澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ロシアのウクライナ侵略は、過去の日本の中国侵略にそっくりなのだ。

(2022年3月20日)
 ロシアのウクライナへの侵略批判は、徹底して行わねばならない。しかし、過去の日本の大陸への侵略や、近くはアメリカのいくつもの侵略行為に目をふさぐものであってはならない。日本の過ちを自覚しつつ、プーチン・ロシアを批判する最近の幾つかの論稿を抜粋して引用したい。

 毎日新聞に毎月1回の掲載だった「加藤陽子の近代史の扉」。昨日(3月19日)の掲載分が「露軍ウクライナ侵攻 武力をたのむ国は自滅する」という表題。これが、連載の最終回とのことでややさびしい。

 「武力をたのむ国は自滅する」とは、日本近代史に鑑みての言明である。だから、ロシアも自滅の道に踏み込んでいるという含意がある。

 「ウクライナを短期決戦で制圧できる」「ロシアのかいらい国家をつくれる」と踏んだプーチンの誤りに関連して、日本近代史のエピソードは「相手に対する軽視や慢心からの認識不足に起因した短期決戦構想の失敗事例に事欠かない」という。具体的に語られているのは、盧溝橋事件直後の「(第二次)上海事変」。情報不足からの苦戦に、天皇(裕仁)、外務官僚、軍務官僚の言として、「心配した」「敗北するのではないか」「大失敗を演じた」との評価が紹介されている。

 局部的な作戦失敗のエピソードではなく、もっと長い歴史的スパンでの英国の歴史家トインビーの日本分析が紹介されている。「千年王国を目指して日本が樹立した満州国は、日本の安全感の増進に役立たない。武力をたのむ日本は古代のカルタゴのように自滅するしかない」というもの。同様に、加藤も「ウクライナを軍事的に制圧してもロシアは安全感を得られまい。引き返すしか道はないのだ」と締めくくっている。まったくそのとおりだと思う。軍事に訴えざるを得ない事態に至ったことが、既に自滅の第一歩なのだ。

 もっと端的に、「プーチンは誤算? でも裕仁は想定通りを喜んだ」という日本近代史のエピソードが諸所で引用されている。「hanten-journal」名のネット発言だが、「hanten」とは反天皇の意であろう。この見解にも同意せざるを得ない。まったくこのとおりなのだ。

 力によって現状を変える。
 それを平和のためと強弁する。
 国際的な非難や経済制裁を受けても開き直り、むしろ資源確保に奔る。
 民間人、子どもも女性も殺戮する。
 病院を破壊する。医者も患者も殺す。
 占領したら自国の領土とするか傀儡政権を打ち立てる。

 ロシアのウクライナ侵攻のことだけではない。
 侵略戦争では、必ず起こることだといっていい。

 1941年12月8日午前1時半、真珠湾攻撃開始よりも早く、マレー半島で日本軍による戦いの火蓋が切られた。宣戦布告前の奇襲作戦であり、シンガポールを含むマレー半島全域の占領が目標であった。55日間でマレー半島を一気に南下する電撃戦を展開し、翌年2月8日にはシンガポール島への上陸作戦が敢行された。イギリス軍の抵抗にあったが1週間でシンガポールを陥落させた。その過程で日本軍は、ブキテマにおいて女性や子どもを含む数百人の村民の虐殺やアレクサンドラ陸軍病院で医師や患者200〜400名もの殺戮など、数々の蛮行を繰り返した。「子どもも女も、皆、殺せ」という命令も出されたという。

さらに占領後の数週間の間には、日本軍に敵対する者を一掃するとして、シンガポール側の調査では5万人(日本が認めたものだけでも5000人)もの無抵抗の人びとが殺害(粛正)されている。

 内大臣木戸幸一の日記には、シンガポールの陥落に際して昭和天皇に「祝辞」を述べた際の記述に、「陛下にはシンガポールの陥落を聴(きこ)し召され天機(てんき=天皇の機嫌)殊(こと)の外(ほか)麗しく、次々に赫赫(かくかく)たる戦果の挙がるについても、(略)最初に充分研究したからだとつくづく思うと仰(おう)せり」とある。昭和天皇は上機嫌で、事前の研究によって想定通りに「戦果」があがったことを喜んでいるのだ。

 ロシアのウクライナ侵攻後の3月10日に、77年前のこの日に起こった東京大空襲の記憶を継承するという文脈でTVインタビューに「今ウクライナで起こっていることが、東京でも起こっていたことを忘れないで欲しい」と訴えている人がいた。被害の記憶も重要だが、むしろ忘れるべきではないのは、ロシアよりも何十倍・何百倍もの規模となる侵略戦争を、かつての日本が行ったことである。

もう一つ。毎日新聞3月16日夕刊の「特集ワイド」。「ウクライナ侵攻 旧日本軍手法に重なるロシア 「泥沼化」教訓、世界に示せ」という大型特集。話者は、日中戦争研究を専門とする広中一成

 大国が隣国を武力で脅し、言うことを聞かなければ軍を進めて意のままにする――。ロシアのウクライナ侵攻は、どうしても過去の日本の中国侵攻と重ね合わせてしまいます。

 例えば、今回のロシアには北大西洋条約機構(NATO)への対抗、つまり、自分の国と仮想敵の間にあるウクライナに緩衝地帯を設けたい、という意図があります。一方、満州国が1932年に日本の謀略と武力で生まれた背景にも、共産主義のソ連の南下防止に不可欠、という考え方がありました。

 今回、ロシアはウクライナの非軍事化を主張していますが、ウクライナをロシアの思う通りにしたいという動機を前提にすると、本当の意味の非軍事化や中立化は考えにくく、なんらかの形でかいらい化すると想像するのが自然です。「だまされないぞ」と思っていたほうがよいと思います。今年は満州国建国90年なのですが、1世紀近くたっても手法はあまり変わらないように見えます。驚きです。

 ロシアは当初、ウクライナを数日で占領しようと考えていたようです。一発大きな打撃を与えれば、敵は降伏するだろうと。戦前、日本の軍部の一部でも、中国に一発浴びせれば屈服するだろうという、いわゆる「対支一撃論」(中国一撃論)という考えがありました。しかし、日中戦争が始まって中国に一発浴びせても降伏しない。もくろみが外れたのです。その結果、戦争が泥沼化していきました。

 ロシアも、屈服せず粘り強く抵抗するウクライナに手を焼いています。日本は中国戦線で歯止めがきかなくなって泥沼に陥り、最終的に破滅しました。プーチン大統領には、歴史の教訓から学んでほしいと思います。

 かつての中国への侵略については、日本を批判するか擁護するか、という内向きの議論が多いように思います。それだけではなく、世界に向けて侵略戦争を否定するメッセージを発することで、加害の歴史を教訓として生かせると思っています。日本政府にも今回の戦争を終わらせるため、かつての戦争加害者の役割として、彼らに対話を呼びかけることはできないでしょうか。考えてほしいところです。

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