住民訴訟制度の「骨抜き」防止は、法改正と法解釈の両面で
昨日(11月10日)の毎日新聞に、興味深い記事。
見出しは、「住民訴訟:骨抜き回避 首長ら免責、係争中議決を禁止 総務省見直し案」というもの。
「総務省は9日、違法な公金支出をした自治体首長や職員に賠償を求める住民訴訟制度の見直し案を公表した。地方議会が首長らの賠償免除を議決し、裁判所が違法性の有無を判断しないまま住民の訴えを退ける例が目立つことから、係争中の議決を禁止する。
判決で行政側の責任が明確になることで、訴訟が『骨抜き』になるのを防止し税金の使い道の監視機能を高める効果がありそうだ。」というのが大意。
制度見直しの必要性について、現行制度「骨抜き」の実態をこう説明している。
「与党が多数を占める議会では、…自治体の賠償請求権を放棄し、支払いを免除する条例を係争中に議決。裁判所が公金支出の違法性を判断しないまま、住民が敗訴する例が相次ぎ、問題視されている。
係争中の議決を禁止すれば、裁判所は公金支出が違法か適法かの判断を示すことになる。判決確定後、議会が監査委員の意見を聞いた上で、賠償金の支払いを免除することは認めるが、違法性が明確になれば、住民の批判を押し切って賠償免除を議決するのは難しくなる。免除となるのは、当事者の首長らが死去するなど限定的なケースを想定している。」
政府は来年の通常国会でこの内容の地方自治法改正案提出を目指すとしている。共同通信も同内容の短い記事を配信している。この制度の趣旨の「骨抜き」許さない法改正に賛成だ。ぜひ早期に実現してもらいたい。そして、住民訴訟制度が使い勝手のよいものとなって大いに活用されることを望んでいる。
この「住民訴訟制度」は、たいへんに有益なもの。地方自治体といえども、立派な権力である。権力の行使は厳格に適法でなくてはならず、その適法性を住民が監視し、違法あれば声を上げて是正しなければならない。自治体の財務会計上の行為に違法の疑いがある場合、住民であればたった一人でも裁判所に訴えることができる。
例えば、市長に違法な行為があってそのために市が、被害者に損害を賠償すると、市長が市にその賠償支払の金額について違法に損害を与えたことになる。本来は市が市長個人に対して、この穴を埋めるよう請求することがスジではあるが、現実にはなかなか実行されない。こんなとき、住民がたった一人でも、市に代わって「市長(個人)は、市に与えた損害を賠償せよ」と訴訟を提起することができる。このとき、「住民一人の言い分よりも、多くの市民の代表である市長の言い分を聞け。それが民主主義ではないか」という言い訳は通用しない。
地方権力の違法行為の抑止、市民による地方権力監視の実効性確保の手段として有効なこの制度だが、賠償請求権は飽くまで自治体が持っており、原告となる市民は自治体を代位して請求する構造なのだから、自治体が権利を放棄すると裁判が成立しなくなる。
ここに目をつけて、地方議会が首長らの賠償免除を議決し、裁判所が違法性の有無を判断しないまま住民の訴えを退ける例が目立つのだという。まさしく、「制度の趣旨の骨抜き」だ。これを防止するために、係争中の債権放棄議決を禁止するという。けっこうなことだ。
当ブログは、この問題を何度か取り上げている。「高層マンション建設を妨害したと裁判で認定され、不動産会社に約3100万円を支払った東京都国立市が、上原公子元市長に同額の賠償を求めた訴訟」の実例を素材にしてのもの。
経過の概要は次のとおりだ。先行する住民訴訟において、東京地裁判決(2010年12月22日)が上原公子元市長の国立市に対する賠償責任を認容し、この判決は確定した。上原元市長は国立市に対する任意の支払いを拒んだので、同市は元市長を被告として同額の支払いを求めた訴訟を提起した。
ところが、その判決の直前に新たな事態が出来した。市議会が、11対9の票差で、裁判にかかっている国立市の債権を放棄する決議をしたのだ。東京地裁判決は、この決議の効果をめぐっての解釈を争点としたものとなり、結論として国立市の請求を棄却した。
「増田稔裁判長は請求を棄却した。同裁判長は『市議会は元市長に対する賠償請求権放棄を議決し、現市長は異議を申し立てていないので、請求は信義則に反し許されない』と指摘した。」(時事)と報じられている。
これこそ、制度骨抜きの典型事例であろう。元市長の行為の違法性の判断ではなく、債権放棄決議の法的効果が争点では、国立市民にとっても不本意な判決であろう。問題は、たった一人でも行政の違法を質すことができるはずの制度が、議会の多数決で、その機能が無に帰すことになる点にある。
仮に債権放棄決議が単なる内部的行為にとどまらず、有効に債権を消滅させる行為であるとすれば、訴訟上確定した国立市の債権3100万円(と遅延損害金分)の放棄決議は、市の財産を消滅させる行為である。当然に賛成票を投じた議員11人の法的責任が生ずることになる。その場合は、経過や動機等の諸事情を勘案して投票行動の、違法性と過失の有無が論議されることになる。そして、この責任も監査請求を経て住民訴訟の対象となり得る。本来、債権放棄決議は、そこまでの覚悟がなければできないことなのだ。
なお、最高裁は、古くから「市議会の議決は、法人格を有する市の内部的意思決定に過ぎなく、それだけでは市の行為としての効力を有しない」としてきた。高裁で分かれた住民訴訟中の債権放棄議決の効力について、最近の最高裁判決がこれを再確認している。
2012(平成24)年4月20日と同月23日の第二小法廷判決が、「議決による債権放棄には、長による執行行為としての放棄の意思表示が必要」とし、これに反する高裁判決を破棄して差し戻しているのだ。
なお、2014年9月25日付け当ブログは、総務省の第29次地方制度調査会「今後の基礎自治体及び監査・議会制度のあり方に関する答申」(2009年6月16日)に触れた。
その結論は、「住民に対し裁判所への出訴を認めた住民訴訟制度の趣旨を損なうこととなりかねない。このため、4号訴訟の係属中は、当該訴訟で紛争の対象となっている損害賠償又は不当利得返還の請求権の放棄を制限するような措置を講ずるべきである。」というもの。今回、これが具体的な制度改革案として成案に至ったのだ。
https://article9.jp/wordpress/?p=3589
国立市事件の控訴審判決は間近とのこと。「骨抜き」防止は、法改正だけでなく、法解釈においても貫いていただきたい。
(2015年11月11日・連続第956回)