澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

満腔の怒りをもって安倍政権を糾弾するーこれは憲法決壊事態だ

日程と体力の余裕の限りだが、このところ連日国会周辺に出向いている。自分に何ができるわけでもないが、そうせずにはおられない。議員に聞こえるところで声を上げたい。何が起こったかを見届けたくもある。

昨日(9月17日)は雨中の集会だった。降りしきる雨の中、参加者の熱気はすさまじかった。そして今日(9月18日)は、夜分になってから続々と詰めかける人の列が途切れない。驚くべき数の集会参加者の人波に国会周辺は埋めつくされている。今日のコールは、「強行採決絶対反対」と「強行採決徹底糾弾」だ。

先日、鬼怒川の堤防決壊による洪水の被害が報じられた。一昨日は、眼前で警察が設置したバリケードが決壊して、群衆の渦が国会正面の車道になだれ込む瞬間を目にした。たった一個所の堤防の決壊が堤防全体の機能を喪失させ、広範な流域に甚大な洪水被害をもたらす。

憲法は堤防だ。権力という暴れ川の暴走を止め、洪水を防ぐ装置なのだ。政治は憲法に基づいて行われることによって秩序を獲得し、暴走が未然に防止される。公権力は憲法に基づいて、暴走せぬよう、溢水せぬよう、洪水を起こして国民に被害を及ぼすことのないよう行使されなければならない。

もともと権力は奔流となって暴走しようとする本能をもっている。これを憲法が堤防となって制御しているのだ。戦後保守政権は、これまで比較的抑制的な姿勢を示してきた。が、安倍政権だけが例外となった。富国強兵を国是とし、侵略と植民地主義を国策とした、あの時代のDNAによって形成された政権。その軍事大国たらんとする願望を解き放って暴走し、ついに戦争法の成立という形で憲法を決壊させようとしている。

この安倍政権の暴走によって決壊したのは、直接には憲法の平和主義であり9条である。しかし、洪水の被害はもっと広範囲に及ぶことを覚悟しなければならない。閣議決定で解釈を変えることによって事実上憲法を変えるという憲法破壊のこの手法は、無数の堤防決壊をもたらす危険を孕んでいる。

しかも、今回の強行に次ぐ強行採決の強引な審議のあり方はどうだ。政権と多数党とが法の支配を放擲したというほかないではないか。これで日本も立派な一党独裁国家だ。価値観を共有する国と言えば、「ならず者国家」と言われる諸国以外になくなったではないか。

決壊した堤防を修復し、洪水で水浸しとなった被害を少しずつ回復する作業は、なまなかなことではない。しかし、国民は自分たちの力で、これを始めなければならない。

本日の国会前集会に参加して、この修復は案外可能ではないかという希望を実感する。参加者に、諦めや敗北感が微塵もないのだ。この多数の参加者にみなぎっているものは怒りだけではない。この日からの再スタートの決意と自信とを共有しているように見える。

安倍政権というデビル、あるいはモンスターを、ここまで追い詰めた。姑息で粗暴な強行採決をせざるを得なかったのは、奴らの弱みだ。彼らは、議論ではボロボロだったではないか。法案反対勢力は、安倍政権を追い詰める中で自分たちの力量を自覚した。とりわけ、大きな共闘が成立したこと、中高年層から若者層へのバトンタッチができたことの意味は大きい。さらに、広範な人々が、これまでは社会的に孤立した存在でしかないとの無力感から脱皮して、政治的な課題の活動に参加を始めたことの意味ははかりしれない。

戦争法が成立したとしても、これを発動させないたたかいは新たに始まることになる。また、戦争法案反対の運動は次の課題に繋がる。まずは沖縄・辺野古新基地建設反対の共闘がある。各地へのオスプレイ配備反対もだ。さらには労働者の権利闘争にも展望が開けてくるだろう。

安倍晋三は、憲法破壊の巨悪として歴史にその悪名を刻むことになる。と同時に案外と、国民に対して自覚的な運動に起ち上がる契機を与えた反面教師としても、名を残すことになるのではないだろうか。
(2015年9月18日・連続901回)

「民主主義って何だ?!」「これだ!」ーブログ連載第900回に

昨日(16日)の夕刻は国会を取り囲む大群衆の中にいた。この群衆こそ主権者であるとの確信に支えられながら。19時30分、眼前で警官の制止にもかかわらずバリケードが決壊して、群衆の渦が国会正面の車道になだれ込む瞬間にも遭遇した。主権者の怒り、主権者の願い、主権者の祈りを肌で感じている。そして、この主権者の熱い思いと声は確実に議会に届いている。与党を怯ませ、野党を励ましている。

コールは明らかに2点に集中している。安倍政権打倒と強行採決阻止である。
「ア・ベ・ワ・ヤ・メ・ロ」「ア・ベ・ワ・ヤ・メ・ロ」「ア・ベ・ワ・ヤ・メ・ロ」…と、繰り返される。このコールに最も熱がはいる。「戦争やりたい首相はヤメロ」「安倍政権の暴走止めよう」「安倍退陣」…。そして、「強行採決絶対反対」「キョウコウ、ヤメロ」にも、ボルテージが上がる。そのほかに、定番となっている「憲法壊すな」「九条守れ」「戦争反対」「平和を守れ」…。

特筆すべきは、シールズのアイデアなのだろう。「民主主義って何だ?!」に、群衆が「これだ!!」と応じるコール。

「これ」とは、投票箱が閉まったあとも主権者が声を上げ続けること、為政者を縛り続けこと。重大な法案の審議を他人任せに傍観せず、あらゆる手段で意見を表明し続けることだ。このように国会を取り巻いて主権者の声を議員に届けることが、この現場にいる者の、「これこそ民主主義だ」という実感なのだ。

このコールは、つまりは主権者の声は、参議院の院内の議員の耳に直接届いているという。安倍にも中谷にも、鴻池にもということだ。マスコミの取材も次第にずぶ濡れの群衆の声に好意的になって、視聴者にその熱気を伝えている。声を上げることの効果は確実にあるのだ。

院内で政権や与党がどれだけ強権の発動ができるか、野党が院内でどれだけの抵抗ができるか、すべては国民主権者の動向次第だ。いま、強行採決反対の国民の声が澎湃と巻きおこっている。院内の動きは、この国民の意向の反映だ。

国会の状況について、野党議員がたびたび報告に登壇する。国会内外の一体感が醸成されている。群衆から野党議員に激励の声が飛ぶ拍手が湧き起こる。そのなかに、「しっかりやれ」「本当に最後まで採決阻止やる気があるのか」という叱声も飛ぶ。これも主権者の意思なのだ。

さあ、できるだけのことをしよう。
幸いにして私は、仕事の合間に国会まで出かけることができる。まずは、日程と体力が許す限り、国会周辺に出かけよう。歴史の瞬間をこの目でしっかりと見極め、見届けよう。

見届けるだけでなく、いまできることは何だろう。ブログやSNSを使える人は、ここで意見を表明しようではないか。「強行採決絶対反対」「安倍退陣」「憲法壊すな」「九条守れ」「戦争反対」「平和を守れ」「少しの時間でも国会に出かけよう」「意見を言おう。行動に立ち上がろう」…、という声を響き合わせよう。

電話がある。ファクスがある。憲法の命運に重大な局面だ。下記の自公4名の参院議員(安保特委員)に、電話とファクスを集中しよう。

鴻池祥肇(こうのいけよしただ)電話03-6550-1001 FAX03-3502-7009
佐藤正久(さとうまさひさ)電話03-6550-0705 FAX03-6551-0705
荒木清寛(あらききよひろ)電話03-6550-1115  FAX03-6551-1115
山口那津男(やまぐちなつお)電話03-6550-0806  FAX03-6551-0806

(2015年9月17日・連続900回)

参議院議員諸君 この若者の問いかけに真摯に応えよ

議会制民主主義とはいったい何なのだ。昨日(9月15日)が特別委員会の中央公聴会、そして今日(16日)横浜で地方公聴会。公述人の意見に耳を傾けて法案の審議に反映させ、審議の充実をはかるための手続であるはず。ところが、公聴会の前から、採決強行の日程が決められているというのだ。いったい何のための公聴会なのだ。

公聴会とは、国会法64条1項に根拠をおく手続。「委員会は、重要な案件又は専門知識を要する案件を審査するために公聴会を開き、利害関係者又は学識・経験がある者等(以下”陳述人”という。)から意見を聞くことができる。」というもの。「審査するために」「意見を聞く」のだ。誠実に聞くべきは当然で、聞き流してよいものではない。けっして、採決の前提条件を整えるためであってはならない。

議員は、公述の内容に耳を傾け吟味し咀嚼し、その後の審議の糧にしなければならない。当たり前のことだ。ところが、本日の日程は、15時半横浜での公聴会が終わると、委員らは国会にとって返して、18時に委員会を開会するという。ここで総括質問を強行し、あわよくば今日中にも委員会採決まで漕ぎつけようというスケジュールだという。

審議はほんの形だけ、体裁を整えるだけ。本音がまる見えで、もっともらしささえかなぐり捨てたやり口。実は、「法的安定性は関係ない」だけではない。合憲性も合理性も、議論も説得も世論の動向も、一切「関係ない」のだ。ひたすら数の力で押し切ろうというのが自民・公明の腹の中。謙虚に道理に耳を傾け、国民の声を聞こうという姿勢の持ち合わせはない。しかも、専門家の圧倒的多数から違憲と指摘された法案においてのこの手口だ。この強権ぶりは、日本の行く末を思うとき、肌に粟立つ思いを禁じ得ない。

いかなる世論調査も、「今国会での性急な法案採決強行は望ましくない」としている。政府与党は、敢えて国民の声に耳を塞ぎ、なにゆえかくも急ぐのだ。何を恐れているのだ。誰の目にも明らかな議会制民主主義の形骸化は、きわめて危険だ。戦前も議会制民主主義への信頼の衰退が軍部の台頭を招いたではないか。

昨日の公聴会では、法案に反対する立場の4人の公述人が異口同音に採決を急ぐなと述べたという。自分の公述内容を無視することなく、審議や採決に役立てて欲しいという当然の要請であり、抗議である。

その公述人の中では、話題のSEALDsから、明治学院大4年の奥田愛基さんが聞かせた。私の興味を惹く部分を抜粋したい。

「こんなことを言うのは非常に申し訳ないが、先ほどから寝ている方がたくさんいるので、もしよろしければ話を聞いてほしい。よろしくお願いします。」

「私たちは特定の支持政党を持っていない。無党派の集まりで、保守、革新、改憲、護憲の垣根を越えてつながっている。立憲主義の危機や民主主義の問題を真剣に考え、五月に活動を開始した。デモや勉強会、街宣活動などを通じて、私たちが考える国のあるべき姿、未来について社会に問い掛けてきた。」

「第一にお伝えしたいのは、私たち国民が感じている安保法制に対する大きな危機感だ。疑問や反対の声は、現在でも日本中でやまない。つい先日も、国会前では十万人を超える人々が集まった。東京の国会前だけではない。私たちが独自にインターネットや新聞で調査した結果、全国二千カ所以上、数千回を超える抗議が行われている。累計して百三十万人以上の人々が、路上で声を上げている。

これまで政治的無関心と言われてきた若い世代が動き始めている。誰かに言われたからとか、どこかの政治団体に所属しているからとか、動員的な発想ではない。この国の民主主義のあり方について、この国の未来について主体的に一人一人、個人として考え立ち上がっている。私たちは一人一人個人として声を上げている。「不断の努力」なくして、この国の憲法や民主主義が機能しないことを自覚しているからだ。

「政治のことは選挙で選ばれた政治家に任せておけばいい」。この国にはどこかそのような空気感があったように思う。それに対し、私たちこそがこの国の当事者、つまり主権者であること、私たちが政治について考え、声を上げることは当たり前なのだと考えている。

 路上に出た人々が、社会の空気を変えていった。デモやいたる所で行われた集会こそが不断の努力だ。そうした行動の積み重ねが、基本的な人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと私は信じている。

 先日、予科練で特攻隊の通信兵だった方と会った。七十年前の夏、あの終戦の日、二十歳だった方々は今では九十歳だ。ちょうど今の私やシールズのメンバーの年齢で戦争を経験し、その後の混乱を生きてきた方々だ。そうした世代の方々もこの安保法制に対し、強い危惧を抱いている。その声をしっかり受け止めたいと思う。そして議員の方々も、そうした危惧や不安をしっかり受け止めてほしいと思う。

 これだけ不安や反対の声が広がり、説明不足が叫ばれる中での採決はそうした思いを軽んじるものではないか。七十年の不戦の誓いを裏切るものではないか。」

「第二に、この法案の審議に関してだ。世論調査の平均値を見たとき、はじめから過半数近い人々は反対していた。月を追うごと、反対世論は拡大している。「理解してもらうためにきちんと説明していく」と政府の方はおっしゃっていた。しかし、説明した結果、内閣支持率が落ち、反対世論は盛り上がり、法案への賛成の意見は減った。

 現在の安保法制に対して、国民的な世論を私たちが作り出したのではない。この状況を作っているのは、紛れもなく与党の皆さんだ。安保法制に関する国会答弁を見て、首相のテレビでの理解しがたいたとえ話を見て、不安に感じた人が国会前に足を運び、また全国各地で声を上げ始めた。

 結局説明をした結果、しかも国会の審議としては異例の九月末まで延ばした結果、国民の理解を得られなかったのだから、もう結論は出ている。今国会での可決は無理だ。廃案にするしかない。

 現在の国会の状況を冷静に把握し、今国会での成立を断念することはできないか。世論の過半数は、明確にこの法案に対し、今国会中の成立に反対している。自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度考え直してはいただけないか。」

 「なぜ私はここで話しているのか。どうしても勇気を振り絞り、ここに来なくてはならないと思ったのか。それには理由がある。

 この法案が強硬に採決されるようなことになれば、全国各地でこれまで以上に声が上がるだろう。連日国会前は人であふれかえるだろう。次の選挙にももちろん影響を与えるだろう。当然、この法案に関する野党の方々の態度も見ている。私たちは決して今の政治家の方の発言や態度を忘れない。

 三連休を挟めば忘れるだなんて国民をバカにしないでください。むしろそこからまた始まっていく。新しい時代はもう始まっている。もう止まらない。すでに私たちの日常の一部になっているのです。

 私は学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げる。できる範囲でできることを日常の中で。政治のことを考えるのは仕事ではない。この国に生きる個人としての不断の、そして当たり前の努力だ。私は困難なこの四カ月の中で、そのことを実感することができた。それが私にとっての希望だ。

 最後に私からのお願いだ。個人としての、一人の人間としてのお願いだ。どうか、どうか政治家の先生たちも個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の個であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を出して孤独に思考し、判断し、行動してください。」

この若者の真摯な問いかけには真摯に応えなければならない。けっして無視してはならない。議員諸君は、個人としてこの問と法案に向かい合わねばならない。もちろん憲法にも。諸君は、ロボットでも操り人形でもなかろう。血の通った生身の人間であろうし、理念を持つ政治家でもあろう。ものを考え自分の頭で判断する能力もあるはずではないか。日本の戦後史のこの重要な瞬間に、諸君はどのように行動しようというのか。

安倍晋三のロボットになり下がってはならない。歴史に悪名を刻してはならない。自分の頭で考えていただきたい。来年選挙の洗礼を受ける立場の議員はなおさらのことだ。奥田君の言葉を借りよう。議員諸君、「自由と民主主義のために、この国の未来のために、どうかもう一度考え直してはいただけないか。」そして、「国民をバカにしないでいただきたい」。
(2015年9月16日・連続899回)

戦争法案合憲の論拠に砂川判決引用は政権の墓穴ー入江メモのインパクト

本日(9月15日)の朝日・朝刊3面に、「『集団的自衛権は砂川判決の検討外』裏付け?」「当事者の最高裁元判事、書斎文書にメモ」という記事がある。インパクトの強い、グッドタイミングのニュース。しかも、朝日(あるいはテレビ朝日)のスクープだろうに、どうして扱いがこんなにも小さいのだろう。

周知のとおり、政権与党が戦争法案を違憲でないとする唯一の根拠が砂川事件最高裁大法廷判決の引用。安倍晋三はワラをもつかむ思いでこの判決にすがっているのだが、ワラは所詮ワラに過ぎない。大舟でないと言うもおろか、筏でも丸太でさえもない。そのことが、砂川判決に関わった最高裁元判事が書き残したメモからも明らかになった、という記事。言わば、ダメ押しの戦争法案違憲記事。

にわかに時の人になったのが、既に故人となっている入江俊郎元最高裁判事。
法制局長官として日本国憲法の制定作業に関わった経歴を持ち、52年8月史上最年少の51歳で最高裁判事に就任した人。71年1月の定年退官まで、歴代最長となる最高裁判事の在任期間記録保持者だという。最高裁長官にはならなかったが、長官代理の任にはあった。この人の遺品から貴重なメモが見つかった。あたかも現時点の論争(というよりは政権側の牽強付会)を見越したような内容となっている。

朝日の記事(抜粋)は以下のとおり。
「米軍駐留の合憲性が争われた1959年12月の砂川事件最高裁判決に関し、裁判に関わった入江俊郎・元最高裁判事(故人)が「『自衛の為の措置をとりうる』とまでいうが、『自衛の為に必要な武力か、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない」などとするコメントを書き込んだ文書が見つかった。

 政府・与党側は、判決が「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」などと言及したことを引き、集団的自衛権を認める根拠だと主張する。しかし、入江氏の書き込みは、自衛隊が合憲か違憲かという個別的自衛権の判断を判決がしていないことを確認したもので、集団的自衛権は検討されていないことがうかがえる。

 最高裁判決が触れた「自衛のための措置」について入江氏は「『自衛の為に必要な武力、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない」と指摘し、判決も自衛隊が合憲か違憲かには踏み込まなかった。結論として、「故に、本判決の主旨は、自衛の手段は持ちうる、それまではいっていると解してよい。ただそれが、(憲法9条)二項の戦力の程度にあってもよいのか、又はそれに至らない程度ならよいというのかについては全然触れていないとみるべきであらう」と指摘した。

 高見勝利・上智大教授(憲法)は「入江氏は判決の『自衛の措置』の意味内容を確認している。自衛隊の実力が憲法9条2項で禁じられた『戦力』に当たらないか否かという個別的自衛権の問題についても判決は答えを出していない。それなのに『自衛の措置』を引き合いに集団的自衛権容認の根拠とするのは明らかに無理がある」と話す。

この記事だけでは、やや分かりにくいのではないだろうか。
ポイントは、「『自衛の為の措置をとりうる』とまでいうが、『自衛の為に必要な武力、自衛施設をもってよい』とまでは、云はない。」ということだ。つまりは、判決は「自衛の為の措置」と「自衛の為に必要な武力」とを峻別した。前者は認めたが後者には言及していないと念を押しているのだ。自衛のための措置の具体的手段は幾通りもあるが、必ずしもその手段の一つとしての「自衛の為に必要な武力」保有を認めたわけではない。判決は自衛隊合憲論ではないことを、まず確認しなければならない。

ひるがえって、政府・与党側の主張はこんなものだ。
砂川判決は「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置をとりうる」と言っている。「自衛のための措置をとりうる」とは自衛権を認めること。自衛権とは、個別的自衛権だけでなく集団的自衛権を含む概念なのだから、砂川判決は集団的自衛権をも容認していることになるのだ。つまり、最高裁は集団的自衛権を認めているのだ。

まったく形式的に、「自衛のための措置をとりうる⇒判決は自衛権を認めた⇒自衛権には個別的自衛権だけでなく集団的自衛権も含まれる⇒だから判決は集団的自衛権行使を容認した」。そのように判決を読もうということだ。

政府側見解では、個別的自衛権とは自衛のために必要な恒常的武力(=自衛隊)を保有する権利であり、集団的自衛権とは日本が攻撃されていなくても同盟国が第三国から攻撃をされたときに保有する恒常的武力(=自衛隊)を発動して当該第三国に武力を行使する権利、ということになる。

ところが、入江メモは、自衛のために必要な恒常的武力(=自衛隊)を保有する権利を認めたものではないと言っているのだ。集団的自衛権を行使する手段としての恒常的武力(=自衛隊)の保有を認めていないと言うのだから、集団的自衛権行使を容認したものであるはずはない。

砂川判決を書いた判事は集団的自衛権など念頭においてなかっただけではなく、自衛権を認めるといいつつも、自衛の武力すら認めてはいないのだ。集団的自衛権の行使が武力の行使である以上、これを認めたはずはないということなのだ。

結局砂川大法廷判決とは、「日本国憲法は『自衛の為の措置をとりうる』ことを認めており、その手段につき他国への安全保障を求めてもよく、その結果としてアメリカ駐留軍がいても、それは憲法9条2項に保持を禁止されている『戦力』でないということを明らかにした」というだけのもので、自衛隊の合憲も言っていなければ、集団的自衛権の容認をしているものでもない。

入江メモによって、強引に砂川判決を引用したことの失敗は明白になった。砂川判決引用は、今や安倍政権の墓穴となっている。
(2015年9月15日・連続898回)

「強行採決 絶対反対」「戦争法案今すぐ廃案」

本日(9月14日)は、戦争法案反対の国会包囲大行動。私も国会を包囲した万余の人の渦の中に。

「強行採決絶対反対」「戦争法案今すぐ廃案」「憲法壊すな」「九条守れ」「安倍はヤメロ」「安倍退陣」「安倍政権の暴走止めよう」「憲法読めない首相は要らない」「戦争やりたい首相は要らない」…。ノリの良いシュプレヒコールが延々と続く。そして、各党の党首や大江健三郎、鎌田慧、山口二郎、落合惠子などのスピーチ。みんな気合いがはいっている。「たたかいはここから。たたかいは今から」などという歌を思い出す。

とりわけ、正門前の熱気がすさまじい。今日も、人の波の圧力は機動隊のバリケードを乗り越えて、集会参加者が車道にあふれた。幸いけが人などはなかったようだ。

法案反対の声を上げる人々の熱気を目にして、考え込まざるを得ない。民主主義とはなんだろう。民意とはなんだろうか。そして、この国の民主主義はきちんと機能しているのだろうか、と。

民主主義とは民意にもとづく政治ーのはず。にもかかわらず、明らかに民意に背く法案の採決強行が懸念される事態となっている。小選挙区制のトリックで掠めとった上げ底の議席の数が政権の強み。しかし、議席イコール民意ではない。安倍晋三は、自ら「この選挙はアベノミクス選挙です」と規定していたではないか。経済政策への期待観で掠めとった議席で、違憲の戦争法案を成立させようというのだ。議席の虚妄が違憲の法案をゴリ押ししている。政権が、民意をことさらに排撃しているのだ。これが、この国の現実であり、民主主義の水準。安倍晋三のごときを首相にしておく国の国民であることが恥ずかしくてならない。

明日(9月15日)中央公聴会の公述人が次のとおりに決まったという。
 大阪大学大学院法学研究科教授 坂元一哉
 政策研究大学院大学 白石隆
 元最高裁判所判事・弁護士 濱田邦夫
 慶應義塾大学名誉教授・弁護士 小林節
 名古屋大学名誉教授 松井芳郎
 明治学院大学学生・SEALDs 奥田愛基

与党推薦が坂元・白石の両名。御用学者という役どころ。野党推薦で、濱田・小林・松井の3名。そして公募人からSEALDsの奥田だという。95人の応募者から、たった一人ということ。NHKのカメラははいらない。世論に与えるインパクトは、小さく押さえられることとなる。

本日の特別委員会集中審議でも、首相答弁も防衛大臣答弁もよれよれで、法案はボロボロだ。それでも、審議時間は消化され、スケジュールがこなされたことになり、「決めるときには決める」のだという。「決めるべきとき」とは、討議が煮詰まって、採決するにふさわしいときのことであるはず。

安倍の脳裏にあるものは、数を恃んでの採決強行の一点のみ。「強行採決絶対反対」「戦争法案今すぐ廃案」「憲法壊すな」「九条守れ」「安倍はヤメロ」「安倍退陣」「安倍政権の暴走止めよう」「憲法読めない首相は要らない」「戦争やりたい首相は要らない」…。民主主義を知らない首相は、即刻辞めるべきなのだ。
(2015年9月14日・連続897回)

来週がヤマ場だー「安倍総理から日本を守ろう」

本日の朝刊各紙に、戦争法案反対の全面広告。「強行採決反対!」の大きな活字が重い。続いて、「戦争法案廃案!」「安倍政権退陣!」のスローガン。そして、「国会に集まろう!」という総掛かり行動実行委員会からの呼びかけ。

具体的な行動日程は、下記のとおり。
 14日・月曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み行動
         18:30 強行採決反対・安倍政権退陣要求国会包囲大行動
 15日・火曜日 12:30?17:00 国会正門前座り込み行動
         18:30 戦争法案廃案! 国会正門前大集会
 16日・水曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み行動
         18:30 戦争法案廃案! 国会正門前大集会
 17日・木曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み行動
         18:30 戦争法案廃案! 国会正門前大集会
 18日・金曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み行動
         18:30 戦争法案廃案! 国会正門前大集会

さあ、いよいよ明日から始まる月曜から金曜までが大詰め。ここに来て、違憲法案推進勢力と反対勢力の色分けが鮮明になってきた。敵と味方の分水嶺は、強行採決によっての今国会成立に、イエスかノーかだ。

国会の中だけが、推進勢力の数が優る。国会の外では、圧倒的に反対勢力が優勢だ。理論的にも反対派が圧倒している。それでも、決めるのは国会なのだ。議会外の力関係を、議会内にどう反映させるか、問題はその一点にある。

大手メディアでの戦争法案推進勢力は、読売と産経のグループだけ。朝日・毎日・東京と地方紙は、圧倒的に反対論だ。しかも、理論水準や説得力に格段の開きがある。よろよろしている日経だが、その社説のトーンは「政府は具体例をあげて、(法律事実を)説明すべきだ」というのだから、今国会成立には慎重の範疇に数えてよい。NHKの報道姿勢の評価は最悪だが、市民の目の厳しさもあって、さすがに読売や産経のような法案への積極推進姿勢はない。

憲法学界・公法学会をはじめとする学界では法案の違憲論が席巻している。「安全保障関連法案に反対する学者の会」の廃案を求める署名は13,796人とされている。各大学に次々と反対する会が結成されて、教員と学生の共闘が進んでいる。実務法律家の集合体である日弁連や全国の単位会も全力を上げて反対運動に取り組んでいる。元内閣法制局長も堂々と声を上げている。この事態に黙っておられないと、元最高裁裁判官も声を上げ始めた。濱田邦夫、那須弘平、そして山口繁元最高裁長官まで。

核分裂における連鎖反応の如くに、次から次へと声があがっている。シールズにミドルズ、オールズ、ティーンズ、トールズ、ママの会と続いている。映画・演劇界や芸能界などの表現者グループも、法案成立が表現の自由に関わるものとして次々に声を上げている。「韓国ではネットが民主運動の進展に大きな役割を果たしたが、日本のネットは右翼に占拠されている」とは昔日のことではないのか。戦争法案反対のグループつくりにはネットが大きな役割を果たしている。

もう、これくらいで十分だろうと思っていたら、重量級の反対意見がまだあることを知った。歴代首相5人の反対論である。当然に安倍批判と一体のものとなっている。昨日(9月12日)の毎日新聞に、保坂正康「昭和のかたちシリーズ」が「元首相たちと安保法制」との記事で情報を提供している。

「8月14日の安倍晋三首相による談話発表の前に、元首相5人が安倍首相に提言を試みた。戦後の長期間、マスコミで働いてきた記者・編集者が、『歴代首相に安倍首相への提言を要請するマスコミOBの会』をつくり、12人の元首相に要請文を送ったのだという。その結果、5人が文書で1人が電話での回答になった。この5人の文書を、たまたま私も入手したのだが、安倍首相に対する率直な不満や不信を知り、驚くほどの内容であった。」

結局は6人がものを言ったことになるが、文書で安倍晋三への提言を試みたとして氏名を明らかにされている元首相は、羽田孜、鳩山由紀夫、細川護熙、村山富市、菅直人の5名。その内、羽田・鳩山・細川の「提言」が紹介されている。

「羽田孜氏の提言には、「『戦争をしない』これこそ、憲法の最高理念。平和憲法の精神が、今日の平和と繁栄の基礎を築いた。特に、9条は唯一の被爆国である日本の『世界へ向けての平和宣言』であり、二度と過ちを繰り返さないという国際社会への約束」とあり、末尾は「安倍総理から日本を守ろう」と結んでいる。」
これはすごい。そのとおり、「安倍総理から日本を守」らねばならない。

「鳩山由紀夫氏の2400字に及ぶ提言では、いくつかの鋭い指摘がされている。たとえば、「あまり報道されませんでしたが、昨年オバマ大統領が来日した際の記者会見で、『小さな岩のことで中国と争うのは愚の骨頂』と諫(いさ)めた通りです。安保環境が悪化しているならまだしも、その時よりはるかに良くなっているにも拘(かかわ)らず、『戦争に参加するための法案』を、なぜ今更議論するのでしょうか」と弾劾している。」

また鳩山は、「私は日本を『戦争のできる普通の国』にするのではなく、隣人と平和で仲良く暮らすにはどうすれば良いかを真剣に模索する『戦争のできない珍しい国』にするべきと思います」と結んでいるという。耳を傾けるべき貴重な提言ではないか。

「細川護熙氏は「安保法制の審議について」と題し、2500字で自らの意見を鮮明にしている。冒頭ではっきりと、「安保法制関連法案は廃案にすべき」と断じ、その内容と手続きの両面で問題があると指摘する。内容については、「憲法9条をもつ平和憲法を変えることは(解釈改憲によるとしても)、世界に確立した平和国家日本のイメージを損なう危険があるばかりでなく、日本人自身にとっても、その目指すべき将来の国家像を混乱させる」と訴えている」

また、細川は、「やじを飛ばすような唯我独尊の姿勢に苦言を呈し、『そのような手法で、違憲の疑いの強い安保法制を成立させることは、わが国の国益を損なうことになると言わざるを得ない』とたしなめている」という。

元首相たちの目には、現首相の姿勢が、危なっかしく見てはおられないのだ。しかも、その現首相の取り巻き連中が、安倍をたしなめることはない。ならば、国民がたしなめるしかないのだ。明日からあと5日がヤマ場だ。安倍総理から日本を守ろう。
(2015年9月13日・連続896回)

違憲の戦争法案 いよいよ参院審議大詰めだ

戦争法案審議の日程は来週が大詰めとなる。その決戦の来週、既定のスケジュールは以下のとおり。16日(水)15時30分までは決まっているが、その後はまったくの白紙だ。
 14日・月曜日 特別委員会審議 9時?17時
 15日・火曜日 中央公聴会
 16日・水曜日 地方(横浜)公聴会 13時?15時30分
 17日・木曜日 不気味な空白
 18日・金曜日 不気味な空白

14日(月曜日)の委員会質疑では、佐藤正久・北澤俊美・山口那津男・片山虎之助・山下芳生・山田太郎・福島みずほらが質問者となる。安倍・中谷・岸田らが答弁し、NHKが放映する。NHKが中継するのだから強行採決はない。

この間、法案の廃案を目指す勢力の主な行動提起は以下のとおり。
 14日・月曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み
         18時30分 強行採決絶対反対・安倍退陣 国会包囲大行動
 15日・火曜日 12:30?17:00 国会正門前座り込み
 16日・水曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み
 17日・木曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み
 18日・金曜日 13:00?17:00 国会正門前座り込み
 以後連休 27日会期末

さて、15日の中央公聴会はどうなるのだろうか。本日(9月12日)の東京新聞一面トップが、「安保公聴会 意見表明 95人応募 全員『反対』」というヘッドライン。これだけで、いや凄い事態だ。そして、これをトップに持ってくるのは、見上げたセンスではないか。

ずいぶん以前のことだが、私も参院憲法調査会の公述人公募に応募して採用されたことがある。あのときは競争率が低かった。今回は、与党側2人、野党側4人の枠に95名の応募者。狭き門ではあるが、せっかくの機会なのだから、私も今回再度手を挙げておけばよかった。後知恵の浅はか。

東京新聞記事を抜粋する。
「安全保障関連法案に関する参院特別委員会は十一日、有識者や国民から意見を聞くために十五日に開く中央公聴会で意見を表明する「公述人」の公募を締め切った。参院では過去十年で最多の九十五人が応募し、全員が法案に反対の立場を示した。法案に対する懸念の強さがあらためて裏付けられた。特別委の民主党理事が明らかにした。

参院特別委の福山哲郎理事(民主党)は「短期間の公募だったのに応募数が多く、全員が反対だったということが国民の法案に対する明らかな姿勢を表している」と記者団に説明。民主党が推薦する二人のうち一人は応募者から選ぶ考えを示した。
これに対し、与党は応募者ではなく、法案に賛成する有識者らから選ぶことになる。」

95人の応募者全員が「法案反対」。思いがけないことだが、これが世論の分布状況をよく表している。これで採決を強行してよいはずはない。本当にこんな状態で採決ができるというのだろうか。

「安保法案廃案・安倍政権打倒・立憲主義と民主義を守れ」という声は、メインの集会だけのものではない。東京でも地方でも、新しい反対運動が次々に生まれている。採決強行した場合の民衆の怒りと政権のダメージははかりしれない。けっして、採決強行が既定の事実となっているわけではない。

ところで、本日(9月12日)の東京新聞は読み応え十分。東京新聞(中日新聞)の読者でない人にために、宣伝を買って出よう。いくつかの記事をご紹介する。

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本日の社説が読ませる。「湾岸戦争のトラウマ 安保法案に通じるだまし」というタイトル。「湾岸戦争のトラウマ」は欺しだった。その欺しの手口が、今また「安保法案成立に向けて」世論操作に使われている、というなかなか刺激的で大きなテーマ。

私は、湾岸戦争のときに、仲間を語らって「市民平和訴訟」を起こした。湾岸戦争への国費からの1兆1700億円支出と掃海部隊派遣の差し止めを求める訴訟である。
このとき、当初は90億ドル、最終的には130億ドルの支出をしながら、「人を出して血を流す支援をしなかったから、国際社会から感謝されることがなかった。やっぱり一国平和主義ではなく、積極的に派兵を可能にしなければならない」という言説が流された。これが「湾岸戦争のトラウマ」である。

「◆感謝広告になかった日本
 トラウマの原点は1991年の湾岸戦争にある。イラクの侵攻から解放されたクウェートが米国の新聞に出した感謝の広告には30の国名が並び、130億ドルの巨費を負担した「日本」の名前はなかった。日本政府の衝撃は大きかったが、間もなく政府は自衛隊海外派遣の必要性を訴えるキャッチフレーズとして使い始める。…防衛庁長官は「湾岸戦争から学んだものは、やはり、お金だけでは責任を果たしたことにはならない」と述べ、“トラウマ効果”を利用した。湾岸戦争の後、衆院に初当選した安倍首相もこのトラウマを共有している。
 なぜ、意見広告に日本の名前がなかったのだろうか。政府はこれを調べることなく、人的貢献の必要性を言いはやし、翌92年、自衛隊を海外へ派遣する国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させて陸上自衛隊をカンボジアに派遣した。
 派遣後の93年4月になって、政府は追加分90億ドル(当時のレートで1兆1千700億円)の使途を公表した。配分先のトップは米国で1兆790億円、次いで英国390億円と続き、肝心のクウェートへは12カ国中、下から2番目の6億3000万円しか渡されていない。大半は戦費に回され、本来の目的である戦後復興に使われなかったのである。

◆「逆手」にとった日本政府
 本紙の取材であらたな証言が飛び出した。湾岸戦争当時、東京駐在だったクウェート外交官で現在、政府外郭団体の代表は「あれは『多国籍軍に感謝を示そうじゃないか』と米国にいたクウェート大使が言い出した」と明かし、米国防総省に求めた多国籍軍リストがそのまま広告になったという。多国籍軍に参加していない日本の名前がないのは当たり前だったことになる。
 クウェート政府に問い合わせていれば、たちまち明らかになった話だろう。解明しようとせず、「湾岸戦争のトラウマ」を逆手にとって焼け太りを図る様は、まともな政府のやることではない。このトラウマがイメージを先行させる手法だとすれば、安倍政権下で健在である。

◆採決急がず審議で正体を
 安保関連法案をめぐり、首相は「自衛隊がかつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことはこれからも決してない」「外国を守るために日本が戦争に巻き込まれるという誤解があるが、あり得ない」と断言する。
 「湾岸戦争のトラウマ」を利用し続けた政府の言葉を信用できるだろうか。国民をだましているのではないか、との疑念は国会審議を通じて、高まりつつある。政府は急ぎたいだろうが、参院では拙速な採決に走ってはならない。答弁を重ね、国民に法案の正体を説明する義務がある。」

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また、本日の同紙「こちら特報部」は、昨日の当ブログが触れた、都立校「日の丸・君が代」強制に関連する「内心の自由告知」問題を取り上げている。昨日(9月11日)の都教委への「申し入れ」行動の様子を、かなり大きなスペースで記事にしてくれた。「日の丸・君が代」強制問題は、民主主義や教育の根幹に関わる重要性を持ちながらも地味で記事になりにくい。関心を持ってくれる頼りのメディアは、東京新聞とサンデー毎日なのだ。

戦争法案審議大詰めの来週、東京新聞にはさらなる健筆を期待したい。
(2015年9月12日・連続895回)

「9月16日強行採決」を許さない

戦争法案推進側は冷静で合理的な判断をしているのだろうか。反対世論の圧倒的な盛り上がりを強行突破するリスクをどのように計算しているのだろうか。敢えて、強行採決を辞さないという構えが理解できない。

圧倒的な世論が、「一度廃案にして出直せ」「何をそんなに急ぐのか」「次の会期でも、その次でもよいではないか」と言っている。しかし、政権と与党は、飽くまで今国会成立をゴリ押しの姿勢を崩さない。修正案にすら耳を傾けようとしない。参院特別委は中央公聴会を15日に開くという日程を決めてしまった。報道では、16日に委員会採決強行とか、連休突入前の18日が参院本会議決議のリミットなどと言われている。追い詰められて、これしかないということなのか。それとも、「この運動の高揚もどうせ一時的なもの」と国民をなめきっているということなのだろうか。

本日(9月10日)の毎日朝刊トップには、「安保関連法案:自民が衆院再可決検討」の大見出し。政権中枢は、「参院の与党がぐずぐずしていると、衆院で『60日ルール』を実行して再可決してしまうぞ。そうなれば、参院の存在意義に傷がつく。それがイヤなら参院で早く採決してしまえ」ということなのだ。参院与党への明らかな恫喝。

推進勢力は、実質的にあと10日足らずとの焦り。日程は大詰めだが、参院の議論が煮詰まっているのかといえばそんなことはまったくない。参院段階での新たなテーマがいくつも出てきている。多くの課題を未解明のままで、スケジュールがひとり歩きすることを許してはならない。

参院段階で明らかになったのは、実はこの法案がアメリカの必要が発端で、日米の制服組が枠組みを作り、日本の制服組が法案を練り、政権がこれに乗ったものなのだ。「制服の制服によるアメリカのための」法案。少しずつ、その実態が明らかにされつつあるから、強引に幕引きをしようとしているのだ。公明党に対する創価学会員の批判も、長引けば長引くほど大きくなるという見通しなのだろう。

そのような事態で、本日の朝日が「『違憲』法案に反対する」と題した社説を載せた。立派なものだ。以下、その抜粋。
「法案に対する世論の目は相変わらず厳しい。
 朝日新聞の8月下旬の世論調査では法案に賛成が30%、反対は51%。今国会で成立させる必要があると思う人は20%、必要はないと思う人は65%だった。
 多くの専門家が法案を『憲法違反』と指摘し、抗議デモが各地に広がる。国民の合意が形成されたとはとても言えない。それなのに政府・与党が数の力で押し切れば、国民と政治の分断はいっそう深まるばかりだ。」
「もう一度、9条のもつ意味を考えてみたい。
 時に誤った戦争にも踏み込む米国の軍事行動と一線を引く。中国や韓国など近隣諸国と基本的な信頼をつなぎ、不毛な軍拡競争に陥る愚を避ける。平和国家として、中東で仲介役を果たすことにも役に立つ。
 現実との折り合いに苦しむことはあっても、9条が果たしてきた役割は小さくない。
 確かに、米軍と自衛隊による一定の抑止力は必要であり、その信頼性を高める努力は欠かせない。そうだとしても、唯一の「解」が、「違憲」法案を性急に成立させることではない。国際貢献についても、自衛隊派遣の強化だけが選択肢ではない。難民支援や感染症対策、紛争調停など多様な課題が山積みである。9条を生かしつつ、これらの組み合わせで外交力を高める道があるはずだ。
 数の力で、多様な民意を一色に塗りつぶせば、国民が将来の日本の針路を構想する芽まで奪うことになる。」

毎日社説も、「これでも採決急ぐのか」と小見出しを付けたもの。「参院の役割」に焦点を当てている。
「審議の内容は、採決に踏み切る状況からは依然としてほど遠い。参院は『良識と抑制の府』としての役割を果たすべきだ。」
「参院特別委の鴻池祥肇委員長(自民)は礒崎陽輔首相補佐官がかつて今月中旬の成立に言及した際、「参院は衆院の下部組織や官邸の下請けではない」と批判した。その通りだが、採決を急ぐようでは衆院と変わらない。『先の大戦で貴族院が(軍部を)止められず戦争に至った道を十分反省をしながら、参院の存在を作り上げた。衆院の拙速を戒め、合意形成に近づけるのが役割だ』。これも鴻池氏の言葉である。参院の存在意義を今こそ、示す時だ。」

さらに、毎日社説には、次の具体的な指摘がある。
「法案を審議するほど疑問が深まる構図は変わらない。8日の参考人質疑でも、内閣法制局の長官経験者から重要な疑義が示された。
 安保関連法案のうち、他国軍への後方支援を定めた重要影響事態法案と国際平和支援法案は、戦闘作戦行動のため発進を準備する航空機への給油を可能とする。政府はこれまで『認めなかったのはニーズがなかったため』だと説明していた。
 ところが参考人として陳述した大森政輔元内閣法制局長官は内閣法制局が政府の内部検討にあたり、この活動を憲法違反だと指摘していたことを明らかにした。
 1999年に周辺事態法が制定された当時、大森氏は長官だった。その際、内閣法制局側は給油活動は『典型的な武力行使との一体化事例であり、憲法上、認められない』と主張した。だが、外務省と対立したため『表面上は(米軍からの)ニーズがないからということにしたのが真相』なのだと言う。
 これも法案の根幹に関わる問題だ。ところが、政府が十分な説明もしていない段階で、特別委は中央公聴会を15日に開くという日程を決めてしまった。」
これは大問題ではないか。

また、毎日社説は、次のようにも言っている。
「自民党の高村正彦副総裁は講演で『国民のため必要(な法律)だ。十分に理解が得られていなくても決めないといけない』と語った。国民理解は置き去りでいいとでも言うのだろうか。」

この高村の言は、民主主義とは対極の考え方。「国民よりも与党・政権が賢いのだから、任せておけば良いのだ」との思い上がり。主権者の意思を閣議決定で覆してよいという考え方がここにも顔を覗かせている。

論語に、「民は由らしむべし。知らしむべからず」とある。高村や安倍の頭は、この2500年前のレベルなのだ。どうせ民衆は「民衆自身のために必要な法律であることを理解できない」。だから、理解できずとも為政者を信頼して付いて来させればよいのだという思い上がりである。

こんな調子で、違憲の法案を成立させられたのではたまらない。いまや、愚かな安倍政権に、民衆自身が大きな声と力を見せつけるしか方法はなさそうだ。
(2015年9月10日・連続893回)

戦争法案反対運動の高揚を象徴する、岩手県議選奥州選挙区・千田みつ子候補(共)のトップ当選

戦争法案の参院審議は、いよいよ大詰め。95日という常識外れの大幅延長をした今通常国会の会期末(9月27日)まであと3週間。60日ルール適用期間開始の9月14日も、もうすぐだ。「16日採決強行」「18日がリミット」などという観測記事が目につくようになった。強行できるかどうかは、情勢次第、あるいは情勢の読み方次第であろう。

参院の審議では、いよいよ法案のボロが現れてきた。とりわけ、アメリカの意向に沿って制服組が合意し策定した防衛政策を後追いして法案化がなされ審議されていることが浮かびあがってきた。衆院の審議段階では伏せられていた重要資料がいくつも出て来た。立法事実の欠缺が、明確になってきてもいる。

院外の運動のかつてない盛り上がりは続いているが、もう一つ注目されるのがこの時期に行われる大型地方選挙での選挙民の動向。本日の岩手県議選と13日の山形市長選が、全国の耳目を集めることとなった。

岩手県議選がこの時期となったのは、前回選挙が2011年東日本大震災の被害で、予定されていた一斉地方選挙から約5か月延期した事情による。今日は、国政選挙なみの注目を集めるはずだった知事選の投票日としても予定されていたが、はやばやと自民候補の不戦敗になり、現職達増知事の無投票再選となったのはご承知のとおり。結局、県議戦と、釜石市・陸前高田市・山田町の3市町議会議員選挙の投開票が行われた。

県議選は16選挙区。定数48に対し、63人(現職40人、元職3人、新人20人)が立候補した。このうち釜石、八幡平(定数各2)、大船渡、遠野、陸前高田、九戸(同1)で現職8人が無投票当選となった。残り10選挙区、40議席をめぐっての激しい選挙戦となった。岩手の有権者数は107万人。全国の1%規模での大型世論調査と考えることができる。

今回県議選の党派別立候補者数は、自民16、生活9、民主5、共産3、公明1、社民3、無所属26。前回は23人の当選者を出した民主党が、今回は割れている。

8月31日の地元紙岩手日報は、県議選立候補者全員に「安全保障関連法案」への考え方のアンケート調査結果を公表している。「選挙戦は安全保障法案の国会審議と時期が重なり、有権者の注目を集めている」と問題意識からのことである。このアンケートの結果がきわめて興味深い。

候補者63名のうち、「今国会で、安保関連法を成立させるべき」との回答は、わずかに4人(6・4%)。これに対して、「成立を見送るべき・廃案にすべき」は52人(82・5%)に上っている。

「成立させるべき」との回答者4名の内訳は「政府案」「政府案を修正」とも2人(3・2%)ずつで、いずれも自民公明の候補が回答した、という。「今国会で成立させるべき」という意見が4名。うち自民が2人。すると、自民党立候補者のうち14人は、「今国会で成立させるべき」とは回答できないのだ。

これは、地方政治家が自分の支持者をどう見ているかを反映している。有権者の手前、「今国会で、安保関連法を成立させるべき」とは回答できないのだ。そんなことを言ってしまえば、明らかに選挙に不利になる、落選するかも知れないと考えているのだ。来夏には参院選が控えている。参議院議員諸君、とりわけその半数の改選議員諸君。選挙民に、「今国会で、安保関連法を成立させるべきだ」と、堂々と言えるだろうか。

さらに、岩手日報は、「成立に否定的な回答のうち『憲法違反またはその恐れがあり廃案にすべき』が29人(46・0%)、『国民理解が不十分のため成立は見送るべき』は23人(36・5%)となった」と報じている。これが、地方政治家の意識状況なのだ。勝負あったというべきではないか。

詳細な得票状況はまだ分からないが、共産の候補3人が全員当選した。とりわけ、奥州選挙区(定数5、立候補8)での千田美津子候補(新人)のトップ当選が象徴的だ。党の躍進でもあろうが、戦争法案反対運動の成果というべきだろう。

自民党は3選挙区で苦杯をなめている。公明は、盛岡で1議席を確保したが、前回の9722票(4位/10人)から今回は8655票(8位)に票を減らしている。

この結果は、戦争法案反対運動の昂揚を反映したものであろう。
(2015年9月6日)

「砂川判決と戦争法案」発刊と軌を一にする山口繁元最高裁長官発言

「スタップ細胞はありまーす」「エンブレムは模倣していませーん」には決着がついた。もう一つ未決着なのが、「最高裁は集団的自衛権を認めていまーす」という安倍政権と自公両党の空しい叫び。実は疾うに決着がついているのだが、本人たちが負けを認めない。「あんなに頑張っているのだから、もしかしたら本当なのかも知れない」と思い込みかねない、欺され易い好人物層をたぶらかそうという魂胆が見え透いている。

高村が言い出して安倍が追随し、最初はさすがに「そんな馬鹿な」と言っていた公明党までが最後は乗った泥船。それが、「最高裁は集団的自衛権を認めている」という、無茶苦茶な主張だ。自公以外で、これを支持する意見を私は知らない。見解の相違などというレベルの問題ではない、「牽強付会」「暴論これに過ぎるものはない」「こじつけも甚だしい」と散々の言われ方。四面楚歌どころの話しではなく、まさしく総スカンなのだ。それでも頑張っている安倍政権、立派なものというべきなのだろうか。

高村説の真偽の判断に格別の法律の素養などはいらない。新聞に掲載されている両者の言い分を読み較べることで十分だ。よく分からなかったら、砂川事件最高裁判決と、政府の「72年」見解とをお読みいただけば、疑問は氷解する。

法律専門家としては、まず弁護士会が猛反発した。続いて、憲法学者・行政法学者が挙って批判を展開した。かつての法制局長官諸君も批判の発言を躊躇していない。これで決着がつきそうなものだが、自公の責任者諸君はそれでも頑張っている。と言うよりは、弁護士会や憲法学者や元法制局長官が口を揃えて安保法制の違憲を言うものだから、最後の砦として最高裁を持ち出さざるを得なくなったのだ。

「法案の合違憲の判断は、学者がするものではない。日弁連でも法制局でもない。最高裁だ」と、最高裁に逃げ込んだのだ。ここなら、直接の反撃をしには来ないだろうと踏んでのこと。「最高裁は、まだ集団的自衛権違憲の判断はしていない」にとどめておけば、無難だった。しかし、無難な主張では安保法案審議に国民の支持を得るには不十分なのだ。だから、ウソもハッタリも法案を通してしまえばそれまでのこと、として「最高裁は、集団的自衛権合憲の判断をしている」「それが、1959年の砂川事件大法廷判決だ」と言っちゃった。そういわざるを得ないところに追い込まれたと言うべきだろう。

溺れそうになった自民と公明は、必死になって救命ボートを探したが見つからない。ようやく見つけたのが砂川判決というわけだが、実はこれ、救命ボートでも筏でも材木でもなく、1本のワラでしかない。とても溺れる者を救う浮力はまったくないのだ。高村や北側とて、この判決が実はワラに過ぎないことは百も承知のはず。承知していながら、これにすがるよりほか術がなかったのだ。だから、必死にこのワラをつかんで離せない。

できることと言えば、ウソとハッタリで、ワラを筏か材木だと言い募ること。まさか救命ボートとまでは言えなくとも、丸太か浮き輪と言い張って、国民の目眩ましができればなんとかなるのではないか、法案成立するまで欺しおおせれば万々歳、というわけだ。

弁護士会・学者・元法制局長官からの批判に耐えつつ、砂川最高裁判決というワラにすがって、必死に泳いでいるところに思わぬ伏兵が現れた。「安倍政権がすがっているそいつはワラだ。溺れて当然」と、当の最高裁の元長官が言明したのだ。このインパクトは大きい。

昨日(9月3日)、山口繁元最高裁長官が朝日と共同通信のインタビューに応じて、「集団的自衛権行使は違憲」「砂川判決は集団的自衛権行使を容認したものではない」ことを明言した。政権の言い分を、「論理的な矛盾があり、ナンセンスだ」「何を言っているのか理解できない」とまで言って厳しく批判している。法案沈没の運命だ。

高村・北側は、どう弁明するだろうか。「元最高裁長官などという肩書に欺されてはならない」「問題は判決の論理であって、誰がなんというかではない」とでも言うのだろうか。その言葉はそっくりお返ししなくてはならない。

また、安倍はアベ流の手口でこう考えるかも知れない。「過去の最高裁は問題ではない。ここは未来志向だ。法制局長官だって入れ替えをして言うことをきかせたのだ。最高裁だって、NHKと同様にアベトモを送り込めばよいことだ」。しかしこれは、論理の敗北を認めた上での姑息な対応手段に過ぎない。

まさしく、「スタップ細胞はありまーす」「エンブレムは模倣していませーん」に続く、「最高裁は集団的自衛権を認めていまーす」という自公両党沈没寸前の、空しい叫びではないか。

ところで、「砂川判決の悪用を許さない会」というものがあることを知った。代表世話人は、内藤功、新井章、大森典子、吉永満夫の4氏。そして、屋台骨を支えている事務局長が山口広さんだという。この会が、「砂川判決と戦争法案」という書物を緊急出版した。「最高裁は集団的自衛権を合憲と言ったの!?」と副題がつけられている。そして、本日その書の出版お披露目会を兼ねた、緊急集会「砂川事件判決の真実」が参議院会館内で開かれた。これも、山口さんの奮闘で実現し成功したもの。

私も出席して事件関係者の話を聞いた。「砂川判決の悪用を許さない」というネーミングが当事者と担当弁護士たちの気持ちをよく表している。

山口繁元長官も、同じく、「最高裁判決の悪意ある引用を許せない」という気持になったのであろう。

共同記事は、「元最高裁長官の山口繁氏(82)が三日、共同通信の取材に応じ、安全保障関連法案について『集団的自衛権の行使を認める立法は憲法違反と言わざるを得ない』と述べた。政府、与党が一九五九年の砂川事件最高裁判決や七二年の政府見解を法案の合憲性の根拠と説明していることに『論理的な矛盾があり、ナンセンスだ』と厳しく批判した。『憲法の番人』である最高裁の元長官が、こうした意見を表明するのは初めて。高村正彦自民党副総裁は、憲法学者から法案が違憲と指摘され『憲法の番人は最高裁であり憲法学者ではない』と強調したが、その元トップが違憲と明言した。」と述べている。

なお、共同は次の一問一答を紹介している。

 −−政府は憲法解釈変更には論理的整合性があるとしている。
 ◆1972年の政府見解で行使できるのは個別的自衛権に限られると言っている。自衛の措置は必要最小限度の範囲に限られる、という72年見解の論理的枠組みを維持しながら、集団的自衛権の行使も許されるとするのは、相矛盾する解釈の両立を認めるものでナンセンスだ。72年見解が誤りだったと位置付けなければ、論理的整合性は取れない。

 −−立憲主義や法治主義の観点から疑問を呈する声もある。
 ◆今回のように、これまで駄目だと言っていたものを解釈で変更してしまえば、なし崩しになっていく。立憲主義や法治主義の建前が揺らぎ、憲法や法律によって権力行使を抑制したり、恣意的な政治から国民を保護したりすることができなくなってしまう。

 −−砂川事件最高裁判決は法案が合憲だとする根拠になるのか。
 ◆旧日米安全保障条約を扱った事件だが、そもそも米国は旧条約で日本による集団的自衛権の行使を考えていなかった。集団的自衛権を意識して判決が書かれたとは到底考えられない。憲法で集団的自衛権、個別的自衛権の行使が認められるかを判断する必要もなかった。

また、朝日の記事の中に次の一問一答がある。

 ―「法案は違憲」との指摘に対して、政府は1972年の政府見解と論理的整合性が保たれていると反論しています。
 ◇何を言っているのか理解できない。「憲法上許されない」と「許される」。こんなプラスとマイナスが両方成り立てば、憲法解釈とは言えない。論理的整合性があるというのなら、72年の政府見解は間違いであったと言うべきです。

 ―安倍晋三首相ら政権側は砂川事件の最高裁判決を根拠に、安保法案は「合憲」と主張しています。
 ◇非常におかしな話だ。砂川判決で扱った旧日米安保条約は、武装を解除された日本は固有の自衛権を行使する有効な手段を持っていない、だから日本は米軍の駐留を希望するという屈辱的な内容です。日本には自衛権を行使する手段がそもそもないのだから、集団的自衛権の行使なんてまったく問題になってない。砂川事件の判決が集団的自衛権の行使を意識して書かれたとは到底考えられません。

 ―与党からは砂川事件で最高裁が示した、高度に政治的な問題には司法判断を下さないとする「統治行為論」を論拠に、時の政権が憲法に合っているかを判断できるとの声も出ています。
 ◇砂川事件判決は、憲法9条の制定趣旨や同2項の戦力の範囲については判断を示している。「統治行為論」についても、旧日米安保条約の内容に限ったものです。それなのに9条に関してはすべて「統治行為論」で対応するとの議論に結び付けようとする、何か意図的なものを感じます。

これで、勝負あった。あとは、勝負の結果を多くの人に知ってもらう活動が必要だ。「砂川事件と戦争法案」はそのために大きな役割を果たすだろう。旬報社発行で、定価800円+消費税。今月10日が発行日で、この日以後書店に並ぶことになるという。おそらくは、実践的活用期間がきわめて短い。賞味期間がまことに短いと言えなくもない。その短期間に、戦争法案廃案を目指す運動の道具として大いに活用されてしかるるべきと思う。

それにしても…思う。運動のうねりが次々と新たな事態を切り開いていく。新たに発言する「時の人」をつくり出す。多くの人のたゆまぬ行動が、少しずつ法案に反対する人の輪を拡げ、とうとう元最高裁長官までも動かしたのだ。法案を廃案にするまで、もう一息ではないだろうか。

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一昨日の「DHCスラップ訴訟」の勝訴判決に、多くの方からお祝いや激励をいただいきました。感謝申しあげます。
当日法廷傍聴と報告集会にご参加いただいた内野光子さんの本日(9月4日)付ブログ「DHCスラップ訴訟、澤藤弁護士勝利、東京地裁判決と報告集会に参加しました」をご紹介いたします。ありがとうございます。
http://dmituko.cocolog-nifty.com/utino/2015/09/dhc-30de.html

(2015年9月4日)

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