澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ここにもアベのギワク。「下町ボブスレー」の闇と埃。

ピョンチャンの喧噪が終わった。
隣国のイベントでこの騒ぎ。この間の国会論戦からの目眩まし効果には顕著なものがあった。東京五輪ともなれば、さらに「政権の政権による政権のための五輪」になるだろう。あるいは、「ナショナルのナショナリストによるナショナリズムのための東京五輪」。さらには、「財界の商業主義による徹底した利潤追求のための東京五輪」。そんなものはご勘弁願いたい。この願いかなわねば、20年夏の東京の喧噪を避けて、穏やかで静かな地への疎開を本気で考えなければならない。

ところで、ピョンチャン五輪での注目すべき2点。一つは、南北宥和のきっかけである。五輪と言えば「平和のための祭典」だろうが、このきっかけが米朝対話と平和の実現にどう繋がることになるか。五輪後を注目したい。

もう一つが、ジャマイカの下町ボブスレー採用拒否事件。「メンバー・オブ・アベノセイダーズ」の視点から、関心をもたざるを得ない。この件、もっと大きく「アベのせいだ」事件として取り上げられてしかるべきだろう。メディアは、下町ボブスレープロジェクトと安倍政権の関係に、鋭く切り込んでいただきたい。

五輪出場権を得たジャマイカ・チームが、無償で提供された「下町ボブスレー」をなぜ拒否したか。この点は各紙が伝えている。たとえば、朝日は、「遅い、安全でない、検査不合格」と見出しを付けて、ジャマイカ側の言い分を紹介している。

「(下町ボブスレープロジェクト推進)委員会によると、使用しないのは五輪出場を決めた女子チーム。「スピードが遅い」「規格違反で失格のリスクがある」などを理由として挙げているという。同チームは下町ボブスレーを使い続けていたが、昨年12月からラトビア製を使い「こちらの方が速い」などと主張しているという。

下町ボブスレープロジェクトは町工場の高い技術力を世界に示そうと2011年に開始。日本チームにはソチ五輪、平昌五輪と採用されなかったが、16年にジャマイカとの契約に成功した。」

委員会側の反論もあげてはいるが説得力はない。ラトビアの小工場に負けたことを潔く認めて、恥の上塗りを避けるしかなかろう。

ところが、問題はもっと別のところにある。アベが深く絡んでいるのだ。6000万円の補助金も出ている。これは裏の埃を徹底してはたき、闇に光を当てなければならない。

東京新聞2月14日の「こちら特報部」が「下町ボブスレー騒動の根を探る」という上手な記事にまとめている。タイトルは、「首相お墨付き美談一転、物議」「町工場を超え官民一体事業」。このタイトルで大方のことは想像がつくだろう。

リードは、「平昌五輪での数々のドラマが報じられる中、「下町ボブスレー」をめぐる一件が騒ぎになっている。東京都大田区の町工場の有志らが競技用そりを製作。だが、無償提供を受けていたジャマイカ代表チームが五輪開幕直前に使わないと通告し、損害賠償請求に発展しつつある問題だ。ただ、この事業は当初の下町の美談を超え、いつしか官民一体のプロジェクトに変容していた。問題の根はそこにもありそうだ。」というもの。

不明にして知らなかった多くのことをこの記事で教えられた。「教育出版」というアベ御用の出版社が、小学5年生の道徳教科書に「下町ボブスレーに乗って笑顔でポーズを決めるアベ」の写真掲載と聞いて仰天した。えっ? アベと道徳? そりゃ水と油、氷と炭、月とすっぽん、提灯に釣り鐘、泥と雲。およそこれほど似つかわしくない取り合わせも考えがたい。

この東京の記事、コメンテータとしての早川タダノリの起用が適切で、問題のとらえ方に説得力がある。

だが、この東京新聞記事は、やや品がよすぎる。その分インパクトに欠ける。たとえば、この下町ボブスレー・プロジェクト推進委のジェネラルマネージャーが、加計問題の加計孝太郎、森友問題の籠池泰典に当たる人物なのだが、さりげなくその顔写真は出しても名前までは出さない。

それに比較して、適当に品が悪くそれだけに突っ込み鋭い記事がリテラ(2月13日)である。タイトルは、「下町ボブスレーに“韓国ヘイト”と森友加計そっくりの“アベ友優遇”疑惑! 補助金にも安倍首相が介入か」と具体的。
リテラはいつもお薦めだが、これは特に是非お読みいただきたい。「下町ボブスレー・プロジェクト」に、いかに深くアベが関わっていたか、その思惑はなにかが、よく分かる。

http://lite-ra.com/2018/02/post-3798.html

まず、ヘイトの問題。「下町ボブスレーネットワークプロジェクト推進委員会」なる運営団体の公式ツイッターが口汚い中国、韓国ヘイトを投稿していた。リテラは、「こんな差別体質の組織のソリがオリンピックに参加していたらと思うと、空恐ろしくなる」と言っているが、このことについては割愛する。

必要な範囲で引用しておきたい。
「大田区の企業経営者ら産業振興目的でこのプロジェクトを立ち上げたのは、2011年。当時はほとんどスポンサーも付いておらず、ここまで大きな話題になっていなかった。ところが、2013年2月、安倍首相が政権に返り咲いて最初の国会の施政方針演説で、いきなりこの下町ボブスレーのことを紹介する。
『小さな町工場からフェラーリやBMWに果敢に挑戦している皆さんがいます。自動車ではありません。東京都大田区の中小企業を経営する細貝さんは仲間とともにボブスレー競技用ソリの国産化プロジェクトを立ち上げました。世界最速のマシンをつくりたい。30社を超える町工場がこれまで培ってきたものづくりの力を結集して、来年のソチ五輪を目指し、世界に挑んでいます。高い技術と意欲をもつ中小企業、小規模事業者の挑戦を応援します』」

「以後、ANA、伊藤忠商事、東芝など、名だたる企業が名乗りをあげ、NHKでのドラマ化も決定。マスコミの取材が殺到するようになる。さらに、2013年6月30日、自民党が開いて中小企業小規模事業者政策緊急フォーラムなる会合には、下町ボブスレーのソリの現物が会場に運び込まれ、安倍首相が乗り込むパフォーマンスを披露。この様子も多くのメディアに紹介され、右派系の『教育出版』の小学校道徳教科書にはその写真が掲載された。

下町ボブスレーにとっては、大宣伝になったわけだが、安倍政権は宣伝に協力しただけではない。施政方針演説の数カ月後の同年6月、政府は、このプロジェクトに直接、資金を投入することを決めた。経済産業省が下町ボブスレーを『JAPANブランド育成支援事業』に採択し、以後3年間にわたって、上限2000万円の補助金を交付し続けたのだ。

このプロジェクトの中心人物が、下町ボブスレーネットワークプロジェクト推進委員会のゼネラルマネージャー・細貝淳一。大田区で防衛機器、OA機器向けの金属材料販売加工を行う会社を経営しているが、下町ボブスレーを立ち上げ、以来、スポンサー集めから運営までを取り仕切ってきた。今、「安倍総理に最も影響力がある中小企業の社長」と言われているという。

「その細貝が、クラウドファウンディングのサイト「zenmono」で、安倍効果についてこう語っている。

「ここで安倍晋三さんが大ヒットを飛ばしてくれる」「総理になられた時、施政方針演説ってあるじゃないですか。あそこで大田区の企業が下町ボブスレーというプロジェクトで世界を目指していると。」「下町ボブスレーに対して信用がついて、そこでスポンサーがドドドドッと。だから後付けなんだよ、もう全部。先に走っちゃうから、金使うこと前提。あとは奇跡がボンボンボンって。」

まるで森友学園・籠池理事長の「神風が吹いた」を思い出させる発言だが、実際、森友・加計疑惑と全く同じように、安倍首相の鶴の一声、施政方針演説をきっかけに、日本政府全体が一斉に下町ボブスレー支援に動いたのは間違いない。」

さらに、注目すべきは、大田区を地盤とする平将明衆議院議員(自民)がこう語っていること。“細貝さんが安倍さんに『補助金の申請書類が多すぎる』と言ったら、安倍さんから茂木さんに話が降りてきて、茂木さんから私に話が降りきて、申請書類を半分にした”というエピソード。

これ、時期的に見ても、下町ボブスレーが上限2000万円の補助金を2013年から3年間受けた経産省中小企業庁の『JAPANブランド育成支援事業』の申請をにらんでの要望だったと考えられる。

 ようするに、安倍首相は、オトモダチの要望に応じて、補助金の申請書類が少なく済むように役所に圧力をかけさせたということではないか。

 いや、安倍首相の圧力はたんに申請書類の分量だけでなく、採択そのものにも影響を与えた可能性がある。申請書類をめぐる動きで、安倍首相がどんなプロジェクトに補助金を出したがっているかは当然、役所に伝わり、そうなれば、官僚が忖度して動くのは火を見るより明らかだからだ。

まさに何から何までモリカケとそっくりな展開になってきた下町ボブスレー問題。政府が全面協力しながらラトビアの町工場に技術力で負けてしまった責任やその敗北を認めずに損害賠償をちらつかせる姿勢、オリンピックに参加しようというプロジェクト運営者がヘイトを繰り返していたという事実は、それだけで言語道断であり非難に値するが、この問題にはもっと深い闇がある。

いったいどういう経緯で、政府が一プロジェクトにここまで肩入れし、国民の血税をつぎ込むに至ったのか。それこそモリカケ並みの徹底追及が必要だろう。」

ここにも、摘出すべきアベ忖度政治の病巣がある。
(2018年2月26日)

「メンバー・オブ・アベノセイダーズ」宣言

「アベノセイダーズ」という言葉を流行らせようという陰謀がある。あるいは、「アベのせいだ症候群」。ともかくよくないことは、なんでも短絡的に安倍晋三のせいに違いないと主張する人々や、その傾向を揶揄しようというもの。もちろん、アベ陣営得意の印象操作の一環である。「レッテル貼りは止しましょう」というあの手で、アベの責任を追及する矛先を少しでも鈍らせようという魂胆。こんな姑息な作戦で、アベの責任追及に怯みがあってはならない。

むしろ、開き直ろう。このキャンペーンを逆用しよう。私は、「メンバー・オブ・アベノセイダーズ」であることを高らかに宣言する。「アベのせいだ症候群」罹患もカミングアウトしよう。その自覚において、「まずは何についてもアベが悪い。アベが元凶だ」と結論することとする。同じことだが、「アベのやっていることはすべて間違い」「あれもこれもアベのやったことだからよくない」とも。そう結論しておいて、しかる後に、おもむろにその理由付を考える。この思考方法こそが正しい姿勢だ。これこそ、第1次アベ政権登場以来のウオッチャーとして到達した経験的真実であり、政治倫理上の正義でもある。

思い出せば、60年安保の時代、世は熱い安保性悪説、安保元凶論の空気に満ち々ちていた。すべては岸のせい、安保が悪い。「アンポ・ハンタイ」「岸を倒せ」だった。これが今はかたちを変えて、「アベのせいだ」「アベを倒せ」。

私が大学にはいったころ、学内はまだ安保闘争の余熱冷めやらぬ雰囲気だった。「すこし勉強したまえ。そうすれば、米日反動の同盟が社会の矛盾の元凶であることが分かるはずだ」と説かれたものだ。「素晴らしい日本国憲法の体系は、邪悪な安保法体系によって侵蝕されている。国民主権も、平和も、そして人権も、安保条約によってなきも同然ではないか」。フーム、なるほど。

「安保によって生活のあらゆる面が不正常になっているのだ。たとえば、天気予報が当たらないのも安保のせいだ。正確な天気予報には、偏西風の風上にある中国やシベリア、朝鮮の気象データが不可欠なのだ。しかし、気象データは軍事情報でもある。気象庁には、安保条約ある限り近隣諸国からのデータがはいってこない。安保条約を廃棄すれば、直ぐにでも天気予報はよく当たるようになる」。へー、そんなものですかねえ。いたく感心はしたが、真偽のほどはいまだによく分からない。

いま、憲法改悪・アメリカ追随外交・集団的自衛権行使容認の安全保障・防衛費を聖域化した軍拡・格差拡大の経済政策・国家主義教育・不公平きわまる税制・極端に資本の側に偏した労働政策・苛酷な社会保障・環境破壊・原発再稼働・沖縄の見殺しと弾圧・メディア規制・ヘイトスピーチの野放し・オトモダチ人事と忖度政治の横行・政治と行政の私物化・歴史修正主義…。すべての分野で、アベ政治こそが、諸悪の根源ではないか。いささかもこれを免責してはならない。

学校や幼稚園に飛行物体の部品が落ちてくるのも、全国に公認の博打場が建設されようとしているのも、国税庁長官の最悪人事も、最高裁が官房機密費の開示を命令しても情報隠しに恋々としているのも、世論に逆らっても裁量労働制の拡大に狂奔しているのも、すべてはアベノセイだ。ひょっとすると、サンゴやジュゴンが姿を消したのも、大雪も竜巻も地震も、そして花粉症も、何もかもがアベノセイなのかも知れない。

全国の「隠れメンバー・オブ・アベノセイダーズ」諸君。あれもこれも、細大漏らさずにアベの責任を追及しよう。その追及が実を結ぶ共同行動を目指して、心からの連帯のあいさつを送る。
(2018年2月25日)

高校生が書いた「私たちの憲法前文」

まいにち笑っていられる幸せ。
まいにちごはんが食べられる幸せ。
まいにち学べる幸せ。
まいにち安心して眠れる幸せ。
まいにち会いたい人に会える幸せ。
あたり前のまいにちは特別なまいにち。
もしまだ戦争が日本で続いていたら
もしまだ核兵器が使われ続けていたら
今、この瞬間のようにありふれた幸せに溺れることもできていない。
あたり前に感謝しながら
自分が幸せになるための努力をしていきたい。
頭の片隅に幸せになりたくてもなれない人がいることを覚えておきたい。
そうすることで世界が一歩幸せに近づく。
(「ほっととーく・145号」2018年2月3日号より)
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現代の高校生が、社会の理想を憲法に託して、まぎれもなく自分の言葉で書き上げた「私の憲法前文」だ。この前文を書く作業を通じて、自分と社会とが緊密に繋がっていることを明確に再認識したのではないか。自分の幸せは社会のありかたと無関係にはない。平和なくして、あたり前のまいにちはない。

この一文の素晴らしさは、徹底して「個人の幸せ」から出発して筆を進めているところだ。そのことが多くの人々の共感を呼ぶ。笑うこと、食べること、学ぶこと、安心して暮らすこと、自由に人と交際すること、それこそが幸せだ。ここには、国家も、民族も、王様も、党も、家も、神様も出る幕はない。「個人の幸せ」こそが第一義だ。その他の諸々は、個人の幸せのためのもの。そのような確信が、身についているのだ。まずは、そのことを素晴らしいと思う。

この書き手は思いをめぐらせる。「個人の幸せ」に敵対するもの、「個人の幸せ」を根こそぎ奪い去るもの。その危険なものは戦争だ。核兵器だ。「個人の幸せ」には平和が不可欠なのだ。「個人の幸せ」を守る平和への感謝をしつつ、平和を守り抜く努力をしていかねばならない、と。

さらに、思いはめぐる。「幸せになりたくてもなれない人がいる」現実についての認識である。「幸せになりたくてもなれない人」の具体的イメージは、この短い文章からは伝わってこない。

戦火に怯える紛争地域の人々、基地建設と闘わざるを得ない人々、原発被害によって故郷を追われた人々、過労死するまでの労働を強いられる人々、国籍や民族や思想や信仰による差別に苦しむ人々、公害や労災や職業病の被害者。そして、貧困にあえぐ多くの人々。この理不尽はすべて社会が作り出した不幸だ。不幸を作り出した社会が、その自覚と反省によって不幸をなくせないはずはない。

さらには、病気や自然災害や事故に苦しむ人々の不幸には、社会が手を差し伸べなければならない。この社会の理想に向けての一歩が、社会と世界の幸せの実現に一歩近づくということなのだ。

個人の幸せから出発して、個人の幸せの実現のためには世界の幸せが必要と考える。そして、この「前文」を書いた君の言うとおり、「幸せになりたくてもなれない人がいることを自覚しつつの、自分が幸せになるための努力」が世界の幸せを生み出す力になる。そう、1926年に、詩人(宮沢賢治)もこう言っている。
  近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
  世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない

賢治は、
 まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう
と言って散った。
この「前文」を書いた君は、今の世の無数の賢治の一人だ。私も、そうなりたいと思っている。
(2018年2月24日)

これが、教育行政のやることか。都教委の再処分に抗議する。

 一昨日(2月21日)のこと、悪名高い都教委は「国旗・国歌(日の丸・君が代)」への敬意表明の強制に服しがたいとした教員2名に、またまたの懲戒処分(戒告)を発令した。これで、「10・23通達」に基づく「不起立懲戒処分」は、延べ482件となった。

今は卒業式直前の時期、入学式も2か月先のことだ。この懲戒処分は、今年の学校行事に関してのものではない。実は昨年のことでも一昨年のことでもなく、驚くべきことだが、2009年と10年の卒業式における不起立が処分理由とされているのだ。8年前と9年前のことが今頃なぜ?

都教委の説明は以下のとおりだ。
「本件服務事故については、平成29年(2017年のこと。つまり昨年?澤藤註)9月の東京地方裁判所判決により、東京都教育委員会が発令した減給処分が取り消され、同処分の取消しが確定したことから、判決を踏まえて懲戒処分の程度を検討し、改めて戒告処分を行った。」

何を白々しい。正確にこういうべきなのだ。
「東京都教育委員会は、国家あっての個人という国家主義理念を徹底すること、また明治維新以来天皇制国家が進めた富国強兵の対外膨張政策の歴史的正当性を堅持することこそが都立学校の基本的な教育理念であり、都立校の教員にはこのような国家主義と大日本帝国憲法的歴史観にもとづく教育を積極的に推進する『正しい』思想の持ち主でなくてはならない。当教育委員会としては、かねてからこのような人事方針を明確にしてきたところであり、その見地から国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明は極めて重要な集団儀礼として、これを強制してきた。この当教育委員会の施策は、政権政党である自由民主党の政策とも一致するものとして妥当と考えるべきである。
 都立校の教員には、このような都教委の思想と教育方針を受容するか、少なくとも面従腹背すべきことが求められるのであって、不幸にして面従腹背をなしえないという教員には、思想的な転向をしてもらわねばならない。このことは、国家観や、歴史観、教育観においてのことのみならず、自己の信仰上の理由から国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意は表明しがたいとする者も当然に包含されるものである。
 そのため、当初当教育委員会は、不起立1回なら戒告とするが、2回目には減給1月の処分とし、3回目には減給6月、そして4回目には停職1月と処分量定を累進加重し、7回目には懲戒免職として、思想の転向ない限り当該教員を教育現場から追放することを企図していた。
 ところが、裁判所の判断がこれに横槍を入れ、最高裁も戒告はともかく減給以上は懲戒権の濫用として取り消しを命じるという、思いがけない事態となった。教員らが、いみじくも名付けた「転向強制システム」が崩壊したのだ。
 本件の2名の教員もその一場面なのだ。この2名には、当初減給1月と減給6月の各懲戒処分を発令したものであるが、人事委員会の口頭審理を経て行政訴訟に至り、平成29年(2017年のこと。つまり昨年?澤藤註)9月15日の東京地方裁判所判決により、東京都教育委員会が発令した減給処分を違法として取り消す判決が言い渡され、当教育委員会が控訴を断念したことから各処分の取消しが確定した。なお、同日の判決では6名・7件の減給・停職処分が取り消され、その内5名・5件の処分取り消しが確定している。
 これに対して、当然のことながら、各当事者からは過酷で違法な処分をしたことに対して教育委員会は謝罪すべきだという強い要請があったが、当教育委員会はこれを突っぱねて謝罪を拒絶し、在職教員2名について再処分に及んだものである。残念ながら、減給は取り消されたものの、戒告であれば裁判所も容認してくれるはずと考えている。
 当該教員らは、再び人事委員会の口頭審理を経て処分取消訴訟に至ることになって、過重な労力や時間あるいは費用負担を強いられることになると抗議を寄せているが、当教育委員会の知ったことではない。当教育委員会としては税金をもって争訟の費用をまかなうのであるから、闘争資金も労力も無尽蔵で痛くも痒くもないことを付言しておきたい。
 最後に、当教育委員会はこれまでどおり、国家主義にもとづく愛国教育の一環として国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制を貫徹することで、自民党や右翼の皆様のご期待に応える所存であることを申し添える。」
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平成30年2月21日

教   育   庁

卒業式における職務命令違反に係る懲戒処分について

東京都立学校で実施された卒業式において、一部の学校で服務事故が発生したことに伴い、以下のとおり教員の懲戒処分を行ったので、お知らせします。

1 処分の事由
平成21年度及び平成22年度に実施された卒業式において、国歌斉唱時に国旗に向かって起立し斉唱することを校長から職務命令として命じられていたにもかかわらず、起立せず職務命令に違反した。

2 処分の内容
職務命令違反を行った教員について、地方公務員法に基づく懲戒処分を行った。
処分の程度?? 戒告
該当者数? 2校 2名
学校名(当時)
都立○○○○高等学校
都立○○○高等学校

3 発令年月日
平成30年2月21日

4 その他
本件服務事故については、平成29年9月の東京地方裁判所判決により、東京都教育委員会が発令した減給処分が取り消され、同処分の取消しが確定したことから、判決を踏まえて懲戒処分の程度を検討し、改めて戒告処分を行った。

【問合せ先】
東京都教育庁人事部職員課 電話03-5320-6798(直通)

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「日の丸・君が代」強制・再処分に抗議する声明

 東京都教育委員会(都教委)は、私たちの「『再処分』を行わないこと」を求める申し入れ(2017年11月15日、2018年1月26日)にもかかわらず、東京地方裁判所(東京地裁)で減給処分を取り消された現職の都立高校教員2名に対して7年前、8年前の事案で、新たに戒告処分を出し直すこと(再処分)を決定し、2月21日付で処分発令を強行した。これにより「日の丸・君が代」を強制する10・23通達(2003年)に基づく懲戒処分の数は延べ482名となった。

東京地裁は2017年9月15日、2010年?2013年に都教委が行った減給・停職処分6名・7件が「裁量権の逸脱・濫用」で「違法」として取り消した。都教委はこのうち1名・2件の減給処分取消のみを不服として控訴し、他の5名・5件の減給・停職処分取消については判決を受け入れ控訴を断念し、処分取消が確定した。
しかし都教委は、違法な処分をしたことを反省もせず、該当者に謝罪するどころか現職の都立高校教員2名に改めて戒告処分を出し直した(再処分をした)のである。私たちは、この暴挙に満身の怒りを込めて抗議し、その撤回を求めるものである。

周知のように、2012年1月16日の最高裁判決は、起立斉唱・ピアノ伴奏を命ずる職務命令が「思想及び良心の自由」の「間接的制約」であることを認め、減給以上の処分については、「戒告を超えてより重い減給以上の処分を選択することについては,本件事案の性質等を踏まえた慎重な考慮が必要」で「処分が重きに失し、社会観念上著しく妥当を欠き、懲戒権者の裁量権の範囲を超え、違法」として減給・停職の懲戒処分を取り消した。その後の最高裁、東京高裁、東京地裁の各判決もこれを踏襲して73件・63名の減給・停職処分を取り消した。

今回の再処分は、減給処分を違法としたこれらの司法の判断を重く受け止めるどころか、その趣旨を無視して、新たに戒告処分を出し直すことで教職員を萎縮させ「屈服」させようとする都教委の異常な「暴力的体質」を改めて露呈した。
今都教委のなすべきことは、東京地裁判決を謙虚に受け止め、違法な処分により筆舌に尽くしがたい精神的、経済的損害を被った被処分者への謝罪と名誉回復・権利回復を早急に行うことである。また、司法により違法とされた処分を行った組織の在り方を点検し、責任の所在を明らかにし、再発防止策を講ずるとともに、10・23通達に基づく校長の職務命令、懲戒処分、再発防止研修など「日の丸・君が代」強制の一連の施策を抜本的に見直し、反省することである。

私たち被処分者の会・原告団と弁護団は、これまで何度となく、都教育委員会及び教育庁関係部署との話し合いを求めてきた。にもかかわらず都教委は、最高裁判決の補足意見が求めている原告団・弁護団との「話し合い」を拒否して問題解決のための努力を放棄する不誠実な対応に終始している。それどころか、司法の判断をもないがしろにして、処分を乱発しているのである。

私たちは、東京の異常な権力的教育行政の抜本的転換を求めると共に、自由で民主的な教育をよみがえらせるために、「日の丸・君が代」強制に反対し、不当処分撤回まで闘い抜く決意である。「子どもたちを再び戦場に送らない」ために!

2018年2月21日
「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める被処分者の会・東京「君が代」が代」裁判原告団

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◆かくも不当な再処分を許さないために、戒告処分の取り消しと損害賠償を求めて粘り強く闘っています。東京高裁判決に何としても勝利するため傍聴支援をお願いします。

◆東京「君が代」裁判第四次訴訟・控訴審判決
?いよいよ判決です。こぞって傍聴に来てください。
4月18日(水)13時15分 東京高裁824号法廷

(2018年2月23日)

「アベ政治を許さない」言い遺して兜太逝く

俳人金子兜太が亡くなった。最前線で戦争を体験し、それゆえに反戦・平和を訴え続けたかけがえのない人がまた一人この世を去った。

俳人としての兜太について述べる能力も資格も私にはない。正直なところ、前衛と言われる彼の句のリズムは門外漢の私には心地よいものではない。彼が批判してやまない「有季定型」こそが俳句だと、長く思いこんできた。「俳句はかく解しかく味う」で虚子が述べているようなものが俳句だと、身に染みこんでしまっているのだから。

また、兜太の死がかくも大きなトピックとされていることにやや意外の感がある。俳句がそんなにメジャーな文芸だったのか、とあらためて思いを新たにしてもいる。

この機に、兜太の句に目を通して見たいと思っていたところに、同じ本郷に住まいされる黒田杏子さんから2冊の書を頂戴した。

「存在者 金子兜太」(黒田杏子編著・2017年4月刊・藤原書店)
「語る 兜太 ― わが俳句人生」(2014年6月刊・著者金子兜太・聞き手黒田杏子・岩波書店)

前書に兜太自選の50句があり、後書に100句がある。もちろんその他に幾百の句の紹介がある。幾つかは誰にも知られている著名句だが、私には咀嚼も玩味もなかなかに容易ではない。

しかし、この相当に分厚い2冊の書物に表れている金子兜太の人物像や、天衣無縫な生き方はよく分かり、たいへんに魅力的でもある。「存在者」「荒凡夫」との自称もむべなるかな。

以下が、黒田杏子が綴り、兜太が「ああ、結構です。うまくまとめてくださった。ありがたい」と言った、兜太の人生の紹介。

「この9月23日に満95歳となる金子兜太さん。この日が遊行者一遍の忌日であることから、折々に「私は一遍さんの生まれ変わりかも知れませんな」などと言ったりもするユーモアの人だ。
東大経済学部を卒業して日銀に入行。しかし、終戦を南太平洋のトラック島で迎えた戦争体験が、山国秩父の医家の比較的恵まれた家庭に育ったこの人の土性骨となっている。日銀復職の日がかの2・1ゼネラルストライキの日だった。
祖国に生還した金子さんは、「非業の死者に酬いたい」という思いから、先輩、上司が「その活動は君の将来を閉ざす」と忠告するのを振り切って、日銀従業員組合の専従となる。そのために五十五歳定年の日まで、いわゆる昇進はなく、福島・神戸・長崎での地方転勤を終えて東京に戻ってからも窓際族ならぬ窓奥族のままだった。日銀金庫の鍵を預かる文字通りの「金庫番」で職業人の生活を終わっている。
 一方、在職中から前衛俳句の旗手としてもてはやされ、早くから「俳句専念」の人生を選択。同志と「海程」を創刊している。定年後の人生が40年となる現在も、俳句会の長老として旺盛な活動をつづけ、いまや国民的人気俳人となっている。
芭蕉よりも一茶に親しむこの巨人の生き方は痛快でもある。独自の長寿健康法「立禅」。権威や肩書、地に足の着かない理屈を排す生き方。憲法九条にこだわり、脱原発の立場と反戦の思想を貫きとおす姿勢は独自の俳句作品となり、就任以来30年近くにもなる「朝日俳壇」の選者としての選句・選評にもこの立場は明確に示されている。
俳句が国民文芸となり、HAIKUが世界語、地球語となっている今こそ、この行動する俳人、金子兜大の語る俳句人生に耳を傾けたい。」

そして、兜太は黒田にこう語ったという。
「金子兜太を支えてきたのは、培ったのは、《戦争体験》《職場での冷や飯》、そして《ある時期の俳壇の保守返りと金子抹殺の風潮》、この三つだっていうことをあんた憶えておいてくれよな」

《戦争体験》《職場での冷や飯》は、この2書に目を通せばよく分かる。もっとも、《俳壇の保守返りと金子抹殺》の方は俳壇の事情に疎い私には何ゆえ重要事なのか分かりにくい。

彼の反戦や平和・9条への思い、さらには沖縄や福島の被曝をわがこととする心情と叛骨の精神は、《戦争体験》と《職場での冷や飯》だけではなく、秩父という産土の土地柄にもあるようだ。

「存在者 金子兜太」の中に、中嶋鬼谷という俳人が、「侠気の系譜」という一文を寄せている。秩父困民党事件の蜂起に触れて、兜太の父、兜太、その弟の句を紹介している。

兜太の父・金子伊昔紅(医師・俳人)の句。
 栃餅や石間押し出す困民党 伊昔紅
秩父郡石間村は、戸数150の寒村。ここから、実に147名が押し出したという。

兜太自身の句。
 沢蟹・毛桃食い暗み立つ困民史 兜太
沢蟹も毛桃も、通常は口にするものではない。極貧の農民たちが、そのようなものを喰らいつつ、目を暗ませながら叛乱に立ち上がったという。

父の医業は兜太の弟の金子千侍が嗣いだ。父とともに「秩父の赤ひげ」と人望のあった人だったという。その人の句。
 風光る峠一揆も絹も越ゆ 千侍
この句は、歴史を包み込んで、明るく分かりやすい。

中嶋鬼谷は、この親子3人の心の底を流れているものを、「侠気(おとこぎ)」といっている。「侠気」とは、「強きをくじき弱きを助ける心だて」のこと。秩父困民党こそ、その最心だてのも顕著な表れであり、兜太の人生をつらぬいた叛骨の精神もこの秩父の気質を受け継いだ見事なものだったといえるだろう。

ところで、兜太によれば、句は自由でよい。季語がなくても、定型にこだわらずともよい。花鳥風月ではなく、国家でも社会でも、政権でも句になるのだ。

ならば、兜太の最高傑作は、
 「アベ政治を許さない」
に違いない。有季・定型からの破調著しいが、まぎれもなく民衆の心をつかんだ一句ではないか。これほど、民衆に親しまれ民衆を励ましたフレーズはない。この「句」は、その書体と相俟って、自由でのびのびとした、それでいて断固とした雰囲気を醸しだしている。

この兜太の遺志を体して、アベ政治を許さない行動をもっともっと大きくしたい。憲法を守り抜きたい。さらに、アベ政治を倒したあとも、アベ政治的なものへの抵抗を続けていきたいとつよく思う。

それが、二度と戦争を繰り返さないという願いを実現することであり、金子兜太への何よりの手向けとなるであろうから。
(2018年2月22日)

3月3日は納税者一揆第2弾だ。「少々普通じゃない者」も「こんな人たち」もみんな集まれ。

佐川長官 御用だ! 
従業員用エレベーターで逃げるな! 
国会へ出てこい!
佐川長官を任命したのは麻生大臣だ! 
麻生も責任を取れ!
麻生はニヤけた答弁やめろ! 国民をなめるな!
安倍首相、佐川長官を「適材」とは何事だ!
公務員は安倍の私兵ではない。国民全体への奉仕者だ!
昭恵さん、「私も真実を知りたい」はないだろう! 
知りたいのはこっち(国民)だ! 国会で証言せよ!
税金は政府の私物ではない 国民のために使え!

麻生よ。俺たち「少々、普通じゃない」ってか。
安倍政権は「普通」かね?
あんたは、どんだけ真っ当なんだ。
国民を愚弄しちゃいけない。
納税者を怒らすな。
主権者の逆鱗に触れるな。

さあ、納税者一揆の第2弾だ。
3月3日、再度国税庁を包囲しよう。
このまんまじゃあ、納税がばからしい。
真面目な納税者はあつまれ。
「少々普通じゃない者」も、
「こんな人たち」も、
佐川と麻生と安倍に、抗議の声を上げよう。

金子兜太さんを偲びつつ、叫ぼう。
「アベ政治を許さない」と。
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■2月16日納税者一揆第1弾の様子は、以下の通り。
? ユープランの動画(フルバージョン)
https://www.youtube.com/watch?v=ECxGAC0yAWs
(1時間33分21秒 包囲行動+デモ行進)

?毎日新聞動画ニュース
「確定申告:怒る納税者 国税庁長官罷免求め、街頭行動」
https://l.mainichi.jp/HcdoLz3
?「『佐川はやめろ!』財務省・国税庁前で怒りの納税者一揆」
(レイバーネットTV,2018年2月16日、7分間動画)
http://www.labornetjp.org/news/2018/0216kokuzei

3月3日「モリ・カケ追及! 納税者一揆 第2弾」をやります
私たちの運動も2.16行動1回で「幕引き」とはいきません。
国会は佐川氏と昭恵夫人の証人喚問、麻生財務相、安倍首相の「適材適所」発言をめぐって緊迫した状況が続く見込みです。

そこで、当会は、次のようなアピールを掲げて、第2弾の行動を行うことにしました。より多くの方に参加いただける土曜日です。
<モリ・カケ追及! 第2弾 国税庁包囲行動&デモ行進>

3月3日(土)13時30分 日比谷公園 西幸門集合
13時40分? 国税庁・財務省包囲行動
14時30分  デモ出発
よびかけ一式:
http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/2018/02/233-dd8f.html
チラシ:
https://app.box.com/s/aqgf2wydnsudd2pxfg6fyw4suug7tp0h
——————————————————————
「森友・ 加計問題の幕引きを許さない市民の会」
HP:http://sinkan.cocolog-nifty.com/blog/
連絡窓口(メール):moritomosimin@yahoo.co.jp
または、morikakesimin@yahoo.co.jp
携帯電話:070-4326-2199 (10時?20時)
(2018年2月21日)

光てふ縛れざるもの多喜二の忌

本日(2月20日)は多喜二忌。1933年の今日、小林多喜二は築地署で虐殺された。その葬儀の会葬者も一斉に検挙された。この無念の思い忘れまじ。天皇制権力の暴虐許すまじ。そう思いを新たにすべき日。再びあの暗黒の時代の再来を許してはならない。こんな時代の「日本を取り戻」させてはならない。思想・良心の自由、結社の自由、表現の自由、政治活動の自由の貴重さを銘記しよう。そして、その自由獲得のために闘った先人の気概と覚悟を偲ぶ学ぶべき日。

筆名「575fudemakase」氏のサイトに、多喜二忌を詠んだ俳人の50余句が集められている。転載をお許しいただこう。
http://fudemaka57.exblog.jp/23611557/
なお、下記のURLにも同じ句が集められている。
http://taka.no.coocan.jp/a5/cgi-bin/HAIKUreikuDB/ZOU/SHAKAIseikatu/932.htm#takiji

門外漢の私には、とても取捨選択などできない。全句を転載させていただく。(「かぎかっこ」は出典)
かなしげな犬の眼に逢ひ多喜二の忌 河野南畦 「湖の森」
ごぼりごぼりと今もこの川多喜二の忌 原田喬
てのひらで豆腐切らるる多喜二の忌 関谷雁夫
ふつつりと海の暮れたる多喜二の忌 成田智世子
もり塩に人の世灯る多喜二の忌 佃藤尾
スコップに雪の切れ味多喜二の忌 辻田克巳
タラバ蟹足括られて多喜二の忌 村井杜子
バラバラのパックの蟹買ふ多喜二の忌 斎藤由美
傷ぐるみ漉されしおもひ多喜二の忌 栗林千津
口シヤより蟹船の着く多喜二の忌 吉田君子
吹かれゐて髪が目を刺す多喜二の忌 角谷昌子
咽ぶごと雑木萌えおり多喜二忌以後 赤城さかえ
多喜二忌のあをぞらのまま夜の樅 大坪重治
多喜二忌の全灯点る魚市場 木村敏男
多喜二忌の埠頭に刺さる波の先 源 鬼彦
多喜二忌の夜空に白き飛行船 板谷芳浄
多喜二忌の崖に野鳥の骨刺さり 友岡子郷 「遠方」
多喜二忌の市電に走り追ひつくも 本多静江
多喜二忌の干して軍手に左右なし 長岐靖朗
多喜二忌の星大粒に海の上 菖蒲あや
多喜二忌の毛蟹抛られ糶(せ)られけり 菖蒲あや「あや」
多喜二忌の海真つ青に目覚めけり 木村敏男
多喜二忌の海鼠腸抜かれをりにけり 矢代克康
多喜二忌の焼いても口を割らぬ貝 飯田あさ江
多喜二忌の稿更けわたる廻套(まわし)かぶり 赤城さかえ
多喜二忌の肉食の眼のひかるなり 谷山花猿
多喜二忌の魚は海へ向けて干す 大牧 広
多喜二忌やまだある築地警察署 三橋敏雄
多喜二忌やベストの釦掛け違ふ 二宮一知
多喜二忌や地に嫋嫋と濡れわかめ 大木あまり「山の夢」
多喜二忌や工衣の襟のすりきれし 福地 豊
多喜二忌や焦げ目のつかぬ炊飯器 五十嵐修
多喜二忌や発禁の書を読み返し 遠藤若狭男
多喜二忌や糸きりきりとハムの腕 秋元不死男
多喜二忌や赤き実残る防雪林 佐々木茂
多喜二忌や鈍色の浪くづれたる 大竹多可志
夫若く故郷出でし日多喜二の忌 石田あき子「見舞籠」
指で裂く鰯の腹や多喜二の忌 生江通子
比内鶏噛みしめている多喜二の忌 有賀元子
汽罐車の目鼻の雪や多喜二の忌 平井さち子「完流」
沖どめの船が水吐く多喜二の忌 原田青児
洗ふ皿くきくきと鳴く多喜二の忌 岡部いさむ
海に降る雨横なぐり多喜二の忌 吉田ひろし
煙草火を借りて離任す多喜二の忌 国枝隆生
爪深くインク浸みをり多喜二の忌 鈴木智子
石斧のごとき残雪多喜二の忌 関口謙太
紅梅の夜空がそこに多喜二の忌 原田喬
蟹に指挟まれ多喜二忌の渚 石井里風
蟹缶の赤きラベルや多喜二の忌 有田 文
躍りゆく水の分厚さ多喜二の忌 佐々木幸
錐揉んでてのひら熱き多喜二の忌 伊藤柳香
音のして飯炊けてくる多喜二の忌 森田智子
饅頭に焼ごてを当て多喜二の忌 久保田千

このなかの一句。「夫若く故郷出でし日多喜二の忌」の若き夫とは、石田波郷のこと。あき子はその妻で自身も俳人。多喜二忌を悲惨な思い出とするのではなく、出立や希望に重ねているのだ。

多喜二忌やまだある築地警察署」と詠んだ三橋敏雄は、生年が1920年で2001年に没した俳人。多喜二虐殺の頃には13才だったことになる。

その年代の彼が、戦後に「まだある」と詠んだ感慨はどんなものだっただろうか。「あってはならないものがまだある」「忌まわしいものが厳然と滅びずにまだある」ということだったろう。そして、「まだある」のは築地署の建物だけでなく、戦後も続く権力機構としての警察の恐ろしさではなかっただろうか。

三橋敏雄が「まだある」と詠んだ当時の築地署は多喜二虐殺の現場を残したものであっただろう。何年か前、私も築地署に行きその周囲も見てきた。もちろん建て替え済みの庁舎となってはいたが、築地署の裏門近くには、多喜二の死亡診断書を書いた前田医院が残っていた。ここで多喜二が殺されたのか、現場は思いを深くする力をもっている。

なお、昨年の今日、市田忠義さんのツィートが、朝日の俳壇から次の句を紹介している。
『光てふ縛れざるもの多喜二の忌』(向日市・松重 幹雄)
大串章・選評 「今日は多喜二忌。拷問によって獄死した小林多喜二は時代の光であった。」(今朝の朝日 俳壇)

多喜二忌の今ころは、寒さは厳しくも、光の春。光とは希望だ。権力が人の身体を縛ることはできても、心の中の光てふ希望までは縛れない。
(2018年2月20日)

トランプもNRA(全米ライフル協会)も「恥を知れ」。「ふざけるな」。

昨年(2017年)10月1日のラスベガス銃乱射事件での驚愕の思い冷めやらぬうちに、2月14日またまたフロリダ州の高校での大量殺人事件が起こった。ラスベガスでの犠牲者は58人、政府も政治もこの大事件に何らの対応策を打てないうちに、また17人の若い命が犠牲になった。明らかに、アメリカは病んでいる。

この事態に、現地から声が上がっている。2月17日の抗議集会でのことだ。伝えられているところでは、追悼集会ではなく、銃を規制しない政治家たちへの抗議集会の模様なのだ。鋭い発言をした高校生のエマ・ゴンザレの名が、話題となっている。

AFPは、こう伝えている。
「米南部フロリダ州で行われた反銃集会で、同州パークランド(Parkland)のマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校(Marjory Stoneman Douglas High School)で14日発生した銃乱射事件の生存者である女子生徒が熱弁を振るい、ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領と全米ライフル協会(NRA)の関係に辛辣な言葉を投げ掛けた。
 同校生徒のエマ・ゴンザレス(Emma Gonzalez)さんは、米大統領選でトランプ陣営がヒラリー・クリントン(Hilary Clinton)元国務長官に勝つためにNRAから数千万ドル(数十億円)の支援を受けた事実を攻撃し、『NRAから寄付金を受け取る全政治家、恥を知れ!』と発言し、集まった人々も『恥を知れ!』と繰り返した。

 同校の生徒や保護者、地元当局者が参加した集会で演説したゴンザレスさんは、『もし(トランプ)大統領が私に向かって、(今回の銃乱射事件は)恐ろしい悲劇だったけれど何の対策も行われないと言うならば、私は喜んで彼(トランプ大統領)にNRAからいくら献金を受け取ったのかと尋ねます」と述べ、次のように続けた。「でもそれはどうでもいいことです。私はもう知っていますから。3000万ドル(約32億円)です」
 そしてその金額を米国で今年これまでに起きた銃乱射事件の犠牲者の人数で割れば『1人の命の値段は幾らになるのでしょうか、トランプさん?』と問いかけた。
 このパワフルな演説はインターネット上ですぐに拡散し、ゴンザレスさんの名前はツイッター(Twitter)でトレンド入りした。」

CNN(ネット日本語版)の伝えるところは、もっと辛辣だ。
「事件現場に居合わせた同校3年生のエマ・ゴンザレスさんは演説で、連邦議会に銃乱射事件の発生を防ぐための法改正を強く求めた。
『大人たちは「これが現実」と言うのが習慣になっているかもしれない』『でも皆さんが行動を起こさなければ、人々は死に続けます』と訴え、銃規制に反対する全米ライフル協会(NRA)から献金を受け取っている政治家に『恥を知れ』と抗議した。また、銃規制を強化しても銃暴力は減らないと主張する政治家らを『ふざけるな』と非難した。

ゴンザレスさんに続いて、数百人の聴衆も『恥を知れ』『ふざけるな』と声を上げた。

集会の冒頭では、州上院議員のゲイリー・ファーマー氏が殺傷能力の高い銃や部品を禁止し、登録制度を強化する法改正を要求。学校の警備強化で対応しようとの案は「的外れ」だと批判し、警備が強化されれば銃を持った者が公園や教会で乱射するだけだと指摘した。

集会の参加者は『銃ではなく子どもたちを守れ』などと書いたプラカードを掲げ、銃規制に反対する議員を追放しようと気勢を上げた。」

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『恥を知れ』『ふざけるな』と言われたトランプは、今回もだんまりのままだ。しかし、ラスベガス事件の前には、彼がなんと言っていたか。これも、AFPが明確に伝えている。

【2017年4月29日 AFP】ドナルド・トランプ(Donald Trump)米大統領は28日、ジョージア(Georgia)州アトランタ(Atlanta)で開かれた同国最大の銃ロビー団体「全米ライフル協会(NRA)」の年次総会で演説し、自身は同団体の「真の友人で擁護者」だと表明した。
NRAは米国の選挙に大きな影響力を持っており、共和党の候補者がその支持を得ようと競い合うことはよくあるが、現職大統領がNRAのメンバーに向け演説するのは異例。昨年の大統領選でNRAは早期からトランプ氏を支持していた。
大統領就任100日目の節目を翌日に控え、NRAの第146回年次総会に出席したトランプ氏は、ロナルド・レーガン(Ronald Reagan)元大統領以来、ほぼ35年ぶりに同総会で演説した現職大統領となったことを「誇りに思う」と表明した。
また、「米国民の大統領として、人々が銃を所持する権利は絶対に侵害しない」と宣言。銃乱射事件の頻発を受け銃規制強化を目指したバラク・オバマ(Barack Obama)前政権を念頭に、「過去8年間におよぶ修正憲法第二条(銃所持の権利保護を定めた合衆国憲法の条項)への攻撃は終わりを迎えた」と語った。

これが、トランプだ。銃の販売で儲けようというものの「真の友人で擁護者」なのだ。だから、高校生たちから、『恥を知れ』『ふざけるな』と言われるにふさわしいのだ。

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「ビジネスインサイダー」というサイトの日本語版の転載だが、2018年に入ってから起きた、銃に関係する事件は以下のとおりだという。日付はいずれも、現地時間。
https://www.businessinsider.jp/post-162201
1月3日:ミシガン州で31歳の男が以前通っていた元小学校の駐車場で銃を使って自殺。
1月4日:シアトル郊外にあるニュー・スタート高校で銃撃。被弾したり、負傷した人はいなかった。
1月5日:アイオワ州フォレスト・シティで、ペレット・ガン(空気銃)の弾がスクールバスの窓を粉々に。通学のため多くの生徒が乗っていたが、負傷者はいなかった。
1月9日:アリゾナ州の小学校のトイレで、14歳の男子生徒が自殺。
1月10日:カリフォルニア州立大学の建物が被弾。負傷者なし。
1月10日:テキサス州にあるグレーソン大学の学生が、インストラクターの下で銃の訓練中に誤まって銃を発射。負傷者なし。
1月15日:テキサス州マーシャルの警察に深夜、ウィレイ大学で銃声が聞こえたとの通報が入った。学生寮の1つに流れ弾が当たったが、負傷者はいなかった。
1月20日:ノースカロライナ州で、ウィンストン・セーラム州立大学のフットボール選手がウェイクフォレスト大学で開かれたイベント中に撃たれて死亡。
1月22日:テキサス州にあるイタリー高校で、16歳の男子生徒が銃を撃ち、女子生徒が負傷。
1月22日:ルイジアナ州ニューオーリンズで、ネット・チャーター高校の前に集まった生徒の集団に向かって、何者かがピックアップトラックから銃撃。男子生徒が1人、負傷した。
1月23日:ケンタッキー州の15歳の高校生が銃を撃ち、2人が死亡し、17人が負傷した。
1月25日:アラバマ州にあるマーフィー高校の外で、16歳の少年が銃を乱射。負傷者はいなかった。
1月26日:ミネソタ州にあるディアボーン高校の駐車場で、バスケットボールの試合中、言い争う2人の人間に何者かが銃を発射。負傷者はいなかった。
1月31日:ペンシルベニア州フィラデルフィアにあるリンカーン高校の外で、バスケットボールの試合後、乱闘騒ぎの結果、銃が使用された。この騒ぎに関与した生徒はいない。1人が死亡。
2月1日:カリフォルニア州ロサンゼルスにあるサルヴァドール B. カストロ中学校で12歳の女子生徒が銃を発射。1人が重傷、他にも4人が負傷した。事件はアクシデントだったと報じられている。
2月5日:メリーランド州にあるオクソン・ヒル高校の駐車場で1人の生徒が撃たれる。
2月5日:ミネソタ州にあるハーモニー・ラーニング・センターで、3年生が職員の銃の引き金を引く。
2月8日:ニューヨーク州ニューヨークのブロンクスにあるメトロポリタン高校で、17歳の少年が銃を撃つ。負傷者はいない。
2月14日:フロリダ州パークランドにあるマージョリー・ストーンマン・ダグラス高校で、元生徒が銃を乱射、複数の死亡者と負傷者を出した。
[原文:There have already been 18 gun-related incidents at American schools in 2018]

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NRAは、米国最大のロビイスト団体として知られる。銃規制を緩和せぬよう、莫大な献金を多数の議員に浴びせている。その最大のターゲットがトランプなのだ。

NRAの言い分は、「市民がより多くの銃を持てば持つほど、国は安全になる」というものだ。エマ・ゴンザレスは怒りに震えて、この論法を『恥を知れ』『ふざけるな』と罵ったのだ。惨劇を間近に見た人、あるいは犠牲者の家族も、これに同意して唱和した。

『恥を知れ』『ふざけるな』の言葉は、NRAもトランプも、銃規制の世論を封じることで莫大な利益を得ているからだ。人の命を危険に曝すことを儲けのタネにしていることの倫理的な批判であり、憤りなのだ。

スケールは劣るが、DHC・吉田嘉明と渡辺喜美との関係とよく似ている。厳しい厚労省の規制を嫌って、規制緩和派の政治家にカネをつかませるDHC・吉田嘉明のこのやり口は、徹底して批判されなければならない。NRAがトランプに、吉田嘉明が渡辺喜美に、それぞれつかませるカネは「規制をなくして、スポンサーの眼鏡にかなった立派な政治」を期待してのものだ。刑事上の構成要件該当性はともかく、政治や政治家の廉潔性に対する社会の信用を毀損する点において、実質的に賄賂の収受と変わらない可非難性がある。

また、銃を放任する社会の問題は、国際間の軍事抑止力論争とよく似ている。核拡散の危険を示唆してもいる。大量の銃の拡散は、相互威圧による安全をもたらしはしない。社会的な管理の限界を越えることが、大量殺人や偶発事故に繋がるのだ。既に、事実がそのように物語っているではないか。

私も、エマ・ゴンザレスに唱和しよう。「トランプもNRAも恥を知れ」。「ふざけるな」。

(2018年2月19日)

マイナンバー? そんな数字は記憶にない。そんな記録は廃棄した。

鉄門を出て不忍池まで無縁坂を下りながらこう考えた。
今年もまた来た申告期。はてさてどうするマイナンバー。原則貫けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に税務は不愉快だ。不愉快が高じると、安い所へ引き越したくなる。しかし、どこへ越してもマイナンバーからは逃げられない。そう悟った時に決意が生れる。角が立っても窮屈でも、意地を通すが我がさだめ。今年も書いてはならないマイナンバー。

五條天神のみごとな梅をみながら、こうも考えた。
とりわけ今年は格別だ。国税庁の長官が、あの佐川宣寿。「記憶にない」「記録は廃棄した」と言い抜いて、そのご褒美で出世したあの佐川。まことに適材が適所に配置されているのだ。そんな政権に協力などしてやるものか。佐川が長官で、徴税はスムーズに行われたなどと、安倍や麻生に言わせてなるものか。

上野大仏の雪割草の咲き初めを愛でつつ考え続けた。
何ゆえ佐川が出世できるのか、なにゆえのご褒美頂戴なのだろうか。安倍と昭恵の窮地を救ったからとしか考えようがない。安倍は、官僚諸君にこう教えているのだ。「行政の公平や透明性の原則を守ろうなどとすれば角が立つ。意地を通せば窮屈だ。政権におもねれば褒められる。出世したければ忖度だ。百僚百官みんなこぞって忖度にやよ励めよ」と。これが、安倍政権の正体であり、ホンネではないか。だから、マイナンバーなど書いてやってはならないのだ。

上野公園から、湯島天神に足を伸ばして、人混みとタコ焼きの匂いの中で、結論に達した。
納税は拒否しない。拒否すべきでもない。しかし、佐川国税庁長官に協力してはならない。その意思表示として、マイナンバー記載は断固拒否しよう。これを咎められたら、大きな声で言ってやろうじゃないか。
「マイナンバー? そんな数字は記憶にない。そんな記録の保存はない。」
「マイナンバー? そんな記録は廃棄した。」
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マイナンバー記載が昨年(所得税については2017年1月)以来、法的な義務であることはずいぶんと喧伝された。問題は、「マイナンバー記載を拒否したらどうなるか」である。刑事罰、行政罰はあるのか。そもそも受け付けてもらえないのではないか。まったく心配には及ばない。「マイナンバー記載を拒否」することの不利益はない。むしろ、マイナンバー記載は、重要な個人情報漏洩のリスクを覚悟しなければならない。

以下は、国税庁ホームページに掲載されている、「番号制度概要に関するFAQ」である。よくお読みいただきたい。
https://www.nta.go.jp/mynumberinfo/FAQ/gaiyou.htm

Q2-3-2 申告書等にマイナンバー(個人番号)・法人番号を記載していない場合、税務署等で受理されないのですか。(平成29年9月7日更新)
(答)税務署等では、社会保障・税番号<マイナンバー>制度に対する国民の理解の浸透には一定の時間を要する点などを考慮し、申告書等にマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合でも受理することとしていますが、マイナンバー(個人番号)・法人番号の記載は、法律(国税通則法、所得税法等)で定められた義務ですので、正確に記載した上で提出してください。
なお、記載がない場合、後日、税務署から連絡をさせていただく場合があります。
ただし、その場合でも、税務職員が電話で直接マイナンバー(個人番号)を聞くことはありません。税務職員を装った不審な電話にはくれぐれもご注意願います。
※ 税務職員を装った不審な電話、メールなどにご注意ください。

Q2-3-3 税務署等が受理した申告書等にマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合や誤りがある場合には、罰則の適用はありますか。
(答)税務署等が受理した申告書や法定調書等の税務関係書類にマイナンバー(個人番号)・法人番号の記載がない場合や誤りがある場合の罰則規定は、税法上設けられておりませんが、マイナンバー(個人番号)・法人番号の記載は、法律(国税通則法、所得税法等)で定められた義務ですので、正確に記載した上で提出をしてください。
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要するに、マイナンバー記載は、「形式的には法的義務」だが、違反に何の制裁もない。これを強制する手段もないのだ国税庁は、国民に「法を守るようお願いしている」に過ぎない。しかもその長官自身が、国会で嘘を突き通し 「記録は廃棄した」と答弁してきた人なのだ。国民の耳には、「そりゃ聞こえませぬ、長官殿」となるのは当然ではないか。

実のところ、私にとってはホントに知らないマイナンバー、知りたくもないマイナンバー、なのである。ナンバー通知の受け取り自体を拒否している。マイナンバーとは、国家が国民を管理して統治する技術としての国民皆背番号制である。マイナンバーをツールとして、あらゆる個人情報の統合が可能となる。いま、反対の声をあげないと、その使途は無限に拡大し、IT技術の発達と相まって、権力が国民生活の隅々まで管理する恐るべき事態を招くことになろう。

管理などされたくない人々の声が大きくなれば廃止できる。佐川宣寿の国税庁長官就任は、そのような大きな運動の起爆剤ととなり得る。これこそ、真の意味での「適材適所」ではないか。
(2018年2月18日)

これぞ未曾有の「適材適所」

何を失礼な。
未曾有をミゾユウと読んだ私だから、「適材適所」の意味が分かっていないのではないかって?? 私だって、学習院を出ている。多少の知識も学問もある。ただ、生来の奥床しさから、普段は深く蔵してひけらかさないだけのこと。

中国の「清国行政法汎論」なる書物に、「適才適處」という用法が見えるそうだ。「才」とは、特別の才能もった人物のこと。その才能を生かすよう、官において、しかるべき地位・任務に配置する。これが語源のようだ。日本では、家屋の建築に際して数多い材木の種類から適材を選定して、その用途に適した使い方をすることから転じて、人材の用い方にも「適材適所」を使うようになったと心得ている。

佐川宣寿を国税庁長官に任命したことは、明らかに適材を適所に配した素晴らしい人事。いったいどこに問題がありますか。彼は、まぎれもなく「適才」ですよ。理財局長時代の国会答弁を見れば、誰の目にも明らかじゃないですか。「森友学園」への国有地売却問題に関して、あれだけ頑張った虚偽答弁。才能なくしてできることではない。その異能の才を配するに、国税庁長官は適材適所というにピッタリ、他の言葉では形容できません。

この佐川という人物。自らのプライドの保持などというケチなことを考えず、ひたすらに最高権力者の意向を忖度して、そのボロを隠すために言いつくろう、その見上げた役人魂。それこそ、尊敬に値する自己犠牲の精神。滅私奉公のお手本。論功行賞において適切にこれに報いることこそ、我が国の官僚組織を政権への忠誠に結びつける鉄則ではありませんか。

おそらく、彼も国税庁長官という職を引き受けることには、抵抗もあり葛藤もあったでしょう。彼なりに苦しかったとは思いますよ。しかし、やはり大したお人だ。納税者一揆とか、納税者の苦情爆発という世論を重々承知で、「適所」に落ちつかれた。世論の反発というごとき些事を意に介さずに、国家と政権の大義に生きようというその精神。見上げたものではありませんか。

よくお考えください。佐川宣寿が身を捨てて守り抜いたのは、首相と首相の妻ですよ。政権トップの明らかな政治私物化という最悪のスキャンダルを救ったのは彼なんです。ただ同然の国有地払い下げ。これが背後に首相夫妻なくしてあり得ないことは常識でお分かりでしょう。彼は、このことを隠蔽したというだけではない。「記録はない」「記憶もない」の一点張りで、権力犯罪を隠蔽して握り潰すというその豪腕というべき手法の確立こそが、彼を「適材」という所以ではありませんか。

いやこの「適材適所」には、それだけではない深い意味があるんですよ。彼を国税長官に据えれば、当然に納税者からの反発がある。徴税行政に支障だって考えられるではありませんか。そのくらいのことが分からぬ私ではない。でもね、そうなりゃそうなったで、なかなか面白いことではありませんか。

佐川はね、獅子身中の虫でもあるんですよ。その意味では、「『敵』材『敵』所」なのかも知れない。納税者の叛乱が安倍政権の命取りになれば、ポスト安倍に私がキングメーカーとして動く余地が大きくなる。佐川が世論の反発を押さえ切ったら上司である私の手柄にする。反対に世論につぶされたら、痛手をこうむるのは安倍政権ということ。わたしの立場としては、どちらでもよいのですよ。そういうことを可能にするのが、佐川宣寿の適材適所。お分かりかな。
(2018年2月17日)

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