澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「6月5日川崎ヘイトデモ」に禁止仮処分命令ーデモ参加者には不法行為損害賠償責任

本日(6月2日)、横浜地方裁判所川崎支部が、以下の仮処分命令を出した(仮処分事件では、申立てた者を「債権者」、申し立てられた相手方を「債務者」という)。

当裁判所は,債権者に債務者のため30万円の担保を立てさせて,次のとおり決定する。
主文 債務者は,債権者に対し,自ら別紙行為目録記載の行為をしてはならず,又は第三者をして同行為を行わせてはならない。
行為目録
債権者(社会福祉法人)の主たる事務所(川崎市川崎区桜本○丁目△番□号)の入口から半径500m以内(別紙図面の円内)をデモしたりあるいははいかいしたりし,その際に街宣車やスピーカーを使用したりあるいは大声を張り上げたりして,「死ね,殺せ。」,「半島に帰れ。」,「一匹残らずたたき出してやる。」,「真綿で首絞めてやる。」,「ゴキブリ朝鮮入は出て行け。」等の文言を用いて,在日韓国・朝鮮人及びその子孫らに対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命,身体,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し,又は名誉を毀損し,若しくは著しく侮辱するなどし,もって債権者の事業を妨害する一切の行為

これはすばらしい決定だ。「ヘイトスピーチを行う個人や団体に行為の禁止を認める仮処分決定は、京都地裁が『在日特権を許さない市民の会』(在特会)などに対し、京都朝鮮第一初級学校(京都市)近くでの演説禁止などを命じた決定(2010年)に続き、2例目とみられる。」と報道されているが、今回の仮処分はヘイトスピーチ対策法成立後のこの時期、天下の耳目を集めてのもの。影響は大きい。

仮処分命令は「地図上に同法人の事務所から半径500メートルの円を描いて、このなかのヘイトデモを禁止する」という内容。警察は、デモ隊がこのエリアで「デモしたりあるいは徘徊したり」することを阻止しなければならない。制止を無視するヘイトスピーチデモ参加者を、威力業務妨害で逮捕もしなくてはならない。

これから続々と同種仮処分の活用が日常化していくことになるだろう。ヘイトデモ禁止に実効性を有する仮処分戦術が進歩していくだろう。仮処分だけでなく、仮処分の取得をテコにした警察警備のあり方も厳格化されていくだろう。何よりも、仮処分だけでなく本訴の活用にも大きく道が開けた。この仮処分決定は、理由中で「ヘイトデモにおける差別的言動は、平穏に生活する人格権に対する違法な侵害行為に当たるものとして不法行為を構成する」と明記した。しかも、「人格権を侵害する程度が顕著」とも断じている。その結果、ヘイトデモ主宰者や幹部企画者だけでなく、すべての差別デモ参加者が共同不法行為の責任を負わねばならないことになる。損害賠償責任が生じ、ヘイトデモ参加者個人に対する財産の差押えができることになる。

決定書を見ると、債権者は、「在日大韓基督教会川崎教会を母体として社会福祉法人の認可を受けた川崎市内桜本地区の社会福祉法人で、その目的として,人種・国籍・宗教のいかんを問わず,福祉サービスを必要とする者が,心身ともに健やかに育成され,又は社会,経済,文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられることを目指し,個人の尊厳を保持しつつ,自立した生活を地域社会において営むことができるよう支援し,共生社会を実現することを掲げている」という。

裁判所の認定によれば、「川崎市臨海部は,戦前から,在日コリアンと呼称される在日韓国・朝鮮人(その子孫らを含む。以下同じ。)が多数居住する地域であり,特に債権者の事務所が所在する川崎市川崎区桜本地区はその集住地域であり,そのことは広く知られている。債権者は,同地区において,民族を理由に入園を断られた子供を受け入れる保育園を設立する,学校で孤立する在日コリアンの居場所を作る,在日1世の高齢者の福祉も手掛けるなど,民族差別解消・撤廃に向けて取り組み,社会福祉事業を行ってきたものであり,現在,同地区内ないしその周辺において,計9か所の拠点で,保育所,児童館,高齢者・障害者交流施設,通所介護施設等の施設を運営している。債権者の事業所及び施設は,債権者の主たる事務所の入口から半径500m以内(別紙図面の円内)に所在している」という。だから、ここが差別主義者の標的になるのであり、だからこそ卑劣な攻撃から防衛しなければならないわけだ。

裁判所は、住民の人格権尊重と、憲法21条の表現の自由との調整について、次のように判示している。やや長いが重要個所として引用しておきたい。

「人格権の侵害行為が,侵害者らによる集会や集団による示威行動などとしてされる場合には,憲法21条が定める集会の自由,表現の自由との調整を配慮する必要があることから,その侵害行為を事前に差し止めるためには,その被侵害権利の種類・性質と侵害行為の態様・侵害の程度との相関関係において,違法性の程度を検討するのが相当である。しかるところ,その被侵害権利である人格権は,憲法及び法律によって保障されて保護される強固な権利であり,他方,その侵害行為である差別的言動は,上記のとおり,故意又は重大な過失によって人格権を侵害するものであり,かつ,専ら本邦外出身者に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で,公然とその生命身体,自由,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し,又は本邦外出身者の名誉を毀損し,若しくは著しく侮辱するものであることに加え,街官車やスピーカーの使用等の上記の行為の態様も併せて考慮すれば,その違法性は顕著であるといえるものであり,もはや憲法の定める集会や表現の自由の保障の範囲外であることは明らかであって,私法上も権利の濫用といえるものである。これらのことに加え,この人格権の侵害に対する事後的な権利の回復は著しく困難であることを考慮すると,その事前の差止めは許容されると解するのが相当であり,人格権に基づく妨害予防請求権も肯定される。」

この仮処分命令申立は5月30日で、予告された6月5日のデモを禁止する必要から、急ぎ本日(6月2日)発令となった。ただし、期限は6月5日までと区切られていない。その後もなお、有効なのだ。

また、デモの主催者は、市内2カ所の公園利用を市に申請していたが、市は5月末に不許可としている。市民の意識が中心となり、自治体や裁判所の手を借りることで、「日本の恥」というべきヘイトスピーチデモを根絶することができそうな予感がする。

安倍政権登場とともに、ヘイトデモは跋扈し始めた。ヘイトスピーチを許容する社会の雰囲気が安倍政権を作った側面もあろうし、安倍政権の右翼的体質がヘイトスピーチデモを煽ったことも否定し得ない。しかし、あまりにひどい差別言動には、さすがの安倍政権も距離を置かざるを得ない。世論に押される形で、政権には不本意なヘイトスピーチ対策法が成立し、川崎市もヘイトスピーチデモ排除に乗り出している。このタイミンクでの仮処分決定は、まことに貴重だ。勇気をもって、申し立てた関係者と、代理人の弁護団に敬意を表する。
(2016年6月2日)

民主主義ってなんだ? 民主主義による戦争ってなんだ?

昨日の「日記」に、我流の「天網恢々」解釈を書いたところ、知人から「司馬遷の『天道是か非か』まで想起され、頷きながら最後まで読み通しました」という、冷や汗の出るような感想に接した。

「天道是か非か」。是であって欲しいと願いつつも、誰もが過酷な非の現実に打ちのめされる。天を怨み、神の沈黙に戸惑い、神も仏もないものかと嘆くのが、いつの世にあっても、人の常だ。

実は、民主主義も「天道」に似ている。平和や人権を擁護する民主主義であって欲しいと願いつつも、民主主義の名の下の過酷な現実に打ちのめされる。選挙結果を嘆き、政権を怨み、憲法の沈黙をいぶかしむ。民主的手続で構成された安倍政権が特定秘密保護法を作り戦争法を強行し、武器輸出3原則もなげうって戦争のできる国への危険な道を歩みつつある。これが民主主義か、こんなはずではと悩むのが今の世の常だ。

ネットで、民主主義を怨嗟する自分の文章を見つけた。8年前に「法と民主主義」へ寄稿したもの。ほんの少しだけ手直しして再掲してみる。

▼東京都の知事が学校での「日の丸・君が代」強制に躍起になっている。大阪府の知事は、「くそ教育委員会」とまで悪罵を投げつけて学力テストの結果公表に固執している。傲慢で反憲法的な両知事の姿勢は、「民意」に支えられている。
 政権与党による米軍への基地提供も、自衛隊海外派遣策も、積極・消極の「民意」が実現してきた。格差社会を産み出した「構造改革」も、小泉政権を支持した選挙民の選択の結果にほかならない。

▼多数決原理はかくも危うい。47年教育基本法の前文が述べるとおり、「憲法に示された理想の実現は根本において教育の力にまつべきもの」であろう。教育の力が顕現するまでの相当な期間、選挙に表れた民意と憲法理念との大きな乖離は現実であり続ける。思想的・政治的少数派にとって、民主主義原理は味方ではないというにとどまらない。切り結ぶべき相手方の武器となっている現実がある。

▼だからこそ、人権という理念の重要性が強調されなければならない。いかなる民意も人権を侵害することはできない。民主主義という手続き的価値には、人権という実体的価値に譲らざるを得ない限界がある。民主主義ではなく、人権こそが至高の価値である。このことは、もっと語られなければならない。
 たとえ、社会の圧倒的多数が「学校行事で国旗を掲げ国歌を斉唱することが教育上望ましい」と望んだにせよ、自己の尊厳をかけて「日の丸に対して起立し、君が代を歌う」ことを拒否する人に強制することは許されない。それが、憲法の精神的自由条項の冒頭に人権としての思想・良心の自由を定めた意味である。
 「多数が立つとも、我は立たず」「多数が歌えども、我は歌わず」は、基本的人権保障の名の下に認められなければならない。

▼ところで、国民多数が戦争を望んだ場合はどうだろうか。民主主義政権の戦争である。
 「国家が戦争をしても、我は参加せず」との命題は、ほとんど意味をなさない。国家が戦争という選択をした場合に、全国民に戦争の惨禍を逃れる術はないからである。良心的に兵役を拒否しても、事態は変わらない。平和に生きる権利とは個人限りで実現する権利ではない。したがって、国家に戦争をさせないよう働きかける権利と観念するしかない。
 いうまでもなく、憲法とは人権保障の体系である。人権を保障するために、立憲主義があり、権力の分立があり、司法の独立があり、制度的保障がある。

▼信仰の自由という人権をより強固に保障するために政教分離という制度がある。学問の自由という人権擁護のために大学の自治がある。国民の教育を受ける権利の蹂躙を防止するために、権力による教育への支配が禁じられる。
 まったく同様に、国民一人ひとりの平和に生きる権利を保障するために、憲法は九条を定めて戦争を禁止し戦力を放棄した。平和的生存権を具体的な人権と考え、九条はその人権保障のための制度と考えるべきである。人権としての平和的生存権の具体的内容は、国家に対して九条を厳格に守らせ、戦争につながる一切の行為を避止させる権利でなければならない。

以上の記事は「法と民主主義」のアーカイブ。下記のURLで読める。
  http://www.jdla.jp/houmin/2008_10/#totteoki

同じサイトに、「法民」編集長佐藤むつみさんが訪ね人となった『とっておきの一枚』シリーズ、市吉澄枝さん(夫とともに治安維持法弾圧経験者・戦後税理士)のインタビューが読ませる。市吉さんは先日(本年5月25日)逝去との報せ。享年93。野蛮な戦前社会で、天道の非を身をもって経験された方を、また一人失った。ご冥福をお祈りする。
(2016年6月1日)

甘利不起訴?そりゃアマリにひどい。法はザルか、底の抜けたバケツか。

天網恢々疎にして漏らさず(『老子』では「失わず」)、とは情けない諺。普通の理解は、「悪を捕らえる天の法網は、一見網の目が粗くて諸悪がすり抜けられそうなのだが、実は逃しはしないのだ。国法が目こぼししても、やがては天の網に捕らえられる」というくらいの含意。しかし、天の網の目を密と言わずに、疎といっている。なんとも微妙な言い回しではないか。

庶民はみんな知っている。政治家を縛る諸法はすべてザルであることを。権力には、巨悪を眠らせずにおくものか、という気迫のないことも。昔から、庶民は、「国法が見逃しても、きっと天の網が、奴らを捕らえてくれるはずさ」と、自らを慰めてきた。学のある者が、そのような民衆の気分を上手に文章にまとめたのが、「天網恢々」だ。いつかはきっと、あいつに天罰が下る。だから、怪しからんと憤ったり、ワーワー騒がなくてもよいのだ、と。

この法諺は、「天皇に道義的政治的責任はあっても、法的責任はない」「だから、東京裁判の起訴は免れた」「しかし、天網恢々…、その戦争責任をいつかは必ず天の網が裁くはず」と使われた。でもまた、誰もが知っている。結局のところはこれも願望に過ぎないことを。実際に、天皇はその後40年余も永らえて、天の網に捕らえられて裁かれたか…、誰も知らない。

「法は蜘蛛の巣だ。チョウはつかまり、カブトムシは破る」このリアリティを糊塗するための、天網恢々のたわごと。そんなことを考えざるをえないのは、今朝の朝刊に「甘利不起訴の方向」の記事を見てのこと。検察からのメディアのリークとして、根拠のない記事ではないと思っていたら、午後には「東京地検 甘利を不起訴に」の報道。

今朝の毎日の記事は、こうだ。
<甘利氏>不起訴へ 東京地検、任意で聴取 現金授受問題
「甘利明前経済再生担当相(66)=1月辞任=を巡る現金授受問題で、東京地検特捜部が甘利氏本人から任意で事情を聴いたことが分かった。甘利氏は都市再生機構(UR)が建設会社「薩摩興業」(千葉県白井市)に約2億2000万円を支払った交渉への関与などを否定したとみられる。甘利氏と元秘書2人については、あっせん利得処罰法違反などの疑いで告発状が出されているが、刑事責任を問うことは難しいとの見方が強く、特捜部は近く3人を不起訴処分とする方向で調整している。…UR関係者は『13年度中に契約を結ぶために交渉を急いでいた』と話し、甘利氏や元秘書が交渉に与えた影響を否定した。」
「同法違反での立件には、国会議員としての『権限に基づく影響力の行使』があったことを立証する必要があるが、捜査ではそうした証拠は得られなかったとみられる。」

この事件は、あっせんを請託した者が、自らの刑事訴追を覚悟して、甘利のあっせん利得処罰法違反を世間に暴露したものだ。稀有の事例と言ってよい。これで、立件できないとすれば、法はザルだ。密なる網でもなければ、疎なるザルですらない。底の抜けたバケツというべきではないか。必要性あって、せっかく作った「あっせん利得処罰法」が発動されることは今後一切あるまい。この運用で、「あっせん利得処罰法」は名前を変えざるを得ないだろう。「あっせん利得容認法」、あるいは「あっせん利得奨励法」だ。だから、政治家稼業は辞められない。

もう一度、あっせん利得処罰法の条文をよく見よう。
同法第1条(公職者あっせん利得)の構成要件は以下のとおりである。
(犯罪主体) 衆議院議員、参議院議員又は地方公共団体の議会の議員若しくは長(以下「公職にある者」という。)が、
(犯罪行為) 国若しくは地方公共団体(URを含む)が締結する売買、貸借、請負その他の契約又は特定の者に対する行政庁の処分に関し、
請託を受けて、
その権限に基づく影響力を行使して公務員(UR職員を含む)にその職務上の行為をさせるように、又はさせないようにあっせんをすること又はしたことにつき、
その報酬として財産上の利益を収受したときは、
(刑罰)三年以下の懲役に処する。

問題は、「その権限に基づく影響力を行使して」の立証の困難ということのようだ。「その権限に基づく影響力」とは、「甘利が国会議員として有している広範な権限の影響力」である。UR側が甘利事務所の口利きを無視し得ず、交渉を重ねざるを得なかったこと、甘利事務所が口利きをした保証金交渉で譲歩したのは、「その権限に基づく影響力の行使」ゆえではないか。立件し、裁判所の判断を仰ぐべきが筋であろう。

到底、天網に委ねて済む問題ではない。告発事件が不起訴の通知があれば、検察審査会への審査申し出とならざるを得ない。
(2016年5月31日)

核なき世界を求めて第五福竜丸は今なお航海中ー展示館開館40周年

昨日(5月29日)、「第五福竜丸展示館開館40周年記念レセプション」が、賑々しく行われた。主催は公益財団法人第五福竜丸平和協会、参加者は核廃絶運動に真摯に関わってこられた方々。会場はクラシック然たる神田の学士会館であった。

都立第五福竜丸展示館は1976年6月10日に開館している。その都立第五福竜丸展示館の管理を担っているのが、第五福竜丸平和協会。協会の活動に関しては、ぜひとも下記のサイトをご覧いただきたい。私は、浦野広明さんとともに、監事を務めている。
  http://d5f.org/kyokai.html

協会の定款第3条は、「この法人は、昭和29年3月1日ビキニ水爆実験の被災船第五福竜丸を記念し、原水爆被害の諸資料を収集・保管・展示することにより、都民をはじめ広く国民の核兵器禁止・平和思想の育成に寄与することを目的とする。」と謳っている。船体の保存は意義ある重要なものだが、協会はこれを自己目的化しているわけではない。目的は飽くまで「核兵器禁止・平和思想の育成」なのだ。「育成」という用語が気になる方は、「涵養」「普及」「啓発」あるいは「訴え」「呼びかけ」とでも、読み替えていただきたい。

核爆弾が実戦においてその残虐な威力を示したのは1945年8月の広島と長崎だった。広島投下の原爆はウラン型。長崎のものはプルトニウム型。その7年後、52年にアメリカは南太平洋のエニウェトク環礁で初の水爆実験を行う。そして、1954年3月から5月にかけてアメリカは一連の最大級水爆実験をビキニ環礁で行う。キャッスル作戦と名付けた6回の実験の最初のものが、3月1日の15メガトン水爆「ブラボー」だった。ブラボーの爆発力は、広島に落とされた原爆の1000倍である。なんという脅威、そしてなんというふざけた命名。

たまたま近海で操業していてたマグロ漁船・第五福竜丸は、爆発地点から160キロの距離で被災することになる。未明、太陽が西に昇ったと思わせる閃光の後に、乗組員23名が珊瑚礁の死の灰を浴びることになった。これが「3・1ビキニ事件」。「急性放射線症」で全員が入院した後、最年長の通信士久保山愛吉さんが半年後に逝去される。その命日は9月23日、「久保山忌」である。

久保山さんの遺言「原水爆の被害者はわたしをさいごにしてほしい」という言葉を刻した「久保山愛吉碑」が、展示館の裏庭に建立されている。その書体は、三宅泰雄(協会初代会長)の筆になるもの。

こうして、原爆だけでなく、水爆の犠牲者としても日本人の名が歴史にきざまれた。広島・長崎だけでなく、第五福竜丸も核による悲惨な歴史の告発者であり証人なのだ。

昨日のレセプションでは「都立第五福竜丸展示館 40年のあゆみ」と表題した64頁のパンフレットが配布された。同パンフレットには付録「世界の核爆発実験年表」がついている。これによると、これまでの「爆発をともなう」核実験数は2061回。それ以外に「爆発をともなわな」核実験として、「アメリカ39回、ロシア10数回」があるという。

そして、まだ世界には、アメリカ(7200個)」、ロシア(7500個)をはじめとして、イギリス・フランス・中国・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮が、核弾頭をもっている。核拡散の危険も払拭できない。

現実に被爆した、歴史の証人としての第五福竜丸は、多くのことを語っている。また、多くの人が、この船体を囲んで、多くのことを語りあい、語り継いでいる。まさしく、核なき世界を目指して「第五福竜丸は航海中」(被爆60年記念記録集の表題)なのである。

ところで、この「都立展示館」の開設は、廃船とされ捨てられていた第五福竜丸保存を求める市民運動を当時の都政が受け止めた結果である。当時の美濃部革新都政の姿勢を表明する「歴史的な」一文をご紹介しておきたい。展示館開館の2年前、第五福竜丸保存を目指して第五福竜丸保存協会が発足したときの「平和協会ニュース・第1号」への寄稿である。

憲法や平和運動に敵意を剥き出しにした石原都政や、みっともなさをさらけ出した舛添都政との恐るべき絶対格差に慨嘆せざるを得ない。われわれは再び、美濃部時代の真っ当な都政を手にすることがあるだろうか。

「平和協会に期待する」 東京都知事 美濃部亮吉
 第五福竜丸の保存を通して、平和と人道のためのたたかいを根気よく進めてこられたみなさんが、さらにその活動を拡大発展させるため、去年の暮、新たに財団法人第五福竜丸保存平和協会を設立されました。
 当然のこととはいえ、この運動は何一つ権力や財力に依存しない純粋な市民の善意と勇気だけでおし進められてきたものです。また、居丈高な絶叫や人目を驚かす街頭デモなどでなく、静かな情熱と知的な訴えによってささえられてきたものです。そういうみなさんの活動が、とかく先細りしがちなこの種の運動の中で、多くの困難をのり越えて着実に歩み続けてきたばかりか、今回の設立によっていっそう豊かな展望を持つ新たな段階に進まれたことに心から敬服し、その未来に熱い祝福をお送りいたします。
 いま、狂ったようなインフレの昂進によって、市民の生活は日々深い危機にさらされています。この混乱と不安をもたらしたものが、市民の立場をかえりみず、もっぱら資本の論理と利益に奉仕してきた高度経済成長政策であることは言うまでもありません。かつて私たちをあの悲惨な戦争にまきこんだものも、当時の日本の特殊な条件の下で進められた資本の論理と利益ではなかったでしょうか。私たちは、そのような根が生き続けていることに警戒を怠ってはなりません。
 それにしても、今日、内外の条件はそのころと一変し、戦争を喰いとめ平和を進めようとする各国市民の力は前例のない規模に達しています。みなさんの活動は、その責重な一環をなすものです。この力をますます強めなくてはなりません。第五福竜丸の小さな船体は、人々の心を戦争への怒りと平和への決意に駆りたてる大きなシンボルです。それは、平和をそこない、人間をしいたげるすべてのものに対し、私たちが何をしなければならないかを生々しく語りかけています。私は、みなさんの運動に心からの拍手と連帯をお送りし、協会のご発展に期待いたします。

なお、都立第五福竜丸展示館の開館時間は、9:30?16:00。入場無料である。
協会支援の下記賛助会員の制度がある。会員としてご支援いただけたら幸甚です。
1.賛助会員
第五福竜丸だよりはじめイベントのご案内などを差し上げます。(年会費:個人5千円・団体1万円)
2.ニュース(福竜丸だより)会員
会員様のご自宅へ「福竜丸だより」をお送りいたしております。(年会費:個人2千円 )

協会への連絡方法は下記のとおり。
東京都江東区夢の島3-2 夢の島公園内
TEL:03-3521-8494 FAX:03-3521-2900
アクセスは、http://d5f.org/access.html
(2016年5月30日)

「リーマンに濡れ衣着せて頬被り」?この頬被りを許すのか、世界が日本の有権者を見守っている。

昨日(5月28日)の朝日川柳欄。入選7句のうち、3句が同じテーマ。さすがに達者な出来映え。

 リーマンもショックで逃げる景気観(東京都 秋山信孝)
 消費税延期のためのG7(大阪府 片柳雅博)
 珍説を咎めず客がおもてなし(埼玉県 小島福節)

アベの思惑の透け方。アベの姑息。アベの狡さと間抜けさ。そのすべてが、川柳子の好餌となっているのだ。
川柳だけでない。社説も辛辣だ。
「首脳宣言で「財政出動」と「経済危機」への言及にこだわり続けた日本のリーダーの姿勢は世界にどう映ったか。議長として指導力はある程度重要だとしても、我田引水では信頼を失いかねない。」
「首相の会見はいかにも我田引水が過ぎる印象だが、それが許されてしまうのも議長国だからだ。各国が持ち回りで議長を務めるため「お互い大目に見よう」との配慮が働くといわれる。議長国の恣意が強くなりすぎると、サミットの意義を低下させかねないことを肝に銘ずべきだ。」(
東京新聞)

本日(5月29日)の毎日朝刊も、アベには無遠慮に「伊勢志摩サミット 『リーマン級』に批判相次ぐ」との記事を掲載している。

「27日閉幕した主要7カ国(G7)首脳会議(伊勢志摩サミット)で、安倍晋三首相が『世界経済はリーマン・ショック前に似ている』との景気認識をもとに財政政策などの強化を呼びかけたことに対し、批判的な論調で報じる海外メディアが相次いだ。景気認識の判断材料となった統計の扱いに疑問を投げかけ、首相の悲観論を『消費増税延期の口実』と見透かす識者の見方を交えて伝えている。」

毎日が紹介する海外メディアの批判記事は、英紙フィナンシャル・タイムズ、英BBC、仏ルモンド紙、米経済メディアCNBC、中国国営新華社通信などである。

たとえば、「BBCは27日付のコラムで『G7での安倍氏の使命は、一段の財政出動に賛成するよう各国首脳を説得することだったが、失敗した』と断じた。そのうえで『安倍氏はG7首脳を納得させられなかった。今度は(日本の)有権者が安倍氏に賛同するか見守ろう』と結んだ。」「ルモンドは、「安倍氏は『深刻なリスク』の存在を訴え、悲観主義で驚かせた」と報じた。首相が、リーマン・ショックのような事態が起こらない限り消費税増税に踏み切ると繰り返し述べてきたことを説明し、『自国経済への不安を国民に訴える手段にG7を利用した』との専門家の分析を紹介した。」「CNBCは『増税延期計画の一環』『あまりに芝居がかっている』などとする市場関係者らのコメントを伝えた」という具合。

BBCがいう「安倍氏はG7首脳を納得させられなかった。今度は(日本の)有権者が安倍氏に賛同するか見守ろう」は重い。こんな、政権を許すのか、実は世界から日本の有権者が見つめられているのだ。

解説記事も辛口。
サミットを締めくくる議長会見。安倍首相は「リーマン・ショック」という言葉を7回も使って「世界経済のリスク」を強調したうえで、「アベノミクスのエンジンをもう一度、最大限ふかしていく決意だ。消費税率の引き上げの是非を含めて検討する」と踏み込んだ。
 首相が「リーマン級のリスク」を主張するのは、これまで、消費増税を延期する例として、2008年に起きたリーマン・ショックや大震災を挙げてきたからだ。しかも、G7で合意した「世界経済のリスク」に対応するため、という理由であれば、自らの看板政策であるアベノミクスが失敗したという批判も避けられるというわけだ
。」(朝日)

「安倍首相がこじつけとも言えるデータを示して『危機に陥るリスクに立ち向かう』と強調した背景について、ある金融市場関係者は『日本経済は不調が続いているが、アベノミクスが失敗しているとは口が裂けても言えない。景気対策の財政出動をするためには、リーマン・ショック級のデータを示すしかなかったのだろう』と指摘している。」(共同)

この各紙の厳しさは、アベノミクス失敗についてのものではない。これを糊塗し、誤魔化し、責任転嫁しようという安倍政権の姿勢への批判の厳しさである。

当然のことながら、「野党は首相への批判を強めている。」と報じられている。
「民進党の岡田克也代表は記者会見で『アベノミクスの失敗を糊塗するため、サミットの場が使われたとすれば罪は重い。ここまでやるか』と厳しく批判した。」
「共産党の志位和夫委員長も記者団に『日本の経済情勢こそリーマン・ショック前の状況だ。自らの失政の責任を世界経済に転嫁するというのは成り立つ話ではない』と述べた。」という。

「信なくば立たず」というではないか。愚直でも、その言動に嘘やごまかしのない限りは政治家の政治生命が断たれることはない。言っていることが姑息で、狡くて、信頼できないとなれば、もはや政治家として立つことはできない。

昨日から今日の紙面を埋めた、安倍の言動への評価の言葉を拾えば、我田引水・恣意・こじつけ、G7の利用、責任転嫁…。首都の知事は、都民の信を失って、水に落ちた。およそ知事としての勤めが果たせる状況にない。アベも同じではないか。彼の言動に信の根拠となるべきものはない。都合のよいデータをつなぎ合わせて、自己弁護の材料としているだけだ。

それにしても、冒頭に引用した3句。この3句が、すべてを語り尽くしている。川柳の説得力恐るべし、である。なお、タイトルの1句は、恥ずかしながら拙句である。残念ながら入選句ではない。
(2016年5月29日)

「広島は大統領の花道を飾る貸座敷ではない。日米同盟強化誇示の場に利用されてはかなわない。」

オバマ広島訪問における、原爆資料館10分間見学と17分間演説。その評価は大きく割れている。各紙の紙面にも、極端な持ち上げ記事と辛口の批判の両方が並んでいる。統一性はなく、アンビバレントとは、まさしくこういうときに用意された言葉だろう。

評価の分裂には理由がある。何よりも、オバマは日米軍事同盟における、目上の同盟国の指導者である。日本全土を核の傘の下におき、沖縄の軍事占領を継続している軍事超大国の大統領だ。日本をその世界的な軍事戦略の目下のパートナーと心得て、日本の改憲や軍事大国化を側面援助する立場。そのオバマが主導する日米同盟の強化には到底賛意を表しえない。今回の広島訪問と演説とは、基本的にそのような日米軍事同盟の強化・深化をもたらすものと考えざるをえない。

ではあるが、オバマが青年時代から反核の志をもって育ち、就任直後のプラハでの演説に見られるように、主観的には真摯に核廃絶を希求する姿勢を持っていることも事実である。現職の米大統領として初めて広島を訪問したオバマに、すくなからぬ人びとが核なき世界を求めての願いを託する気持になった。広島で被爆の実相に触れれば、大統領職を離れたあとのオバマに期待もできようとも考えた。

表と裏、A面とB面。同じものを、どちらの面で見るかで評価は異なるのだ。あの演説を歴史に残る名演説というB面的見解もあれば、まったく無内容な駄文に過ぎないとのA面からの意見もある。もっとも、オバマの役者としての力量には意見が一致するようだ。傍らに立った、我がアベシンゾーの大根役者ぶりが際立ったということも。

それだけに、各紙の1面を飾っている被爆者の背を抱くオバマの写真のインパクトを警戒しなければならない。彼は、軍事同盟の盟主なのだ。けっして平和の天使ではない。この基本視点を忘れてはならない。

オバマ訪問前の記事では、東京新聞5月25日夕刊の堀川恵子「オバマ大統領の広島訪問―溜息が混じる感動―」が、心に響いた。「溜息」は、「今頃になって」「遅かりし」という慨嘆である。堀川は、自身が「広島に生まれ育った」ことを書き添えている。

文中、被爆者である高野鼎さん(故人)が遺したという短歌が紹介されている。
「たひらぎを祈り給へるすめらぎの みことおそかりき吾におそかりき」
もう少し早くの詔勅を下してもらえていたらと慟哭する高野さん。原爆で最愛の妻と四人の子を失い、天涯孤独となった。」

このことに続けて、堀川はこう言っている。
「広島は、確かに筆舌に尽くしがたい犠牲を払った。同時に、満州事変から始まる十五年戦争という歴史の文脈に広島を置いてみる。戦争を始めた責任、戦争を煽った責任、戦争を早期に終わらせなかった責任、あらゆる責めはそのまま、日本の戦争指導者そして私たち自身へと戻ってくることも忘れてはならないだろう。」

ここには、広島の悲劇を嘆きながらも、加害の責任をも見据え、天皇を筆頭とするそれぞれの「私たち自身」の責任への問いかけがある。

「戦後の広島は、折にふれ政治的パフォーマンスの場として使われてきた。毎年八月六日には政治家らが壇上に立ち、その日限りの平和と反核を訴える。今回の大統領の広島訪問は、日本の選挙を前にしたタイミングとも重なった。日米同盟の強化を訴えるには絶好の機会だ。『未来志向』を掲げオバマ大統領を歓迎する政治家たちの姿に、平和や反核とは異なる理屈が透けて見えるのは私だけか。」
オバマとアベの広島訪問に対する違和感の原因についての正鵠を射た解説というべきだろう。

オバマ訪問後の記事では、本日(5月28日)毎日朝刊の広岡敬(元広島市長)「謝罪なく なぜ来た」。そして、ジャックユンカーマン(映画監督)「米は教訓得ていない」。また、「『具体的発言ない』長崎関係者、不満残す」の報道記事。ともに、謝罪のないこと、核兵器廃絶への道筋に言及のないこと、そしてオバマ政権が核廃絶の演説とは真逆に、核兵器とその運搬手段開発予算として「今後30年で1兆ドルの予算を承認している」ことなどを批判している。

とりわけ、広岡の舌鋒が鋭い。次の点には、深くうなずかざるを得ない。
「日米両政府が言う「未来志向」は、過去に目をつぶるという意味に感じる。これを認めてしまうと、広島が米国を許したことになってしまう。広島は日本政府の方針とは違い、「原爆投下の責任を問う」という立場を堅持してきた。今、世界の潮流は「核兵器は非人道的で残虐な大量破壊兵器」という認識だ。それはヒロシマ・ナガサキの経験から来ている。覆すようなことはしてはいけない。」

「オバマ大統領は2009年にプラハで演説した後、核関連予算を増額した。核兵器の近代化、つまり新しい兵器の開発に予算をつぎ込んでいる。CTBT(核実験全面禁止条約)の批准もせず、言葉だけに終わった印象がある。だからこそ、今回の発言の後、どのような行動をするか見極めないといけない。」

その最後はこう結ばれている。
「広島は大統領の花道を飾る「貸座敷」ではない。核兵器廃絶を誓う場所だ。大統領のレガシー(遺産)作りや中国を意識した日米同盟強化を誇示するパフォーマンスの場に利用されたらかなわない。」
まことに同感である。
(2016年5月28日)

本日、注目の沖縄県議選告示ー翁長県政与党の勝利を期待

関心の焦点は、サミットの伊勢からオバマの広島へ。そして、本日告示の沖縄県議選へと目まぐるしく移る。参院選直前の前哨戦としてというだけでなく、アベ壊憲政権との対峙の最前線の政治戦として注目せざるを得ない。

沖縄県議会は、昨日(5月26日)臨時会を開いて、「米軍属女性死体遺棄事件に対し抗議するとともに、在沖米海兵隊の撤退や日米地位協定の改定などを求める決議と意見書」を全会一致で可決した。

可決された抗議決議と意見書は、与党が提案した「被害者への謝罪と完全な補償」「日米首脳で沖縄の基地問題と事件・事故対策を話し合うこと」「米軍普天間飛行場の県内移設断念」「在沖米海兵隊の撤退と米軍基地の大幅な整理縮小」「日米地位協定の抜本改定」「米軍人・軍属などの凶悪事件発生時に、訓練と民間地域への立ち入りと米軍車両の進入の禁止措置」などを求めている。

この内容の決議に自民まで賛成したのかと一瞬驚いたが、実は「全会一致」は必ずしも正確ではない。「自民会派は、普天間飛行場の辺野古移設断念を「閉鎖・返還」とし、在沖海兵隊の撤退を「大幅な削減および米軍基地の速やかな整理・縮小」を図ることをそれぞれ求めた上で、事件の根絶や謝罪、補償などを日米両政府に求める修正案を提出したが、賛成少数で否決された」(琉球新報)という。で、自民は与党案裁決時に退席して、与党と中立系による「全会一致」の形作りに協力したということだ。選挙直前に、与党案に反対という露骨な姿勢を見せたくはなかったのだろう。

なお、「公明は与党、自民の両案に賛成した」と報じられている。沖縄の公明党は、かつては仲井眞県政の与党だったが、今は普天間の県内移設反対の立場で、県政野党ではなく、中立系とされている。

それにしても、県議会が「普天間飛行場の県内移設断念」「在沖米海兵隊の撤退」「日米地位協定の抜本改定」を求めて決議を上げている姿は、県民の怒りのほとばしりであり、不退転の決意の表れというほかはない。このたびの事件の被害女性が住んでいたうるま市議会や那覇市議会などでも同様の決議が採択されており、県内のほとんどの自治体で抗議決議の準備が進んでいるという。

そして本日、日本中が注視する第12回沖縄県議会議員選挙の告示。翁長雄志知事が就任してから1年半。その信任をめぐる投票の色が濃い。現在の与野党分布は、47議席(欠員1)のうち、翁長知事を支える与党は24である。かろうじての過半数。これに対する野党が自民を中心に14、公明を含む中立系が8人だという。この24の与党(社民・共産・沖縄社会大衆・県民ネット)議席の増減に関心が集まる。最大の対決点は、当然ながら辺野古新基地建設の可否をめぐってのこと。元海兵隊員の女性殺害容疑の事件もあって反基地の空気は熱い。

県議選は13選挙区に定数48(各選挙区の定数は2?11)。本日の立候補者は71名であった。政党別の候補者は、自民19、民進1、公明4、共産7、おおさか維新3、社民6、地域政党の沖縄社会大衆3、諸派5、無所属23。

朝日も毎日も立候補者について、「与野党別では、与党36人、野党22人、中立13人。辺野古への移設計画には、反対44、容認13、推進2(その他・無回答が12)」と報じている。

朝日に、「軍属が働いていたとされる米軍嘉手納基地を抱える嘉手納町では県政野党の自民現職が第一声。『自民党は政府に対して堂々と抗議した。日米地位協定も改定させないといけない。県民の命を守るために地域の声を伝える』と訴えた。」という記事。

オーイ、アベ君。キミが総裁だという自民党、統制がとれていないようだぞ。
「自民党が政府に対して堂々と抗議」などしていいんだろうか。「日米地位協定も改定させないといけない」なんて、党紀違反じゃないのか。何よりも、「県民の命を守るために地域の声を伝える」って、「日本国民のために沖縄県民には我慢をしてもらおうというアベ政権の方針」への当てつけだろう。処分しないの? あっ、そう。票が取れれば、何を言ってもよいのか。

沖縄県政の与党は国政では野党。国政では「野党は共闘」のスローガンだが、沖縄県政では、民進党の力量が弱い。それでも関心は、「自民」対「国政野党連合」の対立構図で世論の動向を見ざるをえない。

その結果が出る投開票は6月5日(日)である。昨日の臨時議会での決議実現を可能とする結果を期待したい。
(2016年5月27日)

サミットでの伊勢神宮「訪問」に抗議する?公式行事に宗教施設を利用してはならない。

本日(5月26日)から伊勢志摩サミット。最初の公式日程が参加首脳らの伊勢神宮「訪問」で始まった。これは官邸の強い意向で実現されたものと報道されている。

ダメだよ、アベ君。またまた、キミの憲法違反だ。キミの思惑は、アベ流改憲運動への神社界や右翼連中へのサービスなのだろうが、勇み足として済ますには、ことが重大に過ぎる。キミは、憲法の何たるかをまったく分かっていない。キミが日本の首相であることを恥ずかしい限りだと思っていたが、この頃はこんなキミが政治を牛耳っているこの国の行く末が恐ろしい。

キミが憲法を分かっていないという大きな理由を二つあげておこう。
まず、憲法とは、権力を制約するものだ。「縛る」もの、と言ってもよい。キミは、憲法に縛られていることを自覚しなければならない。キミは憲法が許容することしかできない。その枠を越えて憲法が禁じていることは、してはならないのだ。キミは憲法の命じるところを謙虚に見定め、よく心得、憲法にしたがった行政を行わなくてはならない。これが、立憲主義というものだ。

ところが、キミは「自分のしたいことをして何が悪い」と開き直ってしまう。サミットの行事を神宮で始めたことについては、おそらくキミは単純にこう考えているのだろう。
「自分は間接的にではあるが、国民の信任を受けて権力の座にある。国民多数の意思が私を信任しているのだから、私が私のやりたいように政治を行うことが民意を反映することで、これこそが民主主義だ。」

キミは、自分の思いと憲法の定めとに齟齬が生じるとなると、憲法の方が間違っている。だから憲法の解釈を変えよう、となる。憲法に縛られるのはイヤだ。むしろ自分の方が憲法を縛り、憲法には遠慮させようという姿勢があまりに露骨なのだ。

神宮は宗教施設である。サミットは政府の公的行事である。ならば、サミットの行事に伊勢神宮「訪問」を組み込むことが、憲法の重要原則である政教分離に抵触することを恐れなければならない。憲法を尊重しようという姿勢が少しでもあれば、神宮でサミット・スタートは考えられるところではない。憲法を無視し、できれば変えたいと考えているキミだからこそ、敢えて政教分離に挑戦という姿勢なのだ。

次に、政教分離原則違反である。
アベ君、キミも法学部の出身だというではないか。伊勢志摩は、津にほど近い。伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、と謡われた津だ。その津で地鎮祭訴訟が争われたくらいのことはご存じだろう。津市の体育館起工に際しての地鎮祭で7000円ほどの神職への謝礼と供物料の支出が政教分離に反するとして争われた憲法訴訟。控訴審の名古屋高裁判決は、違憲の判断をして、市長に対して「市に謝礼相当分を賠償金として支払え」という歴史に残る名判決として知られる。この判決は、最高裁大法廷(1977年)で逆転するが、違憲派5人対合憲派10人の分布であった。

その後、愛媛玉串料訴訟大法廷判決(1997年)は、愛媛県から靖国神社への玉串料奉納を違憲と断じることになる。そのときの意見分布は、違憲13対合憲2の大差となった。

津地鎮祭訴訟では、津市と地元の神社との地鎮祭における関わりが問題とされた。愛媛玉串料訴訟では、愛媛県と靖国神社との玉串料奉納という形での結びつきが問題となった。そして、今回の伊勢志摩サミットでは、国と伊勢神宮との有力各国首脳を招いての外交舞台としての利用における関わりが問題となっている。

伊勢神宮とは国家神道の本宗である。国家神道とは、天皇を神格化する教説である。神格化は、天皇を権威付ける手段であった。旧明治憲法体系は、社会を序列化してその頂点に天皇を置き、これを政治支配の道具とした。権威主義的な社会的秩序形成の要石ともしたと言ってよい。

洋の東西を問わず、武力で権力を築いた勢力は、安定した権力構造を維持するために、自らの権力を正当化する神話を拵え上げた。3000年前、4000年前に、エジプトやメソポタミア、あるいは黄河流域に勃興した権力が皆そうであった。この前例を真似て、明治政府は8世紀に作られた神話を素材に天皇を神の直系とした。

その神話上の天皇の祖先神を祀る施設が伊勢神宮である。地上の人間序列を合理化するために、神々の序列が作られた。八百万の神々の中に天つ神の一群があり、その天つ神の最高神がアマテラスである。伊勢神宮はこれを主祭神とする。

政教分離とは、形式上は国家(政)と宗教一般(教)の癒着を禁止する憲法原則である。しかし、日本国憲法は明らかに、国家神道の復活を封じることを主眼としている。かつて、神なる天皇の存在が、原理的に反民主々義であり、軍国日本の暴走の主因となったからである。

だから、アベ君。「首脳らは、内宮の御正殿で御垣内参拝をし、『二拝二拍手一拝』の宗教的作法は求めず、あくまで自由に拝礼してもらう形を採った。」から問題がない、などと言ってはいけない。参拝を訪問というのは、退却を転進というが如しだ。「自由な拝礼」も、そこが宗教施設であればこそ成立する。

キミは、天皇の祖先神を祀る、国家神道の本宗に世界の主要国首脳を集めて、特定の宗教と国家との特別な関わりを演出したのだ。これは、最高裁がいう目的効果基準からは、国家と特定の宗教団体(伊勢神宮)との関わりあいが、相当とされる限度を超えると判断されることになるだろう。

そのことは、戦後レジームからの脱却をスローガンとするキミの仲間や、神社界の人びとや、天皇大好きな右翼諸君には大歓迎なのだろうが、憲法はけっしてこれを許してはいないことを知るべきなのだ。

えっ? アベ君、なんと言った? 「細かいことを言いなさんな」と? そのキミの態度が憲法軽視なのだ。政教分離原則は、国民主権原理確立のために天皇の神格化を否定したものというべきで、日本国憲法の全体を貫く根本理念なのだ。これを細かいことというキミの姿勢こそが徹底して批判されなければならない。

えっ? 「多くのマスコミが問題にしてないじゃないか」「世論調査をすれば、神宮訪問支持派が多数となるだろう」だと?
だから、キミはダメなんだ。確立された憲法原則は、多数決原理によって歪曲されてはならない。メディアがどう言おうと、世論調査の結果がどうであろうと、憲法原則を曲げることはできない。むしろ、国民の圧倒的多数が支持しても権力は違憲な行為をしてはならないというところにこそ、憲法の真骨頂がある。

こんなことも分からないキミが日本の首相なのだから、やっぱり恥かしい。そして、やっぱり恐ろしいのだ。
(2016年5月26日)

オバマとアベの広島訪問は、「国民の核アレルギーをトゲ抜きする対症療法」に過ぎない

明日(5月26日)から伊勢志摩サミット。地元だけでなく東京までがテロ対策の厳戒態勢。今そこにある不愉快な日常の展開である。

つくづく思う。常にテロに怯えなければならない社会は病んでいる。これに慣れてはいけない。勇ましく「テロと闘う」などという愚を犯すことなく、テロの背景と温床を剔抉して、暴力のない「積極的な平和」を作る努力を重ねなければならない。今、先進国が享受している不公正な豊かさを大きく犠牲にする覚悟で。

もっとも、このサミット警護を口実の厳戒はうさんくさい。「テロ対策」は、治安出動予行演習として格好の機会ということなのだろう。過剰警護についても目を光らせる必要があろう。

ところで、戦争の暴力はテロの比ではないけた外れの悪の極み。その戦争における、超絶した暴力手段が核兵器である。核こそは、人類と共存しえない絶対悪として廃絶しなければならない。人類史において、その核が絶対悪であることを、この上ない規模と質の悲惨さで証明したのが、1945年8月6日の広島であった。そして、同月9日長崎の悲劇が続いた。

今次のサミットを機に、原爆を投下した加害国の大統領が、公式に広島の爆心地を訪れることになった。が、事前に「謝罪抜き」を言明してのこと。その訪問の意味がさまざまに論じられている。

被爆者団体は概ね歓迎の意向である。無理に謝罪は求めないとも言っている。その上で、被爆者との面談を求めている。毎日新聞紙上で、長崎大元学長・土山秀夫さん(91)は、「米大統領の広島訪問 遅すぎた『慰霊の旅』」として、「私も原爆で家族を亡くしているので謝罪を求めたい気持ちは痛いほど分かる。しかし、オバマ大統領を窮地に追い込んでは、米国内の反オバマ勢力に力を貸すだけだ。大統領は『慰霊の旅』として訪問を実現させたと解釈し、受け入れたい」と述べている。

被爆者の言には、侵しがたい重みがある。内容も無理からぬことは思う。しかし、釈然としないままことは目前に迫った。

釈然としないのは、なによりもアベの先導による訪問だからである。戦争法成立を強行し、平和憲法に敵意を剥き出しの安倍晋三が、あたかも日本国民の平和と核廃絶の願いの先頭に立つがごときパフォーマンスに、大きな違和感を禁じ得ない。それでも、このオバマの広島訪問が核廃絶に繋がる第一歩となるならよい。しかし、そのことにモヤモヤ感が払拭できないのだ。「謝罪はしない」ことを予め言明して、オバマはいったい何のために広島を訪問しようというのだ。

昨日(5月24日)の東京新聞夕刊「紙つぶて」欄に、中野晃一が「広島で何を」という記事を寄稿している。
「初めて米国の現職大統領が広島を訪問するというので、メディア論調は歓迎ムード一色です。しかし憲法は核兵器の保有・使用を禁じていないと繰り返す安倍晋三首相に案内されて広島に何をしにいくのでしょう。被爆者への謝罪どころか米国はいまだに核兵器の非人道性を認めていないのですから、社会科見学みたいな話です。中高生なら自分の目で見て感じることから始めればいいでしょう。しかし無知と無関心にあぐらをかいた米国世論の許す範囲で、オバマ氏と安倍氏が日米軍事・原子力同盟の強化目的で広島を訪問するというなら、それは被爆地の政治利用にすぎず、核廃絶には繋がりません。」

問題は、「オバマと安倍が日米軍事・原子力同盟の強化目的で広島を訪問する」と見る確かな視点を持てるか否か。

この点について、本日(5月25日)の毎日朝刊が、「米大統領の広島訪問 私の見方」の連載に浅井基文からの聞き書きを掲載している。タイトルは、「米の責任問い続けよ」というもの。傾聴に値すると思う。全文を引用する。

 日米開戦時の日本軍による真珠湾奇襲攻撃と、日本敗戦直前の米国による広島、長崎への原爆投下は、戦後の日米関係において、のどに刺さったトゲとも言うべき要素だ。日米同盟関係は米国が日本を一方的に取り仕切る「おんぶにだっこ」から、いまや日本が積極的に米国の世界戦略に協力する「持ちつ持たれつ」へと様変わりしている。オバマ氏の広島訪問は、変質強化された同盟関係を盤石なものに仕上げる最後のステップと位置づけられているとみる。

 米政権にとって「核のない世界」はあくまでビジョンに過ぎない。日本の政権にとっても「核の傘」は同盟関係の基軸だ。オバマ氏の広島訪問が核兵器廃絶の第一歩になるとの期待は幻想で、核兵器の堅持を前提としたセレモニーに過ぎない。

 広島と長崎は戦後長年、日本の核廃絶運動の中心的存在として、日米安保体制を最も中心に置く日本政府への対抗軸としての役割を担ってきた。オバマ氏の来訪を無条件に歓迎することは、日米両政府の核政策を全面的に受け入れるという意味に他ならず、日本外交における「お飾り」の役割に徹するということだ。

 広島は、戦争加害国としての日本の責任を正面から受け止めると同時に、無差別大量殺害兵器である原爆を投下した米国の責任を問いただす立場を放棄してはならない。そうすることによってのみ、核兵器廃絶に向けた人類の歩みの先頭に立ち続けることができるだろう。

指摘のとおり、日本国憲法の体制に対抗して日米安保体制がある。現実には、日米安保体制という強固な現実に、日本国憲法を携えた一群の民衆が抵抗を続けていると言うべきなのかも知れない。このせめぎあいにおいて、核廃絶の運動は紛れもなく日本国憲法の側の大きな砦である。それ故に、広島・長崎の核は、「戦後の日米関係において、のどに刺さったトゲ」となっているというのだ。

日米の支配層は、このトゲを取り去るか無害化することによって、日米両政府の核政策を完成させたいところ。日本国憲法の理念を擁護する立場からは、このトゲをトゲのままに終わらせず、核廃絶の大きな運動の拠り所としなければならない。

注文を付けないオバマ広島訪問は、核兵器の堅持という現状を前提とした、「核アレルギー対症療法のセレモニー」に過ぎない、というのが浅井説である。私も、これに賛意を表したい。そして、あらためて戦争と核の悪を追求し続ける覚悟を固めたい。
(2016年5月25日)

今、国と沖縄県の係争はどうなっているかー係争委審査の現段階

本日は、緊急シンポジウム「辺野古新基地建設と沖縄の自治?辺野古が問う日本の地方自治のあり方」に参加した。

行政法学者を中心とした「辺野古訴訟支援研究会」が主催し、「沖縄等米軍基地問題議員懇談会」が共催。衆院第1議員会館地下の会議室で、参加者は210名と盛況だった。

集会の性格は政治集会ではない。法的な研究成果の報告という地味なものなのだが、元米軍海兵隊員の女性殺害容疑事件勃発と時期が重なった。準備された集会の内容は事件とは直接の関わりはない。「緊急シンポジウム」ということで参加した聴衆の一部には場違いな感じだったかも知れない。それでも、多くのスピーカーが、この傷ましい事件に触れて、基地撤去に向けた怒りの集会ともなった。

主なプログラムは、
「辺野古裁判の経過・意義と国地方係争処理委員会の争点」
 沖縄県辺野古裁判等弁護団代表竹下勇夫氏
「沖縄から国地方係争処理委員会の役割を考える一和解を受けて」
 成蹊大学教授武田真一郎氏
「辺野古新基地阻止への思いと地方自治」
 沖縄県知事翁長雄志氏(知事公館室長代読)
「辺野古埋立問題と日本の地方自治一今後の展望」
 早稲田大学教授岡田正則氏
パネルディスカッション

辺野古新基地建設をめぐっては、国と沖縄県との間に3件の訴訟が係属していたが、本年3月4日福岡高裁那覇支部で暫定的な和解が成立。3件とも訴訟は取り下げられ、和解にもとづいて国は湾の埋立作業を停止して今日に至っている。しかし、この和解は飽くまで仕切り直しのしばしの休戦に過ぎない。見方によっては、大坂冬の陣の休戦となりかねない。

和解3日後の3月7日、はやくも国土交通大臣は沖縄県知事に対して、地方自治法に基づく是正を指示(知事がした「埋立承認取消処分」を取消すよう指示)した。この指示は手続的に不備があって撤回され、3月16日にあらためての指示があり、これを不服とする知事は、和解が定めたとおり、同月23日に国地方係争処理委員会審査申し出をして、現在その審査が進行中である。

審査期間は90日以内と定められている。すると審査の日程のリミットは6月21日(火)ということ。果たして、どのような判断になるだろうか。大いに注目されるところ。

配布されたレジメに、「国地方係争処理委員会及び訴訟における法的争点」表が掲載されていた。これを転載しておきたい。

争点1 審査の対象
 国の主張 仲井眞前知事の埋立承認の適法性
 県の主張 現知事(翁長)の埋立承認取消の適法性
        是正の指示、そのものが違法

争点2 どこに基地を設置するか知事に審査権限はあるか
 国の主張 国の政策的・技術的な裁量に委ねられている。
 県の主張 基地を作ることを目的とした公有水面の埋立ての必要性の認定が問題となっていて、それは知事にある。

争点3 普天間の危険除去を理由に、埋立の必要性あり、といえるか
 国の主張 いえる。
 県の主張 普天間の危険除去の必要性が埋立の必要性と論理的に結びつくわけではない。

争点4 埋立により辺野古の海が有する優れた自然価値を損なわれないか
 国の主張 環境評価、代替案等で、可能な限り、損なわれないようにしている。
 県の主張 環境アセスが不十分であるし、専門家等の疑問に適切に答えていない。

争点5 職権取消しの法理の適用
 国の主張 適用有り
 県の主張 適用なし

争点6 辺野古新基地建設は、沖縄の自治権侵害に当たるか
 国の主張 (?)
 県の主張 米軍基地に対して、国の規制や自治体の規制が及ばないし、自治体の街づくりにも支障があり、これは自治権侵害にあたる。

以上の争点の判断において、本日強調されたのは、国地方係争処理委員会の存在理由や使命についてである。また、憲法が想定する地方自治のあり方である。

憲法の保障する地方自治を実現するためには、国と地方自治体の関係は「対等・平等・協力」の関係でなければならない。このような認識にたって地方分権改革(1999年)が進められ、国に対する地方の「対等・平等・協力」関係を確保するために、地方自治体が国等の関与を争う制度として国地方係争処理委員会が設けられた。裁判所の審理の対象が違法性に限られるのに対して、国地方係争処理委員会は、国と地方の各行政方針などにも踏み込み柔軟な判断をなし得る。

係争委は、自治体に対する国の関与の適法性や公益適合性を審査する機関だが、飽くまで憲法の保障する地方自治の本旨の実現を図るためのもの。「政治権力の圧力に屈することなく、その使命を貫け」「地方自治に関する憲法の原則を貫け」という熱いメッセージの集会となった。
(2016年5月24日)

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