(2022年6月5日)
一昨日(6月3日)、東京高裁(渡部勇次裁判長)が「ニュース女子ヘイト報道事件」での控訴審判決を言い渡した。判決の結論は、当事者双方からの控訴を棄却し、昨年9月の一審判決をそのまま維持するとした。
このところ選挙ムード一色の赤旗が、4日の社会面トップでこの記事を報道した。その見出しが、「DHCへの賠償命令維持」「辛淑玉さんへの名誉毀損認定」である。簡潔さがよい。形式的には、一審被告の法人格名は「株式会社DHCテレビジョン」である。そのとおり表記すべきが正確とも言えるだろうが、実質において「DHCテレビ」は、DHCの一部門に過ぎない。「DHCテレビ」はDHCの一人会社である。全株式を所有しているのが親会社DHC。もちろん、 「DHCテレビ」 の代表者はDHCのワンマンにして差別主義者として知られる吉田嘉明(取締役会長)である。このデマとヘイトに満ちた恥ずべき放送は、いくつもの部門をもつDHCの部門の一部に、その社風ないしは体質が表れたと見るべきであろう。違法と断定され、550万円の支払を命じられたのは外ならぬDHCなのだ。
赤旗は、本日も続報を掲載している。「一歩踏み込んだ」「『ニュース女子』訴訟控訴審判決」「原告の辛淑玉さんら評価」という、原告・弁護団の記者会見記事。
一般紙では、東京新聞の報道が、長い見出しで主要な論点を押さえている。「DHCテレビ『ニュース女子』の名誉毀損を認定」「高裁も一審判決支持『番組に真実性は認められない』」
東京新聞の報道は、注目されたところ。何しろ、DHCテレビとならんで被告にされたのが、元東京新聞論説副主幹の長谷川幸洋なのだから。長谷川はこの番組の司会を務めていた。それでも東京新聞は真摯な報道姿勢を貫いている。そして見出しに「DHCテレビ」を出している。以下、一部を引用する。
「判決は、辛さんが組織的に参加者を動員して過激な反対運動をあおっているという番組の内容に、真実性は認められないと判断。現在もDHCのサイトで番組が閲覧できる状態で「韓国人はなぜ反対運動に参加する?」などとテロップで表示されているとして、「在日朝鮮人である原告の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない」と言及した。
番組の司会者だった本紙元論説副主幹の長谷川幸洋氏の責任については「番組の制作や編集に一切関与がなかった」とし、一審と同様に認めなかった。長谷川氏が辛さんに損害賠償を求めた反訴も同様に退けた。
番組は東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)で2017年1月に放送された。昨年9月の一審判決は、DHCに賠償と自社サイトへの謝罪文掲載を命じた。
判決後の会見で辛さんは「名誉毀損が認められてうれしいが、沖縄に対して申し訳ない気持ちもある。平和運動や沖縄を、在日である私を使ってたたくという、二重、三重に汚い番組だった」と振り返った。金竜介弁護士は、判決が出自に絡む誹謗中傷に言及した点に「人種差別をきちんと認めたことは評価できる」と話した。
朝日の見出しは、「東京MXの「ニュース女子」、高裁も「名誉毀損」 賠償命令を維持」である。これはいただけない。この見出しだけだと、東京MXが被告になっているように誤解されかねない。DHCの責任が浮かび上がってこない。
この番組を巡っては、BPO放送倫理検証委員会が 東京MX に対して、「重大な放送倫理違反があった」とする意見を公表。遅れてのことだが、 東京MX は番組の放送を打ち切り、辛淑玉さんに不十分ながらも謝罪している。DHCが頑強に、謝罪もせず、番組の削除もしなかった結果が訴訟での決着となった。朝日の見出しは、「東京MX」を「DHC」か「DHCテレビ」とすべきではなかったか。
毎日の見出しも、面白くない。「『ニュース女子』訴訟、制作会社に550万円賠償命令 東京高裁」である。「制作会社」とはそりゃ何だ。「DHC」も「DHCテレビ」も出て来ない。デマとヘイトの企業に、いったい何を遠慮しているのだと言いたくもなる。
当然のことながら、沖縄の報道は辛口である。沖縄タイムスは「沖縄差別 裁判問えず 辛さん勝訴 笑顔なし ニュース女子訴訟」と見出しを打った。辛さんが、「沖縄に対して申し訳ない気持ちもある」と言った点に、沖縄からの共感である。
そして、琉球新報が下記のとおり伝えている。「『プチ勝訴』ニュース女子制作会社が主張、上告も示唆 控訴審判決受け」という見出し。この明らかな敗訴判決を「プチ勝訴」というDHC側の異常な感覚を曝け出している。
「ヘイトスピーチ反対団体の辛淑玉共同代表への名誉毀損を認めた東京高裁の控訴審判決を受け、被告側のDHCテレビジョンが3日午後、東京高裁前で番組の収録を行った。同社の山田晃代表(社長)は「プチ勝訴」などと主張する一方、「金銭的な部分で不服」として賠償責任を負う点に不満を示し、上告を示唆した。
勝訴とは言わない。プチ勝訴と考えている。山田代表は同日午後の控訴審判決後、東京地裁前に姿を現し、報道陣に独自の主張を展開した。「プチ勝訴」とした理由について、同社ホームページで掲載を続ける番組の削除が命じられなかった点を挙げた。一審に続き550万円の賠償命令が出た点には「会社としてはね、やっぱり1円でも」「金銭的な部分で不服とするのは当然」と述べて「不当判決」とした。今後の方針を問われると「もうワンチャンスある」「上告に向けて検討する」として、「事実認定」の変更が期待しにくい最高裁の判断に望みを懸けた。」
この会社の体質がよく表れている。判決理由で「放送内容の真実性は認められない」「現在もDHCのサイトで番組が閲覧できる状態で『韓国人はなぜ反対運動に参加する?』などとテロップで表示されている。だから『在日朝鮮人である原告の出自に着目した誹謗中傷を招きかねない』とされていることに何も反省しないのだ。一・二審とも、謝罪文の言い渡しを命じられていることにも意に介している様子はない。
この会社は、つまりはDHCとその経営を牛耳っている吉田嘉明は、根っからのレイシストである。法や判決で命じられない限り、「ヘイトのどこが悪いか」と居直る体質なのだ。一つは判決で、そしてもう一つは良識ある民衆の批判とDHC製品不買で矯正するしかない。
(2022年6月4日)
1989年6月4日早朝、北京天安門広場とその周辺に集まった無防備・無抵抗の群衆に人民解放軍が襲いかかった。「人民からは針一本、糸一筋も盗まない」ことで、人民からの信頼を得てきた中国共産党の人民解放軍であった。人民から生まれ、人民とともにあるはずの人民解放軍。その人民解放軍が人民に銃を向け発砲したのだ。何のためらいも、容赦もなく。
天安門広場に集まった大群衆は、党と国家の民主化を求めていた。この人たちが銃撃され、夥しい死傷者を出した。殺戮されたのは広場に集まった学生や市民ばかりではない。民主主義や人権という文明の普遍的価値も虐殺された。以後、中国は民主主義や人権とは無縁の野蛮国となる。そして人民解放軍は、人民の軍ではなく、党幹部の私兵となった。
この日、私の中での重要な何かが崩壊した。だんだんとそれが、明確になってきたように思う。私は楽観主義者だった。人類の歴史は、人権の尊重・民主主義・平和を軸に、進歩し発展するに違いない。長い目で見れば、中国も人権・民主主義の社会になるだろう。しかし、天安門事件の衝撃は、私の楽観論を打ち砕いた。永く、中国に理想の未来を期待していただけに、落胆は大きかった。
この衝撃の「事件」だけでなく、事後の対応にも許しがたいものがある。我々が、日本の保守勢力を「歴史修正主義」と非難していることを、中国共産党もやったのだ。事件そのものがあたかもなかったごとくに、事実を語る言論は統制され、歴史は塗り替えられようとしている。これが天安門以後の中国共産党の実像である。
中国には「天安門の母」というグループがある。天安門事件で子供を殺害された親らの会。1日、この「母の会」がネットに声明を発表した。平和的なデモに軍を出動させ「自国民を虐殺した」と非難し、改めて真相や責任所在の解明を共産党・政府に求めた。
中国共産党は、民主化を求めた人々の運動を『反革命暴乱』とし、「党と政府は旗幟鮮明に動乱に反対して社会主義国家の政権を守った」と言っている。中国共産党にとって、人民の民主化運動は『反革命暴乱』なのだ。これが、権力の本質なのだ。
ところで、中国には「天安門の母」があるように、ロシアには「ロシア兵士の母」という会があって政府にもの言うことで知られている。かつて、日本には「靖国の母」「九段の母」があった。いずれも、流行歌としても歌われている。下記は、歌謡曲「九段の母」の2番の歌詞である(作詞・石松秋二)。発表は1939年、太平洋戦争開戦の2年前である。
空をつくよな 大鳥居
こんな立派な おやしろに
神とまつられ もったいなさよ
母は泣けます うれしさに
「天安門の母」は息子の死に憤り、「ロシア兵士の母」も軍の横暴にものを言う。ところが、「九段の母」は息子の死を「母は泣けます うれしさに」というのだ。恐るべし、天皇制のマインドコントロール。
(2022年6月3日)
昨日、日本維新の会が夏の参院選に向けたポスターを発表した。「改革。そして成長」をスローガンに掲げ、松井一郎と吉村洋文の写真を並べた。
維新の関係者によると、スローガンには当初「決断そして実行」を掲げる予定で調整していた。ところが自民党が1日、岸田文雄首相の写真に「決断と実行」と大書した参院選ポスターを発表。かぶりを避けるために、急遽変更したという。いったい、この事態をどう理解すればよいのだろうか。
維新の所業についての情報は宮武嶺の下記ブログが最も詳細で信頼できる。そして、宮武の歯に衣きせぬ対維新評価は常に私の感覚に近い。「維新の悪党ぶりは宮武嶺に聞け」というのが私の確信である。
https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/9a183ef7ac9955068fd87659e7285bf2
本日の宮武嶺ブログが、案の定立派なものだ。その一部を引用させていただく。
「自民党とそっくりの選挙ポスターを作ったマヌケな維新の会の松井一郎代表(笑)。ろくに決断も実行もしない岸ダメ政権と、ろくな決断と実行をしない日本イソジンの会だと、丙丁つけがたい(笑笑)
冒頭の画像は、参院選に向けて日本維新の会が用意していたポスターと自民党のポスター。自民党が先に発表したのを見たら、自分たちのとクリソツ(「決断と実行」と「決断そして実行」)なので維新はびっくり!(笑)
そりゃ、「野党でもユ党でもなく悪党」の維新の会は、特に安倍・菅政権のころは自民党と一心同体でしたから、こういうことも起こります(笑)。
そしてあわてて、作り直したというのですが、2文字のそれらしい熟語ならもうなんでもいいというwww
新自由主義政党なので、「分配」だけは絶対入れないwww
それにしても、日本維新の会の参院選向け公約の右傾化ぶりは自民党を超えていまして、ロシアのウクライナ侵攻を踏まえると称して、自民党の「反撃能力」そっくりの、国民を守れる「積極防衛能力」を整備すると言い出し、「中距離ミサイルや軍事用ドローンをはじめとする新たな装備を拡充する」というんですよ。
【#維新は日本一の悪党】日本維新の会が岸田政権に「核共有」の議論を求める提言。防衛費をGDP2%に倍増することも要求。無能な維新は余計な事は考えずコロナ死者最多の大阪の問題に取り組め。
しかも、国民の人権を制限する緊急事態条項は憲法に創設、防衛費は国内総生産(GDP)比2%への倍増、憲法9条に自衛隊を明記。そのうえ、米国の核兵器を日本に配備し運用する「核共有」政策を含めた拡大抑止の議論を日米間で開始するとしていて、自民党さえためらった核共有検討を堂々と入れています。
まさに、日本に必要ない有害政党、それが日本維新の会と言えるでしょう。
安倍元首相と橋下徹氏の「核共有」構想は非核三原則違反であるばかりか、憲法にもNPT条約にも原子力基本法にも反する違法行為。ところが松井一郎代表が「非核三原則は昭和の価値観」と言い出した(笑)。
それにしても、日本維新の会って毎回公約が行き当たりばったりの思い付きですし、だいたいが自民党のパクリですよね。
そして、常に自民党よりちょっと言い過ぎてみるという、ほんとに政界の害虫みたいな存在です。」
維新を「野党」でも「ゆ党」でもない、その反憲法的な姿勢は「悪党」であるというのは、言い得て妙である。維新を自民の補完勢力と位置づけるのは、今や正しくない。その独自の「反憲法的」「反人権的」「反民主的」姿勢は、「政界の害虫みたいな存在」というべきであろう。
宮武嶺のますますの健筆を期待したい。
(2022年6月2日)
日本民主法律家協会の機関誌『法と民主主義』(略称「法民」)か好調である。
「法民」は、日民協の活動の基幹となる月刊の法律雑誌。(2/3月号と8/9月号は合併号なので発行は年10回)。
毎月、編集委員会を開き、全て会員の手で作っている。憲法、司法、原発、天皇制など、情勢に即応したテーマで、法理論と法律家運動の実践を結合した内容を発信し、法律家だけでなく、広くジャーナリストや市民の方々からもご好評をいただいている。
定期購読も、1冊からのご購入も可能である。お申し込みは、下記からお願いしたい。(1冊1000円)。
お申し込みは、下記URLから。
https://www.jdla.jp/houmin/form.html
とりわけ、本年2月ロシアのウライ侵攻以来の改憲世論に抗しての護憲の論調の堅持は、貴重な役割を担うものとなっている。最近の特集記事は、以下のとおり。
「法と民主主義2022年2・3月号」【566号】
●特集『最高裁裁判官国民審査』
「法と民主主義2022年4月号」【567号】
●特集『公害弁連発足50周年記念集会 「被害者とともに50年」』
― 公害弁連の闘いの継承と未来への展望 ―
法と民主主義2022年5月号【568号】
特集●ロシアのウクライナ侵略に抗議する ― 9条徹底の立場から
そして、このほど発売の「法と民主主義2022年6月号【569号】の特集記事が、特集●「全国で広がる憲法運動」である。目次は以下のとおり。
◆特集にあたって … 編集委員会・飯島滋明
◆5月3日にみんなで日本国憲法を読む会/
十勝平和市民の会
◆医療9条の会・北海道
◆道南地域平和運動フォーラム
◆宮古・下閉伊地域の戦争を記録する会
◆マスコミ・文化 九条の会 所沢
◆安保法制に反対するママの会@ちば
◆さつきが丘9条の会
◆調布九条の会「憲法ひろば」
◆市民連合 めぐろ・せたがや
◆新宿平和のための戦争展実行委員会
◆本郷湯島九条の会
◆宗教者九条の和/
平和をつくり出す宗教者ネット
◆明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわか)
◆戦争させない・9条壊すな!
総がかり行動実行委員会 青年PT
◆本牧・山手九条の会
◆おだわら・九条の会
◆戦争しない・させない・
平和がいい市民の会(ピースアクションうえだ)
◆不戦へのネットワーク
◆西農憲法集会/9条の会・おおがき
◆みえ市民連合連絡会
◆岡山での憲法運動
◆ピースリンク広島・呉・岩国
◆山口での憲法運動
◆平和といのちをみつめる会
◆長崎県平和運動センター
◆平和憲法を守る会・大分
◆佐賀県平和運動センター
◆鹿児島県護憲平和フォーラム
◆宮古島での憲法運動
◆石垣島での憲法運動
◆特別掲載
インタビュー・参院選で平和を守る勢力の前進を 困難乗り越え「統一」を … 中野晃一
◆連続企画・学術会議問題を考える〈6〉
書評『学問と政治 ── 学術会議任命拒否問題とは何か』 … 藤谷道夫
◆連続企画・憲法9条実現のために(38)
「9条改憲の流れを絶て! 自民党改憲を許さないキックオフ院内集会」より
講演・改憲論議の作法と9条擁護の理由 … 愛敬浩二
◆司法をめぐる動き〈74〉
・「女たちの安保法制違憲訴訟」 ── 東京地裁が見せた異常な訴訟指揮と判決 … 中野麻美
・4月の動き … 司法制度委員会
◆判決ホットレポート
表現の自由をまもる歴史的な札幌地裁判決 ── 道警ヤジ排除訴訟 … 神保大地
◆メディアウオッチ2022●《「憲法」をどうするのか》
ここで世論を作り直そう メディアは「第三者」ではない … 丸山重威
◆改憲動向レポート〈№41〉
5月3日憲法記念日にむけての各党の談話・アピール等を中心に … 飯島滋明
◆インフォメーション
『日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案』(公選法並び3項目改正案)の
拙速な審議採決に反対する法律家団体の声明
◆時評●平和的生存権と予防外交 … 大脇雅子
◆ひろば●改憲問題対策法律家6団体連絡会の近時の活動 … 辻田 航
今だからこその特集であ。ぜひ、ご購読をお願いしたい。
(2022年6月1日)
私の古巣である東京南部法律事務所から電話があった。「よい報せではありませんが…」という前置き。これは訃報だ、と覚悟した。案の定、坂井興一さんが亡くなったという報せだった。
亡くなったのは5月21日だったが、ご家族の意向が「皆様へのお知らせは身内だけの葬儀を済ませたあとに」とのことだったという。コロナ禍の所為というよりは、いかにも坂井さんらしい。
坂井さんとは半世紀以上の付き合い。6年間同僚として机を並べた間柄。私より2期上の身近な先輩。新人弁護士として指導も受け、大きく感化も受けてきた。あるとき、真顔で「君には思想があるか。命を掛けても貫こうという思想が…」と言われて戸惑った覚えがある。「そんなものはない」とだけ答えたが、「思想よりも命の方がずっと大切ではないか」と言えばよかった。それだって立派な思想ではないか。
私とは同郷と言ってもよい。岩手県南の陸前高田出身で県立盛岡一高から現役で東大法学部に進学。在学中に司法試験に合格している。おそらく、生涯を通じて試験に落ちた経験のない人。囲碁の達者でもあった。
その経歴は、官僚か裁判官、あるいは企業法務をやってもよかろう人だったが、すんなりと労働弁護士としておさまり、その立場を生涯貫いた。そして、あの〈奇跡の一本松の〉【陸前高田市・ふるさと大使】を務めてもいた。
坂井さんについて思い出深いのは、東弁講堂「日の丸」掲額撤去事件である。
かつて、東弁旧庁舎の大講堂正面には、額に納まった大きな日の丸が掲げられて参集者を睥睨していた。古色蒼然というよりは、アナクロこれに過ぎたるはなしと評するにふさわしい。私は、東弁に登録して弁護士になったとき、その講堂で宣誓式に臨んだが、この大きな「日の丸」が目に入らなかった。目に入らぬはずはないが、大して目障りとは思わなかったのだ。
その後私は、岩手県弁護士会に登録を移し、11年を経た1988年夏に東弁に再登録した。そのとき同じ東弁講堂で2度目の宣誓をした際に見上げた「日の丸」が、この上ない異物として目に突き刺さった。これは何とかしなくてはならない。そう考えたのは、岩手靖国違憲訴訟を担当しての意識変革があったからである。
私は、東京弁護士会運営の議会に当たる「常議員会」の委員に立候補して、その最初の会議の席で「日の丸の掲額は、弁護士会の理念に関わる問題と捉えねばならない」「東弁はこの講堂の『日の丸』を外すべきだ」と訴えた。
そもそも「日の丸」は、国家のシンボルであって在野を標榜する弁護士会にふさわしいものではない。「日の丸」は日本国憲法とは相容れない軍国主義や侵略戦争とあまりに深く結びついた歴史を背負っている。憲法の理念に忠実であるべき弁護士会が掲げるに値しない。「日の丸」という価値的な評価の分かれるシンボルをあたかも、全東弁会員の意向を代表するごとくに掲額してはならない。
一弁講堂には、「日の丸」ではなく、「正義・自由」との額が掲げられている。それに比較して東弁は恥ずかしいと思わねばならない、とも言った記憶がある。
もちろん、これに異論が出た。当時、家永訴訟の被告側代理人だった弁護士から、このままでよいという発言があった。「日の丸」は国民全体のシンボルと考えて少しもおかしくない。何よりも、先輩弁護士たちが長く大切にしてきたものをわざわざ降ろす必要はない、というようなものだった。
幾ばくかの議論の応酬のあと、いったん執行部がこの議論を預かり、「日の丸」掲額の経緯や趣旨について調査をし、その報告に基づいて再検討ということになった。
このときの東弁副会長で、この問題を担当したのが坂井さんだった。けっして私と示し合わせたわけではない。本当に偶然の成り行き。まずは、この額を外して、実況見分したところ、太平洋戦争直前の時期に、弁護士会から戦意高揚のためにどこかに奉納した幾品かのうちの一つで、額からは「武運長久」「皇国弥栄」などの添え書きもあったという。
結局、どうしたか。「調査のために一度外した額ですが、とても重い。建物の劣化もあって壁面に再度取り付けることは危険で事実上不可能と判断せざるを得ません。もうすぐ新庁舎に移転することでもありますし、壁面の補修の予算は取れません」「やむを得ない事情として、ご了解ください」
これが、坂井さんらしい収め方だった。この期の理事会は、取り外した「日の丸額」を再取り付けはしないこととした。新庁舎に日の丸がふさわしいわけがない。右派も、「日の丸を掲げよ」などと提案できるはずもない。こうして、今東京弁護士会は「日の丸」とは無縁なのだが、これは坂井興一さんのお蔭でもある。
(2022年5月31日)
一昨日(5月29日)の東京新聞第4面に「ロシア地方議員 侵攻批判」「極東の沿岸『孤児増え、若者死ぬ』」という囲み記事。また、昨日(5月30日)の毎日に、内容をふくらませた続報。いずれも、現地紙の報道をニュースソースとしている。
小さな記事だが、これは注目に値するニュース。プーチン政権のウクライナ侵攻に、議会で公然たる批判の声が上がっているのだ。この批判の声には支持者のグループがある。当然に、氷山の一角と見なければならない。表面化せずに水面下に沈潜した批判のマグマは巨大なものでありうる。このただならぬ事態を政権は封じ込めることができるだろうか。
記事の大要は以下のとおりである。
「ロシア極東の沿海地方議会で27日、プーチン政権の『体制内野党』とやゆされてきた共産党のワシュケービッチ議員が、特別軍事作戦と称するウクライナ侵攻を批判する一幕があった。政界から非戦の訴えが上がるのは異例だが、議員らはその場で議場から退場させられた。独立系メディア『メドゥーザ』などが伝えた。
ワシュケービッチ氏は、議案審議中に突然、プーチン大統領に宛てたという声明を読み上げ『作戦をやめなければ、孤児が増える。国に貢献できたはずの若者たちが死んだり、障害を負ったりした。軍の即時撤退を要求する』と述べた。
同地方のコジェミャコ知事はこの発言に怒り、議会側との申し合わせの上、ワシュケービッチ氏と賛同の拍手をしたとみられる議員を退場させた。」
「沿海地方州(の議会)」が、固有名詞なのか普通名詞なのかよく分からない。しかし、とある地方議会で、「体制内野党と揶揄されてきた野党・共産党」の議員が公然と反戦・反プーチン演説をしたことだけはよく分かる。しかも、議員1人の行為ではない。「ANNニュース」は、「共産党の議員ら3人が連名で」と報道している。
毎日新聞は、「野党・共産党のワシュケービッチ議員は軍の即時撤収を呼びかけるプーチン大統領宛ての声明文を読み上げ、これに対し、政権与党『統一ロシア』に所属するコジェミャコ知事は『ナチズムと戦うロシア軍の名誉を傷つける。裏切り者だ』と非難。知事の要求に応じ、議会はワシュケービッチ氏と賛同した議員の発言権を奪う議案を可決した」と報じている。
プーチン政権を支える与党は、「統一ロシア」で、ロシア共産党はプーチン政権の『体制内野党』と揶揄されてきた少数野党なのだ。
ロシアは複数政党制で多数の政党があるというが、ロシア連邦議会ロシア連邦議会の国家院(下院)に議席をもつ主要政党は6党だという。
2021年9月、5年に一度の選挙の結果、定数450のうち、与党「統一ロシア」が324、野党「ロシア連邦共産党」57、「公正ロシア」27、「ロシア自由民主党」21という議席配分、これに「市民プラットフォーム」「政党エル・デー・ペー・エル」が続いている。イデオロギー的には、極左から極右まで、ロシア連邦共産党公正ロシア祖国統一ロシア市民プラットフォーム政党エル・デー・ペー・エルの順に並ぶとされるが、何が右で何が左か、さっぱり分からない。
いずれにせよ、ロシアにも議会があり、野党があるのだ。ロシア共産党はけっして取るに足りない存在ではない。2021年ロシア下院選挙では得票率21.7%だったという。地方議会の共産党3議員の反乱は、もしかしたら燎原の火となるかも知れない。
なお、このニュースを報じる毎日が、併せて「ロシア南部の軍事裁判所は従軍を拒否して除隊処分となった兵士らによる異議申し立てを棄却した。ロシア国内で軍事侵攻に賛同しない声や動きが相次いで露呈している」と記事にしている。 〈ウクライナへの従軍を拒否して除隊処分となる兵士ら〉がいるのだ。しかも、果敢に異議申し立てまでしている。それが、ニュースになって民衆の耳目を集めてもいるのだ。 ロシアのあちこちに、少しずつだが、破綻が見えてきているといえるだろう。
(2022年5月30日)
ロシアのウクライナ侵攻以来、各紙の歌壇に戦争を詠う歌が取りあげられている。戦争の悲惨さや理不尽を、我が国の戦争を思い起こす形で詠うものが多い。いかなる戦争も他人事ではないのだ。昨日(5月29日)の「朝日歌壇」。永田和宏選の冒頭3首が、そのような歌として胸に響く。
軍隊は軍隊をしか守らない交戦国のどちら側でも
(東京都)十亀弘史
軍隊は何を守ために存在するのか。国民を守ることがタテマエだが、実はそうではない。いざというときには、住民を見捨てる。のみならず、住民を殺害さえする。誰のために? 結局は軍隊を守るために。そして、「大の虫を生かすためには、小の虫を殺すのもやむを得ない」とうそぶくのだ。我々は、これを沖縄戦での32軍の蛮行として、また終戦時の関東軍の卑劣な逃避行として記憶してきた。あたかも、皇軍だけの特殊事情のごとくに。しかし、この歌は「交戦国のどちら側でも」と、戦争と軍隊の本質を言い当てている。
ウクライナへの侵略戦争で、負傷して歩けないと口にしたロシア兵が、足手まといとして上官から射殺されたという。「軍隊は軍隊をしか守らない」とは、闘う能力を喪失した味方の兵士をも守らないのだ。この非情さが戦争の本質なのだ。戦争をしてはならない。軍隊を肥大化させてはならない。
戦争で兵の生死は数値だけ戦死になるか戦果になるか
(筑紫野市)二宮正博
あらためて言うまでもなく、兵とてかけがえのない「人」である。その人の生死が数だけに置き換えられる。そして、その数は「戦死になるか戦果になるか」なのだ。自軍には「戦死者数」として報告されるが、相手国では「戦果」とされてその死が喜ばれる。決して悼まれることはない。
殺人は忌むべき人非人の行為である。通常殺人者は唾棄すべき人物として糾弾される。殺人の被害者は、その非業の死を悼まれる。ところが、戦争ではそうではない。相手国の戦死は「戦果」となり、「戦果」を挙げた自国の殺人者は殊勲者となる。こんな人倫に反する戦争をしてはならない。軍隊を肥大化させてはならない。
顔も無く名も無くきょうの数となるコロナ禍の死者ウクライナの死者
(所沢市)風谷螢
コロナ禍の死者については措く。「ウクライナの死者」についての無意味さと、それ故の哀惜の情が伝わってくる。戦争では、兵士も民間人も「顔も無く名も無」いままに死者となる。その多様であつた生は切り捨てられ、与えられた無機質な死が数として数えられるのみ。戦争の大義も兵や市民の勇敢も語られず、敵と味方の区別さえない「数となった死」のむなしさ。こんな悲劇をもたらす戦争をしてはならない。軍隊を肥大化させてはならない。
馬場あき子選の歌5首は以下のとおり。
はなっから話し合う気は無いみたいプーチンの卓あのディスタンス
(岡山市)曽根ゆうこ
追放の大使館員ら発ちて行く一人一人に罪は無けれど
(一宮市)園部洋子
ハエ一匹通さぬやうに封鎖せよと地下には母子あまた集ふを
(小松市)沢野唯志
ロシアとの漁業協定成りし夕銀鮭ふた切れこんがり焼ける
(久慈市)三船武子
朝日歌壇に反戦詠みし女性たち皆「子」が付く名戦争を知る子
(春日部市)酒井紀久子
佐々木幸綱選3首。
「高齢者、地方在住、低所得」プーチン支持層嗤えぬ私
(中津市)瀬口美子
軍隊は軍隊をしか守らない交戦国のどちら側でも
(東京都)十亀弘史
荒廃の街に天指す教会の十字架かなし戦車横切る
(春日井市)吉田恵津子
高野公彦選4首。
ゼレンスキー大統領がネクタイを締める日の来よ 良きことのあれ
(鳥取県)表いさお
地下鉄のエスカレーターくだりつつ深さ確かむシェルターとして
(名古屋市)植田和子
青と黄に塗り替えられた琴電が讃岐平野の麦畑行く
(高松市)伊藤実優
パーキンソンに悩むプーチンか振顫をかくさむとして机をつかむ
(西之表市)島田紘一
なるほど、歌には言霊が宿っている。人の心に訴える力をもっている。
(2022年5月29日)
注目の毎日新聞「新疆公安ファイル」報道。連載好調である。流出されたファイルの紹介だけでなく充実した関連取材にも期待したい。
連日の報道に目を離せないが、私が最も興味深く読んだのは、「習氏の命令に忠実」「『全面的な安定』実現に発破」と表題された以下の記事。抜粋して、引用する。
「(敵対勢力やテロ分子には)断固として対応し、壊滅的な打撃を与えよ。情け容赦は無用だ」
2017年5月28日。ラマダンの3日目だった。新疆ウイグル自治区トップの陳全国党書記(当時)は、自治区の「安定維持司令部」の会議でイスラム教徒の信仰心が高まるラマダン中の国内外の動静に警戒を求めた。
習近平指導部はテロ対策の名目で、ウイグル族らへの抑圧を強めてきた。特に14年に区都ウルムチの鉄道駅で発生した爆発事件を切っ掛けに、強力な抑え込みにかじを切り、新疆を中心に暴力テロ活動を取り締まり、特別行動を始めた。
「捕らえるべきものを全て捕らえるのだ」。演説で陳氏は当局が疑わしいと見る全員を拘束するよう要求。特に外国からの帰国者は手錠や覆面などをかけて「片っ端から捕らえるのだ」と指示している。
国営新華社通信によると、共産党は同年末、党委書記を陳氏から元広東省長徴の馬興瑞氏に交代させた。馬氏が陳氏の路線を引き継ぐかは不明だ。ただ、陳氏は18年の演説でこう話している。「(分裂勢力は締め付けがしばらくすれば弛むと考えているが)『?梁の夢』(はかない夢)だ。5年で基本的な安定を達成したとしても、次の5年も厳しい取り締まりを続ける」。そして演説をこう締めくくっていた。「(習)総書記を安心させろ」
この最後の「総書記を安心させろ」という言葉が、私の心の中に異物として突き刺さるのだ。どうして、「人民の安全のために」ではなく、「総書記を安心させろ」なのだろうか。どうして、こんな言葉で人が動くのだろうか。そして、この言葉はどこかで聞いたことがある、暗い記憶を呼び起こす。
この記事、戦前の内務大臣の暴支膺懲訓示に大差ない。「敵対勢力」や「テロ分子」は、「不逞鮮人」「支那人」そして「非国民」に置き換えて読むことができる。むろん、「総書記を安心させろ」は、もったいぶった「陛下の大御心を安んじ奉れ」ということになる。
近代以後の日本の権威主義は、天皇の権威を源泉とする。天皇の権威は、天皇を頂点とするヒエラルヒーを下位に向かって順次降下する。上位は天皇の権威を背負うことで下位に絶対の服従を求めた。かくして、この社会には小さな権力を振るう小天皇が乱立した。だからこそ、「上官の命令は天皇の命令と心得よ」が成立し得たのだ。
だから、為政者にとっての天皇の権威というものは、この上なく使い勝手のよい便利な統治の道具なのだ。この権威主義は、自立した個人が権力を形成し監視する民主主義とは相容れない。日本の民主主義の成熟は、我が国にはびこる「天皇制=権威主義」の残滓を払拭せずにはあり得ない。
今、中国は天皇制の代わりに共産党を、天皇に換えて習近平を据えたという感を否めない。ウイグルトップの陳全国は、習近平の権威を笠に着て、その部下に「習総書記を安心させろ」と言ったのだ。かつて、天皇制権力が臣民の徹底統治に成功したように、習近平中国も14億人民を、その権威をもって統治しようとしている如くである。社会主義とはまったく無縁で、野蛮な権威主義統治体制というほかはない。
(2022年5月28日)
一昨日(5月26日)発売の「週刊文春」の広告に、「『うちに来て』 細田衆院議長の嘘を暴く 『セクハラ記録』」なる記事。
続けて、▶女性記者たちの告発「2人きりで会いたい」「愛してる」▶党女性職員が周囲に嘆いた「お尻を触られた」▶最も狙われた女性記者が漏らした「文春はほぼ正しい」▶カードゲーム仲間人妻の告白「抱きしめたいと言われ…」と、衆議院議長を務める78歳氏に関わる報道としては穏やかではない。
文春オンラインによれば、「『全く事実と違います』。先週号の“セクハラ報道”に対し、議運の場でそう述べた細田博之議長。だが、小誌に届いたのは、三権の長に対する女性記者たちからの相次ぐ告発だった。そして、細田氏の発言を覆す物証が―。」
さて、注目の細田博之衆院議長、準備よろしく週刊文春発売当日の26日午前中に、抗議文を発表した。「セクハラ」報道を改めて否定し「すでに事実無根として強く抗議したところだが、同趣旨の記事が掲載されていることに強く抗議する」というもの。それだけでなく、「通常国会の閉会後、弁護士と協議し、訴訟も視野に検討する」という。「提訴するぞ」ではなく、「訴訟も視野に検討する」という、いささか腰の引けた表現だが、訴訟の検討を口にした。
細田に真実提訴の意向があるか否かは判断しがたい。取りあえずは、「事実無根」のポーズを取りつつ、逃げの時間を稼ぐための「訴訟も検討」は、この種事案での常套手段なのだから。
とは言え、細田が事実無根報道の被害者であることを否定はできず、提訴発言はブラフだと決めつけることもできない。
仮に、細田が文藝春秋社を被告とする名誉毀損損害賠償請求訴訟を提起したとすれば、最も単純で基本的な構造の名誉毀損訴訟になる。その訴訟は、以下のように進行する。
まずは、原告(細田)が週刊文春記事のうちの名誉毀損記述を特定する。この典型的な事実摘示型の名誉毀損記述が、原告(細田)の社会的評価を低下させるものであることは自明と言ってよい。つまりは、疑いなく名誉毀損言論に当たるのだ。
次に、被告(文春)において、違法性阻却要件を主張することになる。よく知られたとおり、公共性・公益性・真実性である。政治家の不行跡報道が、公共性・公益性に欠けることはあり得ない。残る問題は「真実性」立証の成否のみとなる。「女性記者たちの各告発事実が真実であるか」をめぐる証拠調べが審理の焦点となる。
なお、「真実性」は「相当性」(文春側で各名誉毀損事実を真実と信じたことについての相当な事情)でもよい。そのばあいは、損害賠償請求の要件である、故意または過失がないとして、不法行為は成立せず、原告の請求は棄却される。
問題はそれに終わらない。この細田の対文春提訴はそれ自体が、不当なスラップとして違法となり得る。その理由は以下のとおりである。
民事訴訟とは、正当な自分の権利や利益を救済するための制度である。ところが、そのような民事訴訟法本来の趣旨からは明らかに逸脱した提訴がある。被告に応訴の負担をかけることで言論を妨害しようとするものが典型で、このような場合は、提訴自体が違法行為となり、提訴者において損害賠償の責めを負わねばならない。
? どのような場合に、提訴が違法になるか。1988(昭和63)年1月26日?最高裁判所第三小法廷判決は、このように定式化している。
「訴えの提起は、提訴者が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、同人がそのことを知りながら又は通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に限り、相手方に対する違法な行為となる」
これを本件に当て嵌めてみれば、次のとおりである。
「細田博之の文春に対する訴えの提起は、
(A)提訴者である細田が当該訴訟において主張した権利又は法律関係が事実的、法律的根拠を欠くものである上、
(B1)細田がそのことを知りながら、又は
(B2)通常人であれば容易にそのことを知り得たのにあえて提起したなど、
裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合は、文春に対する違法な行為となる。」
この(A+B(1or2))の充足が、スラップ違法の方程式。本件では、客観的要件である(A)も、 主観的要件である (B1)も、事前に細田にはよく分かっていること。
結局のところ、「2人きりで会いたい」「愛してる」「お尻を触られた」「文春はほぼ正しい」「抱きしめたいと言われ…」云々の記事が真実であれば、原告細田の名誉毀損損害賠償請求訴訟が敗訴となるだけでなく、その提訴自体が違法となって反対に損害賠償債務を負担することになる。
ちょうど、DHC・吉田嘉明が私を名誉毀損で訴えて6000万円を請求してゼロ敗しただけでなく、その提訴が違法なスラップとして165万円の損害賠償を命じられたように、である。
(2022年5月27日)
一昨日(5月25日)、名古屋地裁での「『あいトレ』未払い費用請求訴訟」の判決言い渡し。その報道の見出しを、産経は「昭和天皇の肖像燃やすシーン『憎悪や侮辱の表明ではない』 名古屋地裁」とした。『昭和天皇の肖像燃やす』にこだわり続けているのだ。
わが国における「表現の自由」の現状を雄弁に物語ったのが「あいちトリエンナーレ2019」事件である。公権力と右翼暴力とのコラボが、「表現の自由」を極端なまでに抑圧している構造を曝け出した。そして、その基底には、「表現の自由」の抑圧に加担する権威主義の蔓延がある。この社会は権威を批判する表現に非寛容なのだ。
日本の「世界報道自由度ランキング」は71位だという。いわゆる先進国陣営ではダントツの最下位。もちろん、台湾(38位)・韓国(43位)にははるかに及ばない。69位ケニア、70位ハイチ、72位キルギス、73位セネガル、76位ネパールなどに挟まれた位置。あいトレ問題の経緯を見ていると、71位はさもありなんと納得せざるを得ない。
報道にしても、芸術にしても、その自由とは権力や権威の嫌う内容のものを発表できることにある。今回の「昭和天皇の肖像燃やすシーン」こそは芸術の多様性を象徴する表現行為である。これは、特定の人々の人権侵害や差別の表現行為ではない。社会の権威に挑戦するこのような表現こそが自由でなければならない。
ポピュリズム政治家と右翼政治勢力にとっては、「とんでもない」表現なのだろうが、表現の自由とは「とんでもない」表現への権力的介入を許さないということなのだ。
河村たかし名古屋市長は、「市民らに嫌悪を催させ、違法性が明らかな作品の展示を公金で援助することは許されない」と主張したが、判決は「芸術は鑑賞者に不快感や嫌悪を生じさせるのもやむを得ない」と判断。作品の違法性を否定して市の主張を退けた(朝日)、と報じられている。
この判決については、毎日新聞の報道が詳細で行き届いている。
「愛知県で2019年に開催された国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」を巡り、同県の大村秀章知事が会長を務める実行委員会が、名古屋市に未払いの負担金支払いを求めた訴訟の判決が25日、名古屋地裁であり、岩井直幸裁判長は請求通り約3380万円の支払いを命じた。
同芸術祭の企画展「表現の不自由展・その後」で、昭和天皇の肖像を燃やすシーンがある映像作品や従軍慰安婦を象徴する少女像を展示したことを、名古屋市の河村たかし市長が、「政治的中立性を著しく害する作品を含む内容・詳細が全く(市側に)告知されていなかった」などと問題視。一部負担金の不払いを決めたため、実行委員会が支払いを求めて20年5月に提訴していた。
判決で岩井裁判長は、作品の政治的中立性について、「芸術活動は多様な解釈が可能で、時には斬新な手法を用いる。違法であると軽々しく断定できない」と指摘。映像作品については、「天皇に対する憎悪や侮辱の念を表明することのみを目的とした作品とは言いがたい」とし、少女像も含めて、「作品内容に鑑みれば、ハラスメントとも言うべき作品であるとか、違法なものであるとかまで断定できない」と判断した。
訴訟では、河村市長自身が証人として出廷。「政治的に偏った作品の展示が公共事業として適正なのか。問題は公金の使い道であり、表現の自由ではない」などと意見陳述していた。」
判決後、河村市長は「とんでもない判決で司法への信頼が著しく揺らいだ。控訴しないことはあり得ない」と言っているそうだ。この人の辞書には、反省の2文字がないのだ。
河村のホンネとして、「天皇バッシングは怪しからん」と騒げば票につながるだろうとの思惑が透けて見える。この河村の姿勢は、果たして名古屋市民を舐め切っているのだろうか。それとも彼の読みは当たっているのだろうか。
いずれにせよ、河村の判断ミスによって、払わずに済むはずの遅延損害金や応訴費用が、名古屋市民の負担となっている。控訴すれば、更に無駄な出費は加算されることになる。潔く一審判決に従うべきが名古屋市民の利益であり、民主主義の利益にもなる。