世論調査では都知事選での小池百合子優勢が伝えられているが、この人の何が都民にとっての魅力なのか理解に苦しむ。石原慎太郎よりは猪瀬が少しはマシかと思い、石原後継の呪縛から逃れがたい猪瀬よりも舛添が数段マシだろうとも思った。しかし、小池は最悪だ。また、振り出しに戻って、暗黒都政の再来となりかねない。
本日の赤旗が、小池百合子の国旗国歌に対する姿勢を取り上げている。「沖縄での『国旗』『国歌』扱い攻撃」「強制とたたかう人々非難 小池百合子都知事候補」という見出し。その記事の全文を紹介しておきたい。
「東京都知事候補の小池百合子元防衛相が、2013年5月26日に自民党本部内で行った講演で、沖縄県内での「国旗」「国歌」の扱いを批判し、沖縄タイムス、琉球新報の論調を攻撃していたことが分かりました。
講演は、改憲右翼団体「日本会議」と連携して改憲や「教育再生」を主張する「全国教育問題協議会」が主催した「教育研究大会」で行ったもの。
当時自民党広報本部長だった小池氏は『日本の教育を変えていく最大のポイントはメディアにある』と主張。サンフランシスコ平和条約が発効した1952年4月28日を記念して安倍政権が政府主催の「主権回復の日」式典を開催したことに関連し、4月28日を祝日にすべきだと述べつつ、沖縄の2紙が同日を「屈辱の日」だとする論調で報じたことを批判しました。
その上で、『沖縄では国旗が非常に粗末に扱われ、国歌でさえまともに歌われていない』『国歌は当然のことながら、大切に手を胸に当てて歌うものだ。それを立つの、立たないのと裁判をしているような国は私は聞いたことがない。これらをあたかも正当化するような報道をし続けているのがメディアだ』などと、「国旗」「国歌」強制を当然視する発言を繰り返しました。
小池氏の発言は、沖縄戦で悲惨な被害を出し、戦後もサンフランシスコ平和条約で本土から切り離され、米国の支配や基地問題に苦しめられた沖縄の人々への攻撃であり、憲法が保障する思想信条の自由に基づいて「国旗」「国歌」の強制とたたかう全国の人々まで攻撃するものです。」
国旗国歌は国家の象徴である。個人が、国家をどう認識するかが、そのまま国旗国歌にどのように接するかの態度としてあらわれることになる。国家を大切に思う人は、国旗国歌を大切に扱えばよい。国家一般を、あるいは現政権が運営する国家を、個人の自由の敵対者だと思う者は、国旗国歌に抗議の意志を表明することになる。これは、純粋に思想の自由の問題であり、自由な思想を表現する自由の問題である。
問題は、国旗国歌を尊重する思想を強制したいという「お節介で、困った人びと」が、国旗国歌を大切に扱うよう他人の行動に介入しようということだ。典型的には、戦前の国防婦人会の面々の如くに。この「お節介で、困った人びと」が権力を握ると、「恐るべき超国家主義国家」への歩みが始まることになる。小池百合子は、そのような歩みを進める危険な政治家ではないか。
価値観の多様性への寛容は民主主義社会の中核に位置する。国家に関する価値観の自由はさらにその根幹に関わる。国旗国歌に対する姿勢における寛容度は、その国や社会の民主主義到達度のバロメータと言ってよい。
「国歌は当然のことながら、大切に手を胸に当てて歌うもの」という小池の思い込みは、個人の思想としては自由でそれで咎められることはない。しかし、「国歌は当然のことながら、大切に胸に手を当てて歌う人もいれば、黒い手袋の拳を上げて抗議の意思を表明する人もいる。また、国旗を焼き捨てることが国家への批判を表明する手段となることもある」のだ。
「立つの、立たないのと裁判をしているような国は私は聞いたことがない」ですって? ならば、聞きたい。国歌斉唱時に起立を強制している国をご存じだろうか。かつての文部省が調査をしている。韓国と中国には、そのような強制があるようだ。当然韓国と臨戦状態にある北朝鮮にもあるだろう。しかし、欧米の民主々義を標榜する先進諸国に関する限り、「国家が国民に対して、立てだの、唱えだのと強制をしているような国があろうとは、私は聞いたことがない」。
この点に関心を持って、ちょっと調べたら、次の記事が目にとまった。『文藝春秋』2008年1月号の小池寄稿を引用するウィキペディア記事。
「小池が自由党を離党して保守党に参加し、小沢と決別した理由については、「ここで連立政権を離れて野党になれば、小沢氏の『理念カード』によって、政策の先鋭化路線に再び拍車がかかることは想像できる。一方で、経済企画庁の政務次官の仕事を中途半端に投げ出すことには躊躇した」「少々心細くもあったが、実は『政局』と『理念』の二枚のカードに振り回されることにも、ほとほと疲れていた。」「かつて小沢さんは、自由党時代に取り組んだはずの国旗・国歌法案について、自民党との連立政権から離脱するなり、180度転換し、『反対』に回った。国旗・国歌法案は国家のあり方を問う重要な法案だ。政治の駆け引きで譲っていい話ではない。同じく外国人地方参政権の法案についても自由党は反対だったはずだが、公明党の取り込みという目的のために、『賛成』へと転じたことがある。国家の根幹を揺るがすような重要な政策まで政局運営の“手段”にしてしまうことに私は賛成できない。これが私が小沢代表と政治行動を分かとうと決意する決定打となった」と説明している。
小池にとっては、国旗国歌の強制は、「国家のあり方」を決定づける重要な理念なのだ。かつて「政界渡り鳥」との揶揄に対して、「変わったのは、私を取り巻く環境であって、私の信念は一貫している」と弁明したことがある。一貫している小池の信念とは、ウルトラナショナリズムの理念にほかならない。こんな人物を、いやこの人だけは、知事にしてはならない。
(2016年7月25日)
都知事が2代続けて「汚れたカネ」でつまずいて、辞任に追い込まれた。今回都知事選は、いつにもまして候補者の「政治資金収支のクリーン度」が問われている。カネにキズ持つ候補者は、今回都知事選に出馬の資格がない。
昨日の当ブログで、「落選運動を支援する会」のサイトを引用して、小池百合子候補の「政治とカネ」疑惑4件をお伝えした。今日(7月24日)になって、そのうちの1件に進展があった。小池百合子の「政治資金疑惑」の色が一挙に濃くなったのだ。小池は、思想的に右翼というだけではない。「政治資金のクリーン度」不足についても徹底した批判を受けなければならない。赤旗と日刊ゲンダイが伝えているニュースだが、もっと多くの有権者に小池百合子「裏金作り疑惑」を知っていただきたいと思う。
政治資金の流れは、徹底して透明でなければならない。これをごまかそうというのが、「裏金作り」だ。適宜に調達した領収証を利用して、政治資金収支報告書には実体のない支出の報告をしておく。こうして浮かせた金が、国民の目から隠れた支出に使われる。計画的で組織的な、ダーティきわまるカネの使い方。もちろん、政治資金規正法における「収支報告書への虚偽記載の罪」に当たる。小池百合子にその疑惑濃厚なのだ。
昨日の当ブログの該当個所は、以下のとおりである。
小池百合子自民党衆議院議員(元防衛大臣)の政治資金問題その2
「不可解な「調査費」支出とその領収書問題
http://rakusen-sien.com/rakusengiin/6730.html
既にない企業へ世論調査を依頼し、「調査費」の領収証をもらったという不可解。
こんなことをしている政治家に、クリーンな都政を期待できるのか。」
落選運動のサイトから、疑惑を再構成してみよう。
☆政治資金収支報告書によれば、小池百合子議員の政党支部「自民党・東京都第10選挙区支部」(代表者・小池百合子)は、2012年から2014年まで、「M?SMILE」(当初、東京都新宿区新宿5?11?28、後に東京都渋谷区広尾5?17?11)という先に「調査費」合計210万円を支出している。
☆上記住所の「M?SMILE」は、インターネットで検索しても該当するものが見あたらない。会社としての登記もない。実在が怪しい。
☆「日刊ゲンダイ」の調査報道(「小池百合子氏に新疑惑 “正体不明”の会社に調査費210万円」2016年7月5日)によると、同紙の問合せに対する小池事務所の説明は次のとおり。
「当初は『M―SMILE』という会社名だったのですが、現在は『モノヅクリ』という名前に変更されています。・・・支出目的? 選挙の際、世論調査をお願いしました」
☆この説明は不自然で、疑惑が残る。
・『モノヅクリ』は実在するが、「オーダースーツ専門の株式会社」で、調査をする会社とは思えない。
・この点の疑惑に関して、『モノヅクリ』の代表者はこう説明している。
「私は09年ごろから、個人的に『M―SMILE』という名で世論調査の事業を始めました。小池さんから仕事をいただき、軌道に乗れば法人登録したかったのですが、うまくいかなかった。そのため、12年に『モノヅクリ』を立ち上げ、オーダースーツの事業をメーンにしています」(「日刊ゲンダイ」)
・小池事務所の「『M―SMILE』という会社名が、『モノヅクリ』という名前に変更された」と、『モノヅクリ』側の「12年に『モノヅクリ』を立ち上げた」は齟齬がある。「調査」と「スーツ」、事業目的の違いはあまりに大きく商号変更というには無理があろう。
☆2012年には既に企業としては存在しなくなっている『M―SMILE』に、2012年から2014年まで調査費を支払ったということはあまりに不自然。
・仮に、「『M―SMILE』という会社名が、『モノヅクリ』という名前に変更」されたとしても、13年・14年とも『M―SMILE』の領収証を添付し続けたことが、これまたあまりに不自然。
☆実は、調査の依頼などの事実はなく、存在しない(あるいは、存在しなくなった)会社の領収書が意図的に作成された疑惑が残る。政治資金収支報告書上は調査費支出としておいて、実は210万円を裏金とする操作をしたのではないか。これは、政治資金規正法上の収支報告書への虚偽記載に当たる可能性がある。
ここまでは、昨日まで判明の「疑惑」。ここからが「本日さらに濃くなった疑惑」である。
本日(7月24日)の赤旗・社会面のトップと、「日刊ゲンダイ」(デジタル)が、新たな調査で判明した疑惑を報道している。
「小池百合子氏「裏金疑惑」 都議補選に出馬“元秘書”の正体」(「ゲンダイ」)、「『調査費』210万円の実態不明会社 社長の正体は元秘書」(赤旗)という各見出し。
「ああ、やっぱり」というべきなのだ。「疑惑」は限りなくクロに近くなった。
赤旗の記事を引用しておこう。
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「東京都知事選(31日投票)に立候補している元防衛相、小池百合子氏の政党支部が、実態不明の会社に「調査費」名目で210万円を支出していた問題で、同社の社長は、小池氏の元秘書だったことが、23日までにわかりました。まさに政治資金の“横流し”といえるもの。しかも小池氏は、この元秘書を22日に告示された都議補選・新宿区に無所属で擁立しており、小池氏側に説明責任が浮上してきました。
政治資金収支報告書によると、小池氏が支部長を務める「自民党東京都第10選挙区支部」は、2012年?14年に計210万円を「調査費」名目で「M―SMILE」に支出しています。
本紙の調べによると、このM―SMILEなる会社は、当該住所に存在しませんでした。本紙の「架空支出ではないのか」との問い合わせに、小池事務所は「M―SMILEは現在、『ものづくり』という会社で、世論調査を発注、結果を受け取っていた」と文書で回答してきました。
今回、都議補選に立候補した小池氏の元秘書は、森口つかさ氏(34)。同氏のオフィシャルサイトによると、08年9月に「衆議院議員小池百合子事務所」に入所し、12年10月に「株式会社モノヅクリ設立」とあります。
登記簿やホームページによると、「モノヅクリ」は、東京都渋谷区広尾に「本店」を置き、資本金100万円のオーダースーツ専門会社。森口氏が社長でした。
元秘書のオーダースーツ専門会社に「調査費」名目で支出していたことになります。
第10選挙区支部は、12年?14年の3年間で4875万円の政党助成金を自民党本部から受け取っています。これは、同支部の収入総額(約9140万円)の53・3%にあたります。国民の税金が、「調査費」名目で自分の秘書の会社に流れていた可能性があります。
小池氏は、森口氏擁立にあたって、「都議会に私の仲間というか、方向性を同じくする者が存在するということは意義深いことだ」と語り、22日の告示日にも応援に立ちました。
小池氏は、知事選立候補表明直後に掲げていた「利権追及チームの設置」にいつのまにか言及しなくなりました。「しがらみなくクリーンな若い力で、不透明な都政を変えます」と主張している森口氏ともども、不透明な政治資金支出について、明確な説明が求められています。
以下は「日刊ゲンダイ」の記事
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「31日投開票の都知事選に出馬している小池百合子元防衛相(64)に新たな「政治とカネ」問題が浮上した。今回はナント! 「裏金づくり」疑惑だ。
日刊ゲンダイは小池氏が代表を務める「自民党東京都第十選挙区支部」の収支報告書に添付された領収書の写し(2012?14年分)を入手。この領収書を精査すると、不可解なカネの流れが判明した。
同支部は12?14年、「M―SMILE」という会社に「調査費」として計210万円を支出していたのだが、この会社は登記簿を調べても記載がなく、実体不明の会社だったからだ。
小池事務所は「現在は『モノヅクリ』という社名に変わっている。選挙の際の世論調査を依頼した」と説明。そこで日刊ゲンダイが改めて「M?SMILE」の代表者に確認すると、代表者の男性は「09年ごろ、個人的に『M―SMILE』という名で世論調査の事業を始めた。12年に、『モノヅクリ』を立ち上げ、オーダースーツの事業をメーンにしている」と説明。つまり、実体のないスーツ会社が、小池氏から多額の政治資金を受け取り、世論調査を請け負っていた――という怪しさを記事にした。
■小池氏、元秘書とも問い合わせにダンマリ
そうしたら、小池陣営が22日、都議補選(31日投開票)で新宿選挙区から擁立した男性の名前を見て驚いた。何を隠そう「M?SMILE」の代表者、森口つかさ氏(34)だったからだ。しかも、肩書は小池氏の「元秘書」だったからビックリ仰天だ。
つまり、小池氏は自分の秘書がつくった“ペーパーカンパニー”に多額の政治資金(調査費)を支払っていたことになる。これほど不自然で、不可解なカネの流れはないだろう。政治資金に詳しい上脇博之・神戸学院大教授もこう言う。
「小池氏の政党支部が(M?SMILE)に調査費を支出した時期に森口氏が秘書を務めていたのなら大問題です。通常、議員のために調査を行うことは秘書としての業務の一環で、調査の対価は給与として支払い済みのはず。それを秘書が経営する(幽霊)会社に調査費用を支払うというのは、あまりにも不自然です。裏金をつくったり、不正な選挙資金を捻出していたと疑われても仕方がありません。そうでないのならば、小池氏は説明責任を果たすべきです」
果たして小池氏と森口氏はどう答えるのか。両者に何度も問い合わせても、ともに一切回答なし。知事が2代続けて辞職に追い込まれた「政治とカネ」問題は、今回の都知事選でも間違いなく重要な争点だ。それなのに小池氏、元秘書ともそろってダンマリでいいはずがない。
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以上の各報道が問題点を語り尽くしている。「M?SMILE」にせよ、「モノヅクリ」にせよ、その代表者(森口つかさ)は小池百合子の元秘書なのだ。現在も、小池が都議補選候補に擁立する間柄。小池百合子を代表者とする政治団体が、小池百合子の秘書(あるいは元秘書)に「調査」を依頼し、その秘書(あるいは元秘書)が作成した領収証を受領していたというのだ。領収証はどうにでも作れるではないか。到底些事として看過できることではない。
(2016年7月24日)
都知事選は、今たけなわ。前回までの選挙と違って、千載一遇の勝ちに行ける選挙だ。改憲派の右翼・小池百合子を知事にしてはならない。鳥越俊太郎候補に勝ってもらわねばならない。
鳥越候補の公式ホームページに、次のような呼びかけがある。
「半世紀にわたり、ジャーナリストとして「現場主義」を貫いてきた男がいます。
汗をいとわず、現場に足を運び、一人ひとりの声に耳を傾けること。
今の都政に最も必要で、最も忘れられているのが、この「現場主義の政治」ではないでしょうか。
都政は、都民から離れすぎました。
これからの都政は、街に出ます。あなたの声を聞かせてください。
悩みを、怒りを、不安を、夢を、アイデアを、思いきり語ってください。
彼は、いつだって、市民の側、都民の側に立ちます。
彼には、それしかできない。しかしその思いは、誰にも負けません。」
その彼を信頼して、私も、都民のひとりとして声を上げたい。
今のところ、同候補が公式ホームページで掲げている選挙政策は後記のとおりだ。憲法の理念を実現しようという熱意には溢れているが、教育政策がすっぽりと抜けている。東京都の教育行政は病んでいる。教育現場は疲弊し荒廃している。優秀で真面目な教員が罹病し、退職を余儀なくされている。是非とも、異常な事態にある教育行政の建て直しを公約に掲げていただきたい。
「私は聞く耳をもって、都民のさまざまな意見を聞き、批判を受けとめ、すべての都民が自由に発言できる風通しの良い都庁をつくります。」という、その言やよし。今の都教委は、まったく聞く耳を持たない。自分に不都合となると、都民の声も聞かない。話し合いの呼びかけに応じようとはせず、裁判所の言わんとするところにも、耳を傾ける姿勢がない。
だから、鳥越さん。あなたが頼りだ。私のいうことに耳を貸していただきたい。
第1次アベ政権の時代に、教育基本法が変えられた。アベによって葬られた旧教育基本法には格調の高い前文があった。これを永遠に忘れてはならないと思う。
「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」
「人権・平和・憲法を守る東京をめざす」というのなら、「人権・平和・憲法」の理念を目指す、教育政策がなくてはならない。今の東京都の教育行政は、「人権・平和・憲法」を蹂躙した石原都政以来のものだ。この東京都の教育行政を糺していただきたい。10・23通達に象徴される都教委の教育内容への不当な支配。職員会議の権限を一切取り上げ、職員会議での採決禁止の通達まで出した異常な現場教員への締めつけ。教員から教科書採択の権限を取り上げての歴史修正主義教科書の採択強行。思想良心を大切にしようとする真面目な教員への恐るべき弾圧、等々。目を覆わんばかりの憲法の理念に反した東京都の公教育の暗部にメスを入れていただきたい。「憲法と闘う」「教育勅語の言っていることは決して間違いではない」と言った知事と、「都教委は石原知事を支える特別な教育委員会」「私の仕事は日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と言った教育委員が、今の教育行政の基本をつくったのだ。
少なからぬ最高裁裁判官が、判決(反対意見や補足意見)で、東京都公立校の「教育現場における紛争が繰り返されている事態」を憂いて、「自由で闊達な教育が実施されるよう」意見を表明している。これに答えるような教育行政を公約していただきたい。都知事の権限で、教育委員会人事を通じての教育行政正常化は可能なのだから。
せめては、「憲法と教育基本法に忠実な公教育の実現」「生徒や子どもたち、一人ひとりを大切にする教育を」「教員の声に耳を傾け、教員とともに教育現場を立て直す」「真面目な教員を大切にする学校現場を再建する」「自由闊達な東京都の教育を目指す」「自律した主権者を育てるにふさわしい教育の実践を」くらいのことは、言っていただきたい。
あなたは、保育園を視察したあと、こう演説をしておられる。
「きょう世田谷区の保育室というところに、現場を見に行って参りました。保育室、これは認可保育所でもない、認証保育所でもない。これは前は病院の中にあったものですが、世田谷区のあるところに区の土地を借りて、平屋を建てて、そこに0歳児・1歳児、2・3・4歳児と2つ部屋が分かれております。そこで子供たちと話をし、それから保育士のみなさんともお話しし、さらにそこにお子さんをお預けになっているお母さんとも話をしてきました。私は本当に保育の現場というのがどれだけ大変なものかというのを、改めて、改めて、肌で感じました。
今日、私は保育の現場を見させていただきまして私が感じたのは、東京都の場合、保育の現場は大変苦しい状況になっている。せっかく子供を育てようという志を持って仕事をしているけれども、しかし現実はなかなか厳しいというのが、私が見たところです。これは何とかしなきゃいけない。」
おそらく、あなたは東京都立校で、都教委から思想良心の弾圧を受けている多くの教員たちの話を聞けば、こう言うだろう。
「きょう都立校の教育現場を見に行って参りました。そこで都教委から処分を受けた教員やその周囲の人たちと話をしてきました。私は本当に、教育という場で、憲法が保障している思想や良心の自由がないがしろにされ、憲法も教育基本法も紙くず同然となっている事態を見て、それがどれだけ大変なものかということを、改めて、改めて、肌で感じました。私が感じたのは、真面目な先生たちが、都民からの委託を受けた子どもたちを育てようという志を持って仕事をしているけれども、しかし現実はなかなか厳しい、むしろ都教委に妨害されている、というのが、私が見たところです。これは何とかしなきゃいけない。」
鳥越候補は、その演説で「私は今回立候補するにあたって3つのスローガンというのを掲げております。『住んでよし、働いてよし、環境によし』の3つを総合的に考えて政策を練っていきたいと申し上げております。市民連合との政策についての話し合いを致しましたが、そのときに市民連合の代表から「実はね、この3つはいいんだけど、もう一つ、『学んで良し』というのも入れてほしい」。その通りです。「学んでよし」というのも入れたい。今日ここから「住んでよし、働いてよし、学んでよし、環境によし」、この4つに変えます。」と言っている。
「学んでよし」は保育園だけではない。小学校も、中学校も、高校もある。そこでの、教育の不当な支配から解放された学校現場。教育本来の自由闊達な学校現場を取り戻すという公約を掲げていただきたいのだ。
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鳥越俊太郎公約「あなたに都政を取り戻す。」
「住んでよし」「働いてよし」「環境によし」を実現する東京を!
私は聞く耳をもって、
都民のさまざまな意見を聞き、
批判を受けとめ、
すべての都民が自由に発言できる
風通しの良い都庁をつくります。
※都政への自覚と責任
都政は、都民が汗水たらして働いて納めた税金で成り立っています。
この原点を忘れた都知事が、2代続けて政治とカネの不祥事で都政を混乱させました。私は「納税者意識」を胸にとめ、都民の負託に応えます。
☆第2の舛添問題を起こさせない体制をつくります。
・知事の海外視察費用・公用車利用のルールを見直します。
・知事の視察等の情報公開を徹底します。
・政治資金規正法の見直しを東京都から国に働きかけます。
※夢のある東京五輪の成功へ
コンパクトでシンプルな2020年のオリンピック・パラリンピックを実現して、東京の可能性や魅力を世界へアピールします。
☆ムダをなくしつつも、平和の祭典としての五輪を成功させます。
・ムダをなくしつつも、平和の祭典としての五輪を成功させます。
・東京の可能性や魅力を世界にアピールできる体制をつくります。
※都民の不安を解消します
医療・介護の充実、子どもの貧困や待機児童の解消に、早急に取り組みます。
がん検診の受診促進や骨粗しょう症対策等で、だれもが、いつまでも社会参加できる健康長寿の東京を目指します。
☆都民のこころとからだの健康をあらゆる施策を通じて実現します。
・東京都のがん検診受診率は現在50%にも達していません。これをまずは50%、最終的には100%を目指します。
・だれもが先進医療を受けられる東京を目指します。
・受動喫煙防止に向けた条例制定に取り組みます。
・保育所の整備をはじめ、あらゆる施策を通じて、待機児童ゼロを目指します。
・保育士の給与・処遇を改善します。
・すべての子どもに学びの場が提供できる環境を整えます。
・貧困・格差の是正に向けて、若者への投資を増やすなど、効果的な対策に取り組みます。
・大介護時代に備え、特別養護老人ホームなど高齢者の住まいを確保します。介護職の給与・処遇を改善します。
・子育て・介護に優先的に予算を配分します。
※安全・安心なまちづくり
耐震化・不燃化の促進、帰宅困難者対策で災害に強い東京をつくります。
再生可能エネルギーの普及で、持続可能な東京を実現します。
☆住宅耐震化率83.8%から100%を、再生可能エネルギー割合8.7%から30%を目指します。
・住宅・マンションの耐震化助成を拡充します。
・民間事業者との連携やITの活用などにより、ハード・ソフト両面からの防災対策を進めます。
・原発に依存しない社会に向け、太陽光やバイオマスなど、再生可能エネルギーの普及に取り組みます。
・テロ・サイバー攻撃などの脅威に対し、万全の備えを確立します。
※笑顔あふれる輝く東京へ
希望する人が正社員になれる格差のない社会を目指し、仕事と家庭の両立を支援します。東京の宝・職人を大切にするマイスター制度を拡充します。
☆働く人の37.5%が非正規社員。正社員化を促進する企業を支援します。
・正社員化を促進する企業を支援し、不本意非正規社員の解消に努めます。また、最低賃金の引き上げを求めていきます。
・長時間労働の是正など、働き方改革で、ワークライフバランスを進めます。
・東京の宝である職人文化をマイスター制度で育みます。
・市区町村への財政支援を強化します。多摩格差を是正し、多摩・島しょ振興を進めます。
※人権・平和・憲法を守る東京を
憲法を生かした「平和都市」東京を実現します。首都サミットの開催や文化・若者交流の推進にもチカラを入れます。
☆多様性を尊重する多文化共生社会をつくります。
・男女平等、DV対策、LGBT施策、障害者差別禁止などの人権施策を推進します。
・非核都市宣言を提案します。
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(2016年7月22日)
小池百合子の「病み上がり」発言が波紋を呼んでいる。
鳥越俊太郎をさして、「病み上がりの人を連れてきてどうするんだ」という街頭演説。これは、明らかに「失言」である。冷静に考えれば言うべきではなかったこと、言ってはならないことを、うっかりと場の勢いで口にしてしまったということだ。
実は、練りに練ったタテマエとしての発言ではなく、失言にこそホンネがあらわれる。隠している人間性が露呈する。もうすこしはっきり言えば、本性が見えるのだ。
私自身が肺がんの病歴をもっており、背に7寸の手術痕を持つ身なので、小池発言には過敏とならざるを得ない。小池百合子という人物の本性は、政敵を「病み上がり」と表現することが有効な攻撃材料になると心底で思っていること、それを口に出すことをはばからないということから見て取れる。決定的に優しさに欠ける。病者に対するいたわりのこころがない。これは、社会的弱者一般に対する姿勢に通じるものであろう。
実は、失言にはもう一つの側面がある。失言を咎められたときに、どう対応するかである。ごまかすか、居直るか、あるいは率直に非を認めて謝罪するか。この点でも、人間性がはかられる。本性が現れるのだ。
昨日(7月19日)のフジテレビ・番組でのやり取りを下記のとおり、日刊スポーツが報道している。
鳥越氏が小池氏にかみ付いた。
鳥越氏 小池さんは街頭演説の中で、「病み上がりの人を連れてきてどうするんだ」と言われましたか。
小池氏 言ってないですね。
鳥越氏 ここに証拠がある。日本テレビのニュース番組でテロップが入っている(テレビ番組の画像のコピーを見せる)。
小池氏 でも、今、お元気になられてるじゃないですか。
鳥越氏 こういうことをおっしゃったかどうか聞きたいんですよ。
小池氏 記憶にないですよ。
鳥越氏 まあ、実際にはテロップに出てますからね。
小池氏 それは失礼しました。
鳥越氏 これはガン・サバイバーに対する大変な差別ですよ。偏見ですよ。
小池氏 もし言っていたならば、失礼なことを申しあげました。
鳥越氏 失礼で済まされますか。僕に対する問題じゃない。ガン・サバイバーは何十万、何百万といるんですよ。そういう人たちに「1回がんになったら、あなたはもう何もできないんだ」と決めつけるのは…。
小池氏 いや、そこまでは言ってないですよ。それを決めつけているのは鳥越さんでしょ。これが選挙なんですよ、坂上さん。
司会の坂上忍 急に僕に振られましたね。
鳥越氏 病み上がりというレッテルを人にはって、差別をする。ガン・サバイバーは何もできないというイメージを与える。
小池氏 そこまで広げて言っておりません。大変お気遣いをしているわけです、鳥越さんに対して。
鳥越氏 え?
小池氏 これから長い(選挙戦の期間)がありますから。逆に言えば、そこの部分しかご質問はないんですか。(以下略)
以上の発言経過が、見事なまでの不誠実きわまる対応の典型パターンとなっている。
まずは、発言自体を否定する。
次に、「記憶にない」と言い逃れを試みる。
証拠を突きつけられると「もし言っていたならば」という条件をつけて、「失礼」の程度でかわそうとする。
発言の悪質さを指摘されると、記憶にないはずの発言の真意を取り繕う。
さらには、自分の失言の指摘自体を不当とし攻撃する。
以上の討論で、小池百合子は「病み上がり」発言に対する反省は絶対にするものか、という姿勢を見せた。二度、その本性を見せつけたことになる。
それにしても、小池の「これが選挙なんですよ、坂上さん。」は、意味深で、小池の政治観選挙観を表すものではないだろうか。「これが選挙」という発言には、社会的な道義や良識からは許容されない発言も、選挙ならば、あるいは政治ならば許される、というダブルスタンダードの論理を読み取らざるを得ない。「坂上さん」は有権者の代表と解してよい。小池は有権者に、こう語りかけたように思われる。
「なんであれ相手の弱点を攻めあうのが、政治であり選挙なのだ。相手候補がガンの病歴あれば、これを攻撃材料とするのは当然ではないか」
あるいは、
「この程度の失言攻撃にオタオタすることなく嘲笑してみせるのが、選挙戦というものではないか。それができなくては政治家ではない」
小池百合子の本性を見据えるとともに、今後はこの候補者の発言を、選挙特有のダブルスタンダードではないかと警戒しなくてはならない。
(2016年7月20日)
本日(7月14日)告示の都知事選がスタートした。投票日は7月31日、猛暑のさなかの文字通り熱い選挙戦である。
今回都知事選は、リベラル勢力にとっては千載一遇のチャンスである。この絶好のチャンスを逃してはならない。これまで、革新統一といえば「社共+市民運動」が最大幅だった。2012年選挙でも、2014年選挙でも、ようやく実現した「社共+市民」の枠組み。しかし、結果は惨敗に終わった。200万票を取らねば勝負にならないところ、この枠組みでは100万票に届かない。これでは勝てないことが手痛い教訓として身に沁みた。3度同じ愚を犯すわけにはいかない。
今回は、幅広く4野党共闘でのリベラル派統一候補の推挙が実現した。昨年の戦争法反対運動の盛り上がりの中で、デモに参加した市民の声として湧き起こった「野党は共闘」というスローガンが、参院選にも、そしてこのたびの都知事選にも結実しているのだ。
しかも、これまでの選挙とはまったく違って、リベラル派が候補者を統一し、保守の側が分裂しているのだ。まさに天の時は我が方にある。傍観者で終わることなく、この歴史的な闘いに何らかの方法で参加しようではないか。都民でなくても、選挙への協力は可能なのだから。
選挙の性格のとらえ方を統一する必要はない。私は、この都知事選を「ストップ・アベ暴走選挙」と命名したい。そして、「ストップ・アベ暴走都政」を実現させたい。美濃部革新都政第2期の選挙が、「ストップ・ザ・サトウ」選挙であった例に倣ってのことだ。ベトナム反戦の時代の空気を都知事選に持ち込んでの成功例。この選挙で美濃部は361万票を得て、保守派候補(秦野章)にダブルスコアで圧勝している。一昨日(7月12日)の鳥越俊太郎出馬会見は、意識的に改憲問題や国政批判を都知事選のテーマに持ち込むものであった。
この会見を報じた朝日の見出しは、「鳥越氏『時代の流れ、元に戻す力に』 都知事選立候補」というもの。今の時代がおかしいのだ、元の流れに戻さなければならない。そのような思いを日本の首都の選挙で訴えて広く共感を得たい。これが、朝日の理解した鳥越出馬の真意。
記事本文での当該部分の会見発言の引用は次のようになっている。
「『あえて付けくわえるなら』としたうえで、立候補を決めた理由を『参院選の結果で、憲法改正が射程に入っていることがわかった。日本の時代の流れが変わり始めた。東京都の問題でもある。国全体がそういう方向にかじを切り始めている。元に戻す力になれば。それを東京から発信したい』と語った。
読売も、朝日とよく似た見出しとなった。「鳥越氏、都知事選出馬表明『流れ元に戻す力に』」というもの。記事本文は、次のとおり。
鳥越氏は12日午後、都内のホテルで記者会見を開き、「残りの人生を『東京都を住んで良し、働いて良し、環境良し』とすることにささげたい」と語った。出馬理由については「参院選の結果を見て、平和の時代の流れが変わり始めたと感じた。国全体がかじを切る中、流れを元に戻す力になりたいと思った」と説明した。
毎日の見出しは、「野党統一鳥越氏が出馬」と無骨だが、次のように会見の内容を紹介している。これが、一番よく、鳥越の気持ちを伝えているのではないか。
「私は昭和15年、1940年の生まれです。防空壕にいたこともよく記憶しています。戦争を知る最後の世代、戦後の第1期生として、平和と民主主義の教育の中で育ってきました。憲法改正が射程に入ってきているというのが参院選の中で分かりました。『それは国政の問題で東京都政とは関係ないだろう』という方もいると思いますが、日本の首都だから大いに関係があると思う。戦争を知る世代の端くれとして、都民にそういうことも訴えて、参院選と違う結果が出るとうれしいというのが私の気持ちです。」
国政と都政が無関係なはずはない。都政は国政を補強もすれば減殺もする。また、都知事選を、多くの都民が国政に感じている危ない時代の空気を批判する機会と位置づけて悪かろうはずがない。時代の危うさとは、アベ政治の暴走にほかならない。アベ政治の暴走の中身には二つの軸がある。一つは新自由主義の経済政策であり、もう一つは軍事大国化の政治路線だ。
新自由主義の経済政策が格差と貧困をもたらし、雇用の形にも福祉の切り捨てにも、教育や保育や介護にも、都民の生活に大きく影響していることは論を待たない。経済や福祉・労働等々に関する都政は、アベ政治を批判するものとならざるを得ない。
軍事大国化とは、戦後民主主義の否定であり、集団的自衛権行使容認であり、立憲主義の否定であり、さらには9条改憲の政治路線である。鳥越は、これに抗する姿勢を明確にしている。自分を「戦争を知る最後の世代であり、戦後の第1期生として、平和と民主主義の教育の中で育ってきました」として、「憲法改正が射程に入ってきている」この恐るべき時代を看過し得ないとしているのだ。
都政は、軍事大国化路線と無関係ではない。政府に協力してこれを補強もすれば、政権に抵抗して平和を志向することもできる。鳥越会見では、横田基地へのオスプレイ導入の阻止、米軍管理下の「横田管制」の正常化。政権の意向から独立した各国首都間の友好交流が平和に大きな意味を持つなどの発言があった。首都の原発ノー政策は核軍縮と関わるものとなる。
さらに、民主主義を大切にする真っ当な教育行政は、反アベ政治の色彩を持たざるを得ない。第1次アベ政権は教育基本法の「改正」に手を付けた。第2次では、教育委員会制度の骨抜きもした。鳥越都政はこれに対抗して、地教行法が想定する真っ当な教育委員を選任して、荒廃した東京都の公教育を改善することができる。教科書採択も、現場の教員の声を反映したものにすることができる。これだけでも、アベ政治に対する大きな打撃になる。
今回の都知事選挙を、「前知事の責任追及合戦」に終始し、「新都知事のクリーン度」を競い合うだけのものとするのではもの足りない。行政の公開や監視のシステム作りという技術的なテーマは、4野党のスタッフにまかせて上手に作ってもらえばよい。
都知事は、憲法の精神を都政に活かす基本姿勢さえしっかりしておればよい。その基本姿勢さえあれば、細かい政策は、ブレーンなりスタッフなりが補ってくれる。4野党が責任もって推薦しているのだ。そのあたりの人的な援助には4野党が知恵をしぼらなければならない。
(2016年7月14日)
本郷三丁目交差点をご通行中の皆さま、ご近所の皆さま。こちらは地元の「本郷・湯島九条の会」です。私たちは、憲法を守ろう、憲法を大切しよう、とりわけ平和を守ろう。絶対に戦争は繰り返してはいけない。アベ自民党政権の危険な暴走を食い止めなければならない。そういう思いから、訴えを続けています。
あなたが政治に関心をもたなくても、政治の方はけっしてあなたに無関心ではいない。あなたが平和と戦争の問題に無関心でも、戦争は必ずあなたを追いかけてきます。けっして見逃がしてはくれません。少しの時間、お耳を貸してください。
一昨日の7月10日が第24回参院選投開票で、既にご存じのとおりの開票結果となりました。今回選挙の最大の焦点は、紛れもなく憲法改正問題でした。より正確には、アベ政治が投げ捨てた立憲主義の政治を取り戻すことができるか否か。憲法を大切にし、政治も行政も憲法に従って行うという当たり前の大原則を、きちんと政権に守らせる勢力の議席を増やすことができるか。あるいは、憲法をないがしろにして、あわよくば明文改憲を実現したいという勢力の議席を増やしてしまうか。
一方に憲法を護ろうという野党4党と市民運動のグループがあり、もう一方に改憲を掲げるアベ自民党とこれに擦り寄る公明・維新・こころの合計4党があります。この「立憲4党+市民」と「壊憲4党」の憲法をめぐる争いでした。おそらくは、この構図がこれからしばらく続くものと思います。
「壊憲4党」の側は徹底して争点を隠し、争点を外し、はぐらしました。それでもなお、客観的にこの選挙は改憲をめぐる選挙であり、選挙結果は壊憲4党に参院の3分の2の議席を与えるものとなりました。これは恐るべき事態と言わねばなりません。
改憲発議の権利は、今やアベ自民とこれに擦り寄る勢力の手中にあることを自覚しなければなりません。到底安閑としておられる状況ではない。憲法は明らかにこれまでとは違った危機のレベルにある、危険水域に達していることを心しなければならないと思います。
では、国民の多くが憲法改正を望んでいるのか。いえ、けっしてそんなことはありません。参院選投票時に何社かのメディアが出口調査をしていますが、その出口調査では有権者の憲法改正についての意見を聞いています。共同通信の調査も、時事通信もNHKも、いずれも「憲法改正の必要がある」という意見は少数なのです。「改憲の必要はない」という意見が多数です。これを9条改憲の是非に絞って意見を聞けば、さらに改憲賛成は少なくなります。「安倍政権下での9条改憲」の是非を聞けば、さらに改憲反対派が改憲賛成派を圧倒するはず。
ですから、明らかに、国民の憲法意識と国会の政党議席分布にはねじれが生じています。大きな隔たりがあると言わなければなりません。にもかかわらず、改憲勢力は今改憲の発議の内容とタイミングを決する権限を手に入れてしまったのです。
今回選挙のこのねじれを生じた原因は、ひとつは改憲派の徹底した争点隠しですが、それだけでなく選挙区制のマジックの問題もあります。改憲派と野党との得票数は、けっして、獲得議席ほどには差は大きくありません。
たとえば、立憲4党は、今回選挙で32ある一人区のすべてで統一候補を立てて改憲派候補と一騎打ちの闘いをしました。その結果、11の選挙区で勝利しました。
青森・岩手・山形・福島・宮城・新潟・長野・山梨・三重・大分そして沖縄です。
他の県は敗れたとはいえ、前回は31の一人区で、自民党は29勝したのですから、これと比較して共闘の成果は大きかったといわねばなりません。それだけでなく、この一人区一騎打ちの票数合計は2000万票でした。その2000万票が、立憲派に900万票、自公の壊憲派に1100万票と振り分けられました。議席だけを見ると11対21ですが、得票数では9対11の僅差。実力差はこんなものというべきなのです。
それでも、議席を争った選挙での負けは負け。長く続いた平和が危うい事態と言わざるを得ません。既に日本は、1954年以来、憲法9条2項の戦力不保持の定めに反して、自衛隊という軍事組織を持つ国になってきています。しかし、長い間、自衛隊は専守防衛のための最小限の実力組織だから戦力に当たらない、だから自衛隊は違憲の存在ではない、と言い続けてきました。
ところが、一昨年(2014年)7月1日アベ政権は、閣議決定で専守防衛路線を投げ捨てました。個別的自衛権だけでなく、集団的自衛権の行使を容認して、憲法上の問題はない、と憲法の解釈を変えたのです。憲法が邪魔なら憲法を変えたい。しかし、改憲手続きのハードルが高いから憲法解釈を変えてしまえというのが、アベ政権のやり方なのです。こうして、集団的自衛権の行使を容認して、自衛隊が海外で戦争をすることができるという戦争法を強行成立させました。
自国が攻撃されてもいないのに、一定の条件があれば海外に派兵された自衛隊が、世界中のどこででも戦争ができるという内容の法律ですから、「戦争法」。日本は、自衛のためでなくても戦争ができる国になってしまいました。この戦争法を廃止することが、喫緊のおおきな政治課題となっています。
今、このように憲法がないがしろにされているこのときにこそ、全力を上げて憲法を守れ、立憲主義を守れ、憲法の内実である、平和と人権と民主主義を守れ、と一層大きく声を上げなければならない事態ではないでしょうか。
本当に、今、声を上げなければ大変なことになりかねません。でも、声を上げれば、もう少しで国会の議席配分を逆転することも可能なのです。このことを訴えて、宣伝活動を終わります。ご静聴ありがとうございました。
(2016年7月12日)
第24回参院選投開票の翌日。昨日と変わらぬ太陽がまぶしい夏の日。だが、今日の空気は昨日までのものとは明らかに違う。各紙の朝刊トップに、「改憲勢力議席3分の2超」という大見出し。この国の国民は、そんな選択をしたのだ。溜息が出る。
衆参両院とも、改憲4党(+保守派無所属)で発議に必要な議席は確保した。憲法改正発議の内容とタイミングは、彼らの手中にあることとなった。明日にも改憲発議があるという事態ではないが、憲法の命運に厳しい時代となったことを覚悟しなくてはならない。
この事態を決めた各党の実力と国民の政治意識とは、比例の得票数に端的に表れる。今回の各党の得票数は、ざっくりと整理して以下のとおり。これが現時点での各党の実力。議席の数ほどの差はない。
自民 2000万
民進 1200万
公明 750万
共産 600万
お維 500万
社民 150万
生活 100万
主要政党の得票数の推移は以下のとおりである。
自民の最近4回(07年・10年・13年・16年)の各得票数は次のとおり。
1700万→1400万→1800万→2000万
1986年選挙での自民票は2200万であり、95年選挙では1100万票である。自民票の浮沈は激しく、けっして安定してはいない。
民新(民主)の最近4回の票数は次のとおり。
2300万→1800万→700万→1200万
民進は、著しく実力を低下させた中で、今回は健闘したというべきではないか。
公明の最近4回の票数は次のとおり。
780万→760万→760万→760万
公明は04年選挙では862万票を取っていた。いまや、頭打ちの党勢といってよい。
共産の最近4回の票数は次のとおり。
440万→360万→520万→600万
共産は98年選挙では820万票を取った実績がある。このとき、自民1400万、民主1200万だった。その後の低迷期を抜け出つつあるというところだろう。
どの党も、獲得票数の増減は結構激しい。けっして、今回選挙が固定した勢力図ではない。次の選挙結果は予測しがたいのだ。
そう言って自らを励ますしかないというのが、全国的な選挙結果なのだが、例外もある。今回選挙でもっとも注目し、教訓を汲むべきは、沖縄を別にすれば、東北6県の選挙区選挙。いずれも1人区として4野党統一候補を擁立し、選挙共闘の成果は6議席中5議席の獲得となった。これに加えて、新潟・長野・山梨も野党が勝利している。
アベノミクスはこの地に繁栄も希望ももたらしていない。むしろ窮乏と中央との格差、農林水産業の衰退、先行きの不安をもたらした。政権のTPP推進は明確な自民の裏切りと映っている。震災・津波からの復興問題も原発再稼働も、すべてアベ政権不信の材料となっている。
東北のブロック紙、河北新報が、「<参院選>東北 自民圧勝に異議」として、次のように解説している。この解説記事がよくできていて、身に沁みて分かる。
【解説】第3次安倍政権発足後、初の大型国政選挙となった第24回参院選は、東北6選挙区(改選数各1)で野党統一候補が自民党候補を圧倒した。全国で与党圧勝の流れが形成される中、東北の有権者は「1強」に異議を申し立てた。
東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からの復興が道半ばの岩手、宮城、福島で与党が敗れたことは政権にとって打撃だ。政府が「復興加速」を説きながら、地域再生が進まない現実との乖離に、被災者は冷ややかな視線を向けた。
6選挙区で共闘した野党は、福島で現職閣僚を破ったほか、山形や岩手で終始リード。宮城で現職同士の争いを制し、青森では新人が現職を追い落とした。
野党は経済政策「アベノミクス」を徹底批判した。東北は少子高齢化の急加速で個人消費が停滞、景気回復の循環に力強さを欠く。先行き不安を巧みに突く戦術は東北の有権者に有効だった。
環太平洋連携協定(TPP)への攻撃も一定の効果を生んだ。日本の食料基地である東北には、TPPへの反発が根強く残る。野党は保守の岩盤とされた農村部に漂う不満の受け皿にもなった。
全国に先駆けて宮城で共闘を構築するなど、野党のスクラムは強固だった。安全保障関連法の廃止を求める学生、市民団体との連動も相乗効果を生んだ。
自民は秋田で独走したが、5県は厳しい戦いを強いられた。党本部は安倍晋三首相ら幹部級を東北に続々投入する総力戦を展開。各業界の締め付けを徹底したが、加速した野党共闘の前に屈した。
公示後、与党はネガティブキャンペーンを全開させた。旧民主党政権時代の失政をあげつらい、共産党への反感をあおる発言に終始。憲法論争も避けた。政策競争を軽視した「1強政治」のおごりを見透かされた面は否めない。…」
奥羽越列藩同盟の再現であろうか。秋田を除いて、その余の東北5県と甲信越は野党の勝利となった。選挙結果に絶望することなく、東北の闘い方に学びたいものとと思う。
(2016年7月11日)
今日は7月10日、参院選の投開票の日。まだ、開票結果の確定報はない。しかし、望ましからざる民意が示されたことは疑いがない。日本国憲法の命運は危くなってきた。これはたいへんな事態だ。既に、アベが「憲法改正、憲法審査会できっちり議論」と言い出したと報道されている。
民主主義とは何であるか。またまた、考え込まざるを得ない。私が物心ついたころ、戦後民主主義と平和とは不即不離のイメージだった。戦前には国民主権も民主主義もなかった。だから、誤った軍部に引きずられて民衆が心ならずも戦争の被害者になった。民主主義さえあれば、あの惨禍をもたらした愚かな戦争を再び民衆が望むはずはない。多くの人がそう思い、私もそう思って疑わなかった。
しかし今、アベのごとき人物が民意に支えられて首相になっている。正真正銘「右翼の軍国主義者(a right?wing militarist)」たるアベである。そのアベによる壊憲・教育介入・メディア支配・沖縄の民意蹂躙・原発再稼働・強引な国会運営が強行されている。世は忖度と萎縮に満ちている。にもかかわらず、アベ政権の支持率が下がらない。憲法が想定した民主主義は、どうなってしまったのだろう。
民意が独裁を望み、民意が戦争を辞せずとし、民意が少数派を差別するとき、民主主義とは一体なんなのだ。どうすれば、もすこしマシな、理性的な社会を作ることができるのだろうか。私たちの国の民主主義はどこで間違ってしまったのだろう。どうすれば軌道を修正できるのだろうか。それとも、最初から日本には民主主義が根付く土壌がなかったということなのだろうか。
アベ政権がどのような社会を作ろうとしているのか。自らが分かり易く示している。
7月7日のことと思われるが、自民党がそのホームページに、「学校教育における政治的中立性についての実態調査」というタイトルの記事を掲載した。その本文は、次のとおりである。
《党文部科学部会では学校教育における政治的中立性の徹底的な確保等を求める提言を取りまとめ、不偏不党の教育を求めているところですが、教育現場の中には『教育の政治的中立はありえない』、あるいは『子供たちを戦場に送るな』と主張し中立性を逸脱した教育を行う先生方がいることも事実です。
学校現場における主権者教育が重要な意味を持つ中、偏向した教育が行われることで、生徒の多面的多角的な視点を失わせてしまう恐れがあり、高校等で行われる模擬投票等で意図的に政治色の強い偏向教育を行うことで、特定のイデオロギーに染まった結論が導き出されることをわが党は危惧しております。》
これには一驚を禁じ得ない。「子供たちを戦場に送るな」との主張は、戦後平和教育の出発点であり、広く国民の支持を受けたスローガンだった。これを、「不偏不党」にも「政治的中立性」にも反し逸脱したというのだ。これでは、「平和は尊い」「戦争を繰り返してはならない」「原爆は禁止すべきだ」も、特定のイデオロギーに染まった結論として排斥されることにならざるを得ない。
自民党は、「子供たちよ、勇ましく戦場を目指せ」と言いたいのだとしか考えられない。もっとも、「子供たちを戦場に送るな」の部分は、その後「安保関連法は廃止にすべき」と、こっそり書き換えられたようだ。姑息千万である。
このホームページの問題はさらに大きい。次のように続けられているのだ。
《そこで、この度、学校教育における政治的中立性についての実態調査を実施することといたしました。皆さまのご協力をお願いします。》として、投稿フォームを設置。氏名や性別、連絡先などとともに、《政治的中立を逸脱するような不適切な事例を具体的(いつ、どこで、だれが、何を、どのように)に記入してください。》という書き込みができる入力欄を設けている。
ちくり、密告の奨励である。子どもたちや父母をスパイに育てようということではないか。あるいは、教員同士の相互監視と密告体制。ジョージ・オーエルの「1984年」を思い出させる。これでは教育が成り立たない。これがアベが取り戻すという「美しい国・日本」の正体なのだ。
(2016年7月10日)
6月22日に公示の第24回参議院議員通常選挙。18日間の選挙戦が本日終了して明日(7月10日)が投票日となる。
日本の命運に関わる今回の選挙。関心の焦点は、改憲勢力に3分の2の議席をとらせるのか否か。各メディアの調査では、軒並み厳しい獲得議席予測となっている。しかし、私には信じがたい。国民の護憲バネを信じたいし、選挙戦最終盤での巻き返しにも大いに期待したい。
何よりも、選挙区議席73のうち32を占める1人区の全選挙区で成立した、市民と4野党の共闘の成果に注目したいし、比例区ではアベ政治と真っ向対峙する日本共産党の勝利を願う。
アベ政権は、紛れもなく壊憲政権であり、非立憲政権である。けっして、戦後の保守本流の自民党政権ではない。右翼政権であり、好戦政権と言ってもよい。日本国憲法大嫌い政権なのだ。
その姿勢は、直接憲法攻撃に向けられているばかりではない。教育とメディアに対する統制にも色濃く表れている。沖縄問題や歴史認識、さらには原発(核)についても、家族法制についても同様である。
分けても、解釈改憲についての突出した姿勢には驚くばかりだ。
私は長く、「憲法9条は専守防衛の立場を認めている」という論者を憲法解釈を歪める論敵ととらえてきた。「自衛のための必要最小限度の実力を逸脱しない限り、自衛隊は9条2項で保持を禁じられた戦力に当たらない」という政府解釈を9条破壊の謬論とし、1954年以後はこの考えで一貫している内閣法制局こそ謬論の元凶と考えてきた。
ところが、アベ政権になって事態は一変した。アベは、専守防衛など生温いとして、海外で戦争ができる道を開こうと言うのだ。歴代の内閣法制局は、専守防衛を合憲解釈とするために、「個別的自衛権の行使は違憲ではないが、集団的自衛権の行使は憲法上容認し得ない」と主張してきた。アベはこの法制局見解を邪魔として、一線を踏みこえた。しかも、内閣法制局長官の首のすげ替えという強硬手段をもってしてのこと。
そうして、閣議決定で憲法の解釈を変え、国民の強い反対を押し切って戦争法を強行させた。無茶苦茶な話だ。今は、その戦争法廃止が最大の課題となっている。
専守防衛論、集団的自衛権行使違憲という、かつての内閣法制局の考え方が、アベ政権によっていとも簡単に否定され排除された。その結果専守防衛論者は、アベ壊憲に反対する立場において、自衛隊違憲論者と目的を共通にする味方になった。アベが極端な立場に位置しているからである。
明日の投票では、アベ政治に対する批判票の集積を期待したい。戦争法廃止も、選挙結果次第で道が切り開かれる。
アベ政権は、今回選挙でも徹頭徹尾の争点隠し争点はずしの戦略をとっている。明文改憲にも、戦争法の必要性にも触れない。戦争法成立時には、説明が足りなかったことを認めて、「国民の皆様の理解が更に得られるよう、政府としてこれからも丁寧に説明する努力を続けていきたいと考えております」と殊勝に述べたものだ。にもかかわらず、今回選挙ではまったく触れようとしない。徹底して争点化を避ける方針なのだ。それでいて、選挙が済んだら、南スーダンへの自衛隊派遣発表の段取りとされている。欺されてはならないと思う。
戦争法は、政権主張のとおりの抑止力となっているだろうか。果たして平和に寄与するものだろうか。むしろ、近隣諸国との軍事的緊張を高める愚策なのではないか。一方の「挑発行為」に、もう一方が軍事的な対応をすれば、結局は軍事対立・軍事緊張のエスカレーションをもたらすことになる。アベ政権は、そのような軍事緊張をもたらす政策をもてあそんでいるのだ。戦争の惨禍をもたらした戦前の軍国主義への反省を忘れ去っている。
平和を願い、立憲主義を取り戻すという願いが結実する明日の投票日であって欲しいと切実に思う。
(2016年7月9日)
あと3日。参院選最終盤に至って、憲法問題の争点化が浸透してきた。
私は、先に今回参院選の勢力関係の骨格を、「右翼アベ自民とこれを支持する公明が改憲勢力を形づくり、左翼リベラル4野党連合が反改憲でこれに対峙する。この両陣営対決のはざまに、おおさか維新という夾雑物が存在するという2極(+α)構造」と描いた。これをもっと単純化すれば、「立憲4党」対「壊憲4党」の争いともいえるのではないか。
「立憲4党」は中野晃一さんのネーミング。なるほど、民進・共産・社民・生活の4党共闘の核になっているものは、明文改憲阻止というよりは立憲主義の回復というべきではないか。アベ政治は既に立憲主義を破壊しつつある。この現実を糺し修復しなければならないという喫緊の課題での共闘。このネーミングの方が緊迫感ないし切実感がある。
これに対する自民・公明・おおさか維新・こころの4党を、大手メディアが「改憲4党」と呼ぶようになっている。「改憲4党は、非改選議席と併せて参院の3分の2の議席がとれるだろうか」との関心の寄せ方。しかし、実は「これから憲法に手を付けます」ではなく、既に憲法の一部を壊しているのだ。その意味では、「改憲」よりは「壊憲4党」と呼ぶのにふさわしい。
大日本帝国憲法下での立憲主義と日本国憲法の下での立憲主義とは大きく異なる。この違いは、権力からの個人の自由をメインの理念とする「近代憲法」と、資本主義の矛盾を克服する福祉国家理念をもつ「現代憲法」との違いに対応したもの。権力が護るべきとされるものの中に、平和主義・民主主義・法律の留保なき人権・社会権・参政権の保障を含むか否かなのだ。
憲法を頂点とする法体系の保護がなければ、強い者勝ちになる不公正に歯止めをかけ、弱い者の立場を護る思想に貫かれているのが、現代憲法としての「日本国憲法」である。改憲を阻止する、憲法を護る、憲法を活かす、立憲主義を取り戻すとは、結局のところ、法の保護なくば弱い側の立場を守ろうということなのだ。「立憲」4党の「立憲」は、この立場を指す。
既に壊されている憲法の理念は、まずは平和である。その最大のテーマは戦争法(安保関連法)であり、次いで表現の自由などの精神的自由権。そして、労働や福祉、さらには教育も民主主義もある。
この二つのブロックの中の各政党の個性はひとまず措いて、「立憲ブロック」と「壊憲ブロック」のどちらに投票すべきか。立場によって分かれる。分かり易いではないか。迷う必要はなさそうだ。
もし、あなたがこの社会の強者の側にあるなら、つまりは大企業の経営者側で、労働者をできるだけ安く使うことを望んでおり、労働者の首切りは自由な方がありがたいと思う立場であるなら、また株や債権の売買でぼろ儲けをしていて、軍事緊張が高まれば武器が売れて景気がよくなるとほくそ笑む立場にあるなら、所得税も法人税も相続税もできるだけ小さくして、累進性をなくし、福祉も教育も自己負担で自助努力が原則の国を望むなら、堂々と壊憲4党に投票すればよい。
しかし、あなたが働く者として首切り自由はとんでもないとし、時間外手当のカットも不当と考えるなら。また、軍事緊張も戦争もゴメンだというのなら。所得税や相続税は累進性を強化すべきが実質的公平に合致すると考え、福祉も教育も本来は国が負担すべきが望ましいとお考えなら、壊憲4党に投票してはならない。農業や漁業の従事者も、中小零細企業家も同じだ。うっかり自公への一票は、自分の首を絞めることとなる。
さらに、仮にあなたがこの格差社会の不合理を身をもって体験している立場にあるなら、あなたの一票は特別な意味を持つ。政治とは、誰の立場にたって政策を進めるかのせめぎあいだ。この社会は利害対立するグループで成り立っている。総じて、強い立場の者と弱い立場の者。強い者は、自分たちが支配する現行の体制を維持し続けようと試み、支配を受けている者がこれに抵抗を試みているのだ。税金のとりかたも使い方も、「強い者・富める者」と「弱い者、貧しき者」との綱引きの結果として決まっている。実は、万人に利益となる政治は幻想であって、どちらの層の利益になるかが、熾烈に争われているのだ。
日本国憲法は、「強い者・富める者」の利益を抑制して、「弱い立場の者、貧しき者」の利益を擁護すべきとする理念を掲げている。飽くまで理念に過ぎない「弱い立場の者、貧しき者」の利益を実現する政治は、選挙によって初めて形づくられる。理念を眠り込ませることなく現実化するのが選挙という機会である。
政治を変えようと切実な声が選挙に結実すれば、医療も教育も、介護も保育も福祉も、すべてを国の負担で行う制度の実現が可能なのだ。格差と貧困を克服する社会の実現は、たとえ時間はかかろうとも、けっして夢物語ではない。その高みに至る道は、陰謀や血なまぐさい暴力によって切り開かれるのではない。あなたのもっている選挙権が唯一の武器だ。言論による説得と、自覚的な一票の積み重ねによって、もっと住みやすい社会を実現できる。アベ政治の継続で利益を得ている者たちに欺されてはならない。
まずは、立憲4党を勝たせることだ。憲法改正を阻止するだけでなく、既に損なわれている憲法の理念を修復して、弱い者に暖かい手を差し伸べる政治を実現しなければならない。壊憲4党に、分けてもアベ自民に投票してはならない。
(2016年7月7日)