宇都宮陣営のメルマガ、「宇都宮けんじニュース」が私にも配信されている。その第14号(2014年1月18日号)に、「宇都宮けんじ・一本化で吠える!」と標題した下記の記事が掲載されている。1月16日(木)の拡大選対会議での発言とのこと。
「普段は温厚な宇都宮さんが、この日は半ば涙を浮かべながら、『(細川氏が)橋下徹みたいに変節したら、どうするのか』『知事選は人気投票ではいけない』『(細川氏に会って)どの程度の人間なのか確かめることもせず、降りろとはふてえ考えだ』『とにかく政策論争を!』『これは、勝てる選挙だ』と、あらためて決意と覚悟を語りました」
宇都宮君が吠えたのか泣いたのか、この記事ではよく分からないが、とにもかくにも、陣営にとっての動揺がよく伝わって来る。確認しておくべきは、宇都宮君自身も「一本化とは、宇都宮降ろしと同義」と心得ていること。つまりは、細川を降ろしての一本化はあり得ないという認識なのだ。だから、「降りろとはふてえ考えだ」という品性を欠いた表現になっている。「ふてえ考えだ」と言われたのは、「脱原発都知事を実現させる会」(共同代表 鎌田慧・河合弘之氏)の面々。後の報道で、瀬戸内寂聴・広瀬隆・村上達也・村田光平・柳田眞・湯川れい子・吉岡達也・宮台真司・木村結・三上元・高木久仁子・高野孟・川村湊などの諸氏が含まれていることを知った。宇都宮君のような、「3・11後の脱原発運動参加者」ではない。これまでの人生を脱原発運動に懸けて来た筋金入りの方々。これまで、脱原発運動の中核を担ってきた人々と言っても間違っていない。やはり、インパクトは大きい。
これも「宇都宮けんじニュース」第12号(1月16日)によれば、「実現させる会」は両陣営に宛て、「脱原発を明確に掲げる候補が二人いるということで脱原発票が分散し、結果として原発推進候補を利するのではないか」「お二人が虚心坦懐にお話合いになり、脱原発候補を統一してくださるよう申し入れます」と文書を発したとのこと。「会」の顔ぶれに品性を欠く人物はまったく見えない。長期にわたって真摯に運動を支えて来た人ばかり。申し入れの内容にも格別に礼を失しているところはない。これに対して、「ふてえ考えだ」との言葉の乱暴さは際立っている。宇都宮陣営の苛立ちを表しているのだろうが、こんな言葉を投げつけられて、「実現させる会」の諸氏はさぞ驚いたことだろう。
有権者は多様だ。命と健康を守るためになによりも脱原発が最重要課題と考える人は少なくない。脱原発だけが重要課題とは考えないが、現在の政治や社会の矛盾を象徴するものとしてこの一点を争点化すべきと考える人もいる。また、極右勢力としての安倍自民に政治的打撃を与える格好のテーマとして、「良心的保守層」を巻き込んだ幅広い勢力結集のために「脱原発都知事を実現」させたいという人もいるだろう。宇都宮君は、そのような人々の「脱原発候補統一」の申し入れを拒否しただけでなく、「ふてえ考えだ」と悪罵を投げつけた。その意味は小さくない。
「一本化」が不調となれば、脱原発を願う有権者は残った2候補のどちらかの選択を迫られる。「ふてえ考えだ」と悪罵を投げつけられた人々は、既に宇都宮君に背を向けて細川支持を明確にした。情勢のしからしむるところ。
前回惨敗の惨めな候補でなければ、脛に傷持つダーテイーな候補でなければ、事態は大きく違ったものとなっていただろう。革新共闘選挙の候補にふさわしい清新で魅力溢れる候補が力強く脱原発を含む運動をつくっていたら、反原発を看板とする細川の出る幕はなかっただろう。たとえ細川が出たとしても、こんなに右往左往することはなかったはず。革新側の拙速な候補者選びが今日の事態を招いたのだ。
宇都宮君、きみは、当初は「推す人があれば出馬する」と言いながら、その直後、推す人もないままに、他を制して都知事候補者として手を上げて飛び出した。その君のあさはかな行為の責任は大きい。告示まではもう少しの時間がある。やはり、立候補はやめた方がよかろう。
(2014年1月21日)
吉田万三さんは、人間的な魅力に溢れた人である。
話し相手を笑顔で包み込み、耳に痛い言葉も心を傷つけないような配慮を感じさせる。構えることなく、誰とでも胸襟を開いて会話のできる、できそうでなかなかできない特技の持ち主。
その万三さんと、昨日は都知事選をめぐってのスピーチによるバトル。とはいえ、ディベートではない。主催者の配慮で、各10分間のスピーチの交換だけ。私の発言は、昨日ブログに掲載したとおり。万三さんは、「澤藤は理想を求める余り人に厳しすぎる。不完全な人が集まって、よりより社会をつくるべく模索しているのだから、もっと寛容になるべきだ。そして、もっと高い次元から、最も優れた候補者である宇都宮当選のために力を尽くしてもらいたい」という趣旨を述べた。私の問題提起に応える内容として噛み合ってはいないが、万三さんがそう言えば、それなりの説得力があるから不思議なもの。さすがに、革新派から足立区長に当選し、都知事候補にもなった人だけのことはある。
ところが、その席で万三さんが配布したメモの下記の記載にちょっと驚いた。万三さんが口頭で言及していたことでもある。
「夏の参院選では、5人区の東京で明確な脱原発の候補が2人当選している。要するに、舛添だけでは(保守派は)勝利を確信できないのだ。このままでは脱原発の票がかなり宇都宮に流れる危険性もあるからこそ、多少のプラス・マイナスがあったとしても保守系脱原発候補が必要だったのではないか」
つまり、「細川護煕は、脱原発派有権者の票がそっくり宇都宮に流れ込むのを阻止するために、宇都宮の足を引っ張る目的で保守派が送り込んだ候補者だ」という論法。「謀略論」の一種だが、これはいただけない。我田引水というしかなく、万三さんのあの柔らかい滑らかな口調で喋られても説得力はない。
万三さんの気持ちが分からないではない。
世間は、脱原発を掲げた細川の出馬宣言に湧いている。前回選挙では宇都宮君を応援した文化人・著名人が、今回は成り行きを見つめて鳴りをひそめている。宇都宮陣営のウェブサイトの「宇都宮けんじへ応援の声!」ページは、今に至るも「只今、更新作業中です」として沈黙を続けている。わけても脱原発政策に重きを置く人々は、公然と「候補者一本化」という「宇都宮下ろし」の声をあげている。一本化の工作が不調となれば、今度は細川支持を打ち出すしかなかろう。宇都宮では勝てっこないが、細川なら勝てる見込みがある。しかも、細川には、小泉・菅・小澤等がついている。「脱原発の都政を築く千載一遇のチャンス」「脱原発に国政を動かすこれ以上ない好機」なのだから。
万三さんは、なんとか、そのような「脱原発派票の宇都宮離れ」を防ぎたいというわけだ。それが、「細川出馬は、保守派による謀略」という立論の動機。やや痛ましいという印象を否めない。
私が、初めて選挙権を手にしたころ、投票先に悩んだ。当時は中選挙区制。社会党は強かった。当選しそうにない共産党候補に投票するか、当選の可能性が高い社会党候補に入れるべきか。周囲の友人も様々だった。共産党を支持する友人は、「議席獲得よりも一票の積み上げが大切だ。どうせ当選できないからと票を社会党に流していたのでは、永遠に共産党の議席獲得はなくなる」という。これは党勢拡大の立論。社会党を支持する友人は、「今、現実的に最も大切なものは、国会の中に築かれている憲法擁護のための3分の1の壁を守ることだ。そのためには、社会党に投票を集中するしかない」と説得する。こちらは議席獲得最優先の立論。
おそらくは、多くの有権者が今同じような悩みを抱えているのだろう。知事の椅子はひとつ。脱原発シングルイシュー派の有権者にとっては、喉から手が出るほどに、そのひとつの椅子が欲しいのだ。「党勢拡大」や「運動の前進」のために選挙をやっているわけではない、と叫びたくなる気持ちであろう。この人たちは、もしかしたら、雪崩を打って細川支持にまわるかも知れない。万三さんとしては、なんとかそれを食い止めたいのだ。
その気持ちは分かるが、しかし、細川が、宇都宮の足を引っ張るために立候補したというのは、説得力に乏しい。むしろ逆効果だろう。そんなことをいえば、他の卓見まで、眉に唾を付けての吟味が必要と思われてしまう。
前回選挙の2012年12月時点では、現在よりも遙かに脱原発の世論が大きかった。宇都宮陣営の脱原発の足を引っ張るための立候補と言われる候補者はなかった。それでなお、宇都宮候補は惨敗した。いま、保守陣営が、舛添を勝たせるために、細川をぶつけねばならないとする理由はない。
「夏の参院選では、5人区の東京で明確な脱原発の候補が2人当選している」というのも一面的である。「夏の参院選では、5人区の東京で明確な非脱原発の候補が3人当選している。しかも、1位・2位がともに非脱原発派だ」と言い換えねばならない。繰り返すが、都知事選の当選者は1人だけ。ひとつの椅子を目指す選挙戦をしているのだから。
5人の当選者のうち、脱原発派は吉良・山本の両名、合計得票は137万。非脱原発派は、丸川・山口・武見の3名、合計得票数は247万票。この数字だけからは、脱原発派に勝算はない。にもかかわらず、いま俄然「脱原発」のスローガンが争点化しているのは、明らかに細川・小泉両名による発言のインパクトである。宇都宮君では脱原発を都知事選の争点とする力量に欠けていることを認めざるを得ない。
今夕、衝撃的なニュースに接することになった。「一本化」の調整工作に携わっていた河合弘之・鎌田慧さんらは、「原発ゼロを最優先政策として掲げる細川氏を支持する」と決めたという。「有志に名を連ねたのは河合、鎌田両氏、作家の瀬戸内寂聴氏、音楽評論家の湯川れい子氏ら31人。近く事務所を構え、インターネットを使って細川氏支援を勝手連として呼びかけるという」と報道されている。一個の雪片の崩落から雪崩は始まる。これは雪崩の始まりだ。
選挙とはそういうものだろう。当選の可能性のある候補に票は集中する。理念を語る者より、当選の可能性を語ることのできる候補者が強いのだ。当然の政治力学が、人の目に触れるようになったまでのこと。
宇都宮君、やっぱり君の先走った出馬宣言自体が大きな間違いだったのだ。残念ではあろうが、立候補はおやめなさい。
(2014年1月20日)
本日は、「活憲左派」の集会で10分間だけ「立候補をおやめなさい」の理由を語った。ブログ以外で語る唯一の例外の機会。私に続いて吉田万三さんが、やはり10分間の宇都宮陣営からする「反論権」行使のスピーチをした。
下記が、私のスピーチの原稿。主張の全体象のまとめとなっている。
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※私は「澤藤統一郎の憲法日記」(https://article9.jp/wordpress/)を毎日執筆している。いま、そのブログに「宇都宮健児君、立候補はおやめなさい」シリーズを連載中。
12月21日に「宣戦布告」して書き始め、今日が30回。まだまだ続く。
宇都宮君と選対のダメで汚い実態と、公選法違反疑惑を指摘している。
私の表現手段はブログだけ。唯一の例外が、今日のこの10分間の発言。
口を揃えての安倍批判は楽だ。宇都宮批判は、相当の覚悟の上でのこと。
今、私は覚悟して宇都宮批判に踏み切った意味があったと考えている。
反響は大きい。共感・共鳴の声が寄せられている。
私自身が、民主主義を自分の問題として深く考えるきっかけとなった。
民主運動や組織の、非民主的な体質を見直す問題提起となっている。
※ほかならぬ私が宇都宮君を批判していることの重みを知っていただきたい。
私は、彼とは同期の弁護士で、修習生以来40年余の付き合い。
前回選挙では誰よりも熱心に彼を支持した。「素晴らしい候補者」と歯の浮くような、無責任な推薦をしてまわった。家族総出で選挙運動もした。
しかも、今なお、私の都政改革に対する願望は誰よりも強い。
その私が、自分の「人を見る目のなさ」に臍を噛んでいる。ダメでダーティな候補者を推薦したことお詫びし、「宇都宮君、立候補はおやめなさい」と言い続けている。
私の内部批判は約1年間。彼は聞く耳持たず、無反省のママ再出馬しようとしている。
※私が宇都宮君を批判する具体的理由は次のとおり。
(1) 候補者として不適格。都知事候補としての資質・能力に著しく欠ける。
有権者を惹きつける魅力がない。「惨敗」実績の候補。勝負にならない。
論争・対話・交渉・調整の政治手腕に無能。これでは知事は務まらない。
(2) 「勝てなくても推すべき候補」ではない。
人権侵害に対する感度の鈍さ。弱者へ共感し寄り添う姿勢を持たない。
負けを覚悟で次のために橋頭堡をつくる選挙の候補者としても不適格。
(3) 批判を封殺する反民主主義的体質。「だまし討ち」手口の汚さ。
前言を翻して恥じない無責任な品性は、革新共闘候補者に不適切。
(4) 法律家にあるまじきコンプライアンス意識の欠如。法への無理解。
その結果、4点の公選法違反疑惑のリスクを抱えている。
*上原公子選対本部長他の「労務者」報酬名義での運動員買収疑惑。
*宇都宮君自身による法律事務所職員への運動員買収疑惑。
*岩波書店の熊谷選対事務局長(岩波勤務)への運動員買収疑惑。
*選挙運動員慰労会での供応(飲ませ喰わせ)疑惑。
そのリスクは、候補者だけではなく、推薦した政党や団体・個人にも及ぶ。
公選法には言論活動に対する「弾圧法規」部分と、経済力で選挙や選挙運動を歪めてはならないとする「民主的」側面とがある。両者を混同してはならない。
革新陣営は、公選法の「民主的」側面を活用して、保守の金権・企業ぐるみ選挙を批判してきた。批判する革新の側には、徹底したクリーンな選挙が要求される。
私が指摘する4点の疑惑は、弾圧とは無縁。徳洲会と同質なもの。
※私が宇都宮君を批判する本質的理由
(1) 人として譲ることの出来ないものは、「一寸の虫にも五分の魂」の矜持。
この「人間の尊厳」が、憲法上の人権(13条)として究極的な価値なのだ。
人権侵害の主体が、国家権力であろうと、企業・暴力団・市民運動組織、また「宇都宮ブラック選対」であろうとも、断固として闘わねばならない。
宇都宮君と選対は、私と私の息子の、人間としての尊厳を傷つけた。
だから私は徹底して闘う。妥協の余地はない。人権侵害を受けた者は、声を上げなければならない。これを私憤と切り捨ててはならない。
(2) いかなる組織にも幹部批判の自由は絶対に必要。批判のないところに組織の発展はない。民主主義を標榜する組織において批判の言論封殺はもってのほか。
宇都宮選対と宇都宮君は、汚い手口でそれをやった。私は徹底して闘う。
※私が闘う手段は言論のみ。不当な仕打を社会に知ってもらうことが対抗手段。
どのような理由であろうとも、対抗手段としての言論の封殺は許されない。
ブログは、言論の自由が重んじられる社会における素晴らしいツールだ。
相互批判の自由を尊重しなければならない。宇都宮陣営は、3弁護士連名の「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」(1月5日付)を公表している。私の主張と読み較べていただきたい。
http://utsunomiyakenji.com/pdf/201401benngoshi-kennkai.pdf
※私のブログ発言に、裏から聞こえる批判のパターン。
★大所高所に立つべきだ。大局を見誤るな。
⇒被害者は「大所高所」論に怯んではならない。叫ぶべきである。
⇒人権侵害への抗議に耳を傾ける寛容こそ「大所高所」に立つ姿勢。
★利敵行為ではないか。「敵」に塩を送るな。
⇒「敵」とは人権を侵害する加害者である。
人権侵害を放置し、被害者の声を封殺する行為が「利敵行為」。
★選挙とは「よりマシな候補」を選ぶもの。宇都宮は「よりマシ」だ。
⇒被害者にとって、人権侵害者が「よりマシ」ではあり得ない。
⇒「よりマシ」論は、「脱原発候補一本化」につながる。
★批判は結構だが、今はまずい。選挙が終わってからやるべきだ。
⇒無力の被害者が声を上げるのだ。最も効果的な時期を選んで当然。
⇒私は前回選挙後問題提起を1年続けて無視され、だまし討たれた。
☆どれもこれも、権利侵害された弱者の側に「泣き寝入りせよ」との立論。
批判・異論を許さぬ「小さな権力と、それに迎合するミニ翼賛体制」という、
運動の体質が問われている。批判の自由のない組織・集団は衰退する。
☆さらに、一人一人の個としての自立の姿勢が問われている。
小さな権力を支えるミニ翼賛体制に与するのか、拒絶するのか。
※私は、意義のある問題提起をしえたと考えている。
詳しくは、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」(https://article9.jp/wordpress/)を参照ください。
(2014年1月19日)
都知事選告示まであと5日。立候補予定者の行動が賑やかに伝えられている。世間の関心は、有力な脱原発公約候補として登場した細川護煕氏の動向。本日の毎日によれば、同候補陣営は「選挙公約の柱を『即時原発ゼロ』とする方針を固めた」という。これは、宇都宮陣営よりも遙かに旗幟を鮮明にした脱原発の姿勢。宇都宮陣営は、いまだにホームページに「脱原発法をつくろう」とロゴを入れている。周知のとおり、同法案は脱原発実現目標を「遅くとも平成32(2020)年度から平成37(2025)年度までのできる限り早い時期」として、共産党に批判されているもの。この細川氏出馬に、宇都宮陣営の支持者から「脱原発票の分散を防ぐために、脱原発候補者の一本化を」との意見が公然化している。
「脱原発候補一本化」とは宇都宮君に候補者を降りろということ以外にはない。
「安倍とその不愉快な仲間達をこれ以上のさばらせるくらいなら、自民推薦以外の勝てそうな候補がいい」「脱原発・非核化政策実現の大きなチャンスを逃してはならない」などの意見が目につく。結局のところ、「小異を捨てて大同に就くべき」「一本化に応じないのは自公勢力への利敵行為」「大所高所に立って事態を見ろ」という意見が身内から出ているわけだ。
伝えられているところでは、これに対する宇都宮君の対応に、断固たるところがない。「当面、一本化はあり得ない」「今のところ、候補者調整はない」と言っている。「当面」以後であれば、「先のこと」としてなら、宇都宮君の立候補断念は大いにありうるストーリーとも読める。
私は、宇都宮君に「立候補をおやめなさい」と勧告する理由として「4本の柱」を立てた。その中の1本が、「到底選挙に勝てそうにない」こと。「選挙に勝てない」レベルではなく、「勝負にならない」と思っている。前回選挙での「惨敗」の烙印が深く刻まれているからだ。候補者としての論争力を欠き、有権者を惹きつける魅力に乏しい。選挙戦を通じて、革新の世論を盛り上げうる人材ではない。
勝てないながらも闘うべき場合があることは当然だ。しかし、当選を目指しての選挙戦だ。勝てないことが分かりきっている候補を担いでは、元気が出ない。どうせ担ぐなら、もっと元気の出る選挙のできる候補者、そして将来の展望につながる候補者とすべきだったのだ。
一つの椅子を争う首長選である。小選挙区と同じく、本命と対抗の2候補だけに票が集中することが避けられない。宇都宮君は、前回次点で97万票弱。トップの434万票との票差がこれほど開いた都知事選はかつてなかった。しかも、次点であるからには、相当の反猪瀬・反石原票が入っていたはず。それでなおこの惨敗。
現在の状勢をみれば、舛添・細川の両氏が、本命・対抗の2候補であることは明らかだ。舛添氏は、自らの介護の経験を売りにし社会福祉・労働政策をそれなりに具体的に語りうる候補として手強い。そして、細川氏は脱原発を華麗な文明論で語るだろう。結果として、3位以下は霞むことにならざるを得ない。
前回票97万を、宇都宮君の基礎票と仮定しよう。今回は、この基礎票から、かつての「未来」や小沢一郎氏グループの票が抜ける。菅直人氏関係票が抜ける。脱原発シングルイシュー派の多くが脱落する。前回は「共闘」した山本太郎も沈黙し、その支持票も期待できない。社民党の支持の姿勢も迷走している。要するに、圧倒的に引き算しかできない。いったい残ると見込める固い票はどれだけあるだろうか。唯一、足し算の要素は共産党の本気度だ。前回とは様変わりの遊説計画が展開していることは、赤旗の紙面からは読み取れる。前回選挙の出口調査では、共産支持者の60%余しか宇都宮君に投票していない。この比率は上がることになるだろう。
前回都知事選で宇都宮君を支持した多くの文化人・著名人が今回は鳴りをひそめている。むしろ、細川氏支持を表明しさえしている。たとえば、「九条の会」の呼びかけ人は5人。そのうち梅原猛氏は熱烈に細川支持を表明している。「私はもう年ですが魂は選挙カーの上にあります」(毎日・1月17日夕刊)という気合いの入れ方。澤地久枝氏もいち早く細川支持を打ち出した。大江健三郎・奥平康弘の両氏は、前回事実上の宇都宮推薦母体となった40氏アピールに名を連ねていたが、今回は黙して語らない。これが、文化人・著名人の動向の大勢と言えよう。
なお、脱原発派文化人の象徴的な存在として40氏アピールの一人でもあった鎌田慧氏が積極的に「一本化」に動いている。この動きに宇都宮陣営は「対話には応じる」(15日付「回答書」)としたが、細川氏側は「いかなる政党、団体とも提携せず、独自の知恵で脱原発を進めたい。立候補の調整は無理」と返答したという。
ところで、今日私が言いたいことは、「一本化」の中身についてである。「一本化」とは二人の候補者に分散する脱原発票を一人の候補者に集中させること。常識的に、誰もが宇都宮君の立候補断念と認識しているが、別の態様の「一本化」が考えられないわけではない。
まさかとは思うが、たとえばの話し。A・B両候補の「密約」による「一本化」。Bが立候補を断念して、Aに票を集中させる。Aは、当選した暁にBにそれなりの処遇を約束するのだ。たとえば脱原発問題担当の副知事ポストを。副知事では露骨に過ぎるということであれば、それなりの脱原発の課題を管轄する新設ポストでもよい。Bは、選挙に敗れて元も子もなくすよりは、現実的に自分の理念を政策化する立ち場を手に入れるメリットを享受する。
そんなことをネットで呟いている人がいるが、そのようなことがあれば、おそらくはA・Bともに政治的に大きな批判に曝されることになるだろう。それは当然として、実は公選法に違反するおそれが大きい。
公職選挙法223条は、「公職の候補者たること若しくは公職の候補者となろうとすることをやめさせる目的をもって」「候補者若しくは公職の候補者となろうとする者に対し」「公私の職務の供与、その供与の申し込み若しくは約束をすること」を禁止している。違反した場合は4年以下の懲役又は100万円以下の罰金。
候補者調整のためにポストの提供を口にした途端に「申し込み」罪が成立する。約束が成立すれば、両者がアウトだ。要するに、ポストを約束して降りてもらう態様の「一本化」は選択肢としてあり得ないということだ。
宇都宮副知事のポスト約束などということがあれば、前回選挙に続いて公選法違反を重ねることになる。あり得ない話しとは思うが、念のため、ご注意申し上げておきたい。
結局のところ。宇都宮君、きみの採りうる選択肢は、今無条件で潔く身を退くか、選挙に突っ込んで再度の大敗を喫するかだ。今無条件で潔く身を退けば、細川・小泉陣営を利することになる。これは「脱原発」ではあるが「靖国・構造改革」派勢力の応援になる。選挙に突っ込めば、脱原発候補の票を割って、自公陣営に漁夫の利を持たらしかねない。安倍自民をほくそ笑ましめることにもなる。私が期待したものは、相手が誰であろうとまったく動じることなく、味方を励まし次につながる闘いを組み立てる魅力溢れる革新共闘の候補者だった。君の早い段階での立候補表明が、他のふさわしい候補者選びを牽制してしまったことを残念に思う。
宇都宮君、きみには「悪魔の選択」しか残されていない。これはきみ自身が招いた自業自得の事態だ。きみが立候補を断念すれば細川・小泉を利する。立候補を断念しなければ安倍自民を利するのだ。
私は、選挙情勢とは無関係に、主張し続ける。宇都宮君、立候補をおやめなさい。
(2014年1月18日)
「もしもし、憲法会議事務局長の平井正さんですね。澤藤です。
執筆のご依頼を受けた「月刊憲法運動」2月号の原稿の件ですが、本日が締切の1月17日です。ご依頼の「岩手靖国訴訟」をテーマにした原稿は執筆いたしました。これから送稿すれば、1月末発行の「2月号」に掲載していただけるでしょうか」
『そのことについては、一昨日にファクスで申し上げたとおりです』
「私が文書を要求して、一昨日のファクスをいただきました。経過は正確に記載されています。平井さんが、けっして嘘を言ったりごまかしたりされる方ではない。そのことはよく分かりました。そのファクスが『3月号以降への掲載変更の再度のお願い』となっています。『再度のお願い』に私は承諾いたしかねます。改めて申し上げますが、私はお約束のとおり、ご依頼の原稿を完成しました。あなたがお約束のとおり『2月号に掲載する』と言っていただけるなら、これから送稿いたします。いかがでしょうか」
『ファクスで申し上げたとおり、2月号の掲載はできません』
「確認しますが、約束を破ってまで2月号掲載ができないという理由は、私が宇都宮君批判のブログを書いているからということで、それ以外に理由はありませんね」
『そのとおりです。そのこともファクスに記載しています』
「他の理由だったら、私はもっと物わかりのよい態度をとることもできます。靖国問題の記事の掲載は早いに越したことはないと思うけれども、なにも、その原稿掲載が何か月か遅れることが、大問題と言うつもりはありません。しかし、私の表現の自由にかかわる問題となれば話は別です。憲法上の権利について、一歩も譲ることはできません。あくまでも、お約束いただいたとおり、2月号掲載をお願いしたい」「憲法会議は『民主的自由をまもり、憲法の平和的・民主的条項を完全に実施させ』ることを目的とする団体ではありませんか。憲法理念の擁護を看板にしている団体として、私の憲法上の権利に配慮をお願いしたい」「表現の自由は、けっして公権力からの権利侵害だけを問題とするべきものではない。私的団体とはいえ、憲法会議に私の表現の自由を尊重していただけないことは、まことに不本意です」
『ファクスで申し上げたとおりです。2月号掲載のご要望には沿いかねます』
「私は、あくまで2月号掲載要求にこだわります」
『では、ファクスに書きましたとおり、掲載自体を見送らざるを得ません』
「よし、分りました。確認しますが、約束を破ったのはあなたの方です。そして、約束を破った理由は、私がブログで宇都宮君批判の言論をしたこと。それで間違いないですね」
『残念な成り行きですが、おっしゃるとおりです』
「もう結構です。これ以上話すことはないので電話を切ります」
おそらくは、この電話の切れ目が縁の切れ目だ。宇都宮君、私はきみと縁を切ることになんの躊躇もなかったが、こうしてきみを支援している人たちと次々と縁を切っていくことになるのだろうか。
もっとも、このブログの「おやめなさいシリーズ」を始めて以来、日々新鮮な発見があり、新たな理解者との新たな縁のつながりがある。まさしく、捨てる神あれば、拾う神もある。それでも、切らずに済む縁なら、切ることもない道理。きみの立候補さえなければ余計な心配をせずともよいことになる。
やはり、宇都宮君、きみには速やかに立候補を断念し、そのことを明示してもらいたい。
(2014年1月17日)
本日、東京都選挙管理委員会(都庁第1庁舎N39階)で、前回都知事選宇都宮健児候補の選挙運動費用収支報告書を閲覧した。宇都宮選対は届出を「間違い」としているのだから、当然のこととして報告書の訂正がなされているはずと思ったのだが、本日(1月16日)午後の時点でなんの訂正の届出もなかった。
私が、当ブログで上原公子選対本部長(元国立市長)、服部泉出納責任者らが、違法に選挙運動に対する報酬を受領していることを指摘したのが昨年の12月21日。宇都宮君らは12月31日に、インターネット動画中継で、次のように言っている。
「問:上原さんの件について。無給(ボランティア)でやるのが選挙であるが、上原さんにお金が支払われていた事が確認できる。これが公選法違反にあたるのではないか。
答:この点は(上原さんは)実際に選対本部長をやられていて、その間の交通費などの実費の補填はしていたと聞いている。金額にして10万円。労務費になっていたが、収支報告書の訂正をする。
問:労務費は適正では無かったと。それは修正すると。
答:公選法違反については、公選法専門の弁護士団の公式見解をまとめて、来週の(1月)6日には発表出来る。そういう対応をしている。」
こうして、1月6日に、3弁護士連名の「澤藤統一郎氏の公選法違反等の主張に対する法的見解」(但し、1月5日付)が公表された。その内容は以下のとおりだ。
「澤藤氏は上原選対本部長らが交通費等のごく一部の実費弁償として金10万円を受領していたことをもって『公選法に違反』しているとの主張を繰り返している」
「だが、(上原さんへの)交通費や宿泊費など法的に認められる支出の一部にすぎない10万円の実費弁償に何の違法性もないことは明らかである」
「澤藤氏は私憤の感情からこれを故意に混同させ、あたかも公選法違反があるかのごとき主張をなしている」
「もっとも、上原さんらの上記10万円の実費弁償が選挙運動費用収支報告書に誤って『労務費』と記載されていることは事実であるが、この記載ミスを訂正すれば済む問題である」
これが「公選法専門の弁護士団の公式見解」である。
つまりは、「選挙運動報酬として受領した」旨の上原公子選対本部長の署名捺印のある領収書は虚偽の内容で、「労務者報酬」としての選挙運動収支報告書の届出は「記載ミス」というのだ。受領した10万円の真実の使途は、「交通費や宿泊費など法的に認められる支出の一部にすぎない」という。このリアリティを欠く主張自体が立証不可能を表白している。誰もが、宇都宮陣営の自信のなさを読み取らざるを得ない。
「3弁護士の法的見解」がいう「上原さんら」とは、誰と誰のことなのか、何人について言っているのか。一日1万円ちょうどという、交通費や宿泊費とはどのような内容なのか。公職選挙法上徴収と保管を義務づけられている領収書はどうなっているのか。選挙運動収支報告書の訂正届出に必要な領収証をどう調達するのか。私には、どのように「記載ミスの訂正」をするつもりなのか、想像も及ばない。仮に、形式的には訂正して届出が受理されたとしても、訂正内容が虚偽記載に当たる蓋然性を否定し得ない。
「法的見解」が、「記載ミスを訂正すれば済む問題である」と言ってから、今日が10日目である。「上原さんらの選挙運動費用収支報告書上の『労務費』とされた記載ミス」は速やかに訂正されるべきだが、いまだに訂正のないのはどうしたことだ。宇都宮陣営のコンプライアンス軽視の姿勢がここにも表れている。「訂正すれば済む問題」が、済んではいないのだ。もちろん、訂正があった場合には、訂正された新たな内容の真実性が改めて問題にされることになる。
選挙運動費用収支報告書の主要な問題の部分を抜き書きしておく。
支出の部 人件費
12月14日 金額10万円 区分・選挙運動 支出の目的・労務者報酬
支出を受けた者・上原公子 職業・無職
備考 10000円×10日間
12月14日 金額10万円 区分・選挙運動 支出の目的・労務者報酬
支出を受けた者・服部泉 職業・無職
備考 10000円×10日間
選対本部長や出納責任者が、機械的労務を提供するだけの労務者ではあり得ないのだから、少なくとも上記2名について訂正の必要があることは明白だが、それだけにはとどまらないはずである。まずは、訂正を見届けたい。
同じ知事選挙における猪瀬直樹候補の選挙運動資金収支報告書によれば、同候補の選挙運動資金「収入」は3050万円。支出合計は、2458万7890円である。これだけを見る限りでは、猪瀬陣営よりも宇都宮陣営の方が選挙運動資金は潤沢であった。もちろん、徳洲会からの5000万円は除いてのことである。
保守陣営に金権選挙をやらせてはならない。そのための選挙運動資金規制であり、報告義務の制度である。運用の厳格さを疎かにしてはならない。革新陣営のコンプライアンスは絶対に必要なのだ。上原公子選対本部長や服部泉出納責任者の違法は、けっして見逃すことができない。
前回選挙の収支報告書の記載ミスを認めながら、新たな選挙直前のいま、その訂正もできないようでは立候補の資格あるとは思えない。宇都宮君、立候補はおやめなさい。
(2014年1月16日)
「人にやさしい東京をつくる会」の運営会議の席で、私は、出席者から少なくとも2度、「今後運動の世界で生きていけなくなるからよく考えろ」という「忠告」を受けている。「だから、おとなしくしておいた方が身のためだ」という恫喝と私は理解した(「その10」)。
「いまどき馬鹿げたことを」と私は一顧だにしなかったが、ようやくにして思い当たる事件にぶつかった。私は、新たな怒りを燃やして報告する。直接の怒りの対象は、「憲法会議」(憲法改悪阻止各会連絡会議)だ。事件は、その機関誌である「月刊憲法運動」の執筆依頼の撤回である。些細なことではない。私は重要な問題と考える。「憲法会議」に、憲法を語る資格があるのかを問わねばならない。そして、そのような人々に支えられている宇都宮君に、改めて「立候補はおやめなさい」と言わねばならない。
話しの発端は、昨年の12月27日。憲法会議の平井正事務局長から電話をいただいた。機関誌「憲法運動」2014年2月号(1月末発行)への執筆依頼。テーマは、「岩手靖国訴訟」。2015年が憲法会議結成50周年となることを記念して、 憲法を軸にした戦後のたたかいの記録を残したい。テーマを決めて適任者に執筆を依頼し、順次「憲法運動」の各号に掲載して、50周年の記念行事には一冊の本にまとめたい。その第2号への執筆依頼だという。内容は任せるが、過去の記録とするだけでなく現時点での教訓とする視点が欲しいとの話しもあった。字数は6000字、締切は1月17日(金)とのことだった。
私は即座に承諾した。26日には、安倍晋三の靖国神社参拝が強行されていた。岩手靖国訴訟への取り組みや判決内容は、今こそ教訓として酌むべきだと思っていたところである。憲法会議が同様の意見であることに、我が意を得たりと思った。さすがは憲法会議と敬意を表する気持ちであった。この会話の際に、私はブログのことなど思い出すこともなかった。なお、この執筆依頼があった日は「おやめなさいシリーズ」を書き始めて7日目に当たる。書き始め当時の緊張感も薄れていたころだ。
同日、ファクスで執筆要領が送信された。電話で聞かされたことの確認であり、原稿料は8000円とされていた。こうして、憲法会議と私との間に、原稿執筆に関する請負契約が成立した。
私は、正月休みの間に、岩手靖国訴訟に関する資料をひっぱり出して読み込んだ。判決直後に新日本出版社から刊行した自著「岩手靖国訴訟」を読み返し、わずか6000字の字数で何をどう書くべきか想を練った。
ところが、まったく思いがけないことが起こった。1月8日午後、突然平井氏が、拙宅を訪ねてきた。そして、言いにくそうに、「執筆依頼した原稿は2月号に掲載するわけにはいかなくなった。3月号以降のいつになるかは分からないが、掲載号を延期したいので、ご了解いただきたい」というのだ。氏は、玄関の立ち話のつもりだったようだが、私は応接室に座ってもらってお話を聞いた。1時間余。私の妻も立ち会った。
2月号に私の執筆原稿を掲載できない理由は、私がブログで宇都宮君の批判をしていることだとはっきり伝えられた。
「私が依頼され承諾した原稿の内容は、都政の問題ではなく靖国問題ではないか。宇都宮君への批判が出てくるわけがない」と言ってみたが、「それは分かっています。それでも、先生が宇都宮さんを批判していることが問題なのです」という。「いったい誰が、どのように問題にしているのか」と聞くと、「いえ、誰かがそう言っているというわけではありません。私ども、憲法会議事務局の判断です」との答。
それからは、私と妻とで、平井氏を説得する努力をした。
「私は、どうしても承諾するわけにはいかない」
「私の宇都宮君批判が理由でなければ、掲載号が何号か遅れてもやむを得ないとするだろう」
「しかし、私は、宇都宮君を批判する言論の自由にこだわる。あなたがやろうとしていることは、私の言論への口封じだ。それを認めて引き下がるわけにはいかない」
「私は宇都宮後援会から原稿執筆依頼を受けたのではない」
「憲法会議は、憲法の理念を活かそうという立ち場にあるはずだ。積極的に言論の自由を擁護すべきではないのか」
「権力による言論の封殺に抗議するのであれば、自らも小さな権力となって言論の封殺をするなどのことがないよう心掛けるべきだろう」
「憲法を、公権力に対する規制とだけ理解していたのでは、企業の中での労働者の市民的自由を守ることができない。私的な強者にも憲法を守らせなければならないが、そのためには民主団体も自らを律しなければならない」
「ダブルスタンダードは自らの発言の迫力を弱めることにしかならない」
「憲法会議は、『私はあなたの意見には反対だが、あなたの意見を封じようとする者とは断固闘う』と言うべきではないか。それでこそ憲法会議が権威と尊敬を勝ち得ることになる」
平井氏には、反論らしい反論はなかった。私のブログも、ほとんどお読みではないようだった。たいへんなことを言いに来た割りには、覚悟も準備もできているようではなかった。
私は、最後に2度ほど繰り返して、確認した。
「私と憲法会議との間には昨年暮れの時点で、『月刊憲法運動』2月号の記事執筆について契約が成立している。今日、あなたは、成立している契約内容の修正を私に要請した。私は、明確にお断りした」「だから、契約にはなんの変更もない」「今日はそれだけのことだ。予定のとおり、私は原稿を書いて17日までに提出する」
これに対して、平井氏は、「持ち帰って再度内部で協議します」と言って帰った。
そして、連休明けの14日、また平井氏から電話があった。私は「ご依頼の原稿はほぼ完成しています。推敲して明日にも送れます」と言ったが、平井氏は受けとるとは言わなかった。「もう一度要請したいので、会ってもらいたい」とのことだった。前回とは別の提案があるのかと聞いたが、「前回の要請内容について、さらに詳しくご説明しお願いしたい」というだけ。「それなら、会っても無駄。お互い時間の浪費だから会うのはやめましょう。要請の趣旨と理由を文書にしてファクス送信していただきたい」と私は言った。そしてつけ加えた。「私はだまし討ちはしない。場合によっては、あなたのファクスを天下に公表する。そのつもりで、きちんとしたものを書いていただきたい。今日の今日では、たいへんだろうから、明日、15日に送信してください」。「承知しました」となった。
そして、今日(1月15日)、そのファクスが届いた。私は、その内容に怒っている。言ってきたのは、「3月号以降への掲載号変更の要請」だけではない。澤藤が掲載号変更に同意しない場合には、「掲載は見送らざるを得ません」、要するに「執筆お断り」というのだ。そして、その場合には「8000円を速やかに送金させていただきます」という。契約違反だから金は払う。言外に金を払えばそれ以上の文句はないだろう、というニュアンスを感じる。
2月号掲載拒否の理由が、末尾4行に綴られている。「年が変わった時点で、澤藤先生がブログで『宇都宮健児君、立候補はおやめなさい』と題する文書の発信を続けていることを知りました。2月9日投票の東京都知事選挙において、宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している憲法会議構成の諸団体の納得を得ることはできません。」というのがそのママの文章である。
この文書がどの範囲の人々が関わって作成されたのかは知る由もない。しかし、この偏狭さには、不気味なものがある。「宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している『憲法会議構成の諸団体』の納得を得ることはできません。」の、『憲法会議構成の諸団体』は、無数の類似団体に置き換えることができる。これは「村八分」の論理だ。「非国民」排斥の論理でもある。
憲法会議は、私の靖国論については評価し、岩手靖国の運動と判決を今に活かすべく原稿を依頼した。にもかからず、都知事選での私のブログを問題にして、執筆依頼を撤回した。ブログのどこにどんな問題があるという指摘はない。宇都宮批判を「民主陣営」批判とし、私に「民主陣営敵対者」のレッテルを貼り付けた。これから、このレッテルがひとり歩きすることになるのだろう。「運動の世界で生きていけなくなるからよく考えろ」とは、こういうことだったのだ。
私は、この件を些細なことと見過ごすことはできない。会の名称に「憲法」を冠する団体が「批判の自由の封殺」に手を貸してはならない。少なくとも、批判の言論に寛容でなくてはならない。憲法会議には、自らの行動を憲法の理念に照らして律しようとの思いはないのだろうか。省みて、恥ずかしくはないか。
憲法会議が、約束どおりの原稿掲載を拒否した理由は、依頼した原稿の内容を予想してのものではない。私が宇都宮君を批判している理由が間違っているからというものですらない。要するに、いつも仲間の仲良しグループに同調しない「共通の敵」だということにある。これを、「村八分」「非国民排斥」の論理という。
「宇都宮候補の当選をめざして、全力をあげて奮闘している諸団体の納得を得ることはできません。」は、批判を許さぬ大政翼賛会の論理でもある。
理性を持った人間の集団において、すべての意見が一致することなどあり得ない。この「村八分」「翼賛会」の論理は、「民主陣営」を限りなくやせ細らせていくことになるだろう。「運動の世界で生きていけなくなるから、批判などせぬようよく考えろ」などと言っていけない。「運動の世界に真っ当な人物がいなくなるから、批判には寛容でなくてはならないことをよく考えろ」というべきではないか。
宇都宮君、君は憲法を守ると公約しているようだ。しかし君は、およそ憲法の理念など弁えぬ人々に担がれている。そのような人々に支えられた君が、憲法を守る公約を掲げること自体おこがましい。およそ君が選挙戦を闘う意味はない。潔く、立候補をおやめなさい。
(2014年1月15日)
私が当ブログで宇都宮君の批判を始めた動機について、その半分は「私憤」だと言ってきた。そして、動機が私憤であることを隠す必要もないと言い続けてきた。私憤とは、人間としての尊厳を踏みにじられた者の怒りだ。忿怒・悲憤・瞋恚など、怒りをあらわす語彙は多様だ。どう表現しようとも、卑劣な手口による矜持の侵害に対する心の底からの怒りは恥ずべきものでも隠すべきものでもない。ましてや揶揄さるべきものではありえない。この私憤は人権侵害に関わるものなのだ。
そして、もう半分の動機である「公憤」について語りたい。こちらは、民主々義に関わるものだ。このシリーズを書き始めてから今日が25日目、25回にわたってそれなりのことを書いてきた。そのことによって、私憤としての感情は治まりつつある。思いを綴って公表して、多くの人の共感を得ることの精神的な浄化作用は想像以上に大きい。しかし、公憤の部分、すなわち民主々義にかかわる問題意識に関しては、ブログに書くことで解決には至らない。
私が宇都宮陣営の非として許せないとしたのは、組織内批判者に対する報復としての任務外しと、うるさい批判者排除目的の「だまし討ち」だ。これは、民主々義の原則上、由々しき問題ではないか。そのようなことが、「民主陣営」内の、都知事選挙の場で起こっている以上は、問題を摘示して多くの人に知ってもらわねばならない。同種の場において、類似の出来事が繰り返されることのないために、である。
言うまでもないことだが、言論の自由は民主々義の基礎だ。特に留意すべきは、あらゆる集団・組織において具体的に問題になるのは、一般的抽象的「言論の自由」ではなく、「組織内の権威・権力・指導部に対する批判の自由」ということなのだ。民主々義を標榜するあらゆる集団の指導部は、自らに対する批判の言論に対して格別に寛容でなくてはならない。これを封殺しようなどとは、もってのほかだ。
民主々義とは、完成態のないプロセスだ。永久運動としての権力批判の連鎖だけが、民主々義の保障となる。そのことは国家権力のレベルにおいても、自治体においても、あるいは企業でも市民運動組織でも、さらには「選対組織」であろうとも同様だ。批判の自由のない組織に民主々義はない。
宇都宮選対は、市民に開かれた民主的な組織としての建前を持っている。そのことが、多くの人の参集を可能とする。単なる機械的労務の提供者としてでなく、主体的なボランティア選挙運動員として、経験や知恵や工夫や人脈の提供者としてである。
そのような建前を持つ組織では、情報が共有される。誰もが対等の立場で発言権をもち、誰もが対等に意見交換の機会を保障される。権限や責任をもつ地位にある者に対する批判の自由が保障されなければならない。
しかし、現実の宇都宮選対と宇都宮君には、決定的に批判の自由が欠けていた。批判や異論を許さぬ「小さな権力」が成立し、その権力に迎合する「ミニ翼賛体制」ができあがっていたのだ。なんという、風通しの悪さ。これを克服せずして、世に民主々義の前進はない。
さて今、宇都宮陣営は、前回選挙の失敗の教訓を学んで組織内民主々義を確立しているのだろうか。陣営内の言論の自由、批判の自由は保障されているのだろうか。事務局長情報独占の弊は克服されているのだろうか。陣営の意思決定過程の透明性は確保されているのだろうか。説明責任は尽くされているのだろうか。
かつての「人にやさしい東京をつくる会」のメンバーは公表されたことがない。これは不自然で奇妙なことではないのか。旧友が送ってきた手紙の中に、「共同責任・無責任」という言葉があった。会は、まさしく、この言葉のとおりの実態だった。
私を切ったあと、宇都宮陣営は、「希望のまち東京をつくる会」を立ち上げたようだ。この会は、「やさしい会」の名称だけを変更したものなのだろうか、それとも新しい組織なのだろうか。もし、「やさしい会」の名称を変更したものであれば、私も運営に参画していた時期における「会は、次回の都知事選挙の母体とはならない」という確認に反したことになる。また、もし、新しい組織だとすれば「やさしい会」はどうなったのだろう。前回選挙カンパの残余である「やさしい会」の520万7907円という現金はどうなったのだろうか。どうするつもりだろうか。
報道によると、脱原発をメインの公約に掲げた細川護煕氏の出馬確定で、陣営内にも支持者にも、宇都宮撤退論が出ていると聞く。プレスリリースされた宇都宮陣営の公式の見解のなかに、「脱原発で一致する宇都宮と細川氏が分立することは、原発推進政党が支援する候補者を結果的に利するのではないか、という声があります。私たちは、そうした声に謙虚に耳を傾けたいと考えます」という一節がある。断固として立候補辞退拒否という姿勢ではないことに驚く。
「宇都宮陣営の公約としての脱原発論は他陣営とこう違うのだ」というアピールがない。「細川氏を推す小泉純一郎こそ、新自由主義路線を突っ走って格差と貧困を蔓延させた張本人ではないか。靖国参拝を繰り返した、歴史修正主義者ではないか」という姿勢を見せるところがない。明らかに微妙な問題として腰が引けているのだ。意識的に撤退の含みを残しておこうという内容の「見解」。
しかし、宇都宮君の立候補撤退是非に関して、私は、その結論に興味があるわけではない。私の関心は、専ら結論に至る手続の民主性にある。陣営の中で、徹底の是非に関してどのように議論を積み重ねているのかである。引用した「見解」は、いったい、どのような範囲の議論を経て確定されたものなのだろうか。
誰に決定権限があるのか、議論への参加資格は誰にあるのか。その線引きはどうしているのか。現在のところ、すいせん政党は共産党、社民党、緑の党の3党だということだが、どのような政策協定、意思決定手続の約束ができているのだろう。これも、外部に出す必要はないというのだろうか。
情報を遮断された外野にいると、何もかにもが、見えざる世界での出来事である。厚い壁の向こうで行われていることは、「市民に開かれた」というキャッチフレーズとは無縁と言わざるを得ない。そのような体質が、結局は、パワハラやだまし討ちの土壌になったのではないか。
選挙とはそんなものだ。組織とはそんなものだ。というのなら、私が無い物ねだりをしただけのこととなる。しかし、美しい理想と公約を掲げての選挙をしているはずではないか。透明性の不足も、幹部批判の自由の封殺も、民主々義の未成熟として、批判の対象とすべきではないだろうか。
宇都宮君、だから、君への批判は甘受したまえ。反省して、立候補はおやめなさい。
(2014年1月14日)
昨年の暮れに孤立無縁でルビコンを渡った。そのときから、今日が24日目。ルビコンの向こう岸には、鬼と蛇しかいないだろうと覚悟していた。ところが、地獄にも仏がいた。まったく思いがけなくも、自分の主宰するブログで、私の立場にご理解を示していただく何人かの方に出会えた。私にとっては、賽の河原のお地蔵様だ。
その代表が下記のもの。
Blog「みずき」 http://mizukith.blog91.fc2.com/
醍醐聡のブログ http://sdaigo.cocolog-nifty.com/
お二人とも、「私憤論」にとらわれることなく、ご自分の問題意識を触発する事件として把握し発言をされている。私も、お二人のご意見は、背筋を伸ばし襟を正して拝読している。
また、次のブログが「その23」の記事を紹介してくれている。記事の後についているコメントが、私の長い面倒な文章をよくご理解いただいてのもの。私にとってはまことに嬉しい。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/4c1be33cf6c62cea323f521f98e71714
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ところで、事件の発端である「随行員任務外し」事件について、もう少し補充して述べておきたい。
2012年12月12日夜。街宣行動が終わったあと、私は、宇都宮健児、中山武敏の両君と、大河・Tさんを引き合わせた。場所は、選対事務所の至近、四谷三丁目駅前の喫茶店ベローチェ1階。
そこで、大河とTさんから、宇都宮・中山の両君に詳細に経過が語られた。両名とも驚いて聞いていた。選挙は最終盤である。これまで、なんの滞りもなく、任務に献身してきた候補者随行員二人をこの時期に切ってしまうことは、誰がどう考えても乱暴極まる処置である。選挙選に支障を来すことすら考えられ、そうまでしなければならない理由は到底考えられない。私は、密かに期待していた。宇都宮君が、「あと3日だ。その3日間を、これまでどおり君たちに頑張ってもらうよう、私から選対本部長や事務局長に話しをしてみよう」と言ってくれることを。少なくとも、「選対本部や事務局に、どんな事情があって任務を外すことになったか、私から直接に聞いてみよう」くらいのことは言ってくれるのではないだろうか。それでこそ、推すにふさわしい、頼もしい候補者でありリーダーではないか。
私は密かに期待していただけだったが、Tさんははっきりと口にした。「あと3日、随行員として任務を全うさせてください」「正式の随行員としてでなくても、街宣チームの一員として活動できるよう取りはからってください」「選対本部の大河さんに対するパワハラは、あまりに理不尽。そして戦略的に非合理。随行員外しを撤回するよう尽力をお願いします」
Tさんの言葉遣いは、たいへん品のよい柔らかいものだったが、発言内容は明解で断固たるものだった。Tさんは、お二人の小さなお子さんを抱えたお母さんだが、この選挙の意義を重大なものと感じて宇都宮選挙に参じた熱心なボランティアだった。宇都宮選対に裏切られたとの思いの強さが、ひしひしと感じられた。
しかし、宇都宮君は押し黙っていて何も語らない。積極的に質問をするでもなく、気の毒そうな表情を見せるだけ。頼りないことこの上ない。ああ、そうなのか。このひとには、自分からリーダーシップをとって、責任をもった発言をする習慣がないのだ。私はこのときに、彼に対する大きな落胆を覚えた。
宇都宮君に代わって、中山武敏君が発言した。「二人とも、今はガマンしてくれないか。選挙戦は最終盤だ。ここで混乱を大きくしたくはない。選挙が終わったら、必ず問題をうやむやにはしないで解決する」。これに宇都宮君も同意した。
私は、少し心配だったので、このとき宇都宮君に質問している。
「大河やTさんに、何か随行員としての落ち度があったのではないだろうか」「君にとって、随行員として不満や不都合なことはなかったのか」と。
これに対する宇都宮君の回答は明快だった。
「いや、二人とも落ち度などないよ。たいへんよくやってもらってきた」
私はこの宇都宮君の回答で安心し、満足した。候補者随行員としての適格性に関して、候補者本人が合格と言っているのだ。上原公子選対本部長(元国立市長)や熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)がなんと言おうとも、任務外しが不当なことは明らかではないか。いずれ、大河とTさんの権利救済ないしは名誉回復ができるだろうと考えた。
なお、上原公子選対本部長(元国立市長)と熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)から大河に対する任務外しが命令された際には、理由らしい理由が告げられていない。口頭での指示の内容は、表向き「Tさんを随行員からはずす」ことと、「大河は12日に休暇を取ること」の2点だった。これが極めて不自然なのだ。
まず、「Tさんを随行員からはずす」ことを、大河に「命令」することが筋違い。常識的には、本部長か事務局長からTさんに直接言うべきだろう。街宣チームの責任者は「車長」だった。車長から言ってもらってもよい。大河に指示ないし命令する筋合いではない。しかも、Tさんがボランティア選挙運動員として登録する際には、連絡先をきちんと届け出ていた。選対本部はTさんの連絡先を把握していたのだ。
何の問題もなく任務を全うしていたTさんを、突然に随行員から外す理由はあり得ない。しかも、事前に、候補者にも車長にもTさん本人にも、意見や事情を聴取した経過はまったくない。文字通り問答無用なのだ。あとで、上原公子選対本部長(元国立市長)は、「女性は随行員としては採用しないと選対会議で決めていた」と信じがたいことを言い、熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)は、「素性の分からぬ者を候補者の側に置いておく訳にはいかない」と、これも馬鹿げたことを言っている。
このことに関して述べられたTさんの言葉が印象に深い。「私が何者であるかの証明を要求する人について、その人がいったい何者であるかを私は知らない」。この非対称性を当然と言うべきだろうか。おかしいと考えるべきではないのか。
Tさんは、誰の紹介でもなく自らボランティア運動員として参加してきた一人である。その熱意と能力で、現場の信頼を得、車長以下の街宣チーム全員の判断で随行員になってもらった人。大河の知り合いだった人ではなく、大河が推薦した人でもない。選対本部は、そのような事情を知ろうともしなかった。
あとで気がついたことだが、選対本部は、Tさんが大河とは旧知の間柄だったと思い込んでいたようなのだ。その知り合いのTさんを大河が随行員として勝手に採用したと考えていたようなのだ。だから、Tさんの任務外しを大河に「命令」した。それが、大河に対する打撃ないしは嫌がらせになると考えてのこと。
大河は任務外しを、自分が遠慮なく熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)を批判したことへの報復と理解した。とすれば、Tさんは明らかにとばっちりの被害者だった。だから、大河としてはTさんのために釈明したかったのだが、上原公子選対本部長(元国立市長)は聞く耳を持たなかった。
大河への「休養命令」は一日だけのはずが、選挙期間全部となった。上原公子選対本部長(元国立市長)に命令を受けて反抗的な態度を示したからとされている。
かつて、「二人とも落ち度などないよ。たいへんよくやってもらってきた」と言っていた、宇都宮君は今は次のように言っている。
「要するに、(スタッフに対する)澤藤さんの息子さんの対応が非常に問題だった。しかし、途中から金権選挙だと言い出したので、皆怒ったのです。もちろん公選法違反には当たりません」(週刊新潮でのコメント)
しかし、これはまことにおかしい。任務外しの理由になっていない。詳しく論じるまでもないだろう。解任命令への「反抗的態度」も、選挙後の公選法違反の指摘も、遡っての随行員外しの理由とはなり得ない。しかも、選挙最終盤での随行員任務外しだ。実際に、新たな随行員は不慣れなために、大きな失敗をしている。
後に、熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)主導で、大河に対する任務外し正当化の攻撃材料が集められる。任務外し時点では一切告げられていなかった、「事後的に作りあげられた」理由である。「スケジュールの作成が遅いと事務所で大声で怒鳴った」「街宣先で腕組みをしてふんぞり返っていた」「放送局員に突っ慳貪な応対をした」「協調性がない」「たくさんのクレームが寄せられている」「大河さんの名誉を考えたら騒がない方が良い」…。
企業が望ましからざる労働者を追放しようという場合には、トラブルメーカーに仕立て上げるのが常套手段である。情報を集積して、些細な出来事を積み上げる。針小棒大に言い立てて孤立させる。ブラック企業とまったく同じことを、宇都宮選対はやってのけた。
熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)は、情報の独占者であった。どんなクレームが寄せられているか。彼以外には誰も知らない。まことに、情報の独占こそが「小さな権力の源泉」である。みっともなくその手先になった面々が哀れである。
宇都宮君、君が熊谷伸一郎事務局長(岩波書店勤務)から、どのように吹き込まれたかは知らない。しかし、君は、大河とTさんに聞かねばならなかった。「任務外しの理由として、選対側ではこんなことを言っている。はたして事実だろうか。君たちの言い分を聞かせてほしい」。そのようなことは、大河もTさんも、まったく聞かされていない。君には、紛争当事者に納得できる手続を提供しようという、法律家としての最低の常識についての弁えがない。
結局、君は切り捨てられた弱者の側を理解しようとせず切り捨て、多数派の側についた。ベローチェでの約束を反故にしてのことだ。ことは、些細な問題ではない。忙しいから、時間がないからとの言い訳も許されない。君にとって、選挙期間中最も身近にいた二人が、不当な仕打ちを受けたと君に訴えているのだ。その問題について解決の意欲も能力もないとすれば、きみに何が解決できるというのだ。都知事など務まるわけがない。そんな君が、革新共闘の候補者たる資格はない。まだ考慮の期間は十分にある。よくお考えの上、立候補はおやめなさい。
(2014年1月13日)
事件の発端が、わたしの息子・大河に対する宇都宮選対本部の随行員任務外し。前回都知事選の最終盤2012年12月11日午後9時過ぎのこと。任務外しの「命令」をしたのは、選対本部長の上原公子さん(元国立市長)、お膳立てし実行したのは選対事務局長の熊谷伸一郎さん(岩波書店勤務)。そして、宇都宮君は、この任務外しをされた二人の随行員に問題の解決を約束しながら、結局放り投げた。忙しいからなどという言い訳は通用しない。およそ1年もの考慮期間があったのだから。
本日掲載する文書は、その随行員任務外し事件直後の時期に、大河がまとめた事件の経過とその総括に関する一文である。前回都知事選投票の当日まだ開票結果の出ていない時点で、選挙に携わった関係者にメール送信されたものだ。是非、入念にお読みいただきたい。
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2012年12月16日
「運動のポテンシャルを摘み取ったもの」
候補者随行員・澤藤大河
●はじめに
今回の都知事選は、宇都宮都知事の誕生を望む多くの市民が参加し、多くの政党がこれを支持する今までにない形態の選挙だった。私もまた、完全無償のボランティアとして、告示前の11月19日以来、連日候補者の随行員として運動に参加してきた。
投票日の本日、心から宇都宮都知事の誕生を望んでいるが、選挙結果にかかわらず、今回の私たちの運動は、さらに大きくなる可能性があったのに選対の体質・体制により自ら摘み取ってしまったことにおいて、失敗であったと私は考えている。私が運動に参加した当初、この運動には大きなポテンシャルがあることを肌で実感した。しかし、そのポテンシャルはついに顕在化することはなかった。これを「失敗」という。
人の尊厳を踏みにじる石原都政や、組織・企業の利益を最優先として人権を軽視する東京電力等の姿勢に絶望して宇都宮都知事の誕生を期待し、多くの市民がボランティアで参集してきた。しかし、皮肉なことに宇都宮選対の内部では、参集したボランティアを選対メンバーや事務局員より低く見る差別主義やいじめ・パワハラが横行していた。
選対本部長上原公子さんや選対事務局長熊谷伸一郎さんから、私になされた突然の理不尽な「任務はずし」は、これを象徴する事実といえるだろう。
私になされた仕打ちを多くの人に知っていただくとともに、今後の運動の本質的問題提起として考えていただきたい。
●事実経過
前記の通り、私は11月19日以降、11月24日と12月5日を除き、連日、候補者の随行員をつとめてきた。おそらく私が最も街頭宣伝の現場を知る立場にあった。また、最も長く候補者と時間を過ごし、取材・政見放送収録・公開討論会・集会の幕間演説・現地視察や街頭宣伝のほとんどすべてに参加した。候補者と陣営の利益のために、気概をもって交渉を行い、候補者の利便と安全を確保し、確実に予定を遂行できるよう全力を尽くしてきた。私の任務遂行能力と献身性は、候補者をはじめ現場にいる多くの人が認めるところであるし、選対本部長・事務局長も何ら否定していない。
ところが、突然、12月11日21時頃、事務局長熊谷さんから電話があり「本部長の上原さんが話がある」と選対事務所に呼び出された。選対事務所で上原公子さんからあるボランティアの女性(以下Tさんとする)について、「随行員からはずす」ことと、私については「12日に休暇を取ること」の2点について口頭で指示された。その際上原さんは、「これは命令です」と明言した。私は、上原さんには命令する権限がないこと、私は命令を受ける筋合いでないことを明言し、「命令」を拒絶した。
その「命令」を発するにあたり事前の事情聴取は全くなく、理由の説明を求めたが具体的な説明は一切なされなかった。2分間の事情聴取を求め、上原さんも合意したにもかかわらず、それさえも一方的に途中で打ち切られた。
翌12日、私もTさんも以前からの予定通り街頭宣伝に参加したが、既に現場責任者たる車長に対して、随行員から外すとの指示が行き届いており、乗員が満席になるように配置され、事実上随行から排除された。
私もTさんも、現場における混乱を避けなければならないと思い、その後無理に選挙カーに搭乗したり、現場で口論するなどの行為は一切行っていない。
以後投票日までの三日間、私もTさんも、随行員としても現場の運動員としても運行表に登録されることは一切なかった。
また、私は加入していた連絡用のすべてのメーリングリストから一方的に秘密裏に排除された。
私は、その後、連日最寄り駅での街頭宣伝、ポスティングなどを自発的に行い、支持の拡大に努めた。
Tさんも連日、自発的に街頭宣伝に参加していた。特に15日には、候補者の山手線一周宣伝を応援したいと考え、自発的に候補者のそばで街頭宣伝に協力していたが、17時頃に新宿にて事務局員の内田聖子さんに「あなた、なんでここにいるの。随行はさせないように本部からいわれているのだから、帰りなさい」と面罵された。Tさんは不本意であったが、候補者が一連のいきさつを現認しており、心配そうな顔をしていたため、候補者に心配をかけることは本末転倒であると考え、丁重にその場を辞した。
私は、四回にわたり、上原さんに対して「命令」の撤回と謝罪を求め、事実関係の確認を求める文書を電子メールおよびFAXで送ったが、一切無視されており、2012年12月16日17時現在回答はない。
なお、私が随行員となったのは、事務局長熊谷さんの当初の指示に基づくものであった。Tさんが同行していたのも、街頭宣伝の現場で人員が不足していたので、増強を強く選対本部に求めたのに対し、何の対応もなされなかったことから、宣伝現場の責任者たる杉原車長および副車長たる木村さん、随行員の私、そのほか熱心に街頭宣伝に参加していた5人のボランティアが参加した12月4日の会議で、協議の結果決めたことであった。
●上原さんの「命令」について
この上原さんの「命令」は、理由が説明がなされないという点で手続的に不当であるし、また、内容においても非合理的である。のみならず最も重要なのは、ボランティア参加者に「命令」ができると考えているその一点で、到底看過することのできない市民運動組織原則上の根源的な誤りが含まれていることである。
候補者の人柄・政策に共鳴したボランティア参加者で構成される市民選挙においては、対等な市民が結集して協力することで運動が行われるのが原則である。選対本部長・事務局長などの役職も、既存の権限を分配するものではなく、合理的な話合いと納得の結果、参加者の協力の中で成立する。指示の実効性は、内容の合理性と、十分な説得・納得にのみ支えられることになる。これが対価的契約関係も政治的権力関係もない市民選挙運動の特質であり、原則でもある。
上原さんは、私に「命令」する際に、熊谷さんと顔を見合わせて冷笑し、「このひと、私の命令に従えないんだって」と、侮辱的な言葉を述べている。この言葉に象徴される権威主義・差別主義が、私のみならず実際に多くの仲間の参加を阻んだ。初期の街頭宣伝に参加していたが顔を見せなくなった人、協力する気がなくなったことを明示して去って行った方が、多くいたことを知っている私には残念でならない。
●熊谷さんの差別主義について
自発的に参加したボランティアを選対メンバーや事務局員より低くみて、十分な情報を与えず、与えられた仕事をこなす労働力のように考える傾向は、上原さんだけでなく、事務局長熊谷さんにおいても顕著だった。
熊谷さんは、この選挙中激務の中で急病となり、一時的に事務局長としての執務が行えない状態となった。事務局長を欠くと事務が滞る体制だったため、宣伝についての予定が策定されない状態となった。私も候補者も予定を知ることができず、非常に困惑し、事務局に予定について問い合わせたが、いつ予定が立つのかすら全くわからないという混乱状態だった。今後の予定を立てることが客観的に明らかに必要であったため、一時的にでも熊谷さんの決定権を代行できる人が必要であると考え、その旨を数名の選対メンバーに伝えた。
これを聞いた熊谷さんは「あなたは選対メンバーでも、事務局員でもないのだから、越権行為であり、黙っていてもらいたい」と私に告げた。
病気で倒れたことはまことにお気の毒なことではあるが、それによる空白を放置することは無責任というほかない。十分な事務が行われない状態を改善すべきであると提言することは、立場の如何にかかわらず当然である。
しかし、それ以上に、選対メンバーを頂点として、そのもとに常勤事務局員がおり、それ以外のボランティアを下位に置くという熊谷さんの考え方に大きな問題がある。政策に共鳴し、参集した対等な当事者としてボランティア参加者を考えるのではなく、選対が決定した宣伝計画に協力する将棋の駒、あるいは兵士のようにとらえているのではないだろうか。
岩波書店の「世界」の編集者である熊谷さんの上司にあたる岩波書店の岡本厚さんも、選対メンバーの一人である。私の問題提起について、「事情はよくわかりませんが、選対本部長は責任があると同時に指揮の権限があると思います」と返事を寄せてくれた。私は、「事情」を説明したうえで一般論としては異論はないこと、しかし、具体的な本件においてボランティアとしての運動参集者に理不尽極まる一方的な「命令」をすることまでの権限があるとは到底考えられない旨お返事している。
この運動の頂点はキックオフ集会の時期であったという失望の意見が多くのボランティアの中にある。ボランティアが自主的な運動を行い、創意工夫が生かされ、一日一日よりおもしろくなっていく運動に多くの期待が寄せられていたためである。私もこの運動に参加したときに感じた高揚感を思い出す。革新的な「統一候補」を擁するこの運動の無限の可能性を感じた。ところが告示後、事務局が決定した街頭宣伝に、運動員として機械的労務を提供することだけがボランティアに期待される任務となり、初期に参加した多くの方が失望して去って行った。
その街頭宣伝の計画でさえ直前まで詳細を知らされず、当日の早朝のメールで指示をされることもたびたびであった。人員や物品の増強の要請への対応はじれったいほど鈍かった。候補者自身も、明日は何をするのだろうかと、不安そうにすることが珍しくなかった。事務局に問い合わせると、「都知事選のような巨大な選挙ではマスコミ対策の方が重要であり、街頭宣伝は後回しである」と明示的に告げられた。宣伝における地域的特性や選挙情勢に応じた宣伝内容の検討などは、一切行われず、候補者を含む街頭宣伝チームは放置されていたというほかない。
もう一つ、選対の差別的な体質の表れとして、「三鷹事件」への対応がある。集合住宅での会の確認ビラの配布中に、70歳の男性運動員が住居侵入罪で逮捕された弾圧事件である。
選対はこの事件の事実関係の確認が取れて以後も、即時に公開し、機敏な救援活動を行うことをしなかった。仮にも、「ひとにやさしい」都政を目指す運動を行っている自覚があるならば、即座に被逮捕者へのあらゆる救援活動を行うべきであるし、直ちに事件を公開することで十分な法的知識のない多くのボランティアに危険性を告知することが絶対に必要だった。
私は、選対の内部に、弾圧の危険性を告知することでビラ配布が伸びなくなることを恐れ、弾圧の事実を伏せるべきだとする動きがあったのではないかと推測している。
選挙勝利と組織防衛を最優先の目的とし、個別の運動員・ボランティアの身の安全に気を配ることのない姿勢は、私には東京電力の用いた企業の論理と同じように見える。
熊谷さんは事務局長を任ずるならば、仲間が逮捕されている以上速やかな解放を目指すことを最優先とすべきであった。にもかかわらず、候補者に同行して築地視察・葛西臨海公園視察へ赴き、関係者との名刺交換だけを行った。視察に熊谷さんが不可欠というわけではなく、自らの人脈を広げるためにこの選挙を利用したとまで思われる不自然な同行であった。
私のもとには、選対の体質に失望して、このままではこれ以上の協力はできないという多くの声が寄せられている。私も、以上に述べたような上原さんや熊谷さんの体質や考え方に根本的な反省がない限り、協力はできないと考えている。
●改善の提案
この度の「失敗」を招いた原因の一つとして、上原さんや熊谷さんの「ひとにやさしくない」官僚的で人を見下す個人的な資質と、能力の不足によるところが大きいことは明らかである。
しかし、より本質的には、新しい形態の市民選挙の経験が誰にもなく、どのような仕組みを作ればいいのか、試行錯誤の段階にあることが原因と考える。
かつての革新統一選挙は、政党や労働組合という強力な組織の結合であり、少なくとも各組織の内部では指揮命令が可能であった。
他方、今回のように多くの意見の異なる市民運動や個人としてボランティアが参加する市民選挙においては、「命令」では組織を運営することができない。十分な自主性を発揮してもらうことが必須であり、そのためにはどうしても十分な説得と納得が必要なのである。
その前提となるのが、徹底した情報の透明性である。誰もが情報に接することができ、あらゆる決断がどのようになされるのか仕組みを誰もが知っており、その決断の妥当性を事後的に誰もが検証できる体制である。
事務局長である熊谷さんが対外的な折衝役も担っており、しかもその情報が共有されていなかったため、不在時に大変な混乱が生じたことは前記の通りである。また、選対に寄せられた情報もすべて熊谷さんに集中し、どのような情報が寄せられているのかすら開示されなかったことから、大きな権力が事務局長に集中した。交渉の内容や、妥当性についても事前にも事後にも検証はできない。
今回の選対は、選対メンバーで決定機関を構成し、その決定を事務局が具体化するという体制をとっていたことになっている。しかし、実務が進展するにつれ、事務局あるいは事務局長がほとんどすべての決断を独自に行うようになっていった。
多くの政党に等距離で接しなければならないきわめて政治的に微妙な選挙応援についても、事務局が決定していた。ある衆議院小選挙区候補者の応援に複数回協力する一方で、その選挙区の他の支持政党の候補者の応援には行かないという公平性を疑われる事態も生じた。そのような事態の検証、誰の責任で決断されたのかなどは放置されたままである。
急ごしらえの組織であればこそ、そのようなルールだけでも作るべきであったと残念でならない。
最後に7項目の具体的な提案をしてこの寄稿を終えたい。
1.市民選挙においては、すべての参加者が対等で平等な立場にあることを確認すること
2.誰も他者に「命令」する権限はなく、合理的な指示が十分に説得され納得を得ることでしか協力は得られないことを確認すること
3.市民選対への政党・労働組合・勝手連からの要請は完全に公開し、誰もがそれを見られるようにすることで、等距離公平に対応したことを検証可能にすること
4.意思決定がどのようになされるのか、仕組みを事前に明らかにし、その過程や責任が明らかになるように透明性を確保すること
5.それぞれのレベルの意思決定を実行部隊に周知する仕組みと、実行部隊からの意見や報告を意思決定機関に戻す仕組みを確立すること
6.何よりもボランティア一人一人の尊厳と安全を最優先し、任務の内容・意義を十分に説明するとともに必要な法律知識と身を守るすべを確実に与えること
7.偶然によって限定された範囲での人事を行わず、運動参加団体の英知と人脈を結集して任務内容にふさわしい、有能で信頼に足りる責任者の人選を行うこと
以上
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選挙運動期間終了後の開票以前の時期に、選挙運動の全体状況をつぶさに見、貴重な体験をした者でなければ書けない総括となっている。問題提起も具体的な提案も盛り込まれている。今後に生かすべきだと思う。
それにしてもだ。今にして知り得た事実によれば、選挙運動費用収支報告書に「労務者報酬」と堂々と明記して10万円を受領していた上原公子さんである。選挙運動者の手足として機械的労務の提供しかなしえない立ち場の上原さんが、居丈高に、無償労働の原則を貫いた選挙運動員である大河に「命令」していたのだ。倒錯したカリカチュア以外の何ものでもない。
宇都宮君、これが君の選対の実態だ。この実態になんの反省もなく、なんの改善策も示していない君だ。同じことが繰り返される。だから、宇都宮君、立候補はおやめなさい。
(2014年1月12日)