私は、2012年4月に韓国憲法裁判所を見学し,東北大学に留学していたという見事な日本語を語る判事補の通訳を介して、広報担当裁判官から懇篤な説明を受けた。その際の、「人権擁護のための真摯な姿勢」に深い感銘を受けた。そして、「世論調査によれば、韓国内で最も信頼に足りる団体が憲法裁判所とされている」と誇りをもって述べられたことが印象的だった。
その韓国憲法裁判所が、昨日(12月27日)、日韓慰安婦合意に関する案件で却下の決定を言い渡した。憲法裁判所という存在が、われわれにはなじみが薄い。却下決定が意味するものはやや複雑である。
ソウル発の聯合ニュース(日本語版)から引用する。
まずは、判決の内容について。
韓国憲法裁判所は27日、慰安婦被害者らが旧日本軍の慰安婦問題を巡る2015年末の韓日政府間合意の違憲性判断を求めた訴えに対し、「違憲性判断の対象ではない」とし、却下した。
却下は違憲かどうかの判断を求めた訴えが憲法裁判所の判断対象ではないとみた際に審理をせずに下す処分。つまり、裁判所は慰安婦問題を巡る韓日政府間合意が慰安婦被害者の基本権を侵害したかどうかについて、判断しないということだ。
憲法裁判所は「同合意は政治的合意であり、これに対するさまざまな評価は政治の領域に含まれる。違憲性判断は認められない」とした。
審理の対象となった慰安婦合意については、次のように解説している。
同合意は15年12月に当時の朴槿恵(パク・クネ)政権と日本政府が「最終的かつ不可逆的」に解決すると約束したもの。慰安婦問題に関する日本政府の責任を認め、韓国政府が合意に基づき、被害者を支援する「和解・癒やし財団」を設立。日本政府が財団に10億円を拠出することを骨子とする。
ただ、合意過程で慰安婦被害者らの意見が排除された上、合意の条件として韓国政府が二度と慰安婦問題を提起しないとの内容が含まれたことが明らかになり、韓国では不公正な合意との指摘が上がった。
提訴と審理の経過については、次のように述べている。
16年3月、姜日出(カン・イルチュル)さんら慰安婦被害者29人と遺族12人は憲法裁判所に、合意を違憲とするよう求める訴えを起こした。被害者側の代理の弁護士団体「民主社会のための弁護士会」(民弁)は、「日本の法的な責任を問おうとするハルモニ(おばあさん)たちを除いたまま政府が合意し、彼らの財産権や知る権利、外交的に保護される権利などの基本権を侵害した」とした。
一方、韓国外交部は18年6月、「合意は法的効力を持つ条約でなく、外交的な合意にすぎないため、『国家機関の公権力行使』と見なすことができない」と主張し、憲法裁判所の判断以前に訴えの却下を求める意見書を提出していた。
以上のとおり、形の上では、憲法裁判所の判決は韓国外交部(外務省)の意見を採用したことにになり、訴えた元慰安婦らの落胆が伝えられている。しかし、実は慰安婦合意の性格についての憲法裁判所の判断は、法的拘束力を否定したことにおいて、積極的なインパクトを持つものとなっている。毎日新聞の解説記事にあるとおり、この決定が「法的義務はないとしたことで、合意でうたわれた『最終的かつ不可逆的解決』の確約が失われ逆に元慰安婦の支援団体が日本政府の責任を追及する動きを強める契機となる可能性もある』と考えるべきだろう。
共同通信の報道が端的にこう述べている。
韓国の憲法裁判所は27日、旧日本軍の元従軍慰安婦らが慰安婦問題を巡る2015年の日韓政府間合意は憲法違反だと認めるよう求めた訴訟で、合意は条約や協定締結に必要な書面交換も国会同意も経ていない「政治的合意」にすぎず、効力も不明だと指摘、法的な履行義務がないと判断した。
裁判所は、合意で履行義務が生じていないため元慰安婦らの権利侵害はなく、合意を結んだ政府の行動が違憲かどうかを判断するまでもないとして、元慰安婦らの訴えは却下した。
合意履行を韓国政府に求めている日本政府は反発を強めそうだ。
毎日が詳細に報じているが、昨日の決定は、日韓政府間合意は条約ではなく、「外交協議の過程での政治的合意」だと判断。両国を法的に拘束するものではない(法的拘束力はない)、合意によって具体的な権利や義務が生じたとは認められないため、元慰安婦らの法的地位は影響を受けないという。とりわけ問題となったのが、「外交的に保護を受ける権利」だったが、裁判所はこれを含めて基本権を侵害する可能性自体がないとした。もちろん、「政治的合意」がもつ政治的効果まで否定したわけではない。
この決定を受けて、原告側代理人の李東俊(イドンジュン)弁護士は「日韓合意は条約ではないと判断したので、韓国政府が破棄、再交渉する手がかりを作った」と述べたという。
一方、請求を却下するよう求める意見書を提出していた韓国外務省は「憲法裁の判断を尊重する。被害者の名誉、尊厳の回復や心の傷の治癒に向け、努力を続けていく」とコメントした。
また、同じ原告団が政府に損害賠償を求めた訴訟で、ソウル高裁は26日、日韓合意について「(韓国政府が)被害者中心主義に違反した合意であることを認め、真の問題解決ではなかったことを明らかにし、被害者の名誉回復のために内外で努力する」という調停案を提示。双方が受け入れた、という。韓国政府が合意した「内外での努力」の具体的内容はよく分からない。
なお、昨日の憲法裁判所の決定には、慰安婦合意の1項目である「日本大使館敷地前の少女像移転」問題について、「(合意は)解決時期や未履行による責任も定めていない」としており、市民団体が活動を活発化させることも考えられると報じられている(毎日)。
念のため、2015年日韓合意(「12・28合意」)の骨子は以下のとおりである。
・慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認。今後、互いに非難や批判を控える
・日本政府は、当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた慰安婦問題の責任を痛感
・安倍晋三首相は心からおわびと反省の気持ちを表明
・韓国政府が元慰安婦を支援する財団を設立し、日本政府の予算で10億円程度を拠出
・韓国政府は在韓国日本大使館前の少女像への日本政府の懸念を認知し、適切な解決に努力
(2019年12月28日)
予てから懸念されていた中東海域への自衛隊派遣が、本日(12月27日)閣議決定された。来年2月上旬にも、新規に護衛艦1隻を派遣と、現在ジブチで海賊対処行動に従事している哨戒機P?3Cを活用するとしている。アメリカに追随した外交上の愚策であり、政治的に危険な行為として批判の声は高い。与党内からも懸念の声が上がっているとされるなか、国会閉会中の間隙を縫って、議論が尽くされないままの姑息な決定である。
憲法の理念に反することは明らかというだけではない。派遣の根拠法がまことに奇妙なのだ。自衛隊の海外派遣、それも紛争多発の危険な中東への派遣なのだから、根拠法は当然に自衛隊法だろうと普通は考える。自衛隊法には然るべき要件や国会の関与などの手続規定があって、議論のない派遣には歯止めがあるはずだとも。
ところが、この事実上の軍艦や軍用機を伴う実力部隊海外派遣の根拠は、自衛隊法によるものではない。本日の閣議決定では「防衛省設置法第4条第1項第18号の規定に基づき実施する」となっている。この海外派遣は、情報収集活動を行うもので、同号の「調査・研究」にあたるのだという。いくらなんでも、それはないだろう。これでは、法の支配も立憲主義も、画餅に帰すことになる。
行政法規のカテゴリーとして、組織法と作用法という分類がある。行政主体の組織をどう構成するかという規定と、行政主体の作用に関する規定とは別物なのだ。行政の活動における権限やその要件は、作用法の分野に定められる。「防衛省設置法第4条」とは、(所掌事務)を定めるもので、明らかに組織法に分類されるものに過ぎない。
具体的に条文を見ていただく方が、手っ取り早い。同法4条の規定は、以下のとおり、その第1項で25の所掌事務が列記されている。
第4条 防衛省は、次に掲げる事務をつかさどる。
一 防衛及び警備に関すること。
二 自衛隊の行動に関すること。
三 陸上自衛隊、海上自衛隊及び航空自衛隊の組織、定員、編成、装備及び配置に関すること。
四 前三号の事務に必要な情報の収集整理に関すること。
五 職員の人事に関すること。
六 職員の補充に関すること。
七 礼式及び服制に関すること。
八 防衛省の職員の給与等に関する法律の規定による若年定年退職者給付金に関すること。
九 所掌事務の遂行に必要な教育訓練に関すること。
十 職員の保健衛生に関すること。
十八 所掌事務の遂行に必要な調査及び研究を行うこと。
防衛省は、「防衛及び警備に関すること(一号)」「自衛隊の行動に関すること(二号)」を所掌する。しかし、この規定から、防衛大臣がその判断で、「防衛及び警備に関すること」「自衛隊の行動に関すること」ならなんでもできるはずはない。「防衛及び警備に関すること」「自衛隊の行動に関すること」は、作用法としての自衛隊法6章に定められた手続に従ってなし得ることになる。
一八号も同様である。「調査・研究」と名目をつければ、防衛相限りで、実質的な海外派兵までできるとは、恐るべき法解釈と指摘せざるを得ない。
この件については、既に今月19日付けの法律家6団体連絡会の緊急声明が発せられ、政府に提出されている。以下に掲示する。
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?2019年12月19日
改憲問題対策法律家6団体連絡会
社会文化法律センター共同代表理事 宮里 邦雄
自 由 法 曹 団 団長 吉田 健一
青年法律家協会弁護士学者合同部会議長 北村 栄
日本国際法律家協会 会 長 大熊 政一
日本反核法律家協会 会 長 佐々木猛也
日本民主法律家協会 理事長 右崎 正博
自衛隊中東派遣の閣議決定に強く反対する法律家団体の緊急声明
はじめに
政府は、自衛隊のヘリコプター搭載可能な護衛艦1隻を新たに中東海域に派遣することを閣議決定する方針を固めた。
中東派遣の根拠については、防衛省設置法の「調査・研究」とし、派遣地域は、オマーン湾、アラビア海北部、イエメン沖のバベルマンデブ海峡で、ホルムズ海峡やペルシャ湾を外したとしている。また、護衛艦の派遣に先立ち、海上自衛隊の幹部を連絡要員として派遣することを検討しているとされ、さらに、現在、ジブチで海賊対処の任務に当たっているP3C哨戒機2機のうち1機を活用するとしている。
しかし、海外に自衛隊を派遣すること、とりわけ、今回のように軍事的緊張状態にある中東地域に自衛隊を派遣することは、以下に述べるように、自衛隊が紛争に巻き込まれ、武力行使の危険を招くものであり、憲法9条の平和主義に反するものである。
私たちは、今回の自衛隊の中東派遣の閣議決定をすることに強く反対する。
1 自衛隊の中東派遣の目的・影響
今回の自衛隊の中東派遣決定については、米国主導の「有志連合」への参加は見送るものの、護衛艦を中東へ派遣することで米国の顔を立てる一方、長年友好関係を続けるイランとの関係悪化を避けるための苦肉の策だとの指摘がある。確かに、政府は、今年6月に安倍首相がイランを訪問してロウハニ大統領、ハメネイ最高指導者と首脳会談を行い、9月の国連総会でも米国、イランとの首脳会談を行うなど仲介外交を続けてきており、これは憲法の国際協調主義に沿ったものとして支持されるべきものである。
しかし、自衛隊を危険な海域に派遣する必要性があるのかという根本問題について、菅官房長官も日本の船舶護衛について「直ちに実施を要する状況にはない」としており、そうした中で、自衛隊を危険な海域に派遣する唯一最大の理由は、米国から要請されたからと言わざるを得ない。しかも、菅官房長官は記者会見で、自衛隊が派遣された場合「米国とは緊密に連携していく」とし、河野防衛大臣も同様の発言をしており、中東地域を管轄する米中央軍のマッケンジー司令官も、自衛隊が派遣された場合には「我々は日本と連携していくだろう」と日本側と情報共有していく意向を示していることからすれば、イランは、自衛隊の派遣を、日米一体となった軍事行動とみなす可能性があり、イランばかりでなく、これまで日本が信頼関係を築いてきた他の中東諸国との関係を悪化させる恐れがある。
また、自衛隊が収集した情報は、米国をはじめ「有志連合」に参加する他国の軍隊とも共有することになるため、緊張の高まるホルムズ海峡周辺海域で、軍事衝突が起こるような事態になれば、憲法9条が禁止する「他国の武力行使との一体化」となる恐れがある。
2? 必要なのは米国のイラン核合意復帰と中東の緊張緩和を促す外交努力
自衛隊の中東派遣の発端となったホルムズ海峡周辺海域では、今年5月以降、民間船舶への襲
撃や拿捕、イラン軍による米軍の無人偵察機の撃墜とそれへの米国の報復攻撃の危機、サウジアラビアの石油施設への攻撃などの事件が発生しており、米国は、こうした事態に対応するためとして、空母打撃群を展開したり、ペルシャ湾周辺国の米軍兵力を増強するなどイランに対する軍事的圧力を強めており、軍事的緊張の高い状態が続いている。
しかし、そもそも、こうした緊張の発端となったのは、米国が、イランの核開発を制限する多国間合意(イラン核合意)から一方的に離脱し、イランに対する経済制裁を強化したことにあり、こうした緊張状態を打開するためには、米国がイラン核合意に復帰し、中東の非核化を進めることこそが必要であり、日本政府には、米国との親密な関係と中東における「中立性」を生かした仲介外交が期待されているのであり、今回の自衛隊の中東派遣は、それに逆行するものである。
3? 法的根拠を防衛省設置法「調査・研究」に求める問題
また、政府は、今回の自衛隊派遣の目的を情報収集体制の強化だとし、その根拠を防衛省設置法第4条1項18号の「調査・研究」としているが、ここにも大きな問題がある。防衛省設置法第4条1項18号は「所掌事務の遂行に必要な調査及び研究を行うこと」を規定しているが、この規定は防衛大臣の判断のみで実施できる。しかも、条文は抽象的で、適用の例示もないことから拡大解釈の危険が指摘されており、過去には、2001年の同時多発テロ直後に、護衛艦が米空母を護衛した際や、テロ対策特別措置法に基づく活動開始前に護衛艦をインド洋に派遣した際にも根拠とされており、海上自衛隊幹部からは「使い勝手の良い規定」との発言も出ている。
? 自衛隊が憲法9条の禁止する「戦力」に該当し、違憲であるとの強い批判にさらされる中で制定された自衛隊法では、自衛隊の行動及び権限を第6章と第7章で個別に限定列挙しており、こうした自衛隊の行動については一定の民主的コントロールの下に置いている。これに対して、今回の自衛隊派遣の根拠とする「調査・研究」の規定は、自衛隊の「所掌事務」を定めた組織規程であって、どのような状況で調査・研究を行うかなど、その行動及び権限を何ら具体的に定めていない。そのため、派遣される自衛隊の活動の内容、方法、期間、地理的制約、装備等については、いずれも白紙で防衛大臣に委ねることになる。すでに政府が派遣目的を他国との武力行使の一体化につながりかねない情報収集にあることを認めていることは、白紙委任の問題性を端的に示すものといえる。このことは、閣議決定で派遣を決定したとしても、本質的に変わらない。
また、国会の関与もチェックも一切ないままで、法的に野放し状態のまま自衛隊を海外に派遣することは、国民的な批判を受けている海上警備行動・海賊対処行動・国際連携平和安全活動などの規定すら潛脱するもので、憲法9条の平和主義及び民主主義の観点から許されない。
しかも、今回の閣議決定は、臨時国会閉会後のタイミングを狙ったもので、国民の代表で構成される国会を蔑ろにするものである。
さらに、「調査・研究」を根拠に派遣された場合の武器使用権限は、自衛隊法第95条の「武器等防護のための武器使用」となるが、その場合の武器使用は、厳格な4要件で限定されており、危険な船が接近した場合の停船射撃ができないことから、防衛省内からも「法的に丸腰に近い状態」との声が出ており、派遣される自衛隊員の生命・身体を危険に晒すことになる。
4 自衛隊の海外での武力行使・戦争の現実的危険性
政府が、自衛隊を派遣するオマーン湾を含むホルムズ海峡周辺海域、イエメン沖のバベルマンデブ海峡は、前述のように軍事的緊張状態が続いており、米軍を主体とする「有志連合」の艦艇が展開している。しかも、日米ともに「緊密な連携」と「情報共有」を明言していることから、派遣される自衛隊が形式的に「有志連合」に参加しなくても、実質的には近隣に展開する米軍などの他国軍と共同した活動は避けられなくなる。
私たちは、2015年に成立した安保法制が憲法9条に違反するものであることから、その廃止を求めるとともに、安保法制の適用・運用にも反対してきた。それは、安保法制のもとで、日本が紛争に巻き込まれたり、日本が武力を行使するおそれがあるからであるが、今回の自衛隊派遣により米軍など他国軍と共同活動を行うことは、以下のとおり、72年以上にわたって憲法上許されないとされてきた自衛隊の海外における武力行使を現実化させる恐れがある。
先ず、行動中に、日本の民間船舶に対して外国船舶(国籍不明船)の襲撃があった場合、電話等による閣議決定で防衛大臣は海上警備行動(自衛隊法82条)を発令でき、その場合、任務遂行のための武器使用(警察官職務執行法第7条)や強制的な船舶検査が認められていることから(海上保安庁法第16条、同第17条1項、同18条)、武力衝突に発展する危険性が高い。
また、軍事的緊張状態の続くホルムズ海域周辺海域に展開する米軍に対する攻撃があった場合、自衛隊は、米軍の武器等防護を行うことが認められており、自衛隊が米軍と共同で反撃することで、米国の戦争と一体化する恐れがある。
こうした事態が進展し、ホルムズ海峡が封鎖されるような状況になれば、集団的自衛権行使の要件である「存立危機事態」を満たすとして、日本の集団的自衛権行使につながる危険がある。
さらに、政府は、ホルムズ海峡に機雷が敷設されて封鎖された場合、集団的自衛権の行使として機雷掃海ができるとしているが、戦闘中の機雷掃海自体が国際法では戦闘行為とされており、攻撃を誘発する恐れがある。
5 まとめ
以上述べてきたように、今回の自衛隊派遣は、その根拠自体が憲法9条の平和主義・民主主義に違反し、自衛隊を派遣することにより紛争に巻き込まれたり、武力行使の危険を招く点で、憲法9条の平和主義に違反する。
したがって、私たちは、政府に対して、自衛隊の中東派遣の閣議決定を行わないことを強く求めるとともに、憲法の国際協調主義にしたがって、中東地域の平和的安定と紛争解決のために、関係国との協議など外交努力を行うことを求めるものである。
以上
(2019年12月27日)
本日(12月26日)9時30分、醍醐聰さんと私とで日本郵政本社を訪ね、下記の申入書を提出した。応対されたのは、広報担当部門の責任者だという、「広報局グループリーダー」の肩書をもつ職員。約20分、神妙にこちらの話を聞いてはくれた。
申し入れの内容は、かんぽ不正販売に関しての3社社長の引責辞任は当然として、鈴木康雄上級副社長にも強く辞任を求める、という趣旨。
国民の郵政に対する信頼を裏切って、消費者被害をもたらした責任は大きい。明日(12月27日)の3社社長のトップとしての引責辞任は不可避な事態だが、鈴木副社長については、必ずしもその意向が明らかではなく、各紙の観測記事のニュアンスは様々である。
しかし3社社長がこの事態に無為無策であったことに責めを負う立場であるのに比して、鈴木副社長は明らかに報道のもみ消しをはかって被害を拡大した積極的な被害拡大に責任を負わねばならない。日本郵政の信頼回復は、トップ4名の辞任からであるが、けっして鈴木副社長の留任があってはならない。
また、辞任するだけではなく、自らの言葉で、被害者、職員、NHKへの謝罪を語るべきである。
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2019年12月26日
日本郵政株式会社社長 長門正貢様
日本郵便株式会社社長 横山邦男様
株式会社かんぽ生命保険社長 植平光彦様
日本郵政株式会社副社長 鈴木康雄様
緊急申し入れ
3社社長の引責辞任のみならず、鈴木康雄副社長の辞任を要求する
「日本郵政と経営委首脳によるNHK攻撃の構図を考える11. 5 シンポジウム」実行委員会
世話人:小林 緑(国立音楽大学名誉教授・元NHK経営委員)/澤藤統一郎(弁護士)/杉浦ひとみ(弁護士)/醍醐 聰(東京大学名誉教授・「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」共同代表)/田島泰彦(早稲田大学非常勤講師・元上智大学教授)/皆川学(元NHKプロデューサー)
報道によれば、貴職ら3名の日本郵政グループ社長は、このたびのかんぽ生命保険等の不正販売をめぐる総務省と金融庁の処分が27日に決まるのを受けて、同日にも辞任を表明されるとのことです。
過日、報告された「かんぽ生命保険契約問題 特別調査委員会」の報告書や一連の報道で明らかになった、かんぽ生命保険その他の商品の販売をめぐる不正行為は、高齢者を対象にした悪徳商法と断じて過言でないほど悪質極まりないものであり、貴職ら社長の引責辞任は当然のことです。
と同時に、辞任にあたっては悪徳商法で被害を蒙った人々と理不尽なノルマを押し付けられ、良心との板挟みで苦しんだ社員への深い謝罪が不可欠です。
しかし、辞任による引責という点では、貴職ら3名の社長の辞任だけでは済まされません。この問題を取り上げたNHKの「クローズアップ現代+」に対し、元総務事務次官の肩書を誇示して、不正の発覚を封じようと、続編制作のための取材を執拗に妨害したうえに、後輩にあたる総務事務次官(当時)に情報漏洩まで催促した日本郵政副社長・鈴木康雄氏の責任も極めて重く、辞任が当然です。
そこで、私たちは貴職ら4名に以下のことを申し入れます。
申し入れ事項
1.貴職ら日本郵政グループ3社の社長は、かんぽ生命保険等の不正販売の責任をとって、直ちに辞任すること。
2.NHKの取材を妨害し、総務事務次官に情報漏洩を働きかけた鈴木康雄氏の責任も3社社長の責任に劣らず重いことから、鈴木氏も、総務省の処分のいかんにかかわらず、直ちに引責辞任すること。
3.貴職ら4名は辞任にあたって、かんぽ生命保険等の不正販売の被害者、理不尽なノルマを強いられて苦しんだ、かんぽ生命保険の社員らに厳粛な謝罪をすること。
以上
(2019年12月26日)
DHCスラップ「反撃」訴訟では、本年(2019年)10月4日に一審東京地裁民事第1部での勝訴判決を得た。
判決主文は、請求の一部を認容して、DHC・吉田嘉明にして110万円(+遅延損害金)を支払えと命じるもの。訴訟費用負担は、原告(澤藤)が6分の1、被告ら(DHC・吉田嘉明)が6分の5という興味深い割合。
この判決にも被告(DHC・吉田嘉明)が控訴して、東京高等裁判所第5民事部に継続した。12月4日付で控訴理由書が提出され、第1回口頭弁論期日が、2020年1月27日(月)午前11時に指定されている。場所は地裁・高裁庁舎の5階、511号法廷。是非、傍聴にお越し下さい。
あらためて、この訴訟の概要についてお伝えし、ご支援をお願いしたい。
この事件は、典型的なスラップ訴訟である。スラップ訴訟とは、法に関わる社会現象であって、成文法に出てくる用語ではなく、厳密な定義があるわけでもない。常識的に理解されているところでは、「特定の表現を封殺する目的で提起される民事訴訟」を指す。封殺目的の「表現」の多くは言論だが、個人の行為や集団行動を対象とすることもある。その多くは、「社会的強者から」の「社会的に有益な表現」に対する攻撃である。その提訴という手段を通じて表現者を威嚇・恫喝せしめる側面に着目して、「威嚇訴訟」「恫喝訴訟」とも呼ばれる。典型的には、被告を威嚇・恫喝するにふさわしい、高額の損害賠償請求となっている。まさしく、DHC・吉田嘉明が私(澤藤)を被告として提起したDHCスラップ訴訟がそのような典型としての、世のイメージのとおりの訴訟である。
スラップは、その意図と効果において表現の自由封殺の反社会性をもちながら、国民の権利とされている民事訴訟提起を手段とするところに、スラップ特有の違法性判断の困難さがつきまとう。また、それが、スラップ提起者の付け目でもある。
私は、当ブログを毎日書き続けている。権力や権威、社会的強者に対する批判で一貫している内容。「当たり障りのないことは書かない。当たり障りのあることだけを書く」をモットーとして、連続更新は本日で、2459回である。
2014年春、このブログでサプリメント販売大手DHCのオーナー吉田嘉明を批判した。彼自身が週刊新潮の手記「さらば、器量なき政治家・渡辺喜美」で暴露した、みんなの党の党首(当時)渡辺喜美に政治資金として8億円の裏金を提供した事実を、「政治を金で買おうという薄汚い行為」と手厳しく批判したもの。
そして、吉田の裏金政治資金提供の動機を「利潤追求のために行政規制の緩和を求めたもの」として消費者問題の視点から批判した。
DHC・吉田嘉明がスラップ訴訟で、違法と主張したブログ記事の主要な一つが、次の記載である。
「大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。『抵抗勢力』を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。
これが、おそらくは氷山の一角なのだ。」
これは、消費者に有益な情報である。このような言論が違法として封殺されてはならない。スラップ訴訟とは、市民に有益な情報を遮断しようというものである。スラップは本来表現の自由に敵対する違法な行為なのだ。
私は、突然に、生まれて初めて被告とされた。提訴時の請求慰謝料額は2000万円。私は、「黙れ」と恫喝されたと理解し、弁護士として絶対に黙ってはならないと覚悟を決めた。同じブログに、猛烈に「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始めた。本日がその第167弾にあたる。
このシリーズを書き始めたとたんに、DHC・吉田嘉明側の弁護士(今村憲・二弁)から警告があり、慰謝料請求金額は6000万円に拡張された。吉田自ら、提訴の動機を告白しているに等しい。
スラップの対象となった私のブログは、政治とカネをめぐっての政治的言論であり、「消費者利益擁護の行政規制を緩和・撤廃してはならない」と警告を発するもので、社会に許容される言論というよりは、民主主義社会に有益な言論にほかならない。
当然のことながら、このスラップ訴訟は、私の勝訴で確定した。しかし、DHC・吉田側が意図した、「DHCを批判すると面倒なことになるぞ」という恫喝の社会的な効果は残されている。スラップを違法とする「反撃訴訟」が必要と考えた。
こうして、DHCスラップ「反撃」訴訟が提起され、去る10月4日、その一審勝訴の判決を得た。先行の「DHCスラップ訴訟」の提起を違法として、慰謝料等110万円の賠償を命じたもの。係属裁判所は東京地裁民事1部(前澤達朗裁判長)である。
この判決は、大要次のように判断している。
「DHC・吉田嘉明が澤藤に対して損害賠償請求の根拠としたブログは合計5本あるが、そのいずれについての提訴も、客観的に請求の根拠を欠くだけでなく、DHC・吉田嘉明はそのことを知っていたか、あるいは通常人であれば容易にそのことを知り得たといえる。にもかかわらず、DHC・吉田嘉明は、敢えて訴えを提起したもので、これは裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠く場合に当たり、提訴自体が違法行為になる」
私の側は控訴しなかったが、DHC・吉田嘉明の側が控訴した。これから、控訴審が始まる。その第1回が、1月27日である。決定的に勝ちたいと思う。ご支援をお願いしたい。表現の自由の確立のために。
(2019年12月25日)
クリスマス・イブとやら。外つ国の神の御子の生誕に何の感興もなく、したがって何の反感もない。万世一系のまがまがしさよりはずっとマシな今宵の穏やかさ。
イブよりは年の瀬。たまたま10日前、12月14日の「朝日川柳」(山丘春朗選)欄掲載句が、今年を振り返るにまことに的確で秀逸。投句者と選者の才能と炯眼に脱帽するばかり。もっとも、朝日川柳欄、いつもいつも秀逸句ばかりではない。この日の粒ぞろいは神の御業か。野暮を承知で秀句に感想の駄弁を。
一字から万事が見える桜かな(東京都 鈴木英人)
「一事が万事」というがごとく、「桜」の一字からいろんなことか見えてくる。まずは政権の驕り。そして安倍晋三という人物の薄汚さ。さらにはその取り巻き連の、意地汚さ。嘘と誤魔化しがまかりとおる、この世の情けなさ。おや、「桜を見る会」とは、実は「政権末期の醜態と世相を見る会」であったか。
信なくも立ち続けてるその不思議(兵庫県 妻鹿信彦)
政治の要諦は「信なくば立たず」である。ところが、この政権に限っては、国民の信をすっかり失ってもなお立ち続けている。満身創痍、膿にまみれ腐敗臭を放ちつつ、なお立ち続けているのだ。これほどの不思議はない。「弁慶の立ち往生」を思い出す。この政権は、もうすぐ立ったまま干からびて枯死に至るのか。
支持率の落ちて天下の怒気を知る(愛知県 石川国男)
冬枯れの落ち葉が散る。落ちた葉が木枯らしに舞う。この落ち葉こそ我が身の姿。支持率の低落は、モリ・カケ・サクラ・テストと続く疑惑の数々がなせる業。政権トップによる政治の私物化への民の怒りだ。この天下に満ちた怒気が肌に突き刺さる。目に痛い。「桜」疑惑追及をかわしたはずの国会閉幕後にこの世論の風の冷たさ強さ。わびしき、年の暮れ。
文科省目玉ふたつを落っことし(埼玉県 西村健児)
これこそ秀逸句。ふたつの目玉とは、安倍政権肝いりの大学入試共通テスト改革。英語民間試験の活用と、国語数学に記述式導入の試み。のみならず、下村博文と萩生田光一の二人でもあり、安倍にとっての支持率と改憲気運のふたつでもある。また、行政に対する国民の信頼と安倍政権に対する信任でもある。文科省は、これを見事に、落っことしたのだ。
首里首里と奏で辺野古を忘れさせ(埼玉県 堀利男)
ウームなるほど。首里首里と世相が騒いでいるのは、政権が奏でる曲に乗せられているのかも知れない。なんとなく、「首里が通れば辺野古が引っ込む」という印象は否めない。ここは、「首里も辺野古も」でなくてはならない。あるいは、「首里はゴーで、辺野古はストップ」、「辺野古建設を止めて、浮いた金を首里に回せ」でなくてはならない。「首里城も辺野古もともに忘れまい」。
逃げ切った男が仕切る税調か(青森県 大橋誠)
疑惑の人。グレイではない真っ黒けの甘利明経済再生担当相(当時)である。この人も、安倍の側近といわれた人。「その人の安倍との距離は、醜悪さに比例し廉潔さに反比例する」という、アベの法則を地で証明した政治家。思い出させるのは、何ゆえこんなあからさまな政治家の犯罪が不起訴とされた悔しさ。ああ、検察もアベ一強に忖度する存在になりさがったか。その人が、またうごめいている。
あいにくと川柳はせぬ年忘れ(神奈川県 朝広三猫子)
これが、今年の掉尾を飾るにふさわしい一句。アベも、アソウも、ニカイも、萩生田も下村も、良民どもは年が変われば旧年のできごとはすっぱりと忘れてくれるはずと思い込んでいる。みんな盛大に「忘年会」をやっているだろう。大切なのは、「年忘れ」をして新たな年を迎えることだ。ところがおあいにくにも、「川柳はせぬ年忘れ」なのだ。年の暮れにも初春にも、梅のころにも桜のころも、「桜疑惑」もモリ・カケも、忘れてなるものか。
(2019年12月24日)
以下は、弁護団会議の議論にもとづいて、私が起案した飽くまでもドラフトである。もちろん、まだ弁護団の正式文書ではない。これが正式文書になるまでには、幾重もの加除添削が行われることになる。その議を経ていない、私個人の考え方を示すものとしてご理解願をお願いしたい。
私としては、またまたの都教委の理不尽な蠢動をこの時点で、多くの方に知って欲しい。
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私どもは、都立校において教職員に対する国旗・国歌(日の丸・君が代)への敬意表明強制の事態を深く憂慮する立場の弁護士で構成している弁護団です。
「10・23通達」発出以来の、入学式・卒業式における国歌斉唱時の起立・斉唱命令に従いがたいとする教職員の皆さんからの委任を受け、「職務命令予防訴訟」、「懲戒処分取消訴訟」、「再雇用拒否違法訴訟」を始めとする数々の訴訟を受任してまいりました。
多くの教職員が、「国旗(日の丸)に正対して起立し国歌(君が代)を斉唱せよ」との命令に従うことは、自らの思想・信条・信仰に照らして、大きな精神的苦痛を感じているところです。
また、教員という職能は、次代の主権者を育てる職責でもあって、生徒の教育を受ける権利に照応して、生徒たちに憲法に保障された人権擁護の実践を示さねばならない立場にもあります。
私たち弁護団の弁護士は、そのような教員に共感し、これまで国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制、ならびに強制に服さないことを理由とする懲戒処分を始めとするあらゆる不利益を違憲・違法と主張する法廷活動を重ねてまいりました。
長年にわたる諸訴訟の結果、処分量定が重きに失するとした多くの勝訴判決を重ねて、懲戒処分の量定は実質的な不利益を伴わない戒告に限定しなければならないという判例法を確立し、東京都教育委員会の違法な暴走には然るべき歯止めを掛けてきたところです。とはいえ、すべての処分を違憲と断じる最高裁判決を未獲得であることにおいて必ずしも満足すべきものではなく、今後の課題として戒告処分についても、違憲ないし違法として取消しを命じる判決を獲得すべく決意を新たにしているところです。
そして今、私どもは、減給処分の取消しを命じる判決が最高裁で確定したT教諭の事案において、これまでの例から懲戒量定を戒告とした再処分がありうるものとして、同教諭からの依頼によって、その処分手続の全過程に関わる所存です。
ところで、これまで「国旗・国歌(日の丸・君が代)」強制に服さなかったことを理由とする懲戒処分には必ず「事情聴取」と称する聴聞の機会が設けられてきました。行政処分において不利益を被る者の防御権保障の一般論からも、また行政手続法13条1項の類推からも、当然に履践されて然るべき手続と考えられます。
当弁護団は、T教諭の聴聞手続(「事情聴取」)に同席して、T教諭の発言をサポートし、法的な助言をすることを予定しておりました。
ところが都教委は、去る12月18日(水)の午後、おそらくは再処分を前提として、T教諭に都庁教育庁までの呼出を通知しました。驚くべきことに、その指定時刻が翌19日(木)午後3時ということでした。しかも、同教諭の授業の差し支えなどに対する配慮はまったく無視してのことです。同教諭は、授業への差し支えを理由に、別の3日程を提案しましたが、都教委が耳を傾けるところではありませんでした。
また、同教諭は弁護士の立ち会いを求めましたが、これも都教委の承諾するところではなかったと聞いています。
あらためて本書面をもって、同教諭の聴聞手続(「事情聴取」)への当弁護団所属弁護士の同席を求めます。19日の聴聞手続(「事情聴取」)は未了となっているようですので、続回には席を設けてください。
弁護士とは、法の支配が貫徹する現代社会において、国民の人権を擁護するための法律専門職です。とりわけ、市民が公権力と対峙する局面において、その依頼があれば、現場で法的な助言をすることがその職責とされています。国会で発言する参考人や証人の側に、発言者の要請ある限り弁護士がアドバイスできるよう同席しているのは、そのような理念の表れにほかなりません。
この弁護士の職責は、弁護士法の根拠をもつもので、T教諭の防御の権利の保障のために、弁護士の同席が不可欠なものとお考えください。同教諭の弁護士を依頼し、最も困難な場で弁護士の法的助言を受ける権利を奪うことは許されません。
19日の呼出を18日に通知するという性急さは、実質的に弁護士同席の機会を奪うためとしか考えられません。翌日の呼出ではなく、せめて4?5日の期間をおいての呼出であれば、当弁護団の誰かが、聴聞手続の席に伺うことが可能です。そのようにして、懲戒を受けようとしている教員の事前の言い分や意見を、依頼する弁護士の助言も含めてよく聞いていただき、間違った処分に至ることのないよう、十分な配慮を願う次第です。
また問題は、当弁護団所属の各弁護士の立ち会いの権利が全うされているか否かという視点からも吟味されなければなりません。同教諭から委任があった以上は、各弁護士は、その裁量において弁護士法に則った最善の義務を尽くすべき義務のみならず権利をも有することになります。刑事訴訟における弁護人の弁護権に類似するものとお考えください。弁護人に弁護のために必要な権利が保障されるように、懲戒処分に関して委任を受けた弁護士は、受任弁護士として弁護士法が要請する義務遂行のための権限がなければなりません。懲戒処分に先立つ聴聞の機会への弁護士の同席は、被聴聞者の権利であるとともに、依頼された弁護士の権利でもあると考えられます。
以上のとおり、事実上弁護士の同席を拒絶している東京都教育委員会に対して、当弁護団として抗議の意を表明するとともに、弁護団に属する弁護団の同席を実質的に保障されるよう、強く要望いたします。
(2019年12月23日)
冬至である。年末も近い。今年を振り返っての感想が、あちこちで見える時期になった。
恒例の今年の漢字は、「令」となった。強烈な違和感を覚える。今年1年の世相を最も的確に反映する漢字として、はたして「令」がふさわしいだろうか。
本年(2019年)4月1日、「令和」という新元号が発表された日に、私は当ブログに次のように書いた。今も、このとおりだと思っている。
通常の言語感覚からは、「令」といえば、命令・法令・勅令・訓令の令だろう。説文解字では、ひざまづく人の象形と、人が集まるの意の要素からなる会意文字だという。原義は、「人がひざまづいて神意を聴く様から、言いつけるの意を表す」(大漢語林)とのこと。要するに、拳拳服膺を一文字にするとこうなる。権力者から民衆に、上から下への命令と、これをひざまずいて受け容れる民衆の様を表すイヤーな漢字。
この字の熟語にろくなものはない。威令・禁令・軍令・指令・家令・号令…。
6月1日には、「サヨナラ令和」の戯れ唄を載せた。その最後は次のとおり。
令和の令には、「へ」と「マ」が読めるけど
こんな元号選定は政権のヘマじゃないかしら
忖度政治にはもうウンザリだから
熨斗を付けてお返しするわ
サヨナラ 令和? 永遠に
もし、日本の民衆の多くが、「令」を今年の世相を表すのに最もふさわしい漢字として受容するほどに、この字に親近感を持っているとすれば、明治以降の天皇制権力が臣民に刷り込んだ国体意識がいまだに健在で、民主主義と国民主権が未成熟のままであることを物語っている。
そして、昨日(12月21日)の安倍晋三発言に驚いた。
「日本が世界の真ん中で輝いた年になったのではないか。来年は東京五輪・パラリンピックが開かれる。躍動感あふれる中で新しい国づくりを進めたい」
これが安倍晋三の、行政府トップとしての恐るべき現状認識。この発言からは、日本が抱えている深刻な問題をまったく認識していないごとくである。
彼は、今年を「日本が世界の真ん中で輝いた年」だという。そんなはずはあり得ない。この安倍発言には違和感というよりは、欺瞞と虚飾を感得するしかない。
2019年を振り返れば、まずは「あいちトリエンナーレ」における「表現の不自由展・その後」中止の衝撃を思い出さねばならない。私たちの社会は、かくも日本国憲法が想定したものとは、かけ離れたところに来てしまっている。
そして、この一年を通じての日韓関係の深刻な悪化である。日本近代の天皇制軍国主義が何を目指し、どんな非行を重ねてきたか。被害者として、それをもっともよく知る立場にあるのが、朝鮮・韓国の人々である。宗主国面をした醜い日本人の正体を露骨にあらわした今年の我が国は、輝くどころではない。
さらに、沖縄・辺野古の事態が、アメリカへ従属し、アメリカと一体となった軍事大国化路線の進展を明らかにしている。しかも、平和を望む県民の願いを無惨に蹂躙しての、自然破壊・新基地建設の一年でもあった。
特筆すべきは、政治と行政が腐っていることを見せつけられた一年であったこと。議会制民主主義も危機にあるといわねばならない。行政の私物は極まれりだ。司法まで、おかしい。安倍晋三がいう「日本の輝き」とは、落日の輝きという自嘲としか考えようがない。
それにしても、「桜を見る会」疑惑追及を逃げ回り国会を閉会させての安倍が、のたまう「日本が輝いた年」発言である。人々が、クリスマスで騒ぎ、お屠蘇で気分をあらためれば、新年には,桜疑惑も、大学入試共通テスト責任も、かんぽ違法の責任も、山口敬之敗訴も、カジノ疑惑も、公文書の破棄、改竄、隠蔽の数々も、そして安倍晋三と昭恵の行政私物化の数々も,きれいさっぱりみんな忘れてくれる、と思い込んでいるようだ。
かれは、75日が過ぎ去れば、すべて問題解決と考えている。ここは綱引きだ。私たちは、この怒りのタネの一つひとつを忘れてはならない。折あるごとに思い出そう。年の暮れには、この政権の退陣要求の決意を固めよう。
来たるべき2020年を、「オリンピックの年」として、ナショナリズムを喚起し、政治の腐敗から、国民の目を逸らせようというのが、「嘘とゴマカシの」安倍政権のもくろみ。乗せられてはならない。
(2019年12月22日)
ときおり吉田博徳さんから難しい質問を受ける。先日の電話は、こんな風だった。
「香港の情勢が気になってならないんですよ。どう見ても、大国である中国が、香港市民の民主化要求を掲げる運動を弾圧している。これは、国家が国民の人権を侵害している図ですよね。このことについては、世界中の国や世論が中国を糾弾しなければならない。ところが、これに対して、中国は『香港の問題は中国の国内問題だ。国外からの内政干渉は許されない』と言っていますね。ホントに、そうなのでしょうかね。」「ひとつ、今度会うときにお話しを聞かせてください」
で、今日が「今度会うとき」となった。なんとなく、弁解じみた逃腰の話にしかならない。
「この間の宿題ですが、普通、弁護士は実務で国際法なんかやりません。それに、国際法ってきちんと体系ができているわけではありませんで、大国の実力がまかりとおる側面が大きいということもある。きちんとした話にはなりませんよ。」
「いったい、どんな風に問題を整理して考えればよいのでしょうかね」
「国際法秩序は主権国家を基礎単位に構成されていますから、どうしても、まず国家ありきから出発せざるを得ないのでしょうね。ですから、国家主権を相互に尊重するという意味での『内政不干渉の原則』が議論の出発点。そして、人権原理がこの原則をどこまで制約するか、と考えるしかないでしょうね」。
「内政不干渉の原則は常識的に分かりますが、明確な成文の根拠があるんでしょうか」
「主権国家の存立を認める以上は、内政不干渉は当然の原則となりますが、国連憲章第2条第7項に、『この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではな』い、とあります。国連すら干渉できないのですから、各国が干渉できるはずはない。また、『友好関係原則宣言』と呼ばれる『1970年国連総会決議』が、『いかなる国又は国の集団も、理由のいかんを問わず、直接又は間接に他国の国内問題又は対外問題に干渉する権利を有しない』と確認しています。つまりは、大国といえども小国の存立を尊重して、干渉してはならないということで、内政不干渉の原則は積極的な意義をもっていると評価できることになります」
「ところが、現実の問題としては、一国の政府が国内の少数民族や少数派宗教の信仰者を弾圧して人権を蹂躙するとき、国際世論や他国からの批判を封じる口実が内政不干渉の原則となっていますね。」
「そのとおりです。そういう問題意識から、内政不干渉の原則に対抗する、《国際人権》観念が、勃興してきました。1948年の世界人権宣言、1966年採択の国際社会権規約(A規約)・自由権規約(B規約)は、人権の普遍性・国際性を謳って、各国に人権のスタンダード遵守を求めるものとなっています」
「人権の原理に普遍性があるのなら、国家主権に優越しませんか。日本国憲法だって、国家よりも個人の尊厳がより重要なものとしているのでしょう」
「うーん。そこまで言い切れるかは疑問ですが、人権原理の普遍性を高らかに謳うものとして、1993年の世界人権会議で採択された『ウィーン宣言および行動計画』があります。『全ての国家が全ての人権と基本的自由を普遍的に尊重し保護する義務を遂行する必要があることを厳粛に再確認する』『すべての人権は普遍的であり、国際社会は全ての人権を地球規模で、公平に、同じ根拠で、同じ重大性を持って扱わなければならない。全ての人権と基本的自由を促進し保護することは国家の義務である』というものです。
「これなら、人権侵害を行っている国を、他国の政府や国民が批判することは、まったく問題になりませんね」
「この宣言以後、特定の国の人権問題についての批判の言論を内政干渉とは主張できなくなったと言われています。人権侵害の情報がきちんとした根拠にもとづくものである限り、他国の人権に懸念を表明したり批判することは内政干渉とは考えられません」
「では、いったい、国家主権を侵害する内政干渉とはどんなことを指すのでしょうかね」
「結局は、他国の人権侵害防止や救済のためとして、強制力を用いること。とりわけ武力を用いて威嚇したり、あるいは武力介入すること、と狭く考えられるようになっています。」
「なるほど、人権侵害国には、国連・各国・国際世論が総力をあげて批判することが重要で、武力行使はもっと事態をこじらせることになるでしょうね」
「香港の事態に関しては、中国の態度を批判することになんの問題もないと思いますよ」
「アメリカで可決された『香港人権・民主主義法』は内政干渉にならないのでしょうか」
「アメリカの主権行使の範囲を出ていないと考えられます。内容は大きく2点あって、その一つは、現在香港に与えている関税やビザ発給などに関する優遇制度を、今後は毎年の検証に基づいて、見直すか否を判断するということ。もう一つは、香港の自治や人権を侵害した人物に対し、アメリカへの入国禁止や資産凍結などの制裁を科すこと。いずれも、米国の主権行使の範囲内のことでしょう」
「やっぱり、アメリカだけでなく、国連もその他の国々も世論も、人権原理から中国に対して厳しく批判することが必要ですね」
「その点に異論はありません」
(2019年12月21日)
一昨日(12月18日)、「ジャパンライフ全国被害弁護団連絡会」が、安倍晋三の「桜を見る会」疑惑に関連して声明を発し記者会見を行った。「安倍首相は、山口隆祥元会長を「桜を見る会」に招待した経緯を、被害者らに誠意をもって説明すべきだ」とする趣旨。弁護団代表は、さらに同日、国会内で行われた野党の合同ヒアリングにも参加して、被害者の立場から内閣府の担当官に,強い姿勢で「誠実な説明」を求めた。
「桜を見る会」疑惑の本質は、安倍晋三とその取り巻きの行政私物化である。国家の私物化といってもよい。なによりもこのことの重みを明確にしておかねばならない。
安倍晋三とその取り巻きのやったことは、公私混同という醜行である。彼らの頭の中では、「公」と「私」の区別が溶けてなくなっているのだ。アベ後援会の活動も自民党の活動も「私」の分野のものである。本来、すべて私費で行われなければならない。「桜を見る会」は政府の公的な行事である。参加者の選定も、その招待も、会の進行も、本来「公」の活動である。この区別を殊更に無視して、「桜を見る会」という「公」の行事を、「私」の安倍後援会活動の一端に組み込んだ公私混同が、まず糾弾されなければならない。
のみならず、安倍晋三とは内閣総理大臣の座にある者である。言うまでもなく、内閣総理大臣とは公権力のトップに位置する職務である。彼の場合の「公」と「私」との区別は、法の支配や立憲主義と密接に関わる。近代以前には、王や領主の私的な家法が、そのまま国法でもあった。そこでは、権力者の意思はすなわち国の意思であって、権力者の私的行為と公的行為の区別の必要はなかった。しかし、近代国家では、権力者の恣意の振る舞いは許されない。憲法に従い国民の利益のために働く意思と能力を持つ者に、その限りで権力が預けられ、その範囲で権力の行使が許されるのである。近代社会では、権力の私物化など、原理的にあり得ないのだ。
ところが、安倍晋三という人物は、権力を私物化し、「私」の利益のために「公」を利用しているのだ。この人物には国民の利益のために働く誠実さと能力を欠くことにおいて、権力を預かる資格がない。
そのことを確認した上で、「反社の方々」や「甚大な被害を輩出している詐欺師」を「桜を見る会」の招待者としたことの非を、派生問題として把握しなければならない。が、この派生問題は、実はたいへんに大きなインパクトを持っている。
被害者弁護団は、「桜を見る会」の招待状が同社の宣伝や勧誘に利用されたことで「多くの被害者がジャパンライフを信頼できる会社と誤解した」と指摘。長年にわたって悪徳商法を展開してきた山口を功績・功労があった者として招待した経緯について「(安倍首相は)被害者に対し、誠意をもって説明すべき」だと強調している。
ジャパンライフとは大規模な詐欺組織である。山口隆祥とは、その総帥の詐欺師にほかならない。安倍官邸はこの詐欺師を「桜を見る会」に招待し、招待された詐欺師は、総理主催の公的行事に招待されたことを,社会的信用の証しとして最大限に活用した。
現在破産手続き中の同社の負債総額は2405億円、契約者は7000人に上るものの、破産手続き中の同社が被害者に返金できる資金はないという。そこで弁護団は、同社の元顧問らに顧問料の返還を求めるよう管財人に要請し交渉中という。元内閣府官房長・永谷安賢、元特許庁長官・中嶋誠、元科学技術庁科学技術政策研究所長・元日本オリンピック委員会(JOC)理事・佐藤征夫、経済企画庁長官秘書官・松尾篤元、元朝日新聞政治部長・橘優らである。いずれも、被害者を信用させるに足る地位にいた顧問ら。その合計金額が1億4500万円に上るという。
ジャパンライフが悪徳業者として話題に上ってから20年余にもなる。かくも長期に永らえ、かくも甚大な被害に至ったのは、行政や大物政治家との癒着があったからである。多くの天下り官僚を受け入れてもいた。政治資金パーティーには、毎年100万円?200万円を支出していた。この癒着の象徴として、「桜を見る会」の招待がある。
また、同社はこれまで4度の行政処分を受けており、その悪名を内閣府が知らなかったはずはない。それでも、公的に山口に「桜を見る会」の招待状が届き、詐欺商法に利用させた。これについて、内閣府も官邸も可能な限りの調査をし説明をしようという誠実さのカケラもない。名簿の保存がないから、山口を招待したことすら確認できないという、説明拒否に終始する態度なのだ。誰がどのような理由で推薦し、内閣府がどのような根拠で招待に値すると判断したのか、その過程を誠実に調査して明確にすれば、安倍政権の公私混同ぶり、権力者の放埒な振る舞いが白日のもとにあぶりだされるからなのだ。
「桜を見る会」への詐欺師招待は、必ずしも問題の本質ではない。しかし、たいへん分かり易く、行政の私物化がもたらす弊害を明らかにしている。同時に、行政が資料の廃棄を急いだ理由をも教えてくれてもいる。はからずも、詐欺師正体が、「桜を見る会」疑惑の正体を照らし出すものとなっているのだ。
(2019年12月20日)
伊藤詩織さんの山口敬之に対する損害賠償請求訴訟。昨日(12月18日)、よい判決となった。公にしにくい性被害の不当を訴えて声を上げた、伊藤さんの勇気と正義感に敬意を表したい。
被害者は私憤で立ち上がるが、行動を持続するには,私憤を公憤に昇華させなければならない。でなければ社会の支持を得られないからだ。はらずも、伊藤さんの行動はそのお手本になった。
被害者伊藤さんの支援の人びとのピュアな雰囲気と、加害者側の応援団の臭気芬々との対比が一興である。この醜悪な山口応援団の面々を見れば、その背後に安倍晋三ありきという指摘にも頷かざるを得ない。応援団に誰が加わっているのか、その面子というものは、ものを言わずともそれ自体で多くを語るものなのだ。
私は、判決全文を読んでいない。裁判所が作成した「要旨」を読む限りだが、客観状況に照らして、被告山口のレイプは明白で、十分に刑事事件としての起訴と公判維持に耐え得る案件だと思われる。何ゆえ山口が不起訴になったのか、その背後に官邸の指示や要請はなかったのか。あらためて、本格ジャーナリズムの切り込みを期待したい。
ところで、私の格別の関心は、この事件の「反訴」にある。
伊藤さんが、慰謝料など1100万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴したのが、2017年9月。被告山口は、今年(2019年)2月に反訴を提起した。
この反訴は、「(伊藤が)山口の行為をレイプと社会に公表することで、(山口の)名誉が毀損された」とする損害賠償請求訴訟。その慰謝料請求額が1億3000万円という高額で話題となった。
これは、スラップの一種である。訴訟という舞台での高額損害賠償請求をもって、原告を恫喝しているのだ。伊藤さんと同じ立場で訴訟を企図する性被害者たちの提訴萎縮効果をも招くものとなっている。
こういう非常識な反訴提起という訴訟戦術には、代理人弁護士の個性が大きく関与している。この弁護士は、愛知県弁護士会に所属する北口雅章弁護士。実はこの人、自身のブログに、伊藤さんの訴えについて「裁判に提出されている証拠に照らせば、全くの虚偽・虚構・妄想」と記載。被害の様子をつづった伊藤さんの手記の出版は「(山口の)名誉・社会的信用を著しく毀損する犯罪的行為」と書き込んでアップした。このブログは今は消去されて読めないが、弁護士としての品位を欠くものとして、懲戒手続が進行している。
懲戒請求は、まず綱紀委員会で審査される。ここで、懲戒審査相当の議決あって始めて懲戒委員会が審査を開始する。
愛知県弁護士会の綱紀委員会は、本年(2019年)9月12日、当該ブログの内容は、伊藤さんの名誉感情を害し、人格権を侵害するものと認定し、「過度に侮蔑的侮辱的な表現を頻繁に交えながら具体的詳細に述べ、一般に公表する行為は、弁護士としての品位を失うべき非行に該当すると判断した」と報じられている。
被懲戒者側は、「虚偽の事実の宣伝広告によって山口の名誉が毀損されていることに対する正当防衛」と主張したが、綱紀委員会は一蹴している。北口は、この議決を受けてブログ記事を削除している。もちろん、それでも懲戒委員会の審査が進行中である。
私は愛知県弁護士会が同弁護士に対して厳しい懲戒処分をするよう期待する。スラップ訴訟提起の不当・違法は明らかで、これを主導する弁護士には、制裁あってしかるべきなのだ。私は、「スラップやった弁護士は懲戒」の定着を望ましいと思っている。厳密には、本件は「代理人となってスラップを主導したから懲戒」という事案ではない。「スラップの主張を、ブログでも品位を欠く態様で公表したから懲戒」なのだ。しかし、本件は望ましい懲戒への、栄光ある第1歩の案件となるやも知れない。
さて、当然のことながら、山口からのこの反訴請求は全部棄却された。「判決要旨」は、まことに素っ気なく、次のようにまとめている。
【(原告伊藤の)被告(山口)に対する不法行為の構成】
原告(伊藤)は自らの体験・経緯を明らかにし、広く社会で議論することが、性犯罪の被害者を取り巻く法的・社会的状況の改善につながるとして公表に及んだ。
公共の利害にかかわる事実につき、専ら公益を図る目的で表現されたものと認めるのが相当であること、その摘示する事実は真実であると認められることからすると、公表は名誉毀損による不法行為を構成しない。プライバシー侵害による不法行為も構成しない。
なお、1億3000万円の反訴提起に必要な印紙額は41万円。山口が本件判決を不服として控訴するとなれば、訴額は本訴反訴合計で1億3330万円。必要な印紙額は63万3000円となる。もちろん、弁護士費用は別途必要となる。庶民には大金だが、稼いでいる記者には大したものではないのかも知れない。
(2019年12月19日)