ああ維新よ、君を泣く。君、死神となるなかれ。
人を助けることは美しい行為だ。しかし、安倍内閣を助けようなどとは醜いたくらみ。平和憲法擁護こそが美しい立派な行為だ。ボロボロの戦争法案の成立に手を貸そうとは、不届き千万ではないか。仲裁は時の氏神という。だが、この期に及んでの維新の動きは、「時の死神」たらんとするものにほかならない。
そもそも、維新とは何ものか。誰もよくはわからない。おそらく当の維新自身にも不明なはず。自民を見限り、期待した民主党政権にも裏切られた少なからぬ有権者の願望が作りだした「第三極」のなれの果て。「自民はマッピラ、民主もダメか」の否定の選択が形となったが、積極的な主義主張も理念も持ち合わせてはいない。あるのは、民衆の意識動向に対する敏感な嗅覚と、自分を高く売り込もうという利己的野心だけ。
しかし、ここに来て大きな矛盾が露呈しつつある。「国民意識環境」の大きな変化が、ポピュリズムと利己的野心の調和を許さない状況を作りだしていることだ。ポピュリズムに徹すれば党の独自性発揮の舞台なく埋没しかねない。さりとて、利己的野心を突出させれば確実にごうごうたる世論の非難を受けることになる。
さらに、維新への世論の支持は急速に低下している。真っ当な良識からの評価は皆無といってよいだろう。議席の数は不相応な水ぶくれ。国会内での存在感も希薄だが、国会の外ではほとんどなんの影響力もない。次の国政選挙では見る影もなくなる公算が高い。「崩壊の危機」という見方さえある。彼らの危機感も相当なものであろう。
そのような折り、危機乗り切りの焦りからか、労働者派遣法改正法案審議での「裏切り」に身を投じた。どうやら、毒をくらわば皿までの勢い。農協法改正法案の「対案」を提出して自公との修正協議を迫っている。そして、いまや窮地に陥っている、戦争法案の救出に手を貸そうというシナリオが見え見えである。
しかし、ここはよく考えた方がよい。自公と組むメリットばかりに目が行っているようだが、それは確実に滅びの道なのだ。権力の甘い腐臭の誘惑の先には、食虫植物の餌となる昆虫の運命が待ち受けている。
我が身を安倍政権と与党に売り込むには、いまがもっとも高価に値を付けることができる時期との打算。しかし、安倍政権に手を差し伸べることは、憲法と平和を売り渡すことであり、そしていまや世論に背を向けることでもある。
戦争法案の違憲性は、既に国民に広く浸透し確信にまでなっている。丁寧に説明すればするほどボロが出てくる。安倍は、丁寧にはぐらかし、丁寧に都合のよい部分だけをオウムのごとくに繰り返してきたが、それでもこの体たらく。いまや、誰の目にも愚かで危険なピエロとなり下がってしまっている。
政府が法案を合憲と強弁する根拠は完全に破綻した。まさしく「違憲法案のゴリ押し」「憲法の危機」の事態が国民の目に明らかとなり、法案撤回を求める国民世論は大きく盛りあがっている。やや反応が鈍かったメディアもようやくにして重い腰をあげつつある。このとき、まさかの伏兵として維新が安倍政権に手を貸そうというのだ。
「維新の党が今国会に提出する安全保障関連法案の対案の骨子が16日、明らかになった。集団的自衛権を使って中東・ホルムズ海峡で機雷を取り除くケースを念頭に、『経済危機』といった理由だけで自衛隊を送ることができないようにする。安倍晋三首相は同海峡での機雷除去に強い意欲を示しており、修正協議になった場合の焦点になりそうだ。対案は来週にも国会に提出する。」(朝日)
政府も与党も大歓迎で協議に応じることだろう。
おそらくは、維新はこう考えている。
「いまこそ、我が党の存在感を示すとき。数の力では自・公が圧倒しているのだから、この法案はいずれ通ることになる。それなら、少しでもマシなものにしておくことで、世論のポイントを稼げることになるはず」
維新は、戦争法案推進勢力と反対勢力との間に立って、「時の氏神」を気取っているのだろう。しかし、朝日が報道する維新の「対案」は、政府提案の腐肉にほんのひとつまみの塩を振りかけた程度のもの。腐肉は腐肉。法案違憲の本質はまったく変わらない。維新案はその実質において、憲法の平和条項に対する死の宣告に手を貸すものである。
維新の諸君よ、鋭敏な嗅覚で世論の法案反対の高まりを見よ。戦争法の成立に手を貸すことが、国民の大きな怒りを招き自らの滅亡に至ることを直視せよ。だから、こう一声かけざるを得ない。「君、死神となるなかれ」と。
(2015年6月17日)