安倍国葬に反対します。ぜひあなたも、それぞれの立場から、声を上げてください。
(2022年8月26日)
安倍晋三氏の国葬に反対します。ぜひ、あなたも反対の声を。
私たちは、1969年に最高裁の司法修習生となった同期の仲間です。1971年に弁護士や裁判官となって以来今日までの50年余、一貫して日本国憲法の理念を大切なものとする立場で職業生活を送ってきました。
これまで、司法研修所卒業時の理不尽な同期生罷免と法曹資格回復の取り組みを振り返った「司法はこれでいいのか」の書籍出版を行ったり、気の合う仲間として忌憚なく話し合ってきましたが、初めての経験として、この仲間で意見をまとめて声明を出そうということになりました。
その内容は、現内閣が閣議決定によって9月27日に執り行うとしている安倍晋三氏の国葬に反対するというものです。
併せて多くの皆様に、それぞれの立場から、個人でもグループでも、「国葬反対」の声を上げていただくようお願いいたします。それぞれのご意見を、お手紙やビラやポスターにするか、メールやSNSやプログに掲載して、お知り合いにお伝えいただきたいのです。「安倍氏の国葬に反対する」という声が、全国到る所から湧き上がり響き合って大きな圧倒的世論となることが、戦争ではなく平和、独裁ではなく民主主義という声を力強いものとすることになると思うのです。それは安倍氏が進めてきた憲法破壊の政治と憲法改正の動きへの抵抗の力ともなります。
私たちが、「安倍氏の国葬に反対する」理由は、以下のとおりです。
記
1 安倍氏の国葬は、国民に弔意を強制するものとして許されない
国葬とは、全国民こぞって弔意を捧げるという意味づけの行事です。安倍氏国葬とは全国民にかわって国が同氏への弔意を表明することになります。国民一人ひとりが、国に束ねられて安倍氏への弔意を表明することにされてしまいます。全国民から徴収した税金を財源に費用を支出する点においても、全国民にこの儀式への参加を強制することにもなります。
安倍氏の国葬については現に、弔意の押し付けはごめんだという多くの人たちがいます。そして、そのような人々の意見や心情は、憲法上の権利(「思想・良心の自由の保障」憲法19条)として、尊重されなければなりません。私たちもまた、各々の思想・良心に基づいて、このような形での安倍氏への弔意の表明を拒否します。こうした意見を無視する安倍氏国葬の強行は、到底容認することができません。
2 安倍氏の国葬は、岸田内閣による政治利用として許されない
葬儀とは、死者を悼む人々が集う営みですから、本来私的なものであるべきです。同時に国葬そのものにも重大な問題があります。
安倍氏が衝撃的な亡くなり方をしたことによって、いま同氏への批判を口にしにくい雰囲気があります。岸田内閣が、これを奇貨として、安倍氏への批判を封じるために国葬を画策したとしか考えることができません。そのことは、ひとりの政治家の死を、現政権が政治的に利用しようとするもので、道義的政治的に許されないものです。
生前の安倍氏は首相として何を行ったでしょうか。教育基本法の「改正」、特定秘密保護法、共謀罪法、集団的自衛権行使を容認した「安保法制」諸法の強行採決は特に記憶に残るところです。権力に物言わせて、政治の私物化、ウソとごまかしの政治手法、行政情報の改竄隠蔽でも世を騒がし、モリ・カケ・サクラ・クロカワ・カワイ等々の不祥事を、不誠実な対応で未解決のままに放置した人物でもありました。戦後レジームの解消をとなえ、国家主義的・軍国主義的な政治姿勢が顕著であり、一面復古的な歴史修正主義者でもあり、他面新自由主義的な経済政策で格差貧困の社会を作った重い責任もあります。このような政治家について国葬を強行実施することに反対の声が広がりつつあることはごく自然なことと言わざるを得ません。
3 国葬は、法律の根拠を欠き財政民主主義に反するものとして許されない
国のあらゆる財政支出には国会の議決に基づく法的根拠が必要です。この点を憲法は、「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これを行使しなければならない」(憲法83条)と財政民主主義の原則を宣言し、「国費を支出…するには、国会の議決に基くことを必要とする」(憲法85条)と具体化しています。国葬に国費を投じてよいとする法的根拠はどこにもありません。
戦前には、国葬令(勅令・1926年制定)が民間人の国葬の根拠となって、当然に国費の支出も可能とされていました。しかし、この勅令は日本国憲法に不適合なものとして「日本国憲法施行の際現に効力を有する命令の規定の効力に関する法律」1条に基づき失効しています。その後、これを復活すべきとする議論はありません。
岸田首相は、内閣府設置法上の内閣の所掌事務として「国の儀式」にあたるとして、閣議決定があれば実施可能としています。しかし、国葬令が失効しているにも拘らず、そんな解釈を認めてしまえば、国会の議決を無視した閣議決定でなんでもできることになってしまいます。行政府に対する議会の統制を強化してきた歴史の流れを無視し、憲法の財政民主主義をないがしろにする「岸田流解釈」はとうてい通用するものではありません。
4 安倍氏の国葬は、旧統一教会による被害の拡大に手を貸すものとして許されない。
安倍氏銃撃事件はなぜ発生したのか。今、安倍氏本人と旧統一教会との深い関係が明らかにされつつあります。まだすべてが解明されたわけではありませんが、いま急ピッチでその全容が明らかになりつつあります。
少なくとも、祖父岸信介氏以来三代にわたる安倍氏と統一教会との緊密な関係が国民の目に印象深く刻まれました。また、巨額の悪徳商法被害を出し、信者家族の生活を破壊した旧統一教会に対して、安倍氏や他の少なからぬ自民党議員が支援者・庇護者として振る舞っていたことも強い印象を刻んでいます。安倍氏が国葬にふさわしい人物なのかどうかについてはこの点からも強い疑問を抱かざるを得ません。
安倍氏の国葬を強行すれば、今後の同氏と統一教会との関係、さらには自民党政治と統一教会とのつながりについての徹底解明を阻害することが危惧されます。
そして、名称をかえて現在もなお活動を続けている旧統一教会への追及そのものが放置され、そのことによって、さらなる国民への被害拡大につながることが強く懸念されます。
23期弁護士ネットワーク
本日記者会見をしてこの声明を発表した。当初は23期だけの声明のつもりだったが、「それだけではややさびしい。賛同者も加えて」との発案があって、少しにぎやかになった。合計賛同者は118名である。
※ この声明を出した趣旨は、「この声明に賛同してください」「この指止まれ」ではありません。私たちは、雑談仲間の雑談の中から、安倍国葬反対の声明を出すことにしました。今やだれもが発信のツールをもつ時代。そのツールを活用して、いろんなグループで、あるいは個人で、それぞれに「安倍国葬に反対」の意志表明をお願いしたいのです。反対理由は、けっしてみんな同じということはなく、それぞれのはずでしょう。それぞれの立場から、それぞれの切り口で、至るところから、多様な「安倍国葬反対」の声を上げていただくよう是非お願いします。
※ 国葬反対の理由には、国葬そのものに反対と安倍国葬だから反対の二派があります。もちろんその折衷派もあります。ちょうど、国旗国歌そのものの強制に反対という原理派と、日の丸・君が代という特定の歴史と結びついた旗や歌だから反対との二派があるのによく似ています。どちらも、原理的に、あるいは具体的に国家と個人との関係を浮き彫りにしています。
ご注意いただきたいのは、国葬に伴う黙祷や歌舞音曲停止という具体的な行為の強制を問題としているのではなく、国葬を行うということそれ自体が、国民に対する弔意の強制だということです。
※ もう一つ。「国葬は当たり前だ。やらなかったらばかだ」という政治家の発言がありました。私は、この種の発言を恐ろしいと思います。この国は、無謀な国策を止めることができません。理性的な民意を顧みて、立ち止まり振り返ることができないのです。戦争も、原発も、辺野古も、そして今始まった国防国家化も、「征きてし止まん」なのです。せめて、安倍国葬くらいは本当にやめてもらいたい。