核廃絶の遅々たるを嘆く
放射能とはやっかいなものだ。
放射性物質を、
叩こうが砕こうが、
粉々にしてローラーで押し潰しても、
ダイナマイトで吹き飛ばしても…、
煮ても焼いても、
バーナーで熱処理しても…、
酸をかけてもアルカリでも、
いかなる化学処理も…、
放射能の毒性を稀薄化することは、
寸毫もできない。
除染とは、
散らばっている放射線物質の分布を、
多少拡散したり、位置を動かしたりする
それだけのことなのだ。
かつて地上に充満していた自然放射線が、
万年・億年単位の半減期を繰り返して、
ようやく生物の生存に適するまでに低減してきたのに、
なんと愚かな人間たちよ、
今またこの放射線値を上げているのだ。
放射能とはやっかいなものだ。
放射性物質を管理する職場では労働災害をもたらす。
外に漏洩すれば、環境を汚染して深刻な公害を引き起こす。
汚染された環境下の材料が加工されて商品となれば消費者被害だ。
いや、並みの労災、並みの公害、並みの消費者被害ではない。
生物の生存環境を根こそぎ奪いかねない被害の質と知るべきなのだ。
その放射能の恐怖を骨身に沁みて味わったのが、
1945年の8月6日と9日の以後のこと。
1954年3月1日にこれを繰り返し、
さらに2011年3月11日、3度目のこととしてしまった。
その福島第1原発事故による放射線被曝の恐怖が癒えぬうちに、
各地の原発は次々と再稼働される勢いだ。
核廃棄物の捨て場さえないのに
プルトニウムの増殖さえたくらんでいる。
人類が安全に生存する環境を破壊してまで、
目先の経済的な豊かさを追求しようという、
これも愚かな人間の性。
しかも、である。
本来廃棄しなければならない戦争のための武器として
放射性物質を大量にため込んで、
その暴発と漏洩の恐怖の中に人類が生存している。
これこそ人間の愚劣愚昧の象徴。
東京にもっとも近い放射線物質漏洩危険の場所は、
東海村でも、浜岡でもない。横須賀なのだ。
空母ロナルドレーガンが登載した原子炉2基の出力は120万キロワット。
津波がきたら、この原子炉がトーキョーとヨコハマをフクシマと化す。
原爆と水爆と、そして原発事故の三重苦を味わった日本。
4度目こそは、絶対にご免。ご免なのだが…。
核廃絶を求める国民世論は、かつて3000万筆の署名に結実した。
その核廃絶を願う国民が作ったはずの日本の政府は、何をしている。
国連総会は11月2日、
核兵器の非人道性を強調し、核廃絶への法的枠組みの強化を求める「人道の誓約」決議を、加盟193か国中の賛成128で採択した。
「唯一の被爆国」を称する日本は、どうしたか。
提案国にもならず、賛成票を投じることもなく、
棄権したのだ。なんたることか。
やっかいなのは放射能ではなく、
実は、人間の愚昧と、
政権の愚劣なのかも知れない。
嗚呼。
(2015年11月9日・連続第953回)