澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

弁護士の生きがいー夫婦別姓訴訟・大法廷判決に思う

私は1968年の司法試験に合格して、69年4月から71年3月までの司法修習を受けた。当時は有給で修習専念義務は当然のことと受け入れた。しかし、カリキュラムの過密を意識することはなく、現役の裁判官・検察官・弁護士から成る教官たちには、ごく真っ当な常識的感覚と後輩の法曹をあるべき姿に育てることへの情熱を感じた。当時毎年500人の修習生は、2年間の修習期間中に、どの分野に進むかどのような法曹になるかを十分に考えた。課外の自主活動も活発で余裕のある2年間だった。

私の実務修習地は東京、配属弁護士会は第二東京弁護士会だった。今はなき、戸田謙弁護士(この人について語るべきことは多い)が修習指導担当で4か月間戸田法律事務所に通った。その際、いくつかの典型的な法律事務所訪問の機会を得た。修習委員会が組んだプログラムとして、虎ノ門の法律事務所に大野正男を訪ねたことを記憶している。同弁護士は、当時既に高名でその後最高裁裁判官になった人。

私を含め当時の修習生の多くは、ビジネスローヤーというものにいささかの敬意ももちあわせていなかった。そんなものは、法曹を目指す動機や弁護士としての生きがいになんの関わりもあろうとは思えなかった。身すぎ世すぎの術として、資本に奉仕する弁護士業務とはいったい何だ。経済的には恵まれようが、生きがいとは無縁。金が欲しけりゃ、大企業の出世コースを歩むか、自分で業を起こせばよいだけのこと。まったく魅力は感じなかった。

その対極にある弁護士として大野正男をイメージしていた。この人なら、弁護士としての生きがいを熱く語ってくれるだろう。この人の言うことになら耳を傾けてみたい。期待は高かったのだが、実はこの高名な弁護士が何を語ったのか記憶にない。確かに彼は何かを語ったが、若い(生意気な)修習生たちに受けるような内容ではなかった。ともかく話の内容は地味で、高揚感とは無縁のものだった。

話しのあとに水を向けてみた。「弁護士の仕事は、問題を事後的にしか解決しません。しかもきわめて個別的で分散的で、一つひとつの仕事が社会的な影響力をもつということは滅多にない。それでも、やりがいのあることでしょうか」

これに対する大野正男の回答は、確かこんなふうに落ちついたものだった。
「そのとおりですよ。弁護士が日常扱う個々の事件処理は、事後的な問題解決で個別的。地味なものです。政治家のような、何か華々しいものと錯覚してはならない。社会を変えようとして事件を受任するわけではなく、問題を抱えている人のために仕事をするのが弁護士。個々の依頼者に喜んでもらうことが、弁護士としての生きがいですよ。」

当時、私の脳裏にあったのは、砂川事件の伊達判決であり、松川無罪判決であり、恵庭や長沼事件であり、人権派弁護士大活躍の舞台だったいくつかの公害事件だった。弁護士が取り組んだ一つの事件、一つの勝利判決が、大きく社会や政治を動かすというロマン。自分もそのような仕事をしてみたい。そういう気持を、思い上がりとしてたしなめられたという印象が残った。

その後、私は地域密着型の法律事務所で弁護士としての仕事を始め、ときどき大野正男の言葉を思い出した。なるほど、あの言葉のとおりだ。事件の大小に関係なく、依頼者のために地味な事件を処理していくことの大切さと、そのことのやり甲斐とを実感するようになった。華々しい弁護士像追求を邪道と感じるようにもなって今日に至っている。

で、今は、弁護士と事件との出逢いは、「なかば偶然、なかば必然」と考えている。悪徳商法専門やスラップ常連弁護士は、事件と必然性をもって結びついているだろう。これに比べて、本日の最高裁大法廷判決2事件(「別姓訴訟」「待婚期間違憲訴訟」)などは、弁護士の日常業務が社会を動かす大事件に発展した好例。とりわけ、「夫婦同姓強制違憲訴訟」は、大きなインパクトをもつ事件だ。大法廷判決で、勝てればすばらしいことだったのだが…。「修身斉家治国平天下」の壁は厚く破れなかった。

担当弁護士は、さぞ頑張ったことだろうが、残念な結果に終わった。まことに無念。
それでも、事件と格闘して、ここまで社会に問題提起をした原告と弁護団に、心からの敬意を表したい。

法廷意見への賛否は10対5だったという。次がある。またその次もある。誰かがいつかは破る壁だと思いたい。

前例がある。津地鎮祭訴訟上告審の大法廷判決で、厳格政教分離派が敗れたのが1977年7月。判決は、やはり10対5に分かれていた。その20年後、97年4月に愛媛玉串料訴訟の最高裁大法廷判決が、同じ目的効果論を使いながら、厳格政教分離の側に軍配を上げた。逆転して、違憲派が13、合憲派は僅か2名だった。

逆転のゴールに誰かがすべり込むだろう。その目標も、弁護士としての生きがい。
 **************************************************************************
   DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は全面敗訴となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。

その第1回口頭弁論期日は、
 クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
 法廷は、東京高裁庁舎8階の822号法廷。
ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
 午後3時から
 東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。
 表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月16日・連続第990回)

軽減税率適用とは、追いはぎに勘弁してもらったフンドシに過ぎない。

落語では、良民から身ぐるみ剥ごうという山賊だの追いはぎだのが活躍する。彌次郎や、庚申待ち、饅頭怖いなどのサブストーリーの定番。メインストーリーとしての追いはぎ噺としては蔵前駕籠がおなじみ。この話、時代や場所が特定されている。

文楽や志ん生の録音を聞いていると、「御一新のときの上野戦争」という言葉が出て来る。江戸の庶民にとって、御一新とは、薩長という化外の地からの軍隊が押し寄せてきた戦争だったという実感があるのだろう。

その当時のこと。世情は混乱を極め、蔵前通りには夜な夜な追いはぎが出没していた。追いはぎは吉原通いの籠を襲ってこう言う。

「我々は由緒あって徳川家にお味方する浪士の一隊。軍用金に事欠いておるのでその方に所望いたす。吉原で使う汚い金を、我々が清く使ってやるのだ。命が惜しくば、身ぐるみ脱いで置いてゆけ。武士の情け。フンドシだけは勘弁してやる」

命とフンドシを勘弁してもらった被害者は、「ご勘弁いただき、ありがとうございます。」と、腰をかがめて礼を言いながら這々の体で逃げ帰ってくる。

この話、消費税の軽減税率適用によく似ている。安倍政権はこう言っているのだ。
「我々は由緒あって財界にお味方する政権与党の一味。企業減税の財源に事欠いておるのでその方らに薄く広く所望いたす。その方らの浪費を我々が有効に使ってやるのだ。8%を10%にいたすからつべこべ言うな。つべこべ言うと福祉の財源はないものと思え。とはいうものの武士の情けだ。食料品だけは8%据え置きで勘弁してやる」

さて、このセリフに、民主主義時代の主権者はどう反応すべきだろうか。まさか、「お慈悲深いアベ様。食料品の消費税アップをご勘弁いただき、ありがとうございます。」などと言うことはあるまいと思うのだが。
**************************************************************************
      クズとカミヤツデの復讐
たった独りで草刈りや蔓払いをしていると、時に憎しみのフォースを感じることがある。ぞっとして、まわりを見回す。と、めまいを感じてふらりとし、クズの根に足をはらわれ、倒れようとする首に蔓が巻き付いてくる。握っているカマが私の胸にザックリささる。しばらく後に、探しにきた者が首にクズの蔓の巻き付いた血だらけの遺体を発見する。

「あの方はずいぶん植物を痛めつけましたからね、復讐を受けたんですよ」と誰かがうなずきながら言うだろうか、言わないだろうか。

たかが植物とはいえ、クズの生命力は尋常ではない。古家を2年間放っておいたらすっかり緑に覆われ、食い尽くされしゃぶり尽くされ、5年たったらガラスとプラスチックしか残らないだろう。

クズもすごいが、今、私が頭を抱えているのはカミヤツデ。これは南方からの帰化植物。蔓はないのでどこかに巻き付くことはないが、地下茎がはいまわって、日当たりだけではなく日陰にも湿地にも辺りかまわず芽を出す。それがピンクの茎や葉に白いフェルトをまとって、むっくりと出てきたときは、あまりの可愛らしさに見過ごしてやろうかという気分にふとなってしまう。しかし情けはかけてはいけない。それを見過ごせば、重い敷石でもフェンスでも何のその、その下を通って四方八方に地下茎は拡がっていく。

冬も成長を続けるので、すぐに直径20センチにはなって、7メートルほどの高さに成長する。冬になるとそのてっぺんに、ヤツデとおなじで、カリフラワーのような白い蕾が現れてクリーム色の花がふんわりと咲く。寒い真冬なのに、いずこからかたくさんのハチやアブの類いが現れて乱舞する。そこまでは許せるが、堪忍ならんのは、径6,70センチメートルにもなろうかという天狗の羽うちわのようなとてつもない大きな葉っぱである。下の植物には陽が当たらなくなる。それが落葉すると、下の木々の上にべったりと張り付いて、悪魔のマントが覆ったかのようになる。取り除こうとすると、葉っぱ全体を覆っている白いフェルトが飛び散って、目といわず口といわずはいりこんで、ひどい喘息発作におそわれる。

可哀想だが、今年は一番の親玉と思われる木を伐採した。幹の真ん中は白い芯になっていて、そこを取り出して桂剥きにして紙を作ったといわれているように、ザクザクの柔らかさなので、切り倒すのは造作もなかった。問題は飛び散る綿埃だった。ゴーグルとマスクを装着していたにもかかわらず、胃がひっくり返るかと思われるような咳が出てしばらく止まらず、その後の身体中をおそった筋肉痛は酷いものであった。強い植物はただ滅ぼされるということはない。必ず恐るべき復讐をするのである。
 **************************************************************************
   DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は全面敗訴となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。

その第1回口頭弁論期日は、
 クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
 法廷は、東京高裁庁舎8階の822号法廷。
ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
 午後3時から
 東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。
 表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月15日・連続第989回)

現代の「朝三暮四」ー軽減税率適用物語り

私、菅です。官房長官の。いろいろ言われているようですがね。軽減税率の問題、落ちつくところに落ちついたんじゃないでしょうかね。結果オーライで、どんぴしゃりじゃないですか。

昨日(12月13日)の記者会見で、記者団から「軽減税率制度は、低所得者対策にはならないという指摘もあるが」と質問がありましたね。こういう予想通りの質問はとてもありがたい。まるで、示し合わせた質問みたいのね。

「日常の必需品中心なのでしっかり(低所得者対策に)なる。生活に必要なものは、生鮮食品だけでは収まらないのが事実ではないか。国民の皆さんからは大変高い評価をいただいていると思う」と予定のとおりに述べておきましたよ。久しぶりに、安倍政権が、まるで庶民の味方みたいなセリフが吐けて、格好良かったでしょう。「企業減税は大盤振る舞いで、消費税は飽くまで上げるんですか」なんて意地の悪い質問はなかった。また、支持率少し上がるんじゃないかな。

それから、政府の財政健全化目標への影響について、「全くないと考えている」と述べておしまい。それ以上の記者からの突っ込みはなかった。この商売、気楽なもんですな。

それにしても、こういうときに、私の座右の銘を思い出すのですよ。私は、安倍さんと違って少しは教養がありますから、中国の故事なども知っている。例の「朝三暮四」というやつね。荘子にも列子にも出て来る、あの有名なエピソード。

あの話しはね、実は政治家への教訓を語っているんですよ。いえ、昔のことではない。今の民主主義の時代の政治の要諦を。

あれは、「狙公なる者」と「羣を成す狙たち」のお話し。狙とは猿のこと。猿がしゃべるわけはない。文句を言ったり喜んだりする猿とは人民のこと、その飼い主の狙公なる者とは政治家のこと。そう思って、この話は読まなくちゃ。

さて、狙公はたくさんの猿を飼っていたんだが財政が逼迫して、「俄にして匱(とぼ)し。将(まさ)に其の食を限らんとす。」ということになった。これは、消費税を上げなければならなくなったといっているわけ。注目すべきは、「衆狙の己に馴(な)れざるを恐るるや、」という文章。消費税を上げて猿に嫌われることは大いに困るわけだ。そこで、狙公は一計を案じた。「先ずこれを誑(あざむ)きて曰(いわ)く」ということになった。誑は、たぶらかしてと読んだ方がぴったりの感じ。

「『若(なんじ)に茅(しょ)を与えんに、朝に三にして暮に四にせん。足らんか』と。衆狙(しゅうそ)皆起って怒る。」
茅とは栃の実のことだそうだが、この際何でもよい。芋でも米でも、バターでも。もちろん、金でも、サービスでも。

「ねえキミたち、いま消費税8%でも苦しいだろうが、10%にしなければならないんだ。どう?」と言ってみた。案の定猿たちは怒った。

そこで、「俄(にわか)にして曰(い)はく、『若に茅を与えんに、朝に四にして暮に三にせん。足らんか』と。衆狙皆伏して喜ぶ。」

食料品には軽減税率を適用することにしよう。これならどうかね?
そしたら猿たちは、機嫌が直って「ありがとうございます。低所得者になんと寛大な政治」と喜びましたとさ。
ね、とても教訓に満ちたお話しでしょう。昔の人はさすがに良いことを言う。

特に私がこの話を気に入っているのは、「朝三暮四」では猿たちは「起って怒り」、「朝四暮三」では「伏して喜ぶ」と対比されているところ。「起つ」は政権への反抗を意味して穏やかならざること甚だしい。「伏す」は従順に権力に従う様だ。これが本来の猿の姿。

人民は猿みたいなものだが、怒らせたら怖い。上手に誑かせば、馴れさせることができる。猿皆を伏して喜ぶようにできるという、これぞ民主政治の要諦そのものでしょう。民主政治とは人気取りのことなんだから、選挙に勝てるかどうかがすべてじゃないですか。要するに、この程度のことで人民を欺すことができるという目出度いお話し。

現に、消費税は10%に上げるといっておいて、ちょっぴり軽減税率でまけてやると言えば、それでみんな納得して人気が出る政策というのだから、やっぱり政権は楽。よい猿に恵まれている。いや、賢い国民の皆さまだ。

昨日(12月13日)の赤旗の一面では、日本共産党の志位さんが、「消費税10%への大増税について、政府・与党が検討している食品の『軽減税率』のまやかしを告発し、来年7月の参議院選挙で大増税ストップの願いを日本共産党に」と言っていますね。あれは困ったものだ。

「連日『軽減税率』が報道されると、税負担が軽くなるかのような錯覚を呼び起こしますが、実態は、2%の増税分=5・4兆円のうち、1兆?1・3兆円を減税したとしても、4兆円を超える大増税となり、1家族あたり年4万円以上の負担増となります」「現行の8%と比較して、『軽減税率』を実施したとしても10%では逆進性が広がることになります。だいたい与党は、『軽減税率』の『財源』を確保するためとして、『4000億円の低所得者対策』をとりやめるという。何のための『軽減税率』か、もはやまったく説明がつきません。結局、大増税という毒薬を『軽減税率』というオブラートに包んで無理やりのみこませるというものであり、選挙目当ての最悪の党利党略」と、これまたきついことを言っている。

残念ながら、日本国民全部が猿ではなく欺されないのもいるでしょうがね。まあ、あちらの言うことに耳を貸して「起つ」人は多くはなく、こっちの言うことを納得して「伏す」猿の方が圧倒的に数は多いと思いますよ。
 **************************************************************************
   DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は全面敗訴となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。

その第1回口頭弁論期日は、
 クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
 法廷は、東京高裁庁舎8階の822号法廷。

ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
 午後3時から
 東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。
 表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月14日・連続第988回)

南京大虐殺の日に「中国一撃論」を考える。これは抑止論と同根の思考ではないか。

12月13日である。世界に「南京アトロシティ」(大虐殺)として知られた恥ずべき事件が勃発した日。笠原十九司「南京事件」(岩波新書)と、石川達三「生きている兵隊」(中公文庫)、そして家永三郎「太平洋戦争」に改めて目を通してみる。累々たる、殺戮・略奪・破壊・強姦の叙述。これが私の父の時代に、日本人が実際にしでかしたことなのだ。陰鬱な冬の雨の日に、まったくやりきれない気分。しかし、歴史に目を背け、過去に盲目であってはならないと自分に言い聞かせる。

同時に思う。今日は、中国の民衆も78年前のこの日の事件を、怒りと怨嗟の入りまじった沈痛な気持で想い起こしていることだろう。昨年からは、今日が「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」となった。足を踏まれた側の心情の理解なくして、友好は生まれない。不再戦の固い誓いもなしえない。

笠原十九司の次の指摘が重要だと思う。
「中国では、南京事件は新聞報道だけでなく口コミを通じてやがて中国人全体に知られた。中国国民政府軍事委員会は写真集『日寇暴行実録』を発行(38年7月)して、南京における日本軍の残虐行為をビジュアルに告発した。とくに日本軍の中国女性にたいする凌辱行為は、中国国民の対日敵愾心をわきたたせ、大多数の民衆を抗日の側にまわらせ、対日抵抗戦力を形成する源泉となった。当時の日本人が軽視ないし蔑視していた中国民衆の民族意識と抗戦意志は、さらに発揚され、高められていくことになった。南京攻略戦の結果、日本軍がひきおこした暴虐事件は、中国を屈伏させるどころか、逆に抗日勢力を強化・結束させる役割をはたしたのである。

松井岩根や武藤章(いずれも、東京裁判で絞首刑)は、「中国一撃論」の立場をとった。
「支那は統一不可能な分裂的弱国であって、日本が強い態度を示せばただちに屈従する。この際、支那を屈服させて北支五省を日本の勢力下に入れ、満州と相まって対ソ戦略態勢を強化する…願ってもない好機の到来」「首都南京さえ攻略すれば支那はまいる」というもの。

現地の高級軍人の功名心が戦線不拡大方針だった大本営の意向を無視した。11月19日上海派遣軍は独断で上海から南京へ300キロ余の進軍を開始し、さらに上海にとどまるよう命令を受けていた中支那方面軍もこれに続く。首都への一撃で、日中戦争は終わる、との甘い見通しに基づいてのことである。日本のメディアも、南京が日中戦争のゴールであるかの如く喧伝し、国民もその煽動に乗った。そして12月1日、大本営も方針を転換して南京攻略を是認した。

南京は陥落した。国内は提灯行列で沸き返った。しかし、そのとき、国民政府の首都は既に長江を遡った武漢に移っていた。その後首都はさらに奥地の重慶に移ることになる。何よりも、南京攻略の一撃で、中国の戦意を挫くことはできなかった。

「一撃論」は空論に終わった。大失敗の空振りに終わった、というにとどまらない。取り返しようのない誤りを犯したのだ。内地の日本人が知らぬうちに南京大虐殺が起こり、そのニュースが世界に日本軍の残虐性・野蛮性を深く印象づけていた。やがて日本は世界からその報復を受けることになる。

「一撃論」は、「抑止論」と連続した思考である。「抑止論」が「強大な軍事力を持つことで敵国の攻撃意欲を失わしめて自国の安全を保持する」と発想するのと同様に、「一撃論」は「強大な軍事力行使によって敵国の戦闘持続の意欲を失わしめて早期に戦争を終結させる」という理屈なのだ。軍事力の積極的有効性を説く立論として同根のものではないか。どちらも、自国の強大な軍事力が、相手国を制圧することによって自国の安全が保持されるという考え方。だがどちらも、相手国の敵愾心を煽りたて、却って自国の安全を害することになる危険な側面を忘れてはいないだろうか。

南京攻略の「一撃論」は、強大な軍事力の集中行使で中国の戦意を挫くことができると考えたが、現実の結果は正反対のものとなった。

「それ(南京大虐殺)はまさに、日本の歴史にとって一大汚点であるとともに、中国民衆の心のなかに、永久に消すことのできぬ怒りと恨みを残していることを、日本人はけっして忘れてはならない。」「この南京大虐殺、特に中国女性に対する陵辱行為は、中国民衆の対日敵愾心をわきたたせ、中国の対日抵抗戦力の源泉ともなった。」(藤原彰)
との指摘のとおりである。

平和を維持するための教訓として、一撃論・抑止論の思想を克服しなければならないと思う。

なお、この事件の報道についての内外格差に慄然とせざるを得ない。
「南京アトロシティ」は、当時現地にいた欧米のジャーナリストや民間外国人から発信されて世界を震撼させた。しかし、情報管理下にあったわが国の国民がこれを知ったのは、戦後東京裁判においてのことである。」

「当時の日本社会はきびしい報道管制と言論統制下におかれ、日本の大新聞社があれほどの従軍記者団を送って報道合戦を繰りひろげ、しかも新聞記者の中には虐殺現場を目撃した者がいたにもかかわらず、南京事件の事実を報道することはしなかった。また、南京攻略戦に参加した兵士の手紙や日記類もきびしく検閲され、帰還した兵土にたいしても厳格な箝口令がしかれ、一般国民に残虐事件を知らせないようにされていた。さらに南京事件を報道した海外の新聞や雑誌は、内務省警保局が発禁処分にして、日本国民の眼にはいっさい触れることがないようにしていた。」

「南京事件は連合国側に広く知られた事実となり、日本ファシズムの本質である侵略性・残虐性・野蛮性を露呈したものと見なされた。東京裁判で、日中戦争における日本軍の残虐行為の中で南京事件だけが重大視して裁かれたのは、連合国側の政府と国民が、リアルタイムで事件を知っており、その非人道的な内容に衝撃を受けていたからであった。」(以上、笠原)

まことに、戦争は秘密を必要とするのだ。また、秘密は汚い戦争をも可能とする。今日はいつにもまして、戦争法と特定秘密保護法とが、また再びの凶事招来の元凶になるのではないかと、暗澹たる気持にならざるを得ない。冬の冷雨の所為だけではない。

 **************************************************************************
   DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田嘉明が私を訴え、6000万円の慰謝料支払いを求めている「DHCスラップ訴訟」。本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は全面敗訴となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。

その第1回口頭弁論期日は、
 クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
 法廷は、東京高裁庁舎8階の822号法廷。
ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
 午後3時から
 東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。
表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月13日・連続第987回)

あなたにドブに捨ててもよい金があって、健康被害のリスクを厭わない勇気をお持ちなら、「健康食品」をお求めなさいー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第58弾

私が、DHC吉田の批判記事を書いたのは、私怨や私憤の動機からではない。そもそも私はDHCという企業について格別の関心を持っていたわけではない。吉田嘉明の名前は、まったく知らなかった。私怨や私憤の感情が湧くはずもない。

私のブログ記事の動機は二つ。一つは、政治とカネの問題での意見表明である。政治が金で動かされてはならない。とりわけ国民の目の届かない「裏の金」が政治を支配するようなことがあってはならない、ということ。そして、もう一つが消費者問題の視点である。企業はその利潤を追求するために、消費者に対して、不要なもの、あるいは有害なものさえ売り付ける。これを防止するためには行政による厳格な規制は不可欠だが、業界は常にこれを嫌って規制をなくそうと画策する。このような消費者の利益に反する行為は許せないということなのだ。

だから、私はこう書いた。
「DHCの吉田嘉明は…、化粧品やサプリメントを販売してもっと儲けるためには厚生行政や消費者保護の規制が邪魔だ。小売業者を保護する規制も邪魔だ。労働者をもっと安価に使えるように、労働行政の規制もなくしたい。その本音を、『官僚と闘う』『官僚機構の打破』にカムフラージュして、みんなの党に託したのだ。」「自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。」(2014年4月8日)

私は、40年余の弁護士としての職業生活を通じて、一貫して消費者問題に取り組んできた。消費者問題を資本主義経済が持つ固有の矛盾の一つとして把握し、資本の利潤追求の犠牲となる市民生活の不利益を防止し、救済しなければならないと実践し続けてきた。また、医療過誤訴訟や薬害などの医事訴訟にも、もっぱら患者の立場から取り組んできた。

健康食品やサプリメントの跋扈については心穏やかではいられない。消費者の無知に付け込んでの巧妙な広告で、種々の商品やサービスを売り付けるのが典型的な悪徳商法。健康食品の売り方も、まったく同じ構造と考え、DHCに限らずこの業界の問題点を広く消費者に啓発したいと考えてきた。

その気持が、「DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在」「広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい」というブログの文章になった。もちろんこのことは、DHCだけについてだけではなく、数え切れないほどの「健康食品販売会社」「サプリメント販売業者」に通有のことなのだ。

今さら麗々しく言うまでもないことだが、健康食品として売られている商品は、医薬品ではない。医薬品は、その薬効や安全性について、厳格な審査手続を経て行政の許可や承認を得なければならない。薬効薬理試験・薬物動態試験・安全性薬理試験・毒性試験等々の過程を経て、薬効や安全性が確認されたものだけが厳重な管理のもとに処方され、あるいは売薬となる。国民の健康保持のために厳重な行政規制が行われているのだ。

そのような医薬品でさえ、副作用による健康被害は避けられない。これに備えた医薬品副作用健康被害救済制度が整えられている。

だから、医薬品ではない健康食品やサプリメントには、効能のエビデンスがないことは常識なのだ。効能のない商品を売るだけならまだしも、口に入れるものであるのに、その安全性のチェックはなされていない。もちろん、副作用が生じた場合の被害補償の制度もない。

薬事法は、厳格な手続を経て承認された医薬品以外の商品について、薬効を唱うことを禁じている。健康食品やサプリメントについて、「○○に効く」などと宣伝してはならない。薬事法違反だけではなく、「不当景品類及び不当表示防止法」(景表法)違反にもなる。

それを踏まえて、この業界は、「違法すれすれ宣伝」で商品を売り付け、莫大な利益をあげているのだ。高橋久仁子群馬大学教授の「フードファディズムーメディアに惑わされない食生活」(中央法規出版)には、このあたりの事情が分かり易くまとめられている。

「違法すれすれ宣伝」の工夫として編み出された常套手段は次の三つ。いずれも、メデイアに満載されている。このような宣伝にお目にかからぬ日はない。

(1) キーワードはずし
 「糖尿病に効く」と書けば薬事法違反。だから、「糖尿が気になる方へ」と、「効く」という効能のキーワードを外す手法。消費者が勝手に行間を読んで「効く」と誤解しても、業者の責任ではないというわけだ。

(2) 擬装「研究会」からの情報発信
 健康食品を売りたい業者が、「○○研究会」を名乗って情報発信するという形をとる手法。手の込んだバリエーションはたくさんあるという。

(3) 効果体験談
 業者が「効能・効果」を標榜しているのではなく、その商品利用者の体験談を紹介しているだけという体裁をとる手法。もっともこの体験談の真偽のほどは確認のしようがない。この人にたまたま効いたからとて、私にも効く保証はない。また、有害情報は語られることがない。

薬功がないのは当然の前提として、最大の問題は安全性についてである。医薬品のような規制や管理の整備はなく安全の確認はなされていない。企業がどのように都合のよい宣伝をしようとも、公正な立場からの安全性のチェックはないのだ。

まずは、ぜひとも、下記の各ホームページを開いてご覧あれ。その上で、健康食品やサプリメントの類を摂取しようという勇気のある人だけが、リスク覚悟の自己責任でカネを出せばよい。

国立健康・栄養研究所「『健康食品』の安全性・有効性情報」
  https://hfnet.nih.go.jp/

厚生労働省 食品の安全に関するQ&A
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/hokenkinou/qa/index.html

私は一昨日のブログで、「あなたが健康を願うのなら、健康食品の摂取はおやめなさい」と書いた。今日はそれを改めよう。「あなたにドブに捨ててもよい金があって、健康被害のリスクを厭わない勇気があるなら、「健康食品」をお求めなさい」と言うべきなのだ。消費者の利益のためにそう申しあげたい。

さて、内閣府の審議会「食品安全委員会」の「いわゆる『健康食品』の検討に関する報告書」を一部ご紹介したい。ぜひとも、下記のURLをクリックして、「報告書」「メッセージ」「Q&A」をご覧いただきたい。これを読めば、健康食品やサプリメントを買おうという意欲はなくなるはずだ。「これまで払った金を返せ」とも言いたくなるだろう。
  https://www.fsc.go.jp/osirase/kenkosyokuhin.html

まずは、異例の委員長の「国民の皆さまへ」と題する呼びかけを引用しておこう。誇大広告による健康食品健康被害を避けるために、このような呼びかけが必要な事態なのだ。

「若さと健康を願うあなたに」、「△△の健康のための○○」といったキャッチフレーズを、毎日たくさん見聞きします。そして、医薬品のようにカプセルや錠剤の形をしたサプリメント、「健康によい」成分を添加した飲料や食品など、さまざまな「健康食品」が売られています。今や国民のおよそ半分の方々が、こうした「健康食品」を利用されているという調査もあり、「健康食品」市場が拡大しています。これは、健康で長生きしたいという古来変わらない人々の願望の表れでしょう。

「健康食品」がこのような願いに応えるものならばよいですが、残念ながら、現代でも「これさえ摂れば、元気で長生きできる」という薬や食品はありません。それどころか逆に、「健康食品」で健康を害することもあります。しかも、そのような情報は皆様の目に触れにくいのが現状です。消費者は、「健康食品」のリスクについての情報を十分に得られないまま、効果への期待だけを大きくしやすい状態に置かれているといえます。

食品安全委員会ではこういった状況を憂い、幅広い専門家からなるワーキンググループを作り、「健康食品」の安全性について検討しました。まず「健康食品」から健康被害が起こる要因を挙げ、次にその要因ごとに、健康被害事例などを含めた文献などからの科学的事実を調べ、皆様に知っていただきたい要点として取りまとめました。そうして作成した報告書からさらに抜粋して、皆様に向けて19項目のメッセージをまとめました。これらには「健康食品」で健康被害が出ることをなくしたいという本委員会の願いを込めました。

その中でお伝えしたいことのエッセンスは下記のとおりです。「健康食品」を摂るかどうかを判断するときに、是非知っておいていただきたいことをまとめてあります。これらを読んで、「健康食品」についての科学的な考え方を持って、その判断をしてください。健康被害を避けるためにとても大切な知識です。

内閣府審議会の報告書でありメッセージである。多少のぼかしはやむを得ない。しかし、行間を読めば、「効能が確認されている健康食品はない。」「安全性が確認されている健康食品もない。」「むしろ有害を心配しなくてはならない。」と言っている。私の意見で補えば、「業者のあの手この手の宣伝に引っかかるのは愚かだ」「効き目はなく、安全性も確保されていないものを金を出して買うことはない」「あなたが、本当に健康を願うのなら、健康食品もサプリメントも直ぐにおやめなさい」と理解すべきなのだ。

さらに次のようにもいう。
「健康食品」は医薬品ではありません。品質の管理は製造者任せです。
・ 病気を治すものではないので、自己判断で医薬品から換えることは危険です。
・ 品質が不均一、表示通りの成分が入っていない、成分が溶けないなど、問題ある製品もあります。成分量が表示より多かったために健康被害を起こした例があります。
このことが繰りかえし語られている。

21項目の「Q&A」のうち、Q18が「健康食品は健康によいと言って販売されていますが、これまで健康被害が報告されたことはありますか?」というもの。
これに対する回答全文が、次のとおり。
「健康食品として販売されているものは、食品ですから、ほとんどのものは健康に対する効果や安全性は評価されていないので、安全が担保されているわけではありません。また、医薬品のような品質の管理はされていませんので、中には有害な成分を含んでいて健康被害を起こす例も見られます。
実際に、ビタミンやミネラルなど微量栄養素を過剰に摂取したために起こった健康被害や、痩身目的などの健康食品での死亡事故が報告されています」

この「Q&A」を読むと、子どもには摂らせるべきでない。妊娠中はやめてください。高齢者はサプリメントを摂るべきではない。病弱な人もおやめなさい。他人の効果を鵜呑みにしてはいけません。痩身効果をうたったダイエット食品で、人での安全性が実証されているものはほとんどない。現在の日本人にサプリメントでビタミンやミネラルを補う必要はない。むしろ、セレン、鉄、ビタミンA、ビタミンDの過剰症に要注意。注意は、トクホや機能性表示食品についても同じ。…

キリがないが、もう一つだけ引用しておこう。19のメッセージのうちの第14である。
? ダイエットや筋力増強効果を期待させる食品に注意すること。
痩身効果をうたった食品は、医薬品と違い、効果が実証されているものは ほとんどありません。脂肪の吸収を阻害する、代謝を促進するといった宣伝をしていたとしても人で効果や安全性がきちんと調べられているものはほとんどありません。「運動や食事制限なしに痩せられる」といった類のメッセージには注意が必要で、多くは効果がないと思われますが、仮に通常の食品と異なる何らかの生理的効果があるとすれば、安全性の面で問題となるリスクが高いと考えられます。こういったものには医薬品成分や類似成分、規制対象となる成分が含まれているものもあり、過去にも痩身効果をうたい違法に 医薬品成分等が添加された製品で重篤な肝障害や死亡を起こした例もあります。また、筋肉増強効果をうたった食品でも死亡事例が起きています。医薬品成分が添加された製品は、食品ではなく、無承認無許可医薬品となりますが、行政が摘発しなければ「健康食品」と称して販売されています。これらの安易な利用には注意が必要です。

私の健康食品業界批判、そしてDHC吉田批判は不当だろうか。
 **************************************************************************
   DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田が私を訴えた「DHCスラップ訴訟」は、本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は完敗となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。

その第1回口頭弁論期日は、
クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
法廷は、東京高裁庁舎822号法廷。
ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
午後3時から東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。
表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月11日・連続第986回)

「再雇用拒否第2次訴訟」控訴審でも教員側全面勝訴ー都教委方向転換のラストチャンスだ

昨日(12月10日)、「日の丸・君が代」強制拒否訴訟の関連事件で、「再雇用拒否第2次訴訟」の控訴審判決が言いわたされ、控訴人都教委の控訴が棄却された。またまたの都教委敗訴である。今や、都教委の敗訴はニュースバリューがない。世間の耳目を惹く大きな記事にならない。

社会面のトップに大きく報道した赤旗記事。まず見出しが賑やかだ
「都教委の『君が代』強制 司法が断罪 高裁も再雇用拒否は違法 都に賠償命令 原告『画期的判決』」

そして、リードは以下のとおり。 
「東京都立高校の元教員が、「君が代」斉唱時の不起立のみを理由に再雇用を拒否されたことは違憲であり、東京都と都教育委員会の「裁量権の逸脱・濫用」であるとして損害賠償を求めていた訴訟の控訴審の判決で、東京高裁(柴田寛之裁判長)は10日、一審判決を支持して都の控訴を棄却し、再雇用拒否は違法であり、採用された場合の1年間の賃金に相当する賠償(約5370万円)を都に命じました。」

この記事のとおり一審が教員側の全面勝訴(2015年5月25日)だった。このとき、弁護団の一人が、思わず「正義は必ず勝つ・・とはかぎらない。でも、たまに勝つことがある」と迷文句を吐いた。これが率直な感想だったのだ。「憲法の原則からはわれわれこそが正義。われわれが裁判で勝たねばならない。しかし、必ずしも正論が通らないという司法の現実がある。乗り越えるべき壁は大きく高い。今日の判決は、その壁を乗り越えてようやく正義が勝った」という達成感吐露のニュアンスが滲み出ている。

一審判決当時のことは私の下記のブログを参照していただきたい。
  https://article9.jp/wordpress/?p=4927

一審は、教員側の全面勝訴だったから、教員からの控訴はない。全面敗訴の都教委(形式的には東京都)の側だけが、東京高等裁判所に控訴して口頭弁論1回で結審。そして、昨日の控訴棄却の判決となった。今度は弁護団は落ちついている。勝って当然という構えだが、実は内心は躍り上がって喜んでいる。同種の再雇用拒否を争った訴訟は、以前に4件ある。最終的にはいずれも敗訴なのだ。

都教委管轄下の教員に60歳定年制が導入されたのは、65歳の年金受給開始年齢までの5年間を、嘱託として再雇用されることの制度の創設という代替措置との引き替えだった。だから、よほどの事情のない限り誰もが希望すれば再雇用された。また、この再雇用ベテラン教師たちは、力量豊かな重要戦力として教育現場に期待もされたのだ。

ところが、「日の丸・君が代」強制に服しがたいとして職務命令違反による懲戒を受けた教員は、たった一回の戒告処分でも、「よほどの事情があった」と烙印を押されて再雇用を拒否されてくた。

石原慎太郎都政時代の教育行政は、江戸初期に踏み絵を発明した宗門改の役員さながらに、悪知恵を働かせた。「日の丸・君が代」不服従を根絶するために、懲戒処分に伴うあの手この手を編み出した。その種々のいやがらせのトップに君臨するものが再雇用拒否なのだ。

民間企業を被告とする労働事件の感覚では、職場慣行の立証だけで、簡単に勝てる事件。ところが、「再雇用は労働契約の延長にあるものではなく、新たな行政行為として行政の裁量に任される」という「理屈」が裁判所を縛った。

この件よりも以前の同種4件のうち2件は、一審から最高裁まですべて敗訴。残る2件は一審で勝ったが控訴審で負けた。最終的にはすべて敗訴で終わっている。労働者の権利よりも、行政の裁量を手厚く保護しようという馬鹿馬鹿しい判決である。

この先行4事例の最高裁が是認した判決の存在にもかかわらず、本件は一審で全面勝訴した。「でも、たまに勝つことがある」と迷文句の実感がお分かりいただけるだろう。そして、この度の初めての高裁勝訴判決である。

本年5月の一審判決は、東京地裁民事第36部(吉田徹裁判長)が言い渡したもの。
「再雇用制度等の意義やその運用実態等からすると、再雇用職員等の採用候補者選考に申込みをした原告らが、再雇用職員等として採用されることを期待するのは合理性があるというべきであって、当該期待は一定の法的保護に値すると認めるのが相当であり、採用候補者選考の合否等の判断に当たっての都教委の裁量権は広範なものではあっても一定の制限を受け、不合格等の判断が客観的合理性や社会的相当性を著しく欠く場合には、裁量権の範囲の逸脱又はその濫用として違法と評価され、原告らが有する期待権を侵害するものとしてその損害を賠償すべき責任を生じさせる。」という、画期的なもの。昨日の高裁判決も、この立場を是認し踏襲した。

しかも、先週(12月4日)言い渡しがあった東京「君が代」裁判第3次訴訟控訴審における第21民事部「中西茂判決」が、「本件不起立等は軽微な非違行為であるとか、形式的な非違行為であるということはできない」としたのに対して、昨日の第2民事部「柴田博之判決」は、「本件職務命令違反の非違性が,客観的な意味において重大であるなどと評価することはできない」「再雇用職員等の採用候補者選考の場面において,同事実の存在のみを理由に直ちに不合格等と判断すべき程度に重大な非違行為に当たると評価することはできない」としている。教員の訴えに耳を傾ける姿勢の有無の違いを印象づけている。

原告団・弁護団の声明を引用しておきたい。
本日、東京高等裁判所第2民事部(柴田寛之裁判長)は、都立高校の教職員ら24名が、卒業式等において「日の九」に向かつて起立して「君が代」を斉唱しなかつたことのみを理由に、東京都により定年退職後の再雇用職員ないし日勤講師としての採用を拒否された事件(平成27年(ネ)第3401号損害賠償請求控訴事件)について、東京都の採用拒否を裁量権の逸脱。濫用で違法とし、東京都に対し採用された場合の1年間の賃金に相当する金額の賠償を命じた1審東京地裁判決(2015年5月25日)を支持して、東京都の控訴を棄却し、東京都に対し1審同様の損害賠償を命じる判決を言い渡した。
1審に続き控訴審においても、原判決の判断を踏襲した他、東京都の主張をすべて排斥し、都教委の本件採用拒否を裁量権の逸脱・濫用にあたり違法であると認めたことは、都教委による10.23通達以後の「日の丸。君が代」の強制を司法が断罪し、これに一定の歯止めを掛けたものと評価できる。
本原告団・弁護団は、東京都が本判決を受け入れて上告を断念し、10.23通達に基づく「日の丸・君が代」強制などの諸政策を抜本的に見直すことを強く求めるものである。

この上告断念の要請に都教委はどう応えるだろうか。本日の東京「君が代」裁判4次訴訟閉廷後の報告集会では、都教委は上告受理申立の方針で、その承認を議会に諮っているという。またまた、恥の上塗りをしようというのだ。

乙武氏を含む都教委の面々に、本当にこれでよいのかと問い質したい。あなた方は上告受理申立の方針決定に関与しているのか。いったい、その職に責任をもって行動をしているのだろうか。まったく見えてこないのだ。

特に中井敬三教育長に一言申しあげておきたい。これまで、私は中井氏に、「あなたはこれまでの都教委の違法の数々に責任がない。すべて、あなたの前任者がしでかした不始末として、『これまでの都教委のやり方がよくなかった』と言える立場にある。あなたの手は今はきれいだ。まだ汚れていないその手で、不正常な東京の教育を抜本的に改善することができる。敗訴判決はそのチャンスだ。」と言ってきた。

しかし、おそらくはこれが最後のチャンスだ。この度の惨めなばかりの都教委敗訴判決は都教委反省の絶好機というだけでなく、あなたがイニシャチブをとって都教委の方向を転換する恰好の機会でもある。この判決への対応を間違えると、あなた自身の責任が積み重なってくる。あなた自身の手が汚れてくれば、抜本解決が難しくなってくる。一連の最高裁判決に付された補足意見の数々をよくお読みいただきたい。この不正常な事態を解決すべき鍵は、権力を握る都教委の側にあることがよくお分かりいただけるだろう。

「トンデモ知事」の意向で選任された「トンデモ教育委員たち」による「10・23通達」が問題の発端となった。今や、知事が替わった。当時の教育委員もすべて交替している。教育畑の外から選任された中井敬三さん、あなたなら抜本解決ができる。今がそのチャンスではないか。しかも、ラストチャンスだ。ぜひとも間違えないようにしていただきたい。
 **************************************************************************
   DHCスラップ訴訟12月24日控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田が私を訴えた「DHCスラップ訴訟」は、本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は完敗となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。

その第1回口頭弁論期日は、
クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。
法廷は、東京高裁庁舎822号法廷。
ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、
午後3時から東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。
せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。
表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月11日・連続第985回)

あなたが健康でありたいと願うなら、「健康食品」はおやめなさいー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第57弾

この私が被告とされ、6000万円の慰謝料請求を受けている「DHCスラップ訴訟」。その控訴審第1回弁論期日12月24日が近づいてきた。

何ゆえ私は被告にされ、6000万円の請求を受けているか。発端は、下記の3ブログである。これが違法な名誉毀損の言論だとされたのだ。何度でも掲載して、ぜひとも、多くの人に繰りかえしお読みいただきたい。はたして、私の言論が違法とされ、この社会では許されないものであると言えるのか。それとも民主主義政治過程に必要な強者を批判する言論として庇護を受けるべきものか、トクとお読みの上、ご判断いただきたい。

  https://article9.jp/wordpress/?p=2371 (2014年3月31日)
  「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判 

  https://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)
  「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

  https://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
  政治資金の動きはガラス張りでなければならない

以上の私のブログの記事は、政治がカネで動かされてはならないという問題提起であるだけでなく、消費者問題の視点で貫ぬかれてもいる。

例えば、次のようにである。
「(『徳洲会・猪瀬』事件と、『DHC・渡辺』問題とを比較し)徳洲会は歴とした病院経営体。社会への貢献は否定し得ない。DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。」
「DHCの吉田は、その手記で『私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した』旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。」(3月31日ブログ)

「たまたま、今日の朝日に『サプリメント大国アメリカの現状』『3兆円市場 効能に審査なし』の調査記事が掲載されている。『DHC・渡辺』事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての『規制緩和という政治』を買いとりたいからなのだと合点が行く。」
「サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、『官僚と闘う』の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。」
「大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。『抵抗勢力』を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。これが、おそらくは氷山の一角なのだ。」(4月2日)

「DHCの吉田嘉明は…、化粧品やサプリメントを販売してもっと儲けるためには厚生行政や消費者保護の規制が邪魔だ。小売業者を保護する規制も邪魔だ。労働者をもっと安価に使えるように、労働行政の規制もなくしたい。その本音を、『官僚と闘う』『官僚機構の打破』にカムフラージュして、みんなの党に託したのだ。」
「自らの私益のために金で政治を買おうとした主犯が吉田。その使いっ走りをした意地汚い政治家が渡辺。渡辺だけを批判するのは、この事件の本質を見ないものではないか。」(4月8日)

私は、40年余の弁護士としての職業生活を通じて、一貫して消費者問題に取り組んできた。消費者問題を資本主義経済が持つ固有の矛盾の一つとして把握し、資本の利潤追求の犠牲となる市民生活の不利益を防止し、救済したいと願ってのことである。

もっとも、「DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。」「スポンサー(DHC)の側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。」などという表現については、ごく少数ながらも「少し言い過ぎではないか」「ややきつい断定ではないのか」という向きもあるようだ。しかし、これは消費者問題に関心を持つ者の間では、誇張でも言い過ぎでもない。まさしく、常識的な見解なのだ。

「DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在」「広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい」は、もちろん、必ずしもDHCだけについてだけのことではない。数え切れないほどの「健康食品販売会社」「サプリメント販売業者」あるいはその業界に通有のことである。

健康食品業界の実態が「利潤追求目的だけの存在」「広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けている」ことを裏付ける政府報告を紹介しておきたい。先日、このブログで「フードファディズム」とサプリメント広告規制を論じた。フードファディズムとは、「特定の食品が特に健康によいと言うことはありえない」という穏やかな主張。本日ご紹介する報告は、「健康食品に安全性は保障されていない」「むしろ、危険なエビデンスがいっぱい」というものなのだ。さすがに、政府機関の報告だから、「健康食品おやめなさい」と結論をはっきりとは言わない。「健康食品摂取の際には、正確な情報に基づいてご自分の判断で」というにとどまっている。しかし、どう考えても、「あなたが健康を願うのなら、健康食品の摂取はおやめなさい」としか読めない。

当ブログは、本日を第1回として今後何度も執拗に、この政府報告と関連情報を紹介し続ける。DHCにダメージを与える目的というのではなく、消費者の利益のために健康食品業界全体と闘いたいということなのだ。

食品安全基本法にもとづく内閣府の審議会として、2003年7月内閣府に「食品安全委員会」が設置されている。「国民の健康の保護が最も重要であるという基本的認識の下、規制や指導等のリスク管理を行う関係行政機関から独立して、科学的知見に基づき客観的かつ中立公正にリスク評価を行う機関」とされている。

食品安全委員会は7名の委員から構成され、その下に12の専門調査会が設置され、職員60人のほかに、食品のリスク評価を行う専門家100人を擁しているという。

その食品安全委員会の「いわゆる『健康食品』の検討に関するワーキンググループ」が、このほど「『健康食品』の検討に関する報告書」をまとめて公表した。一昨日(12月8日)のことである。

このことの報道に気が付いた人は少ないのではないか。ネットでは毎日新聞が、12月9日朝刊の記事として下記を掲出している。
見出し「健康食品 リスクを公開 食品安全委員会」
本文「健康食品の摂取リスクなどを検討してきた食品安全委員会(佐藤洋委員長)は8日、「いわゆる『健康食品』に関する報告書」を公表した。これに合わせ「健康食品で逆に健康を害することもある。科学的な考え方を持って、食品を取るかどうか判断してほしい」とする異例の委員長談話を発表し、注意喚起した。同委員会の専門家グループでは、食品のリスク要因を主に▽製品▽摂取者▽情報−−の3点から分析した。その上で「健康食品は医薬品並みの品質管理がなされていない」「ビタミンやミネラルのサプリメントによる過剰摂取のリスクに注意」など、健康食品を選ぶ時に注意すべき項目を19のメッセージにまとめ、ホームページで公開している。」

この報道内容に誤りはない。しかし、いかにも通り一遍の報道。この報告書の重大性や衝撃性は伝わってこない。健康食品やサプリメントを摂取している人への警告という視点がない。広告料収入に頼り切っているメディアの弱みが露呈しているのではないかと勘ぐられてもやむを得まい。もっと大々的に、全メディアが報道すべきなのだ。

この報告書を作成したワーキンググループの13人は、すべて医師ないし自然科学の研究者。報告書は42頁の大部なもの。117の引用論文が掲載されている。内容は、きわめて意欲的なものだ。健康食品やサプリメントが、アベノミクスの「第3の矢」の目玉などという思惑に対する遠慮は微塵も感じられない。この内容が国民に正確に伝われば、健康食品会社もサプリメント業界も生き残れるとは到底考えられない。業界は顔面蒼白になってしかるべきなのだ。それだけの衝撃性を持っている。

この報告書の要約版として「いわゆる『健康食品』に関するメッセージ」が同時に公表され、具体的な「19のメッセージ」が掲載されている。参考とするには、これが手頃だ。さらに食品安全委員会は分かり易い21問の「Q&A」まで作っている。その意気込みがすばらしいと思う。

ぜひとも、下記のURLをクリックして、「報告書」「メッセージ」「Q&A」をご覧いただきたい。これを読めば、健康食品やサプリメントを買おうという意欲はなくなるはずだ。「これまで払った金を返せ」とも言いたくなるだろう。
  https://www.fsc.go.jp/osirase/kenkosyokuhin.html

「DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。」「スポンサー(DHC)の側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。」などという表現が、けっして「少しも言い過ぎではなく」、「きつい断定というのも当たらない」ことを理解していただけよう。私の見解は、「消費者問題に関心を持つ者」だけの意見ではなく、政府の審議会報告に照らしても、「誇張でも言い過ぎでもない」、まさしく常識的な見解なのである。この報告書の具体的内容については、後日詳細に報告したい。

 **************************************************************************
   12月24日(木)控訴審口頭弁論期日スケジュール
DHC・吉田が私を訴えた「DHCスラップ訴訟」は、本年9月2日一審判決の言い渡しがあって、被告の私が勝訴し原告のDHC吉田は完敗となった。しかし、DHC吉田は一審判決を不服として控訴し、事件は東京高裁第2民事部(柴田寛之総括裁判官)に係属している。

その第1回口頭弁論期日は、クリスマスイブの12月24日(木)午後2時から。法廷は、東京高裁庁舎822号法廷。ぜひ傍聴にお越し願いたい。被控訴人(私)側の弁護団は、現在136名。弁護団長か被控訴人本人の私が、意見陳述(控訴答弁書の要旨の陳述)を行う。

また、恒例になっている閉廷後の報告集会は、午後3時から東京弁護士会502号会議室(弁護士会館5階)A・Bで。せっかくのクリスマスイブ。ゆったりと、楽しく報告集会をもちたい。表現の自由を大切に思う方ならどなたでもご参加を歓迎する。
(2015年12月10日・連続第984回)

自民党改憲草案「緊急事態」条項は、立憲主義崩壊へのレッドカードだ

梓澤和幸・岩上安身・私、3名の共著『前夜?日本国憲法と自民党改憲案を読み解く・増補改訂版』(現代書館)が刷り上がった。発行日は2015年12月20日となっているその書物のお披露目の集会が本日あって、サインセールなどという慣れないことに手を染めた。150冊に自分の名前を書くのはひと仕事だった。

黒い帯に「危険な緊急事態宣言条項の導入を画策する 自民党のトンデモ改憲案は許さない」の白文字。この帯を外して裏返すと、雨に濡れても丈夫だというつくりのミニプラカードになっている。
このプラカードに、
「自民党改憲案・緊急事態宣言条項は 許さない」
の大きな文字。

この書は、戦争法「成立」が立憲主義を大きく傷つけた事態を踏まえて、さらに来夏の参院選が明文改憲への道を開きかねない重要な政治戦であることを強調している。そしてその明文改憲の具体的なテーマとして「緊急事態」条項に着目している。これが攻防の焦点となり得るとして警鐘を鳴らしているのだ。

自民党改憲草案は、「第9章 緊急事態」を新設し、現行日本国憲法にはない、次の2か条をおいている。

☆改憲草案「第9章 緊急事態」
「98条 緊急事態の宣言
1項 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる

99条 緊急事態宣言の効果
1項 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。」

自民党の改憲草案「Q&A」は、第99条3項をつぎのように解説している。
「現行の国民保護法において、こうした憲法上の根拠がないために、国民への要請は全て協力を求めるという形でしか規定できなかったことを踏まえ、法律の定める場合には、国民に対して指示できることとするとともに、それに対する国民の遵守義務を定めたものです。」
自民党改憲草案は、「国家の権限強化」と「国民の遵守義務」が大好きなのだ。

東日本大震災の経験を経て、なんとなく、この「国家の権限強化」と「国民の遵守義務」の創設を許容する雰囲気がありはしないだろうか。

本日の「前夜・増補版」サインセールとなった集会は、主としてこの改憲草案「緊急事態」条項をめぐる議論として設定された。私も、冒頭次のようなレポートをした。

※国家緊急権(規程)は、支配層にとって喉から手の出るほど欲しいものなのだ。
 緊急事態条項は、国家緊急権といわれるものの一態様。戦時・自然災害・その他の非常時の際に、憲法の例外体系を形づくって立憲主義を停止しようというものである。
 言うまでもなく、集中した強い権力は人権尊重理念の敵対物である。人権を擁護するために、権力を規制してその強大化を抑制するのが立憲主義なのだから、国家緊急権は、立憲主義を崩壊せしめて強大な権力を作るための恰好の武器なのだ。もちろん、改憲草案の「緊急事態条項」もそのようなものである。

※明治憲法下では、戒厳大権・非常大権・緊急勅令・緊急財政処分権限の明文規定が手厚く保障されていた。支配者にとって、これでこそ「皇国の安全が保持される」というもの。

☆大日本帝国憲法の国家緊急権規程
第14条(戒厳大権)
 1項 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
 2項 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム  
第31条(非常大権)
  本章(第2章 臣民権利義務)ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ
第8条(緊急勅令)
 1項 天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
第70条(緊急財政処分) 
 1項 公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得

※ヒトラーのナチス政権は、全権委任法(授権法)を制定して、政府が立法権を乗っ取った。
☆ナチスドイツの全権委任法(授権法)とは、正式名称を「民族および国家の危難を除去するための法律」(1933年3月23日成立)という。その条文は、全5条。主要な内容は以下のとおり。
「ドイツ国の法律は、憲法に規定されている手続き以外に、ドイツ政府によっても制定されうる。」「ドイツ政府によって制定された法律は、国会および第二院の制度そのものにかかわるものでない限り、憲法に違反することができる。」「ドイツ国と外国との条約も、本法の有効期間においては、立法に関わる諸機関の合意を必要としない。」

この法は、1933年から1945年まで猛威を振るった。この13年間に、政府が国会を通さずに作った法律が985件、国会が憲法本来の手続で作った法律は僅か8件だったという。緊急事態法が、立法権を乗っ取ったのだ。この緊急事態法によって、議会制民主主義は死滅した。

※「日本国憲法」は、そのような歴史の教訓を踏まえて、国家緊急権(規程)の一切を駆逐した。
最も徹底した人権保障システムとしての日本国憲法は、人権保障のダブルスタンダードを認めず、例外の体系を作らなかった。また、戦争放棄条項は、戦時の憲法体系を想定する必要がなく、国家緊急権(規程)は無用の長物なのだ。

※自民党改憲草案「第9章 緊急事態」は、大日本帝国か、第三帝国への回帰現象にほかならない。
自民党改憲草案の98条・99条が、旧憲法の緊急勅令制度にも、ナチスの全権委任法にも、瓜二つであることに留意しなければならない。

安倍政権は、旧天皇制政府の戒厳・非常大権規程が欲しいのだ。これは、「戦後レジームからの脱却」の重要テーマの一つである。また、ナチスの全権委任法のような「便利なものがあったらいいな」と思っているのだ。これが、「ナチスの経験に学びたい」のホンネではないか。
しかも、緊急事態に出動して治安の維持にあたるのは改憲草案では、「自衛隊」ではない。堂々の「国防軍」なのである。

※緊急事態条項は、トランプの12×4の安定した秩序の外にあって、1枚で他の48枚の秩序を破壊するジョーカーにたとえられる(大江志乃夫「戒厳令」岩波新書)。このジョーカーの最悪の使用例がナチスの全権委任法だった。

結論として、自民党改憲草案による「緊急事態」条項は
濫用なくても、「戦争する国家」「強力な権力」「治安維持体制」をもたらす。
しかも、その濫用の歯止めは期待しがたく、その濫用の危険は立憲主義崩壊につながる具体的なおそれがあると言わねばならない。来夏の参院選、何としても改憲阻止の結果を出さねばならないと切に思う。
(2015年12月9日・連続第983回)

太平洋戦争開戦の日から74年。再びの戦争を起こさない決意を込めて。

本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、こちらは「本郷・湯島9条の会」です。東京母親大会連絡会の方もご一緒に、昼休み時間に平和を守るための訴えをさせていただいています。少しの時間、耳をお貸しください。

今日は12月8日、私たちがけっして忘れてはならない日です。74年前の今日の午前7時、NHKは突然臨時ニュースを開始しました。このときが、NHKの代名詞ともなった初めての「大本営陸海軍部発表」。「帝国陸海軍が本8日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり」という、このニュースで国民は日本が米英と戦争に突入したことを知らされたのです。

日曜日の真珠湾に、日本は奇襲をかけました。向こうから見れば、宣戦布告のない卑怯千万なだまし討ち。その戦果は、戦艦2隻を轟沈、戦艦4隻・大型巡洋艦4隻大破、そして2600人の死者でした。この報に日本は沸き返りました。戦争は確実に国民の支持を得たのです。

戦後東大総長になった南原繁は、開戦の報を聞いたときに、こんな愚かな「和歌」を詠んでいます。
  人間の常識を超え学識を超えて おこれり日本世界と闘ふ
この人の学問とは、いったい何だったのでしょうか。政治学者である彼は、何を学んでいたのでしょうか。

1931年の「満州事変」から始まった日中戦争は当時膠着状態に陥っていました。中国を相手に勝てない戦争を続けていた日本は、新たな戦争を始めたのです。今でこそ、誰が考えても無謀な戦争。これを、南原だけでない多くの国民が熱狂的に支持しました。

戦争は、すべてに優先しすべてを犠牲にします。この日から灯火管制が始まりました。気象も災害も、軍機保護法によって秘密とされました。治安維持法が共産党の活動を非合法とし、平和を求める声や侵略戦争を批判する言論を徹底して弾圧しました。大本営発表だけに情報が統制され、スパイ摘発のためとして、国民の相互監視体制が徹底されていきます。

ご通行中の皆さまに、赤いチラシと白いチラシを撒いています。赤いチラシは「赤紙」といわれた召集令状の写です。本物を写し取ったもの。世が世であれば、これがあなたの家に配達されることになるのです。イヤも応もなく、これが来れば戦地に送られることを拒めません。それが徴兵制というもの。

赤いチラシが74年前の社会を思い出すためのもので、白いチラシは現在の問題についてのものです。安倍内閣が憲法を曲げて、無理矢理通した「戦争法」についての解説で、中身は以下のとおりです。

戦争法(安保法制)とは何か
戦争法とは何でしょうか。日本が海外で戦争する=武力行使をするための法律です。地球上のどこでも米軍の戦争に参戦し、自衛隊が武力行使する仕掛けが何重にも施されています。1945年以来世界の紛争犠牲者は数千万人に上り、第二次世界大戦の死者に匹敵します。そのなかで自衛隊は1954年の創設以来、敵との交戦で一発の弾丸を撃つこともなく、一人の戦死者も出さず、一人の外国人も殺してきませんでした。これこそ憲法9条があったおかげです。

来年の3月に戦争法(安保法制)が施行(実施)されます
 戦争法の実施で、真っ先に戦場に行くのは若い自衛隊員です。放置すれば、現在の子どもが大人になるころ、海外での戦闘態勢はすっかり整ってしまいます。ドイツは侵略戦争を禁じた憲法解釈を1990年に変え、2002年アフガニスタンに派兵して55人の戦死者を出し、多くの民間人を殺傷しました。そのドイツが今、対ISの後方支援という名で1,200人派兵することを決定しました。
 そして、憲法9条を無視して戦争法(安保法制)を成立させ実行に移そうとしているのが今のわたしたちの国、日本なのです。

戦争法でテロはなくせません
 ISは、2003年に始まったイラク侵略戦争と2011年からのシリア内戦で生まれ、勢力を拡大してきました。イラク戦争の当事者であるブレア元英国首相は「イラク戦争がISの台頭につながった」と認めています。このことを認めながら英国は、パリ同時多発テロを契機に今シリアの空爆を始めました。わが国においても、戦争法によってISに空爆をおこなう米軍などへの兵站支援が可能になりました。

日本が米国から空爆支援を要請されたら、「法律がない」と言って拒否することはもうできません。今こそわたしたちが戦争法(安保法制)に反対し平和な日本、そしてアジア・世界に 向かって日本国憲法第9条を旗印に平和な日本・世界を実現しようではありませんか

今日12月8日は、なぜ日本は戦争を始めたのか、なぜあの無謀な戦争を止められなかったのか。そのことを真剣に考え、語り合うべき日だと思います。日本人の戦没者数は310万人。そして、日本は2000万人を超える近隣諸国の人々を殺害したのです。戦争が終わって、国民はあまりに大きな惨禍をもたらしたこの戦争を深く反省し、再び戦争をするまいと決意しました。まさしく、今日はそのことを再確認すべき日ではありませんか。

戦争は教育から始まる、とはよく言われます。戦争は秘密から始まる。戦争は言論の弾圧から始まる。戦争は排外主義から始まる。新しい戦争は、過去の戦争の教訓を忘れたところから始まる。「日の丸・君が代」を強制する教育、特定秘密保護法による外交・防衛の秘密保護法制、そしてヘイトスピーチの横行、歴史修正者の跋扈は、新たな戦争への準備と重なります。さらに戦争法による集団的自衛権行使容認は、平和憲法に風穴を開ける蛮行なのです。再びの戦争が起こりかねない時代の空気ではありませんか。

これ、すべてアベ政権のやって来たこと、やっていることです。先ほど、本郷・湯島九条の会の会長が初めて、ここでの演説をおこない、憲法と平和を守るために、アベ政治を許してはならないという訴えをされ、大きな拍手が起こりました。

地元9条の会は、今年一年間、毎月第2火曜日のこの場での宣伝活動を続けてきました。今年は今回で終了です。しかし、年が明けたらまた続けます。「戦争法廃止、立憲主義・民主主義を取り戻す」たたかいは、安倍政権を退陣させ、わが国が9条を復権させるまで、続けざるを得ません。そして来年こそは、しっかりと平和な日本を確立する大きな一歩を踏み出す年にしようではありませんか。ご静聴ありがとうございました。
(2014年12月8日・連続第982回) 

敢えて「皇室タブー」に切り込む心意気ー「靖国・天皇制問題 情報センター通信」

月刊「靖国・天皇制問題 情報センター通信」の通算507号が届いた。
文字どおり、「靖国・天皇制問題」についてのミニコミ誌。得てしてタブー視されるこの種情報の発信源として貴重な存在である。しかも、内容なかなかに充実して、読ませる。

[巻頭言]は、毎号「偏見録」と題したシリーズの横田耕一(憲法学者)論稿。回を重ねて第52回目である。長い論文ではないが、いつもピリッと辛口。今回は「なんか変だよ『安保法制』反対運動」というタイトルで、特別に辛い。

論稿の趣旨は、「本来自衛隊の存在自体が違憲のはず。武力を行使しての個別的自衛権も解釈改憲ではないか。」「にもかかわらず、集団的自衛権行使容認だけを解釈改憲というのが、『なんだか変だよ』」というわけだ。表だってはリベラル派が言わないことをズバリという。天皇・靖國問題ではないが、タブーを作らない、という点ではこの通信の巻頭言にふさわしい。

要約抜粋すれば以下のとおり。
「かつての憲法学者の圧倒的多数の9条解釈は、一切の戦力を持たないが故に自衛隊は違憲であり、したがって個別的自衛権の行使も違憲とするものであった。この立場からすれば、『72年見解』などは政府による典型的な『解釈改憲』であり、『立憲主義の否定』であった。
 ところが、いまや、現在の反対運動のなかでは、共産党や各地の9条の会などに典型的に示されているように反対論の依拠する出発点は『72年内閣法制局見解』にあるようで、それからの逸脱が『立憲主義に反する』として問題視されている。したがって、そこでは自衛隊や日米安保条約は合憲であることが前提とされている。過去の『解釈改憲』は『立憲主義に反しない』ようである。
 自衛隊・安保条約反対が影を潜める一方、国際協力のために自衛隊が出動することまで認める改憲構想がリべラルの側からも提起され、各地の反対運動で小林節教授が『護憲派』であるかのごとく重用されている現在の状態は、果たして私たちが積極的に評価し賛同・容認すべきものだろうか。私の最大の違和感の存するところである。」

このミニコミ誌ならではの情報を二つご紹介しておきたい。
まずは、「新編『平成』右派事情」(佐藤恵実)の「OH! 天皇陛下尊崇医師の会会長」の記事。

東京・六本木の形成外科・皮膚科の開業医が、向精神薬を不正に販売したとして,麻薬及び向精神薬取締法違反で逮捕された。厚生労働省の麻薬取締部は、この医師は中国の富裕層向けに違法販売を繰り返したと考えている模様、というそれだけのニュース。その医師は、「天皇陛下尊崇医師の会」会長なのだそうだ。

そんな団体があることも驚きだが、この医師と医院の〈関連団体一覧〉が掲載されている。「とくとご覧あれ」とされている。。

靖國神社を参拝する医師の会会長・社団法人神社本庁協賛医療機関・日本会議協賛医療機関・宮内庁病院連携医療機関・東京都医師政治連盟会員・自由民主党協賛医療機関・大日本愛国医師連合会長・日本国の領土「竹島」「北方領土」を奪還する愛国医師の会会長・一般財団法人日本遺族会協賛医療機関・毎上自衛隊協賛医療機関・天皇陛下尊崇医師の会会長・アジア太平洋地区米国海軍病院所属米国海兵隊軍医トレイニーOB・麻布警友会協賛医療機関・全日本同和会東京都連合会協賛医療機関・創価学会協賛医療機関・同和問題企業連絡会(同企連)協賛医療機関・警察友の会協賛医療機関・公益財団法人警察協会協賛クリニック・日米安会保障条約賛同医療機関・米国海軍病院連携クリニック・註日アメリカ合衆国大使館連携医療機関・日本の領土を守るため行動する議員連盟協賛クリニック・公益財団法人日本国防協会協賛医療機関・六本木愛国医師関東連合会長・六本木愛国医師ネットワーク事務局日本国体学会。

もう一つは、「今月の天皇報道」(中嶋啓明)。「Xデーも近いのに、何ゆえ天皇夫妻はフィリピンまで行くのか」という内容。
「明仁は、8月15日の全国戦没者追悼式で段取りを間違えた。参加者の『黙祷』を待たずに『お言葉』を読み上げたとされている。富山で行われた『全国豊かな海づくり大会』では、式典の舞台上で列席者を手招きしてスケジュールを確認し、式の進行が一時、ストップする場面があったという。いずれも高齢化が引き起こす一時的な軽度の認知障害なのだろうが、『デリケートな問題』だとして、在京の報道機関は報道を見送ったという。確かに東京でその記事を見ることはなく、地元地方紙の『北日本新聞』と『富山新聞』でほんわずか報じられただけだった。
 Xデーも間近と思わせる中、それでもまだ、支配層にとっての明仁の利用価値は高い。明仁は美智子と共に来年早々、高齢で体調不安を抱えながらフィリピンを訪問することが発表された。最高のパフォーマンスの裏に秘められた『真の狙い』とは。
元朝日新聞記者で軍事ジャーナリストの田岡俊次が月刊誌『マスコミ市民』の15年10月号に『国会審議もなく進むフィリピンとの「同盟関係」の危険性』と題して書いている。ここで田岡は『政府が国会にもかけずにフィリピンとの同盟関係に入りつつあるという重大な異変がほとんど報じられない』と嘆くのだ。田岡の論考などによると、日比間の防衛協力は民主党の野田政権下で始まった。2011年9月、当時の首相野田佳彦がフィリピンのアキノ大統領との会談で『両国の海上保安機関、防衛当局の協力強化』を約束。それを引き継いだ現首相安倍音三は13年7月、マニラでのアキノ大統領との会談で小型航洋巡視船10隻をODAにより無償供与することを表明した。そして今年6月には東京での会談後、中国が南シナ海で進める人工島建設に『深刻な懸念を共有する』共同宣言を発表した。日本が供与する巡視船は、政府自身も『武器に当たる』ことを認めており、共同宣言には『安全保障に開する政策の調整』や『共同演習・訓練の拡充を通じ相互運用能力の向上』を図ることが表明されている。災害時の救援を口実に派遣される自衛隊の法的地位についての検討を開始することも盛り込まれ、田岡は、日比関係が限りなく同盟関係に近づきつつあると指摘する。
日本は、中国包囲網を築く上での重要なパートナーの一国として、フィリピンとの軍事的な関係の強化に勤しんでいるのだ。明仁、美智子の訪問計画の裏には、日比間のこうした関係を権威付けたいとの安倍政権の狙いがあることは明らかだ。」

最後に、もう一つ。「歌に刻まれた歴史の痕跡」(菅孝行)が、毎回面白い。
今回は、「ラマルセイエーズ」について、歌詞の殺伐と、集団を団結させる魔力に溢れた名曲とのアンバランスを論じたあと、こう言っている。

「君が代と違っていい曲に聴こえるのは、他所の国の国歌であるために気楽に歌えるからともいえるが、やはり音楽性の質の高さによるものだろう。革命が生んだ国歌は、革命がその質を失い堕落した後でも、困ったことに歌だけは美しい。アメリカ国歌もその例に洩れない。ラフマニノフがピアノ曲にしたという。ダミー・ヘンドリクスがウッドストックで演奏して評判になった。名曲といえば、旧ソ連の国歌も心に染みる名曲である。ただ、こうした曲の〈美しさ〉は、保守的な感性に受け入れやすいということと結びついていることを忘れてはならない。」
「ダサイ国歌『君が代』は大いに問題だが、同時に美しい国歌が『国民』を動員する『高級な』装置であることに警戒を怠るべきでない。『ラ・マルセイエーズ』はナショナリズムだけでなく、『高級で文明的な』有志連合国家の団結も組織した。高級で文明的なものほど野蛮だというのは、軍事力だけの話ではない。動員力のある音楽もまた同じである。そういえば『世界に冠たるドイツ』なんていう歌もあった。」

なるほど、君が代は、ダサイ国歌であるがゆえに、集団を鼓舞し団結させる魔力に乏しいという美点を持っているというわけだ。このような指摘も含めて、「靖国・天皇制問題 情報センター通信」の記事はまことに有益である。
(2015年12月7日・連続第980回)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2015. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.