岩波から今年7月に出た論文集。吉田裕と渡辺治のネームバリューでこの書を手に取る読者が多いのだろうが、執筆者は総勢9人。若い研究者の見るべき論稿もある。天皇(明仁)の「生前退位希望メッセージ」をめぐる問題だけでなく、「象徴天皇とは何か」「天皇の公的行為をどう考えるべきか」を論じる際のスタンダードを提供するもの。
渡辺治が、「近年の天皇論議の歪みと皇室典範の再検討」と題する30頁の論文を掲載している。さすがに説得力があり熟読に値する。その最後を「天皇制度そのものの廃止は、上記のような憲法のめざす象徴性の構想の実現、典範改正による自由の制限、差別を解消していく方向の徹底を通して以外にあり得ない。それは、とりもなおさず、国民が自らの上に立つ権威への依存を否定し、民主主義と人権の貫徹する社会へ向けて前進する営みにほかならない」と、将来の天皇制の廃止への展望で結んでいることが印象的である。
巻末の座談会で、最も若い河西秀哉(77年生)が、こう言っているのが興味深い。
「明仁天皇が、即位して以降、右肩上がりの経済成長はみられず、格差社会が進行しています。(天皇には)そのことへの危機意識(があります)」「だからこそ彼は、社会の中心からこぼれ落ちる人たちをいかに救うかということを考えているのだと思います。」「社会福祉施設を積極的に訪問したり、地震の被災者を訪問したりする」「そのような人たちを自分が能動的に統合していかなければ、どんどん日本という共同体が崩壊していく」「だからこそ、その機能を象徴天皇である自分が果たせなくなったときは、退位せざるを得ない、ということになる」
これに、同年代の瀬畑源(76年生)も同意してこう言う。
「沖縄もそうですね」「戦後70年が経つ今でも、基地問題をはじめ、沖縄の人は、日本国内からいわば疎外されているわけです。その沖縄に天皇が通い続けるのは、明らかに国民として沖縄の人々を統合するためでしょう」「国民統合の一番危ういつなぎ目である沖縄に対して、明らかに天皇が肩入れし、しかもそれが機能している」
54年生まれの吉田裕が賛意を表しつつ、その効果については疑問を呈する。
「昭和天皇と違うのは、やっぱりそこですね。自らの行為が統合としての意味を持ち得ている。ただ、逆に言えば、さらに社会の分断が進んだときに、あの程度の行為で統合できるのかという問題にもなるかとは思いますが」
なるほど、そういうことなのだ。平成流と言われる現天皇の象徴としての行為とは、競争至上主義の政治と経済によって置き去りにされた人々を、日本という共同体につなぎ止めるための統合が目的なのだ。いわば、保守政治の補完作業。尻ぬぐいといった方が分かり易い。あるいは、体制が必然化する綻びの弥縫の役割。
河西は天皇(明仁)の意識を「社会の中心からこぼれ落ちる人たちをいかに救うか」にあると言う。しかし、天皇の行為としての「救う」とは事態を解決することではない。格差や差別を生み出す構造にメスを入れることでもない。むしろ、客観的な役割としては、その反対に社会の矛盾を糊塗し、何の解決策もないままに諦めさせること。しかも、心理的な不満を解消して、共同体に取り込み、こぼれ落ちた民衆の不満が社会や政治への抵抗運動に結びつかないようにする、「避雷針効果」が天皇の役割なのだろう。
このような天皇の機能や役割は、天皇を権威として認める民衆の意識なくしてはあり得ない。そして、このような民衆の意識は、意図的に刷り込まれ植えつけられたもので、所与のものとして存在したわけではない。この書の中で、森暢平が皇太子時代の明仁が伊勢湾台風被災者慰問のエピソードソーを紹介している。
「ご成婚」から間もない皇太子時代の明仁は、1959年10月伊勢湾台風の被災地を慰問に訪れている。当時25歳。4月に結婚した皇太子妃美智子は妊娠中で単身での訪問だった。伊勢湾台風は59年9月26日に東海地方を襲い、暴風雨と高潮で愛知、岐阜、三重3県に甚大な被害をもたらし、死亡・行方不明は5千人、100万人以上が被災の規模におよんだ。
中部日本新聞(のちの中日新聞)の宮岸栄次社会部長は、多くの被災者は「むしろ無関心でさえあった」と書いた。「いま見舞っていただいても、なんのプラスもない。被災者にとっては、救援が唯一のたのみなのだ。マッチ一箱、乾パン一袋こそが必要なのだ、という血の叫びであった」とまで断じている。皇太子の警護に人が取られ、「かえって逆効果」という新聞投書(45歳男性、「読売」1959年10月3日)もあったという。
この皇太子の慰問には、事前の地元への問い合わせがあった。これに対して、「災害救助法発動下の非常事態であるため、皇太子の視察、地元はお見舞いなどとうてい受け入れられる態勢ではなかった」「さきに天皇ご名代として来名(名古屋来訪)される話があったときも、すでにおことわりするハラであったし、十分な準備や警備は、むろんできないばかりか、そのためにさく人手が惜しいほどだったのだ」との対応だったが、それでも宮内庁側は「重ねて来名の意向を告げてきた」という。伊勢湾台風被災地訪問は、皇太子明仁の強い意欲もあったとされるが、成功していない。
私は、このときの水害被災者の受け止め方を真っ当なものと思う。深刻な苦悩を背負っている被訪問者が、天皇や皇太子に対して、「あなたは、いったい何をしに来たのか? あなたが私のために何ができるというのか?」と反問するのは至極当然のことではないか。
あれから60年。人心が変化したのだろうか。それとも、宮内庁とメディアによる「情け深い皇室」の演出が巧みになってきたのだろうか。
(2017年11月4日)
久しぶりの抜けるような青い空。空はこんなにも青く高かったのかと思わせた、今日文化の日。71年目の日本国憲法公布の記念日。その日、国会を包囲した大群衆が、憲法を守れ、9条を守れ、平和を壊すな、と声を合わせた。
秋空に 9条まもれの 大集会
国会は 9条まもれの 大群衆
集う人 9条まもれの 大合唱
響き合う 9条まもれの 声と声
コールの声は力強かった。
改憲反対!
9条まもれ!
戦争反対!
9条生かせ!
戦争する国絶対反対!
戦争したがる総理はいらない!
アベ政権をみんなで倒そう!
立憲野党と市民は共闘!
諦めないぞ!
諦めないぞ!
「安倍9条改憲NO! 全国市民アクション 11・3国会包囲大行動」である。
平和をまもろう! 命をまもろう! 9条まもろう! そして、共闘の力で「アベ9条改憲反対の圧倒的世論をつくり出そう」という大集会。
何人かのスピーカーが、「皆さんありがとう。元気をいただきました」と発言した。そんな集会になった。私も、そんな気持。天候に感謝したい。
メインステージでは、立憲民主党(枝野幸男代表)、日本共産党(志位和夫委員長)、民進党(江崎孝参議院議員)、社民党(福島瑞穂副党首)が、いずれも力のこもった演説をした。自由党も、小沢一郎代表がメッセージを寄せた。
しかし、今日の集会の主役は、野党の党首たちではなく、明らかに国会を包囲した大群衆だった。主催者発表で、「参加者数は4万」とアナウンスされたとき、「えっ?」という声があがった。「もっと人数は多いんじゃないの?」という意外感。私の周りでの人の多さは、一昨年の「戦争法反対運動」時の群衆に匹敵する印象だったから。
トップを切っての枝野スピーチの冒頭で、「市民の皆様に背を押されて、立憲民主党立ち上げた」との発言があった。そのとおりだ。世論を背に政治家は行動する。「9条改憲NO!」についても同様だ。立憲民主党の背を、その党首枝野幸男の背を、市民が「アベ9条改憲に断固NO!」と言うべしと押しているのだ。枝野自身の憲法についての過去の発言がどうであろうとも、今、野党第一党として安倍政権と対峙する限りは、「9条改憲論」に反対を貫かざるを得ない。その他の野党についても同様である。
そのような意味で、立憲民主党・日本共産党・民進党・社民党・自由党の5党が、自公の与党に対峙する「立憲野党」と言ってよい。希望の党と維新とは、アベ改憲を支える補完勢力。色分け鮮明になってきたではないか。
選挙結果にめげていてはどうしようもない。まだ負けてなんかいない。さあ、がんばろう。私たちの憲法を壊させない。市民がそう決意を固め、野党勢力に「アベ9条改憲に断固NO!」で頑張れと、活を入れ、「元気を配った」集会だった。
(2017年11月3日)
北宋に韓維という詩人がいた。
科挙の合格掲示板「榜」に名を連ねた同榜の友人たちと心許す仲だったという。
とりわけ同郷の者と親しく、8人で「八老会」なるグループを作っていた。その、8名の宴席の様子が、「卞仲謀八老会」という七言絶句として残されている。
1000年前の同窓会の詩。老境での同窓会の雰囲気が、今に変わらないのが面白い。
同榜同僚同里客
班毛素髪入華筵
三杯耳熱歌声発
猶喜歓情似少年
読み下しは以下のとおりかと思う。
同榜 同僚 同里の客
班毛 素髪 華筵に入る
三杯 耳熱くして歌声発す
猶お喜ぶ 歓情の少年に似たるを
(班毛はまだらに白いごま塩頭。素髪は白髪頭。いずれも老人を指す)
拙訳ではこんなところ。
若いあの頃袖触れ合った
古い仲間と宴の席に
飲んで歌ってはしゃいで熱い
おれもおまえも変わらない
原意に沿えば…。
あの頃は紅顔の少年だった仲間たち
今は、髪も白くなっての宴の席に。
わずかの酒で身体がほてり、
あの頃の懐かしい歌も出る。
ああ、あの頃の情熱は失せていない。
一海知義の著書からたまたま見つけたこの詩を、学生時代の同窓会の案内文に使ってみた。訳は、勝手な我流である。入学から数えると55年も昔の仲間。
60年安保直後のあの頃。私の周りのどの学生も反体制だった。誰も彼もが、反自民であり、反安保であった。当然のごとくに護憲であり反戦平和であった。問われたのは、その本気度であったり、口先だけでなくどう行動するかであった。
あの頃、水が川上から川下に流れるごとく、若者は自然に革新の心情を身につけた。問題は、就職し職業をもって、世のしがらみに絡まれるうちに、妥協せざるを得なくなっていくことだ。
おそらくは、班毛・素髪で華筵に入り、酒の三杯で耳を熱くして歌声発すれば、世のしがらみを身につける前の「本当の自分」を思い出すことになる。だから、老境の同窓会は、楽しくもあり、ほろ苦くもあるのだ。
それにつけても、である。若者の投票行動が、老人よりも保守的だという報道に仰天せざるを得ない。理想を追うはずの若者が、どうしてこの矛盾だらけの今の世を「これでもいいじゃないか」と言っておられるのか。どうして、正義に敏感な若者が格差を広げる経済政策を看過するのか。どうして、洋々たる未来を生きる若者がかくも危険な原発再稼働を容認できるのか。どうして、自由や平等や平和の理念を謳う憲法に対する攻撃を、我が身への敵対行為ととらえられないのか。どうして、金で動かされている政治と社会に反吐が出るほどの怒りを燃やさないのか。どうして、潔癖なはずの若者がかくも醜悪なアベ晋三を許しておけるのか…。
子供は無邪気でいられない。
青年は潔癖ではいられない。
壮年は自分の意思では動けない。
そんな世にあって、
老人だけが、昔みた夢の中に生き続けている…、
のかも知れない。
だから、明日(11月3日)の「怒りの10万人集会」に、
まずは老体が出かけよう。だから、若者も出ておいで。
「安倍9条改憲NO! 全国市民アクション 11.3国会包囲大行動」
日時:11月3日(金・休)14時?
場所:国会議事堂周辺
主催:安倍9条改憲NO!全国市民アクション/戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
(2017年11月2日)
知人から、新潟日報の切り抜きをいただいた。10月24日(火)付の「新潟ショック再び(上)」というタイトル。「(上)」があるのだから、当然、(中)も(下)もある。「再び」だから、前幕もあるわけだ。
ネットを検索すると、以下のとおり出ている。(もっとも、全文を読むには登録が必要)
新潟ショック再び(上) 共闘効果
「民進系の苦境、共産が救う」
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/politics/20171024353548.html
新潟ショック再び(中) 自民敗北
「魔の2期生 基盤弱く」
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/politics/20171025353758.html
新潟ショック再び(下) 県政地図
「波紋呼ぶ知事の肩入れ」
http://www.niigata-nippo.co.jp/news/politics/20171026353918.html
リードは以下のとおりだ。
22日投開票の第48回衆院選は県全域で「自民対野党共闘」の図式となり、県内6小選挙区で野党側が4勝2敗と勝ち越した。昨年の参院選、知事選に続き、共闘態勢を敷いて票を積み上げた野党陣営。自民党は2期生が支持基盤の弱さを露呈し、小選挙区で五つあった議席を半分以下に減らした。与党が3分の2の議席を得た全国情勢と反対の結果は、関係者に衝撃を与えた。なぜ県内では、与野党勢力が逆転したのかー。激戦を総括し、今後の県内政界地図を展望する。
リードが言う「6小選挙区で野党側が4勝」の内訳は、立憲民主党1、無所属3である。また、自民2勝も際どい辛勝だった。
北海道・沖縄とならんで、新潟は野党共闘の威力が発揮された成功地域として注目されている。「新潟ショック再び(上) 共闘効果」の記事の最後は、森裕子(参議院議員)の次の言葉で締めくくられている。
「安倍1強を打ち破るヒントは、新潟にある」
野党共闘の成果へのたいへんな自信だ。
記事の内容は、涙ぐましいまでの共産党の、共闘先候補への献身ぶりである。共産党は、全6区に候補者擁立を予定していたが、公示直前で1区のみ残して5区の候補を下ろしている。これで、「自民対オール野党共闘」の図式ができた。それだけでない。共産県議が立憲民主党候補者支援で「自分の選挙以上に動いた」という例が紹介されている。人手のない民新系候補者の手足になったのが、共産党だったのだという。オール野党共闘を下支えしたのが、自党の独自候補を下ろした共産党だったという報道。勝てたから、肯定的な報道となっている。
しかし、これは美談の紹介記事ではない。まったくの第三者であるメディアの関心は、「かくのごとき野党共闘が、安倍一強政治を打ち破る萌芽たりうる」というところにある。しかし、運動に参加する者の視点は、自ずから異なる。このような共闘関係は本当に長続きするものだろうか、と疑問を呈せざるを得ない。
新潟のようには結果が出せなかったものの、全国的に同じような共産党から立憲民主党や無所属の候補者への献身的支援が行われた。その結果、共産党は大きく比例得票数を減らし、議席数も激減した。これでよいということにはならなかろう。
新潟の共産党比例票数は前回と比べて、あるいは昨年の参院選と比べて増えただろうか。増えないとすれば、共産党はこの選挙でそこまで他党に尽くして、いったい何を得たのだろうか。
共産党の票が痩せ、共産党の議席が減っても、それ以上に護憲政党全体の議席が増えればいいじゃないか。などと言うことで、共闘が長く続くわけがない。新潟1区は、候補者を下ろした共産党の献身的な支援で立憲民主党の候補者が当選した。次回も、次々回も共産党は同じことを繰り返すのだろうか。そうすれば、党勢はジリ貧化するしかない。
新潟県全6区で野党共闘が成立するなら、その内の何区かは共産党や自由党・社民党に候補者を譲るとか、「小選挙区は立憲民主党でも比例は共産」と共闘候補者自身が訴えるとか。共闘とは、参加する者にメリットがなければならない。何の見返りもない献身の継続には明らかに無理がある。
安倍一強を倒し、確固たる国会内護憲勢力を形づくるための野党共闘が、その核になるべき共産党の身を削って成り立っている現実に不安を覚える。共闘参加の各野党に、相互のメリットが獲得できるような工夫が必要である。野党間の接着剤となる市民運動は、政党間の公平を実現するよう配慮をしなければならない。
「新潟ショック」とは、野党共闘の成立による政権側のショックのことだ。漫然としていては、この不公平な事態は続かない。万が一にも、いつの日か野党共闘にヒビがはいって、野党の側が「新潟ショック」などと口にすることのないように希望する。
(2017年11月1日)
今日で10月が終わる。2017年10月とはいったい何だったのか。タヌキやキツネにだまされ続けたような、おかしな1か月だった。
印象は雨ばかりの10月。暗く寒く降られっぱなしの1か月だった。憲法の運命にも、風雨が強かった。少なくも湿っぽく、威勢のよい話のないこの1か月。この長雨は、憲法の涙雨かと思わせるほど。
先月末は、かなりの程度にアベ政権を追い詰めていた空気があったではないか。あわよくばこの機会にアベ退陣を、などと思ってもいたはずが、あれは雨中の幻であったか。大山鳴動して濡れネズミの一匹も出てこない。狐狸の跳梁の後に目を覚ませば、相も変わらぬアベ政権の安泰で、護憲勢力が寒空にかぜっぴきの体。
野党共闘の難しさの実体験がむなしい。むなしいが、貴重なものだと思う。選挙後に、いろんな人の経験と意見を聞いたが、置かれた場所や環境、あるいは立場で、一人ひとり極端に意見が違う。そんなものなのだろう。そんな中から、教訓を得なければならない。
私の周りで、なんとはなしに形成された護憲派の合意は、こんなところだろうか。
今回選挙は、小選挙区制が諸悪の根源であることを誰の目にも明白にした。本気になって、選挙制度を改革しなければならない。
しかし、選挙制度改革の早期実現は容易でない。その間にも選挙は繰りかえされるだろう。その場合、小選挙区を前提とする限り、野党の共闘なくして改憲発議を阻止する議会内勢力を形成することはできない。
明文改憲阻止を最優先課題とするならば、とりあえずは「アベ改憲構想反対」での国会内共闘を作りあげるしかない。そうしなければ、修復不能な改憲策動の進展を危惧せざるを得ない事態となる。
その共闘を実現する原動力は、各地域の市民運動が担うことになるだろう。市民運動の力量が、各野党の共闘を作りあげ、支え、維持することとなる。当選させるだけでなく、変節を許さない市民の運動の継続が求められる。
「立憲民主党を信頼してよいのか」という問に、「その中心にいる人々は戦争法や共謀罪反対運動の中で、市民に背中を押されて変わってきている」と感想を述べる人が多い。「市民運動がしっかりしている限りは信頼できる」ということだ。
選挙直前になってからではない持続的な「市民と野党の共闘」があって、その成果としての共闘候補者の選任がなされるべきなのだろう。
そんなことを考えさせられた10月が今日で終わって明日から11月。まずは、特別国会が始まり、11月3日の憲法公布記念日を迎える。そして、今や支持率最低のトランプが来日する。厳重な警備の迷惑とともに、である。
その後はどうなるのか分からない。臨時国会は開かれるのか。加計学園の獣医学部設置認可はどうなるのだろう。森友学園の国有財産バーゲン疑惑解明はどこまで進むのだろうか。自民党内の改憲発議案作りの作業は進展するのだろうか。
全ては、市民と野党の共闘の盛り上がり次第ということになる。
まずは、明日(11月1日)の特別国会開会にタイミングを合わせた対国会市民行動。
「安倍9条改憲を許さない! 森友・加計学園疑惑徹底追及ー安倍政権の退陣を要求する11.1国会開会日行動」
スケジュールは以下のとおり。
11月1日(水),12:00?13:00? 国会前行動
総がかり行動・全国市民アクションと共謀罪NO!実行委員会が共催で,
13:30?15:00,参議院議員会館講堂で,共謀罪NO!実行委員会主催の「共謀罪法の廃止を求める11・1院内集会」
「特別国会に共謀罪廃止法案を提出してもらおうという趣旨で,各政党に案内を出して,議員の出席を呼びかけています」「希望の党で当選した元民進党の国会議員で共謀罪反対でがんばった議員にも1人1人声をかけています」とのこと。
11月3日には、「安倍9条改憲NO! 全国市民アクション 11.3国会包囲大行動」が企画されている。久しぶりに10万人規模の大集会を目指している。
日時:11月3日(金・休)14時?
場所:国会議事堂周辺
主催:安倍9条改憲NO!全国市民アクション/戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会
3日の大集会には、私も「弁護団」の腕章をつけて要員として参加する。市民運動の盛り上がりが、国会内の野党共闘の力と質に反映するというのだから、傍観ばかりはしておられない。
11月が、天候も政治もまともな1か月であって欲しいと願っている。天候は願うだけでしかないが、政治は有権者の運動次第。諸行動の盛り上がりを期待したい。
(2017年10月31日)
日本国民救援会は、1928年4月7日に結成されたというから、来年が設立90周年となる。そのホームページには、「戦前は、治安維持法の弾圧犠牲者の救援活動を行い、戦後は、日本国憲法と世界人権宣言を羅針盤として、弾圧事件・冤罪事件・国や企業の不正に立ち向かう人々を支え、全国で100件を超える事件を支援しています。」とある。
その国民救援会が発行する「救援新聞」は旬刊で、毎月5の日に発行。最新刊の11月5日号の第4面から6面に、救援会が支援している冤罪被害者(あるいは家族)の声が紹介されている。
「私は無実です ご支援ください」という大きな見出し。ほとんどが再審請求中の事件で、その数25件。一つ一つの事件の本人の「私は無実です」という訴えが痛々しい。
その事件名と当事者の名前だけを連ねておく。
●秋田・大仙市事件? 畠山博さん
●山形・明倫中裁判? 元生徒7人
●宮城・仙台北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件? 守大助さん
●栃木・今市事件 勝又拓哉
●東京・三鷹事件 竹内景助さん(故人)
●東京・痴漢えん罪西武池袋線小林事件 小林卓之さん
●東京・小石川事件 井原康介さん
●長野・冤罪あずさ35号窃盗事件 Yさん
●長野・あずみの里「業務上過失致死」事件 山口けさえさん
●福井・福井女子中学生殺人事件 前川彰司さん
●静岡・袴田事件 袴田巖さん
●静岡・天竜林業高校成績改ざん事件 北川好伸さん
●愛知・豊川幼児殺人事件 田邉雅樹さん
●三重・名張毒ぶどう酒事件 奥西勝さん(故人)
●滋賀・湖東記念病院人工呼吸器事件 西山美香さん
●滋賀・日野町事件 阪原弘さん(故人)
●京都・タイムスイッチ事件 車本都一さん
●京都・長生園不明金事件 西岡廣子さん
●兵庫・花田郵便局強盗事件 ジュリアスさん(仮名)
●兵庫・えん罪神戸質店事件 緒方秀彦さん
●岡山・山陽本線痴漢冤罪事件 山本真也さん
●高知・高知白バイ事件 片山晴彦さん
●熊本・松橋事件 宮田浩喜さん
●鹿児島・大崎事件 原口アヤ子さん
●米・ムミア事件 ムミア・アブ=ジャマールさん
救援新聞には、「ひとこと」という会員の投書欄があって、宮城の女性が、次の投書を寄せている。
「『司法』というのは、正義の守り手のはずです。それなのに冤罪が生まれる。それでも再審請求し、正義が正義になるよう、力を合わせないといけない。これも闘い?」
司法の正義とは、けっして冤罪者を出さぬことだ。しかし、冤罪は後を絶たない。冤罪が明らかになったとき、司法は頑強にこれを認めようとしない。司法が間違ったとなれば、司法の権威が損なわれると考えるからだ。しかし、司法が自らの権威の失墜を恐れて冤罪の救済を怠るようなことがあれば、そのこと自身が大きな正義の喪失であり、司法の権威と信頼は地に落ちることになる。
市民運動が、雪冤を訴える冤罪被害者の声に耳を傾けて励まし、再審無罪を勝ち取ることができれば、市民自身が正義を実現し、失墜した司法の権威回復に寄与したことになる。
戦前、市民運動としての救援会と被告と弁護士との三者の連携を、「モ・ベ・ヒ」の団結と言ったそうだ。モは救援会の前身の「モップル」、ベは弁護士、ヒは被告本人である。当時、冤罪と言えば、弾圧事件だった。これに抵抗する、強固な弾圧からの救済運動組織が必要とされた。救援会は、その流れを汲んでいる。
その弾圧事件はけっして過去のものではない。公選法による弾圧も、民商に対する弾圧も、そして公務員労働者に対する弾圧もけっしてなくなることはない。「共謀罪法」が成立した今、新たな弾圧事件の発生も懸念される。
権力による市民への弾圧がなくなり、司法の誤りがなくならぬ限り、国民救援会は発展し続ける。創立90周年から、100年を超えて、いつまでも…。
(2017年10月30日)
一昨日(10月27日)、首都圏建設アスベスト訴訟(横浜第1陣事件)控訴審で、東京高裁が国とメーカーの責任を認める判決を言い渡した。5年前の原告全面敗訴判決を逆転したもの。
「あやまれ!つぐなえ!なくせ!アスベスト被害」というスローガンの実現に、大きな前進である。提訴や控訴時の原告団弁護団の写真の中の、今は亡き山下登司夫弁護士の表情が心なし嬉しそうに見える。
アスベストは毒物である。遅効性だが極めて危険な発がん物質。これが、地域に飛散すれば公害となる。工場の生産過程で労働者に接触すれば労災・職業病となる。また、アスベストを素材とする製品が事業者から消費者に売り渡されれば、消費者問題となる。さらに、このような危険物が、国民の健康や生命を脅かすことのないよう、国は、メーカーや使用者や事業者を規制しなければならない。この国で、全ての人が安心して暮らしてゆけるように。
屋外での「建設アスベスト訴訟」に先行して、「工場労働者型(屋内型)」訴訟が大阪地裁に提起された。2006年5月のこと。いわゆる泉南アスベスト国家賠償訴訟である。健康被害又は死亡による損害賠償を求めたのは、泉南地域の石綿工場の元労働者や近隣住民及びその遺族。
キーワードは、「国の規制権限の不行使」。被害の発生が予想される事態においては、国は被害の予防のために規制権限の行使が義務づけられ、行使しなかったことが違法となって生じた損害を賠償しなければならない。まさしく、これに当たるというのが原告らの主張だった。
同様の訴訟は、じん肺訴訟弁護団が経験している。筑豊や北海道の炭坑で働いていた坑内労働者は、坑内の粉じん被曝によって高い確率でじん肺に罹患する。じん肺の症状認定を得た元労働者が企業に責任を追及しようとしても、中小炭坑は全てつぶれて責任追及先が存在しないという事情があった。誰が潰したか、エネルギー転換の名のもとに国が中小炭坑を潰した。では国に責任を取らせよう。こうして、じん肺国家賠償訴訟が始まった。そして元抗夫らは、みごとな勝訴を収めた。ここでも、キーワードは、「国の規制権限の不行使の違法」。
泉南アスベスト国家賠償訴訟も同じ構造だった。しかし、もちろん規制権限の具体的法的根拠の構造はちがう。泉南訴訟第一陣訴訟では、一審大阪地裁判決は原告勝訴となったが、控訴審は全面敗訴となった。ここからの頑張りで、上告審で逆転勝訴し、差し戻し審の大阪高裁で国の有責を前提する和解が成立し、後続訴訟での和解のルールが開けた。
そして、建設現場でアスベストによる健康被害を受けた元建設作業員と遺族約90人が、国と建材メーカー43社に総額約28億円の賠償を求めたのが、「建設アスベスト訴訟」(横浜地裁・第1陣訴訟)である。2012年の判決では、原告が国に対しても、メーカーに対しても敗訴となった。一昨日の東京高裁(永野厚郎裁判長)判決は、これを逆転したもの。もっとも、これまで国は、7事件で1勝6敗である。その1勝の逆転敗訴なのだ。
この事件での被告のうち、原告を雇用していた使用者は、(一人親方を除いて)労働者に対する安全配慮義務違反としての責任が認められた。アスベスト製材を販売していた建材メーカーには、75年の時点でアスベストの健康上の危険性を製品に警告表示する義務があったのにこれを怠った責任が認められた。そして、被告の国に関しては、「1980年までに事業主に対し、労働者に防じんマスクを着用させるよう罰則付きで義務付けなかった」ことを規制権限不行使の違法と認めた。
同種訴訟は、東京、横浜、大阪、京都、福岡、札幌の6地裁に7件の提起がされた。
法務省のホームページには判決の全体像を次のようにまとめている。
これまでの判決の結果は,以下のとおりです。
(1) 横浜地方裁判所(第1陣)平成24年5月25日判決(全部棄却・相手方控訴,東京高等裁判所に係属中)
(2) 東京地方裁判所平成24年12月5日判決(一部認容・双方控訴,東京高等裁判所に係属中)
(3) 福岡地方裁判所平成26年11月7日判決(一部認容・双方控訴,福岡高等裁判所に係属中)
(4) 大阪地方裁判所平成28年1月22日判決(一部認容・双方控訴,大阪高等裁判所に係属中)
(5) 京都地方裁判所平成28年1月29日判決(一部認容・双方控訴,大阪高等裁判所に係属中)
(6) 札幌地方裁判所平成29年2月14日判決(一部認容・双方控訴)
これに、次の判決が加わる
(7) 横浜地方裁判所(第2陣)平成29年10月判決(認容・双方控訴,東京高等裁判所に係属中)札幌地方裁判所平成29年2月14日判決(一部認容・双方控訴)
一昨日の判決が上記(1)についてのもの。地裁において唯一の原告全面敗訴となった判決が、控訴審第1号判決において逆転したのだ。この判決の意義は大きく、先例から見て、今後の全面和解解決に道を開いたものと考えられる。
なお、「国の規制権限不行使の違法」を根拠とする国家賠償訴訟は、数多く活用されている。国には東京電力に対し、適切な規制権限の行使を違法に怠った責任があるとするのが、原発国家賠償訴訟。そして、消費者被害の回復にも活用が試みられている。かつて、豊田商事事件について、その被害防止のために適切な規制権限を発動しなかった責任を問うて、豊田商事国家賠償訴訟が提起された。原告弁護団は国をよく追い詰めたと思うが、わずかにおよばず敗訴となった。
私は、豊田商事の被害が金銭だけであって、人命や健康ではなかったことが、勝敗を分けたものと思っている。
DHCの吉田嘉明は、3年前の週刊新潮誌上の手記で、「自社(DHC)に対する厚生労働行政が厳格に過ぎる」との不満を述べている。だが、行政に手心があってはならない。消費者に健康被害を及ぼすような事件があれば、行政も「規制権限不行使による怠慢の違法」を追求されることになる。そのようなことのないよう、規制行政は厳格に行われなければならない。消費者の健康や人命を守るために必要な規制の緩和など、けっしてあってはならない。
(2017年10月29日)
本日(10月28日)は、医療問題弁護団(略称「医弁」)設立40周年記念シンポジウム。イイノホール4階ルームAでの4時間余の集会。270名の参加で盛会だった。
医療問題弁護団とは、「患者側」を標榜する在京の医療事件専門弁護士集団。現在、250人の会員を擁している。設立の目的を「医療事故被害者の救済及び医療事故の再発防止のための諸活動を行い、これらの活動を通して医療における患者の権利を確立し、安全で良質な医療を実現することを目的とします。」と謳っている。
弁護士集団なのだから、「医療事故被害者の救済」すなわち医療過誤訴訟受任のシステムを整え、医療事件専門弁護士としてのスキルを磨き、後輩を育てることを任務にするのは当然。しかし、それだけにしないところが真骨頂。「安全で良質な医療を実現すること」を究極の目標と位置づけているところに、人権派弁護士集団としての道義的な矜持が表れている。
看板だけでなく、実際に患者側弁護士の立場から「安全で良質な医療を実現する」活動に携わっているところがたいしたもの。個別事件の受任を超えた、医療に関する政策提言活動が太い柱として定着している。
本日のシンポジウムテーマも、「この40年に医弁会員が獲得した医療過誤事件判例紹介」「40年で医療過誤判例はどこまで進歩したか」「判例をリードし続けた医弁の活動」「今、医療訴訟の焦点はどこにあるか」「医弁の窓口を叩いた医療過誤被害者の顧客満足度」…などでも良さそうなものだが、そうはなっていない。「医療問題弁護団40周年記念シンポジウム『医療現場に残された現代的課題』ー40年前の『医療に巣くう病根』と比較してー」というものなのだ。
シンポジウムの趣旨はこう語られている。
「私たち医療問題弁護団は、医療被害の救済・医療事故再発防止・患者の権利確立を目的として1977年に結成して以来、40周年を迎えました。40年前、私たちは『医療に巣くう病根』を4つの視点から分析しました。40年後の現在、私たちが取り組んできた医療被害救済に関する事件活動もふまえ、医療現場に残された現代的課題について、団員の報告やパネルディスカッションを通じて探っていきたいと思います。」
医弁に集う患者側弁護士の関心は、医療過誤訴訟それ自体よりは、医療事故を生み出す医療現場の状態にある。患者の人権という観点から、医療現場にはいったいどこにどんな問題があるのだろうか。40年前に見つめ考えたことが、今どうなっているのかを検証してみよう。そして今、医療現場に残された現代的課題について、報告し意見交換をしよう。それが今日のシンポジウムなのだ。この趣旨は、本日の配布資料(A4・220頁)の冒頭に、医弁代表の安原幸彦さんが、「巻頭言」としてよく書き込んでいる。その全文を末尾に添付しておく。
さて、40年前に、患者側医療弁護士を志した若い弁護士たちが、医療事故を起こす原因と意識した「医療に巣くう病根」とは次の4点であった。
?医師、医療従事者と患者の関係が対等平等ではないこと
?保険診療の制約が医療安全を阻害していること
?医師の養成・再教育が不十分であること
?医師、医療従事者の長時間・過密労働
いずれも思い至ることではないか。
40年後の現在、この『医療に巣くう4病根』は、次のように敷折したテーマとなっているというのが本日の報告である。
(1) 医師と患者との希薄な信頼関係ー「医師・患者関係」
(2) 患者安全を実現できない保険診療と「営利」追求型医療の横行
(3) 体系的・継続的な教育制度の未整備ー「教育」
(4) 医療現場での人員不足・劣悪な労働環境ー「労働」
そして、新たに検討が必要なテーマとして、
(5) 医療従事者間の不十分な「連携」
(6) 適正な医療が行われていることを「チェック」するシステムの不存在、不十分
さらに、以上の各テーマに通底するキーワードとして、医師の「プロフェッション論」が取り上げられた。
以上の、「医師・患者関係」「営利」「教育」「労働」「連携」「チェック」、そして「プロフェッション論」が、医療現場の現代的課題としてシンポジウムのテーマとされた。
私も、医弁の古参会員の一人である。おそらくは、最古参となっている。いつの間にか世代は着実に交代しているのだ。
とはいえ、私はいまだに現役の患者側医療弁護士である。かつてのように、同時に十指におよぶほどの医療事件の受任はできないが、事件受任が途切れることはない。事件を通じて、医療を考え続けてきた。幾つかの感想を述べておきたい。
言うまでもないことだが患者にとって医師は敵ではない。医療訴訟において対峙することはあっても、医師は患者にとって不可欠な専門技術提供者である。医師との信頼関係なくして、真っ当な医療はなく、医師の自覚と献身的な寄与なくして患者の人権は守られない。
これまで事件を通じて、多くの医師を見てきた。医師のあり方を論じるときには、弁護士としての自分のあり方を顧みなければならないことになる。依頼者への接し方、事態の現状や採るべき対応の方法についての説明の仕方、そして事態が思わしく進行しなかったときの対処の仕方。セカンドオピニオンを求められたときの対応…。私は、これまで何人もの立派な医師の対応を見てきた。これを学びたいと思っている。そしてまた、立派とは言いがたい医師も見てきた。これも、反面教師としたい。
「医師・患者関係」で論じられたのは、インフォームドコンセントのあり方についてである。インフォームドコンセントの理念は単なる説明ではない。「医師と患者の医療情報の共有」でも、「十分な医師の説明と、その説明を理解した上での患者の同意」と言っても、不十分だ。「医師と患者の共同意思決定へのプロセス」としてとらえるべきだと理解した。
本日の報告で、アメリカにおけるインフォームドコンセント概念として、「大統領委員会報告書(1983年)」の「相互の尊重と参加による意思決定を行う過程」という定義が紹介された。なるほど、そのようなものだろう。これを訴訟に活かすことができれば、医療の現場も変わってくるに違いない。
医療における「営利」は、永遠の課題である。医師不足も医師の過密労働も、その改善は営利との関連を抜きには考え難い。医療の安全は直接には営利を生まないが、いったん事故を起こしたときの経営への打撃を考えれば、資金の投入が必要なのだ。また、医療機関にとって、患者の安全に配慮しているとの評判は、営利に結びつくものとなるだろう。
パネラーの一人が、「テール・リスク」という概念について語った。「確率分布の裾野にあり、発生の確率は極めて小さいが、一旦起こるとおおきな損失になる潜在リスク」ということ。問題はその事故の補償ができるか、ということになる。予見可能である限りは、補償の財源を確保しておかねばならない。その財源は、価格設定に折り込まなければならない。価格の設定の仕方を間違える(ミスプライス)と補償ができなくなる。どの範囲の保障や賠償のコストを想定して価格対応するかが政策的な課題となっている、という。
法的観点からの指摘でなく、マネージメント論としての解説だったが、「原発事故から手術の合併症まで」とパワポに書き込まれていた。これは訴訟実務の重要論点ではないか。説明義務の対象の範囲の問題としても、予見可能性や結果回避可能性の存否にしても、どこまでの低確率の事故なら免責されるのか、実は一義的な解答はない。あらためて考え込まされた。
(2017年10月28日)
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巻頭言?医原問題弁護団 代表 安原幸彦
本日は、医療問題弁護団創立40周年記念企画にご参加いただきありがとうございました。
医療問題弁護団は、1977(昭和52)年9月3目、医療事故の被害救済と再発防止を目的として結成されました。その歩みは、報告概要編・イントロダクションでご紹介しています。
結成後間もなく、私たちは、医療事故が起こる原因として、?医師、医療従事者と患者の関係が対等平等ではないこと、?保険診療の制約が医療安全を阻害していること、?医師の養成・再教育が不十分であること、?医師、医療従事者の長時間・過密労働の4点を挙げ、これを「医療に巣くう病根」と呼びました。
この指摘は、医療事故被害と向き合った自分たちの実践から導いたものではありましたが、いかんせん、結成から間もない時期に取りまとめたものでもあり、その後の実践を通した検証が必要でした。また、医療を取りまく環境や医療政策の変化、それに伴う患者や社会の意識変化などにも対応する必要がありました。現在弁護団員も250名に達しています。その団員が40年にわたって様々な活動を積み重ねる中で、医療事故の原因と防止策について、考え、学ぶところが多くありました。
そこで、私たちは結成40周年を迎えるにあたり、「医療に巣くう病根」として取りまとめた分析を出発点としつつ、それを現代的課題として整理する試みを行いました。その成果を取りまとめたのが報告書編の各論稿です。医療問題弁護団は団員を4つの班に分けていますが、各班にテーマを割り振り、約1年間、調査・研究してきた内容がそこに書かれています。
そして、今回、各テーマを統括して、医療現場に残る現代的課題を医療におけるプロフェッション性の阻害とその回復と集約しました。詳しくは報告書編・プロフェッション論をご覧ください。
本報告書は、医療事故を通して、主として患者の視点から、より安全で、より良い医療の実現を目指して分析したものです。各界の皆様から、忌憚のないご意見をいただき、今後の私たちの活動の指針とエネルギーにしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
2017(平成29)年10月
既にお知らせしたとおり、DHC・吉田嘉明から2度目の提訴をされて、私(澤藤)はまたもや「幸福な被告」に逆戻りしています。
その裁判の事実上第1回(形式的には第2回)の口頭弁論期日が、12月15日(金)午後1時30分に予定されています。開廷場所は東京地裁の4階、415号法廷です。もちろん誰でも自由に傍聴できます。閉廷後には、弁護士会館で報告集会を予定しています。その部屋は1か月前にならないと決まらないのですが、決まり次第当ブログでご案内しますので、ぜひ、ご参集ください。
DHC・吉田嘉明の2度目の提訴の内容は、「債務不存在確認」請求事件です。普通の訴訟は、「怪しからんブログを削除せよ」、「謝罪文を掲載せよ」、「損害賠償の金銭を支払え」という作為や給付を求めるものですが、この訴訟はそういう普通の訴訟ではありません。ただ単に、「原告DHCも吉田嘉明も、被告澤藤に支払うべき債務はないことを裁判で確認していただきたい」という訴えなのです。迫力を欠いた裁判であることは言うまでもありません。
よほどの事情がない限り、こんな裁判は普通しません。相手から提訴されたら受けて立てばよいだけのことなのですから。どうして、吉田嘉明が自分の方からこんな裁判を仕掛けようという気になったのか、どうしてそんなにも焦ったのか。首を捻るばかり。本当によく分かりません。人はそれぞれですし、お金持ちの気持ちの忖度はなかなか難しいと思うばかりです。
DHC・吉田の最初の提訴は3年前の2014年4月。5月の半ばに訴状が届きました。あの訴状を読んだときの、なんとも形容しがたい不愉快な思いは忘れられません。この文明社会で、まさか自分の言論が理不尽に抹殺の対象となろうとは思いもよりませんでした。「言論には言論で対抗する」ことが原則です。しかも、DHC・吉田嘉明は巨大な規模の言論対抗手段をもっているのです。紙媒体でも、ネットでも、そして電波メディアでも。
沖縄基地反対闘争についてのフェイクとヘイトで有名になったDHCシアターや、虎ノ門テレビは彼の傘下にあります。
また、テレビ東京の筆頭株主以下の順序は、以下のとおりです。
1位・日本経済新聞、2位・吉田嘉明、3位・みずほ銀行、4位・三井物産、5位・日本生命…。
そのDHC・吉田嘉明が、言論の市場で対抗言論を行使するのではなく、私の言論を不快として、まったく唐突に2000万円の慰謝料請求の訴訟を起こしたのです。
違法だとされた私のブログは、次の3本。ぜひよくお読みください。いずれも、政治を金で買ってはならない、金で政治や行政を歪めてはならないという典型的な政治的批判の言論です。万が一にも、これが違法だとしたら、この世に意味のある言論の自由は絶えてなくなってしまうということがご理解いただけるはずです。
https://article9.jp/wordpress/?p=2371(2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
https://article9.jp/wordpress/?p=2386(2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
https://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
DHC・吉田の提訴は、誰が考えても言論封殺を目論んでのこと以外にはありえません。被告とされたのは私であり、直接攻撃を受けたのは、私の3本のブログです。しかし、影響はそれにとどまりません。DHC・吉田の意図は、自分に対する批判をすればこのように裁判を起こされてたいへんなことになるぞ、という見本を示しているのです。
私は、この理不尽にけっして屈してはならない。徹底して闘おうと決意をしました。そして、ブログでのDHC・吉田批判をやめず、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始めました。するとどうでしょう。DHC・吉田は、2000万円の請求を6000万円に請求を拡張したのです。行動で、言論封殺のための提訴であることを証明したのです。
裁判は、1審も2審も私が勝ちました。勝って当然の裁判なのですから。そして、DHC・吉田は無理を承知で、最高裁に上告受理申立をして不受理の決定があって確定しました。こんな理不尽な裁判で、大迷惑を掛けておいて、DHCも吉田嘉明も、一言の謝罪もありません。私は、不当な提訴で被った損害を賠償せよと、請求をしました。その金額は600万円、DHC・吉田が私に請求した金額の10分1というささやかなもの。
DHC・吉田は、この600万円を支払う義務がないことの確認を求めて提訴したのです。
ですから、新たな裁判(「DHCスラップ第2次訴訟」)の主たる舞台は、反訴になります。近々、反訴状を提出します。請求金額は、600万円に10%の弁護士費用を上乗せした660万円。
私も、既に50人を超した弁護団も、スラップ訴訟の提起が違法であることを明らかにすることで、政治的な批判の言論の自由を確立したいと意気込んでいます。12月15日の法廷では、反訴状を陳述することになります。ぜひ、傍聴にお越しください。
なお、みなさまにお願いがあります。DHCのように、スラップ訴訟を多発する企業には、消費者の行動で制裁を加えていただきたいのです。公害発生源となっている企業や、消費者問題を多発する企業、児童労働や劣悪労働条件の企業などには、自覚的な消費者集団による市場での批判の行動で、これを是正することが可能です。労働厚生行政による規制をきらうことを広言し、あるいは規制緩和推進の政治家に闇の金を渡し、これを批判されると、スラップで口封じをしようという、こういうスラップ常習企業には、民主主義社会を大切に思う立場の理性ある消費者の行動を通じて相応の制裁を課す必要があると思うのです。ぜひ、この点についてご協力ください。
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以下が、まだ「反訴」提起前の、「本訴」についてのやり取り。
なお、原告の請求原因の全文は、以下のURLで読めます。
https://article9.jp/wordpress/?p=9149
原告DHC・吉田の「請求の原因」
1 原告らは、被告が、自身のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」において、原告らの名誉を毀損する記述をしていたことから、平成26年4月16日、訴訟提起したが、平成27年9月2日、請求が棄却され、控訴も上告も棄却された。
2 平成29年5月12日、被告は、原告らの訴訟は、いわゆるスラップ訴訟であり、不当提訴であるから、不法行為に基づく損害賠償請求として、連帯して600万円の支払いを求める内容証明郵便を送付し、原告らに600万円の債務が存在する旨主張した。
(以下3項?7項まで略)
8 よって、原告らは、被告に対し、原告らの被告に対する別紙訴訟目録1記載の訴え提起、同2記載の控訴及び同3記載の上告受理申立てによる損害賠償債務が存在しないことの確認を求める。
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上記の訴状「第2 請求の原因」に対する、被告澤藤の認否
1 請求原因第1項のうち、「原告らが被告に対し、2014(平成26)年4月16日訴訟を提起したが2015(平成27)年9月2日請求が棄却され,控訴も上告も棄却された」こと、当該訴訟が「被告が主宰するブログ『澤藤統一郎の憲法日記』において,原告らの名誉を毀損する記述をしていると主張してのものであった」ことはいずれも認め、その余の事実は否認する。
2 同第2?4項はいずれも認める。
3 同第5項のうち、前訴において「原告らが名誉毀損だと指摘した被告のブログの記述は,違法性阻却事由により判決においては違法ではない旨判示されたものの,同時にその大半の記述が,原告らの社会的評価を低下させるとも判断されている」ことは認める。
これに続く「被告が弁護士でありながらも原告らの名声や信用を一般読者に対して著しく低下させたことは事実であり,このような事実無根の誹謗中傷をネットに書き散らす行為が許容される事態は社会的に問題である。」との記述は否認する。この記述は、訴訟上意味のないものであるばかりでなく、「事実無根の誹謗中傷」という点で明らかに事実に反する主張であり、「このような事実無根の誹謗中傷をネットに書き散らす」との表現は被告を侮辱するものである。
なお、「(被告のブログにおける当該表現)行為が許容される事態は社会的に問題である」との記述は、前訴の確定判決に対する原告らの拒絶の宣言であり、各審級の裁判所の判断に対する嫌悪の感情の吐露でもある。原告らは、前訴の判決から学んで反省するところがなく、確定判決を黙殺する点で、法や司法に対する軽視の姿勢をよく表しているというほかはない。
4 同第6項は認める。
5 同第7項のうち、被告が、甲7の1及び甲7の2と特定されたブログの記事を掲載していることは認める。
なお、ここでも、原告らは「性懲りもなく」と被告に対する侮蔑的な表現に及んでいる。前訴において敗訴したのは原告らであって被告ではない。法秩序から見て反省すべきは原告らであって被告ではない。「性懲りもなく」(再度の提訴に及んだ)と評されるべきは被告ではなく、明らかに原告らなのである。
6 同第8項は争う。
7 実務上、債務不存在確認請求訴訟の要件事実は、「被告が、請求の趣旨で特定された当該権利を有すると主張していること」で足りるとされている。これで、確認請求訴訟一般に必要な確認の利益の主張も十分である。
従って、本請求に必要な請求原因は、本来第2項(「平成29年5月12日、被告は、原告らの訴訟は、いわゆるスラップ訴訟であり、不当提訴であるから、不法行為に基づく損害賠償請求として、連帯して600万円の支払いを求める内容証明郵便を送付し、原告らに600万円の債務が存在する旨主張した。」)だけで足りるものである。事情として付加するものがあるとしても第1項および第2項で十分である。
にもかかわらず、その余の第3?7項の記載があるのは、法的な主張の必要を超えて、被告を攻撃する過剰な意図あればこその叙述と言わざるを得ない。原告らの前訴提起の意図が、自らの権利救済の目的を超えて、被告を過剰に攻撃することによって自己を批判する言論を封殺しようとした姿勢と通底するものであることを指摘しておきたい。
(2017年10月27日)
選挙期間中だからとして寝かされていた問題も、いつまでも寝かしたままにはしておけない。モリ・カケ疑惑解明忌避解散のあと、政権への遠慮から伏せられていた事実が、選挙が終わってようやく報道されるようになった。
本日(10月26日)の共同配信記事は、森友学園問題について「森友への値引き6億円過大 国有地売却、会計検査院が疑義」の見出しで、以下のように伝えている。
「学校法人「森友学園」に大阪府豊中市の国有地が、ごみの撤去費分として約8億円値引きされて売却された問題で、売却額の妥当性を調べていた会計検査院が撤去費は2億?4億円程度で済み、値引き額は最大約6億円過大だったと試算していることが25日、関係者への取材で分かった。
官僚の「忖度」が取り沙汰された問題は、税金の無駄遣いをチェックする機関からも、ごみ撤去費の積算に疑義が突き付けられる見通しとなった。検査院は関連文書の管理にも問題があったとみており、売却に関わった財務省と国土交通省の責任が改めて厳しく問われるとともに政府に詳しい説明を求める声が強まるのは必至だ。
検査院は詰めの調査を進め、両省(財務省・国土交通省)への指摘内容を年内にも公表する見通し。」
簡にして要を得た記事だが、本日の東京新聞は、さらに次のように報じている。
「国交省積算ごみ撤去費 森友値引き6億円過大 検査院が疑義」
「森友学園は2015年5月、財務省近畿財務局と国有地の定期借地契約を締結。その後、国有地の購入を申し出たことから、財務局は地中に埋まっていたごみの撤去費の見積もりを、以前に現場周辺の地下の埋設物を調査していた国交省大阪航空局に依頼した。
学園は「地下九・九メートルまでごみがある」と申告。航空局は詳細に調べ直さないまま、以前の調査を基に、土壌全体の47%にごみが混入しているとみなし、撤去費を約8億2千万円と算出。財務局は16年6月、この額を評価額の約9億5千万円から値引きし、約1億3千万円で売却した。
検査院が残された資料を検証したところ、47%というデータは、航空局が以前に現場の敷地を掘削した数十ポイントのうち、ごみが出てきた六?七割のポイントの土壌に限っての混入率だった。残る三割以上では、ごみが見つかっていないのに混入率に反映させていなかったという。検査院が計算し直したところ、混入率は30%程度で撤去費は約二億円にとどまった。別の計算方法を用いても四億円余りだったという。
ただ、撤去費単価に関する文書や、国と学園とのやりとりの記録は破棄されており、正確な見積もりはできなかった。検査院は文書管理の改善も求めるとみられる。
また、取材源が同じかどうかよく分からないが、産経も次のように報じている。
「森友への値引き額、6億円過剰 国有地売却、検査院が試算 『不適正』指摘へ 11月にも報告公表」
「大阪府豊中市の国有地が学校法人「森友学園」(大阪市)に小学校建設用地として評価額より安い価格で売却された問題で、売買価格や手続きが適正だったか調べていた会計検査院が、値引き額は最大6億円過剰だったと試算したことが25日、関係者への取材で分かった。売却価格が低く評価されているとして、「不適正」と指摘するもようだ。ただ、財務省や国土交通省と見解の相違もあることから、最終的な検査報告に反映されるかは流動的とみられる。11月中にも報告が公表される見通し。
問題の土地は、上空が大阪空港への飛行ルートに当たるとして、国交省大阪航空局が騒音対策のため保有していた小学校の建設用地(8770平方メートル)。土地の評価額は9億5600万円とされた。
ごみの撤去費用の算出は通常第三者が行うが、開校予定が迫っているとして国が対応した。財務省近畿財務局は国交省大阪航空局に撤去費の見積もりを依頼。航空局の見積もりではごみの量は1万9500トン、撤去費用などは8億2200万円と算定された。財務局は、土地の評価額からこの8億2200万円を差し引いた1億3400万円で森友学園側に売却していた。
関係者によると、検査院は撤去費は2億?4億円程度で済んだと試算。売却手続きの過程が妥当だったか疑問視しているもようだ。」
「会計検査院が、値引き額は最大6億円過剰だったと試算したこと」が書きぶりまで一致している。産経記事では、「財務省や国土交通省と見解の相違もあることから、最終的な検査報告に反映されるかは流動的とみられる」としているのが、気にかかるところ。
この件については、本年7月13日に、阪口徳雄弁護士や上脇博之教授らのグループ246人が、近畿財務局担当職員ら7人を背任容疑で大阪地検特捜部に告発している。この告発状には、独自の調査でゴミ撤去費用の適正価格を算定している。会計検査院も、ほぼ同様の見解に至ったということだ。
また、本年10月16日には、醍醐聰さんを代表とする「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」の有志103名が、7月13日告発後新たに公開された音声録音記録を証拠として、東京地検特捜部に告発状を提出した。告発対象は、池田靖氏(近畿財務局統括国有財産管理官・当時)の背任(刑法第247条)と、佐川宣寿氏(財務省理財局長・当時、現国税庁長官)の証拠隠滅(刑法第104条)である。
https://article9.jp/wordpress/?p=9335
選挙前の報道であれば、もっとインパクトが大きかったのにと残念だが、森友学園問題全容解明に明るい兆しが見えてきている。
加計学園問題については、選挙直後に加計学園獣医学部の設置なるだろうとの報道があったが、さすがにそんな露骨なことはできまい。
森友学園問題も、加計学園問題も、国民は忘れていないし、許してもいない。けっしてうやむやのうちに放置はしないと、発言を続けよう。
(2017年10月26日)