澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

松井一郎はん、間違うてんのはあんたや。人の言うこと、よう聞きなはれ。

(2021年8月23日)
 世の中は広い。考えられないほど傲慢で愚かな市長がいるし、わけの分からぬ教育委員会もある。そして、何と硬骨な校長もいるものだ。なるほど、この混沌が大阪なんだ。

 《『混乱極めた』オンライン授業巡り、大阪市長批判の小学校長処分》という報道。教育行政のあり方や、言論の自由の意味、そして言論の自由を抑圧することの深刻な意味などについて考えさせられる。あわせて、ものの言えない鬱屈した教育現場の惨状があぶり出されてもいる。なるほど、これが大阪の教育の実態なんだ。維新の勢力が跋扈しているうちは、大阪はアカンとちゃうか。

「大阪市立小中学校が4?5月の緊急事態宣言下に実施したオンライン学習を巡り、「学校現場が混乱した」などと指摘した提言が地方公務員法が禁じる信用失墜行為に当たるとして、市教育委員会は8月20日、市立木川南小(淀川区)の久保敬校長を文書訓告にした。

 市教委は4月、松井市長による突然の方針表明を受け、原則としてオンライン学習を実施するよう各校に通知した。しかし、多くの学校でネット環境が整っていなかったため、授業動画の視聴にとどまるなど満足に実施できず、学校現場や保護者から不満の声が上がっていた。

 久保校長は5月に松井市長や市教育長に実名で提言書を送付した。「市長が全小中学校でオンライン授業を行うとしたことを発端に、そのお粗末な状況が露呈した」と指摘。「学校現場は混乱を極め、何より保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている」とし、教育行政の見直しを訴えた。

 これに対し、松井市長は「言いたいことは言ってもいい」としたうえで「方向性が合わないなら組織を去るべきだ」と批判していた。」

 以上が、報道されている経過の概要である。文書訓告は地方公務員法上の懲戒処分ではないが、その前段階。もう一度同様のことがあれば懲戒するぞ、という警告の意味をもつ。教委の訓告の理由は、「他校の状況を把握せず、独自の意見に基づいて市全体の学校現場が混乱していると断言したことで市教委の対応に懸念を生じさせた」「さらにSNSで拡散されたことが信用失墜行為に当たる」というもの。

 誰が見てもこの訓告理由はおかしい。言外にこう言っているのだ。

「長いものには巻かれろ、出る杭は打たれる言うやおまへんか。もの言えばくちびる寒しでっせ。あんさんも校長や、子らには上手な世渡り教えなならん立場や。市長に逆ろうてもどないもならんことはようお分かりのはずやし、子らにも分を弁えるよう、手本をみせなならん。わしらも、教育委員いうたかて名ばかりや。何の権限もおませんのや。ここは、文訓程度でおさめるのがええとこや。腹も立とうが、何とか呑み込んでいただきとうおますのや」

 松井は、この校長に「方向性が合わないなら組織を去るべきだ」と言っている。多様性を否定し、批判を封じ、教育を「一つの方向性」に引っ張っていこうという危険な発想。「組織を去るべきだ」は、『非国民』思想の復活ではないか。

 松井一郎の間違いは、大きく2点ある。事前に教育現場の教育専門家の意見を聴いていないこと。だから現場は混乱し、だから校長からも批判の声が上がるのだ。さらに、事後にも現場からの批判の声に耳を傾けようという姿勢のないことだ。

 この経過は看過しがたい。民主主義とは、選挙での為政者への白紙委任ではない。誰もが、常に、為政者を批判できる。為政者は批判の声に謙虚に耳を傾け、政策の修正に努めなければならない。久保校長の提言は「通信環境の整備など十分に練られること(が)ないまま場当たり的な計画で進められ」「保護者や児童生徒に大きな負担がかかっている」というもの。この見解は、保護者へのアンケート調査までしての結論。松井はこの提言に聴く耳を持たない。聴く耳を持たないどころか、「方向性が合わないなら組織を去るべきだ」というのは、言語道断。これが維新の体質と理解するしかない。維新に権力を握らせることは、恐ろしい。

久保校長はこうも述べているという。

「37年間大阪で教員として育ち、本当に思っていることを黙ったままでいいのかなと。お世話になった先生方や保護者、担任をした子どもを裏切ってしまう感じがした」「今まで黙ってきた自分はどうなんやろうっていうのを、自分自身に問いかけた」

ものを言いにくい現場の空気と、意を決しての発言であることが伝わってくる。また、こうも報じられている。

「60代の市立小学校長は『声を上げにくい中でよく言ってくれた』と提言書の内容を支持した。区内の校長の間でも共感する声が多いという。『これまでも教育現場の声を聞かずに色んなことが決められてきた』。今回のオンライン学習の方針も同じだと感じるという。」

 「阿倍野区の市立小学校の50代男性教諭は通信環境が整わない中でオンライン学習を進めざるを得ず、児童の学習に遅れが出ていることに危機感を抱く。「私たちは決まった方針に対して何も言えず、従うしかない。諦めていたが、この提言に心から賛同したい」と話した。

 声を挙げることの困難な教育現場。声を押し潰そうという傲慢な小さな権力と、それに抗って発言しようとする良心の角逐。今、どこにもある光景であるが、実は深刻な光景なのだ。

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