澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「安倍晋三靖国参拝違憲訴訟・大阪」結審ー注目の判決は1月28日

2013年12月26日、安倍晋三は内閣総理大臣の公的資格をもっての靖国神社参拝を強行した。国内外からの強い反対論、違憲の指摘を押し切ってのことである。安倍は、公用車で靖国神社に向かい「内閣総理大臣安倍晋三」と肩書記帳したうえ正式に祓いを受けて昇殿参拝した。政教分離を規定した憲法第20条3項に違反することは、自明というべきである。

最高裁大法廷判決(1997年4月2日)は、愛媛県知事の靖国神社への玉串料奉納を違憲と断じている。多数意見13人対反対意見2人の大差であった。
知事の玉串料奉納ですら違憲。ましてや内閣総理大臣の靖國神社公式参拝が違憲であることに疑問の余地はない。なお、最高裁判決で首相の靖国参拝の合違憲に触れた判決はまだないが、仙台高裁(仙台高判1991年1月10日)が岩手靖国違憲訴訟で明確に違憲判断をして以来、高裁の違憲判断はいくつかある。もちろん、合憲判断は皆無である。

この安倍晋三の違憲行為に司法の場で制裁を加えようとの果敢な試みが、安倍靖国参拝違憲訴訟として東京と大阪の両地裁で行われている。大阪訴訟の審理が先行して、昨日(10月23日)結審となった。注目の判決は、来年1月28日(木)午前10時とのこと。

判決は、政教分離問題としてだけでなく、今戦争法の違憲国賠訴訟提起の試みが話題となっているときに、平和的生存権侵害の構成による訴訟の有効性について、関心が集まっている。

大阪訴訟原告団準備会が作成したチラシの中に、次の一文がある。
「安倍内閣の危険な体質を危惧されているすべてのみなさまへ
 国、安倍晋三、靖国神社を被告に、安倍首相の靖国参拝を問う訴訟を提起します。参拝が違憲であることは、小泉首相の参拝に対する7件の訴訟のいくつかの判決においても明らかです。この訴訟は、違憲違法の参拝による被害に対し、国家賠償を請求する訴訟となります。被侵害利益の中に、平和的生存権などを含めて、『秘密保護法』『集団的自衛権』『武器輸出』などに象徴される安倍内閣の危険な体質を総合的に問う訴訟にしたいと考えています。長期政権という悪夢が懸念される中、私たちは、この訴訟提起が、今のところ市民が直接に安倍内閣に異議を申し立てることができる数少ない道ではないかと考えています。」

この訴訟の提起が、2014年4月11日。その後、集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、戦争法案が国会上程されて、「成立」にまで至った。市民が直接に安倍内閣に異議を申し立てる必要性は数段高くなっている。

この事件の「請求の趣旨」は以下のとおりの簡明なものである。
1 被告安倍晋三は内閣総理大臣として靖國神社に参拝してはならない。
2 被告靖國神社は、被告安倍晋三の内閣総理大臣としての参拝を受け入れてはならない。
3 被告らは、各自連帯して、原告それぞれに対し、金1万円及びごれに対する2013年12月26日から支払済みまで年5バーセントの割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
との判決及び第3項につき仮執行の宣言を求める。

請求原因は、宗教的人格権および平和的生存権に基づく差し止め請求であり、国家賠償請求となっている。

安倍晋三の靖国参拝が違憲であることは明々白々であるが、問題は、安倍の参拝が法的な意味で各原告らの権利を侵害していると言えるかどうか。それなければ訴訟として成立し得ないことになる。このハードルをクリアーするためのキーワードが、宗教的人格権であり、平和的生存権である。各原告がそれぞれに持っているこの権利が侵害されたとの認定がなければ、憲法判断に到達せずに敗訴となる公算が高くなる。

昨日の大阪訴訟結審の法廷では、170ページの原告最終準備書面が提出され、その要旨16ページが朗読されたという。

関心は、損害論に集中する。
(1) 宗教的人格権侵害 
原告らは、被告安倍の本件参拝及び被告靖國神社の参拝受入れによって、内心の自由形成の権利、信教の自由確保の権利、身近な死者を回顧し祭祀することについての自己決定権を侵害された。
(2) 平和的生存権侵害 本件参拝等によって、原告らの平和に生きる権利が侵害された。現代社会においては、平和なしにはいかなる個人の権利も実現することができない。表現の自由、信教の自由、経済的自由もまた、平和な社会でなければ個人がこれを享受することができない。平和的生存権に対ずる侵害によって生ずる損害は、人格的生存の根幹に関わるものである。

具体的な損害論は、原告のそれぞれの特性に応じて語られた。
沖縄原告、台湾原告、若者原告、女性原告、在日外国人原告、教育者原告、宗教者原告…らについてである。

こうして、安倍の本件参拝と、靖國神社の参拝受入れとは、各原告らにはかり知れない精神的苦痛をもたらした。国家権力が、国民に対し国のために死ぬことを強要するだけでなく、死亡後も国が兵士確保のため「英霊」=道具として利用し続ける関係を継続しているのである。憲法の核心たる個人の尊重、立憲主義(国民が国家を支配するという憲法の根本原理)を根底から覆す、権利侵害態様の重大性に照らして、その精神的損害は甚大というべきである。

法廷陳述要旨の末尾は次のとおりに結ばれている。
「首相の公式参拝は、首相が靖国神社或いはその教義を是認し賛美することにほかならない。殊に、歴代首相の中で最も軍事法制の整備に熱心な安倍首相によって行われた本件参拝は、憲法9条と20条が、ともに先人の知恵によって憲法にビルトインされた「平和」のための装置であり、車の両輪をなすものであることを改めて強く浮き彫りにした。
 公式参拝の違憲判断は司法によって明確なものとなっているにもかかわらず、時の政権は違憲判決を嘲笑するかのような違憲行為を繰り返している。それは、原告らが被った精神的被害を過小に評価して、法的利益に価しないとしてきた司法の誤った価値判断が招いた結果と指摘せざるをえない。
 このような判断を繰り返していては、最高法規たる憲法が目指す価値・秩序を実現すべき司法の役割を果たしたことにはならない。また、政治の場での民主的解決に委ねればすむという問題でもない。違憲行為による重大な権利侵害があった場合、たとえそれが国民の一人に対してのものであっても、司法的救済がなされるべきは当然である。加えて、現時点ではそれにとどまらず、本件参拝の如き違憲行為を二度と繰り返させないよう、憲法保障を実効化あらしめるための判断が司法には期待されている。本件においては、司法の面目にも関わることとして、その期待に応えうるだけの判決が今こそ求められている。」

矢の3本は要らない、この訴訟の判決で、安倍にはせめて一矢報いたいもの。

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「公表された議事録作成の経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」への賛同署名のお願い

そもそも存在しない安保関連法案の「採決」「可決」を後付けの議事録で存在したかのように偽るのは到底許されません。私たちは、このような姑息なやり方に強く抗議するとともに、当該議事録の撤回を求める申し入れを提出します。ついては多くの皆様に賛同の署名を呼びかけます。

ネット署名:次の署名フォームの所定欄に記入の上、発信下さい。
     http://goo.gl/forms/B44OgjR2f2

賛同者の住所とメッセージを専用サイトに公開します。
     https://bit.ly/1X82GIB

第一次集約日 :10月27日(火)22時とします。なお、詳細は、下記ブログをご覧ください。
       http://sdaigo.cocolog-nifty.com/blog/2015/10/post-fb1b.html
       https://article9.jp/wordpress/?p=5768

(2015年10月24日・連続937回)

「九条は全戦死者の御霊(みたま)なり」(東京新聞9月3日)

昨日に続いて、東京新聞「平和の俳句」からの話題。
上掲句の投句者は浜松市西区・倉橋千弘(76)とある。敗戦を6歳で迎えた方だ。戦没者のご遺族だろうか。靖国には参拝をする方だろうか。

いとうせいこうの選評は、「死者から賜ったことを次の生者につなぐのは、今生きる我々の責務。」というもの。特に異論あるわけではないが、いつもの的確で鋭さに欠けてもの足りない。このコメントでは、せっかくの「九条」が生きてこない。

もうひとりの選者である金子兜太は、「数百万におよぶ戦死者の霊魂が憲法九条を生んだのだ。忘れるな。」と言っている。同感。僭越ながら、憲法九条に関連して兜太の言を敷衍してみたい。

この句は、よく考え抜かれた、推敲の末の作品だと思う。まずは、「戦死者」「戦没者」ではなく「全戦死者」とされていることに注目したい。

「全」は、曖昧さを残さずに戦没者の差別を認めない姿勢を表している。敵と味方、戦闘員と非戦闘員、積極的加担者と抵抗者、社会的地位や業績の有無に関わりなく、戦争によってもたらされたすべての死を悼む立場が強調されている。

この句では、「戦争」と「すべての命」とが対比されている。ひょんと死んだ名もない兵、爆心地で跡形もなくなった子どもたち、東京大空襲で焼け死んだ無辜の市民、その以前に重慶の爆撃で殺された多くの中国人、日本の炭坑で強制労働を強いられ殺された中国人・朝鮮人、沖縄戦での日米の兵と地元の人たち…。その死は、ひとつひとつすべて等しく悲惨である。

九条は、「すべての命」を等しく貴しとする思想を根底に、すべての戦争を否定している。死を何らかの基準で差別するとき、いかなる命も貴しとする純粋さは失われる。そのことは、いかなる戦争も否定するのではなく、戦争を肯定する思想に結びつくことになる。

この句は、「全」を入れることで、すべての命を大切にし、すべての戦争を否定する姿勢を鮮明にしている。それこそが憲法九条の精神である。

身近な死を悼む気持は誰にもある。遺族が戦没者を悼む気持には誰もが厳粛な共感を持たざるを得ない。この心情を利用しようとして創建されたのが戦前の別格官幣社靖国神社であり、宗教法人靖国神社もその思想の流れをそのまま酌んでいる。

靖国神社(改称前は東京招魂社)とは、内戦における官軍(天皇軍)の戦死者だけを祀る宗教的軍事組織として創建された。上野戦争では賊軍の屍を野にさらして埋葬することを禁じ、皇軍の戦死者のみを神として祀って顕彰した。この徹底した死者への差別、死の意味の差別が靖国の思想である。当然に、天皇の唱導する聖戦を積極的に肯定する意図があってのものである。

遺族の心情を思いやるとき、戦没者の「顕彰」には口をはさみにくい。しかし、その口のはさみにくさこそが、靖国を創建した狙いであり、いまだに国家護持や公式参拝を求める勢力の狙いでもある。それは死の政治的利用であり、戦没遺族の心情の政治利用である。

死は本来身近な者が悼むものである。いかなる戦死も国家が顕彰してはならない。ましてや、敵味方を分け、味方の戦闘員の死だけを、国家に殉じたものと意味づけて顕彰するようなことをしてはならない。

再びの戦死者を出してはならない。全戦死者がそう思っているに違いないというのが、引用句の精神だと思う。

これに反して、戦死者をダシにして、戦争を肯定し、国家の存在を意味あらしめようというのが、戦没者慰霊にまつわるイヤな臭いの元なのだ。

毎年、8月15日には、日本武道館で政府主催で全国戦没者追悼式が行われる。「戦没者を追悼し平和を祈念する」ことが目的とされる。さすがに、靖国神社ほどの露骨さはない。

しかし、今年の式典で安倍晋三は、「皆様の子、孫たちは、皆様の祖国を、自由で民主的な国に造り上げ、平和と繁栄を享受しています。それは、皆様の尊い犠牲の上に、その上にのみ、あり得たものだということを、わたくしたちは、片時も忘れません。」と式辞を述べている。やはり、戦死者の政治的利用の臭いを払拭できない。

同じ式での、天皇の式辞がある。
「ここに過去を顧み、さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心からなる追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

こちらの方が、政治的利用の臭いが薄い。もちろん、「戦陣に散り戦禍に倒れた人々」だけの追悼であり、「さきの大戦に対する深い反省」の内容の曖昧さや加害責任に触れていないことの不満はあるにせよ、である。

再びの戦死者を出してはならない。その思いの結実が憲法九条なのだ。
(2015年9月8日・連続891回)

宗教者の戦争法反対ー新宗教も仏教もクリスチャンも

新日本宗教団体連合会(新宗連)の「新宗教新聞」(月刊・2015年5月23日号)が届いた。
一面トップが、「『安保法制』に危機感」の大きな見出し。リードでは、「有識者や宗教者から『国民の理解、国会議論がないまま先行する姿勢は、民主々義の存立を脅かす』『9条だけでなく、憲法そのものを壊す』などの批判の声があがっている」と強い危機感がにじみ出ている。

5月15日国民安保法制懇の反対声明が詳しく紹介されている。「健全な相互理解と粘り強い合意形成によってなり立つはずの民主主義の『存立を脅かす』」「自衛隊に多くの犠牲を強いるばかりか、国民にも戦争のリスクを強いる」と、新ガイドライン・安保法制関連法案危険性指摘の引用が印象的である。

また、「安倍政権の戦略は『改憲』」とタイトルを付して「九条の会」の学習会や5月3日横浜・みなとみらい地区臨港パークでの「5・3憲法集会」開催も紹介されている。この集会での大江健三郎発言の「安倍首相はアメリカとの間で『安保法制』を進めようとしているが、多くの日本人は同意していない」と安倍政権批判や、樋口陽一の「憲法は70年間、改正を目指す度々の攻撃に対して、先輩の憲法学者や国民が守り支えてきた」との訴えが記事になっている。

また、大阪宗教者9条ネットワークが「戦争法案断固反対」を採択したとの記事もある。この記事では、「安保法制」ではなく、「戦争法案」断固反対との見出しが目を引く。5月16日午後2時から、「宗教者としてともに歩むー平和を尊び憲法9条を世界に」をテーマに、大阪市の大阪カテドラル聖マリア大聖堂で開かれた集会で、「宗教者9条の和」代表世話人でもある宮城泰年聖護院門跡門主、松浦悟郎カトリック司教がそれぞれ憲法の大切さ、平和への思いを語った。中学2年の時に敗戦を迎えた宮城門主は、軍事教練などの苦い思い出を語りながら、「自民党は、『安保法制』11法案の成立を企てているが、9条だけでなく、憲法そのものを壊していこうとしている。今こそもう憲法に敏感にならなければならない」と危機感を露わにし、松浦司教は「日本の世界への貢献は、軍事力とは違う土俵がある」として、平和的な支援活動がアジアや世界から信頼を得ていることを強調した。「戦争法案に断固反対する」集会アピールを採択した後パレードに移り、大阪城公園まで9条改悪反対などを訴え行進したという。

紙面の隅々に、戦争反対、世界に平和を、そして、宗派を超えた戦没者の追悼という意気込みが溢れている。さらに、戦争責任から目をそらしてはならない、戦争の危機が宗教弾圧をもたらすとの危機感などが感じられる。

また、巨大宗教団体である真宗大谷派(東本願寺)が5月21日に、里雄康意宗務総長名で、「日本国憲法の立憲の精神を遵守する政府を願うー正義と悪の対立を超えて」とする声明を発している。心して耳を傾けるべき立派な内容である。やや長いが、全文を紹介したい。

「私たちの教団は、先の大戦において国家体制に追従し、戦争に積極的に協力して、多くの人々を死地に送り出した歴史をもっています。その過ちを深く慙愧する教団として、このたび国会に提出された『安全保障関連法案』に対し、強く反対の意を表明いたします。そして、この日本と世界の行く末を深く案じ、憂慮されている人々の共感を結集して、あらためて『真の平和』の実現を、日本はもとより世界の人々に呼びかけたいと思います。
 私たちは、過去の幾多の戦争で言語に絶する悲惨な体験をいたしました。それは何も日本に限るものではなく、世界中の人々に共通する悲惨な体験であります。そして誰もが、戦争の悲惨さと愚かさを学んでいるはずであります。けれども戦後70年間、この世界から国々の対立や戦火は消えることはありません。
 このような対立を生む根源は、すべて国家間の相互理解の欠如と、相手国への非難を正当化して正義を立てる、人間という存在の自我の問題であります。自らを正義とし、他を悪とする。これによって自らを苦しめ、他を苦しめ、互いに苦しめ合っているのが人間の悲しき有様ではないでしょうか。仏の真実の智慧に照らされるとき、そこに顕(あき)らかにされる私ども人間の愚かな姿は、まことに慙愧に堪えないと言うほかありません。
 今般、このような愚かな戦争行為を再び可能とする憲法解釈や新しい立法が、『積極的平和主義』の言辞の下に、何ら躊躇もなく進められようとしています。
 そこで私は、いま、あらためて全ての方々に問いたいと思います。
 『私たちはこの事態を黙視していてよいのでしょうか』、
 『過去幾多の戦火で犠牲になられた幾千万の人々の深い悲しみと非戦平和の願いを踏みにじる愚行を繰り返してもよいのでしょうか』と。
 私は、仏の智慧に聞く真宗仏教者として、その人々の深い悲しみと大いなる願いの中から生み出された日本国憲法の立憲の精神を蹂躙する行為を、絶対に認めるわけにはまいりません。これまで平和憲法の精神を貫いてきた日本の代表者には、国、人種、民族、文化、宗教などの差異を超えて、人と人が水平に出あい、互いに尊重しあえる「真の平和」を、武力に頼るのではなく、積極的な対話によって実現することを世界の人々に強く提唱されるよう、求めます。」

  
さらにキリスト教も、である。日本キリスト教協議会のホームページの冒頭に、小橋孝一議長による「今月(2015年5月)のメッセージ」が掲載されている。「剣を取るものは皆、剣で滅びる」という標題。

そこで、イエスは言われた。「剣を鞘に納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる。」マタイ26章52節

イエスを守ろうとして剣を抜いて大祭司の手下に打ち掛かった者を制して、主は「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と断言されました。これは歴史の主の世界統治方針です。

どのような理由があろうとも、武力によって立つ者は、たとえ一時的には成功したかに見えても、結局歴史の主にその罪を裁かれ、身を滅ぼす結果になるのです。

大日本帝国は「富国強兵」のスローガンを掲げて、武力によって諸国を侵略・支配する罪を犯し、裁かれて滅びました。そして「剣を鞘に納める」誓いを内外に表明して、新しい歩みを始めました。

しかし戦後70年、その誓いを破り、再び「剣を取る者」となるための議案が国会で議決されようとしています。再び「剣で滅びる」道に歩み出そうとしているのです。何と恐ろしいことでしようか。

戦後の「平和の誓い」は、戦争によって自分たちが受けた苦しみによるもので、他国・他民族を殺し苦しめた罪の悔い改めによるものではなかったのではないか。その浅さが今露呈しているのです。

日本社会の根底に潜む罪を今こそしっかりと見つめ、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」との歴史の主の御言葉に身をもって聴き従い、世に訴えなければなりません。

「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」
これこそ、日本国憲法9条の精神ではないか。安倍晋三にも、高村正彦や中谷元にもよく聞かせたい。いや宗教者は、もっと品がよく、「安倍さんも、高村さんも、中谷さんも、皆さんよくお聞きください」というのだろう。それにしても、宗教者諸氏の平和への思い入れと、それが損なわれることへの危機感はこの上なく強い。

日本国中の津々浦々、そしてあらゆる分野に、安倍内閣の戦争法反対の声よ、満ちてあれ。
(2015年5月26日)

「自衛隊員の戦闘死者は靖国神社に祀りたい」ー総理のホンネ

(内閣広報官)本日は、皆さまからのご要望で、御質問にお答えするかたちで特別に総理がホンネを語ります。オフレコのお約束は厳格にお守りいただくよう、特にご注意ください。違約の社には、官邸から調査がはいることもありますことを事前に警告申し上げます。では、ご質問をどうぞ。

(記者)幹事社から質問いたします。
閣議決定された安全保障関連法案ですが、報道各社の世論調査では、賛否が分かれて、慎重論は根強くあると思います。また、野党からは、集団的自衛権の行使の反対に加えて、先の訪米で総理が議会で演説された「夏までに実現する」という表明についても、反発の声が出ております。総理はこうした声にどうお答えしていく考えでしょうか。

(総理)国民の命と平和な暮らしを守ることが、政府の最も重要な責務であります。我が国を取り巻く安全保障環境が一層厳しさを増す中、あらゆる事態を想定し、切れ目のない備えを行う「平和安全法制」の整備は不可欠である、そう確信しています。ですから、国民のために法案の成立を早期に実現するよう努力いたします。
 あらゆる世論調査で、国民が集団的自衛権の行使容認に反対ないしは慎重の結果となっていることはよく心得ています。しかし、国民の命と幸せな暮らしを守るために、この法整備を断固としてやり遂げなければならない。それが政権を預かるものの使命と考えています。

 もちろん、国民の皆さまに、しっかりとわかりやすく丁寧に審議を通じて説明をしていきたいとは思います。しかし、いつまでもグズグスしているわけにはまいりません。民主主義のルールに従って、予め予定された期間の議論が終了すれば、粛々と多数決で決着をつけねばなりません。

 先般の米国の上下両院の合同会議の演説において、「平和安全法制の成立をこの夏までに」ということを申し上げました。これは、国際公約ですから、国民の納得よりも優先させねばなりません。「夏」とは、常識的に8月末までにということですから、それまでに衆参両院の審議と議決を済ませる覚悟です。国民への説明を丁寧にする、委員会や本会議での審議を尽くすというのも、時間を区切ってのこととならざるを得ません。国民の納得は望ましいことですが、仮にそれが得られなくても、早期にこの法案を成立させることの方が、遙かに重要なことなのです。

 こうした私の方針は国民の皆さまよくご存じのはず。私を、改憲論者で、平和は武力によってこそ守られるというイデオロギーの信奉者だと知ってなお、国民の皆さまに支持いただいています。2012年暮れの総選挙以来、私は総裁として、また我が党として、この戦争法制を整備していくことを一貫して公約として掲げています。特に、先の総選挙においては、昨年7月1日の閣議決定に基づいて、「平和安全法制」を速やかに整備することを明確に公約として掲げ、国民の審判を受けました。

 皆さまご記憶のとおり、2014年総選挙は、私自身が「アベノミクス選挙」と命名し、「景気回復、この道しかない」とのキャッチフレーズを掲げた選挙でした。確かに、安全保障政策の転換を争点とした選挙ではなかった。しかし、よく読めば公約には安全保障問題も掲げていたのです。これを「争点ずらし」などというのは、負け犬の遠吠え。勝てばこっちのものですから、総選挙の結果を受けて発足した第3次安倍内閣の組閣に当たっての記者会見において、戦争法案は通常国会において成立を図る旨、はっきりと申し上げたはずであります。

 国民の皆さまが望んでおられるのは、ものごとをテキパキと決めて前に進む政治であろうと心得ています。決められない前政権の政治に批判があって、安倍政権になったのではありませんか。ですから、私は、特定秘密保護法も、沖縄辺野古基地建設も、NSC設置法も、日米ガイドラインも、テキパキと決めてきました。7月1日閣議決定もその流れです。選挙で信任を得た以上は当然のことと考えています。世論調査の結果を無視するとはいいませんが、その結果で決断を躊躇することはいたしません。もちろん、国民の審判によって弱体化した野党の反対は覚悟の上で、粛々と採決の所存です。

(記者)国民の不安、懸念などについて説明を伺いたいと思います。自衛隊発足後今日まで、紛争に巻き込まれて自衛隊の方が亡くなることはなく、また、戦闘で実弾を使ったりすることもありませんでした。このことが国内では支持されていましたし、国際的な支持でもあったかと思います。今回の法改正で、自衛隊の活動がすごく危険になるとか、リスクな方に振れるのではないかと懸念されますが、この点に関する総理の御説明をお願いいたします。

(総理)まさに自衛隊員の皆さんは、日ごろから日本人の命、幸せな暮らしを守る、この任務のために苦しい訓練を積んで危険な任務に就いているわけであります。これからも同じようにその任務を果たしていくということが基本であります。
 自衛隊発足以来、今までに1800名の方々が、様々な任務で殉職をしておられます。こうした殉職者が出ないよう努力はしたいと思いますが、これまでも危険な任務であったことはご理解いただきたいと思います。

 自衛隊員は自ら志願し、危険を顧みず、職務を完遂することを宣誓したプロフェッショナルとして誇りを持って仕事に当たっています。その誇りのよってきたる根源は、死をも厭わずにお国のために尽すところにあります。当然のことですが、この法案が成立すれば、海外の戦闘で自衛隊員の死者が出ることは予想されるところですから、その戦闘死の顕彰を考えなければならないことになるでしょう。

 私が、靖国神社参拝にこだわっているのは、過去の歴史をどう捉えるかというだけではありません。これからの戦争や武力行使における自衛隊員の犠牲者の顕彰につながるものと考えているからです。国が、戦闘員の死に無関心で、その死に感謝や尊崇の念をもたなければ、いったいだれが命がけの任務に当たることになるでしょうか。

 危険な戦闘任務のための特別手当や、遺族に対する特別の補償の用意も必要でしょうが、何よりも全国民に戦闘死を名誉とする国民意識の涵養が不可欠だと思います。その死を誉れあるものとして子どもたちには教えなくてはなりませんし、公共への奉仕としてこれに勝るものはない立派な行為として、道徳の教科書にも是非載せなければならないと思います。

 そして、できることなら、靖国神社に戦死した自衛隊員を合祀したい。その合祀の臨時大祭には、戦前の例に倣って、余人ならぬ天皇陛下自らのご臨席を賜ることが望ましいと考えています。

 一方、怯懦から敵前において逃亡するなどの卑劣な行為には、旧陸軍刑法や海軍刑法に倣って厳罰を科する法制度を整えなければなりません。軍法会議の新設も必要になりましょう。そのためにも、憲法改正が必要なのです。

 ここまで来れば、「非武装」や「専守防衛」という憲法9条を中核にした戦後レジームを放擲し、たるみきったその精神的呪縛からもようやくにして脱却できたことになります。そのとき、念願の精強な我が軍の軍事力によって平和と安全を確立する「あるべき日本の姿を取り戻した」と言えるのではないでしょうか。

(内閣広報官)時間も経過しましたので、記者の皆様からの御質問を打ち切ります。この席での総理発言はホンネのところですから、くれぐれもご内密にお願いいたします。
(2015年5月16日)

宗教弾圧を阻止し平和を守るための宗教協力ー「新宗教新聞」を読む

月に一度、律儀に「新宗教新聞」が送られてくる。購読申込みをした覚えはなく、継続配達を希望したこともない。それでも、毎月々々月末ころに確実に郵送される。岩手靖国訴訟受任時に新宗連とのささやかな交流があって以来のこと。既に30年にもなる。

かつて私は、厳格な政教分離を主張して、国や自治体と対立した。そのとき、自ずと宗教者とは蜜月の関係となった。ところが、霊感・霊視商法が跋扈したとき、私は被害者の立場から宗教団体(あるいは「宗教団体まがい」)の批判に遠慮をしなかった。おそらく、そのときに宗教者との「蜜月」は終わった(のではないか)。

今私は、新宗連だけでなく、どこの宗教団体や連合体とも交流はない。唯一の「交流」が、毎号送られてくる「新宗教新聞」である。私はこの新聞の愛読者として毎号よく目を通している。加盟各教団の行事紹介にはさしたる興味はないが、紙面の真摯さに好感を持たざるを得ない。

ご存じのとおり、「新日本宗教団体連合会」(新宗連)の機関紙である。毎号題字の前に、3本のスローガンが並んでいる。「信教の自由を守ろう」「宗教協力を進めよう」「世界の平和に貢献しよう」。私の記憶では、かつてはもう一本「政教分離」のスローガンがあったが今は消えたのが残念。もっとも、同紙の政教分離違反への監視の眼は鋭い。安倍晋三の靖国参拝や真榊奉納に対する批判声明などは、意を尽くして行き届いたものだ。何より、宗教者らしい礼節を尽くしたものとして心に響くものがある。

毎号のことだが、紙面は、まさしくこの「信教の自由」「宗教協力」「平和」という3本のスローガンにふさわしいものとなっている。

まずは、「平和への貢献」。今号(4月27日号)にも、「平和」があふれている。「戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典(8・14式典)準備」「沖縄慰霊平和使節団」「平和への巡礼」「長崎・原爆落下中心地講演慰霊祭」「終戦70年特別事業」「アジア懺悔行」「前事不亡・後事之師」「世界平和を誓う」「平和への祈り」…。

次いで、「信教の自由を守ろう」。東北総支部の「信教の自由とは何か」をテーマとした学習会が紹介されている。そこでの組織内講師の発言が注目される。
「これまでの信教の自由のとらえ方は、教団の信教の自由が中心だったが、宗教界の既得権益を守る活動のような誤解を受けがちだった。基本的人権の根源である個人の信教の自由を出発点としたい」というもの。そのうえで、「教団の自由」と「個人の自由」の関係を、大学の自治を例に挙げて、「個人の自由」を基本としながら、その保障のための「教団の自由」の大切さを説いている。国家権力による個人の信教の自由攻撃に対する防波堤としての教団の自由という位置づけ。なるほど、テーマとしてたいへん興味深く面白い。

そして、「宗教協力」である。「新宗連活動の原点と歴史」という連載コラムで、新宗連の設立にGHQの関与があったことを初めて知った。見出しが「信教の自由守るための団結を」「宗教弾圧知るウッダート氏が提案」というもの。
1951年3月末に、GHQ民間情報教育局の調査官ウィリアム・ウッダートなる人物が、後に新宗連初代理事長になる御木徳近(元ひとのみち、現PL教団の2代教祖)に面会した。この調査官は、「ひとのみち教団」や「大本教」などへの戦前・戦中の過酷な宗教弾圧をよく知っており、日本において、再び宗教弾圧が起きることを懸念して新宗教団体が団結する必要性を次のように説いたという。

「戦後、新憲法ができて信教の自由が得られても、日本という国は、いつか右傾して、宗教の弾圧がまた始まる可能性がないとは言えません、そんな時にはやはり新宗教が主として弾圧の対象となるでしょう、そんな時に、戦前のひとのみち教団や大本数のように孤立していて個々バラバラであっては、国家権力に対抗することは不可能です。そこで、これからは新宗教も手を握りあい、団結・協力してそれに対抗しなければいけません」
この経過は、新宗連の初代事務局長を務めた大石秀典の『真生滔々』(新宗教新聞社刊)に詳しいそうだ。

これがきっかけとなって、同年10月17日新宗連結成の運びとなる。元々、新宗連は権力による宗教弾圧を避けようとして結成されたものなのだ。

同じコラムの中に、御木徳近が後年こう語ったと紹介されている。
「神仏の道を説く者がなんのためにいがみ合うのでありましょうか。いかなる宗教も平和を欣求してやまぬものであるはずです。神仏のみこころは、平和な人間世界を具現することにあると思います。心の平静を保ち、みんなで仲良く世界中の人が、信教の別を超越し、無信仰者もともに、平和社会具現のために尽くしてこそ、神仏のみこころにかなうのであります」

宗教協力は、国家権力から信教の自由を擁護するためのものでもあり、平和社会具現のためのものでもあったという。3スローガンが三位一体の調和という次第なのだ。
(2015年5月2日)

「屈辱の日」の沖縄県民大集会と、心ない靖国参拝

昨4月28日は、サンフランシスコ講和条約発効の日。1952年に日本が独立を回復した日でもあるが、片面講和によって日本が東西対立の一方に組み込まれた日でもある。また、沖縄にとっては、本土から切り離されて、アメリカの施政下に置かれることになった「屈辱の日」にほかならない。

この日、那覇では「4・28県民屈辱の日」に超党派の県民大集会が開催された。本日の琉球新報が報じる見出しは、「辺野古新基地拒否 2500人結集 『屈辱に終止符を』 4・28県民大集会 」というもの。

「県議会与党5会派と市民団体らの実行委員会による『止めよう辺野古新基地建設! 民意無視の日米首脳会談糾弾! 4・28県民屈辱の日 県民大集会』が28日、那覇市の県民広場で開かれた。約2500人(主催者発表)が集まった。日米首脳会談で名護市辺野古の新基地建設推進が再確認される見通しであることについて登壇者が『新基地建設は絶対許さない』と強調すると歓声や拍手が鳴り響き、日米両政府による新たな『屈辱』の阻止に向け思いを一つにした。」

ときあたかも、オバマー安倍の日米両首脳が満面の笑みをもって「新たな屈辱」をつくりつつある。

よく知られているとおり、63年前の「沖縄の屈辱」には、昭和天皇(裕仁)が深く関わっている。「天皇の沖縄メッセージ」あるいは「昭和天皇の琉球処分」といわれるものだ。

この天皇の愚行は、1947年9月22日のGHQ政治顧問シーボルトから本国のマーシャル国務長官宛書簡に公式記録として残されている。標題は、「琉球諸島の将来に関する日本の天皇の見解」というもの。寺崎英成がGHQを訪問して伝えた天皇の意向が明記されている。寺崎は当時宮内省御用掛、英語に堪能でマッカーサーと天皇との会談全部の通訳を務めたことで知られている。

シーボルトの国務長官宛て書簡のなかに次の一文がある。
「米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を続けるよう日本の天皇が希望していること、疑いもなく私利に大きくもとづいている希望が注目されましょう。また天皇は、長期租借による、これら諸島の米国軍事占領の継続をめざしています。その見解によれば、日本国民はそれによって米国に下心がないことを納得し、軍事目的のための米国による占領を歓迎するだろうということです。」

ややわかりにくいが、「疑いもなく私利に大きくもとづいている希望」の原文は、次のとおり。
a hope which undoubtedly is largely based upon self-interest.
「self-interest」を「保身」と訳すれば理解しやすい。

これにシーボルト自身の「マッカーサー元帥のための覚書」(同月20日付)が添付されている。こちらの文書が文意明瞭で分かりやすい。以下、全文の訳文。

「天皇の顧問、寺崎英成氏が、沖縄の将来にかんする天皇の考えを私(シーボルト)に伝える目的で、時日を約束して訪問した。
寺崎氏は、米国が沖縄その他の琉球諸島の軍事占領を継続するよう天皇が希望していると、言明した。天皇の見解では、そのような占領は、米国に役だち、また、日本に保護をあたえることになる。天皇は、そのような措置は、ロシアの脅威ばかりでなく、占領終結後に、右翼および左翼勢力が増大して、ロシアが日本に内政干渉する根拠に利用できるような『事件』をひきおこすことをもおそれている日本国民のあいだで広く賛同を得るだろうと思っている。
さらに天皇は、沖縄(および必要とされる他の島じま)に対する米国の軍事占領は、日本に主権を残したままでの長期租借?25年ないし50年あるいはそれ以上?の擬制(fiction)にもとづくべきであると考えている。天皇によると、このような占領方法は、米国が琉球諸島に対して永続的野心をもたないことを日本国民に納得させ、またこれにより他の諸国、とくにソ連と中国が同様な権利を要求するのを阻止するだろう。
手続きについては、寺崎氏は、(沖縄および他の琉球諸島の)「軍事基地権」の取得は、連合国の対日平和条約の一部をなすよりも、むしろ、米国と日本の二国間条約によるべきだと、考えていた。寺崎氏によれば、前者の方法は、押しつけられた講話という感じがあまり強すぎて、将来、日本国民の同情的な理解をあやうくする可能性がある。
W・J・シーボルト」

この天皇(裕仁)の書簡を目にして怒らぬ沖縄県民がいるはずはない。いや、まっとうな日本国民すべてが怒らねばならない。当時既に天皇の政治権能は剥奪されていた。にもかかわらず、天皇は言わずもがなの沖縄の売り渡しを自らの意思として積極的に申し出ていたのだ。「疑いもなく私利(保身)にもとづいた希望」として、である。沖縄が、4月28日を「屈辱の日」と記憶するのは当然のことなのだ。

沖縄の心を知ってか知らずか、無神経に「主権回復の日」に舞い上がる輩もいる。稲田朋美自民党政調会長などがその典型。昨日(4月28日)、天皇の神社であり軍国神社でもある靖国に参拝している。特に、この日を選んでのことだという。米国に滞在中の安倍にエールを送っているつもりなのか、それとも風当たりが強くなることを無視しているのだろうか。

安倍政権では、高市早苗総務相、山谷えり子拉致問題担当相、それに有村治子女性活躍相が、春の例大祭に合わせて靖国参拝をしている。これに稲田が加わって「靖国シスターズ」のそろい踏みだ。

靖国とは、「侵略戦争を美化する宣伝センター」(赤旗)である。これはみごとに真実を衝いた言い回しだ。「そこへの参拝や真榊奉納は同神社と同じ立場に身を置くことを示すもの」(同)という指摘は、政治家がおこなえばまさしくそのとおり。

私の手許に「沖縄戦記 鉄の暴風」(沖縄タイムス社編)がある。初版が1950年8月15日で、私の蔵書は1980年の第9版。「唯一の地上戦」の沖縄県民の辛酸の記録だが、450頁のこの書の相当部分の紙幅を割いて、県民が日本軍から受けた惨たる仕打ちが克明に報告されている。靖国神社とは、沖縄県民の命とプライドを蹂躙した皇軍兵士を神として祀るところでもある。「沖縄屈辱の日」を敢えて選んでの稲田の参拝は、さらに沖縄県民を侮辱するものと言わねばならない。

独立を回復した記念の日に、広島でも長崎でも、東京大空襲被害地でも、摩文仁でもなく、なぜことさらに軍国神社靖国参拝となるのだろうか。主権回復のうえは、何よりも軍事施設への関心を示すことが大切だというアピールと解するほかはない。これは戦争を反省していない証しではないか。

しかも、である。朝日によれば、「参拝後、稲田氏は『国のために命を捧げた方々に感謝と敬意、追悼の気持ちを持って参拝することは、主権国家の責務、権利だ』と語った。」という。これは看過できない。

稲田の言う『靖国参拝は、主権国家の責務、権利だ』は、問題発言だ。憲法は、国家の宗教への関わりを厳しく禁じている。公党の要職にある人物の政教分離への無理解に呆れる。これが、弁護士の発言だというのだから、同業者としてお恥ずかしい限り。

菅官房長官よ、安倍晋三の靖国への真榊奉納については、「私人としての行動であり、政府として見解を申し上げることはない」と言ったあなただ。「靖国参拝は主権国家としての権利」と言ってのけた稲田発言をどう聞くのか。

明けて今日(4月29日)が、最高位の戦争責任を負うべき立場にあり、戦後においても自らの保身のために(based upon self-interest)沖縄に屈辱をもたらした、その人の誕生日である。

この日を「昭和の日」として奉祝するなどは、沖縄の屈辱をさらに深めることにほかならない。せめて、歴史を省みて、辺野古基地新設反対の県民世論に寄り添う思いを固める日としようではないか。
(2015年4月29日)

「徹底した死者の差別」ーそれこそが靖国の思想だ

本日の [産経・正論]欄に、「『和諧』を良しとする日本を誇る」という一文が掲載されている。著者は平川祐弘という相当のお歳の比較文化史家。東京大学名誉教授とのこと。「正論」の常連執筆者の一人である。

もちろん国民誰にも表現の自由は保障されている。だから、目くじら立てるほどのこともないではないか、と言われればそのとおり。が、この人のトンデモ憲法論に幻惑される被害が発生せぬよう、最低限の反論が必要と思われる。

1年ほど前に、彼は、「新しい憲法について国民的な議論を高めたい。比較文化史家として私も提案させていただく」として、やはり「正論」に寄稿している。「『和を以って貴しとなす』。この聖徳太子の言葉を私は日本憲法の前文に掲げたい。‥このような憲法改正には文句のつけようがないだろう」「憲法はそのように日本の歴史と文化に根ざす前文であり本文でありたい」との内容。今回の寄稿はその焼き直し。

よく知られているとおり、自民党改憲草案の前文には、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概をもって自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と書き込まれている。ここでの「和を尊び」は、現実に存在する権力や経済力による支配と被支配の対立構造、あるいは社会的な貧困や格差を隠蔽し糊塗する役割を担っている。

そもそも、十七か条の冒頭に位置する「以和爲貴」は、「無忤爲宗(逆らうことなきを旨とせよ)」や、「承詔必謹」とセットをなしている。「和」とは、対等者間の調和ではなく、「天皇を頂点に戴く権力構造の階層的秩序」と理解するほかはない。本気になって「憲法に『以和爲貴』を書き込もう」と言っているとすれば、甚だしい時代錯誤。近代立憲主義も現代立憲主義も、いや法の支配も、法治主義すらも理解していない人の言としか思えない。

その平川さんが本日の「正論」で靖国の祭神について述べている。未整理の文章で論旨不明瞭といわざるを得ないが、結論だけが「…だから日本は素晴らしい」というもの。どんな結論でもけっこうだが、靖国について「敵味方を超えて行われる鎮魂」と言っている点で、反論しておかねばならない。

平川さんの文章は、平将門を祭神とする神田明神への参拝の隆昌から説き起こされている。そして、次のように展開する。
「祟ると崇めるとは字も似るが、祟りが怖ろしいから崇めたのだ。だが、そんな荒ぶる御霊が鎮魂慰撫されて今では利生の神(平将門を指す)、学問の神(菅原道真を指す)として尊崇される。神道では善人も悪人も神になる。本居宣長は「善神にこひねぎ…悪神をも和め祭る」と『直毘霊』で説いた。鎮魂は正邪や敵味方の別を超えて行われてこそ意味がある」。ここまでの文意は明瞭で、敢えて異を唱えるほどのこともない。

その次からが突然の転調となる。
「読売新聞の渡辺恒雄氏は宗教的感受性が私と違うらしく、絞首刑に処された人の分祀を口にした。私は『死人を区別していいのか』と感じる。解決の目途も立たぬまま大陸に戦線を拡大した昭和日本の軍部は愚かだと思うが、だからといって政治を慰霊の場に持ち込むのは非礼だ。靖国神社は日本軍国主義の問題と決めてかかる人が国内外にいるが、そうした狭い視野で考えていいことか」

文意を繋げると、「神道では善人も悪人も神になる」のだから、「絞首刑に処された東條英樹以下の悪人も神になった」。「分祀とは神に区別を設けること」なのだから、「いかなる悪人であろうとも神になった死人を区別することはよくない」。こう言いたいのだと推測するよりほかはない。なお、それまでの説明と、「靖国神社」「日本軍国主義」「狭い視野」とは関連不明としか評しようがない。

文意がわかりにくいのは、論者が世の常識とは違うことを言っているからなのだ。
日本人の伝統的な死生観が「怨親平等」という言葉に表される死者の平等にあったことはよく知られている。例えば、蒙古襲来の際の犠牲者を、日本の民衆は敵味方の区別なく手厚く葬った。その象徴として円覚寺の存在が語られる。

この日本的伝統を真っ向から否定して死者の差別を公然化したのが、招魂社であり、靖国神社である。維新期の西南雄藩連合は、自軍を皇軍(すめらみいくさ)として、荒ぶる寇(あらぶるあだ)である賊軍との戰に斃れた自軍の戦死者だけを祀った。要するに、徹底した死者の差別であり、魂の差別である。ここには怨親平等のヒューマニズムはかけらもない。政治的な思惑から、天皇への忠誠故の死者を褒めそやし、未来永劫賊軍の死者を侮辱さえしたのである。

戊辰戦争の最大の山場は会津戦争であった。官軍の死者の遺体はこの地に埋葬され、「天皇のために闘った、忠義の若者たちがいたことを後世に伝えるために」石碑が建てられた。一方、賊軍側3000の戦死者には、埋葬自体が禁じられた。死体はみな、狐や狸や野鳥に食われ腐敗して見るも無惨な状態になった。(「明治戊辰殉難者之霊奉祀の由来」・高橋哲哉「靖国問題」による)

この天皇への味方か敵かを峻別し、死者をも徹底して差別することが靖国の思想である。明治維新が、国政運営にこのうえない便利な道具として神権天皇制を拵え上げたその一環として、靖国神社は天皇制政府の軍事におけるイデオロギー装置となった。天皇へ忠誠を尽くして死ぬことを徹底して美化し、その反対に天皇に敵対することを徹底して貶める、死の意味づけにおける差別の体系と言ってよい。この魂の差別については、既に古典と言ってよい「慰霊と招魂」(村上重良・岩波新書)に詳しい。

戊辰戦争で賊軍とされた奥羽越列藩同盟の戦死者も、西南戦争で敗れた西郷軍も、未来永劫靖国の祭神の敵として靖国神社に合祀されることはない。この内戦における死者への差別は、皇軍が対外戦争をするようになってからは排外主義の精神的基盤ともなり、また戦死者を「天皇への忠義を尽くしての戦死」か「しからざる(捕虜や逃亡兵としての)死」かに差別することにもなった。

平川「正論」が、日本人の伝統に反してまで徹底した「死者の差別」をしている靖国神社を引き合いに、祭神の平等、死者の平等を説くから、話がこんがらかってしまうのだ。
(2015年2月4日)

安倍首相の年頭伊勢神宮参拝に異議あり

昨日1月5日の月曜日が、どこも仕事始めであったろう。
歳時記に
   何もせず坐りて仕事始めかな (清水甚吉)
とある。なるほど、情景が目に浮かぶ。

本郷三丁目の駅から、サラリーマン軍団が神田明神に向かっていた。「何もせず」ではなく、神事で結束を確認する儀式に参加なのだろう。もしかしたら、上司の強制かも知れない。報道では、この日お祓いを受けた会社数は3000を超えたという。恐るべし、神道パワーいまだ衰えず。

もっとも、神田明神は天つ神の系統ではない。典型的な国つ神と賊神を祀る。天皇制との結びつきは希薄だ。自らを新皇と名乗った平将門を祭神とする神社として印象が深いが、実は3柱の祭神を祀っているという。一ノ宮に大国主を、二ノ宮に少彦名を祀って、平将門は三ノ宮に祀られているという。大国主が大黒、少彦名が恵比須信仰と習合して、産業の神となり、とりわけ恵比須信仰が商売繁盛に霊験あらたかと、資本主義的利潤拡大祈願の集客に成功したようだ。

それでも、神田明神とは将門の神社と誰もが思っている。天皇に弓を引いて、賊として処刑され首をさらされたと伝えられる反逆の将を祀る神社である。ここに、仕事始めのサラリーマンが押し寄せる図は、なかなかに興味深い社会現象ではないか。

一方、天つ神系の総本山、伊勢神宮では安倍晋三クンが仕事始め。参拝しただけでなく、ここで記者会見を行い年頭談話とやらを発表している。安倍クン、そんなところで、そんなことをしてちゃいけない。官邸で、「何もせず坐りて仕事始め」をしていた方が、ずっとマシなのだ。

安倍首相の年頭談話の冒頭が次の一節。
「皆様あけましておめでとうございます。先ほど伊勢神宮を参拝いたしました。いつもながら境内のりんとした空気に触れますと、本当に身の引き締まる思いがいたします。先月の総選挙における国民の皆様からの負託にしっかりと応えていかなければならない、その思いを新たにいたしました。」

各紙が、首相の伊勢参拝は新春恒例のこと、と異を唱えずに見過ごしているのが気になる。確かに、伊勢には靖国と違って、軍国主義や戦争のきな臭さがない。だから、近隣諸国からの抗議の声も聞こえてこない。しかし、外圧があろうとなかろうと違憲なものは違憲なのだ。

伊勢こそは国家神道の本宗であった。最高の社格・官幣大社の中でも特別の存在。憲法20条の政教分離とは、国家神道の復活を許さないとする日本国憲法制定権力の宣言である。とすれば、「政」(国家権力)の最高ポストにある内閣総理大臣が、伊勢神宮という「教」(神道)の最高格式施設に参拝することを許容しているはずもない。明らかな違憲行為として、首相の年頭参拝に「異議あり」と声を上げずにはおられない。

違憲・違法は、回数を重ね、時を経ても変わらない。労基法違反も男女差別賃金も、「これまでずっとやって来たことだから、今さら違法と言われる筋合いはない」などという会社側の開き直った言い訳は通らない。「毎年のこと。恒例だから問題ない」と言っても、伊勢参拝が合憲にはならない。ダメなものはダメ。違憲は違憲なのだ。

安倍晋三クン、キミの悪癖だ。憲法をないがしろにしてはいけない。8月の戦後70周年談話をどうするかは先のこととして、まずは伊勢神宮への参拝を反省したまえ。これも、天皇を神の子孫とする天皇制を支えた制度の歴史認識の問題であり、憲法遵守義務の重要な課題でもあるのだから。
(2015年1月6日)

右翼が褒めてくれたから だから12月26日はヤスクニ記念日

ずいぶん迷ったんだけど、去年の今日、思いきって靖国に参拝して本当によかった。もちろん風当たりは覚悟していた。中国も韓国もそりゃ怒るさ。あたりまえのはなしだ。けど、そんなことは想定の範囲。日中・日韓の外交関係が冷え込めば、憲法改正だってやりやすくなる。「わが国をめぐる安全保障環境は、近年ますます厳しくなって…」というあのフレーズが使いやすくなる。そうすれば、明文改憲ができなくても、憲法解釈を変えて集団的自衛権の行使容認に踏み切ることだってできるんじゃないかと思っていた。いや、我ながらみごとな戦略、ズバリうまく行った。

去年のこの日は、第2次安倍政権が発足してからちょうど1年目だったんだ。第1次安倍政権のときは、結局任期中に一度も参拝できなかった。もちろん、できることならやりたかったんだ。だって私を政権の座に押し上げてくれたのは、保守の皆さんではない。明らかに右翼の皆さんだからね。そのお礼の気持ちを表すのには、靖国参拝が一番じゃないか。なんたって「右翼には靖国」だよ。しかし、第1次政権では一度も靖国参拝ができずじまいで、「痛恨の極み」と言ったままだ。第2次政権になって1年たっても参拝できなきゃ、「安倍晋三は口だけの右翼政治家だ」と言われちゃうじゃないか。そんなことになったら、もっと右の誰かに支持を奪われてしまうかも。だから、頑張って参拝をやっちゃったんだ。

いや、右翼の皆さん心から喜んでくれた。あんなに喜んでもらって私も嬉しかった。右翼冥利に尽きたし、政治家冥利にもだね。だから、その嬉しさを日記に書き留めておいたんだ。
 「ボクの決断が右翼にウケたから だから12月26日はヤスクニ記念日」
出来がよくない? お粗末様。

でも、皆さん覚えておいででしょう。「もし私を右翼の軍国主義者と呼びたいのであれば、どうぞそう呼んでいただきたい」という私の発言。そのとおり、掛け値なしに私は正真正銘の「右翼の軍国主義者」なんですよ。右翼のための右翼首相の靖国参拝。どうしたって一度はやらなくちゃ。去年あのときにやっておいてよかった。

去年の12月26日午前11時半、私は靖国神社に昇殿参拝したんだ。「内閣総理大臣 安倍晋三」と札をかけた花を奉納して、肩書も記帳した。官房長官は私的参拝と言っていたけど、それじゃ右翼の皆さんが納得しない。やっぱり、公的資格における参拝でいいんじゃないの。

参拝後、記者に囲まれてね、こう言ったんだ。
「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対し、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊やすらかなれとご冥福をお祈りした」「日本は二度と戦争を起こしてはならない。私は過去への痛切な反省の上に立ってそう考えている。戦争犠牲者の方々のみ霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を新たにしてきた。」とね。
これ、苦心の作なんだ。これなら右翼の期待をあんまり裏切ることなく、一般人の感情からもさしたる反発を招かないだろう。キーワードは「不戦の誓い」だ。ボクだって、けっこう考えているんだよ。

もっとも、ボクだって政治家だ。言ってることと思っていることが同じであるわけがない。IOC総会のときだってそうだ。本当は、福島第1から海に放射能がダダ漏れなのは分かっていたさ。でも、それを言っちゃおしまいだろう。「アンダーコントロール」と「完全にブロック」って言ったから、オリンピック誘致に成功したんじゃないか。このコツが大切なんだ。真実を言うことじゃない。

「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは全くない。…中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っている」とも言ったけど、本当にそんな気持をもっていたら、靖国神社に参拝などできるものか。思い切り人をぶん殴っておいて、「あなたを傷つけるつもりなど毛頭ありません。今後とも、敬意を持ってあなたとの友好関係を築いていきたいと願っています」と言っているようなものだからね。

そういえば、もう一つ苦心があった。こう言ったんだ。「また戦争で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊する鎮霊社にも参拝した」と。鎮霊社を持ち出したのは、なかなかの工夫だ。あんまり、皆さん鎮霊社って知らないでしょう。「靖国神社の構内には、天皇への忠死者以外の人たちみんなを祀る施設があるんだ」と納得してくれそうじゃない。

鎮霊社とは、靖国神社にもともとあったもんじゃない。靖国神社のパンフレットには、「戦争や事変で亡くなられ、靖国神社に合祀されない国内、及び諸外国の人々を慰霊するために、昭和40年(1965)に建てられました。」とある。

私も、このときはじめてしげしげと鎮霊社を見て、正直のところちょっと驚いた。あんまり規模が小さいし、みすぼらしかったから。鳥居も付いてない。手入れも悪そう。本殿の立派さと比べて鎮霊社のみすぼらしさと粗末な扱われ方は極端だね。靖国における「魂の差別」「死者の差別」と言えば言えなくもない。そうとは思うけど、そうはけっして口に出したりしない。私だって政治家だもん。

本当に私が言いたかったことは、「不戦の誓い」なんかじゃない。「鎮霊社にも参拝した」は、言い訳のためのカムフラージュ。誰だって分かっていることだ。

そもそも、靖国で平和を語ることは不似合いだ。富士には月見草がよく似合う。鳩にはオリーブの葉。軍国神社靖国には軍服を着たおじさんの進軍ラッパがよく似合う。とうてい「不戦の誓い」が似合うところではない。それくらいのことは長州出身の私はよく心得ている。

ホンネはこんなところだな。
「英霊の皆様、とりわけA級戦犯として無念の死を遂げられた14柱の皆様。ようやく、臣安倍晋三が、皆様のご無念をお晴らし申し上げるときがやってこようとしています。国家が、富国強兵の目的のもと、版図を拡大するための戦争を行うのは、当然のことではありませんか。すべての独立国には戦争する権利がある。しかも、皆様がご苦労された戦争は我が国の自存・自衛のために敵国に攻め入って敵国で闘ったもの。反省すべきは、果敢に闘ったにもかかわらず戦争に敗れたこと。兵力の不足と、鍛錬の不足、そして武装のための経済力の不足でした。これからは、一意専念、アベノミクス効果で国力を増強し、武器産業を拡充し、国民には愛国心を叩き込み、軍事費拡大による軍備の増強と軍事法制の充実をはかります。幸いに、特定秘密保護法は国会を通過し、新たな大本営であるNSCもできました。集団的自衛権行使容認ももうすぐ。憲法改正だって夢ではありません。大っぴらに戦争を語ることのできない異常な時代はもうすぐ終わります。戦後のレジームを克服し、天皇をいただいた大日本帝国時代の日本を取り戻す計画が着々と進行しております。ですから英霊の皆様、とりわけA級戦犯の皆様、安らかに我が国の再びの軍国化の将来をお見守りください。」

あれから1年経った。私の靖国参拝が、中国・韓国・北朝鮮等の近隣諸国に対する挑発行為と受けとられたことは、事実だからやむを得ない。保守本流や財界からは、国益を損なう外交の拙劣とかいう批判もあるけど、たいしたことはないさ。もっとも、アメリカ政府までが、「失望した」なんて言い始めたのが想定外だったけど。

近隣諸国との緊張関係は確実に高まった。それが功を奏して7月1日に集団的自衛権行使容認の閣議決定まで漕ぎつけることができた。そして、評判の悪い第2次安倍政権だったが、なんとか乗り切ってきた。今回の総選挙も小選挙区制様々で、結果オーライだ。ボクには、持って生まれた何かがあるんだな。

今後とも、隙あらば、国民の批判がかわせるとの読みができれば、靖国参拝を重ねたい。その実績が、「靖国派」とか、「歴史修正主義派」とか言われている人々を励ますことになるからね。

そして、英霊やA級戦犯の皆様にこう誓うんだ。
「必ずや軍備を増強して日本を強い国にします。再び戦争に負けるような国にはしません。そのために、憲法を改正し憲法9条をなくして精強な国防軍をつくり、戦前の軍事大国日本を取り戻します」
この度の選挙で勝てたし、英霊との約束を果たすことができそうだ。

第1回目の「ヤスクニ記念日」バンザイだ。
(2014年12月26日)

パロディ「公明党の悩み」 ― 総選挙の争点(その2)

私は公明党。1964年の結党からはや50年。私も年をとったものだ。前身の公明政治連盟も同様だが、産みの親も育ての親も宗教法人創価学会。これは天下周知の隠れもない事実。ホームページでは「政党と支持団体の関係です。各政党を労働組合や各種団体などが支持する関係と同類です」などと言ってみてはいるが、そんなことを信じる人もないだろう。

母体の創価学会は、元は日蓮正宗の在家信徒団体としての法華講の一つだった。いまは、日蓮正宗とは喧嘩別れをして、僧侶のいないまま独自に宗教法人となっている。

その創価学会。戦前創価教育学会といった当時に、天皇制からの過酷な宗教弾圧の対象となっている。国家神道にへつらわない姿勢が不当な弾圧の原因だった。これは信仰者として誇ってよいこと。だから、親から受け継いだ私の出自自体に、反権力・親民衆の血は色濃く流れているわけだ。

しかしだ。最近その血が騒ぐことはない。むしろ、その反権力の血を押さえ、人からも見られないように心掛けているうちに、親権力・反民衆の体質になってしまったという批判の声が高い。反論はしたいんだが、何しろ自民党と組んで連立与党の一員になっているんだから、どうも反論も意気はあがらない。

創価学会は日蓮が唱導した法華経を信仰する。ここには、法華経の理念が国家の指導原理となることによって、この世に寂光浄土が実現するという固い信念がある。これが王仏冥合。すなわち王(政治)と仏(信仰)の一体化によってこそ、国家と民衆の真の幸福がもたらされるのだ。王仏冥合の理念のもと、その象徴として国家事業として国立戒壇を設けて、権力者を帰依せしめることこそ広宣流布実現の王道とされていた。そのためには必然的に政界に進出しなければならなくなる。私は、そのような使命を帯びてこの世に産み落とされ、そして育てられたのだ。

その出自ゆえ、若い頃は私も血気盛んだった。創価学会という組織が折伏という手段で勢力を拡大してきたように、その子の私も心意気も手法も同じだった。使命に燃えて、大恩ある親の期待に応えようと必死になって熱く行動をしたものだ。

ところが、大きな壁として立ちはだかったのが日本国憲法の政教分離原則だ。「王仏冥合が現実のものとなれば、まさしく政教一体の極み。憲法違反も甚だしい」と言い出す奴が現れた。とりわけ国立戒壇を設けるという私の方針が政教分離に反するとやり玉に上げられた。最も声高に、うるさく指摘したのは共産党だった。そのおかげで、私は転進を余儀なくされ、王仏冥合も国立戒壇も口にすることはできなくなった。だから、私は共産党が大嫌いなのだ。

以来、産み落とされた使命を掲げることはできぬまま、「平和の党」「福祉の党」を看板にしてきた。なんと言っても、創価学会の信者層は庶民そのものなのだから、民衆の党として生き延びるほかはない。その民衆の願いは、平和であり福祉なのだから、自ずと看板の文字は決まったのだ。しかし、かえすがえすもバックボーンを失ったことは哀しい。あれ以来、ふわふわと憲法や外交、安全保障に関わる基本姿勢は定まらない。

私も、基本的な立場が定まらないまま、護憲と言い、安保廃棄と言ってもみたこともあった。あれは若気の至りでのことで、今はすっかり大人になった。そして、自民党との連立を組んで与党に納まっている。自民党に恩を売りつつ、与党としての情報の取得や影響力の行使がたまらなく居心地のよい状態。この立場を手放すことはできそうもない。

しかし、この居心地の良さは、同時に悩みの根源でもある。ときどき溜息をつくこともあるのだ。若い頃の私の理想や使命はどこに行ってしまったのだろう。そして、「平和の党」や「福祉の党」の看板を掛け続けていることの面はゆさに、忸怩たるものを感じざるを得ない。およそ平和や福祉とは正反対の立場にある自民党との連立を組んでいることの負の側面だから、仕方ないと言えば仕方がない。

私だって苦労しているのだ。憲法20条を改正して、天皇や閣僚による靖国神社への参拝を可能にしようという自民党との連立なのだから。もちろん、自民の言いなりにはなれない。さりとて、反自民の立場はとれない。

今回総選挙の公約だって苦心の末の産物だ。その辺をよく分かっていただきたい。
メインスローガンは「景気回復の実感を家計へー今こそ軽減税率の実現へ。」と言うのだ。重点5政策の第1が「地方創生で、力強く伸びる日本経済へ」とするもので、そのトップが、「軽減税率の導入」なのだ。これが今回選挙の私の目玉。タスキの文字であり金看板ではある。だが、残念ながら、その具体的な中身はない。メッキだけで本体はないと言われてもやむを得ない空っぽのスローガンであることは認めざるを得ない。

「福祉の党」としては、「逆進性顕著な消費税は撤廃」あるいは「消費増税阻止」と言いたいところだが、連立与党として言えるところではない。とは言え、主張の独自性を出さなければ、存在感のないまま埋没してしまう。だから、「消費増税は認めつつも、軽減税率導入」が金看板となったのだが、公約として書かせていただいた内容としては、「2017年度からの導入に向け、対象品目、区分経理、安定財源等について、早急に具体的な検討を始めます」というのが精一杯。すべてはこれからなのだ。一党だけなら努力目標としての政策発表は可能だが、自民党との摺り合わせなく勝手に具体的なことは言えない。「具体性のない公約」としてお恥ずかしい限りだが、これが連立ゆえの私の悩みなのだ。

改憲問題においても、集団的自衛権や特定秘密保護法の制定においても、あるいは露骨な労働法制改悪や福祉の切り捨てにおいても、今は自民党に追随するしかない。だから今回の公約においては、労働者優遇の法制提案は一切できなかった。私なりに自民党を牽制しているつもりではあるが、下駄の雪との批判は覚悟の上のことだ。

たとえば憲法問題。自民党が強固な改憲志向政党であることは周知の事実。私は、今回の公約発表では、正直に「憲法については、2012年の自民党との連立政権の発足に当たって『(衆参各院の)憲法審査会の審議を促進し、憲法改正に向けた国民的な議論を深める』ことで合意されています」と明記している。私は、「憲法審査会の審議を促進し、憲法改正に向けた国民的な議論を深める」という枠に縛られているわけだ。

縛りは合意だけによるものではない。連立与党にいること自体が縛りになっている。だから、自民党の特定秘密保護法制定にも集団的自衛権行使容認の閣議決定にも逆らえない。「もっと頑張れ」などという無責任な外野の声は、無い物ねだりなのだ。あるいは私に対する買い被りと言わざるを得ない。

今回の公約集にも、「集団的自衛権」という言葉は出て来ない。
「安全保障法制の整備に当たっては、2014年7月1日の閣議決定を適確(ママ)に反映した内容となるよう、政府与党で調整しつつ、国民の命と平和な暮らしを守る法制の検討を進めます」と意味不明なことを述べている。私自身にも良く分からないのだから、他の方にはチンプンカンプンだろう。

また、特定秘密保護法については、公約集に言葉が出て来ないだけでなく、その内容についても一言も載せなかった。民主主義の重要な課題であることはよく分かっているし、与党の一員として無責任ではないかという批判もあろうが、有権者に納得してもらえるような説明が難しい。載せない方が我がためと判断せざるを得ないのだ。

私の愚痴に耳を傾けていただいたことに感謝する。愚痴を言っても解決しない悩みを理解していただきたい。おそらくは、この悩みは自民党との連立を解消するまでは解決しないだろう。とは言え、連立の旨味も捨てがたい。いやはや、悩ましい次第。
(2014年12月4日)

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