澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「法と民主主義・創立60周年記念号」ご紹介

(2022年1月5日)
 年末に、「法と民主主義」の特別号が発刊された。「創立60周年記念号」である。「創立50周年記念号」以来10年の法律家運動総括号となっている。
 以下に目次を掲載する。絢爛豪華にして殷賑隆盛の壮観とはちとオーバーではあるが、なかなかのものと自讃している。私も、象徴天皇制について寄稿している。手に取ってお読みいただけたら、ありがたい。

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創立60周年記念●激動の10年と新たな展望 ―― 日民協この10年

◆巻頭言・60年、最初の一歩と次の一歩 … 理事長・新倉 修
■巻頭論文・激動の10年の政治史と日本民主法律家協会の役割 … 渡辺 治

■激動の10年の政治史と法律家運動
◆企画にあたって … 編集委員会・前事務局長 米倉洋子
◆原発差止訴訟のこの10年 ── 弁護団の奮闘と判決の推移、そして今後の展望 … 北村 栄
◆公害・環境法における理論(研究者)と実務(弁護士)の協働
── 建設アスベスト訴訟・福島原発事故賠償訴訟を例に … 吉村良一
◆秘密保護法の内容・問題点とその後につながる運動 … 清水雅彦
◆監視社会と戦争する国づくり
── 特定秘密保護法/刑訴法・盗聴法改悪/共謀罪/
   デジタル監視法/土地規制法/内閣情報局 … 海渡雄一
◆戦争法反対・9条改憲阻止運動 ── 激動の10年 … 南 典男
◆機密費・財務省「森友学園」・「桜を見る会」追及とその闇を暴く運動 … 上脇博之
◆象徴天皇をめぐる議論状況この10年 … 澤藤統一郎
◆検察庁法改正反対運動の経緯と教訓 … 島田 広
◆「桜を見る会前夜祭」刑事告発の取組み … 小野寺義象
◆日本学術会議会員任命拒否問題と情報公開請求の取組み … 福田 護
◆原発事故から10 年
── 日民協の取組み、「原発と人権」の活動など … 海部幸造
◆改憲問題対策法律家6団体連絡会の活動 ── 憲法の危機に抗して … 大江京子
◆司法制度研究集会の10年を振り返る … 米倉洋子

■日民協創立の頃の息吹を伝え、60年を振り返る
◆日民協創立に至る迄 思い出すまま … 内藤 功
◆日民協創立の経緯とその「初心」 … 新井 章
◆『法民』とともに … 上条貞夫
◆鈴木安蔵先生の思い出 … 金子 勝
◆断想 野村平爾先生 … 大石 進

■これまでとこれからの日民協に寄せるおもい
―― 歴代理事長・事務局長・本部事務局員と現執行部員から
【理事長】
◆日民協活動の年月 … 久保田 穣
◆安倍改憲策動との闘いの3 年間 … 右崎正博
◆国際の平和と安全を実現する地球的な運動を … 新倉 修
【事務局長】
◆司法反動化に抗して ── 私の事務局長時代 … 鷲野忠雄
◆国際交流を実現した協会活動を振り返って ── 近況報告を兼ねて … 小野寺利孝
◆日本の司法の遅れを取り戻すために ── ドイツの司法の実態を学ぶ … 高見澤昭治
◆事務局長退任の日の「事務局長日記」 … 澤藤統一郎
◆事務局長雑感 ── 刺激をうけ、視野を拡げることのできた6年 … 海部幸造
◆原発、壊憲…未曾有の危機のなかで … 南 典男
◆事務局長時代を振り返って … 米倉洋子
◆「友情」「努力」「勝利」を体感できる日民協へ … 大山勇一
【本部事務局員】
◆京橋から四谷、そして新宿御苑へ … 林 敦子
【執行部員】
◆「手をとり合って」(クイーン) … 戒能通厚
◆インボイス中止のたたかい … 浦野広明
◆司法制度への恒常的問題提起を … 新屋達之
◆多様な「まなざし」 … 佐々木光明
◆土砂降りの日にすること … 永山茂樹
◆裁判官経験者としての活動参加と雑感 … 北澤貞男
◆日民協と法律関係労働組合 … 有村一巳
◆「危機の時代」の法律家の役割 … 飯島滋明
◆継続は力なり、でもそれだけでは不十分 … 辻田 航
◆メディアの変容とジャーナリズム … 丸山重威
◆次の60 年存続・発展のため … 奥津年弘

■日民協の未来を語る座談会
 出席者・辻田 航/大住広太/宮腰直子/飯島滋明/
 大江京子/米倉洋子/南 典男/新倉 修/大山勇一(司会)

■ともに歩んだ皆さんの連帯メッセージ
◆これからも司法の民主化をめざして … 中矢正晴
◆法務省の労働組合として … 西山義治
◆たたかいは続く ── 独立、平和、民主主義、基本的人権をまもるために … 山口真美
◆市民とともに9条をもう一度選び直したい … 小賀坂 徹
◆法律家に課された使命 ── 日本民主法律家協会創立60周年に寄せて … 阿部健太郎
◆働く者の権利擁護と団結の再生のために … 井上幸夫
◆若手会員とともに司法の民主化をめざして … 上野 格
◆共同の闘いで未来を変えよう! … 海渡雄一
◆日本民主法律家協会と日本国際法律家協会という二つの顔で人権活動にかかわって … 清末愛砂
◆「核兵器も戦争もない世界」を目指す取り組み … 森 一恵
◆憲法活かし、悪法阻止のたたかいに手を携えて … 岸田 郁
◆緊迫する情況の中での法律家の役割 … 山岸良太
◆国民審査運動の再生を … 瑞慶覧 淳
◆今こそ、憲法を実践するとき … 菱山南帆子
◆薩長連合のこと … 高田 健

◆とっておきの100枚 彼岸への伝言? … 佐藤むつみ
◆鳥生基金の創設にあたって 鳥生忠佑先生への感謝のことば … 大山勇一
◆改憲動向レポート〈№36(特別編)〉
 壊憲・改憲の危機にある日本と法律家の果たすべき役割 … 飯島滋明
●年表・この6年の日民協のあゆみ(2015.9?2021.11)
●資料・総もくじ(500+501号?562号)
●インフォメーション
 「法と民主主義」バックナンバー検索システムについて

なお、今回は「563・564号」の合併号として、特別の2000円(送料別)。
ご注文は、下記のフォームから。

https://www.jdla.jp/houmin/form.html

今年は、DHCスラップ訴訟の顛末を書物にして刊行したい ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第197弾

(2022年1月4日)
 暮に所用あって上野に一度、銀座に一度外出の機会があった。驚いたのは、そのときの人混み。どこもかしこもマスクをした人々の、密・密・密である。怖じ気づいて、正月三が日はこもりっきりであった。これから来るであろう第6波が恐ろしい。

 それでも、正月である。人並みに、今年の希望や抱負も語らねばならないところだが、さして元気が出ない。弁護士として受任した仕事を、丁寧に誠実にやり遂げること、という当たり前のこと以上にはさしたるものはない。

 強いて抱負らしいものを挙げれば、DHCスラップ訴訟の顛末を書物にして刊行したい。スラップというものの害悪と、この害悪をもたらした者の責任を明確にし、スラップを警戒する世論を高めるとともに、スラップ防止の方策までを考えたい。これは、私の責務である。

 そして、当ブログを書き続ける。来年の3月末で、このブログは連載開始以来満10年となる。2023年3月31日に「自分で祝する、10年間毎日連続更新達成」の表題で記事を掲載するまで多分書き続ける。これは執念である。

 DHC・吉田嘉明以外にも、このブログにはこれまで複数のクレームを経験している。当ブログに市井の庶民からの苦情はあり得ないが、私の批判が目障り耳障りという様々な人はいるのだ。そのためにこそ、このブロクを書き続ける意味はある。

 もっとも、毎回長文に過ぎるという批判を頂戴し続けてきた。今年こそは、短く読み易く、分かり易く、鋭い記事を書きたいもの。

 今年のブログのテーマは、何よりも国会内外における改憲策動と阻止運動の動きが中心とならざるを得ないが、その次には沖縄に注目したい。復帰50年である。そして知事選。辺野古新基地建設継続の可否も正念場となろう。既に、米軍基地からのコロナ感染が話題となっている。その県民の怒りの中での名護市長選が間近である。今年の沖縄には目が離せない。
 
 そして中国である。2月には北京冬季五輪が開催される。ナチス・ドイツ以来の大々的な国威発揚オリンピックとなることだろう。そして、IOCが商業主義の立場からこれに迎合する醜悪な事態となることが予想される。

 今秋には、「中国共産党第20回大会」が開催される。党結成100周年で20回目となる。党規約上5年に1度の党大会だが、文革期には13年も開催されなかったこともあるという。今回の党大会が注目されるのは、習近平独裁体制の確立という点である。

 「18年の憲法改正で、2期10年までとされていた国家主席の任期制限を撤廃。総書記に任期制限はないため、不文律の「68歳定年」さえ破れば、習氏は来年以降も最高指導者の地位を保つことができる。(時事)」というのが、メディアの解説。習はこの大会で、異例の総書記三選を果たすことになるだろうというのが、報じられているところ。この独裁、ブレーキの利かないものになりはしまいか。

 中国共産党政治理論誌「求是」が新年に、昨年11月の習近平演説の内容を明らかにした。習は、1989年の天安門事件について「深刻な政治的動乱に対する断固たる措置で党と国家の生死と存亡がかかる戦いに勝利した」と評価し、天安門事件を朝鮮戦争と同じ国家の危機だったとして事態を収拾できなければ「中華民族の偉大な復興の過程も絶たれていた」とまで述べたという。

 この演説は天安門上から、広場の群衆を見下ろす形で行われた。30年前に、民主化を求める多くの人々が犠牲になった場所である。そこで、習は民主主義を求める民衆への弾圧を「戦いに勝利」と言ったのだ。「戦い」の相手は丸腰だ。武器を持たない、市民と学生。これに銃を向け発砲したことを、「やむを得なかった」「忸怩たる思い」「胸が痛む」と言わずに、「戦いの偉大な成果」としてあらためて誇った。

 偉大な党の統制に服さない市民には同様に銃を向けるという宣言以外のなにものでもない。恐るべき大国の恐るべき指導者による、恐るべき姿勢。これが、当分続くことになるのだ。

1月7日「改憲NO!文京アクション 新春学習会」 講師は澤藤大河

(2022年1月3日)
 2022年の年開けは、少しも目出度くない。寒さが厳しいだけではない。思いがけなくも憲法をめぐる状況についての厳しさも痛感せざるを得ない。

 邪悪な改憲勢力の首魁(実は単なる無能)の安倍晋三をようやく政権の座から、引きずり下ろし、「これでしばらくは憲法の安泰期」と思っていたら、何としたことだ。ハトかに見えた岸田が、俄然タカの様相である。

 岸田は、総理大臣としての年頭所感でこう語った。「自由民主党結党以来の党是である、憲法改正も、本年の大きなテーマです。国会での論戦を深めるとともに、国民的な議論を喚起していきます」と。言わずもがなのことを、わざわざと。

 これが岸田の本心であるか否かを穿鑿するのは意味のないこと。自民党内の力学が、「改憲の好機到来」と認識して動き出しているのだ。「好機」をもたらしたのは、総選挙における反共野党勢力の跳梁である。とりわけ、維新の罪が深い。そして、《「安倍改憲」には反対だったが、「安倍抜き改憲」なら議論を始めてもよいのでは》というグループも、である。

 そのような情勢のさなかに、「コロナ禍と緊急条項」というテーマが浮上しつつある。12月31日の時事配信記事が「改憲勢力に勢い 緊急事態条項で進展目指す―立民苦慮、狭まる包囲網」という刺激的なもの。その中で、緊急事態条項に触れて、こう報じている。

 自民党は1月召集の通常国会で、国会議員任期の特例延長など緊急事態条項の創設を軸に改憲議論を進展させたい考えだ。新型コロナウイルス禍を踏まえて、世論の理解が得られやすいと判断しているためだ。

 10月の衆院選で、憲法改正に前向きな日本維新の会と国民民主党が議席を増やしたことも追い風とみている。「改憲ありきの議論」と一線を画す立憲民主党が対応に苦慮する場面が増えそうだ。

 緊急事態条項は、大地震などの大規模災害時に国会議員の任期を特例で延長することや、国会承認がなくても政府の政令を認める内容。公明党は「緊急事態で国会機能をいかに維持していくかという論点からの論議が必要だ」(北側一雄中央幹事会長)と、議員任期の延長に理解を示す。
 国民民主党幹部は「議員任期の延長特例は地方議会では既に認められている」と指摘。日本維新の会も前向きで、野党側からも一定の賛成が見通せる状況だ。

 以下は、この件に関する、私の地元文京での学習会のお知らせ。

改憲NO!文京アクション 
新春学習会

憲法第9条と緊急事態条項、
改悪するとどうなる?

参加無料
日時 2022年1月7日(金)18 :30?
場所 文京区民センター2A(文京区本郷4丁目15-14)
   最寄り駅:東京メトロ丸ノ内線後楽園駅

講師 澤藤 大河 弁護士(東大卒2016年弁護士登録)

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「憲法改悪を許さない全国署名」にご協力願います。
 岸田政権は、2021年10月の総選挙で、改憲発議に必要な3分の2の議席を手に入れました。中国や朝鮮を念頭に「敵基地攻撃能力の保有」を国会で表明し、そのため現在6兆円の防衛費2倍(GDP比2%)を主張しています。米国はじめ欧米諸国と軍事同盟を強化し「戦争する国」づくりを進め、アジアの緊張を高めています。改憲派は、参議院選挙をにらみながら9条に自衛隊を書き込むことと、緊急事態条項の創設を狙っています。
私たちは、自民党の改憲発議を許すことなく、憲法9条をはじめとし、今の日本国憲法で国民のいのちと暮らしを守る政治を求めていきます。

改憲NO!文京アクション事務局
文京区小石川2?21?8 (文京区労協新事務所)
電話 03-3815-1558 FAX 03-3813-6006

うなじ垂れ失意に深く沈む子にことばもなくて熱き茶いるる

(2022年1月2日)
 本日は、母のことを語りたい。そして、母方の祖父のことも。
 母・澤藤光子(旧姓赤羽、戸籍名ミツ子)は、1915年7月2日の生まれで1998年1月11日に没している。父にやや遅れて生まれ、父と結婚して4人の子を育て、父を看取って間もなく生を終えたことになる。

 生前歌作をしていたはずだが、散逸してのことか遺された歌は意外に少ない。その中に次の歌があることを知った。いつの作品か、誰のことを詠ったのかは定かでない。

  うなじ垂れ失意に深く沈む子にことばもなくて熱き茶いるる

 この「失意に沈む子」は、私かも知れない。私は、1962年3月に東大を受験して不合格となった。合格の自信はあり、自分に挫折あろうことなど考えてもいなかっただけに、確かに失意は深かった。このとき地球が自分を中心に回っているのではないことを知った。

 不合格の報を受けたときの記憶は定かでないが、母は私の「失意」を見ていたはず。この歌はいかにも母らしいと思う。今にして、母が4人の子に、ことあるごとに「ことばもなくて熱き茶いるる」を繰り返していただろうと思い当たる。

 またもしかしたら、この「失意に沈む子」は、次弟の明かも知れない。明は、1966年3月に京大を受験して不合格となっている。私よりも繊細な弟の方が、この歌の情景にふさわしいかも知れない。

 幸い、私も明も不合格の翌年には合格している。また、末弟の盛光は69年に京大に合格しているが、3人の子の合格を喜ぶ歌は残されていない。「深く失意に沈む子」に寄り添う歌が母にはふさわしいように思える。

 ところで、「大正生れの歌」には、女性版がある。

 ☆大正生れのわたし達 すべて戦争(いくさ)の青春で
  恋も自由もないままに 銃後の守りまかされた
  終戦迎えたその時は たのみの伴侶は帰らずに
  淋しかったわ ねぇあなた

 ☆大正生れのわたし達 再建日本の女房役
  姑に仕え子育てと ただがむしゃらに三十年
  泣きも笑いも出つくして やっと振り向きゃ白い髪
  それでもやらなきゃ ねぇあなた

 ☆大正生れのわたし達 可愛い孫のお守り役
  いまでは嫁も強くなり それでも引かれぬことがある
  休んじゃおれない ねぇあなた
  しっかりやりましょ ねぇあなた

 必ずしも母のイメージとは重ならないが、夫を戦争にとられ、戦後の混乱と貧しさの中での子育てに苦労したのは、この歌のとおりだ。私は幼いころ、母から「戦争は嫌だ」「あんな思いは二度としたくない」と繰り返し聞かされた。

 そして、父が軍隊生活を懐かしんで話すのによい顔をしなかった。子どもたちが、どうしてみんな戦争に反対しなかったの? と聞くと、「反対できるような世の中ではなかった」「しょうがなかったんだよ」と悲しそうに呟いていた。

父が遺した歌に、
 妻と子が日ごと詣でし氏神に無事の帰還を礼申しける
 農家より米もらうとて箪笥開け妻は晴着の幾枚を出す

などがある。母は、戦時中も戦後も苦労させられたわけだ。

 母光子の父、つまり私の母方の祖父は赤羽幹と言った。盛岡に根付いた人だったが、晩年、光子を訪ねて大阪府下の富田林に来て1週間ほどを過ごしたことがある。そのとき私は中学生だったが、初めて明治生まれの人と忌憚なく話し込むという経験をした。祖父と孫との会話である。一人前に扱われたこともあり、私にとっても楽しいものだった。祖父も楽しそうによく話を聞いてくれた。

 きっかけは忘れたが、天皇が話題となって雰囲気が変わった。私は、遠慮することなく、しゃべった。子どもの頃、私は口が達者だった。
 私は天皇(裕仁)のことを「あの猫背のオッサン」と呼んだ。「あのオッサンが日本のみんなを騙して戦争を始めた」「騙された日本人が、戦争に巻き込まれてたくさん死んだ」「原爆落とされて死んだ可哀想な人もいっぱいいる」「それなのに、あのオッサンは自分だけ生き延びたずるいヤツだ」「どうしてまた今、エラそうな顔をしていられるのか」としゃべった。

 すると、思いがけないことが起こった。黙って聞いていた祖父の目に涙が溜まっているのだ。そして、圧し殺すような声で「今の日本人が生きておられるのは天皇陛下のお蔭だ」「天皇陛下がいなければ、敗戦のとき日本人は皆殺しだった」と言った。私には、印象的な衝撃的な体験だった。それ以上言い募ることはせず黙った。

 母はその顛末を知っていたはずだが、何も言わなかった。その後1年を経ずして、祖父の訃報が母に届いた。私は、あのときの居心地の悪さを抱えたまま今日に至っている。  

「五黄の寅の元日生れ」であった、私の父。

(2022年1月1日)
 2022年、「五黄の寅」年の元日である。私の父・澤藤盛祐(1914年1月1日生?1997年8月16日没)のことを語りたい。父は、「五黄の寅の元日生れ」である。

 「五黄の寅」も「元日生れ」も誇るべきほどのことでもなさそうだが、父は「だから、自分は最も強い運気に恵まれている」と言っていた。もっとも、その生涯は必ずしも運気に恵まれたものではなかったようだ。

 元号でいえば大正3年の生まれ。父は、その時代の空気の中で、「お国のために」真面目に生きようとした庶民の一人であった。「大正生まれの歌」というものがある。小林朗 作詞・大野正雄 作曲でレコードも出ているそうだが、おそらくは多くの替え歌バージョンがあるのだろう。いくつか目に留まった歌詞が下記のとおりで、なんともうら悲しい世代の歌である。「五黄の寅」よりは、こちらの方が父にピッタリのように思えてならない。いかにも運気隆盛ではない。

 ☆大正生まれの俺達は
  明治の親父に育てられ
  忠君愛国そのままに
  お国の為に働いて
  みんなの為に死んでゆきゃ
  日本男子の本懐と
  覚悟は決めていた なぁお前

 ☆大正生まれの青春は
  すべて戦争(いくさ)のただ中で
  戦い毎の尖兵は みな大正の俺達だ
  終戦迎えたその時は 西に東に駆けまわり
  苦しかったぞ なぁお前

 ☆大正生まれの俺達は
  明治と昭和にはさまれて
  いくさに征って 損をして
  敗けて帰れば 職もなく
  軍国主義者と指さされ
  日本男児の男泣き
  腹が立ったぜ なあお前

 ☆大正生まれの俺達は
  祖国の復興なしとげて
  やっと平和な鐘の音
  今じゃ世界の日本と
  胸を張ったら 後輩が
  大正生まれは 用済みと
  バカにしてるぜ なあお前

 父は岩手県黒沢尻(現北上市)の生まれ。小学校6年を飛び級し旧制黒沢尻中学を受験して合格、同校の第2期生となっている。子どもの頃は秀才だったのだろう。卒業後は上級学校への進学を望んだが生家が零落して希望は叶わず、「株屋」に就職している。その樺太支店に勤務し、支店長も務めたというが、勤務先の株屋が破産。どうも「運気」旺盛とはいいがたい。

 その後、中学時代の教師の伝手で盛岡市役所に職を得、商工会議所設立の準備をするが、召集令状が届いてこれも中断する。

 父が残したメモによると陸軍に応召が2度、海軍にも徴用されている。
  第1回招集 3年7か月
  帰郷     10か月
  海軍徴用    9か月
  第2回招集 1年3か月

 第1回の招集は1939年5月のこと。弘前の聯隊からソ満国境の愛琿(アイグン)の守備隊に配属された。地平線から昇る満州の仲秋の名月を2度見ている。除隊になってから長子である私が生まれたが、その直後に横須賀海軍工廠造兵部に徴用されている。そして、第2回の招集で横須賀から弘前に直行して青森の小さな部落で終戦を迎えたようだ。

 これも父のメモである。「軍隊生活とは」とされており、「戦争とは何であったか」という問にはなっていない。
 「軍隊生活とは、私にとってなんであったろうか。
  まったく聖戦だと思っていたし、
  実弾の下をくぐったこともなく、
  白刃をふるったこともなく、
  演習につぐ演習。
  辛くはあったが、軍隊を地獄と思ったことはない。
 身体を鍛えてもらっただけでも、
 私は恵まれた星の下において頂けたのだと思う。」

 父は実戦の惨劇に遭遇することはなく、現地の人々に危害を加えることも加えられることもなく、郷土部隊の中で居心地悪からぬ軍隊生活を送ったようなのだ。兵から軍曹になり、最後は曹長になった父の軍隊内の地位も影響しているのだろう。

 生年月日で決まった父の運気は、戦争には駆り出されたが戦闘を経験することはなく生き延び、戦後は穏やかに過ごすことに費やされたのかも知れない。

 戦後父は、思うところあって、宗教団体「PL教団」の布教師となり、生涯を教団に捧げた。晩年、「教えと出会えたことが人生最大の幸運」「教えに人生を捧げたことに一点の悔いもない」と言っていた。

 父は自らの意思で教団に飛び込んだが、私は宿命として教団の中で育った。教団が経営する私立高校を卒業後、教団を離れて自立し上京して進学したいという私の希望を父は、受け入れた。

 進学先は、国立大学しか考えられなかったが、それでも清貧を余儀なくされている父の経済状態では仕送りなどは望むべくもなかった。私は、高校在学中に幾つかの奨学金受給の申請をし合格した。そのとき、学校からの手続への協力が必要だったが、必ずしも学校(教団)は協力的ではなかった。籠から鳥が飛び立つことを歓迎しなかったのだ。

 そのとき、父は敢然と学校に抗議をしてくれた。おそらく、父のたった一度の教団への反抗であったろう。私は、そのお蔭で大学に進学し、奨学金とアルバイトで学生生活を送った。仕送りを受けたことはないが、父には感謝している。

 あのとき父は多くを語らなかったが、進学を断たれた自分の無念の思いを反芻していたのだろう。「五黄の寅の元日生れ」の運気は、長男の私には御利益をもたらしたのだ。

 遺された子どもたちも高齢になった。今年こそは生前の父の追悼歌集を作ろうと企画している。もとは次弟の明が発案し、資料を集めて選歌もし版組までの作業をしていたのだが、昨夏急逝した。替わって末弟の盛光が編集をしている。

 その盛光の提案で、歌集の題名は「草笛」となった。歌集の冒頭に掲載の第一句からの命名である。
 
  校庭の桜の若き葉をつまみ草笛吹きし少年のころ

 中学生であった父は、校庭で草笛を吹きながら自分の将来やこの社会の行く末をどのように考えていたのだろうか。

ああ、香港。ああ、新疆。嗚呼、「中国的民主」。そして、ああ日本。

(2021年12月31日)
 2021年が暮れていく。その歳の境目で考える。いったい、世界は進歩しているのだろうか。実は、恐ろしく退歩してしまったのではないだろうか。ロシアはウクライナの国境に10万の軍を集結して一触即発と伝えられている。クーデターを起こしたミャンマー国軍の蛮行は止まるところを知らない。そして香港である。本日も、香港行政当局が民主的新聞社を襲撃し、幹部7人を逮捕したというニュースが流れている。逮捕状は、山梨大学の教員にも出されているという。

 【香港・時事】によれば、香港警察の国家安全維持部門は29日、200人以上を動員して「立場新聞」のオフィスを捜索し、当局は関連資産6100万香港ドル(約9億円)を凍結した。同紙は同日、廃刊を発表した。

 これ以上はない典型的な、権力による言論弾圧というほかはない。容疑は「扇動的な出版物発行の共謀」と報じられている。警察は、逮捕理由を「2020年7月から今年11月、香港政府や司法への憎しみを引き起こす文章を発表した」と説明したという。

 同紙が、政府の転覆を企てたというわけではなく、虚偽の報道をしたというわけでもない。「香港政府や司法への批判」は、中国共産党にとっては「憎しみを引き起こす文章の発表」として許容し得ないのだ。これが「中国的民主」である。さすが習近平、焚書坑儒の故事に倣ったのだ。我が身を秦の始皇帝になぞらえてのこと。

 あらためて思う。「人はパンのみにて生くるものに非ず」という箴言を。
 中国共産党は「小康社会を実現したその成果を見よ」「人民は自由も民主も望んでいない。その望むところはパンであり、経済的な利益への均霑である。中国共産党は十分にこれに応えた」と胸を張っているのだ。

 しかし、これは14億の民を家畜かペットと勘違いしているのではないか。人にはそれぞれの尊厳があり、精神生活が不可欠である。人が人である以上、自分で選択した情報を得ることも、その情報に基づいて意見を述べることも、そして支配されているだけでなく能動的に政治参加することも基本的な欲求なのだ。おそらくは習政権、かならずこのことを思い知ることになるだろう。それがいつであるか、具体的に指摘できないことが歯がゆい。

 国内はどうだろうか。安倍壊憲政治の後遺症は余りに大きい。モリ・カケ・サクラ・クロカワイ、そして学術会議である。何一つ本当何が起こったのか明らかになっていない。尻尾は切って、トカゲのアタマは何の責任もとろうとしない。このようなときに、「野党は批判ばかり」という安倍応援団のバッシング。国民は民主主義社会の主権者としての未成熟を露呈した。新しい年も、おそらくは変わり映えしない状況が続くことになるのだろう。元気の出ない、さして目出度くもない正月になりそうだ。

 このブログは、今年も毎日欠かさず365日書き続けた。出来のよいのばかりではないが、とにもかくにも2013年4月1日以来の連続更新は本日で3197回となった。明日から、足かけ10年目に入ることになる。引き続きのご愛読をどうぞよろしく。

 そしてみなさま、よいお歳をお迎えください。加えて、人権にも民主主義にも、平和にも、よい歳でありますように。

「戦死の賛美は戦争の正当化につながる」

(2021年12月30日)
 以下、管原龍憲さん(浄土真宗本願寺派僧侶)のフェスブック記事からの引用である。紹介に値する一文であると思う。

 「仏教教団の多くが戦時中、戦没者に「軍人院号」という特別な称号を与え、顕彰したことはあまり知られていない。真宗大谷派の門徒である西山誠一さんは父の戦死から半世紀を経て、院号を教団へ返還することを願い出た。「戦死の賛美は戦争の正当化につながる」という信念からだ。
 真宗大谷派、本願寺派教団は近代以降、戦時奉公を統括する部署を設け、さまざまな側面より戦争協力を行ってきた。そのような戦争協力の一環としてあったのが「軍人院号」であった。「国のためといえども宗派として侵略戦争をたたえてよいのか」。西山さんは2001年に父親の院号法名を教団に返還し、法名のみ再交付するよう願い出て翌年認められた。真宗大谷派では初のケースで、返還当時の宗務総長は「戦争責任の検証が不徹底だった」と表明した。現在も同派では、住職を目指す僧侶が使う教材に問題の経緯を詳しく記載し、戦争協力の一断面として伝えている。
 西山さんは院号を返還した後も、父が祀られている靖国神社への合祀取り消し請求訴訟に参加し、「仏教と戦争」の問題を問い続けている。」

 私(澤藤)は、決して墓地巡りを趣味にしているわけではない。が、時折墓地で墓石を見詰め、見知らぬ人の生と死に思いをめぐらすことがある。墓石には、俗名が彫ってあることも、戒名や法名が書いてあることもある。ときに戒名の上に院号というものが付いている。「平和院 反戦居士」「立憲院 人権大姉」というが如くにである。

 院号を得るには相当の喜捨を必要とするというのが俗世の常識。墓石の大小や院号の有無で、人は死後も格差に晒され続けることになる。遺族は死者が肩身の狭い思いを続けることのなきよう、喜捨をはずむことになるのだ。

 この貴重な院号が、戦没者には無償で提供されていたという。特定の宗派に限ったものではなく、仏教教団の多くが「軍人院号」を付与したというのだ。私はその実物を見たことがないが、「忠節院」「武勇院」「尽忠院」「報国院」などと言うものであったろうか。

 靖国に合祀された戦死者の多くは、故郷の寺院の檀家の子弟であったろう。国家からは神に祀られ、地域の仏門からは格式の高い「院」とされたのだ。国民総動員体制における戦死者(遺族)への厚遇である。

 このような宗教による戦死者の慰霊ないしは追悼・供養には、当然に世俗的な意図があった。言わずもがなではあるが、靖国とは、天皇の神社であり、軍国神社であり、侵略軍の神社であった。戦死者を天皇への忠誠故に「英霊」として顕彰し、戦死者を顕彰することによって、戦争を美化するとともに、戦死を厭わない将兵の戦意を高揚したのだ。諸宗教の多くは、国策に迎合することで、その身の安泰をはかった。教義は天皇神話や靖国に沿うべく修正もされた。これを肯んじなかった「まつろわぬ」宗教は、徹底して弾圧された。

 管原さんが紹介する西山さんの言葉、「戦死の賛美は戦争の正当化につながる」は至言である。戦争賛美の装置の中心に靖国があったが、この装置は、教育やメディアや、靖国以外の宗教や、地域共同体との連携において、その本来の役割を発揮した。

 そして今なお、戦死の美化を通じての軍国イデオロギー鼓吹をたくらむ勢力があとを絶たない。まずは、極右の安倍晋三。そして賑々しく靖国参拝を重ねようという右翼議員の面々。

 無数の西山誠一さんの活躍に希望を見出したい。 

今年も暮れに被告発人安倍晋三を不起訴処分とする通知

(2021年12月29日)
 午過ぎに、伊藤文規という差出人からの簡易書留郵便を受領した。「ハテ、伊藤文規さん、お名前に覚えのあるようなないような」。封を切ってみると、東京地検特捜部からの処分通知書。下記のとおりのなんとも味気なく、つまらない文面。検察審査会の議決に基づいて捜査をしてはみたが、またまた安倍晋三を不起訴にしたというだけのこと。

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東京都文京区×××
 澤藤 統一郎 殿

処 分 通 知 書

令和3年12月28日

東京地方検察庁        
検察官検事  伊 藤 文 規


 貴殿から令和2年5月7日付け及び同年12月22日付けで告発のあった次の被疑事件は,再検査の結果,下記のとおり処分したので通知します。

1 披 疑 者  (1) 安倍晋三
         (2) 配川博之
         (3) 西山 猛
2 罪名 (1),(2)につき,公職選挙法違反
     (1),(3)につき,政治資金規正法違反
3 事件番号 (1) 令和3年検第18083号
       (2) 同      18084号
       (3) 同      18085号
4 処分年月日  令和3年12月28日
5 処分区分  不起訴

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 被告発人安倍晋三が告発の標的。主敵であり、巨悪でもある。あとの二人は、脇役であり、小悪である。配川博之は安倍晋三の公設第1秘書。安倍晋三とともに政治資金規正法違反で告発されたが、配川のみが略式起訴となり政治資金規正法違反(収支報告書不記載)罪で100万円の罰金刑に処せられて納付した。が、尻尾を切った安倍は、しぶとく起訴を免れた。

 また、西山猛は、安倍晋三の資金管理団体である晋和会の会計責任者。安倍晋三が主催した「桜を見る会」前夜祭の経費の支払いは、晋和会の名義でなされていた。にもかかわらず、その経費は安倍晋三後援会も晋和会も収支報告書に届けていない。そして、このことを指摘されるや、明らかに辻褄の合わない操作をして報告書を訂正したのだ。みっともない、汚い、安倍晋三のやり方。これでも、またまたの不起訴だという。

 この通知には、既視感がある。私の昨年末のブログをたどってみる。年末になると検察が安倍告発に、幕引きしようとするのだ。安倍こそ、国政私物化の権化、民主主義の敵、改憲の尖兵。安倍を倒さでおくべきや。検察は、その安倍を最も打撃の少ない時期を見計らって、処分しようとする。検察の矜持と威信はどこに行った。

2020年12月19日 「安倍晋三年内不起訴へ」の報道には、とうてい納得し得ない。
2020年12月21日 「桜・前夜祭収支疑惑」で、安倍晋三を第2次告発
2020年12月23日 「秘書がやったこと」という弁明を許さない
2020年12月26日 「安倍晋三告発に対する処分通知書」

下記のような記事もある。
2021年7月31日 「検察はその威信をかけて、安倍晋三を徹底捜査し起訴せよ ー 国民世論は安倍晋三不起訴に納得していない。」
2021年3月19日 「桜を見る度に思い起こそう。そして語り継ごう。桜を見る会を私物化した、とんでもない首相がいたことを。」

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昨日、「桜を見る会」を追及する法律家の会が、以下のとおりの緊急声明を発表した。

2021年12月28日

「桜を見る会」を追及する法律家の会
事務局長 弁護士 小野寺 義 象 
世話人  弁護士 米 倉 洋 子 
世話人  弁護士 泉 澤   章

               外

 私たち「『桜を見る会』を追及する法律家の会」(以下「法律家の会」という)は、本日、東京地検特捜部が、安倍晋三元首相らを再び不起訴処分にしたことについて、下記の声明を発表する。

1 法律家の会は、安倍元首相がその在任中、「桜を見る会」の前夜祭を都内一流ホテルで催した際、参加した後援会員らに対して公職選挙法で禁止されている寄附行為を行ない、その収支について政治資金規正法所定の収支報告をしなかったことは、明白な犯罪行為であるとして、2020年5月21日、東京地検特捜部に第1次刑事告発を行った。この告発は、過去に例を見ない977名もの法律家による大規模告発となった。さらに、法律家の会は、同年12月21日、検察の捜査によって新たに判明した安倍元首相が代表である資金管理団体「晋和会」の補填金の関与を追及するため、第2次告発を行った。

しかし、これらの告発に対して東京地検特捜部は、同年12月24日、後援会責任者1名を政治資金規正法収支報告不記載罪で略式起訴するのみで、安倍元首相については不起訴処分とした

  そこで、法律家の会は、この不起訴処分を不服として、21年2月2日、東京検察審査会に審査申出を行い、これを受けて、同年7月15日、東京第一検察審査会は、安倍元首相らを「不起訴不当」とする議決を行った。法律家の会は、この議決後の同年8月27日、後援会による収支報告書訂正もつじつま合わせの虚偽記載であるとして、第3次刑事告発を行った。

 今回の東京地検特捜部による不起訴処分は、東京第一検察審査会による上記「不起訴不当」の議決と、第3次告発に対してなされたものである。

2 昨年末の12月24日になされた東京地検特捜部による安倍元首相の不起訴処分は、首相(当時)の違法行為への関与という重大な問題に踏み込むことなく、問題を矮小化して幕引きしようとした政治的な判断であり、安倍元首相も、これで政治生命の危機は乗り切れたと考えたに違いない。

しかし、東京第一検察審査会は、検察の幕引きを容認しなかった。

東京第一検察審査会は、安倍元首相の公職選挙法違反(寄附)及び政治資金規正法違反(晋和会会計責任者に対する選任監督責任)について不起訴は不当とし、さらに、晋和会会計責任者の政治資金規正法(収支報告不記載)についても、不起訴は不当と議決した。

議決は、「総理大臣であった者が、秘書がやったことだと言って関知しない姿勢は国民感情として納得できない。国民の代表である自覚を持ち、清廉潔癖な政治活動を行い、疑義が生じた際には、きちんと説明責任を果たすべきである。」と、安倍元首相の政治家としての資質の欠如を痛烈に批判した。

また、前夜祭参加者の寄附の認識について「寄附の成否は個々に判断されるべきであり、一部の参加者の供述をもって参加者全体の認識の目安をつけるのは不十分である。単純に提供された飲食物の内容だけで認識を判断するのは相当でない。」とした。

さらに、安倍元首相の犯意について、「秘書らと安倍の供述だけでなく、メール等の客観的資料も入手した上で、安倍の犯意の有無を判断すべきである。」とし、晋和会の収支報告不記載については、「前夜祭開催に西山は主体的、実質的に関与していた。領収書は、一般的には宛名に記載された者(晋和会)が領収書記載の金額(前夜祭の不足分)を支払ったことの証憑とされ、宛名となっていない者が支払ったという場合は、積極的な説明や資料提出を求めるべきであり、十分な捜査が尽くされていない。」と、検察捜査の生ぬるさを具体的に指摘して厳しく批判した。

このような議決に基づいて再捜査をするのであれば、東京地検特捜部は、捜査対象者を拡大したうえで事情聴取を継続し、さらに強制捜査を実施してメール等の客観的資料の検討を徹底して行うなどの捜査を遂げる必要があった。しかし、議決後、東京地検特捜部が、強制捜査を含む大規模かつ徹底的な捜査を行ったなどという情報に接したことはない。今回の東京地検特捜部による不起訴処分は、おざなりな再捜査による結果と言わざるを得ない。

3 さらに、第3次告発は、安倍元首相の秘書を略式起訴する際に「訂正」された後援会の収集報告書の虚偽性を突くものであり、違法な寄付金の原資がどこから来たのかに関わる重要な告発である。収支報告書の「訂正」がつじつま合わせの虚偽記載であることが明白である以上、不起訴処分が妥当であるとは到底言い難い。森友学園問題の国賠訴訟で被告となった国は、本年12月15日に、請求を「認諾」することで訴訟を強制的に終了させ、真相を闇に葬ろうとして、世論の強い批判を浴びている。本日の東京地検特捜部による不起訴処分も、政権を忖度して真相究明に蓋をするものであり、検察の存在価値自体が厳しく問われることになる。

4 今回の東京地検特捜部の不起訴処分により、第1次・第2告発は終了したが、第3次告発については、今後、東京検察審査会への審査申し出をする予定である。

私たち法律家は、わが国で法の支配が徹底され、「桜を見る会」と前夜祭問題における法的責任の所在が明確になるまで、これからも追及の手を緩めることはない。
以上

「命」こそが尊く、「戦死」が尊いわけはない。兵の死を美化する国家の策謀に乗せられてはならない。

(2021年12月28日)
 菅原龍憲という方がいる。浄土真宗本願寺派の僧侶で、政教分離や靖国問題に関心を持つ人たちの間では著名な存在。右顧左眄することのない、その発言の歯切れの良さが魅力である。公開されているFacebookに、下記の言葉が躍っている。

 「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」というのが戦没者を顕彰する常套文句だ。一方では「尊い犠牲のうえに、生み出された憲法九条を踏みにじるな」という。どっちむいても「尊い犠牲者」ばかりで被害者はいない。被害者がいなければ当然加害者もいない。おーーい

 私は戦死者たちを「犠牲者」と呼ぶことにはどうしても違和感をおぼえてしまう。加害、被害が明確にならない。靖国神社に祀られているのは「尊い犠牲者」ばかりだ。被害者は誰ひとりとしていない。だから当然のように加害者もいない。

 1985年8月のこの日―どうしても私の胸をよぎるのは、中曽根康弘が閣僚たちを引き連れて、威風堂々と靖国神社を公式参拝したときのことだ。神社の白洲で拍手と歓声をもって彼らを迎え入れた遺族たちの姿が忘れられない。とても切なく哀しい光景として胸の底にとどまっている。

 「あのおばさん、亡くなって何年になるかね?」「ええっ!?」突拍子もなく妻が言いだした。
わたしが靖国訴訟を起こしたときを境に、パタッとお寺に来なくなった門徒のおばさんのことだ。母の代から何十年と、なにをさておいてもお寺に駆けつけてくれた、お寺の主のようなひとだった。
「あのときが、一番辛かったね?」妻がポツンとつぶやいた。おばさんも戦没者遺族であった。

 今もっとも危機にさらされているのは「平和に生きる権利(平和的生存権)」(憲法前文)である。それは殺されないだけでなく、殺さない権利、日本人が被害者になるだけでなく、再び加害者にならないとする権利である。

 まったく同感である。管原さんの言葉に深く共鳴する。深く共鳴しながらも、多少付言せざるを得ない。

 もう40年も以前こと、私が盛岡地裁に提出する予定の《岩手靖国違憲訴訟・玉串料訴訟》訴状案文をつくったとき、原告や支援者から思いがけない「反論」に接して戸惑った経験がある。「こんなに露骨に戦死を無意味とする書き方では遺族を敵にまわすことになる」「それは、情において忍びないだけでなく、運動上もマイナスではないか」という強い反発だった。

 もちろん、その反対論もあった。私にはこちらの方がしっくりする。「戦死の美化をそのままにしていては、戦争の絶対悪を語ることができない」「戦争国家の思惑で作り出された《英霊》観を払拭しなければ、再びの《英霊》をつくることになる」「結局のところ戦死は犬死である。そのことを徹底して明確にしなければ、天皇制国家の罪業を明らかにすることはできない」というものだった。

 これに対して、「戦没者遺族の感情への配慮を抜きにして、平和運動はなり立たない」「孤立したら結局負けになる」という反論がなされた。

 私は、「戦死=犬死」とまでは言い切れなかったが、戦争を糾弾し、再びの戦争を防止するには、侵略戦争が国の内外に強いた死の無意味さの認識が出発点だと思っていた。「戦死が貴い」ことはあり得ず「命」こそが貴い。戦争は「貴い命を無意味に奪った」のだ。これを「犬死」といっても間違いではなかろうが、この言葉を聞かされる戦没者遺族には、つらいものがあろう。戦没者の生前の存在自体が貶められる思いを拭えないだろうから。兵士の死をどう評価し、どう表現すべきか、難しいと思った。

 どんな死も掛け替えのない尊い命の喪失なのだから、遺族にとって無念このうえなく辛いことである。いかなる立場からにせよその死を意義あるものとして国家や社会が遇してくれれば、幾分とも気持ちは慰藉される。その微妙な気持ちに泥を塗るごとき「戦死=犬死」論が遺族の耳にはいるのは困難である。しかし、その死を「徹底して無意味な強いられた死」と見つめ、再びの戦争を繰り返さず、再びの戦死者を出してはならないとする国民意識の出発点とすることができれば、その死は新たな意義を獲得する。「無意味な兵士の死」は、その死の悲惨さ無意味さを見つめるところから新たな意味を獲得するというべきではないか。

 「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」という言いまわしは、眉に唾して聞かなければならない。この一文、意味の上で「尊い」は、「命」ではなく「お国」と「犠牲」に掛かるのだ。だから、「尊いお国のために戦い、本来は尊くもない命をお国のために犠牲にされたその死にゆえに尊いご英霊」ということであろう。端的に言えば、尊いのは兵士の「命」ではなく、その「死」だというのだ。

 これに対して、「尊い犠牲のうえに、生み出された憲法九条を踏みにじるな」というときの「尊い」は、文意の上では「命」にかかっている。貴い命が死を余儀なくされたことを「犠牲」と言っている。だから、この一文は、「尊い命を無意味に失わしめられた悲惨な犠牲を繰り返してはならない。その思いから生み出された憲法九条を踏みにじってはならない」と言っていると理解しなければならない。
 だから、私には「どっちむいても「尊い犠牲者」ばかり 」と、靖国派と九条派を同列に、どっちもどっちだと言ってはならないと思える。

 管原は言う。「尊い犠牲者」ばかりで被害者はいない。被害者がいなければ当然加害者もいない。おーーい。

 誰が加害者か。遠慮せずに指摘しなければならない。当然のことながら、まずは天皇(裕仁)である。そして、制度とイデオロギーの両面で天皇制を支えた政府であり軍部であり、産業界である。それに加担した教育者・マスコミ・文学者・科学者・宗教者、そして町々の小さな権力であったろう。

 最大の教訓は、国民の精神を支配する道具として、この上なく有効だった天皇という存在の危険性である。天皇にいささかの権限も権威も与えてはならない。

連合とはいったい何なのだ。「寝百姓」とどう違うのか。

(2021年12月27日)
 幕藩体制に抵抗した農民を「立百姓」と言い、抵抗運動からの脱落者や裏切り者を「寝百姓」と言った。幕藩体制下の一揆は、文字どおり命を賭けた「立百姓」の団結と果敢な行動によって権力からの譲歩を勝ち取ったが、大きな犠牲を伴うのが常であった。「寝百姓」は、自ら危険に曝されることはなく、闘わずして「立百姓」が命を賭けて獲得した成果には均霑した。しかも、恥ずかしげもなく「立百姓」の足を引っ張り後方を撹乱することで、身の安全をはかった事例も多々ある。これは、昔話の世界だけのことではない。今なお、最前線で闘う多くの人々の成果だけを享受して、後方からこれを撃つ人々がいる。…恥ずかしげもなく。

 昨日(12月26日)の毎日新聞に、「連合初の会長 芳野友子さん」の記事が掲載されている。1面トップと3面の大型企画記事。「提灯記事の如くで実は辛口」というべきか、「辛口の如くで、所詮は提灯記事」なのか。読む人によって、見解は分かれよう。辛口と思われる部分の一部を抜粋してみる。

 連合会長に就任すると、(全労連議長の)小畑さんからコチョウランを贈られた。「ジェンダー平等実現のために頑張りましょう」とのメッセージが添えられていた。
 「二つの全国組織のトップに女性が就いたのだから、ジェンダー平等を前に進めるチャンス」との思いを込めていたと小畑さんは明かす。でも、返事はないという。「それぞれが前に進もうということですかね」

 女性同士の共闘が動き出さないばかりか「女性トップが変えていく」との期待は、暗転した。
 きっかけは、衆院選投開票から一夜明けた11月1日にあった記者会見での発言だった。立憲民主党が議席を減らした結果について問われた芳野さんは「連合は、共産党や市民連合とは相いれない」と述べた。野党共闘を仲介する「市民連合」まで標的にした、と受け止められた。野党共闘の女性候補を応援した女性たちの間では「ジェンダー平等に取り組む人が、同じ志の仲間を排除するとも取れる発言はいかがなものか」といった失望感が広がった。

 選挙期間中に予兆はあった。「立憲民主党と共産党がのぼりを立てて街頭で演説会をするのは受け入れられない」「連合票は(野党共闘で)行き場をなくした」とも述べていた。…報道機関のインタビューでは「民主主義の我々と共産の考え方は真逆」などと述べている。政治スタンスに関連する発言からは「反共」というキーワードが浮かび上がっている。

 女性同士の共闘が動き出さないばかりか「女性トップが変えていく」との期待は、暗転した。
 きっかけは、衆院選投開票から一夜明けた11月1日にあった記者会見での発言だった。立憲民主党が議席を減らした結果について問われた芳野さんは「連合は、共産党や市民連合とは相いれない」と述べた。野党共闘を仲介する「市民連合」まで標的にした、と受け止められた。野党共闘の女性候補を応援した女性たちの間では「ジェンダー平等に取り組む人が、同じ志の仲間を排除するとも取れる発言はいかがなものか」といった失望感が広がった。

 選挙期間中に予兆はあった。「立憲民主党と共産党がのぼりを立てて街頭で演説会をするのは受け入れられない」「連合票は(野党共闘で)行き場をなくした」とも述べていた。連合が公表した芳野さんの遊説は選挙期間中12選挙区。会長に就任したばかりという事情があったにせよ、連日何カ所も掛け持ちした歴代会長と比べると、少ない。

 報道機関のインタビューでは「民主主義の我々と共産の考え方は真逆」などと述べている。政治スタンスに関連する発言からは「反共」というキーワードが浮かび上がっている。

 共産党に対する拒否感について、芳野さんに尋ねたことがある。その答えとして、出身労組の影響があると明かした。
 概要は次の通りだ。就職したJUKIには共産党の影響を受けた組合があった。これに反発した組合員が同盟系の労組を作った。自分の入社時には、同盟系が多数派になっていたが、組合役員になると共産党系の組合と闘った過去を学んだり、相手から議論を仕掛けられたらどう切り返すかというシミュレーションをしたりした――。
 このような経験から、共産系の組合が社内で宣伝活動などをしていると「会社に混乱を持ち込むのか」と嫌な気持ちになったという。労組専従の道を歩むとの決断が人生の転機になったのと同時に「共産アレルギー」が生まれ、徐々に膨らんでいったのかもしれない。

 変化が見えないこともあってか、連合内には会長選びを巡って「誰も拾わない(会長という)火中の栗を女性に拾わせた」「女性を持ってくることで批判に蓋(ふた)をした」といった言辞がくすぶっている。

 最終3行は、私(澤藤)の文章ではない。取材の東海林智記者の記事である。念のために。

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