終判断を可能とするための説明である。これは、医師の専門家責任の一端でもあり、患者の自己決定権が要求するところでもある。
被告は果たしてそのような説明を行ったか。明らかに否である。(以下略)
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医療過誤訴訟は患者の人権擁護の問題である。他の現代型訴訟と同様に、原告(患者)と被告(医師・医療機関)とは、けっして平等ではない。診療記録は全て被告側にあり、専門的知見にしても、また鑑定人や証人の準備にしても、訴訟にかける費用負担能力にしても、圧倒的な格差がある。いかにして、この格差を埋め、民事訴訟における実質的平等を実現するか。その営々たる努力がつみ重ねられてきた。
本件を担当して、あらためて、その道半ばであることを痛感する。判決は来年1月。期待して待つ以外にないが、裁判所にはこの点についての十分な認識を得たい。
(2022年10月2日)
安倍国葬とは、いったい何だったのだろうか。国民の反対を押し切って強行された、この権力顕示のイベント。論者の立ち位置によって評価はまったく異なるものとなっている。冷静な目で幾重にも検証しなければならない。そのことは、この国葬を期として、「今より後の世はいかにかならむ」を考察することでもある。
典型的な右派の見方として、9月30日[産経・主張]が、「安倍氏の国葬 真心込めて故人を送れた」という歯の浮くような、政権へのおべんちゃら。
「安倍晋三元首相の国葬が執り行われた。日本の国として、功績のあった故人を、真心込めて送ることができて本当に良かった」と述べ、とりわけ、菅義偉の弔辞を持ち上げてこう言及している。
「感動を呼んだのは、安倍氏を長く支えた菅義偉前首相による友人代表の弔辞だった。菅氏は、暗殺された伊藤博文を偲んだ山県有朋の歌を『私自身の思い』として、2度読み上げた。安倍氏の読みかけの本にペンで線を引いてあった歌だった。
『かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ』
式場では、日本の葬儀としては異例の拍手がおこったが、中継をみていて共感した人は多かったのではないか。言葉の力が、故人を見事に送ったのである。」
伊藤博文や山県有朋を持ち出して、自分たちに重ねることを恥ずべきこととは思わない感性に呆れる。無批判にこれに拍手する参列者にも、である。日本国憲法の諸理念に照らして、偏った人々があの空間に集まっていたのだ。これが、安倍国葬の実態。
ところで、右翼・右派を感動させたという山県有朋の一首は、実は「使い回しだった!」というリテラの9月30日付記事が読ませる。リテラ、大したもの。これを紹介したい。
https://lite-ra.com/2022/10/post-6232.html
長いタイトルである。「菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた『山縣有朋の歌』は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを」。情報量の多い記事もかなりの長文。
リテラは言う。「この弔辞、…ドラマチックな話ではまったくない」「薄っぺらなハリボテ的演出がされた駄文だった」。「『山縣有朋の歌』は安倍元首相自身がJR東海・葛西会長の追悼で引用したものだった」
安倍は今年6月17日、Facebookにこう投稿しているという。
〈一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。
「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。〉
あの葛西敬之である。「安倍の最大のブレーンと言われていた極右財界人」。 その葛西が亡くなったとき、安倍は葬儀で弔辞を述べ、さまざまなメディアで追悼の言葉を発した。そのとき、持ち出していたのが、今回、菅が紹介した山縣の歌だった。安倍にその歌が載っている評伝『山縣有朋』を薦めたのが、葛西だったからだ。2014年12月のことだったという。極右葛西が、明治の軍国主義の総元締め山縣有朋を信奉しているのは有名な話なのだそうだ。
リテラは、「極右国家主義政治の師匠とも言える葛西氏から“日本の軍国主義路線の大元”山縣の評伝を教えてもらった安倍氏が、その師匠の追悼に本に載っている山縣の歌を使ったのである。」「安倍氏は6月24日発売の極右雑誌「WiLL」(ワック社)8月号に掲載された櫻井よしこ氏との対談でも、葛西氏が山縣有朋を敬愛していたこと、葛西氏から岡義武の『山縣有朋』を薦められたことなどを語った上で、『まさに、私たちが葛西さんに贈りたい歌です』として、この歌を紹介していた。」
《ところが、菅前首相は今回、故人である安倍氏が他の人を偲ぶために使っていたその歌を、何の説明もないまま、今度は自分の心情の表現として借用してしまったのだ。これって、弔辞のマナーとしてありなのだろうか。》
さらに、リテラは、「明治軍国主義の権化・山縣有朋を国葬の場で美談仕立てで持ち出すグロテスク」と中見出しを付けて、こう言っている。
「これだけなら、“愛国者のハリボテ”だった無教養な安倍・菅コンビらしいオチというだけの話で済むかもしれない。しかし、今回の菅前首相の弔辞の本当の問題は、「使い回し」かどうか以前にある。それは国葬の弔辞で山縣有朋を持ち出したことそのものだ。
「山縣有朋といえば、明治政府の軍事拡大路線を指揮した日本軍閥の祖で、治安警察法などの国民弾圧体制を確立した人物。自由民権運動を潰し、天皇と国家神道支配の強化、富国強兵と中央集権体制の確立のため、自分の息のかかった地方長官会議に建議させ、井上毅内閣法制局長官や儒学者の元田永孚らに命じて、あの「天皇と国家のために命を捧げろ」と教える教育勅語をつくらせたことでも知られる。
そして、安倍元首相の“明治軍国主義の祖”山縣への傾倒ぶりは相当で、首相在任中の2017年に防衛大の卒業式で…批判を浴びたスピーチも、山縣が発意した『軍人勅諭』を踏襲しているとも指摘されていた。
また、菅前首相も自身に抵抗する官僚を監視し干し上げてきた弾圧体質も、自由民権運動を弾圧したり、反長州の人間を徹底的に排除するなどした山縣有朋と通じるものがある」
「その後、山縣が指揮した大日本帝国がどんな道を辿ったと思っているのか。」
深く同感する。伊藤が作り山県が運用の基礎を固めた大日本帝国憲法。その基本理念を否定し大転換して日本国憲法が制定された。しかし、大日本帝国憲法の残滓は、官邸にも、国会にも、そしてこの武道館のセレモニーにも色濃く生き残っているのだ。もしかしたら、生き延びているにとどまらず、大手を振って復活することになるのかも知れない。そんな不気味さを感じさせる、菅の弔辞であり、参列者の拍手ではないか。あらためて問われなければならない。「安倍国葬とは、いったい何だったのだろうか」と。