澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

亡父が残した軍隊生活メモ(続き)

(2021年11月25日)
 私の父は、兵営から長男の私宛に、軍事郵便のハガキを一通だけ書いている。昭和20(1945)年3月7日の日付のもの。

葉書の文面は
「毎日お父さんの写真の前に行っておじぎをしてゐるとは愛い奴じゃ 余は満足に思ふぞ」
この文面について、父が戦後に書いたメモがある。
「統一郎はこの頃一歳半。その後赤羽の祖父(私から見ての母方の祖父)や光子(私の母)と毎日のように八幡さんや護国神社にお参りしたとも聞いた。」


同じ頃の「光子様」宛の葉書
本文「3月1日現在の軍人軍属臨時届をしたであろうか? これから送る繪は何かに貼って大切に保存して呉れ みんなに宛てたのもそうしてくれればなほいゝ」
メモ「そうは書いたが、まもなく青森県三本木町(現十和田市)に近い相坂村字小坂に駐留(奥入瀬川畔)あまり絵を書かないようになったと思う。


士官適任証をもらっていたところから仙台の予備士官学校に行くことになったが間ぎわになって急性肺炎を患う。自動車で八戸陸運病院の玄関へ入ったところで人事不省。熱40度を超し、大声を発し刀を抜いて振り回すので、軍医は熱が下がったら弘前の精神病院に回すと言った由。当番兵七戸上等兵には随分お世話になった。退院の日仙台市が爆撃されたと聞いた。


あまり繪は描かず、もっぱら絵芝居で各中隊や村民への慰問に回ったりした。相坂へ来る前、弘前の部隊へ音丸(歌手)一行が慰問に来、その中に腹話術があった。私も行ってみたいと思い、独学の工夫を始めた。前歯の空いているのがいけないと三本木の歯科医へ通って(片道6 kmぐらいか)冠をかぶせてもらう。


前の召集の時には一日とて召集解除を願わぬ日はなかったが、この度はーこの戦いとても勝てそうにない。と言って負けるとも思えない。とすれば長期戦になるのであろうーと腹を決め召集解除のことはあまり考えなかった。

                  ―― ―― ―― ―― ――

8月15日敗戦ヘ。兵具を納め部隊解散までには少々間があり村人の作ってくれた濁り酒を飲み9月末に貨車に乗って盛岡へ帰った


第1回招集 3年7ヶ月
帰郷     10ヶ月
第2回招集 1年3ヶ月

 軍隊生活は私にとって何であったろうか
 全く聖戦と思っていたし、実弾の下をくぐったことも白刃を振ったこともなく、演習に次ぐ演習。
辛くはあったが軍隊を地獄と思ったことはない。
体を鍛えてもらっただけでも私は恵まれた星の下において頂たのだと思う。


以下は、満州での兵隊生活メモである。すべて、スケッチが付いている。

1月30日か31日が歩兵第31聯隊の黒溝台記念日(日露戦争での激戦)で毎年耐寒行軍があった。
昭和17年1月の行軍は行程10キロほど。朝5時に兵営を出て、遅くも8時には帰営して朝食の予定。ところが、歩けど歩けど、兵営に帰り着かない。前の大隊副官の馬もパカパカ歩を進めているし、私たちも普通に歩いているつもりだが、時たつばかり。防寒靴の裏には雪のコブがつく、凍傷で倒れるものがでる。帰着したのは13時だった。零下42度の不思議な出来事だった。
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10分間の小休止でも、兵は叉銃(さじゅう)するとゴロリと横になってすぐいびきをかいた。起床!の声に目を覚ますと、外套の上には厚い霜柱が立っていたものだ。
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水の欠乏に耐える訓練をするとて、一か月間ほど奥地へ入って天幕生活をしたことがある。コップ一杯の水で洗顔と口濯ぎ。行軍の際1日で水筒一つ入浴なし。でも時々小川へ入って水を浴びた。この絵(ランプ)はその時のもの。
どこで手に入れたか定かでないが、真鍮製の矢立を持っていた。この絵はそれで描いたもののように記憶している。
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演習地でよくノロを見た。雄には立派な角がある。日本の鹿より少し小さかったように思う。はやすと、どこまでもまっすぐに逃げ、曲がることをしなかった。
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演習は厳しかった。
炎熱下、水筒の水がきれ、路上の溜まり水を飲んだこともある。
夜行軍では、眠りながら歩いた。前の兵が道を曲がったのに気付かず、まっすぐ歩いて沼の中へズブズブ。後に続く兵もズブズブ、腰まで浸かったところで気が付いたということもある。
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兵が「班長殿、鱈を取ってきました」ー 大きな魚をぶら下げてきた。「鱈は海の魚だぞ」とよくよく見ればヒゲがある。それは大鯰だった。
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休憩時の話といえば、召集解除と美味しかった食べ物の事。
慰問袋のスルメを細く切って2、3日水に浸し、――これは、とろろ。
生大根を輪切りにして――これは、かまぼこ。
人参を角に薄く切って――これは刺身にしよう。
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四方八方見渡しても、山も見えず、一本の木も見えぬ曠野で演習していた時、伏せ!の号令で伏せると、蝉の声が聞こえる。進め!で立つと<何も聞こえない。はてメンヨウな。次に伏せた時よく見ると、菫ほどの大きさのアヤメの葉に深山蝉が止まって鳴いていた。これがその実物大である。(小さな蝉の絵に下記の一句)

 志ん志んと 草むらに鳴く 深山蝉  具運莊

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