澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ツキの落ちた男のモノローグ ― 「落ち目はつらいよ」

(幕が開くと、執務室らしいしつらえ。上手に事務机があり、奥に日の丸と教育勅語の額。そして、岸信介の写真が飾ってある。)

(中年の男が、舞台の中央に立つ。狷介な風貌だが、やつれた雰囲気。大仰な語り口で、投げやりに観客に向かってしゃべり始める)

あ?あ、なんということだ。内政・外交なにもかもうまく行かない。いったい、どうしちゃったんだ。こうなると、みんな冷たい。この間まで、おどおどと私の顔色を窺っていた連中が、急によそよそしくなった。

私は今までツキだけで生きてきた男だ。政治家の家に生まれたのがツキのはじめ。その後何の苦労もなく政治家になり、世の右翼的潮流に乗った。一度は、選挙に大敗して、ぶざまに政権を投げ出したが、民主党政権のオウンゴールに助けられて返り咲いた。その後は選挙の度に北朝鮮が危機感をあおってくれたり、野党が分裂してくれたり。なんとなく、うまくいってきた。もちろん、小選挙区制が助けてくれたことも大きいが、こんなに長期の政権が続いたのは、ツイていたとしか言いようがない。

ところが、その大切なツキの総量を、どうやら使い果たしてしまったらしい。最近つくづくとそう思うんだ。もう、私にツキは残っていないんだなって。大事なことは、ツキよりも、ツキがあるとみんなに思わせることだ。周りの人々が私にツキが残っていると思えば、みんなが私の方に擦り寄ってくる。カネの欲しい人、権力の分け前を要求する人、名前を売りたい人、そんなさもしい人たちばかり。そんな人たちが、潮が引くように私の周りから消えていく。寂しいものだ。落ち目は辛いよ。

私は、反共と復古的ナショナリズムを鼓吹する以外に、何の政治信念も理想もない。行きがかり上、私を支持する人々のために憲法改正のスローガンをクチにし続けてきた。憲法のどこをどう変えようという信念もないし、贅沢な望みもない。憲法のどこにでもよい,ほんの少しでも改正の疵をつけようということがホンネなのだ。誰のためでもない、自分の功績を後世に残そうということ。

しかし、どうもそれさえも現実には難しい。両院の憲法審査会は,野党の反対で動かない。公明党もだらしなく、慎重姿勢だ。世論調査の結果もまったく芳しくない。八方ふさがりだ。

思えば、平成から令和へ、なんて新元号発表で浮かれていた半年前が懐かしい。あの頃はまだ総裁4選だってあり得たと思っていた。天皇制とは、政権が利用するためにある。我ながら、みごとに利用したものと満足していたんだが。

消費増税がケチの付き始めなのかも知れない。景気の腰折れだけでなく、軽減税率導入問題のめんどくささが、決定的な不人気となった。ポイント還元も、いったい何をやっているのやら、わけのわからなさに拍車をかけた。

そして「桜を見る会」疑惑だ。私が直接の名指しで追及を受けているのだから、これが痛い。しかも痛みがまだ続いている。

「桜」疑惑では、記録の廃棄が問題となった。例の招待者名簿だ。もちろん常識的にはどこかに残っているさ。でも、都合が悪いから廃棄したと言った以上は、今さらありましたと言えるわけがない。いや、それだけじゃない。あの名簿を根ほり葉堀り調査されたらたいへんなことになる。みっともないことは承知で、シュレッダーにかけた、データも消去した、復元はできない、とがんばらざるを得ないんだ。だから、苦しい。75日が過ぎ去るのをじっと待つしかない。

でも、「桜」疑惑の裾野は広い。五輪チケット問題の首相枠まで、問題とされている。もちろん、「そんなものはあるわけない」と言えないから辛い。答弁書の書き方がいかにもまずい。「お答えは困難」というのだから、その回答自身が新たな話題になってしまってる。

ホントは、大学入試共通テスト問題が一番痛い。国民の関心が高いテーマだから。あれは、首相肝いりでやったことだ。もちろん私が得意とする民間委託ありきの手法。民間との癒着が疑われて当然なのだ。ベネッセに儲けさせるシステムだったんだろうというわけだ。これから、政治資金の流れが突っ込まれる。
私の意を受けて、これを現場で推進したのが下村だ。下村自身が教育で儲けている産業人だ。その責任は免れない。「身の丈」発言の萩生田も、首相側近と誰もが認めるところだ。その二人が大チョンボだ。改憲問題にも効いてくる。痛い、痛い。

COP25では、進次郎に期待したが散々だった。マスコミの論調が、無能な進次郎の責任ではなく、内閣にこそ責任があるというのが、思惑外れ。指摘されれば、誰でもそう思うだろうということが、また、癪のタネ。

もひとつ困ったことが、和泉洋人の「京都不倫出張」問題だ。和泉は私の側近として、前川喜平に会っている。前川が証言したところでは、「和泉洋人首相補佐官から官邸に呼び出され、『総理は自分の口からは言えないから私が代わって言う』」と、加計学園の獣医学部設立認可促進を文科相に働きかけた人物。こんな形で話題とされたのでは、私がたいへん困るではないか。

さらに、カジノ疑惑だ。東京地検特捜部が動いているようだが、どういうことだ。どうして、官邸の困るようなことができるのか。いつたい、いつから、そんなにえらくなったんだ。外為法違反で捜査されている秋元司は今年9月まで内閣府副大臣だ。しかも、昨年10月まではIR担当だ。疑惑の内容は、中国企業から秋元にカネが渡っているということだろう。そんなことを暴かれたら、政府が困る。大所高所から、ことを収めてもらわねばならない。

そしてそして、また森友の蒸し返しだ、情報公開請求の一部拒否を違法とする国側敗訴の大阪高裁判決が言い渡された。あの悪夢が繰り返されるかと思うと、不愉快極まりない。

最後が、山口敬之問題だ。伊藤詩織が山口敬之に勝訴した。これは、困る。知られているとおり、山口敬之は私にゴマを摺った御用記者だ。私を持ち上げた『総理』を書いている。だから、「安倍政権が不起訴に持ち込んだ」と世間が噂している。その真偽をまた聞かれることになる。「回答は困難」というしかないか。

落ち目になると、人か離れて苦労が集まる。なにもかもうまく行かない。
(大仰な身振りで)
あ?あ、なんということだ。
(暗転。そして幕)

(2019年12月18日)

なるほど、天皇は「戦没者の位牌」なのか。

本日の毎日新聞夕刊、「あした元気になあれ」という連続コラム欄に、憲法を実行せよ」という、なんとも直截な、しかも大きな活字のタイトル。小国綾子記者の執筆で、「憲法を実行せよ」は中村哲医師の言葉。

 「憲法を実行せよ」。アフガニスタンで亡くなった医師、中村哲さん(73)が6年前、茨城県土浦市の講演で聴衆に向けて力強く放った言葉が忘れられない。憲法を「守れ」ではなく「実行せよ」。耳慣れない表現が心に刺さった。
 彼の講演はこんなふうだった。「この国は憲法を常にないがしろにしてきた。インド洋やイラクへの自衛隊派遣……。国益のためなら武力行使もやむなし。それが正常な国家だ、と政治家は言う」。そう苦言を呈したあと、中村さんは冒頭の言葉を口にしたのだ。
 パソコンに残るその日の私の取材メモ。<講演でまず心を動かされたのは、スライドに大きく映し出されたまぶしいほどの緑の大地の写真だった。干ばつで砂漠化したアフガニスタンの大地を、緑豊かな耕作地へと変えてきた中村さんの力強さ。この人のすごさは「実行」してきたことだ。「100の診療所より1本の用水路を」と。そんな「実行の人」が壇上で言う。「憲法は守るのではない、実行すべきものだ」>

 「…他国に攻め入らない国の国民であることがどれほど心強いか。単に日本人だから命拾いしたことが何度もあった。憲法9条はリアルで大きな力で、僕たちを守ってくれている」
 「リアル」という言葉にも、はっとさせられた。日本で平和憲法を「ただの理想」「非現実的」と言う人が増えていたあの頃、アフガニスタンで命の危険と背中合わせの中村さんは逆に「リアル」という言葉を使ったのだ。」

小国記者のいう「6年前」とは、2013年6月のこと。6月6日の毎日夕刊憲法よーこの国はどこへ行こうとしているのか」に、中村哲さんのインタビュー記事が載った。優れた記者によるインタビュー記事として出色。

私は、翌6月7日の当ブログにこの記事を引用して、「憲法9条の神髄と天皇の戦争責任」というタイトルをつけた。
https://article9.jp/wordpress/?p=506? (2013年6月7日)
憲法9条の神髄と天皇の戦争責任

小国記者の本日の記事。6年前と同じ中村医師の言葉が、以下のとおりに引用されている。

 最後に「あなたにとって9条とは?」と尋ねた時の、中村さんの答えをここに書き残しておきたい。忘れてしまわないために。
「天皇陛下と同様に、これがなくては日本だと言えないもの。日本に一時帰国し、戦争で亡くなった親戚の墓参りをするたび、僕は思うのです。平和憲法とは、戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の『お位牌(いはい)』だと」
 この言葉をもう二度とご本人の口から聞けないことが悔しい。「憲法を実行せよ」という言葉の意味を今、改めて考える。

私は繰り返し、中村哲医師を尊敬に値する人と述べてきた。今も、その気持は変わらない。だが、この小国記者が引用するこの中村医師の言葉に限っては、どうしても違和感を禁じえない。疑問をもって問い質すことをせずインタビューを終えた小国記者の姿勢にも納得しかねる。

「憲法9条とは、これがなくては日本だと言えないもの。平和憲法とは、戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の『お位牌』だ」。やや舌足らずだが、このことは分かる。中村医師は、憲法9条を戦争の惨禍か生んだ不戦の誓いと理解している。厖大な悲劇を象徴する位牌の前で、この悲劇を生んだ戦争を拒否することが、「憲法を実行」することだというのだ。

しかし、「天皇陛下と同様に、」というのは、理解不能である。文脈では、「天皇陛下も、これがなくては日本だと言えないもの。戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の『お位牌』だ」ということになるが、これでは意味不明ではないか。

あるいは、「天皇陛下も、これがなくては日本だと言えないもの。」というだけの意味なのかも知れない。しかし、「天皇がなくては、この国は日本だと言えない」というのは、愚にもつかない戯言。いうまでもないことだが、主権者国民なくしてはこの国は成り立たない。しかし、天皇がなくてもこの国は立派に日本として成り立つのだ。「国破れて山河あり、天皇なくとも日本あり」なのだ。

現行憲法を改正して、天皇のない日本を構想することは極めて容易である。実は,天皇をなくして国民生活になんの不便もない。国費の節約にはなるし、国民主権の実質化と、権威主義的国民性の矯正に資することにもなろう。もちろん、天皇とは政治的な利用の道具としてあるのだから、危険を除去することでもある。

「天皇陛下は、戦闘員200万人、非戦闘員100万人、戦争で亡くなった約300万人の人々の『お位牌』だ」と、中村医師が言ったとすれば、天皇に対するこれ以上ない痛烈な皮肉ではないか。

皇軍の兵士は、天皇の名による戦争に駆りだされた。天皇の命令によって徴兵され、天皇の命令によって殺人を強要され、天皇のためとして犠牲の死を賜った。その数200万人。また、天皇が開戦し天皇が国体護持にこだわって終戦を遅らせたために犠牲となった非戦闘員が100万人。天皇が300万人の位牌だというのは、なるほど言われてみればそのとおりなのだ。死者一人に一個、その人の死を記録し具象化するものとしての位牌。天皇は、戦没者300万人の死に責めを負うものとして、永劫に死者から離れることのできない位牌なのだ。

6年前のインタビュー記事の最後は、次のとおり。そして、私の感想も。

窓の外は薄暗い。最後に尋ねた。もしも9条が「改正」されたらどうしますか? 「ちっぽけな国益をカサに軍服を着た自衛隊がアフガニスタンの農村に現れたら、住民の敵意を買います。日本に逃げ帰るのか、あるいは国籍を捨てて、村の人と一緒に仕事を続けるか」。長いため息を一つ。それから静かに淡々と言い添えた。
「本当に憲法9条が変えられてしまったら……。僕はもう、日本国籍なんかいらないです」。悲しげだけど、揺るがない一言だった。

未熟な論評の必要はない。日本国憲法の国際協調主義、平和主義を体現している人の声に、精一杯研ぎ澄ました感性で耳を傾けたい。こういう言葉を引き出した記者にも敬意を表したい。

(2019年12月17日)

アベ絶対支持派の中身は?

共同通信社が12月14(土)、15(日)の両日に実施した全国電話世論調査によると、安倍内閣の支持率は42.7%で、11月の前回調査から6.0ポイント下がった。不支持率は43.0%で、支持と不支持の逆転は昨年12月以来だという。

首相主催の「桜を見る会」の疑惑に関し、安倍晋三が「十分に説明しているとは思わない」は83.5%に上った。首相の自民党総裁4選に反対は61.5%だった。そう報じられている。

私には信じがたい。こんな体たらくのアベ政権を支持するという人が本当にこの社会に4割もいるのだろうか。こんな、嘘とゴマカシにまみれ、記録は隠す、捨てる、改竄する。国政私物化をもっぱらとするこんなみっともない内閣を支持する「4割の人」の顔を見たい。

さらに私には信じがたい。「桜を見る会」の疑惑に関し、安倍晋三が「十分に説明していると思わない人が、83.5%にとどまっていることが。世の中は広い。安倍晋三が「十分に説明していると思う」人が、いや正確には、「十分に説明していると思う振りをしようとする人」が11.5%もいるのだ。これこそ、固いアベ支持基盤。ドリルでも崩れない岩盤の11.5%。「なんでもかんでもアベに賛成」「理屈なんぞはどうでもよい。ひたすら安倍内閣を守る」という、この11.5%はいったいどんな人たちなのだろう。

おそらくは、40%のうち、30%が消極的アベ支持層。残りの10%が、「アベ絶対支持層」なのだろう。あまり楽しい作業ではないが、この強固な10%は、いったいどんな人たちなのか、想像を逞しくしてみよう。

まず、アベ政権の改憲・壊憲路線を徹底して支持しようという人びと。いや、むしろ改憲先導派と言ってよかろう。アベを首相に据え、アベを操作して改憲を実現しようとしている面々。アベが政権党の総裁であり、首相であるうちが、千載一遇の改憲チャンス。アベが失脚すれば、もしかしたら、改憲は永遠のゼロとなるやも知れない。ならば、アベの人格や品行がどうであれ、改憲のためにはアベのやることは、なんでも支持しないわけにはいかない。アベがボロを出しているのは苦々しいが、そのボロを繕おうという涙ぐましい人びと。これは、相当数いるのだろう。

次に、アベ政権の経済政策で潤っている人びと。いや、甘い汁を吸っている輩。格差貧困の拡大を安い労働力創出の賢い政策とし、消費増税で大企業減税の財源を捻出するというのだから、「アベ様命」と考えざるを得ない。それに、安倍内閣が、湯水のごとく公的資金を株式市場に注ぎ込んでくれるお蔭として、株式相場の値上がりをほくそ笑んでいる一群。「安倍さんやめちゃ困るよ。濡れ手で粟の儲けがなくなる」。

それに、加計孝太郎を筆頭に、アベ夫妻のお友達として、おこぼれに与っている人びと。アベのご恩に報いることこそ人の道。そんなことが教育勅語にも書いてあったような、ないような。アベ晋三は、お友達のために、岩盤規制にドリルの穴を開けた。その穴から滲み出た蜜に群がった品性卑しい人びと。

さらに、美しい日本にこだわる、歴史修正主義者諸君だ。日本は、美しい歴史と伝統をもっている。皇軍が侵略戦争などやったきずもない。従軍慰安婦なんて嘘。朝鮮を植民地にしたんじゃない。頼まれて、統治してやったんだ。南京虐殺も、関東大震災の在日虐殺も、ぜんーんぶ作り話。と思っている人びと、思いたい人びと。安倍内閣の後ろ盾があればこそ、ヘイトスピーチも思い切ってできた。アベ政権がなくなったら、見捨てられるんじゃないか。アベには、がんばってもらわなきゃ。

とにもかくにも反共一点張りという人たち。アベが悪口として言う「キョーサントー」や「ニッキョーソ」に、心の底から共感する連中。この人たちは、アベシンゾーこそは反共の旗手、安倍内閣は反共の砦と信じてやまない。アベがいればこそ、共産党に睨みをきかせている。今、アベを政権の座から降ろしたら、たちまち共産党の暴走を許すことになる、と共産党を買い被り過大評価する人たち。

日本の防衛のためには、核装備も、通常軍事力も、もっともっと必要なのに、アベがいなくなったら、防衛力が削減されて日本は危険極まりなくなる。日本は、中国に呑み込まれるかも知れないし、北朝鮮にもバカにされると、本気で信じている神経症の人びと。

最後に、「桜を見る会」にアベ政権からご招待を受けた、反社の方々、悪得商法の面々。地元下関の後援会員。みんなそれぞれ、アベあればこその晴れがましい「お・も・て・な・し」。アベ政権が倒壊したら、陽の当たるところにいられなくなる。

中には、自分は常に少数派でいたいという、奇特な人もいるのかも知れない。ともかく、みんな質問に正確に答えていない。自分の考えを正確に述べるのではなく、自分がどう答えるかの影響を考えて、回答しているのだ。何が何でもアベを支持という、この絶対支持派10%が、ほぼ右翼勢力支持派の実数に重なる。

ところで、内閣支持率は12月13日発表の時事通信社の調査でも、前月比7.9ポイント減の論調査40.6%と急落。「安倍離れ」はじわじわ始まっている、そう報じられている。民意のアベ離れ。これがクリスマスプレゼントであり、お年玉だ。来年の桜の季節には、アベザクラを散らしたい。
(2019年12月16日)

三鷹事件と、竹内景助の家族のこと

昨日に続いて、もう少し三鷹事件のこと。

下山・三鷹・松川という、社会を震撼させた大事件が続いて発生したのは1949年夏のこと。むろん,私は当時のことは知らない。私の世代では松川こそが大事件という印象だが、往時を知る人は、東北の一角で起きた松川事件よりは、首都東京での三鷹事件の政治的インパクトが遙かに大きかったという。

7月15日夜8時24分に国鉄三鷹駅構内の無人列車が暴走し、駅内外で死者6名、負傷者20名を出す大事故となった。その翌日16日には、吉田茂首相の「不安をあおる共産党」という長文の談話が発表されている。そのなかで、「虚偽とテロが彼らの運動方法なのである」と言っている。犯人は共産党という決めつけの公報だった。昨今のアベ政権もひどいが、当時の吉田内閣は輪をかけてひどかった。これをマスメディアが批判せず、むしろ政権に呼応した。朝日・毎日・読売ともである。共産党が世論の矢面に立たされ、労働運動の勢いが殺がれた。

こうして、国鉄労働者10万人馘首反対運動の先頭に立っていた共産党が勢力を失い、労働運動内での共産党の影響力も低下した。三鷹事件の全体像は、共産党と、党指導の労働運動弾圧を目的とした政治的謀略事件というべきだろう。下山・三鷹・松川のすべてがそのような性格をもった「事件」だった。

三鷹事件では、その権力のもくろみを貫徹することはできなかったが、竹内景助という犠牲者を生んだ。犠牲になったのは竹内だけでない。その家族も悲惨だった。
逮捕された竹内には,妻の政(まさ)との間に幼い3男2女があった。しかも、竹内は事件前日の7月14日に整理解雇の対象となって馘首されている。その後、政は一人で、5人の子を育てた。並大抵の苦労ではない。しかも、政は竹内の救援運動にも時間を割かなければならなかった。

私は、学生時代に国民救援会に出入りしていた。当時は、愛宕署近くにあった木造の「平和と労働会館」の一室だった。あの建物が火災に遭う直前のある日、そこで一人の中年の女性が事務作業をしていた。山田善二郎さんから、その人が竹内景助さんの奥さんだと教えられた。挨拶程度はあったようにも思うが、言葉を交わした記憶はない。厳しいような、寂しいような,その人の雰囲気を覚えている。

「無実の死刑囚」の中で、加賀乙彦が竹内から聞かされた言葉を紹介している。

もうどうしようもなく、気が滅人っちゃうんです。家族がかわいそうです。もともと貧乏だったのが、おれのおかげでなお貧乏になっちゃってね。うちのヤツ(女房)が生活保護に内職をしても追いつかず、救援会の差人れてくれた金を、おれが渡して何とかやりくりで、ほんとうにかわいそうだ。

竹内政は,1950年4月1日の第7回通常国会「厚生委員会の生活保護法案に関する公聽会」に公述人として出席して、次のように発言している。

私は現在三鷹町に住んでおりまして、生活保護を受けておりますが、今の生活保護料では、とても七人の家族ではやつて行かれないのでございます。ですから、ぜひ生活の保障をしていただけるようにお願いいたしたいと思います。
現在一箇月、額にして六千百四十八円いただいております。家族としては、母が一人おりまして、ほか六人の家族で、七人になりますが、母の分としては、生活保護からはいただいておりませんので、ぜひ母の分も生活保護から出していただきたいと思つております。
第二に、生活状況を簡單にお話したいと思います。食事にいたしましても、一日の食事は、朝はすいとんをいただいたり、お晝は麦のおかゆを食べたり、夜は御飯にみそ汁ぐらいの状況でありますが、主食としまして、一箇月四千円かかります。あとの二千百四十八円は調味料、それから住居と電気の拂いにいたしております。住居の方は、今失業をしておりますので、三百円拂わなれけば、立退きを命ぜられると思つて、むりをしてまで住居の方だけは拂つております。そのほか燃料としての炭やまきに五百円かかります。また二人学校に行つておりますので、教育費が二百二十円かかつております。調味料は一月五百円でございますけれども、今月いただけば、来月はいたたかないようにしても私のところではほかの費用にまわしております。そのほか野菜とか、お魚類は、一月に一回五十円見当のものを七人でいただいております。実際私たちの生活は、ほんとうにみじめで、まして育つ盛りの子供ばかりをかかえておりますので、この生活では、まつたく栄養失調と申しますか、そういうような状態になる次第でございます。
その次に衣料としましては、私たちは一回戦災にあいまして、着のみ着のままでおりますところに、現在の生活に入りまして、下着類も何一つ買えない始末で、子供の下着にしても、継いだ上にまた切れたりしておりまして、まつたく近所の方から見たら、まるでこじきのようなかつこうをしております。それでも私はがまんして子供に済せておりまして、子供たちは別に何とも申しません。今一番小さいのが医者にかかつておりますけれども、民生委員の保護では、注射も一回だし、往診も一回だというような状態なものですから、赤十字病院の方へかかつておりますけれども、その拂いも、どうにかこうにかやつておりまして、食物を節約したりして、医者の方を拂つたりしております。
そういうわけでありまして、私も何か内職をしたいと思いますけれども、小さい子供をかかえておりましては、とうてい内職もできないと思つております。そのほか主人がああいうところに入つておりまして、差入れだの何かの費用もありますけれども、それの方は主人にあきらめてもらつて、月に一回か二回という程度にしておりまして、なるべくなら、生活できるだけの保障を今後お願いしたいと思います。
簡單でございますが、以上申し上げます。

「無実の死刑囚」の中で、高見沢さんは、こう語っている。

竹内は、8月1日に逮捕され裁判にかけられることになるが、逮捕直前の家族との日常生活はどのようなものであったか。
後に竹内は「再審理由補足書」(上)の中で、「7月11日は、徹夜明け休み、12日、13日は月一回の連休だったので、長男(7歳)と次女(4歳)を連れて、国分寺の丘の雑木林を借りて開墾して作っていた畠ヘジャガイモを掘りにゆき、帰りに付近の川で水遊びをしたり、家に居るときは境浄水揚の方へ子供を連れて写生に行ったり、また飼っていた山羊や近くの菜園の作物の世話をしたりして」おり、三鷹事件が発生した7月15日には、「朝のうちは線路の北側に作っていた畠の作物の手入れや山羊の世話をして子供と畠にいて、9時頃帰宅して食事をし」た、と綴っている。
そのような家族との穏やかな生活こそが、竹内の日常生活であった。「春を待ついのち」には、子供への慈愛と妻への深い愛情を綴った手紙が数多く掲載されていて、どれ一つとして涙なしには読めない。

冤罪も弾圧も,多くの人を不幸にするのだ。
(2019年12月15日)

「無実の死刑囚 三鷹事件 竹内景助」を薦める。

高見澤昭治さんの近著無実の死刑囚? 三鷹事件 竹内景助(増補改訂版)を読み終えた。読後感は重い。

日本評論社刊のこの書物の発行日は、2019年10月1日。周知のとおり、東京高裁が遺族からの再審請求を棄却したのが7月31日である。この増補改訂版は、「再審開始決定」を想定しての、言わば「再審開始決定・祝賀記念版」として出版準備がなされていたに違いない。それが、弁護団にとっては思いもかけない棄却決定となり、裁判所・検察への抗議と、世論への訴えの書となった。泉下の竹内とその妻(政)は、度重なる試練をどう受け止めているだろうか。

私は、学生時代に松川事件の救援運動の末端に関わった。その関わりの限りで、三鷹事件にも関心をもってはいた。松川も三鷹も、あるいは菅生も、青梅も白鳥も鹿地事件も「階級的弾圧としての謀略」と考えていた。松川の全員無罪を言い渡した仙台高裁門田判決後の時期、三鷹事件でも共産党員被告全員無罪が確定していた当時のこと。

松川も三鷹も、法廷闘争において既に赫々たる成果を上げ得たとの印象が強く、三鷹事件の再審はさほどの規模をもつ運動にはなっていなかった。そのことに、なんとはなしの引け目のような違和感を持ち続けてきた。非党員竹内景助一人を有罪にしながら、11名の党員被告全員無罪を大きな成果と喜んでいることへの引っかかりである。

しかも、竹内は一審判決では無期懲役だったが、控訴審では弁護人の方針に従って事実を争わないままに死刑判決を得た。そして、最高裁判決は8対7で、上告を棄却し竹内の死刑を確定させた。一票の差が生命を奪う判決となったのだ。なんという後味の悪い経過であったろう。

確かに、竹内の供述は揺れ動いた。否認・単独犯行・共同犯行を、法廷の供述で行きつ戻りつし,裁判所は単独犯行と認定した。この供述の揺れはどうしてなのだろうか。三鷹事件の裁判に関心をもつ者がおしなべて謎とするところである。同書は、この点について弁護人からの働きかけの問題点を幾度となく指摘している。たとえば、次のように。

『文藝春秋』1952年2月号に、獄中の竹内からの寄稿が掲載されている。「おいしいものから食べなさい」という題名。文章は次のような書き出しで始まっているという。

「おいしいものから食べなさい。冒頭から、まことにおかしなことを書きはじめたが、正月の料理だの、婚礼祝いの御馳走だの、要するに、日常茶飯の間において、人は御馳走が出たら、一番うまいものから順に食べて、まずいものはなるべく後に残しておくがいい、という至極当たり前のことなのである。ところが、こんな当然過ぎることを、私は齢30過ぎになって、しかも死刑囚という汚名に呻吟する身になって、初めて理解したのだ。」
 奇妙な書き出しであるが、一般の読者に興味を持って読んでもらうために、自分の小さいときからの性癖を紹介し、死刑囚となった原因がそこにあるということを印象づけるねらいがあった。手記には検事の拷問的な取調べについても厳しく糾弾していたが、支援運動などに携わっているものにとって一番衝撃的であったのは、単独犯行であるといい続けることが他の共産党員の被告を救うためにも、また竹内自身のためでもあると弁護人から説得されたことが詳細に書かれ、さらに共産党を批判した部分であった。
その内容については、すでに引用して紹介したので省略するが、上告が退けられた後には、「竹内君、余り心配しなさんな。すぐには殺されないだろうからね…」と弁護人から言われ、「この一点非のうちどころのなき冷酷、非情な一言を聞いて、私ははじめて彼の陰謀に踊らされてきた自分の愚かさを悟ったのである」という思いを書き綴っている。そしておそらく編集部で付けたと思われる「共産党員の背徳」の項では、「想えば彼等に信頼、友情、人間愛などを期待した私は本当に馬鹿者であった。私は彼等を責めるより先に、自分の間抜けさを責めなければならないかも知れない」と記している。それが「おいしいものから食べなさい」という表題をつけた真意だというのだ。

普通、人はまず美味しいものから箸をつける。竹内は、自分もそのようにすべきだったと後悔しているのだ。むろん、美味しいものとは「無罪」である。無実なのだから、揺るがずに無罪を叫び続ければよかった。ところが、優先順位を間違えて、私的な利益に箸をつけることなく、共産党や労働運動への信義という、苦い味のものに箸をつけてしまったというのだ。その結果が、死刑の判決だった。

また、精神科医として竹内と面会した加賀乙彦は、竹内がこう言ったと記している。

「おれは弱い人間なんですね。弱いから人をすぐ信用してしまう。党だって労組だって、大勢でお前を全面的に信用するといわれれば、すっかり嬉しくなって信用してしまった。それが過ちのもとでした。けっきょく、党によって死刑にされたようなもんです。」

竹内は共産党員ではなかったが、明らかに党には敬意とシンパシーをもっていた。その彼の単独犯行自白の維持は、迷いつつも身を犠牲にして党を救おうという意図に出たものだったのだろう。彼なりの使命感であり、ヒロイズムであり、誠実な生き方であったと思われる。しかし、まさかその結果が死刑判決とは思ってもいなかった。

死刑判決の後は、凄まじい覚悟で、上告趣意書を書き、厖大な再審請求書の作成に没頭する。再審請求書とその補充書は併せて60万字にも及ぶという。その執念の再審請求にようやく曙光が当たり、実を結ぶかと思われたそのときに、竹内は獄中で無念の死に至る。

竹内景助。その劇的な生涯は多くのことを語りかけている。この好著を通じて、ぜひ彼の語りかけてくるところに耳を傾けられたい。

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(2019年12月14日)

N国の興亡が教えるもの

思いもかけない現実の出来が、認識を変え意見を変える。「NHKから国民を守る党」なるものの出現が、私には衝撃だった。そして、自分の公共放送に対する見解が、このような人びとと似通って見られることに大いに戸惑い、かつ恥じた。私とN国、どこがどのように意見が違うのだろうか。どのようにすれば、理念の相違を押し出せるのだろうか。

この党の自らの定義が、「NHKにお金を支払わない方を全力で応援・サポートする政党」であり、それがメインのキャッチフレーズにもなっている。「NHKをぶっ壊す!」とともに、これが一定の国民の胸に響いたのだ。

立花孝志は、ホームページの「党首あいさつ」において、「NHKから国民を守る党は、文字通りNHKから国民をお守りする為の党です。NHKが行っている戸別訪問は、勝手にNHKの電波を各世帯に送りつけて、NHKを見ていなくても集金する送りつけ商法です。…」などと言っている。

結局、N国とは「NHK受信料の不当な集金から国民の経済的利益を守る党」である。けっして、「政権の走狗としてのNHKの本質をぶっ壊す」とは言わない。「権力に従順なNHKの基本体質を批判する」とも、「大本営発表放送の偏頗から民主主義と国民を守る」ともいうものではないのだ。

私は、宗旨を変えた。NHKを一塊の均質の組織として見ることを止めよう。そのような批判の仕方を止めよう。NHKを二層の対立物として捉えなければならない。「権力に操作され、権力を忖度し、権力と癒着するNHK上層部」と、「上層部との軋轢の中で、良質の番組を制作しようと努力している現場フタッフ」との二層の構造。上層部を批判し、現場を励まさなければならない。

本年7月の参院選におけるN国の得票は、NHKの受信料徴収に国民の根深い反感があることを教えた。NHKは、そのことに対する反省はすべきだろう。だが、所詮は右翼の別働隊に過ぎないN国の攻撃に萎縮する必要はない。そもそも、N国の賞味期限が長いはずはない。

立花は、売名目的での立候補を繰り返している。最近のものが、今月(12月)8日投票の小金井市長選挙。開票結果は以下のとおり。N国・立花の惨敗である。

1 当 西岡真一郎 無所属 18,579
2 落 かわの律子 無所属 10,759
3 落 森戸よう子 無所属 10,399
4 落 立花 孝志 N国    678

市区長選挙における供託金の金額は100万円で、供託金没収点は有効投票総数の10分の1。今回市長選の投票総数は40,904だったから、その10%は4,090票である。立花は、供託金没収点の6分の1の得票もできなかった。

この選挙における立花を、典型的な「売名目的の泡沫候補」と呼んで差し支えなかろう。立花のごとき泡沫候補にも立候補の権利は保障されている。100万円で公営選挙を利用した宣伝売名行為ができれば安いものである。それでも得票はわずか678。先の長くないことを示唆している。

ところで、こんな裁判例があることを初めて知った。

一昨年(2017年)7月19共同配信の記事。

NHK提訴は「業務妨害」 受信料訴訟原告に賠償命令
受信料の徴収を巡り勝訴の見込みがない裁判を女性に起こさせたとして、NHKが政治団体「NHKから国民を守る党」の立花孝志代表らに弁護士費用相当額の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は19日、請求通り54万円の支払いを命じた。

山田真紀裁判長は判決理由で「NHKの業務を妨害するため訴訟に関与しており、裁判制度を不当に利用する目的があった」と指摘した。

立花氏は元NHK職員。判決によると、2015年8月、NHKが受信料徴収業務を委託した業者の従業員が千葉県内の女性宅を訪問。女性は立花氏に電話で相談し、2日後に慰謝料10万円の支払いをNHKに求め松戸簡裁に提訴した。訴訟は千葉地裁松戸支部に移送され、女性が敗訴した。

千葉県内の女性がNHKからの受信料請求を受けて立花に電話で相談したところ、立花のアドバイスは提訴だった。女性は、立花の指示のとおりに、NHKを被告として10万円の慰謝料支払いを求める損害賠償請求訴訟を提起して敗訴した。ところが、ことはこれで終わらなかった。NHKは、この女性と立花を逆に訴えたのだ。今度の舞台は東京地方裁判所。前訴10万円の請求の棄却を求める応訴の費用として、NHKが委任した弁護士に支払った弁護士費用54万円を支払えという請求。なんと、地裁は、その満額を認めたという記事である。

この裁判は上級審で逆転せずに、確定した。実は、もう一つ同様の裁判があり、NHKは立花に108万円の強制執行が可能だという。NHKは近々執行に踏み切るとも言っている。

繰り返すが、10万円の慰謝料請求という前訴の提起を違法として、提訴者に54万円の応訴費用の損害の賠償を認めたのだ。DHCスラップ「反撃」訴訟の認容額は110万円であるが、応訴費用(弁護士費用)として認められたのは、そのうちの10万円に過ぎない。これが、常識的な水準。N国訴訟の理由には「(立花は)NHKの業務を妨害するため訴訟に関与しており、裁判制度を不当に利用する目的があった」と指摘しているという。

軽々にするスラップの提訴は、ブーメラン効果を伴う。うっかり提訴・いい加減提訴は、損害賠償責任の原因となる。そのやばさを、立花が身をもって教えてくれている。最近では、出資法違反疑惑の金集めまでも。また、教訓を積み重ねてくれることになるにちがいない。それにしても、こんな事態では、N国の明日はなかろう。
(2019年12月13日)

早期アベ退陣は、人類の生存への貢献でもある。

人類は、地球環境の中に生まれた。この環境から抜け出すことはできない。環境に適応して人類は生存を維持し、生産し文明を育んできた。生産とは、環境に働きかけて環境を加工し、環境からの恵みを享受することにほかならない。

太古の過去から現在に至るまで、人類は地球環境に依存しその恩恵を受けながら、環境を不可逆的に改変しつつ文明を築き上げてきた。しかし、地球環境は有限である。幾何級数的な生産力の増大は、人類に地球環境の有限性を意識させざるを得ない。いまや、成り行きに任せていたのでは、近い将来に地球環境は人類を生存させる限界を超える。このことが世界の良識ある人びとの共通認識となっている。

20世紀中葉、人類は戦争によって絶滅する危険を自覚した。にもかかわらず、人類は今日に至るも戦争の危険を除去し得ていない。愚かな核軍拡競争の悪循環を断ちきれないでいる。その事態で、もう一つの人類絶滅の危機、環境破壊問題に遭遇しているのだ。

人類の生産活動と生活様式が,地球環境を破壊しつつある。このまま手を拱いているわけにはいかない。もしかしたら、もう手遅れかも知れないのだ。今、喫緊になすべきことは、生産を縮小しても大気中の二酸化炭素を減らさねばならないこと。マドリードで開かれているCOP25(国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議)が、その人類の課題に取り組んでいる。

国家の作用には2面性がある。資本の意を体して経済活動自由の秩序を守ることと、主権者国民の意を受けて資本の生産活動を規制することである。これまでは、前者の側面が強く出てきたが、今や、人類の生存維持のためには、公権力による経済活動の規制が必須だという国際合意の形成が迫られている。

しかし、資本の意を体した化石的抵抗勢力は、すんなりと環境保護のための規制を受け入れがたいとしている。その象徴的人物が、まずは世界の反知性を代表する米のトランプ。開発派のブラジル・ボルソナーロ。そして、石炭火力の継続に固執するアベシンゾーである。

アベの配下でしかないセクシー・進次郎は、今最大の問題となっている石炭火力の削減に言及できず、世界のブーイングを浴びることとなって、この会議中2度目の化石賞という不名誉に輝いた。しかし、これは彼の政治家としての理念の欠如や無能・無責任だけの問題ではない。主としてはアベ政権の姿勢の問題なのだ。政権の意思を決している国内資本の責任であり、こんな政権をのさばらせている、われわれ日本国民の責任でもある。

環境擁護派は、よい旗手を得た。16才の高校生グレタ・トゥンベリである。この若い活動家に、化石派のブラジル・ボルソナーロ大統領が、「ピラリャ」という言葉を投げつけて話題となっている。

私には、このポルトガル語の語感は理解し難いが、「ピラリャ」とは若輩者の未熟を侮辱するニュアンスで語られる品のよくない悪罵だという。「お嬢さん」「娘さん」「若者」ではなく、「ガキ」。これが日本語の適切な訳語だという。

環境保護派の旗手に、化石派から投げつけられた、「ガキ」呼ばわり。環境保護運動全体に投げつけられた悪罵である。しかし、いったいどちらがガキかは明らかではないか。理性的な論理で対抗する意欲も能力もなく、感情にまかせて論争の相手を「ガキ」呼ばわりする方が,真の「ガキ」なのだ。

一方、グレタは「最大の脅威は、政治家やCEOたちが行動をとっているように見せかけていることです。実際は(お金の)計算しかしていないのに」と言った。まさしく、進次郎の姿勢に、ぐうの音もいわさぬ批判となっている。

ブラジル・ボルソナーロ大統領だけではない。アベシンゾーも「ガキ」ぶりではひけをとらない。彼の悪罵は「キョーサントー」であったり、「ニッキョーソ」であったりするわけの分からぬもの。「ガキ」のケンカそのものではないか。

トランプ・ボルソナーロ・アベシンゾー。いずれがティラノか三葉虫。その化石度において、兄たりがたく弟たりがたし。こういう化石化した指導者に任せておくと、本当に人類の生存が危うい。アベを辞めさせることは、人類への貢献なのだ。
(2019年12月12日)

「天皇は日本国の言論不自由の象徴であり、この地位は保守政権の思惑と蒙昧な一部日本国民との合意に基づく」

今の日本に、はたして「表現の自由」の保障は機能しているものだろうか。とうてい、脳天気に肯定はできない。表現の自由の障害物を象徴するものが、天皇・皇室にほかならない。天皇・皇室についての「表現の不自由」が世にはびこっていることは、「あいちトリエンナーレ」でも証明された。

いっぱしの大人が、天皇に「陛下」という敬称をつけて語るという愚にも付かないことは、私の子どもの頃にはなかった。少なくも、私の周りにはなかった。それが、今は様変わりである。こんな復古の現象はいったいいつから,どのようにして生じたのだろうか。

まさしく今、天皇は日本国の言論不自由の象徴であり、日本国民の言論自主統制の象徴でもあって、この地位は、天皇を政治の道具として重宝に使おうという保守政権の思惑と、無批判無自覚に天皇を崇拝する蒙昧な一部日本国民との合意に基づく。」

この時代状況で、冷静に天皇や天皇制を語る人には敬意を表せざるを得ない。その代表の一人が、原武史だろう。

12月7日朝日「(歴史のダイヤグラム)変わらない『奉迎』のかたち」は、さりげなく天皇制の過去と現在を語ってその不易の本質をよく表現している。以下、抜粋しての引用である。

 1922年11月、皇太子裕仁(後の昭和天皇)は東海道本線を走る御召列車に乗って東京を出発した。目的は香川県で行われる陸軍特別大演習の統裁と四国4県などの視察。これは摂政として初めての本格的な地方訪問でもあった。
 病気で引退させられた大正天皇に代わる若くて健康な皇太子を、四国の人々は初めて見ることになる。そうした人々に対して、皇太子はどう振る舞うべきか。同行した宮内大臣の牧野伸顕は、11月12日にこう記している。
 「四国辺の如き質朴の民俗には相当すべき御態度可然。此方面にては只々玉体を拝する丈けにて無上の光栄とす。一々御答礼の如きは勿論ない。奉迎者間に最も多く聞く言葉は能くおがめたと云ふ事なり。此一言にて人心の一班[斑]を推知すべし」(『牧野伸顕日記』)

 坂口安吾は、48年に発表された「天皇陛下にささぐる言葉」で、「地にぬかずき、人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業であります」「天皇が人間ならば、もっと、つつましさがなければならぬ」などと述べている。安吾の言う「未開蒙昧」は、牧野の言う「質朴の民俗」と見事なほど重なっている。

 それはどうやら、天皇制イデオロギーなどというものとは関係がないらしい。このことが、11月10日に天皇と皇后が自動車でパレードした「祝賀御列の儀」でも証明されたのではないか。

 牧野伸顕とは、大久保利通の次男であり吉田茂の岳父に当たる、藩閥政治家の一人である。薩摩出身の牧野が四国の人民を馬鹿にしているのだ。

四国辺の如き質朴の民俗」「只々玉体を拝する丈けにて無上の光栄とす」「一々御答礼の如きは勿論ない」「最も多く聞く言葉は能くおがめたと云ふ事なり」。
「(裕仁において)一々御答礼の如きは勿論(必要)ない」とも読める一文を、原は「引用文中の『勿論ない』は『勿体ない』だろう」と解している。どちらにしても、「臣民は玉体を拝むだけのもの。拝むに任せておけばよい。いちいちの答礼などは不必要」という、天皇制権力の中枢に位置する人物の思い上がりがよく表れている。摂政裕仁は、この宮内大臣牧野の言のままに行動したのだろう。

他方、原が引用する坂口安吾の言はさすがに鋭い。「人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業」というのだ。今、なかなかこのように,ズバリとものが言いにくい雰囲気がある。

安吾の言う、「不自然・狂信・悲しむべき未開蒙昧」は今に続いている。11月10日「祝賀御列の儀」パレードに参加した,あの11万余の「質朴の民俗」こそ、「テンノーヘイカ・バンザイ」を叫ぶ政権に煽られた、「狂信者」であり「悲しむべき未開蒙昧」の輩。この輩が、天皇を「日本国の言論不自由の象徴」に仕立て上げているのだ。「政権」と「未開蒙昧の輩」。どちらが主犯で、どちらが従犯であるかは定かでない。
(2019年12月11日)

護憲派と保守派の会話の機会を歓迎する。

文京区民センターにはよく出かける。市民団体が主催する多彩な催し物があって、私は、ここを気取りのない市民運動のメッカだと思い込んでいた。

ところが、こんなツィッターが出回っていたことを教えられた。

「ジョン・レノンの命日である12月8日、都内で詐欺映画『主戦場』の上映会があります。場所はつくる会のおひざ元で、保守系イベントの聖地・文京区民センターという、実にアグレッシブな上映会。つきましては、『主戦場』被害者の皆さんと同映画を観るツアーを企画しています

へえ?。文京区民センターは「つくる会のおひざ元で、保守系イベントの聖地」なのか。そうとは知らなかった。それにしても、「詐欺映画『主戦場』」とは、実にアグレッシブな物言い。このツィッターは、文京区民センターの「主戦場」映画界への乗り込み宣言と読める。

12月8日(日曜日)午後、文京区民センターで企画されたのは、第54回の「憲法を考える映画の会」。映画 「主戦場」(上映時間122分)とその後のトークイベント。主催者は、企画の趣旨をこう語っている。

■あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」中止事件、KAWASAKIしんゆり映画祭「主戦場」上映中止事件…。次々と襲いかかってくる「表現の自由」妨害、私たちはそれらの動きの裏にあるものを見極めるためにも、あえて「市民の手でこの映画の上映を」という市民運動をしたいと思っています。

慰安婦たちは「性奴隷」だったのか?
「強制連行」は本当にあったのか?
なぜ元慰安婦たちの証言はブレるのか?
そして、日本政府の謝罪と法的責任とは……?

次々と浮上する疑問を胸にデザキは、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、ケント・ギルバート(弁護士/タレント)、渡辺美奈(「女たちの戦争と平和資料館」事務局長)、吉見義明(歴史学者)など、日・米・韓のこの論争の中心人物たちを訪ね回った。

さて、主戦場へようこそ。

事後に、ネットにこんな報告が掲載されていた。

きょう(12/8)「憲法を考える映画の会」主催の『主戦場』上映会にいった。文京区民センターだが、満席で200は軽く超えていた。そこになんと出演しているケント・ギルバート氏と藤岡信勝氏がやってきた。その支援者も10名以上はいて、いったいどうなることかと不安もあったが、上映中はみんな静かに観賞していた。
その後の約1時間の「感想会」ではお二人も参加しての「大ディスカッション」になった。会場からの感想・質疑のあと、二人はこの映画のおかしいを含め、自分たちの主張を言いたい放題だった。会場全体で「大バトル」になったが、それぞれが短い言葉で必死に説得しようとしているので、勉強になったし面白かった。ヤジもあったりしたが、終始、ちゃんと議論したと思う。主催者の花崎さんも「とてもよかった」と語っていた。

…休憩時間に藤岡信勝氏が主催者に何やら申し入れをしていた。「発言の機会がほしい」という趣旨のようだった。…「一人3分の感想会」になり、会場からは次々に感想や質問が寄せられた。それを受ける形で、ケント・ギルバート氏と藤岡信勝氏がマイクを握った。ケント・ギルバート氏は「まずこの映画の評価をしたい」と切り出し「私はこの映画の前半は両者の意見がバランスよくでていたと思う。しかし後半の日本会議の話のあたりから一方的なプロパガンダになっている」と批判した。藤岡信勝氏は「私が映画のなかで『国家は謝罪しない』と述べているが、そこだけ切り取られていて真意が伝わっていない」「はじめから歴史修正主義者として極悪人扱いされた」と映画への不満を語った。

 会場と「保守系論客」との間で、映画の3つの争点となっている「慰安婦の数」「軍の関与」「強制だったのか」をめぐってやりとりが続いた。会場のある女性は「私は中国人慰安婦の万愛花さんに会って直接、強制連行・虐待の話を聞いた。あなたたちは直接慰安婦の話を聞いたことがあるのか?」と問いかけた。ある男性は「南京事件のレイプの酷さが慰安所設置のきっかけになった。その時の軍の書類は残っている。軍の関与は間違いない」と語った。

 ときおり激しいヤジも出る「大バトル」となったが、発言者はそれぞれが短い言葉で必死に相手を説得しようとして話すので、内容が具体的で勉強になったし面白かった。ある映画制作者の人は「ケントさんも藤岡さんも取材を受けたわけで編集権は制作者側にある。ここで何を言われてもしようがない。きょうは憲法の会主催の上映会。ここを乗っ取ろうということではなく、ご自分たちで上映会を開き思う存分話したらどうか」と語ると大きな拍手が起きた。

 最後に主催者の花崎哲さんが挨拶した。「休憩時間に藤岡さんから申し出があり質問に答える形ということで発言をOKした。きょうは活発な討論になってビックリしたが、お二人に来てもらってよかった。いろんな方が一緒に映画を見ていろんなことを話す。それが大事だと思う」と安堵した様子で語っていた。(松原明)

これは得がたい機会だった。残念、私も出席すればよかった。私はケント・ギルバートも藤岡信勝もまったく評価していない。しかし、アウエーに出てきて話し合いをしようというその姿勢は立派なものではないか。逃げの姿勢の安倍晋三より、ずっとマシではないか。

ご両人、今後も「憲法を考える映画の会」に出てきてはいかがか。憲法を護ろうとする側と攻撃する側の落ちついた議論ができれば、貴重な場となる。「大バトル」ではなく、落ちついた話し合いでよい。文京区民センターが、幅の広い市民の対話のメッカとなれば、素晴らしいことではないか。
(2019年12月10日)

権力を批判する人、おもねる人。

毎日新聞「松尾貴史のちょっと違和感」が、このところまことに快調。明晰な文章のテンポが小気味よいだけでなく、イラストも秀逸だ。羨ましいほどの才能が、日曜の朝刊を楽しいものにしている。

昨日(12月8日)は「『桜を見る会』疑惑 安倍政権こそ『悪夢』そのもの」というタイトル。冒頭と末尾だけを、引用させていただく。

総理大臣主催の「桜を見る会」の疑惑は、安倍晋三氏のもくろみとは裏腹に、一向に収束する兆しを見せない。違法薬物所持による芸能人の逮捕でニュースや情報番組は一斉にそちらに傾くと思いきや、まさかの検査陰性という事態になって材料が乏しくなったのか、あるいはそれが追い付かないほど次から次へウソと新たな疑惑が浮かび上がってきて、この騒ぎは来年まで尾を引きそうだ。…ウソで蓋(ふた)をしようとすればするほど、つじつまの合わないところが出てきて疑惑が数珠つなぎに引っ張り出される構造になっている。

ウソの上塗りを続けると、さらに大きなウソや滑稽(こっけい)な言い訳を繰り出さざるを得なくなる。しかし、ここまでくると見苦しく人ごとながら恥ずかしい。
そして、おなじみ「困ったときの民主党」も持ち出していた。鳩山由紀夫総理の時も桜を見る会をやっていたということらしい。もし私物化し、反社会的勢力や問題のある人物を呼び、後援会で取りまとめ、資料の隠蔽(いんぺい)などをやっていたのなら、一緒に責任を追及すればいいだけのことだ。日本を良き方向にかじ取りをして浮揚させてくれていればまだマシだけれど、7年間もほしいままにやらかしておいて、「悪夢のような民主党政権」はもう使えないだろう。あの頃より何を良くしてくれましたか。私にとっては「悪夢そのものの安倍政権」である。

彼の言うとおり、「『桜を見る会』の疑惑は、安倍晋三氏のもくろみとは裏腹に、一向に収束する兆しを見せない」し、収束させてはならない。徹底して追及しなければならない。安倍晋三が逃げるのなら、追いかけなければならない。年を越しても、国会の会期をまたいでも。もう少しまともな政権と交替させるまで。

ところが、こういうときには、政権御用達の「御用言論人」がしゃしゃり出て来てゴマを摺る。たとえば、小川榮太郎(2019年12月4日)。読むだに、こちらが恥ずかしい。

【安倍総理の先見の明】に感心している。桜を見る会の中止決断の事だ。余りに早かったので、私は判断尚早と考え、ご本人にもそう申し上げたしコメントでもそう書いた。モリカケに較べてさえ愚の骨頂のから騒ぎがそう続くはずがないと思ったからだ。ところがどうだ。

「やつら」は通常国会でもこのネタで延々と騒ぐつもりでいるらしい。従来の人類の基準では測れない「この人達」の知能レベルと行動パターンを身を以て知悉している安倍総理ならではの早期決断だったわけだ。総理の慧眼、改めて感服した次第。

あるいは、木村太郎。「『桜を見る会』問題は『終わったんじゃないか…審議拒否する野党もどうか』」という具合。

…木村氏は「桜を見る会なんて、もうやめちゃえばいいと思うんですよ、こんなもの。まったく意味のない催しだと思うんで。やめちゃえばいいと思うんですけど」とコメントした。
一方で「だからと言って、桜を見る会を理由に審議拒否する野党もどうかなと思って。特に日米貿易協定って、あんな大事な協定の承認の問題をほとんど審議しないで終わっちゃった。これから、いろんな意味で日本人の生活に影響がある問題をほったらかしにして、やる問題ではなかった」とした。(報知新聞社)

日米貿易協定の審議を実質行わないまま、国会通したのは与党じゃないか。こういうときに、人の中身が顕れる。自分の信念でものを言う人であるのか、政権に忖度して甘い汁を吸おうという人であるのか、と。

(2019年12月9日)

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