澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「日の丸・君が代」処分に伴う再発防止研修への抗議

春は、卒業式と入学式の季節。それぞれの人生の節目と再出発の、キラキラ光る美しい時。ところが、東京の公立校では、「日の丸」と「君が代」の強制の季節。そして処分の季節だ。少しも美しくない。今年も4人に懲戒処分が発せられた。これで、「日の丸・君が代」強制に服さないことを理由とする処分は461件となった。

懲戒処分を受けた者には、服務事故再発防止研修の受講が命じられる。本日、水道橋の東京都教職員研修センターで、その再発防止研修が強行された。私たちは、これに抗議して、センターの門前に集まって抗議と要請を行い受講者を激励する。

早朝8時半、マイクを握って研修の責任者に申し入れを行う。

「行政機関としての都教委と研修センターに、抗議と要請を申しあげたい。また、本日の研修を担当する研修センターの職員の皆様にもお願いしたいことがある。聞いていただきたい。

本日、服務事故の再発を防止するための研修が予定されているが、いずれの受講者も服務事故を起こしたとの認識はない。もとより、反省とは無縁である。再発防止のためとする研修は、体罰やハラスメントの不祥事を起こした職員には必要であろうが、自らの思想・良心に忠実な行動をした本日の受講者には、まったく無意味で、本来研修は無用である。むしろ、本日の研修受講予定者は、教員としての職業的倫理観と責任感の高い尊敬に値する教育者である。模範に値すると言っても決して過言ではない。

この人たち対して、再発防止研修に名を借りた恫喝は思想良心の自由に対する直接の侵害である。また、その誤りを糺そうと説得を試みることは、行政による思想転向の強要にほかならない。いずれも憲法19条に違反する。また、子どもたちの教育を受ける権利の侵害にもなる。

行政機関は憲法を遵守しなければならない。その憲法は、思想良心の自由を保障している。思想良心の自由の保障は、国民に対してどんな行動も自由だとしているわけではない。しかし、こと国民が国家をどのように位置づけるかについては、絶対の自由が保障されなければならない。国旗国歌への敬意表明の強制は、国家主義否定の思想を侵害することではないか。各個人の歴史認識によって、日の丸・君が代が象徴している大日本帝国の時代を受け容れがたいとする思想を否定してはならない。

戦争の惨禍から新たな国をつくろうとした日本国民は、戦前の国家主義を清算することを新たな国家の礎として憲法を制定した。国家は誤りを犯す、ということが最大の教訓ではなかったか。国家は、特定の価値観をもってはならない。とりわけ、教育の場で、国家に都合のよいイデオロギーを子どもたちに押し付けてはならない。それが憲法の命じる大原則である。

10・23通達と、通達に基づく職務命令、そして職務命令違反を理由とする懲戒処分は、思想良心の侵害であり、子どもたちの教育を受ける権利の侵害でもある。それだけではない。再発防止研修という名の嫌がらせも、思想良心の侵害なのだ。

これまで、あなた方研修センターは、教職員に対する思想良心侵害実施実務の脇役だった。なによりも、懲戒処分の累進加重制度が圧倒的な重みをもつ弾圧手段だった。再雇用拒否も過酷な制裁だった。ところが、行政には甘いことで知られている最高裁も、さすがに累進加重制度を転向強要システムと認めて、これは違法とした。つまり、懲戒処分の制裁効果は最高裁によって縮減された。代わって、服務事故再発防止研修が、「怪しからん教員への嫌がらせ手段」として主役の座に躍り出た。

いま、あなた方の一挙手一投足が注目の的となっている。今日の研修におけるあなた方のやり方が歴史の審判を受けることになる。

400年前のキリシタンに対する踏み絵は、九州の天領や各藩で大規模に行われた。その実施には大勢の役人が動員されている。今、あなた方は、キリシタン弾圧の役人と同じことをやっている。
戦前の憲兵や特高警察は、多くの弾圧立法に基づいて、国家に反逆する者、天皇に逆らう者、私有財産制度を否定する者を徹底的に取り締まった。今、あなた方は、特高や憲兵と本質において変わらないことをやっている。

キリシタン弾圧の役人も憲兵や特高も、残虐非道な極悪人だったわけではない。その時代の常識人として、その時代の常識に基づいて忠実に任務を実行していただけなのだ。いや、使命感に燃えて国家社会のために働いていたとも考えられる。今、あなた方も同じ立ち場にある。任務だからという言い訳は、歴史の審判に耐えられない。

とは言っても、あなた方が、命じられた本日の研修実施任務を放棄することは難しいだろう。だから、申し上げたい。せめて、本日の研修受講者に敬意をもって接していただきたい。あなた方は、自身の行為には忸怩たる思いを抱かねばならない。そして、処分の不利益を覚悟で、自らの思想良心を貫いた教員には、敬意の念を持っていただきたい。それが、せめてもの罪滅ぼしだと認識していただきたい。
私の要請はそのことに尽きる。」

実際は以上のように整然とはしゃべれなかった。時間の制約もあった。早朝、頭も口も滑らかには回らない。言いたかったことを整理して文章にしてみれば、以上のとおり。
(2014年4月4日)

憲法改正手続の整備は無用である

将を射んとすればまず馬を射よ、という。泥棒を縛るには、あらかじめ縄を綯う。城を落とすには掘りを埋めなければならない。だから、馬が射られるまでは将は討たれない。縄が綯いあがらぬうちは泥棒も安泰だ。掘りの深いうちは、城は落ちない。

憲法を変えるには、その手続を定める国民投票法の整備が必要だ。国民投票法が整備されないうちは憲法改正手続は動き出せない。この整備が完成すると、掘りが埋められて城は裸になる。もちろん、掘りが埋められることが即落城を意味するものではないが、城攻めの重要な手立てが整ったことを意味する。国民投票法の整備は、憲法改正への重要な地均しであり、一里塚である。

その国民投票法は2007年5月に既に成立している。正式名称を「日本国憲法の改正手続に関する法律」という。憲法改正に必要な手続きである国民投票に関して規定するので、一般に「国民投票法」と略称される。「改憲手続法」といった方が、実態をよく表していると思うのだが。

国民投票法が成立したのは第1次安倍内閣当時のこと。一応の成立はしたものの、下記の「3つの宿題」が積み残しとされた。与野党の議論が折り合わなかった問題を付則に記載されたもの。与野党の摺り合わせと折り合いがなければ、憲法改正案の国会発議はできないのだから、必然的に幅の広い与野党合意が必要となる。

(1) 公職選挙法の選挙権年齢や民法上の成年年齢を、国民投票権年齢の原則に合わせて18歳に引き下げることについての可否
(2) 公務員や教員の国民投票運動規制の可否
(3) 国民投票対象を改憲以外の課題にも拡大することの可否

宿題の期限は、法律の施行日から3年後の2010年5月だったが、結局、宿題はできなかった。それが、今国会で、曲がりなりにもなされようとしている。

本日(4月3日)、与野党8党は憲法改正の手続きを定めた国民投票法改正案を今国会中に成立させることで合意した、という。与野党8党とは、自民、公明、民主、維新、みんな、結い、生活、新党改革。8党そろって合意文書に署名し、衆院に議席を持たない改革を除く7党が、来週8日(火)に共同で法案を衆院に提出する、と報じられている。

自民党の船田元・憲法改正推進本部長は3日、7党合意後の記者会見で「いつでも国民投票ができる状況をつくり上げた」と胸を張った(時事)。そんなところで、胸を張ってもらっても迷惑千万。

三つの宿題は、次のように解決するようだ。
(1) 憲法改正国民投票の投票権年齢は原則18歳ではあるが、公選法の選挙権年齢や民法の成人年齢が18歳に変更になるまでは20歳とされている(付則3条)。これを、国民投票年齢と選挙権年齢とのリンクを切断して、施行後4年間は20歳以上、これを過ぎれば18歳以上と確定させる。
 また、公職選挙法を改正して選挙権年齢も2年以内に「18歳以上」とすることをめざす。但し、民法の成年年齢の引き下げは今後の検討課題とした。
(2) 公務員が憲法改正案に対する個人的な意見の表明や賛否の勧誘は認める一方、労働組合による組織的な運動をどう規制するかは検討課題とした。
(3) 国民投票対象の拡大については合意が得られなかった。

法案の共同提出に反対したのは、共産・社民の二党のみ。両党は壊憲に反対の立場なのだから、改憲への地均しに賛成できるはずがない。

まだ法案の審議が始まってもいない段階で、成立までどう転ぶかは分からない。とはいえ、なにしろ「8党合意」なのだから、この合意に基づく改正法案が成立することの可能性の高さは認めざるを得ない。安倍晋三らは「これで掘りが埋められる」「改憲への地均しができあがる」とほくそ笑んでいることだろう。

しかし、声を大にして言っておきたい。国会の多数意見と民意とは大きく異なることを。このことを見誤ると、安倍政権は猪突して自爆する。国会の議席は、民意を反映していない。政権を支える自民党の議席は、小選挙区制のマジックがもたらした虚構の多数でしかない。しかも、民主党不人気の反動で得た「一過性大量支持」から1年余。そのメッキが剥がれつつあることは、ますます民意との乖離を拡げつつある。決して、民意は改憲を望んでいない。改憲手続法の整備は無用である。震災からの復興も、福祉の充実も、もっともっと他にしなければならないことがあるはずではないか。
(2014年4月3日)

「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

「ヨッシー日記」と標題した渡辺喜美のブログがある。そこに、3月31日付で「DHC会長からの借入金について」とする、興味の尽きない記事が掲載されている。興味を惹く第1点は、事件についての法的な弁明の構成。これは渡辺の人間性や政治姿勢をよく表している。そして、もう一点は、DHC吉田嘉明のやり口に触れているところ。こちらは、金を持つ者への政治家の諂いと、金で政治が歪められている実態の氷山の一角を見せてくれる。いずれにせよ、貴重な読み物である。

渡辺の法的弁明は、一読して相当に腹の立つ内容。おそらくは、弁護士の代筆が下敷きにある。「本件は法の取り締まりの対象とはならない」という挑戦的な姿勢。政治倫理や、政治資金の透明性の確保などへの配慮は微塵もない。要するに刑事制裁の対象となる違法はないよ、という開き直りである。法的に固く防御しているつもりで、政治的には却って墓穴を掘っている。

ここでの渡辺の「論法」は、「吉田嘉明から渡辺喜美が、みんなの党各候補者の選挙運動資金調達目的で金を借りたとしても、その借入を報告すべき制度上の義務はなく、法律違反の問題は生じない」ということに尽きる。謂わば、法の隙間の処罰不能な安全地帯にいるのだという宣言である。

もちろん、「政治倫理の確立のための国会議員の資産等の公開等に関する法律」には違反している。この法律は、「(第1条)国会議員の資産の状況等を国民の不断の監視と批判の下におくため、国会議員の資産等を公開する措置を講ずること等により、政治倫理の確立を期し、もって民主政治の健全な発達に資することを目的とする。」として、政治家の資産と所得の公開を求めている。しかし、これには処罰規定がない。倫理の問題としては責められても、強制捜査も起訴も心配しなくて済む。

では、公職選挙法上の選挙運動資金収支として報告義務の違反にはならないか。渡辺は、「選挙資金として(渡辺から吉田に対する)融資の申し込みをしたというメールが存在すると報道がありました。たとえそれがホンモノであったとしても法律違反は生じません。」と開き直る。自分の選挙ではないからだ。報告義務を負うのは各候補者であり、各陣営の会計選任者だからということ。

では、政党の党首が選挙運動費用として党員候補者に使わせる目的で金を借りたら、その借入の事実を政治資金収支報告書に記載すべきではないか。これも、「党首が個人の活動に使った分は、政治資金規正法上、政治家個人には報告の義務はありません。そのような制度がないということです。個人財産は借金も含めて使用・収益・処分は自由にできるからです」とここでも開き直っている。

もっとも、渡辺がDHCの吉田から借りた金を、党の政治資金や候補者の選挙運動資金として貸し付ければ、その段階で、借り入れた側に、借入金として報告義務が生じる。この点はどうしても逃げ切れない。8億の金がどう流れたのか、調査の結果を待って辻褄が合うのかどうか検討を要する。

今の段階では、「一般的に、党首が選挙での躍進を願って活動資金を調達するのは当然のことです。一般論ですが、借り受けた資金は党への貸付金として選挙運動を含む党活動に使えます。その分は党の政治資金収支報告書に記載し、報告します。」という、開き直りでもあるが貴重な言質でもあるこの言葉を胸に納めておこう。

いずれにしても、みんなの党は総力をあげて渡辺の8億円の使途を追求しなければならない。でなければ、自浄能力のない政党として国民の批判に堪え得ず、全員沈没の憂き目をみることになるだろう。

興味を惹くもう1点は、政治家と大口スポンサーとの関係の醜さの露呈である。金をもらうときのスポンサーへの矜持のなさは、さながら大旦那と幇間との関係である。渡辺は、「幇間にもプライドがある」と、大旦那然としたDHC吉田嘉明のやり口の強引さ、あくどさを語って尽きない。その結論は、「吉田会長は再三にわたり『言うことを聞かないのであれば、渡辺代表の追い落としをする』、と言っておられたので今回実行に移したものと思われます。」というもの。

それにしても、渡辺や江田にとって、大口スポンサーは吉田一人だったのだろうか。たまたま吉田とは蜜月の関係が破綻して、闇に隠れていた旦那が世に名乗りをあげた。しかし、闇に隠れたままのスポンサーが数多くいるのではないか。そのような輩が、政治を動かしているのではないだろうか。

たまたま、今日の朝日に、「サプリメント大国アメリカの現状」「3兆円市場 効能に審査なし」の調査記事が掲載されている。「DHC・渡辺」事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての「規制緩和という政治」を買いとりたいからなのだと合点が行く。

同報道によれば、我が国で、健康食品がどのように体によいかを表す「機能性表示」が解禁されようとしている。「骨の健康を維持する」「体脂肪の減少を助ける」といった表示で、消費者庁でいま新制度を検討中だという。その先進国が20年前からダイエタリーサプリメント(栄養補助食品)の表示を自由化している米国だという。

サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。

大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。

これが、おそらくは氷山の一角なのだ。

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椨の木(タブノキ)

私がひそかにトトロの木と名付けている大きな木がある。高さも幅も20メートルぐらいのパラソル型で、巨大なブロッコリーがドンとおいてあるようにみえる。宮崎駿の映画「となりのトトロ」ができてから、全国で多くの巨樹が「トトロの木」と名付けられている。たいていは杉やケヤキ。私のは、椨(タブ)の木。

タブは珍しい木というわけではないが、見てはいてもこれと意識していない人が多いと思う。クスノキ科である。遠くからみれば色の濃いどっしりとしたクスノキと思うかもしれない。中国、台湾、沖縄 、九州、四国、本州の暖地に生える照葉樹である。寒い東北地方では比較的暖かい海岸近くにヤブツバキなどと一緒に生えている。日本古来の森林の原植生を構成する樹である。シイやカシやクスノキやツバキそれにタブノキなどの暗い森が昔の日本の照葉樹林帯を覆っていたのだろう。各地でクス、しほだま(潮玉)、イヌグス、ヤマグス、タマグス(玉樟)、モチノキ、タモなどいろいろな呼び名でよばれている。

タブノキは役に立つ木である。古く、大木を断ち割って丸木舟を作った。建材、家具材としても貴重なものであった。皮や葉は乾燥させて、粉に曳いて、仏壇に供える線香の原料とした。八丈島特産の黄八丈の樺色の糸はタブの皮を染料として泥染めされた。
タブノキ教教祖といわれる宮脇昭・横浜国立大学名誉教授は東日本大震災後に、海岸線にタブノキの「森の長城」を築こうとしている。タブノキは海水にも強いし、根が深く張るので松と較べればずっと防潮の役に立つ。

水だけでなく防火の役にも立つ。1976年山形県酒田市は1000軒を焼失する大火にみまわれた。その時、西側にあった2本のタブの大木によって、江戸時代からの豪農、豪商であった本間家は類焼を免れた。被災後、酒田市は「タブノキ一本、消防車一台」といって、タブ、モチ、シイなどの常緑樹の植樹を推奨した。

タブはことほど素晴らしい木なのに、丸木舟や線香や黄八丈とともに現代日本人の記憶から失われようとしている。

私のタブノキはたった1本で立っている。あと1カ月もすると、花祭りの時期を迎える。枝々の先に燭台のような花穂を立ち上げる。薄緑色の小さな地味な花穂がオレンジ色の薄紙の苞で大切に包まれている。遠くからみると、木全体がオレンジ色の花で覆われたようにみえる。花穂と同時にでてくる新葉も橙色をして、ピカピカ輝いているので、あの花盛りの木は何の木だろうと思われる。このころのクスノキも黄緑色の花と新葉で覆われるので、美しく目立つ。これら照葉樹は5月には花を咲かせ輝きながら、同時に古い葉を落とす。秋の落葉樹の美しい落ち葉のような風情はなくて、人はただ重たく嵩張る落ち葉掃きにうんざりして、切り倒そうかなどと物騒な考えがわいてくる。

モミジやサクラのような落葉樹はかろやかさ、明るさ、儚さで現代人の好みにあう。それにひきかえ、常緑照葉樹は暗く重厚なので敬遠されるようだ。神社仏閣の神樹はたいてい常緑樹で、見る人を圧迫し、萎縮させ、畏れ多く近づきがたい気分にさせる。地球や生命の永続と自己の卑小さを思い起こさせ、厳粛で敬虔な気持ちにもさせる。私のタブノキはまだその域にはほど遠く、大きなブロッコリーのようで可愛らしい。いつか幹がコブコブになって、雷にうたれた主幹が折れて、脇から出た何本もの萌芽が若葉をつけて、木全体が小山のようになって、しめ縄なんか張られるのを想像する。でも私がその姿を見ることはない。
(2014年4月2日)

「集団的自衛権限定行使容認論」は容認し得ない

陽光燦々の4月。東京周辺は花満開。ここにもあそこにも、桜、桜、桜。気がつかなかったが、こんなにも桜が多かったのか。桜だけではなく、辛夷も桃も椿も、春の花が咲き誇っている。

美しい季節とは裏腹に、一夜明けて今日からは消費税8%の世界に。そして「武器輸出3原則」から「防衛装備移転3原則」へ変更の閣議決定。地教行法改正に自・公の合意成立と、政治は美しくない。

当ブログは、2年目の始まり。また、連続更新を目指して書き続けていくことになる。
「憲法」のキーワードでグーグル検索をすると、検索ページに700万件がヒットする。「澤藤統一郎の憲法日記」はトップページ(12件)に位置して現在11位のランク。すぐ目の前に、「憲法会議」と「キーワード・憲法-(赤旗)日本共産党中央委員会」の背中が見える。当面はこの両者に、追いつき追い越すことが目標。来年の4月1日に再度のご報告をしたい。
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さて、集団的自衛権行使容認の問題。
安倍政権の解釈改憲路線に自民党内の反発が強かった。その反発を吸収するために、総裁の直属機関として「安全保障法制整備推進本部」が立ち上げられ、昨日(31日)その第1回会合が開かれた。衆参156人の議員が参加したという。

この席で、高村正彦副総裁が講師を務めて、「限定的な集団的自衛権行使容認論」の線を出し、その理由づけとして「砂川事件最高裁大法廷判決(1959年)」を持ち出し、判決の論理を根拠として政府の限定的な憲法解釈変更が可能だと説明したとのこと。

この「論理」は、近々予定されている安保法制懇の答申の内容として報道されており、安倍首相も国会答弁で口にしている。おそらくは、これが着地点と予定されたところなのだろう。出席した議員からは目立った異論は出なかったという。

今後は、高村解説の「『必要最小限度の範囲』には、集団的自衛権行使の一部が入りうる」という、「集団的自衛権行使限定容認論」をめぐって議論がかわされることになる。

高村解説はいかにも苦しい説明。砂川事件最高裁判決からそこまでを読み取ることは困難だろう。同訴訟で争われたのは、旧安保条約に基づいて日本に駐留する米軍が、憲法9条2項で「保持しない」とされた戦力に当たるか否かである。原審東京地方裁判所の伊達判決はこれを肯定して違憲判断をし、跳躍上告審の最高裁はこれを逆転した。その説示部分の中心は以下のとおりである。

「憲法9条の趣旨に即して同条2項の法意を考えてみるに、同条項において戦力の不保持を規定したのは、わが国がいわゆる戦力を保持し、自らその主体となってこれに指揮権、管理権を行使することにより、同条1項において永久に放棄することを定めたいわゆる侵略戦争を引き起こすがごときことのないようにするためであると解するを相当とする。従って同条2項がいわゆる自衛のための戦力の保持をも禁じたものであるか否かは別として、同条項がその保持を禁止した戦力とは、わが国がその主体となってこれに指揮権、管理権を行使し得る戦力をいうものであり、結局わが国自体の戦力を指し、外国の軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、ここにいう戦力には該当しないと解すべきである。」

これを素直に読めば、「9条2項の法意が自衛のための戦力の保持をも禁じたか否かについては判断しない」「外国軍隊の駐留は日本の侵略戦争の火種にはならないから禁じられた戦力に当たらない」というもの。ヘンな理屈ではあるが、集団的自衛権行使容認とは無縁である。そもそも、安保条約は集団的自衛権の行使を前提に締結されたものではない。

また、判決に、「わが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備、無抵抗を定めたものではないのである。」との一節がある。これが、個別的自衛権の論拠とされることはあり得ても、集団的自衛権の論拠とはなしえない。経過は、訴訟における争点の射程距離も、裁判所を含む当時の訴訟関係者すべての認識も、集団的自衛権論とは無縁であったことをものがたっている。これを、あとからの解釈としてこじつけることがどだい無理なのだ。

むしろ、心強いのは、世論調査での国民の意思は冷静で、最近の毎日の調査では以下のとおりである。
  憲法解釈変更    反対64%  賛成30%
  集団的自衛権行使 反対57%  容認37%

安倍政権は、実は政権自身にとっても極めて危ない橋を渡っているといわざるを得ない。
(2014年4月1日)

「憲法日記」365日連続更新

日民協ホームページの間借り生活に別れを告げて、引っ越し先として当ブログを開設したのが昨年の4月1日。その日から数えて、本日が365日目に当たる。この間一日の休載もなく、365日間連続して更新した。この面倒なブログにお付き合いいただいたありがたい読者とともに、一周年連続更新を祝うこととしよう。

間借りは窮屈でいけない。みすぼらしくとも、自前の持ち家が精神的にはのびのびとしてよろしい。せっかくのブログが、大家への気兼ねで、卑屈に筆の鈍ることがないとも限らない。一国一城望むじゃないが、せめて持ちたや自前のブログ。

365日書き続けての実感として言っておきたい。ブログとは、言論戦におけるこの上ない貧者の武器である。誰もが手にしうるツールとして、表現の自由を画に描いた餅に終わらせず、表現の自由を実質化する手段としての優れものである。まことに貴重な存在なのだ。

当ブログも、発足当初しばらくは日に3桁のアクセスにとどまっていた。しかし、おいおいアクセス数はアップして、「宇都宮君、立候補はおやめなさい」の33回シリーズ後半では、毎日7000?8000人の読者を得た。多くの人からの共感や支持、励ましに接することもできた。これを紙に印刷して配布するなどは、個人の力では絶対に不可能。ブログあればこそ、個人が大組織と対等の言論戦が可能となる。弱者の泣き寝入りを防止し、事実と倫理と論理における正当性に、適切な社会的評価を獲得せしめる。ブログ万歳である。

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          「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

さて、「徳洲会・猪瀬」5000万円問題が冷めやらぬうちに、「DHC・渡辺喜美」8億円問題が出てきた。2010年参院選の前に3億円、12年衆院選の前に5億円。さすが公党の党首、東京都知事よりも一桁上を行く。

私は、「猪瀬」問題に矮小化してはならないと思う。飽くまで「徳洲会・猪瀬」問題だ。この問題に世人が怒ったのは「政治が金で動かされる」ことへの拒否感からだ。「政治が金で買われること」のおぞましさからなのだ。政治家に金を出して利益をむさぼろうという輩と、汚い金をもらってスポンサーに尻尾を振るみっともない政治家と、両者をともに指弾しなければならない。この民衆の怒りは、実体法上の贈収賄としての訴追の要求となる。

「DHC・渡辺喜美」問題も同様だ。吉田嘉明なる男は、週刊新潮に得々と手記を書いているが、要するに自分の儲けのために、尻尾を振ってくれる矜持のない政治家を金で買ったのだ。ところが、せっかく餌をやったのに、自分の意のままにならないから切って捨てることにした。渡辺喜美のみっともなさもこの上ないが、DHC側のあくどさも相当なもの。両者への批判が必要だ。

もっとも、刑事的な犯罪性という点では「徳洲会・猪瀬」事件が、捜査の進展次第で容易に贈収賄の立件に結びつきやすい。「DHC・渡辺喜美」問題は、贈収賄の色彩がやや淡い。これは、知事(あるいは副知事)と国会議員との職務権限の特定性の差にある。しかし、徳洲会は歴とした病院経営体。社会への貢献は否定し得ない。DHCといえば、要するに利潤追求目的だけの存在と考えて大きくは間違いなかろう。批判に遠慮はいらない。

DHCの吉田は、その手記で「私の経営する会社にとって、厚生労働行政における規制が桎梏だから、この規制を取っ払ってくれる渡辺に期待して金を渡した」旨を無邪気に書いている。刑事事件として立件できるかどうかはともかく、金で政治を買おうというこの行動、とりわけ大金持ちがさらなる利潤を追求するために、行政の規制緩和を求めて政治家に金を出す、こんな行為は徹底して批判されなくてはならない。

もうひとつの問題として、政治資金、選挙資金、そして政治家の資産状況の透明性確保の要請がある。政治が金で動かされることのないよう、政治にまつわる金の動きを、世人の目に可視化して監視できるように制度設計はされている。その潜脱を許してはならない。

選挙に近接した時期の巨額資金の動きが、政治資金でも選挙資金でもない、などということはあり得ない。仮に真実そのとおりであるとすれば、渡辺嘉美は吉田嘉明から金員を詐取したことになる。

この世のすべての金の支出には、見返りの期待がつきまとう。政治献金とは、献金者の思惑が金銭に化したもの。上限金額を画した個人の献金だけが、民意を政治に反映する手段として許容される。企業の献金も、高額資産家の高額献金も、金で政治を歪めるものとして許されない。そして、金で政治を歪めることのないよう国民の監視の目が届くよう政治資金・選挙資金の流れの透明性を徹底しなければならない。

DHCの吉田嘉明も、みんなの渡辺喜美も、まずは沸騰した世論で徹底した批判にさらされねばならない。そして彼らがなぜ批判されるべきかを、掘り下げて明確にしよう。不平等なこの世の中で、格差を広げるための手段としての、金による政治の歪みをなくするために。
(2014年3月31日)

三題噺「集団的自衛権」「大本営発表」「日光東照宮三猿の教え」

ときおり講演の依頼をうける。拙い話しを聞いていただけることをありがたいと思って、日程の都合がつく限りお引き受けしている。
本日は、那須南九条の会からのご依頼あっての講演。事前の要望に沿って、三題噺とした。頂戴したお題は、「集団的自衛権」「大本営発表」そして「日光東照宮の三猿の教え」。
以下はそのレジュメ。やや長文だが、大意を掴んでいただけるものと思う。
                             
      ど こ へ 行 く の ? ニッポン
三題噺で語る「那須南九条の会」憲法と特定秘密保護法学習会レジュメ
 与えられた3個のお題
  1 「集団的自衛権」            ?平和の問題
  2 「大本営発表」              ?知る権利と民主主義の問題
  3 「日光東照宮の三猿の教え」     ?主権者としての姿勢の問題
☆ そして、三題共通の土台を形づくる立憲主義について

1.集団的自衛権行使容認で平和はどうなるの?
             ー日本は誰と何処で何をやろうというのだろうか
 ※ 「集団的自衛権」とは?
  それは、「自衛」の権利ではなく、「人のケンカを買って出る権利」のこと。
  「自国が攻撃されなくても、同盟国が攻撃された場合には一緒に闘う」宣言
  例1 「義によって、その敵討ちに助太刀いたす」 武士の倫理
      余話 敵討ちの倫理性 法然上人(勢至丸)9歳時出家の逸話
  例2 「よくも俺の舎弟に手を出したな。俺が倍返しだ」  ヤクザの掟
      集団的自衛権の説明はこのフレーズが一番分かりやすい
  例3 南ベトナムが北から叩かれた
        ⇒アメリカが北爆を開始し地上戦を開始する 大国の論理
  例4 アメリカ軍が世界のどこかで攻撃を受けた
       ⇒日本が自分への攻撃と見なして戦争に加わる 子分の義理
 ※ 集団的自衛権は大戦後の国連憲章51条に突然書き込まれた用語。
 ※ 以来、「集団的自衛権」は、大国の軍事干渉の口実として使われてきた。
   今日本は、「けなげにも親分に売られたケンカを買おう」としている。
 ※ アメリカは好戦国家である。1960年以後の主なアメリカの武力行使
   キューバ侵攻・ベトナム戦争・ドミニカ共和国派兵・カンボジア侵攻・ラオス侵攻・レバノン派兵・ニカラグア空爆・グレナダ侵攻・リビア空爆・イラン航空機撃墜事件・パナマ侵攻・湾岸戦争・ソマリア派兵・イラク空爆・ハイチ派兵・ボスニアヘルツェゴビナ空爆・スーダン空爆・アフガニスタン空爆・コソボ空爆・アフガニスタン戦争・イラク戦争・リベリア派兵・ハイチ派兵・ソマリア空爆・リビア攻撃…。
 ※ 常に、アメリカの戦争に巻き込まれる危険を背負うことになる。
   60年安保反対運動が盛りあがった背景には、「アメリカとの軍事同盟は日本の平和にとっての脅威」という国民の共通認識があった。集団的自衛権行使容認論のきっかけには、米国から日本に対する要請がある。
 ※ これまでの政府(内閣法制局見解)の憲法解釈の確認。
  *「憲法9条(2項)がある以上、日本が『戦力』をもつことはできない」
   (9条2項抜粋「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」)
  *「しかし、国家にも自衛権はある。まさか、憲法は自衛権を否定してはいないはず。したがって、自衛のための実力は『戦力』にあたらず、自衛隊は憲法違反の存在ではない」?自衛隊は戦力ではない。
  *「もっとも、自衛隊が合憲であるためには、飽くまで自衛のための実力でなくてはならず、専守防衛のための装備・行動に限定される」
  * 自衛権とは、「(1)急迫不正の侵害があること、(2)他にこれを排除して国を防衛する手段がないこと、(3)必要な限度にとどめること」の3要件が必要。
  * 自国が攻撃されていないのに、他国(同盟国)が攻撃されたとして一緒に闘うことは自衛の範囲を超えている」
  *「だから、日本国の集団的自衛権は、国際法上国家の権利としてあるけれども、その行使は憲法の制約があって認められていない」
 ※ 集団的自衛権論争をめぐって今争われているのは、
   日本の平和と安全を守るために、
   (1)「日本は厳格に専守防衛に徹するべき」なのか
   (2)「専守防衛の枠を取っ払って、必要あるかぎり、
      世界のどこででも同盟国とともに戦うべき」なのか。
    そのどちらを選択すべきかの問題。
 ※ 現在の(1) の立ち場を(2)の立場に変更するには、
    A 憲法を改正する
    B 憲法を改正せずに、憲法の解釈を変更する
    C まず憲法改正手続(憲法96条)を改正して、次に9条を改正する
   (憲法改正発議の要件を、国会議員の「3分の2」から「過半数」に)
 ※ 安倍政権は、まずC策の実現を目指した。しかし、「やりかたが姑息」、「裏口入学のような手口」、「立憲主義を理解していない」と評判悪く頓挫。
   今は、B策を狙っている。そのために、内閣法制局長官を最高裁判事に転出させ、自分のいうことを聞く小松一郎元駐仏大使を後任に抜擢するという異例の人事を行った。また、この4月に安保法制懇の答申を得て、閣議決定で政府解釈の変更しようとしている。これには、自民党内部からも批判の声が高い。
 ※ 憲法9条は、満身創痍ではあるがけっして死文化していない。自衛隊は飽くまで「自衛のための実力」であって、軍隊としては動けない。自衛隊の装備も編成も行動も、専守防衛の大枠は外していない。
   戦後68年、自衛隊は戦闘で他国の兵士を殺していないし、殺されてもいない。イラクに派遣されても、戦闘行為には加われなかった。
 ※ だからこそ、現政権にとっては、9条が邪魔なのだ。自民党「日本国憲法改正草案」(2012年4月)は、国防軍の設置を明言している。
   また、解釈改憲で集団的自衛権行使を認めれば、専守防衛の枠がはずれる。この意味は大きい。
  ⇒「憲法改正手続が厳格だから、解釈を変えてしまえ」 これは禁じ手
 ※ 日本国憲法は戦争の惨禍に対する反省から生まれた。反省とは、負けたことの反省ではなく、戦争の悲惨さを繰り返さないこと。二度と戦争をしないこと。再び加害者にも被害者にもならないこと。「戦争と文明とは共存できず、文明が戦争を駆逐しなければ、戦争が文明を駆逐してしまう」そう言った、日本国憲法制定をになった良識ある保守政治家たちの言葉を噛みしめなければならない。

2.大本営発表が国民を導いた結末は何だったの?
          ー神州不滅神話と1億総玉砕ーNHKのあり方と現実
 ※「営」とは軍隊の所在地。司令官が所在する営が「本営」。大元帥である天皇が所在する陣営だから「大本営」。戦時に天皇の指揮下に設置された最高統帥機関を指す。日清戦争以来、戦争・事変の度に設置された。太平洋戦争開始以来戦況に関する情報は一元的に「大本営発表」としてNHKから放送された。それ以外の情報は流言飛語とされて、厳重な取り締りの対象となった。
   第1回の大本営発表は、1941年12月8日午前6時の対米英開戦を告げるもの。同7時に、NHKラジオによって以下のとおり報道された。
  「臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、12月8日午前6時発表。帝国陸海軍は今8日未明西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」
   この日、NHKは「ラジオのスイッチを切らないでください」と国民に呼び掛け、9回の定時ニュースと11回の臨時ニュースを大戦果の報で埋めつくした。「東条内閣と軍部はマスコミ(NHK)を最大限に利用し、巧みな演出によって国民の熱狂的な戦争支持熱をあおり立てた」
   その後、NHKの大本営発表は846回行われ、NHKと大本営発表との親密な関係は、戦時下の日本国民の意識に深く刻みこまれた。
 ※「大本営発表」は、「情報独占」と「情報操作」の代名詞となった。戦争遂行に国民を鼓舞する目的のプロパガンダであったから、勝ち続けているはずの日本が、転進・玉砕を余儀なくされ、やがて本土の空襲・艦砲射撃をうけ、原爆投下にいたって、敗戦となる。
 ※情報を一手に握っていた上層部は、敗戦必至を知りながら、これを隠して戦意を煽り続けて膨大な人命を失った。真実を知る術のない国民はこれを批判できなかった。
 ※情報を一手に握る地位にある者は、自分に都合のよいように情報操作が可能。握りつぶす、改変する、誇張する、取捨選択して一部だけを出す。権力を持つ者に情報が集中し、集中した情報を操作することによって権力は維持され強化される。
 ※「神州不滅」は神話の世界のスローガン。天皇の祖先が神であり、天皇自身も現人神であるという信仰に基づいて、天皇が治めるこの国は、他国とは違った特別の神の国である。だから、最後には神風が吹いて戦争には必ず勝つ、とされた。
 ※大本営発表の結末は、1945年8月15日の玉音放送となった。このときの「大東亜戦争終結ノ詔書」にも「神州ノ不滅ヲ信シ」(神州の不滅を信じ)と書き込まれている。
※日本の国民は身に沁みて知った。国民には正確な情報を知る権利がなければならないことを。日本国憲法は、「表現の自由(憲法21条)」を保障した。これはマスメディアの「自由に取材と報道ができる権利」だけでなく、国民の真実を「知る権利」を保障したものである。
 ※情報操作(恣意的な情報秘匿と開示)は、民意の操作として時の権力の「魔法の杖」である。満州事変・大本営発表・トンキン湾事件・沖縄密約…。
 ※民主主義の政治過程は「選挙⇒立法⇒行政⇒司法」というサイクルをもっているが、民意を反映すべき選挙の前提として、あるべき民意の形成が必要。そのためには、国民が正確な情報を知らなければならない。主権者たる国民を対象とした情報操作は民主主義の拠って立つ土台を揺るがす。戦前のNHKは、その積極的共犯者であった。
 ※戦前のNHKは、形式は国営放送ではなく社団法人日本放送協会ではあったが、国策遂行の役割を担った事実上の国営放送局だった。大本営発表に象徴される戦争加担の責任は免れない。その反省から、1950年成立の放送法は、NHKを国策追従から独立した「公共放送」と位置づけた。
 ※敗戦、富国強兵がスローガンだった時代、あらゆる局面での権力の集中と教化が国策に合致するものであった。戦後は、議会も行政も司法も天皇大権から独立した存在となった。教育も国家の統制を排する建前の制度となった。放送もそうだ。公共放送は、国営放送でも国策放送でもない。国家から独立し、国家からの統制に服することなく、戦前大本営発表の垂れ流し機関であった愚を繰り返してはならないとするのが、放送法の精神である。
 ※にもかかわらず、今年1月25日の籾井勝人新NHK会長の就任記者会見における「政府が右というときに、左というわけにはいかない」という発言は、NHKの戦前戦後の歴史や教訓に学ばず、再びの大本営発表の時代を招きかねない危険を露呈したもの。「今後は口を慎めばよい」という類の問題ではない。籾井氏が、およそNHKの会長職にふさわしからぬ人物と判明した以上は、辞職していただく以外にはない。この重責は、それにふさわしい人格が担うべきなのだから。

3.秘密保護法で私たちの日常生活はどうなるの?
              ー日光東照宮の三猿の教え
 ※ 本来三猿の教えとは、「悪いものは見るな(よいものだけを見よ)、悪いことは聞くな(よいことだけを聞け)、悪いことは言うな(よいことだけを口にせよ)」という教訓。論語の「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」が元ネタとされる。しかし世俗には、「見ざる。聞かざる。言わざる」と見て見ぬふりをすることが、無難な処世訓として定着している。いじめを見ても見ぬふりをし、なにも言わないことが賢い生き方だというもの。
※「不正に目をつぶらず、聞き耳を立てて、臆することなくものを言う」。これが、あるべき主権者の姿勢。その反対の「見ざる。聞かざる。言わざる」は、為政者にとってこの上なく好都合な御しやすい国民。
 ※ 戦前の軍機保護法、国防保安法などの軍事法制は、国民に「見ざる。聞かざる。言わざる」を強制するものだった(「戦争は秘密から始まる」「戦争は軍機の保護とともにやって来る」)。さらに治安維持法がこれに輪を掛けるものだった。
 ※ 特定秘密保護法がいま、戦前の軍事法・治安法の役割を果たそうとしている。
   重罰化、広範な処罰、要件の不明確さがその特徴である。
  *重罰による「三猿化」強制強化⇒内部告発の抑止
   ・自衛隊法の防衛秘密漏洩罪  懲役5年
   ・国家(地方)公務員法違反  懲役1年
   ・特定秘密保護法       懲役10年
  *未遂・過失も処罰
  *共謀・教唆・扇動も処罰
  *将来、更に法改正で重罰化の可能性
 ※たとえば「独立教唆罪」
   気骨あるジャーナリストの公務員に対する夜討ち朝駆け取材攻勢は、秘密の暴露に成功しなくても、(「国民のためにその秘密を教えてもらいたい」「お断りする」とされた場合)犯罪となりうる。
 ※民主主義にとって恐ろしいのは、「何が秘密かはヒミツ」では、時の政府に不都合な情報はすべて特定秘密として、隠蔽できる。国民はこれを検証する手段をもたない。国会も、裁判所も。
 ※国民にとって恐ろしいのは、「何が秘密かはヒミツ」という秘密保護法制は、罪刑法定主義(あらかじめ何が犯罪かが明示されていなければならない)との宿命的な矛盾。地雷は踏んで爆発してはじめてその所在が分かる。国民にとって秘密保護法もまったく同じ。強制捜査を受け起訴されて、はじめて秘密に触れていたことが分かる。
 ※国がもつ国政に関する情報は本来国民のものであって、主権者である国民に秘匿することは、行政の背信行為であり、民主々義の政治過程そのものを侵害する行為である。これを許しておけば、議会制民主々義が危うくなる。裁判所への秘匿は、刑事事件における弁護権を侵害する。人権が危うくなる。
 ※特定秘密保護法の基本的な考え方は、「国民はひたすら政府を信頼していればよい」「国民には、政府が許容する情報を与えておけばよい」「その国民には、国会議員も、裁判官も含まれる」ということ。これは民主々義・立憲主義ではない。いかなる政府も、猜疑の目で監視しなければならない。とりわけ、危険な安倍政権を信頼してはならない。
 ※特定秘密保護法は、2013年12月6日に成立し、同月13日に公布された。
  「公布の日から一年を超えない範囲内において政令で定める日」が施行期日とされている。政府は、それまでに政令・規則等を整備するとしているが、私たちは、それまでに、危険なそして評判の悪い、この法律を廃止したい。

4.日本国憲法と立憲主義
 ※日本国憲法は、その成り立ちにおける二面性をもっている。
  (1) 人類の叡智の積み重ねが到達した人権と民主主義擁護の普遍性
  (2) 戦前の負の歴史を繰り返さないとする固有性
 ※上記(1)は市民革命を経た18世紀以来の、自由主義・個人主義の近代憲法の原則。
  上記(2)は、大日本帝国の侵略戦争と植民地主義を反省する歴史認識の凝縮。
 ※その両面を意識しつつ、主権者である国民は、為政者に対する命令として憲法を制定した。人権と民主主義と平和を擁護しさらに輝かせるために、である。
  今、そのすべてが攻撃を受けている。「集団的自衛権」による解釈改憲のたくらみと「特定秘密保護法」の制定はその象徴的な事件。このままでは、「大本営発表」の時代の再来を迎えかねない。私たちは、「日光東照宮の三猿の教え」を「見ざる、聞かざる、言わざる」と曲解せず、主権者として、目を光らせ、人の意見にも耳を傾け、ものを学び、意見を交換し、そして行動しよう。
  それこそが、日本国憲法が想定する主権者の在り方である。

 なお、澤藤は毎日「憲法日記」というブログを書き続けています。
 新バージョンで開始以来、明日(3月末)で365日連続更新となります。
 時々、お読みいただけたらありがたいと思います。よろしくお願いします。
  *******************************************************************
NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い。
「2万筆までもう一息! 3月24日現在、署名が第二次集約で19,212筆」とのことです。

下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
  *******************************************************************
    NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
    http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月30日)

桜咲く佳き日の同期会

今日は、学生時代の気のおけない仲間が集まっての同期会。
50年前お互い何の肩書もない同じ若者として、利害打算のない付き合いをした仲間。そして今、定年を過ぎた年になって、肩書を外し鎧を脱いで、昔に戻っての再度の利害打算のない付き合い。何の遠慮もなく、気兼ねもなく、心おきなく話の出来る楽しい半日だった。

それぞれ自分の生きてきた分野についての話しが尽きない。違う分野の人たちの話しに耳を傾けることはとても楽しい。昔から気のあったこの仲間には、金持ちも有名人もいない。しかし、みんながそれぞれの分野でそれぞれのやり方で社会を支えてきた。一人一人が、個人の尊厳の担い手なのだ。

私のブログもひとしきり話題となった。話題の中心は当然のことながら「宇都宮君おやめなさい」のシリーズについて。私の解説は、「『澤藤がケンカをはじめたようだが、どちらに理があるかを見極めよう』というのは友人の態度ではない。『あの澤藤が本気で怒っているのだから、友人として澤藤に味方しよう』と言ってもらいたい。そういう友人の支えがあったから、私もルビコンを渡ることができた。今は、気分爽快」というもの。

ところで、3月27日「毎日」朝刊の「そして名画があった」欄に、「武士道残酷物語」(今井正)が取りあげられていた。1963年4月の封切りだそうだ。今日集まった仲間が学生生活をはじめたころのこと。映画の原作は南條範夫の小説「被虐の系譜」(講談社)。映画では、現代のサラリーマン物語りが出て来るが、これは原作にはないそうだ。

南條は小説の中でこう書いている。
「本来は利害関係に基づく主従関係は、滅私奉公と言う美称を被(かぶ)せられて、次第により深く固定観念化してゆき、終に、利害を離れた没我的服従心にまで育て上げられていった」

この映画を紹介した玉木研二は、「扶持を喪って浪人の身となると言うことは、凡ての武士にとって、不断の脅威であり、最も恐るべき夢魔であった。これを避ける為には、いかなる屈辱も困苦も、受容しなければならない。」「競争の中で勝ち得たサラリー(扶持)と地位を失う恐怖、そして服従の心理は、昭和のサラリーマンとて無縁ではなかったに違いない。」と書いている。

その時代、私たちは受験競争と出世競争の間にある束の間の「間氷期」にあった。その後同時代を生きた多くは、「競争の中で勝ち得たサラリー(扶持)と地位を失う恐怖、そして服従の心理」の中で、生きてきたのではないか。

今日集まった仲間は、出世競争の意欲も服従の心理も欠いた面々。だから、思想や信条を超えて気が合うのだろう。

本日の東京の天気は上々。桜も咲いた。
  銭湯で上野の花のうわさかな
  佃育ちの白魚さえも花に浮かれて隅田川
花がほころべば、自ずと顔もほころぶ。春はよろしい。
50年前の仲間との交歓は、花の咲くころに初めて顔を揃えたあの頃に戻ること。

あれからの半世紀が平和であったことを有り難いと思う。人権も、民主主義も、もう少し高水準で推移したらよかったのに、とも。もっとも、この時代、私たちがつくってきたのだから、私たち自身の責任なのだが。
(2014年3月29日)

優華ちゃんへの「全面勝訴確定」のご報告

優華ちゃんは、本当なら今は6歳になっているはず。
もうすぐ、桜の花咲く小径を小学校に通うはずだった。家族の愛情に包まれて、おしゃべりしたり、唱ったり踊ったり。この世に生まれてきたことの幸せを謳歌しているはずだった。

けれども、現実には優華ちゃんの命はまことに儚なかった。生後わずか38日で優華ちゃんの心臓が止まった。手足は冷たくなり、動くことも声を出すこともなくなった。これからの生きる喜びが失われた。

優華ちゃんの生まれた産科のクリニックからは、胎児診断でも、出生時診断でも、退院時の診断でも、そして1か月健診でも、「問題はありません」と言われ続けてきた。だから、優華ちゃんのお父さんとお母さんは、どうしても納得出来なかった。

今の時代こんなに易々と赤ちゃんが死ぬはずはない。死んでよいわけはない。優華ちゃんの死は避けることができたはずではないのか。優華ちゃんの命は還ってこないけれども、優華ちゃんのために、その原因と責任とを可能な限り究明したい。けっして、優華ちゃんの死を黙って見過ごしにはできない。

こうして、優華ちゃん事件の法的な責任追及手続が開始された。担当したのは、私と安孫子理良弁護士の2名。証拠保全手続から、一審、控訴審、そして最高裁への上告受理申立事件までのフルコースだった。

一審判決が、請求額(5880万円)の満額を認容した。それだけでなく、担当医師によるカルテ改竄を事実上認め、死亡の機序も、2点の過失主張も、因果関係も、全て原告が主張したとおりに認められた。控訴審判決も控訴を棄却して一審判決をそのまま維持した。

そして本日、最高裁第1小法廷から、医療機関側の上告受理申立を不受理とする決定通知が届いた。控訴審判決から11か月余を経てのこと。これで、優華ちゃん事件は、優華ちゃん側の全面勝訴として確定した。そのことを、せめてもの手向けとして、優華ちゃんにご報告したい。

「優華ちゃん」の死因は、「大動脈弁狭窄症」だった。優華ちゃんには、「二尖大動脈弁」という先天性の心臓疾患があって、そのために出生直後から「大動脈弁狭窄症」が生じた。左心室から大動脈に通じる大動脈弁の狭窄によって、体循環の動脈血流出に支障が生じたのだ。それでも、胎児期から出生直後のしばらくは、努力性に左心室を働かせることによって全身への動脈血供給を保持したが、その代償機能が限界に達すると、「低心拍出量症候群」の発症となり、「心不全」となって死亡したのだ。

大動脈弁狭窄症は、診断が可能であるだけでなく、治療も可能である。標準的な能力を持つ医師による優華ちゃんへの誠実な診察さえあれば、正確な診断によって心臓専門医への搬送が可能となり、カテーテル治療と根治的手術とを組み合わせる確立された治療方法によって、高い確率で救命を期待しうる。他方、担当医の診断の見落としは、現実の優華ちゃんの症状進行が示しているとおり、容易に児の死亡の結果をもたらす。

だから、優華ちゃんの大動脈弁狭窄症は、典型的な「見落としてはならない」疾患なのだ。にもかかわらず、生後一月余の間、優華ちゃんの新生児診療を担当した被告クリニックの産科医は大動脈弁狭窄に伴う特有の心雑音を聴診することもなく、大動脈弁狭窄症由来の低心拍出量症候群による全身症状の悪化を問診・視診するでもなく漫然とその症状を看過し、自ら正確な診断をすることも専門医への搬送も怠った。その被告の診断義務違反によって、優華ちゃんはかけがえのない生命を失った。

本件判決では、医師のカルテ改ざんが認められている。カルテの記載をそのまま信用すれば、「十分な診察が行われており、児の症状から心疾患の診断は不可能」となりかねない。しかし、その記載の内容や外観を仔細に検討すれば、不自然さは否定し得ない。判決は、「カルテによる診療経過の事実認定はできない」ことを明言した。請求満額の認容は、このカルテの改ざんの事実が裁判官の心証形成に大きく影響している。このことを医師や医療機関の教訓としていただきたい。

また、本件では、提訴時から産科クリニックの産科医による新生児診療の態勢や能力の欠如を問題としてきた。一審判決後医療側は、『このような、医師に不可能を強いる判決は、医師の業務を立ちゆかなくさせる不当なもの』と反発している。しかし、そんなことはない。東大病院輸血梅毒事件を典型として、不可能を強いるものと非難された判決の注意義務も、やがて臨床に当然の医療水準として定着してくる。そのようにして、臨床は進歩してきた。

患者が求める医療水準と、医師が受け入れ可能とする医療水準とは、宿命的に隔たりがある。双方が主張し合って、裁判所は社会を代表する立ち場で、判断をする。その判断の積み重ねが、臨床の改善・進歩に役立ってきた。患者が泣き寝入りしていたのでは、臨床の改善につながらない。患者や遺族が声をあげ、訴訟を提起し、一時的には医療側にとって不本意ではあっても、臨床の水準を一歩進める判決を勝ち取ることは、全患者のために、また、医療全体のために意義のあること。

本件に照らして具体化すれば、新生児診療に携わるすべての医師が、心疾患を診断して専門医に搬送すべきとする判断ができるよう、態勢を整備し技能を研鑚しなければならない。本日確定した本件は、そのような内実をもったものとして、新生児医療の改善に生かされなければならないと思う。

そのように臨床が改善されるなら、優華ちゃんにも、胸を張って本件訴訟と勝訴の意義を報告できることになる。

それにしても思う。本件のような本格的医療訴訟は、専門医の協力なしには遂行できない。本件の勝訴も、ひとえに誠実で有能な協力医の賜物である。医療機関の側につく協力医の心理的負担は軽い。しかし、患者側協力医の心理的な負担は限りなく重い。仲間の医師の責任を告発する立場に立つことになるのだから。真実を大切にする立ち場から、あるいは人権のために、専門家としての良心と職業倫理に忠実な医師には尊敬と感謝の念を禁じ得ない。

私も、弁護士ムラの仲間意識からする発想を反省しなければならない。弁護士であるだけでは、あるいは「人権派弁護士」の看板を掲げているからといって、当然に「基本的人権を擁護し、社会正義を実現」すべき使命を全うしているとは限らないのだから。

   *******************************************************************
          「フランシスコ法王」の魅力溢れる発信
普通「ローマ法王」と呼び習わされ、日本カトリック中央協議会では「ローマ教皇」と表記されることを望んでいるその方の、正式名称をご存じだろうか。
「ローマ司教、キリストの代理者、使徒の継承者、全カトリック教会の統治者、イタリア半島の首座司教、ローマ首都管区の大司教、バチカン市国の首長、神のしもべのしもべ」というのだそうだ。落語「寿限無」のようで思わず笑ってしまっては不謹慎。宗教的および世俗的権威のせめぎ合いの歴史を感じさせる単語のオンパレードである。

それとは別に、「パーパ」という非公式かつ親しみを込めた呼びかけもよく使われる。第266代ローマ教皇フランシスコ(78歳)は、「パーパ」という愛称にふさわしい魅力とアピール力を備えているようだ。アメリカ大陸アルゼンチン生まれの法王は史上初。それも貧しい者に心を寄せるイエズス会の出身。イタリア移民の子でブエノスアイレス大学で化学を修め、文学と心理学の教師をしたのち、本格的に神学を学んだという経歴を持つ。

昨年3月の就任以来、盛んにバチカン外交をくり広げ、話題を振りまいて注目を集めている。ことあるごとに熱く平和を語り、貧困撲滅を説く。妊娠中絶反対の意見は変えないけれど、避妊や離婚、神父の妻帯や同性婚などに理解を示す発言をして保守派から非難を浴びている。

昨年11月の「使徒的勧告」という信者にあてた文書のなかで、「どうして高齢のホームレスが野ざらしにされて死亡することがニュースにならず、株価が2ポイント下がっただけでニュースになるのか」「飢えている人がいる一方で食べ物が廃棄されているのを見過ごし続けられるのか」と問い、市場に任せればうまくいくという「トリクルダウン理論」は「事実によって裏付けられたことは一度もない」と批判した。

法王の経済・社会認識は共産主義じみているという非難に対しては「マルクス主義は間違っている。しかし、私の人生で善良な人々であるマルクス主義者を多く知っているので、私は気を悪くしていない」(イタリア紙ラ・スタンパのインタビュー)とケロリとしている。昨年のクリスマスメッセージでは、シリアやアフリカで続く戦闘について、子どもや高齢者、女性ら社会的弱者が最大の犠牲者だとし、平和的解決を呼びかけた。

去る3月21日にはイタリア・マフィアに殺害された犠牲者の追悼式典で、「血塗られたカネや権力は死後まで特っていくことはできない」「マフィアの人々は生活を変えよ。悪行をやめよ。このまま続ければ、地獄が待っている。まだ、地獄へ行かないようにする時間はある」と呼びかけた。法王から「地獄に堕ちるぞ」と声をかけらけたら、改心しないわけには行くまい。

バチカン銀行のマネーロンダリング問題解決に取り組む法王にとって、いずれマフィアと対決しなければならないことは明らかだ。この呼びかけは法王が暗殺されることも辞さない決意をもっているというメッセージである。イタリア国家及び世界がてこずっているマフィアヘの命がけの宣戦布告をニコニコしながら(新聞の写真を見る限りでは)できる法王の勇気には驚きを禁じ得ない。

それだけではない。手紙や電話もまめに使う。国東市の小学校には就任祝いに対する返礼の手紙が届いて、小学生たちを大喜びさせた。3月21日の毎日新聞によると、イタリア北部に任むミケーレ・フェッリさんには「こんにちは、ミケーレ。フランシスコ法王です」という電話がかかってきた。家族の不幸を訴えた手紙に対する励ましと慰めの言葉が続いた。誰だって「はーい、法王です」という電話がかかってくれば、びっくりして感激する。

世界初の法王ファンのための週刊誌「私の法王」がイタリアで創刊され、創刊号は50万部という。昨年3月の就任から年末までの9ヵ月間にバチカンで行われたミサ、日曜の折りの集いに参加した信者の数は662万人で、前任のベネディクト16世時代の3倍にのぼるという。

ツィッターを初めて使った法王でもある。[親愛なる友よ、心から感謝します。私のために折り続けてください。法王フランシスコ]という他愛もないツィッターにフオロワーは500万人以上だという。

この人気にあやかろうという外国首脳との会談も目白押し。3月27日にはアメリカ大統領オバマがバチカンを訪れた。現代の聖俗ビックツー会談の雰囲気は和やかなものだったようだ。フランシスコ法王はバチカン自身の問題として前法王時代に明らかになった、聖職者の児童への性的虐待や、バチカン銀行のマネーロンダリング疑惑を抱えている。オバマ大統領はウクライナ問題はじめ星の数ほどの難問を抱えている。「お互いに苦労が多いですね」と慰め合ったのだろう。

しかし、この二人の会談のテーマとしては、お互いの悩み事よりは、世界の悩み事がふさわしい。平和と貧困の問題。この世から戦争の火種をなくすこと、そして飢えと格差をなくすこと。とりわけ経済格差は深刻だ。現在、世界の最富裕層85人の資産総額は下層の35億人分(世界人口の半分)に相当するという。それほどに経済格差が拡大している。法王も大統領もそろって批判はするが、宗教も国家も金融資本主義には手をこまねくしかないというのが現実だ。この点でも、二人は「お互いに苦労が多いですね」と慰め合ったのかもしれない。

とにかくフランシスコ法王のまっとうな宗教者としての発信は、信者でない人も含めて世界中の人々の心を揺さぶっている。儲けのためなら、武器も原発の輸出もいとわない人々は恥ずかしくはないか。貧しい人に高負担を強いる消費税に賛成する政党を支える宗教団体は恥ずかしくないか。
(2014年3月28日)

冤罪を訴えるわが声 天地にひびけ

本日、静岡地裁は死刑囚だった袴田巌さんの第2次再審請求審で、再審開始を認める決定をした。しかも、「捜査機関が重要な証拠を捏造した疑いがあり、犯人と認めるには合理的疑いが残る」とまで踏み込んだ判断があり、「拘置の続行は耐え難いほど正義に反する」と刑の執行停止も決めた。本日袴田さんは東京拘置所から釈放された。逮捕以来48年ぶりの自由である。

袴田さんに、「おめでとう」「よかったね」というべきなのだろうか。無実の人が半世紀近くも拘禁を強いられ、そのうちの34年間は死刑の恐怖にさらされ続けてきたのだ。軽々しく、祝意の表明などはばかられる。襟を正して厳粛な気持ちにならざるを得ない。

古来国家権力は、人民から税金を取り立て、人民を徴兵し、そして刑罰を科してきた。今日の日本においても、徴税と刑事司法が、国家権力と人権とがもっとも厳しくせめぎ合う場となっている。刑事司法における死刑冤罪こそ、国家の手による人権侵害の最たるもの。

弁護士が人権擁護を使命とする存在である以上は、再審無罪を勝ち取ることができればこれ以上の冥利はない。本日各紙の夕刊に、弁護団長西嶋勝彦さんの笑顔がある。西嶋さんには、おめでとう、と言ってもよいだろう。私が弁護士を志したきっかけのひとつに、冤罪や再審事件で働いてみたいという気持ちがあった。今も、雪冤に心血を注いでいる弁護士には敬意を惜しまない。

50年前の学生時代に、誘われて「松川研究会」という松川事件支援サークルに籍を置き、そこでの学園祭に、冤罪や再審事件をテーマとした企画を行ったことがある。正木ひろしさんをお呼びして講演していただいたことをなつかしく思い出す。

そのとき、死刑確定囚の再審事件として、松山事件(斎藤幸夫さん)と牟礼事件(佐藤誠さん)を取りあげて事件紹介の展示をした。松山事件は捜査機関による証拠捏造による冤罪、牟礼事件は、「共犯者」の「嘘の自白」による冤罪としての展示内容だった。

松山事件の斎藤さんの救援運動の先頭には必ず、我が子の無実を信じていた母のヒデさんがいた。私も、仙台の街角に一人で立って、再審請求支援の署名活動を行っていたその姿を見ている。その後、斎藤幸夫さんは奇跡的な「死刑台からの生還」を遂げ、盛岡の我が家に訪ねてこられたことがある。当時、我が家には体重35キロのチャウチャウがいた。少しも人なつっこくないその犬が斎藤さんには不思議と親愛の情を見せて、お顔をペロペロ舐めていたことが印象に残る。

一方牟礼事件の佐藤誠さんの再審請求は実ることなかった。1989年に佐藤さんは獄中で病死(クモ膜下出血)している。享年81。死刑囚としての獄中生活は37年に及んでいたという。佐藤さんは歌人として知られていた。ウィキペディアに次の記事がある。

「獄中では逮捕前から嗜んでいた和歌を詠み続け、亡くなるまでに生前9冊と死後1冊の歌集を出版している。そして歌集出版をきっかけに、佐藤は同人誌『スズラン』の主幹となり、獄中から同人たちの短歌を添削したり、同人誌の編集を行っていた。…同人誌『スズラン』は、佐藤が亡くなるまで計123号が発行された。」
「昭和天皇の重体が伝えられてから、支援者らが恩赦出願を佐藤に勧めるが、『私は無罪なのだから、再審請求をして無罪を勝ち取る』と佐藤は拒否。弁護団に熱心に説得されて、1989年5月に恩赦出願するも、やはり冤罪の身であるのに無期懲役の罪人にはなれないと取り下げている。」

  冤罪を叫び疲れてみちのくの獄に雪の夜ひっそりと生く
  天地にひびけと叫ぶ冤罪のわが声むなしく風に消さるる
 そして、次が辞世だという。
  独房に死を待つのみなり秋の蚊よ 心ゆくまでわれの血を吸え

日本国民救援会は、冤罪・再審支援に取り組む市民団体である。その救援会が今支援を決議しているのが、下記の各事件。袴田事件だけではない。冤罪はかくも多くある。証拠開示の徹底が雪冤の鍵だ。裁判所の果断な判断と、検察官の良識に期待したい。

 秋田・大仙市事件
 山形・明倫中裁判
 宮城・仙台北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件
 東京・三鷹バス痴漢冤罪事件
 東京・三鷹事件
 東京・痴漢えん罪西武池袋線小林事件
 東京・埼京線痴漢えん罪事件
 長野・えん罪ひき逃げ事件
 長野・冤罪あずさ35号窃盗事件
 福井・福井女子中学生殺人事件
 静岡・袴田事件
 愛知・豊川幼児殺人事件
 三重・名張毒ぶどう酒事件
 滋賀・JR山科京都駅間痴漢冤罪事件
 滋賀・日野町事件
 京都・長生園不明金事件
 京都・タイムスイッチ事件
 大阪・東住吉冤罪事件
 兵庫・えん罪神戸質店事件
 兵庫・えん罪西宮郵便バイク事件
 岡山・山陽本線痴漢冤罪事件
 高知・高知白バイ事件
 鹿児島・大崎事件
 米・ムミア事件
  *******************************************************************
NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い。
「2万筆までもう一息! 3月24日現在、署名が第二次集約で19,212筆」とのことです。

下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
  *******************************************************************
    NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
    http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。

(2014年3月27日)

「猪瀬ー徳洲会」事件の幕引きには納得できない

猪瀬直樹前都知事が知事選立候補直前に徳洲会から5000万円を収受していた事件は、公職選挙法上の「選挙運動資金収支報告書虚偽記載」の罪名で略式起訴となる模様だ。各紙が、「関係者の話で」「関係者への取材で」「関係者によると」として報道しているが、各紙べったり同様の内容をみれば、検察の意図的なリークであることは明らかといってよい。

東京地検特捜部が公選法違反容疑で猪瀬氏の個人事務所(港区)を家宅捜索したのが3月21日である。徳田前理事長と猪瀬を仲介した右翼「一水会」の木村三浩の自宅と一水会の事務所(新宿区)も同時に捜索されている。形式犯としての「虚偽記載罪」での立件であれば、必ずしも家宅捜索までは必要とならない。これは収賄まで視野に入れた捜査ではないか。そう思わせておいて、25日には略式のリークである。捜索は、略式を決めたあとの形づくりであったか。

検察リークの垂れ流し情報なのだから、「金は手つかずのまま全額返された」「都知事辞職という社会的制裁も受けた」「実際に選挙で使用されていなかった」などというばかりで、社会が関心を寄せることは記事になっていない。捜査はどこまで進展したのか、真実に肉薄する報道が欲しいところ。

略式による幕引きには、大きくは2点で納得しがたい。

その一は、この件は贈収賄として立件すべき事件である。到底略式で幕を引くべき事件ではない。それを、公職選挙法上の虚偽記載程度に落ち着けていることに納得しがたい。

野心的な積極姿勢で知られる病院経営者から、都知事選立候補直前の副知事に5000万円の現金がわたったのだ。ことさらに銀行送金を避けて、キャッシュで5000万円の札束の手渡しだ。当事者双方に後ろ暗い金との認識があったと見るのが常識ではないか。

当然のことながら、なにゆえに一面識もなかった両名間でこのような後ろ暗い金の授受が行われたのか、その動機の究明がなされなければならない。社会の関心も怒り理由もそこにあった。授受された金の性質を選挙資金と認定することは、賄賂性認定へのステップではあっても結末ではない。なにゆえに5000万円もの選挙資金の授受が行われたのか。この点を検察はどこまで追求したのだろうか。

金を渡す方は、東京都の許認可を期待し、許認可権行使の在り方に死活的な利害関係を有する立ち場にある病院経営者。金を受けとる方は許認可の権限を実質的に掌握する立ち場にある副知事であり、やがて東京都のトップに立つことが確実視されている猪瀬その人である。都民の行政の廉潔性への信頼を繋ぎ止めようとするのなら、検察は徹底して金銭の授受と許認可権限との関連性の有無を明らかにしなければならない。

単純収賄罪(法定刑は5年以下の懲役)は、請託の存在を要件とせず、公務員の不正行為も要件ではない。猪瀬が徳洲会に「便宜を図った」か否かは、犯罪成立には無関係である。唯一、賄賂の収受と職務との関連性だけが要件である。その要件で、職務の公正に対する社会の信頼という保護法益を損うに十分とされているのだ。

ここでいう職務は、必ずしも「法令に明記された職務」に限られない。「法令に明記されていない職務」であっても、あるいは、「職務に密接に関連する行為」(「準職務行為」や「事実上所管する行為」)でも、さらには「事実上の影響力を利用して行われる行為」をも含むとするのが判例の立ち場である。

もちろん、東電病院の売却や入札業務は、東京都の業務ではなく、株式会社である東電の業務ではある。しかし、東京都は東電の大株主としてその動向に絶大な影響力を持ち、猪瀬は副知事として自ら東電の株主総会に乗り込んでまでして、東電病院売却を決定させている。この件については猪瀬自身が職務に関連する大きな影響力を持っていたというべきである。この影響力の行使において、職務の公平性についての社会的信用を毀損してはならない。

しかも、2012年11月6日、猪瀬が徳田虎雄に面会した際、徳田は猪瀬に、東京電力病院の取得を目指す考えを伝えた。このとき猪瀬は、自らが東電に売却を迫ったことを話したという。この阿吽の呼吸がぴったりあったその直後(11月20日)に、5000万円が提供された。このことは、関係者の話でわかった旨報道されているが、捜査機関のリークの可能性も高く、信憑性は高い。

とすれば、徳洲会が、猪瀬が副知事としての職務権限を背景とする東電の入札事務への影響力に期待して、5000万円を提供したものと考えられ、猪瀬はこれを収受したものというべきである。それなら、収賄罪の職務関連性の要件は充足されたことになる。もちろんそれだけでなく、医療行政上の許認可や、補助金等への配慮への期待も、暗黙の応諾もあったであろう。

なお、この11月6日の機会に請託があれば、受託収賄罪となり刑罰は加重されて懲役7年以下となる。また、5000万円の提供が仮に貸金であったとしても、金融の利益自体(しかも、無利息・無担保)が賄賂に当たる。

もう1点。幕引きを納得し難いのは、猪瀬以外についての徳洲会マネーの行く先の追求のないことである。せっかく、氷山の一角が露呈したのだ。氷山全体の正体をさらけだす好機ではないか。このチャンスに、目をつぶって、幕を引いてしまうのか。なんと惜しい。なんともったいない。

いったい、猪瀬はどうして徳洲会に近づけたのか。誰がどのようにしてこの二人を固い「5000万円の関係」に結びつけたのか。右翼ではあるまい。徳田虎雄との親密さをよく知られている猪瀬のボスの仕事であったろう。ずいぶん早い時期から、「徳洲会マネーは、首都圏のある知事に3億、ある副知事に5000万円わたっている」と噂された。「ある副知事」の方は事実であった。「ある知事」についてはどうなのか。その徹底解明こそが、本丸ではなかったか。

東京都の百条委員会設置の寸前で、2度にわたる石原ー猪瀬会談が行われた。ここで猪瀬辞任の方向付けができたという。さぞかし、醜悪な内容であっただろう。おそらくは、疑惑が石原側まで飛び火せぬよう打ち合わせがあり、その結果としての知事辞任だったのではないか。

百条委員会による都議会での追及も、検察の捜査も、結局は猪瀬の責任止まりでその先には進まない。各紙の記者に、以上の2点に切り込む取材と報道を期待する。

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        イザベラ・バードの過酷な揚子江遡行

女性探検家イザベラ・バードの「中国奥地紀行」(平凡社・金坂清則訳)の紹介。今日は、120年ほど前の揚子江遡行の船旅の凄まじさについて。

揚子江の遡行といえば「三峡」に代表される、泡立ち逆巻く「急灘」が話の中心となる。「紀行」にも多くの紙数がついやされており、当時の荒々しいままの超大河の自然と取り巻く社会は想像を絶する。

イザベラは1897年、真冬の1月から2月にかけて、湖北省宜昌から四川省万県まで20トンほどの屋形船で遡行する。その小さな船に水先案内人、曳夫、漕ぎ手ら乗組員19名、船長家族4名、イザベラ一行合計25名前後が乗り組んだ。彼女にはわからない船荷も積み込まれている。狭い船上で、赤ん坊は泣くわ、大声で夫婦げんかをするわ、食事の煮炊きはするわ、煙草を吸うわ、アヘンをすうわの大騒ぎがくり広げられる。

冬は夏と較べて揚子江の水深は10から20メートル浅くなるので、船にとっては通行が比較的容易となる。しかし、水が浅くなれば岩が現れ、急流となり、別の困難がつきまとう。漕いだり、帆を張ったりしても遡行でない場所が多くなり、そこでは岸に下りた曳夫が船を曳かないと遡行できない。それどころか下流へ流されてもしまう。多くの曳夫が必要なのだ。そんな流れの場所に行くと、「水中曳夫」が水に飛び込んで、引き綱を岸まで運ぶ。曳き綱は直径8センチ、長さ370メートルもあるものが船に備え付けられている。岸といっても平坦なところは少なく、ごろごろした石の上や崖を登った上の足がかりを、曳夫は渾身の力で這いすすむことになる。

それでもすすめない「急灘地」には、季節的に曳夫が集まる臨時の集落ができる。120トン積みのジャンクには120人の船乗りが乗っているが、臨時の曳夫300人を加えてやっと引き上げることができる。そんなところでは何十隻もの船が何日も順番待ちをする場合もある。揚子江上流では7000から8000隻の船が航行し、25万人以上の船関係労働者が働いている勘定になる。年間20隻に1隻が難破して、10隻に1隻が座礁するといわれている。積み荷の1割は失われたり、水をかぶったりする。

「惨事の現場はたくさんあった。どの急灘でもその手前と先で、ジャンクの船乗りが積んでいたゴザをかぶって岸辺に野宿し、濡れた綿布を乾かそうと広げていた。また、水面からマストが突き出したり、静かな入江には打ち捨てられた船の一部が沈んでいた。そのような船には砂浜で修理されているものもあった。岩の上にはあちこちに気味悪い白骨死体が転がっていた。岩が命運を決したのである。」

「滝のような急流部の荒々しい激流。各々400人もの曳夫によって北側の水路を引き上げられる複数の大型ジャンク。大波をかぶり身震いしながらよたよたと進む曳夫。引き綱が切れて滝のような急流部を猛スピードで下り、恐ろしい災難に向かっていくジャンク。努力の甲斐あって静かな水域まではいることのできたジャンク。・・滝のようになった急流部よりも上流で、舷側ををまともに向けて穏やかな水面を下ってきた大型ジャンクの舳先が突然飛び上がった。そして50人ないし80人、船によっては100人もの漕ぎ手が前方に向かって櫂や揺櫓(ヨールー)の所に立ち、わめき散らしながら必死に船を漕いでいた。船が縦揺れすると舳先や甲板の前方部は泡と水しぶきによってみえたり隠れたりした。また、激しい流れのなすがままになってぐるぐる回りながらも船乗りの技術と頑張りのおかげで、しばらくすると再び舳先を持ち上げ、下流のそれほどでもない急灘へと向かった。実に壮観だった。」

「どんなに表現しても、『新灘』の喧噪がどんなものであるかを伝えることはできない。その後の数日間耳がよく聞こえなかったというのが一番いいかもしれない。滝のような急流部のすさまじいとどろきや、数百人の曳夫が船を曳くときの叫び声や怒鳴り声がきこえてくる。また、それに混じって、合図のためや悪霊を驚かすための銅鑼と太鼓の音も途切れることなく聞こえてくる。ここから生み出される大混乱は誰だって忘れえまい」

イザベラは少しの賃金で命を削る「非人間的なまでに過酷な仕事」をする曳夫たちに驚いただけでなく、同情の念を表している。「この階級の人々こそが、過去から今日にいたるまで、中国を作り、支えてきた中国人の巨大なエネルギーを象徴している。また、中国人が東アジアやアメリカ西部のいたるところへつましい移民としてわたって成功したのは、このエネルギーあってこそだ」「だから、読者には次のようなことを同情心を持ってぜひ心に留めておいていただきたい。わが国の貿易商品を、このようなありとあらゆる困難や危険に出会いながら、揚子江上流までもたらしてくれるこれらの貧しい人々が、長くて重たい引き綱によって重いジャンクにつながれていることを。また、彼らが大波や渦巻く流れや大渦を伴って荒れ狂う恐ろしい激流に抗してジャンクを上流へと曳いていることを。激しく引っ張り上げられる羽目に陥ることもしょっちゅうであることを。時には負担がきつすぎて完全に止まってしまい、激流の中でしばらくじっとしていなければならない状況に置かれることを。また、引き綱が切れて、鋭くとがった岩に顔や裸の身体をぶつけることもしばしばあることを。ひっきりなしに川に入ったり出たりしなければならないことを。さらには、無残に命を落としてしまう危険にも日常的にさらされていることを。そして、彼らがこのようなことのすべてをほとんど米だけの食事で行っているということを!」

今日の南北格差と基本は変わらない。120年以前から、アンフェアなトレードは、悲惨な低賃金労働力によって支えられて来たのだ。西洋列強が植民地覇権争いをし、日本が負けじと日清戦争をしかけ、大陸への野望を募らせているそのときに、イザベラは静かにペンによる帝国主義への抵抗を試みていたのだ。おそらく当時の日本には、イザベラの著書を読んだ人はいなかっただろうが、欧米には熱狂的な読者がいた。その読者たちは、異国趣味の目からだけでこの「紀行」を読んだのだろうか。イザベラのこの訴えをどう受けとめたのだろうか。

イザベラ・バードは日本と中国を訪れただけではない。1894年から97年にかけて4回にわたり李氏朝鮮を訪ねて「朝鮮奥地紀行」も著している。ちょうど日本と清国が、朝鮮の権益を賭けて争っている時期に当たる。中央ではなく地方の、表舞台の人とではなく黙々と生きる人々への視線がやさしいイザベラの著書。いずれ目を通して、ご紹介したい。

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NHK籾井会長、百田・長谷川両経営委員の辞任・罷免を求める署名運動へのご協力のお願い。
下記URLからどうぞ
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-3030-1.html
http://chn.ge/1eySG24
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    NHKに対する「安倍首相お友だち人事」への抗議を
☆抗議先は以下のとおり
 ※郵便の場合
  〒150-8001(住所記入不要)NHK放送センター ハートプラザ行
 ※電話の場合 0570?066?066(NHKふれあいセンター)
 ※ファクスの場合 03?5453?4000
 ※メールの場合 下記URLに送信書式のフォーマット
    http://www.nhk.or.jp/css/goiken/mail.html
☆抗議内容の大綱は
  *籾井勝人会長は即刻辞任せよ。
  *経営委員会は、籾井勝人会長を罷免せよ。
  *百田尚樹・長谷川三千子両経営委員は即時辞任せよ。
  *経営委員会は、百田尚樹・長谷川三千子両経営委員に辞任勧告せよ。
以上よろしくお願いします。
(2014年3月26日)

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