澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

お願いだからバッハさん、東京に来ないでください。あなただけは来ちゃいけない。

(2021年4月23日)
 今東京は、新型コロナ蔓延の第4波。非常にきつい最中なんですよ。あなたが来ると、確実にこの波は高く大きくなるばかり。重症者も死者も増える。あなたは、東京のコロナ対策に邪魔なんです。言わば疫病神。ですから東京にだけは来ないで。あなただけは来ないで。

 東京ではね、連日前週の同じ曜日を上回る新規感染者を出しているんです。知らないフリをしないで。変異株「N501Y」が蔓延しているし、若年層の感染拡大も重症化も深刻な状態。遊んでいる暇はないってこと、お分かりでしょう。

 オリンピックって所詮は運動会。今の東京には運動会の準備に手間暇かけている余裕なんてまったくないの。それどころではない、都民の命を守ることに精一杯。それくらいのことは、いくらあなただってお分かりですよね。

 えっ? オリンピックは運動会とは違う、ですって? それはそうかもね。めちゃくちゃにお金がかかるし、税金も注ぎ込んでいる。なんてったって金儲けのチャンスだものね。だから、運動会とは違って汚いカネが動くんだ。賄賂やら接待やら、汚いカネカネカネ…。それが、つましく明るく楽しい運動会とは、大違い。

 えっ? そうではない? 運動会では国威発揚もできないし、政治家の顔や名前を売る舞台にはならないだろうって。それはそうかもね。うまく行けば…ね。失敗したら目も当てられない。無理に東京五輪を強行して、巨大なクラスターを発生させて、世界中に変異株のコロナ再感染をばらまけば、東京は世界の恥晒し。政権ももたないし、都知事の座も吹っ飛ぶ。

 外国からの観客は来ないことになった。無観客のオリンピックならできそうだという感染症学者もいる。それでも、「無競技者五輪」というわけには行かないでしょ。世界中から選手が来る。大会関係者や役員も来る。報道機関も政治家だって来るでしょう。その多くの人たちの感染症対策に、医療従事者を割かねばならないけど、今の東京にそんな余裕があるはずもない。ワクチン接種にさえ人手が足りないのが現実なの。

 東京には、明後日(4月25日)から、3度目の緊急事態宣言。一応、5月の11日までとなっているけど、そこで宣言解除となる保証はない。むしろ、何種類かの変異株の不気味な跳梁をみんな気にしている。必死になって、感染拡大を防ぐ努力をしなけりゃならないこのときに、バッハさん、あんた何しに東京まで来ようとというの。東京にだけは来ないで。あなただけは来ないで。

 知事も首相も、東京五輪はやりたくってしょうがない。みんな目立ちたがり屋で、目立てば次の選挙にも有利だと思い込んでいるんだ。でも、ちゃんとした都民や国民なら、あんな人たちを信用できるわけがない。知事や首相が揉み手で、「お越しください」と言っても、もう一度言いますよ。「東京に来ないで」「バッハさん、あんたは来ちゃいけない」

 いつもは不人気の二階俊博幹事長だって、珍しく「これ以上とても無理だということだったらこれはもうスパッとやめなきゃいけない」と述べたじゃない。聖火リレーだってまともにやれていないし、被災地をダシにした「復興五輪」の悪評は深刻。もう、「これ以上とても無理」だとみんなが考えている。

 こういう事態での、あんたの傲慢な発言が東京都民を怒らせている。あんた、緊急事態宣言について、「日本のゴールデンウィークに感染拡大を防ぐための措置と認識している。五輪とは関係ない」と言ったそうじゃない。なんでわざわざ、「五輪とは関係ない」なんて言ったんだ。

 3か月先に迫った東京五輪と、コロナ禍の東京緊急事態。誰が考えても密接な関係があるだろう。あんたが、「関係ない」と言うと、「いかにコロナが蔓延しようと、緊急事態が宣言されようと、東京五輪開催は既定の方針なのだから関係がない」「東京の人々がコロナ感染の危険に晒されようと患者が増えようと、五輪は断乎やる方針なのだから五輪開催には関係ない」と聞こえる。

 なんにも問題が見えないうちは、オリンピックの理念は素晴らしく、IOCの会長と言えば立派なもんだとも思われていたが、今はもうそんな時代じゃない。誰もあんたを尊敬も信頼もしていない。だから、バッハさん。日本のコロナ対策の邪魔だけはやめていただきたい。だから、あなただけは東京に来ないでください。絶対に来ないでね。

「夫婦別姓確認訴訟」判決が、「婚姻届出のない(別姓)婚」成立を認めたインパクト

(2021年4月22日)
 注目されていた東京地裁「夫婦別姓確認訴訟」。想田和弘さんと柏木規与子さんの夫妻が原告になって、被告国に対して、「両原告が夫婦であることの確認」を求めた訴えに、昨日(4月21日)判決が出た。報道の限りでのことだが、形式的には敗訴でも、その理由中の判断では「実質勝訴」と評価してよいだろう。「実質」における判決勝敗の基準は、夫婦同姓強制の不都合をあぶり出し、制度改正のインパクトを持つかどうかという点にある。

 判決報道は難しい。速報は「敗訴」というだけのものであった。一夜明けて今朝の毎日新聞朝刊社会面(第22面)の片隅に、「別姓、戸籍認めず 東京地裁判決 米婚姻の夫婦に」という見出しでの小さな記事。この位置、この字数、この見出しでは、読む気にもならないという体の扱い。

 だが、記事の末尾には、想田さんの「実質的な勝訴だと思っている」というコメント。そのコメントを読み直して判決の印象を変えた。

 ネットで検索すると、この毎日の記事がヒットする。ところが、その見出しが、「想田和弘さん『実質勝訴』 別姓婚訴訟棄却 判決文で『婚姻成立』」となっている。記事の内容は、まったく変わらないのに、である。

 「別姓、戸籍認めず」と、「実質勝訴 判決文で婚姻成立」とでは、天と地ほどの印象の差ではないか。当初は記者が主文だけの印象で「戸籍認めず」と見出しを打ち、その後の取材で、「実質勝訴」に書き換えたのだろうと思ったのだが、あに図らんやその反対。「実質勝訴」が 2021/4/21 21:24の送稿と先で、「戸籍認めず」が2021/4/22 02:06とあとの記事なのだ。記事を書く記者と見出しを付ける編集者とで判決内容の理解に齟齬があったのではないか。この判決の評価はそれほど単純ではなさそうなのだ。以下は、その毎日記事。

 米ニューヨーク州法に基づき別姓で婚姻し、同州で暮らしていた映画監督の想田(そうだ)和弘さん(50)と妻の柏木規与子さんが、日本でも別姓のまま婚姻関係にあることの確認などを国に求めた訴訟の判決で、東京地裁(市原義孝裁判長)は21日、別姓で戸籍に婚姻関係を記載することは認めず、請求を棄却した。

 2人は1997年、別姓婚が認められるニューヨーク州で婚姻し、2018年6月に東京都千代田区に別姓のまま婚姻届を出したが、夫婦同姓を定めた民法の規定に従い受理されなかった。海外で別姓で婚姻した日本人夫婦について、婚姻関係を戸籍に記載できる規定のない戸籍法には不備があるなどと訴えていた。

 判決は、海外では別姓での婚姻が認められていることから、日本で同姓の婚姻届が受理される前の状態でも「2人の婚姻自体は有効に成立している」と述べた。一方で、別姓での婚姻が戸籍上認められないことで各種手続きで不利益が生じるとした原告側の主張は「抽象的な危険にとどまる」と退けた。戸籍法の不備に関する主張も「規定を設けないことが不合理とは言えない」と棄却した。

 判決後にオンラインで記者会見した想田さんは「請求は退けられたが、判決文の中で夫婦だと明確に述べてくれている。実質的な勝訴だと思っている」と述べた。柏木さんは「選択的夫婦別姓に向けた大きな一歩だと思う」と評価した。

 「週刊金曜日」編集委員の一人である想田さんは自らの「夫婦別姓確認訴訟」を同誌4月2日号の冒頭「風速計」欄の記事にしている。その記事で、私は、初めて「法の適用に関する通則法24条2項」という規定の存在を知った。外国で現地の法律に基づいて結婚した夫婦は、国内で改めて婚姻届を提出しなくても、婚姻が成立しているとみなされるという内容。

相田さんはこう訴えた。「海外で結婚する場合、現地の法律に基づいて婚姻が行われれば、国内でも適法に婚姻が成立する」のだから、「別姓で現地の法律に基づいて婚姻が行われれば、国内でも適法に別姓のまま婚姻が成立する」。従って、国は別姓のまま夫婦として認めよ。別姓のまま婚姻届を受理せよ。この想田さんの要求は、至極もっともなものではないか。

 国はどう争ったか。「海外で結婚する場合、現地の法律に基づいて婚姻が行われれば、国内でも婚姻が成立する」ことはそのとおりだが、別姓婚の場合は別だ。国内で別姓婚が認められていない以上は、外国で受理された別姓婚は、国内では認められない。「原告らが『夫婦が称する氏』を定めていない以上は、日本国内においては婚姻が成立していない」と主張したのだ。

 これに対して、判決は前述のとおり、「日本で同姓の婚姻届が受理される前の状態でも、2人の婚姻自体は有効に成立している」と認めた。別姓の婚姻届が受理されるべきだとは言わない。しかし、「婚姻届けなくとも婚姻自体は有効に成立している」ことを認めた。これを、当事者は「形式敗訴・実質勝訴」と評価した。

 法律婚は、婚姻届によって成立する。この常識が覆された。「婚姻届けがなくとも婚姻自体は有効に成立している」ことが確認されたインパクトは限りなく大きい。

 判決は、外国が別姓婚を採用している場合も「当然に想定される」として、通則法24条2項により婚姻自体は成立していると原告側の訴えを認めた、と報じられている。であれば、外国が同性婚を採用している場合も「当然に想定される」のではないか。

 本件判決の「形式敗訴・実質勝訴」のネジレは、立法によって解決されなければなない。ネジレ解消の方向は形式論理としては2方向ある。しかし、原告から見ての「形式敗訴・実質敗訴」の方向は、世界の趨勢からも日本の社会意識の動向からもおよそ考えられるところではない。ネジレ解消の立法解決は、「形式勝訴・実質勝訴」の方向でしかあり得ない。本判決は、そのことを意識させたことにおいて、意義あるものと言えよう。

香港に引き続く悲劇 ー 弾圧者に対する忠誠宣誓の強制

(2021年4月21日)
 香港の公務員が、中華人民共和国への忠誠宣誓を強制されているというニュースに胸が痛む。深刻な葛藤を経て、やむなく従う人もあろうし、どうしても拒否せざるを得ないという人もあろう。どちらの結論も、この上ない悲劇なのだ。

 江戸幕府は、16世紀初頭の宗教弾圧に踏み絵という偉大な手法を発明した。聖なる絵を踏むよう強制されたクリスチャンは、保身のために自らの信仰を裏切るか、あるいは信仰に殉じて生命をも投げ打つかの選択を迫られた。どちらも悲劇の極みである。

 中国共産党は、香港の公務員に中華人民共和国への忠誠を求めて、その旨の宣誓を強制した。保身のために自らの信念を裏切るか、あるいは信念に殉じて職をも投げ打つかの選択が迫られたのだ。この点、中国共産党のやり口は、江戸幕府の宗教弾圧と構図を同じくする。宣誓を強制される者には悲劇の極みである

 民主主義では、治者と被治者の自同性が擬制される。なぜか「自同性」という、日本語としてはこなれない言葉が使われるが、一体性といっても、同一性と言っても差し支えない。「治者」と「被治者」とが、別なものではなく重なり合うものとして存在するのが民主主義である。「治者」と「被治者」とは、「国家」と「国民」に置き換えてよい。

 タテマエにせよ、日本は民主主義国家である。その公務員は、全国民への奉仕者であって、政権や一部の権力者への奉仕者ではない。日本国の公務員の憲法尊重擁護義務遵守の宣誓は、次のようなものである。

 私は、ここに主権が国民に存することを認める日本国憲法を尊重し、且つ、擁護することを固く誓います。

 日本国憲法が、公務員を含む国民に精神の自由を認めているのだから、この宣誓文言に違和感はない。

 しかし、非民主主義国家においては、国民と国家との自同性がない。国家は、国民に他者として対峙し、国民に不寛容となる。まさしく、専制国家中国の、自律権を奪われた香港市民に対する関係が、その典型である。

 《香港で公務員の「忠誠宣誓式」 拒否者には解雇の可能性も》という報道は、昨年(2020年)暮れころから目につくようになった。強制される「忠誠」の対象は、香港の民主主義を蹂躙し、民主主義を擁護しようという人々を弾圧した、中華人民共和国という権力機構である。

 香港の市民社会への忠誠、香港の法秩序擁護の宣誓ではなく、香港の民衆に敵対し香港の自由や人権を蹂躙した弾圧者に対する忠誠の強制である。屈辱以外の何ものでもなかろう。

 報道では、昨年12月16日に、「公務員が政府への忠誠を改めて宣誓する式典が初めて開かれた」という。非公開で行われたこの式典では、上級公務員らが香港およびその政府に対する「忠誠心を守る」ことを、林鄭長官の前で宣誓したという。公務員事務局長は、忠誠宣誓や類似の宣言への署名を拒否した者は、解雇の可能性もあると警告しているとも報じられた。

 そして本日(4月21日)各紙に、「香港で公務員129人『忠誠』拒む 辞職や停職」と報道されている。

【香港時事】4月20日付の香港各紙によると、昨年施行された国家安全維持法(国安法)にのっとり、香港政府が約18万人の公務員に義務付けた「中華人民共和国香港特別行政区に忠誠を尽くす」との宣誓をめぐり、129人が署名を拒んだ。このうち25人は辞職、大部分は停職となった。停職中の公務員は今後、辞職を勧告される可能性がある。

 この中華人民共和国への忠誠強制の被害者は、踏み絵を拒否した《18万分の129》だけではない。自分の自尊心を宥めて面従腹背に甘んじ、敢えて踏み絵を踏んだ、その余の全てにとっても、この上ない悲劇なのだ。 

「日本国憲法の改正手続に関する法律の一部を改正する法律案」の採決に反対し、改憲手続法抜本改正の慎重審議を求める声明

(2021年4月20日)
 いま、国家・国民の総力を上げて新型コロナの蔓延を防止すべきときである。いたずらに不要不急の課題に注力すべきではない。ましてやこの時期に、火事場泥棒さながらに、疑問点だらけの「改憲手続き法」の審議を急いではならない。
 これだけの問題点があることを知っていただきたい。

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改憲問題対策法律家6団体連絡会       
社会文化法律センター 共同代表理事 宮里邦雄 
自由法曹団 団長 吉田健一          
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議長 上野格
日本国際法律家協会 会長 大熊政一      
日本反核法律家協会 会長 大久保賢一     
日本民主法律家協会 理事長 新倉修      

はじめに
 4月15日、衆議院憲法審査会において、「日本国憲法の改正手続きに関する法律の一部を改正する法律案」(いわゆる公選法並びの7項目改正案)(以下「7項目改正案」という。)の審議が行われた。7項目改正案は、2016年に累次にわたり改正された公職選挙法(名簿の閲覧、在外名簿の登録、共通投票所、期日前投票、洋上投票、繰延投票、投票所への同伴)の7項目にそろえて改憲手続法を改正するという法案である。

 与党議員らは、審議は尽くされたなどとして、速やかな採決を求めている。これに対し、立憲民主党、共産党の委員からは、7項目改正案は、期日前投票時間の短縮や、繰延投票期日の告示期限が5日前から2日前までに短縮されているなど投票環境を後退させるものが含まれていること、憲法改正国民投票は、国民が国の根本規範を決める憲法制定権力の行使であり、本当に公選法並びでいいのかという基本的な問題があること、7項目改正案は、たとえば、洋上投票、在外投票、共通投票所、郵便投票の問題など、国民に投票の機会を十分に保障するという点で問題があり、また、CM規制、資金の上限規制、最低投票率の問題など、憲法改正国民投票の公正を保障する議論がなされていないのであるから、審議は不十分であり、採決には程遠いという意見が相次いだ。

改憲問題対策法律家6団体連絡会は、以下の理由により、7項目改正案の採決には強く反対する。

1. 憲法改正国民投票(憲法96条)は、国民の憲法改正権の具体的行使であり、最高法規としての憲法の正当性を確保する重要な手段である。参政権(憲法15条1項)の行使である選挙の投票と同列に扱えば済む、公選法「並び」でよいとするような乱暴な議論は憲法上許されない。

2016年の公職選挙法の改正は、選挙を専門とする委員会で審議され、「憲法改正国民投票の投票環境はどうあるべきか」との観点での議論は全くなされていない。
そもそも、憲法96条の憲法改正国民投票は、国民の憲法改正権の具体的行使であり、最高法規としての憲法の正当性を確保する重要な手段である。狭義の参政権である選挙の投票(憲法15条1項)とすべて同列に扱えば足りるとする議論は性質上許されない。ことは国の根本規範である憲法改正にかかわる問題であり、「公選法並び」などという本質を見誤った議論で法案採決を急ぐことは、国民から付託された憲法審査会の任務を懈怠し、その権威を自ら汚すものというべきである。

2. 7項目改正案には、国民投票環境の後退を招き、また、そのままでは国民投票ができない国民が出るなどの欠陥がある
 法案提出者によれば、7項目改正案の目的は、2016年の公選法の改正法と並べることで「投票環境向上のための法整備」を行うこととされる。しかし、7項目改正案の審議は始まったばかりであり、7項目の内容には以下に例をあげるとおり、投票環境の後退を招き、あるいは国民投票の機会が保障されない国民が出てくるなどの重大な問題がある。
 憲法改正国民投票は、上記の性質上、できる限り多くの国民に投票の機会が保障されなければならないし、投票環境の後退を招くことは許されない。
(1) 法案自体が、投票環境を後退させる
 繰延投票の告示期日の短縮や、期日前投票の弾力的運用は、それ自体、投票環境を後退させるものである。「投票環境向上のための法整備」という立法目的にも明確に違反する。
(2) 投票できない国民が出てくる
 洋上投票制度や在外投票制度は、並びの改正によって投票機会の一部については向上 が図られるものの、結局、このままでは国民投票ができない国民が出てくるため、国民 投票は実施できない。一定の国民について国民投票の機会を保障しないままの法案は、 憲法違反の疑いすらある。この不備を修正しないままで 7 項目改正案を急ぎ成立させる 必要性も合理性もないことは明らかである。
(3) 公選法の改正時には、予期できなかった事情や、公選法改選時の附則や附帯決議で必要な措置の検討などが課されている事項で投票環境の後退のおそれがある。例えば「共通投票所」の設置は、「投票所の集約合理化」=削減をもたらしているという実態がある。「共通投票所」を設けたことによって本当に「投票環境が向上」したのか、「利便性が向上」したのか、総括が必要である。また、在外投票についても、在 外投票人名簿の登録率は減少している(2009年は9.54%に対して2019年は7.14%)ことを踏まえれば、その原因を解明した上で、その対策を施した改正が必要である。

 また、2016年改正後、「投票環境研究会」は郵便投票の対象者を現行の要介護5から要介護3の者に拡大することを提起している。「利便性の向上」というのであれば、主権者である国民の意思が広く適切に国民投票に反映されることが必要であり、とりわけ新型コロナの感染が拡大する中「郵便投票制度」の拡充は投票機会を保障するうえで喫緊の課題の一つである。
 以上の事項については、事情変更により新たな改正や見直しの検討が必要であり、2016年の公選法改正並びの改正を行うだけでは、「投票環境の向上」にはならないか、むしろ後退させる危険性がある。これらの問題を無視して7項目改正案を成立させることは、国会議員としての怠慢以外の何ものでもない。

3. 憲法改正国民投票の結果の公正を担保する議論がなされていない
日本弁護士連合会は、2009年11月18日付け「憲法改正手続法の見直しを求める意見書」において、?投票方式及び発議方式、?公務員・教育者に対する運動規制、?組織的多数人買収・利害誘導罪の設置、?国民に対する情報提供(広報協議会・公費によるテレビ、ラジオ、新聞の利用・有料意見広告放送のあり方)、?発議後国民投票までの期間、?最低投票率と「過半数」、?国民投票無効訴訟、?国会法の改正部分という8項目の見直しを求めている。とりわけ、(?)ラジオ・テレビと並びインターネットの有料広告の問題は、国民投票の公正を担保するうえで議論を避けては通れない本質的な問題である。また、(?)運動の主体についても、企業(外国企業を含む)や外国政府などが、費用の規制もなく完全に自由に国民投票運動ができるとする法制に問題がないか、金で改憲を買う問題がないかについての議論が必須である。

 7項目改正案は、以上のような国民投票の公正を担保し、投票結果に正しく国民の意思が反映されるための措置については全く考慮されていない欠陥改正法案である。結果の公正が保障されない国民投票法のもとで、国民投票は実施できない以上、7項目改正案を急いで成立させる必要性も合理性も全くないことは明らかである。

4. 憲法審査会における審査の在り方
 憲法審査会(前身の調査会も含めて)の審議は、政局を離れ、与野党の立場を越えて合意(コンセンサス)に基づき進めるというのがこれまでの慣例である。憲法審査会では、多数派による強行採決は許されない。また、国民の意思とかけ離れて議論することも、もとより許されないはずである。

 2017年5月に、当時の安倍首相が2020年までに改憲を成し遂げると宣言し、2018年3月に、自民党4項目の改憲案(素案)を取りまとめ、その後2018年6月に、公選法並びの7項目改正案与党らが提出している。同法案が、安倍改憲のために急ぎ間に合わせで作られたものであることは、経過から明らかである。7項目改正案を成立させることは、自民党改憲案が憲法審査会に提示される道を開く環境を整えるだけである。

 今、国民は憲法改正議論を必要と考えていない。7項目改正案を急ぎ成立させることは、国民の意思ではない。

以上

東京と大阪のコロナ猖獗の事態は、無能な人物を首長に選んだ民主主義の劣化が招いたものだ。

(2021年4月19日)
 「苛政は虎よりも猛し」という。無能無策な政治も「苛政」と言わざるを得ない。アベ・スガ政権の無為無策ぶりもさることながら、今や東京都と大阪府、東西両都の為政者の無策の責任が誰の目にも明らかになってきた。両知事の無能ぶり、兄たり難く弟たり難いのだ。無能な政治家を首長に選んだ民主主義の劣化が、「虎よりも猛々しい」コロナ猖獗の事態を招いている。

 まずは、東京都知事小池百合子である。この人の『東京に来ないでください』発言には驚いた。驚きながらも、いかにもこの人らしいとも思った。「排除します」というあの発言を思い出したからだ。

 この人、相変わらずの上から目線。その姿勢が言葉に表れる。『東京に来ないでください』は、コロナは東京の外から持ち込まれるもので、東京から外へコロナが伝播しているという発想はない。これまでの都民に対する「都県境を越える外出自粛」要請も、『来ないで』と同様に、聖なる内側と邪悪な外側の二元論。「排除します」と思わず口に出た思想と通底する。「今はお互いに我慢して、往き来を控えましょう」という言葉にはならないのだ。

 「無信不立(信なくば立たず)」である。為政者に対する民衆の信頼がなければ、政治は成り立たない。同じ言葉も、発する人が信頼に足りなければ効果はない。「排除します」とのたもうた小池百合子の『東京に来ないでください』である。これで、コロナの終熄に向かうとはとうてい思えない。もっと真剣で切実な説明と訴えが必要なのだが、この人にはもう無理だろう。

 次いで、大阪府知事の吉村洋文。昨日(4月18日(日))発表された、大阪府の新型コロナウイルスの新たな感染者は1220人。全国に例を見ない突出した深刻な事態。感染者数だけでなく、医療体制はもはや逼迫の段階ではなく崩壊に至っているとの報道もある。公式発表でも、府内の重症患者専用の病床248床に対して、4月18日現在の重症患者数が286人と、100%を大きく上回っている。

 以下は、維新府政と厳しく切り結んでいる徳岡宏一朗弁護士の4月16日付ブログからの抜粋引用である。私も、まったくこのとおりだと思う。

 イソジンいや維新の会の吉村大阪府知事は2021年4月16日、大阪府内で新たに1209人が新型コロナウイルスに感染したことが確認されたと発表しました。
 これは1日の感染者数としては、昨日15日の1208人を上回ってこれまでで最も多く、4日連続で1000人を超えました。これで、大阪府内の感染者はあわせて6万5591人になりました。
 大阪ではすでに重症者用ベッドがあふれて完全に医療崩壊にまたなっているのですが、感染者増の2週間後に増加する死者数もとうとう増え始め、今日は二けた、16人の死亡が確認され、これで大阪府内で亡くなった人は1254人になりました。
 日本で一番遅く緊急事態宣言を要請し、一番早くに解除した維新の吉村大阪府知事。また日本で一番感染者が多くなって(600人)、日本一早く「まん防」要請という日本一の無能政治家。
 という記事を書いたのですが、それから半月経過して、感染者の数が倍になり事態は悪化する一方です。
 政治は結果がすべてで、それは吉村氏自身が何度も明言してきたところでもあるのですが、この知事はこれだけひどい結果を出し続けているのに、いったいいつ辞めてくれるんでしょうか。

 どれだけ危ない目に遭ったら、大阪市民とマスメディアは吉村維新批判を始めるのでしょうか。それにしても、全く、大阪ワクチンとかイソジンでうがいとか、この人が記者会見して何度もアピールしてきた話はどこに行ったんだか。

 さらに、小池・吉村の両者に対する批判の事実を摘示する毎日新聞記事を引用しておきたい。

11都府県で1月から再発令された新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言に合わせ、営業時間の短縮要請に応じた飲食店への協力金の支給が一部で大幅に遅れている。毎日新聞が対象自治体にアンケートしたところ、3月末までの支給率は京都府、大阪府、東京都が2割台で、飲食店からは悲鳴が上がっている。

 アンケートは11都府県を対象に実施。最初の約1カ月分について各都府県が集計した時短協力金の申請件数と支給状況を聞いたところ、3月末までの支給率は京都府が20%、大阪府が26%、東京都が29%。一方、福岡県は100%、埼玉県は8割台、神奈川県と千葉県は6割台で、首都圏でも支給状況に格差がみられた。

 大阪府26%、東京都29%が、堂々のワーストスリー入りである。やる気がないのか、能力に欠けるのか、住民の気持ちが分からないのか。いずれにしても、虎を野に放置してはおけない。さらに猛々しいという苛政はなおさらのことである。早急に何とかしないと、都民も府民もコロナ禍の猖獗に呑み込まれかねない。

「アンダーコントロール」という言葉によってコントロールされてきた福島の現状

(2021年4月18日)
「白い土地」を読んだ。集英社からの出版だが、朝日新聞(南相馬支局)の現役記者・三浦英之の著書である。「ルポ 福島『帰還困難区域』とその周辺」という副題がついている。

タイトルの『白い土地』とは、「白地」(「東京電力福島第一原発が立地する福島県大熊町などで使われている隠語」)に由来し、「放射線量が極めて高く住民の立ち入りが厳しく制限されている帰還困難区域の中でも将来的に居住の見通しが立たないエリア」を指すという。その言葉どおり、原発事故10年後の『帰還困難区域』のあまりにも厳しい現実の報告である。

朝日にも、この著者のような、行動的で、権力や権威に屈しない、そして体制が作った行儀を弁えない記者のいることがまことに頼もしい。

とりわけ、浪江町長だった馬場有への3度のインタビューを内容とする「ある町長の死」の章は出色で、ここから読み始めることをお薦めする。

事実上の最終章が、「聖火ランナー」である。
聖火リレーのルートが発表されたのは、2019年12月17日だったという。まだ、コロナの感染者のなかったころのことだ。「復興五輪」の聖火リレーは福島から始まる。著者は、その翌日、原発事故で避難区域が設定された11市町村のルートを自分の足で歩いてみたという。

歩くたびに違和感が募るった。そこからは何も「見えない」。事故を起こした福島第一原発も、仮置き場に積み上げられている汚染土を詰め込んだフレコンバッグの山々も、人の手が入らずに朽ち果てそうな帰還困難区域の古い民家も、原発や東電に抗議する立て看板も、原発被災地で暮らしていれば当然目にする日常的な「風景」がそこからは一切視界に入らないようになっているのだ。

著者はこれを「復興の光」だけを発信して、「復興の影」を隠蔽したい為政者や大会主催者の意思を雄弁に物語るものという。

そして、この著書の最終版で、記者は現地を訪れた安倍晋三に質問をする。本来、ぶら下がりの記者会見に参加できるのは、東京から随行してくる官邸記者クラブの総理番記者だけで、地元の記者は質問はおろか、参加すらできないという。それでも、彼は敢えて、「ルール違反」の一問を発する。その場面だけは、引用しておきたい。

 私は咄嗟に自分が一番聞きたい質問を脳内に探し、最高責任者へとぶつけた。
「ここ福島でオリンピックが開かれます。安倍総理はオリンピックを招致する際、第1原発は『アンダーコントロールだ』と言いました。今でも『アンダーコントロール』だとお考えでしょうか

 それは私だけでなく、福島県沿岸部で暮らす人であればきっと誰もが疑問に感じている質問だった。安倍は2013年9月、アルゼンチン・ブェノスアイレスで聞かれたIOC総会で、東京電力福島第一原発を「アンダーコントロール」と表現し、東京オリンピックを誘致していた。
 その会場で彼はこう言い放った。
 「福島については私から保証いたします。状況は『アンダーコントロール』です。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません」
 それが明確な「嘘」であることを福島の沿岸部に暮らす人々は完全に見抜いていた。原発事故からどれだけ年月が過ぎ去っても、人々の心配事は常に廃炉作業が続けられている福島第一原発の安全性であり続けてきたからである。頻繁にニュースで取り上げられる汚染水の問題だけではない。原発建屋はすでに津波で大きな被害を受けている。その「壊れた原発」が次なる地震や津波に耐えられるのか…

 私はいつからかこの「アンダーコントロール」という言葉こそが今の福島を苦しめ続けている元凶ではないか ー もっと踏み込んで言えば、今の福島の現状は「アンダーコントロール」という言葉によってコントロールされているのではないか ー と考えるようになった。先の戦争でも「全滅」を「玉砕」、「敗戦」を「終戦」と言い換え、為政者たちの責任を曖昧にしてやり過ごしてきたように、今まさに壊れた原発を「アンダーコントロール」と呼び、東京オリンピックを「復興五輪」と言い換えることによって、政府は被災地の不平を相互批判の目で封じ、福島を国民の団結の象徴として東京オリンピックの開催に利用しようとしている。聖火リレーのスタート直前に内閣総理大臣がこの原発近接地を訪問することは、その象徴と呼べる出来事ではなかったか ー。

 「まさにそうした発信をさせていただきました」
 事前通告のない記者からの質問は随分と久しぶりだったのだろう、安倍は私の質問に一瞬怪訝そうな顔を見せたが、すぐさま表情を元に戻し、「台本」にはないたどたどしい口調でテレビカメラに向かって「アンダーコントロール発言」についての持論を訥々と話し始めた。
 「いろいろな報道がございました。間違った報道(傍点は著者)もあった。その中で正確な発信を致しました。そしてその上においてオリンピックの誘致が決まったものと思います」
 間違った報道……? 私は一瞬、自分の耳を疑った。
 彼の発言はつまりはこういうことらしかった。福島第一原発の現状を伝える一部の報道は「間違い」である。その中で自らが発信した「アンダーコントロール」という表現が正しいのであり、それによって東京オリンピックを誘致できたー彼は本当にそう信じているらしいのだ。

 その事実に私は驚き、混乱と困惑ですぐには正しい思考ができなくなった。それはあまりも稚拙で、独善的で、同時に危険な認識であるように私には思えた。
 彼自身が第一原発をアンダーコントロールだと思い込んでしまえば、この地に暮らす人々の日常や不安はその思い込みに覆い隠されて見えなくなる。本来為政者が真っ先に取り組むべき廃炉や帰還などの政策が大幅に遅滞する悪夢へとつながっていく…

 情報の不足と浅薄な思慮がもたらす、最高権力者の思い込みは恐ろしい。原発問題だけではない。新型コロナ対策についても、歴史認識についても、安全保障政策についても、国際関係についても、経済政策についても、そして憲法改正問題についても。

参勤交代菅のバイデンに対する一層の忠誠

(2021年4月17日)
 菅義偉がバイデンに呼びつけられて、いそいそとワシントンに出向いている。歴代こういう行事が繰り返され、日本の政権と国民は、その都度あらためて主従関係の存在を再認識させられる。さながら、これは参勤交代である。

 幕藩体制においては、諸藩の大名も将軍には忠誠を見せなくてはならない。そのための制度として、参勤交代があった。正確には「参覲交代」と表記するのだという。「参」は「まいる」、「覲」は「まみえる」と訓で読む。どちらも身分上位者への謙譲の語である。菅のバイデン詣では、まさしく「参覲」である。でなければ、「朝貢」。あるいは、上司へのご挨拶。

 呼びつけたバイデンと、呼びつけられた菅は、ワシントンで16日午後(日本時間17日朝)会談し、共同声明を発表した。共同声明の項目は実に多岐にわたっている。基本は、アメリカ側の要請に日本が従ったというものだが、日本側の要望をアメリカが容れたものもあるようだ。

概要は、次のように報道されている。

両首脳は中国の軍事的行動により緊張が高まる台湾情勢について意見交換し、会談後、「台湾海峡の平和と安定の重要性」を明記した共同声明を発表した。中国の東シナ海や南シナ海での海洋進出について「力による現状変更の試み、他者に対する威圧に反対する」との認識で一致。声明で香港と新疆ウイグル自治区の人権問題への「深刻な懸念」も盛り込んだ。

 会談では気候変動問題で日米の協力強化を図る「日米気候パートナーシップ」を立ち上げることで一致。脱炭素化に向け、日米で世界をリードしていく方針を確認した。

 首相は今夏の東京オリンピック・パラリンピックを「世界の団結の象徴」として開催する意向を示し、バイデン氏は支持を表明。

 首相は会見で、共同声明を「今後の日米同盟の羅針盤になる」と述べた。声明では両首脳が「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに両岸問題の平和的解決を促す」と明記した。(毎日)

 米中両大国の狭間に位置する日本が、より強力にアメリカ側に組み込まれた印象である。集団的自衛権の行使が現実味を帯びる事態となりかねない。これまでも、日本国憲法体系は、安保法体系の膝下に封じ込められていると評されてきた。今後はさらに事態の深刻化が予想される。

「新たな時代における日米グローバル・パートナーシップ」と名付けられた、長文の日米首脳共同声明の中の気になる個所を抜粋してみる。

日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。

米国は、核を含むあらゆる種類の米国の能力を用いた日米安全保障条約の下での日本の防衛に対する揺るぎない支持を改めて表明した。

米国はまた、日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用されることを再確認した。

日米両国は共に、尖閣諸島に対する日本の施政を損おうとするいかなる一方的な行動にも反対する。

日米両国は、困難を増す安全保障環境に即して、抑止力及び対処力を強化すること、サイバー及び宇宙を含む全ての領域を横断する防衛協力を深化させること、そして、拡大抑止を強化することにコミットした。

日米両国は、普天間飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策である、辺野古における普天間飛行場代替施設の建設、馬毛島における空母艦載機着陸訓練施設、米海兵隊部隊の沖縄からグアムへの移転を含む、在日米軍再編に関する現行の取決めを実施することに引き続きコミットしている。

日米両国は、在日米軍の安定的及び持続可能な駐留を確保するため、時宜を得た形で、在日米軍駐留経費負担に関する有意義な多年度の合意を妥結することを決意した。

菅総理とバイデン大統領は、インド太平洋地域及び世界の平和と繁栄に対する中国の行動の影響について意見交換するとともに、経済的なもの及び他の方法による威圧の行使を含む、ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動について懸念を共有した。

日米両国は、東シナ海におけるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対する。
日米両国は、南シナ海における、中国の不法な海洋権益に関する主張及び活動への反対を改めて表明するとともに、国際法により律せられ、国連海洋法条約に合致した形で航行及び上空飛行の自由が保証される、自由で開かれた南シナ海における強固な共通の利益を再確認した。

日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す。

日米両国は、香港及び新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念を共有する。

予想のとおり、中国はこの共同声明に直ちに反発した。
 【北京・共同】在米中国大使館の報道官は17日、日米首脳会談後に発表した共同声明で台湾や香港、新疆ウイグル自治区に関する問題などを盛り込んだことについて「強烈な不満と断固反対を表明する」との談話を出した。

また、これも当然のことながら台湾は歓迎している。
 台湾、日米共同声明を歓迎 中国に情勢安定への貢献期待
 【ワシントン・ロイター】台湾は、日米首脳が共同声明で「台湾海峡の平和と安 定の重要性」明記したことを歓迎し、中国に責任ある行動を呼び掛けた。台湾総統府の報道官は声明で「われわれは、台湾海峡および地域の一員として中国当局が自らの責任を果たし、安定と幸福に共に前向きな貢献をすることを期待する」と述べた。

 日本の周囲の国際関係は、さらに緊張度を高めることになろう。今以上に、憲法9条のリアリティが問われることになる。

アンダーコントロールの正体みたり、汚染水の海洋排出。

(2021年4月16日)
 漁民のみならず福島県民の反対を押し切って、東京電力福島第1原発の敷地内に貯蔵されている「汚染水」が海洋放出されることになった。海洋の汚染は、国際問題でもある。けっして、どこの国の原発もやっていると安易な問題にしてはならない。

 全漁連の会長が、「絶対に反対」「この立場にいささかの揺るぎもない」と言っている。一昔前は、農村も漁村も保守の地盤だった。今や、農民も漁民もバカバカしくって自民党の支持などやってはおられない。こういう事件を通して、政権与党が誰の味方なのか、あぶり出されてくるのだ。

 東京電力は2015年に福島県漁業協同組合連合会(県漁連)に対し、「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わない」と「約束」していた。が、この約束は、あっさりと破られ水に流された。流され失われたものは、汚染水と約束だけではなく、国家への信頼であり、自民党への支持でもある。

 国もメディアも、問題は「風評被害」だと言う。漁民や沿岸地域の被害は、実態のない「風評」に過ぎないと決めてかかっているのだ。

 つまり、排出される汚染水とは、トリチウム以外の核種を含まない。そのトリチウムの毒性は弱い。しかも、安全基準の40分の1の濃度に希釈して、30年?40年かけて徐々に排出するのだから騒ぐ方がおかしい、と言わんばかり。麻生などは「飲んでもなんてことはないそうだ」と調子に乗っているが、放射性物質に汚染された水を海洋に捨てて本当に大丈夫なはずはない。

 実は、排出される汚染水には、トリチウム以外の核種も含まれている。そして、どうしても除去しきれないトリチウムの人体への影響は未知というべきなのだ。

現在、貯留されている汚染水量は約120万?。この中に、約860兆ベクレルのトリチウムだけでなく、セシウム137、セシウム134、ストロンチウム90、ヨウ素129などの放射性物質が残留し、7割以上のタンクの水が安全基準を超えている(原子力市民委員会)。

 政府・東電はこれを認めた上で、ALPSで再処理をしてトリチゥム以外の核種を除去して海洋放出を実行するという。えっ? なんですと。一度ALPSを通して除去できず、汚染水に残った核種が、再処理すればなくなるというのか。本当だろうか。

「東京電力が2020年12月24日に公表した資料によると、処理水を2次処理してもトリチウム以外に12の核種を除去できないことがわかっています。2次処理後も残る核種には、半減期が長いものも多く、ヨウ素129は約1570万年、セシウム135は約230万年、炭素14は約5700年です」
「ALPS処理水と、通常の原発排水は、まったく違うものです。ALPSでも処理できない核種のうち、11核種は通常の原発排水には含まれない核種です。通常の原発は、燃料棒は被膜に覆われ、冷却水が直接、燃料棒に触れることはありません。でも、福島第1原発は、むき出しの燃料棒に直接触れた水が発生している。処理水に含まれるのは、“事故由来の核種”です」(自民党処理水等政策勉強会・山本拓議員)

 第1原発敷地内のタンクに貯蔵されている汚染水の7割には、ALPSで除去できないトリチウム以外にも、規制基準以上の放射性物質が残っている。この事実が18年に発覚するまで、政府と東電は「トリチウム以外は除去できている」と言って、国民を欺いてきた。透明性は希薄である。信頼性は著しく低い。

ここで頼みの綱となるALPS(汚染水を浄化処理する多核種除去設備=ALPS)だが、実は2013年に東電が導入後、現在まで8年間も「試験運転」のままなのだという。いったいどういうことだ。

 4月14日の参院資源エネルギー調査会で、共産党の山添拓議員が問題を取り上げた。「トリチウム以外は除去できているのか」と追及。新川達也経産省審議官は「タンクにためた水の約7割には、トリチウム以外にも規制基準値以上の汚染物質が残っている」と認めた。

 また山添は、アルプス処理施設が2013年の稼働開始後、法律で求められる検査がされていないのではと質問。原子力規制委員会の更田豊志委員長は「使用前検査の手続きを飛ばしているところがある」と答えている。政府は海洋放出を「安全」と喧伝するが、それはALPSが願望のとおりの除去作用あってのこと。その“頼みの綱”の性能はまだ「確認中」。ハッキリしてはいない。これが、アンダーコントロールの正体なのだ。

民族の伝統だ。大和魂だ。コロナに打ち勝って東京五輪をやり抜くぞ!

(2021年4月15日)
 東京五輪は国策だ。しこたま金もかけている。これからがいよいよ儲けの本番だ。何が何でも東京五輪は断行だ。断じて行えば鬼神もこれを避く。必ずカミカゼが吹く。

 政権浮揚と無能都政挽回に千載一遇のチャンスだ。だからオリパラ中止はあり得ない。聖火リレーも始めたんだ。感動の大安売りだ。さあ、一億火の玉となってオリンピックに邁進だ。

 汚染水も新型コロナも、全てはアンダーコントロールだ。閣議決定でなんでも決められるんだから、心配することはない。アベの遺産を継承して突っ走るだけなのだ。

 日本民族の歴史と文化と伝統だ。いったん走り始めたら方向転換はもう無理だ。精神力が全てだぞ。撃ちてし止まんの精神だ。大和魂でコロナを退散させるのだ。人類がコロナに打ち勝った証しとしての東京五輪を実現するぞ。掛け声だけでも勇ましく。

 東京五輪開幕まで100日を切った。コロナの蔓延は拡大の一途である。新規感染者の伸びは想定を超える厳しさ。五輪開催に「赤信号」がともりかねない深刻な事態。だが、政権も都政も、新型コロナウイルス対策に万全を期すとして、「安全・安心な大会」を実現させる目標を堅持する。「五輪中止」は念頭にないようだ。少なくとも表向きは。

 そんなスガ・コイケの醸しだす空気とは、まったく次元を異にする本日の二階俊博発言である。東京五輪開催についての、「無理ならすぱっとやめないといけない」という、この言葉が日本中を駆け巡った。

 どんなに、留保や条件を付けたと言ってみても、政権や都政がこれまで言ってきたこととは、まったく異なるのだ。「すぱっとやめないと」は、大きな衝撃である。世人は、「やっぱり、政権与党も本心ではオリンピック中止やむなしと考えているんだ」と受けとめた。

 二階発言の正確な内容は、TBS(CS)の番組に出演して「五輪開催でコロナの感染拡大を懸念する声がある」と記者から問われて、「これ以上とても無理だということだったら、スパッとやめないといけない。五輪で感染をまん延させると、何のための五輪か分からない」と述べ、さらに中止の選択肢があるかを問われると「当然だ」と述べたというもの。

 もちろん、二階は同じ番組内で「五輪を盛り上げることが日本にとって大事だ。大きなチャンスだ。成功させたい」とも述べている。だから、「すぱっとやめないと」部分の独り歩きは本意ではないと言いたいようだ。番組終了の直後に、「ぜひ成功させたいという思い。何が何でもオリンピック、パラリンピックを開催するかと問われれば、それは違うという意味で述べた」と釈明したが、意味のある釈明にはなっていない。

 自民党や政権に「ぜひ東京五輪を成功させたいという思い」があることは周知の事実で、今さら語るにも聞くにも値しない。国民の多くが、菅政権や小池都政は、「何が何でもオリンピック、パラリンピックを開催する」意気込みなのだと考えざるを得ない印象を与えるなかで、「それは違う」という二階の発言が新鮮で衝撃だったのだ。延期された東京五輪の中止も現実的な選択肢なのだ。

 既に深刻なコロナ蔓延の事態が現実化している。この事態において、「無理ならすぱっとやめないといけない」「何が何でもオリ・パラを開催するかと問われれば、それは違う」と述べられれば、中止を含意する発言と受けとめられて当然なのだ。

 加藤勝信官房長官は、二階発言の火消しに躍起となった。が、火の勢いは止められない。何しろ「政府としては東京五輪の開催に向け、必要な対策を具体的に進めている」と言うだけなのだ。国民誰もが、「政府のコロナ対策はまったく有効になっていない」と思っている。加藤弁明はまったく迫力に欠ける。

 また、加藤は「国民が東京大会を受け入れられると思っていただけることが重要で、最大の課題は新型コロナウイルス対策である」としたうえ、組織委や東京都などに政府も加わって作成されたコロナ対策調整会議で作成された中間取りまとめをもとに、さらに検討が進められていると強調。「必要な対策をさらに具体的に進めているところだ」とも語ったとほうじられている。なんという具体性に乏しい、なんという説得力のない発言。このくらいのことしか語り得ないのだ。

 コロナ対策への専念か、それとも五輪の強行か。それを決めるものは民意である。理性に基づく民意は、東京五輪の実現を既に非現実的なものとしている。東京オリパラは、もはや中止しかない。 

アパホテルもDHCも、今の体質のままでは消費者からの制裁を免れない。

(2021年4月14日)
 あの日はカンザンが盛りだったから、ごく先日のこと。桜を見ての帰りの散歩道で小さな郵便局に立ち寄って定額小為替を購入した。いつもは、本郷郵便局に通い慣れて、窓口で不愉快な思いをしたことはない。

 この日も、対応の局員がテキパキとして好印象。天気はよし、桜はきれいで、気分は上々だった。ところが、手続が終わってハッと気が付いた。窓口のカウンターに、アパホテルのカレーの箱が置いてある。値段がついているから売り物なのだ。えっ? なんだ。いったい、これは。

 突然に気分が悪くなった。何か非日常の不気味で邪悪なものに遭遇した感じ。この郵便局の印象がガラッと変わった。思わず、大きな声になった。「このアパホテルのカレーは、おたくの局だけで売っているもの? それとも日本郵便の全局で扱っているの?」。気の毒に、かの局員は戸惑ったご様子。「さあ。よく分かりませんが、うちだけではないんじゃないかと思いますよ」

 「アパホテルと言えば、《日本軍の南京大虐殺はウソだ》と言っている有名な右翼でしょう。憲法改正も核武装も言っている。郵便局がそんなところの商品を扱って問題にされたことはないんですか」
 「さあ。そう、言われましても…」(そりゃ、そのとおりだよね…)
 「これを見て不愉快になった。もう、この局には2度と来ない」
 
 DHCだの、フジ住宅だの、アパホテルだの。デマやヘイトや、歴史修正主義の右翼企業が大手を振って経営できている現状を嘆かざるを得ない。本来、こういう企業には、消費者がお灸を据えて、淘汰しなければならないのだ。

 資本主義の経済社会における商品は、最終的には市場で消費者に選択されなければならない。消費者には商品の選択権があるのだ。消費者が、商品選択を通じて企業の生殺与奪の権を握っている。性能と価格だけに着目して、商品の選択をしてはならない。

 商品を提供している企業にも着目しよう。デマやヘイトやスラップや歴史修正主義企業の製品はボイコットしよう。労働者に対するブラック企業をのさばらせてはならない。ステルスマーケティングをやっている消費者欺しの企業も容認してはならない。環境問題に無頓着な企業にはマーケットから退場してもらおう。

 日々の消費行動を通じて、人権や民主主義や平和に貢献できるのだ。DHCの製品は買わない。アパホテルには泊まらない。フジ住宅には発注しない。それだけでも、おおきな社会貢献なのだ。

 来歴は不明だが、下記のURLをいただいた。私はテレビを見ないので、「4月9日 NHKおはよう日本」の番組を見ていない。
 
 4月9日 NHKおはよう日本 問われる企業の人権意識
 https://www.youtube.com/watch?v=yDxSF1-cogE

 この動画サイトをみて、改めてこれはインパクトが大きいと思った。社会の趨勢は、デマやヘイトを許さないとしている。NHKも、その陣営に入ってきている。DHCよ、吉田嘉明よ。いつまで悪あがきを続けるのだ。資本主義的経営の合理性は、DHCのデマやヘイトやスラップの体質改善を求めているではないか。アパホテルもフジ住宅も同様である。

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