澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

参勤交代菅のバイデンに対する一層の忠誠

(2021年4月17日)
 菅義偉がバイデンに呼びつけられて、いそいそとワシントンに出向いている。歴代こういう行事が繰り返され、日本の政権と国民は、その都度あらためて主従関係の存在を再認識させられる。さながら、これは参勤交代である。

 幕藩体制においては、諸藩の大名も将軍には忠誠を見せなくてはならない。そのための制度として、参勤交代があった。正確には「参覲交代」と表記するのだという。「参」は「まいる」、「覲」は「まみえる」と訓で読む。どちらも身分上位者への謙譲の語である。菅のバイデン詣では、まさしく「参覲」である。でなければ、「朝貢」。あるいは、上司へのご挨拶。

 呼びつけたバイデンと、呼びつけられた菅は、ワシントンで16日午後(日本時間17日朝)会談し、共同声明を発表した。共同声明の項目は実に多岐にわたっている。基本は、アメリカ側の要請に日本が従ったというものだが、日本側の要望をアメリカが容れたものもあるようだ。

概要は、次のように報道されている。

両首脳は中国の軍事的行動により緊張が高まる台湾情勢について意見交換し、会談後、「台湾海峡の平和と安定の重要性」を明記した共同声明を発表した。中国の東シナ海や南シナ海での海洋進出について「力による現状変更の試み、他者に対する威圧に反対する」との認識で一致。声明で香港と新疆ウイグル自治区の人権問題への「深刻な懸念」も盛り込んだ。

 会談では気候変動問題で日米の協力強化を図る「日米気候パートナーシップ」を立ち上げることで一致。脱炭素化に向け、日米で世界をリードしていく方針を確認した。

 首相は今夏の東京オリンピック・パラリンピックを「世界の団結の象徴」として開催する意向を示し、バイデン氏は支持を表明。

 首相は会見で、共同声明を「今後の日米同盟の羅針盤になる」と述べた。声明では両首脳が「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに両岸問題の平和的解決を促す」と明記した。(毎日)

 米中両大国の狭間に位置する日本が、より強力にアメリカ側に組み込まれた印象である。集団的自衛権の行使が現実味を帯びる事態となりかねない。これまでも、日本国憲法体系は、安保法体系の膝下に封じ込められていると評されてきた。今後はさらに事態の深刻化が予想される。

「新たな時代における日米グローバル・パートナーシップ」と名付けられた、長文の日米首脳共同声明の中の気になる個所を抜粋してみる。

日本は同盟及び地域の安全保障を一層強化するために自らの防衛力を強化することを決意した。

米国は、核を含むあらゆる種類の米国の能力を用いた日米安全保障条約の下での日本の防衛に対する揺るぎない支持を改めて表明した。

米国はまた、日米安全保障条約第5条が尖閣諸島に適用されることを再確認した。

日米両国は共に、尖閣諸島に対する日本の施政を損おうとするいかなる一方的な行動にも反対する。

日米両国は、困難を増す安全保障環境に即して、抑止力及び対処力を強化すること、サイバー及び宇宙を含む全ての領域を横断する防衛協力を深化させること、そして、拡大抑止を強化することにコミットした。

日米両国は、普天間飛行場の継続的な使用を回避するための唯一の解決策である、辺野古における普天間飛行場代替施設の建設、馬毛島における空母艦載機着陸訓練施設、米海兵隊部隊の沖縄からグアムへの移転を含む、在日米軍再編に関する現行の取決めを実施することに引き続きコミットしている。

日米両国は、在日米軍の安定的及び持続可能な駐留を確保するため、時宜を得た形で、在日米軍駐留経費負担に関する有意義な多年度の合意を妥結することを決意した。

菅総理とバイデン大統領は、インド太平洋地域及び世界の平和と繁栄に対する中国の行動の影響について意見交換するとともに、経済的なもの及び他の方法による威圧の行使を含む、ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動について懸念を共有した。

日米両国は、東シナ海におけるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対する。
日米両国は、南シナ海における、中国の不法な海洋権益に関する主張及び活動への反対を改めて表明するとともに、国際法により律せられ、国連海洋法条約に合致した形で航行及び上空飛行の自由が保証される、自由で開かれた南シナ海における強固な共通の利益を再確認した。

日米両国は、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す。

日米両国は、香港及び新疆ウイグル自治区における人権状況への深刻な懸念を共有する。

予想のとおり、中国はこの共同声明に直ちに反発した。
 【北京・共同】在米中国大使館の報道官は17日、日米首脳会談後に発表した共同声明で台湾や香港、新疆ウイグル自治区に関する問題などを盛り込んだことについて「強烈な不満と断固反対を表明する」との談話を出した。

また、これも当然のことながら台湾は歓迎している。
 台湾、日米共同声明を歓迎 中国に情勢安定への貢献期待
 【ワシントン・ロイター】台湾は、日米首脳が共同声明で「台湾海峡の平和と安 定の重要性」明記したことを歓迎し、中国に責任ある行動を呼び掛けた。台湾総統府の報道官は声明で「われわれは、台湾海峡および地域の一員として中国当局が自らの責任を果たし、安定と幸福に共に前向きな貢献をすることを期待する」と述べた。

 日本の周囲の国際関係は、さらに緊張度を高めることになろう。今以上に、憲法9条のリアリティが問われることになる。

アンダーコントロールの正体みたり、汚染水の海洋排出。

(2021年4月16日)
 漁民のみならず福島県民の反対を押し切って、東京電力福島第1原発の敷地内に貯蔵されている「汚染水」が海洋放出されることになった。海洋の汚染は、国際問題でもある。けっして、どこの国の原発もやっていると安易な問題にしてはならない。

 全漁連の会長が、「絶対に反対」「この立場にいささかの揺るぎもない」と言っている。一昔前は、農村も漁村も保守の地盤だった。今や、農民も漁民もバカバカしくって自民党の支持などやってはおられない。こういう事件を通して、政権与党が誰の味方なのか、あぶり出されてくるのだ。

 東京電力は2015年に福島県漁業協同組合連合会(県漁連)に対し、「関係者の理解なしには、いかなる処分も行わない」と「約束」していた。が、この約束は、あっさりと破られ水に流された。流され失われたものは、汚染水と約束だけではなく、国家への信頼であり、自民党への支持でもある。

 国もメディアも、問題は「風評被害」だと言う。漁民や沿岸地域の被害は、実態のない「風評」に過ぎないと決めてかかっているのだ。

 つまり、排出される汚染水とは、トリチウム以外の核種を含まない。そのトリチウムの毒性は弱い。しかも、安全基準の40分の1の濃度に希釈して、30年?40年かけて徐々に排出するのだから騒ぐ方がおかしい、と言わんばかり。麻生などは「飲んでもなんてことはないそうだ」と調子に乗っているが、放射性物質に汚染された水を海洋に捨てて本当に大丈夫なはずはない。

 実は、排出される汚染水には、トリチウム以外の核種も含まれている。そして、どうしても除去しきれないトリチウムの人体への影響は未知というべきなのだ。

現在、貯留されている汚染水量は約120万?。この中に、約860兆ベクレルのトリチウムだけでなく、セシウム137、セシウム134、ストロンチウム90、ヨウ素129などの放射性物質が残留し、7割以上のタンクの水が安全基準を超えている(原子力市民委員会)。

 政府・東電はこれを認めた上で、ALPSで再処理をしてトリチゥム以外の核種を除去して海洋放出を実行するという。えっ? なんですと。一度ALPSを通して除去できず、汚染水に残った核種が、再処理すればなくなるというのか。本当だろうか。

「東京電力が2020年12月24日に公表した資料によると、処理水を2次処理してもトリチウム以外に12の核種を除去できないことがわかっています。2次処理後も残る核種には、半減期が長いものも多く、ヨウ素129は約1570万年、セシウム135は約230万年、炭素14は約5700年です」
「ALPS処理水と、通常の原発排水は、まったく違うものです。ALPSでも処理できない核種のうち、11核種は通常の原発排水には含まれない核種です。通常の原発は、燃料棒は被膜に覆われ、冷却水が直接、燃料棒に触れることはありません。でも、福島第1原発は、むき出しの燃料棒に直接触れた水が発生している。処理水に含まれるのは、“事故由来の核種”です」(自民党処理水等政策勉強会・山本拓議員)

 第1原発敷地内のタンクに貯蔵されている汚染水の7割には、ALPSで除去できないトリチウム以外にも、規制基準以上の放射性物質が残っている。この事実が18年に発覚するまで、政府と東電は「トリチウム以外は除去できている」と言って、国民を欺いてきた。透明性は希薄である。信頼性は著しく低い。

ここで頼みの綱となるALPS(汚染水を浄化処理する多核種除去設備=ALPS)だが、実は2013年に東電が導入後、現在まで8年間も「試験運転」のままなのだという。いったいどういうことだ。

 4月14日の参院資源エネルギー調査会で、共産党の山添拓議員が問題を取り上げた。「トリチウム以外は除去できているのか」と追及。新川達也経産省審議官は「タンクにためた水の約7割には、トリチウム以外にも規制基準値以上の汚染物質が残っている」と認めた。

 また山添は、アルプス処理施設が2013年の稼働開始後、法律で求められる検査がされていないのではと質問。原子力規制委員会の更田豊志委員長は「使用前検査の手続きを飛ばしているところがある」と答えている。政府は海洋放出を「安全」と喧伝するが、それはALPSが願望のとおりの除去作用あってのこと。その“頼みの綱”の性能はまだ「確認中」。ハッキリしてはいない。これが、アンダーコントロールの正体なのだ。

民族の伝統だ。大和魂だ。コロナに打ち勝って東京五輪をやり抜くぞ!

(2021年4月15日)
 東京五輪は国策だ。しこたま金もかけている。これからがいよいよ儲けの本番だ。何が何でも東京五輪は断行だ。断じて行えば鬼神もこれを避く。必ずカミカゼが吹く。

 政権浮揚と無能都政挽回に千載一遇のチャンスだ。だからオリパラ中止はあり得ない。聖火リレーも始めたんだ。感動の大安売りだ。さあ、一億火の玉となってオリンピックに邁進だ。

 汚染水も新型コロナも、全てはアンダーコントロールだ。閣議決定でなんでも決められるんだから、心配することはない。アベの遺産を継承して突っ走るだけなのだ。

 日本民族の歴史と文化と伝統だ。いったん走り始めたら方向転換はもう無理だ。精神力が全てだぞ。撃ちてし止まんの精神だ。大和魂でコロナを退散させるのだ。人類がコロナに打ち勝った証しとしての東京五輪を実現するぞ。掛け声だけでも勇ましく。

 東京五輪開幕まで100日を切った。コロナの蔓延は拡大の一途である。新規感染者の伸びは想定を超える厳しさ。五輪開催に「赤信号」がともりかねない深刻な事態。だが、政権も都政も、新型コロナウイルス対策に万全を期すとして、「安全・安心な大会」を実現させる目標を堅持する。「五輪中止」は念頭にないようだ。少なくとも表向きは。

 そんなスガ・コイケの醸しだす空気とは、まったく次元を異にする本日の二階俊博発言である。東京五輪開催についての、「無理ならすぱっとやめないといけない」という、この言葉が日本中を駆け巡った。

 どんなに、留保や条件を付けたと言ってみても、政権や都政がこれまで言ってきたこととは、まったく異なるのだ。「すぱっとやめないと」は、大きな衝撃である。世人は、「やっぱり、政権与党も本心ではオリンピック中止やむなしと考えているんだ」と受けとめた。

 二階発言の正確な内容は、TBS(CS)の番組に出演して「五輪開催でコロナの感染拡大を懸念する声がある」と記者から問われて、「これ以上とても無理だということだったら、スパッとやめないといけない。五輪で感染をまん延させると、何のための五輪か分からない」と述べ、さらに中止の選択肢があるかを問われると「当然だ」と述べたというもの。

 もちろん、二階は同じ番組内で「五輪を盛り上げることが日本にとって大事だ。大きなチャンスだ。成功させたい」とも述べている。だから、「すぱっとやめないと」部分の独り歩きは本意ではないと言いたいようだ。番組終了の直後に、「ぜひ成功させたいという思い。何が何でもオリンピック、パラリンピックを開催するかと問われれば、それは違うという意味で述べた」と釈明したが、意味のある釈明にはなっていない。

 自民党や政権に「ぜひ東京五輪を成功させたいという思い」があることは周知の事実で、今さら語るにも聞くにも値しない。国民の多くが、菅政権や小池都政は、「何が何でもオリンピック、パラリンピックを開催する」意気込みなのだと考えざるを得ない印象を与えるなかで、「それは違う」という二階の発言が新鮮で衝撃だったのだ。延期された東京五輪の中止も現実的な選択肢なのだ。

 既に深刻なコロナ蔓延の事態が現実化している。この事態において、「無理ならすぱっとやめないといけない」「何が何でもオリ・パラを開催するかと問われれば、それは違う」と述べられれば、中止を含意する発言と受けとめられて当然なのだ。

 加藤勝信官房長官は、二階発言の火消しに躍起となった。が、火の勢いは止められない。何しろ「政府としては東京五輪の開催に向け、必要な対策を具体的に進めている」と言うだけなのだ。国民誰もが、「政府のコロナ対策はまったく有効になっていない」と思っている。加藤弁明はまったく迫力に欠ける。

 また、加藤は「国民が東京大会を受け入れられると思っていただけることが重要で、最大の課題は新型コロナウイルス対策である」としたうえ、組織委や東京都などに政府も加わって作成されたコロナ対策調整会議で作成された中間取りまとめをもとに、さらに検討が進められていると強調。「必要な対策をさらに具体的に進めているところだ」とも語ったとほうじられている。なんという具体性に乏しい、なんという説得力のない発言。このくらいのことしか語り得ないのだ。

 コロナ対策への専念か、それとも五輪の強行か。それを決めるものは民意である。理性に基づく民意は、東京五輪の実現を既に非現実的なものとしている。東京オリパラは、もはや中止しかない。 

アパホテルもDHCも、今の体質のままでは消費者からの制裁を免れない。

(2021年4月14日)
 あの日はカンザンが盛りだったから、ごく先日のこと。桜を見ての帰りの散歩道で小さな郵便局に立ち寄って定額小為替を購入した。いつもは、本郷郵便局に通い慣れて、窓口で不愉快な思いをしたことはない。

 この日も、対応の局員がテキパキとして好印象。天気はよし、桜はきれいで、気分は上々だった。ところが、手続が終わってハッと気が付いた。窓口のカウンターに、アパホテルのカレーの箱が置いてある。値段がついているから売り物なのだ。えっ? なんだ。いったい、これは。

 突然に気分が悪くなった。何か非日常の不気味で邪悪なものに遭遇した感じ。この郵便局の印象がガラッと変わった。思わず、大きな声になった。「このアパホテルのカレーは、おたくの局だけで売っているもの? それとも日本郵便の全局で扱っているの?」。気の毒に、かの局員は戸惑ったご様子。「さあ。よく分かりませんが、うちだけではないんじゃないかと思いますよ」

 「アパホテルと言えば、《日本軍の南京大虐殺はウソだ》と言っている有名な右翼でしょう。憲法改正も核武装も言っている。郵便局がそんなところの商品を扱って問題にされたことはないんですか」
 「さあ。そう、言われましても…」(そりゃ、そのとおりだよね…)
 「これを見て不愉快になった。もう、この局には2度と来ない」
 
 DHCだの、フジ住宅だの、アパホテルだの。デマやヘイトや、歴史修正主義の右翼企業が大手を振って経営できている現状を嘆かざるを得ない。本来、こういう企業には、消費者がお灸を据えて、淘汰しなければならないのだ。

 資本主義の経済社会における商品は、最終的には市場で消費者に選択されなければならない。消費者には商品の選択権があるのだ。消費者が、商品選択を通じて企業の生殺与奪の権を握っている。性能と価格だけに着目して、商品の選択をしてはならない。

 商品を提供している企業にも着目しよう。デマやヘイトやスラップや歴史修正主義企業の製品はボイコットしよう。労働者に対するブラック企業をのさばらせてはならない。ステルスマーケティングをやっている消費者欺しの企業も容認してはならない。環境問題に無頓着な企業にはマーケットから退場してもらおう。

 日々の消費行動を通じて、人権や民主主義や平和に貢献できるのだ。DHCの製品は買わない。アパホテルには泊まらない。フジ住宅には発注しない。それだけでも、おおきな社会貢献なのだ。

 来歴は不明だが、下記のURLをいただいた。私はテレビを見ないので、「4月9日 NHKおはよう日本」の番組を見ていない。
 
 4月9日 NHKおはよう日本 問われる企業の人権意識
 https://www.youtube.com/watch?v=yDxSF1-cogE

 この動画サイトをみて、改めてこれはインパクトが大きいと思った。社会の趨勢は、デマやヘイトを許さないとしている。NHKも、その陣営に入ってきている。DHCよ、吉田嘉明よ。いつまで悪あがきを続けるのだ。資本主義的経営の合理性は、DHCのデマやヘイトやスラップの体質改善を求めているではないか。アパホテルもフジ住宅も同様である。

30年前の東京地裁103号法廷に、ラムゼー・クラーク(元米司法長官)が立っていた。

(2021年4月13日)
 今朝の朝刊各紙に、ラムゼー・クラーク(元米司法長官)の死亡が報じられている。

 米メディアによると、9日、ニューヨーク市の自宅で死去、93歳。めいのシャロン・ウェルチ氏が明らかにした。死因は不明。
 ジョンソン政権時の1967?69年に司法長官を務め、学校での人種差別廃止の徹底に取り組むなど、公民権運動に重要な役割を果たした。退任後は人権派弁護士として活動。独裁政権時の人道犯罪を問われたイラクのフセイン元大統領、旧ユーゴスラビア紛争で戦争犯罪などに問われたミロシェビッチ元ユーゴ大統領に対する裁判に弁護団として加わり、議論を呼んだ。(共同) 

 ラムゼー・クラークには、思い出がある。日本政府の湾岸戦争加担を違憲だと訴えた、「ピース・ナウ! 市民平和訴訟」の第1回法廷に、この人は、事実上出廷し意見陳述をしているのだ。1991年9月10日のことである。

 ラムゼー・クラーク、訴訟の原告ではない。代理人でもない。証人として採用されているわけでもない。だから、第1回の法廷で意見を陳述する資格はない。それでも、弁護団事務局長だった私は考えた。せっかくの機会だ。元アメリカ合衆国の司法長官が、この不正義の湾岸戦争に反対しているということを裁判官に何とかアピールできないだろうか。

 彼には、103号大法廷傍聴席の最前列の真ん中に着席してもらった。そして、私が代理人席から彼を裁判長に紹介した。彼の隣で梓澤和幸君が通訳を引き受けてくれた。そして、原告の大川原百合子さんが、冒頭の原告意見陳述の形式で、ラムゼー・クラークのスピーチを日本語訳して代読した。この間、彼クラークは、傍聴席に着席することなく、起立したままだった。

 そして、陳述を終えた大川原さんが、証人席から振り向いて、クラークに握手を求めたところ、なんと彼は大川原さんを堂々と抱き寄せて、柵越しにではあるがハグしたのだ。前代未聞の法廷風景であった。

 その日の法廷の、原告と原告訴訟代理人の意見陳述はたっぷり1時間半。その熱気は、以下の「ピース・ナウ! 戦争に税金を払わない! 市民平和訴訟 ニュース」(1991.9.28 NO7)のとおり(抜粋)である。

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熱意と論理で圧倒した口頭弁論

傍聴者150名を超える

拍手が沸き起こった法廷

 午前9時半から、東京弁護士会館に原告たちは集まった。長野や静岡など遠方からの原告もいたし、同様の訴訟を起こしている鹿児島・大阪・名古屋の原告の人たちもいた。ともあれ、傍聴席100人以上の法廷をいっぱいにしなければ、という運営委員会の心配は消え、途中、39名の傍聴者の入れ替えをするほどだった。

 第1回口頭弁論に臨むにあたって、弁護団事務局長の潭藤統一郎弁護士が、「裁判官を含めたすべての出席者にとって、法廷を学習する場にしていきたい」とアピール。
 10時半から開かれた法廷では、以下の順で原告側の口頭陳述が行われた。
1 本件訴訟の意義と基本構成/徳岡宏一郎弁護士
2 提訴の動機/原告・剣持一巳氏、加藤量子氏
3 平和的生存権を裁判で回復する意義と可能性/(原告)金子勝氏
4 殺さない権利/原告・三宅和子氏、斉藤美智子氏
5 納税者基本権 加藤朔朗弁護士
6 九〇億ドル支出への思い/原告・元山俊美氏、
  
クラーク氏の見解/原告・大川原百合子氏
7 司法権の使命/後藤昌次郎弁護士
8 裁判所へ期待する/原告・大橋聡美氏
9 まとめと今後の主張・立証計画/池田眞規弁護士
10 終わりに/尾崎陞弁護士

 原告たちの体験に基づいた真摯で思いのあふれた陳述や、学者や弁護士の立場からの力強い陳述が続き、聴く人たちに感動と共鳴を与えた。陳述が終わるごとに抑えた拍手が沸き起こったが、裁判長から一切静止されるようなことはなかった。

 ラムゼー・クラーク氏の陳述は原告の大川原さんが氏の意見を陳述することになったのだが、その陳述中、氏は傍聴席の最前列で起立したままであった。

(閉廷後に)傍聴の感想を求められたクラーク氏は、「市民平和訴訟のことは広く世界に知らせていかなければならない。裁判所が違憲違法であると判断したならば、国際司法裁判所で、米政府に(援助金)返還を求める必要がある。もしも150億ドルが皆さま方の手に戻りましたら、どういうふうに使うべきかアドバイスしたい。世界は戦争ではなく、愛を必要としている・・・」などと語った。

 1991年9月10日は、午前中の第1回口頭弁論、夜の「湾岸戦を告発する東京公聴会」と、私たち市民平和訴訟の会にとって、実にドラマチックで感動的な一日となった。

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法廷…こぼればなし

◇ 当日司会役の澤藤弁護士がネクタイをしめて登場。他の弁護士の方々「あれ、ネクタイ持ってたの?」「買ったんです」澤藤弁護士のこの法廷にかける意気込みが感じられました。

◇ 陳述中に何度か拍手が沸き起こりました。禁止事項なので最初は遠慮がちでしたが、何も言われないのでしまいには大拍手に。

◇ 大川原さんの陳述中、傍聴席のクラーク氏はずっと起立されたままでした。普通傍聴人は立つことは認められません。

◇ そして大川原さんは陳述後クラーク氏に歩み寄り握手を求めたのですが、なんとクラーク氏は大川原さんを抱きよせキスをしたのです。この日本の法廷始まって以来のハプニングに一同唖然。フライデーが来ていたという話もあり、写真撮影不可とは残念。

 ほぼ、30年ほど前のことである。そのラムゼー・クラークが亡くなったという報せに、時の遷りについての感慨がある。あの法廷の裁判長は、涌井紀夫さん。その後、最高裁裁判官となったが、在任中に病没している。弁護団・長老格の尾崎陞さん、三井明さんも間もなく亡くなった。当時弁護士として盛りの活躍を見せていた池田眞規さん、後藤昌次郎さんも今はない。私の同期で、この事件を最後まで引き受けた加藤朔朗君も病を得て亡くなった。原告団の中心にいた、剣持一巳さん、 元山俊美さん、大橋聡美さんらも今は鬼籍にある。

 往時茫々ではあるが、あの頃と較べて、9条の平和主義は輝きを増しているだろうか。それとも衰微しているだろうか。裁判所は、当事者の声に耳を傾ける場として、よりマシになっているだろうか。あるいは後退しているだろうか。

「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」 出版記念集会へのお誘い

(2021年4月12日)
4月24日(土)の「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年―」出版記念集会が間近である。この集会にお誘いしたい。

 時節柄、集会は事前予約制で、会場参加80人、オンライン100人の募集。いずれも無料だが、まだ参加申込みは埋まらない。

下記URLから申込ができる。
https://bit.ly/30nB5fr
オンライン参加者には集会前日までにリンクを送付します。

「司法はこれでいいのか ― 裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」出版記念集会
日時 2020年4月24日(土) 13時30分?17時 
会場 アルカディア市ヶ谷(私学会館)・6階「霧島」
主催:司法はこれでいいのか23期弁護士ネットワーク
共催:青年法律家協会 弁護士学者合同部会
協賛:日本民主法律家協会

詳細は、下記URLを参照ください。
https://jdla.jp/event/pdf/210424.pdf

進行予定と担当
(会場参加者にはプリントアウトした詳細レジメを配布します。
 オンライン参加者には、メールで配信いたします。)

☆全体司会      ・澤藤統一郎
☆出版と集会の趣旨説明・村山 晃
☆挨拶   ・阪口徳雄
☆メッセージ(代読)  ・宮本康昭氏(13期再任拒否当事者)

第1部 パネルディスカッション(司法の現状把握と希望への道筋)
    パネラー  西川伸一・岡田正則・伊藤真の各氏
☆パネラー冒頭発言
 ・西川伸一氏 司法の現状:制度と運用の実態をどう把握するか
 ・岡田正則氏 司法の現状:司法はあるべき職責を果たしているか
 ・伊藤 真氏 司法の希望への道筋をどう見い出すか。
☆各パネラーへの質疑と意見交換  司会 梓澤和幸

第2部 具体的事件を通じて司法の希望を語る
1 東海第二原発運転差止訴訟弁護団 丸山幸司弁護士
2 生活保護基準引下げ違憲大阪訴訟 小久保哲郎弁護士
3 同性婚人権救済弁護団・札幌訴訟 皆川洋美弁護士
4 建設アスベスト京都1陣訴訟弁護団 谷文彰弁護士
5 東京大空襲訴訟弁護団 杉浦ひとみ弁護士
☆フリーディスカッション      司会・豊川義明
 ※冒頭発言 森野俊彦弁護士(23期・元裁判官)
 ※個別事件での獲得課題と司法を変えていく課題とはどう結びつくか。
 ※司法の独立・民主化に向けて今何が課題なのか など。

☆議論のまとめ 「司法の希望を切り開くために」豊川義明
☆青法協弁学合同部会議長 上野格  挨拶
☆閉会あいさつ           梓澤和幸

 50年以前の1971年4月5日、その日は司法修習23期生の修習修了式だった。この日修習を終えた500人は全国に散って、すぐにも弁護士・裁判官・検察官としてそれぞれの職業生活を始めるはずだった。ところが、この日に、一人の修習生が罷免された。彼、阪口徳雄君は、この修習修了式の冒頭、式辞を始めようとした所長に対して、マイクを取って発言した。それが罷免理由とされた。

 彼は同期の総意に基づいて発言したのだ。何を求めての発言か。それを語らねばならない。この日の前に同期の裁判官任官希望者のうちの7名が最高裁から任官を拒否されていた。最高裁当局は頑として理由を説明しなかった。同期の誰もが、これは最高裁による思想差別であり、裁判官全体に対する統制が狙いだと考えた。憲法の砦たるべき最高裁が、自ら思想差別を行っている。しかも、裁判官の独立をないがしろにしている。

 これから、法曹になろうとする我々が、身近に起こっている違憲の事態を看過してよいはずはない。せめて、終了式の場で任官を拒否された者に発言の機会を与えてもらいたい。これが、同期の総意であり、この総意を受けた阪口君の発言であった。

 阪口君は、けっして無作法な態度をとっていない、所長は明らかに黙認しており、けっして制止をしていない。この点は、「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」の第1章に手際よくまとめられている。また、巻末の資料「阪口司法修習生罷免処分実態調査報告書」(東京弁護士会)にも詳細である。是非お読みいただきたい。

 所長からの同意を得たと思った阪口君が、「任官不採用者の話を聞いていただきたい」と話し始めた途端に、「終了式は終了いたしまーす」と宣告された。開会から終了まで、わずか1分15秒である。

 式場が混乱したわけではない、阪口君が制止を振り切って発言したわけでもない。何よりも、この事態を招いたのは、最高裁に大きな責任があるのだ。しかし、最高裁はその日の内に阪口君を罷免処分とした。

 彼は2年後に法曹資格を回復する。そのためには、最高裁を批判する市民運動の高揚が必要だった。23期の法曹は1971年4月5日の原体験を出発点として、その後の職業生活を送ってきた。「司法はこれでいいのか―裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」(現代書館)は、その思いの記録である。
 
【主要目次】
第1章 任官拒否、修習生罷免、そして法曹資格回復
第2章 群像――1971年春
    本田雅和(ジャーナリスト)
第3章 生涯と生きがいを語る
    23期各弁護士の執筆
第4章 司法官僚――石田和外裁判官の戦後
    西川伸一(明治大学政治経済学部教授)

定価 2200円(税込み) 頁数 368ページ

ご注文は、下記URLから。
https://gendaishokanshop.stores.jp/items/60581c83a11abc0c9e4971d1

日本政府は、ミャンマーの民衆の側に立って、実効性のある国軍批判の措置をとれ。

(2021年4月11日)
 戦慄すべきミャンマーの事態である。連日の犠牲者の報道に胸が痛む。軍事クーデターだけでも衝撃だが、クーデターを批判する民衆に対する理不尽な弾圧には言葉もない。これは、軍事組織による人民の大量虐殺である。世界中からの批判の集中が求められている。

 このような局面では、もっとも尊敬すべき勇敢な人物が、最前線の最も危険な場に踏みとどまって犠牲になる。多くの犠牲者に哀悼の意を表するとともに、この深刻な事態に抵抗を継続するミャンマーの人々に最大限の敬意を禁じえない。

 他方、一片の大義もない軍事「政権」を、殺人者集団として強く非難する。同時に、実質的にこの殺戮を擁護し利用しようとしている、軍政の背後にある中国やロシアも批判しなければならない。「内政不干渉」という言葉に怯んではならない。

 街中で、暴漢が誰かを殴っていたら、知らぬ顔を決めこんではならない。理不尽な暴力を見て見ぬふりをしてはいけない。暴力を批判し、暴力を受けている市民を救う手立てを講じなければならない。国際関係においても同様である。

 理不尽な国家の暴力行使に対しては、国際社会がこれを許さないとする、断乎たる意思を表明しなければならない。「内政不干渉」が、理不尽な国家の暴力に対する他国の批判を許さないとする理屈として使われる事態を容認してはならない。

 人権の尊重は普遍的な理念である。人権蹂躙の極致としての集団虐殺は、国際世論において最大限の厳しさで非難されなければならない。「内政不干渉」を防壁として国軍批判を封じ込もうというのは、倒錯も甚だしい。

 国連安保理はミャンマー情勢に関して、デモ参加者にたいする国軍の暴力を非難する声明は発した。しかし、実効性のある制裁措置は執ることができないし、軍の実権掌握をクーデターとして非難する声明さえ、発することができていない。中国、ロシア、インド、ベトナムの反対があるからだという。

 ミャンマーの抵抗運動はこれに失望し、軍事政権の背後にチラつく中国・ロシアを批判し始めた。デモ隊は、国連安全保障理事会での中国の姿勢に抗議するとして、デモ参加者が中国の国旗に火をつけている。中国はこの事態を重く受けとめるであろうか。あるいは、軍政支援の口実を得たとするだろうか。

 国際世論の批判不十分な状況で、軍事政権は弾圧をエスカレートしている。民主的に構成された政府を武力で転覆させた軍事政権は「違法」な存在である。これに対する人民の批判・抵抗は、本質的な正当性をもっている。ところが、軍政は戒厳令を敷き、人民の抵抗を「犯罪行為」として制圧しようとしているのだ。

 ミャンマー国営テレビは一昨日(4月9日)の夜、ヤンゴンで国軍関係者2人を死傷させたとして、19人が軍法会議で死刑判決を言い渡されたと伝えた。事件は3月27日の国軍記念日のデモの中で起きたという。この日、国軍はデモ隊に発砲して100人を越す人々を殺戮している。殺人者集団が、被害者側を起訴して、死刑判決を下したのだ。

 戒厳とは、一定の地域を定めて、その地域内での立法・行政・司法の権限を軍に集中することである。憲法の停止であり、民主主義の凍結と言ってもよい。19人に死刑判決を言い渡したのは、軍法会議である。うち、17人は在廷しないままの判決で、以後、死刑判決の受刑者として当局から追われる身になる。当然のことながら、この軍法会議は信用されていない。予てから、恣意的な判決が出るのではないかと懸念されていた。市民のSNSには、デモ活動を封じ込めるために虚偽の犯罪をでっち上げたとの批判が噴出しているという。

 人権団体「政治犯支援協会」によると、4月9日時点で、2931人が国軍側に拘束されており、520人に逮捕状が出ている。デモ弾圧などによる死者は618人に上っているという。

 問題は日本政府の姿勢である。実は、「日本はミャンマーに対する最大の援助国で、2019年度はヤンゴンとマンダレーを結ぶ鉄道やヤンゴンの下水道などの大型インフラ事業を含め1893億円の供与が決まった。累計でいえば、有償、無償、技術協力合わせて2兆円近い支出をしている。」(柴田直治・近畿大学教授)という。その日本に、ミャンマーに対する影響力がないはずはない。
 https://toyokeizai.net/articles/-/420565

同教授の以下の提言に賛成する。

「非道な国軍につくのか、それともミャンマー国民の側に立つのか、日本政府の選択肢は2つに1つしかない。しかも、速やかに旗幟を鮮明にする必要がある。
とすれば日本政府は一刻も早くミャンマー国民、中でも危険を冒して抗議する若者らに伝わる明確な意思表示をするべきだ。現況、「日本はミャンマー国民の側に立っている」とは受け止められていないと感じるからだ。」
 ではどうするか。やれることはある。
 それは、継続案件も含めたODAの全面停止のほか、日本企業に国軍関連企業との取引停止を要請すること、さらに踏み込めば、国民民主連盟(NLD)の当選議員らでつくる連邦議会代表委員会(CRPH)の正統性を認めることだ。口先だけではない姿勢をミャンマー国民にも国軍にも直接的に示すことが肝心だ。
 こうした意思表示は同時に日本国民に対するメッセージにもなる。2011年の民政移管後に5000億円にのぼる過去の延滞債権も放棄した。債権放棄は民主化の進展が前提条件だったはずだが、国軍の暴挙で日本国民の善意が完膚なきまでに蔑ろにされているいま、日本政府は納税者に対しても毅然とした姿勢をみせる必要がある。」

 まったく、そのとおりではないか。日本政府は、ミャンマーの民衆の立場に立つことを鮮明にしたうえ、実効性ある国軍批判の諸措置を採らねばならない。そして、もはや一刻の猶予も許されない。

打ち破るべき「あしき前例主義」の最たるものは天皇制である。

(2021年4月10日)
 菅義偉内閣は、昨年(2020年)9月16日に発足した。この日の午後9時から首相官邸で新首相として記者会見に臨んだ菅はこう言っている。

「行政の縦割り、既得権益、あしき前例主義を打ち破って規制改革を全力で進める」

 さて、「打ち破られるべき悪しき前例主義」とは一体なんだろうか。そして、「悪しき前例主義に守られた既得権益」とはなんだろうか。おそらく、その最大のものは天皇制にほかならない。

 今、政府は不要不急の「安定的な皇位継承の在り方を検討する有識者会義」を発足させてヒアリングを始めている。どうも、あしき前例主義の典型としての天皇制を打ち破って、ぬくぬくと既得権益を享受している天皇の在り方を真剣に検討しようという中身ではなさそうだ。菅新政権の公約はどこに行ったのだ。

 一昨日(4月8日)、首相官邸で開かれた有識者会義のヒアリングでは、櫻井よしこ、八木秀次、新田均といった面々が、皇位継承資格者を男系男子に限る現行制度の維持を求める意見を述べたという。櫻井は、男系男子のみに皇位継承を認める現行制度を、「これを守っていくことが皇室に対する国民の求心力を維持する方法だ」と主張したという。なんとも、そのバカげた感覚にあきれ果てるしかない。

 つい先日、東京五輪の聖火リレーが、女人禁制問題に遭遇した。半田市に伝わる「ちんとろ祭り」で使う舟には、江戸時代以来女人禁制だという。当初は男性ランナーだけを乗せて聖火を運ぶ計画が、「悪しき前例主義」として批判を受け、女性も乗船できるよう半田市が急遽方針を変更した。

 打ち破ってみれば、女人禁制など何の根拠も合理性もない愚行でしかないことが明白である。天皇制も、それ自体が、今存在すべきなんの根拠も合理性もない「悪しき前例」以外のなにものでもない。さらに、男系男子主義の固守となれば、もはや滑稽でしかない。

 改めて日本国憲法14条を読み直してみよう。
「第1項 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
 第2項 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
 第3項 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。」

 この全ての人間の平等が憲法の精神であり、人類普遍の原理でもある。人は生まれによって差別されてはならない。優遇されてもならない。貴種を認めるということは、即ち卑種をも認めることである。尊い血に対する信仰は、卑しい血に対する差別を前提としている。万世一系とは、恥ずべき差別の歴史ではないか。

 憲法体系の中で、天皇の存在が他と調和しない異物なのだ。憲法制定時、天皇(裕仁)は、「華族その他の貴族の制度は、これを認めない。」に不満だったと伝えられる。「せめて堂上華族」(高級公家の出自をもつ華族)だけでも残せないものかと口にしていたという。外堀を埋められて、次は自分の身が危ないとでも思ったのであろうか。いずれにせよ、日本国憲法における例外としての天皇の存在は際立っている。

 だから、天皇制を「あしき前例主義」と言い、天皇の収入や財産や数々の特権を「既得権益」というのだ。菅義偉よ、その言葉のとおり、この「あしき前例主義」と「既得権益」に挑戦してみてはいかがか。 

DHC吉田嘉明の乱心 「NHKは日本の敵です、不要です、つぶしましょう」

(2021年4月9日)
 久しぶりに、DHCの吉田嘉明が自社の公式ホームページにコメントを掲載した。またまた、懲りないヘイトスピーチの繰り返しである。
 https://top.dhc.co.jp/contents/other/kuji_about/

 その全文が後記のとおりだが、次の言葉で締めくくられている。
  「NHKは日本の敵です、不要です、つぶしましょう。」

 これには驚いた。吉田嘉明乱心である。「NHKをつぶしましょう」というのだ。しかも、「NHKが日本の敵である」理由がこう語られている。「これはもう日本国民の誰もが気がついていることであると思うが、NHKは幹部・アナウンサー・社員のほとんどがコリアン系である。出演者についても、学者・芸能人・スポーツ選手の多くがコリアン系であり、ひどいことに偶然を装った街角のインタビューさえコリアン系を選んでいる。予めリストアップしているのである。特徴のある名前とつき出たあご、引きしまった小さな口元、何よりも後頭部の絶壁ですぐに見分けがつく。」

 とうてい正気の人物の発言ではない。まともに批判の論評をする気持さえ失せる。DHCのブランドイメージに自ら傷を付けているのだ。こういう人物が経営する企業が永らえるとは思えない。

 この異様な「NHK憎し」の原因は、本日のNHK総合【おはよう日本】の放映にある。テーマは「問われる企業の人権意識」。NHKのホームページから、その番組紹介を引用する。

「東京五輪が近づく中、五輪憲章にも根絶がうたわれる差別など人権に関する問題への関心が高まっている。
 国は「ビジネスと人権」に関する行動計画を初めて策定した。社会における企業の影響力が増す中、多様性ある社会を実現するために企業に求められる人権への取り組みがまとめられている。
 しかし、企業と人権をめぐっては課題を解決したとは言えない現実が横たわったままとなっている。
 化粧品会社DHCのホームページの記述の一部が差別的だとして署名を集めていた。在日コリアンを蔑む表現をしていたということ。化粧品を愛用している在日コリアンの女性は「私たちが直接攻撃されているようなそんな気持ちにもなってしまう」と話す。
 この記述をめぐっては国会でも議論になった。上川法相は“企業にはヘイトスピーチを含めあらゆる差別、または偏見をなくして人権に配慮した行動を取るということについて深く考えることが大事と思う”と述べた。

 策定された行動計画の中で政府も各企業に対して人権を守る啓発に取り組むとしている。しかし政府が民間である企業に行動を促すのは難しく限界があるという。(以下略)」

 吉田嘉明は、この番組を放映されて少しは恥ずかしいと思ったろうか。内心は分からないが、反省の色を見せることなく、反対に逆ギレの反応を見せたのだ。DHCの社員、これではさぞかし肩身が狭かろう。

私は、 「DHCは人権と平和の敵です、不要です、つぶしましょう」とは言わない。しかし、声を上げ続けたい。「DHCは差別企業です。反省して差別言動をやめるまでDHC製品を買ってはいけません」と。


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(DHCホームページでの吉田嘉明コメントは以下のとおり。)

NHK「おはよう日本」報道局ディレクター大淵光彦と称する人物からDHCの広報部に電話が入り、当方の「ヤケクソくじ」の説明文に人種差別の問題が含まれていて、今に至ってもまだホームページに掲載が続いているがその理由を聞かせてくれとのことであった。名前を聞いて、明らかに在日系が好む日本名であることから、NHKを編るコリアン系の反日日本人かと思ったが、NHKに問い合わせてみると確かに在籍しているとのこと。小生は常々、日本の朝鮮化ということを何よりも危惧してい、るが、その元凶であるNHKからの問い合わせに小躍りした。NHKの状況を全国民に周知させる絶好の機会だからである、朝鮮化ということではNHKは最も触れられたくない問題のはずである。これはもう日本国民の誰もが気がついていることであると思うが、NHKは幹部・アナウンサー・社員のほとんどがコリアン系である。出演者についても、学者・芸能人・スポーツ選手の多くがコリアン系であり、ひどいことに偶然を装った街角のインタビューさえコリアン系を選んでいる。予めリストアップしているのである。特徴のある名前とつき出たあご、引きしまった小さな口元、何よりも後頭部の絶壁ですぐに見分けがつく。サントリーが日本海を「東海」と言おうが、社員・タレントをコリアン系ばかりにしようと・私企業であるから誰も文句は訪えない。NHKは全国民から強制的に受信料をむしりとっている公的機関であるから放置するわけにはいかない。誰がこんなふうにしてしまったのかというと自民党の一部のコリアン系の国会議員であるが、野党はコリアン系だらけだからNHKのやることには誰もストップをかけない。コリアン系は長い歴史の中で中国を常に宗主国としてきたから、宗主国のやることには逆らえないというDNAができている、韓国の歴代の大統領を見るとよくわかる。NHKは朝鮮半島の悪は絶対に言わない。これは同族だから当然のことだが、親分の中国にも何も言えない。党員のほぼ全員がコリアン系である立憲民主党は、総務省の役人がNTTの接待に応じたとかのどうでもよい文春の三流記事を盾にして連日のように国会でがなり立てている。そんな場合ではなかろう。国境を侵して侵入している敵には即座に銃撃して追い返すのが常識であろう。
小生のことをマスコミ(これもコリアン系ばかり)は人種差別圭義者だと言うが、人種差別というのは本来マジョリティがマイノリティに対して行う言動を指すのであって、今や日本におけるコリアン系はマイノリティどころか日本の中枢をほとんど牛耳っている大マジョリティである。毎日ものすごい数で帰化人が誕生している。数だけの同族でマジョリティではなく、彼らは東大・京大・一橋・早稲田を出ていることから政界・財界・法曹界・マスコミ界という日本の中枢をすべて牛耳っている大マジョリティである、小生はもともと経団連の会員であったが、呆れ果てて昨年の12月に退会した。経団連の会員は日本を代表する有名企業ばかりで、コリアン系などいないと思われるでしょうが、ここ数十年の間に続々とコリアン系が増殖して、幹部や一般会員だけでなく、会を支える事務局員までコリアン系で占められるようになった。そのため、彼らは目本のために働いているのではなく、何かあると必ず中国寄りの態度を示し、韓国には常に|司情的である。中国がウイグル族などの少数民族に対してやっていることは明らかに人種差別の最たるものです。アメリカで白人が大多数を占めていた昔なら黒人や朝鮮人は差別の対象になっていましたが、今は一大勢力を形成していますからもう差別とは言えないでしょう。数の力を頼って、西海岸の朝鮮人は今や市議会の中心層になっており、やりたい放題でマイノリティの日本人をいじめています、言いたい事はきりがありませんが、NHKに対してひと旨感想をと旨われれば、「NHKは日本の敵です、不要です、つぶしましょう。」

株式会社ディーエイチシー代表取締役会長・CEO 吉田嘉明

総務省官僚の「NHKの経営には自主自律なんてない」発言の真意を問わねばならない。

(2021年4月8日)
 総務省とNHKと朝日新聞の三題噺である。「権力」と「その膝下にある公共放送」と、その「二者の関係を論評するメディア」の、それぞれの立ち位置のお話なのだ。主たる批判の対象は総務省であるが、問題はそれにとどまらない。NHK問題とは、まずはNHK自身の問題であり、次いで総務省とNHKの関係性の問題であり、この二者の関係について監視を怠らず鋭く切り込まねばならないメディア全体の問題でもある。そしてもちろん、終極的には国民の自覚の問題である。「それぞれの国民は、自らにふさわしいジャーナリズムをもつ」しかないというのだから。

 話の順から述べれば、まず朝日がNHKの姿勢に関して社説を書いた。「NHK値下げ 政治の影に疑念が残る」という、このタイトルにピッタリの記事。これが、今年の1月28日のこと。

 内容は、下記の要約のとおり、至極常識的で真っ当なものである。

 「NHKが唱える「自主自律」とはいったい何なのか。こんな迷走ぶりで、市民の真の理解を得られると考えているのか。
 執行部が業務のスリム化に加えて、23年度に受信料を引き下げることを急きょ打ち出した。剰余金が多すぎるのは明らかで、視聴者に還元する方向性自体は妥当といえる。
 それでも釈然としないのは、決定に至る過程に政治の圧力を明らかに感じるからだ。視聴者・国民よりも政権の顔色をうかがうことにきゅうきゅうとするNHKの体質も垣間見える。
 受信料の値下げについて、前田晃伸NHK会長は、「物事には順番がある」「値下げできる環境を整えるのが私の役割」と語っていた。それが一転した。これまでの方針は何だったのか。「環境」はいつ、どう整えられたのか。納得できる説明はない。
 おかしな話はまだある。20日になって突然、副会長(放送総局長)が「衛星契約の1割をめざす」と具体的な数字を示した。菅首相が施政方針演説で「月額で1割を超える思い切った引き下げ」を表明した2日後のことだ。
 値下げに異を唱えているわけではない。しかしNHKは新年度から、これまでに例のない規模の事業の縮小に踏み出そうとしている。影響を受けるのは国民一人ひとりであり、私たちの社会だ。
 これからの時代にNHKはどんな役割を担い、そのために必要な費用を、だれが、どのように負担するのか。その議論を深めないまま、受信料を人気取りの道具に使おうとしているとしか見えない政権にも、それに追従するNHKにも、不信の念を抱かざるを得ない。」

 この社説を書いたのは、田玉恵美論説委員。田玉によれば、この社説掲載の日に、総務省の課長に呼び出され、抗議されたという。このことが、昨日(4月7日)の朝日(多事奏論)欄で明らかにされた。

 これは由々しきことではないか。社説は明らかにNHK批判である。ところが、NHKからではなく、「政治の影」濃い総務省からの抗議なのだ。総務省の担当課は、NHKに関するメディアの動向に目を光らせ、好ましからざる記事には、執筆者を呼びつけて「抗議」までするのだ。このことを朝日が2か月余も黙っていたというのも、やや腑に落ちない。

 (多事奏論)は、「NHK値下げ 社説書いた 総務省に呼び出された」という、表題。3段落に要約して引用させていただく。

 「1月の末、総務省に呼び出された。霞が関へ出向くと、初対面の課長らが出てきて「事実と異なる。抗議させていただきたい」「何が言いたいかというと、政府の圧力でNHKが1割値下げを決めたなんて話じゃないんですよ」と言った。
 社説で私は、NHKが受信料値下げを決めた背景に政治の圧力を感じると書いた。大臣が再三迫って方針が変わったからだ。まるで国営放送みたいだ。
 私は思った。これが忖度というやつか。首相はかつて、意に沿わない同省のNHK担当課長を更迭した。目の前で私に抗議をしているのは、まさに今そのポストにいる課長だ。首相や大臣の顔に泥を塗られたと感じ、強気に出てみせたのか。

 もう一つ課長は気になることを言っていた。『NHKの経営に自主自律なんてないですから。そんなことおっしゃる方は初めてなんでびっくりしてます。自主自律は放送番組の編集の話。人事も金も握られてる。もうちょっと制度を勉強してください』

 翌月、ニュースを見ていて思わず声が出た。東北新社にいる首相の長男らから違法接待を受けて懲戒処分を受けた官僚の中に、あの課長の名前があった。外資規制違反問題でも渦中の人になっている。あの抗議の真意を知りたい。改めて課長に取材を申し込むと、国会対応などで相当多忙であり取材はお断りしたいと返事が来た。放送法を勉強しろとお怒りだった課長に、国家公務員倫理法の勉強はどうなっていたのかも聞きたかったのだが。」

 これは重大な情報である。総務官僚は、「NHKの経営に自主自律なんてない」と決めてかかっている。おそらくはNHKも同様の見解なのだろう。なるほど、NHKの置かれている立場がよく見えてくる。それだけではない。総務官僚はメディアの各紙・各社にも「自主自律なんてない」と思っているのではないか。かくも威丈高に朝日の社説にまで圧力をかけようという姿勢なのだ。

NHKには、「倫理・行動憲章」がある。NHKの自主憲法と言ってよいものだろう。その冒頭に、次の一文がある。

 NHKは、公共放送として自主自律を堅持し、健全な民主主義の発展と文化の向上に役立つ、豊かで良い放送を行うことを使命としています。

 ここでいう、「自主自律の堅持」とは、歴史的な経緯から、再び「大本営の伝声管とはならない」という宣言と理解すべきであろう。そのような歴史を捨象しても、「自主自律の堅持」とは、権力からの介入を拒絶することが主旨でなくてはならない。この理念と、現実との落差が問題なのだ。

 また、この憲章をやや具体化した「行動指針」というものがある。その冒頭が次のような宣言文となっている。
○公共放送の使命を貫きます。
◆ いかなる圧力や働きかけにも左右されることなく、みずからの責任において、ニュースや番組の取材・制作・編集を行います。

「いかなる圧力や働きかけにも」というとき、総務省や官邸、あるいは政権与党からの圧力を除外する合理性はない。いや、むしろ、他の何よりも公権力やそれを支える社会勢力からの圧力や働きかけからの自律をこそ大切にしなければならない。それが、NHKが自らに課した視聴者に対する責任なのだ。本来、総務省には、そのようなNHKの自主性を尊重すべき責務がある。

 しかし、『自主自律は放送番組の編集だけに限られている。人事や金など、NHKの経営に自主も自律もない』という、総務省NHK課長の言い分は、「政権は、NHKの人事と金を握っている。だから時の政権に不都合な放送はさせない」という恫喝に聞こえる。そして、この『NHKの経営に自主も自律もない』という見解をジャーナリズムに押し付けようとしているのだ。このような公権力による「恫喝」があれば、すぐにでも市民に知らせてほしいものと思う。朝日の姿勢は評価に値するとしても、報道がやや遅れてはいないか。

 なお、この件については、醍醐聰さんが、(元総務省情報通信審議会委員)という肩書で、昨日の内に総務省に抗議のファクスを送っている。なんと迅速な行動力。
https://twitter.com/shichoshacommu2/status/1379721599595651076

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