(2022年5月26日)
昨日の毎日新聞朝刊のトップに、「逃げる者は射殺せよ」というおどろおどろしい横見出し。そして、主見出しは「ウイグル公安文書流出」。これは、衝撃的な記事だ。野蛮な中国共産党専制支配によるウイグルでの赤裸々な人権弾圧の実態。全世界の人々が、この記事を読むべきであり、権力と人権との緊張関係についての教訓を汲み取らねばならない。
そして「内政干渉だ」「フェイクだ」「反中勢力の謀略だ」などという弁明を容れることなく、「人権擁護は人類共通の課題だ」との姿勢を貫いて中国批判の声を上げ続けなければならない。
https://mainichi.jp/xinjiangpolicefiles/
この記事のリードは以下のとおり、中国のウイグル族「再教育施設」内部資料が流出したというもの。その流出資料の量と内容が半端なものではない。そして、内容の信憑性は限りなく高い。このリードはけっして誇張ではなく、この記事の全体を真実と前提しての議論に憚るところはない。
「中国新疆ウイグル自治区で少数民族のウイグル族らが「再教育施設」などに多数収容されている問題で、中国共産党幹部の発言記録や、収容施設の内部写真、2万人分以上の収容者リストなど、数万件の内部資料が流出した。「(当局に)挑む者がいればまず射殺せよ」などと指示する2018年当時の幹部の発言や資料からは、イスラム教を信仰するウイグル族らを広く脅威とみなし、習近平総書記(国家主席)の下、徹底して国家の安定維持を図る共産党の姿が浮かぶ。」
毎日の記事では、まずこの資料の信憑性が語られている。
「今回の資料は、過去にも流出資料の検証をしている在米ドイツ人研究者、エイドリアン・ゼンツ博士が入手した。毎日新聞を含む世界の14のメディアがゼンツ氏から「新疆公安ファイル」として事前に入手し、内容を検証。取材も合わせ、同時公開することになった。」
世界の14のメディアとは、以下のとおり、信頼に足りる世界のビッグネームである。およそ、フェイクとも、偏向とも無縁と言ってよい。
BBC News(英)▽ICIJ(国際調査報道ジャーナリスト連合)▽USA TODAY(米)▽Finnish Broadcasting Company YLE(フィンランド)▽DER SPIEGEL(独)▽Le Monde(仏)▽EL PAIS(スペイン)▽Politiken(デンマーク)▽Bayerischer Rundfunk/ARD(独)▽NHK WORLD-JAPAN(日本)▽Dagens Nyheter(スウェーデン)▽Aftenposten(ノルウェー)▽L’Espresso(イタリア)▽毎日新聞
「14のメディアは、収容者リストに載っている人の家族への取材や流出写真の撮影情報の確認、衛星写真との比較、専門家への鑑定依頼などを行った。毎日新聞は検証で確認された情報の信ぴょう性と社会的意義から報道する価値があると判断した」「流出文書を検証した14のメディアは、事前に内容について共同で中国外務省にコメントを求めたが、直接回答はなかった」
本文の内容は厖大で、とうてい全体を紹介しきれない。そのごく一部を引用する。
「流出した内部文書は、ウイグル族など少数民族の収容政策を厳しく推進した新疆ウイグル自治区トップの陳全国・中国共産党委員会書記(当時)ら発言記録や、収容施設の管理マニュアル、不審人物がいないか調べた報告書など多岐にわたる。」
幹部の発言記録は、公安部門トップの趙克志・国務委員兼公安相や自治区トップの陳全国・党委書記(当時)らが会議で行った演説。
収容政策で重要な役割を果たした陳氏は17年5月28日の演説で、国内外の「敵対勢力」や「テロ分子」に警戒するよう求め、海外からの帰国者は片っ端から拘束しろと指示していた。「数歩でも逃げれば射殺せよ」とも命じた。
また、18年6月18日の演説では、逃走など収容施設での不測の事態を「絶対に」防げと指示し、少しでも不審な動きをすれば「発砲しろ」と命令。習氏を引用する形で「わずかな領土でも中国から分裂させることは絶対に許さない」と述べ、「習総書記を核心とする党中央を安心させよ」と発破を掛けていた。
内部の写真が流出したのは、自治区西部イリ・カザフ自治州テケス県の「テケス看守所(拘置所)」とされる収容施設。手錠や足かせ、覆面をつけられ連れ出された収容者が、「虎の椅子」と呼ばれる身動きができなくなる椅子で尋問を受けている。また、銃を持つ武装警察らが制圧訓練をしているとみられる写真や、収容者が注射のようなものを受けている写真もある。
これらは、中国当局が過激思想を取り除くためなどとして運用した「再教育施設」の元収容者が証言した内容とも一致した。
収容者のリストには、身分証番号や収容の理由、施設名などが記されている。主に自治区南部カシュガル地区シュフ県在住のウイグル族など少数民族のもので、ゼンツ氏は、数千人分を含む452枚のリストを検証。17〜18年の時点で、シュフ県の少数民族の成人のうち12・1%(2万2376人)以上が「再教育施設」、刑務所、拘置所に何らかの形で収容されていると推計した。別に警察署などで撮影された収容者約2800人の顔写真も流出した。驚くべきは、「新疆南部では過激な宗教思想の浸透が深刻なグループが200万人以上いる」といった趙克志・国務委員兼公安相の発言。 これまで、「再教育施設」の規模は「100万人を超える」と言われてきたが、この推測に根拠を与えるものとなった。
2017年5月28日、陳全国(新疆ウイグル自治区トップ)党委書記の「安定維持司令部」会議での演説の中で、下記のとおり発言しているという。
「苦難を恐れず、疲労を恐れず、犠牲を恐れぬ精神でそれぞれの責任を果たせ。特に神経をとがらせているのは海外からの帰国者の動向だ。片っ端から捕らえ、手錠や覆面をつけ、必要なら足かせもしろ」と指示。「逃げるものは射殺しろ」とまで言い切っている。
ウィグル人権弾圧問題をめぐっては、国連のバチェレ人権高等弁務官(元チリ大統領)が今月23日から6日間の日程で中国を訪問中である。この国連の代表に対して、習近平は、「教師面して偉そうに説教するな」と述べたという。本日の東京新聞が「ウイグル訪問中の国連人権高等弁務官にクギ刺す」と報道している。
「中国の習近平国家主席は25日、新疆ウイグル自治区の視察のため訪中しているバチェレ国連人権高等弁務官とオンライン会談した。習氏は「人権を口実に内政干渉するべきではない」と訴え、中国が少数民族ウイグル族の人権を弾圧しているとして批判を強める欧米をけん制した。
中国外務省によると、習氏は「国ごとに異なる歴史文化や社会制度を尊重するべきだ」と主張した上で、「教師面して偉そうに他国を説教するべきでなく、人権問題を政治化してはならない」と国際社会の非難に反論した」
世界の良識を代表する国連人権高等弁務官に対しての「教師面して偉そうに説教するな」である。恐るべき野蛮、唾棄すべき夜郎自大。今、世界はプーチン・ロシアを非難の的としているが、習近平・中国も、兄たり難く弟たり難し、と言わねばならない。
(2022年5月25日)
バイデンが駆け足で韓・日と訪問し、一昨日(5月23日)帰米した。日本に残していったのが防衛費増額の宿題。同日の両首脳共同会見で、岸田は「日本の防衛費の増額を確保する決意」を表明してこの宿題を抱え込んだ。
「聞き耳」自慢の岸田ではなかったか。まずは国民の声を聞き、国民に提案して、国民から政府方針転換と負担増の了承を得るべきが当然だろう。それを他国の首脳に「決意表明する」など、完全に順序が間違っている。この人の耳は、アメリカの腹の中や、右翼のつぶやきを聞き取るようにできているのだ。
「わたしからは、日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する決意を表明し、バイデン大統領からは、これに対する強い支持をいただいた」って? 主権を持つ国の首脳としては、なんとも情けなく、みっともない記者会見での発言。
ところが、右翼陣営や自民党・維新からは、批判の声は聞かれない。むしろ、歓迎して「防衛費の相当な増額」とは倍増だという威勢のよい声が上がっている。
2月24日のウクライナショックは、大きかった。一時は、「ウクライナよ正義のために果敢に闘え」「ウクライナに軍事的・非軍事的支援を」という声一色となった。「不正な侵略には戦わざるを得ない」「それ見たことか、非軍事での防衛など絵空事だ」「独立国家に自衛力は不可欠だ」「強国との強力な軍事同盟あっての平和ではないか」と護憲派が矢面に立たされた。これに乗じて、「敵基地攻撃能力」(反撃能力)だの、攻撃対象を拡大せよだのという火事場泥棒的防衛力増強論が大手を振る事態。
3か月経って、世論は少し落ち着きを取り戻しつつある。が、この岸田の「防衛費の相当な増額」決意に、野党もきちんと批判し得ていない。これで、大丈夫だろうか。
既に事実上の与党となっている国民民主は「防衛費の相当な増額」に事実上容認の立場。自民よりも右のポーズをとることで世論の受けを狙っているポピュリスト維新は、今や改憲・軍拡路線の尖兵。「積極防衛能力」の整備を唱い、具体策として防衛費の国内総生産(GDP)比2%への増額を主張している。
問題は、立憲民主党である。これまでの経緯からは当然に「防衛費増額に反対」と声を上げるのかと思ったら、どうもそうではない。泉健太党首は、24日、「『昨今の安保環境で言えば(防衛費は)増えることになる』と首相の方針に理解を示し、『参院選の争点にならない』との見解まで示した」「立憲民主党は必要な防衛費は整備すべきだと考えている」と強調。「防衛費がその結果として前年を上回ることは十分あり得る」とし、防衛費増額は「必要だ」とも明言した、と報じられている。
どうなっちゃんだ、立憲民主党。ウクライナショックの深い傷が未だ癒えていないごとくである。
元来が、平和主義(パシフィズム)という言葉には軟弱な印象がつきまとう。とりわけ今は、プーチン・ロシアの非道が際だって、「不正な侵略には、断固戦うべし」という論調が優勢である。この論調に後押しされる形での防衛費増強論が大手を振っている。「我が国だって、凶悪な隣国から、いつ不正な侵略を受けないとも限らない。これに備えた軍備増強なければ、枕を高くして眠れないではないか」。立憲民主党も、威勢のよいこの論調に抗しがたいと考えているのだろうか。
平和主義者は、今こそ敢然と非戦論を掲げなければならない。軍事的な抑止力論や、軍事的均衡による平和論が、際限のない軍拡競争の負のスパイラルに陥るという歴史的教訓の到達点が「9条」に結実している。「9条の精神」は、「軍備で平和は生まれない」「軍拡は戦争を招く」ことを教えている。
軍備増強・防衛費増額論には、「断固NO!」の世論を形成したいものと思う。
(2022年5月24日)
これまで軍事的中立を国是としてきたフィンランドとスウェーデンが、相次いで NATO 加盟申請に踏み切った。ロシアのウクライナ侵略を脅威と感じた世論が大きく動いた結果だが、残念でならない。
とりわけスウェーデンは、200年も続けてきた軍事同盟非加盟の外交方針を転換することになる。もっと熟慮あってしかるべきとも思うが、如何ともしがたい。
とは言え、国内がNATO加盟支持一色ということではないという。3月の世論調査では加盟支持が51%と初めて過半数に達してはいるが、市民の間には中立政策を捨てることへの懸念が広がっているとも報じられている。
NATO加盟をめぐる議会審議では、「左翼党」と「緑の党」が明確な反対意見を表明した。スウェーデン政府は、5月13日に安全保障政策の見直しに関する報告書「安全保障環境の悪化?スウェーデンへの影響」を発表したが、これには「左翼党」と「緑の党」の見解が収録されている。赤旗が、これを掲載しているので、その一部を抜粋して転載する。なお、議会の全349議席中、左翼党は27議席、緑の党は16議席を占めているという。
「安全保障状況を悪化させる」 左翼党
「スウェーデンの軍事同盟不参加は、スウェーデンが何世代も平和に暮らすことを保障するのに役立ってきた。我々が支持できない戦争や紛争に関与してきた国家グループと永続的な軍事同盟を構築することは、リスクを増大させる。各同盟への加盟は我々の安全保障状況を著しく悪化させるだろう。NATOの戦争や紛争にスウェーデンを関与させることになる。
NATOに加盟申請をすれば、我が国の安全保障政策の大部分を米国に委ねることになる。米国はNATOの行動に拒否権を持っており、NATO内で他国を自国の利益に沿って行動させることができる。
NATOはアフガニスタン・イラク・リビアという大失敗した三つの戦争を遂行した。それは欧州連合(EU)の難民危機に繋がり、ISの出現に繋がった。
NATO加盟は、NATOの各ドクトリンを信奉することを意味する。ロシア?NATO間の緊張関係は、核兵器の抑止効果に対する信仰を増大させることになる。
大国や軍事同盟が、核抑止をその安全保障政策の基礎としている限り人類は全面的破壊破滅の脅威にさらされたままである。」
このような明確な軍事同盟拒否・中立政策擁護の野党勢力が健在であることが頼もしい。「ロシアの野蛮な侵略的姿勢を見よ、あのような国と外交することも、あれに譲歩を迫る交渉をすることも、非現実的な選択肢ではないか」 というのが当世の風潮。要するに果敢に闘うしかないという圧倒的な世論の中での、落ちついた意見にホッとする。我が国でもこうありたい。
「仲裁者の役割疑問視される」 緑の党
「緑の党はスウェーデンが核兵器のない世界を目指して取り組む上で推進力となる。我々は、それがNATOに加盟しないことで最もよく行われると考える。NATO に加盟することは、核兵器を脅迫として使用することにスウェーデンが同意することを意味する。
NATO加盟は、民主主義や人権などの基本的価値を推進するスウェーデンの外交能力に影響を与えかねない。
スウェーデンの仲裁者としての役割は、一定の文脈で疑問視されることになるだろう。」
一つは、核兵器廃絶の立場から、NATO 加盟は核兵器を脅迫として使用することへの加担だとしての反対論。そしてもう一つが、これまでスウェーデンが果たしてきた国際紛争解決の仲介者としての役割への否定的影響に言及しての反対理由。これは、我が国の外交のあり方について、示唆に富む見解ではないか。
1952年日本が独立したときの全面講和論を採用していたら…、あるいはその後に日米安保条約を廃棄していたらてん、さらには憲法9条を遵守していたら…。日本こそが、世界の各国からの信頼を得て、国際紛争の仲裁者としての権威を確立し得ていたのではないだろうか、などと夢想してみるのだが。
(2022年5月23日)
琉球新報の昨日(5月22日)付社説が、波紋を呼んでいる。遠慮なくいえば、評判がよくない。右からも左からも叩かれている。
https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-1521022.html
私は、よくぞ問題提起をしてくれたと思う。しかし、全面的に賛成とは言いにくい。さりとて、反論する気持にもなれない。自分のことながら、煮え切らないのだ。ただ、この社説を叩く側にまわりたくないとは思う。
社説の表題は、「マリウポリ『制圧』 今こそ停戦交渉の好機だ」というもの。今なら、双方が和解交渉のテーブルに着ける。今を逃せば、戦闘は長引き、痛ましい犠牲が際限なく重なることになる。今こそ、国際社会は両国に停戦をうながすべきだ、という。何よりも人命尊重という立場からの、説得力をもつ提言だと思う。
この社説は、主としてロシア側の事情を述べる。「ロシア軍はウクライナ南東部のマリウポリを完全制圧した。…今ならロシアは戦果を強調できる」「製鉄所で抵抗したアゾフ連隊はロシアが「ネオナチ集団」と呼ぶ部隊。その拠点を制圧したことで国内に戦果をアピールできる」というだけでなく、「ロシア兵の戦死者は約1万5千人に上り、部隊は疲弊しているという。西側諸国の経済制裁でロシア国民の生活も苦しいとみられる」ともいう。タテマエもホンネも、ここがプーチン政権にとっての拳の下ろしどころだというのだ。
一方、「ウクライナ側も激しい反撃で『負けていない』とアピールできる」「マリウポリは制圧されたが、黒海に面し穀物の主要積み出し港があるオデッサは制圧されておらず経済的な致命傷には至っていないもよう」「しかし、民間人の死者は数万人に上り壊滅状態の街も多いという」。ウクライナにとっても、戦争の継続はとてつもなく苦しい。お互いに「まだ負けていない」と言える状況にある今だからこそ、停戦へのテーブルに着くリアリティがある。「残された課題についての交渉やロシアの戦争犯罪への追及は停戦した上で、時間をかけて話し合い、解決を模索すればよい」というのがこの社説の説くところ。
最後は、こう結ばれている。「ウクライナ侵攻は住民の4人に1人が亡くなった沖縄戦と重なる面が多い。『命どぅ宝』の観点からも一日も早い停戦こそが最善の道だ」
「正義」を第一義と考える立場からは、「マリウポリをロシアに譲っての停戦は、侵略によって獲得した利益の享受を認めることになり、とうてい容認できない」ことになろう。「少なくとも、2月24日開戦以前の原状に復すことがなければ、侵略という不正義に成功を許すこととなる。この不正義を認めてはならない」という立論。これが、間違った見解であるはずはない。
しかし、「命どぅ宝」を第一義とすれば、琉球新報社説のごとき別の意見となる。「市民であれ兵士であれ、またウクライナ・ロシアの国籍を問わず、人の命は、全てかけがえのないものではないか」「停戦の条件があれば、まずは停戦を第一選択とし、その余のことは停戦後に、粘り強く交渉で解決すべきではないか」。この見解も、非難さるべきところはない。
「正義」を重んじて不正義の停戦を拒絶する立場には、「停戦を先延ばしにしての国民の犠牲を厭わないのか」「この世に、生命以上に大切がものがあるのか」「領土や国境にいかほどの意味があるのか」「大きな譲歩には屈辱が伴うだろうが、プライドより命がずっと大切だろう」「祖国や民族のために死ねと言うのか」などという反論が予想される。
それには再反論があり得る。「いや、停戦を拒否して戦うのは、大切な自分と身近な人の命を守るためなのだ」「一人では戦えない。自分の命を守るためには強大な軍事力を作って、自分もその任務の一部を担って戦うしかないのだ」と。もちろん、「命どぅ宝」派がそれで納得はしない。「結局、為政者が国民を戦争に動員する理屈と同じではないか」
ゼレンスキー大統領は、ウクライナからの成人男性の出国を認めることを求める請願書について、「この請願書は誰に向けたものなのか。地元を守るために命を落とした息子を持つ親たちに、この請願書を示せるのか。署名者の多くは、生まれ故郷を守ろうとしていない」と不快感を示したと報道されている。この姿勢に、右派は喝采するだろうが、リベラルは鼻白む。「靖国の英霊」を利用して、戦争を拡大した皇軍と同じ論法なのだから。
結局、戦争が始まってしまえば、停戦は難しい。個人が戦争から逃げることも難しい。容易に抜け出す出口は見えて来ない。教訓は、絶対に戦争は避けなければならないということ。そのための努力を惜しまず、知恵も働かせたい。
(2022年5月22日)
「白山通りを神保町越えて、学士会館までお願いします」
「学士会館までね。…お客さん、日曜日にお仕事ですか」
「いや、そうじゃない。これから、第五福竜丸展示館の運営についての会合があるんですよ」
「第五福竜丸ってなんですか」
「江東区の夢の島に、都立の第五福竜丸展示館があるでしょう」
「いや、知りません」
「南太平洋のビキニ環礁で、アメリカが水爆実験をして、大量の死の灰を降らせた。そのとき、マグロ船『第五福竜丸』の乗組員23人の全員が、死の灰を浴びて急性放射線障害となり、久保山愛吉という方が亡くなった」
「ちょっと、聞いたことがあるような気がします」
「水爆実験は1954年3月1日のこと。ふざけた話しだが、アメリカはこの水爆を『ブラボー』と名付けた。その威力は、広島の原爆のちょうど1000倍というもの。世界にばらまいた放射能も、半端じゃない」
「私なんかが生まれる前の話だね」
「第五福竜丸が焼津に帰港してから、日本中が大騒ぎになった。大量の『原爆マグロ』が廃棄され、日本中が『放射能の雨』に怯えた」
「船はどうなったんですか」
「マグロ船としては再び使われることはなく、文部省が買い上げて水産大学の練習船となった。名も『はやぶさ丸』と変えた」
「それがどうして夢の島に?」
「木造船の寿命は短い。廃船になって、ゴミとして夢の島に捨てられた」
「そのゴミが展示館にはいったんですか」
「そう。この船は核の危険を語る貴重な生き証人。ゴミのまま、朽ちさせてはならない。そういう船体保存の市民運動が起き、美濃部都政がこれに応えた」
「その船を展示して、たくさんの人が見に来るんですか」
「たくさんの人が見に来るだけではない。この船は、原水爆禁止運動のシンボルとなっている。展示し保存するだけでなく、多くの人に原水爆を止めさせよう、世界を平和にしょうと訴え続けている」
「なるほどね。お客さん、学士会館に着きましたよ」
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本日、学士会館で、公益財団法人第五福竜丸平和協会の評議員会。昨年度の事業報告と決算を承認し、今年度の事業計画を了承した。
専務理事からの報告では、ようやくコロナ禍の影響から脱出の萌しが見え、来館者数が昨年よりは大幅に増えつつあるが、コロナ禍以前の水準にはまだほど遠い。
出席評議員から、「ウクライナ戦争以来、核が威嚇の手段となり、我が国でも核共有の議論が持ち上がる事態。第五福竜丸が訴えるものは大きくなっている」「第五福竜丸は、東京周辺の人には知られていても、関東以遠の人には存在感が薄いのではないか」「それを補うためのオンライン展示のさらなる活用を」「今や、小学生にもオンライン授業の環境が調っている時代」「パネル展示貸し出しについての宣伝の強化を」などの意見が出された。
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皆様。江東区夢の島にある、
東京都立第五福竜丸展示館にご来館ください。
存在感ある、木造船第五福竜丸がお迎えします。
これが、被爆の歴史の生き証人です。
ボランテイアの解説員がご説明いたします。
船を囲む壁面の解説パネルは、年に2回は模様替えしています。
貴重な映像も観ることができます。
解説書籍類も充実しています。
(なお、入館料は無料です。)
学校やサークル単位での見学をご計画ください。
東京方面への修学旅行には、ぜひ見学先に組み入れてください。
展示パネル(セット)を貸し出します。全国でご活用ください。
パネルセットは、12枚組、20枚組、50枚組などあります。
まずは、下記の公益財団法人第五福竜丸平和協会のホームページをご覧ください。ご相談先も明示してあります。
どうぞ、よろしくお願いします。
http://d5f.org/
(2022年5月21日)
山口県阿武町の4830万円「誤送金」事件。容疑者は誤入金があった4月8日から19日までに、34回にわたって当該口座から計約4633万円を出金。振込先は決済代行会社3社で、このうち27回の計約3592万円が1社に集中。4月12日には300万円と400万円が別の会社にそれぞれ送金された。…県警によると、容疑者は「オンラインカジノに使った」と供述している、と報道されている。
「オンラインカジノ」とは、インターネットを通じての賭博である。「自宅に居ながらにして、簡単にギャンブルを楽しむことができます。お金を儲けることもできます」「パソコンとインターネット環境さえあれば、海外のカジノサイトで直接プレイをすることが可能です」「もちろんお金を賭けて勝負をしますし、勝てば配当も獲得できます」という甘い誘引が、インターネットに並んでいる。こんなもの、野放しにしてよいはずはない。
あらためて、賭博の害悪、賭博の反社会性を深刻なものと受けとめざるを得ない。公営の博打場を作ろうなどという自民や維新の「犯罪性」を追及しなければならない。IRを作らせはならない。そして、オンラインカジノを取り締まらねばならない。
安倍晋三の守護神と言われた黒川弘務東京高検検事長。番記者との賭マージャン報道を切っ掛けに賭博罪で告発され、略式起訴されて有罪(罰金20万円)となった。検察組織ナンバー2で検事総長に最も近いとされた人物も、可罰的違法性がないなどと無罪を争わなかった。賭博罪の犯罪性・可罰性は明白である。
刑法185条が、「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」とし、同186条1項が「常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する」と定める。法定刑はさして高くはないが、賭博は正真正銘の犯罪なのだ
賭博罪の構成要件行為は「賭博をする」ことである。賭博とは、改正前の刑法の条文では、「偶然ノ輸贏ニ関シ財物ヲ以テ博戯又ハ賭事ヲ為シタル者ハ」とされていた。随分難しい熟語を使っているが、「輸贏」とは「負けと勝ち」のこと、「勝敗」「勝負」と言っても同じことである。「偶然で決まる勝負によって、カネやモノの遣り取りをする」ことが賭博である。相互に合意の上でのこととは言え、他人のカネを我がカネとし、他人の物を我が物とし、他人の不幸をもって我が幸せとする、人倫に反する反社会的行為といってよい。
偶然の要素は少しでもあればよいとされているので、賭博の手口はサイコロ賭博やルーレットに限られない。カネやモノを賭ければ、囲碁・将棋・麻雀、相撲も野球もゴルフもジャンケンも、全てが賭博になり得る。もちろん、「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときはこの限りでない」が。
賭博の蔓延は大きな社会的害悪である。社会的な害悪という所以は、これに参加する多くの人に射幸心を煽り、健全な労働意欲を失わしめるからである。さらには、多数市民をギャンブル依存症に陥らせ、その家族にも大きな苦しみを与える。
安倍政権は賭博という犯罪行為を大規模に奨励することでの経済振興策を思い立った。これがIRである。多くの人の不幸を不可避とする「経済振興」の愚策。批判が集中する中で、維新の大阪と、長崎のみがこの愚策に乗った。とりわけ、大阪の強引さが際立っている。
いま、国民世論がIRという賭場の犯罪性を糾弾している。これ以上の不幸の源泉をはびこらせてはならない。もし、今「夢洲」(大阪市此花区)に、IRができていたら、阿武町の容疑者はそこに町のカネを注ぎ込んだに違いない。公営賭場だから、犯罪ににはならなくても実質的な反社会性がなくなるわけではないのだ。
オンライン賭博も同様である。賭博の害悪は胴元がどこの誰であるかに関わらない。胴元が国内にあるか国外にあるのか、あるいは違法か合法かに関わりなく、賭博行為は犯罪である。
インターネットでする賭博は、国内のパソコンへの入力で完結する。その先の胴元が、国内にあろうが国外にあろうが、あるいは違法か合法かに関わりなく、賭博行為は明らかに犯罪である。オンラインカジノでの起訴件数は過去2件しかないようであるが、これを野放しにしていては、賭博罪を創設した意味がなくなる。社会的害悪の蔓延を防止し得ない。
阿武町の詐欺容疑者は、30回ものオンラインカジノへの賭博を繰り返していたようである。金額も大きい。明らかに常習賭博である。国民注視のせっかくの機会である。容疑者を常習賭博として起訴のうえ、公判を通じて「オンラインカジノ参加は刑法上の賭博行為であり、犯罪行為である」ことを明確にされるよう検察当局に期待したい。
(2022年5月20日)
ニューズウィーク日本語オンライン版に、興味深い記事が続いている。昨日の記事の表題は、「ついにロシア国営TV『わが軍は苦戦』 プロパガンダ信じた国民が受けた衝撃」というもの。原題は、「Russian People Surprised to Find Out Ukraine War Not Going Well on State TV」。ウクライナでの戦況が、「Not Going Well」であることが、「State TV」で公然と語られているというのだ。このことに、「Russian People」が「Surprised」というのだが、我々も驚かざるをえない。
戦況の悪化は銃後の社会の空気を変え、政治状況をも変えかねない。そのような事態を避けるための報道統制なのだが、もはや覆うべくもない戦況の劣勢が明らかで報道統制困難となりつつあるのだ。プーチン政権、実は見かけほど強くはない。あらゆる面での破綻が見え初めている。さして長くは持たないのではないか。
これまでは愛国心むき出しに戦果を強調してきたのが、ロシアの国営テレビだったはず。それが、遠慮なく「ロシア軍の状況は悪化する」との見通しを述べるようになっている。「大本営発表はウソだった」「王様は実は裸なのだ」というのだから、その衝撃が小さかろうはずはない。
「国営TV局『ロシア1』のトークショーでは、番組司会者のウラジミール・ソロヴィヨフが兵站への不満をぶちまけた。『我々の兵に何かを届けるのは事実上不可能では。この不満は100回も述べてきた』『ドンバス地方に何かを持ち込みたいなら、(西部)リヴィウのウクライナ税関を通す方がまだ早い』」
ソロヴィヨフはこれまでプーチン政権のプロパガンダを積極的に担ってきた人物。デイリー・メール(英)紙は「プーチンの最も有名な操り人形のひとつ」であるソロヴィヨフが軍部を「公然と批判しはじめた」と報じた。
同紙は続けてこう言っている。「ウクライナ政府転覆をねらう『特別軍事作戦』に数日間を見込んでいたところ、突入から2ヶ月以上が経つ。プーチンの太鼓持ちたちでさえ、進展のなさに言い訳が尽きたようだ。」
番組出演者らは口々に、兵士たちが「去年の装備(もはや旧式となった装備)」で戦地に送り出されていると述べ、近代化が遅れるロシア軍の状況を憂慮した。
これに対して、ある視聴者は「去年の装備をもたされ、去年の戦争に、去年の思考と信念をもった指導者によって送り出される。あなた方の華麗な失敗に祝福を。ウクライナに栄光あれ」とのコメントを残した。
戦地での局所的な問題だけでなく、ロシアには国家として長期化する戦線を支えるだけの経済力が残っていないのではないかとの指摘も国内から出はじめている。軍事評論家のコンスタンティン・シヴコフ氏はTV出演を通じ、「我々の現行の市場経済は、我々の軍の需要に耐えることができない」との分析を示した。
豪ニュースメディアの『news.com.au』はこうした一連の批判劇を動画で取り上げ、「ウラジミール・プーチンのくぐつメディアがついにプーチンに背を向けた」と報じた。「プーチンのプロパガンダ機関らが、ロシア軍の状況をおおっぴらに批判しはじめた」とし、軍部への不満が表面化していると指摘しているという。
さらに話題になっているのは、軍事アナリストのミハイル・キョーダリョノクによる発言。「ロシア1」は、プーチン大統領によるウクライナ侵攻について愛国的なトーンで報道を行っているが、キョーダリョノクは同チャンネルの番組「60ミニッツ」の中で、ロシア軍には物資も兵力も不足していることから、兵を総動員しても戦況が大きく好転することはないとの予測を語った。「我々には、(前線への投入に備える)予備隊がないのだ」と氏は述べている。
彼は防空司令官から軍事評論家に転身し、2020年には「祖国貢献勲章」を受賞した人物。「事実上、全世界が我々に反対している」と、ロシアが国際社会で孤立していることを認め、さらに、重要なのはウクライナ軍が「最後の一人になるまで戦う」意思を持っていることだとし、ロシア軍は士気の高いウクライナ軍を相手に、厳しい戦いに直面することになるだろうと述べた。
ウクライナ政府は、100万人を動員して、西側諸国から供与を受けた武器で武装させることができると述べ、ロシア軍にとっての状況は「率直に言って悪化するだろう」と指摘した。
また彼は5月の初め「ロシア1」に出演した際に、ロシア国民を総動員しても、大した戦果は挙げられないと述べ、その理由として、ロシアが保有する時代遅れの兵器では、NATOが(ウクライナに)供与した兵器には太刀打ちできないからだと指摘してもいた。
戦況の悪化が正確に国民に伝わり、しかも挽回が無理だとなれば、若者の命を無駄に捨てるなという世論が起こることになる。「ロシアの社会の空気を変え、政治状況をも変えかねない」という事態が始まりつつあることを予感させる。
(2022年5月19日)
昭和天皇(裕仁)は、皇太子時代に欧州5か国を歴訪の途上沖縄に立ち寄ってはいる。が、摂政・天皇の時代を通じて一度も沖縄訪問の機会を得なかった。戦前も戦中も、そして40年を越える長い戦後も、一度として沖縄の土を踏んでいない。おそらく、戦後の彼は沖縄県民に対する後ろめたさを感じ続けていたからであろう。端的に言えば、会わせる顔がないと思っていたに違いない。あるいは、沖縄で露骨に民衆からの抗議を受ける醜態を避けたいとする政治的な配慮からであったかも知れない。
だから、「沖縄 : 戦後50年の歩み 激動の写真記録」(沖縄県作成・1995年)には裕仁は一切出て来ない。代わって顔を出しているのは、その長男明仁である。それも、ほんの少しでしかない。
「記録」の306ページに、「沖縄海洋博覧会」の項がある。海洋博の「会場全景」という大きな写真に添えて、やや小さな明仁の写真。「海洋博名誉総裁の開会を宣告する皇太子(現天皇)。1975年7月19日」という簡潔な解説。過剰な敬語のないのが清々しい。
そして、次のページに、「皇太子火炎ビン襲撃事件」のごく小さな写真。「幸いにも皇太子ご夫妻を含め怪我人はなく、混乱は最小限にとどめられた」と解説されている。これ以外に、皇族に関連する記載はない。
明仁ではなく裕仁が訪沖していれば、どんな展開になっただろうかと思わないでもない。裕仁と沖縄との関係については、曰わく因縁がある。天皇(裕仁)は、本土防衛の時間を稼ぐために沖縄を捨て石にした。天皇の軍隊は沖縄県民を守らず、あまつさえ自決を強要したり、スパイ容疑での惨殺までした。そして、新憲法ができた後にも、天皇(裕仁)は主権者意識そのままに、いわゆる「天皇・沖縄メッセージ」で、沖縄をアメリカ政府に売り渡した。沖縄県民の怨みと怒りを一身に浴びて当然なのだ。
彼にも人間的な感情はあっただろう、忸怩たる思いで戦後を過ごしたに違いない、などと思ったのは甘かったようだ。それが、近年公開された 「拝謁記」で明らかになっている。「拝謁記」とは、初代宮内庁長官田島道治が書き残した、天皇(裕仁)との会話の詳細な記録。その内容の着目点が、朝日・毎日などの中央紙と、沖縄の新聞とがまったく異なるという。
福山市在住のジャーナリストが、K・サトルのペンネームで、書き続けている「アリの一言」というブログがある。その2019年8月22日付け記事が「『拝謁記』で本土メディアが無視した裕仁の本音」という表題で、このことを鋭くしている。K・サトル氏に敬意を表しつつ、その一部を引用する。
『琉球新報、沖縄タイムスが注目したのは「拝謁記」の次の個所でした。
「基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應尤(いちおうもっとも)と思ふ理由もあらうが全体の為二之がいいと分かれば一部の犠牲は巳(や)むを得ぬと考える事」「誰かがどこかで不利を忍び犠牲を払ハねばならぬ」(1953年11月24日の発言)
琉球新報は「一部の犠牲やむ得ぬ 昭和天皇 米軍基地で言及 53年、反対運動批判も」の見出しで、リードにこう書きました。
「昭和天皇は1953年の拝謁で、基地の存在が国全体のためにいいとなれば一部の犠牲はやむを得ないとの認識を示していたことが分かった。専門家は、共産主義の脅威に対する防波堤として、米国による琉球諸島の軍事占領を望んだ47年の『天皇メッセージと同じ路線だ』と指摘。沖縄戦の戦争責任や沖縄の米国統治について『反省していたかは疑問だ』と述べた」
朝日新聞、毎日新聞は記事中でも「拝謁記要旨」でも、この部分には触れていません。同じネタ(裕仁の発言)であるにもかかわらず本土メディアと沖縄県紙で際立った違いが表れました。これはいったい何を意味しているでしょうか。
米軍基地によって生じる「やむを得ぬ」「犠牲」を被る「一部」とはどこか。基地が集中している沖縄であることは明らかです。裕仁はそれを「沖縄の」とは言わず「一部の」と言ったのです。これが沖縄に「犠牲」を押し付ける発言であることは、沖縄のメディア、沖縄の人々にとっては鋭い痛みを伴って直感されます。だから琉球新報も沖縄タイムスも1面トップで大きく報じました。ところが本土紙(読売、産経は論外)はそれをスルーしました。裕仁の発言の意味が分からなかったのか、分かっていて無視したのか。いずれにしても、ここに沖縄の基地問題・沖縄差別に対する本土(メディア、市民)の鈍感性・差別性が象徴的に表れていると言えるのではないでしょうか。
裕仁の「沖縄(天皇)メッセージ」(1947年9月)を世に知らしめた進藤栄一筑波大名誉教授はこう指摘しています。
「『天皇メッセージ』は、天皇が進んで沖縄を米国に差し出す内容だった。『一部の犠牲はやむを得ない』という天皇の言葉にも表れているように、戦前から続く“捨て石”の発想は変わっていない」(20日付琉球新報)
「拝謁記」には、戦争責任を回避する裕仁の弁解発言が多く含まれていますが、同時に裕仁の本音、実態も少なからず表れています。「一部の犠牲」発言は、「本土防衛」(さらに言えば「国体」=天皇制護持)のために沖縄を犠牲にすることをなんとも思わない裕仁の本音・実像がかはっきり表れています。』
まったくそのとおりだと思う。これに付け加えるべき何ものもない。あらためて今、沖縄を考えるべきときに、戦前も戦後も「沖縄を捨て石にした」天皇(裕仁)の実像を見極めたい。
(2022年5月18日)
復帰前の沖縄に本土の人々の目が冷ややかだったかといえば、必ずしもそうではない。1958年夏の甲子園(第40回記念大会)に、戦後初めての沖縄代表チームとして首里高校が出場したときの同校への国民的な声援は大きく暖かいものだった。開会式では同校の仲宗根主将が選手宣誓を行っている。首里高は1回戦で敦賀高校(福井)に3対0で敗れるが、その後の「甲子園の土」のエピソードで、再びの話題となる。
「沖縄 : 戦後50年の歩み 激動の写真記録」(沖縄県作成・1995年)の203ページに、この試合後「甲子園の土」をビニール袋に詰めている選手5人の大きな写真が掲載されている。そのキャプションが次のとおり。
「首里高校が沖縄から初の甲子園出場。持ち帰ろうとした記念の土は、植物検疫法違反を理由に海中に投棄された。1958年8月」
この記述だと、「植物検疫法違反を理由とする海中投棄」を指示したのが、日本側なのかアメリカ側なのか、よく分からない。この間の事情を「ハフポスト」が次のように要領よく解説している。
「首里高ナインの数人がビニール袋に詰めて甲子園の土を船で持ち帰ったが、那覇港で彼らを待っていたのは冷たい仕打ちだった。アメリカの法律では甲子園の土は「外国の土」ということで、植物検疫法に抵触して持ち込み不可能だったのだ。
沖縄はアメリカ統治下にあったから、検疫の検査を受けなければならなかった。検疫では「外国の土は持ち込んではならない」という規定があり、球児たちが大事に持ち帰った甲子園の土は外国の土だから検疫法違反と言うことで没収され、那覇港の海に棄てられてしまったのだ。」
このニュースは大きな反響を呼んだ。あらためて、引き裂かれた沖縄の深刻な悲劇として強く印象づけられた。日本航空の客室乗務員が甲子園の小石を集めて首里高校に贈るなどのエピソードが続いた。
「土の代わりに、せめて…」との思いを込めて。絹の布を敷いて小石を入れたガラス張りの箱が、58年9月上旬に空路で届けられた。その後、学校の敷地内に二つの石碑が建てられた。小石がはめられた「友愛の碑」と「甲子園出場記念の碑」。それから60年以上、そして本土復帰50年の今も、変わらずに息づいている(時事)。
この「甲子園の土・投棄事件」は、沖縄返還運動の気運を大いに高める事件となった。その後、沖縄代表高が甲子園に出てくると、大きな声援に包まれる時代が続いた。相手校やその関係者にとっては、なんともやりにくい雰囲気。
私がそれを実感として語れるのは、私の母校がその首里高校と甲子園で対戦しているからだ。1963年の春の選抜大会である。その1回戦で、私の母校が対戦した相手が、2度目の甲子園出場となった首里高校だった。私は、この試合を甲子園の母校応援席の一隅で観戦している。
私の母校は大阪府富田林市にあるから通常はホームの雰囲気なのだが、このときは完全にアウエイだった。球場全体が首里の応援団なのだ。
寒い日だった。しかも、途中からナイターになった。首里の選手には気の毒なコンディション。それゆえか、試合は8対0。観戦の印象では点数以上の大差だった。何しろ、投手戸田善紀(後にプロ入り。阪急から中日)の奪三振が21を数えた。首里のヒットは1本だけ。それでも、観客の声援は首里高に大きかった。
前年の春に、私は高校を卒業している。母校の中心選手は、私が3年の時の一年生。小さな学校でたいていの選手とは知り合いだったが、私も心中では、首里高を応援していた。ウチのチームは、武士の情けというものを知らんのかね、と。
首里高側の記事はこうである。
「1963年(昭和38年)の春の選抜。泊港(那覇)から出航し鹿児島へ渡り、鹿児島から夜行列車で大阪入り。沖縄を出発してから3日目にたどり着いた甲子園で待ち受けていたのは、強豪のPL学園だった。
抽選会でいきなり甲子園の常連校を引き当てた宮里さん(主将)は、自分自身で『あじゃー、へんなくじを引きやがって』と思ったという。
チームは硬さのとれないまま強豪PLと対戦する。相手投手は、後に阪急ブレーブスに入団した戸田。『当時としては球は速かった。打席に立ってバットで捕らえきれるという感覚はなかった。ファールするのが精一杯』と21個の三振を喫する。
『結局、野球をしたんじゃなくて、あそこにユニフォームを着て立っていただけなんだよ』と当時を振り返る宮里さん。」
その年の夏の大会で、首里は初めて本土チームを破って一勝を挙げる。この試合にも全国が沸いた。それから9年後に復帰が実現し、復帰から50年が経過した。復帰後、沖縄は野球の強豪チームを輩出し、全国優勝の数も重ねた。しかし、今あの時代の沖縄のチームへの応援の声はない。おそらくは、政治や経済においても。
(2022年5月17日)
昨日紹介した、「沖縄 : 戦後50年の歩み 激動の写真記録」(1995年・沖縄県発行)の圧巻は、第1章・第1節「沖縄戦」である。
貴重な戦場写真が生々しい。その中に、「住民虐殺」という禍々しい小見出しの数ページがある。沖縄の住民を虐殺したのは米軍ではない。「友軍」と表示されている日本軍だった。目を背けざるを得ない集団自殺の凄惨な写真に、次のような解説記事がある。
「国を守るという大義は、日本軍に様々な暴挙を許した。戦況が悪化していく中、追い詰められ孤立した日本軍は、住民に対して戦争への参加や自決を強要しただけでなく、スパイ容疑による虐殺や避難壕からの追い出し、食料強奪等を行った」
「久米島虐殺事件
米軍は本島南部を占領した後の6月26日、那覇の西方約90kmに位置する久米島の攻略を開始した。当時久米島には米軍施設はほとんどなく、わずかに海軍兵士約30人が通信業務に従事していた。米軍上陸後山中に身を隠した日本軍は米軍と接触した島の住民に次々とスパイ容疑を掛け、6月末から終戦後の8月20日までに、5件22人を他の住民への見せしめとして惨殺した。上陸した米軍の死者として降伏勧告状を届けた郵便局員や食料を求めて米軍キャンプに出入りした朝鮮人の一家など、いずれも無抵抗の住民を一方的なスパイ容疑で殺害したものである。日本軍は住民に食料を供出させながら山中を逃げ回った挙句、9月7日久米島守備隊長以下全員が無傷のまま米軍に降伏し島を後にした。久米島の住民に危害を加えたのは米軍ではなく日本軍であった」
沖縄の無念が伝わってくる。そして、その次のページに、以下の生々しい手記が掲載されている。
真壁では千人壕というのがあって、そこに入りました。
…(略)…
それから千人壕からちょっと離れた壕に移りましたが
そこは民間も友軍もごちゃごちゃになっていました
大きくて何百人も入れるので随分大勢の人がいました
友軍よりは民間の人がずっと多かったんですが
そこで大変なことを見ました
四つか五つかになっていたと思いますが
男の子がおりました
その子は親がいないと言って泣いていました。
子供は入り口の方にいましたが
壕の上には穴が開いていました。
そしたら友軍の兵隊が
この子の泣き声が聞こえる、
泣き声が聞こえたら私たちも大変である、
この子をどうするか親はいないのか…
と言いました。
兵隊の声に誰も返事する人はいません。
それで兵隊たちが中に入って行ったんです。
少し明るかったんですね。
上に穴が開いていたから連れて行って
三角な布を引き抜いて細くして、
またしめて殺しました。
民間の人がそれを見てみんな泣いていました。
首をしめるのは現に見ましたが
怖かったもんですから
最後まで見ることはできませんでした。
中城村儀間とよ(当時19歳)
日本軍は、「沖縄住民を守らない」ではなく、「沖縄住民を虐殺した」のだ。沖縄ではなく本土防衛を任務とした日本軍は、住民を犠牲にしても軍と兵隊を守ろうとしたのだ。
沖縄県民の日本軍についてのこの記憶は、そのまま戦後の自衛隊に対する忌避の感情につながった。復帰直後の解説記事に、「1972年10月自衛隊那覇駐屯地が誕生」とあり、次いで、那覇市役所の入り口と思しき場所の横断幕とビラ配布状況についての興味深い写真が掲載されている。
そのキャプションは、「1972年12月から翌73年2月にかけ、自衛隊配備に対する抗議行動の一つとして、革新自治体は自衛隊員の住民登録を拒否した」とある。残念ながら、横断幕の文字が完全には読めない。隠れた文字を補うと、以下のとおりである。
「米軍を強化し、米軍の安全を守る自衛隊・自衛隊員を那覇市から追放しましょう」「私たち那覇市民は、廃墟と化した那覇市を営々と再建してきました。軍靴で再び踏み荒らされないように、反自衛隊闘争を発展させましょう」「自治労 那覇市職労」
横断幕に書かれたこの一文が、日本で唯一の凄惨な地上戦を経験した沖縄県民の軍隊という存在に対する感情をよく表している。