(2024年8月13日)
89年前。1945年の8月まで、軍国日本は戦争に継ぐ戦争を続けてきました。そして、45年8月の敗戦を機に、平和国家に生まれ変わった日本は、今日まで戦争をすることなく、長い平和を謳歌してきました。今後とも、この貴重な平和を続けるべく、改めての決意を確認すべきが、9条を持つこの国の国民の8月のあり方。
明治維新後の10年で、日本の内戦は終わります。それ以降、日本は「富国強兵」を掲げて国外で戦争を続けてきました。「富国強兵」とは、国家が「強兵」を養って侵略戦争を起こし、敗戦国を植民地として富を収奪しようという、とんでもない軍国のスローガンでした。
台湾出兵、朝鮮侵略、日清戦争、日露戦争、日独戦争、シベリア出兵、そして当時は満州事変・北支事変と名付けられた日中戦争の泥沼に陥り、1941年12月8日には、英米蘭に不意打ちを仕掛けて太平洋戦争を開始しました。世界の目には、この上なく危険な好戦国・軍国日本の印象が強かったことと思われます。
もちろん、戦前の戦争に継ぐ戦争は、天皇を頂点とする非民主的な国家が行ったもので、民衆の意思で行われたものではありません。大日本帝国憲法では、宣戦布告も、講和も、天皇の専権事項とされ、国民は臣民としての身分しか与えられていませんでした。だから、戦争は天皇の命令によって天皇の軍隊が行ったものです。あの戦争は天皇が準備し、天皇が開戦し、天皇が爆撃し、天皇が町を焼き、天皇が多くの人を殺傷した戦争でした。
しかし、当時の日本の民衆の多くは、決して戦争を呪ったわけでも嫌ったわけでもありません。多くは徴兵を忌避しませんでした。むしろ、積極消極濃淡はあったにせよ、戦争を支持していました。その理由はいくつも考えられますが、多くの国民にとって戦争は「富国」の源泉と考えられていました。言わば、近隣諸国を食い物にして、日本が繁栄する手段との実感があったと思われます。
それだけでなく、戦場は遠い外国で、国民の身のまわりに戦火の被害はなかったのです。何人かの知り合いの息子は出征して戦地で苦労はしているようだが、自分の住む町に爆弾は落ちてこなかったのです。
この様相は、ガラリと変わりました。79年前の8月、連合国との勝ち目のない戦争を続けていた日本は、絶望的な戦況を迎えていました。沖縄だけでなく、東京も大阪も焼かれていました。誰の目にも、敗戦は必至でした。
この年の2月には、有名な近衛上奏文が早期終戦を求めています。近衛文麿は、太平洋戦争に突っ込んだ東条内閣の前の内閣総理大臣。その人が、敗戦は必至だから今のうちに戦争を止めた方が利口だ、と天皇ヒロヒトに上奏したのです。今のうちの終戦なら、國体の護持は可能だし、戦後の共産主義革命も防止できる、という内容。しかし、ヒロヒトは、これに耳を貸しません。「もう一度戦果を上げてから」と希望を述べただけ。
このときヒロヒトが真摯に考えて近衛の考えを受け入れていれば、3月10日に10万人の東京都民が死ぬことはなかった。東京山手空襲も、大阪空襲も、名古屋空襲も、釜石艦砲射撃もなかった。4月1日から6月23日までの沖縄地上戦の惨劇も避けられたのです。
そして、ポツダム宣言の発付は7月26日。これは受諾するしかなかった。にもかかわらず、グズグズしているうちに、8月6日には広島に、9日には長崎に原爆が落とされる。さらに9日にはソ連の対日参戦という決定的な新事態も生じる。もちろん、原爆を落としたアメリカの責任を忘れてはなりませんが、「遅すぎた聖断」の天皇ヒロヒトの責任も限りなく大きい。
こうして8月14日、ようやくにして天皇はポツダム宣言を受諾し、15日に「日本が戦争に負けた」ことをラジオ放送します。15年続いた過酷な戦争が終わっただけでなく、繰り返されてきた侵略戦争の歴史も、軍国日本も、妙ちきりんな天皇の御代も、このときようやくにして終わったのです。
戦争の元兇だった天皇は、神でもなく、主権者でもなく、軍の統帥者でもなくなります。が、連合国(≒GHQ)は東条英機以下の戦犯を死刑にしながら、思惑あって天皇を戦犯として訴追せず、天皇は生き延びることになります。
かつての軍国の戦争に国民の責任はありません。何しろ臣民に過ぎなかったのですから。国民は被治者として、すべての情報から遮断され、唯々諾々と為政者に従うべき存在に過ぎませんでした。
今は違います。国民は主権者です。すべての情報にアクセスしなければなりません。そして、戦争につながる一切の国家の動きを不断に監視し、遠慮するところなく批判の言論を行使すべき責務があります。
かつての臣民に戻ることを絶対に拒否しましょう。自分たちの運命が、知らないところで、知らない人に、知らないうちに決められる、などと言う屈辱を拒否しましょう。主権者としての矜持をもって、権力を持つ者にも、権威あるとされる者にも、操られることを拒否しなければなりません。
そして、「平和のために、戦争を準備しよう」などという現政権の倒錯した論理を許さず、「平和を擁護するためには、やっぱり平和を準備するしかない」そう、あらためての決意を固めましょう。
以上、地元9条の会からの、8月の訴えでした。ご静聴、ありがとうございます。
(2024年8月6日)
8月6日である。毎年、厳粛な気持ちでこの日を迎える。今年は、厳粛なだけでなく焦慮の気持ちも抱かざるを得ない。併せて、少なからぬ恐れの気持ちも。
当然のことながら、人は過つ。時には、大きく過つ。が、人は過ちから学ぶ。大きな過ちからは、深く学ぶ。この、過ちを省み、過ちを繰り返すまいとする習性と能力によって、人は生き延びてきた。個人としても、国家や民族としても、そして人類としても。
戦争は国家の大きな過ちである。しかし、国家は戦争の惨禍から深く学んだだろうか。戦争を繰り返さぬよう、十分な反省をしたであろうか。残念ながら、今なお戦争は繰り返されて絶えることがない。
核戦争は、さらに大きな人類の過ちである。徹底した自省なければ、人類の滅亡を招きかねない。だから私たちは、死者に向かって、語り続け、誓い続けなければならない。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と。
本日の平和公園での平和記念式典。事前に幾つかの問題が語られていた。公園へのデモ隊の入場規制、手荷物検査、そしてウクライナの参加は認めず、イスラエルには認めるというちぐはぐさ。それでも、式典には被爆者や遺族の代表をはじめ、岸田文雄首相や、109か国の大使などを含むおよそ5万人が参列した。
広島市の松井一実市長は、主催者としての平和宣言で核抑止論の危険を訴えた。
「国際問題を解決するためには拒否すべき武力に頼らざるを得ないという考え方が強まっている」「心を一つにして行動すれば、核抑止力に依存する為政者に政策転換を促すことができるはずだ」と呼びかけた。
また、岸田首相を前に、日本政府に対しては、来年3月の核兵器禁止条約の締約国会議にまずはオブザーバーとして参加することを求め、さらに一刻も早く締約国になるよう求めている。まずまずの内容。
注目を集めたのは、湯崎英彦広島県知事のあいさつ。
「現在も、世界中で戦争は続いています。強い者が勝つ。弱い者は踏みにじられる。現代では、…男も女も子供も老人も銃弾で撃ち抜かれ、あるいはミサイルで粉々にされる。国連が作ってきた世界の秩序の守護者たるべき大国が、公然と国際法違反の侵攻や力による現状変更を試みる。それが弥生の過去から続いている現実です。
いわゆる現実主義者は、だからこそ、力には力を、と言う。核兵器には、核兵器を。しかし、そこでは、もう一つの現実は意図的に無視されています。人類が発明してかつて使われなかった兵器はない。禁止された化学兵器も引き続き使われている。核兵器も、それが存在する限り必ずいつか再び使われることになるでしょう。
私たちは、真の現実主義者にならなければなりません。核廃絶は遠くに掲げる理想ではないのです。今、必死に取り組まなければならない、人類存続に関わる差し迫った現実の問題です。」「現実を直視することのできる世界の皆さん、私たちが行うべきことは、核兵器廃絶を本当に実現するため、資源を思い切って投入することです。想像してください。核兵器維持増強の十分の一の1.4兆円や数千人の専門家を投入すれば、核廃絶も具体的に大きく前進するでしょう。」
そして、最後を「『過ちは繰り返しませぬから』という誓いを、私たちはいま一度思い起こすべきではないでしょうか。」と締めくくっている。
愚かな核戦争の過ちは、繰り返すことができない。過ちを予防するには核廃絶以外の途はなく、そのためには核抑止論を克服して、核禁条約を締結する大道を歩むしかない。
本日は、原爆の犠牲者に合掌するだけの日ではない。核抑止論を克服して、我が国に核禁条約を批准させることを誓う日でもあるのだ。
(2024年8月5日)
今、話題の人物と言えば、広瀬めぐみ。瞬間のことではあろうが、国会議員として最も知名度の高い「時の人」である。この人のやること、とても分かり易い。分かり易く、自民党のなんたるか、自民党議員とはいかに破廉恥な存在であるかを、身をもって世に知らしめる貴重な役割を果たしている。まことに得がたい人物と言わねばならない。
袖擦り合ったこともない間柄だが、私とは同郷の盛岡出身、そして所属弁護士会も活動分野も異なるにせよ弁護士だそうだ。真面目に、普通の弁護士として身を処していればよいものを、なまじ選挙に担ぎ出されて汚名をさらすことに。いや、実にタイミング良く、自民党の没落を目指して八面六臂の大活躍となった。
2年前の夏、22年7月10日投開票の参院選岩手選挙区で、広瀬は26万4000票を獲得して当選した。何の実績も理念もない候補者、政治家としてこれをやりたいという個性もアピールもない、典型的な数合わせのためだけの陣笠議員。こんなものに、26万人を超える県民が票を投じたのだ。おそらくは、その大部分が、「こんな候補者に投票した覚えはない」「こんな人物と知っていたら投票したはずはない」「ダマされた」「票を返せ」と思っているに違いない。ダマしたのは、広瀬ではなく、自民党である。
「故郷の誉れ」「故郷に錦」などという言葉がある。疑いもなく、広瀬めぐみは「故郷の恥」「岩手の恥さらし」となった。いや、県内全域に自民への嫌悪感を醸成した点において、故郷岩手民主化の功労者と言うべきであろう。表彰に値する。
この人の頭の中はネトウヨ並みである。およそ知性とは縁がない。
自民党公認の参院選予定候補者になって後の22年2月4日、自身のツイッターで広瀬は、無知をさらけ出して、以下のたどたどしい反共作文を投稿をしている。
「立民は資本主義、民主主義に立脚するはずなのに、なぜ、個人の資本を否定する共産党と組めるのか、法律家の私には最大の謎。自分の稼いだものも、他人の稼いだものも、すべて“みんなのもの”で、党が管理し分配する“共産主義”と手を組んだのですよね?!私たちの自由を手放したも同然じゃないですか。」「票取りのために耳触りのよいことを言っても、本質は個人の自由を認めない共産主義。どれだけ恐ろしいかは歴史が証明していると思います。」
なんと底の浅い前世紀の、いや19世紀の世迷い言。この人、資本主義も民主主義も共産主義もまったく分かってはいないのだ。《自分の稼いだものも、他人の稼いだものも、すべて“みんなのもの”で、党が管理し分配する“共産主義”》《個人の自由を認めない共産主義》って、どこの宣伝物からの借り物なのだろうか。統一教会による反共宣伝のウロ覚えのレベル。
なお、「耳触りのよいこと」は、現在の国語としては間違い。こういう言語感覚の鈍い人の言葉づかいは、どうにも「耳障り」で抵抗感が強い。
まずはエッフェル姉さんの一人として名を馳せ、次いで赤いベンツの不倫騒動で世の中の顰蹙を買い、国会では居眠りの大写しで恥をかき、そして今回の公設議員秘書報酬詐欺疑惑。国会議員が東京地検特捜部から詐欺の疑惑ありとされ、しかも、弁護士が強制捜査の対象とされているのだ。こんな屈辱的なザマはない。
もちろん、権力による理不尽な弾圧という可能性もないではない。ならば、敢然と検察権力と闘う姿勢を見せなければならない。しかし、広瀬にはそのような毅然たる態度の片鱗もなく、定番コースの離党届け提出止まり。闘う姿勢は皆無というばかりでなく、身を引く潔さも微塵も見えない。
通常の羞恥心を持つ「廉恥の人」なら、即刻身を引いて議員辞職をするところだろう。このあと、不倫問題専門弁護士として身を処すこともできないではなかろう。しかし、ここで身を引いてもらっては身も蓋もない。飽くまで議員としてのイスにしがみついて、残る4年間の歳費をもらい続けるのが、自民党公認候補として当選した議員の正しい姿ではないか。また、潔く身を引いては、広瀬めぐみの広瀬めぐみたる所以も失われかねず、それではまことに惜しい。
私は、同郷人として、また一人の弁護士として、議員としての広瀬めぐみを応援し続けたい。できることなら、次の選挙まで何もせず、ただただ、歳費の取得を続けていただきたい。自民党の候補者だ、当選のためには定めし金も使ったであろう。投下資本を回収するまではがんばらなくちゃあ。できることなら、不倫も復活し、議会ではもっと派手に居眠りして、その醜態を国民にさらし続けていただきたい。
そのようにして初めて、故郷岩手の有権者に貴重な教訓を与えることができる。うっかり自民党公認候補などに投票すると、こんなばかげたことになるという優れた見本として、真に役に立っていただけることにもなる。岩手の有権者が、「こんな薄汚い候補者に投票した覚えはない」という臍を噛むレベルを超えて、「二度と自民党の推す候補者に投票などするものか。絶対に」と決意していただくまで、広瀬議員にはもう一働きお願いしたいのだ。わが故郷、岩手の民主主義の発展のために。
(2024年8月1日)
連日の猛暑と豪雨の中で暦は8月になった。間もなく6日と9日を迎え、やがて15日となる。戦争の惨禍を心に刻み、平和を希求すべき季節、8月。
昨日(7月31日)、「法と民主主義」2024年8・9月号【591号】が発刊となった。特集は、この時期にふさわしく、《第五福竜丸被爆から70年― 突きつけられた課題の今》。この時期にふさわしいという理由は、原水爆の禁止を求める平和運動は、1954年の第五福竜丸被爆を期に国民的大運動となったからだ。
なお、今号の責任編集担当は、私である。公益財団法人第五福竜丸平和協会の全面協力を得て、充実した内容になっている。あらためて、協会に篤く御礼を申し上げたい。
法と民主主義|日本民主法律家協会 (jdla.jp)
リード(抜粋)
「第五福竜丸」がビキニ環礁で被爆してから、今年で70年になる。本特集は、70年前の衝撃を振り返り、この時に提起された課題の現状を確認しようとする企画である。ことは、人類の生存に関わる重大事である。事態は、今なお深刻であるが、人類の叡智と良識に根差した平和を求める運動の昂揚に光明を見出したい。
1954年3月1日、アメリカは南太平洋上で「ブラボー」と名付けられた15メガトンの大気圏内水爆実験を行った。広島に投下された原爆の1000発分の規模である。爆心地から東に160キロの海域で操業中の第五福竜丸船員23名全員が、その死の灰を浴びて「急性放射線症」に罹患した。同月14日、同船が母港焼津に帰港して日本中がことの重大さに驚愕することになる。各地の漁港に水揚げされた「原爆マグロ」が廃棄処分となり、全国に「放射能の雨」が降った。そして、9月23日には無線長久保山愛吉氏が闘病虚しく、国民注視のうちに亡くなった。この悲劇の体験は、あらためて原水爆と放射線の恐怖を国民共通のものとし、原水爆禁止を求める国民運動の発火点となった。
同年3月の内に神奈川県三崎町と静岡県焼津市の各議会が、全国に先駆けて原爆禁止の決議を成立させ、4月からは各地で原水爆反対の署名運動が始まっている。この署名運動は前例のない規模で国内から海外に広がり、最終的な署名者数は日本国内で3000万人、世界では6億人を超えたとされる。
このうねりは、翌1955年8月の第一回原水爆禁止世界大会の開催となり、9月には「原水爆禁止日本協議会」の結成に至る。また、翌56年8月には「日本原水爆被害者団体協議会」(被団協)の結成を見ている。さらに、原水爆の禁止を求める声は世界の良識を動かし、ラッセル・アインシュタイン宣言を経て、核兵器廃絶を目指す国際世論を形成した。
久保山愛吉氏が遺した「原水爆の被害者は、私を最後にして欲しい」という言葉は、幾つかの課題を提示している。まずは、核兵器の廃絶である。核抑止論の神話に支配されて核軍拡と核拡散を進めている世界の異常を正気に復さなければならない。今、その鍵となる現実的な運動課題は、核兵器禁止条約の世界各国での批准の実現である。
次いで、放射線の恐怖から人類を救う課題である。入市被曝・黒い雨・ビキニ被災・福島原発事故・原発の存廃と連なる問題として顕在化しているが、本来は地球史的な環境問題である。核兵器だけでなく、原発事故がもたらした地球規模の環境汚染が人類の生存を脅かしている。
さらに、核被災の被害救済も突きつけられた課題となっている。ビキニで被災した漁船は第五福竜丸だけではなかった。高知船籍船を中心に900隻もの被災漁船があった。もちろん、現地住民の被害は遙かに深刻である。広島・長崎の被爆者救援は十分ではない。被害を確認し責任を明確にすることは、再発の防止に不可欠である。
世界終末時計が「設置」されたのは1947年。この時の表示時刻は、終末までの時間は「あと7分」と警告された。米ソの核開発競争が進んだ1954年当時には、時計の針は「2分前」まで進んでいた。幸い、冷戦終結の1991年には、針は「17分前」まで戻ったが、ロシアがウクライナに侵攻して戦術核兵器の使用を口にしている今、終末時計は「90秒前」を指している。危機は、ここまで進行しているのだ。核兵器の恐怖も、放射線の脅威も深刻ではあるが、ビキニ事件を機に世界に昂揚した反核運動は今なお健在である。
本特集には10本の貴重な論稿をいただいた。概要をご紹介しておきたい。
◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆ビキニ事件とラッセル=アインシュタイン宣言 … 奥山修平
◆広島、長崎とビキニを結びつけるもの
── 苦しみと孤独に耐え続けた原爆被害者が立ち上がった … 田中煕巳
◆キャッスル作戦・ブラボー実験と被ばく … 豊?博光
◆核兵器禁止条約 ── その意義と批准に向けた運動の現在 … 川崎 哲/浅野英男
◆地球環境汚染問題としての放射線被曝 ── 人類史的視点から … 樋口敏広
◆核実験による日本漁船の被災 … 市田真理
◆高知のビキニ事件 ── ビキニ被ばく船員訴訟の原告として … 下本節子
◆ビキニ被ばく船員訴訟 ── 力による切り捨てと時間の壁を越えて … 内藤雅義
◆反核運動における法律家の役割 ―― 「原爆裁判」を材料として … 大久保賢一
◆第五福竜丸は航海をつづける … 安田和也
◆資料:「朝日新聞」投書「沈めてよいか第五福竜丸」/美濃部都知事メッセージ
特集以外の記事は以下のとおり。
◆連続企画・憲法9条実現のために(53)
アジアの民主的法律家によるCOLAP日本大会 … 笹本 潤
◆司法をめぐる動き〈96〉
・7月3日優生保護法国賠事件最高裁大法廷判決 ── すべての優生手術被害者の解決へ道開く … 新里宏二
・6月の動き … 司法制度委員会・町田伸一
◆メディアウオッチ2024●《問われるジャーナリズムの役割》
国民の「知る権利」と「公益通報」 知らせる責任、知らせる義務 … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№30〉
今も「熱血弁護士」 … 梓澤和幸先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№61〉
「憲法問題は先送りできない課題の最たるもの」と発言する岸田首相 … 飯島滋明
◆書籍紹介
◆時評●地獄の門の扉開く地球環境と国際社会の混迷 … 鷲野忠雄
◆ひろば●問われる民主主義と選挙制度 ── 24 東京都知事選 … 丸山重威
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(2024年7月31日)
異様に暑かった2024年7月が終わる。炎暑・熱暑・酷暑・猛暑・激暑と並べても、この暑さの実感に追いつく言葉が見つからない。身体に応える。時に意識が朦朧となる。8月は、もっと暑くなるのだろうか。そして、来年は、再来年は?
暑い7月だったが個人的には忙しかった。101号法廷での証拠調べが7月中に2回、私も二人の尋問を担当した。控訴審の第1回法廷が2回。ほかに、医療過誤事件も、電子署名の効果を争う事件もあり、突然の被疑者接見も、「法と民主主義」の編集担当も。偶然に仕事のムラがいくつか重なったからだが、やりがいのあることに忙しいのだから、ありがたいこととも、贅沢なこととも思う。
忙しさの最後が、7月25日の「統一教会スラップ・有田訴訟」の控訴審第1回口頭弁論期日(101号法廷)。事前の準備は忙しかったが、当日の法廷は淡々と進行した。型どおりに、控訴状、控訴理由書、控訴答弁書の各陳述、新たに提出の書証甲31?48(いずれも写)の取り調べのあと、被控訴人本人有田さんと、代理人澤藤大河の意見陳述があって結審となった。判決言い渡し日は、追って指定。
事前の裁判所との打合せで、意見陳述の時間は、有田さん4分・代理人6分と予定されていた。まず、有田さんが当事者席で立ち上がって、「被控訴人有田芳生より、当事者として意見を述べます」と語り始めた。
「「朝日ジャーナル」や「朝日新聞」が統一教会や霊感商法を批判した1980年代。信者たちは上司(教会内部ではアベルといいます)の指示に従って、朝日新聞社に抗議電話を殺到させ、そのため周辺のがんセンターや築地市場の電話回線までパンクする事態が生じました。」と言ったあたりで、裁判長から声がかかった。有田さんの身体が、明らかに100人に近い傍聴人の側を向いた演説になっていたからだ。おそらくは、裁判長に違和感が大きかったのだろう。
裁判長は、こう声をかけた(ように記憶している)。「お気持ちは分かりますが、こちらを向いてお話しいただけませんか」「あるいは、相手方に向かってお話ししては」と、たしなめる調子。有田さんは、やや怪訝な面持ちだったが、「それでは始めからやり直します」と、裁判長を向いて再び話を始めた。かつて統一教会は、批判の言論に対して、実力をもってする嫌がらせで対抗したが、今は、それに換わってスラップ訴訟を提起しており、無視できない成功をおさめていると時間内で話し終えた。裁判長は、よく聞いてくれたように思う。…… 事実としてはそれだけのことなのだが、その場に立ち会った私には幾つかの感想があった。
まず、有田さんの気持を忖度してみよう。
「法廷という構造物が作る空間において最も敬意を示されるべき場は傍聴席ではないか。なにしろ、そこは主権者が席を占める場なのだから。傍聴席の主権者は、主権者自らが託した司法作用が適正に運用されているかを見守っている。当事者席に立って、裁判長に正対すれば、傍聴席の主権者に背を向けて、敬意を表すべき主権者をないがしろにすることになってしまう。私は傍聴席の主権者に向かって発言し、裁判所はその発言を耳に留め置けばよいのだと思う」
裁判長には別の思いがあっただろう。以下のようなものであろうか。
「この法廷の主宰者は私だ。私がこの法廷の秩序を維持し、それぞれの当事者の主張を公平に正確に聞く立場にある。当然に法廷での発言は私に向かってなされるべきで、私は聞く耳をもっている。有田さんが傍聴席に向かって発言したのは意外なことだが、分からないではない。傍聴席は社会に開かれている。この法廷での出来事を社会に発信しようとすれば、自ずと傍聴席に向かってお話しする姿勢となるのだろう。しかし、ここは法廷なのだから、社会への発信よりは、裁判長である私に語りかけていただきたいのだ」
有田さんと裁判長。いったんは、両者の思惑は鋭く角逐した。が、裁判長の物言いが柔らかで、有田さんが傍聴席にこだわらず、始めからやり直します、と言ったため法廷の雰囲気は和やかになった。
刑事事件法廷の公開については、憲法37条が「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と定め、民事事件については憲法第82条1項が「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」としている。刑事も民事も、密室での裁判は許されない。主権者の不断の監視あってこその公平・公正な司法なのだ。もっとも、裁判傍聴を主権者としての権利と位置づけられているわけではない。
なお、この事件の裁判長は太田晃詳(39期)。前任の大阪高裁民事部勤務時代の2022年2月22日、旧優生保護法を違憲とし、初の賠償命令判決を言い渡した裁判長として知られる。下記がその報道(日経)である。
「旧優生保護法(1948?96年)下で不妊手術を強制されたとして、近畿地方に住む男女3人が国に計5500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が(2022年2月)22日、大阪高裁であった。太田晃詳裁判長は旧法を違憲と判断し、計2750万円の賠償を命じた。全国9地裁・支部で起こされた訴訟で初の賠償命令。今後の被害者の救済のあり方に影響を与える可能性がある。」
(2024年7月30日)
2024年7月がもうすぐ終わる。ひたすらに暑いというだけの7月ではなかった。我が国の人権と司法にとって、珍しく明るい話題が提供された7月であった。
7月3日、最高裁大法廷は、旧優生保護法を違憲とし、同法に基づいて特定の障害に不妊手術を強制した国に賠償を命じる判決を言い渡した。
判決は、旧優生保護法の当該条項を「個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反する」とし、「国会議員の立法行為は、国家賠償法1条1項の適用上違法」と断じた。優生保護法を成立させた議員の立法行為を違法と明言した点で、画期的な判決と言ってよい。
7月17日、岸田文雄首相は原告の障害者ら130人と首相官邸で面会し、「政府の責任は極めて重大。心から申し訳なく思っており、政府を代表して謝罪を申し上げる」と、障害者らに直接謝罪した。
また、確定していない他の関連訴訟において、20年たつと賠償請求できない「除斥期間」の主張を撤回する方針を表明。「和解による解決を速やかに目指す」とし、新たな補償制度の創設については本人と配偶者も含めて幅広く対象とする考えも示した。
7月24日には超党派の議員連盟プロジェクトチームが発足し、次の国会に向けての新たな補償制度などに関する議論が始まった。
そして昨日(7月29日)、政府は全閣僚で構成する「障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた対策推進本部」の初会合を首相官邸で開いた。3日の最高裁判決を踏まえて、本部長の岸田文雄首相は、「障害者への社会的障壁を取り除くのは社会の責務であり、社会全体が変わらなければならない。偏見・差別の根絶に向け、政府一丸となって取り組む」と強調したと報じられている。遅きに失したとは言え、その姿勢は評価に値する。
ところで、旧優生保護法が成立したのは1948年6月。超党派議員の議員提案の法案審議ののち、衆参両院とも全会一致での立法であった。日本国憲法の施行が47年5月のこと、基本的人権という概念すらなかった天皇制国家からの脱却不十分な時期とは言え、全会一致には驚くしかない。
立法府の議員たちは、皇国思想に親和性の高い優生思想に取り憑かれていた。内心まで汚染されていたと言っても、マインドコントロールから抜け切れていなかったと言ってもよい。民族や国家のための個人、社会や国家あっての個人、という固定観念から逃れ切っていないのだ。「君のため国のために、身を捨つることこそ臣民の道」と叩き込まれた人々である。人の成長のすべてを、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂させる教育勅語で育てられた世代である。「障害者に生きる価値はない」と公言することはないにせよ、「国家社会の見地からは、重度の障害者は生まれてこなくてもよい」「生まないようにした方がよい」との思いから抜けきれなかった。新米主権者としての議員の、そのような思いが残酷な立法を可能にした。
石原慎太郎という、いたって口の軽い、その意味では分かり易い、極右の政治家がいた。今、小池百合子を知事にしている都民は、かつてはこの石原を都知事にした。1999年9月、就任早々の石原は、重度障害者療育施設である府中療育センターを視察して、こう発言した。「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。みなさんどう思うかな。絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」「ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする」
実に分かり易く、優生思想のなんたるかを語っている。1948年における「無数の石原慎太郎」が旧優生保護法を立法し、よにしてにして2024年7月の最高裁が、優生思想による立法を違憲違法と断じたのだ。
憲法13条に「個人の尊重」、24条2項に「個人の尊厳」という言葉が出てくる。これが、近代憲法のヘソだ。手段的な価値ではない、目的的な憲法価値。「個人の尊重」「個人の尊厳」こそが、公理である。
国家に有用だから、社会に有益だから、人は尊ばれるのではない。人は人であるだけで、人は人であればこそ、尊厳を有し尊重されなければならない。いかなる人も、人である限り、分け隔てなく等しく、その人格の尊厳を重んじられなければならない。
人は平等である。「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」その他一切の理由で差別されることはない。もちろん、身体的知的な障害の有無や程度によって差別されることはない。
基本的人権の帰属主体である個人は、国家や、社会や、経済力や、同調圧力等々と対峙する存在である。国家や社会や経済力や同調圧力や、つまりは多数派の側からものを見るのではなく、基本的人権の側から、つまりは個人の尊厳を出発点にしてものを考える立場に立てば、7月3日大法廷判決となるのだ。
憲法施行からそろそろ80年。ようやくにして、教育勅語の残り滓の腐敗臭を脱した大法廷判決が言い渡されて、政治も社会もこれを受け容れる素地ができたように見える。感慨一入である。
(2024年7月26日)
一昨日(7月24日)の朝日.comの記事の表題に、「《踏め》と命じられた昭和天皇の写真 移民たちは拒否し収監された」「迫害された日系移民 ブラジルで何が起きたか」。
ブラジルの日系人社会には、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏戦した後もなお、皇国の敗戦を受け入れられずに「帝国が連合国に勝った」と信じ込んでいた人々がいた。これが、「勝ち組」である。その勝ち組をあぶり出すための方策として、ブラジル当局は、踏み絵を使ったという。
周知のとおり、踏み絵は江戸幕府の官僚の考案で、世界に名だたる日本の発明である。ブラジル当局は、400年前の日本の発明技術を日本人に向けて用いた。さあ、この絵を踏め、踏めなければ「勝ち組」と見なして拘束する、と。使われた絵は、キリストやマリアの聖画ではなく、天皇(ヒロヒト)の写真と「日の丸」だったという。記事の概要は以下のとおり。
終戦直前、勝ち組は「臣道連盟」という団体を結成。日本が戦争で勝ったことを信じて疑わなかった。「大本営発表しか聞いていないから当然だった。日本が日露戦争や第1次大戦で勝ち、『負けるはずがない』という思いもあったのだろう」。
46年3?7月、勝ち組は負け組らに対する複数の殺人事件を起こし、日系社会は混乱した。日本の特高警察にあたるブラジルの政治警察は、各地の臣道連盟幹部ら1200人を拘束。警察署では日の丸か昭和天皇の写真を床に置き、踏むように命じた。多くが従ったが、拒んだ150人超はアンシエッタ島の施設に送られて監禁されたという。
「日本人として天皇の御写真を踏むなど絶対に出来る事ではないのである」という勝ち組幹部の言葉が、紹介されている。
注目すべきは、天皇の写真だけでなく、「日の丸」も踏み絵に使われたということ。おそらくは、「日本人として「日の丸」を踏むなど絶対に出来る事ではないのである」という勝ち組もいたということなのだ。
人の内心は普段は伺うことができない。が、特定の状況で、特定の行為を強いることによって、人の内面をあぶり出し弾圧することができる。踏み絵は、そのために開発された技術であって、偉大な日本の発明なのだ。「日の丸」も、内心のあぶり出し道具として有用だった。
「「日の丸」を踏め」と命じることで、日本への忠誠心の有無を量ることができるのと同様、「「日の丸」に敬意を表して起立せよ」と命じることもまた、人の内心をあぶり出すことになる。起立できるか、できないか。その態度を見ることによって、踏み絵と同じ役割と効果を目論むことができる。
7月18日(木)、東京地裁101号法廷で、東京「君が代」訴訟(第5次訴訟)での5名の原告本人尋問が行われた。感動に満ちた素晴らしい法廷だったと思う。その中のお一人が、クリスチャンの教員で、自分の教員としての良心は信仰に根差したものであることを語った上で、信仰ゆえに起立斉唱ができないことを訴えた。尋問の担当は私だったが、中に次のような質問と回答があった。
質問 あなたの陳述書に、「踏み絵」という言葉が何度か出てきます。「10・23通達」やこれに基づく起立斉唱の職務命令を「踏み絵」とお考えでしょうか。
回答 この職務命令は、上司という《人の命令》に従うのか、信仰を持ち続け《神に従うのか》と私に迫ります。踏み絵と同じだと感じます。
質問 「聖なる絵を踏め」という強制が信仰を持つ者の心情に耐え難いことは分かり易いのですが、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ」という命令が同じような苦痛をもたらすものでしょうか。
回答 キリスト教では、神の前に立つときは、人はみな限りある一つの命を生きているかけがえのない存在で、そこに特別な一人はいないと考えます。天皇という特別な人を讃える「君が代」を国歌として歌うことに強い違和感を覚えます。君が代斉唱命令は、クリスチャンの信仰とあいいれません。
質問 「日の丸」に正対して起立する行為については、いかがですか。
回答 学校儀式における日の丸の取り扱いには偶像崇拝的な印象を持ちます。特に旗に向かって起立や敬礼を強制されるようなときには、強い抵抗を覚えます。
質問 「踏み絵」は信仰者をどのように傷つけるのでしょうか。
回答 「踏み絵」は信仰者を見つけ出し、弾圧する手段です。
踏み絵を踏むことを拒否すれば、キリシタンというレッテルを貼られて拷問や処刑など弾圧の対象になります。やむなく、多くのキリスト者は心ならずも踏み絵を踏んで、信仰を捨てざるを得ませんでした。踏み絵を踏めば、家に帰ることができたとしても、その後の人生は本当に生きづらいものになったでしょう。
質問 日の丸・君が代に対する起立斉唱命令も同じなのでしょうか。
回答 起立しなければ処分される。起立すれば、自ら信仰を手放して大きな苦しみを負うことになる。踏み絵と変わりません。
また、第4次訴訟の原告のお一人は、こう語っている。
「自分は、35年の教員生活で、君が代斉唱時に起立したことは一度もない。自分の信仰が許さないからだ。自分には、「日の丸」はアマテラスという国家神道のシンボルみえるし、「君が代」は神なる天皇の永遠性を願う祝祭歌と思える。
ところが、やむにやまれぬ理由から、卒業式の予行の際に一度だけ、起立してしまったことがある。それが9年前のことなのだが、いまだに心の傷となって癒えていない。このことを思い出すと、いまも涙が出て平静ではいられない。
「神に背いてしまったという心の痛み」「自分の精神生活の土台となっている信仰を自ら裏切ったという自責の念」は、自分でも予想しなかったほど、苦しいものだった。そして、「私はどうしても「日の丸」に向かって「君が代」を斉唱するための起立はできません。体を壊すほどの苦痛となることを実感した。
その上で、この教員は、裁判所にこう訴えた。
「人の心と身体は一体のものです。信仰者にとって、踏み絵を踏むことは、心が張り裂けることです。心と切り離して体だけが聖像を踏んでいるなどと割り切ることはできません。身体から心を切り離そうとしても、できないのです。身体が聖像を踏めば、心が血を流し、心が病気になってしまうのです。
「君が代」を唱うために、「日の丸」に向かって起立することも、踏み絵と同じことなのです。キリスト者にとっては、これは自分の信仰とは異なる宗教的儀礼の所作を強制されることなのです。踏み絵と同様に、どうしてもできないということをご理解いただきたいと思います。」
幕府のキリシタン弾圧の手段として踏み絵が開発されたのは400年前のこと。ブラジルの政治警察が勝ち組をあぶり出すためにその真似をしたのが80年ほど前のこと、そして石原慎太郎とその徒党が教員の国家や東京都への忠誠心の有無をあぶり出そうとして「10・23通達」を発出したのが20年ほど以前のことなのだ。
日の丸・君が代の強制に悩むのは、真面目で良質な教師、教職をこの上なく大切に思う教師、全身全霊をかけて生徒に向き合おうとする教師らしい教師たちである。都教委は、このような本来の教員を排斥して、もっぱら支配しやすい教員ばかりを増殖している。なんとも、もったいないことではないか。その被害者は明日の主権者であり、日本の人権や民主主義の未来である。
(2024年7月25日)
本日、統一教会スラップ有田訴訟の控訴審第1回法廷。本日結審となったが、判決言い渡し期日は決まらず、追って指定とされた。
本件訴訟は、単なる名誉毀損事件ではなく、また典型的なスラップ訴訟の一事例というだけのものでもない。被告とされた有田側において、原告統一教会の反社会的集団と言うにふさわしいその根拠の立証を積み上げた点で注目に値する事件となった。
統一教会は、有田芳生の口を封じようと、このスラップ訴訟を提起したが、原告側の目論見に反して「統一教会は反社会的集団である」ことが被告の主要な立証対象となり、その立証のために統一教会の違法を認めた民事・刑事の裁判例が積み上げられた。この立証活動は、統一教会に対する解散命令請求での「悪質性・組織性・継続性の立証」にそのまま重なる。
こうして、はからずも本件有田訴訟は、文科大臣による統一教会に対する「解散命令請求事件の前哨戦」となり、一審判決は「解散命令先取り判決」「統一教会解散パイロット判決」となるはずであった。
ところが、一審判決は、そもそも本件有田発言は、統一教会の名誉を毀損する表現ではないとして、統一教会の反社会性の判断に立ち入るまでもないと判断した。本件訴えのスラップ性を認めたに等しいというべきであろう。
2022年8月19日、日本テレビの情報番組「スッキリ」に、解説者として出演した有田芳生さんは、およそ40分間に及ぶ番組のなかの一言(8秒)で、統一教会から訴えられました。
有田芳生さんは、統一教会との深い関係を断ち切れない萩生田光一議員を批判する文脈で「(統一教会は)霊感商法をやってきた反社会的集団だってのは警察庁も、もう認めている」(「だから、萩生田議員は統一教会ときっぱり手を切るべきだ」)と発言したところ、統一教会は、これを名誉毀損だとして、有田さんと日本テレビを訴えました。その請求額2200万円。
その結果、「統一教会は反社会的集団である」という事実の『真実性』、あるいは「統一教会は反社会的集団である」という意見の前提事実の『真実性』が、被告側の主要な立証対象となり、有田訴訟が、統一教会の解散命令請求裁判と同様に、統一教会の「悪質性・組織性・継続性」についての司法判断を求める訴訟となったものです。
東京地裁民事第7部合議B係(荒谷謙介裁判長)
R4ヮ第27243号名誉毀損事件
原告 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)
被告 日本テレビ放送網株式会社・有田芳生
(以下、※裁判所、◆原告、◎被告有田、☆被告日テレ、★訴訟外事件)
★22・07・08 安倍元首相銃撃事件
★22・08・19 日テレ「スッキリ」番組放映(萩生田光一議員批判がテーマ)
◆22・10・27 提訴 訴状と甲1?6
請求の趣旨
(1) 被告らは連帯して2200万円(名誉毀損慰謝料と弁護士費用)を支払え
(2) 日テレは番組で、有田はツィッターで、謝罪せよ
請求原因 名誉毀損文言を、有田の番組内発言における「(統一教会は)霊感商法をやってきた反社会的集団だって言うのは、警察庁ももう認めているわけですから」と特定している。
※22・11・10 被告有田宛訴状送達(第1回期日未指定のまま)
※23・01・23 On-line 進行協議
◎23・02・27 被告有田・答弁書提出 証拠説明書(1) 丙1?7提出
(本件発言は、一般視聴者の認識において全て意見であり、当該意見が原告の社会的評価を低下させるものではない。仮に社会的評価を低下させるものであったにせよ、その前提事実は真実である)
☆23・02・27 被告日テレ・答弁書提出 乙1(番組の反訳書)提出
◆23・03・07 原告準備書面(1) (被告日テレの求釈明に対する回答)提出
◆23・03・14 原告準備書面(2) (被告有田に対する反論) 甲7?12提出
◎23・05・09 被告有田準備書面1 提出
☆23・05・09 被告日テレ・第1準備書面
◎23・05・12 被告有田準備書面2 証拠説明書(2) 丙8?13 提出
※23・05・16 第1回口頭弁論期日(103号法廷) 閉廷後報告集会
島薗進氏の記念講演、望月衣塑子・佐高信・鈴木エイト各氏らの発言
◆23・06・26 原告準備書面(3) (有田準備書面1に対する反論) 甲13?25
◆23・06・26 原告準備書面(4) (有田準備書面2に対する反論)
◆23・06・26 原告準備書面(5) (日テレに対する反論)
◎23・07・17 被告有田準備書面3 提出
※23・07・18 On-line 進行協議
◆23・07・20 原告甲26(番組全体の録画データ)提出
◎23・08・31 被告有田 証拠説明書(3) 丙14?19
証拠説明書(4) 丙20?23
証拠説明書(5) 丙24?27
証拠説明書(6) 丙28?43
☆23・09・15 被告日テレ・第2準備書面 証拠説明書(2) 乙2?7
◎23・09・22 被告有田準備書面4
(甲26ビデオを通覧すれば、「警察庁ももう認めているわけですから」は、一般視聴者の印象に残る表現ではない。早期の結審を求める)
◆23・09・22 原告証拠説明書 甲27?29
※23・09・26 第2回口頭弁論期日(103号法廷)
裁判所 「双方なお主張あれば、10月30日までに」
◎23・10・27 被告有田「早期結審を求める意見」書を提出
(主張は尽くされた。次回結審を求める)
◆23・10・30 原告準備書面(6)提出 内容は横田陳述書(甲30)を援用するもの
証拠申出・証人横田一芳(国際勝共連合) 甲30・横田陳述書提出
◎23・10・31 被告有田、証人(横田)申請を却下し重ねて次回結審を求める意見。
※23・11・07 On-line 進行協議 原告の証人申請却下
次回結審とし、法廷では15分の被告有田側の意見陳述を認める。
※23・11・28 第3回口頭弁論期日(103号法廷) 結審 閉廷後報告集会
※24・3・12 15時30分 判決言い渡し(103号法廷) 請求全部棄却
16時 報告集会 16時30分 記者会見
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控訴審裁判所 東京高等裁判所 第14民事部(裁判長は太田晃詳(39期))
事件名 名誉棄損控訴事件 令和6年(ネ)第1772号
◆24・3・25 統一教会控訴状提出
◆24・3・15 控訴答弁書・甲31?48提出
◎24・7・18 被控訴人有田 控訴答弁書提出
☆24・7・18 被控訴人日テレ 控訴答弁書提出
※24・7・25 14時 控訴審第1回口頭弁論期日(101号法廷)
控訴状、控訴理由書、控訴答弁書の各陳述
甲31?48(いずれも写)の取り調べのあと
被控訴人本人有田さんと、代理人澤藤大河の意見陳述があって、
結審となった。但し、判決言い渡し日は、追って指定。
なお、太田晃詳裁判長は、大阪高裁民事部勤務時代の2022年2月22日、旧優生保護法を違憲とし、初の賠償命令判決を言い渡した裁判長として知られる。
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統一教会スラップ有田事件控訴審意見陳述
被控訴人 有田芳生
被控訴人有田芳生より控訴審第1回期日において、当事者として意見を述べます。
朝日ジャーナル」や「朝日新聞」が統一教会や霊感商法を批判した1980年代。信者たちは上司(アベル)の指示に従って、朝日新聞社に抗議電話を殺到させ、そのため周辺のがんセンターや築地市場の電話回線までパンクする事態が生じました。
また記者の自宅に対する深夜の嫌がらせ電話もありました。1992年の国際合同結婚式のときにはテレビ局に3万回を超える抗議電話が組織的にかけられ、ある弁護士宅には頼みもしない寿司上6人前など商品の注文、ハワイ往復旅行の予約、引っ越し業者の派遣などだけでなく、霊柩車まで来るほどでした。
当時は私の自宅への抗議電話、尾行、脅迫状とカッターナイフの刃が入った封書、渋谷駅頭での左肩への殴打などがありました。こうした組織的な暴力行為が報道され、教団への批判が起きたからでしょう。それから30年。こんどは裁判に訴えることで私たちの言論を封じ込める手法に出たのです。その手段は功を奏し、私については、統一教会に訴えられた翌日からいまに至るまで、テレビ出演はいっさいありません。民主主義社会の基盤を破壊するスラップ訴訟は法を悪用した言論封殺であり断じて許されません。
原判決は私の発言が名誉毀損に当たらないと判断しました。世間の合理的かつ常識的感覚に沿ったものだと私は考えています。控訴審でも同様の判断がなされるものと確信し、意見陳述を終わります。
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統一教会スラップ有田事件控訴審意見陳述
被控訴人 有田芳生代理人 弁護士 澤藤大河
本件訴えは、形の上でこそ名誉毀損訴訟ですが、その実態は、典型的なスラップ訴訟にほかなりません。その訴訟提起の目的は、統一教会に対する批判の言論を封じようという一点にあります。最も効果的なスラップとするために被告とされたのが、?く統一教会批判の第一人者とされてきたジャーナリストの有田芳生と、影響力が大きいテレビメディア・日本テレビとです。勝訴の可能性は皆無であるにもかかわらず、統一教会の狙いは半ば成功しています。本件提訴以来、被控訴人有田に対するテレビ出演の依頼は一切なくなり、マスコミ全般に統一教会批判報道の萎縮効果が発生しています。
スラップの被害者は、応訴の負担を強いられる被告だけではありません。類似の言論、類似のメディアが、訴訟の煩わしさを避けようと、統一教会批判の言論に躊躇し萎縮を余儀なくされます。その意味でスラップの真の被害者は、表現の自由そのものであり、国民の知る権利なのです。
統一教会は、本件放送における被控訴人有田の意見や解説の中から、前後の文脈を意識的に切り取ったわずか8秒の発言を名誉毀損であるとして本件訴訟を提起しました。原審判決は、この発言を前後の文脈との関係で捉え直し、そもそも統一教会の社会的評価を低下させるものではなく名誉毀損に当たる表現ではないと、統一教会の主張を一蹴しました。これは、本件をスラップ訴訟と認めたに等しい判断です。
原判決を不服とする統一教会の控訴理由は、原審判決に「印象論」とのレッテルを貼って攻撃するものです。この「印象論」以外は、本件に関連性のない、解散命令請求を不当とするイデオロギー主張に過ぎません。
「印象論」は、原判決を貶めるための「印象操作」を意図したもので、「厳密な根拠にもとづく事実認定」や「緻密で正確な法的判断」の反対概念として用いられています。しかし、「印象論」という言葉の使い方も、原判決の判断の構造の見方も明らかに誤っています。
原判決は最高裁判決に倣って、「印象」という言葉を「強くあるいは深く、心に刻みこまれて忘れられないこと」という本来の意味に用いています。英語ではimpressionであり、記憶に強く残ることを意味します。
それに対して統一教会の「印象」は、「客観性を欠いた主観的な認識あるいは感覚」という意味合いでの用いられ方です。英語ではfeelingでしょうか。
ダイオキシン報道事件最高裁判決及びこれに従った原判決は、「テレビジョン放送において、人の客観的な社会的評価を低下させるものがあるか否かの判断においては、『一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として』『文字や発言からだけでなく、放送内容全体から受ける印象等を総合的に考慮して判断すべきである』」としています。放送内容を把握する判断において、一般視聴者の受け取る印象を考慮に入れるべきは当然で、「印象論」と非難される言われはありません。
また原判決は、最高裁判例が示した法的な判断枠組みに、厳密な認定事実を当て嵌めた堅実で論理性の高いものであって、非難の余地はありません。
統一教会の本件控訴理由には、新たな事実主張は一切なく、新たに検討を要する法的な問題提起もありません。原審判決を容認できるのか否かを判断するだけですから、控訴審において、これ以上の弁論の応酬は全く不必要です。控訴人有田の必要な反論は、控訴答弁書で既に行いました。これ以上の再反論や再々反論の必要はまったく考えられません。
スラップ訴訟である本件は、審理が?引いていることそれ自体が、スラップを仕掛けた統一教会の利益なのです。被控訴人両名と表現の自由とそして国民の知る権利は、本件の審理が?引けば、それだけ被害が継続し、損害が拡大することになります。本日の結審と、すみやかな判決によって、被控訴人両名をスラップ訴訟に対応を強制される負担から解放されるよう、強く要請いたします。
(2024年7月12日)
これまで経験したことのない、いくつものヘンなことが重なったヘンな選挙。日本の民度の低下を見せつけられるような、民主主義の衰退を確認しなければならないような不快感がまとわりついたヘンな選挙。本当にこれが選挙と呼べるものなのでしょうか。
ヘンな選挙でしたから、当選したのはヘンな人。次点になった人まで、とてつもないヘンな人。真っ当な候補者は3番手に沈みました。「ハテ?」「なぜ?」と、問わずにはおられません。
それでも、選挙は選挙。開票結果は厳粛に受けとめざるを得ません。トランプのように、「選挙結果は間違っている。都庁を襲撃せよ」などと言ってはなりません。300万に近い東京都の有権者が、稀代のウソつきの都知事三選を容認しました。これが今回投票に表れた、取りあえずの都民の民意です。あと4年、都民は「ウソつき知事」で我慢しなければなりません。4年の我慢…。なんとも長い期間ですが。
本来、選挙とは、有権者の民意を問うべきもの。候補者間の政策論争がなくてはなりません。そのための主要候補者の討論会。これまでの都知事選では、当然のこととしてNHKや民放のテレビ討論会が行われてきました。しかし、今回は一度も実現しなかった。ネットでの討論会がたった一度ありましたが、極めて不十分。消化不良が否めません。
なぜ、討論会が実現しなかったか。ウソつき百合子が論戦を不利と見て、逃げたからです。こんな人物を是として、多数の都民が投票しました。なぜ? 民主主義衰弱の病根は根が深いと思わざるを得ません。
バイデンは不利を承知で論戦に臨みました。論戦を逃げなかった。それだけで、民主主義国のリーダーとしての資質を認めなければなりません。が、ウソつき百合子は論戦を逃げまくり、逃げ通しました。
ウソつき百合子が論戦を不利と見て逃げた最大の原因は、学歴詐称問題です。学歴など取りに足りない問題です。しかし、ことさらのウソは大きな問題です。彼女は、小さなウソを隠すために、ウソを重ねてきました。ウソで塗り固められた哀しい人生。ですが、そのウソは、彼女一人の哀れだけにとどまらない、大きな影響を及ぼすものとなっています。
いまや、彼女のカイロ大学卒業という看板を真実と信じる人が存在するとは思えません。それでも、討論の場で公然と学歴詐称を論じられることには耐えられなかったのでしょう。学歴詐称を誤魔化す工作のために、エジプト軍事政権に大きな借りを作り、その国と政権に操られる存在になっているとの指摘を避けたかったのです。
こうしてウソつき百合子は論戦を避けて逃げ切り、三度目の知事戦に当選しました。8年前は、自民党を攻撃して民意を掠めとり、今回は表立たないように自民党の応援を受けてのことです。「勝てば官軍」です。「選挙に勝てば、ウソつきも知事」なのです。
しかし、選挙によって百合子のウソが真実に変わったわけではありません。神宮外苑間の再開発も、築地市場跡地も、五輪選手村も、三井不動産ファーストも、電通との腐れ縁も、関連企業への天下りも、在日ヘイトの体質も、歴史修正主義も、議会での答弁拒否の姿勢も、何もかも旧態依然のまま。
このウソつき百合子に対する制裁の一つは、刑事告発です。公選法235条の虚偽事項公表罪は最高刑禁錮2年。有罪になれば、公民権停止となって知事の資格を失います。しかし、民主主義の本道は広範な世論の声を糾合して、ウソつき百合子を政治的に追い詰めること。
「あと4年は、ウソつき知事で我慢」は、決して「4年間は知事のなすがままににお任せ」と同義ではありません。ウソつき知事を監視し、批判し、批判の声を挙げ、行動すること。それこそが民主主義の下での有権者のあり方です。
情報を集め、真偽を判断し、そして「ウソつきは我が国の首都の知事にふさわしくない」「退陣せよ」との声を上げ続けましょう。その声を糾合しましょう。民主主義のために。地方自治のために。私たちの住む東京のために。
(2024年6月4日)
6月4日、忘れてはならぬ日であるが、到底忘れられぬ日でもある。
あの日、私の中で崩壊したものは、中国共産党や中華人民共和国への期待や肯定的な評価だけではない。人類の進歩への楽観や希望も崩れたのだ。あれから35年、中国共産党の野蛮と危険は、さらに深刻化している。彼の地に、人権と民主主義が根付くには、百年河清を俟つがごとき感を拭えないが、やむを得ない。百年を俟つ覚悟をしようではないか。そう、百年批判の声を挙げ続ける覚悟を。
例年6月4日には、弾圧されて声を失った中国本土の民主勢力に代わって、香港の市民が大規模な追悼と抗議の集会を続け、亡き人たちの志を継いできた。が、今や、香港の文明は中国の野蛮に完全に呑み込まれ、いまこの志を継いでいるのは台湾である。
かつての「人民に依拠した中華人民共和国」と「国民党による強権支配の台湾」という関係は完全に逆転した。いまや、「一党独裁個人崇拝の専制国家・中国」と、「人権と民主主義の先進社会・台湾」との対比の構図である。
さらに深刻なことは、野蛮の側が腕力において圧倒的に強盛なことである。文明の側、人権や民主主義の旗を掲げる側は、軍事力において劣勢を免れない。
その台湾では、就任まもない頼清徳総統が、本日「天安門事件の記憶は歴史の奔流の中で消えることはない」と発言した。さらに、「(天安門事件は)民主主義と自由が簡単には手に入らないことを思い知らせてくれる。私たちは、自由によって独裁政治に対応し、勇気をもって権威主義の拡大に立ち向かわなければならない」「民主や自由があってこそ人民を守ることができる」とも述べたという。そして、台北市内では民主団体によって天安門事件犠牲者を追悼する集会が開催された。
習近平共産党指導部は、事件を「動乱」と認定して民主化要求運動を武力で抑え込んだ対応をいまだに正当化し、さらに国内民主化運動をおさえこもうと躍起である。4日早朝、天安門広場やその周辺には制服姿の警察官や武装警察官が多数配備された。厳戒態勢を敷き、市民の追悼や抗議活動を監視しているという。強権を発動しなければ、治安を維持することのできない脆弱さを抱えているのだ。
一見、中国と台湾が対立しているように見えるが、実は、民主主義を求める勢力と、これと敵対し弾圧する勢力とが対立している。民主主義を求める勢力は中国本土では劣勢で弾圧されている。台湾では、民主主義を求める健全な勢力が多数派を占めており、虐げられている中国の民主主義勢力に手を差しのべているのだ。
周知のとおり、中国指導部の頼総統に対する非難のボルテージは高い。先月の総統就任時には祝辞を送らず、《台湾に『戦争と衰退』をもたらす『危険な分離主義者』》との物騒なメッセージを送って、台湾周辺をぐるりと取り囲む形での軍事演習の実施で威嚇をしている。《中国に逆らうと『戦争と衰退』が待っているぞ、中国からの台湾分離など唱えることの『危険』を知れ》と恫喝しているのだ。これこそ、野蛮な反社の姿勢ではないか。
「天安門」から、「08憲章」・「チベット・ウイグル」・「香港」、そして台湾と矛先は広がっている。自由に発言のできる立場にある者は、「天安門の母」や香港の市民に代わって民主勢力を弾圧する野蛮な中国共産党を批判しなければならない。小さな声も、無数に集まれば力になる。そうすれば、百年待たずして河清を実現できるかも知れない。