右の耳にだけ聞く力。片耳の総理に不安と不満。
(2022年1月30日)
佐渡金山の世界遺産登録推薦の可否が問題となってきた。日中戦争開始後の朝鮮人労働者に対する強制労働や苛酷な扱いがあった以上は不適という見解と、無視せよという意見との角逐である。何度も繰り返されてきた、未解決の論争。一部では、「歴史戦」という物騒な言葉さえ飛びかっている。なるほど、安倍晋三や高田市早苗ら歴史修正主義者が口角泡を飛ばしている。
これまで、政府は登録推薦に消極的だと思われてきた。「歴史戦」に巻き込まれるのはごめんだ。韓国をはじめとする近隣諸国との軋轢をこれ以上大きくしたくはない。安倍はともかく、岸田ならそう考えるだろう。多くの人が、漠然とそう思っていた。
ところがそうではなかった。一昨日(1月28日)の夕刻、岸田首相は、「佐渡島の金山」を世界文化遺産の候補として推薦する方針を決めたと公表した。2月1日の閣議で正式決定の予定だという。毎日は、「『大逆転』と地元安堵」という見出しで報道している。問題は、岸田の聞く力だ。右の耳だけに聞く力があることが判明した。左側の耳は詰まっていて聞く力はないのだ。当然、韓国は怒るだろう。日本は、その植民地制政策をまだ何も反省していない、と。
さすがに、この記者会見では、「自民党議員の意見を聞いて方針転換をしたのか」という質問が飛んだ。これに岸田は、「全くあたらない。登録されるためには何が効果的なのか、ことし申請を出す案と来年以降に出す案を、そ上に乗せてずっと議論してきた。今回、申請を行うことをきょう決定し、変わったとか、転換したという指摘はあたらない」と述べている。
さらに韓国が、朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされた場所だと反発していることへの対応については「これは文化遺産の評価の問題だ。しっかりと登録への歩みを進めていきたい」と述べたという。お得意の答弁回避戦術。不都合なことを聞かれた場合には、関係のないことをなんとなくしゃべっておこうというわけだ。
この首相の会見を受けて、韓国外務省は、28日夜、報道官の声明を発表した。「朝鮮半島出身の労働者が強制的に働かされていた場所だとして、「深い遺憾の意を表明し、こうした試みを中断するよう厳重に求める」というもの。ソウルに駐在する日本大使を呼んで抗議もしている。今後は、韓国の関係省庁や専門家などでつくるタスクフォースを発足させ、関連する資料の収集を行ったり、対外的な交渉や広報活動を展開したりしていくとも説明していいるという。韓国側は大問題として受け止めているのだ。
本日の赤旗一面トップに、「日本政府は、戦時の朝鮮人強制労働の事実を認めるべきである―佐渡金山の世界遺産推薦について」という、昨日(1月29日)付の党委員長談話が掲載されている。これが真っ当な立場だろう。
「わが党は、佐渡金山は世界文化遺産として推薦に値するものだと考えるが、日本政府が、登録推薦を行うならば、戦時中の朝鮮人強制労働の歴史を認める必要がある」という趣旨。
「佐渡金山についても、戦国時代末から江戸時代にかけてだけでなく、明治以降、戦時の朝鮮人強制労働などを含む歴史全体が示されることが必要である。戦時中の歴史を「時代が違う。まったく別物」とする政府・自民党の中にある主張は、世界遺産の趣旨に反する。ユネスコやICOMOSが掲げる原則をふまえるならば、世界文化遺産の登録推薦にあたっては、負の歴史を含めて、歴史全体が示されなければならない」
「アジア・太平洋戦争の末期に、佐渡金山で当時日本の植民地支配の下にあった朝鮮人の強制労働が行われたことは、否定することのできない歴史的事実である。新潟県が編さんした『新潟県史 通史編8 近代3』は「朝鮮人を強制的に連行した事実」を指摘し、佐渡の旧相川町が編さんした『相川の歴史 通史編 近・現代』は、金山での朝鮮人労働者らの状況を詳述したうえで、『佐渡鉱山の異常な朝鮮人連行は、戦時産金国策にはじまって、敗戦でようやく終るのである』と書いている。この歴史を否定することも、無視することも許されない。」
問題は、事実(ファクト)である。実態はどうだったのか。ネットで、下記の論文を読むことができる。全て、日本が作成した公開資料にもとづく論述。少なくとも、この資料を共通認識にした上での論争が必要である。
新潟国際情報大学情報文化学部紀要
佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939?1945)
著者・広瀬貞三(新潟国際情報大学 情報文化学部 教授)
https://cc.nuis.ac.jp/library/files/kiyou/vol03/3_hirose.pdf
文中にこんな一節がある。なお、朝鮮人労働者の圧倒的多数は抗内の鑿岩あるいは運搬作業に従事していた。
事故による死傷以外に、朝鮮人労働者を苦しめたと推定されるのが珪肺である。佐渡鉱山は母岩の多くが石英鉱であり、珪酸分が高いことで有名である。そのため、鑿岩作業の際に粉塵(珪酸)が肺に沈着し、繊維増殖が起こって咳や痰がでる。その後、呼吸は苦しくなり、胸部に圧迫感を覚え、それが深化していく。大正期に作られた「称明寺過去帳」には「安田部屋」所属労働者137名の死亡記録が掲載されている。これによると、平均死亡年齢は32.8歳である。死因は「変死」10名、「窒息」2名、「溺死」2名、「寝入死」1名と、15名の死因が明らかだが、それ以外は不明である。しかし、その多くは珪肺の可能性が高いといわれる。1944年に佐渡鉱業所の珪肺を斎藤謙医師が調査した『珪肺病の研究的試験・補遺』によれば、粉塵の平均概数は鑿岩夫810?、運搬夫360?、支柱夫350?、坑夫240?である。この時期、これらの職種の比率が高かったのは前述したように朝鮮人であり、この記録も朝鮮人を対象にした調査ではないかと思われる。