澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

東京都教職員研修センター門前にて、理不尽な「服務事故再発防止研修」強行に抗議する

弁護士の澤藤から、研修センター総務課長に要望と抗議とを申し入れる。
本日、国歌斉唱の職務命令に従わなかったとして懲戒処分を受け、心ならずも処分に伴う再発防止研修の受講を強制されている教員は、自分の思いを口に出せない立場にある。代わって私が、東京都教育委員会と研修センターに、その思いを申しあげるので聞いていただきたい。それだけでなく、私は、当該の教員が担任している特別支援学校小学部3年生のクラスの子どもたちを代弁する立場においても、研修センターに抗議をしたい。

まず最初に、私たちの基本的な立場を確認しておきたい。国旗国歌の強制とこれに従わないことを理由とする懲戒処分は違憲違法だ。本日研修受講の教員に課せられている減給処分は、最高裁判例の立場からも重きに失するものとして裁量権の逸脱濫用としても違法だ。この処分自体の違法に重ねて、これに付随する「服務事故再発防止研修」の受講強制は、さらに重ねて「思想・良心の自由」と「教育の自由」を踏みにじるものといわねばならない。

その上で、本日の研修命令の、日程の理不尽について抗議をしたい。本来本日の研修は所属校研修として、教員が勤務する学校で行われるはずのものだった。それが突然に場所を変え、研修センターに呼び出しての研修受講となった。しかも、その日程が本人に告知されたのが6月6日。当然のことながら教員の本日の授業の日程はびっしり詰まっている。急な呼出は、どうしても授業に差し支える。日程を変更して欲しいとの要請はニベもなく拒絶された。せめて時間をずらして、授業終了後にしてもらいたいというささやかな要請すら拒絶された。今日の授業には、校外での社会科見学の日程もあり、子どもたちは楽しみにしていた。このように、子どもたちの授業を受ける権利を一顧だにしない、およそ教育的配慮とは無縁な東京都教育委員会と研修センターの姿勢に怒りをもって抗議する。

子どもたちから教育を受ける権利を奪い、教員の本務である教育への専念の機会を剥奪して、いったい何のための研修なのか。あなた方のこの日程設定は、教育行政が教育に介入するものとして、いや教育行政が教育の機会を奪うものとして違法といわざるを得ない。仮に、行政に甘い裁判所がかろうじて違法ではないとしても、明らかに不適切ではないか。誰がどう考えても、「違法ではなくとも、不適切」。何よりも大切なこととして最優先させるべきは、子どもたちの教育を受ける権利を全うすることである。その子どもたちの授業を受ける権利をないがしろにして、教員の研修の意味がどこにあるというのか。

本来研修とは、非違行為あった者に対して、その人の良心を呼び覚まし、自覚を促して、再び同様の行為を繰り返さぬように、決意させることではないか。その観点からは、差別発言を繰り返した石原慎太郎、巨額の裏金を受けとった猪瀬直樹、公私混同甚だしい舛添要一、このような歴代の都知事にこそ、研修受講がふさわしい。

しかし、自己の良心の声に耳を傾け、良心に基づく行動をした教員に対して、いったいどのような研修の必要があるというのか。結局は、教員の良心に鞭打ち、思想の転向を強要すること、もっと端的には嫌がらせとイジメだけが、「再発防止研修」の趣旨であり目的ではないか。私は、憲法や教育法体系の理念を踏まえ、人間の尊厳と教育をもてあそぶ都教委と研修センターに、満身の怒りを込めて抗議する。

最後に、本日研修を担当する職員の諸君に申しあげておきたい。
2004年の再発防止研修に関する執行停止申立事件における東京地方裁判所決定は、こう言っている。

「くり返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容される範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生じる可能性があるといわなければならない」

この決定の説示は、司法からの、都教委や研修センターへの警告として受け止めて再確認いただきたい。本日の研修内容は「自己の非を認めさせよようとする」ものであってはならない。いささかも、教員の思想や良心の自由に立ち入って、憲法上の基本権を侵害するものであってはならない。弁護団からも、このことを厳重に警告して、本日の要請とする。
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緊急の研修センター抗議行動。総務課長に申し入れをし、受講のために入構する受講者を激励した直後に、集会参加者間に「舛添要一辞表提出の意向」というニュースが飛びかった。

「またまた、都知事選挙か」「いったい誰が革新側の候補者としてふさわしいだろうか」「納得できる人じゃなくちゃね」「出たがりやさんはゴメン」「今度は勝てる候補者を」「清新なイメージの人でなくては」「猪瀬・舛添・田母神などとよく似た問題を抱えている人はダメ」「前回選挙の『革新』候補も、舛添同様に『選挙運動収支報告書を訂正すれば済む』だものね」。
(2016年6月15日)

国民学校世代の「日の丸・君が代観」「天皇観」

おや先生、こんなところでお久しぶり。
やあ澤藤君。すっかりご無沙汰だな。

事務所、この近くになったんですか。
そうなんだよ。長年住み慣れたあの事務所一帯が再開発で、この近所に引越なんだ。

相変わらず河川管理やダムの問題に専念ですか。
いや、最近はもっぱら原発でね。新しいことを勉強しなければならないんでたいへんだよ。ところで、きみDHCからのスラップ訴訟。あれは、もう勝負あったんだろう。

控訴審判決で終わりだと思っていたんですが、上告受理申立をされて、最高裁の不受理決定を待っているところです。
もう、だいじょうぶだろう。万が一にもひっくり返ることはない。それにしても災難だったね。今はもうスラップ対応で忙しいということはないんだろう。

そうですね。もっぱら「日の丸・君が代」強制反対ですよ。今日も、すぐ近くの原告団の事務所で弁護団会議。
その事件、もうずいぶん前からじゃないか。まだ解決つかないのかね。

…だけどね、憲法上の理屈はともかく、ありゃあ、国旗国歌法の国会審議では、首相も文部大臣も強制はしないって、はっきり言ってようやく成立になったんじゃんないか。どうして処分なんか出ているんだい。
あの国会答弁は、正確には「一般国民には強制しない」ということで、教育公務員についてはなんの約束もしていないというんですよ。だから、生徒や父母には強制はしないが、生徒に率先垂範して手本になるべき教員には強制ができるという理屈。実際、強制の根拠は国旗国歌法ではなくて、学習指導要領とされています。法律でも省令でもなく、文部大臣告示という法形式。法的拘束力があるかどうかは極めて曖昧。

じゃ、なにかね。教員は国民ではないというわけか。国会審議のときから、教員に強制することは既定の方針だったのか。あの答弁はペテンで、私なんかは欺されていたっていうわけだ。
おっしゃるとおりですよ。国会答弁の「強制はない」は、誰も本気にしていなくて、その後その心配のとおりになったということですね。

私は、終戦時国民学校1年生だ。教科書に墨を塗った年代で、日の丸も君が代は、生理的に受け付けない。小中高から大学まで、日の丸や君が代とは無縁に過ごしてきた。強制されるなんてことは、考えられない。
卒業のあとには、「日の丸・君が代」で不愉快な思いをしたことはありませんか。

そういえば、こんな経験がある。ずいぶん前のことだが、労音が東欧のどこだかの国の楽団を招いて音楽会を開いた。たまたまそこに出席していたら、両国の友好を祈念する趣旨でだろう、双方の国の国歌を演奏した。で、主催者が国歌を演奏するからご起立願います、というんだ。私も、労音の企画だし、エチケットでもあるから、起立だけはしようかと思った。ところが、意思に反して、体がいうことを聞かない。結局、どうしても立てなかった。

それが、国民学校世代なんでしょうかね。似たような体験があります。私が盛岡で開業した当時岩手弁護士会の会長だった先輩弁護士が、多分先生と同期。年齢は少し上かも知れません。やはり国民学校世代ですね。その方が入院してお見舞いに行きました。そのとき、こんなことを言われましたね。
『澤藤君、キミは靖國の訴訟を担当して、天皇の戦争責任について発言している。これまで黙って聞いてきたが、キミの意見は正しいようで底が浅い。観念的なんだ。腹に落ちない。胸に響かない。われわれの年代は、黙っていても天皇に対する怨みの情念は重く深い。私は、口にこそ出さないが、絶対に彼を許さない。その気持ちの重さは、多分キミたちには解らない』
普段政治的意見を言う人ではなく、革新的なイメージは一切ない人。その人から、そう言われたことに驚きました。

なるほど。それは、分かるような気がする。
DHCスラップ訴訟も、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟も、ご支援よろしくお願いしますよ。

分かった。しっかりがんばってくれたまえ。
先生も、原発訴訟がんばって。
じゃあ。
さよなら。

梅雨の晴れ間、うららかなある日のお昼どき。路上の立ち話でございました。
(2016年6月14日)

間近となった参議院選挙を、憲法擁護の機会として生かすよう訴えます。

ご近所の皆さま、ご通行中の皆さま。少しの時間、耳をお貸しください。

来週の水曜日6月22日が第24回参議院議員選挙の公示日、そして7月10日が投票日です。今回の参院選は、いつにも増して重要な選挙といわねばなりません。とりわけ、憲法の命運にとって決定的な選挙といわざるを得ません。憲法の命運は、この国と国民の命運でもあります。参院選の結果が、この国のあり方を決定づけると言ってけっして大袈裟ではありません。

私たちは、「本郷湯島九条の会」の会員として、憲法擁護という一点から、皆さまに訴えます。今度の選挙では、憲法を守る政党、改憲阻止を公約とする候補者へのご支援をお願いいたします。憲法改正をたくらんでいる自民党にはけっして投票をしてはなりません。それは、99%の市民にとっては、自分の首を絞めることになるからです。自民党と連立与党を作っている公明党への投票も同じこと。そして、自民党への摺り寄りの姿勢を露骨に示している「おおさか維新」にも貴重な一票を投ずることのないよう、心から訴えます。

このたびの参院選で問われているものは、何よりも立憲主義の回復です。安倍政権と、自民・公明の与党は、憲法にもとづく国の運営、憲法にもとづく政治という、近代社会・近代国家の大原則を打ち捨てました。恐るべき憲法破壊の罪状と指摘せざるを得ません。
2014年7月1日、安倍内閣は、集団的自衛権行使を容認する閣議決定を行いました。日本が侵略されていなくとも、親しい国の要請で、海外で武力行使ができるというのです。これまで、歴代の自民党内閣が憲法違反としていたことを、あっさりと合憲としてしまいました。憲法に縛られるのはイヤだ。不都合な憲法の条文は解釈を変えてしまえ、というのです。これが、立憲主義の放棄。そして、戦争法を上程して成立を強行したことは、記憶に新しいところ。
戦争法を廃止して、立憲主義を取り戻す、これが今回参院選の課題です。

次に、明文改憲阻止という課題があります。今度の選挙は、安倍自民党の憲法改正の姿勢に、国民のノーを突きつける選挙です。
自民党は、2016年参院選の政策パンフレットを作成しています。26頁に及ぶ政策の最後の最後、26ページ目のおしまいに、「国民合意の上に憲法改正」とわずか10行が掲載されています。意味のある文章はわずか3行「衆議院・参議院の憲法審査会における議論を進め、各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正を目指します」とだけ言っています。まるで、積極的な改憲の意図はないごとくではありませんか。
しかし、これはウソです。これまでの政権の言動から見て、明らかに改憲の意図を隠した、有権者騙しの戦術といわねばなりません。嘘つきの安倍政権に欺されてはなりません。

第2次安倍政権が発足以来、今度が3度目の国政選挙になります。2013年7月の前回参院選では、安倍政権は、まだボロの出ていなかったアベノミクスの「三本の矢」の成果を強調して、自民党が大勝しました。選挙に勝って政権は何をしたか。言論の自由を踏みにじる特定秘密保護法だったではありませんか。2014年末の衆院選では、政権は「景気回復、この道しかない」とアピールして、選挙では勝ちました。そのあとに待っていたのが、戦争法の上程と数にものを言わせた成立の強行ではありませんか。
選挙の争点になるのを意識的に避けながら、安保政策を大転換させる布石を打ってきたといっていい。
国論を二分する重要な憲法上の課題を、選挙前にきちんと説明することなく、議席を掠めとったあとで、本当にやりたいことをやってのける。こうして、日本の有権者は2度欺されました。3度欺されてはなりません。自民党や公明党に、選挙で勝たせてはならないのです。

今度の選挙は、自民党は破綻したアベノミクスを取り繕って、経済政策を争う選挙としています。しかし、選挙結果が、自民・公明の与党と、与党摺り寄りの「おおさか維新」を合わせて、参院の改憲発議に必要な3分の2以上の議席を確保すれば、安倍政権は一路憲法改正に邁進することになります。そのようなことを許してはなりません。

昨年の戦争法反対の国民運動の盛り上がりの中で、危険な安倍政権に対抗するために、市民から「野党は共闘」の声があがりました。今、多くの市民の声が後押しして、参院選での野党共闘が実現しつつあります。

立憲主義を投げ捨て、さらには明文改憲をたくらむ政権与党と、これに対抗して立憲主義と民主義を取り戻し、改憲を阻止しようという野党共闘の対決の構図が明確になっています。選挙の勝敗を決めるのは、32ある一人区。その一人区の全部で安倍改憲を許さない立場で一致した、民進・共産・社民・生活の4野党が、統一候補者を決めました。与党と野党は、改憲をめぐる土俵の上で、がっぷり四つに組んだのです。

「憲法改正の必要はない」というのが、今やあらゆる世論調査で圧倒的な国民の声となっています。自公の改憲路線は、けっして世論が支持しているわけではありません。しかし、これまでは、野党がバラバラで自公連合に個別撃破を許してきたということです。今度は、一人区の全部で共闘ができたのですから、けっして前回参院選のように自公の大勝とはなりません。

今回参院選では、初めて18歳からの有権者が参加した選挙になります。文部科学省と総務省が作成した選挙を考えるための副教材が全高校生に配布されているということです。そこには、「民主政治とは話し合いの政治であり、最終的には多数決で合意を形成する」としながら、「ただし、多数決が有効に生かされるためには、多様な意見が出し尽くされ、少数意見が正しいものであれば、できるだけ吸収するというものでなければなりません」と記されていることが話題になっています。数の暴力は民主主義とは無縁なもの。議席を与えれば、少数意見を圧殺し改憲を強行する安倍自民と与党ではありませんか。ぜひとも、憲法の擁護につながる野党の側にご支持をお願いいたします。そのことが、立憲主義・民主主義を取り戻し、平和と生活を守ることになるのですから。
(2016年6月13日)

「圧殺の海 第2章 『辺野古』」の映像が語る沖縄の現実

明治大学で行われた、「圧殺の海 第2章 『辺野古』先行上映」(試写会)を観てきた。そして、沖縄の現実を切りとった映像の迫力に圧倒された。

怒号と叫喚の107分間。見続けるのが息苦しい。しかし、目をそらしてはならない。これが、マスコミ報道では知ることのできない沖縄の現実なのだ。沖縄や基地問題に関心をもつ者のすべてが、この映画を見つめて沖縄の現実を知らなければならない。映画が聞かせる怒号は、理不尽な権力行使への沖縄の民衆の怒りのほとばしりであり、叫喚は権力の暴力を受けた者の呻き声である。

辺野古新基地建設を強行する強大な権力の圧倒的な意志。その巨象に立ち向かう蟻の群のごとき抗議行動。抗議に立ち上がる者の前に、立ちはだかる実力部隊は、沖縄県警だけではない。警視庁の機動隊であり、海上保安庁であり、そして米軍である。五分の魂が圧倒的な権力と切り結んでいる様が映し出される。

なんとしても基地を作らせまいと体を張って抵抗する人びとと、これを制圧しようとする機動隊や海保とのせめぎあいが、生々しく映像化されている。翁長知事誕生の2014年11月から暫定和解成立によって工事が休止した16年3月で終わらず、先月(16年5月)まで18か月の記録。毎日撮り続けて、総撮影時間は1200時間にもなると説明があった。6人のカメラマンが現場に張り付いてのことというが、よくぞここまでと思わせる接近しての危険を顧みない撮影ぶりである。

政治や訴訟の推移と関連しつつも、現場の運動が独自の論理で動いていることがよく分かる。抵抗する人びとの悲鳴にも似た痛切な言葉が、胸に突き刺さる。
「お願いだから、沖縄を壊さないで。」
「ここは、私たちの海だ。あなたたちは帰れ。」
「何が公暴(公務妨害罪)だ。暴力で俺たちの故郷を奪ったのはそっちじゃないか」
「あなた方だって、自分の故郷をこんなに壊されたら怒るでしょうが」
「私たちは平和を求めている。あなた方も戦争はいやでしょう」
「沖縄全体が反対しているんだ。なぜ沖縄の声を聞かないんだ」

案内のチラシには、こう書いてあった。
「翁長知事誕生から18ヶ月、24時間体制で現場に張り付き撮影を続けた辺野古・抵抗の記録『辺野古』が完成した。沖縄県民は、どうたたかってきたのか。国が沖縄県を訴えた代執行訴訟は、2016年3月に和解となるが、その後の辺野古は・・・。
劇場公開に先立ち映画の上映とシンポジウムを開催します。」

「辺野古で、大浦湾で、キャンプシュワブゲート前で、県庁で、6人のカメラマンが撮影した映像は1000時間を越える。抗議船やカヌーを海上保安官に転覆させられても、海へ出つづける人びと、セルラースタジアムを埋め尽くす県民、権限を行使し国に抵抗する知事、水曜日、木曜日と工事をさせない日を増やすゲート前の座り込み、米兵のレイプを許さないゲート前の2千5百人。テレビでは見えない辺野古・抵抗の最前線。」
なんの誇張もない。映像の迫力は、文字情報では表せない。

沖縄・辺野古問題は、目前の参院選の重要テーマの一つである。この映画を話題にすることの意義は大きい。

沖縄の基地問題は、日本国憲法体制と日米安保体制とのせめぎあいの衝突点にある。平和や独立を語るときに避けて通れない。それだけではない。今や、辺野古新基地建設は、安倍政権の強権的暴走を象徴するものとなっている。

公有水面埋立法は、国が起業者として公有水面を埋め立てる際には、県知事の承認を必要としている。仲井眞知事は、知事選の選挙公約を投げ捨てて、沖縄防衛局の埋立申請に承認を与えた。しかし、それゆえに県民世論は、仲井眞を放逐し、圧倒的な支持をもって翁長県政を誕生させた。周知のとおり、翁長知事は慎重な手続を経て、前知事の承認を取り消した。

このことの重さを安倍政権は一顧だにしない。「粛々と工事を進める」というのみ。沖縄の民意、その民意に支えられた新たな知事の判断を尊重すべきが当然ではないか。こんなときこそ、「新たな判断」というべきなのだ。

「粛々と進められる工事」に抗議する人びとに対する容赦ない制圧の強行が、この「圧殺の海 第2章 『辺野古』」に活写されているのだ。

この映画のパンフレット(1000円)が、映画に劣らず迫力に富み、読むに値する内容となっている。
このドキュメントの「主役」ともいうべき、辺野古ゲート前抗議行動のリーダー・山城博治のロングインタビューが7頁にわたって掲載されている。その中の一部を抜粋する。

大衆運動って、つぶされるまで粘り強くやるって心理がどこかあります。勝てないだろう、だけど押し切られるまではがんばるという。今、辺野古の状況見たら、そうはならないね。勝たなきやならない。勝って、国の様々なやり方で押しやろうとする物事に対して、勇気を、元気を辺野古から与えていく、がんばれば何とかなるという元気を与える責務が今、あると感じています。

政府が作った法案が、沖縄で実行されるという関係です。私自身の課題は、実行される沖縄で歯止めをかける、東京のみなさんは東京で歯止めをかける。私たちは、実行される位置に居るから、基地を、戦争の道具を止める。ここで頑張ると当然、全国に広がる。

民主主義を問い、地方自治を問う。平和を問う。辺野古を窓口として、見える日本の今のあり様。だから、全国からやってくる。この交流は大きいと思う。一日、多いときには百人を超える県外の人たちが来る。延べ何千、何万の人たちになってる。その広がりが、今、全国で、辺野古、辺野古、がんばろうの声になってる。十年前では考えられなかった。

翁長さん、県の弁護団、法廷でのぎりぎりのたたかい、行政としての駆使できる手法のぎりぎりのたたかい、現場でのたたかい、それから全国と連携をするたたかい。そういう事を積み重ねれば、この基地は出来ない。

また、自らも逮捕された経験をもつ芥川書作家・目取真俊が「海のたたかい」と題して寄稿している。これも示唆に富むもの。その一部を引用する。
「県知事選挙や衆議院議員選挙のたびに政府・沖縄防衛局は、長期間にわたり工事を止めざるを得なかった。彼らが恐れたのは、海保の暴力的弾圧が県民の反発を呼び、選挙にマイナスの影響を与えることだった。
 実際、2014年の夏に辺野古側の浅瀬で行われたボーリング調査では、海保の拘束で負傷者が続出した。カヌーから強引に引き上げてGB(ゴムボート)の床に叩きつけ、カヌーメンバーに頚椎捻挫のケガを負わせた。船に乗り込んで船長の手首を捻挫させたり、カヌーメンバーのその様子はメディアで報じられただけでなく、写真や動画がインターネットで拡散され、海保に対する批判が高まった。安倍晋三政権が沖縄に振る舞っている強権的な姿勢が、海保の暴力という形で可視化され、有権者の投票行動に影響を与えかねない事態となった。それ故に政府・沖縄防衛局は、選挙前に海底ボーリング調査を中断せざるを得なかったのである。
 もし、カヌーや船団による海上行動が行われていなかったらどうだったか。行われていたにしても、海保の弾圧を恐れてフロートを越えず、形だけの抗議ですませていたらどうだったか。海保とカヌー、抗議船がぶつかることもなく、メディアに報じられることもほとんどなかっただろう。それこそ調査は「粛々と」進められたはずだ。」

沖縄県が申し立てた第三者機関「国地方係争処理委員会」での審査の結論は、審査期間90日以内と定められていることから、遅くとも6月21日には出ることになる。6月22日参院選公示日の直前である。果たして、どのような判断になるのか、大いに注目されるところ。仮に沖縄県に不満の残る判断であれば、新たな提訴となる。6月25日からの映画『辺野古』の東京上映は、参院選投票日(7月10日)直前のまたとないタイミングである。

この映画は、既に、那覇市牧志の桜坂劇場で上映中であり、昨日(6月11日)からは大阪十三のシアターセブン劇場で、そして6月25日からは東京上映(ポレポレ東中野)が始まる。東京上映は8週間のロングラン企画だという。
  http://america-banzai.blogspot.jp/2016_06_01_archive.html
 
なお、予告編をユーチューブで見ることができる。
 https://www.youtube.com/watch?v=KlTVZxBG1cs&feature=youtu.be

映画に関する問合せ先は下記のとおり。
森の映画社札幌編集室
〒004-0004札幌市厚別区厚別東4-8-17-12 2F
影山あさ子事務所気付
電話・Fax 011-206-4570
メール:morinoeigasha@gmail.com(森の映画社)
(2016年6月12日)

もし白秋今の世にありて、アベ政治をうたわば…。

この道はいつか來た道、
 ああ、さうだよ、
軍靴が固めたあの道だよ。
 
あの顔はいつか見た顔、
 ああ、さうだよ。
ほら、あの戦犯の孫だよ。
 
この道はいつか來た道、
 ああ、さうだよ。
日の丸で還らぬ人を見送ったよ。
 
あの雲もいつか見た雲、
 ああ、さうだよ。
広島・長崎・沖縄の悲しい雲だよ。

この言葉もいつか聞いたね、
 ああ、さうだよ。
「いつかきたこの道しかない」とね。

この道の先はこわいね。
 ああ、さうだよ。
いつかきた道の先は、いつか見たあの悲劇なんだよ。

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改憲のうたを しんぞうがうたうよ
 平和も 民主も 押しつけだ

たたかいのうたを しんぞうがうたうよ
 まけるな ひるむな 血を流せ

イージスの上に、オスプレイがゆれるよ
 カデナだ ヘノコだ てっぺきだ

ミサイルのボタンに しんぞうのゆびがかかるよ
 おそうか おすまいか 心躍らせて

しんぞうの夢のなか 9条はなくなる
 一億総反対で目が覚める

    *****************************************************

アベノミクスの、ア、イ、ウ、エ、オ。
イイ目を見るのは、ウエばかり。

カネ繰り、キン欠、カ、キ、ク、ケ、コ。
苦しい景気は 困りもの。

財布はしっかり、サ、シ、ス、セ、ソ。
掏るのは政府か総理さま。

立ちましょ選挙で、タ、チ、ツ、テ、ト。
つないだ手と手とが、暮らしを守る。

何をぬかすか、ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ。
寝ごとは醒めては言わないの。

鳩に豆やる、ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ。
ひい、ふう、みい。ヘリの方へはほらおしまい。

まいどまいどの、マ、ミ、ム、メ、モ。
見向きもされず無視されて、めそめそするのはもうやめた。

焼石に水、ヤ、イ、ユ、エ、ヨ。
湯水の如くカネ注ぎ込むのはもうええよ。

来年こそはと、ラ、リ、ル、レ、ロ。
蓮花の花が咲くころも、景況レベルはロー止まり。

わい、わい、わっしょい。ワヰウヱヲ。
アベノミクスをぶっ飛ばせ。
(2016年6月11日)

改憲実現へ?票を掠めとる国民欺しの大作戦

アベ晋三でございます。日本会議国会議員懇談会特別顧問のアベ、神道政治連盟会長のアベ、みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会のアベでもございます。また、行政府のトップであるだけでなく、時折は立法府の長までも兼ねているワタクシ。要するに右翼の軍国主義者で権力を掌握しているアベ晋三なのでございます。本日は、自民党総裁として、また、改憲勢力のリーダーとして、ここだけの話しを身内の皆様方に申しあげるわけでございます。

7月10日の参院選投票日まで、ちょうどあと一月となりました。6月22日が公示日で、7月10日に投開票が行われます。この選挙は、この道しかない我が国の今後にとってこの上ない重要な選挙なのでございます。

何となれば、敗戦によってGHQに押しつけられ、心ならずも涙とともに飲み込んだ日本国憲法を、いまこそ改正して真の日本を取り戻すまたとないチャンスだからでございます。我が国においては、いまだに戦後民主主義の外来思想に毒された蒙昧な輩が社会の隅々にまではびこっています。彼らは、個人の尊厳が原点だ、個人の尊厳を守るために国家の権限を制約すべきだ、などと言っています。国が強くなっては、国民個人の権利を圧迫するから、国は弱くてもよい。いや、国は強くなってはならない。むしろ権力は弱いに越したことはないなどとまで。このような亡国の暴論が幅をきかせています。その根拠となっているのが、日本国憲法。護憲勢力と言われる連中が、憲法に基づいているとしてこの暴論を喧伝しています。これが、我が国の嘆かわしい現実なのでございます。

言うまでもなく、国家は強くなければなりません。富国強兵こそが、維新以来の正しいスローガンなのでございます。人権だの平和だのと、軟弱なことを言っていては、近隣諸国に侮られ貶められて、やがては国の存立を危うくすることになることは火を見るよりも明らかではありませんか。

個人の尊厳を確立する以前に、強固な国家の建設をこそ重視しなければなりません。基本的人権の尊重よりは、国家の公序確立を優越する価値としなければなりません。しかも、その国家の公序において、その中心に天皇陛下を戴くのが、古来よりの我が国の国柄ではありませんか。

精強な国家は、何よりも強い経済によって支えられます。富国がすべての基礎となります。富国が実現してこそ、人心は安定して国家を信頼し、強兵たる軍隊を作ることができるのでございます。

その点、いろんな批判を受けながらもアベノミクスは正しい政策であると自負しております。つまり、アベノミクスとは、国民個人を豊かにする目的を持つものではなく、強兵のための富国をこそ目的とする経済政策なのでございます。貧富の差はあってよい。不安定雇用も、男女賃金の格差も、子どもの貧困も、そんなことは些細な問題。要は強兵のための財政支出を可能とする強い国家の基礎となる経済であればよいのでございます。

しかし皆さん。いま、そのような本音を口にしようものなら、「憲法違反だ」「日本国憲法を理解していない」「アベは立憲主義を解ってない」「アベ政治を許さない」と、集中砲火を受けることが目に見えています。ですから、ここは隠忍自重、賢く対処しなければなりません。

アベノミクスはいずれ国民を豊かにする、と有権者を引っ張り続ける策略が必要なのです。端的に言えば、国民を欺さねばなりません。戦後レジームから脱却して、真正の日本を取り戻すためです。正しい政治を行うという目的のためですから、嘘が許されて当然なのでございます。

日本国憲法こそが、戦後レジームの骨格であり、強い国家の敵対物であり、また、非日・反日と自虐史観の根源なのですから、憲法改正の実現までは、じっと我慢で本音を隠し続けねばならないのでございます。

政治家の評価があっという間に地に落ちる恐ろしい世の中であることは、オリンピック招致であんなにはしゃいでいた東京都知事も、二代続いて、あっという間に炎上して袋だたきに遭っていることが証明しています。猪瀬も舛添も、所詮はジャーナリストや学者であって政治家ではありません。上手に嘘がつけないのでございますよ。その点、私は三代目の生粋の政治家ですから、嘘のつきかたの呼吸はよく心得ているのでございます。

舛添は、「せこい」「せこすぎる」として攻撃されています。ここが面白いところ。本来、政治家のつつましさは美徳。せこさを非難される筋合いはありません。でも、庶民には「せこい不祥事」はよく分かるのです。反応しやすいのです。二泊三日の正月の家族旅行の費用を政治資金の流用で捻出するなんてことは、常に身銭を切らざるを得ない我が身との比較で容易に怒り心頭の対象となるのです。私の海外旅行の金額などはケタが違います。でも、堂々とやってのければ、庶民には想像もできないこととて怒りが現実化してこないのでございます。

ともかく、本音を隠すこと、上手に嘘をつきとおすことが肝要なのです。そうすれば憲法を改正する絶好のチャンスがやって来る。その大事なときに、舛添のようなヘマを犯してはならないのでございます。本音は隠して、票をかすめ取る。憲法改正は争点にしない。でも勝てばこっちのもの。「国民の信任を得た」として、改憲に踏み出すのでございます。

ご承知のとおり、憲法を改正するためには各院の3分の2の議員による発議が必要。ですから、今回の改選議席で3分の2をとるためには、改憲勢力は78の議席をとらねばなりません。もちろん、自民党単独では無理。下駄の雪の公明党と一緒でぜひ78議席を。それでも足りなければ、頻りに政権への擦り寄りを目指している、おおさか維新も一緒にして78議席。

改憲を阻止しようという、民主・共産・社民・生活4党は、改憲の危機意識から共闘を組んだのでございます。けっして侮ることはできません。彼らの目標は、改憲3党で3分の2をとらせないこと。今回改選121議席のうち、78議席をとらせないこととなります。

われわれ改憲派の陣営は、どうすれば78議席をとることができるか。勝敗を左右するのは32ある一人区でございます。この32の一人区すべてで野党統一候補が立つことになりました。由々しき事態といわねばなりません。

わたくしは、選挙遊説を、被災地視察として福島、大分、熊本から始めました。次いで、山梨、そして昨日(6月9日)山形、本日(6月10日)は奈良、三重両県と、すべて一人区をまわっています。

そして、訴えるのは、「景気回復、この道しかない。」ともっぱらアベノミクスの成果。乏しい成果を針小棒大に言わねばなりませんが、嘘をつくのは慣れたもの。また、従順な国民の皆さまは、結構その気になって、欺されてくれるのでございます。

もう一つの訴えは、「野党統一候補が、民進党と共産党の両党に共通する政策を作れるはずがない。民進か共産か、どちらの考え方に賛成するのか、はっきり示すべきだ」と言う分断作戦です。自民党と公明党の関係はどうなんだ、と切り替えされたりもしますが、両党は基本姿勢も政策も一致ですから、問題はないのでございます。

改憲のくわだては後景に引っ込め、アベノミクスの成果を針小棒大に宣伝して票を掠めとろうとする、国民欺しの大作戦。その内容につきましては、くれぐれも内密にお願い申しあげる次第でございます。
(2016年6月10日)

選挙カンパが「罪作り」ー田母神公選法違反(運動員買収)裁判に注目を。

政治とカネにまつわる事件は、最近の主なものだけで、「徳洲会・猪瀬 5000万円事件」、「DHC・渡辺 8億円事件」、「小渕優子・ドリル事件」、「田母神俊雄・運動員買収」、「甘利明・UR口利き」。それだけで終わらず、舛添要一・公私混同事件にまで続いている。都政・都知事選関係の事件が際立つのは、偶然だろうか。

それにしても、突如猛烈な勢いで炎上した舛添叩き。誰も彼もが安心しきって楽しそうに、それぞれの正義を振りかざして舛添叩きに参加している。この雰囲気に、ある種の不気味さを感じざるを得ない。かつて、國体の護持に反逆する不逞の輩に対するバッシングとは、こんなものではなかっただろうか。マッカーシズムの空気にも似てはいないだろうか。どうして、叩く相手が舛添なのか。政権中枢の諸悪にもっと切り込まないのか。安倍の外遊、安倍の原発売り込みに、無駄はないのか、浪費はないのか。安倍の政治資金収支報告書の徹底洗い出しは誰もやらないのか。

政治家の裏金の授受や公私混同、あるいは贈収賄、あっせん利得などの立件の壁は厚い。正確に言えば、検察が「壁は厚い」と自らに言い聞かせている。だから、政治家本人の刑事訴追にはなかなか至らない。

そのなかにあって、政治家本人が立件されたのは猪瀬と田母神。実は両事件とも、公職選挙法違反なのだ。政治資金規正法はダダ漏れのザルだが、公職選挙法はザルの目が細かい、というべきなのだろうか。

猪瀬直樹前東京都知事が、徳洲会から5000万円を受け取っていたことに関して、東京地検特捜部は公職選挙法違反(選挙運動費用収支報告書への虚偽記載)として罰金50万円の略式起訴とし、略式命令が確定した。罰金50万円だが、5年間の公民権停止が付いている。

そして、元自衛隊空幕長だった田母神である。舛添が当選した都知事選に、石原慎太郎ら極右勢力の与望を担って出馬し、泡沫かと思われていたが61万票を獲得した。今、その選挙陣営から10人が起訴されて公判中である。候補者なんぞにならなければ、逮捕も起訴もなかったに。

田母神の処罰そのものにさしたる関心はない。注目すべきは、その罪名である。運動員買収。この事件は、選挙運動に携わる者に、警告を発している。

先月(5月)7日当ブログの下記の記事を参照されたい。
『田母神起訴から教訓を学べー「選挙運動は飽くまで無償」「運動員にカネを配った選対事務局長は買収で起訴』
  https://article9.jp/wordpress/?p=6853

連休さなかの5月2日、東京地検は元航空幕僚長・田母神俊雄を公選法違反(運動員買収)で起訴した。2014年2月東京都知事選における選対ぐるみの選挙違反摘発である。選挙後に運動員にカネをばらまいたことが「運動員買収」とされ、起訴されたものは合計10名に及ぶ。
  田母神俊雄(候補者)    逮捕・勾留中
  島本順光(選対事務局長) 逮捕・勾留中
  鈴木新(会計責任者)    在宅起訴
  運動員・6名          在宅起訴
  ウグイス嬢・女性       略式起訴

起訴にかかる買収資金の総額は545万円と報じられている。田母神・島本・鈴木の3人は共謀して14年3月?5月選挙運動をした5人に、20万?190万円の計280万円を提供。このほか田母神・鈴木両名は14年3月中旬、200万円を島本に渡したとされ、島本は被買収の罪でも起訴された。さらに鈴木らは、うぐいす嬢ら2人に計65万円を渡したとされている。

被疑罪名は、田母神俊雄(候補者)と鈴木新(会計責任者)が運動員買収、島本は買収と被買収の両罪、その余の運動員は被買収である。

選挙カンパは、ときに思いがけない大金となる。選挙事務を司る者は、往々にしてこの金を自分が自由に差配できるカネと錯覚する。小さな権力を行使して、自分の権限で選挙運動員にこのカネを配ったりする。運動員に対する恩恵の付与のつもりなのだろうが、こうして個人的な影響力を誇示し拡げようとする意図が透けて見える。

これは典型的な公職選挙法上の運動員買収に当たる。カネを配った者には運動員買収罪、日当名目でも報酬としてでもカネを受けとった者には被買収罪が成立する。カネを配ることは、犯罪者を作ることでもあって罪が深い。表に出ることはすくないが、現実にあることだ。

繰り返すが、選挙運動は無報酬ですべきことなのだ。選挙運動の対価として報酬を得れば犯罪となる。このことを肝に銘じなければならない。不当な弾圧などと言っても通じることではない。

田母神陣営の公判は、分離されて進行している。その先頭が陣営の元出納責任者・鈴木新。同被告人は、6月7日の初公判で起訴事実を認めたと報道されている。

「買収起訴内容認める…田母神陣営元出納責任者 東京地裁初公判
 2014年2月の東京都知事選で落選した元航空幕僚長、田母神俊雄被告の運動員に違法な報酬を配ったとして、公選法違反(運動員買収)に問われた陣営の元出納責任者、鈴木新被告は(6月)7日、東京地裁(家令和典裁判長)の初公判で『事実はその通り』と起訴内容を認めた。事件では計10人が起訴されたが公判は初めて。無罪を主張するとみられる田母神被告の初公判は27日に開かれる。」(毎日)

検察側の冒頭陳述は、大要次のようであったという。
「田母神の政治団体が1億円以上の寄付を集め、選挙運動の経費を払っても数千万円の余剰金が出る見込みになったことから、元選挙対策事務局長の島本順光が総額2000万円を選挙運動の報酬として払うことを考え、島本が貢献度に応じて報酬額を決めた配布リストを作成した。田母神がこれを了承した上で、選挙の応援演説などに加わった元自衛官の友人らにも報酬を配ることや、一部協力者の報酬を増やすように指示し、島本被告から伝えられた鈴木被告が『会長指示自衛隊関係』と記してリストを修正した」

各メディアの報道では、田母神陣営が集めた選挙カンパの額は1億3200万円。この金額が罪を作ることとなった。内5000万円が使途不明となり、そのうち2000万円が運動員の買収資金となった。残りの使途不明金3000万円余は、田母神と陣営幹部の遊興費に費やされたとみられている。田母神陣営のカンパだけが使途不明になったわけではない。往々にしてあることだ。選挙カンパの使途について、原則公開されるのだから、目を光らせなければならない。ネットの収支報告書を読むだけでも、解ることがある。怪しいことも見えてくる。それが、主権者としての自覚というべきものではないか。

けっして、舛添だけが汚いのではない。6月27日の田母神初公判にも注目しよう。そして、政治資金や選挙カンパには目を光らせ、政治とカネのつながりにもっともっと、鋭敏になろう。
(2016年6月9日)

「護憲派44議席の確保」に向けて、これが共闘の政策協定だ。

参院選の投開票(7月10日)が間近となった。北海道5区補選や沖縄県議選などの前哨戦の結果はまずまずで、野党共闘は順調な滑り出し。明るい見通しをもって選挙戦本番をを迎えることになっている。

昨日(6月7日)の民進党岡田克也代表の記者会見発言に注目せざるを得ない。
「民進党の岡田克也代表は7日、参院選で改憲勢力による3分の2以上の議席確保の阻止について『目標ではない。私にとって最低限の数字だ』と述べた。これまで勝敗ラインについては明言を避けてきたが、改憲勢力に3分の2を許せば野党第1党の党首として責任論は避けられないため、事実上の勝敗ラインとして言及した。」(毎日)

また、同じ席で「(安倍政権の)本当の狙いは憲法の改悪。そのための3分の2の確保ということである。それを絶対に阻止する、そのことを正面から掲げて戦っていきたいと思う」と述べたとも報道されている(TBSニュース)。
  http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160607-00000079-jnn-pol

多くの市民の期待に応える、最大野党党首の意欲溢れる発言に拍手を送りたい。
至上命題が、明文改憲の阻止である。現在の選挙制度を前提とする限り、野党がバラバラでいる限りは、改憲を狙う与党勢力に各個撃破されて選挙に勝てない。憲法擁護を求める国民の多数の声が、「死票」となって議場から閉め出され切り捨てられる。「憲法の改悪を絶対に阻止」するためには、野党の共闘が必要なことはあきらかだ。目前の参院選における選挙協力を形だけのものとするのではなく、真に勝ち抜くための中身のある共闘を実現しなくてはならない。

参議院の定数は、選挙区選出議員146名、比例代表選出議員96名の合計242名。3年ごとに半数(121)が改選される。改憲を標榜する与党(自・公)と、これを補完する準与党(おおさか維新・日本のこころ)の非改選議席数は以下のとおりである。
  自民       66
  公明       11
  おおさか維新   5
  日本のこころ   3
  合計       85

参議院の改憲発議に必要な3分の2の議席数は162。今回の改選で改憲派4党が77議席を獲得して非改選議席に積み増しすれば、改憲の実現に手が届くことになる。これを阻止するためには、改憲阻止派4党が、改選総議席121から77を差し引いた44議席(以上)を獲得すればよいことになる。44議席を割り込めば、一挙に憲法が危うくなる。

民進・共産・社民・生活の改憲阻止派4党で、合計44議席。44が絶対防衛ライン。前回(2013年)参院選の各党獲得議席数は以下のとおりである。
  民主     17(その後プラス1)
  共産      8
  社民      1
  生活      0(その後プラス1)
合計     26(その後28)
6年前の2010年参院選では、民主党単独で44議席を獲得しているが、現状での4党44議席獲得の厳しさは誰の目にも明らかと言えよう。だから、野党共闘が必要なのだ。

毎日の報道では、「民進党は参院選の政治活動用ポスターのキャッチフレーズを『まず、2/3をとらせないこと。』『国民と進む。』の2種類に決めた。近く発表する。」という。

これも歓迎すべきこと。要するに、改憲阻止に護憲派4党で44議席をとらねばならない。44議席をとるためにはどうするか、を発想しなければならない。必然的に、野党共闘に行き着かざるを得ないのだ。

その、野党共闘における政策協定が昨日成立した。下記の、時事通信配信記事が比較的詳しくその経過と内容を報じている。
「「安倍政権対野党プラス市民」=安保廃止へ政策協定 【16参院選】」
 民進、共産、社民、生活の野党4党は7日、安全保障関連法廃止を訴える市民団体が設立した「市民連合」との間で、7月の参院選に向け政策協定を締結した。「安倍政権対野党プラス市民」の対決構図を掲げ、幅広く政権批判票を取り込む狙いだ。協定には安保法廃止に加え、安倍晋三首相が目指す憲法改正の阻止を盛り込んだ。
 「一人ひとりの生活を大事にする。そのことが成長につながっていく」。民進党の岡田克也代表は調印式後に共同記者会見に臨み、個人の生活重視や格差是正を訴えた。大企業や富裕層が富めば中小企業や低所得層も恩恵を被るとするアベノミクスとの対立軸と位置付ける主張だ。
 協定の締結は、市民連合が提示した政策要望書に、4野党の党首らが共闘を約束して署名する形を取った。協定書には安保や憲法問題だけでなく、保育士の待遇改善や高校授業料の完全無償化、男女賃金格差の是正など、民進党が重視する「人への投資」の具体的なメニューが並んだ。 
 4野党は参院選の勝敗を分ける32の1人区全てで候補を一本化し、自民党との事実上の一騎打ちに持ち込んだ。モデルケースとなった4月の衆院北海道5区補選で、野党統一候補は敗れはしたものの、無党派層の6?7割の支持を得たとされる。野党はこの「実績」に手応えを感じており、参院選でも市民との連携を前面に打ち出す戦略だ。
 野党一本化を主導した共産党の志位和夫委員長は共同会見で「全1人区で野党統一候補が実現したのは、市民の運動が背中を押してくれた結果だ」と謝意を表明。市民連合側の呼び掛け人の山口二郎法政大教授は「さまざまな政策課題についても市民と野党の間で確認し、共に戦っていくことが必要だ」と語り、草の根の支援を約束した。」

市民連合とは、2015年12月、下記の五市民団体が母体となって結成された市民団体の連合体である。
  「立憲デモクラシーの会」
  「安全保障関連法に反対する学者の会」
  「安保関連法に反対するママの会」
  「SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」
  「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」。

政党は本来的に、政治理念や政策の独自性を競い合う存在。その独自性をぶつけ合うのが、選挙という場。選挙共闘はなかなかに難しい。これを可能にしたのが、市民の声であり、後押しの力である。学者・青年・学生・女性・労組・反原発・環境・平和・消費者・弁護士等々の市民運動が、政党に呼びかけて共闘を現実のものとした。まさしく、「〈安倍政権〉対〈野党プラス市民〉」の構図なのだ。しかも、市民主導で共闘の政策が成立した。

市民連合の政策要望書(すなわち、共闘の政策)は、東京新聞が次のように要約している。
・安全保障関連法の廃止と立憲主義の回復
・改憲の阻止
・公正で持続可能な社会と経済をつくるための機会の保障
・保育士の待遇の大幅改善
・最低賃金を(時給)1000円以上に引き上げ
・辺野古新基地建設の中止
・原発に依存しない社会の実現に向けた地域分散型エネルギーの推進

念のため、以下に全文を挙げておきたい。明文改憲阻止と、安保法廃止・立憲主義回復がメインだが、それだけではない。格差・貧困の克服、差別なく働ける社会の構築、そして、沖縄と原発がテーマだ。これで、十分に選挙は戦えるではないか。多くの国民の共感を得る政策となっている。もう、けっして野党の野合などという悪口は言わせない。余裕を失ったアベ改憲勢力の悔し紛れの分断策として、笑って聞き流そう。

I 安全保障関連法の廃止と立憲主義の回復(集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を含む)を実現すること、そのための最低限の前提として、参議院において与党および改憲勢力が3分の2の議席を獲得し、憲法改正へと動くことを何としても阻止することを望みます。
 上記のIに加えて、市民連合は、個人の尊厳の擁護を実現する政治を求める市民連合として、以下のIIをすべての野党が実現するよう要望します。

II すべての国民の個人の尊厳を無条件で尊重し、これまでの政策的支援からこぼれおちていた若者と女性も含めて、公正で持続可能な社会と経済をつくるための機会を保障することを望みます。
・日本社会における格差は、もはや経済成長の阻害要因となっています。公正な分配・再分配や労働条件を実現し、格差や貧困を解消することこそが、生活者の購買力を高め、健全な需要を喚起し、持続可能な経済成長を可能にします。
・誰もが自由で尊厳ある暮らしを送ることができる公正で健全な社会モデルへの転換を図るために、格差のひずみがとりわけ集中してきた若者や女性に対する差別の撤廃から、真っ先に着手していく必要があります。
1.子どもや若者が、人生のスタートで「格差の壁」に直面するようでは、日本の未来は描けません。格差を解消するために、以下の政策を実現することを望みます。
 保育の質の向上と拡充、保育士の待遇の大幅改善、高校完全無償化、給付制奨学金・奨学金債務の減免、正規・非正規の均等待遇、同一価値労働同一賃金、最低賃金を1000円以上に引き上げ、若いカップル・家族のためのセーフティネットとしての公共住宅の拡大、公職選挙法の改正(被選挙権年齢の引き下げ、市民に開かれた選挙のための抜本的見直し)
2.女性が、個人としてリスペクト(尊重)される。いまどき当たり前だと思います。女性の尊厳と機会を保障するために、以下の政策を実現することを望みます。
 女性に対する雇用差別の撤廃、男女賃金格差の是正、選択的夫婦別姓の実現、国と地方議会における議員の男女同数を目指すこと、包括的な性暴力禁止法と性暴力被害者支援法の制定
3.特権的な富裕層のためのマネーゲームではダメ、社会基盤が守られてこそ持続的な経済成長は可能になります。そのために、以下の政策を実現することを望みます。
 貧困の解消、累進所得税、法人課税、資産課税のバランスの回復による公正な税制の実現(タックスヘイブン対策を含む)、TPP合意に反対、被災地復興支援、沖縄の民意を無視した辺野古新基地建設の中止、原発に依存しない社会の実現へ向けた地域分散型エネルギーの推進 以上
(2016年6月8日)        

舛添要一「政治資金流用疑惑」調査報告の惨憺たる失敗

組織に不祥事ないしはその疑惑が生じた際の対処の手法として、「第三者委員会」の利用が流行りとなっている。本来は、不祥事の原因を徹底究明して公表することによって説明責任を全うし、再発防止に資するとともに、失った信頼の回復を目的とするもの。

不祥事疑惑の解明は、当該組織自らの手ではなかなか徹底しがたい。その徹底性についての社会の信頼も得られない。だから、独立した「第三者」の手に委ねることになる。しかも、第三者が単独ではその独立性に対する信頼を確保しがたいから、複数人を選任して委員会を設置することにもなる。選任の方法・具体的な人選・調査の手法・報酬の取り決め・公表のあり方等々に、公正性を担保するための慎重な配慮を要する。

しかし、世に流行るものは、如上の慎重さを備えた本来の「第三者委員会」ではないようだ。公正を装った隠れ蓑であったり、世論の追求をかわすための時間稼ぎに使われる「似非第三者委員会」である。第三者性に疑義があり、調査の徹底にも信頼がおけない。結局は、再発の防止にも、失った信頼の回復にも役に立たないものとなる。

昨日(6月6日)公表された弁護士2名の「第三者」による疑惑調査結果の報告にもそうした疑念がつきまとう。「疑惑を抱える本人から依頼されて調査を行うことで客観性を保てるのか」。こう記者から質問された件の弁護士が、「第三者委員会とは基本的にそういうもの」と答えたと報じられているが、第三者委員会とは本来「そういうもの」ではない。そういうものであってはならない。

周知のとおり、日弁連が「企業等不祥事における第三者委員会ガイドライン」(2010年 7月15日作成、同年12月17日改定)を公表している。日弁連はけっして権威でもなく無謬でもない。当然のことながら、日弁連の言うことがみな正しいわけではない。しかし、多数弁護士の経験の集積は信頼に足りるスタンダードの提供としてハズレはすくない。このガイドラインもよくできている、と思う。

そのガイドラインの冒頭に、「第1部 基本原則」が置かれている。
「本ガイドラインが対象とする第三者委員会とは、企業や組織において、犯罪行為、法令違反、社会的非難を招くような不正・不適切な行為等(「不祥事」)が発生した場合及び発生が疑われる場合において、企業等から独立した委員のみをもって構成され、徹底した調査を実施した上で、専門家としての知見と経験に基づいて原因を分析し、必要に応じて具体的な再発防止策等を提言するタイプの委員会である。
 第三者委員会は、すべてのステークホルダーのために調査を実施し、その結果をステークホルダーに公表することで、最終的には企業等の信頼と持続可能性を回復することを目的とする。」

これが、「第三者委員会」設置の本来の趣旨・目的であり、使命である。もちろん、これ以外の調査機関の設置も自由である。しかし、それは本来の「第三者委員会」とは似て非なるものであることが、十分に認識されなければならない。似て非なるものをもって、「第三者委員会とはそういうもの」と言ってはならない。

このガイドラインの前書きに当たる個所に、「経営者等自身のためではなく、すべてのステーク・ホルダーのために調査を実施し、それを対外公表することで、最終的には企業等の信頼と持続可能性を回復することを目的とするのが、この第三者委員会の使命である。」という一文がある。また、「第三者委員会の仕事は、真の依頼者が名目上の依頼者の背後にあるステーク・ホルダーである」との文言も噛みしめるべきである。

「第三者委員会」の設置者として想定されているのは、内部に不祥事を抱えた組織であって不祥事を起こした当事者本人ではない。本件の場合、東京都あるいは都議会が「第三者たる委員」を選任して委員会を設置すべきであって、不祥事の当事者である舛添本人が依頼し設置する調査チームは、「似非第三者委員会」と言わざるを得ない。「疑惑を抱える本人から依頼されて調査を行うことでは客観性を保てない」からである。

本来の「第三者委員会」は、不祥事を起こした当事者の不利益を忖度することはあり得ない。むしろ、不祥事に厳正に対処し、これを制裁し剔抉することで、組織を防衛することが期待されている。舛添個人の不祥事疑惑を容赦なく徹底追求することで、東京都の都民に対して名誉と信頼を回復することが、真の「第三者委員会」の調査の目的でなくてはならない。

しかも、ガイドラインがいみじくも述べているとおり、本来の「第三者委員会」は、「名目上の依頼者」のために仕事をするのではない。たとえ東京都から依頼を受けた場合でも、形式的な依頼者の背後にある、真の依頼者としての都民の利益のためにはたらかねばならないのだ。

6月5日付で報告書を提出した、舛添要一不祥事疑惑調査の弁護士チームをなんと呼べば適切なのか、にわかに判断しがたい。当然のことながら、「第三者委員会」とも、「第三者調査チーム」とも言えない。敢えてネーミングするなら、「チーム・舛添」「舛添不祥事レスキュー隊」くらいのところだろうか。

「チーム・舛添」は、隠し通せない明らかな不祥事には「不適切」「要是正」としつつも、「違法はない」との結果を予定して調査を請け負ったものと評価せざるを得ない。

出発点がおかしいから、調査の姿勢も内容もおかしい。到底公正な調査が行われたとは言いがたい。

報告書の冒頭に、「第1 調査の目的」が述べられている。その全文が次のとおり。
「舛添要一氏の関係する政治団体,すなわち,自由民主党東京都参議院比例区第二十八支部,新党改革比例区第四支部,舛添要―後援会,グローバルネットワーク研究会及び泰山会の政治資金の支出内容について調査した上,それらが適法になされていたか,また,適法であったとしても政治的道義的観点から適切になされていたかを判断することが目的である。」

これには、首を傾げざるを得ない。「政治資金の支出内容について適法か」という調査目的の設定そのものがおかしいのだ。政治資金規正法にしても、政党助成法にしても、「政治資金の支出内容についての違法」は原則としてないからだ。

そもそもが、法は原則として政治資金の使途を規正しない。法は、政治団体に係る政治資金の収支の公開を義務付け、公開された使途に関しての適切不適切の判断は有権者にまかせているという基本構造になっている

政党助成法に至っては、「第4条 1項 国は、政党の政治活動の自由を尊重し、政党交付金の交付に当たっては、条件を付し、又はその使途について制限してはならない。」という明文規定を置いている。公権力は、政党の活動に介入してはならない。カネの使途を制限することで政党活動を制約してはならない。そのような自由主義的理念にもとづくもの。だから、使途の違法は原則としてない。「政治資金の支出内容について適法か」との問に対する回答は、「適法」あるいは「違法とは言えない」に決まっているのだ。

もっとも、同条2項は、「政党は、政党交付金が国民から徴収された税金その他の貴重な財源で賄われるものであることに特に留意し、その責任を自覚し、その組織及び運営については民主的かつ公正なものとするとともに、国民の信頼にもとることのないように、政党交付金を適切に使用しなければならない。」と定める。これは精神的な訓示規定。

法は、政治資金の「入り」についても、「出」についても、報告と公開の制度を設け、政治資金の動きの透明性を確保しようとしている。その報告書に記載された使途が、不適切か否かは有権者にまかせるが、報告書は正確に書かねばならない。不記載も、虚偽の記載も、違法であり犯罪となる。

だから、第三者委員会なり調査チームの調査目的は、何よりも「政治資金収支報告書の記載が正確であるか」「虚偽の記載はないか」でなくてはならない。繰り返し強調しなければならないが、虚偽記載は犯罪である。虚偽であるか否かの判断は、現実の支出内容を厳格に究明して、政治資金の支出として報告書に記載された使途との齟齬がないかを点検しなければならない。報告書を一瞥する限り、そのような視点からの検証はない。

たとえば、話題となったグローバルネットワーク研究所政治資金収支報告書上の次の記載。
「会議費用 237755円 平成25年1月3日 支出を受けた者・龍宮城スパホテル三日月 木更津し北浜町1」(現在、本年5月16日に抹消された記載となっている。)

この「会議費用」が、「組織活動費(組織対策費)」と項目別区分された、政治活動費の支出として明記されているのだ。

本来、調査は、「会議費用として平成25年1月3日237755円としての支出」という報告書の記載が虚偽ではなかったかを究明しなければならない。

この政治資金収支報告書の記載が、有権者の政治家の活動判断の材料だ。ここに虚偽が記載されていたのでは、有権者は当該政治家の活動の内容も、政治家としての資質の判断もできないことになる。有権者の判断を誤らしめるものであるか否かが、虚偽記載罪(政治資金規正法25条1項3号)成否の分かれ目である。また、それゆえに、虚偽記載罪の罪責は重い(法定刑は、5年以下の禁錮又は100万円以下の罰金)。

調査にはこの点が不可欠だが、チーム・舛添の報告書での当該部分のコメントは、以下のとおりである。

「宿泊費・飲食費について調査し検討した結果,一部に家族同伴のものなども含まれており,政治資金を支出したことが適切とは言えないものがある。」
「舛添氏とその家族が1月1日から3日まで宿泊した(2泊3日)。舛添氏によると,平成24年12月実施の第46回衆議院議員選挙で結果を出せなかったことを踏まえ,政治家としての今後について判断しなければならない状況にあったため,宿泊期間中,付き合いが長くかねてより相談相手としていた出版会社社長(元新聞記者)を客室に招き政治家としての今後のことについて相談したとのことであり,面談は数時間程度であったとのことである。舛添氏の説明内容を踏まえると,政治活動に無関係であるとまでは言えない。しかし,全体としてみれば家族旅行と理解するほかなく,政治資金を用いたことが適切であったと認めることはできない。」

これではダメなのだ。「不適切」で済ますのではなく、虚偽記載の有無に切り込まねばならない。これでは、政治活動として出版会社社長(元新聞記者)との面談が本当にあったとは言えない。不祥事の疑惑の当事者の言い分を鵜呑みにする「厳正な調査」はあり得ない。百歩譲って舛添の主張を信じたとしても、正月3が日のうち「数時間程度の面談」を除くその余の時間は、純粋な家族の旅行だったことになる。2泊3日分の費用の掲載は虚偽記載となるべきことについて、どうしてなんの検討もしないのか。「全体としてみれば家族旅行と理解するほかない」宿泊費をの全部を「会議費」として記載したのは、この部分だけでも虚偽記載となりうるではないか

こんな舛添の言い分に耳を傾けるだけの調査では、真の実質的依頼者である都民の納得を得られない。調査が尽くされていないから、認定事実に具体性なく、都民の信頼を回復するどころではない。むしろ、都民の怒りの火に油を注ぐものとなって、逆効果をもたらしたというべきだろう。

件の弁護士は、「政治資金規正法違反容疑で告発されたみんなの党(解党)の渡辺喜美元代表=不起訴=の代理人や小渕優子・元経済産業相の政治資金問題の調査、現金受領問題が発覚した猪瀬直樹前都知事の弁護も担った」(朝日)と報じられている。ああ、やっぱり。なるほど、そうなのか。と、そこだけが、妙に腑に落ちて納得した。その余の納得は到底なしえない。
(2016年6月7日)

沖縄県民の民意を切り捨てるアベ政権に怒り

昨日(6月5日)投開票の沖縄県議選。注目された結果を、各紙の見出しが簡潔に伝えている。版によって多少の違いはあるのだろうが、各紙の姿勢も垣間見える。

毎日 「これが民意」反基地訴え知事与党大勝
朝日 翁長知事与党が勝利 県議選過半数 辺野古阻止訴え
東京 「辺野古ノー」沖縄の民意 県議選で知事支持派が勝利
読売 沖縄県議選、知事支持勢力が過半数を維持
日経 沖縄県議選、辺野古反対派が過半数 反基地の高まり映す

地元各紙は、次のとおりだ。
琉球新報  県政与党大勝、過半数27議席 辺野古反対派は31人
沖縄タイムス  翁長知事に信任 与党27議席で安定多数 沖縄県議選

「選挙結果は、『辺野古ノー』という沖縄の民意を再確認して、翁長県政を信任した」。これが、メディアの受け止め方である。予想されたとおりとはいえ、心強い。

琉球新報は、大要次のように報道している。
「任期満了に伴う第12回沖縄県議会議員選挙(定数48)は5日、無投票当選が決まった名護市区を除く12選挙区で投票され、即日開票の結果、県政与党が現有の24議席から27議席に伸ばし、過半数が確定した。翁長雄志知事にとっては、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設に反対する取り組みをはじめ、県政の安定運営に弾みを付ける結果となった。野党は改選前から1増え15議席、中立は8から2減って6議席となった。」
「米軍普天間飛行場の移設先とされる名護市辺野古の新基地建設に反対する議員は公明を含めて31人となり、全体の約65%となった。」

この「与党・野党・中立」の色分けと、「辺野古新基地建設賛否」の分類とは必ずしも一致せず、地元では常識のことだが、事情を知らない者には分かりにくい。

「与党・野党・中立」の色分けによる新議席数は以下のとおり。
  与党 計27人、
    社民6人、共産6人、社大3人、諸派3、与党系無所属9人
  野党 計15人
    自民14人、野党系無所属1人
  中立 計6人
    公明4人、おおさか維新2人

「辺野古新基地建設賛否」
  反対 計31人(明確)
    社民6、共産6、社大3、諸派3、無所属9、公明4
  賛成 ?(不明確)
   
「翁長知事が就任して初めての県議選で、与野党構成比が最大の焦点となっていた。与党の安定多数を維持したことを受け、翁長知事は辺野古移設を巡って今後想定される法廷闘争なども視野に、反対姿勢を貫く方針だ。基地問題のほか、経済振興や子どもの貧困対策などこの1年半の県政運営が評価された。」

なお、琉球新報記事は、1議席増となった自民党について、次のように言及している。これが現地の雰囲気なのだろう。
「野党の自民は公認・推薦候補20人を擁立し県議選に臨んだが、複数を擁立した選挙区で落選が相次ぎ、前回議席を失った浦添市区(同4)も奪還できず、厳しい結果となった。」

目前の7月参院選に影響大きいというのが、常識的な見方。
「自民党は県議選を参院選の前哨戦と位置付けていたが、与党過半数を阻止できなかった。引き続き沖縄県議会は、アメリカ軍の普天間飛行場の辺野古の移設に反対する勢力が多数を占め、国は難しい対応を迫られる。参院選(7月10日投開票)への影響は必至とみられる。」(時事)

この県民世論の意思表明をできるだけ薄め、影響ないように印象操作しようというのが、アベ政権の姿勢。本来なら、口先だけでも、「沖縄の民意の所在がよく分かりました。可能な限り、選挙にあらわれた民意を尊重した施策の実現に努めます」くらいのことは言わねばならない。

ところが、政権には沖縄の民意を受け止め尊重しようという姿勢がさらさらない。選挙結果を受けての菅官房長官談話は、「辺野古基地新設ノー」の圧倒的な民意に敵意を投げつけるものである。この姿勢は、アベ政権の本質的な欠陥を露呈している。

毎日新聞の本日夕刊に、「沖縄県議選 県政与党大勝 菅官房長官『辺野古移設、方針変えず』」の記事。
「菅義偉官房長官は6日午前の記者会見で、5日投開票された沖縄県議選で翁長雄志知事の県政与党が過半数を維持した結果について、『地方選挙は地域経済の発展や生活向上などで各候補の主張が争われる。その結果と受け止めたい』と述べた。米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設に関しては、『辺野古移設は唯一の解決策との考え方に変わりはない』と語り、移設を進める考えを強調した。」

要するに、「民意がどうであれ辺野古移転は断乎やる」という政権の乱暴きわまる宣言である。公用水面埋立法は、国の海面埋立には県知事の承認を必要としている。その知事を支えている県民の民意を無視する、というのである。その民主々義的感覚を疑わざるを得ない。

なお、本日(6月6日)は、71年前の沖縄地上戦において、沖縄根拠地隊司令官であった大田実が、海軍次官宛てに発信した訣別電報を打電した日として知られる。

1945年6月6日午後8時16分に打電された長文の電文は、「天皇陛下万歳」「皇国ノ弥栄」などの常套文句はなく、ひたすらに沖縄県民の敢闘の様子を伝えて、最後を次のとおり締めくくった。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

その後、大田は6月13日に豊見城の海軍壕内で拳銃で自決している。自決の前に、彼は日本と沖縄の「後世」として、どんな状況を思い描いただろうか。戦争はいずれ終わる。その戦争がなくなった戦後の世に、「県民ニ対シ特別ノ御高配ヲ」という彼の心情には、汲むべきものがあるし、応えるべきでもあろう。

71年後における「県民ニ対スル特別ノ御高配」が、アベ政権の県民世論無視なのだ。泉下の大田も、アベ政権に烈火の如く怒っているに違いない。
(2016年6月6日)

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