澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

安倍晋三という人物への対応をめぐって、国民の民度が問われている。

(2020年12月24日)
日本国民の民度なるものの寸法が、安倍晋三という人物にぴったりだったのであろう。国民は、この上なくみっともない政権投げ出しのあとの安倍の復権に寛容であった。のみならず、何と7年8か月もの長期政権の継続を許した。

そのアベ政治が残したレガシーを「モリカケ桜クロカワイ」という。毎日新聞仲畑川柳欄投句の名言である。森友・加計・桜を見る会・黒川・河合、いずれも安倍晋三とその取り巻きによる政治腐敗、国政私物化を象徴する事件。嘘とゴマカシに充ち満ちた負のレガシーである。

その安倍晋三、一見しおらしく、本日の記者会見で、「国民のみなさま」に謝罪した。「深く深く反省するとともに、国民の皆さまにおわび申し上げます」と頭を下げたのだ。

安倍晋三によると、「会計責任者である私の公設第1秘書が、(桜を見る会前夜祭での)政治資金収支報告書不記載の事実により略式起訴され、罰金を命ぜられたとの報告を受けた」。「こうした会計処理については、私が知らない中で行われていたこととはいえ、道義的責任を痛感している。深く深く反省するとともに、国民の皆さまにおわび申し上げます」「今般の事態を招いた私の政治責任はきわめて思いと自覚しており、真摯に受け止めている」という。

難解なアベ語を翻訳すると、こんなところだろうか。

「これまでずっと、繰り返しウソをつき続けてきたんだけど、ばれちゃったから一応ゴメンネって言うの。でも、あれはみんな秘書がやったことなの。その秘書が罰金100万円の責任とったんだから、もう問題済んだよね。ボク、な?んにも知らなかったんだから、しょうがないでしょ。ただね、みんな怒っているようだから、取りあえず『政治責任を自覚』って言ってみたんだ。どういうふうに、政治責任をとるかって? そんなこと、なーんにも。口だけ、口だけ。これまでそれで通ってきたんだから,今回もそれでいいでしょ。今回ちょっとまずかったから、これからはバレないように気をつけなくっちゃね」。

「桜を見る会」とは何であったか。各界の功労者を招いて総理大臣が主催する、公的行事である。これを安倍晋三は,露骨なまでに私的な後援会活動に利用した。これを許したのは山口4区の選挙民の民度である。下関・長門両市民は大いに恥ずべきである。石原慎太郎を知事にした、かつての東京都民より以上に。

しかし、公的行事である「桜を見る会」の私物化が明らかになっても、国民の民度は十分な安倍批判をなしえなかった。やむなく、「桜を見る会」ではなく、「桜を見る会」とセットにされた後援会主催の「前夜祭」の、その収支報告書の不記載という、本筋ではないところに問題の焦点を宛てざるを得なかった。そして、本来であれば、国民の怒りをもって国政私物化政権を糾弾しなければならないところ、検察への告発という形で安倍晋三を追い詰めたのだ。

しかし、本日の段階では、安倍は不起訴で逃げ延びた。たくさん持っている尻尾の一つを切り落として。しかし、まだ問題は解決していない。国会での追及もある。検察審査会もある。なによりも、世論の糾弾が重要なのだ。

不起訴処分となって、「深く深く反省するとともに、国民の皆さまにおわび申し上げます」と頭を下げる安倍晋三の姿を見る国民の感想は両様あろう。「不起訴で済ますとは怪しからん。天性のウソつきの嘘を見抜けない検察の何という甘さ」という嘆きと、「権勢を誇った有力政治家でも、こうして主権者国民に謝罪しなければならないのだから、わが国の民主主義もけっして捨てたものでもない」という評価と。

さて、どの程度の民主主義の水準を望むのか。いま、安倍晋三という人物への対応をめぐって、日本国民の民度が問われている。

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