「物が足りないのにいくさをした」のではなく、「物が足りなかったから戦争になった」という言いぐさ。「物」とは、対中戦争を継続するための石油である。皇国の開戦の論理は、忌むべき強盗の論理にほかならない。
(2023年12月8日)
12月8日である。82年前の今日、日本は英米蘭3国に宣戦を布告した。が、その宣戦布告以前に奇襲は始まっていた。奇襲実行のはるか以前に、戦闘準備を整えた艦隊は出航している。日米交渉継続中の一方的な宣戦布告なき奇襲攻撃の日と記憶されねばならない。いかにも、天皇を大元帥と戴く軍隊にふさわしい、薄汚いやりくち。4年を経てその代償の深刻さを思い知ることになる。
対英米戦は、日中戦争が打開できないままに、何の成算もないままに日本の国民を塗炭の苦しみに追いやり、周辺諸国の多くの人を死地に追い込んだ無謀な戦争。
開戦時の閣僚の一人に、鈴木禎一という人物かいた。国家総動員体制を担った企画院の総裁。この「背広を着た軍人」がこう言っている。「物が足りないのにいくさをした」との批評があるがそうではない、「物が足りなかったから戦争になった」のだ、と。物とは、何よりも石油であった。対中戦争を完遂するための石油である。他国の土地と富を奪おうとの戦争を継続するための新たな戦争と始めた愚かさ。
しかし、省みるべきは、勝ち目のない戦争を始めた愚かさではない。戦争を企てたこと自体の理不尽である。繰り返してはならないのは、勝ち目のない戦争ではなく、多くの人にこの上ない不幸をもたらすすべての戦争
ウクライナに戦火が止まず、ガザの虐殺が激しさを増す中での今年の12月8日だが、東京は晴れわたって穏やかである。東京だって、気候と天候に恵まれれば、なかなかの街並み。街路樹の紅葉も美しい。ウクライナやガザの戦火に心を痛めつつも、平和で暮らせることがなによりもありがたい。