澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

69年目の終戦記念日にー天皇制の残滓と軍国主義の萌芽と

69年前の今日、国民すべての運命を翻弄した戦争が終わった。法的にはポツダム宣言受諾の14日が無条件降伏による戦争終結の日だが、国民の意識においては8月15日正午の天皇のラジオ放送による敗戦の発表の記憶が生々しい。

神風吹かぬままに天皇が唱導した聖戦が終わった日。負けることはないとされた神国日本のマインドコントロールが破綻した日。そして、主権者たる国民の覚醒第1日目でもあった。

69年を経た今日。当時の天皇の長男が現天皇として、政府主催の全国戦没者追悼式で次のように述べている。

「ここに歴史を顧み、戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

どうしても違和感を禁じ得ない。

「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」はいただけない。戦争は自然現象ではない。洪水や飢饉であれば「再び繰り返されないことを切に願い」でよいが、戦争は人が起こすもので必ず責任者がいる。憲法前文のとおりに、「ふたたび政府の行為によって戦争の惨禍が繰り返されないことを切に願い」というべきだった。「心から追悼の意を表し」は、まったくの他人事としての言葉。天皇制や天皇家の責任が少しは滲み出る表現でなくては不自然ではないか。

また、なによりも、どのように「ここに歴史を顧み」ているのか、忌憚のないところを聞いてみたいものだ。

たまたま本日、憲法会議から、「憲法運動」通巻432号が届いた。私の論稿が掲載されたもの。《憲法運動・憲法会議50年》シリーズの第4号。時事ものではなく、今の目線でこれまでの憲法運動を振り返るコンセプトの論稿である。昨年暮れの首相靖国参拝(12月26日)の直後に書いた原稿だが、わけありで掲載が遅れた。そのための加筆もでき、はからずも終戦記念日の今日の配送となったのは、結果として良いタイミングに落ちついたと思う。

その拙稿から「歴史を顧みる」に関連する一節を引用したい。

「日本国憲法は、一面普遍的な人類の叡智の体系であるが、他面我が国に固有の歴史認識の所産でもある。日本国憲法に固有の歴史認識とは、「大日本帝国」による侵略戦争と植民地支配の歴史を国家の罪悪とする評価的認識をさす。

アジア・太平洋戦争の惨禍についての痛恨の反省から日本国憲法は誕生した。このことを、憲法自身が前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と表現している。憲法前文がいう「戦争の惨禍」とは、戦争がもたらした我が国民衆の被災のみを意味するものではない。むしろ、旧体制の罪科についての責任を読み込む視点からは、近隣被侵略諸国や被植民地における大規模で多面的な民衆の被害を主とするものと考えなければならない。

このような歴史認識は、必然的に、加害・被害の戦争責任の構造を検証し、その原因を特定して、再び同様の誤りを繰り返さぬための新たな国家構造の再構築を要求する。日本国憲法は、そのような問題意識からの作業過程をへて結実したものと理解しなければならない。現行日本国憲法が、「戦争の惨禍」の原因として把握したものは、究極において「天皇制」と「軍国主義」の両者であったと考えられる。日本国憲法は、この両者に最大の関心をもち、旧天皇制を解体するとともに、軍国主義の土台としての陸海軍を崩壊せしめた。国民主権原理の宣言(前文・第1条)と、平和主義・戦力不保持(9条1・2項)である。」

ところで、本日の戦没者追悼式には、「天皇制の残滓」のほかにもう一人の主役がいる。「新たな軍国主義」を象徴する安倍晋三首相。7月1日集団的自衛権行使容認の閣議決定後初めての終戦記念日にふさわしく、彼は過去の戦争の加害責任にも将来の不戦にも触れなかった。「自虐史観」には立たないことを公言したに等しい。

その彼の式辞の一節である。
「歴史に謙虚に向き合い、その教訓を深く胸に刻みながら、今を生きる世代、そして、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世の中の実現に、全力を尽くしてまいります。」

私にはこう聞こえる。
「歴史に謙虚に向き合えば、強い軍事力を持たない国は滅びます。その教訓を深く胸に刻みながら、ひたすら精強な軍隊を育て同盟軍との絆を堅持することによって、今を生きる世代、そして、明日を生きる世代のために、北朝鮮にも中国にも負けない強い国の未来を切り拓いてまいります。そうしてこそ世界の恒久平和に能うる限り貢献することができ、日本の国民が他国から侮られることなく、億兆心一つに豊かに暮らせる日本となるのです。その実現に、全力を尽くしてまいります。」「それこそが、戦後レジームから脱却して本来あるべき日本を取りもどすということなのです。」

来年は終戦70周年。こんな危険な首相を取り替えての終戦記念日としなくてはならない。
(2014年8月15日)

今日の天皇制の役割を考える

戦争の惨禍を思い起こすべき8月も、天候不順のまま半ばに至っている。明日は終戦記念の日。

戦争が総力戦として遂行された以上、戦争を考えることは国家・社会の総体を考えることでもある。政治・軍事・経済・思想・文化・教育・メディア・地域社会・社会意識・宗教・政治運動・労働運動…。社会の総体を「富国・強兵」に動員する強力な装置として天皇制があった。8月は、戦争の惨禍とともに、天皇の責任を考えなければならないときでもある。

本日、「靖国・天皇制問題情報センター」から月刊の「センター通信」(通算496号)が届いた。「ミニコミ」というにふさわしい小規模の通信物だが、一般メディアでは取りあげられない貴重な情報や意見であふれている。

巻頭言として横田耕一さんの「偏見録」が載る。毎号、心してこの辛口の論評を読み続けている。今号で、その42となった。そのほかにも、今日の天皇制の役割を考えさせる記事が多い。

今号のいくつかの論稿に、天皇と皇后の対馬丸祈念館訪問が取りあげられている。初めて知ることが多い。たとえば、次のような。

「戦時遭難船舶遺族会は、『小桜の塔』と同じ公園内にある『海鳴りの像』への(夫妻の)訪問をあらかじめ要請していたが、断られた。海上で攻撃を受けた船舶は、対馬丸以外に25隻あり、犠牲音数は約2千人といわれている。なぜこのような違いが生じるのだろうか。」

『小桜の塔』は対馬丸の「学童慰霊塔」として知られる。しかし、疎開船犠牲は対馬丸(1482名)に限らない。琉球新報は、「25隻の船舶に乗船した1900人余が犠牲となった。遺族会は1987年、那覇市の旭ケ丘公園に海鳴りの像を建てた。対馬丸の学童慰霊塔『小桜の塔』も同公園にある」「太平洋戦争中に船舶が攻撃を受け、家族を失った遺族でつくる『戦時遭難船舶遺族会』は、(6月)26、27両日に天皇と皇后両陛下が対馬丸犠牲者の慰霊のため来県されるのに合わせ、犠牲者が祭られた『海鳴りの像』への訪問を要請する」「対馬丸記念会の高良政勝理事長は『海鳴りの像へも訪問してほしい。犠牲になったのは対馬丸だけじゃない』と話した」と報じている。

しかし、天皇と皇后は、地元の要請にもかかわらず、対馬丸関係だけを訪問して、『海鳴りの像』への訪問はしなかった。その差別はどこから出て来るのか。こう問いかけて、村椿嘉信牧師は次のようにいう。

「対馬丸の学童の疎開は当時の日本政府の決定に基づくものであるとして、沖縄県遺族連合会は、対馬丸の疎開学童に対し授護法(「傷病者戦没者遺族等授護法」)の適用を要請し続けてきたが、実現しなかった。しかし1962年に遺族への見舞金が支給され、1966年に対馬丸学童死没者全員が靖国神社に合祀された。1972年には勲八等勲記勲章が授与された。つまり天皇と皇后は、戦争で亡くなったすべての学童を追悼しようとしたのではなく、天皇制国家のために戦場に送り出され、犠牲となり、靖国神社に祀られている戦没者のためにだけ、慰霊行為を行ったのである。」

また、次のような。
「天皇の来沖を前にして、18日に、浦添市のベッテルハイムホールで、『「天皇制と対馬丸」シンポジウム』が開催されたが、その声明文の中で、「私たちは慰霊よりも沖縄戦を強要した昭和(裕仁)天皇の戦争責任を明仁天皇が謝罪することを要求する。さらに『天皇メッセージ』を米国に伝えて沖縄人民の土地を米軍基地に提供した責任をも代わって謝罪することを要求する。明仁天皇は皇位を継承しており、裕仁天皇の戦争責任を担っている存在にあるからである。そうでなければ、天皇と日本国家は、これらの責任を棚上げして、帳消しにすることになるからである」と表明している。このような声が出てくるのは、当然のことであろう。」

また、村椿は、キリスト者らしい言葉でこう述べている。
「多くの人たちを戦場に送り出し、その人たちの生命を奪った人物が、みずからの責任を明らかにせず、謝罪をせず、処罰を受けることなしに、その人たちの「霊」を「慰める」ことができるのだろうか。そのようなことを許してよいのだろうか」

沖縄の戦争犠牲者遺族の中に、天皇・皇后の訪問を拒絶する人だけでなく、歓迎する人もいる現実に関して、村椿はこう感想を述べている。
「奴隷を抑圧し、過酷な労働を課した主人が奴隷にご褒美を与えることによって、奴隷を満足させようとしている。奴隷がそのご褒美を手に入れて満足するなら、奴隷はいつまでたっても奴隷のままであり、主人はいつまでも奴隷を支配し続けるだろう。」

同感する。天皇制とは、天皇と臣民がつくる関係。これは、奴隷と奴隷主の関係と同じだ。奴隷主は、奴隷をこき使うだけではない。ときには慰撫し、ご褒美も与える。奪ったもののほんの一部を。これをありがたがっているのが、奴隷であり、臣民なのだ。

いま、われわれは主権者だ。奴隷でも、臣民でもない。だが、天皇制はご褒美をくれてやる姿勢を続け、これをありがたがる人も少なくない。慰撫やご褒美をありがたがる臣民根性を払拭しよう。戦後69年目の夏、あらためてそのことを確認する必要がありそうだ。
(2014年8月14日)

DHCスラップ訴訟資料の公開予告?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第17弾

私を被告とする『DHCスラップ訴訟』の事実上の第1回口頭弁論は8月20日(水)午前10時半に開かれる。場所は東京地裁705号法廷。誰でも傍聴可能である。予約も身分証明も不要だ。しかし、満席になると入れなくなる。これが現在のところ、やむをえないのだ。

その場合には、11時から東京弁護士会5階508号室で行われる弁護団会議兼報告集会にどうぞ。こちらも席が足りないかも知れないが、そのときは詰め込みでも立ち見でもなんとかなる。

この集会では弁護団長の解説や、スラップ訴訟に詳しい北健一さん(ジャーナリスト・出版労連書記次長)の報告がある。高名な田島泰彦上智大学教授(メディア法専攻)の研究者としての立ち場からの解説も予定されている。

その口頭弁論期日1週間前の今日(8月13日)、弁護団が被告準備書面(1)を裁判所に提出した。併せて乙号証と証拠説明書も。同時に110名の代理人弁護士の委任状も提出した。当日の法廷で私が行う意見陳述の要旨もである。すべて順調に推移している。あらためて、私は「恵まれた被告」であり「幸せな被告」であると思う。

被告準備書面の主たる主張は、「本件提訴は訴権の濫用に当たるものとして、提訴自体が違法。だから直ちに却下して澤藤を被告の座から解放せよ」というもの。

「訴権の濫用」とは、おそらく聞き慣れない言葉だと思う。本日提出準備書面の次の一節をお読みいただきたい。

「裁判制度を利用することは憲法上の権利である(憲法32条)。しかし、…民事訴訟制度は、事実関係に法を適用して社会に惹起する法律的紛争を解決するという理性的な制度として運営されるべきものであるから、当該訴訟提起が、制度の理念に大きく逸脱する場合は、権利(訴権)の濫用として、提訴行為自体が排斥される場合があることも当然である。このことを端的に示した東京高裁2001年1月31日判決は、『当該訴えが、もっぱら相手方当事者を被告の立場に置き、審理に対応することを余儀なくさせることにより、訴訟上又は訴訟外において相手方当事者を困惑させることを目的とし、あるいは訴訟が係属、審理されていること自体を社会的に誇示することにより、相手方当事者に対して有形・無形の不利益・負担若しくは打撃を与えることを目的として提起されたものであり、右訴訟を維持することが前記民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠き、信義に反すると認められた場合には、当該訴えの提起は、訴権を濫用する不適法なものとして、却下を免れない』と述べている(その原審である東京地判も同様の判断を示している)と解するのが相当である」

しかし、なぜ本件『DHCスラップ訴訟』が、「訴訟を維持することが前記民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠き、信義に反する」場合に当たると、考えられるのか。それは、準備書面を直接お読みいただくのが適切である。

弁護団の議を経てということになるが、公開の法廷で陳述済みの訴訟資料は、ホームページで公開したいと思う。DHC側が、いったいどんな主張をしているのか、また被告弁護団がどう応訴しているのか、じっくりと時間をかけてお読みいただきたいと思う。

私は常々考えてきた。法廷を公開するという意味についてである。もちろん、誰でも法廷傍聴は可能で、一応そのような運用はなされている。しかし、傍聴希望者が法廷のキャパを超えれば入場できなくなる。標準的な法廷の傍聴席はあまりに数が少ない。傍聴希望者多数と予想される場合には抽籤などしているが、傍聴希望者にキャパを超える理由で傍聴を断ることに本当に正当性があるのだろうか。

東京の事件を沖縄県民が傍聴しようと思っても、事実上無理な話だ。裁判は、アクセス可能なエリアの人々にだけ公開されているが、その以遠の人には事実上閉ざされている。さらに、である。民事事件の法廷を傍聴された方はお分かりだろうが、傍聴していても目の前で何が進行しているのかさっぱり分からない。法廷は、事前に作成された書面をここで陳述したことにする儀式を行うだけの場なのだ。傍聴人に、どのような書面を提出しているのか説明したり、書面を読ませてくれる親切は期待できない。

もちろん、特定の事件に関心を持った場合には、第3者の記録閲覧は可能(申立書に手数料として150円の印紙貼付が必要)だが、事件番号や当事者などの特定の必要はある。これも、謄写申請となれば利害関係人に限られ、その疎明の手続も面倒だ。

プライバシー侵害の問題は別として、裁判「公開」はインターネットによって可能となるのではないか。『DHCスラップ訴訟』は、インターネット公開するのに、最適のケースというべきであろう。原告両名は、自ら公開の法廷での訴訟を望んだ者である。経済的・社会的な強者であるばかりでなく、公党の党首に巨額の政治資金を拠出したことを自ら暴露する手記を公表した者としても、プライバシーへの配慮は必要ない。

公開の法廷で何が行われたのか、訴状・答弁書・原告準備書面・被告準備書面、そして提出された双方の証拠まで、じっくりとお読みいただきたいと思う。本来は、国民誰もが、公開の法廷でその内容を知ることができたはずの資料である。公開することも、アクセスにも遠慮は要らない。但し、訴訟上の主張や証拠に第3者が出てきた場合のプライバシーへの配慮は必要となる。その配慮はしつつも、公開を実現したい。

そうして、この事件を「劇場」にもしたいし、「教室」にもしたい。この訴訟はシナリオのないドラマでもあり、民主主義を学ぶ格好の素材でもあるのだから。
(2014年8月13日)
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世界中わが憲法と同じなら

毎日新聞「万能川柳」の先月(7月)の投句は、葉書の数で1万2000通を超えているという。葉書1枚に5句の投句が可能だから、句数を計算すれば4?5万になるのだろう。その中で、たった一句の月間大賞受賞作が本日の朝刊に発表されている。それが、17日に秀逸句として掲載された次の句。

   世界中わが憲法と同じなら(水戸拷問)

「短詩故の豊かな余韻が味わいふかい」と言われてしまえば反論のしようもないが、この曖昧な5・7・5のあと、どう続くのか気になってしかたがない。作者に聞いてみたいところ。

A「世界中の国の憲法がわが日本国憲法と同じなら、どこの国の軍隊もなくなる。世界に軍隊がなくなればどこにも戦争は起こらない。平和な世界が実現する」
おそらく作者はそう言いたいにちがいない。そのような立ち場から、「世界に憲法9条を」「憲法9条を輸出しよう」「世界遺産として9条を登録しよう」などというという運動が広まりつつある。

しかし、句の読み方が一つだけとは限らない。安倍首相なら、こう解釈するだろう。

B「世界中の国の憲法がわが日本国憲法と同じなら平和な世界が実現するでしょう。でも現実にはちがうのだからしょうがない。どこの国にも軍隊はある。だから日本だけが軍隊をもたないわけにはいかない」と。

「右翼の軍国主義者」も、「戦争が好き」「平和は嫌い」とは言わない。「平和を守るために敵に備えよ」「平和が大切だから戦争の準備を怠るな」「より望ましい平和のための戦争を恐れるな」というのだ。国境を接する両国がこのような姿勢でいる限り、お互いを刺激し合い、戦争の危険を増大し合うことになる。そして、ある日危険水域を越えて戦争が始まるのだ。

Aは、世界を説得しても軍隊をなくして平和を築こうとする立ち場。
Bは、世界を説得するなど夢物語。軍事力をもたねば不安とする立ち場。

最近、7月1日以後は、もっと別の読み方もできよう。
C「世界中の国の憲法がわが日本国憲法と同じであろうとなかろうと、どこの国の軍隊もなくならない。もちろん戦争もなくならない。だって、憲法に指一本触れずに政府が解釈を変えてしまえば、どんな軍隊も持てるし、世界中どんなところでも戦争ができるのだから」

7月1日閣議決定を受けて7月17日に、選者がこの句をその日の秀逸句とし、さらに月間大賞を与えたとしたら、辛口にCのような解釈をとっているのかも知れない。これはブラックユーモアの世界。

集団的自衛権行使容認の閣議決定は、憲法の存在感を著しく稀薄化した。憲法になんと書いてあろうとも、「最高責任者である私の解釈次第でどうにでもなる」と言われたのだ。「9条にどう書かれていようとも、日本は自衛を超えて戦争ができるようになりました」ということなのだ。

立憲主義を貫徹し平和主義を確立してはじめて、「世界中わが憲法と同じなら」は平和を希求する句(Aの読み方)となる。古典的安倍流(B)でも、ニューバージョン安倍流(C)でも、平和の句とは無縁なのだ。
(2014年8月12日)

内閣に靖国参拝を合憲と強弁させてはならない

百地章さんという憲法学者が、産経新聞に「中高生のための国民の憲法講座」という連続コラムを執筆しておられる。その第58講が8月9日掲載の「首相の靖国参拝をめぐる裁判」というタイトル。産経新聞のコラムだから、ご想像のとおりの内容。

産経を読ませられている中高生が哀れになる。「百地さんの説くところは、オーソドックスではないんだよ」「百地さんの言ってることを鵜呑みにするのは危険だよ」「少なくとも、反対意見があることを念頭に置いて、反対意見に耳を傾けるべきことを忘れないでね」と言ってあげたい。

ところで、このコラムの中に、明らかに私(澤藤)への反論が書かれている。

今年の4月6日、私は、当ブログに「百地先生、中学生や高校生に誤導はいけません」という記事を掲載した。産経の講座・第40講として「首相の靖国参拝と国家儀礼」と標題する百地章さんの論稿が掲載された翌日のことである。やや長文ではあるが、ぜひ次のURLをご覧になっていただきたい。5点にわたって、百地説を批判している。今回の百地コラムへの反論も、先回りして十分に書き込まれている。
  http://article9.jp/wordpress/?p=2403

読み返すと、かなりの辛口。再掲すればこんな調子だ。
「この方、学界で重きをなす存在ではないが、右翼の論調を『憲法学風に』解説する貴重な存在として右派メディアに重宝がられている。なにしろ、「本紙『正論』欄に『首相は英霊の加護信じて参拝を』と執筆した」と自らおっしゃる、歴とした靖国派で、神がかりの公式参拝推進論者。その論調のイデオロギー性はともかく、学説や判例の解説における不正確は指摘されねばならない。とりわけ、中学生や高校生に、間違えた知識を刷り込んではならない」

あるいは、
「この論稿を真面目に読もうとした中学生や高校生は、戸惑うに違いない。百地さんは、靖国公式参拝容認という自説の結論を述べるに急で、政教分離の本旨について語るところがないのだ。なぜ、日本国憲法に政教分離規定があるのか、なぜ公式参拝が論争の対象になっているのか、についてすら言及がない。通説的な見解や、自説への反対論については一顧だにされていない。このような、『中高生のための解説』は恐い。教科書問題とよく似た『刷り込み』構造ではないか。」

百地さんは、私のこのような辛口批判に対して感情的な反発をすることなく、反論を展開している。それが説得力あるものとして成功しているかはともかく、論争の姿勢には評価を惜しまない。私の批判を無視しなかったことにおいて、紙上で私の批判を紹介しつつ反論していることにおいて、私は見直している。

言論には言論をもって対抗すべきが当然である。私は表現の手段として当ブログをもっている。百地さんは産経新聞だ。産経・百地論説がまずあり、私がブログでこれを批判して、その批判にまた産経を舞台に百地さんが反論した。準備書面の交換という過程を通じて争点が煮詰まりやがて判決に結実するがごとく、言論の応酬は読み手に問題の所在を提示し深く考えさせ、成熟した判断に至らしめる。

産経に対抗しての当ブログ、現実にはその影響力の大きさは比較にならないが、社会に発信する手段を個人として有していることの意味は大きい。私も、個人として、このツールをもって「思想の自由市場」に参加の資格を得ているのだ。現に百地さんは私のブログに目を留めて、産経紙上で反論しているではないか。

私への反論というのは、2点についてである。

第1点は、判決文中の「傍論」の理解についてである。
「弁護士でありながらこのこと(傍論は判決(判例)とは言えません)をご存じないのか、それとも「中高生を誤導」するためなのか、『高裁レベルでは内閣総理大臣の靖国参拝を違憲と述べた判決は複数存在する』と強弁する人がいます。靖国訴訟や君が代訴訟などで原告側の代理人を務めてきた弁護士です。しかし、彼が挙げているのはすべて『傍論』です」

第2点は、愛媛玉串料訴訟大法廷判決の理解についてである。
「この弁護士はブログで、靖国参拝についての最高裁の判断はまだないが、近似の事件として公費による靖国神社への玉串料支出を違憲とした愛媛玉串料訴訟判決がある、ともいっています。」「この問題の判決を引き合いに出して、『首相の靖国参拝は違憲』との判決が期待できると主張しているわけです。本当でしょうか。

この弁護士は、私以外にはあり得ない。以上の2点についての再反論は、4月6日ブログで十分だと思う。

問題は次の点だ。
「最高裁判決が存在せず、しかも下級審でも違憲とされていない以上、第40講で述べたとおり、国の機関である首相が依(よ)るべきは『首相の靖国神社参拝は合憲』とする『政府見解』(昭和60年8月)と考えるのが自然です。これは旧社会党首班の村山富市内閣さえ踏襲し、現在の政府見解でもあるのですから。」

これは、安倍内閣の集団的自衛権行使容認論における言い分そのままである。「最高裁判決で違憲と判断されない限りは、私が憲法解釈の権限をもっている」というもの。この安倍政権の傲慢さに国民が警戒を始めた今、安倍政権に理性ある態度を求めるのではなく、さらなる暴走をけしかける役割を買って出ているといわざるを得ない。

しかも、愛媛玉串料訴訟大法廷判決は、靖国懇の答申のあとに出ているのだ。目的効果基準を適用してなお、13対2の圧倒的な評決で大法廷は違憲と判断した。これこそ判例としての解釈基準の設定である。傍論ではない。内閣は、憲法に縛られている立ち場にあることを重く受けとめねばならない。玉串料の奉納程度でも違憲とされた、と解しなければならない。国家と宗教との過度の関与として、この上ない首相の靖国参拝を合憲と、内閣自らが強弁するようなことがあってはならない。

下級審判決における違憲判断は傍論として斥け、大法廷判決は問題判決だから無視するという。これでは筋が通らない。結局は靖国参拝合憲と言いたいだけなのだ。安倍内閣も、百地教授も。
(2014年8月11日)

8月20日(水)法廷と報告集会のご案内?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第16弾

※昨日(8月9日)、上智大学の田島泰彦さんからお誘いを受けて、メディアに関係する研究者と弁護士とジャーナリストの集いで、『DHCスラップ訴訟』についてたっぷりと報告をさせていただいた。集団的自衛権や、日の丸・君が代、靖国問題、自民党改憲案や消費者問題ではなく、自分が被告になったこのスラップ訴訟でのまとまった報告は初めてのこと。

言論の自由に深刻な問題と受けとめていただき、熱心に聞いていただいた。「被害者本人として、この点をどう考えているか」という質問がいくつも出た。集いの参加者みんなが表現の自由の拡大を一面的に望ましいと考えているわけではない。過剰な取材や報道から、市井の人々のプライバシーをどう守るかに最大の関心を持っている人もいる。そのような立ち場の人も含めて、「本件スラップは人権と民主主義の双方にたいへん危険」ということで異論はなかった。

人間、励まされると元気が出る。声がかかったら、どこにでも出かけて行って『DHCスラップ訴訟』について語ろう。なにしろ私は、被害者本人である。こんな経験は滅多にできるものではない。貴重な語り部として、被害体験を大いに語るべき責務があろうというものだ。

※このブログで、『DHCスラップ訴訟』進行をリアルタイムで報告することをお約束している。スラップ訴訟への法廷内外での対抗の在り方のモデルケースを示したい。理論的な蓄積や応訴のノウハウについても提供したい。このブログの「『DHCスラップ訴訟』を許さないシリーズ」を、スラップ応訴劇場ともし、スラップ対応教室ともしてみたい。その立場から、現在の弁護団体制や、確定しているスケジュールと、あと10日となった8月20日(水)法廷とその後の報告集会の予定についてご連絡する。

※現在、被告側の応訴弁護団員数は110名。8月20日次回期日出廷予定者は39名となっている。これは予想外。相当なものだ。弁護団参加者は、みんなが、「澤藤一人の問題ではない。人権と民主主義を侵蝕する問題として見過ごせない」と立ち上がっている。また、澤藤や弁護団中核の「この典型事件の応訴の過程で、これまでの理論や運動の経験を集大成して、他の事件にも使えるようにかたちにして残そう」ということに賛同して、次のスラップ訴訟は単独てでも受任できるように経験を積みたいとしてくれている若手もいる。弁護団もスラップ対策教室となっているのだ。

※当面のスケジュール
 8月13日 被告準備書面(1)、乙号証、訴訟委任状、意見陳述書案各提出
 8月20日(水)午前10時半 事実上の第1回口頭弁論期日
     東京地裁庁舎7階 705号法廷(民事24部合議係) 
     通常手続以外に意見陳述があります
       澤藤5分、当事者の立ち場で。
       弁護団長5分、法的な整理を中心に。
     誰でも傍聴可能です。しかし、満席となればそれ以上は入れません。
 8月20日(水)11時? 報告集会兼弁護団会議(東京弁護士会508号室)
   ☆弁護団長報告
     当日の法廷の解説、今後の進行見通し、争点などについて
   ☆北健一さん(「武富士対言論」の著者・出版労連事務次長)報告
     スラップ訴訟の実態とその危険性。実践的な対応策など。
   ☆スラップ経験弁護士からの補充
   ☆田島泰彦さん(上智大学・メディア法)報告
     スラップ訴訟と表現の自由、本件の進行に関して
   ☆スラップ訴訟や応訴の意義に関しての意見交換
   ☆訴訟の進行や主張・立証に関する意見交換
 どうぞ、どなたでもご参加下さい。
 ここも、劇場でもあり、教室でもあるのですから。
(2014年8月10日)
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「被爆者の情念の迫力」と「コピペの薄っぺら」

8月9日、「祈りの長崎」に、国民すべてが、いや世界の人々が、ともに頭を垂れ心を寄せるべき日。

その「長崎原爆の日」の今日、平和祈念式典が行われ、田上富久市長の平和宣言が集団的自衛権に触れた。つぎのとおりである。

「いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。
長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎の原点でもあります。
被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいるのではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。」

市長の発言である。安倍首相の面前でこれだけのことを言ったと評価すべきだろう。また、安倍首相を前にしてこれを言わなければ、何のための平和祈念式典か、と問われることにもなろう。

圧巻は、被爆者代表の城臺美彌子さんの発言。ネットで複数の「全文文字化」が読める。ありがたいことと感謝しつつ、その一部を転載させていただく。

「山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。おとなりの同級生、トミちゃんが、『みやちゃーん、遊ぼう』と外から呼びました。その瞬間、キラッ!と光りました。
その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えておりません。暫く経って、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんは、その時何の怪我もしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。

たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなる。たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で、多くの被爆者が命を落としていきました。

原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは、人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい、非人道的な核兵器を、世界から一刻も早く、なくすことです。

そのためには核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府はその役割を果たしているのでしょうか。今進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。

日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。一旦戦争が始まると、戦争が戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。

日本の未来を担う若者や、子どもたちを脅かさないで下さい。平和の保障をしてください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないで下さい。

福島には、原発事故の放射能汚染で、未だ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々が大勢おられます。小児甲状腺がんの宣告を受けて、怯え苦しんでいる親子もいます。
このような状況の中で、原発再稼働、原発輸出、行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。早急に廃炉を検討して下さい。

被爆者は、サバイバーとして残された時間を命がけで語り継ごうとしています。小学1年生も、保育園生さえも、私たちの言葉をじっと聞いてくれます。このこと、子どもたちを、戦場へ送ったり、戦火に巻き込ませてはならないという思い、いっぱいで語っています。

長崎市民の皆さん、いいえ、世界中のみなさん。再び、愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被曝の実相を語り継いで下さい。

日本の真の平和を求めて、共に歩きましょう。私も被爆者の一人として、力の続く限り、被爆体験を伝え残していく決意を、皆様にお伝えして、私の平和への誓と致します。」

この凄まじい迫力。安倍晋三の耳にはどう響いたか。

この日の式典でも安倍は挨拶文を読み上げた。それが、中ごろを除いて、昨年と同じ。今はやりのコピペだと指摘されている。

さすがに、昨年の「せみしぐれが今もしじまを破る」は、今年はなかったという。「式典は昨年は炎天下だったが、今年は雨の中だった。」から(朝日コム)。

6日の広島市での平和記念式典の安倍首相の挨拶文を「昨年のコピペ」と指摘したメーリングリストでの投稿にその日の内に接した。そういうことに気づく人もいるのだと感心していたら、各紙の社会面ネタになって拡散した。これでは、長崎は書き下ろしで行くのだろうと思ったが、さすが安倍晋三、すごい心臓。長崎でもコピペを繰り返した。今年の流行語大賞は「コピペ」で決まりではないか。安倍には、「コントロール」と「ブロック」に加えて、「コピペ」も、イメージフレーズとして定着した。

コピペは、借り物、使い回しの文章。抜け殻で、装いだけの文章。かたちだけを整えたもので、魂のないスピーチ。安倍晋三は、広島も長崎でも、そんなコピペの文字の羅列を読みあげればよいと考えたわけだ。

かたや、自らの体験と情念が吹き出した言葉の迫力。こなた、コピペのごまかし。それでも、支配しているのは迫力に欠けた薄っぺらのコピペ側なのだ。複雑な思いとならざるを得ない。
(2014年8月9日)

「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ?「DHCスラップ訴訟」を許さない・第15弾

政治資金規正法は、1948年に制定された。主として政治家や政治団体が取り扱う政治資金を規正しているが、政治資金を拠出する一般人も規正の対象となりうる。政治資金についての規正が必要なのは、民主主義における政治過程が、カネで歪められてはならないからだ。

政治資金規正法第1条が、やや長めに法の目的を次のとおり宣言している。
「この法律は、議会制民主政治の下における政党その他の政治団体の機能の重要性及び公職の候補者の責務の重要性にかんがみ、政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もつて民主政治の健全な発達に寄与することを目的とする。」

立派な目的ではないか。これがザル法であってはならない。これをザル法とする解釈に与してもならない。カネで政治を歪めることを許してはならない。

改めて仔細に読み直すと、うなずくべきことが多々ある。とりわけ、「議会制民主政治の下」では、「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われなければならない」と述べていることには、我が意を得たりという思いだ。

キーワードは、「国民の不断の監視と批判」である。法は、国民に政治家や政権への賛同を求めていない、暖かい目で見守るよう期待もしていない。主権者国民は、政党・政治団体・公職の候補者・すべての議員への、絶えざる監視と批判を心掛けなければならない。当然のことながら、政治家にカネを与えて政治をカネで動かそうという輩にも、である。

砕いて言えば、「カネの面から民主主義を守ろう」というのが、この法律の趣旨なのだ。「政治とカネの関係を国民の目に見えるよう透明性を確保する。金持ちが政治をカネで歪めることができないように規正もする。けれども、結局は国民がしっかりと目を光らせて、監視と批判をしてないと民主主義の健全な発展はできないよ」と言っているのだ。

「政治資金収支の公開」と「政治資金授受の規正」が2本の柱だ。なによりもすべての政治資金を「表金」としてその流れを公開させることが大前提。「裏金」の授受を禁止し、政治資金の流れの透明性を徹底することによって、カネの力による民主主義政治過程の歪みを防止することを目的としている。

今私は、政治とカネの関係について、当ブログに何本もの辛口の記事を書いた。そのうちの3本が名誉毀損に当たるとして、2000万円の損害賠償請求訴訟の被告とされている。私を訴えたのは、株式会社DHCとその代表者吉田嘉明である。

どんな罵詈雑言が2000万円の賠償の根拠とされたのか、興味のある方もおられよう。下記3本のブログをご覧いただきたい。

  http://article9.jp/wordpress/?p=2371
    「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判 
  http://article9.jp/wordpress/?p=2386
    「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
  http://article9.jp/wordpress/?p=2426
    政治資金の動きはガラス張りでなければならない

いずれも、DHC側から「みんなの党・渡辺喜美代表」に渡った政治資金について、「カネで政治を買おうとした」とする批判を内容とするものである。

私は、主権者の一人として「国民の不断の監視と批判を求めている」法の期待に応えたのだ。ある一人の大金持ちから、小なりとはいえ公党の党首にいろんな名目で累計10億円ものカネがわたった。そのうち、表の金は寄付が許される法の規正限度の上限額に張り付いている。にもかかわらず、その法規正の限度を超えた巨額のカネの授受が行われた。はじめ3億、2度目は5億円だった。これは「表のカネ」ではない。政治資金でありながら、届出のないことにおいて「裏金」なのだ。

事実上の有権解釈を示している、『逐条解説 政治資金規正法〔第2次改訂版〕』(ぎょうせい・2002年)88頁は、法の透明性の確保の理念について、「いわば隠密裡に政治資金が授受されることを禁止して、もって政治活動の公明と公正を期そうとするものである」と解説している。

にもかかわらず、3億円、5億円という巨額な裏金の授受を規正できないとする法の解釈は、政治資金規正法をザル法に貶めることにほかならない。

この透明性を欠いた巨額カネの流れを、監視し批判の声を挙げた私は、主権者として期待される働きをしたのだ。逆ギレて私を提訴するとは、石流れ木の葉が沈むに等しい。これが、スラップなのだ。明らかに間違っている。

憲法と政治資金規正法の理念から見て、恥ずべきは原告らの側である。本件提訴は、それ自体が甚だしい訴権の濫用として、直ちに却下されなければならない。
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          『DHCスラップ訴訟』応訴にご支援を
このブログに目をとめた弁護士で、『DHCスラップ訴訟』被告弁護団参加のご意思ある方は東京弁護士会の澤藤(登録番号12697)までご連絡をお願いします。

また、訴訟費用や運動費用に充当するための「DHCスラップ訴訟を許さぬ会」の下記銀行口座を開設しています。ご支援のお気持ちをカンパで表していただけたら、有り難いと存じます。
    東京東信用金庫 四谷支店
    普通預金 3546719
    名義   許さぬ会 代表者佐藤むつみ
 (カタカナ表記は、「ユルサヌカイダイヒョウシャサトウムツミ」)

集団的自衛権行使容認閣議撤回を求める弁護士会の街宣活動で

広島に原爆が投下された8月6日の夕刻。有楽町駅前で関弁連(関東弁士会連合会)の街頭宣伝活動に参加した。連合会の会長や単位会の会長・役員ら多数が、交代でマイクで語り続けた。暑さの中、1時間のチラシ撒きに汗をかいた。

多くの演説者が、広島の原爆のこの上ない悲惨さや非人道性から話を始め、太平洋戦争の国内外の被害と愚かさを語り、その戦争の惨禍を繰り返すことがないよう決意して日本国憲法が制定されたことが語られた。日本国憲法の平和主義堅持の歴史的意味や、現在なお戦争の絶えない世界における9条の精神の重要性も語られた。

また、法律家として「立憲主義をないがしろにしてはならない」ことが強調され、安倍政権の「集団的自衛権行使を容認する7月1日閣議決定」が立憲主義に反して許されるざるものして、その撤回を求める声が各弁護士会の総意であることがくり返し力説された。

そして、いま安倍政権によって憲法9条がないがしろにされ、集団的自衛権行使容認というかたちで、平和が壊されようとしていることに警告がなされ、その自覚のもと平和を守るために力を合わせようと呼び掛けられた。

そう、今、時代のキーワードは「集団的自衛権行使容認」である。「集団的自衛権行使容認派」との熾烈な切り結びこそが最も重要な争点なのだ。

その点、8月6日の広島市主催の平和式典での市長の平和宣言は、ややものたらなかった。「集団的自衛権行使容認派」の首魁である安倍晋三を前に、平和勢力を代表して「集団的自衛権行使容認」の危険を述べる絶好の機会であったのに、その機をとらえようとしなかったのだから。

「怒りの広島」「祈りの長崎」と言い古されてきた。しかし、今年は様相を異にしているようだ。広島では語られなかった「集団的自衛権行使容認」の危険について、長崎市長の宣言では盛り込まれる予定と伝えられている。

そんなことを考えてビラを配っていたら、壮年の男性に声をかけられた。
「誰がどう考えても、7月1日の閣議決定は憲法違反ですよね。憲法をどう読もうとも集団的自衛権を行使して戦争ができるとする解釈が成り立つはずがない。どうすれば、こんな明白な憲法違反をきちんと是正できるのでしょうか。そもそも憲法は、こんな場合に憲法違反を是正する方法を整備していないのでしょうか」

騒音の中で、しばらく話しが続いた。
「違憲の閣議決定を覆すことは、実はなかなか簡単なことではありません」「憲法は81条で違憲審査権を裁判所に与えていますが、その裁判所は憲法裁判所ではなく司法裁判所とされています。具体的な事件を離れて抽象的に閣議決定の違憲性を争うことは許されないのが原則です」「それでも何とか提訴をということなら、『閣議決定によって自分の具体的な権利が侵害された』という構成を考えなければなりません。平和的生存権の侵害はその場合の有力なキーワードになります」

「どうして難しいのでしょうか。憲法とは権力者を縛るものなんでしょう。安倍政権がやっていることはまったくあべこべじゃないですか。憲法には公務員の憲法遵守義務も書いてある。違憲は明らかじゃないですか。それでも難しいというのでは、憲法は無力ではありませんか」
「おっしゃるとおり、無力といえば無力かも知れません。権力に違憲行為があれば、裁判で是正することにはなっていますが、その裁判の提起自体が容易ではない。また、たとえ訴訟の土俵にはうまく乗ったとしても、有名な砂川事件大法廷判決のように、『国民の運命を左右するような重大な問題を判断することは、われわれ裁判官には荷が重すぎます』と、任務放棄する可能性が高いと言わねばなりません」

「じゃあ、結局選挙で自民党を落とすしかないということでしょうか」
「それが王道ですね。閣議決定に基づいて集団的自衛権行使を具体化する多くの立法がなされ、それによって戦時態勢となり、人権侵害が生じる。そのとき裁判はできるでしょうが、迂遠な話し。最終的には国民自身が憲法の在り方も決めることになるのですから、まずは選挙で勝たなければならないと思います。そのために必死の努力をするしかない」

「なんとなく心細いですね」
「どうでしょうか。世論調査では、安倍内閣が集団的自衛権行使容認に踏み切って以来、国民世論が大きく変わっているではありませんか。滋賀の知事選も自民党にはショックな結果でした。今度は福島と沖縄の知事選ですし、来年の統一地方選挙もあります。多くの人への訴えが、少しずつ実を結んでいるように思いますが」

「そうだと良いですけどね。いずれにしても、身近な人を説得する努力を重ねるしかないのでしょうかね」
「このパンフレット、なかなか良くできていますよ。よくお読み下さい。周りの方にも少し配ってください。よろしくお願いします」
(2014年8月7日)

69回目の原爆記念日にー被爆者の声の重み

  8月は、6日9日15日。

誰が言い始めたかは知らない。これで立派な句となっている。

今日は、その8月6日。特別な日である。人類にとっても、日本にとっても、そして私個人にとっても。私は、広島で爆心地近くの小学校一年生となった。まだ、街の方々に瓦礫の山があったころのこと。原爆ドームもそのうちの一つだった。

私は終戦時には2才。直接には戦争も軍国主義の空気も知らない。父と母から語られたものが戦争と旧社会の記憶である。父は幸いに一度の戦闘参加もなく、ソ満国境から帰還している。その軍隊経験の伝承には苛酷で悲惨な色彩が薄かった。下士官だった父は、楽しげな思い出として軍隊生活を語ることすらあった。これに比して、内地で銃後にあった母の苦労の話が私の戦争の原イメージをかたちづくっている。「戦争はいやだ」「あんな思いは金輪際繰り返したくない」という、日本中にあふれていた共通の思い。

私が生まれた盛岡の中心部にもB29の空襲はあった。しかし、その規模は他の都市と比べれば微々たるものだった。それでも母は、ハシカの私を負ぶって空襲警報の鳴る度に防空壕に避難したことを度々語った。なによりも母の義弟が戦争末期の招集でサイパンで戦死している。母の妹は、子どもを抱えた寡婦として戦後を生き抜いた。私の胸の内に、この叔母と同年代の従兄のことが、むごい戦争の癒しようのない疵痕として刻み込まれている。

穏やかな地方都市盛岡にも、戦後は戦争の爪痕が残り、人々の暮らしにも戦争が深く影響していたはずだ。しかし、父と母とに守られた幼い私には分からないことだった。広島で初めて、小学生の私が否応なく視覚的に戦争の痕跡と向かいあったことになる。

69年前の一発の爆弾が、人類史に与えた影響は計り知れない。人類は、自らを亡ぼす手段を手に入れたのだ。人類は、自らの手に負えない危険な代物を作り出してしまった。この人類と共存しえない絶対悪を、この世から廃絶しなければならない。この願いこそ、絶対の正義だ。子どものころから、そう思い続けて来た。私の感覚では、私の身の回りはすべて戦争の被害者であった。被害者の視点で、徴兵も空襲も被爆も見てきた。

そしてやや長じて、広島が軍都であることを知った。広島も、小倉(8月9日原爆攻撃の第一目標都市)も、軍都であるが故に原爆投下候補地として選定されていることは否めない。戦前の広島には陸軍の施設が集中し、軍需工業として重工業も発達した。都市全体に軍事的な性格が強かった。被侵略国の人々が広島に落とされた「新型爆弾」の威力に拍手をしたことも聞いた。

戦争は、一面的な被害の文脈だけでは語れない。悲しいことに、日本は加害国であった。私の父も母も戦没した伯父も、消極的にもせよ侵略戦争を起こした側にいた。被侵略側から見れば侵略の加担者である。少なくとも積極的に戦争に反対をすることはなかった。広島の被爆被害でさえ、軍都であったことからの責任なしとしないのだ。

「過ちは繰り返しません」というフレーズは限りなく重い。今再びの戦前を思わせる時代の空気の中で、愚かな為政者による戦争の危険をきっぱりと断たねばならない。なによりも今、憲法をないがしろにする集団的自衛権行使容認の解釈改憲が大きな問題である。これに反対の声を挙げることなく見過ごすことは、「過ちを繰り返して、戦争や被爆のリスクを再び背負う」ことにつながる。

8月6日、今日は、20万のヒロシマの死者に思いをいたし、あらためて安倍政権の集団的自衛権行使容認に反対の意思を表明する日としなければならない。人権も民主主義も、そして平和も、為政者の暴走を許すところから崩れていく。

本日、被爆7団体の代表が安倍首相と面談し、集団的自衛権の行使を容認した7月1日閣議決定の撤回を申し入れた。7団体は首相宛の要望書の冒頭で「政府は憲法の精神を消し去ろうとしている」と非難。面談では、「(閣議決定は、)殺し殺され、戦争の出来る国にするものだ。失われるものがあまりに大きい」との意見が出たという。

時宜を得た、まことに的確な行動ではないか。被爆者の声は、20万の死者を代理してのものだ。臆するところなく、遠慮をすることもなく、ズバリとものを言わざるを得ないのだ。その声は、安倍の耳に届いただろうか。胸の底まで響いたであろうか。骨身に沁みただろうか。
(2014年8月6日)

澤藤統一郎の憲法日記 © 2014. Theme Squared created by Rodrigo Ghedin.