澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「A級戦犯分祀に続く靖国参拝」を許してはならない。

各紙の報道によれば、先月(10月)27日、福岡県遺族連合会(古賀誠会長)の県戦没者遺族大会において、靖国神社に合祀されているA級戦犯14人を分祀するよう求める決議を採択した。

分祀を求める理由は「天皇皇后両陛下、内閣総理大臣、全ての国民にわだかまりなく靖国神社を参拝していただくため」とのこと。天皇や首相だけでなく一般国民への違和感のない参拝促進には、A級戦犯の分祀が不可欠としているわけだ。

同連合会は2009年に「A級戦犯の扱いは、合祀された1978年以前の『宮司預かり』に戻す」べきとする見解をまとめている。今回初めて「分祀」の要求に踏み込んだということ。また、関連報道では、全国の遺族会で分祀を求める決議が行われたのは初めてだが、複数の県の遺族会でも分祀決議への同調を探る動きがあるという。
古賀会長は、予てからのA級戦犯分祀論者。2002年?2012年には財団法人日本遺族会の会長を務めていた。また、1993年?2006年には遺族会を代表して靖国神社総代(10人)の内の一人でもあった。全国遺族会の重鎮であり、靖国を支える有力者である。福岡の動きの全国への影響力は侮れない。

この動き、実現不可能として無視してはならない。実現の可能性あるものとして大いに警戒を要するものと思う。

ところで、分祀は可能なのか。そもそも分祀とは何か、具体的に何をすることが求められているのか。ことは宗教論争の外皮をまとった政策論争である。宗教的な解釈としては何とでも言える。何とでも言えるとは、ある日前言を翻してもいっこうに差し支えないということだ。

神道では、八百万(やおよろず)の神が存在する。神社に祀ると祭神という。この祭神を数える数詞は「柱」である。複数の祭神をひとつの神社に祀ること、あるいは先の祭神が鎮座する神社に別の祭神を追加して祀ることが合祀である。これは分かり易い。靖国では、臨時大祭における招魂の儀の度に合祀が繰り返され、祭神は2座(皇族2柱で1座、その他おおぜいの全祭神で1座)246万余柱となっている。

分祀の概念は一見明白とは言い難いが、合祀の逆の現象として、ある神社の複数柱の祭神の一部を他の神社に移すことを「分祀」と理解してよいと思う。靖国の祭神246万余柱のうちの「東條英機の命」を筆頭とする14柱を、靖国神社から別の神社に遷座するという儀式を行い、同時に霊璽簿(れいじぼ)から抹消するという手続きになろうかと思われる。

死者の霊魂が招魂という儀式によって靖国の祭神となるとの意味づけは飽くまで観念的なものでしかない。それとまったく同様に、246万柱の靖国神社の祭神の内生前A級戦犯とされた者14柱の霊魂を祭神から外して他の場所に移すという観念的な行為ができないはずはない。

「教義の理論上分祀はできない」などという根拠はありえない。格別に神道の「理論」などあるわけがない。氏子たち、つまりは遺族たちの宗教的な感情に反しない限りは、分祀は可能である。要するに神社と氏子らの考え次第なのだ。

この点、靖国神社自身の現時点での考え方は、次のように「所謂A級戦犯分祀案に対する靖國神社見解」に示されている。

「靖國神社は、246万6千余柱の神霊をお祀り申し上げておりますが、その中から一つの神霊を分霊したとしても元の神霊は存在しています。このような神霊観念は、日本人の伝統信仰に基づくものであって、仏式においても本家・分家の仏壇に祀る位牌と遺骨の納められている墓での供養があることでもご理解願えると存じます。神道における合祀祭はもっとも重儀な神事であり、一旦お祀り申し上げた個々の神霊の全神格をお遷しすることはありえません。」

分霊という言葉で、「一つの神霊を分けても、元の神霊はそのまま存在する」という例は多くある。昔、江戸の町の名物として「伊勢屋稲荷に犬のくそ」といわれたほど、伏見稲荷からの分祠(勧請)をした稲荷神社が氾濫した。もちろんこれで「本社」としての伏見稲荷の祭神や心霊が減ずることにはならない。靖国神社のコメントは、このような事例を念頭において一般化し「一旦お祀り申し上げた個々の神霊の全神格をお遷ししてもゼロとなることはありえません」「これが日本人の伝統信仰に基づく神霊観念」というもの。宗教的信念については争いようがないが、「これ(のみ)が日本人の伝統信仰に基づく神霊観念」と言われると、その部分に限っては反駁の余地がある。伝統に基づく心霊観念上、祭神が削除されることもあるのだ。

私の手許に「神道の基礎知識と基礎問題」(小野祖教著)という書物がある。靖国問題に取り組んだ当時に購入した書物のひとつで800頁を越す大著。そのなかに、「祭神の取扱い」という一節があり、祭神の決定、変更、訂正について、戦前の内務省の解釈を引用して、次のとおり記されている。

「祭神の変更
 イ 祭神の一部増加((1)神社合併により、(2)祭神に縁故ある神を増合祀するため)
 ロ 祭神の一部削除((1) 考証による誤謬発見により、(2)神社を創設し祭神の一部をそこに分祀するため)」

以上のとおり、ロ(2)に「神社を創設し祭神の一部をそこに分祀するための祭神の一部削除」が明記されているのだ。

A神社に合祀されている甲乙丙3柱の祭神の内、丙1柱について新たなB神社を造営してそちらに遷座して分祀する場合には、A神社については祭神の一部(丙)が削除されて甲乙だけになるということである。「伏見稲荷から末社を勧請しても、宇佐八幡本宮の神霊には何の変化も生じない」という場合とは明らかに異なるのだ。分祀反対派の「神道の教義上、分祀は不可能」を鵜呑みにしてはならない。

ほんとのところは政策論争だから、結局は、神社は氏子の意見に耳を傾けざるを得ない。福岡が真っ先に分祀論に踏み出した、そのインパクトは小さくない。ある日靖国神社が「東條英機の命」以下の14柱を分祀することは不可能ではないとして、分祀を実行する可能性は十分にある。したがって、将来実現可能な選択肢として考えなくてはならない。

実は、分祀の成否自体はさしたる重要事ではない。重要なのは、分祀に引き続いてありうる「天皇・首相・閣僚、そして多くの国民のわだかまりない靖国神社参拝」である。これが実現するとなれば、悪夢というほかはない。

靖国神社の本質はA級戦犯の合祀にあるよりは、264万余柱の兵の合祀にこそある。A級戦犯の合祀以前から靖国問題はあり、A級戦犯の分祀が実行されたとしても靖国問題が解決するわけではない。「分祀に続く靖国公式参拝」を許してはならない。
(2014年11月6日)

醜悪なり。靖国参拝女性3閣僚。

「靖国神社で最も重要な祭事は、春秋に執り行われる例大祭です。秋の例大祭は10月17日から20日までの4日間で、期間中、清祓・当日祭・第二日祭・第三日祭・直会の諸儀が斎行されます」「当日祭には天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます」(靖国神社ホームページから)

靖国神社は、戊辰戦争における官軍の戦死者を祀った東京招魂社(1869年創建)がその前身。「靖国」との改称(1879年)の後も、天皇制を支えた陸海軍と深く結びついた軍国神社であった。天皇の軍隊の戦死者を祭神とし、英霊と美称して顕彰する神社である。単に、追悼して慰霊するだけではない、戦死者の最大限顕彰を通じて天皇が唱導する侵略戦争を美化する宗教的軍事装置であった。天皇制との結びつきはこの神社の本質。だから、いまだに勅使が出向いて来るのだ。

戦死者を英霊とし祭神として最大限に賛美するとき、その戦死をもたらした戦争への否定的評価は拒絶されることになる。靖国神社をめぐる論争の根源は、明治維新以来天皇制政府が繰り返してきた戦争の侵略性を冷静に検証するのか、無批判に美化するのかをめぐってのもの。従って、宗教法人靖国神社は、一貫して歴史修正主義の一大拠点となってきた。

敗戦とともに、陸海軍は消滅した。しかし、軍と運命共同体であったはずの靖国との軍事的宗教施設であった靖国神社は、軍と切り離されて宗教法人として生き残った。形式上国家との関係を断ち切って、天皇とも軍とも一切無縁の存在になるはずだった。しかし、その実態はそうなっていない。靖国神社自身がかつてと変わらぬ権力との結びつきを強く希望し、国家主義・軍国主義推進勢力がこれを利用している。しかも、靖国の強みは民衆と結びつき、民衆がこれを支えていることにある。

かつては靖国国営化法案、その後は首相と天皇の公式参拝推進運動。自民党憲法改正草案でも、政教分離条項の骨抜き案‥。靖国問題は「戦後民主々義の理念を擁護」するか、「戦後レジームからの脱却」を志向するか。その象徴的なテーマとなってきた。靖国が軍や戦争と深く結びついた過去を持ち、その過去の心性をそのままに現在に生き残ったことからの必然と言えよう。ことは、何よりも戦争と平和に深く関わり、歴史認識や天皇制、民族主義等々での見解のせめぎ合いの焦点となっている。歴史修正主義派や軍国主義的傾向の強い保守派をさして、「靖国派」という言葉が生まれることにも必然性があるのだ。

その靖国神社の今年の秋期例大祭。話題は多い。
まず、安倍首相は参拝こそ見送ったが、参拝に代えて真榊を奉納した。「内閣総理大臣 安倍晋三」と肩書きを付しての奉納である。単なる記帳ではなく、これ見よがしに「内閣総理大臣」と明記した名札を誇示した真榊の写真が公開されている。

真榊とは神道において神の依り代となる常緑樹を祭具にしつらえたもの。その奉納が宗教性を帯びた行為であることに疑問の余地はない。県知事から靖国神社に対する玉串料の奉納が、憲法20条3項にいう「国及びその機関はいかなる宗教的活動もしてはならない」に違反することは、愛媛玉串料訴訟の大法廷判決が確認しているところ。内閣総理大臣から靖国神社に対する真榊の奉納も違憲であることは明確というべきである。

憲法20条は、政教分離原則を定める。「政」とは政治権力のこと、「教」とは宗教のこと。この両者は厚く高い壁で遮られなければならない。お互いの利用は醜悪なものとして許されないのだ。形式的には、政治権力と厚い壁で隔てられるべき「教」とは宗教一般とされてはいるが、実は、憲法が警戒するのは国家神道の復活であり、分けてもその軍国主義的側面を象徴する靖国神社にほかならない。

国家を代表する立場にある首相が、特定の宗教団体を特別の存在として、「内閣総理大臣」と肩書きを付したうえ首相補佐官を使者として、宗教祭具を宗教施設に奉納することは、紛れもなく違憲である。首相が靖国神社参拝を見送ったことを評価する向きもあるが、真榊の奉納も違憲違法な行為であることを確認し強調しなければならない。

首相だけが問題なのではない。相変わらず、保守派議員の集団での靖国神社参拝が絶えない。秋季大祭の初日(10月17日)には、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の111人が参拝した。この議員の数が、憲法の危機的状況をよく物語っている。この議員たちには、靖国神社参拝の集団に加わることが選挙民の支持獲得に有利だという計算がある。そのような計算をさせる「主権者」の意識状況であることを肝に銘じなければならない。もっとも、昨年春の例大祭時(2013年4月23日)には、衆参合計168議員が集団参拝(衆議院議員139人、参議院議員29人)と報じられていたから、やや少なくはなっている。

ハイライトは、高市早苗総務相、山谷えり子国家公安委員長、有村治子女性活躍担当相の女性3閣僚が、18日相次ぎ靖国を参拝したこと。安倍内閣右翼3シスターズのそろい踏み。この女性たちが、靖国派閣僚の急先鋒なのだ。

参拝後の各閣僚のコメントが、下記の通り右派に通有の決まり文句。
「国のために尊い命をささげられたご英霊に感謝の誠をささげた。平和な国づくりをお誓い、お約束した」「1人の日本人が国策に殉じられた方々を思い、尊崇の念を持って感謝の誠をささげるという行為は、私たちが自由にみずからの心に従って行うものであり、外交関係になるものではない」「国難に際し命をささげられたみ霊に対し、心を込めてお参りをした。国難のとき、戦地に赴き命をささげられた方々にどのように向き合うか、どのように追悼するかは国民が決める話であり、他国に『参拝せよ』とか『参拝するな』と言われる話ではないと認識している」

これらのコメントには、侵略戦争への反省のかけらもない。そもそも、軍国神社は平和を語り願うためにふさわしい場ではない。「ご英霊に尊崇の念を捧げる」行為が自由にできるのは私人に限ってのこと、「国またはその機関」としての資格においては違憲違法な行為である。「外交関係になるものではない」は、現実を見ようとしない勝手な思い込み。「他国に『参拝せよ』とか『参拝するな』と言われる話ではない」は、被侵略国、被植民地の民衆の神経をことさらに逆なでする傲慢な暴言。右派閣僚3シスターズ。その無神経な参拝も、その後のコメントの内容も醜悪というほかはない。

ところで、朝日が10月17日付社説で、次のように「靖国参拝―高市さん、自重すべきだ」と呼びかけている。

「高市さん、ここは(靖国神社参拝を)自重すべきではないか。
そもそも、首相をはじめ政治指導者は、A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝すべきではない。政教分離の原則に反するとの指摘もある。
しかも、北京で来月開かれるアジア太平洋経済協力会議(APEC)での日中首脳会談の実現に向けて、関係者が努力を重ねているときである。それに水を差しかねない行為を慎むのは、閣僚として当然だ。」
というもの。参拝反対の立場は結構だが、何とも生ぬるい指摘ではないか。

「A級戦犯の合祀」は靖国神社の立場をわかりやすく象徴するものだが、合祀以前に問題がなかったわけではなく、分祀が実現すれば問題がなくなるわけでもない。「A級戦犯以外の英霊の合祀」なら問題なしと解されかねない危険も秘めている。
「A級戦犯合祀」の問題性指摘は欠かせないものではあるが、「A級戦犯が合祀されている靖国神社に参拝すべきではない」との書きぶりは、「靖国問題」を「A級戦犯合祀問題」へと矮小化する誤解を生じかねない。

「政教分離の原則に反するとの指摘もある」とは、自分の見解としてではなく他人事として触れている姿勢。迫力を欠くことこの上ない。あとは、「国益にマイナス」論だ。

朝日は、どうして真っ向から靖国神社のなんたるかを語らないのか。遊就館の偏頗な歴史認識を語らないのか。天皇制や、軍国主義や、侵略戦争、植民地支配の国策がもたらした惨禍から日本国憲法が成立し、政教分離原則もできていることをなぜ敢えて文章にしないのか。本質論を避けて通ろうとするごとくで、歯がゆさを禁じ得ない。
(2014年10月19日)

靖国神社と天皇参拝

8月21日の毎日朝刊に、「靖国問題の核心を認識」という会社員(東京・56才)氏の投書が掲載されていた。これを読んで、私も少し違った角度から「靖国問題の核心」を見たとの印象をもった。

靖国を語るときには襟を正さざるを得ない。ことは国民皆兵の時代の夥しい兵士の戦死をどう受け止めるべきかがテーマである。無数の若者が赤紙1枚で戦地に送られ、非業の死を遂げた。一人一人の死につながる家族があり、友人があり、地域がある。

その死が悲惨であっただけに、遺族や友人など戦死者を悼む者は、その死を無駄な死だったとは思いたくない。その死を忘れさることなく、多くの人にその死を記憶してもらいたい。できることなら、その死を意義あるものと認めてもらいたい。その強い気持ちは、痛いほどよく分かる。

問題は、戦死の意味が戦争の意味と切り離せないことにある。兵士個人の戦死の意味付けが、国家の戦争の意味付けと分かちがたく結びついているこのだ。死者を悼む遺族の気持ちが戦争や戦争を起こした体制の肯定にすり替えられる危険。靖国問題の本質はその辺りにある。

靖国は、一見遺族の心情に寄り添っているかのように見える。死者を英霊と讃え、神として祀るのである。遺族としては、ありがたくないはずはない。こうして靖国は遺族の悲しみと怒りとを慰藉し、その悲しみや怒りの方向をコントロールする。

あの戦争では、「君のため国のため」に命を投げ出すことを強いられた。神国日本が負けるはずのない聖戦とされた。暴支膺懲と言われ、鬼畜米英との闘いとされたではないか。国民を欺して戦争を起こし、戦争に駆りたてた、国の責任、天皇への怨みを遺族の誰もが語ってもよいのだ。

靖国は、そうさせないための遺族心情コントロール装置としての役割を担っている。死者を英霊と美称し、神として祀るとき、遺族の怒りは、戦争の断罪や、皇軍の戦争責任追及から逸らされてしまう。合祀と国家補償とが結びつく仕掛けはさらに巧妙だ。戦争を起こした者、国民を操った者の責任追求は視野から消えていく。

56才会社員の投書氏は、こう語っている。

「終戦の日の本紙の元自民党幹事長の古賀誠氏へのインタビューを読み、改めて靖国問題の核心を認識できました。それは1978年に宮司の独断で行われたA級戦犯の合祀をもとの形に戻して、天皇陛下もかつてのように靖国神社にお参りしていただきたいという、極めて明快な発言でした。」

「A級戦犯を祀る靖国」は、靖国が戦争責任を一身に背負う図としてこの上なく分かり易い。しかし、このことが靖国の本質ではないと私は常々思っている。「A級戦犯の合祀を取り下げ」てその代わりに「天皇が参拝できる靖国」が実現したとすれば、それこそが靖国神社の本質的な姿なのだと思う。そして、その本質はより危険なものなのだと思っている。

「私の伯父も若くしてフィリピンで戦死し靖国に祭られています。きっと天皇陛下万歳と言って散っていったに違いありません。というか、そう叫ぶしか自らの死を受け入れられなかったと思います。そしてその伯父の魂は、天皇陛下に参拝していただいてこそ安らぐのではないかと思えてなりません。」

かくて、天皇の戦争責任は糊塗され免罪され、むしろ「悪役・A級戦犯」に対峙する善玉として、遺族と民衆の気持ちに沿った天皇像が描かれる。その天皇の参拝こそが靖国という死者の魂の管理装置の本質的な姿だと思われる。

「私自身も、無謀な戦争をして伯父を戦場に送った人々が一緒に祭られている神社を素直に拝めません。戦後70年という節目に当たる来年こそ、この問題に整理をつけ、陛下も首相もお参りに行ける神社になっていただきたいと願う次第です。」

いかにも実直そうなこの投書氏には、A級戦犯の戦争責任は意識にあっても、天皇の戦争責任の認識は露ほどもない。靖国とは確実に、このような遺族やその周囲の心情に支えられている。根無し草ではなく、確実にこれを支える民衆の存在がある。違憲と言い、外交上かくあるべしと言ってもなかなか通じない。遺族の心情は無碍に排斥しがたい点において、反靖国派はたじろがざるを得ない。ここが、靖国派の強みの源泉である。

しかし、辛くても、困難でも、遺族の心情に配慮しつつ、逃げることなく、この投書氏にも語りかけなければならない。

あなたの伯父さんを死なせた戦争を始めたのは当時の国家ではありませんか。赤紙一枚で戦場に狩り出したのも国家、「死は鴻毛より軽きと知れ」と国民の命を軽んじたのも国家。そして当時、国家はそのまま天皇と置き換えてもよい存在だったではありませんか。天皇を頂点とした国家こそが、かけがえのない国民一人ひとりの戦死に、あなたの伯父さんの死に責任を取らねばならないのではありませんか。

A級戦犯各人が責任ありとされた行為を重ねた当時、その上に天皇が君臨していたではありませんか。あなたの伯父さんを死に追いやった最大・最高の責任者は天皇ではありませんか。「この問題に整理をつけ」とは、A級戦犯の合祀を取り下げての意味と理解します。「陛下も首相もお参りに行ける神社になっていただきたいと願う次第です」は、結局は戦犯の上に君臨していた天皇を免罪することになりませんか。若かりし伯父さんが天皇にどのような思いを抱いていていたかはともかく、伯父さんを戦死に追いやった最高責任者の免罪が本当に伯父さんの死を意味づけることになるのでしょうか。
(2014年8月24日)

内閣に靖国参拝を合憲と強弁させてはならない

百地章さんという憲法学者が、産経新聞に「中高生のための国民の憲法講座」という連続コラムを執筆しておられる。その第58講が8月9日掲載の「首相の靖国参拝をめぐる裁判」というタイトル。産経新聞のコラムだから、ご想像のとおりの内容。

産経を読ませられている中高生が哀れになる。「百地さんの説くところは、オーソドックスではないんだよ」「百地さんの言ってることを鵜呑みにするのは危険だよ」「少なくとも、反対意見があることを念頭に置いて、反対意見に耳を傾けるべきことを忘れないでね」と言ってあげたい。

ところで、このコラムの中に、明らかに私(澤藤)への反論が書かれている。

今年の4月6日、私は、当ブログに「百地先生、中学生や高校生に誤導はいけません」という記事を掲載した。産経の講座・第40講として「首相の靖国参拝と国家儀礼」と標題する百地章さんの論稿が掲載された翌日のことである。やや長文ではあるが、ぜひ次のURLをご覧になっていただきたい。5点にわたって、百地説を批判している。今回の百地コラムへの反論も、先回りして十分に書き込まれている。
  http://article9.jp/wordpress/?p=2403

読み返すと、かなりの辛口。再掲すればこんな調子だ。
「この方、学界で重きをなす存在ではないが、右翼の論調を『憲法学風に』解説する貴重な存在として右派メディアに重宝がられている。なにしろ、「本紙『正論』欄に『首相は英霊の加護信じて参拝を』と執筆した」と自らおっしゃる、歴とした靖国派で、神がかりの公式参拝推進論者。その論調のイデオロギー性はともかく、学説や判例の解説における不正確は指摘されねばならない。とりわけ、中学生や高校生に、間違えた知識を刷り込んではならない」

あるいは、
「この論稿を真面目に読もうとした中学生や高校生は、戸惑うに違いない。百地さんは、靖国公式参拝容認という自説の結論を述べるに急で、政教分離の本旨について語るところがないのだ。なぜ、日本国憲法に政教分離規定があるのか、なぜ公式参拝が論争の対象になっているのか、についてすら言及がない。通説的な見解や、自説への反対論については一顧だにされていない。このような、『中高生のための解説』は恐い。教科書問題とよく似た『刷り込み』構造ではないか。」

百地さんは、私のこのような辛口批判に対して感情的な反発をすることなく、反論を展開している。それが説得力あるものとして成功しているかはともかく、論争の姿勢には評価を惜しまない。私の批判を無視しなかったことにおいて、紙上で私の批判を紹介しつつ反論していることにおいて、私は見直している。

言論には言論をもって対抗すべきが当然である。私は表現の手段として当ブログをもっている。百地さんは産経新聞だ。産経・百地論説がまずあり、私がブログでこれを批判して、その批判にまた産経を舞台に百地さんが反論した。準備書面の交換という過程を通じて争点が煮詰まりやがて判決に結実するがごとく、言論の応酬は読み手に問題の所在を提示し深く考えさせ、成熟した判断に至らしめる。

産経に対抗しての当ブログ、現実にはその影響力の大きさは比較にならないが、社会に発信する手段を個人として有していることの意味は大きい。私も、個人として、このツールをもって「思想の自由市場」に参加の資格を得ているのだ。現に百地さんは私のブログに目を留めて、産経紙上で反論しているではないか。

私への反論というのは、2点についてである。

第1点は、判決文中の「傍論」の理解についてである。
「弁護士でありながらこのこと(傍論は判決(判例)とは言えません)をご存じないのか、それとも「中高生を誤導」するためなのか、『高裁レベルでは内閣総理大臣の靖国参拝を違憲と述べた判決は複数存在する』と強弁する人がいます。靖国訴訟や君が代訴訟などで原告側の代理人を務めてきた弁護士です。しかし、彼が挙げているのはすべて『傍論』です」

第2点は、愛媛玉串料訴訟大法廷判決の理解についてである。
「この弁護士はブログで、靖国参拝についての最高裁の判断はまだないが、近似の事件として公費による靖国神社への玉串料支出を違憲とした愛媛玉串料訴訟判決がある、ともいっています。」「この問題の判決を引き合いに出して、『首相の靖国参拝は違憲』との判決が期待できると主張しているわけです。本当でしょうか。

この弁護士は、私以外にはあり得ない。以上の2点についての再反論は、4月6日ブログで十分だと思う。

問題は次の点だ。
「最高裁判決が存在せず、しかも下級審でも違憲とされていない以上、第40講で述べたとおり、国の機関である首相が依(よ)るべきは『首相の靖国神社参拝は合憲』とする『政府見解』(昭和60年8月)と考えるのが自然です。これは旧社会党首班の村山富市内閣さえ踏襲し、現在の政府見解でもあるのですから。」

これは、安倍内閣の集団的自衛権行使容認論における言い分そのままである。「最高裁判決で違憲と判断されない限りは、私が憲法解釈の権限をもっている」というもの。この安倍政権の傲慢さに国民が警戒を始めた今、安倍政権に理性ある態度を求めるのではなく、さらなる暴走をけしかける役割を買って出ているといわざるを得ない。

しかも、愛媛玉串料訴訟大法廷判決は、靖国懇の答申のあとに出ているのだ。目的効果基準を適用してなお、13対2の圧倒的な評決で大法廷は違憲と判断した。これこそ判例としての解釈基準の設定である。傍論ではない。内閣は、憲法に縛られている立ち場にあることを重く受けとめねばならない。玉串料の奉納程度でも違憲とされた、と解しなければならない。国家と宗教との過度の関与として、この上ない首相の靖国参拝を合憲と、内閣自らが強弁するようなことがあってはならない。

下級審判決における違憲判断は傍論として斥け、大法廷判決は問題判決だから無視するという。これでは筋が通らない。結局は靖国参拝合憲と言いたいだけなのだ。安倍内閣も、百地教授も。
(2014年8月11日)

特攻隊員顕彰施設と靖国神社

わが国が集団的自衛権の行使を容認するとなれば、自衛隊は仮想敵とのシミュレーションをするだけではなく、現実の敵軍と交戦することになる。当然に、生身の人間の血が流れる。殺し、殺されることを覚悟しなければならなくなる。

自衛隊員が戦闘死したとき、どのように追悼の儀礼をするかが現実の問題となってくる。具体的には、「靖国神社に祀るべきだ」という議論が必ず起こってくる。これにどう対応すべきか。差し迫った問題となってくる。つまり、靖国問題とは、過去における軍国日本の歴史認識に関わるだけの問題ではなく、近未来の軍国日本の設計にも深く関わってもいるのだ。

もちろん、憲法20条3項(政教分離)の視点からは神式の葬儀も、戦没自衛隊員の靖国合祀など本来あり得ない。ましてや、憲法9条違憲の疑いが限りなく濃厚な海外の戦闘での戦没者についてのことではないか。しかし、「憎むべき敵の手によって犠牲となった同胞の霊」の取扱いに関する国民感情はセンシティブに過ぎてその赴くところを予想し難い。この国民感情の暴発が憲法の視点を吹き飛ばしてしまうことも、決してあり得ないではない。

だから、好戦安倍内閣が靖国参拝にこだわる必然性があり、時代の雰囲気がキナ臭くなるとともに靖国が注目されることになる。

なお、来年8月で敗戦70年となる。あちらこちらで、そのことを意識した回顧や記念の企画が進行を始めている。毎日新聞は、長期連載「戦後70年に向けて」を開始している。その最初のシリーズのタイトルが「出動せず」。創設60周年の自衛隊で何度か検討された治安出動が、結局命令されなかった背景を解説したもの。そして、その第2弾が「いま靖国から」。戦後70年を経たいまを考えるに際して、靖国問題を避けては通れないということなのだ。

本日がその連載の第25回。「修学旅行の『新顔』台頭」という見出し。連載は、ここ数回特攻死に対する評価をめぐる問題を取りあげており、特攻隊員顕彰施設への修学旅行が増加していることを報じている。

「戦後の学校で平和教育といえば、戦争の悲惨さを知って『二度と戦争をしてはならない』と学ぶことだった。広島・長崎・沖縄が修学旅行の名所となったのも、被爆と沖縄戦が究極の戦争体験だったからだろう。

 しかし、広島・長崎への修学旅行は戦後50年(95年)をピークに減少期に入った。総数は及ばないが、21世紀に台頭したのが広島県の呉市海事歴史科学館『大和ミュージアム』と知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)である。大和も帰還予定のない戦艦特攻だった。特攻が、原爆や地上戦に代わる平和教育の『主役』になろうとしているかのようだ。

 特攻の展示が強調するものは、理不尽・悲惨・人道・反戦よりも、純粋・勇敢・忠誠・殉国・美・愛である。出撃地は、隊員のりりしい笑顔、白いマフラーや花や人形で飾られ、乱れのない美しい遺書が整然と並ぶ。むごい死に様は遠い海のかなた。清らかな「聖地」で説く道徳的な戦争は、子どもたちに平和へのどんな意志を植え付けるだろうか。」

現実の戦争は理不尽で悲惨極まるものである。広島・長崎・沖縄は、その理不尽と悲惨とを象徴する場所。その現地での悲惨の追体験は、戦争を絶対悪とする人道を培い、再びの戦争を忌避する強い反戦の思想と感性を育むことになるだろう。

しかし、「特攻遺跡」の見学において展示によって強調されるものは、理不尽や悲惨よりは、純粋・勇敢・美・愛などの美徳であるという。子どもたちに植えつけられるものは、戦争を悪とする人道や反戦意識ではない。殉国の美しさであり、国家ないしは共同体への忠誠を道徳として内面化することである。

実は、特攻に限らない。軍人軍属の戦没者を合祀する靖国神社の思想が、このとおりなのである。戦死を理不尽で悲惨なものとしてはならないというのが、靖国の理念である。現実の戦争が、いかに理不尽で悲惨極まるものであっても、英霊となって天皇の神社に祀られた以上は、純粋・勇敢・美・愛などの美徳で飾らねばならない。ここは、死者を追悼する場ではなく、死者を顕彰する場なのだ。決して、戦争を悪とする人道や反戦意識を培ってはならない。むしろ意識的に狙っているのは、殉国の美しさであり、国家ないしは共同体への忠誠を道徳として内面化することなのだ。

同じものも、見方で訴えるものが違ってくる。戦争の遺品の展示は、展示の仕方次第で戦争の悲惨を語りもし、また純粋にして勇敢な兵士の英雄的行為を語りもする。

わが国が戦争というカードを切る権利を公言し、政策の選択肢として戦争を排除しないことを明確にしつつある今日、戦死者がでたときの準備の一環としても、また軍国主義的気風を育てるためにも、靖国は重要な役割を演じることになる。

やはり、修学旅行先は、正しく選ぼう。戦争の栄光やロマンを追ってはならない。自己犠牲を英雄視してもならない。広島、長崎、沖縄、そして東京大空襲の悲惨の実態をこそ学ばねばならない。あるいは、東京夢の島の「第五福竜丸展示館」に足を運ぼう。戦争や核の醜さ悲惨さと、これを繰り返すまいとする人道と反戦の営みに接することができる。
(2014年7月5日)

寄席で考える政教分離

梅雨の晴れ間。久しぶりの池袋演芸場昼席。取り立ててお目当てがあったわけではないが、柳家さん喬が出ていた。これは儲けもの。「替わり目」の一席だったが、志ん生の「替わり目」とは違う、独自に練りあげたさん喬の世界が現出した。

寄席に出掛けて、来なきゃよかったと悔やんだことはない。芸人たちのプロとしての水準にいつも感心させられる。とりわけ今日は良かった。鈴本とは違った小さな小屋。演者と客との距離が近い。プロといえども、的確な客の反応に乗せられないはずはない。庶民が作りあげ、支えてきた確かな文化のかたちがある。

プロの演者がいて、何千という演目があり、定席がある。そしてなによりも、カネと時間を惜しまず寄席に足を運ぶ庶民がいて作りあげられている文化だ。一朝一夕にできあがったものではない。客の好みで噺は淘汰され、また新しく生まれてくる。落語を愛する庶民が健在である限りプロの噺家の輩出が途絶えることはない。今日の演者も介護士から転職したと自分を語った二つ目。就職列車で新潟から上京してきたことを語ったベテラン。噺家の個性は実に豊かだ。そして演目の重なりはない。漫才や切り紙などの色物も楽しかった。落語万歳。寄席の未来に幸あれ。

本日トリを執ったのは歌武蔵。ドスの利いた声で「ただいまの勝負について申しあげます」との開口一番で客を湧かせた。元は、武蔵川部屋の力士だったという変わり種。四股名は森武蔵だったとか。

長いマクラのあとに巨体の迫力が演じたネタは「宗論」だった。メジャーな噺ではないが、寄席にはよくかかる。今日の歌武蔵の宗論も出来のよい爆笑の連続。
原型は、真宗と法華の「宗論」を題材とした古典落語なのだという。それが、ご存じのとおりの、真宗門徒の大旦那の父親と、キリスト教信者の若旦那の熱烈な「宗論」に改作されて今日に至っている。信仰の対立は、伝統文化と新興文化の対立でもある。そして、「古い父親」と「新しい息子」の対立という図式。

父親が阿弥陀信仰のありがたさを語るが息子の耳にははいらない。替わって、息子がキリストのありがたさを語るのだが、これがかなりきついキリスト教への揶揄となっている。釈迦も阿弥陀もそしてキリストも、現代日本の文化の中では、安心して揶揄できるというお約束。仏教もキリスト教も成熟し、批判や揶揄を許容する寛容さをもつに至っている。

未熟な人や団体や文化は、批判や揶揄に過敏であり非寛容である。今日の池袋演芸場の客席にも門徒も信者もいたのであろうが、おそらくは他の客と一緒に笑うことができたであろうと思う。

しかし、「宗論」のレベルで、マホメットやイスラム教を揶揄することができるだろうか。筑波大学構内での「悪魔の詩訳者殺人事件」を思い出してしまうのは偏見だろうか。日本を離れた世界の各地で、宗教対立は想像を絶する深刻さ。

宗教・宗派の対立は実に厄介な問題。政治がこれに介入してはならない。宗教と権力とはお互いに相寄って利用し合おうとする衝動をもっている。この接近を許してはならないとするのが政教分離原則である。

「宗論」のストーリーでは、父親は、阿弥陀信仰を理解しようとせずキリストの教義を言い募る息子に業を煮やして殴りつける。息子は、いったんは「右の頬をおぶちになりましたね。左の頬もどうぞ」と言うのだが、「お父さん、本当に左の頬までやりましたね。もう我慢できない」と修羅場になってしまう。これは親子の間だからこその笑い話。権力が息子の信仰を弾圧したのでは、落とし噺にも、シャレにもならない。それこそシリアスなキリシタン弾圧の歴史物語。キリスト教への弾圧や社会の偏見がごく小さくなって初めて、「宗論」という落語が成立することになったと言えよう。

それにしても、真宗とキリスト教、どちらが正しいかなど論証不可能な世界での論争の行きつくところを示すストーリー展開である。お互い、相手よりも優越していることの説得などできはしないのだ。あの宮沢賢治でさえも、父親政次郎を真宗から日蓮宗に改宗させようと努力して、できなかった。第三者としては、どちらの信仰も尊重するとしか言いようがない。

「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」というフレーズが出てくる。これは、当事者に対する戒め。第三者としては、「宗論のどちらに加担しても憎まれる」「触らぬ神に祟りなし」とするしかない。とりわけ権力者には、これが肝に銘ずべき教訓だ。

爆笑の中で、政教分離を考えさせられた「宗論」であった。
(2014年6月22日)

大江志乃夫著「靖国神社」の成り立ち

本日は書籍の紹介である。私はこの岩波新書の一冊に、思い入れが強い。教えられることが多くて読み返しているというだけではない。30代後半から40歳になった当時の思い出と結びついたものとして大切にしている。私は、この書が私のために書かれたものと信じているのだ。

私が盛岡に在住して岩手靖国訴訟に取り組んだときに最初に繙いた靖国関係書籍は、村上重良の新書3部作「国家神道」「慰霊と招魂」「天皇の祭祀」であった。著述の論旨は明快で、説得力に富む。法廷ではこの著者の証言を得たい、そう願って「政教分離を監視する会」の西川重則さんの紹介で実現した。

同時に箕面忠魂碑訴訟での大江志乃夫さんの証言の評判を伝え聞いて、どなたか依頼の伝手がないかと思っていたら、これも西川重則さんが了解を取ってくれた。西川さんというのは、不思議な力をもった方。

1983年の夏、一審盛岡地裁で集中的な証人尋問。両証人とも尋問は私が担当した。打ち合わせのために、私は東京の村上宅にも、茨城県勝田市の大江宅にも何度かお邪魔した。村上証言は、「慰霊と招魂」の内容を基礎に証言のストーリーを組み立てたが、大江証言には、拠るべき適切な「台本」が当時なかった。

大江さんとの打ち合わせの冒頭に、「限られた時間での証言だけでは不十分だと思うので、実は、陳述書をつくっている」とのお話しがあった。「途中までできている」とのことで拝見した。当時出回り始めたばかりの「ワープロ」で作成されたものだが、その浩瀚さに驚いた。

分厚い陳述書の完成稿が法廷に提出されて、証言とその後の主張の種本となり、その陳述書が体裁を整えて岩波新書「靖国神社」となった。その間の経緯は、同書のあとがきに書き込まれている。この書が、「私のために書かれたもの」と思い込んでいる理由である。

その後も大江さんご夫妻には、度々盛岡に足を運んでいただき、岩手靖国訴訟と地元の政教分離運動へのご支援をいただいた。陸軍軍人(大江一二三大佐)の家庭に生まれ、自らも陸士にはいった大江さんの、旧軍に関するお話しは貴重であるだけでなく、実におもしろかった。

大江「靖国神社」を通じて、歴史家大江志乃夫から学んだことをいくつか書き留めておかねばならないが、その最大のものは、近代天皇制の権威の由来である。

同書に次の記載がある。
「世界史的な一般論としていえば、絶対君主による封建国家の統一事業は、おおむね最大最強の封建領主が他の封建領主を打倒することによって達成される。日本の場合、明治維新の変革による新しい統一国家樹立のための権力の中心が、なぜ、たとえば徳川将軍家ではなく、天皇でなければならなかったのか、あるいは天皇でありえたのか。
所領700万石の徳川将軍家にくらべれば、天皇家はせいぜい10万石の小大名程度にすぎなかった。しかも、徳川将軍家自身が絶対君主の地位につくことをめざしていたのに対抗して、その天皇家が、なぜ新統一国家の権力の中心の地位につくことができたのか。天皇を絶対君主制的特質を特った権力の座に押しだしたものは何か。
天皇家は権力を掌握するに必要な固有の物理的な力をいっさい特っていなかった。徳川時代の天皇は、軍事力はもちろん、儀礼的で形式的な叙位・叙任権などを除いては、政治的権限もいっさい特っていなかった。民衆の大部分は、将軍や殿様の存在については知っていても、天皇の存在については知らなかった。天皇は、新統一国家の権力者になるために必要な経済的・軍事的・政治的・社会的基盤のすべてを特っていなかった。
日本をめぐる内外の情勢は切迫し、国家統一は緊急の課題となっていた。当時の日本における最大の政治的・軍事的権力者であった徳川将軍家を単独で打倒して国家の統一者となることができる力を持った大名はいなかった。幕藩体制を廃止して新統一国家を建設する事業は、徳川幕府自身が武力を行使して諸藩を廃止するか、有力諸藩が連合して幕府を打倒するか、いずれかの道によるしかなかった。この対抗関係が成立するための有力諸藩の連合には、連合の象徴が必要であった。その象徴とされたのが、天皇であった。このことは、幕末のいわゆる勤王の志士たちが、天皇を「玉」と呼んでいたことからも知られる。
天皇はなぜ「玉」=倒幕諸藩の連合の象徴となることができたのか。最大の権力者であった幕府が持っていないもの、すなわちイデオロギー的および宗数的権威を持っていたからである。とくに、天皇は、幕府の政治的支配をささえてきた儒教イデオロギーの名分論において論理的に優越した地位を持つとともに、幕府の民衆支配の思想的手段とされてきた仏教に対抗することができる宗数的地位を保持していた。儒数的名分論は幕藩体制の支配身分である武士階級にたいして有効なイデオロギー的手段であったし、仏教に対抗することができる宗数的地位は民衆にたいして有効であった。」

非常に分かりやすい。「勤王の志士」たちが、天皇を崇敬していたわけではない。もっと冷徹に「玉」としての天皇について徹底的な利用を企図し、現実に利用し尽くしたのだ。そのためのイデオロギーとして、武士に対しては儒教的名分論が、民衆に対しては神道が有効だった。

こうして、天子としての宗教的権威を基底に、政治的には統治権の総覧者である天皇は、軍事的には大元帥ともなった。この三層構造としての天皇理解は、あの夏以来揺らぐことはない。

再び、同書から引用する。
「政治的権力者を表現する意味での天皇は、宗数的権威としての「天子」であることによってのみ天皇でありうる。しかし「天子」が天皇となるためには、権力をささえる物理的手段の独占的所有者つまり軍事力の独占者でなければならなかった。こうして夫皇の軍事的側面をしめすもうひとつの名称、大元帥が必要となる。天子は、大元帥であることによって天皇でありうる。」

こうして、三位一体としての「天子」と「大元帥」と「天皇」が成立する。この構造を理解することが、戦後の日本国憲法体制を理解することに不可欠なのだ。天皇という構造のどの部分が廃棄され、どの部分が残ったのか。不徹底な「革命」は、天皇を象徴として残存した。しかし、その象徴を再び宗教的権威をもった「天子」にしてはならない。その歯止めが、政教分離である。

今はなき、大江志乃夫さんを偲びつつ、遺された書物を精いっぱい生かしたいと思う。とりわけ、私のために書いていただいた「靖国神社」を。
(2014年6月5日)

安倍首相の「真榊」奉納も違憲である。

本日(4月21日)からの3日間が靖国神社の春季例大祭。春秋の例大祭は、靖国神社でもっとも重要な祭事とされる。期間中の主行事が「当日祭」、「この日には、天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物(御幣物)が献じられ、御祭文が奏上されます」とのこと。その例大祭に、安倍首相は参拝はあきらめ、内閣総理大臣の肩書きを明記して真榊を奉納したという。真榊料5万円の支出は明らかに違憲だ。

靖国神社の例大祭の起源は、1869(明治2)年9月、兵部省が東京招魂社の祭典を定めた時に遡る。その際には、正月3日(伏見戦争記念日)、5月15日(上野戦争記念日)、5月18日(函館降伏日)、そして9月22日(会津降服日)の4日であった。要するに、例大祭のルーツは戊辰戦役での官軍戦勝の記念日であった。戦没者の慰霊よりは官軍の戦勝を記念するという靖国神社の基本性格をよく表している祭りの日の定め方。賊軍とされた側にとっては不愉快極まりない日程の決め方なのだ。

1879(明治12)年東京招魂社が改称して別格官弊社靖国神社に列格した際に、例大祭日は5月6日と11月6日の年2回と改められた。11月6日は会津降服日の太陽暦への換算の日である。5月6日の方は、その半年の間隔を置いた日。政府と靖国神社の、内戦における官軍戦勝へのこだわりが良く見える。会津の人々にとって、また、奥州羽越列藩同盟に参加した31藩の「敗者」側の人々にとって、靖国は飽くまで勝者の側だけの軍事的宗教施設であった。

その性格が変わるのが、日清・日露の戦役を経て後のこと。1912(大正元)年に、陸・海軍省は靖国神社の例大祭を4月30日(日露戦争勝利後の陸軍大観兵式記念日)と10月23日(同じく海軍大観艦式記念日)に改めた。ここに、軍事施設としての靖国神社は、内戦の軍隊に対応する宗教施設から、侵略戦争の軍隊に対応する施設に様変わりした。

さすがに戦後の宗教法人靖国神社が陸海軍の記念日をそのまま例大祭の日とすることは憚られたものか、現在の春秋の例大祭は、4月21日?23日と10月17日 ?20日となっている。

安倍首相は、その靖国神社春季例大祭に、「内閣総理大臣安倍晋三」と肩書きを付して、真榊料5万円を奉納し、真榊を献納したという。

本日の共同通信配信記事。
「安倍晋三首相は21日、東京・九段北の靖国神社で同日から始まった春季例大祭に合わせ『内閣総理大臣 安倍晋三』の名で『真榊』と呼ばれる供物を奉納した。昨年末に参拝したばかりである上、23日に来日するオバマ米大統領が日本と中韓両国との関係悪化を懸念していることに配慮し、参拝は見送る方向だ。田村憲久厚生労働相や伊吹文明、山崎正昭衆参両院議長、日本遺族会会長を務める尾辻秀久元厚労相も真榊を納めた。
首相は昨年春と秋の例大祭でも真榊を奉納した。今回も同様の対応を取り、靖国参拝に反対する中韓両国と、自らの支持基盤である保守層の双方に配慮する」

朝日の記事
「安倍晋三首相は21日、靖国神社で始まった春季例大祭に神前に捧げる供え物「真榊」を「内閣総理大臣 安倍晋三」の名前で奉納した。閣僚ではこのほか、田村憲久厚生労働相も真榊を奉納した。
 安倍首相は、中韓両国との関係や、日本と近隣諸国の不安定化を懸念する米国に配慮し、23日までの春季例大祭中の参拝は見送る方針。オバマ米大統領の来日を23日に控えていることも影響したとみられる。神社によると、真榊料は5万円で、21日までに納められたという。
 菅義偉官房長官は21日午前の記者会見で「首相の私人としての行動に対して政府として見解を述べる事柄ではない。(日米)首脳会談にまったく影響がない」と述べた。
 首相は昨年の春、秋の例大祭にも真榊を奉納している。就任から1年たった昨年12月26日には、靖国神社に参拝し、中国や韓国から非難を受けたのを始め、米国からも「失望」を表明され、外交上の問題になっていた。
 首相は閣僚の靖国参拝を「自由意思」として容認している。今月12日には新藤義孝総務相、20日には古屋圭司拉致問題相がそれぞれ参拝した。」

いずれの記事も、海外からの批判に配慮して、「正式参拝したいところを我慢して、真榊奉納にとどめた」とのニュアンス。しかし、「正式参拝は問題だが、真榊奉納なら違憲の問題は起きない。海外からの批判も避けることができる」というわけではない。むしろ、公式参拝の違憲性については、最高裁の判例はないが、金銭の奉納については最高裁大法廷判例が明確に禁じているところ、とも言えるのだ。

サカキとは、モッコク科サカキ属の常緑樹。常緑樹には、ヨリシロとして神が宿るという信仰があって、神事に用いられる。「榊」という国字もそこから生まれた。榊立を用いて神前に捧げられる。

本来、真榊とは神前に供えるサカキのこと。靖国神社では、春と秋の例大祭でのみ、真榊の奉納を受けつける。安倍首相は第1次内閣の2007年も、昨年の春秋の例大祭でも真榊を奉納した。

愛媛県知事の靖国神社玉串料奉納を憲法の政教分離原則に違反するとした歴史的な愛媛玉串料違憲訴訟における最高裁大法廷の違憲判決(1997年4月2日)がある。玉串料も真榊料も、宗教団体への宗教的な意味合いを付された金銭の奉納である点では同じだが、玉串料よりは真榊料の方が習俗化から遙かに遠く、宗教的な色彩が濃厚と言わざるを得ない。

ちなみに、玉串料訴訟判決の15人の最高裁裁判官の意見分布は違憲13対合憲2だった。反対にまわった守旧派裁判官の名は覚えておくに値する。三好達と可部恒雄。とりわけ、当時最高裁長官だった三好達。いまは、右翼団体の総帥、「日本会議」の議長である。「最高裁長官」だからといって、超俗の公平無私な人格をイメージしたら大間違い。所詮は、俗の俗、偏頗の極み、右翼の使い勝手のよい人物でしかない。

愛媛玉串料訴訟の事案と、安倍真榊料奉納とを比較してみよう。
寄付者は、愛媛県知事と首相。
寄付を受ける者は、両者とも宗教法人靖国神社。
寄付の名目は、玉串料と真榊料。
寄付金額は、愛媛県知事が9回で合計4万5000円、安倍首相が1回5万円。

「玉串」と「真榊」の何たるかについての穿鑿は大きな意味をもたない。「賽銭」「献金」「布施」「供物料」「初穂料」「神饌料」「幣帛料」‥、何と名付けようとも。宗教的な意義付けをした金銭の授受があれば、愛媛玉串料訴訟の目的効果基準の法理が妥当する。

残る問題は、愛媛の事件では、玉串料は露骨に公費からの支出であった。これに対して、安倍首相や政府は、「真榊料の支出は私費から」「だから私的参拝」と言っているそうだ。しかし、麗々しく「内閣総理大臣安倍晋三」と肩書きを付した真榊がその存在を誇示している。

純粋に私的な参拝というためのメルクマールとしては、三木内閣の靖国神社私的参拝4要件がある。「公用車不使用」、「玉串料を私費で支出」、「肩書きを付けない」、「公職者を随行させない」というものである。仮にポケットマネーからの真榊料5万円の支出であったとしても、明らかに、他の3要件ではアウトだ。

政教分離原則が求めているものは、政権と靖国神社との象徴的紐帯の切断である。靖国神社という特定の宗教団体が国から特別の支援を受けているという外観を作出してはならないのだ。靖国は国を利用してはならないし、政権も靖国神社信仰を利用してはならない。相寄る衝動をもつ両者だが、真榊料奉納を仲介とした結合を許してはならない。

折も折、本日東京地裁に273人の原告が安倍靖国参拝違憲訴訟の提訴をした。昨年12月の安倍首相の靖国神社参拝という違憲行為によって、それぞれの宗教的人格権や平和的生存権が侵害されたという訴え。1人当たり1万円の損害賠償と今後の参拝差し止めを求める内容。同種裁判の提起は4月11日の大阪(原告数546名)訴訟の提訴に続くもの。

安倍憲法破壊内閣に、靖国参拝違憲の判決を突きつけてやりたいものである。そして、同様の法理は参拝だけではなく、真榊料の奉納にも妥当するのだ。
(2014年4月21日)

「安倍靖国参拝違憲訴訟」提訴への中国での反応

サーチナというインタネットメディアがある。かつては「中国情報局」と言っていた。その名称は、サーチ (search) とチャイナ (china) を重ねた造語だという。中国の情報を主とするものだが日本語のメディア。そのメディアに昨日(4月15日)掲載された日本人記者の署名記事を知人からの転送で知った。内容は、大阪と東京の安倍靖国参拝違憲訴訟に関するもの。提訴の内容ではなく、提訴に対する中国人の反応を主としたもの。

タイトルは、「安倍首相の参拝差し止め訴訟、『首相を訴えることができるなんて嘘だろ?』の声=中国版ツイッター」というもの。記事全文は以下のとおり。

「第2次世界大戦の戦没者遺族や市民などが11日、安倍首相による靖国神社への参拝は違憲であると主張し、参拝の差し止めや、原告1人当たり1万円の慰謝料を求める訴えを大阪地方裁判所に起こした。華商網が報じた。

報道によれば、戦没者遺族や市民らは、安倍首相の靖国神社参拝は「憲法が保障する国民の平和的生存権を侵害している」とし、「戦争を美化する行為である」と主張している。また、報道によれば東京でも別の原告らが同様に訴えを起こす予定だ。

日本の首相による靖国神社参拝に対し、中国では非常に強い反発が起こることが常だが、日本の市民団体が安倍首相を訴えたことを中国人ネットユーザーはどのように感じたのだろうか。

簡易投稿サイト・微博に寄せられたコメントを見ると、『一部の日本人が良心的であることが分かった』など、日本国内から靖国神社参拝の差し止めを求める動きが見られたことを評価するユーザーが見られたが、中国人ユーザーの反応で目立ったのは“一国の首相を訴えることができること”に対する驚きの声だった。

確かに、時の権力者を訴えるなどと言うことは中国ではまずあり得ないことだ。そのため「中国の人民は高官を訴える勇気があるだろうか」、「首相を訴えることができるとはすばらしい!」などのコメントも寄せられ、非常に驚いている様子が見て取れた。

なかには「日本では民衆が首相を訴えることができるのか? 裁判所は受理するのか? これは嘘の報道じゃないのか?」というコメントまであった。

多くの中国人ユーザーが今回の訴訟を通じて、日中の政治体制や制度の違いを認識したことは間違いなさそうだ。中国には「陳情」と呼ばれる直訴システムがあるものの、陳情しても解決されないケースも多いと言われており、首相さえ訴えることができる日本の体制を羨んでいる様子を感じることができた。」

たいへんに興味深い。この記事で報じられている中国人の反応のひとつが、靖国違憲訴訟の提訴行動を通じて、『一部の日本人が良心的であることが分かった』という肯定的評価をしていることである。これは、貴重な収穫だ。

政府間の関係がこじれているときほど両国民の信頼関係形成が重要だ。おそらく中国人の目からは、日本人全体が安倍色に染まった均一の集団と見えているのだろう。しかし、実際はそうではないことを知ってもらうことが大切だ。我々も、中国が一色であるはずのないことを知らねばならない。

中国人・韓国人を原告として日本の各地の裁判所に提訴された数多くの戦後補償訴訟があった。原告となったのは、従軍慰安婦とされた人、炭坑や軍需工場に強制連行された人、大量虐殺された事件の奇跡的な生存者、遺棄毒ガスの被害者等々の「皇軍の残虐行為の生き証人」であった。重慶爆撃訴訟など、まだ係属している訴訟もある。中国や韓国の戦争被害者を支援し、その被害救済の訴訟を支えた多くの日本人の活動を誇りに思う。このような運動こそが、真の日中、日韓の友好の基礎となり、国民間の強固な信頼関係形成の土台となりうる。

日本国憲法は、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、…この憲法を確定する」と宣言している。戦争の惨禍に向かいあうことこそ、憲法を大切に思う国民の責務である。その戦争の惨禍は、被害と加害の両面がある。加害責任に目をつぶらず、被侵略国の民衆の被害に寄り添うことは、なによりも不再戦の決意を新たにすることである。そして、それだけでなく、国境や民族を超えた人間としての連帯感を築く交流であって、やがて国家を克服することにつながる展望を切り開く質をもつものと思う。11日提訴の大阪訴訟と、21日提訴予定の東京訴訟がともに、法廷内だけではなく、国内外の世論に大きな影響を及ぼす成果をあげることを願う。

もうひとつ。中国の多くのネットユーザーが、「一国の首相を訴えることができることに驚いている」というニュースには、こちらが驚かざるをえない。そもそも司法本来の役割は、国家権力の横暴によって侵害された人権を救済することにあるのだから。国家や国家機関の高官を訴えられないでは司法ではない。

韓国では、国民が裁判所に政府高官を訴えたとて驚く人はない。韓国の憲法裁判所は、政府批判の提訴で溢れており、判決もその期待に応えている。

理屈の上からは、立法や行政が国民の人権に冷淡であるときにこそ、司法が人権救済機関としてその役割を果たすべく期待される。しかし、現実には、立法や行政の「民主化」の進んでいない社会では、司法も十分な機能を果たし得ない。軍政時代の韓国の裁判所は、政府に不利な判決を書けなかった。政治と社会の民主化が進んで、憲法裁判所も大法院(日本の最高裁に当たる最上級司法裁判所)も、ともに人権擁護の機能を果敢に果たしつつあり、間接的に立法や行政にも大きな影響力をもつ存在となっている。日本の裁判所の判断の臆病さに歯がみすることが多い私などには、羨望の的である。

中国の現状は、民主主義の成熟度において未熟といわざるを得ない。国家だろうが幹部だろうが党であろうが、あるいは企業であろうが、あらゆる段階の権力の横暴が人権を侵害すれば、司法の判断に服さねばならない。そして、司法の判断は尊重されなければならず、侵害された人権は救済されなければならない。

この点についても、安倍靖国参拝違憲訴訟が、瞠目の成果を上げることができるよう切に期待する。
(2014年4月16日)

「安倍靖国参拝違憲訴訟」提訴は、4月11日大阪・4月21日東京。

「安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京ニュース」の「第0号」をメールで送信いただいた。提訴前の準備段階なので「0号」なのだろう。A4・4頁の立派なレイアウト。会の熱意と意気込みが伝わってくる。支援と激励の立ち場を明確にして、内容をご紹介したい。

第1ページが、会の事務局長による「提訴します」宣言。2頁に原告代表の関千枝子さんが「わたしはなぜ原告になったか」の記事。そして、3頁に弁護団の2名の弁護士が「司法の場でともに闘う決意」を述べている。4頁が提訴スケジュールと、4月21日当日の提訴報告集会の呼び掛け。また、大阪からの「先陣を切っての提訴」予定の報告もある。

大阪の提訴は、明日(4月11日)の予定。下記のURLに、以下のお知らせがある。
http://www.geocities.jp/yasukuni_no/

「安倍首相靖国参拝違憲訴訟・関西」いよいよ提訴!
4/11 訴訟団出発集会!
安倍内閣の戦争国家推進の前に立ちはだかろう!!
関西第一次訴訟団=原告団・弁護団・サポーター、圧倒的“元気”で出発です。
「靖国の亡霊」を生かしてはならない。二度と靖国の神にされてはたまらない!

2014年4月11日・スケジュール
2:45大阪地方裁判所正面玄関前集合
提訴3:00?  提訴後記者会見
訴訟団結団・提訴報告集会
日時4月11日(金)6時30分?
場所エル大阪・南館102号(地下鉄・京阪「天満橋」西300m)
引き続き 二次訴訟原告 募集中

そして、東京の提訴は、4月21日の予定。こちらは「安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京」が立ち上げた下記のホームページに、「原告になりませんか」という呼びかけがあり、訴訟委任状のダウンロードもできる。
http://homepage3.nifty.com/seikyobunri/

安倍首相の靖国神社参拝が憲法違反であることを確認する訴訟に加わりませんか?
原告を募集しております。原告は無理という方は、支援者になることも出来ます。

「ニュース・0号」の末尾、提訴報告集会への参加呼びかけ文を転載する。
 2013年12月26日、安倍晋三首相が靖国神社を参拝しました。
 礼装し、公用車で靖国神社に向かい、「内閣総理大臣安倍晋三」と記帳し、正式に昇殿参拝しました。これは公式参拝であり、日本国憲法20条(政教分離)に明らかに違反をしております。
 2014年4月21日に、170名以上の原告が具体的な形で安倍首相に批判の声を届けるべく、安倍靖国参拝違憲訴訟を東京地方裁判所へ提訴します。
 この訴訟は違憲を確認し、将来にわたる公式参拝差し止めを求める裁判ですが、「政教分離」だけでなく、平和的生存権はもちろん、「秘密保護法」成立の強行、「集団的自衛権」「武器輸出」推進、その他社会全般に及ぼうとしている安倍内閣の危険な政治を総合的に問う訴訟になればと願っています。
 提訴の日はアメリカよりオバマ大統領が来日する前日に当たります。また靖国神社でもっとも重要な祭事である春季例大祭の初日に当たります。この国が人の住むにふさわしい平和な国になるように、平和憲法を護り世界の平和の先頭に立つ国になるように、訴訟団(原告、支援者、弁護団)一同、思いを一つにして勝利したいと願い、その戦いを東京から世界へと発信します。
 つきましては、その気持ちを分かち合うべく提訴の日に、呼びかけ人・弁護団と共に報告集会を持とうと思います。
 万障繰り合わせの上、お越しいただきたくお願いいたします。
 原告以外であっても関心ある方はぜひご参加くださり、皆様の共なる連帯を願っています。
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 原告第2次募集のお知らせ
 2014年4月1日より、原告第2次募集をします。応募要領は第1次と同じです。委任状も同じもので結構です。ご応募ください。

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安倍首相の靖国神社参拝が、公的資格において行われたもので、目的効果基準によっても、政教分離原則に反するものであることは自明と言ってよい。

周知のとおり、最高裁判例は厳格分離説を採らず、相対分離を前提として、目的効果基準にもとづく「国家および地方公共団体に禁じられる宗教的活動」の範囲を明らかにしようとする。不満は残るところだが、訴訟実務においてはこの枠組みを受容せざるをえない。その最高裁判例の立ち場からも首相の靖国参拝は明らかに違憲なのだ。

目的効果基準において許容されない国の宗教的活動とは、「当該の行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進、又は圧迫、干渉になるような行為」である。

安倍は、神道という宗教の特定宗教施設である靖国神社において、拝殿に昇殿して、祭神と宗教的な意味付けをされた礼拝対象に対し、宗教専門職の神官に先導されて、神道形式の作法に則って礼拝をしている。これが、「目的が宗教的意義をもち」の要件を充足していることは明らかだ。仮に、安倍が参拝の目的は「戦没者遺族の心情の慰藉という世俗的なもの」と弁明しても、宗教的意義を排除することにはならない。

また、安倍が首相として、靖国神社に参拝することの効果は、宗教法人靖国神社を国家に特別な結びつきあるものとするものであって、象徴的意味において、靖国神社を、援助、助長、促進することになり、反面他の宗教や宗教団体を、圧迫、干渉することになるものである。この点も、極めて明白である。

提訴の目的は、なによりも安倍参拝の違憲性を明確にすることにあろう。大阪からの記事の抜粋だが、「これまで、中曽根首相靖国参拝違憲訴訟では福岡高裁で『継続すれば違憲の疑い』があると指摘され、小泉首相靖国参拝違憲訴訟では福岡地裁で「憲法違反」の判決が出ています。また、大阪でも、2006年9月30日小泉首相靖国参拝訴訟(二次訴訟・台湾原住民が原告として提訴)で、高裁段階で初の違憲判断を示しています」。

安倍参拝によって各原告が侵害された法的保護に値する利益とは、まずは「宗教的人格権」である。「静謐な宗教的環境のもとで信仰生活を送るべき法的利益」と構成された宗教的人格権は、自衛官合祀拒否訴訟の一・二審において、法律上保護に値する利益として認められている。しかも、今回提訴では、安倍の憲法総体に対する攻撃の一環としての靖国神社参拝の位置づけにふさわしく、平和的生存権その他の被侵害利益構成の工夫があるはず。

原告団と弁護団の皆様に、敬意とエールを送りたい。
(2014年4月10日)。

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