澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

新天皇就任の発言を逐語的に点検する。

天皇の地位は、「主権の存する国民の総意に基づく」とされる。国民は、天皇の在り方について、忌憚なく意見を言わねばならない。国民一人ひとりの意見なくして、主権者国民の「総意」は見えてこないのだから。

また、天皇は、憲法99条において主権者国民から憲法尊重擁護義務を課せられる公務員の筆頭に位置する。天皇とは公務員職の一つであって、その任にある者が全国民の奉仕者であることに疑問の余地はない。主権者国民が、国民に奉仕すべき立場にある天皇の職務の内容や、仕事ぶりに関して意見を述べることに、いささかの躊躇があってもならない。新天皇就任の最初の公的な発言に、忌憚のない意見が巻きおこってしかるべきである。私も、主権者の一人として、意見を述べておきたい。

昨日(5月1日)新天皇が就任した。その最初の行事は「天皇の憲法遵守宣誓式」であるべきに、なんと「即位後朝見の儀」なる行事が行われた。国民主権の今の世に、臣民を見下した「朝見の儀」が真面目に執り行われていることに一驚を禁じえない。これが、けっして学芸会の余興ではなく、国費を投じた国事行為なのだ。

新天皇(徳仁)は、この行事で次のように発言したという(宮内庁ホームページから引用)。

「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。
顧みれば,上皇陛下には御即位より,三十年以上の長きにわたり,世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ,一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。
ここに,皇位を継承するに当たり,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研鑽さんに励むとともに,常に国民を思い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。」

この方59歳だというが、この発言の文章は極めて幼い印象。社会経験ない故か、社会常識を弁えた内容になっていない。自分の父母に敬語を使い、身内の業績を褒め称えるのは見苦しい。皇室は特別という非常識は、今の世には通じないことを知らねばならない。「お姿に心からの敬意と感謝を申し上げます」などは、非公開の私的な席で親にいう言葉であって、国民に向かって公式の場で述べる言葉ではない。以下、逐語的に点検して、意見を述べる。

「日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより,ここに皇位を継承しました。この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします。」

そんなに、力むことも緊張することもない。日本国憲法は、天皇個人の見識や判断を問うべき事態を想定していない。もちろん、天皇が責任を問われることもない。天皇とは、内閣の指示のとおりに動くことで勤まるので、「重責を思う」必要はさらさらにない。

「顧みれば,上皇陛下には御即位より,三十年以上の長きにわたり,世界の平和と国民の幸せを願われ,いかなる時も国民と苦楽を共にされながら,その強い御心を御自身のお姿でお示しになりつつ,一つ一つのお務めに真摯に取り組んでこられました。上皇陛下がお示しになった象徴としてのお姿に心からの敬意と感謝を申し上げます。」

この文章には、前任者の「象徴としての行為」を肯定して、これを承継しようという含意が滲み出ている。前任天皇の「象徴としてのお姿」は、けっして国民の「総意」に適うものではない。とりわけ、内閣の助言と承認を離れた「象徴としての(公的)行為」を拡張しようとする指向は違憲の疑い濃く、危険なものと指摘せざるを得ない。

そもそも日本国憲法の天皇とは、「何かをなすべきもの」と期待されてはいない。徹底して「あれもこれも、してはならない」ことが規定されているのだ。「前任天皇の行為を踏襲をする」との発言は、国事行為の場にはふさわしからぬものとして慎むべきであろう。

「ここに,皇位を継承するに当たり,上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し,また,歴代の天皇のなさりようを心にとどめ,自己の研鑽さんに励むとともに,常に国民を思い,国民に寄り添いながら,憲法にのっとり,日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い,国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。」

切れ目のない長い一文だが、問題が多い。
「上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し」は、既に述べたとおり。
「歴代の天皇のなさりようを心にとどめ」とは、いったい何のことだ。そもそも、国民主権下の天皇は、裕仁・明仁の2人しかいない。まさか、「侵略戦争を唱導して国民と近隣諸国の民衆を塗炭の苦しみに突き落とした天皇のなさりよう」や、「統治権・統帥権の総覧者としての天皇のなさりよう」を真似ようということではあるまい。また、神権天皇や、臣民をしろしめす天皇のなさりようを心にとどめてはならない。新天皇発言のこの部分には、日本国憲法下の天皇は、それ以前の天皇とは隔絶した存在であることの認識が欠けているといわざるを得ない。

「常に国民を思い,国民に寄り添いながら」とは、上から目線の僭越な言葉。国民から徴税した潤沢な資金の支給で衣食住に困らない立場の者が、国民の困苦を理解できるのだろうか。同じ日のメーデー会場では、「8時間働いて普通に暮らせる賃金を」という切実な要求が掲げられていた。恵まれた環境で、「常に国民を思い,国民に寄り添いながら」は不遜というべきだろう。

「憲法にのっとり」は、公務員であるからには当然だが、やや舌足らず。前任者の就任時の言葉と比較して批判されてもいるところ。端的に「憲法第99条にもとづき、日本国憲法を尊重し擁護する義務を負うことを自覚して」というべきだろう。他の公務員にもまして、厳格な憲法遵守義務擁護の宣誓があってしかるべきである。

「日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い」は、実は無内容なのだ。象徴とは存在するだけのもの、何かの積極的行為によって「何らかの具体的な責務を果たす」ことを誓ってはならない。前述のとおり、天皇の責務とは、基本的に不作為なのだ。

「国民の幸せと国の一層の発展,そして世界の平和を切に希望します。」
「祈る」を避けての「希望する」は、適切な語彙の選択と言えよう。「祈る」「祈念する」「祈願」、あるいは「御霊」「慰霊」「鎮魂」などの宗教的色彩の強い用語は、公的な場では避けなければならない。政教分離とは、かつての神権天皇制による国民意識操作の反省に基づいて、天皇の公的行為から一切の宗教性を剥奪したものなのだから。

総じて言えば、天皇とはなにごともなさないことが責務だと自覚すべきなのだ。新天皇の最初の発言が必ずしもそうなっていないことに、主権者の一人としての立場から、懸念の意を表しておきたい。
(2019年5月2日)

第90回メーデーの日に新天皇即位。私は祝わない ― 祝意の押しつけはごめんだ。

5月1日。労働者の祭典メーデーである。
代々木公園・中央メーデー会場の足場はぬかるんでいたが、空は明るく晴れわたって初夏の陽射しがまぶしかった。風のさわやかな気持ちのよいメーデー日和。その後、天候は崩れて夕刻には雨となったが、天は労働者に味方したかのよう。

会場入り口で手渡された、ミニポスターには、
「8時間働いて暮らせる賃金・労働条件を」を、という切実なもの。これが、一番の要求なのだろう。均等待遇要求」という手作りのプラカードを持った人とすれ違う。今の、労働環境をよく物語っている。

メインスローガンは、以下のとおりだ。

安倍9条改憲反対 戦争法廃止!
市民と野党の共闘で安倍政権退陣を

許すな!裁量労働制の拡大、高度プロフェッショナル制度。
8時間働いて普通に暮らせる賃金・働くルールの確立。
なくせ貧困と格差。大幅賃上げ・底上げで景気回復、地域活性化
めざせ最賃1500円、全国一律最賃制の実現。

消費税10%増税の中止。年金・医療・介護など社会保障制度の拡充。
安倍「教育再生」反対
被災者の生活と生業を支える復興。
原発ゼロ・再生可能エネルギーへの転換

軍事費削って、くらしと福祉・教育・防災にまわせ。
STOP!戦争する国づくり。辺野古の新基地建設反対 
オスプレイの全国配備撤回。核兵器禁止条約の批准を

まずは、「安倍9条改憲反対」。そのための、「市民と野党の共闘で安倍政権退陣を」が、トップのスローガン。最初の挨拶が、市民連合を代表する広渡清吾さん。野党共闘の成否を握る要石の立場にある。

私が、はじめてメーデーに参加したのは、1962年大学生になりたてのころ。級友に誘われてのことだった。なるほど、「労働者階級」というものは、単なる観念ではなく、実在するのだ。と、強烈な印象を受けた。このとき、宣伝カーの上からの、野坂参三の演説を聴いた。闘士然としたタイプではなく、諄々と理を説く穏やかな好感の持てる人だった。参院選間近だったはずだが、私には選挙権はなかった。

最近メーデーにはご無沙汰だったが、今年は、久しぶりに参加しようと決めていた。政権が5月1日に、新天皇の即位の日をぶつけてきたからだ。

5月1日には、「赤旗」がふさわしい。しかし、政府はこの日に、「日の丸」を掲揚して、祝意を表明せよという。何しろ、「赤旗」を振るような国民は、統治の対象として面倒この上ない輩。これに反して、「日の丸」を掲揚して天皇の権威を受容する国民とは、この上なく統治しやすい権威に弱い国民なのだから。先月(4月)2日に、こんな閣議決定をして、全府省に通達した。

?平成31年4月2日閣議決定

御即位当日における祝意奉表について

御即位当日(5月1日)、祝意を表するため、各府省においては、下記の措置をとるものとする。

1 国旗を掲揚すること。
2 地方公共団体に対しても、国旗を掲揚するよう協力方を要望すること。
3 地方公共団体以外の公署、学校、会社、その他一般においても、国旗を掲揚するよう協力方を要望すること。

以上の第1項が、内閣からその直接の管轄下にある各国家機関への指示であり、第2項が直接には命令権がない地方公共団体に対しての「要望」であり、第3項が「国家機関・地方公共団体以外のその他一般」に要望せよという指示である。

これを受けて、文科省は4月2日、藤原誠事務次官名で、全国の教育委員会はじめ所管の教育機関に「日の丸」掲揚を求める通知を出した。が、それにとどまらない。

文科省は、さらに4月22日、永山賀久初等中等教育局長名で、全国の教育委員会に、天皇退位と皇太子即位に際しての「学校における児童生徒への指導について」とする通知を発出した。「天皇代替わり“祝意の意義理解させよ”」というのだ。閣議決定における指示は、「国旗掲揚して祝意を表明せよ」にとどまるが、文科省通知は、国民こぞって祝意を表する意義について、児童生徒に理解させるようにすることが適当と思われますので、あわせてよろしく御配慮願います」としている。

「天皇退位と皇太子の即位について、何ゆえに祝意を表明すべきことであるのか、児童・生徒にその意義を理解させよ」というのである。これは、至難の技といわねばならない。何がめでたいのか、実は誰にも分かってはいないのだから。

人と人との関係において、けっして強制になじまないもの、強制してはならないものがいくつもある。まず、愛情を強制することはできない。「私を愛せ」という強制があり得ないことは分りやすい。「私を尊敬せよ」「私に敬意を表せよ」も噴飯物だ。愛も尊敬も、自ずから湧いてくる全人格的評価であって、強制にはなじまないのだ。まったく同じく、「国を愛せ」も、「民族を愛せ」も、そして、「天皇を愛せ」も噴飯物なのだ。愛国心の強制は、面従させることはできても、それは飽くまで腹背を伴ってのものでしかない。

祝意も弔意も、個人の自然な感情の表出である。これも強制になじまないし、また強制してはならない。クリスマスは、キリスト教徒にとっては聖なる祝日であろうが、他宗の徒には他の364日と変わらない。ユダヤ教の過ぎ越しの祭も、日蓮宗のお会式も、縁なき衆生にとっては目出度くもなんともない。

多様な日本人や国民を一括りにして祝意の強制など、あってはならない。ましてや、公権力が主体となって、天皇代替わりの祝意の要請など、とんでもない。国民の中には、その信仰や歴史観において、天皇を受け入れがたいとする心情をもつ人が少なからず存在する。これを無視して、新天皇即位の祝意を強制することは、日本国憲法の根幹の原理を侵害することとしてけっして許されることではない。

本日、外出して目についた限りだが、「日の丸」を掲揚しているのは、警察署と交番だけ。メディアが演出している、祝賀の雰囲気は、庶民の生活とは無関係のようだ。

目についた違和感は、本日(5月1日)の「赤旗」。一面の題字の横に、本日の西暦表記とならべて、新元号を()の中に表記している。元号の変わり目が、元号表記をやめるチャンスだったろうに、残念。

そして、小さな次の短い記事がある。
「日本共産党の志位和夫委員長は、次の談話を発表しました。
 ◇
 新天皇の即位に祝意を表します。
 象徴天皇として、新天皇が日本国憲法の精神を尊重し擁護することを期待します。」

えっ? 共産党も新天皇即位に「祝意」? やれやれ。

(2019年5月1日)

本日退位する天皇夫妻が客観的に果たした役割とは

本日(4月30日)をもって天皇(明仁)が退位する。明治につくられた制度を伝統という保守派からみれば、明らかに伝統に背いての退位である。憲法尊重派からみれば、国政に関する権能を一切有しないはずの天皇が、自らの意思で皇室典範特例法を制定せしめるという越権行為を行っての退位である。

旧皇室典範(1889年2月11日制定)第2章「踐祚即位」は、下記の3ケ条からなる。
 10条 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚シ祖宗ノ神器ヲ承ク
 11条 即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ
 12条 踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ
これが、天皇の生前退位を認めず、一世一元の法的根拠だった。なお、「明治元年ノ定制」とは、1868年「行政布告第1条」のことだという。

現行皇室典範(1947年1月16日制定)ではこうなっている。
 第4条 天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。
 第24条 皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。
皇位承継の要件は、旧皇室典範と同様、天皇の死のみである。したがって、天皇生前の、退位も皇位承継も想定されていない。

にもかかわらず、現天皇は生前の退位を希望し、内閣と国会を動かして生前退位を実現した。いわば、ロボットが自らの意思をもってロボット操縦者を逆に操ってしまったのだ。これは、由々しき事態と言わねばならない。

この2代目象徴天皇が高齢を理由とする生前退位の意向を表明したのは、2016年8月8日。NHKテレビに、ビデオメッセージを放映するという異例の手段によってである。「玉音放送」を彷彿とさせる。
天皇はそのビデオで、「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。」と語っている。

天皇自らが、「象徴の努め」の内容を定義することは明らかに越権である。しかも、国事行為ではなく「象徴の努め」こそが、天皇の存在意義であるかのごとき発言には、忌憚のない批判が必要だ。憲法学のオーソドックスは、天皇の行為を「憲法が限定列挙する国事行為」と、「純粋に私的な行為」とに2分して、その間にある曖昧な、「公的行為」の範疇を認めないか、認めるにしても可及的に狭小とすべく腐心してきた経緯がある。さらに、法改正を必要とする、天皇の「8・8メッセージ」が、内閣の助言と承認のないまま発せられていることには驚かざるを得ない。

ところが世の反応の大方は、憲法的視点からの天皇発言批判とはならなかった。「陛下おいたわしや」「天皇の意向に沿うべし」の類の言論が跋扈した。リベラルと思しき言論人までが、反安倍の立場も交えて、天皇への親近感や敬愛の念を表白している現実がある。憲法を超越する天皇という存在の危険性を見せつけられた感を禁じえない。

象徴としての行為を積極的に行う天皇」とは、客観的にどのような役割を担うことになるのだろうか。本日(4月30日)の「沖縄タイムス」社説の次の一節が示唆的である。

「陛下は皇太子時代に5回、天皇に即位してから6回、これまでに計11回、沖縄を訪問している。沖縄の文化にも深い関心を示してきた。行動の持続と考え方の一貫性、沖縄に向きあってきた真摯な姿勢は疑う余地がない。
 沖縄タイムス社と琉球放送が27、28の両日、実施した県民意識調査によると、天皇の印象について「好感が持てる」と答えたのは87・7%に達した。沖縄の人々のわだかまりが溶けつつあるともいえる。両陛下の「国民に寄り添う姿勢」は、沖縄においても好感を持って受け入れられている。
 被災地を訪ね、ひざをついて被災者を励ます姿は、悲しみや憂いを共有する思いがにじみ出ていて、忘れがたい印象を残した。「好感が持てる」と答えた人が9割近くもいたということは、こうした行動の全体が評価されているとみるべきだろう。」

天皇が沖縄を11回訪問して、沖縄の現実は何か改善しただろうか。沖縄タイムス社説の表現を借りれば、「依然として戦後が清算されず、民意に反して辺野古埋め立てが進み、基地被害が絶えない」という現実なのだ。これに続く言葉が意味深である。「だからこそ、沖縄にとって、(天皇夫妻の)寄り添う姿勢が身にしみる?という側面もあるのではないか。」

同社説は、「状況の悪化を肌で感じていることと、天皇評価の好転とは、別の問題である。」と結んでいるが、もっとはっきり言わねばならない。

天皇夫妻の沖縄訪問が果たした客観的役割とは、こういうものだ。
「沖縄の矛盾を覆い隠し、県民の怒りや不満を、なんの解決もせぬまま宥和するだけのものであった。沖縄を捨て石にした本土政府は、戦後も一貫して沖縄に基地負担を押し付け続けてきた。平和を願う県民は、本土政府やその背後のアメリカ政府に、果敢に抗議の闘いを挑み続けてきたが、天皇夫妻の役割は、その闘いを励ますものではなく、反対に県民の抗議の行動を封じ込める安全弁として機能してきたのだ。客観的には、政権の沖縄政策の貫徹を補完するものに過ぎなかった」

沖縄に限らない。天皇夫妻は、取り残された地域や人々を訪問して、言葉をかけ祈るという行為によって、格差や分断という社会の矛盾を覆い隠し、底辺の人々の不満をなんの解決もせぬままに宥和して、政権への要求行動に立ち上がろうとする人々を制し、失政に対する国民の追及や政権に対する抗議の行動を起こさぬように封じ込める安全弁として機能してきたのだ。

明日(5月1日)から、新しい天皇が、現天皇と同じ行動を続けることになるだろう。「祈る天皇」や「寄り添う天皇」を、ありがたがってはならない。むしろ、厳しく警戒しなければならない。けっして褒めそやしてはならない。
(2019年4月30日)

天皇の権威に恐れ入らない「反権威の精神」を

本日(4月29日)は「昭和の日」である。昭和天皇と諡(おくりな)された裕仁の誕生日。この人は1901年4月29日の生まれで、1926年に現御神(あきつみかみ)となった。つまり、天皇教の祭神でもあり教祖でもある地位に就いた。そして同時に、大日本帝国憲法上の天皇となった。「統治権を総覧」し、「神聖にして侵すべからず」とされる存在となったのだ。以来1945年までは、4月29日が「天長節」とされた。46年1月1日に人間宣言を発して人間に復帰し、89年に亡くなるまでこの日は「天皇誕生日」であった。没後、この前天皇の誕生日は、「緑の日」となり、次いで2007年から「昭和の日」となって現在に至っている。

いうまでもなく、昭和という時代は1945年8月敗戦の前と後に2分される。戦前は富国強兵を国是とし、侵略戦争と植民地支配の軍国主義の時代であった。戦後は一転して、「再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることの決意」から再出発した、平和憲法に支えられた時代。戦前が臣民すべてに天皇のための滅私奉公が強いられた時代であり、戦後が主権者国民の自由や人権を尊重すべき原則の時代、といってもよい。

では本日は、戦前の昭和を否定して、戦後の昭和を肯定的に評価すべき日として、ふさわしいかと言えば、そうではなかろう。昭和天皇と諡されたこの人物は、内外に戦争の惨禍をもたらした最高の戦犯である。戦後民主主義は、その責任を追及し得なかった。どころか、その戦犯の誕生日を今だに国民の「祝日」として祝おうというのだ。時代の愚かさを、苦く噛みしめるべき日というほかはない。

時あたかも天皇代替わりの直前である。4月27日(土)から始まった「天皇交代記念大サービス10連休」の3日日でもある。この日に、「天皇代替わりに、異議あり」という連続企画で講演依頼があれば、喜んで出向くしかない。

講演依頼は名古屋からのもの。「天皇代替わりを機に、天皇制を考えるあいちネットワーク」という団体の主催。昨年の12月からの連続企画で、本日が4回目だという。

私の講演の標題は、「主権者として、天皇制と対峙する姿勢を」というもの。詳細レジメを用意して、正味1時間半の講演だった。言いたいことは、次のようなことだ。

 客観的には搾取され収奪されているにもかかわらず、奴隷主を敬愛するに至った奴隷こそが、魂までの支配を許した真の奴隷である。同様に、天皇制に囚われ天皇を敬愛するに至ったマインドコントロール下の心根を、奴隷根性になぞらえて臣民根性という。今なお国民に根強く存在する「天皇に恐れ入る精神」が、主権者としてあるまじき臣民根性の残滓にほかならない。
 主権者意識を侵害する、天皇制マインドコントロールをはねのけるために、ぜひとも「誰にも恐れ入らない反権威の精神」を身につけよう。

 天皇の権威などというものは、みんながないとは言えないからあるように見えるだけのもので、「王様は裸だ」と看破されれば、そんなものは最初からない。教室で天孫降臨神話を説かれた小学生が、「先生そんな話、ウソだっぺ」と喝破すれば破れさる、ウソとごまかしでしかない。

 政権に利用価値あるが故に、天皇の「権威」が演出されているのだ。天皇代替わりの今、日本の民主主義の成熟度が試されている。自立した主権者としての矜持をもって、天皇や天皇制に対する毅然とした姿勢を堅持しよう。天皇制を支える、いくつもの小道具を恐れ入らずに拒否しよう。

話が終わったら、質問攻めに遭った。純粋な質問というものはない。「私はこう思うが、講師の意見はどうか」というもの。たいへんに興味深かった。

一方で、「講演の内容は、天皇制の否定面だけが強調されたが、実は肯定すべき面もあるのではないか。たとえば、敗戦直後の占領政策が穏健に進行し、戦後の混乱が最小限に押さえられたのは、天皇制の効用といえないか。国民を統合する作用の肯定面も見るべきではないか」という質問があり、その反対に、「今日の話では、天皇は憲法体系の例外で、地番を振れば番外地にあると言いながらも、憲法に明記されている以上違憲とは言えない、という。そんな話を聞きたくて参加したのではない。憲法が天皇を認めていること自体がおかしい。天皇制をなくせと、どうした言えないのか」という意見もあった。

また「フェミニズムの立場からは、天皇制が家父長制や男女差別の根源ととらえられている。差別は、男女差別だけでなくあらゆるところにある。講師が弁護士だから集会参加者が『先生』というのも、無意識の差別ではないか」「『令和』という新元号のコンセプトは、自民党改憲草案そのものではないか。この新元号に好感を持つという人が73%という調査がある。この数値は、憲法改正を肯定する世論に結びつくものではないか」などなど。

司会が申し訳なさそうに、「時間がありませんので質問を打ち切ります」としたが、「あんなに発言したい人が大勢いたのに、なぜ時間延長ができなかったのか」と懇親会でも、ひとしきり話が弾んだ。

世の中、けっして一色ではない。感性の次元でどうしても天皇制を受け入れられない人もいれば、天皇制に反対する集会で「天皇制の評価面もあるでしょう」という人もいる。みんな、恐れ入らずに、自分の意見を言えばよいのだ。

すこしくたびれはしたが、私としては、「正しい昭和の日」の過ごし方を実践した充実感にあふれた一日であった。
(2019年4月29日)

本日(4月28日)沖縄『屈辱の日』に、国家・国民・天皇を考える。

一国の国民は、栄光と屈辱、歓喜と無念、慶事と凶事を共有する。それであればこその国民国家であり、国民である。もちろん、これはタテマエであって現実ではない。しかし、統治をする側がこのタテマエを壊しては、国民国家はなり立たない。本日、4月28日は、厳粛にそのことを噛みしめるべき日である。しかも、天皇代替わりを目前にしての、国民統合に天皇利用が目に余るこの時期の4月28日。国家と天皇と国民の関係を考えさせる素材提供の日である。

本日の琉球新報に、「きょう『4・28』 沖縄『屈辱の日』を知ってますか?」という解説記事。同紙の本日の社説は、4・28『屈辱の日』 沖縄の切り捨て許されぬ」というタイトル。さらに、皇室に県民思い複雑 4・28万歳と拳 『屈辱の日』67年」という、沖縄への天皇の関わりに触れた署名記事も掲載している。また、沖縄タイムスの社説も、「きょう『4・28』今も続く『構造的差別』」である。

1952年の今日・4月28日に、サンフランシスコ講和条約が発効して、敗戦後連合国軍の占領下にあった日本は「独立」した。しかし同時に、沖縄や奄美は日本から切り離されて、米軍の施政権下におかれた。沖縄の本土復帰には、さらに20年という年月を要した。この間、沖縄に日本国憲法の適用はなく、米軍基地が集中し、過重な基地負担の既成事実が積み上げられた。だから、この日は沖縄県民にとって「屈辱の日」と記憶される日なのだ。しかも、このアメリカへの沖縄売り渡しを主導したのが、既に主権者ではなくなっていた、天皇(裕仁)である。

2013年4月28日には、安倍政権がこの日を「主権回復の日」として、政府主催の式典を挙行した。当然のこととして、沖縄からは強い反発の声が上がった。この間の事情を、本日の琉球新報「皇室に県民思い複雑 4・28万歳と拳 ― 『屈辱の日』67年」の記事から抜粋する。

 沖縄にとって4月28日は「屈辱の日」として深く刻まれている。
 2013年4月28日には、安倍政権が主催し「主権回復の日」式典が開かれた。式典には首相、衆参両議長、最高裁長官の三権の長とともに天皇皇后両陛下も臨席された。
 サンフランシスコ講和条約を巡り、昭和天皇が米軍による沖縄の長期占領を望むと米側に伝えた47年の「天皇メッセージ」が沖縄の米統治につながるきっかけになったとも言われる。
 昭和天皇の「戦争責任」と講和条約による「戦後責任」を感じている県民の間には、皇室に対して複雑な感情もある。「4月28日を巡る式典は、沖縄と皇室の在り方をあらためて問い掛ける出来事となった。
   ◇    ◇    ◇
 「天皇陛下、バンザーイ」「バンザーイ」
? 2013年4月28日、東京都の憲政記念館で開かれた政府主催の「主権回復の日」式典。天皇皇后両陛下が退席される中、会場前方から突然、掛け声が上がった。つられるように、万歳三唱は会場中にこだまし、広がった。
? だが、講和条約締結を巡っては昭和天皇による「天皇メッセージ」が沖縄の米統治に大きな影響を与えたといわれる。沖縄戦で悲惨な戦禍を受け、その後も日本から切り離された沖縄にとって、皇室への複雑な感情は今もくすぶっている。
 こうした中で開かれた式典に、県内の反発は激しかった。一部の与党国会議員からも異論の声が上がった。「主権回復の日」式典と同日・同時刻に政府式典に抗議する「『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市内で開かれ、県民は結集し怒りの拳を上げた。「万歳」と「拳」。本土と沖縄の温度差が際だっていた。

琉球新報の社説は、あらためて沖縄地上戦の凄惨な犠牲を思い起こし、平和な沖縄を願うものとなっている。

<社説>4・28「屈辱の日」 沖縄の切り捨て許されぬ

 この「屈辱の日」を決して忘れてはならない。沖縄は去る大戦で本土防衛の時間稼ぎに利用され、日本で唯一、おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が繰り広げられた。戦いは凄惨を極め、日米合わせて20万人余が犠牲になった。このうち9万4千人が一般人で、現地召集などを含めると12万2千人余の県出身者が亡くなった。民間人の死者が際だって多いことが沖縄戦の特徴である。

 激戦のさなか、日本軍はしばしば住民を避難壕から追い出したり、食糧を奪ったりした。スパイの嫌疑をかけられて殺された人もいる。戦後は米統治下に置かれ、大切な土地が強制的に接収された。米国は、講和条約の下で、軍事基地を自由に使用することができた。

 72年に日本に復帰したものの、多くの県民の願いを踏みにじる形で米軍基地は存在し続けた。沖縄戦で「捨て石」にされたうえ、日本から切り離された沖縄は、今に至るまで本土の安寧、本土の利益を守るために利用されてきたと言っていい。

 そのことを象徴するのが、名護市辺野古の海を埋め立てて進められている新基地の建設だ。2月24日の県民投票で「反対」票が有効投票の72・15%に達したが、政府は民意を黙殺した。

 1879年の琉球併合(琉球処分)から140年になる。沖縄はいまだに従属の対象としか見なされていない。基地から派生する凶悪事件、米軍機の墜落といった重大事故が繰り返され、軍用機がまき散らす騒音は我慢の限度を超える。有事の際に攻撃目標になるのが基地だ。この上、新たな米軍基地を造るなど到底、受け入れ難い。そう考えるのは当然ではないか。

 これまで繰り返し指摘してきた通り、県民が切望するのは平和な沖縄だ。政府はいいかげん、「切り捨て」の発想から脱却してほしい。

そして、沖縄タイムス社説
 講和条約第3条が、基地の沖縄集中を可能にしたのである。「構造的差別」の源流は、ここにあると言っていい。「4・28」は、決して過ぎ去った過去の話ではない。
 安倍政権は講和条約が発効した4月28日を「主権回復の日」と定め、2013年、沖縄側の強い反対を押し切って、政府主催の記念式典を開いた。
 ここに安倍政権の沖縄に対する向き合い方が象徴的に示されていると言っていい。講和・安保によって形成されたのは「沖縄基地の固定化」と「本土・沖縄の分断」である。それが今も沖縄の人びとの上に重くのしかかっている。

安倍政権は、沖縄を切り捨てた日を、式典で祝ったのだ。たいへんな神経である。そこには、三権の長だけでなく天皇も参加させ、「テンノーヘイカ、バンザーイ」となったのだ。一方の沖縄では、同日・同時刻に政府式典に抗議する「『屈辱の日』沖縄大会」が宜野湾市内で開かれ、県民は結集し怒りの拳を上げた。東京では、「テンノーヘイカ、バンザーイ」であり、沖縄はこれに抗議の「拳」を挙げた。

琉球新報の「皇室に県民思い複雑」は、ずいぶんと遠慮した物言いではないか。アメリカへの沖縄売り渡しを提案した裕仁の「天皇メッセージ」は、明白な違憲行為であり、天皇という存在の危険性を如実に露呈するものである。これこそが、現在の県民の重荷の元兇なのだから。

そして、沖縄屈辱の日の政府式典において、現天皇への「テンノーヘイカ、バンザーイ」は、別の意味での天皇の危険性をよく表している。天皇は式典出席で、安倍政権の沖縄切り捨て策に利用され加担したのだ。もとより、天皇は憲法の許す範囲で政権の手駒として、政権の指示のとおりに行動するしかない。けっして、ひとり歩きは許されない。沖縄切り捨てを含意する祝賀の式典での「テンノーヘイカ、バンザーイ」は、政権に対する、県民・国民の批判を天皇の式典出席が回避する役割をはたしたことを物語っている。

民主主義にとって天皇はないに越したことはない。直ちに、憲法改正が困難であれば、その役割を可能な限り縮小すべきである。そのためには、天皇や、政権の天皇利用に、批判の声を挙げ続けなければならない。
(2019年4月28日)

「元号さよなら声明」に、ご賛同のネット署名を。

本日(4月27日)、「元号さよなら声明」への賛同署名運動を開始しました。

署名は、下記のURLから。
http://chng.it/7DNFn7sCfz

目標は10000人。是非とも、拡散のご協力をお願いいたします。

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「元号さよなら声明」
もう使わない、使わされない!
元号の強制、元号への誘導、押し付けはごめんです。

また元号が変えられます。私たちは、一生の間にいったいいくつの元号を使わされるのでしょうか?

いま多くの人が元号はもう使いたくないと感じています。グローバル化が進んだ今日、日本国内にしか通用せず、また国内でも複数の年の間の年数をかぞえるにも元号は実に不便です。

日本の手帳には年齢早見表がついています。いくつもの元号にまたがって年数を数えるのは厄介だからです。グローバル化の時代に日本でしか通用しない元号は不便です。

それだけではありません。公的機関が元号だけを使っているため、改元の度に必要となる情報システムの改修には莫大な費用がかかり、IT社会は絶えずこのシステムの不安定性に振り回されます

元号を使うことは義務ではありません。しかし現実には、それが当然であるかのように元号を使うことを求められたりします。

元号を使いたくない人、元号を知らない人に元号を使うよう「協力を求め」たり、無理強いをしないでください。また、誰もが使ったり見たりする公的な文書や手続き書類は、元号を使いたくない人でも困らない、元号を知らない人でも分かるものにして下さい。

私たちは元号を使いたい人が元号を使うことを妨げようとしているのではありません。ただ私たちは、次の三つのことを求めたいのです。

1.届出や申し込みの用紙、Web上のページなどにおける年の記載は、利用者が元号を用いなくても済むものとし、また利用者に元号への書き直しを求めないこと。

2.公の機関が発する一切の公文書、公示における年の記載は、元号を知らない者・使わない者にも理解できる表示とすること。

3.不特定多数を対象とする商品における年の記載は、元号を知らない者・使わない者にも理解できる表示とすること。

* 上記の1・2は、衆参両院議長、内閣府、最高裁判所事務総局、地方自治体に要請します。また同じく3は、元号表示しかしていない金融機関や企業などに対して、各地の賛同者の皆さんと共に要請します。

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下記URLの拡散をよろしくお願いします。
http://chng.it/7DNFn7sCfz

また、下記のURLもご利用ください。
https://sayonaragengou.blogspot.com/p/httpssayonaragengou.html

https://www.facebook.com/gen5no/?modal=admin_todo_tour

よろしくお願いします!

(2019年4月27日)

国民に元号使用の義務はない。官公署への協力義務もない。

仲間内の雑談で、元号が話題となった。私の親しい友人たちは、元号拒否派が圧倒的だ。裁判所に提出の書類でも西暦を使用しているという。

私の場合、最初から西暦使用に徹していたわけではない。はじめは無自覚に元号を使用していたが、弁護士経験10年目のあたりで西暦使用に切り替えた。以来35年以上にわたって、訴状も、答弁書も、準備書面も、弁論要旨も、すべて西暦表記で一貫している。

元号表記一色の世界でのこと、はじめは目立った。たった一度だけの経験だが、担当の裁判官から、クレームを付けられたことがある。「自分は、昭和になじんでいる。西暦だと前後関係が分かりにくい。昭和を使っていただけないか」というのだ。

「私は西暦に深くなじんで、昭和だと前後関係が分からなくなる。また、信条として元号拒否にこだわってもいる。このまま、西暦使用を通させていただきたい」と言ったところ、裁判官は実に面白くなさそうではあったが、それ以上は何も言わなかった。

仲間の一人は、事務員さんが持参した西暦表記の書面を、裁判所から「和暦に直してください」と突き返されたことがあるという。抗議をして受領させ、以来トラブルはないそうだが、はて。法的な強制力はないことが明瞭なのに、どうして事実上の押しつけがまかり通っているのか、ひとしきりの議論となった。役所や銀行の窓口では、元号使用の強制を拒否して西暦貫徹を実践しようと盛り上がった。

元号使用に、法的拘束力のないことは明らかである。法が国民に元号使用を強制するには、国会における立法が必要であるところ、そのような法律はない。

元号法という法律はあるが、国民に元号使用の義務を課するものではない。

「元号法」 (1979年法律第43号)
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第1項の規定に基づき定められたものとする。

以上が全文。国民の義務とも権利の制約とも、まったく無縁の法律。国民は、法によって元号使用を強制される立場にはない。国民に対する元号使用の強制は一切ないという触れこみがあっての元号法の法案上程であり、成立であった。いささかでも、元号使用強制の色彩が見えたら、元号法が国会を通ったはずはない。

元号・西暦のどちらを使ってもよいとなれば、圧倒的に便利なのは西暦であって、元号はどうしても分が悪い。何しろ、地域限定・通用期間限定の欠陥紀年法だからである。ところが、不便な元号が、廃れることなくいまだに生き残っている。官公署がこの不便な代物を使うからだ。そして国民に使わせるからだ。

問題は、官公署が当然のごとく、公文書を元号表記で書き、国民が官公署に提出する書類にも元号表記を要求していることである。このことに関して、以下のとおりの興味深い第108回通常国会参議院でのやり取りの記録が残されている。

「公的機関における元号の使用に関する質問主意書」の提出者は、日本社会党の野田哲議員。これへの1987年4月10日付けの答弁書は、中曽根康弘首相時代の政府によるもの。

広島県の県立学校54校で西暦表記の卒業証書授与があった。これを咎められた校長が県教委から戒告の処分を受けたという。野田議員の質問は、この件に関連して、一般論としての「公的機関における元号使用の義務の有無と強制力について」にまで及んでいる。

ハイライトとなる部分について抜粋して、質問と回答を紹介してみたい。

野田議員質問

本年3月30日、広島県教育委員会は、卒業証書の発行年月日を西暦で表記して交付した県内54校の県立高等学校及び養護・ろう学校の学校長に対し処分を行つたという。この問題は、憲法上及び法令上の重大な内容を含んでいると考えられるので、以下のとおり質問する。
質問一 広島県教育委員会が行つた処分の具体的内容等について以下の事項(略)を調査し、その結果を明示されたい。

政府答弁「一について」
 広島県教育委員会からの説明によれば、次のとおりである。
 広島県教育委員会においては、昭和三十七年から広島県教育委員会の公用文に関する規程で元号表示による書式を一般的に定め、事務処理を行つてきたところであるが、元号の使用は同和教育の推進を阻害するという理由から県立学校の卒業証書における年の表示について西暦を使用するよう教職員が校長に迫るという動きがあり、他方、教育委員会規則等で定められた個々の公用文の様式においては、必ずしもすべての公用文の年の表示方法が明確にはされていなかつたため、昭和六十二年一月、教育職員免許状に関する規則、広島県立高等学校学則施行細則など教育委員会規則等の一部改正を行い、個々の公用文の年の表示方法を元号表示とすることを明確にし、関係機関に対し周知を図るとともに、同年二月、県立学校長に対し、卒業証書における年の表示について前記規則等に基づく様式を遵守するよう指示文書を発した。
 しかしながら、同年三月の県立学校の卒業式において、五十四校で前記規則等に定められた様式に反する卒業証書が交付された。
 このため、広島県教育委員会は同年三月三十日付けで右五十四校の校長に対し、今後は法令等にのつとつた適正な職務の遂行に努めるよう文書訓告を行うとともに、監督責任者である教育長に対し戒告、教育部長及び高校教育課長に対し文書訓告を行つた。

質問三 公的機関における元号使用の義務の有無と強制力について
1 一般に、国・地方公共団体またはその他の公的機関が元号を使用すべき憲法上の義務は存在せず、また元号使用を強制する法令は存在しないと考えるが、政府の見解を伺いたい。
2 政府は、元号法案の国会審議に際して、「公的な機関の手続なりあるいは届け出等に対しましては、行政の統一的な事務処理上ひとつ元号でお届けを願いたいという協力方はお願いをいたします。しかし、たつて自分は西暦でいきたいという方につきましては、今日までと同様に、併用で、自由な立場で届け出を願つてもこれを受理すると、そういう考えでおるわけでございます。」(一九七九年四月二七日、参議院本会議における三原朝雄国務大臣の答弁)、また、「従来、戸籍などの諸届けの用紙に、不動文字で「昭和」と、こういうことを刷り込んでおることは事実でございます。これは申請者に便宜を与える、便宜を図るというだけの趣旨のものでございまして、強制するとか拘束するとかという趣旨ではございません。……この辺につきましては誤解が起こらぬように、強制する、拘束するものではないという趣旨を十分徹底して、行き違いがないようにいたしたいと思つております。」(同、古井喜實国務大臣の答弁)、また、「現在の住民基本台帳、それから印鑑登録のそれらの様式は、いずれもこれは市町村が自主的な判断で定めておるわけでございますが、一般に元号が使用されておりますけれども、これはもう御承知のように従来からの慣行によつて行われ、協力を求めておる、強制するというものでないことは言うまでもございません。」(同、澁谷直藏国務大臣の答弁)、さらに「教科書検定における元号の取り扱いについても、従来から、年代の表示については、教科の目標、内容等に照らし、適切な方法がとられるよう指導している……。」(同、内藤誉三郎国務大臣の答弁)など、公的機関における元号の使用は、あくまで「便宜的」「慣行的」なものであり、したがつて「協力を求める」ことはあつても「強制するとか拘束する」ものではないと、繰り返し答弁している。今日もその立場、見解は不動であると解するが政府の見解を示されたい。
3 右の政府見解によつたとしても、卒業証書は卒業生本人に手渡されるものであつて、公的機関内に保存される一般の公的文書に比べ、年号表示の特定の様式が便宜上求められる度合いは極めて小さいはずである。また、卒業証書が西暦で記載されたとしても、教育上特別に、混乱や問題を惹起するとは考えられない。したがつて、卒業証書に元号の使用を義務づけあるいは強制する合理的理由、法的根拠は存在しないと考えるが、政府の見解を示されたい。
4 卒業証書の年号表示の様式について、たまたま学校長、教師、父母、生徒などの意見、思想、信条等が、教育委員会の期待するところと異なり、西暦が使用されたからといつて、それを強権の発動たる行政処分でもつて処罰するがごときは妥当でなく、元号に関する政府見解の趣旨にも反し、かえつて教育的効果を損なう措置であると考える。したがつて、年号表示について、かかる処分発令を許容するがごとき規則や指導は不適切であり、改廃されるべきだと考えるが、政府の見解を示されたい。

答弁「三について」
1 国・地方公共団体等の公的機関が元号を使用すべき憲法上の義務はない。
 また、現在、国・地方公共団体等の公的機関の内部において事務の統一的な処理のため元号の使用を義務づけるような規則等は別として、国民又は国・地方公共団体等の公的機関に対し、一般に元号の使用を強制する法令は存在しないと考える。
2 国・地方公共団体等の公的機関の事務については、従来から年の表示には原則として元号を使用することを慣行としてきている。したがつて、一般国民から公的機関への届出等においては、公務の統一的な処理のために、書類の年の表示には元号を用いるよう一般国民の協力を求めてきているが、このような考え方は今日においても変わりがない。

3及び4 公立学校の卒業証書は、当該学校の全課程を修了したことを公に証明する公文書であるが、教育委員会がその所管に属する公立学校の卒業証書に関し、年の表示方法を含めその様式を定めることについては、当該教育委員会の権限の範囲に属するものと考える。
 また、教育委員会の規則等にその所管する学校の教職員が従うべきことは当然である。

以上のとおり、国・地方公共団体等の公的機関が元号を使用すべき憲法上の義務はなく、法律上の義務もない。また、「官公署は、書類の年の表示には元号を用いるよう一般国民の協力を求めてきている」に過ぎず、国民がこれに従うべき義務はない。

この代替わりに伴う、元号切り替えがチャンスだ。不便な元号の使用を拒否しよう。すっぱりと元号使用をやめよう。官公署からの元号使用協力も拒否しよう。
(2019年4月26日)

主権者として、天皇制と対峙する姿勢を ? 天皇の交替に際して

天皇の代替わりをテーマに、何度か小さな学習会の講師をお引き受けした。その都度、自分なりにレジメを作り直している。4月29日に予定されている学習会のレジメの一部をご紹介する。これを骨格に報告することになるが、ほぼ趣旨はご理解いただけるだろう。

※日本の民主主義思想と実践は、天皇制と対峙して生まれ天皇制と拮抗して育った。
 今なお、その事情は基本的に変わらない。
 奴隷主を敬愛するに至った奴隷こそが、真の奴隷である。
 天皇制に囚われ、天皇に恐れ入った精神が、
  主権者としてあるまじき臣民根性にほかならない。
 今なお国民に根強く存在する臣民根性の残滓を払拭し、
  天皇制マインドコントロールをはねのけるために、
  「誰にも恐れ入らない反権威の精神」を身につけよう。

 近代天皇制とは、《権力》と《権威》をもって構成された。
  日本国憲法によって天皇の「権力」は剥奪されたが、
  天皇の「権威」は、事実上象徴天皇として残された。
  ひとえに、政権利用の便宜な道具としてである。
 天皇代替わりの今、その道具の有用性が明らかとなり、
 新たな権威付さえ、試みられている。

 今、日本の民主主義の成熟度が試されている。
 自立した主権者としての矜持をもって、
 天皇や天皇制に対する毅然とした姿勢を堅持しよう。

※天皇交替劇における主権者意識の検証
☆これから何が起きるのか。
4月1日 新元号発表(「令和」)
4月末日 天皇(明仁)退位??? 退位礼正殿の儀
5月1日 新天皇(徳仁)即位
剣爾等承継の儀(剣爾渡御の儀)
その後、一連の即位行事と宗教儀式
10月22日 即位礼正殿の儀
11月13日?14日 大嘗祭
20年4月19日 立皇嗣の礼
10月22日安倍晋三が発声する「テンノーヘイカ・バンザイ」の笑止千万
しかし、これは喜劇ではなく、民主主義にとっての深刻な悲劇である。
11月13日?14日 大嘗祭のおぞましさ
国民主権原理違反と、政教分離原則違反と。
☆狙われているものは、
象徴天皇の権威付けであり、主権者意識の鈍麻であり、
偏狭なナショナリズムの喚起であり、
社会の矛盾から目を背ける方向での国民統合であって、
総じて、保守政権による天皇利用である。
(天皇の全存在そのものが、権力の政治利用のためのものである)
☆この交代劇のありようは、本来憲法の許さざるところ。

※憲法における天皇とはロボットである。
☆天皇とは、国民主権を脅かす「唯一の国民のライバル」である。
☆天皇とは、日本国憲法上の公務員の一職種であって、それ以上のものではない。
☆象徴とは、なんの権限も権能も持たないことを意味するだけのもので、
象徴であることから、何の積極的法律効果も生じない。
☆本来、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為(のみ)を行ふ」だけのもので、国事行為の外に「象徴としての行為」や「天皇の公的行為」を認めてはならない。
☆憲法は、内閣の助言と承認を離れた天皇のひとり歩きを厳禁している。天皇は、自らの意思をもって行動することを禁じられた「めくら判を押すだけのロボット」(宮沢俊義説)である。
☆天皇の地位は、「主権の存する日本国民の総意に基づく」ものであって、主権者である国民の意思によって天皇の地位を廃絶しうることは、もとより可能である。
☆皇位継承法である皇室典範は一法律に過ぎず、国会が改廃しうることに疑問の余地がない。
☆現行憲法においては、「天皇は神聖にして侵すべからざる」存在ではない。
天皇に対する批判の自粛が「菊タブー」をつくる。

※日本国憲法体系の中で、天皇の存在は他の憲法価値と整合しない夾雑物である。
☆憲法体系のかたち
★「人権カタログ」+「統治機構」
人権を抑圧せず、人権を輝かせる統治機構(権力分立)
★3本の柱(国民主権・平和・人権尊重)
☆いずれの憲法体系理解においても、天皇は体系の中に位置づけられない。
体系の外にあって、憲法理念貫徹を邪魔せぬように釘を刺されている存在。
☆憲法の理念に地番を振れば、
1丁目には人権の尊重がある。
1番地には個人の尊厳、以下、精神的自由・人身の自由・経済的自由…
2丁目には、代議制民主主義。3丁目には、恒久平和…。
天皇は、番外地にある。
憲法体系の外にある。憲法が核としているものの例外である。
☆憲法に明記されている以上、天皇の存在は違憲ではない。しかし、憲法が中核としている価値や体系とは矛盾する。したがって、天皇の行為を厳格に制限して、存在を稀薄化する解釈と運用が望ましい。
☆言うまでもなく、人は平等である。貴も賎もない。天皇を尊貴な存在とすれば、その対極に卑賤を想定せざるを得ない。血統に対する信仰は、近代社会では、バカげた妄想でしかない。天皇の血統をありがたがってはならない。
   「生きとし生けるもの、万世一系ならざるはなし」
   「王侯将相寧んぞ種有らんや」
☆憲法自身がその99条で憲法尊重擁護義務を負う公務員の筆頭に天皇を挙げている。憲法解釈においては、人権・国民主権・平和等の憲法上の諸価値を損なわぬよう、天皇や天皇制をできるだけ消極的な存在とすることに意を尽くさなければならない。

(2019年4月25日)

 

私は、新天皇の即位を祝わない。祝意の強制は、まっぴら御免だ。

天皇の交代が近くなると、いろんなことが起きてくる。とりわけ、今回は天皇の生前退位である。象徴天皇制となってから、はじめてのことだ。政権の祝意ムード強調の意図が透けて見える。そのことから、象徴天皇制の政権にとっての利用価値が見えてくる。

一世一元を発明した明治政府は、天皇の生前退位を想定していなかった。おそらくは、生前退位を認めれば、政治の力学によって天皇への退位強制があり得ると考えられたからであろう。旧皇室典範第10条は、下記のとおり規定していた。

 第十條 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ踐祚シ祖宗ノ?器ヲ承ク

「践祚」(次の天皇への地位の承継)は、「天皇が崩ずるとき」に限られ、譲位は想定されていなかった。つまり、新天皇の即位は、常に前天皇の死去とセットになっていたから、皇位の承継は弔意と祝意とが、合い交じるものとされた。ところが、今回はその弔意の必要がない。あっけらかんとした、新天皇即位の祝賀だけとなった。

ついでに、旧皇室典範第2章(踐祚即位)3か条の条文を挙げておこう。

 第二章  踐祚即位
  第十條 天皇崩スルトキハ皇嗣即チ踐祚シ祖宗ノ?器ヲ承ク
  第十一條 即位ノ禮及大嘗祭ハ京?ニ於テ之ヲ行フ
  第十二條 踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ

これが、「天皇は神聖にして侵すべからず」(大日本帝国憲法第3条)とされた時代の皇位承継法だった。旧天皇が死ぬと、新天皇が直ちに即位して、皇位の正統性を証する「三種の神器」を受け継ぐ。その上で、「即位の礼」と「大嘗祭」が挙行される。そして、「元号を制定して一代の間に元号の変更はしない」というのだ。

ここに出てくる天皇位承継の小道具は、「三種の神器」「即位の礼」「大嘗祭」、そして「元号」である。天皇が神だった時代の、この小道具やらクサイ演出やらが、今の今、真面目くさってそのとおりに行われつつあることが、たいへんに不気味であり、恐いと言わざるを得ない。

この不気味と恐さの由来は、政権が躍起になって天皇フィーバーを盛り上げようしている異様さにある。こんなバカバカしいことを、よい齢をした大人たちが大真面目でやっていることだ。魂胆があるに違いなと思うのが、あたりまえの健全な感覚。

旧天皇制を支える、大道具小道具は無数にあった。その最大のものは、皇軍であり、旧憲法であり、伊勢神宮以下の神社であり、これとは系統を異にする靖国神社であり、教育制度であり、大逆罪であり、不敬罪であり、治安維持法であり、特高警察であり、憲兵であり、思想検事等々であった

いま、象徴天皇制を支える小道具は、元号・祝日・「日の丸・君が代」・叙位叙勲・恩赦・賜杯・天皇賞・恩賜公園……等々である。

天皇交代フィーバーを盛り上げるために、象徴天皇制を支える小道具も総動員されている。まずは、4月1日以来の新元号フィーバーである。バカバカしくも、このナショナリズムの空気が恐ろしい。

次いで、祝日である。新天皇即位当日の5月1日を休日とすることによる「10連休」が、祝意のムードを盛り上げる。さらに、即位礼正殿の儀の10月22日まで休日となる。その趣旨を内閣府は、こう述べている。

「天皇の即位に際し、国民こぞって祝意を表するため、天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律が平成30年12月14日に公布され、即位の日及び即位礼正殿の儀が行われる日が休日(祝日の扱い)となりました。」

そして、国旗・国歌(日の丸・君が代)である。本年4月2日に、下記の閣議決定が行われた。

御即位当日における祝意奉表について

御即位当日(5月1日)、祝意を表するため、各府省においては、下記の措置をとるものとする。

1 国旗を掲揚すること。
2 地方公共団体に対しても、国旗を掲揚するよう協力方を要望すること。
3 地方公共団体以外の公署、学校、会社、その他一般においても、国旗を掲揚するよう協力方を要望すること。

「御即位当日における祝意奉表」という言葉使いがまことに怪しからん。国民への奉仕者である公務員には、「御即位」と尊敬語を使い、主権者国民の行為に「祝意奉表」と謙譲語を使っている。これは、主客転倒であり、倒錯ではないか。

「地方公共団体以外の公署、学校、会社、その他一般においても、国旗を掲揚するよう協力方を要望すること」は、出過ぎた行為だ。公権力が、主権者国民に天皇への祝意の要請などしてはならない。国旗掲揚の要請など、もってのほかだ。

ことは、国民主権の揺らぎをもたらしかねない。惑わされることなく、主権者意識をしっかりともたねばならない。国民こぞっての祝意のムードに乗せられているうちに、天皇批判がタブーになりかねない。天皇交代への祝意の要請は断固拒否する。祝意の強制など、絶対にあってはならない。はっきり言おう。今回の天皇の交代は税金むだ遣い。なんの目出度いことがあろうか。
(2019年4月24日)

「期待される人間像」に、象徴天皇制歪曲利用の原型を見る。

拝島に法律事務所を構え、基地問題をライフワークとしている盛岡暉道さんは、私と同期の弁護士である。出身は、盛岡ではなく福知山だと聞いている。司法修習の時代から活動を共にした仲だが、同輩という感じではない。先輩として、一目置き続けてきた。現天皇(明仁)より2歳年下という生まれの盛岡さんは、子どもの頃の戦争の記憶を人生の原体験としている世代なのだ。

普段はもの静かな盛岡さんだが、最近仲間内の通信に、天皇制についての考えを寄稿している。きっかけは、ある弁護士のこんな寄稿である。

「安倍晋三内閣総理大臣はじめ国務大臣や国会議員がこの義務(憲法尊重擁護義務)に公然と反する行動をとっている現実を目にするにつけ、象徴天皇制こそ日本国憲法に埋め込まれた『護憲装置』だったと痛感する。」

私も仰天したが、反論は書かなかった。盛岡さんが、旬刊の次号にこれをたしなめる一文を認めている。「『護憲装置としての象徴天皇』におもう」として、「そんなに天皇を持ち上げたり、恐れいったりするなよ」という論調。「護憲装置としての象徴天皇制」などという寄稿には、どうしても黙ってはおられないのだ。

その盛岡さんが、その通信の最近号に、「『象徴天皇』は、必ず悪用される」というタイトルで寄稿している。天皇について、しっかりと言うべきことを言っておかなければならない、という気持が伝わってくる。

占領軍のマッカーサーに強いられて、天皇を主権者から無権能の象徴に格下げするのだから、まあいいんじゃないかと納得していたら、やっぱり、人間を、しかも内外の人権蹂躙の頭に祭り上げられてきた人物本人やその子孫を、象徴の座に据えてしまったのは、取り返しのつかない間違いだった。

間もなく、天皇の代替わりを利用して、時代離れのした、国民の主権者意識を希薄にしてしまう行事が繰り広げられるが、それらがいかに憲法の精神に反したものであるかについて、多くの人々の間で、辛抱強く論議していくことが必要であろう。

この盛岡さんの寄稿で注目したのは、1966年の中央教育審議会(中教審)の答申「期待される人間像」を引用していることである。当時ごうごうたる非難に曝された、「期待される人間像」は、「後期中等教育の拡充整備について」という、答申の「別表」に付されたもの。私は、もっぱらこれについて、ものを言いたい。

「期待される人間像」の章立ては以下のとおりである。
第1部? 当面する日本人の課題
第2部? 日本人にとくに期待されるもの
 第1章? 個人として
 第2章? 家庭人として
 第3章? 社会人として
 第4章? 国民として

各章のすべてが問題だらけだが、象徴天皇制との問題は、第4章? 国民として」にあり、
 1 正しい愛国心をもつこと
 2? 象徴に敬愛の念をもつこと
 3? すぐれた国民性を伸ばすこと
の各項が立てられている。
第4章の、1?2項の全文を引用しておこう。

**************************************************************************

第4章? 国民として
1? 正しい愛国心をもつこと
今日世界において,国家を構成せず国家に所属しないいかなる個人もなく,民族もない。国家は世界において最も有機的であり,強力な集団である。個人の幸福も安全も国家によるところがきわめて大きい。世界人類の発展に寄与する道も国家を通じて開かれているのが普通である。国家を正しく愛することが国家に対する忠誠である。正しい愛国心は人類愛に通ずる。
真の愛国心とは,自国の価値をいっそう高めようとする心がけであり,その努力である。自国の存在に無関心であり,その価値の向上に努めず,ましてその価値を無視しようとすることは,自国を憎むことともなろう。われわれは正しい愛国心をもたなければならない。

2? 象徴に敬愛の念をもつこと
日本の歴史をふりかえるならば,天皇は日本国および日本国民統合の象徴として,ゆるがぬものをもっていたことが知られる。日本国憲法はそのことを,「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」という表現で明確に規定したのである。もともと象徴とは象徴されるものが実体としてあってはじめて象徴としての意味をもつ。そしてこの際,象徴としての天皇の実体をなすものは,日本国および日本国民の統合ということである。しかも象徴するものは象徴されるものを表現する。もしそうであるならば,日本国を愛するものが,日本国の象徴を愛するということは,論理上当然である。
天皇への敬愛の念をつきつめていけば,それは日本国への敬愛の念に通ずる。けだし日本国の象徴たる天皇を敬愛することは,その実体たる日本国を敬愛することに通ずるからである。このような天皇を日本の象徴として自国の上にいただいてきたところに,日本国の独自な姿がある。

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なんとまあ、偏頗なイデオロギーに満ちていることだろうか。「正しい愛国心」論もさることながら、象徴に敬愛の念をもつこと」がヒドイ。逐語的にコメントしておきたい。

日本の歴史をふりかえるならば,天皇は日本国および日本国民統合の象徴として,ゆるがぬものをもっていたことが知られる。

そりゃウソだ。日本の歴史をふりかえるならば,古代の天皇とは覇権を争った武力闘争の偶々の勝者であったに過ぎない。武力による勝者は、その統治を強固なものとするために統治の正統性を権威付ける。どの権力者もやったことを天皇と名乗った者もした。宗教や説話や学問や芸術や詩歌や、つまりは文化と法制度を総動員して作りあげられたのが天皇の権威というものである。天皇の権力も権威も、支配者の支配者による支配のためのもので、「日本国および日本国民統合の象徴として,ゆるがぬものをもっていた」などとは、支配層のたわ言である。のみならず、天皇を象徴とする用語も概念も、歴史的に存在してはいない。

日本国憲法はそのことを,「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存する日本国民の総意に基く。」という表現で明確に規定したのである。

日本国憲法第1条の文言はそのとおりである。しかし、その文言が「日本の歴史における天皇の地位を確認した」というのは大間違い。むしろ、この象徴規定は、天皇のすべての権力を剥ぎ取ったことの宣言として意味をもつ。言うまでもなく、憲法の構造上剥ぎ取ったのは主権者国民である。

主権者国民は、天皇という存在から権力を剥ぎ取ったが、天皇の地位までは剥ぎ取らずに残した。権力を剥ぎ取って残された天皇の地位を、日本国憲法は「象徴」という言葉で表現した。象徴とは、存在はするもののなんの法律効果も生じない地位を表現したものである。

大事なことは、「国民の総意に基づいて、象徴としての天皇の地位が確認された」ということである。論理の必然として、天皇の地位は国民の総意によって廃止することができる。そのとき、抑制された天皇の人権も復活することになる。

もともと象徴とは象徴されるものが実体としてあってはじめて象徴としての意味をもつ。そしてこの際,象徴としての天皇の実体をなすものは,日本国および日本国民の統合ということである。しかも象徴するものは象徴されるものを表現する。もしそうであるならば,日本国を愛するものが,日本国の象徴を愛するということは,論理上当然である。

そりゃごまかしだ。このごまかしのレトリックが白眉である。ウソとごまかしは、今や安倍政権の専売特許だが、天皇制を支える「理屈」は、昔からウソとごまかしで塗り固められたものなのだ。
象徴という言葉をマジックワードとして、まずは「日本国=天皇」と結びつける。ならば、「日本を愛する」の『日本』に、『天皇』を代入することが論理上当然という。バカげた論理学。

日本も、日本国も、日本国民も、多様で多義である。無限の多面体と言ってよい。それぞれが多様なイメージで語るものなのだ。ところが、この「期待される人間像」のレトリックでは、天皇を措いての日本はなく、天皇を愛することのない愛国心はない、というのだ。恐るべきは、「象徴」というマジックワードの働きか。はたまた、高坂正顕・天野貞祐らの牽強付会ぶりか。

天皇への敬愛の念をつきつめていけば,それは日本国への敬愛の念に通ずる。けだし日本国の象徴たる天皇を敬愛することは,その実体たる日本国を敬愛することに通ずるからである。このような天皇を日本の象徴として自国の上にいただいてきたところに,日本国の独自な姿がある。

「天皇への敬愛の念をつきつめていけば,それは日本国への敬愛の念に通ずる」とは、論理でも実証でも、法解釈でもない。良く言えば、天皇教信者の信仰告白である。「戦後20年を経て、われわれは、いまだに戦前の教育で刷り込まれた、天皇への敬愛を捨てきれません」「誰がなんと言おうとも、天皇あっての日本で、天皇なければ日本ではない」という、マインドコントロールから脱し得ない心情の告白である。

悪く言えば、愚民観に基づく天皇の再利用(リユース)である。明治維新時に天皇制を作りあげた藩閥政権の領袖のごとく、天皇を「玉」として手中にし、天皇の権威を最大限に利用し尽くした、あの再現である。戦後の支配層の立場において、象徴天皇制をどう再利用できるか、その試みであったろう。

保守政権にとって、資本にとって、そして旧体制の残滓全体にとって、象徴天皇制はどのように使えるかが追求された。その暫定結論が、「天皇を自国の上にいただいてきた」という象徴天皇版國體論」である。その完成形を目指し、これを国民に刷り込もうという、うごめきは今なお、続いている。

盛岡さんの言うとおり、「間もなく、天皇の代替わりを利用して、時代離れのした、国民の主権者意識を希薄にしてしまう行事が繰り広げられる」ことになる。「それらがいかに憲法の精神に反したものであるか」について、私も多くの人々とともに、辛抱強く論議していくこととしよう。
(2019年4月23日)

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