6紙社説の比較に見る西川農相辞任劇の波紋
西川公也農相の政治献金問題がおさまりつかず辞任にまで発展した。これに安倍首相の「ニッキョーソはどうした!」ヤジ事件のおまけまでついて、政権への震度は思った以上に大きくなりつつある。
これまで何度も聞かされた言葉が繰り返された。「法的には問題ないが道義的責任を感じてカネは直ぐに返還した」「あくまで法的に問題はないが、審議の遅滞を招いては申し訳ないので辞任することにした」。要するに、「カネを返せば問題なかろう」「些細なミス、訂正すれば済むことだ」「やめて責任を取ったのだからこれで終わりだ」。終わりのはずを蒸し返し執拗に追求するのは、些細なことを大袈裟にしようという悪意あってのこと、という開き直りが政権の側にある。
しかし、既視感はここまで。今回は、世論もメデイアも野党も、この「カネを返したから、訂正したから、辞めたから、一件落着」という手法に納得しなくなっている。トカゲのシッポを切っての曖昧な解決を許さない、という雰囲気が濃厚に感じられる。問題の指摘を続ける野党やメディアへのバッシングも鳴りをひそめている。
本日(2月24日)の各紙夕刊に「首相の任命責任、国会で追及へ」「野党首相出席要求」「衆院予算委が空転」の大見出し。野党各党の国対委員長が国会内では、「西川氏辞任の経緯や、首相の任命責任をただす考えで一致した」と報じられている。何が起こったのかを徹底して明らかにし、問題点を整理して、不祥事の再発防止策を具体化する。刑事的制裁が必要であればしかるべき処分をし、制度の不備は改善し、責任の内容と程度とを明確にして適正な世論の批判を可能とする。そのような対応がなされそうな雰囲気である。
今朝の朝刊6紙(朝・毎・読・東京・日経・産経)の社説がこの問題を取り上げている。世間の耳目を集める問題では、おおよそ「朝・毎・東京」対「読売・産経」の対立となり、日経がその狭間でのどっちつかずという図式になる。ところが今回は違う。産経の姿勢がスッキリしているのだ。少し驚いた。
まず標題をならべてみよう。
朝日「農水相辞任 政権におごりはないか」
毎日「西川農相辞任 政権自体の信用失墜だ」
東京「西川農相辞任 返金で幕引き許されぬ」
産経「西川農水相辞任 改革に水差す疑惑を断て」
日経「農相辞任で政策停滞を招くな」
読売「西川農相辞任 農業改革の体制再建が急務だ」
標題はほぼ内容と符合している。朝日・毎日・東京が、徹底した疑惑の解明を求め、安倍政権の責任を論じている。それぞれ的確に問題点を指摘し、首相の責任の具体化を求める堂々たる内容。読売と日経が明らかに立場を異にし、「切れ目のない政策継続」に重点を置き、安倍政権を擁護してその傷を浅くする役割を演じようとしている。
産経の「改革に水差す疑惑を断て」という標題だけが、「改革の継続」と「疑惑を断て」のどちらに重点が置かれているのかわかりにくい。ところが、その内容は、安倍政権に手厳しい。「改革や農業政策の継続」の必要は殆ど語られていない。普段の安倍晋三応援団の姿勢とはまったく趣を異にしている。この産経の論調は、日経・読売2紙の安倍政権ベッタリ姿勢を際立たせることになっている。これは、一考に値するのではないか。
以下、主要な部分を抜粋する。
「国の補助金を受けた会社から寄付を受けてはならないことなど、政治家としてごく基本的なルールを軽視していた。その結果、職務遂行に支障を来す事態を自ら招いたのであり、辞任は当然だ。安倍晋三首相の任命責任も重い。…閣僚らに厳格な政治資金の管理を求めるのはもとより、『政治とカネ』の透明化へ具体的措置をとるべきだ。
問題視されたのは、日本が環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)交渉に参加する直前、砂糖業界の関係団体から西川氏が代表の政党支部に100万円が寄付されたことなどだ。西川氏は自民党TPP対策委員長だった。しかも、業界団体である精糖工業会は国から補助金を受けていた。政治資金規正法は1年間の寄付を禁止しており、別団体からの寄付の形がとられた。こうした行為に対し、脱法的な迂回献金との批判が出るのは当然だろう。同支部は補助金を受けた別の会社からも300万円の寄付を受けた。
首相や西川氏の説明は『献金は違法なものではない』ことを主張するばかりで、不適切さがあったとの認識がうかがえない。砂糖は日本にとってTPPの重要品目であることからも、政策判断が献金でゆがめられていないか、との疑念を招きかねない。
形式的には別の団体が寄付を行っても、実質的に同一の者の寄付とみなされるものは、規制をかける必要が出てくるだろう。脱法的な寄付を封じる措置を、政治資金規正法改正などを通じてとるべきだ。」
おっしゃるとおり。まことにごもっとも、というほかはない。とりわけ、「脱法的な寄付を封じる措置を、政治資金規正法改正などを通じてとるべきだ」には、諸手を挙げて賛成したい。8億円もの巨額の裏金を、明らかに政治資金として政治家に交付しておいて、「献金なら届けなければ違法だが、貸金なら届出を義務づける法律はない」と開き直っている大金持ちがいる。このような「脱法を封じる法改正」を実現すべきは当然ではないか。
各紙の社説を通読して、その全体としての批判精神に意を強くしたが、いくつかコメントしておきたい。
東京新聞は、次のようにいう。
「業界との癒着が疑われる政治献金はそもそも受け取るべきではなく、返金や閣僚辞任での幕引きは許されない。与野党問わず『政治とカネ』をめぐる不信解消に、いま一度、真剣に取り組むべきだ」「カネで政策がねじ曲げられたと疑われては、西川氏も本望ではなかろう」
具体的事例を通して、政治資金規正法の精神を掘り下げようとする論述である。
「業界との癒着が疑われる政治献金は受け取るべきではない」というのは、もちろん正論である。「カネで政策がねじ曲げられてはならない」とする民主主義社会の大原則がある。「業界との癒着が疑われる政治献金」は、「カネで政策がねじ曲げられているのではないか」という疑惑を呼び起こすものである。つまりは、政治の廉潔性や公正性に対する信頼を傷つけるものとして、授受を禁ずべきなのだ。
企業や金持ちから政治家に渡されるそのカネが、現実に廉潔なものか、あるいは政治をねじ曲げる邪悪なものであるかが問題なのではない。国民の政治に対する信頼を傷つける行為として禁止すべきなのだ。「私のカネだけは廉潔なものだから、献金も貸金もなんの問題ない」という理屈は、真の意味で「いくら説明してもわからない」人の言い分でしかない。
なお、「カネで政策がねじ曲げられているのではないか」という疑惑を呼び起こす政治献金は、「業界との具体的な癒着が疑われる政治献金」に限らない。企業や団体、富裕者の献金は、すべからく財界や企業団体の利益となる政治や政策への結びつきをもたらすものとして、政治の廉潔性や公正性に対する社会の信頼を傷つけるものである。献金にせよ、融資にせよ、本来一般的に禁ずべきが本筋であろう。少なくも、上限規制が必要であり、透明性確保のための届出の義務化が必須である。
毎日が、社説の文体としては珍しい次のような一文を載せている。
「『いくら説明をしてもわからない人はわからない』。自ら疑惑を招いての辞任にもかかわらず、まるで問題視する方が悪いと言わんばかりに開き直って記者団に語る西川氏の態度に驚いてしまった。」
私も、自らの体験として、「まるで問題視する方が悪いと言わんばかりに開き直って語る態度」に思い当たる。
2012年12月都知事選における宇都宮候補の選挙運動収支報告書を閲覧して、私は明らかな公選法違反と濃厚な疑惑のいくつかを指摘した。当ブログで33回にわたって連載した「宇都宮君立候補はおやめなさい」シリーズでは、この公選法違反の指摘は大きな比重を占めている。「自らの陣営に法に反する傷がある以上、君には政治の浄化などできるはずもない。だから宇都宮君、立候補はおやめなさい」という文脈でのことである。
この指摘に対して、2014年1月5日付で、宇都宮陣営から「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」なるものが発表された。中山武敏・海渡雄一・田中隆の3弁護士が、まさしく「まるで問題視する方が悪いと言わんばかりに開き直って」の居丈高な内容だった。
同「見解」は、まことに苦しい弁明を重ねた上、「選挙運動費用収支報告書に誤った記載があることは事実であるが、この記載ミスを訂正すれば済む問題である」と開き直った。3弁護士は、「陣営に違法はなかった」ことを主張するばかりで、自ら資料収集ができる立場にありながら、具体的な説明を避け、資料の提示をすることもなかった。
宇都宮君も、中山・海渡・田中の3弁護士も、もちろん違反の当事者である上原公子選対本部長(元国立市長)も熊谷伸一郎選対事務局長も、今、野党とメディアが政権に求めているとおりに、経過を徹底して明らかにして自浄能力の存在を示し、謝罪すべきである。そのうえで、「2014年1月5日・3弁護士見解」を撤回しなければ、選挙の公正や政治資金規制について語る資格はない。
私は、「保守陣営についてだけ厳格に」というダブルスタンダードを取らない。宇都宮君らが選挙についてどう語るかについてこれからも関心をもち、その言動に対しては保守陣営に対するのと同様に、批判を展開したいと思っている。
自浄能力のない政権へは、野党とメディアの批判が必要である。革新陣営が広く社会的な信頼を勝ちうるためにも、私の批判が有用だと信じて疑わない。
(2015年2月24日)