(2021年4月13日)
今朝の朝刊各紙に、ラムゼー・クラーク(元米司法長官)の死亡が報じられている。
米メディアによると、9日、ニューヨーク市の自宅で死去、93歳。めいのシャロン・ウェルチ氏が明らかにした。死因は不明。
ジョンソン政権時の1967?69年に司法長官を務め、学校での人種差別廃止の徹底に取り組むなど、公民権運動に重要な役割を果たした。退任後は人権派弁護士として活動。独裁政権時の人道犯罪を問われたイラクのフセイン元大統領、旧ユーゴスラビア紛争で戦争犯罪などに問われたミロシェビッチ元ユーゴ大統領に対する裁判に弁護団として加わり、議論を呼んだ。(共同)
ラムゼー・クラークには、思い出がある。日本政府の湾岸戦争加担を違憲だと訴えた、「ピース・ナウ! 市民平和訴訟」の第1回法廷に、この人は、事実上出廷し意見陳述をしているのだ。1991年9月10日のことである。
ラムゼー・クラーク、訴訟の原告ではない。代理人でもない。証人として採用されているわけでもない。だから、第1回の法廷で意見を陳述する資格はない。それでも、弁護団事務局長だった私は考えた。せっかくの機会だ。元アメリカ合衆国の司法長官が、この不正義の湾岸戦争に反対しているということを裁判官に何とかアピールできないだろうか。
彼には、103号大法廷傍聴席の最前列の真ん中に着席してもらった。そして、私が代理人席から彼を裁判長に紹介した。彼の隣で梓澤和幸君が通訳を引き受けてくれた。そして、原告の大川原百合子さんが、冒頭の原告意見陳述の形式で、ラムゼー・クラークのスピーチを日本語訳して代読した。この間、彼クラークは、傍聴席に着席することなく、起立したままだった。
そして、陳述を終えた大川原さんが、証人席から振り向いて、クラークに握手を求めたところ、なんと彼は大川原さんを堂々と抱き寄せて、柵越しにではあるがハグしたのだ。前代未聞の法廷風景であった。
その日の法廷の、原告と原告訴訟代理人の意見陳述はたっぷり1時間半。その熱気は、以下の「ピース・ナウ! 戦争に税金を払わない! 市民平和訴訟 ニュース」(1991.9.28 NO7)のとおり(抜粋)である。
**************************************************************************
熱意と論理で圧倒した口頭弁論
傍聴者150名を超える
拍手が沸き起こった法廷
午前9時半から、東京弁護士会館に原告たちは集まった。長野や静岡など遠方からの原告もいたし、同様の訴訟を起こしている鹿児島・大阪・名古屋の原告の人たちもいた。ともあれ、傍聴席100人以上の法廷をいっぱいにしなければ、という運営委員会の心配は消え、途中、39名の傍聴者の入れ替えをするほどだった。
第1回口頭弁論に臨むにあたって、弁護団事務局長の潭藤統一郎弁護士が、「裁判官を含めたすべての出席者にとって、法廷を学習する場にしていきたい」とアピール。
10時半から開かれた法廷では、以下の順で原告側の口頭陳述が行われた。
1 本件訴訟の意義と基本構成/徳岡宏一郎弁護士
2 提訴の動機/原告・剣持一巳氏、加藤量子氏
3 平和的生存権を裁判で回復する意義と可能性/(原告)金子勝氏
4 殺さない権利/原告・三宅和子氏、斉藤美智子氏
5 納税者基本権 加藤朔朗弁護士
6 九〇億ドル支出への思い/原告・元山俊美氏、
クラーク氏の見解/原告・大川原百合子氏
7 司法権の使命/後藤昌次郎弁護士
8 裁判所へ期待する/原告・大橋聡美氏
9 まとめと今後の主張・立証計画/池田眞規弁護士
10 終わりに/尾崎陞弁護士
原告たちの体験に基づいた真摯で思いのあふれた陳述や、学者や弁護士の立場からの力強い陳述が続き、聴く人たちに感動と共鳴を与えた。陳述が終わるごとに抑えた拍手が沸き起こったが、裁判長から一切静止されるようなことはなかった。
ラムゼー・クラーク氏の陳述は原告の大川原さんが氏の意見を陳述することになったのだが、その陳述中、氏は傍聴席の最前列で起立したままであった。
(閉廷後に)傍聴の感想を求められたクラーク氏は、「市民平和訴訟のことは広く世界に知らせていかなければならない。裁判所が違憲違法であると判断したならば、国際司法裁判所で、米政府に(援助金)返還を求める必要がある。もしも150億ドルが皆さま方の手に戻りましたら、どういうふうに使うべきかアドバイスしたい。世界は戦争ではなく、愛を必要としている・・・」などと語った。
1991年9月10日は、午前中の第1回口頭弁論、夜の「湾岸戦を告発する東京公聴会」と、私たち市民平和訴訟の会にとって、実にドラマチックで感動的な一日となった。
**************************************************************************
法廷…こぼればなし
◇ 当日司会役の澤藤弁護士がネクタイをしめて登場。他の弁護士の方々「あれ、ネクタイ持ってたの?」「買ったんです」澤藤弁護士のこの法廷にかける意気込みが感じられました。
◇ 陳述中に何度か拍手が沸き起こりました。禁止事項なので最初は遠慮がちでしたが、何も言われないのでしまいには大拍手に。
◇ 大川原さんの陳述中、傍聴席のクラーク氏はずっと起立されたままでした。普通傍聴人は立つことは認められません。
◇ そして大川原さんは陳述後クラーク氏に歩み寄り握手を求めたのですが、なんとクラーク氏は大川原さんを抱きよせキスをしたのです。この日本の法廷始まって以来のハプニングに一同唖然。フライデーが来ていたという話もあり、写真撮影不可とは残念。
ほぼ、30年ほど前のことである。そのラムゼー・クラークが亡くなったという報せに、時の遷りについての感慨がある。あの法廷の裁判長は、涌井紀夫さん。その後、最高裁裁判官となったが、在任中に病没している。弁護団・長老格の尾崎陞さん、三井明さんも間もなく亡くなった。当時弁護士として盛りの活躍を見せていた池田眞規さん、後藤昌次郎さんも今はない。私の同期で、この事件を最後まで引き受けた加藤朔朗君も病を得て亡くなった。原告団の中心にいた、剣持一巳さん、 元山俊美さん、大橋聡美さんらも今は鬼籍にある。
往時茫々ではあるが、あの頃と較べて、9条の平和主義は輝きを増しているだろうか。それとも衰微しているだろうか。裁判所は、当事者の声に耳を傾ける場として、よりマシになっているだろうか。あるいは後退しているだろうか。
(2021年4月12日)
4月24日(土)の「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年―」出版記念集会が間近である。この集会にお誘いしたい。
時節柄、集会は事前予約制で、会場参加80人、オンライン100人の募集。いずれも無料だが、まだ参加申込みは埋まらない。
下記URLから申込ができる。
https://bit.ly/30nB5fr
オンライン参加者には集会前日までにリンクを送付します。
「司法はこれでいいのか ― 裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」出版記念集会
日時 2020年4月24日(土) 13時30分?17時
会場 アルカディア市ヶ谷(私学会館)・6階「霧島」
主催:司法はこれでいいのか23期弁護士ネットワーク
共催:青年法律家協会 弁護士学者合同部会
協賛:日本民主法律家協会
詳細は、下記URLを参照ください。
https://jdla.jp/event/pdf/210424.pdf
進行予定と担当
(会場参加者にはプリントアウトした詳細レジメを配布します。
オンライン参加者には、メールで配信いたします。)
☆全体司会 ・澤藤統一郎
☆出版と集会の趣旨説明・村山 晃
☆挨拶 ・阪口徳雄
☆メッセージ(代読) ・宮本康昭氏(13期再任拒否当事者)
第1部 パネルディスカッション(司法の現状把握と希望への道筋)
パネラー 西川伸一・岡田正則・伊藤真の各氏
☆パネラー冒頭発言
・西川伸一氏 司法の現状:制度と運用の実態をどう把握するか
・岡田正則氏 司法の現状:司法はあるべき職責を果たしているか
・伊藤 真氏 司法の希望への道筋をどう見い出すか。
☆各パネラーへの質疑と意見交換 司会 梓澤和幸
第2部 具体的事件を通じて司法の希望を語る
1 東海第二原発運転差止訴訟弁護団 丸山幸司弁護士
2 生活保護基準引下げ違憲大阪訴訟 小久保哲郎弁護士
3 同性婚人権救済弁護団・札幌訴訟 皆川洋美弁護士
4 建設アスベスト京都1陣訴訟弁護団 谷文彰弁護士
5 東京大空襲訴訟弁護団 杉浦ひとみ弁護士
☆フリーディスカッション 司会・豊川義明
※冒頭発言 森野俊彦弁護士(23期・元裁判官)
※個別事件での獲得課題と司法を変えていく課題とはどう結びつくか。
※司法の独立・民主化に向けて今何が課題なのか など。
☆議論のまとめ 「司法の希望を切り開くために」豊川義明
☆青法協弁学合同部会議長 上野格 挨拶
☆閉会あいさつ 梓澤和幸
50年以前の1971年4月5日、その日は司法修習23期生の修習修了式だった。この日修習を終えた500人は全国に散って、すぐにも弁護士・裁判官・検察官としてそれぞれの職業生活を始めるはずだった。ところが、この日に、一人の修習生が罷免された。彼、阪口徳雄君は、この修習修了式の冒頭、式辞を始めようとした所長に対して、マイクを取って発言した。それが罷免理由とされた。
彼は同期の総意に基づいて発言したのだ。何を求めての発言か。それを語らねばならない。この日の前に同期の裁判官任官希望者のうちの7名が最高裁から任官を拒否されていた。最高裁当局は頑として理由を説明しなかった。同期の誰もが、これは最高裁による思想差別であり、裁判官全体に対する統制が狙いだと考えた。憲法の砦たるべき最高裁が、自ら思想差別を行っている。しかも、裁判官の独立をないがしろにしている。
これから、法曹になろうとする我々が、身近に起こっている違憲の事態を看過してよいはずはない。せめて、終了式の場で任官を拒否された者に発言の機会を与えてもらいたい。これが、同期の総意であり、この総意を受けた阪口君の発言であった。
阪口君は、けっして無作法な態度をとっていない、所長は明らかに黙認しており、けっして制止をしていない。この点は、「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」の第1章に手際よくまとめられている。また、巻末の資料「阪口司法修習生罷免処分実態調査報告書」(東京弁護士会)にも詳細である。是非お読みいただきたい。
所長からの同意を得たと思った阪口君が、「任官不採用者の話を聞いていただきたい」と話し始めた途端に、「終了式は終了いたしまーす」と宣告された。開会から終了まで、わずか1分15秒である。
式場が混乱したわけではない、阪口君が制止を振り切って発言したわけでもない。何よりも、この事態を招いたのは、最高裁に大きな責任があるのだ。しかし、最高裁はその日の内に阪口君を罷免処分とした。
彼は2年後に法曹資格を回復する。そのためには、最高裁を批判する市民運動の高揚が必要だった。23期の法曹は1971年4月5日の原体験を出発点として、その後の職業生活を送ってきた。「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」(現代書館)は、その思いの記録である。
【主要目次】
第1章 任官拒否、修習生罷免、そして法曹資格回復
第2章 群像――1971年春
本田雅和(ジャーナリスト)
第3章 生涯と生きがいを語る
23期各弁護士の執筆
第4章 司法官僚――石田和外裁判官の戦後
西川伸一(明治大学政治経済学部教授)
定価 2200円(税込み) 頁数 368ページ
ご注文は、下記URLから。
https://gendaishokanshop.stores.jp/items/60581c83a11abc0c9e4971d1
(2021年4月11日)
戦慄すべきミャンマーの事態である。連日の犠牲者の報道に胸が痛む。軍事クーデターだけでも衝撃だが、クーデターを批判する民衆に対する理不尽な弾圧には言葉もない。これは、軍事組織による人民の大量虐殺である。世界中からの批判の集中が求められている。
このような局面では、もっとも尊敬すべき勇敢な人物が、最前線の最も危険な場に踏みとどまって犠牲になる。多くの犠牲者に哀悼の意を表するとともに、この深刻な事態に抵抗を継続するミャンマーの人々に最大限の敬意を禁じえない。
他方、一片の大義もない軍事「政権」を、殺人者集団として強く非難する。同時に、実質的にこの殺戮を擁護し利用しようとしている、軍政の背後にある中国やロシアも批判しなければならない。「内政不干渉」という言葉に怯んではならない。
街中で、暴漢が誰かを殴っていたら、知らぬ顔を決めこんではならない。理不尽な暴力を見て見ぬふりをしてはいけない。暴力を批判し、暴力を受けている市民を救う手立てを講じなければならない。国際関係においても同様である。
理不尽な国家の暴力行使に対しては、国際社会がこれを許さないとする、断乎たる意思を表明しなければならない。「内政不干渉」が、理不尽な国家の暴力に対する他国の批判を許さないとする理屈として使われる事態を容認してはならない。
人権の尊重は普遍的な理念である。人権蹂躙の極致としての集団虐殺は、国際世論において最大限の厳しさで非難されなければならない。「内政不干渉」を防壁として国軍批判を封じ込もうというのは、倒錯も甚だしい。
国連安保理はミャンマー情勢に関して、デモ参加者にたいする国軍の暴力を非難する声明は発した。しかし、実効性のある制裁措置は執ることができないし、軍の実権掌握をクーデターとして非難する声明さえ、発することができていない。中国、ロシア、インド、ベトナムの反対があるからだという。
ミャンマーの抵抗運動はこれに失望し、軍事政権の背後にチラつく中国・ロシアを批判し始めた。デモ隊は、国連安全保障理事会での中国の姿勢に抗議するとして、デモ参加者が中国の国旗に火をつけている。中国はこの事態を重く受けとめるであろうか。あるいは、軍政支援の口実を得たとするだろうか。
国際世論の批判不十分な状況で、軍事政権は弾圧をエスカレートしている。民主的に構成された政府を武力で転覆させた軍事政権は「違法」な存在である。これに対する人民の批判・抵抗は、本質的な正当性をもっている。ところが、軍政は戒厳令を敷き、人民の抵抗を「犯罪行為」として制圧しようとしているのだ。
ミャンマー国営テレビは一昨日(4月9日)の夜、ヤンゴンで国軍関係者2人を死傷させたとして、19人が軍法会議で死刑判決を言い渡されたと伝えた。事件は3月27日の国軍記念日のデモの中で起きたという。この日、国軍はデモ隊に発砲して100人を越す人々を殺戮している。殺人者集団が、被害者側を起訴して、死刑判決を下したのだ。
戒厳とは、一定の地域を定めて、その地域内での立法・行政・司法の権限を軍に集中することである。憲法の停止であり、民主主義の凍結と言ってもよい。19人に死刑判決を言い渡したのは、軍法会議である。うち、17人は在廷しないままの判決で、以後、死刑判決の受刑者として当局から追われる身になる。当然のことながら、この軍法会議は信用されていない。予てから、恣意的な判決が出るのではないかと懸念されていた。市民のSNSには、デモ活動を封じ込めるために虚偽の犯罪をでっち上げたとの批判が噴出しているという。
人権団体「政治犯支援協会」によると、4月9日時点で、2931人が国軍側に拘束されており、520人に逮捕状が出ている。デモ弾圧などによる死者は618人に上っているという。
問題は日本政府の姿勢である。実は、「日本はミャンマーに対する最大の援助国で、2019年度はヤンゴンとマンダレーを結ぶ鉄道やヤンゴンの下水道などの大型インフラ事業を含め1893億円の供与が決まった。累計でいえば、有償、無償、技術協力合わせて2兆円近い支出をしている。」(柴田直治・近畿大学教授)という。その日本に、ミャンマーに対する影響力がないはずはない。
https://toyokeizai.net/articles/-/420565
同教授の以下の提言に賛成する。
「非道な国軍につくのか、それともミャンマー国民の側に立つのか、日本政府の選択肢は2つに1つしかない。しかも、速やかに旗幟を鮮明にする必要がある。
とすれば日本政府は一刻も早くミャンマー国民、中でも危険を冒して抗議する若者らに伝わる明確な意思表示をするべきだ。現況、「日本はミャンマー国民の側に立っている」とは受け止められていないと感じるからだ。」
ではどうするか。やれることはある。
それは、継続案件も含めたODAの全面停止のほか、日本企業に国軍関連企業との取引停止を要請すること、さらに踏み込めば、国民民主連盟(NLD)の当選議員らでつくる連邦議会代表委員会(CRPH)の正統性を認めることだ。口先だけではない姿勢をミャンマー国民にも国軍にも直接的に示すことが肝心だ。
こうした意思表示は同時に日本国民に対するメッセージにもなる。2011年の民政移管後に5000億円にのぼる過去の延滞債権も放棄した。債権放棄は民主化の進展が前提条件だったはずだが、国軍の暴挙で日本国民の善意が完膚なきまでに蔑ろにされているいま、日本政府は納税者に対しても毅然とした姿勢をみせる必要がある。」
まったく、そのとおりではないか。日本政府は、ミャンマーの民衆の立場に立つことを鮮明にしたうえ、実効性ある国軍批判の諸措置を採らねばならない。そして、もはや一刻の猶予も許されない。
(2021年4月10日)
菅義偉内閣は、昨年(2020年)9月16日に発足した。この日の午後9時から首相官邸で新首相として記者会見に臨んだ菅はこう言っている。
「行政の縦割り、既得権益、あしき前例主義を打ち破って規制改革を全力で進める」
さて、「打ち破られるべき悪しき前例主義」とは一体なんだろうか。そして、「悪しき前例主義に守られた既得権益」とはなんだろうか。おそらく、その最大のものは天皇制にほかならない。
今、政府は不要不急の「安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会義」を発足させてヒアリングを始めている。どうも、あしき前例主義の典型としての天皇制を打ち破って、ぬくぬくと既得権益を享受している天皇の在り方を真剣に検討しようという中身ではなさそうだ。菅新政権の公約はどこに行ったのだ。
一昨日(4月8日)、首相官邸で開かれた有識者会義のヒアリングでは、櫻井よしこ、八木秀次、新田均といった面々が、皇位継承資格者を男系男子に限る現行制度の維持を求める意見を述べたという。櫻井は、男系男子のみに皇位継承を認める現行制度を、「これを守っていくことが皇室に対する国民の求心力を維持する方法だ」と主張したという。なんとも、そのバカげた感覚にあきれ果てるしかない。
つい先日、東京五輪の聖火リレーが、女人禁制問題に遭遇した。半田市に伝わる「ちんとろ祭り」で使う舟には、江戸時代以来女人禁制だという。当初は男性ランナーだけを乗せて聖火を運ぶ計画が、「悪しき前例主義」として批判を受け、女性も乗船できるよう半田市が急遽方針を変更した。
打ち破ってみれば、女人禁制など何の根拠も合理性もない愚行でしかないことが明白である。天皇制も、それ自体が、今存在すべきなんの根拠も合理性もない「悪しき前例」以外のなにものでもない。さらに、男系男子主義の固守となれば、もはや滑稽でしかない。
改めて日本国憲法14条を読み直してみよう。
「第1項 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第2項 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
第3項 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」
この全ての人間の平等が憲法の精神であり、人類普遍の原理でもある。人は生まれによって差別されてはならない。優遇されてもならない。貴種を認めるということは、即ち卑種をも認めることである。尊い血に対する信仰は、卑しい血に対する差別を前提としている。万世一系とは、恥ずべき差別の歴史ではないか。
憲法体系の中で、天皇の存在が他と調和しない異物なのだ。憲法制定時、天皇(裕仁)は、「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」に不満だったと伝えられる。「せめて堂上華族」(高級公家の出自をもつ華族)だけでも残せないものかと口にしていたという。外堀を埋められて、次は自分の身が危ないとでも思ったのであろうか。いずれにせよ、日本国憲法における例外としての天皇の存在は際立っている。
だから、天皇制を「あしき前例主義」と言い、天皇の収入や財産や数々の特権を「既得権益」というのだ。菅義偉よ、その言葉のとおり、この「あしき前例主義」と「既得権益」に挑戦してみてはいかがか。
(2021年4月9日)
久しぶりに、DHCの吉田嘉明が自社の公式ホームページにコメントを掲載した。またまた、懲りないヘイトスピーチの繰り返しである。
https://top.dhc.co.jp/contents/other/kuji_about/
その全文が後記のとおりだが、次の言葉で締めくくられている。
「NHKは日本の敵です、不要です、つぶしましょう。」
これには驚いた。吉田嘉明乱心である。「NHKをつぶしましょう」というのだ。しかも、「NHKが日本の敵である」理由がこう語られている。「これはもう日本国民の誰もが気がついていることであると思うが、NHKは幹部・アナウンサー・社員のほとんどがコリアン系である。出演者についても、学者・芸能人・スポーツ選手の多くがコリアン系であり、ひどいことに偶然を装った街角のインタビューさえコリアン系を選んでいる。予めリストアップしているのである。特徴のある名前とつき出たあご、引きしまった小さな口元、何よりも後頭部の絶壁ですぐに見分けがつく。」
とうてい正気の人物の発言ではない。まともに批判の論評をする気持さえ失せる。DHCのブランドイメージに自ら傷を付けているのだ。こういう人物が経営する企業が永らえるとは思えない。
この異様な「NHK憎し」の原因は、本日のNHK総合【おはよう日本】の放映にある。テーマは「問われる企業の人権意識」。NHKのホームページから、その番組紹介を引用する。
「東京五輪が近づく中、五輪憲章にも根絶がうたわれる差別など人権に関する問題への関心が高まっている。
国は「ビジネスと人権」に関する行動計画を初めて策定した。社会における企業の影響力が増す中、多様性ある社会を実現するために企業に求められる人権への取り組みがまとめられている。
しかし、企業と人権をめぐっては課題を解決したとは言えない現実が横たわったままとなっている。
化粧品会社DHCのホームページの記述の一部が差別的だとして署名を集めていた。在日コリアンを蔑む表現をしていたということ。化粧品を愛用している在日コリアンの女性は「私たちが直接攻撃されているようなそんな気持ちにもなってしまう」と話す。
この記述をめぐっては国会でも議論になった。上川法相は“企業にはヘイトスピーチを含めあらゆる差別、または偏見をなくして人権に配慮した行動を取るということについて深く考えることが大事と思う”と述べた。
策定された行動計画の中で政府も各企業に対して人権を守る啓発に取り組むとしている。しかし政府が民間である企業に行動を促すのは難しく限界があるという。(以下略)」
吉田嘉明は、この番組を放映されて少しは恥ずかしいと思ったろうか。内心は分からないが、反省の色を見せることなく、反対に逆ギレの反応を見せたのだ。DHCの社員、これではさぞかし肩身が狭かろう。
私は、 「DHCは人権と平和の敵です、不要です、つぶしましょう」とは言わない。しかし、声を上げ続けたい。「DHCは差別企業です。反省して差別言動をやめるまでDHC製品を買ってはいけません」と。
**************************************************************************
(DHCホームページでの吉田嘉明コメントは以下のとおり。)
NHK「おはよう日本」報道局ディレクター大淵光彦と称する人物からDHCの広報部に電話が入り、当方の「ヤケクソくじ」の説明文に人種差別の問題が含まれていて、今に至ってもまだホームページに掲載が続いているがその理由を聞かせてくれとのことであった。名前を聞いて、明らかに在日系が好む日本名であることから、NHKを編るコリアン系の反日日本人かと思ったが、NHKに問い合わせてみると確かに在籍しているとのこと。小生は常々、日本の朝鮮化ということを何よりも危惧してい、るが、その元凶であるNHKからの問い合わせに小躍りした。NHKの状況を全国民に周知させる絶好の機会だからである、朝鮮化ということではNHKは最も触れられたくない問題のはずである。これはもう日本国民の誰もが気がついていることであると思うが、NHKは幹部・アナウンサー・社員のほとんどがコリアン系である。出演者についても、学者・芸能人・スポーツ選手の多くがコリアン系であり、ひどいことに偶然を装った街角のインタビューさえコリアン系を選んでいる。予めリストアップしているのである。特徴のある名前とつき出たあご、引きしまった小さな口元、何よりも後頭部の絶壁ですぐに見分けがつく。サントリーが日本海を「東海」と言おうが、社員・タレントをコリアン系ばかりにしようと・私企業であるから誰も文句は訪えない。NHKは全国民から強制的に受信料をむしりとっている公的機関であるから放置するわけにはいかない。誰がこんなふうにしてしまったのかというと自民党の一部のコリアン系の国会議員であるが、野党はコリアン系だらけだからNHKのやることには誰もストップをかけない。コリアン系は長い歴史の中で中国を常に宗主国としてきたから、宗主国のやることには逆らえないというDNAができている、韓国の歴代の大統領を見るとよくわかる。NHKは朝鮮半島の悪は絶対に言わない。これは同族だから当然のことだが、親分の中国にも何も言えない。党員のほぼ全員がコリアン系である立憲民主党は、総務省の役人がNTTの接待に応じたとかのどうでもよい文春の三流記事を盾にして連日のように国会でがなり立てている。そんな場合ではなかろう。国境を侵して侵入している敵には即座に銃撃して追い返すのが常識であろう。
小生のことをマスコミ(これもコリアン系ばかり)は人種差別圭義者だと言うが、人種差別というのは本来マジョリティがマイノリティに対して行う言動を指すのであって、今や日本におけるコリアン系はマイノリティどころか日本の中枢をほとんど牛耳っている大マジョリティである。毎日ものすごい数で帰化人が誕生している。数だけの同族でマジョリティではなく、彼らは東大・京大・一橋・早稲田を出ていることから政界・財界・法曹界・マスコミ界という日本の中枢をすべて牛耳っている大マジョリティである、小生はもともと経団連の会員であったが、呆れ果てて昨年の12月に退会した。経団連の会員は日本を代表する有名企業ばかりで、コリアン系などいないと思われるでしょうが、ここ数十年の間に続々とコリアン系が増殖して、幹部や一般会員だけでなく、会を支える事務局員までコリアン系で占められるようになった。そのため、彼らは目本のために働いているのではなく、何かあると必ず中国寄りの態度を示し、韓国には常に|司情的である。中国がウイグル族などの少数民族に対してやっていることは明らかに人種差別の最たるものです。アメリカで白人が大多数を占めていた昔なら黒人や朝鮮人は差別の対象になっていましたが、今は一大勢力を形成していますからもう差別とは言えないでしょう。数の力を頼って、西海岸の朝鮮人は今や市議会の中心層になっており、やりたい放題でマイノリティの日本人をいじめています、言いたい事はきりがありませんが、NHKに対してひと旨感想をと旨われれば、「NHKは日本の敵です、不要です、つぶしましょう。」
株式会社ディーエイチシー代表取締役会長・CEO 吉田嘉明
(2021年4月8日)
総務省とNHKと朝日新聞の三題噺である。「権力」と「その膝下にある公共放送」と、その「二者の関係を論評するメディア」の、それぞれの立ち位置のお話なのだ。主たる批判の対象は総務省であるが、問題はそれにとどまらない。NHK問題とは、まずはNHK自身の問題であり、次いで総務省とNHKの関係性の問題であり、この二者の関係について監視を怠らず鋭く切り込まねばならないメディア全体の問題でもある。そしてもちろん、終極的には国民の自覚の問題である。「それぞれの国民は、自らにふさわしいジャーナリズムをもつ」しかないというのだから。
話の順から述べれば、まず朝日がNHKの姿勢に関して社説を書いた。「NHK値下げ 政治の影に疑念が残る」という、このタイトルにピッタリの記事。これが、今年の1月28日のこと。
内容は、下記の要約のとおり、至極常識的で真っ当なものである。
「NHKが唱える「自主自律」とはいったい何なのか。こんな迷走ぶりで、市民の真の理解を得られると考えているのか。
執行部が業務のスリム化に加えて、23年度に受信料を引き下げることを急きょ打ち出した。剰余金が多すぎるのは明らかで、視聴者に還元する方向性自体は妥当といえる。
それでも釈然としないのは、決定に至る過程に政治の圧力を明らかに感じるからだ。視聴者・国民よりも政権の顔色をうかがうことにきゅうきゅうとするNHKの体質も垣間見える。
受信料の値下げについて、前田晃伸NHK会長は、「物事には順番がある」「値下げできる環境を整えるのが私の役割」と語っていた。それが一転した。これまでの方針は何だったのか。「環境」はいつ、どう整えられたのか。納得できる説明はない。
おかしな話はまだある。20日になって突然、副会長(放送総局長)が「衛星契約の1割をめざす」と具体的な数字を示した。菅首相が施政方針演説で「月額で1割を超える思い切った引き下げ」を表明した2日後のことだ。
値下げに異を唱えているわけではない。しかしNHKは新年度から、これまでに例のない規模の事業の縮小に踏み出そうとしている。影響を受けるのは国民一人ひとりであり、私たちの社会だ。
これからの時代にNHKはどんな役割を担い、そのために必要な費用を、だれが、どのように負担するのか。その議論を深めないまま、受信料を人気取りの道具に使おうとしているとしか見えない政権にも、それに追従するNHKにも、不信の念を抱かざるを得ない。」
この社説を書いたのは、田玉恵美論説委員。田玉によれば、この社説掲載の日に、総務省の課長に呼び出され、抗議されたという。このことが、昨日(4月7日)の朝日(多事奏論)欄で明らかにされた。
これは由々しきことではないか。社説は明らかにNHK批判である。ところが、NHKからではなく、「政治の影」濃い総務省からの抗議なのだ。総務省の担当課は、NHKに関するメディアの動向に目を光らせ、好ましからざる記事には、執筆者を呼びつけて「抗議」までするのだ。このことを朝日が2か月余も黙っていたというのも、やや腑に落ちない。
(多事奏論)は、「NHK値下げ 社説書いた 総務省に呼び出された」という、表題。3段落に要約して引用させていただく。
「1月の末、総務省に呼び出された。霞が関へ出向くと、初対面の課長らが出てきて「事実と異なる。抗議させていただきたい」「何が言いたいかというと、政府の圧力でNHKが1割値下げを決めたなんて話じゃないんですよ」と言った。
社説で私は、NHKが受信料値下げを決めた背景に政治の圧力を感じると書いた。大臣が再三迫って方針が変わったからだ。まるで国営放送みたいだ。
私は思った。これが忖度というやつか。首相はかつて、意に沿わない同省のNHK担当課長を更迭した。目の前で私に抗議をしているのは、まさに今そのポストにいる課長だ。首相や大臣の顔に泥を塗られたと感じ、強気に出てみせたのか。
もう一つ課長は気になることを言っていた。『NHKの経営に自主自律なんてないですから。そんなことおっしゃる方は初めてなんでびっくりしてます。自主自律は放送番組の編集の話。人事も金も握られてる。もうちょっと制度を勉強してください』
翌月、ニュースを見ていて思わず声が出た。東北新社にいる首相の長男らから違法接待を受けて懲戒処分を受けた官僚の中に、あの課長の名前があった。外資規制違反問題でも渦中の人になっている。あの抗議の真意を知りたい。改めて課長に取材を申し込むと、国会対応などで相当多忙であり取材はお断りしたいと返事が来た。放送法を勉強しろとお怒りだった課長に、国家公務員倫理法の勉強はどうなっていたのかも聞きたかったのだが。」
これは重大な情報である。総務官僚は、「NHKの経営に自主自律なんてない」と決めてかかっている。おそらくはNHKも同様の見解なのだろう。なるほど、NHKの置かれている立場がよく見えてくる。それだけではない。総務官僚はメディアの各紙・各社にも「自主自律なんてない」と思っているのではないか。かくも威丈高に朝日の社説にまで圧力をかけようという姿勢なのだ。
NHKには、「倫理・行動憲章」がある。NHKの自主憲法と言ってよいものだろう。その冒頭に、次の一文がある。
NHKは、公共放送として自主自律を堅持し、健全な民主主義の発展と文化の向上に役立つ、豊かで良い放送を行うことを使命としています。
ここでいう、「自主自律の堅持」とは、歴史的な経緯から、再び「大本営の伝声管とはならない」という宣言と理解すべきであろう。そのような歴史を捨象しても、「自主自律の堅持」とは、権力からの介入を拒絶することが主旨でなくてはならない。この理念と、現実との落差が問題なのだ。
また、この憲章をやや具体化した「行動指針」というものがある。その冒頭が次のような宣言文となっている。
○公共放送の使命を貫きます。
◆ いかなる圧力や働きかけにも左右されることなく、みずからの責任において、ニュースや番組の取材・制作・編集を行います。
「いかなる圧力や働きかけにも」というとき、総務省や官邸、あるいは政権与党からの圧力を除外する合理性はない。いや、むしろ、他の何よりも公権力やそれを支える社会勢力からの圧力や働きかけからの自律をこそ大切にしなければならない。それが、NHKが自らに課した視聴者に対する責任なのだ。本来、総務省には、そのようなNHKの自主性を尊重すべき責務がある。
しかし、『自主自律は放送番組の編集だけに限られている。人事や金など、NHKの経営に自主も自律もない』という、総務省NHK課長の言い分は、「政権は、NHKの人事と金を握っている。だから時の政権に不都合な放送はさせない」という恫喝に聞こえる。そして、この『NHKの経営に自主も自律もない』という見解をジャーナリズムに押し付けようとしているのだ。このような公権力による「恫喝」があれば、すぐにでも市民に知らせてほしいものと思う。朝日の姿勢は評価に値するとしても、報道がやや遅れてはいないか。
なお、この件については、醍醐聰さんが、(元総務省情報通信審議会委員)という肩書で、昨日の内に総務省に抗議のファクスを送っている。なんと迅速な行動力。
https://twitter.com/shichoshacommu2/status/1379721599595651076
(2021年4月7日)
ウソとゴマカシの常習犯・安倍晋三が、原発事故後のフクシマの事態を、「アンダー・コントロール」とホラを吹いて承知した2020東京五輪。招致委員会理事長竹田恆和の贈賄疑惑も大きな話題となったところ。薄汚なさのつきまとう東京オリパラである。天網恢々因果はめぐって、思いもかけぬコロナ禍に見舞われた。
2020年の開催は1年延期となったが、21年開催も無理だろう。いや、早期に中止を宣言すべきなのだ。アベ後継のスガが、アベ並みに「日本のコロナ禍は、アンダー・コントロール」とホラを吹くことは、もう許されない。
1年遅れの東京五輪開会まで、あと107日。コロナ禍は、確実に第4波に突入している。完全に「アウト・オブ・コントロール」の事態である。本日、大阪府は感染急拡大で重症者の病床がひっ迫したとして、「医療非常事態」を宣言した。その後、本日の新たな感染者(陽性者)を878人と発表した。東京都の新規感染者数は555名、全国では3000人を越えた。これは、ただごとではない。
こんな折も折、沿道に密集した人を集めて、聖火リレーなるものが今日も行われている。本日は三重県、四日市市からのスタート。ゴールは、伊勢神宮周辺を巡って伊勢市の県営総合競技場だという。商業主義のオリンピックと、天皇教総本山の伊勢神宮、両者が結託してもコロナには勝てない。
今日のリレーの第一走者は、瀬古利彦だった。かつての東京都教育委員の一人。教育現場に、日の丸・君が代を強制した戦犯の一人。
走り終えて、瀬古は「第1走者を務められたことが光栄。開会式でともされる火を想像して走りました。コロナ禍で国民全体に閉塞感がある。聖火の火でコロナを吹き飛ばしてもらいたい」と語ったという。ノーテンキに呆れると言うほかはない。、
一方、大阪府の吉村知事は「大阪府全域での公道を走る聖火リレー」を中止とした。聖火リレーどころではない。オリンピックどころの話ではない。今や多くの人命にかかわる事態なのだ。吉村も、緊急事態宣言の早期終了のツケを自覚せざるを得ないのだ。
スガのバイデンに対する参勤交代は、このような深刻な事態でのこととなった。4月16日首脳会談予定日には、日本のコロナ禍は今よりさらに深刻になっているだろう。スガは、アベのセリフを真似て「コロナ禍について、大統領に私から保証をいたします。状況は、アンダー・コントロールされています。100日後の東京五輪準備には、これまでいかなる悪影響もなく、今後とも、ありません。」などとウソを言ってはならない。
正直にそして誠実に、こう言うべきなのだ。「コロナ禍に対して、われわれはこれまで無力・無為・無策でした。状況は、完全にアウト・オブ・コントロールです。しかし、このまま座して成り行きに任せているわけにもまいりません。100日後の東京五輪は直ちに中止を宣言して、国を挙げてコロナ禍対策に全力で策を講じなければなりません。貴国の皆様に、ご理解をいただきたいと存じます」
(2021年4月6日)
昨日のブログに、1971年4月5日の原体験を書いた。その原体験を共有する同期の仲間が、50年目にあたってそれぞれの思いを語る書籍を刊行した。題して、「司法はこれでいいのか。ー 裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」。
もちろん、「司法がこれでよい」はずはない。50年前、私たちは最高裁が、日本国憲法の想定する「憲法の砦」とはほど遠い実態にあることを痛感した。それでも、その後を何とか、人権や民主主義、平和を目指して、法曹として闘ってきた。その50年を語る書である。50年を経て司法は少しはまっとうになっただろうか。その問いかけを続けていかなければならない。
書籍の詳細は、現代書館の下記URLを参照願いたい。第1版第1刷の発行が、2021年4月5日である。
https://gendaishokanshop.stores.jp/items/60581c83a11abc0c9e4971d1
著者は、「23期・弁護士ネットワーク」となっている。従来から「23期有志」に親密な交流はあったが、名称などは不要だった。急遽出版の話が出て名前が必要となって、急拵えに付けたのが、「ネットワーク」。あんまりなじまないカタカナの名称。
【23期・弁護士ネットワーク】のメンバーとして名を連ねているのは、下記の29名だが、そのうち4名が故人である。
阪口徳雄 梓澤和幸 井上善雄 宇都宮健児 海川道郎 大江洋一 河西龍太郎 木嶋日出夫 木村達也 郷路征記 児玉勇二 小林和恵 澤藤統一郎 城口順二 瑞慶山茂 豊川義明 中山武敏 野田底吾 藤森克美 本多俊之 松岡康毅 宮地義亮 村山晃 持田穣 森野俊彦 山田万里子 山田幸彦 安田秀士 吉村駿一
出版社が惹句とした、【内容】の解説は以下のとおり。
1960年代後半から、民意を反映する判決を書く裁判官に対する最高裁事務総局による転勤先や報酬額を巡る嫌がらせが横行するようになる。その象徴的な事件が、1971年4月5日の司法修習終了式で起こった阪口徳雄氏の修習生罷免であった。半世紀前に、裁判官任官拒否、修習生罷免を体験したことは法律家たちに厳しい試練の時を刻んだ。しかし青年たちは苦難を乗り越え、法曹資格を回復し、多様性豊かに人々の希望を開いた。本書は、その群像の記録である。一人でも多くの読者に、良心という力のメッセージを届けたい。
司法が骨抜きにされたターニングポイントを克明に記録し、苦難を乗り越えて希望を開いた法律家たちの群像を活写!
【主要目次】
第1章 任官拒否、修習生罷免、そして法曹資格回復
第2章 群像――1971年春
本田雅和(ジャーナリスト)
第3章 生涯と生きがいを語る
第4章 司法官僚――石田和外裁判官の戦後
西川伸一(明治大学政治経済学部教授)
定価 2200円(税込み)
頁数 368ページ
さて、23期有志は「司法はこれでいいのか」を表題とする書籍を出版し、この書籍にふさわしい出版記念の集会を持つことにした。
「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年―」出版記念集会
4月24日(土)13:30? アルカディア市ヶ谷(私学会館)およびオンライン
主催:司法はこれでいいのか23期弁護士ネットワーク
共催:青年法律家協会 弁護士学者合同部会
協賛:日本民主法律家協会
詳細は、下記URLを参照いただきたい。
https://jdla.jp/event/pdf/210424.pdf
(2021年4月5日)
私にとって、4月5日は特別な日である。私は、1971年の春4月に司法修習を終えて弁護士となった。その司法修習の終了式が、ちょうど50年前の今日、4月5日であった。その日、私は怒りに震えた。あの日の怒りが、その後の私の職業生活の原点となった。その怒りの火は今なお消えない。そして、今後もこの怒りを忘れまいと思う。
法曹(弁護士・判事・検事)資格を取得するには、司法試験合格後に司法修習の課程を履修しなければならない。1969年春4月に私は23期の司法修習生となった。戦後、法曹三者の統一修習制度が発足して以来23年目の採用ということ。同期生は500人。修習期間は当時2年だった。国費の給付を受けて、修習専念義務を課せられた準公務員という立場。
その2年間、司法研修所と東京地裁・東京地検・二弁の法律事務所で、生の民刑事の事件を素材とした実務の修習に余念はなかったが、同時に課外の自主活動にも積極的に参加して多くのことを学んだ。
私が弁護士を志望した60年代後半は、司法が比較的健全な時代であった。反共の闘士・田中耕太郎最高裁長官(1950年3月?1960年10月)以後で、裁判官の独立を蹂躙した石田和外長官(1969年1月?1973年5月)以前の、比較的穏やかな司法の時代だった。国会には、護憲勢力の「3分の1の壁」が築かれ、60年安保闘争の国民的盛り上がりの余韻の中で、労働運動も学生運動も盛んだった。その社会の空気を反映して、裁判所が真っ当な判決、あるいはずいぶんとマシな判決を重ねていた時代。裁判所に正義があると国民からの信頼を得ていた、今は昔のことと語るしかない頃のこと。
当時憲法理念に忠実でなければならないとする若手の弁護士だけでなく、裁判官や司法修習生も、憲法と人権擁護を旗印とする青年法律家協会(青法協)に結集していた。時の自民党政権には、これが怪しからんことと映った。当時続いた官公労の争議権を事実上容認する方向の判決などは、このような「怪しからん」裁判官の画策と考えられた。いつの時代にも跋扈する反共雑誌の「全貌」が執拗に青年法律家協会攻撃を始め、自民党がこれに続いた。驚くべきことに、石田和外ら司法官僚上層部はこの動きに積極的に迎合した。こうして、裁判所内で「ブルーパージ」と呼ばれた青法協会員攻撃が行われた。
攻撃側の中心にいたのが、「ミスター最高裁長官」石田和外(5代目長官)である。彼は、青法協会員裁判官に、協会からの脱退を勧告し、あまつさえ内容証明郵便による脱退通知の発送までを強要した。
私は、当然のごとく青年法律家協会の活動に加わった。東京で修習した実務期には修習生部会議長を引き受けもした。時節柄、この時の活動は最高裁当局との対決色を濃くするものとなり、22期から2名の青法協会員任官拒否者(裁判官への任官を希望しながら、最高裁から採用を拒否される者)が出たことで、決定的になった。私たちは、これを最高裁の思想差別ととらえた。そして、この差別は自民党や右翼勢力の策動に司法部の独立性が脆弱であることの反映と理解した。
菅義偉内閣の学術会議会員任命拒否とよく似た構図である。修習後半の1年は、ひたすら同期の仲間から任官拒否者を出すな、教官は青法協脱退工作に加担するな、逆肩たたき(任官辞退誘導)をするな、という具体的なテーマを追及する運動に明け暮れた。
2年の修習を終えて、忘れることのできない71年4月を迎える。
最高裁は、23期7人の任官志望を拒否した。そのうち6名が青法協会員だった。当局の覚え目出度くないことを知悉しつつ、良心を枉げることはできないと覚悟した潔い人びとである。運動は目的を達成できなかった。その意味では手痛い敗北だった。
それに先んじて、最高裁は13期裁判官である宮本康昭氏の(採用10年目での)再任を拒否していた。青法協裁判官部会活動の中心人物と見なされてのことである。われわれは、最高裁の頑迷な、そして確固たる意思を思い知らされた。
23期の修習修了式4月5日の前日、松戸の研修所の寮で話し合いがあった。「この事態を看過できない。明日の式では、修習生を代表して誰か抗議の一言あってしかるべきではないか」。クラス連絡会の代表だった阪口徳雄君がその役を引き受けた。
終了式の式場は、当時紀尾井町にあった木造司法研修所庁舎の講堂。当日開式直後に挨拶に立った守田直研修所長に、阪口君は「所長、質問があります」と語りかけた。500人の出席者から、「聞こえない。マイクを取れ」「こちらを向いて話せ」と声が飛んだ。所長も、耳に手をやって聞こえないというしぐさをした。彼が少し前に出て一礼し、所長の黙認を確認してマスクを取り、あらためて任官拒否の不当について話し始めた。とたんに、かねてからの手筈ででもあったかのように、司会の研修所事務局長から、声がかかった。「終了式は、終了いたしまーす」。この間、わずか1分15秒である。
そして、そのあとの長い長い教官会議があり、夕刻、最高裁は阪口君を罷免処分とした。私は、その酷薄さに怒りで震えた。同時に、権力というものの非情さと理不尽さを、肌身で知った。このときの怒りと反権力に徹しようという決意は今に続いている。
最高裁のこの暴挙には、国民的な抗議の世論が巻き起こった。なんと、最高裁自身が思想差別の張本人となっている。しかも、そのことを不当と声を上げようとする者を問答無用で切り捨てたのだ。これが、司法部の実態であれば、わが国の人権も民主主義も危うい。弁護士となった私の最初の活動は、この抗議の市民運動に参加することだった。阪口君は、資格を剥奪されたまま最高裁の不当を訴えて、全国を行脚していた。同期の者が安閑としておられるはずはなかった。
この司法の独立を求める市民運動への関与は、阪口君が2年後に世論を背景として資格の回復を勝ち取り弁護士になるまで続いた。弁護士になった彼は、私と同じ法律事務所で机を並べて同僚としてしばらく仕事をした。
こうして、「司法の嵐」「司法の危機」あるいは「司法反動」といわれた時代に、私は実務法律家となった。「憲法改正を阻止し、憲法の理念を擁護する」だけではたりない。独自の運動課題として、憲法が想定する真っ当な裁判所をつくる必要がある。司法の民主化なくして人権も民主主義もありえない。人事権を握る司法官僚が、第一線裁判官の採用・再任・昇進・昇格・任地を左右する権限を恣にしている実態を改革しなければならない。
1971年4月5日の出来事こそが、私の弁護士人生の原点となった。反権力を貫こうというだけではない。政治からも、行政府や立法府からも独立した司法への改革が必要なのだ。50年前のあの日の震えるほどの怒りを忘れまい。あの日に身に沁みた権力の理不尽と非情を忘れまい。今もなお、《憲法の理想》は《司法の現実》によって曇り続けている。この相克を解決すべく努力を続けたい。
(2021年4月4日)
澁谷知美著『日本の包茎 男の体の200年』(発刊2021年4月4日、筑摩選書)が話題である。一つは、ジェンダーやセクシュアリティに関しての学術的な関心からの話題であるが、もう一つは「消費者問題」や「医療・医師のあり方」としての話題である。しかも、後者の話題には、大村知事リコール問題での大規模な署名偽造問題の渦中にある高須克弥が絡んでいることで関心は高い。
澁谷知美とは1972年生まれの社会学者。東大大学院で教育社会学を専攻し、現在は東京経済大学教育センター准教授という肩書。ジェンダー及び男性のセクシュアリティの歴史を専門分野としているという。学問の世界も多様化してきたものだ。
昨日(4月3日)の毎日新聞書評欄に渡邊十絲子(詩人)がこの書を取りあげ、大要、こう述べている。
「包茎は日本人男性の多数派なのに、なぜ恥ずかしいのだろうか。病気でないのに手術を受けるのは、不自然ではないのか。…この書にまとめられた熱意あふれる調査研究は、これが男性の自意識や生き方にかかわる大問題であることを示している。
著者(澁谷)が調べた文献は、江戸後期から現代まで、医学書から週刊誌までと幅広い。包茎を恥とする文化は「男性による男性差別」であると著者は見ている。その背景にあるのは、男性の自己肯定感の築き方がとても偏っているという事実だ。
このような事情で男性は劣等感を抱きがちだが、それを巧妙に刺激して大儲けしたのが、包茎手術を勧めるクリニックだ。ひところは、いくつもの男性向け雑誌がタイアップ記事(実質的には広告)で「女は包茎が大嫌い」というキャンペーンを展開した。そこで「女性の意見」として紹介されていたのは、実は男性が作為的に用意した言葉だ。本来は必要のない手術を受けさせるために包茎をこきおろし、でも「悪口を言っているのは女性」という体(てい)にしたずるさに、強い怒りをおぼえる。」
同じ4月3日。文春オンラインが、同じ問題意識の記事を掲載した。
「手術失敗を苦にして自殺した14歳少年も…多数派なはずの“仮性包茎”が“恥ずかしい”ものになってしまった理由とは」
https://bunshun.jp/articles/-/44070
「包茎は過去の商品になってしまったな」“常識”を“捏造”して日本を包茎手術大国にした仕掛け人の本音
https://bunshun.jp/articles/-/44071
その記事の中に、「手術の不要性と消費者問題」という小見出しがある。なるほど、これは歴とした消費者問題なのだ。以下はその一節。
「仮性包茎は医学上、病気ではなく、手術の必要性もない。しかし、「そのままでは女性に嫌われる」といった喧伝から、手術に走る男性は後を絶たなかった。こうしたコンプレックス商法はいったい誰の手によって、どのように市場をつくりだしてきたのだろうか。
ここでは、社会学者である澁谷知美氏の著書『日本の包茎 男の体の200年史』(筑摩書房)を引用。コンプレックス商法で包茎手術が一大ブームとなった背景、そして、男性性を手玉に取り、包茎を「商品」にした仕掛け人の言葉を紹介する。」
文春オンラインは、澁谷論文を引いて、包茎手術を「コンプレックス商法」による消費者被害と構成する。大衆消費社会では消費者の需要や、消費者の欲望すらも、企業の操作によって創出される。つまり、本来要らない商品やサービスを売り付けられるのだ。そのようにして、ぼろ儲けする仕掛け人がいる。数々の悪徳商法に共通の構図である。その仕掛け人こそ高須克弥なのだ。
ネットで検索すると、澁谷知美論文を読むことができる。
戦前期日本の医学界で仮性包茎カテゴリーは使われていたか
―1890-1940 年代の実態調査の言説分析―
https://repository.tku.ac.jp/dspace/bitstream/11150/10920/1/jinbun140-07.pdf
その中(61ページ)に、下記の記述がある。
「包茎手術をビジネス化し,「金勘定ばかりの“実業家”」(大朏博善,『美容(外科)整形の内幕』医事薬業新報社。1991:149)とも評価される,美容整形外科医の高須克弥がこのような証言をしている。
『僕(高須)が包茎ビジネスをはじめるまでは日本人は包茎に興味がなかった。僕,ドイツに留学してたこともあってユダヤ人の友人が多いんだけど,みんな割礼しているのね。ユダヤ教徒もキリスト教徒も。ってことは,日本人は割礼してないわけだから,日本人口の半分,5千万人が割礼すれば,これはビッグマーケットになると思ってね。雑誌の記事で女のコに「包茎の男って不潔で早くてダサい!」「包茎治さなきゃ,私たちは相手にしないよ!」って言わせて土壌を作ったんですよ。昭和55年当時,手術代金が15万円でね。〔中略〕まるで「義務教育を受けてなければ国民ではない」みたいなね。そういった常識を捏造できたのも幸せだなぁって(笑)』(「鈴木おさむの伝説の男10人目 高須クリニック院長 高須克弥」『週刊プレイボーイ』2007年6月11日:81?82ページ)
包茎を「商品」にした消費者問題の仕掛け人とは、ほかならぬ高須クリニック院長・高須克弥なのだ。この男のこの語り口のなんという下劣さ。これが人の生命と健康を預かる医師の言葉だろうか。
文春オンラインに戻る。高須は、「包茎は過去の商品になってしまったな」と見切りを付けているという。これも、澁谷の引用である。
「2013年は「ひとつの時代の終わり」を感じさせる出来事がふたつ起きた。ひとつは、包茎ビジネスを牽引してきた高須がその終焉を宣言するかのようなツイートをしたことである。「香料、お茶、阿片と儲かる商品は移り変わる。今度は何かな?包茎は過去の商品になってしまったな」と書いている(8)。包茎手術が意図的に作り上げられた「商品」であることを高須は2007年のインタビュー(9)ですでに暴露していたが、その商品も売れなくなっていることを示唆する内容である。」
*(8)https://twitter.com/katsuyatakasu/status/304393036325076992、2020年9月18日アクセス
*(9)『週刊プレイボーイ』2007年6月11日、81?82頁
なるほど、この男の頭の中では、包茎手術は、「香料、お茶、阿片」と並ぶ、「儲かる商品」だったのだ。しかも、その商品需要はこの男が「捏造」したことを得意げに語っているのだ。「今度は何かな?」というのは、医師の職業倫理から出てくる言葉ではない。まことに、「金勘定ばかりの“実業家”」と呼ばれるにふさわしい。これが、「ネトウヨ」として高名な高須の本性なのだ。澁谷知美の学術書が、思わぬ副産物をもたらしている。