澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

自民党の参院選公約、本当のところを語りましょう。

自民党を代表いたしまして、2016年参院選(第24回)公約のエッセンスをかいつまんで解説申し上げます。

申し遅れましたが、わたくしアベ・シンゾーと申します。恥ずかしながら、自民党の総裁であり、日本のソーリ大臣でもあります(「そのとおり。全く恥ずかしい」と不規則発言する者あり。)。総裁はともかく、大臣って天皇の筆頭格の家来という意味。わたくし、陛下の臣であることを身に余る光栄と存じております。「ダイジン」、あるいは「おとど」って、とてもすばらしい響きではありませんか。誰がなんと言おうと、天皇あっての日本、天皇のための日本というのが私の信念。臣民一億総員が火の玉となって御稜威を輝やかせる、これが神武以来の我が国の国柄にほかなりません。今は、戦争に負けて、心ならずもGHQに押しつけられた「日本国憲法」によって、個人主義だの、自由主義だのがはびこる世になっていますが、これに終止符を打つための憲法改正が私の使命。そうして、本来の国柄とそれにふさわしい日本を取り戻すことができれば、私の本望とするところ。今回の参院選の公約の眼目は、実はこの点にあるのです。

私が使命とする憲法改正は、容易な企てではありません。GHQの陰謀に洗脳された一億総平和惚け国民の目を覚まして、日本人としての自覚を呼び起こすことなのですから、言わば国民の精神革命が不可欠なのです(「革命ではなく、反革命だろう」と不規則発言する者あり。)。

上ご一人に率いられた万邦無比の國体は金甌無欠、過去に間違ったことをしたはずはありません。特に、過ぐる大東亜戦争を、侵略戦争だの帝国主義戦争だなどとことさらに神州日本を貶めることは許せません。さらには、こともあろうに靖国に鎮まる護国の神々が皇軍の兵として活躍していた時代に、従軍慰安婦を辱めたなどと濡れ衣を着せるような、自虐史観を払拭しなければなりません。

皇国の富国強兵の必要を忘れて、平和主義などとうつつを抜かす輩に国防の精神を叩き込まねばなりません。精強なる国家を再興するためには、月々火水木金々の精神で文句を言わない勤労の精神を注入しなければなりません。個人の権利だとか、自由などを口にする前に、滅私奉公を行動で示すことを叩き込まねばなりません。

天皇を中心として一億国民が総結集することで、国は強くなり、国が栄えます。国防の武威あって初めて国民の安全が確保されます。国富が充実して初めて国民の経済も潤います。国が強く栄えずして、個人の幸せはあり得ません。「まずなによりもお国のため」「個人の利益は後回し」を徹底する国柄を作らねばならないのです。この精神は、自民党が下野していた時代に作った「自民党・日本国憲法改正草案」にしっかりと書き込んであります。

しかし、今述べたような私の本心を赤裸々に語っては、今の国民に受け容れてもらえないことは、よく承知しています。ですからどうするか。そりゃ決まっています。欺すのです。

世の中では、「嘘はいけないこと」とされていますが、政治は違います。なんのために政治はあるのか、立派な国を作り、そのことによって国民を幸せにすることなのですから、国民を幸せにするための嘘は許される。これがわたくしの強固な信念です。普通の人は、なかなかウソをつけない。それでは政治家失格です。私のように、政治家稼業三代目ともなれば、嘘をつく能力は生得のものとなっています。DNAに組み込まれているのです。

だから、「アンダーコントロール」で、「完全にブロックされています」と、平気で大ウソをついて、東京オリンピック誘致を成功させたではありませんか。もちろんあれは嘘です。でも、それでみんながハッピーになったのだから、なんの問題がありましょうか。

今回の参議院選公約もまったく同様なのです。本当の狙いは、憲法改正にあります。でも、そうあからさまには言わないのです。まずは、国民を欺して改憲に必要な議席をとること。議席をとってしまえば、しめたもの。そのあとに、国民の信任を受けたと言って、憲法改正に踏み切るのです。これが、作戦なのです(「ずるいぞアベ」と不規則発言する者多数あり)。

だから、マスコミ向けの記者会見では、「アベノミクスを加速するか、後戻りするか。これが最大の争点だ」と言っているのです。でも、ご存じのとおり、アベノミクスは、議席獲得のための手段、本当の目的は改憲の実現です。そんなことはお分かりでしょう。改憲が將、経済は馬。改憲を射んとして、まずはアベノミクスの矢を放っているのです。

もう、公然の秘密ですが、改憲を訴えれば票が逃げます。「改憲は自民党の党是。隠しているわけではないが、今は声を潜めた方がいい。参院で3分の2が取れたら改憲に動き出す。それが政治の世界」なのです。

良賈は深く蔵して虚しきが如し、というではありませんか。能あるシンゾーは、改憲の爪を隠しているのです。「選挙戦で改憲を訴えるつもりはありません。他にも訴えるべきことがあります」。これが、私のスタンス。

わたくしは、普段は産経新聞しか読まないのですが、本日(6月5日)の毎日新聞の切り抜きを見せられました。菅野完という人がズバリこう言っていますね。

「安倍晋三首相は憲法改正を目指しているが、選挙では経済政策アベノミクスや消費増税延期が与党の主張の前面に出て、憲法はかすんでしまうだろう」「選挙で憲法が争点にならなかったとしても、改憲勢力が参院で3分の2以上の議席を占めれば、首相が『民意を得た』と改憲に向けて動き出すだろう。これは2014年衆院選の自民党公約に小さく書き込んだだけの『安全保障法制の速やかな整備』に、翌年から積極的に取り組んだのと同じだ」「改憲の狙いは、まずは護憲派が想定する9条ではなく、『緊急事態条項』の創設や、伝統的家族観をうたう『家族条項』などがクローズアップされてくるはずだ」と。

菅野は、「有権者やメディアはこうした欺きを指摘しなければならない。安倍政権は憲法の何を変えようとしているのか。選挙の前に手の内を明かせと言う必要がある。」と言っていますが、わたくしが簡単に嘘を嘘と言うはずはありません。手の内を明かしてしまえば、マジックは成り立ちません。所詮は、シンゾー流ダマシのテクニックを皆さんに楽しんでいただきたいのです。

「人はパンのみにて生くるにあらず。政治は真のみにて成り立つにあらず。」
自民党の参院選公約とは、そんなものなのです。(「引っ込め、シンゾー」と不規則発言する者甚だ多く、以下聴取不能。)
(2016年6月5日)

明日注目の沖縄県議選投開票?翁長県政への県民の信任を願って

注目の沖縄県議選投開票が、いよいよ明日(6月5日)。公選法上、選挙運動は今日(4日)までとなる。日本の矛盾を象徴する沖縄の民意のあり方を問う選挙としても、参院選の前哨戦として全国の動向を占う選挙としても、さらにはアベ政権と最もシビアに対決している沖縄県政に対する、県民の信任の可否としても注目せざるを得ない。その県民の選択が、国政に大きく影響しないはずはない。

13選挙区で48議席が争われる。もっとも、辺野古を抱える最注目の名護市区(定員2名)が無投票で2人の当選が確定したという。無所属で県政与党の親川敬と、自民党の末松文信が、与野党で1議席を分け合うかたちとなった、と報じられている。

残る12選挙区・46議席を69人の立候補者が明日県民の審判を受けることになる。名護選挙区を含む全立候補者は71名。政党別の内訳は、自民19、民進1、公明4、共産7、おおさか維新3、社民6、地域政党の沖縄社会大衆3、諸派5、無所属23。与野党別では、翁長知事与党36人、野党22人、中立13人。辺野古移設計画には、反対44、容認13、推進2(その他・無回答が12)と報じられている。

告示後選挙期間中の5月30日?6月1日、地方紙琉球新報社と沖縄テレビ放送が合同で世論調査を実施している。

最も注目された設問が、米軍属女性遺棄事件についての「米軍関係者の事件事故の防止策」である。県民が選択したトップは、「沖縄からの全基地撤去」(42・9%)だった。全基地撤去に賛否を問うての賛成4割の回答ではない。繰り返される女性に対する暴行殺害事件の再発防止策のトップが、「全基地撤去」であり、4割を超す県民の意見だということの意味は重い。「全基地撤去」の次が「在沖米軍基地の整理縮小」(27・1%)と続き、「兵員への教育の徹底」は19・6%だった。

5月26日の臨時県議会は、自民党議員退席後の全会一致で、初めて「海兵隊の全面撤退」の抗議決議を採択した。上記琉球新報世論調査では、「海兵隊の全面撤退」を求める意見が52・7%。「大幅に減らすべきだ」の31・5%を上回っている。また、日米地位協定については79・2%が改定・撤廃を求めた。

関心が集まる「米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設」には、83・8%が反対と回答している。そして、「米軍属女性遺棄事件」後の安倍内閣の対応について、70・5%が「支持しない」と答えている。これこそ、オール沖縄の総意というべきだろう。

調査を実施した琉球新報は、「辺野古移設への反対は‥12年12月の安倍政権発足以降の調査で最も高い値となった。普天間飛行場の移設はどうあるべきか聞いたところ、『国外移設すべきだ』が最も多く31・5%、次いで『すぐに閉鎖・撤去すべきだ』が29・3%、『県外移設すべきだ』が23・0%だった。」と解説している。アベ政権が「辺野古移転が唯一の策」と躍起になっている「辺野古移設計画を進めるべきだ」を支持する県民の意見は、9・2%に過ぎない。

日米地位協定についての県民の見解には注目しなければならない。
「全面撤廃」が34・3%、「根本的改定」が44・9%。両者を合わせると8割に近い。政府が掲げる「運用の改善」は15・2%。「自民党支持者でも63・6%が改定・撤廃を求めた」とされている。

日米安保条約については、「破棄すべきだ」が19・2%、「平和友好条約に改めるべきだ」が42・3%。「(現状のまま)維持すべきだ」は12・0%に過ぎない。これは瞠目すべき調査結果ではないか。

この調査結果に表れた沖縄県民の反基地感情の高揚に関して、菅義偉官房長官は昨日(3日)の記者会見で「真摯に受け止めたいと思う」「具体的に政府としてできることを関係省庁で早急に決めて、すぐにでもスタートする」などと述べ、同日午前に開かれた「沖縄県における犯罪抑止対策推進チーム」で取りまとめられた対応策を早急に進める考えを示した(琉球新報)と報道されている。

真摯な対応となれば、普天間早期返還実現、辺野古新基地建設断念、日米地位協定抜本改定、そして安保条約改定による非軍事同盟化とならざるを得ない。選挙直前だから「真摯に受け止めたいと思う」くらいは言っておこうとしか聞こえない。

この沖縄県民の民意がそのまま投票に反映すれば、県政与党の圧勝となるはず。アベ政権の改憲策謀に小さくない蹉跌をもたらすことになる。目前の参院選で、改憲阻止勢力を元気づけることにもなる。

共産、社民、民進、沖縄社大、そして与党系無所属の全候補者に声援を送りたい。是非最後までがんばって当選を勝ち得ていただきたい。一方、自民、公明、おおさか維新、野党系無所属の改憲推進派各候補者には声援を送らない。是非とも議席を減らしていただきたい。平和のために、人権のために、民主主義のために、何よりも沖縄県民の安全のために。そして、沖縄の犠牲をいとわないアベ政権への痛打のために。
(2016年6月4日)

甘利不起訴ー検察審査員諸君、今君たちに正義の実現が委ねられている。

上脇博之政治資金オンブズマン共同代表(神戸学院大学教授)らが、被疑者甘利明らを告発したのが本年4月8日。同告発に対して東京地検特捜部は、5月31日付けで不起訴処分とした。
その処分通知は下記のとおりまことに素っ気ないもの。

  処分通知書
 平成28年5月31日
 上脇博之 殿
   東京地方検察庁 検察官検事 井上一朗 職印
 貴殿から平成28年4月8日付けで告発のあった次の被疑事件は,下記のとおり処分したので通知します。
   記
1 被疑者   甘利明,清島健一,鈴木陵允
2 罪 名   公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反,政治資金規正法違反,公職選挙法違反
3 事件番号  平成28年検第14913? 14915号
4 処分年月日 平成28年5月31日
5 処分区分不起訴

**************************************************************************
これに対して、本日(6月3日)付で東京検察審査会宛に、下記のとおりの審査申立がなされ、甘利の起訴の有無は、検察審会の判断に委ねられた。
この申立の代理人弁護士は49名。その代表者が大阪弁護士の阪口徳雄君。私も、ワンノブ49sである。

  審査申立書
 2016年6月3日
東京検察審査会 御中
  別紙代理人目録記載の弁護士49名
 被疑者 甘 利 明
 被疑者 清 島 健 一
 被疑者 鈴 木 陵 允
申立の趣旨
 被疑者甘利明、清島健一および鈴木陵允らの下記被疑事実の要旨記載の各行為についてのあっせん利得処罰法および政治資金規正法に違反する告発事件について、「起訴相当」の議決を求める。

申立の理由
第1 審査申立人及び申立代理人
 審査申立人:上脇博之(別紙審査申立人目録記載の通り)
 申立代理人:別紙代理人目録記載のとおり

第2 罪名
 あっせん利得処罰法違反及び政治資金規正法違反

第3 被疑者
 甘利明、清島健一および鈴木陵允

第4 処分年月日
 2016(平成28)年5月31日

第5 不起訴処分をした検察官
 東京地方検察庁 検事 井上一朗

第6 被疑事実の要旨
 別紙告発状記載の通り

第7 検察官の処分
 不起訴処分。理由は嫌疑不十分。なお理由は処分した検察官からの電話で、代理人代表弁護士が「嫌疑不十分」と聞いただけであり、どの事実についてどのように証拠がなく、嫌疑不十分となったかの質問をしたが、それは答えられないと拒否された。従って、報道されているように「権限に基づく影響力の行使」を『いうことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をした結果不起訴になったか否かは不明である。

第8 不起訴処分の不当性
1 本件は政権の有力政治家の介入事件である
 本件告発事件は、閣僚として政権の中枢にある有力政治家(被疑者甘利明)事務所が、民間建設会社の担当者からURへの口利きを依頼されて、URとのトラブルに介入して、その報酬を受領したという、あっせん利得処罰法が典型的に想定したとおりの犯罪である。同時に、口利きによる報酬であることを隠蔽するために、政治資金規正法にも違反し、不記載罪を犯した事件である。
2 あっせん利得処罰法の保護法益
 あっせん利得処罰法の保護法益は、「公職にある者(衆議院議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に姑する国民の信頼」とされている。政治の廉潔性に対する国民の信頼と言い換えてもよい。本件の被疑者甘利明の行為は、政治の廉潔性に対する国民の信頼を著しく毀損したことは明白である。
 しかも、通例共犯者間の秘密の掟に隠されて表面化することのない犯罪が、対抗犯側から覚悟の「メディアヘの告発」がなされ、しかも告発者側が克明に経過を記録し証拠を保存しているという稀有の事案である。世上に多くの論者が指摘しているとおり、この事件を立件できなければ、あっせん利得処罰法の適用例は永遠になく、立法が無意味だったことになろう。
 被疑者らが、請託を受けたこと、したこと、URの職員にその職務上の行為をさせるようにあっせんをしたこと、さらにその報酬として財産上の利益を収受に疑問の余地はないと思われる。
3 検察の不起訴処分は政権政党の有力大臣であった者への「恣意的」で「政治的」な不起訴処分である
 検察は国民の常識から見て起訴すべき事案を、もし報道されているように検察官が「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をしたというのであれば、その解釈は被疑者が政権政党の有力大臣であったことによる『恣意的』で『政治的』な限定解釈であると断じざるを得ない。
 第1に「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などのような一般的な制限的解釈は正しくはない。条文に「その権限に基づき不当に影響力を行使」したとか言う「行為態様」に関して一切の制限をしていない。
 権限に基づくという影響力の行使とは、行為態様が強いとか弱いとかいうのではなく、国会議員が有する客観的地位、権限に基づき影響力の行使を言うのであって、その影響力の行使の「態様」を制限していないのである。それをあたかも「影響力の行使」の「態様」について『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという制限的な態様を解釈で補充することは検察の極めて恣意的な解釈であると同時に検察の「立法」に該当する。あっせん利得処罰法の保護法益は前記に述べたように政治家はカネを貰って斡旋行為をすることを禁じた法律であり、政治家などの政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼が毀損された場合は処罰する法律であって、その権限の行使態様には一切の制限がないのである。確かに一般の国会議員等が関係機関に要請した場合または口利きのみの行為を罰することは正しくない。しかし、国会議員等の要求、口利きであつてもその「行為」の報酬としてカネを貰うという「議員等とのカネでの癒着による権限に基づく影響力の行使」行為を罰するのであつて、通常の政治家の要請行為を罰するものではない。
 第2に本件の場合は安倍政権の有力大臣であり政治家の「要請」行為であったからこそ、UR側は当初は補償の意思がなかったのに2億2000万円まで大幅に補償額を上乗せして支払っているのである。この結果=社会的事実は甘利大臣側がどのような言葉で要請したかではなく、安倍政権の有力政治家が有する「権限に基づく影響力の行使」という客観的な地位、権限があったからこそ、UR側は飛躍的に補償額を上乗せしたのである。『言うことを聞かないと国会で取り上げる』と言ったとか、言わなかったかの問題でなく、当時の甘利大臣の飛ぶ鳥を落とす「地位」「威力」「権限」があったからこそ、UR側も要求に応じたのである。例えが悪いが巨大な指定暴力団の有力幹部が横に座つているだけで一言も発しなくてもその「威力」に負けて要求に応じるのと同一の構造である。
 第3に、本件は決して軽微な事案ではない。「週刊文春」などの報道によれば、被疑者甘利らが、本件補償交渉に介入する以前には、UR側は「補償の意思はなかった」(週刊文春)、あるいは「1600万円に過ぎなかった」とされている。ところが、被疑者らが介入して以来、その金額は1億8000万円となり、さらに2億円となり、最終的には2億2000万円となつた巨額の事件であり、甘利側が貰った金額も巨額である。今回の事件は、有力政治家の口利きが有効であることを如実に示すものであり、これを放置すると多くの業者などが、政権政党の有力大臣や有力政治家に多額のカネを払い、関係機関に「口利き」を要請する事態が跋扈することになろう。これを払拭するために、本件については厳正な捜査と処罰が必要とされている。
4 告発事実の事実関係、政治資金規正法違反について
 別紙告発状記載の通り
5 結語
 本件のような、政権政党の有力大臣や有力政治家による口利きがあったことが明白な事件においてあっせん利得処罰法の適用ができないということになれば、「公職にある者(国会議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼」を保護することなど到底できないことになる。そして、今後政治家による「適法な口利き」が野放しとなり、国民は政治活動の廉潔性を信頼することがなくなり、政治不信が増大することとなる。
 口利きによる利益誘導型の政治が政治不信を招き、それを防止するために制定されたあっせん利得処罰法の趣旨を十分理解したうえで、検察官の不起訴処分に対して法と市民の目線の立場で「起訴相当」決議をしていただきたく審査請求をする次第である。ちなみにあっせん利得処罰法違反で500万円を受領した事件の時効は本年8月20日に満了する。早急に審査の上、起訴相当の議決をして頂きたい。
 **************************************************************************
不起訴処分と同時に、甘利の政治活動への復帰が報じられている。甘利本人にとっても、起訴は覚悟のこと、不起訴は望外の僥倖と検察に感謝しているのではないか。不起訴処分は、限りなくブラックな政治家を甦らせ、元気を与えるカンフル剤となる。それだけではない。政治家の口利きは利用するに値するもので、しかも立件されるリスクがほぼゼロに近いと世間に周知することにもなる。

これでは、あっせん利得処罰法はザル法というにとどまらない。あっせん利得容認法、ないしはあっせん利得奨励法というべきものになる。

こんなことを許してはならない。巨額のカネが動いたのは事実だ。甘利自身、薩摩興業の総務担当者から、大臣室で現金50万円、地元神奈川県大和市の甘利事務所で50万円を直接受けとっている。この金が口利き料としてはたらいたことも明らかではないか。薩摩興業は、最終的にはURから2億2000万円の補償金を得ている。この現金授受と口利きの事実、口利きの効果が立証困難ということはありえない。「知らぬ存ぜぬ」は通らない。「秘書が」の抗弁もあり得ない。

有罪判決のハードルが、もっぱら構成要件の解釈にあるのなら、当然に起訴して裁判所の判断を仰ぐべきである。有罪判決となれば、立法の趣旨が生かされる。仮に法の不備から無罪となれば、そのときには法の不備を修正する改正が必要になる。いずれにせよ、検察審査会は単に不起訴不当というだけではなく、国民目線で、起訴相当の議決をすべきである。そうでなければ、政治とカネにまつわる不祥事が永久に絶えることはないだろう。

検察審査員諸君、あなたの活躍の舞台ができた。せっかくの機会だ。このたびは、あなたが法であり、正義となる。政治の浄化のために、民主主義のために、勇躍して主権者の任務を果たしていただきたい。
(2016年6月3日)

「6月5日川崎ヘイトデモ」に禁止仮処分命令ーデモ参加者には不法行為損害賠償責任

本日(6月2日)、横浜地方裁判所川崎支部が、以下の仮処分命令を出した(仮処分事件では、申立てた者を「債権者」、申し立てられた相手方を「債務者」という)。

当裁判所は,債権者に債務者のため30万円の担保を立てさせて,次のとおり決定する。
主文 債務者は,債権者に対し,自ら別紙行為目録記載の行為をしてはならず,又は第三者をして同行為を行わせてはならない。
行為目録
債権者(社会福祉法人)の主たる事務所(川崎市川崎区桜本○丁目△番□号)の入口から半径500m以内(別紙図面の円内)をデモしたりあるいははいかいしたりし,その際に街宣車やスピーカーを使用したりあるいは大声を張り上げたりして,「死ね,殺せ。」,「半島に帰れ。」,「一匹残らずたたき出してやる。」,「真綿で首絞めてやる。」,「ゴキブリ朝鮮入は出て行け。」等の文言を用いて,在日韓国・朝鮮人及びその子孫らに対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命,身体,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し,又は名誉を毀損し,若しくは著しく侮辱するなどし,もって債権者の事業を妨害する一切の行為

これはすばらしい決定だ。「ヘイトスピーチを行う個人や団体に行為の禁止を認める仮処分決定は、京都地裁が『在日特権を許さない市民の会』(在特会)などに対し、京都朝鮮第一初級学校(京都市)近くでの演説禁止などを命じた決定(2010年)に続き、2例目とみられる。」と報道されているが、今回の仮処分はヘイトスピーチ対策法成立後のこの時期、天下の耳目を集めてのもの。影響は大きい。

仮処分命令は「地図上に同法人の事務所から半径500メートルの円を描いて、このなかのヘイトデモを禁止する」という内容。警察は、デモ隊がこのエリアで「デモしたりあるいは徘徊したり」することを阻止しなければならない。制止を無視するヘイトスピーチデモ参加者を、威力業務妨害で逮捕もしなくてはならない。

これから続々と同種仮処分の活用が日常化していくことになるだろう。ヘイトデモ禁止に実効性を有する仮処分戦術が進歩していくだろう。仮処分だけでなく、仮処分の取得をテコにした警察警備のあり方も厳格化されていくだろう。何よりも、仮処分だけでなく本訴の活用にも大きく道が開けた。この仮処分決定は、理由中で「ヘイトデモにおける差別的言動は、平穏に生活する人格権に対する違法な侵害行為に当たるものとして不法行為を構成する」と明記した。しかも、「人格権を侵害する程度が顕著」とも断じている。その結果、ヘイトデモ主宰者や幹部企画者だけでなく、すべての差別デモ参加者が共同不法行為の責任を負わねばならないことになる。損害賠償責任が生じ、ヘイトデモ参加者個人に対する財産の差押えができることになる。

決定書を見ると、債権者は、「在日大韓基督教会川崎教会を母体として社会福祉法人の認可を受けた川崎市内桜本地区の社会福祉法人で、その目的として,人種・国籍・宗教のいかんを問わず,福祉サービスを必要とする者が,心身ともに健やかに育成され,又は社会,経済,文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられることを目指し,個人の尊厳を保持しつつ,自立した生活を地域社会において営むことができるよう支援し,共生社会を実現することを掲げている」という。

裁判所の認定によれば、「川崎市臨海部は,戦前から,在日コリアンと呼称される在日韓国・朝鮮人(その子孫らを含む。以下同じ。)が多数居住する地域であり,特に債権者の事務所が所在する川崎市川崎区桜本地区はその集住地域であり,そのことは広く知られている。債権者は,同地区において,民族を理由に入園を断られた子供を受け入れる保育園を設立する,学校で孤立する在日コリアンの居場所を作る,在日1世の高齢者の福祉も手掛けるなど,民族差別解消・撤廃に向けて取り組み,社会福祉事業を行ってきたものであり,現在,同地区内ないしその周辺において,計9か所の拠点で,保育所,児童館,高齢者・障害者交流施設,通所介護施設等の施設を運営している。債権者の事業所及び施設は,債権者の主たる事務所の入口から半径500m以内(別紙図面の円内)に所在している」という。だから、ここが差別主義者の標的になるのであり、だからこそ卑劣な攻撃から防衛しなければならないわけだ。

裁判所は、住民の人格権尊重と、憲法21条の表現の自由との調整について、次のように判示している。やや長いが重要個所として引用しておきたい。

「人格権の侵害行為が,侵害者らによる集会や集団による示威行動などとしてされる場合には,憲法21条が定める集会の自由,表現の自由との調整を配慮する必要があることから,その侵害行為を事前に差し止めるためには,その被侵害権利の種類・性質と侵害行為の態様・侵害の程度との相関関係において,違法性の程度を検討するのが相当である。しかるところ,その被侵害権利である人格権は,憲法及び法律によって保障されて保護される強固な権利であり,他方,その侵害行為である差別的言動は,上記のとおり,故意又は重大な過失によって人格権を侵害するものであり,かつ,専ら本邦外出身者に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で,公然とその生命身体,自由,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し,又は本邦外出身者の名誉を毀損し,若しくは著しく侮辱するものであることに加え,街官車やスピーカーの使用等の上記の行為の態様も併せて考慮すれば,その違法性は顕著であるといえるものであり,もはや憲法の定める集会や表現の自由の保障の範囲外であることは明らかであって,私法上も権利の濫用といえるものである。これらのことに加え,この人格権の侵害に対する事後的な権利の回復は著しく困難であることを考慮すると,その事前の差止めは許容されると解するのが相当であり,人格権に基づく妨害予防請求権も肯定される。」

この仮処分命令申立は5月30日で、予告された6月5日のデモを禁止する必要から、急ぎ本日(6月2日)発令となった。ただし、期限は6月5日までと区切られていない。その後もなお、有効なのだ。

また、デモの主催者は、市内2カ所の公園利用を市に申請していたが、市は5月末に不許可としている。市民の意識が中心となり、自治体や裁判所の手を借りることで、「日本の恥」というべきヘイトスピーチデモを根絶することができそうな予感がする。

安倍政権登場とともに、ヘイトデモは跋扈し始めた。ヘイトスピーチを許容する社会の雰囲気が安倍政権を作った側面もあろうし、安倍政権の右翼的体質がヘイトスピーチデモを煽ったことも否定し得ない。しかし、あまりにひどい差別言動には、さすがの安倍政権も距離を置かざるを得ない。世論に押される形で、政権には不本意なヘイトスピーチ対策法が成立し、川崎市もヘイトスピーチデモ排除に乗り出している。このタイミンクでの仮処分決定は、まことに貴重だ。勇気をもって、申し立てた関係者と、代理人の弁護団に敬意を表する。
(2016年6月2日)

民主主義ってなんだ? 民主主義による戦争ってなんだ?

昨日の「日記」に、我流の「天網恢々」解釈を書いたところ、知人から「司馬遷の『天道是か非か』まで想起され、頷きながら最後まで読み通しました」という、冷や汗の出るような感想に接した。

「天道是か非か」。是であって欲しいと願いつつも、誰もが過酷な非の現実に打ちのめされる。天を怨み、神の沈黙に戸惑い、神も仏もないものかと嘆くのが、いつの世にあっても、人の常だ。

実は、民主主義も「天道」に似ている。平和や人権を擁護する民主主義であって欲しいと願いつつも、民主主義の名の下の過酷な現実に打ちのめされる。選挙結果を嘆き、政権を怨み、憲法の沈黙をいぶかしむ。民主的手続で構成された安倍政権が特定秘密保護法を作り戦争法を強行し、武器輸出3原則もなげうって戦争のできる国への危険な道を歩みつつある。これが民主主義か、こんなはずではと悩むのが今の世の常だ。

ネットで、民主主義を怨嗟する自分の文章を見つけた。8年前に「法と民主主義」へ寄稿したもの。ほんの少しだけ手直しして再掲してみる。

▼東京都の知事が学校での「日の丸・君が代」強制に躍起になっている。大阪府の知事は、「くそ教育委員会」とまで悪罵を投げつけて学力テストの結果公表に固執している。傲慢で反憲法的な両知事の姿勢は、「民意」に支えられている。
 政権与党による米軍への基地提供も、自衛隊海外派遣策も、積極・消極の「民意」が実現してきた。格差社会を産み出した「構造改革」も、小泉政権を支持した選挙民の選択の結果にほかならない。

▼多数決原理はかくも危うい。47年教育基本法の前文が述べるとおり、「憲法に示された理想の実現は根本において教育の力にまつべきもの」であろう。教育の力が顕現するまでの相当な期間、選挙に表れた民意と憲法理念との大きな乖離は現実であり続ける。思想的・政治的少数派にとって、民主主義原理は味方ではないというにとどまらない。切り結ぶべき相手方の武器となっている現実がある。

▼だからこそ、人権という理念の重要性が強調されなければならない。いかなる民意も人権を侵害することはできない。民主主義という手続き的価値には、人権という実体的価値に譲らざるを得ない限界がある。民主主義ではなく、人権こそが至高の価値である。このことは、もっと語られなければならない。
 たとえ、社会の圧倒的多数が「学校行事で国旗を掲げ国歌を斉唱することが教育上望ましい」と望んだにせよ、自己の尊厳をかけて「日の丸に対して起立し、君が代を歌う」ことを拒否する人に強制することは許されない。それが、憲法の精神的自由条項の冒頭に人権としての思想・良心の自由を定めた意味である。
 「多数が立つとも、我は立たず」「多数が歌えども、我は歌わず」は、基本的人権保障の名の下に認められなければならない。

▼ところで、国民多数が戦争を望んだ場合はどうだろうか。民主主義政権の戦争である。
 「国家が戦争をしても、我は参加せず」との命題は、ほとんど意味をなさない。国家が戦争という選択をした場合に、全国民に戦争の惨禍を逃れる術はないからである。良心的に兵役を拒否しても、事態は変わらない。平和に生きる権利とは個人限りで実現する権利ではない。したがって、国家に戦争をさせないよう働きかける権利と観念するしかない。
 いうまでもなく、憲法とは人権保障の体系である。人権を保障するために、立憲主義があり、権力の分立があり、司法の独立があり、制度的保障がある。

▼信仰の自由という人権をより強固に保障するために政教分離という制度がある。学問の自由という人権擁護のために大学の自治がある。国民の教育を受ける権利の蹂躙を防止するために、権力による教育への支配が禁じられる。
 まったく同様に、国民一人ひとりの平和に生きる権利を保障するために、憲法は九条を定めて戦争を禁止し戦力を放棄した。平和的生存権を具体的な人権と考え、九条はその人権保障のための制度と考えるべきである。人権としての平和的生存権の具体的内容は、国家に対して九条を厳格に守らせ、戦争につながる一切の行為を避止させる権利でなければならない。

以上の記事は「法と民主主義」のアーカイブ。下記のURLで読める。
  http://www.jdla.jp/houmin/2008_10/#totteoki

同じサイトに、「法民」編集長佐藤むつみさんが訪ね人となった『とっておきの一枚』シリーズ、市吉澄枝さん(夫とともに治安維持法弾圧経験者・戦後税理士)のインタビューが読ませる。市吉さんは先日(本年5月25日)逝去との報せ。享年93。野蛮な戦前社会で、天道の非を身をもって経験された方を、また一人失った。ご冥福をお祈りする。
(2016年6月1日)

甘利不起訴?そりゃアマリにひどい。法はザルか、底の抜けたバケツか。

天網恢々疎にして漏らさず(『老子』では「失わず」)、とは情けない諺。普通の理解は、「悪を捕らえる天の法網は、一見網の目が粗くて諸悪がすり抜けられそうなのだが、実は逃しはしないのだ。国法が目こぼししても、やがては天の網に捕らえられる」というくらいの含意。しかし、天の網の目を密と言わずに、疎といっている。なんとも微妙な言い回しではないか。

庶民はみんな知っている。政治家を縛る諸法はすべてザルであることを。権力には、巨悪を眠らせずにおくものか、という気迫のないことも。昔から、庶民は、「国法が見逃しても、きっと天の網が、奴らを捕らえてくれるはずさ」と、自らを慰めてきた。学のある者が、そのような民衆の気分を上手に文章にまとめたのが、「天網恢々」だ。いつかはきっと、あいつに天罰が下る。だから、怪しからんと憤ったり、ワーワー騒がなくてもよいのだ、と。

この法諺は、「天皇に道義的政治的責任はあっても、法的責任はない」「だから、東京裁判の起訴は免れた」「しかし、天網恢々…、その戦争責任をいつかは必ず天の網が裁くはず」と使われた。でもまた、誰もが知っている。結局のところはこれも願望に過ぎないことを。実際に、天皇はその後40年余も永らえて、天の網に捕らえられて裁かれたか…、誰も知らない。

「法は蜘蛛の巣だ。チョウはつかまり、カブトムシは破る」このリアリティを糊塗するための、天網恢々のたわごと。そんなことを考えざるをえないのは、今朝の朝刊に「甘利不起訴の方向」の記事を見てのこと。検察からのメディアのリークとして、根拠のない記事ではないと思っていたら、午後には「東京地検 甘利を不起訴に」の報道。

今朝の毎日の記事は、こうだ。
<甘利氏>不起訴へ 東京地検、任意で聴取 現金授受問題
「甘利明前経済再生担当相(66)=1月辞任=を巡る現金授受問題で、東京地検特捜部が甘利氏本人から任意で事情を聴いたことが分かった。甘利氏は都市再生機構(UR)が建設会社「薩摩興業」(千葉県白井市)に約2億2000万円を支払った交渉への関与などを否定したとみられる。甘利氏と元秘書2人については、あっせん利得処罰法違反などの疑いで告発状が出されているが、刑事責任を問うことは難しいとの見方が強く、特捜部は近く3人を不起訴処分とする方向で調整している。…UR関係者は『13年度中に契約を結ぶために交渉を急いでいた』と話し、甘利氏や元秘書が交渉に与えた影響を否定した。」
「同法違反での立件には、国会議員としての『権限に基づく影響力の行使』があったことを立証する必要があるが、捜査ではそうした証拠は得られなかったとみられる。」

この事件は、あっせんを請託した者が、自らの刑事訴追を覚悟して、甘利のあっせん利得処罰法違反を世間に暴露したものだ。稀有の事例と言ってよい。これで、立件できないとすれば、法はザルだ。密なる網でもなければ、疎なるザルですらない。底の抜けたバケツというべきではないか。必要性あって、せっかく作った「あっせん利得処罰法」が発動されることは今後一切あるまい。この運用で、「あっせん利得処罰法」は名前を変えざるを得ないだろう。「あっせん利得容認法」、あるいは「あっせん利得奨励法」だ。だから、政治家稼業は辞められない。

もう一度、あっせん利得処罰法の条文をよく見よう。
同法第1条(公職者あっせん利得)の構成要件は以下のとおりである。
(犯罪主体) 衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長(以下「公職にある者」という。)が、
(犯罪行為) 国若しくは地方公共団体(URを含む)が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、
請託を受けて、
その権限に基づく影響力を行使して公務員(UR職員を含む)にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、
その報酬として財産上の利益を収受したときは、
(刑罰)三年以下の懲役に処する。

問題は、「その権限に基づく影響力を行使して」の立証の困難ということのようだ。「その権限に基づく影響力」とは、「甘利が国会議員として有している広範な権限の影響力」である。UR側が甘利事務所の口利きを無視し得ず、交渉を重ねざるを得なかったこと、甘利事務所が口利きをした保証金交渉で譲歩したのは、「その権限に基づく影響力の行使」ゆえではないか。立件し、裁判所の判断を仰ぐべきが筋であろう。

到底、天網に委ねて済む問題ではない。告発事件が不起訴の通知があれば、検察審査会への審査申し出とならざるを得ない。
(2016年5月31日)

核なき世界を求めて第五福竜丸は今なお航海中ー展示館開館40周年

昨日(5月29日)、「第五福竜丸展示館開館40周年記念レセプション」が、賑々しく行われた。主催は公益財団法人第五福竜丸平和協会、参加者は核廃絶運動に真摯に関わってこられた方々。会場はクラシック然たる神田の学士会館であった。

都立第五福竜丸展示館は1976年6月10日に開館している。その都立第五福竜丸展示館の管理を担っているのが、第五福竜丸平和協会。協会の活動に関しては、ぜひとも下記のサイトをご覧いただきたい。私は、浦野広明さんとともに、監事を務めている。
  http://d5f.org/kyokai.html

協会の定款第3条は、「この法人は、昭和29年3月1日ビキニ水爆実験の被災船第五福竜丸を記念し、原水爆被害の諸資料を収集・保管・展示することにより、都民をはじめ広く国民の核兵器禁止・平和思想の育成に寄与することを目的とする。」と謳っている。船体の保存は意義ある重要なものだが、協会はこれを自己目的化しているわけではない。目的は飽くまで「核兵器禁止・平和思想の育成」なのだ。「育成」という用語が気になる方は、「涵養」「普及」「啓発」あるいは「訴え」「呼びかけ」とでも、読み替えていただきたい。

核爆弾が実戦においてその残虐な威力を示したのは1945年8月の広島と長崎だった。広島投下の原爆はウラン型。長崎のものはプルトニウム型。その7年後、52年にアメリカは南太平洋のエニウェトク環礁で初の水爆実験を行う。そして、1954年3月から5月にかけてアメリカは一連の最大級水爆実験をビキニ環礁で行う。キャッスル作戦と名付けた6回の実験の最初のものが、3月1日の15メガトン水爆「ブラボー」だった。ブラボーの爆発力は、広島に落とされた原爆の1000倍である。なんという脅威、そしてなんというふざけた命名。

たまたま近海で操業していてたマグロ漁船・第五福竜丸は、爆発地点から160キロの距離で被災することになる。未明、太陽が西に昇ったと思わせる閃光の後に、乗組員23名が珊瑚礁の死の灰を浴びることになった。これが「3・1ビキニ事件」。「急性放射線症」で全員が入院した後、最年長の通信士久保山愛吉さんが半年後に逝去される。その命日は9月23日、「久保山忌」である。

久保山さんの遺言「原水爆の被害者はわたしをさいごにしてほしい」という言葉を刻した「久保山愛吉碑」が、展示館の裏庭に建立されている。その書体は、三宅泰雄(協会初代会長)の筆になるもの。

こうして、原爆だけでなく、水爆の犠牲者としても日本人の名が歴史にきざまれた。広島・長崎だけでなく、第五福竜丸も核による悲惨な歴史の告発者であり証人なのだ。

昨日のレセプションでは「都立第五福竜丸展示館 40年のあゆみ」と表題した64頁のパンフレットが配布された。同パンフレットには付録「世界の核爆発実験年表」がついている。これによると、これまでの「爆発をともなう」核実験数は2061回。それ以外に「爆発をともなわな」核実験として、「アメリカ39回、ロシア10数回」があるという。

そして、まだ世界には、アメリカ(7200個)」、ロシア(7500個)をはじめとして、イギリス・フランス・中国・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮が、核弾頭をもっている。核拡散の危険も払拭できない。

現実に被爆した、歴史の証人としての第五福竜丸は、多くのことを語っている。また、多くの人が、この船体を囲んで、多くのことを語りあい、語り継いでいる。まさしく、核なき世界を目指して「第五福竜丸は航海中」(被爆60年記念記録集の表題)なのである。

ところで、この「都立展示館」の開設は、廃船とされ捨てられていた第五福竜丸保存を求める市民運動を当時の都政が受け止めた結果である。当時の美濃部革新都政の姿勢を表明する「歴史的な」一文をご紹介しておきたい。展示館開館の2年前、第五福竜丸保存を目指して第五福竜丸保存協会が発足したときの「平和協会ニュース・第1号」への寄稿である。

憲法や平和運動に敵意を剥き出しにした石原都政や、みっともなさをさらけ出した舛添都政との恐るべき絶対格差に慨嘆せざるを得ない。われわれは再び、美濃部時代の真っ当な都政を手にすることがあるだろうか。

「平和協会に期待する」 東京都知事 美濃部亮吉
 第五福竜丸の保存を通して、平和と人道のためのたたかいを根気よく進めてこられたみなさんが、さらにその活動を拡大発展させるため、去年の暮、新たに財団法人第五福竜丸保存平和協会を設立されました。
 当然のこととはいえ、この運動は何一つ権力や財力に依存しない純粋な市民の善意と勇気だけでおし進められてきたものです。また、居丈高な絶叫や人目を驚かす街頭デモなどでなく、静かな情熱と知的な訴えによってささえられてきたものです。そういうみなさんの活動が、とかく先細りしがちなこの種の運動の中で、多くの困難をのり越えて着実に歩み続けてきたばかりか、今回の設立によっていっそう豊かな展望を持つ新たな段階に進まれたことに心から敬服し、その未来に熱い祝福をお送りいたします。
 いま、狂ったようなインフレの昂進によって、市民の生活は日々深い危機にさらされています。この混乱と不安をもたらしたものが、市民の立場をかえりみず、もっぱら資本の論理と利益に奉仕してきた高度経済成長政策であることは言うまでもありません。かつて私たちをあの悲惨な戦争にまきこんだものも、当時の日本の特殊な条件の下で進められた資本の論理と利益ではなかったでしょうか。私たちは、そのような根が生き続けていることに警戒を怠ってはなりません。
 それにしても、今日、内外の条件はそのころと一変し、戦争を喰いとめ平和を進めようとする各国市民の力は前例のない規模に達しています。みなさんの活動は、その責重な一環をなすものです。この力をますます強めなくてはなりません。第五福竜丸の小さな船体は、人々の心を戦争への怒りと平和への決意に駆りたてる大きなシンボルです。それは、平和をそこない、人間をしいたげるすべてのものに対し、私たちが何をしなければならないかを生々しく語りかけています。私は、みなさんの運動に心からの拍手と連帯をお送りし、協会のご発展に期待いたします。

なお、都立第五福竜丸展示館の開館時間は、9:30?16:00。入場無料である。
協会支援の下記賛助会員の制度がある。会員としてご支援いただけたら幸甚です。
1.賛助会員
第五福竜丸だよりはじめイベントのご案内などを差し上げます。(年会費:個人5千円・団体1万円)
2.ニュース(福竜丸だより)会員
会員様のご自宅へ「福竜丸だより」をお送りいたしております。(年会費:個人2千円 )

協会への連絡方法は下記のとおり。
東京都江東区夢の島3-2 夢の島公園内
TEL:03-3521-8494 FAX:03-3521-2900
アクセスは、http://d5f.org/access.html
(2016年5月30日)

「リーマンに濡れ衣着せて頬被り」?この頬被りを許すのか、世界が日本の有権者を見守っている。

昨日(5月28日)の朝日川柳欄。入選7句のうち、3句が同じテーマ。さすがに達者な出来映え。

 リーマンもショックで逃げる景気観(東京都 秋山信孝)
 消費税延期のためのG7(大阪府 片柳雅博)
 珍説を咎めず客がおもてなし(埼玉県 小島福節)

アベの思惑の透け方。アベの姑息。アベの狡さと間抜けさ。そのすべてが、川柳子の好餌となっているのだ。
川柳だけでない。社説も辛辣だ。
「首脳宣言で「財政出動」と「経済危機」への言及にこだわり続けた日本のリーダーの姿勢は世界にどう映ったか。議長として指導力はある程度重要だとしても、我田引水では信頼を失いかねない。」
「首相の会見はいかにも我田引水が過ぎる印象だが、それが許されてしまうのも議長国だからだ。各国が持ち回りで議長を務めるため「お互い大目に見よう」との配慮が働くといわれる。議長国の恣意が強くなりすぎると、サミットの意義を低下させかねないことを肝に銘ずべきだ。」(
東京新聞)

本日(5月29日)の毎日朝刊も、アベには無遠慮に「伊勢志摩サミット 『リーマン級』に批判相次ぐ」との記事を掲載している。

「27日閉幕した主要7カ国(G7)首脳会議(伊勢志摩サミット)で、安倍晋三首相が『世界経済はリーマン・ショック前に似ている』との景気認識をもとに財政政策などの強化を呼びかけたことに対し、批判的な論調で報じる海外メディアが相次いだ。景気認識の判断材料となった統計の扱いに疑問を投げかけ、首相の悲観論を『消費増税延期の口実』と見透かす識者の見方を交えて伝えている。」

毎日が紹介する海外メディアの批判記事は、英紙フィナンシャル・タイムズ、英BBC、仏ルモンド紙、米経済メディアCNBC、中国国営新華社通信などである。

たとえば、「BBCは27日付のコラムで『G7での安倍氏の使命は、一段の財政出動に賛成するよう各国首脳を説得することだったが、失敗した』と断じた。そのうえで『安倍氏はG7首脳を納得させられなかった。今度は(日本の)有権者が安倍氏に賛同するか見守ろう』と結んだ。」「ルモンドは、「安倍氏は『深刻なリスク』の存在を訴え、悲観主義で驚かせた」と報じた。首相が、リーマン・ショックのような事態が起こらない限り消費税増税に踏み切ると繰り返し述べてきたことを説明し、『自国経済への不安を国民に訴える手段にG7を利用した』との専門家の分析を紹介した。」「CNBCは『増税延期計画の一環』『あまりに芝居がかっている』などとする市場関係者らのコメントを伝えた」という具合。

BBCがいう「安倍氏はG7首脳を納得させられなかった。今度は(日本の)有権者が安倍氏に賛同するか見守ろう」は重い。こんな、政権を許すのか、実は世界から日本の有権者が見つめられているのだ。

解説記事も辛口。
サミットを締めくくる議長会見。安倍首相は「リーマン・ショック」という言葉を7回も使って「世界経済のリスク」を強調したうえで、「アベノミクスのエンジンをもう一度、最大限ふかしていく決意だ。消費税率の引き上げの是非を含めて検討する」と踏み込んだ。
 首相が「リーマン級のリスク」を主張するのは、これまで、消費増税を延期する例として、2008年に起きたリーマン・ショックや大震災を挙げてきたからだ。しかも、G7で合意した「世界経済のリスク」に対応するため、という理由であれば、自らの看板政策であるアベノミクスが失敗したという批判も避けられるというわけだ
。」(朝日)

「安倍首相がこじつけとも言えるデータを示して『危機に陥るリスクに立ち向かう』と強調した背景について、ある金融市場関係者は『日本経済は不調が続いているが、アベノミクスが失敗しているとは口が裂けても言えない。景気対策の財政出動をするためには、リーマン・ショック級のデータを示すしかなかったのだろう』と指摘している。」(共同)

この各紙の厳しさは、アベノミクス失敗についてのものではない。これを糊塗し、誤魔化し、責任転嫁しようという安倍政権の姿勢への批判の厳しさである。

当然のことながら、「野党は首相への批判を強めている。」と報じられている。
「民進党の岡田克也代表は記者会見で『アベノミクスの失敗を糊塗するため、サミットの場が使われたとすれば罪は重い。ここまでやるか』と厳しく批判した。」
「共産党の志位和夫委員長も記者団に『日本の経済情勢こそリーマン・ショック前の状況だ。自らの失政の責任を世界経済に転嫁するというのは成り立つ話ではない』と述べた。」という。

「信なくば立たず」というではないか。愚直でも、その言動に嘘やごまかしのない限りは政治家の政治生命が断たれることはない。言っていることが姑息で、狡くて、信頼できないとなれば、もはや政治家として立つことはできない。

昨日から今日の紙面を埋めた、安倍の言動への評価の言葉を拾えば、我田引水・恣意・こじつけ、G7の利用、責任転嫁…。首都の知事は、都民の信を失って、水に落ちた。およそ知事としての勤めが果たせる状況にない。アベも同じではないか。彼の言動に信の根拠となるべきものはない。都合のよいデータをつなぎ合わせて、自己弁護の材料としているだけだ。

それにしても、冒頭に引用した3句。この3句が、すべてを語り尽くしている。川柳の説得力恐るべし、である。なお、タイトルの1句は、恥ずかしながら拙句である。残念ながら入選句ではない。
(2016年5月29日)

「広島は大統領の花道を飾る貸座敷ではない。日米同盟強化誇示の場に利用されてはかなわない。」

オバマ広島訪問における、原爆資料館10分間見学と17分間演説。その評価は大きく割れている。各紙の紙面にも、極端な持ち上げ記事と辛口の批判の両方が並んでいる。統一性はなく、アンビバレントとは、まさしくこういうときに用意された言葉だろう。

評価の分裂には理由がある。何よりも、オバマは日米軍事同盟における、目上の同盟国の指導者である。日本全土を核の傘の下におき、沖縄の軍事占領を継続している軍事超大国の大統領だ。日本をその世界的な軍事戦略の目下のパートナーと心得て、日本の改憲や軍事大国化を側面援助する立場。そのオバマが主導する日米同盟の強化には到底賛意を表しえない。今回の広島訪問と演説とは、基本的にそのような日米軍事同盟の強化・深化をもたらすものと考えざるをえない。

ではあるが、オバマが青年時代から反核の志をもって育ち、就任直後のプラハでの演説に見られるように、主観的には真摯に核廃絶を希求する姿勢を持っていることも事実である。現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマに、すくなからぬ人びとが核なき世界を求めての願いを託する気持になった。広島で被爆の実相に触れれば、大統領職を離れたあとのオバマに期待もできようとも考えた。

表と裏、A面とB面。同じものを、どちらの面で見るかで評価は異なるのだ。あの演説を歴史に残る名演説というB面的見解もあれば、まったく無内容な駄文に過ぎないとのA面からの意見もある。もっとも、オバマの役者としての力量には意見が一致するようだ。傍らに立った、我がアベシンゾーの大根役者ぶりが際立ったということも。

それだけに、各紙の1面を飾っている被爆者の背を抱くオバマの写真のインパクトを警戒しなければならない。彼は、軍事同盟の盟主なのだ。けっして平和の天使ではない。この基本視点を忘れてはならない。

オバマ訪問前の記事では、東京新聞5月25日夕刊の堀川恵子「オバマ大統領の広島訪問―溜息が混じる感動―」が、心に響いた。「溜息」は、「今頃になって」「遅かりし」という慨嘆である。堀川は、自身が「広島に生まれ育った」ことを書き添えている。

文中、被爆者である高野鼎さん(故人)が遺したという短歌が紹介されている。
「たひらぎを祈り給へるすめらぎの みことおそかりき吾におそかりき」
もう少し早くの詔勅を下してもらえていたらと慟哭する高野さん。原爆で最愛の妻と四人の子を失い、天涯孤独となった。」

このことに続けて、堀川はこう言っている。
「広島は、確かに筆舌に尽くしがたい犠牲を払った。同時に、満州事変から始まる十五年戦争という歴史の文脈に広島を置いてみる。戦争を始めた責任、戦争を煽った責任、戦争を早期に終わらせなかった責任、あらゆる責めはそのまま、日本の戦争指導者そして私たち自身へと戻ってくることも忘れてはならないだろう。」

ここには、広島の悲劇を嘆きながらも、加害の責任をも見据え、天皇を筆頭とするそれぞれの「私たち自身」の責任への問いかけがある。

「戦後の広島は、折にふれ政治的パフォーマンスの場として使われてきた。毎年八月六日には政治家らが壇上に立ち、その日限りの平和と反核を訴える。今回の大統領の広島訪問は、日本の選挙を前にしたタイミングとも重なった。日米同盟の強化を訴えるには絶好の機会だ。『未来志向』を掲げオバマ大統領を歓迎する政治家たちの姿に、平和や反核とは異なる理屈が透けて見えるのは私だけか。」
オバマとアベの広島訪問に対する違和感の原因についての正鵠を射た解説というべきだろう。

オバマ訪問後の記事では、本日(5月28日)毎日朝刊の広岡敬(元広島市長)「謝罪なく なぜ来た」。そして、ジャックユンカーマン(映画監督)「米は教訓得ていない」。また、「『具体的発言ない』長崎関係者、不満残す」の報道記事。ともに、謝罪のないこと、核兵器廃絶への道筋に言及のないこと、そしてオバマ政権が核廃絶の演説とは真逆に、核兵器とその運搬手段開発予算として「今後30年で1兆ドルの予算を承認している」ことなどを批判している。

とりわけ、広岡の舌鋒が鋭い。次の点には、深くうなずかざるを得ない。
「日米両政府が言う「未来志向」は、過去に目をつぶるという意味に感じる。これを認めてしまうと、広島が米国を許したことになってしまう。広島は日本政府の方針とは違い、「原爆投下の責任を問う」という立場を堅持してきた。今、世界の潮流は「核兵器は非人道的で残虐な大量破壊兵器」という認識だ。それはヒロシマ・ナガサキの経験から来ている。覆すようなことはしてはいけない。」

「オバマ大統領は2009年にプラハで演説した後、核関連予算を増額した。核兵器の近代化、つまり新しい兵器の開発に予算をつぎ込んでいる。CTBT(核実験全面禁止条約)の批准もせず、言葉だけに終わった印象がある。だからこそ、今回の発言の後、どのような行動をするか見極めないといけない。」

その最後はこう結ばれている。
「広島は大統領の花道を飾る「貸座敷」ではない。核兵器廃絶を誓う場所だ。大統領のレガシー(遺産)作りや中国を意識した日米同盟強化を誇示するパフォーマンスの場に利用されたらかなわない。」
まことに同感である。
(2016年5月28日)

本日、注目の沖縄県議選告示ー翁長県政与党の勝利を期待

関心の焦点は、サミットの伊勢からオバマの広島へ。そして、本日告示の沖縄県議選へと目まぐるしく移る。参院選直前の前哨戦としてというだけでなく、アベ壊憲政権との対峙の最前線の政治戦として注目せざるを得ない。

沖縄県議会は、昨日(5月26日)臨時会を開いて、「米軍属女性死体遺棄事件に対し抗議するとともに、在沖米海兵隊の撤退や日米地位協定の改定などを求める決議と意見書」を全会一致で可決した。

可決された抗議決議と意見書は、与党が提案した「被害者への謝罪と完全な補償」「日米首脳で沖縄の基地問題と事件・事故対策を話し合うこと」「米軍普天間飛行場の県内移設断念」「在沖米海兵隊の撤退と米軍基地の大幅な整理縮小」「日米地位協定の抜本改定」「米軍人・軍属などの凶悪事件発生時に、訓練と民間地域への立ち入りと米軍車両の進入の禁止措置」などを求めている。

この内容の決議に自民まで賛成したのかと一瞬驚いたが、実は「全会一致」は必ずしも正確ではない。「自民会派は、普天間飛行場の辺野古移設断念を「閉鎖・返還」とし、在沖海兵隊の撤退を「大幅な削減および米軍基地の速やかな整理・縮小」を図ることをそれぞれ求めた上で、事件の根絶や謝罪、補償などを日米両政府に求める修正案を提出したが、賛成少数で否決された」(琉球新報)という。で、自民は与党案裁決時に退席して、与党と中立系による「全会一致」の形作りに協力したということだ。選挙直前に、与党案に反対という露骨な姿勢を見せたくはなかったのだろう。

なお、「公明は与党、自民の両案に賛成した」と報じられている。沖縄の公明党は、かつては仲井眞県政の与党だったが、今は普天間の県内移設反対の立場で、県政野党ではなく、中立系とされている。

それにしても、県議会が「普天間飛行場の県内移設断念」「在沖米海兵隊の撤退」「日米地位協定の抜本改定」を求めて決議を上げている姿は、県民の怒りのほとばしりであり、不退転の決意の表れというほかはない。このたびの事件の被害女性が住んでいたうるま市議会や那覇市議会などでも同様の決議が採択されており、県内のほとんどの自治体で抗議決議の準備が進んでいるという。

そして本日、日本中が注視する第12回沖縄県議会議員選挙の告示。翁長雄志知事が就任してから1年半。その信任をめぐる投票の色が濃い。現在の与野党分布は、47議席(欠員1)のうち、翁長知事を支える与党は24である。かろうじての過半数。これに対する野党が自民を中心に14、公明を含む中立系が8人だという。この24の与党(社民・共産・沖縄社会大衆・県民ネット)議席の増減に関心が集まる。最大の対決点は、当然ながら辺野古新基地建設の可否をめぐってのこと。元海兵隊員の女性殺害容疑の事件もあって反基地の空気は熱い。

県議選は13選挙区に定数48(各選挙区の定数は2?11)。本日の立候補者は71名であった。政党別の候補者は、自民19、民進1、公明4、共産7、おおさか維新3、社民6、地域政党の沖縄社会大衆3、諸派5、無所属23。

朝日も毎日も立候補者について、「与野党別では、与党36人、野党22人、中立13人。辺野古への移設計画には、反対44、容認13、推進2(その他・無回答が12)」と報じている。

朝日に、「軍属が働いていたとされる米軍嘉手納基地を抱える嘉手納町では県政野党の自民現職が第一声。『自民党は政府に対して堂々と抗議した。日米地位協定も改定させないといけない。県民の命を守るために地域の声を伝える』と訴えた。」という記事。

オーイ、アベ君。キミが総裁だという自民党、統制がとれていないようだぞ。
「自民党が政府に対して堂々と抗議」などしていいんだろうか。「日米地位協定も改定させないといけない」なんて、党紀違反じゃないのか。何よりも、「県民の命を守るために地域の声を伝える」って、「日本国民のために沖縄県民には我慢をしてもらおうというアベ政権の方針」への当てつけだろう。処分しないの? あっ、そう。票が取れれば、何を言ってもよいのか。

沖縄県政の与党は国政では野党。国政では「野党は共闘」のスローガンだが、沖縄県政では、民進党の力量が弱い。それでも関心は、「自民」対「国政野党連合」の対立構図で世論の動向を見ざるをえない。

その結果が出る投開票は6月5日(日)である。昨日の臨時議会での決議実現を可能とする結果を期待したい。
(2016年5月27日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2016. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.