(2022年10月6日)
昨日の毎日新聞朝刊のこんな見出しに目を惹かれた。「国葬反対投稿 8割が大陸から」「三重県議『根拠は高市早苗氏』」。右翼にとっても、アベ国葬問題は尾を引いている。「国民の過半数がアベ国葬反対」という事実は、どうしても受け容れがたいのだ。なんとか、「アベ様・バンザイ」としなければならない。
「安倍晋三元首相の国葬への是非を巡り、三重県の小林貴虎県議(48)=自民=が2日、ツイッターに「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸からだったという分析が出ているという」と投稿した。」(毎日)
「隣の大陸」と言えば中国以外にない。世論調査にも顕著となった「アベ国葬反対」という国民の声は、中国の仕掛けによるものだというのだ。日本の世論を撹乱し、アベ国葬の権威を貶めようという中国の企みが功を奏しての「嘘の世論」だというのが、この自民党議員の言いたいことである。
もっとも、これだけなら、地方版限りの小さなニュースでしかない。ところが、この自民党県議。うかつにも、いわでもがなのことを言ってこのニュースを全国版のものにした。
「4日に小林氏が報道陣の取材に応じ、ツイートの根拠について「誰が話したかって話ですよね。高市早苗さんです」と述べた。」「小林氏によると、2日に名古屋市内で日本会議の会合が開かれ、高市早苗・経済安全保障担当相が安全保障問題について講演した。高市氏がその際「政府の調査結果」として話した内容を基にツイートしたという。」(毎日)
高市は毎日新聞の取材に「日本政府が情報操作に関して調査した旨の発言は、私からはありません」とだけ回答したという。「国葬反対のSNS発信の8割が隣の大陸から」との発言については、肯定も否定もしていない。
小林は投稿内容の根拠について2日のツィッターでは、「今日の講演で伺った話。ソースは以前三重の政治大学院でもご講演いただいた事のある現職」とし、3日には「政府の調査のデータだと講演者から聞いた」と語ったが、講演者の名前を高市と明かしたのは、4日のツイッターでのこと。小林は、こう言っている。
「さて皆さん非常に関心が高い様なのでお答えすることにしました。私が総理大臣になって頂きたいと強く願っている高市早苗先生が、政府の調査結果としてお伝えいただいた内容です」というのだ。
昨日(5日)、小林が委員長を務める県議会・戦略企画雇用経済常任委員会が開かれ、出席した委員からツイートの説明や辞任が求められたという。そして、彼は、委員長辞任を表明した。
そして本日(6日)、事態は一転する。小林は津市内で記者会見を行い、一連のツィッターの投稿内容は誤りだったとして、撤回を撤回を表明し謝罪した。ツィッターは削除済みであるという。
ただ、釈然としないのだ。自分の発言の誤りを認めて謝罪の会見をするのなら、どの発言がどのように誤っていたのか、なぜ誤ったのか。どうしてこれまで誤りに気付かなかったのか、何をきっかけに誤りに気付いたのか。そのくらいのことは、明らかにしなければならない。
ところが、6日の会見では「内容に誤りがあった。撤回したい」「(高市の)講演では自らメモを取っていたものの、同席した複数の参加者からの指摘で誤りに気づいた」「高市事務所にもおわびの連絡を入れた」というだけだったようだ。
具体的に何が誤りだったかは、講演会が非公開だったとして説明を拒んだ。「圧力はない。本心からだ」とも述べ、自身の進退については「深く反省している。議員として努力を積み重ねたい」と、来春の県議選で有権者の審判を仰ぐとした。
一方、当初の投稿に差別や偏見を助長するとの批判が出ていたことについては、「講演の中身に言及せざるを得ない」などとして、評価を避けた。なお、小林のツイッターは5日夜以降、非公開となっているという。
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記者会見の一問一答を、朝日が詳報している。その一部を抜粋するが、これはたいへんに興味深い内容。
――誤りとは高市氏の発言ということではなく、調査の主体、政府が間違っていたということでいいか。
詳細はそもそもクローズド(非公開)な会だということで具体的なお話はできないのだが、同じ講演を聞いていた複数の方々の記録と突き合わしたところ、異なっている部分があるということが分かったので、訂正する。
――政府の調査という言葉はなかったということか。
その内容については発言を控えたい。
――政府の調査が誤りだったという認識には間違いないか。
どこがということに関しては講演の内容になるので控えたい。
――政府がどうだったかということも、言えないということか。
繰り返しになるが、何点か記録と異なっていることが分かったので、訂正をしたい。
――メモにそもそも誤りがあったということか。
そういうことだ。
――高市氏が何を「調査」と言ったのか、言えないという話か。
差し控えたいと思う。
――訂正をしたいということだが、何をどう誤ってどう訂正したいのか。
繰り返しになるが、講演の内容に関わることなので、ここでの発言は差し控えたい。
――どこを訂正したのか、なぜ説明できない。
そもそもクローズドな会だったからだ。
――訂正の内容が分からないと何のための説明か分からない。責任を持って答えているようにはとらえられない。
申し訳ない。深く反省しているが、具体的な講演の内容に関しては差し控えたい。
――会見を開いたのだから、明かすべきだ。
申し訳ない。すべてに対して撤回をしたい。
――撤回するのか。
はい。
――訂正ではなく。
撤回する。
――その理由はクローズドな会だったから言えないと。
はい。
――小林県議自身が本当にそう考えているか、わからない。本当にそう思っているならば当然明かすべきだ。
はい。
――撤回するのは2日に投稿した「国葬反対のSNSは8割が隣の大陸から」という投稿と、4日の「発言のソースは高市早苗さんです」という、この2点についてということか。
双方ともに撤回する。
――どこが誤りだったか、クローズドだからという一点張りで説明されていない。十分伝わらないと思うが。
会の性質がそもそもクローズドだったとしか言いようがない。
――内容が違ったというのは、誰から言われたのか。
同じく同席した私の知人に確認した。
――そもそもクローズドな会合で出た内容をツイッターで発信するというのはどういう意図があったのか。
具体的な意図を話してしまうと(会の)内容になるので差し控える。
――高市氏は政府の調査はないと否定した。意見が食い違っている状況をどう考えるか。
講演の内容に言及せざるを得なくなるので、そこに関しては発言を差し控えたいと思う。
――高市氏の事務所から説明を求められたとか、何かやりとりはあったか。
ありません。私から電話をかけた。高市氏の秘書と話し、謝罪をさせていただいた。
――小林県議自身が本心から撤回しているのか、それとも誰かからの圧力で撤回することになったのか。
圧力ではない。本心だ。
――「8割が大陸」という内容については今も事実だと思っているのか。
内容について私がどう考えるかということも、会の全体的な内容に触れざるをえないので、差し控えたい。
―― 信憑性(しんぴょうせい)が高いと感じたのはどうしてか。
それも、誰が話したかということになるので控える。
――発言した人のことを考えて信憑性が高いと判断したのか。
差し控える。
――自身の責任はどのように考えているのか。現職大臣の名前を出して投稿した以上、県議としての投稿なので責任を伴うと思うが。
ことの重要性は認識しているので、党からの指示を待ちたいと思う。
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以上の一問一答の結果から、常識的に何が推認できるだろうか。小林がメモに基づいたとして、自信をもって投稿したツィッターの内容がおおきく間違っていたとは考えにくい。記者の質問にもあるように、だれかからの圧力で、小林の「問題ツィッター」は削除を余儀なくされたと考えざるを得ない。その「だれか」の中に高市が含まれていることは当然というべきである。
問題の会合は、日本会議の会合である。統一教会ばかりではない。日本会議も、自民党右派にベッタリとくっついているのだ。そして、その「日本会議+自民党」の会合は、かくもクローズドで秘密裡に行われている。だから、高市は安心していい加減なことを喋ったのだろう。
その掟になじんでいない小林が、秘密裡の会合の内容を外部にばらした。高市は自らは、表に出ることなく小林に詰め腹を切らせたのだ。ああ自民党、ああ高市。
岸田の方がまだマシだ。低支持率に喘ぎながら、がんばれ岸田。
(2022年10月5日)
「法と民主主義」10月号【572号】が、9月30日に発刊になった。特集は2本。特集?が「2022年参院選と改憲発議阻止の展望」、そして特集?「緊急特集・国葬と統一教会問題」である。両特集とも、読み応えは十分である。とりわけ、特集2が、時宜に適したもの。石村修(憲法学)・宮間純一(政治学)・郷路征記(弁護団)・有田芳生(ジャーナリスト)とならんだ執筆陣は圧巻。なお、この特集は来月号も続くことになる。
特集?●2022年参院選と改憲発議阻止の展望
◆特集にあたって … 編集委員会・南 典男
◆参院選後の改憲をめぐる状況と市民と野党の共同の展望 … 中野晃一
◆参院選結果が投げかけるもの … 田中 隆
◆実質改憲としての安保3文書改訂 … 永山茂樹
◆核戦争の危険性と私たちの任務 ── 核兵器廃絶と9条の世界化を … 大久保賢一
◆安全保障の名のもとに監視と治安強化がすすむ
戦争のできる国づくりの最終段階を画す土地規制法と経済安保法 … 海渡雄一
◆市民運動・野党共闘と法律家の役割について … 平井哲史
◆改憲問題対策法律家6団体連絡会の活動総括と今後の方針 … 大江京子
特集?●緊急特集・「国葬」と「統一教会問題」
◆特集にあたって … 編集委員会・南 典男
◆「安倍国葬」は日本国憲法上で許されない … 石村 修
◆日本史のなかの「国葬」問題 … 宮間純一
◆統一協会の伝道手法とその破壊力 … 郷路征記
◆インタビュー●統一教会とは何か ─ 自民党との極まった癒着を問う … 有田芳生
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なお、「法と民主主義」(略称「法民」)は、日民協の活動の基幹となる月刊の法律雑誌です(2/3月号と8/9月号は合併号なので発行は年10回)。毎月、編集委員会を開き、全て会員の手で作っています。憲法、司法、教育、原発、国際情勢、天皇制、地方自治、沖縄問題、ジャーナリズムなど、情勢に即応したテーマで、法理論と法律家運動の実践を結合した内容を発信し、法律家だけでなく、広くジャーナリストや市民の方々からもご好評をいただいています。定期購読も、1冊からのご購入も可能です(1冊1000円)。よろしくお願いします。
(2022年10月4日)
安倍国葬が終わって、臨時国会が始まった。明日からは、3日間の各党代表質問が行われる。この頃には、内閣支持率も回復しているだろうという岸田首相の読みは大外れとなった。あらゆる世論調査に岸田批判が鮮明である。真偽定かならざる、「岸田狼狽」「岸田切れた」「側近離れた」の類いの記事が溢れている。
昨日(10月3日)の岸田首相所信表明演説は、はなはだ評判がよくない。今は、何をやっても、何を言っても、岸田叩きの材料とされる。演説の内容もさることながら、覇気がない、投げやり、国民の声を聞く耳がない、などという評価は、ややお気の毒でもある。
岸田経済政策の目玉と言うべき「新しい資本主義」の評判がすこぶる悪い。「アベノミクスとどこが違うのか」という叩かれ方である。岸田の苦しい立場がよく表われている。安倍に批判の立場をとれば党内主流に叩かれる。安倍に擦り寄れば、国民の支持を失う。右するも、左するも、叩かれるのだ。どうすりゃいいのさこのワタシ、という心境とお察する。
安倍の怨霊に取り憑かれている岸田である。ここは乾坤一擲、この背後霊を切り捨てなければならない。まずは山際大志郎を切って、返す刀で安倍派を成敗である。それができなければ、ジリジリと怨霊の生け贄にならざるを得ない。
ところで、私は保守政権に「良・可・不可」の成績をつける。保守政権である以上は「優」はやれない。しかし、「良」はある。宮沢喜一政権にも福田康夫政権にも「良」をやってよい。一方、中曽根康弘こそ「不可」の最たるものと思っていたら、下には下がある。安倍晋三という最低・最悪の「不可」政権が現れた。これに較べれば、岸田政権はずっとマシ。悪法成立のリーダーシップのないことだけで、「可」の評価をやってよい。「可」の政権を倒したとたんに、「不可」政権が成立したのでは面白くない。
防衛費倍増やら原発再稼働発言は怪しからんと岸田を引きずりおろすことができたとして、さて次はどうなるだろう。今、菅義偉の復権がささやかれているが、この人、安倍とどこまでも一緒に駆けて駆けて駆けぬいてきた、安倍の分身である。安倍亜流、安倍コピーと言っても、安倍の使い回しと言ってもよい。実証済みの「不可」政権である。
今、目くそ岸田を取るか、鼻くそ菅を取るかと聞かれたら、どう答えるか。「鼻くそはご勘弁。目くそで我慢をしておこう」とは言いたくないが、絶対に鼻くそだけは御免こうむると言わざるを得ない。「目くそも鼻くそも、まっぴらご免」と威勢よく言うためには、野党の自力の増大と、共闘の進展を展望するしかない。
目くそ・岸田の葬儀委員長挨拶は不評甚だしく、鼻くそ・菅義偉の弔辞には拍手が湧いた。「感動した」などという、おべんちゃらが垂れ流されている。しかし、先のリテラの記事が菅の愚かさを暴き、昨日の日刊ゲンダイがこれに続いている。「菅前首相の“絶賛弔辞”コピペ疑惑で赤っ恥 『前提すっ飛ばしなら一種の剽窃』と識者バッサリ」という見出し。記事の中に、「まさかお悔やみまでコピペ…?」とも。なるほど、使い回しというよりは、コピペ弔辞の方が分かり易いのかも知れない。そして、『剽窃』とは辛辣極まる。
日刊ゲンダイはこう言う。
「安倍元首相の「国葬」強行から1週間。友人代表として参列した菅前首相の弔辞がいまだに話題を集めている。なぜか? 流用疑惑が浮上し、大炎上しているからだ。元ネタは、あろうことか故人が指南役の逝去にあたって寄せた追悼メッセージ。第2次安倍政権以降、広島・長崎の平和祈念式などであいさつの使い回しが常態化しているが、お悔やみまでコピペとは……。
菅前首相の弔辞をめぐる疑惑を報じたのは、ニュースサイト「リテラ」。〈菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを〉(1日配信)と題した記事で、流用の可能性を指摘した。
高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)はこう言う。
「ア然としています。菅前首相は遺影に向かって『歩みをともにした者として』と語りかけていましたよね。いわば盟友の安倍元首相が恩人を偲んで引用した句だと知らなかったのでしょうか? 前提をすっ飛ばして、あたかもオリジナルであるかのように振る舞っていたのだとしたら、一種の剽窃です」
「8年8カ月のアベ政治は嘘にまみれたハリボテだった。この国のレベル、儀礼にふさわしい弔辞だったかもしれません」
この言葉を噛みしめたい。「8年8カ月のアベ政治は嘘にまみれたハリボテだった」というのは、まことにそのとおり。徹底してアベを持ち上げた菅弔辞は、嘘にまみれたアベ政治の葬送にふさわしいものだったという。目には目、嘘には嘘、ゴマカシにはゴマカシである。
そして、鼻くそ・菅への大絶賛は一転する。「菅前首相は赤っ恥だ」とゲンダイ記事は締めくくっている。相対的に、目くその地位は上がった。しっかりせよ岸田。菅や安倍派や麻生派に負けるな。超低支持率でその地位を3年死守せよ。そうすれば、自ずから「可」の評価を得ることができよう。しかも、限りなく「良」に近い「可」だ。
(2022年10月3日)
私と、澤藤大河とで担当している医療過誤損害賠償請求事件が、本日結審となった。東京地裁医療集中部の一つに係属している術後脳梗塞発症事案である。この手術の執刀者は、「神の手」とメディアからもてはやされた心臓外科医。原告は、チーム医療の不備を問題としてきた。被害者となった患者は開業医で、被告は都内の大学病院である。
本日、最終準備書面を陳述し、原告訴訟代理人澤藤大河が10分余の、「主張の要点」を口頭で陳述した。最終準備書面の冒頭部分と、意見陳述要旨の冒頭をご紹介しておきたい。医療事故や医療過誤訴訟の一端をご理解いただきたい。
最終準備書面冒頭
第1 事案の概要と主たる争点
1 人は病を得て診療を受ける。疾病を治療するために通院し入院し治療を受け、疾病を治癒しあるいは寛解を得て、日常に復帰する。病人として入院し、健康を回復して退院するのである。少なくとも、当初の疾患における症状を軽減して診療を終える。これが、患者の期待であり、通常の診療の推移である。そのために、医療はある。
ところが本件においては、原告は開業医としての稼働に支障のない健康状態で、不要不急の入院治療を受け、労働能力を完全に喪失する医原性の疾患を得て退院した。健康体として入院し、重篤な障害者として退院した。障害は、被告の過失による医原性の事故によるものである。
2 原告の施術は、無症候性心筋虚血を原疾患とするものであった。原告に心疾患の自覚症状はなく、開業医としての原告の職業生活にまったく支障のないものであった。原告が敢えて不要不急の手術を受けたのは、被告病院の心臓外科に、「神の手」ともてはやされる練達の医師を迎えたという惹句によるものである。
被告は、原告とその家族に対して、「神の手」による執刀の手術成績を誇大に喧伝し、術前になすべき手術の正確な危険性(リスク)についての説明を懈怠した。
3 原告は、被告病院心臓外科において不要不急の冠動脈バイパス(5枝)手術(以下、本件手術という)を受け、術直後に施術に起因する術後脳梗塞を発症し、間もなく症状固定して、後遺障害等級1級に相当する後遺障害が残存して今日に至っている。
入院直前まで開業医として稼働していた原告が、術直後から労働能力を完全に喪失して今日に至り回復の見込みはない。
4 本件術後脳梗塞は、術中低血圧の継続に起因する低還流型と呼ばれる典型症状である。
心臓外科手術中における患者の適正血圧維持は極めて重要な術者の義務であるところ、被告は臨床医学の知見において許容される術中患者の血圧の下限値を超えた血圧管理における明らかな過誤によって、原告に低還流型術後脳梗塞を発症させたものである。血圧管理過誤の存在が原告の低還流型術後脳梗塞発症を推認させるものであり、また、低還流型術後脳梗塞発症が被告の血圧管理の過誤、すなわち適正血圧維持の注意義務懈怠を物語るものでもある。
5 以上の事案の概要に即して、下記の各点が本件の争点となっている。
(1) 術中における患者の適正な血圧管理の懈怠
(2) 術前における手術リスクについての説明義務違反
(3) 各過失と損害との因果関係
(以下略)
原告主張の要約を陳述する。
1.術中血圧管理における過失について
被告には、適切な術中血圧管理によって十分な脳血流を維持し、患者の安全を確保すべき注意義務がある。
脳は、生存に不可欠な重要臓器として極めて多量の酸素と栄養分を必要とし、これを脳血流から得ているが、その欠乏には脆弱である。必要で十分な脳血流を維持するために、人体には自動調整能が備わっている。
通常、血圧に応じて血流量が決まる。しかし、様々な要因で変動する血圧に応じて脳血流量が変化するのでは、脳機能の維持に障害が生じ脳細胞の生存にも危険が生じる。一定の範囲では、血圧の変化にかかわらず、過不足ない脳血流を確保するための仕組みが自動調整能である。
しかし、自動調整能の働く血圧範囲にも限界がある。血圧が低くなりすぎて自動調整能が作動する範囲を逸脱した場合、直ちに血流が途絶えることにはならないが、必要な脳血流量を維持することはできず、脳虚血が生じる。
その血圧の下限には個体差もあり、個々のケースで脳虚血が生じる血圧下限を明確に知ることはできない。だからこそ、患者の安全のために、長年の経験の蓄積によって、間違いなく安全であると確認されている成書の記載に従うほかない。
最も権威ある麻酔科の教科書『ミラー麻酔科学』には、端的にMAP(平均血圧)70mmHgとされている。被告提出の成書『神経麻酔』によっても、同65mmHgである。これを下回ることのないよう術中血圧を維持すべきが医療水準として求められ、術中血圧管理における被告の注意義務の根拠となる。
本件手術中の血圧記録によれば、主位的な主張であるMAP70mmHg維持義務違反で3時間16分間、全手術時間に対して65.8%に及ぶ。また、予備的な主張であるMAP65mmHg維持義務違反で2時間44分間、全手術時間に対して55%である。
被告の過失は明白で、術中長時間にわたり脳に深刻な虚血が生じたことも明らかというべきである。
被告の血圧管理についての反論は、結局のところ、術中血圧管理の基準はないという驚くべきものであった。実際、術前に血圧管理の目標値を定めた事実はなく、術終了まで、基準を意識した形跡もない。
被告は、オフポンプのバイパス手術であることを低血圧が許容される理由としているが、明らかな誤りである。自動調整能は、人間の生体としての機能であって、その作動の範囲が手術の目的や態様で左右されることはありえない。人間の体は、オンポンプであれば脳血流を維持しえないが、オフポンプであれば脳血流を頑張って供給するという便利な仕組みにはなっていない。
医療水準を無視した危険なオフポンプ手術の例をいくら並べても、本件手術における被告の過失がなくなるわけではない。そのような例においては、安全のために見込まれたマージンをギリギリまで使っただけであって、本件で脳虚血が生じていない証拠にはならない。被告がこの点の根拠として引用する文献や医師意見書については、甲B6落合亮一医師の厳密な医学的見地からの反駁をご理解いただきたい。
なお被告は、繰り返し術中のセンサーにより脳虚血を検知できる態勢をとっていたと述べているが、全く無意味な主張である。現実に本件脳梗塞を生じさせた脳虚血は検知できていないし、本件術中の検査態勢はそもそも患者の脳梗塞を検知するためのものではない。(中略)
3.説明義務違反について
手術適応の有無に関する術前検査が終了した時点で、医師は患者に対して、最終的な術前説明の義務を負う。具体的な検査結果を一般的な医学的知見に照らして、予定された当該手術のリスクとメリットを正確に患者に伝達し、手術を受けるか否かの最終判断を可能とするための説明である。これは、医師の専門家責任の一端でもあり、患者の自己決定権が要求するところでもある。
被告は果たしてそのような説明を行ったか。明らかに否である。(以下略)
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医療過誤訴訟は患者の人権擁護の問題である。他の現代型訴訟と同様に、原告(患者)と被告(医師・医療機関)とは、けっして平等ではない。診療記録は全て被告側にあり、専門的知見にしても、また鑑定人や証人の準備にしても、訴訟にかける費用負担能力にしても、圧倒的な格差がある。いかにして、この格差を埋め、民事訴訟における実質的平等を実現するか。その営々たる努力がつみ重ねられてきた。
本件を担当して、あらためて、その道半ばであることを痛感する。判決は来年1月。期待して待つ以外にないが、裁判所にはこの点についての十分な認識を得たい。
(2022年10月2日)
安倍国葬とは、いったい何だったのだろうか。国民の反対を押し切って強行された、この権力顕示のイベント。論者の立ち位置によって評価はまったく異なるものとなっている。冷静な目で幾重にも検証しなければならない。そのことは、この国葬を期として、「今より後の世はいかにかならむ」を考察することでもある。
典型的な右派の見方として、9月30日[産経・主張]が、「安倍氏の国葬 真心込めて故人を送れた」という歯の浮くような、政権へのおべんちゃら。
「安倍晋三元首相の国葬が執り行われた。日本の国として、功績のあった故人を、真心込めて送ることができて本当に良かった」と述べ、とりわけ、菅義偉の弔辞を持ち上げてこう言及している。
「感動を呼んだのは、安倍氏を長く支えた菅義偉前首相による友人代表の弔辞だった。菅氏は、暗殺された伊藤博文を偲んだ山県有朋の歌を『私自身の思い』として、2度読み上げた。安倍氏の読みかけの本にペンで線を引いてあった歌だった。
『かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の世をいかにせむ』
式場では、日本の葬儀としては異例の拍手がおこったが、中継をみていて共感した人は多かったのではないか。言葉の力が、故人を見事に送ったのである。」
伊藤博文や山県有朋を持ち出して、自分たちに重ねることを恥ずべきこととは思わない感性に呆れる。無批判にこれに拍手する参列者にも、である。日本国憲法の諸理念に照らして、偏った人々があの空間に集まっていたのだ。これが、安倍国葬の実態。
ところで、右翼・右派を感動させたという山県有朋の一首は、実は「使い回しだった!」というリテラの9月30日付記事が読ませる。リテラ、大したもの。これを紹介したい。
https://lite-ra.com/2022/10/post-6232.html
長いタイトルである。「菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた『山縣有朋の歌』は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを」。情報量の多い記事もかなりの長文。
リテラは言う。「この弔辞、…ドラマチックな話ではまったくない」「薄っぺらなハリボテ的演出がされた駄文だった」。「『山縣有朋の歌』は安倍元首相自身がJR東海・葛西会長の追悼で引用したものだった」
安倍は今年6月17日、Facebookにこう投稿しているという。
〈一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。
「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。〉
あの葛西敬之である。「安倍の最大のブレーンと言われていた極右財界人」。 その葛西が亡くなったとき、安倍は葬儀で弔辞を述べ、さまざまなメディアで追悼の言葉を発した。そのとき、持ち出していたのが、今回、菅が紹介した山縣の歌だった。安倍にその歌が載っている評伝『山縣有朋』を薦めたのが、葛西だったからだ。2014年12月のことだったという。極右葛西が、明治の軍国主義の総元締め山縣有朋を信奉しているのは有名な話なのだそうだ。
リテラは、「極右国家主義政治の師匠とも言える葛西氏から“日本の軍国主義路線の大元”山縣の評伝を教えてもらった安倍氏が、その師匠の追悼に本に載っている山縣の歌を使ったのである。」「安倍氏は6月24日発売の極右雑誌「WiLL」(ワック社)8月号に掲載された櫻井よしこ氏との対談でも、葛西氏が山縣有朋を敬愛していたこと、葛西氏から岡義武の『山縣有朋』を薦められたことなどを語った上で、『まさに、私たちが葛西さんに贈りたい歌です』として、この歌を紹介していた。」
《ところが、菅前首相は今回、故人である安倍氏が他の人を偲ぶために使っていたその歌を、何の説明もないまま、今度は自分の心情の表現として借用してしまったのだ。これって、弔辞のマナーとしてありなのだろうか。》
さらに、リテラは、「明治軍国主義の権化・山縣有朋を国葬の場で美談仕立てで持ち出すグロテスク」と中見出しを付けて、こう言っている。
「これだけなら、“愛国者のハリボテ”だった無教養な安倍・菅コンビらしいオチというだけの話で済むかもしれない。しかし、今回の菅前首相の弔辞の本当の問題は、「使い回し」かどうか以前にある。それは国葬の弔辞で山縣有朋を持ち出したことそのものだ。
「山縣有朋といえば、明治政府の軍事拡大路線を指揮した日本軍閥の祖で、治安警察法などの国民弾圧体制を確立した人物。自由民権運動を潰し、天皇と国家神道支配の強化、富国強兵と中央集権体制の確立のため、自分の息のかかった地方長官会議に建議させ、井上毅内閣法制局長官や儒学者の元田永孚らに命じて、あの「天皇と国家のために命を捧げろ」と教える教育勅語をつくらせたことでも知られる。
そして、安倍元首相の“明治軍国主義の祖”山縣への傾倒ぶりは相当で、首相在任中の2017年に防衛大の卒業式で…批判を浴びたスピーチも、山縣が発意した『軍人勅諭』を踏襲しているとも指摘されていた。
また、菅前首相も自身に抵抗する官僚を監視し干し上げてきた弾圧体質も、自由民権運動を弾圧したり、反長州の人間を徹底的に排除するなどした山縣有朋と通じるものがある」
「その後、山縣が指揮した大日本帝国がどんな道を辿ったと思っているのか。」
深く同感する。伊藤が作り山県が運用の基礎を固めた大日本帝国憲法。その基本理念を否定し大転換して日本国憲法が制定された。しかし、大日本帝国憲法の残滓は、官邸にも、国会にも、そしてこの武道館のセレモニーにも色濃く生き残っているのだ。もしかしたら、生き延びているにとどまらず、大手を振って復活することになるのかも知れない。そんな不気味さを感じさせる、菅の弔辞であり、参列者の拍手ではないか。あらためて問われなければならない。「安倍国葬とは、いったい何だったのだろうか」と。
(2022年10月1日)
以下は、自由法曹団通信への寄稿である。自著の紹介記事。
「紺屋の白袴」という。「医者の不養生」とも。他人のことならテキパキできても、いざ自分のこととなると調子が狂う。私の場合は、ある日突然、「弁護士が民事訴訟の被告になった」。勝手が違って、ウロウロするばかり。
医者が患者になると、見慣れた病院の風景が変わり、見えないものが見えてくるという。私も、スラップ訴訟の被告とされ、さらにスラップを違法とする「反撃訴訟」の原告にもなって被告業・原告業を体験し、これまで見えなかったものが、少しは見えてきたものがある。
その6年9か月の顛末を、読み物として上梓した。表題は、『DHCスラップ訴訟』。「スラップされた弁護士の反撃そして全面勝利」という長い副題がついている。版元は日本評論社。
出版社は≪内容情報≫として、「批判封じと威圧のためにDHCから名誉毀損で訴えられた弁護士が表現の自由のために闘い、完全勝訴するまでの経緯を克明に語る」とキャッチコピーを書いている。
この散文的な、長い副題とキャッチコピーのとおりなのだが、もう少し、ご説明して、この本をお読みいただきたいと思う。
ご記憶だろうか。2014年の春に、DHCの吉田嘉明が、当時「みんなの党」の党首だった渡辺喜美に、選挙資金8億円の裏金を提供するという事実が発覚した。大金持ちと政治家の巨額な裏金での結びつき。
私は3本のブログでこれを批判した。みっともない政治家渡辺喜美よりは、スポンサーである吉田嘉明の「カネで政治を動かそうという姿勢」に批判の重点を置いた。サプリメント販売の最大手であったDHCの経営者として、「消費者利益に反する規制緩和を求める」姿勢も強く批判した。
そんなブログを書いたことも忘れた5月のある日、東京地裁から特別送達で訴状が届いた。原告は、DHC・吉田嘉明の両名。私の3本のブログ記事によって名誉を毀損されたとして、2000万円の損害賠償を請求するという。
私は、黙っていてはならないと、この訴訟を典型的なスラップだと批判のブログを連載し始めたら、請求が拡張されて6000万円の訴訟となった。
この「DHCスラップ訴訟」の応訴のために、親しい友人弁護士にお願いして弁護団を結成していただいた。このとき、あらためて身に沁みた。仲間と言える弁護士をもっていることのありがたさを。
そして、このときに考えた。弁護士が被告にされたスラップなのだから、スラップに対する闘いの典型例を作らねばならない。けっして《スラップに成功体験をさせてはならない》と。そして今は、成功体験をさせてはならないでは足りない。《DHC・吉田嘉明には手痛い失敗体験をさせなければならない》と思うようになっている。
訴訟面ではほぼその思いを達し得たと思う。私が被告とされた「DHCスラップ訴訟」では最高裁まで争って請求棄却判決が確定し、その後攻守ところを変えた「反撃訴訟」では、DHC・吉田嘉明のスラップを違法とする判決を獲得し、これも最高裁まで争って165万円の《慰謝料+弁護費用》を勝ち取った。
しかし、まだ十分ではない。DHC・吉田嘉明に《徹底した失敗体験》をさせるとは、骨身に沁みて、「こんなスラップ訴訟をやるんじゃなかった」「もうこりごりだ。今後2度とスラップはするもんじゃない」と思わせなければならない。
そのために、訴訟の経過と判決の到達点を多くの人に知ってもらいたいと思う。DHC・吉田嘉明とその代理人弁護士(二弁・今村憲)がどんなみっともない訴訟をしたのか、裁判所がどう判断したのか。
この本を普及することが、「社会の公器」であるべき民事訴訟を、「強者の凶器」たるスラップに悪用させてはならない(弁護団長・光前幸一さんの言)ことにつながるのだと思う。
幸い、市民からは「読み易い」、弁護士からは「実務に役立つ」、と反響を得ている。とりわけ、スラップを違法とする訴訟実務の到達点は分かり易く書けていると思う。
是非、ご一読ください。よろしくお願いします。
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(2022年9月30日)
昨日、統一教会(現在は「世界平和統一家庭連合」と称している)が、3件の名誉毀損訴訟を提起した。この件を、朝日はこう見出しを付けて報じている。「旧統一教会がテレビ局と出演の3弁護士を提訴 『名誉毀損』と主張」。
「テレビ番組での弁護士らの発言で名誉を傷つけられたとして、『世界平和統一家庭連合(旧統一教会)』が29日、読売テレビ『情報ライブ ミヤネ屋』に出演した紀藤正樹弁護士と本村健太郎弁護士、TBS『ひるおび』に出演した八代英輝弁護士と、各テレビ局に、計6600万円の損害賠償や謝罪放送などを求めて東京地裁に提訴した」
本日、この3通の訴状に目を通す機会を得た。読後感は、「これは統一教会の組織防衛のためのスラップだ」というもの。自らを批判する言論を牽制し萎縮せしめる目的で提訴される民事訴訟をスラップという。状況から見て、この3事件いずれも、統一教会批判の言論封じを目的とした、典型的なスラップ訴訟と言うほかはない。統一教会は、民事提訴を威嚇手段として言論の自由を蹂躙しているのだ。
以下に訴状3通の内容を紹介しておきたい。
※ 統一教会の名誉毀損提訴事件は以下の3件。
A事件 被告 紀藤正樹・讀賣テレビ
B事件 被告 本村健太郎・讀賣テレビ
C事件 被告 八代英輝・TBSテレビ
※ いずれの訴状も2022年9月29日付。同日提訴の直後にメディアに配布したものと思われる。係属部不明。併合の上申あるか否かも不明。書面審査も経ていない。もちろん、被告には未送達の段階。
※ 金銭給付請求額は、3事件とも慰謝料2000万円と弁護士費用200万円。
ほかに、いずれの事件でも、謝罪放送(1回)請求と、各被告弁護士のホームページへの謝罪広告掲載請求がある。
※ 謝罪放送(1回)請求と、ホームページへの謝罪広告掲載請求の訴額の合計が、18万円(A・B事件)、78万円(C事件)となっている。
各ホームページへの謝罪広告掲載請求の訴額はゼロではあり得ない。訴額の最低単位10万円(貼用印紙額1000円)とすべきだろう。謝罪放送(1回)請求の訴額は、広告放送費用相当額となる。これを合計して、18万円・78万円は、常識的に過小ではないか。この点の調整と疎明の補充で、送達まで一定の日時を要すると思われる。
※いずれの訴訟とも、この上なく、単純な名誉毀損訴訟である。名誉毀損言論と特定された被告の言論は、「意見ないし論評」ではなく、典型的な「事実摘示」型請求原因である。もつとも、C事件だけは「論評型」かも知れないが、これも論評の前提とした事実についての真実性の立証が争点となる。
※ 訴状・請求原因は、名誉毀損言論の特定だけをしている。訴訟の構造としては、被告の抗弁→原告の認否→被告の立証、と進行することになる。
※ 被告の抗弁は、公共性・公益性・真実性(ないしは真実と信じたことについての相当性)という違法性阻却事由(相当性だけは、故意・過失の欠如)であるが、公共性(公共の利害に関する事項についての言論であること)・公益性(その目的がもっぱら公益をはかる言論であること)に問題はなく、残るは「真実性」(あるいは「相当性」)だけが争われることになる。
※ 当然に予想される抗弁に対して、先行しての積極否認についての事情が、請求原因に書き込まれていれば、迫力ある訴状になったのだが、それがないから、何ともつまらない、論点指摘だけの訴状となった。
※ なお、A事件・請求原因第2項の末尾に「上記発言の指摘事実は、事実ではない」、B事件・請求原因第2項の末尾に「上記発言は事実に反する」、C事件・請求原因第2項の末尾に「上記発言は事実に反する」とある。
これは真実性の抗弁に対する先行否認だが、起案者は、「(摘示の)事実」と「(その摘示事実の)真実(性)」についての区別がついていない。だから「(上記発言の指摘)事実は、事実ではない」と、トートロジー的なおかしな表現となっている。本来は、「上記発言の指摘事実は、真実ではない」と記載しなければならないところ。B事件、C事件とも同様である。
※A事件 (被告 紀藤正樹・讀賣テレビ)
・名誉毀損表現がやや長文だが、「信者に対して売春させたっていう事件まである」「お金を集めるためにはなんでもするっていう発想」の部分だけが、名誉毀損の事実摘示である。
・この名誉毀損の事実摘示は、原告(家庭連合)についてのものではない。むしろ、原告ではない分派の少数派が「お金がないものだから(信者に対して売春させた)」と明確に語られている。
この点で、裁判所が「原告の名誉を毀損する事実摘示ではない」として、棄却することが高い確率で考えられる。この場合は、その余の論点に判断は不要。なんとも愛想のない判決となる。
・問題は、判例の用語法での『一般の読者(この場合は視聴者)の普通の注意と読み方』である。原告は、「一般の視聴者の普通の注意と聞き方」を基準とすれば、「原告(家庭連合)が売春までさせたものと印象をもつだろう」と言う。当然に、被告はあり得ないという。ここは一つの論点である。
・前項の論点を被告がクリヤーできない場合にはじめて、被告の抗弁の立証の問題が出てくる。摘示された事実が、主要な範囲で真実であることが立証されれば被告の言論は違法性のないものとされる。真実性の立証に至らずとも、発言者に当該摘示事実を真実と信じたことに相当な理由が認められれば、故意も過失も欠く結果、原告の不法行為請求は棄却されることになる。
※B事件 被告 本村健太郎・讀賣テレビ
・名誉毀損表現は以下のとおり。
「統一教会というのは、…布教活動自体が違法であるということがはっきりと裁判所で認定されています」「札幌地裁の判決が統一教会の布教活動の違法性を正面から認定した」「司法の判断として統一教会の活動というのは、布教活動自体が違法であると既に認定済みです」「統一教会というのは、一応まだ宗教法人ではあるものの既に裁判所判断として認定が出ている違法な組織である」
・これに対する、真実性の抗弁の立証は判決文の提出だけ。
※C事件 被告 八代英輝・TBSテレビ
・名誉毀損の表現は「この教団がやっている外形的な犯罪行為等…に着目している」だけ。
・原告は、この表現を「事実の摘示」とする。しかし、被告は、具体的な事実摘示をしたのではなく、原告のこれまでの行為を「外形的な犯罪行為等」と論評したと争うことになろう。論評であれば、論評が前提とした事実について、被告が真実性(あるいは相当性)の立証を求められることになる。
・いくつもの原告信者の刑事事件がある。原告は、これは全て信者が独自に罪を犯したもので、組織性はないというのだろうが、問題はそこにない。諸刑事事件事例から、「この教団がやっている外形的な犯罪行為等」との評価が常識的な論理から逸脱していなければ、当該言論を違法とすることはできない。原告の言い分は客観的に無理筋の主張となるだろう。
スラップは、民事提訴という手段で言論の自由を蹂躙する不当あるいは違法なものである。被告らにエールを送りたい。なお、スラップに関しては、拙著を参照していただきたい。
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(2022年9月29日)
日中国交「正常化」から50年である。1972年の9月29日、北京で日中両国の首脳が共同声明に署名した。日本は「過去の戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことの責任を痛感し深く反省する」とし、中国は「日本国に対する戦争賠償の請求を放棄」した。これでようやく、「戦争状態の終結と日中国交の正常化」が実現した。20代だった私は、歴史が真っ当な方向に動いたと素直に感動したことを覚えている。
私は学生時代から中国に人類の希望を見ていた。中国共産党の道義性を高く評価してもいた。50年前の時点で、その気持ちはなお健在だった。日本が、「反動・国民党政権」の台湾と手を切って、唯一の合法政権である北京政府と国交を樹立すべきは当然のことと考えてもいた。田中角栄・大平正芳がそこまで踏み切ったことが嬉しかった。確実に新しい時代が始まる、しかも両国にとっての明るい時代が。屈託なくそう思った。私だけではなく、60年代に学生生活を送った世代の多くが同じ思いではなかったか。
その後半世紀を経て、なんと事態は様変わりしてしまったことだろうか。私の対中国の思い入れも確実に変わらざるを得ない。とりわけ衝撃的だったのは天安門事件、そしてそれに続く中国共産党の「断固たる民主化運動に対する弾圧」の姿勢である。さらに、チベット、新疆ウイグル、そして香港などに典型的に見られる強権的な剥き出しの人権弾圧。人権や自由や民主主義を否定する、この党とこの政権。文明世界にありうべからざる非文明の異物が世界を大きく侵蝕しつつある。50年前の不敏を恥じ入るばかりである。
それでも、中国の地理的な位置は変わらない。隣人として交流せざるを得ない。どうすれば、上手な付き合いができるだろうか。
一昨日(9月27日)の毎日新聞朝刊1面に、「日中 対話を重ねる以外にない」という河野洋平(元衆院議長)の見解が紹介されている。「対話を重ねる以外にない」という、その姿勢に賛意を表明して、要点を引用したい。
「1972年の日中双方の人的往来は約1万人。それがコロナ禍前の2019年には1200万人になった。両国の関係は緊密になっている。にもかかわらず現在の両国関係が厳しいのは、政治の責任だ。
香港や新疆ウイグル自治区での人権問題は看過できない。だからといって力で中国に言うことを聞かせることは難しい。なにができるかと言えば、やはり対話をする以外にない。今、一番欠けているのが政治的な対話だ。
習近平国家主席発言に、米国をはじめ世界中の国が警戒感を持った。多民族国家をまとめるために旗印をあげただけだと主張する中国人もいる。実際に話し合ってみないとわからない。会って、話をして、『本当はどうなんだ』と言うべきだ。
日中は国交正常化の際の共同声明で「お互いに覇権を求めない」と約束した。日本はそうした話をできる立場にある。それをせずに米国と一緒にどこまでも行く、米国のお使いのようなことをやっていれば、対話の雰囲気を自分で壊しているようなものだ。
「自由で開かれたインド太平洋」という構想がある。中国包囲網と言ってはいないが、そういう意味があるのだろう。しかし、中国を包囲すれば対抗意識が出てきて、本当の秩序維持はできない。中国をサークルに入れて話し合わなければ真の平和は維持できない。包囲するのではなく対話をする。力で押さえつけるのではなく、問題は平和的に解決するというのが日本の国是のはずだ。戦争をしないために命がけで努力するのが政治家の務めだ。
殴った方は忘れても、殴られた方は覚えている。国交正常化の際に中国は戦争賠償請求を放棄した。先の大戦で日本がどれほど大きな被害を中国の人たちに与えたかということは忘れてはいけない。
正常化で問題がすべて解決したわけではない。日本ではよく「小異を捨てて」と言うが、捨ててはいけない。小異は残っている。小異については爆発しないように手当てをしながら、解決に向けていつまでも努力を続けることが大事だ。」
さすがに立派な発言だと思う。中国共産党の人権弾圧の姿勢には批判をしつつも、中国を敵視することなく、粘り強く対話を重ねるほかに道はないというのだ。同感するほかはない。
私が、再び中国に人類の希望を見たり、中国共産党を見直して高く評価することはないだろう。しかしまた、中国の人々や文物を嫌ったり憎んだりすることもありえない。日中両国は、意識的に対話を継続しなければならない。国家も、国民も。
(2022年9月28日)
岸田はアベ国葬に何を求めたのか
昨日、アベ国葬が終わった。岸田政権は、どうしてこんなことを思いつき、なにを獲得しようとしたのだろうか。そして、その目的は達成されたのか。あるいは、目算外れだったか。
常識的に「国葬」といえば、国民の圧倒的な多数が敬愛する人物を対象とするものであろう。国民的な敬意と弔意を確認することによって、全国民の一体感を高揚させるに足りる人物。多くの場合には、国葬を通じて偉大な被葬者の意思に沿った国家の運営の正当性を確認し、国民を鼓舞することを目指すことにもなる。
はたして岸田が国民の一体感の獲得を目標にアベ国葬を思い立ったか。おそらく、それはあるまい。安倍晋三は、政治的なレガシーをもたざる政治家である。むしろ、負のレガシーがあげつらわれる長期政権担当者。遠慮した物言いでも、毀誉褒貶定まらない人物。そして、人格的な問題を指摘されこそすれ、けっして尊敬される人格者ではなかった。ましてや、政治家稼業三代目のボンボン。庶民の苦労とは無縁でもある。ゴマすりメディアの操作には定評があったが、とうてい国民の圧倒的な多数が敬愛する人物ではない。葬儀を通じて、国民の一体感を確認し高揚することなど、夢想もしえない。その意味では、まつりあげようにもタマが悪過ぎる。
しかし、岸田は考えたに違いない。全国民の一体感や団結ではなく、保守陣営の一体感や結束には資するのではないか。その演出は、アベの支持層であった自民党右派や右翼への「貸し」を作ることができる。うまく行けば、保守化しているとされる若年層にもアピールできるのではないか。
岸田は「聞く耳」をもっていることをキャッチフレーズとした。安倍政権があまりに頑なに岩盤支持層である右派右翼の声しか聞かなかったことに対する、アンチテーゼである。その岸田が、今回は、国葬反対の声が高まっても、その声に耳を傾けようとはしなかった。岸田にしてみれば、反対の声の高まりは「貸し」を大きくすることと認識した。安倍派とその取り巻き、右翼の面々には、「大きな国民の声を押し切って国葬実施に漕ぎつけた」というアピールの材料として、好都合だったのだろう。
こうして、アベ国葬は、国民全体の一体感獲得や国民的結束ではなく、党内右派、あるいは国民の安倍支持層を岸田政権の支持につなげるための目論見として位置づけられた。その目的に照らせば、国葬強行はけっして失敗ばかりでない。
「ただ涙」「ありがとう」という参列者
国葬の報道は二通りある。進行の手際が悪く、何時間も会場に閉じ込められた参列者の不満が爆発したとか、トイレの待ち時間がたいへんだった、紋切り型で一方的な挨拶ばかり、などという醒めた報道が一つ。そしてもう一つが、歯の浮くような感動を報じるもの。おそらくは、両面があったのだろう。
本日のあるスポーツ紙の見出しがこうなっている。《安倍晋三元首相の国葬に参列した人々「ただ涙」「ありがとう」思い出を語り、感謝を口にする人も》。見出しはこのスホーツ紙が付けたものであろうが、共同配信の記事である。
「安倍晋三元首相の国葬に参列した人々は、会場で黙とう、献花し追悼の思いを新たにした。「ただ涙が止まらなかった」「『ありがとう』と心の中で伝えた」。生前の安倍氏との思い出を語り、感謝を口にする人も。
国際政治学者の三浦瑠麗氏は「安倍政権に関わった多様な人々が来ており、厳粛な空気だった。菅義偉前首相のスピーチは、戦友でないと分からないエピソードや情愛をとつとつと語り、感動的だった」とした。
自民党の田野瀬太道衆院議員は「ただただ涙が止まらなかった。事件当日、病院に駆け付けた時のつらい記憶がよみがえった」と声を詰まらせた。」
統一教会は信者を獲得しその信者の信仰を固めるために、ビデオメッセージを見せ、外界から閉ざされた集会を催して「感動的な」スピーチを聞かせる。昨日の武道館は、さながらカルト集会だった。安倍晋三が政治を私物化した張本人であること、失政を重ねて日本を衰退させ、国民に貧困と格差を持ち込んだことなども伏せられた。あたかも安倍晋三が、民主主義の推進者であるかのごとく語られて、「ただ涙」「感謝」だったのだ。これは、武道館に集まった、愚かな4200人のカルト集会と評するほかはない。
注文の多い旅料理店では、愚かな二人の紳士がだまされ、あわやというところで、犬の吠え声に救われる。4200人のマインドコントロールは、「なんとまあ、あのウソつき晋三に国葬かよ」という一言で解ける体のものといえよう。
岸田首相の駄言への感想
「従一位、大勲位菊花章頸飾、安倍晋三・元内閣総理大臣の国葬儀が執り行われるに当たり、ここに、政府を代表し、謹んで追悼のことばを捧げます。」
(「従一位」「大勲位菊花章頸飾」ってなんだか分からないけど、民主主義社会では恥ずかしくも揶揄の対象にしかならない肩書じゃないの。ホントに真面目に言ってるんだろうか)
「あなたはわが国憲政史上最も長く政権にありましたが、歴史は、その長さよりも、達成した事績によって、あなたを記憶することでしょう。」
(これは、相手を間違えている。正しくは、「歴史は、あなたの反憲法的で反立憲主義・反民主主義的な強権姿勢と、政治の私物化、政治の腐敗、「忖度」という流行語に象徴される官僚への締めつけ、公文書の隠匿・偽造、そして、嘘とゴマカシで日本を貶めた『最悪・最低の首相』として、あなたを記憶することでしょう」)
「あなたが敷いた土台のうえに、持続的で、すべての人が輝く包摂的な日本を、地域を、世界をつくっていくことを誓いとしてここに述べ、追悼の辞といたします。」
(おいおい正気かね。アベ政治を清算し脱皮することで、岸田政権はなんとかもっていたという認識はないのか。こんな風に、アベ政治ベッタリを宣言して、本当に大丈夫なのかね)
菅義偉の歯の浮く弔辞
菅の歯の浮く弔辞は、気恥ずかしくて聞くに耐えない。あの密室のカルト集会であればこそ、あんなことが言えるのだろう。風通しのよい明るい場所で読み直してみての菅本人の感想が聞きたいものである。
安倍晋三と一体となった菅であればこその挑発的な政治発言もあったが、最後の締めくくりには驚いた。そのアナクロニズムにである。そして、外交的なセンスの欠如にも。
「何度でも申し上げます。安倍総理、あなたは、我が国、日本にとっての、真のリーダーでした。
あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。ここまで読んだという、最後のページは、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
かたりあひて 尽しヽ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
深い哀しみと、寂しさを覚えます。」
菅は、安倍を伊藤博文に、自分を山県有朋に喩えたのだ。なんという無神経。なんという不適切。ここで、会場の参列者から大きな拍手が湧いたという。これが、カルト集会の効果なのだ。
伊藤は韓国統監府の初代統監として、文官でありながら韓国に進駐する日本軍の指揮権を握る地位にあった。1905年12月から09年6月までのこと。朝鮮独立を蹂躙する象徴的人物と目されて、2010年3月に志士安重根に銃撃され落命している。伊藤を持ち上げることは、韓国・北朝鮮の国民への配慮を欠いた無神経と言わざるを得ない。両国からの国葬参列者は、いかなる思いであったろうか。
山県有朋も、軍閥・藩閥の長老として、天皇制明治政府に君臨した人物。今の世に懐かしむべき人物像ではない。和歌を引用するのなら、日本の文化には、よりふさわしい挽歌はいくつもある。よりによって、山県有朋とは虫酸が走る。
とは言うものの、なるほどこれが、安倍・菅らの心情なのだと思わせる、貴重なエピソードではある。
(2022年9月27日)
早朝から、むやみにヘリコプターがうるさい。とうとう今日が安倍国葬の日となった。
昨日、情報通の知人から、「進行台本」《故安倍晋三 国葬儀》なるものをメールで送っていただいた。表紙を含む57ページの大部のもの。一読して、恐るべきアナクロニズム。なんともばかばかしくも不愉快きわまる安倍国葬の進行。これが、安倍晋三流なのか、あるいは自民党風なのか。
不愉快の第一は、自衛隊の大きな顔だ。弔砲撃ったり、儀仗兵やら軍楽隊やら、やたらと出番が多い。軍楽隊は、「国の鎮め」やら「悠遠なる皇御国」などという曲目を流す。軍国主義者安倍晋三には似合いかも知れないが、これが国葬なのか。こんなことをさせてよいものだろうか。
不愉快の第二は、皇族連中の大きな顔だ。出たりはいったりの度に、臣下は起立を促される。復古主義者安倍晋三には似合いかも知れないが、これが日本国の国葬なのか。主権在民はどこへ行ったのだ。
不愉快の第三は、安倍晋三の政治姿勢の露骨なねじ曲げと持ち上げである。こんなアナウンスが流れる。
「故人が、『常に闘う政治家でありたい』との揺るぎない信念のもと、国家・国民のためであれば、いかなる批判をも恐れず、ただひたすらに行動してきた、その政治家としての軌跡を、ご遺影へと真っ直ぐに伸びていく生花の道で表現しています」
耳を疑う。「安倍晋三が、激しく国民と闘ってきた」なら、よく分かる。民主主義と闘い、平和主義と闘い、人権尊重原理と闘って、憲法改正を目指していたのが、安倍晋三ではなかったか。まさしく、安倍政治を美化し、安倍の腐敗、安倍の失政に蓋をするための国葬となった。
「安倍政治を許さない」という市民のスローガンは、本日は「安倍国葬を許さない」と書き直された。安倍晋三、死してなお、安倍国葬で民主主義に敵対しているのだ。
本日、私と妻は、昼休みの礫川公園での街頭宣伝活動に参加した。参加者40人、今日は気合いがはいっていた。以下は、妻・政子の気迫十分だったスピーチ。なお、そのあと、2時からの国会前大集会にも参加した。この日この国は、国会前と武道館内との、二つの異なる原理の各集団に引き裂かれた。
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間もなく、午後2時から、安倍元首相の国葬が行われます。私たちは、その国葬に反対するためにここに集まっています。
ここに集まった私たちだけではありません。国葬に反対する国民は、大きく過半数を超え、6割にも7割にも達して、国中に「安倍国葬反対」の声がこだましています。どうして、こんなにも多くの人々が、こんなにも大きく声を上げて反対しているのでしょうか。
あらためて、安倍政治の8年8ヶ月を思い起こし、安倍自民党政治を繰り返してはならない。安倍政治によって壊された日本の民主主義や平和主義を修復しなければならない。そのためには、安倍国葬を許してはならない。そういう思いで、私たちはここに集まり、私はここに立っています。
私たち文京の区民や文京に職場をもつ者は、安倍長期政権が続いた8年あまり、この場所や、近くの本郷三丁目交差点などで、安倍政治の間違いやその危険性について、批判の声を上げ続けてきました。
たとえば、皆さんご記憶のモリ・カケ・サクラです。それだけではなく、黒川検事問題も、河井案里問題も、アキタフーズの増収賄も、カジノ汚職もありました。安倍政権とは、政治を私物化した腐敗政権でした。しかも、安倍晋三という人は、国会で数え切れないほどの嘘をつきました。高潔な公務員赤木俊夫さんは、安倍晋三首相の嘘に辻褄を合わせるための文書の改竄を命じられ、苦しんだ末に自殺にまで追い込まれたのです。安倍首相の嘘の犠牲になったと言って間違いありません。
これから、国葬が行われようとしてる安倍晋三元首相とは、国会で平気で嘘をつき、自分の手は汚すことなくヒラメ官僚に忖度させ、公文書の隠匿・改ざんをさせた人物なのです。
安倍政治は、この上なく無能な政治でもありました。コロナ対策の不備のため今まで亡くなった4万4000人余の方々にお詫びをしても取り返しがつきません。役立たずの「安倍マスク」が無能政治の象徴です。その作成にだけでなく、保管にも、果ては捨てるためにも、大金をかけたことを思い出していただきたいのです。
しかも、政治の私物化にも、無能政治にも、国民にはどれひとつとして納得のいく説明もなくうやむやなままです。安倍元首相の不誠実と無責任は明らかで、とうてい国葬に値する人物ではないことが明確ではありませんか。
また、安倍元首相は、アベノミクスと名付けた経済政策でも大きく失敗し、日本経済を衰退させ、私たち国民に生活苦をもたらしました。大企業はお金を貯め込み、株価は上がって、大金持ちには立派な経済政策でしたが、国民にもたらされたのは、天井知らずの物価高、医療費・教育費の高騰、子供や女性の貧困、災害無策等々数え上げたらキリがありません。とりわけ、非正規の低賃金労働者を大量に生み出して、日本社会に貧困と格差をもたらしました。多くの人の希望を失わせ、絶望の中にたくさんの若者を放り出したのも安倍政治です。そうして社会から疎外されたと感じた若者の一人に、安倍さんご自身が銃撃されたのではないか。私は、そう考えています。
岸田首相が、安倍国葬を行う根拠の一つに掲げている外交についても考えてみましょう。安倍さんは、今や世界一の悪役となったプーチン大統領とは盟友ということでした。安倍さんは、「君と僕とは同じ未来を見ている。ゴールまで二人の力で駆けて駆けて駆け抜けようではありませんか」などと虫唾が走るようなセリフを並べました。それなのにに今年2月にプーチンがウクライナ侵略を始めても、ダンマリを決め込んで一言の苦言も助言もしようとしませんでした。日本には「類は友を呼ぶ」という格言があります。プーチンと手を携えてどこへ行こうというのでしょうか。日本を戦争に引きずり込もうとでも言うのではないのでしょうか。
国際社会はしたたかで計算高いものです。残念ながら弔問外交の目論見は大失敗です。Gセブンの首脳は、一人として、安倍国葬に参加はしないのです。
また、安倍さんの評価を一段と貶めている統一教会問題についても触れなければなりません。岸信介以来三代の安倍家が、統一教会と因縁の強い結びつきがあったことだけでなく、亡くなる直前の安倍さんと統一協会の深い癒着も明らかとなり、さらに、統一教会が自民党を通じて、政治に深く介入していたことが白日のもとに曝け出されようとしています。10月3日から開かれる予定の臨時国会での徹底した質疑で、安倍元首相が、とうてい国葬に値する人物ではなかったと、天下に明らかになるはずです。
最後に、安倍政治の最も許し難いこと、安倍さんが日本を戦争できる国にしてしまったことに触れなければなりません。国家秘密保護法、国家安全保障会議の設置、武器輸出三原則の撤廃、集団的自衛権行使を容認した安保法制の制定など、安倍政治は、民主主義、立憲主義、平和主義を踏みにじって、戦争への道を開く法制度を作り上げました。
法制度を作っただけでなく、安倍さんは軍事費を2倍にする、アメリカと核共有すると大変物騒なことを公言していました。こうした戦争へ続く企みを何とかをして止めようと私たちは安倍政治に反対してきたのです。そんな安倍さんに、弔意も敬意も表明することはできません。国葬なんてとんでもない。
皆さん、今日の安倍国葬の日9月27日を忘れず、再び安倍政治を許さない平和日本を作る再スタートの記念の日にしようではありませんか。
憲法改正をさせない世論を盛り上げ、平和な日本を作り出す決意の日とすることを呼びかけて、私の訴えを終わります。ありがとうございました。